アンネ・フランクを密告したのは誰だ?
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朝日新聞は一時期300人のネット工作員をかかえ、反日工作を行っていた。 捕まった編集者は49歳ですが、こんなカスでも1500万円の年収がもらえるんですよ。 >>866 14時以降に何が起きたんだ >>866 Domain Information: [ドメイン情報] a. [ドメイン名] ASAHI-NP.CO.JP e. [そしきめい] かぶしきがいしゃ あさひしんぶんしゃ f. [組織名] 株式会社 朝日新聞社 これが規制されたからじゃねw −「朝日新聞社は、とある思想やパラダイムに日本の世論を誘導する見返りに、中国から大量の資金を貰っている。」− これはおそらく週刊誌さえ書けない。 「失語症躁鬱ニートは氏ねよ」【ネット】朝日新聞社員(49)ネットで荒らし行為、会社ごとアクセス規制へ 2009年3月 昔の建物って概して防音とか考慮されてないから、普通に生活音でバレたんじゃネーノ 戦時下手記マニアだけど日記自体はよんでない。 ミープヒースのやつは読んだ。不特定多数が出入りしてたんだし誰でもあり得るよ。 個人的にはマルゴットの日記を読んでみたかった。 倉庫番の一人だった、ファン・マーレン という男も かなり 臭いらしい。 オットーさん、同じ生還者で娘の友人の母親と再婚したんだっけな。 その娘の手記も出てるけどその中に兄とマルゴットが親友だったというくだりがあるが アンネの親友のヨーピーだっけな?に強く否定されてた。 アンネ財団の代表であり友人としてアンネの式典をとりしきっていることに その親友は強い不快感を表していたけど 財団の規模も大きいしビジネスも絡むので色々あるのかもしれないね。 ミープも基本的にはマスコミに関わりたくないので一切インタビューには答えないけど どうしてもの場合もアンネ財団を通さないといけないと警戒心がつよかったとか。 隠れ家系、収容所系、難民として疎開系、ホロコースト文学に関してはメジャーなものは ほぼ読みつくしたけどなぜこれがこれほどまでに称賛されるのか正直わからない。 決してアンネをけなすのではなく、他に魅力的な作品が山ほどあるだけの話だが。 ゲシュタポの魔の手から逃れることは 針の穴にラクダを通すよりも難しい 犯人はアンネ自身という可能性は・・・ ただ動機が難問だが・・・ 恋・・・ 思春期・・・ 失恋・・・ 大人への反抗・・・ 見えてくる構図・・・ 犯した罪への恐れ・・・ 自作した大人の玩具・・・ 真実は・・・ >>10 オーストリア人だっけ? >>9 ベルリンで堂々と音楽家として活躍しながら潜伏したコンラートラテとかもいるし 運と出会った人によるのかなあ。1人のユダヤ人を助けるのに30人近い協力が必要だったというし。 オランダ人も黄色い星をつけて抗議デモしたりしたんだよね。 1944秋ぐらいから食料切符持ってるキリスト教徒ですら食料が手に入らなかったり どっちにせよ都市部で地下潜行した人たちは密告されなかったとしても 終戦を迎えるまでに飢えと病気に耐えられなかったんじゃないかなと思う。 アンネが中継収容所にしょっぴかれた時期はあと少しずれていれば アウシュビッツへの移送がなかったんじゃない? それでも他の収容所へはあったかもしれないけど。 ベルゲンベルゼンは元は捕虜交換のって名目の場所で アウシュビッツ閉鎖前は他よりは待遇マシだったんだよね。 フランクフルト市の場合、終戦時には市内にユダヤ人が数百人まだ潜伏していたらし 収容所への集団移送が本格化したのってこのへん? ポーランド・・1941 リトアニア・・1941 ドイツ・・1943 オランダ・・1943 フランス・・1943 ハンガリー・・1944 ギリシャ・イタリア・・1944 平松邦夫/民主党 大阪市役所・自治労・大阪市労働組合・日教組・大阪市教育委員会・自民党・共産党・社民党・関西電力・住友グループ ・毎日放送・毎日新聞・関西経済連合・日本原子力発電株式会社 ・ 週刊文春・週刊新潮・NHK・朝日新聞・読売新聞 ・部落解放同盟・朝鮮総連・在日本大韓民国民団・日本遊技関連事業協会・全日本遊技事業協同組合連合会・日本弁護士連合会・生活保護受給者・反日左翼・9条の会・革マル派・中核派 VS 橋下徹/維新の会 大阪市民・みんなの党・国民新党・亀井静香・石原慎太郎・東国原英夫 様子見:公明 ベルゲンベルゼンは 殺戮施設ではないものの、最低限の食料・トイレ・医療・生活用品などでさえ ほとんどない状態で、飢えと寒さと糞尿の山により、伝染病チフスが大流行し猛威を振るった。 アウシュビッツからの移動組の生存者は口をそろえて 焼却場がないだけでアウシュビッツよりひどかったっていうな。 1941〜1942の比較的早い時期の移送組のポーランド系ユダヤ人の証言だと ロシア捕虜を銃殺してスペースを開けたアウシュビッツTは ひどい所ながらも寝棚にもまだ人数に余裕があり、 トイレも点呼就業以外は使えたし週に何度かは水道で手や顔を洗えたようだが ビルケナウが完成して本格的な大量移送が始まってからが 本当の地獄だったっていう。 フランク一家の輸送はアウシュビッツを閉鎖する前だったから それまで隠れ家とはいえ人間的な生活ができていた人には 到底順応できないものだったろうよ ゲットーからきた人はすでに飢餓状態ではあったが 奇跡的に選別に通れば生存競争の場では強かったかもしれん。 アンネの日記読んだことあるけどアンネフランクってかなりの中二病で痛いやつって感じだった >>19 まあ実際の中2前後だから仕方がない。 人気が出たのも十代前半の女の子が書いて本人が死んでいるというのも理由のひとつだろう。 死後に家族が頑張って売り出して有名になった例は他にも色々あるし。 >>19 お前も中二の頃はそうだったろww人間が成長するにあたって必要な過程だべ アンネの日記はミープさんのサイドストーリーがあってこと初めて生きるもので 日記自体は別段大人が読んで面白いものでもなんでもなかろう。 俺はオットーさんの手記が読みたかった。 先の大戦でドイツ軍として戦った爪の先までドイツ人の男がこの迫害から生還し どう精神の再構築をしていったか、大人の男の目線で見た現実を読みたかった。 俺はゲットー・収容所の手記マニアだけど基本的にそこで亡くなってしまって 日記が誰かの手によって陽の目を見るってたぐいの本は極力避けてる。 やはり体験して生還した本人が書くことでしか伝わらない生への強い執念を 文章から感じたいんだ。 あの一家で収容所から帰ってきたのオットーさんだけなんだっけ… >>22 オットーさんてすごい生還率だよな。 第一次大戦でも戦場から生還、第二次大戦でも収容所から生還、たしか80代まで生きたろ。 収容所から生還して何かを成した人は長生きだよな。 ヴィーゼンタール、夜と霧のフランクリン、ソルジェニーツィンなど90歳前後まで生きた。 元から生命力があるのかと思えてしまう。 >>23 記憶では90近くまで生きた気がする。後妻さんも生還者でそっちは娘と共に。 「レナの約束」のレナ・ゲリゲッセンは驚異の1700番台での生還者で こちらも姉妹で共に80代までは生きたはず。 女性オーケストラの団員でもアニタ・ラスカー始め数名は80代、 ゾンダーコマンドで唯一の生還者のシュロモベネツィアも長寿だった。 もちろん生還後すぐ亡くなった人も多いだろうけど、元から備わった生命力ってあるんだろうね。 アンネの関係者は ・アンネ→ベルゲンベルゼンでチフスにより死亡 ・マルゴット→同一 てのはなんとなく記憶にあるけどその他の人たちはどうだったんだっけ。 オットーさんは病気で出発をあきらめてダッハウまでの死の行進をしなかったお陰だっけ。 あれは究極の選択だったんだろうな・・ >>19 それだけのことが言えるだけの知性の持ち主が日本にいるとは どんな業績をお上げになった方なんでしょうか 2chにそんな方がおられるとは知りませんでした ノーベル文学賞をお断りになったサルトル以上の方じゃないと、恥ずかしくてそんなことは言えないはず どんな実績をお上げになっているか、ぜひわたくしにお教えください 君のほうが痛いよ・・すこし落ちつこう >>24 死の行進と解放直後でかなりの人が亡くなってるからね。 オットー氏もその他の人もナチスにとらえられた瞬間から常に究極の選択をしてきたんだろう。 けど実際アンネの日記はかなり痛い日記だったな アンネフランクはあんまり頭よくないのにだんだん自分のこと勘違いし始めたり 最後のほうはわけわからない持論語り始めたかなり痛い子 論理的な人ではない 感情的で都合のいい考え方するよくいる女って感じ 少し持ち上げすぎのような気がする スター性があるとか 文章が大人びてるとか ただの中二病でカッコつけてるようにしか見えない リアル中二病の女の日記公開してよかったのかな 顔もはっきり言ってよくないし ユダヤのプロパガンタの為にアンネの日記を大いに利用している アンネが生まれた1929年って 世界大恐慌が起こった年だね これはまた色々すごいときに生まれたもんだ ペーターが一番可哀想。 1945年5月5日にマウトハウゼンで死亡。 この時はヒトラーは自殺しベルリンも陥落していた。 ペーターってベルゲンベルゼンにいたら生き延びることができたのかな? ベルゲンベルゼンは確か4月15日解放だったな。 >>12 そう、ウイーン生まれらしい。 ベルゲンベルゼンは管理がほとんどされず衛生状態最悪 食べ物がほとんどない上にチフスが大流行の最悪の収容所だからな ここに行っていたらむしろもっと早く死んでいた可能性が高いだろうな ここで聞くことじゃないかもしれないけどベルゲンベルゼンにボルマンっていう女看守がいたらしいな。 確か戦後処刑されてた。 こいつはマルティン・ボルマンと関係あるのか? あと2,3か月でも見つかるのが遅れていたら どうなっていたか とりあえず8人とも即ガス室送りは免れたし 本当に惜しかったな >>31 写真見る限り顔は悪くないと思うが・・・ アンネは作家になるのが夢だったみたいだし よかったんじゃねーの そもそもアンネ・フランクなる人物自体存在しなかった 土佐日記、紫式部日記、更級日記>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>アンネ・フランクの日記 密告の電話の声は女性だった、ということは判明しているとか。 あの建物の管理人の妻(掃除をしていた)の可能性が高いと。 戦後、その夫婦は「まったく気づいていなかった」と証言しているが それは嘘で、支援者の一人(日記の中ではベップ)に「ユダヤ人たちが潜伏しているんじゃないか?」 と疑念をもらしていたそうです。 終戦まで潜伏に成功したユダヤ人も少なからずいたのに残念なことでした。 あんな都会で8人も暮らしていて 誰も気がつかないなんてありえないしな 気づいていた人は多いだろうと オット―さんも言っている >>44 日本でも似た様なことがあるだろう、発見したら死亡後半年とか…… そういう無関心が多分に働いたんじゃ無いかねえ。 戦時とは言え、そういう部分は変わらんと思うが 戦後、オットーさんは近隣の人たちから 「物音などから察していた。」と言われたそうですね。 黙認してくれた人たちは多かったろうと思います。 当の建物の関係者となると、発覚したら黙認していた自分たちにも被害がくる、 という危機感があったのでしょうね。 凄いな…それだけナチズムによる思想統制も、大多数の住民には影響を 与えず、少数派ながらナチズムを信奉するSSなどが頑張っている中で、 大多数の無力な多数派がただ立ち尽くしていたという構図は怖いね。 歴史は常に、また繰り返される可能性がある。 ドイツって当時、世界の中でももっとも優れた憲法だと言われていたんだよな それが僅かな期間であそこまでおかしなことに・・・ 一党独裁というシステムは、ほんと人類にとっての“最大の敵”なんだな >>48 当時のドイツの状況ではあの憲法は絵に描いた餅に過ぎなかったよ おれは維新の会が正直、少し怖い。 日本人の民度に絶望しているから。 父親は第一次世界大戦はお国(ドイツ帝国)の為に命を掛けて戦ったのにこんな仕打ちを受けるなんてたまったものじゃ無いな アウシュヴィッツから苦しい旅のはてにここへやってきたアニタ・ラスカー・ウォルフィッシュはこう語る。「アウシュヴィッツでは人間が殺害されました。ベルゲン=ベルゼンではただ朽ちはてるにまかせたのです」 収容所の衛生状態は、言葉でいいつくせないほどひどいものだった。「収容所は全体が一つの下水道のようなものでした」と囚人医師ドクトル・レオは収容所の状態を語る。彼はここで発疹チフスや結核や、赤痢やコレラと絶望的な戦いを戦っていた。 ぬかるみと、排泄物と、害虫の泥沼の中で、これらの病気はものすごい勢いで蔓延していった。 …(略)… この収容所で、黙示録さながらの歴史が最後の月を迎えたとき、日に日にうず高くなる死体の山との絶望的な戦いを、死体処理班はすでに放棄していた。ベルゲン=ベルゼンの元囚人ハンナ・レヴィ=ハスは秘密の日記にこう書いている。 「生きていたり死んでいたりする他者の亡霊たちに囲まれて、わたしは残されたこの半分だけの命を使いはたしてしまうだろう。 死体が、現実の死体が、いつも傍にある。ベッドに横たわっている」。 寝台の上に、バラック棟の間に、道端に、死体が転がっていた。春の太陽で緑色に変色し、ありとあらゆる腐敗の段階を見せていた。 強烈な悪臭は数キロメートル離れた所にまで達した。 「あの臭いは表現のしようがありません」と、アニタ・ラスカー・ウォルフィッシュは語る。「ベルゲン=ベルゼンそのものが一個の死体の山でした。 腐敗しかけている死体以外のなにものでもありませんでした」 グイド・クノップ『ホロコースト全証言』pp.392-394 アンネとマルゴーはこんなところに5カ月もいたんだよな ぞっとしてくるわ アンネの追憶とかいう映画が公開されるな 見に行ってみるか http://www.youtube.com/watch?v=9iFFGbF_Yjo&feature=related ベルゲンの死体の山は動画で見たけど、あの収容所は焼却設備がなかったんですね。 絶滅ための収容所ではなかったから、生き残れるかどうかはもう生命力の強さだけ。 巨大な穴に投げ込まれた死体の中にアンネとマルゴーの死体もあったかもしれない。 二人が亡くなった二週間後?くらいに解放されたというから。 連合軍があと少し早く来ていれば・・・と思わずにいられません。 アンネの日記って 未だに根強いねつ造説があるが 全部否定されたらしいな ボールペインはアンネが描いたやつじゃなくて メモ書きだったとか 筆跡が全然違うとか言われていたが 結局同一人物という結果が出たとか そういえばミ―プさんが 2010年に100歳で亡くなったんだっけ これでもう隠れ家に関わった人はみんな亡くなったわけか アンネと仲のよかった友人は何人か生きてるけど アンネの日記チラッと見てみたが クラスメイトの紹介が酷すぎ、ワロタ 戦争末期が圧倒的に収容所での死者が多かったんだよな ドイツが劣勢のため食料が届かず 一つの収容所にありえない人数を収容したため 管理が不可能になって酷い有様だったようだ それでも密告されるのがあと半年遅ければ 8人とも生きてえられたかもしれんが 一番怪しいと言われているのは やっぱファン・マーレンらしいな 池上彰『世界を変えた10冊の本 の中にアンネの日記が入ってるな それほどの影響力があったのか >>61 この本が欧米のイスラエル政策を後押し(同情的な意味で)する効果があったんなら、 世界の政治経済における中東の重要度が高い以上、まずまず影響があったと言えるかもね 生き残ってくれれば 収容所の詳しい様子とか 色々面白い本を書いてくれたろうに 残念だな 生き延びてたらアンネ・フランクなんか誰も知らないだろ。日記も出版されなかっただろうし。 別に特に文才あるわけじゃなし。 >>64 アンネは戦争が終わったら あの日記を基本にした隠れ家の本を出そうと考えていたってのを見たことがある どっちにしろアンネは友人に作家になりたいって言っていたみたいだし 本を出していたには確実だろう 2009年にNHKでやっていたドラマニコニコ動画で見てみたが なかなかおもしろかったな 最後の収容所で死亡文字が鬱すぎる つーかもっと早く手を打てばよかったのに 親戚はもっと早くナチスの手の届かない場所に亡命していたのにな 俺です。アンネをピーターに取られたのを恨んでいたから密告しました。 >>72 いえ考えたんじゃ無い、やったんです。(アンネを密告 生理のことをアンネの日記とか言ってるのって日本だけ? >>76 そんなこと言ってる人いるのかよ・・・ 日本の恥もいいところだ ミープさんの話だったかな 知人に、人付き合いの理由から、心ならずもナチスに入らなければならなかった人がいて、 その人が、フランク一家逮捕の事を聞いて、 「戦争も終わりかけているし、ドイツの人たちは、帰国の事を考えている きっと、お金を出したら、フランクさんたちをこっそり釈放してくれるんじゃないですか」と 耳打ちしてくれた人がいた で、交渉にいったんだけど、遅かったってね その心ならずもナチスに入らなければならなかった人、戦後、どうなったか気になる アンネの追憶の主人公を演じたロザベル・ラウレンティ・セラーズが出演した独伊加合作アニメ『Mia and Me』が話題となっている。 ブレスレットに身につけ、『私はミア』と叫ぶと異世界セントピアへ ttp://www.youtube.com/watch?v=tUrbsH1QGQo まさに実写とアニメが融合しているなw アンネ・フランクが映っている動画、YouTubeで公開 [オランダ発] 『アンネの日記』で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクの生前の姿が映っている動画が9月23日、YouTubeで公開された。 アムステルダムの「アンネ・フランクの家(記念館)」による。 わずか20秒のビデオは、生前のアンネを撮った唯一のもの。 隣人の結婚式当日、新郎新婦を一目見ようと、2階の窓から身を乗り出している彼女の姿が、 数秒間(0:09-0:14)収められている。 撮影日は1941年7月22日。アンネはこの時、数えで13歳だったそうだ。 それから1年もしないうちに、彼女は両親や姉と共にアムステルダムで潜伏生活に突入。 しかし、1944年8月、密告により隠れ家がゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に発見され、 アンネは1945年3月、ナチスの強制収容所でチフスのため死亡した。 ちなみに、新婚夫婦は今も存命で、ビデオはこの夫婦が提供したものだという。 記念館が最近開設した公式チャンネルでは、このほか、アンネの父親オットー・フランクや、 フランク一家らの潜伏生活を支援したオランダ人女性ミープ・ヒースのインタビューからの抜粋も公開されている。 また、開館50周年記念の一環として、バーチャル記念館が来年4月28日オープンする予定だそうで、その予告編も見ることができる。 アンネ・フランクが映っている動画 ↓ http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-412.html ↑ アンネの父親オットー・フランク ミープ・ヒース の インタビュー動画も >>81 の動画見た。なんか色んな感慨が湧いてきたよ。 彼女は間違いなく笑顔で生きていたんだ、それからたった4年で、と思うと暗澹たる気分になる・・ 密告だけど、レナ・ハルトホとかいう奴がやったって説が有力っぽいよ。 ミープさんも「多分犯人は彼女だ」って言ってるし、密告の声は女性だったらしい。 この有名な手紙、一番最初の手紙、これが私宛の最初の勧誘メール。 ダビデの星がね、綺麗にねデザインされていて、こんなのが直接来るのよ。 こういうとっても怖いのが来ちゃうわけよ、普通だったらビビるでしょ。 普通だったらパンパースかなんかなっちゃうでしょ。(笑) ところがリチャード・コシミズはちょっと太り気味でパンパースが入らなかったのね。 ということで、あんたなかなか結構やるじゃんかと、そこは認めてくれてる。 で認めてくれたうえで、あんた凄いと思ったのはヒットラーの件まで分かっちゃってると。 あんたの言うとおりにヒットラーは死なないで戦後南米に逃れてガキの二人も作ってるんだよと。 で名前はフリードリッヒとオルガだということまで書いてある。 でとにかくあちら側に寝返れと、寝返ったらあんたは一生ヒットラーやロックフェラーのような、 豪華な生活を送ることができると、そういうふうに勧誘いただいたわけだ。 これほんと勧誘レターよ、この後また何通も何通も来てるんだけど。 僕はこのメールをもらってから五分以内にこれをネットに上げたね。 そして十五分以内に翻訳文を上げたね、それが彼らに対する対抗策。 向こうはビビッたと思うよ、自分達が苦心惨憺作ったメールを、あっという間にネットに上げられた。 というわけでどうやらドイツのメルケル首相はヒットラーの娘のようです。 http://www.youtube.com/watch?v=eJzQm_-z0ic 【メルケルは】Merkel ist eine Tochter von Hitler.【ヒトラーの娘】 http://www.youtube.com/watch?v=weOg9Ut4GAA 密告者が誰かはオットーさんは知ってたらしいけど、あえて他言しなかったみたいね。 逮捕したゲシュタポのヤツの名前も知ってたらしいのに、わざと間違えた名を言って戦後20年も逮捕を遅らせたらしい。 アンネ・フランクを逮捕したことで起訴されたジルバーバウアーって運の悪い奴だな。 有罪にはなってないけど無駄に知名度上げたよな。 逮捕したのが無名のユダヤ人(フランク一家も当時は無名だが)だったら今日では学者でも存在を知らないどこの誰だか分らぬSS下士官にすぎなかったのに。 >>88 オットーさん知ってたのか? ゲシュタポのジルバーバウアーは「密告する人間なんて山のようにいたからいちいち覚えていない」とか言ってたようだが 『アンネ・フランクの生涯』って本でそう書いてたような。 ゴメン。記憶曖昧・・ アンネの日記読んだら、控えめそうな見た目してるのに重度のナルシストだったでござる 日記読むと、よくも悪くも普通の思春期・反抗期の子供じゃない? 凄い際立った個性があるとか、そういうタイプには思えない。 だからと言ってアンネの日記が無価値かと言うと決してそうではなく、むしろ逆にその普通っぽさが普遍的に共感を呼びやすいんだと思うけどね。 アンネの日記の研究版高すぎンゴwwwwさすがに5k超えはwwんんww 多感な時期の女の子の日記を公開する父親ってのも 考えようによっては無神経だなあ。いくら平和のためと言っても。 内容から言ったらエレーヌ・ベーヌのほうがずっと中身があると思うけど、こっちはアンネに比べてずっと知名度が低いね。 大学院生だったらから、内容がしっかりしているのは当たり前だけど。 >>94 「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」上下巻それぞれ5k越え、より万倍マシなのではないか。 新装版なのに訳が…・・・なところもあって、こりゃちょっと笑えねえぞ。 「モルモット」の訳とか。萎える。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる