【プロイセン】フリードリヒ大王【啓蒙専制君主】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
さらに都市の守備隊は民家に分宿してたんで、一般国民とはめっちゃ関係がある。
兵士は薄給だったから、市内で内職にも励んでいたし。 迷惑な兵隊を街から連れ出して
戦場で大量に磨り潰してくれる
我らが大王様ばんじゃーい。 そういやなんでプロイセンが国家を持つ軍隊なんだ?
意味がよく分からん >>823
どちらも本質を捉えたコメントだと思うね。
ナポレオンには評論家の素質がある。 確か前スレあったよね
URL判る人いたら貼ってくんない 定期的なレスになるが
フリードリッヒ2世の功績としてはオーストリア継承戦争とシュレージエン領有は確かに評価される。
しかし7年戦争の窮地に嵌まったのは明かなフリードリッヒ2世の外交的失策つーか、外交以前の自身の舌禍が原因だ。
戦術的勝利で戦略上の窮地を7年凌いだのは立派だが、最終的に勝てたのはたまたまの幸運だ。
大王と呼ばれる程の王ではない、明かに過大評価だろ。
むしろ抑止力としての軍事力育成に徹した父の兵隊王こそ評価されるべき。 七年戦争勝ち抜いた後の内政面に大王の手腕って父親よろしく盛大に発揮されてる
というかむしろそっちのが後のプロイセン雄飛の礎と言ってもいいくらいに成功してたりする
単純に勝ったから大王というわけじゃないってことはちょっと抑えとくべきだな 7年戦争時の状況を作ってしまった反省を戦後に生かしてるよね >>845
確かに総合的には兵隊王の方が君主として評価に値すると思うが
後継者の教育には成功したと言い難いのでそこが減点 天才の業だった(ジョミニ「戦争概論」)
ジョミニの評価は高い >>848
ハァ?
兵隊王の後継者が他ならね大王だろ
兵隊王の「あの教育」が無ければフリードリヒ2世は唯の芸術好きな文人王に終わってたかもな >>850
兵隊王は最晩年、ユーリヒ=ベルク公国の継承を巡ってハプスブルク家と
決裂し、王太子に自らの言葉で外交に関する遺訓を残してたりするんだよね。
かなり大雑把に言うと、諸外国に決して気を許すなというもの。
日本だとフリードリヒが恩あるオーストリアにいきなり牙を剥いたかのように
言われることもあるが、兵隊王の最晩年にも神聖ローマ帝国に対する遺恨があった
点に注目する人はあんまり居ない気がする。
(「にも」と言うのは兵隊王に限らず、大選帝侯もフリードリヒ1世も神聖ローマ
帝国に煮え湯を飲まされてきたから) シュレジェンの領有確定については現地が新教人口が多くプロイセンの統治を歓迎していた面も大きい >>853
だからと言って侵略が正当化されるわけでもない。 >>859
当時もフリUさんは非難されていましたが・・・ >>860
その3代前、大選帝侯に皇帝レオポルト1世が与えたシュヴィーブス(シフィエボジン)
一帯をフリードリヒ1世(ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世)から再び召し上げた
経緯も非難されてるがね。
大選帝侯はシュヴィーブスを代償として、父祖がレグニツァ公と結んだ相続契約の放棄に
同意したのにレオポルト1世は、侯世子だったフリードリヒ3世が納得できない形で同地を
取り戻した。
これが巡り巡って、フリードリヒ大王の宣戦理由になってる。 フリードリヒ大王のような人はプロイセンの政治風土の中では異端なんだよな
彼のような人が彼の地にもっと多くいれば、ドイツが軍国主義に染まることもなかっただろうし、
その夢と熱から醒めるのに二回も頭を激しくぶつけて出血多量になる必要もなかっただろうに 彼のような人が居たから、ドイツは軍国主義に染まって
二回も頭を激しくぶつけることになったのではないかな ビスマルクがどれくらいフリードリヒ大王を参考にしていたか
知らないけど、ビスマルクであれば「外交的に孤立したらドイツは詰む」って
教訓を引き出していたと思う。自身も外交畑だしな。
一方ヴィルヘルム2世やヒトラーは、この点を甚だしく軽視していたとしか
思えない。政治は結果責任だから、大選帝侯からフリードリヒ・ヴィルヘルム2世
までの歴代君主の功績は否定しようがないが、あの二人は「ブランデンブルク家の
奇跡」があくまでも「奇跡」であることを重く見てなかったのではないかな。 僥倖で戦争に勝つと、将来の戦争でそのツケを払うことになる。
日本も身に覚えがある話だ。 フリードリヒ大王については、なぜかオーストリア継承戦争とバイエルン継承戦争は無視される。
また、七年戦争でもイギリスからの経済援助の影響は大きかったし、ハノーファーの兵力もあったのだが、
なぜか単独で戦ったかのように言われる。 史実でもギリギリで勝った(生き残った)のだから
イギリスが早々に援助を切り上げてたら
プロイセンは自分でしかけた戦争で自滅した可能性が高いね。
イギリス様様だよ。 イギリスは金さえ出しておけば、フランスの力を大陸に引き付けられるのでプロイセンを利用しただけだし、
大王はそれを承知で、ザクセンを兵站基地化することで長期戦に耐えられるようにする目的で、自分から敢えて戦端を切った イギリスはイギリスで、途中で単独講和したからプロイセンからは裏切ったと思われ、他の国からは
皆が大陸で戦っている間に上手いことをして勢力を広げたと思われ、実利は大きかったが他国からは警戒されるようになった >>870
イギリスにはハノーバー朝の故郷をフランスから守りたかったという重要な
理由があるぞ。そこには金だけじゃなくて兵も出してる。 プロイセンをつぶしておけばナチスに悩まされる未来も無い。
タイムマシンに乗ってイギリスに教えに行きたい。 その分フランスかロシアが拡張してめんどくさくなりそう 正に>>874の言う通りで、>>873は大陸に突出した国家が
できないよう立ち回ってきた、というイギリスの基本政策を
理解できてない。
ヴィルヘルム2世と、もはやプロイセンと関係もないヒトラーの
時代が例外的だっただけで、プロイセンは基本的に親英だったし。 >>864
第一次世界大戦が終わるまでは、どこもかしこも軍国ばかりだった件 >>873
そのときどきで弱い方を助け、強い方を叩くのが、バランスオブパワー政策の基本
その結果、強い方を叩きすぎてバランスが壊れるのは、よくあること アメリカが、ロシアとのパワーバランスを目指して中国をテコ入れしてきた結果が、現在の状況
今度は中国が強くなりすぎて、米中冷戦が始まった
その一方で、アメリカとロシアの関係は急速に改善へと向かっている >>876
軍事作戦上の都合のためにかねてから中立国の侵犯すら織り込んでいたような戦争馬鹿と一緒にされたら、
他の国も堪りませんわ 戦争馬鹿と言うのは、戦争をやりたいばかりに、中立法を無視しまくったルーズベルトだろう >>879
「おう、イギリスの悪口はもっと言ったれ」ってアイスランドとノルウェーが
言ってたぜ 絶頂期のフェリペ2世、ナポレオンやヒトラーでさえ英国侵攻は出来なかった
フェリペ2世はアルマダ海戦で負けてスペイン斜陽が始まった
ナポレオンとヒトラーはある意味英国を孤立化させようとロシアに手を出して破滅した
「平時には神に祈り、戦時には海軍に祈れ」の伝統は伊達じゃない >>884
カエサル「オッスオッス」
ザクセン人「ちぃーっす」
クヌート大王「ハァーイ」
ギョーム2世「よっ」
チャールズ・ステュアート「うっす」 色々知っててすごいねw
チャールズさんがそこにあるのは不勉強で分かんなかったから教えて >>886
「若僭王」ことチャールズ・エドワード・ステュアートが1745年、ジャコバイトの蜂起に乗じて
フランスからスコットランドに上陸した。
てか、英国侵攻(主にフランス発)って歴史上、結構あるのよ。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Invasion_of_England
↑には計画も込みだけどな。 >>885
884はイングランドの国家アイデンティティーが確立した絶対君主制テューダー朝以降の話ね
それ以前の封建領主制時代に受けた侵攻は国家に対する侵攻というより単に王朝交代だから
特に100年戦争前のイングランドとフランスなんて互いに国家のアイデンティティーが確立して無いから、国境はあって無いような物やし
後、チャールズ・スチュワートの場合、侵攻ってより侵入にして現地のジャコバイトを蜂起させたけど、結局凹られて逃げ帰ったんじゃん >>888
ゴールポストが動いたね。
それはさておき、若僭王の侵攻は鎮圧されるまでの間にスコットランド全土と
イングランドの一部を切り取るほど大規模な侵攻だったと評価できるし、それ以前の
1690年にはイギリス海軍の敗北に終わったビーチー・ヘッドの海戦の余波で
フランス軍の上陸を許し、ティンマスの町を焼き払われてたりするが。
翌年の名誉革命も、集結まで戦闘が起きなかっただけでウィレム3世率いるオランダ軍
によるイギリスへの侵攻だぞ。 >>889
ゴール動かすも何も、最初からフェリペ2世以降の話しかしてないし
カエサルなんて紀元前の話されてもな
あと英海軍が不敗だとは言ってない
ただ大陸からの大規模上陸は許してない、100年戦争時だって戦場は大陸だし
反対に英国は大小の遠征軍を大陸に送ってナポやヒトラーを締め上げたりしたけどね
チャールズ・スチュワートのはあれは実質ブリテン内の反乱だろ
フランスもコソコソと800人しか上陸軍送れてないし
名誉革命は確かにオランダの侵攻とも言えるけど、英軍は戦意なくて殆ど戦ってないから実体はクーデターに近い
ノーカウントだわな 「絶頂期のフェリペ2世さえ」という表現では、その前後の時代を除外したと受けとる読み手はいない。
ジャコバイトの蜂起もフランス軍まで侵攻してきた事実は否定できない。
名誉革命も、直後にそのままウィリアマイト戦争が勃発している経緯を考えると無血の看板に味噌が付く。
そもそも争われているのは、英国侵攻の可否だろ。
なら、昔っから千客万来でFAだわな。 名誉革命ねぇ……ステュアート朝の視点から見れば内憂外患の果てに
国王が外国軍によって玉座から追われた一方、自国軍は王のためにほとんど
動いてくれなかったなんて果てしなくgdgdな事件だよなw 釣られて途中論点多少ずれちまったけど元々は王立海軍(Royal Navy)の話をしたつもりでね
だからカエサルやノルマンの話されてもな(まぁ当時から海軍はあったけど)
英国侵攻の可否ね
王立海軍となったテューダー朝以降では英国へのゲリラ的上陸は出来ても、英国を追撃できるような大規模侵攻は無理だね(ビーチーヘッド海戦なんて初めて知ったわ、町を焼き払ったぐらいで、それが何か)
本格的な英国侵攻可能ならナポやヒトラーがやってるだろ
大陸欧州制覇した(ロシア除く)ナポやヒットラーが出来ないのに誰がやれるのさ ノノヽ、
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ヽ ヽ、
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ヽ ( c、_,っ ) | `'lヽ./
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| ヽ___/ / | 何止めたん?
勝った!勝った勝った、はい論破!
とでも言えば良いのかな ノノヽ、
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| ヽ___/ / | つーか最初の条件設定が甘過ぎる。
後付けで
-テューダー朝以降
-大規模侵攻(何をもって「大規模」とするのかも主観的だが)
でないと駄目だと言うくらいなら、最初からそう明示しないとツッコミ放題だわ。
そこまで条件を緩和しても、名誉革命は繕いようがない内憂外患と、
それに起因する外国軍の侵攻による政権転覆だがな。
しっかしプロイセンスレで、なんでこんな話になったのやら。 歴史マニアはめんどくせえのが多いからな
プロイセンには内戦状態になるようないざこざってないよね
いや神聖ローマ帝国内では揉めてるからそれどころじゃないないのか 歴史学も科学だからな。
何かを論じる際、条件設定はそれなりに厳しい。
「史上初の」、「史上最大の」、「歴史上、存在しない」などの言葉はウカツに使えない。 884は単にRoyal Navyマンセーで書いたのに、カエサルまで持ち出されて突っ込まれてさ、挙げ句に条件設定が甘いとかさ
本当歴史マニアは面倒くさいわ
だいたい884はナポレオンスレにレスする積もりのを間違えて大王スレにレスしちまった奴なのに 今のナポスレはイギリス海軍を語る流れじゃないし、
そもそも誤爆したのに違うスレに居残るとかこれもうわかんねぇな 大王の本当に偉大なところは一時的に優勢になっても本来の戦略目標を見失わなかった事 フリードリヒ2世の悪名は後世にも轟いている
マリア・テレジア皇后陛下、万歳万歳万々歳! 大王様は、ヨーゼフ2世やピョートル3世など、敵国の皇帝さえファンになってしまうほどの人気者 同時代に生きてたらそりゃファンになるよな
とベタ褒めすると鋭いツッコミが入りそう(期待の目) ファンがいました、という意見に対して
「いや、アンチもいたぞ」なんて言っても
当然過ぎてツッコミにもならん 政治家や軍人はファンになるだろうけど
音楽家や詩人はクソ味噌にけなすであろう フリードリヒ2世の悪行は後世にも轟いている
マリア・テレジア皇后陛下、万歳万歳万々歳! >>909
フリードリヒの宮廷から去ったC.P.E.バッハのような音楽家がいる一方で、
クヴァンツやベンダ、グラウンなどその宮廷こそが活躍の場だった音楽家も
少なからずいる
てかフリードリヒ2世の宮廷って、その庇護下でギャラント様式が開花した
舞台だしね
音楽史の観点から見ると、どちらかと言えば高評価だよ 真に偉大な王は兵隊王だよ
己の信じる道を邁進してプロイセン勃興の礎を築いた >>911
えーと
大王がへぼ詩人だったことをおちょくるネタやでw >>913
中にはわざわざ元のフランス語からドイツ語に訳された上で、本にまとめられるくらい
評価の高い詩を人生のどの段階でも詠んでるぞ
ttps://www.schoeningh.de/katalog/titel/978-3-506-77307-4.html
音楽家としての評価も決して低くなく、多くの演奏者が大王の曲を再演してる 音楽に関しては低い評価なんてありえんわな
フルートの名手だったし、作曲した曲はCDにもなってて、俺も持ってる 大王へぼ詩人説ってどっから出たんだろうな
反君主論辺りの論評由来な気もするがよくわからんな 大王にとっての詩作は極々個人的な趣味であって、人に見せるものではなかった。
ただし心から信頼している相手には詩を贈ることもあり、相手への信頼が失われた
時には贈った詩の返却を求めていた。
大王の詩を悪く言ってるのはヴォルテールが大本だろう。彼は大王のフランス語の
添削を任されていた。詩のように繊細に言葉を扱う芸術で、そもそも文法に間違い
があったとしたら、そりゃ評価も高くはなるまい。
ただ、大王にもセンスはあったんだろうな。でなければ後世の人も、わざわざ
ドイツ語に訳そうとはしないし、現代に至るまで賛辞とともに出版しようとはしない
だろう。
無論、どの詩も名作ってわけじゃないが。例えばエリザヴェータ女帝の没後に捧げた
哀悼詩とか、故人への辛辣な悪口でしかない。大王が女帝をどのように思っていたのか
伺い知ることはできるけど。 >>916
プロイセンの君主がプロイセン語を蔑ろにして、敵国フランスの言葉で詩作などにふけっていれば
とうぜんカチンとくる臣下の方々がいらっしゃるだろう。 フリードリヒ2世の悪政は後世にも轟いている
マリア・テレジア皇后陛下、万歳万歳万々歳! プロイセン語って何だよ
大体当時の王侯貴族はフランス語で生活するのが当然
不定詞王なんて、ドイツ語がまともに話せなかったし プロイセン語はドイツ騎士団に侵食される前のバルト語派の言語
大王たるもの、国名のルーツになる人々の言葉を蔑ろにしちゃいけないよねw プロイセン王がプロイセン王を名乗ったのは、プロイセンが神聖ローマ帝国外で王号を名乗るのに問題なかったからで、
本質的にはブランデンブルク王。
ユンカーもほぼブランデンブルクかポーランド系で、プロイセンの主流だった自由農民もドイツ人
プルーセン語なんて誰も知らない ちょうど大王が生まれた頃に死語になったんだな
兵隊王の幼少期あたりが今のアイヌ語みたいな感じだったのかな フリードリヒ2世にとってはドイツ語なんて田舎言葉もいいとこで、
とうていボクの文化的素養を生かせる言語じゃないねフン、って態度。
まあ実際に文化レベルはフランスに及ばないがw 大王様が有能とはいっても、ヘルダーやゲーテやシラー並みの能力を要求してはいけない >>921
不定冠詞王は話し方が特徴的(不定冠詞の連発ってぇと軍隊的と言えるな)
だっただけで、文法的におかしかったわけではないよ
>>925
フリードリヒ2世は身分を問わず、兵士や平民と当たり前のように
話したり、市民からの訴状を自ら受け付けたりする人だったから
ドイツ語を軽視してたわけじゃないぞ >>923
>本質的にはブランデンブルク王。
いや、ブランデンブルクにおいては神聖ローマ皇帝の臣下である選帝侯。
なお1772年、ポーランド王領プロイセンを併合し、プロイセン全土を領有して
以降は名実ともに「プロイセン王」になる。
余談だが神聖ローマ帝国が滅んだ後も、同帝国が滅ぶ前から認められていた
ブランデンブルク辺境伯その他の称号は歴代プロイセン国王に継承された。 フリ2は日常生活でドイツ語をつかわずフランス語を使っていたというが、
まあ天皇が日常生活で中国語や韓国語を使うようなもので、
周りにはイラっとくる人も結構いたろうな。 >>927
不定詞王は、動詞が人称変化してない原型の不定詞を使って話していたのであって、文法的に目茶苦茶だぞ
例えば、私はプロイセン王であるというのは、正しくは Ich bin koenich von Preussen.だが、
一人称単数のbinではなく、原型のseinを使って Ihc sein koenich von Preussen.と言っていたんだぞ >>928
そんな話をしているのではなく、フリードリヒ3世(プロイセン王としてはフリードリヒ1世)は王号が欲しかったが、
帝国法ではベーメン王以外の神聖ローマ帝国内での王号を禁じられているため、すでにポーランド王の宗主権から
離れていたプロイセンの王として、プロイセン王と名乗った。
ただ、配下のユンカーの領土や農奴の大半が存在するのはブランデンブルク領内であり、逆にプロイセン領内は
土地を持った自作農である自由農民が多く、プロイセン王に対して必ずしも従順ではなかった。
実質的といったのは、家臣を含めた王国の本体はブランデンブルクだったという意味だ プロイセンって元々ドイツ騎士団領だったんだろ
どういう経緯でブランデンブルク選帝侯のホーエンツォレルン家がそんなものを手に入れたんだったっけ? >>927
正確には主語をつけないので、sein koenich von Preussenだな。
例えば、読むという単語は辞書には不定詞で載っているからlesenだが、
一人称単数の人称変化をするとleseなので、Ich lese das Buchとか普通なら言うが、
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、lesen das Buchと言っていた。
>>929
18世紀に、それまでのラテン語に代わってフランス語が各国の宮廷で使われるようになり、
どこの国の宮廷でも君主も貴族もフランス語で話すのが当たり前 >>933
宗教改革で当時の騎士団長のホーエンツォレルン家のアルブレヒトが配下の騎士ごとルター派になったとき、
ドイツ騎士団領は世俗のプロイセン公国になった。
アルブレヒトは、ブランデンブルク選帝侯であるホーエンツォレルン家の分家出身だったが、アルブレヒトの子孫が絶えたので、
本家のブランデンブルク選帝侯家が相続した >>934
どの国の宮廷でもフランス語とまで言うと言い過ぎ。
マリア・テレジアは主にドイツ語だったというから皮肉。 >>936
いや、テレジアもフランス語を好み、宮廷でよく話していた。
それどころか、子供たちへの手紙までフランス語で書いてる。 >>934
なるほど、分かった
lesen を lese にもしなかったとしたら、確かに文法的におかしいわ
教えてくれてありがとう フリードリヒ2世はマリア・テレジアと結婚して、
ハプスブルク=ホーエンツォレルン家の祖になれば良かった。 >>939
ハプスブルク=ホーエンツォレルン家
名前からして恐ろしい… 女嫌い(シスコン除く)の大王と、男勝りでラブラブ大好きっ子の女帝
うまくいきそうな気配が微塵もねえ・・・ 昔河野洋平と田中真紀子との間に縁談があったと聞いて
思い出したのがフリードリヒ2世とマリア・テレジアだったw
どっちも実現してたらどうなってたか怖いもの見たさで興味ある >>940
ハプスブルク家のオーストリア公アルブレヒト3世はホーエンツォレルン家
出身のニュルンベルク城伯、フリードリヒ5世の娘であるベアトリクスと結婚して
次代のオーストリア公、アルブレヒト4世を儲けてる。
その子、神聖ローマ皇帝アルブレヒト2世の娘エリーザベトはヤギェウォ家に嫁ぎ、
そのヤギェウォ家のアンナはオーストリア系ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝、
フェルディナント1世に嫁いでいる。
つまり、ホーエンツォレルン家とハプスブルク家はアルブレヒト3世とベアトリクス
が結婚した1375年以降は姻戚関係にある。 ハプスブルク家にとって、ホーエンツォレルン家の支配するドイツ(第二)帝国は、かつて臣下だったニュルンベルクの城伯一家に簒奪された国とうつるのかな?
ドイツ国内でもバイエルンのヴィッテルスバッハやザクセンのヴェルフェン(ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家)といった王家はホーエンツォレルンより古くからある名門だからこんなのに支配されるのは苦々しく思っていただろうな >>944
どうだろうね。1806年に神聖ローマ皇帝位を退位した時点で、ハプスブルク家はホーエンツォレルン家の
主君ではなくなったから。
そしてホーエンツォレルン家の主君たる地位を失わせた責めは、プロイセンじゃなくてライン同盟を結成させた
フランスが負うべきものでしょ。
あとブラウンシュヴァイク=リューネブルク家も、ヴィッテルスバッハ家もホーエンツォレルン家とは姻戚よ。
特に前者は、プロイセン軍の将官となった者を幾人か輩出してる。 >>943
姻戚とかじゃなくて結婚によってハプスブルク=ロートリンゲン家のように
王家が合同した場合のことを言ったんじゃないの? >>946
トップ同士で合同なんてしなくても、ハプスブルク家は代々ホーエンツォレルン家の
軍事力を利用し尽くして来てたんだよなあ。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の治世最末期に決裂し、息子のフリードリヒ2世に
離反されるくらいならもっと臣下を大事に遇してやれば良かったのに。 フリードリヒ大王とは関係ないけど中世のザクセン公国って現在のニーダーザクセンとかノルトラインヴェストファーレンの事でしょ?
何で現在のザクセンアンハルト州やザクセン州がザクセンを名乗ってるの? >>948
大雑把に言うと現在のザクセン=アンハルト州の州域はプロイセン王国が
1802年に設置したザクセン県、現在のザクセン州の州域は1806年から
1918年まで存在したザクセン王国に由来する。 そもそもブランデンブルク辺境伯領自体がザクセン公が東方植民で得た領土だろ?
ドイツ騎士団領もそうじゃなかったっけ? >>950
プロイセン地方におけるドイツ騎士団の最初の領域は、
マゾフシェ公コンラート1世が与えたクルマーラント。
ttps://de.wikipedia.org/wiki/Kulmerland#/media/Datei:Altpreu%C3%9Fische_Landschaften_im_13._Jahrhundert.png
ドイツ騎士団は以後、クルマーラントをキリスト教化されていない諸族から防衛しつつ、彼らの土地を攻めて切り従えていった。 >>939
しかもそれを推していたのがプリンツ・オイゲンだったというのも凄い
おそらくはプロイセンの脅威を見越していたからだろうが >>952
Ludwig ReinersやGiles MacDonoghなどの研究者によると、オイゲン公こそ
駐プロイセン大使ゼッケンドルフ伯フリードリヒ・ハインリヒに指示して
王太子フリードリヒにブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル家出身の
妻をあてがった張本人だよ。
ウィーンの宮廷においてテレジアとフリードリヒをくっつけようと考えた者は、
少なくともオイゲン公ではない誰かだろう。 フリードリヒ 金貨というのは
現在価値としては,幾ら位なんでしょうか ? しかし大王の青年時代のなよっとした感じのエピに比べ
君主になってからの繊細さは残しつつもぐう畜生っぷりはなんだろう
トラウマでサイコパスにでもなったんだろうか ナヨっとした印象を受ける人もいるかも知れんが、俺らと違って
帝王学を学び、軍人としての英才教育も受けてるからね?
それはさておき、父親からさんざん虐待されてきたんだ。
シニカルな性格にもなるってもんでしょ。 ホーエンツォレルン家は子供を自分達で育て上げてたんだな
欧州には家臣を守役にして子供を育てさせる風習は無かったんのか >>958
傅役はいないが貴族にも教師は付く。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が定めた王太子の教育に関する指示書に、
たびたび名前が挙がるのはジャック・エジード・デュアンという人物。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Jacques_Duhan_de_Jandun
他にも教育役は色々居るんだろうけどね。デュアンの担当は非軍事系の教育だな。 とにかく絶望的な状況にも堪え抜いた不屈の精神力には驚かされる フリードリヒ2世の悪政は悪名にも轟いている
マリア・テレジア皇后陛下、万歳万歳万々歳! 大選帝侯、兵隊王、大王ときて、以後はプロイセンって特筆すべき君主はいないよな
たいてい嫁の尻にしかれてるか優柔不断かみたいな感じで・・・
まだマシなのが有能な臣下に引っ張られてっていうパターンで、ヴィルヘルム1世が典型的 >>962
ヴィルヘルム1世・ヴィルヘルム2世は特筆大書 >>964
良くも悪くもフリードリヒ大王並みに目立ってると思う ヴィルヘルム2世って、ガイジなのに努力して色んなことができるようになったり、勉強とかも結構頑張っているのに、
トータルだとクソという印象いなってしまう >>967
ガイジという言葉を軽々に使ってはいけません。 大王の勝因の一つは新教地域だったシュレジェンがプロイセンの支配をむしろ歓迎していた点だろうな
マリア・テレジアとしては最も認めたくないだろうが >>962
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は先代の勘気を被って追放された有能な人物を
何人も復職させたり、プロイセンの外交的孤立を解消したり、農奴を解放したり、
領土を拡大したりと普通に名君なんよ。てかWikipediaって、歴代プロイセン君主の
悪いとこばかり挙げてるように見える記事が多い。
参考文献や注が細かくて充実してるのってフリードリヒ大王とヴィルヘルム1世&
ヴィルヘルム2世くらいじゃないか。 フリードリヒさんとヴィルヘルムさんとフリードリヒ・ヴィルヘルムさんの区別難しい プロイセンにとって「表の顔」に相当するのはベルリン王宮だしなあ。 >サンスーシ
侵略戦争中に趣味で宮殿建てるなんて、いいご身分だな >>987
だろ、そういう所が兵隊王に及ばないんだよ >>990
いや、及ばないどころか父を軽く凌駕してる。
兵隊王が没後に大王に残した資金は1000万ターラー、
大王が七年戦争後に国庫に残した資金は3000万ターラー、
そしてその後の経済振興策によってフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が
王位を継承するまでにそれを5000万ターラーまで増やしてるんだが。 >>991
マイナーなの好きな俺って異端でカッコいいという中二病患者に数字出して説明してあげる聖人 フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、貧しかった国を豊かにしたし、倹約家で大した戦争もしなかったけど、
大規模な常備軍を維持し続けたから、それなりに出費も多かったからな
先代のフリードリヒ1世は浪費家で借金も残していただろうし >>992
兵隊王がマイナー?
自分の無知さを自慢するかw
>>991
計画性の無い戦争など博打と同じ
国家を賭けて博打を打つなど君主として失格
たまたま博打で勝って得た資産など評価に値しない >>996
訳わからん事書いてる暇があるなら
さっさと次スレ立てろや >>997
きみはじつにばかだな(CV:大山のぶ代 >>997
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