【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
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韃靼そば茶やタルタルソースがタタール由来って知らない人っているのかな? ジョチウルスのチュルク系氏族がタタール。その時代はスラブ系の言葉を話していなかった。 ジュチ顔のトルコ人って、やっぱりコテコテのドルジ顔だよね
萎える ザギトワは朝青竜とかマサル的な可愛さがあるとか言って受け入れそう ザギトワに続きダグワドルジ ドルゴスレンにも秋田犬贈呈。 >>875
ユル・ブリンナーはハルムイク人とスイス人のハーフ。 >>896
荒野の七人で共演したユル・ブリンナーはハルムイクで、
チャールズ・ブロンソンがタタール人と西部劇に2人乗りも
モンゴルルーツの俳優が出ていた。 https://en.wikipedia.org/wiki/Yul_Brynner
英語版記事だとブリヤート系らしい
>Brynner's paternal grandmother, Natalya Yosifovna Kurkutova, was a native of Irkutsk and a Eurasian of part Buryat ancestry.
でも祖母の代で既に混血?多くてもモンゴル要素は12.5%か ドルジをイケメンと思ってる人って世界で皆無なのかな?w >>901
居る。朝青龍の本名自体チベット語。
共産政権史崩壊後にチベット仏教の坊さんに、
名前を選んでもらう習慣が復活書房したから。 チベット仏教方式なのは、グワドルジ(達瓦徳吉)の部分。
ロシア式に親の名前でドルゴスレン。 >>903
その親父さんの名前のドルゴルスレン自体が、
チベット語だから。
ロシアのイワノビッチみたいに父称をつけるのはロシア式だが。 >>903 ドルジのサンスクリットでの同義語(というかドルジがチベット語への翻訳がなまったもの、本来はドルジェ)
の「ヷァジュラ」をチベット並びにモンゴルで使う人は居るのかな
タイだと現国王ワチラロンコンのワチラが相当するか ラサチベットではドルジェだけど、四川省のカム語で、徳吉って音写されてドルジらしいな。
ニンマ派の僧侶の地元は、羌系のカム(西康)の音使うので北方漢語みたいな音節構造になってしまう。 >>906
オチルバト元大統領の名前などに使われてる「オチル」が
サンスクリット語彙「ヴァジュラ」のモンゴル語式転訛だそうな >>905
全然持ってないよ。チベット系遊牧民は何世帯も連合した隊になっていて
モンゴル系遊牧民は核家族であり分隊でしかない。
チベット系遊牧民と出ぐわしたら最後、モンゴル系遊牧民は
諂って家畜を差し出すか何かしておかないと何されるかわからん状況。
チベット系は好戦的で雪豹と出ぐわすよりたちが悪い。
モンゴル系の子供たちは父母がそうやってチベット系に媚びているのを見ているので
メンヘル気味に育つ。 >>905
時々行ってたガールズバーにモンゴル国人の女の子(日本語ペラペラ)が居て、
お喋りしている時に、xxxxの居酒屋にモンゴル族の中国人の女の子がバイトしてた
と言ったら、会いたいと言うのでガールズバーがオフの時にその居酒屋に連れてったら、
お互い自己紹介して仲良くなってた。さらに、xxxxのネパール料理屋に
チベット族の女の子がバイトでいると教えたら、
今度は二人から会ってみたいと言われて、今度は二人を
そのネパール料理屋に連れて行ったら、モンゴル族の子が
中国語で通訳してた。結果として三人とも仲良くなってたから、
基本的に親近感は持っていると思う。 モンゴリアン人が韓国人に間違われて不愉快だから、
韓国人みたいな不細工の野郎と一緒にしないで
というから、韓国人がどう不細工なのか聞いたら、
革袋にナイフで着けた傷の様に細い目と
親指が入りそうな大きな鼻の穴が不細いって。
でも、モンゴル人も目細いと言ったら、
ソロンゴスみたいなキモイ目付きはしてないと。
彼らは言い方ストレートだけど散々だな。 顔バカってやっぱりもてないブス腐女子だな
おっさんワールドの再現度低すぎ >>909 モンゴル人は河西回廊を超えて青海高原まで行ったけど、チベット人は逆に北上してないな
家畜の犬とヤクはチベットからモンゴルに伝わったけど
暑さが問題なら、人より弱そうなヤクが青海高原をいったん降りてモンゴルまでいけなさそうだけど
チベット人にとってはモンゴル高原はさほど魅力がなかったのかな モンゴル人は南モンゴル(中国内蒙古自治区)のほうが
北のモンゴル高原(モンゴル国)よりも
人口が何倍も多く、経済的にも豊かで、文化的にも中心だった
過疎ってて貧乏なハルハだけをソ連が掠め取って勢力圏に組み入れたのが今のモンゴル国 結局チベット人からしたら、山を下りてもモンゴル中心地のオルドスの方まではゴビ砂漠しかないし、北のモンゴル高原は過疎ってて貧乏だからそれ以上行っても意味ないってことか
ヤクとマスチフだけモンゴル人にやって、代わりに何かもらって、またチベットから青海の山の上に引きこもったのかな >>903
四川省カム地方カンゼ・チベット族自治州康定出身の歌手アランの本名は阿蘭 達瓦卓瑪。 モンゴル人の女の子から、モンゴルの男は体は大きいのにチンチンは親指みたいに小さいと言われた。
韓国人も小さいし、中国人も日本人よりは小さいと聞いたと言ったら、東アジア人で何人かわからなかったら、
男ならチンチン見れば区別できるねって言ってた。 >>916 康定県の中心、打箭爐鎮という街は、三国の蜀の時代や吐蕃の時代にも記録が残っていて
羌の言葉が使われていた。
ラサや青海以外にも、チベット仏教は広まっていて現代では羌もチベット民族に分類されているんだな。 ギャロンとか白馬とか、チベット仏教が広まってなくて異言語を話すグループもチベット族扱いなんだっけ
中には西夏の末裔と証明されたミニャク(木雅)も(宗教がチベット化してるかは知らない)
一方で近世にダライラマを輩出したメンパは別民族扱い
やっぱり中国の民族分類は、チベット周辺に関しては、チベット亡命政府の認識とだいぶん違うんだろうか 中国の民族分類が細かった理由は、一つはソ連をお手本にしたこと。
ソ連型の民族政策は、固有言語の文字化や教育を行って民族性を保ち、それによって諸民族の
団結による反乱を防ぐ。中央でロシア語がよくできるエリート幹部を育てて地元を孤立させ統治させる。
もう一つは抗日戦争期の西南聯合大学(北の名門大学が疎開してできた寄り合い所帯)の民族識別工作の結果。
戦争で暇な民族学者や言語学者が雲南の地でフィールドワークしまくったらいろんな民族と言語の情報が集まってしまった。
民国なら政治的には「五族」ぐらいで済んだが、新中国はソ連式ということになったので、56民族が行政区分として取り込まれた。
政治的に独立したこともないか独立を失って久しい民族が大半で、上から与えられた行政システムとしての「民族」だ。
しかし民族教育はお金がかかる。政府の脱社会主義の大リストラが進んだ90年代には形骸化し、今も漢化が進行中。
そもそも人類学的分類は学術的正確さによるもので、行政にとっては反乱が起こらず予算内に収まれば分類はそれでOK。
両者の分類上の「民族」概念の不一致は今後とも増大するだろう。
なお、独立もしていないチベット亡命政府側では、少数民族を行政単位とするなんて画餅だから言及のしようがなく、
宗教と文化を中心とした漠然とした観念としての「チベット民族」を提示するにとどまっている >>916>>918
康定の航空写真見たが、すごい綺麗というか、もはや絶景だな
深い山に細長く続く傾斜のきつい深い谷に、集落がビッシリ詰まっている
この地方に美人谷なる場所があるらしい
美人が多いのかな?w >>923
ウランバートル行けばいっぱいいる。
ドルジ顔というより、菊川怜の目を細い吊目にした感じのが多い。
要するにアンパンマンみたいな丸顔が多い。 暑いのに顔バカは元気だなあ
顔の汗で前が見えなくなってるからつい手元が狂って自演しちゃうのか 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 食器といやあブリヤート人って箸使うんだろうか?
内モンゴルやモンゴル国のモンゴル人は箸を使う伝統がある様だが
ブリヤート人が箸を使ういう情報はどんなに検索しても出てこなかった >>928
ナイフとフォークとスプーンを使ってるのを紀行番組で見たことがある。
ロシアの影響だろうけど。 >>915
チベット系の遊牧民にビビっていたのは
清朝に負けて勢力を失った青海のモンゴル人で
吐蕃時代のモンゴル高原は突厥・ウイグル
それ以降も遼・金・元・北元の遊牧民国家があったので
チベット人が武力で征服するのは無理 準葛爾汗国(Dzungar Khanate) ジュンガル汗国
瓦剌(Oirats) オイラト部
そういう集団だな 第6世までのダライラマのパトロンが青海に移住したモンゴルやオイラトだったように
元・明・清初にかけては広域部族連合を結成する術に長じたモンゴル系の軍事力が
氏族教団に分裂したままだったチベット人を圧倒した
しかし清朝によってモンゴル人の遊牧地が定められてからはその活動が制限され
青海・四川の奥地にいたために清朝の実効支配を受けなかったチベット系遊牧民の勢力が強くなる
略奪行為を行った好戦的なチベット系遊牧民としてはゴロク(Golog)族が有名
ただ民国期の青海で一番恐ろしいのは西北三馬率いる回族軍閥で
近代火器で武装した騎兵が山岳地帯まで侵攻してくるからさすがのゴロク族も敵わなかった >>933
雲南省廸慶、四川省甘孜あたりは土司 (五品官 宣撫使司副使) 支配で
清朝でも自治権が大きい地域だったし、土司は世襲で後継者指名できたし、徴税も自前の税率。
青海省だと玉樹も同じような土司支配だった。
自治区のナクチュ(nagchu) チャムド(cabmdo)も土司支配だったけど、このへんになると
宣撫使司世襲扱いにするのではなく、ラサに領地寄進して寺領扱いにして
実態は土司支配のような手のこんだことをやっている。 現在の雲南省南部・四川省西部・青海省南端にあたるカムのチベット人は
17世紀半ばにオイラト部のグシハンによって征服されたが
その際に多くの土地や部族がダライラマの所領として寄進された
18世紀のロプサンダンジンの乱の後に清朝がオイラト部(青海ホショト部)の支配体制を解体したために
それまでオイラトに支配されていたチベット人有力者は清朝の土司となったが
ゲルク派の寺院領には手が付けられなかったので
ラサと清朝の二重支配が清末まで残ってしまった
清朝末期から行われた西康建省運動は錯綜した政治秩序を整理しようとした試みでもあったが
実際にそれが完成したのは、土地の所有や人の支配・被支配の状況に対する徹底した調査が行われた
共産党支配以後 それぞれ小領主がいて、信仰の宗派も違う
しかも半牧半農でボーダーレス。
カム地方は純遊牧民地域よりまとまりがない。 モンゴルの王・カァンに汗の字を当てるのは、
単に音が似ているから?
それとも「汗臭い野蛮人 プゲラ」という悪意もこめて? とりあえず現状確認できる最古のものが、北魏(鮮卑)が自民族向け碑文に「可寒」と号したもの
その時代に北方遊牧民の間で頭目をそのように呼ぶ慣習が既にあったようで、
北魏に対抗するように北で対峙していた柔然のほうでも王がカガンと号するようになったが、
それを北魏側で「可汗」と記録したのは単に区別するためか悪意を込めたのかは定かでない オイラートのマフムードってやっぱりイスラム教徒?
ということはオイラート部はいったんイスラム教に
改宗したけど、後に棄教したってこと? ちなみに北魏(鮮卑)の嘎仙洞碑文には可寒だけではなくその女性系の可敦も記されている。
ただ、嘎仙洞碑文が刻されたのは西暦443年(北魏の太平真君4年)
柔然の社崙が丘豆伐可汗を名乗ったのは西暦402年以前なので
嘎仙洞碑文が北魏皇帝の先代を可寒と呼んでいても
皇帝としての可汗号を用いたのは北魏と柔然のどちらが先か
という問題については決着がつかない。 丁零とか結骨って明らかにモンゴロイドだと思うんだが・・・ バイカル湖周辺にコーカソイドがいた痕跡ってあるの? >>940 ハガン→ハアン→ハーンと音韻変化していったみたいだけど、
後世ではモンゴルで可汗(ハーン)と汗(ハン)が混同されたりしなかったのかな
もはや母音の長短でしか区別されないんだし エニセイ・キルギスは緑の瞳に赤毛だったから明らかにコーカソイド寄りだな ウズベキスタンには強制移住させれらた朝鮮民族が多い。 中央アジアってところはボルガ・ドイツ人が流されたり
クリミア・タタールが流されたり
アシュケナージ・ユダヤ人が流されたり その辺の国からスポーツの国際大会に出てくるのも、特に女子はテュルク系先住民(=多数派)より
スラブ系やその他が多いような
物盗りに殺されたデニス・テンも朝鮮系だったな 体操のネリー・キムも混血だけど高麗人系だ
古すぎてウィキペディア日本語版の「高麗人」の項目の著名人に入れ忘れられているが キルギスとカザフスタンにも血統だけ高麗の人があるけど、
言語は廃れてるので韓国へ出稼ぎに来るのは、ほぼウズベキスタンからだな。 ロシアのハバロフスクやブラゴベシチェンスク、中露国境ちかくに、ユダヤ人自治州があるのにはビックリした モノリンガルのドイツ人がそこで、ダメ元でドイツ語で話しかけたら、何千人目かで奇跡的に部分的に通じる人に出会えたりするかな
一応イディッシュ語はドイツ語からの派生だし >>956 そこはビロビジャン共和国と言ってだね
東欧アシュケナージはロシア革命初期には大きな役割を担ったが、
いざソ連ができたらユダヤ人という民族を認めることにはいろいろと不都合があった
だからユダヤ系でもイディッシュ語なんか何代も前に捨てたエリートのレーニンやトロツキーは
ユダヤの労働運動を冷たくあしらって弾圧した
しかしスターリン時代になって、学歴や技術もある集団をひたすら弾圧したり虐殺されるに任せたりするより
労働者として隔離してまとめておこうということになり、集団移住させた
移住先がなんとびっくり、関東軍の河豚計画(満州国ユダヤ人自治区構想)の予定地の、国境を挟んだすぐ隣
いったい日ソ間で秘密裏にどんな計画が進んでいたのか
>>957 Youtubeでイディッシュ語の動画をいくつか見てると、
コメント欄には「ドイツ人だけど半分くらいわかる」「案外わかる」なんていう反応があるから、
何千人というよりはけっこう少ないんじゃないかと思う
方言間や近縁の言語同士のこういう「通じる/通じない」って
相手が落ち着いて聞いてくれる人か、時間があるか、
などの条件のほうがばかにならなかったりするし ユダヤ人自体が自治州には極めて少ないとか
数百人だっけ? カルムイク語が旧ソ連で残っていることは、すごいことなんだな。10万人ぐらいは使える計算。
イディッシュ語は風前の灯火。 あまりにモンゴルと隔絶された場所にあるせいか、25年ほど前の高校の地図帳の旧ソ連の言語分布地図だと、
テュルク系と一緒くたにされたりw
(例:新詳高等社会科地図五訂版P.61 モンゴルは茶色、カザフとヤクート以外のテュルクは薄緑だけど、カルムイクは薄緑にw)
今使われてる帝国書院の高校の地図帳では直されてるのかな? >>956>>958
Еврейскаяってユダヤ人って意味だったのか >>962
そうだよ
ちなみに、日本の正教会では
伝統的にユダヤ人を指す用語として
ロシア語経由の「エウレイ人」という用語を使うそうな >>960
アシュケナージ系ユダヤ人はやはり欧州文化圏域の影響を受けているから、
なんやかんやで欧州文化・ヘブライズム文化の影響の強い、ロシア語重視になっていく
一方、カルムイク人は、インド文化・チベット文化の影響の強いモンゴル系文化を持つ民族なので
ロシア語とは一線を画したモンゴル語系としてのカルムイク語が廃れていないということだろう エウレイ人を漢字転写すると、幽霊人とかになりそうだねw
エウレカ→ユウレカに倣うとw まじレスすると、ギリシア語経由の「ヘブライ」がロシア語転訛したのが「イェヴレイ」 「ビロビジャン共和国」はたしかに田中克彦の本で見た気がするのだが、「ユダヤ人自治州」が正式名だったらしい
ビロビジャンは入植初期に作られ今も中心都市である町の名で、ビラ川とビジャン川というアムール川の支流に挟まれた地域であることにちなむ
ビラとはエヴェンキ語で(満州語でも)「川」を意味する普通名詞で、ビジャン川は鮭の産卵に関係あるらしい
自治州への昇格はシオニズムによるパレスチナ入植運動に対抗するためで、全盛期には北米やアルゼンチンなど
世界各地からユダヤ人入植者が1500人ほど来て、中にはパレスチナからの入植者もいたが、
ソ連全体を襲った大飢饉とスターリンの大粛清で人口は激減、最大2万近くいたのが8000人に減り、
イスラエルほか海外への移住で今(2010年統計)のユダヤ人人口は2400人ほどでロシアのユダヤ人のちょうど1%
>>962-963
ロシア語におけるユダヤ人の呼称は、ギリシャ語の`Εβραιοσヘブライオスから来ている
借用当時のギリシャ語ですでに語頭の気息音(h)は発音されなくなり、βの発音は[b]から[v]に変化していた
あと、ロシア語のв[v]の発音を日本では最近まで「ウ」で転写していたが(ウォツカ、ウラジオストク、ウラジミール)、
新しい事物については「ヴ」も見かけるようになった 「エウレイ人」という語形が生まれるまでの経緯 >>965
確かに、ユダヤ人は紀元前から、幽霊のように世界を彷徨っていたからな
当て字としては相応しいかもしれんな >>958
沿海州の尼港(ニコラエフスク)もユダヤ人移住地だったよ。
日本のシベリア出兵の頃に起きた事件で数奇な動き。 沿海州といえば、気象通報でおなじみ?だったテチューへって、中国語由来だったんだね<野猪河
今ではダリネゴルスクと呼ばれるようだが。
1972年に沿海地方からの中国語地名の一掃により改名された、とwikiにはある。 ひょっとして改称以前は、ウラジオストク周辺に朝鮮語由来の地名もあったりしたのかな >>969
ニコライエフスクにおけるユダヤ人資産家の存在は、計画的な移住と言うよりは
町の発展のために帝国の地方政府がユダヤ人に土地の私有権を例外的に与えた結果。
元々シベリア艦隊がウラジオストクに母港を移して寂れた町を、日本人が漁業で盛り返し、
日本人の漁業が禁止され、ユダヤ人との共同経営で継続したという経緯がある。
東欧のポグロムからのユダヤ人保護や、活用可能なユダヤ人人口がシオニズムによって
減少することの阻止、といったソ連時代の自治区構想とは時代も違う。
尼港事件前夜のユダヤ人は、革命の進展と赤軍の接近によりウラジオストクに逃げる者がすでに多かった。
まだ逃げずに強盗の脅威に耐えて残っていた者は、新政府に乗り換える覚悟をしていただろう。 あの辺で思い出せるのは、ウラジオ以外はナホトカとアルチョーム位
(日本全図のジグゾーパズルの端の方にあって覚えた)
比較的新しい街のせいか、今の名前の前はないみたいだな 第6回テュルク評議会首脳会議が終了
http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2018/09/04/di-6hui-teyurukuping-yi-hui-shou-noy-hui-yi-gazhong-liao-1042515
キルギスのが輪番制議長国となって開催された第6回テュルク評議会首脳会議が終了した。
アムレエフ氏も記者たちに発言してテュルク評議会が未来に向けて重要な活動と行動計画を含む最終宣言に調印したと明かし、
「首脳会議ではハンガリーがオブザーバーとして出席した。同胞のハンガリー人はルーツが大草原にあると信じている。
これも真実である。ハンガリー人が先祖を忘れていないことを我々も非常に喜ばしいと思っている」と述べた。
首脳会議にはレジェプ・ターイプ・エルドアン大統領、キルギスのソーロンバイ・ジェーンベコフ大統領、
カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領のほか、
ウズベキスタンのシャヴカト・ミルズィヤエフ大統領とハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相も名誉来賓として出席した。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>975
沿海州にネリマ(Нельма)って部落もあるね
練馬を想起できるから忘れられないw >>977 トルクメニスタンは入ってないのか。あとウズベキスタンも輪番での議長は務めない名誉加盟国?
何かテュルクの連帯に関して温度差があるのかな トルコが仕切ってるやつとそうでないやつ、
ロシアがバックにいるやつとそうでないやつ、
汎チュルク主義に見えてもちょっとずつ違うようだね 北キプロスも出てきてないな
トルコの立場ではれっきとしたテュルク系「国家」なのに
トルコ以外の中央アジア諸国からはハブられてる存在? どうみても独自の方言も文化もなく、
トルコの単なる出先であり植民地であり、
トルコ以外の世界中から不承認の北キプロスを
本家ヅラして上からものを言うトルコの巻き添えで承認して
西側どころかロシアや中国からまで不興をわざわざ買う理由はないだろう ハンガリーがその場にいたなら、モンゴルがいてもいいのにと思ったけど、モンゴル帝国に虐殺も伴って蹂躙された過去のいきさつもあるし、
啓典の民ですらないから無理か。一応仏教徒は啓典の民に準ずる存在だそうだけど
ものすごいウルトラCで、かつて南シベリアにもいたエニセイ系と共通の祖先から北米に渡って分化したナ・デネ系の集団もオブザーバーで呼んでやれw でもオスマン帝国に蹂躙されたはずのハンガリーが、テュルクだらけの場にいたってことは、
シリア難民を無責任に引き受けたEUへの当てつけもあるのかなw
EUで最初に難民が流入してくる国の一つだし
まあセルビア経由より、ギリシャに上陸してからブルガリア・ルーマニア経由のEUルートの方が多そうではあるけど >>983
そこまで飛躍する前にサハ人のことも思い出してあげて そりゃトルコは露助にボコられっぱなしだったもんなw トルコ人はアジアに広く分布してるのにモンゴル人がアジアに広く分布してないのは
絶対的人口の差? モンゴルの軍勢はバトゥの征西では多数が移動したが
チンギスハンの死亡により後継者争いで引き返す
後を託されたモンゴル人もいたが、征西の途中で連れて行ったチュルク人の比率が一気に上る
そこで部族名はタタールほかモンゴル系なのに言語と主な血統はチュルクでイスラム化
という現象が広まっていく
マルコ・ポーロは大都の宮廷でペルシャ語ばかり使っていた
おそらく相手は色目人に偏っていただろうけど、彼らは官僚として力を持っていた 元の皇帝がイスラムに入信しなくて良かったな。
三ハン国はイスラム化しちゃったのにな。 モンゴルの遊牧生活では豚も元から食べないし、イスラム化することに障害は少なそうだな
でも血の利用ができなくなるか。あと酒も
信長がキリスト教徒にならなかったのと同じようなもんか?信者の利用価値があるから信仰は認めるけど、自分はならない モンゴルでは、むしろ、屠畜の際に血を廃棄するのを、ヤサ法ではっきり禁じてたほどだね
酒に関しては、ペルシア系民族もテュルク系民族も、イスラム教の人であれ普通に飲んでるでしょ、
オマル・ハイヤームとかハーフェズとかバーブルとか、
この人たちの作品から酒の話をごっそり抜いたら、世界的に著名な文学作品もろもろがいっぺんに干乾びてしまうよ
それこそバーブルはチンギス・ハーンの子孫でもある人だし >モンゴルでは、むしろ、屠畜の際に血を廃棄するのを、ヤサ法ではっきり禁じてたほどだね
これだけでもモンゴル人とドイツ人(モンゴルのおきてはもちろん対象外だけど、豚の血のソ−セージなんて作る)をイスラム化するのは至難の業だな
まさかネオナチはユダヤ人やイスラム移民の家の前に豚の血をまく嫌がらせをしたりするんだろうか 1258年、モンゴル軍の西アジア遠征が行われ、フラグによってバグダードが破壊された時、最後のカリフも「革袋に押し込められて」殺害された。こうしてアッバース朝が滅亡したことによって実質的にカリフ制度は崩壊した。 モンゴルがムスリムどもを皆殺しにしてくれればよかったのに ムスタアスィムがどのような刑を受けたかについて、史料が記す内容は二つに分かれる。
敷物で巻かれモンゴル軍の軍馬に踏み殺されるという、モンゴルの伝統にのっとった「貴人の死」に処された。
同時代のシリアのシリア正教会大主教バル・ヘブラエウス、14世紀初頭マムルーク朝の歴史家ヌワイリー、15世紀マムルーク朝の歴史家イブン・タグリービルディーによる。
一室に監禁されたムスタアスィムは飲食を絶たれ、彼が貯めこんだ金塊と宝石が差し出された。「それほど財宝を愛しているのならば、それを食べて生きるがいい」
13世紀フランスの歴史家ジャン・ド・ジョワンヴィル、旅行家マルコ・ポーロ、14世紀初頭の歴史家ヘトゥムによる記録である。
フレグが降伏したムスタアスィムの前に金塊を乗せた大皿を持ってこさせ、「それを食べられるか」と聞いた。「食べられない」と答えたムスタアスィムに対して、
フレグは吝嗇、優柔不断が敗北を招いたと非難した話に由来する。(ティムール帝国の歴史家ミールホーンドの『清浄の園』より) このスレッドは1000を超えました。
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