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南北アメリカ大陸の先住民による逆襲の歴史
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0001世界@名無史さん垢版2013/10/04(金) 09:52:38.330
南北アメリカ大陸が西欧に侵略される過程で、多くのインディアンや
インディオが命を落としていった。


しかし先住民の逆襲に遭い、命を落としたイギリスやスペイン、ポルトガル人は
いなかったのだろうか?西欧人入植者によって殺された先住民ばかりが目立つが、
先住民達によって殺された西欧人も少なからずいる筈だ。このスレでは、南北アメリカ
大陸の先住民が白人に対して起こした逆襲を語っていきましょう。
0225世界@名無史さん垢版2018/07/12(木) 11:04:20.610
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0226世界@名無史さん垢版2018/07/15(日) 16:12:19.800
>>213
和人は北海道の気候に適応できず、厄介払いで簡単に子供を捨てた
そこまで困窮していたのなら、最後の旅費を絞り出して引き上げるべきだったのに

アイヌはなんとか食っていけたから我が子を養うのと同様に
託された和人の子も大切に育てた

旧土人保護法は、開拓のために土地事情に詳しいアイヌの協力が必要だったから、
引き換えに貨幣経済的に不利なアイヌを優遇することで、同化までのモラトリアムを稼ぐ意図だった
温情というより交換条件
しかも文明化の助けをするわけでもなくコタンはほったらかし、アイヌには教育も与えなかったが
バチェラーの愛隣学校を見てそのローマ字教育とキリスト教というハイカラぶりに明治政府は脅威を感じ
短期課程のアイヌ学校を開設、カタカナだけ教えて卒業させ、愛隣学校は官民そろって嫌がらせして閉校に追い込んだ
0227世界@名無史さん垢版2018/10/17(水) 12:32:55.110
余録 毎日新聞2018年10月17日
https://mainichi.jp/articles/20181017/ddm/001/070/149000c
 今日、世界で最も富が集積した土地はニューヨークのマンハッタン島だろう。だがその“原価”は24ドル相当の
ビーズや針に過ぎなかった。17世紀にオランダ人が先住民の無知につけ込み島と交換したのだ▲だが先住民も
ただだまされていない。実はこのカナーシー族は対岸のブルックリンに住み、マンハッタンの住人は別の部族だった。
先住民の土地所有観念の乏しさに乗じたオランダ人は、かえって別部族との深刻な紛争を抱え込んだ
0228世界@名無史さん垢版2018/10/17(水) 18:00:42.920
東北は蝦夷からいくらで買い取ったの?
0229世界@名無史さん垢版2019/01/27(日) 10:21:49.230
白いペニス大好きのインディオ女たち
0230世界@名無史さん垢版2019/01/28(月) 06:36:21.380
>>224
みてないもんっ
0231世界@名無史さん垢版2019/05/20(月) 19:16:54.200
グラッタンの虐殺は、おバカな白人側が自業自得でやられるという
スレタイ的にも胸がすくような展開。
https://ja.wikipedia.org/wiki/グラッタンの虐殺
0232世界@名無史さん垢版2019/05/24(金) 20:26:10.460
チコちゃんに叱られる!
0233世界@名無史さん垢版2019/07/16(火) 21:36:50.660
インディアンの側も頭皮を剥ぐとか蛮行をはたらいただろう。
一方的な被害者とは言えない。
0234世界@名無史さん垢版2019/07/28(日) 12:58:38.300
ミムズ砦虐殺
アメリカインディアンの武闘派組織「赤い棍棒(レッドスティックス)」750人が
1813年8月29日、守備兵500人のミムズ砦を急襲し、砦は全滅した。
ウィキペディアによるとインディアンはこの戦いで頭皮250枚を得たという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミムズ砦虐殺
0235世界@名無史さん垢版2019/10/06(日) 22:26:33.150
>>61
アイヌてのは超格差社会で、アイヌ同士でも奴隷制はあったし
江戸時代に北方へ漂流した日本人が、現地人(千島アイヌなど)に捕まり奴隷にされてた例もある

北海道でも、松前藩(渡党というアイヌ)⇒他のアイヌに酷い扱いするなど
アイヌ同士や、他民族相手に奴隷化や虐殺もやってた
0236世界@名無史さん垢版2019/10/06(日) 22:37:59.470
>>117
日本周辺に関しては、北方オホーツク系と交雑し13世紀ごろ新登場のアイヌ(侵略者)は、

大陸まで渡海侵略するなど、他の先住民を襲い拡大してたが
モンゴル帝国の防衛出動により、中国王朝に臣従するようになった

アイヌ(加害者)が、、樺太・大陸のニヴフ(被害者)を渡海侵略
(ニヴフの鷹狩り職人拉致など、貴重な交易品である猛禽の羽根の流通掌握目的)

⇒ アイヌに害うけた地元民が元朝に訴え→ その訴え聞いて元軍がアイヌを何度も懲罰
⇒ 押されたアイヌは元に臣従
⇒ 以降、アイヌは歴代中国王朝に朝貢 (山丹交易は、アイヌの歴代中国への朝貢交易)

http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83%82%83%93%83S%83%8B%82%CC%8A%92%91%BE%90N%8DU/5/
   日本では鷲羽は、アイヌ交易の代表品として捉えられており[25]、
   アイヌは鷹羽・鷲羽流通の掌握を狙っていたと思われる[26]。

「オロンコ岩」でも、アイヌが敵対する先住オロッコ族(アイヌ以前の先住民)を虐殺した伝承がある
https://shiretoko-style.com/ho0516/
0237世界@名無史さん垢版2019/10/07(月) 18:58:03.740
なぜ簡単にスレから脱線するのか
0239世界@名無史さん垢版2019/10/07(月) 19:54:04.670
わあい、やってきたぞ
ぎょぎょー!ビックリ風習野蛮でやばい!
成敗してやろう!
反撃だー!
0240世界@名無史さん垢版2020/01/02(木) 07:52:28.470
インディオ女は白人男に毎日のように夜襲をかけていたらしい
0241世界@名無史さん垢版2020/01/02(木) 21:21:16.200
レッドスティックスって血腥い命名だな
0242世界@名無史さん垢版2020/06/14(日) 16:12:51.380
>>149 現在 
> 白人→黒人への暴行事件
> 60000件
> 黒人→白人への暴行事件
> 320000件

(> 白人の人口はアメリカの63% 黒人は12% )
> 人口の差を考慮すると
> 黒人→白人への暴行事件は白人→黒人より25倍多い

 > 殺人による逮捕者の53%は黒人  (> 米国の黒人率は13% )

■FBI統計「黒人殺害の加害者9割が黒人」■
 > 白人警官が
 > 黒人に殺害される事件は黒人が白人警官に殺される事件の18.5倍。
 > 黒人殺害犯の9割が黒人。白人警官は実は怯えている。

アフリカで黒人が他の黒人部族を奴隷狩りして売ってたのと似た構図かも
0243世界@名無史さん垢版2020/06/14(日) 16:58:21.250
先住民が白人開拓者の一団を襲撃・全滅させた場合,相手側の頭の皮を剥ぐ
(これはそもそも白人側の手法か)以外に体を切り刻んだりもしてたん?

騎兵隊を倒した時はそういう事やってたというのをどっかで見たおぼえあるが
0245世界@名無史さん垢版2020/06/14(日) 20:12:00.620
フィリピン諸島の中の小さな島マクタンでは、毎年4月27日にお祭りが開かれる。
この祭りの見所は、「マクタン島の戦い」という歴史的事件を再現する野外劇である。
世界的に有名な16世紀の航海者フェルディナンド・マゼランが、重要な役の一人として登場するが、主役ではない。
主役はラプラプである。
彼はフィリピン最初の国民的英雄と考えられている。  

16世紀初頭までには、フィリピン諸島南部のセブ島、そこの中心的な港町セブ・シティは、すでに今日の中国、インドネシア、マレーシア、タイなどにあたる地域と活発な交易をおこなっていた。
セブ島自体は、何人かの首長たちがとり仕切っていた。
セブ・シティには、ダトゥ・フマボンという名の首長がいた。
このセブ・シティのすぐ沖に、マクタン島が浮かんでいたのだ。
この島の北部は、首長の息子ラプラプが治めていた。  

この地域へ、1521年4月はじめ、マゼランが3隻の船を率いてやってきたのである。
セブ・シティの港に入ると、マゼランは各船に投錨を命じ、威力を見せつけるべく大砲を発射させた。
当時、外国船はすべて入港税を支払うことになっていた。ところがマゼランは、自分はスペイン国王にしか従わないから税は払わないとつっぱねた。

その代わり、マゼランはフマボンと家来たちに、自分は敵としてではなく味方として来航したのだと告げた。
また彼は、大砲を撃ったのは、この島の王に敬意を表するためだとも言った。
これを聞いてフマボンはきげんをなおし、さっそくマゼランと部下たちを歓迎した。
こうして双方のトップが仲よくなると、マゼランはたちまち首尾よくフマボンとその妻をキリスト教に改宗させてしまった。
一方、マクタン島では、ラプラプが、スペイン人たちが500人以上ものセブ島人らを難なくキリスト教に改宗させたことを聞きつけた。
しかし彼はフマボンと違って、スペイン国王に忠誠を誓えという、マゼランのひっきりなしの要求を無視しつづけた。
0246sage垢版2020/06/14(日) 20:12:41.210
マゼランからスペイン国王の命令に従うようにいわれたとき、ラプラプはこう答えた。

「私はどの王にも頭をさげる気はない。私が忠誠を誓う相手は、私の村の人間だけだ」。  

マゼランは、そろそろラプラプをこらしめる時がきたと考えた。しかし傲慢にも彼は、フマボンや、これまたキリスト教徒に改宗していたほかの首長らに、助勢は無用と断ったのである。
4月26日の真夜中、マゼランは自ら3隻の船を目と鼻の先のマクタン島へ向かわせた。

ラプラプは、戦闘にそなえて1500名の村人たちを海岸線に配置し、敵の船を待ち受けた。  
4月27日の朝3時、マゼランの船隊が沖合に姿を見せた。
ラプラプは部下たちに言った。
「身内に別れを告げろ。生きて帰れない者も出るだろうからな…」。

今日ではマゼラン湾と呼ばれている箇所へ着くと、マゼランは部下の一人に最後通告を持たせてよこした。
ラプラプはふたたび、相手の条件をつっぱねた。
彼はマゼランの部下に、帰ってマゼランに「とことん戦う覚悟でいる…」と伝えよと告げた。  

こうして戦闘がはじまった。
マゼラン以下60名いた部下のうち11名だけ船に残った。
49名は浅瀬を横切りはじめた。
引き潮だったので、船隊は海岸からかなりはなれて停泊していた。
そのためスペイン人側は、するどくとがった珊瑚礁を渡り、おつぎは海中にはえる植物が幅広く繁茂している箇所を横切らないと、ラプラプの部隊と合戦できなかったのだ。

マゼランは、この戦は簡単だ、と考えていた。
まさかこれが最後の戦闘になろうとは、思いもよらなかったのだ。
アフリカやいろいろの土地で、幾多の戦闘で勝利をおさめてきていたのである。
そのおれさまを相手にして、ラプラプのような野蛮人に何ができるというのか?
しかしマゼランは、あまりにもラプラプを軽く見ていたのである。
一つには、重武装の49名にとって、マクタン島はまったくはじめての場所だった。
土地の事情に通じた1500名もの敵を相手に、スペイン人側に何ができるというのか?
0247sage垢版2020/06/14(日) 20:14:33.660
もう一つは、引き潮で船隊が、いや船の大砲が、海岸から遠すぎて、砲弾が届かなかったことである。
マクタン島の戦闘は短かった。おそらく30分とは続かなかったのではないか。
その決着は世界の歴史に記録されている。マゼランはラプラプに殺され、部下たちは船に逃げ帰ったのである。  

マゼランは、東洋との交易ルート発見の任務を帯びてスペインを出発したときは、5隻の船隊に277名を乗り込ませていた。
フィリピン諸島へたどり着くまでには、乗組員の多くが途中で命を落としており、いままたマクタン島の戦闘でもかなり死んだ。

生き残った者たちは海賊におちぶれ、1522年の9月スペインに帰り着いたのはヴィクトリア号ただ1隻、乗組員の数はわずか18名になっていた。
それでもヴィクトリア号一船の積み荷がもたらした利益は、失った5船の費用を補って余りがあったのである。スペインの貿易業者らはますます、東南アジアとの交易を求めた。  

マクタン島の戦闘ではまさに完勝だったが、フィリピン人たちは長く独立を保つことはできなかった。スペイン人がまた戻ってきたのだ。
そして16世紀後半には、フィリピン諸島はスペインの統治下に置かれていた。

4月27日を祝う祭りは、むかしから続いてきた伝統のあるものではない。
つい1979年に始まり、以後毎年続けられてきているにすぎない。
しかしこのドラマは、フィリピン側の視点を提供してくれるし、マゼランの世界周航の意味を考え直す機会を与えてくれるのである。
0248sage垢版2020/06/14(日) 20:16:11.550
世界で初めて地球を一周したのは、マゼランではない。

それは、スマトラ島生まれのエンリケである。
マレー語圏で生まれたエンリケは、1513年、マゼランの奴隷として、マラッカから西回りでポルトガルに渡った。
1519年からのマゼランの西回りの世界周航に同行したエンリケは、1521年、フィリピンのリマサワ島で、自分の母語マレー語が通じる住人と出合った。

マゼランがポルトガル艦隊の一員として、1505-1513年東洋に赴任したなかで、1511年のマラッカ攻略の功で、マゼランに与えられた奴隷とも、マゼランが買い取ったともされている。

エンリケは、マゼランがヨーロッパに帰る際に、またマゼランが東インド諸島への西回り航路を探検する際に、マゼランに従った。
彼は、奴隷兼通訳として、スペインのために働いた。

マフラは、「マゼランは部下たちに、彼らが目的地に着いたことを告げた。
ヘレディアなる船員を上陸させ現地住民を捕らえさせたところ、その住民はマレー語、すなわちマレー半島の言語を解した」と記している。
その島はフィリピン諸島の島で、捕らえた住民はマザウアの先住民だと判った。
マフラはその場所をミンダナオ島であるとした。

ジェノヴァ人水先案内人は、スペインへの報告書の中で、エンリケはマクタン島における戦闘(1521年4月27日)において、マゼランとともに死んだため、セブに戻った際には通訳がいなかったとしている。
0249世界@名無史さん垢版2020/06/14(日) 20:17:08.290
実際には、エンリケは1521年5月1日時点で生存しており、セブ王がスペイン人一行を招いた饗宴に参加している。

アントニオ・ピガフェッタの記録やトランシルヴァーノの聞き取りによれば、マゼランが戦死したマクタン島での戦闘で負傷したエンリケは、艦に戻っても通訳の仕事を放棄して横になっていた。
そこで、マゼランの後を継いだ艦隊の指揮官デュアルテ・バルボザはエンリケに、
『主人のマゼランが死んだからといって自由になったと思ったら大間違いだ。スペインに帰ったら未亡人のベアトリス様の奴隷になるのだ。今上陸しなかったら鞭を食らわすぞ』
と脅し、エンリケはセブ王の元に遣わされた。

戻ってきたエンリケは、セブ王が艦隊幹部を宴会に招待していると報告したが、それは罠であり、宴会に出席したバルボザ以下艦隊幹部約30人は、全員殺されることとなってしまった。
ピガフェッタや同行の乗組員の推測では、エンリケがセブ王と図って、「マゼランの死後は自由にするというマゼランの遺書を無視して、自分の解放を認めようとしなかったバルボザに復讐を遂げたのだ。」とされている。
0250世界@名無史さん垢版2020/06/14(日) 20:18:28.950
>>249
しかし、「ミンダナオから、スマトラ迄帰ってない」とか、難癖付けて、
エンリケの世界一周を認めないとは。

ミンダナオから、スマトラ迄は、ほんの僅かな距離だから。
当時の一般人ですら、普通に行き来してるからね。
エンリケの業績として、これはもう、「世界一周認定」をしてやって良いレベル。

それからまた、
セブ王に、マゼラン艦隊の幹部30人を毒殺させるアシストをするとは、
一見従順な素振りをしながらも、相当に強かな男だったと見える。

エンリケの謀りによる毒殺劇は、マレー人奴隷の、たった一人の反乱であった。
しかし、持ち前のマレー語の語学力で以って、マレー語圏の王に掛け合い、
「セブの王様と結託して大規模な暗殺を成功させた。」という点で、特筆される。
エンリケの「奴隷制度からの解放の戦い」は、マクタン島の「ラプラプの戦い」と共に、マゼラン艦隊に大きな打撃を与えた。
0251世界@名無史さん垢版2020/06/17(水) 12:57:24.140
ハイチとドミニカ、というかカリブの黒人は、先住民のタイノ族に島を明け渡して
歓迎されるガーナ・リベリア等に帰ったがいいかも

ガーナ「世界の黒人たちよ、苦しかったらアフリカに戻ってきなさい」
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1591861127/l50
<奴隷貿易の拠点だったガーナは黒人のふるさと。
「今の場所で必要とされていないならとどまることはない、アフリカは皆さんを待っている」>
0252世界@名無史さん垢版2020/06/17(水) 13:32:43.340
>>251
けど、ハイチの黒人は、白人の思惑ではなく、
自分らの手で奴隷解放を成し遂げたのが偉業なんだよな。


フランス革命はフランス領サン=ドマングにも影響を及ぼした。
黒人奴隷の中にも自由を求める声が強まり、経緯は明らかでない点はあるが、
1791年8月に島の西側のフランス領サン=ドマングの黒人奴隷暴動が起こった。
暴動はフランス領全土に広がって反乱の様相を呈し、
役所やプランテーションが襲撃され、白人が殺害された。
フランス人入植者は島の東側のスペイン人に支援を求めたが、
反乱を鎮圧することはできなかった。

黒人奴隷反乱の情報を受けたフランス本国では、
自由と平等を掲げた革命が進行中であったので、奴隷反乱は同情を集め、
1794年に国民公会が奴隷制の廃止を宣言した。
そのころ現地の反乱軍の指導者として登場した、
黒人のトゥーサン=ルヴェルチュールは、
98年には干渉してきたイギリス軍を破り、1800年8月、独立を宣言、
1801年には島内の支配権を実質的に手にした。

しかし、フランス本国で革命政権に代わって権力を握ったナポレオンは、
植民地・奴隷制の維持に転じ、反乱鎮圧のために軍隊を派遣した。
トゥーサン=ルヴェルチュールは本国軍を破り、抵抗を続けた。
しかし、投降すれば独立を認めるという奸計に騙されてフランス軍に捕らえられ、
本国に送られて1803年、獄中で死んだ。
0253世界@名無史さん垢版2020/06/17(水) 13:32:52.560
ナポレオンは植民地支配を継続し、また黒人奴隷制を復活させたので、
現地人と黒人は反発を強め、デサリーヌらが指導する反乱軍は1803年、
ついにフランス植民地軍を破り、1804年1月1日を以て、
ハイチ共和国として独立を宣言した。

アメリカ大陸においてはアメリカ合衆国に次いで2番目、
ラテンアメリカ地域では最初の独立国家であった。
フランスでは、その後もハイチ再征服を狙う動きもあったが、
ナポレオン没落後のウィーン体制の国際環境のためそれは深野であったため、
1825年にハイチ独立を承認した。

ハイチの独立は一連のラテンアメリカ諸国の最初の事例であるが、
これに続く諸国とは異なる特質がある。
それは、ハイチの独立がフランス革命の直接的影響のもと、
奴隷制度の廃止という課題と一体であったことであり、黒人解放を実現し、
黒人主体の共和国家を樹立したところにある。

奴隷反乱により、ハイチの砂糖プランテーションは大打撃を受け、
さらに独立と同時に奴隷制度が廃止されたため、
奴隷労働によるプランテーションは姿を消した。砂糖と奴隷はどうなったか。
ハイチに代わって黒人奴隷労働による砂糖プランテーションとして
急速に台頭したのがスペイン領キューバであった。
キューバはハイチよりも広大な未開地をかかえていたので、19世紀に入り、
ハイチの砂糖プランテーション衰退に乗じてスペイン人入植者による開発と、
黒人奴隷受容が急増した。
0254世界@名無史さん垢版2020/06/17(水) 15:37:22.030
黒人>>242の国家になると
先住のタイノ族は国から存在を抹消されたんだっけ
0255世界@名無史さん垢版2020/08/02(日) 07:49:48.700
米国のインディアン戦争、唯一の戦死した将
エドワード・キャンビー
0256世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 21:27:11.050
>>226 全っ然違う、幕府はアイヌを助け、借金払ってやり教育した
アイヌを放置・搾取したのは…松前藩(渡党:アイヌ)

>しかも文明化の助けをするわけでもなくコタンはほったらかし、アイヌには教育も与えなかったが

●(松前藩時代)渡党は、他のアイヌに日本語教育をしなかった
※この点、教育受ける権利奪い未開のままにした、と松前藩(日本文化寄りアイヌ)が叩かれる

サンタン交易を通じ、清の勢力に入り込まれてアイヌは債務のカタに外人に連れ去られ 、
清に直接朝貢するアイヌも多く、またロシア武装勢力も千島方面から侵攻

◎(状況に危機感を持ち、江戸幕府が直轄化)
江戸幕府…アイヌのサンタン交易の借金を払ってやり
希望者には、和風の服装や髷を許し、日本語を教育し、結婚を奨励し、衛生教育も行った

http://8003.teacup.com/doshin/bbs/5841

≫ 莫大な富を蓄えた酋長が多くの妾を独占して
≫ 若者に結婚の機会が与えられないことがアイヌの人口減少の原因だと判断して、
≫ 酋長がもつ妾の数を三人までに制限しました。

https://ainupolicy.jimdo.com/教科書に見る-アイヌ/中学生の教科書-2016年度/
株式会社自由社「中学社会 新しい歴史教科書」
◎アイヌの保護と国民化 のところに

≫ すでに江戸幕府は、アイヌの人口を増やすために、若い男女に結婚を奨励しました。
≫ 医療施設を置き、天然痘を防ぐための種痘を実施しました。

※この教育や援助が、アイヌ文化を奪った??、と明治政府も幕府も叩かれる

放置・搾取した松前藩(アイヌの渡党)も、援助・教育した幕府も、後世でまとめて叩かれる不条理
(どちらにしろアメリカ大陸とは全く状況が違う)
0257世界@名無史さん垢版2020/12/04(金) 23:31:19.390
先住民の反乱ならたくさん起きているよな
18世紀にペルーで起きたトゥパク・アマルの反乱
19世紀にメキシコで起きたユカタン州のカスタ戦争など
0258世界@名無史さん垢版2020/12/04(金) 23:58:19.430
>>255
カスター将軍は?
0260世界@名無史さん垢版2020/12/06(日) 23:13:46.980
合衆国北西部のサック・アンド・フォックス族によるブラック・ホーク戦争
フロリダのセミノール族による抵抗
スー・シャイアン・アラパホ連合軍によるフェッターマン大尉以下81名の殲滅
スー・シャイアン連合軍によるカスター大隊の殲滅
0261世界@名無史さん垢版2020/12/13(日) 00:06:14.530
>>245
マオリ族みたく、島から周辺を征服して広がった民族もいるが、一般に離島は侵略・同化されやすいな
ちなみに日本の周辺だと

 ・八重山諸島(もともと別の国)は、琉球王国に征服され、圧制で苦しんだ歴史がある
本島と全く通じないほど方言が異なるのは、別の国家を首里王朝が征服・強制併合したからだし

琉球に征服された八重山語、与那国語はいま危機的状況

 ・アイヌより前、千島列島に先住していたオホーツク文化人がアイヌに漸次同化・征服されたことで
15世紀以降という遅い時期に千島アイヌが成立した
0262世界@名無史さん垢版2020/12/13(日) 06:45:15.800
>>258
第七騎兵隊時代は陸軍中佐
よって佐官
0263世界@名無史さん垢版2020/12/16(水) 07:25:37.870
でもまあ「カスター将軍」で一般には認知されているね。
そういうタイトルの映画もあった。
実際に将軍だった時期もあったし、あだ名みたいなもんかな。
0264世界@名無史さん垢版2020/12/18(金) 06:38:34.210
>>247
マゼランはフィリピンにキリスト教をもたらしてくれた大恩人のはず。
ラプラプとかいう蛮族の首長はそれを殺した。悪魔の手先に違いない。
0265世界@名無史さん垢版2020/12/23(水) 08:05:15.610
ウィキペディアによるとインディアンと白人の最後の戦いはなんと1917年。
欧州では世界大戦の真っ最中、アメリカの白人はインディアンと戦っていた。
0267世界@名無史さん垢版2021/03/31(水) 21:51:17.400
WAYFINDING 道を見つける力 M・R・オコナー著
ttps://www.nikkei.com/article/DGXKZO69924670S1A310C2MY5000/
 アメリカ先住民のコマンチ族は、好戦的な部族と言われていた。そのコマンチ族に少年時代に誘拐され、育てられた人の話に
よれば、コマンチ族の若者は何日もかかる複雑な旅路を高齢者から教えられ、完全に記憶してから襲撃に出発するという。
 まず全員が輪になって座り、何本もの棒に刻み目をつける。刻み目が1本の木は旅の1日目を表し、刻み目が2本の木は旅の
2日目を表している。まずは刻み目が1本の木を示しながら、1日目の道筋を説明する。川や谷や丘、そして隠れた水場などを
丹念に教えていくのだ。それを若者が完全に理解したら、2日目に移る。それを最後の日まで続ける。そうして記憶した情報を
頼りに、テキサスからはるばるメキシコのモンテレイに奇襲をかけたこともあったらしい。
 このような、GPS(全地球測位システム)も地図もない世界で、環境情報と記憶をもとに道を辿(たど)る能力、すなわち
ウェイファインディングの能力が本書のテーマである。北極圏やオーストラリアなどに住んでいる、信じがたいほど素晴らしい
ウェイファインディングの能力を持つ人々の話には、思わず引き込まれてしまう魅力がある。
 ウェイファインディングの能力の仕組みについての探求も綿密だ。記憶術としても使えそうな、頭の中に物語を作って情報を
保存する方法が、ウェイファインディングに重要らしい。人間の脳の知見や、人間以外の動物のデータを広く渉猟(しょうりょう)
しながら、著者はウェイファインディングの仕組みに迫っていく。
0268世界@名無史さん垢版2022/01/07(金) 22:51:27.400
カスター将軍の軍歴って面白いよね
准将になったと思ったら少佐になり
また准将そして名誉大将になって
その翌年は中佐になって戦死。
0269世界@名無史さん垢版2022/01/09(日) 23:43:33.180
マプチェ族も善戦したな。
組織的抵抗としては、北米・中米よりも長く続いたってことか。
0270世界@名無史さん垢版2022/01/11(火) 21:37:06.230
アラウカニア・パタゴニア帝国としてパンパに覇を唱えてほしかった…
0271世界@名無史さん垢版2022/01/25(火) 21:52:28.240
>>269
20世紀前半まで抵抗したんだっけか
0272世界@名無史さん垢版2022/05/02(月) 22:52:57.900
銃も使いこなしたというし、残る懸念の病原菌も
耐性を獲得したのかな <マプチェ族
0273世界@名無史さん垢版2022/05/11(水) 05:37:07.020
>>264
誰が異国の宗教押し付けに来た連中を恩人扱いすんだよ
大きなお世話だw
0274世界@名無史さん垢版2023/07/01(土) 01:20:28.290
国家の主導権を黒人>>242が奪うと

黒人らにより、奪われた先住民タイノ族らの存在は「なかったこと」に…?
0275世界@名無史さん垢版2023/07/08(土) 10:50:45.020
古代史、中世史が面白いのが、北アメリカ(リオグランデ川以北)、アフリカ

近世史が面白いのが、アフリカ

近代史が面白いのが、ドイツ、中国

現代史が面白いのが、ソ連(ロシア)
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