ローマ帝国衰亡史を語る
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@岩波文庫「ローマ帝国衰亡史」10冊 村山勇三訳
A筑摩書房「ローマ帝国衰亡史」11冊 中野好夫、朱牟田夏雄、中野好之訳
B筑摩書房ちくま学芸文庫「ローマ帝国衰亡史」10冊 ※Aの文庫化
CPHP研究所「新訳 ローマ帝国衰亡史」 中倉玄喜訳
DPHP研究所「新訳 ローマ帝国衰亡史 普及版』2冊 中倉玄喜訳
E東京書籍「図説ローマ帝国衰亡史」 吉村忠典・後藤篤子訳
F岩波新書「新・ローマ帝国衰亡史」南川高志(著)
あと、岩波から1冊本で「ローマ帝国衰亡史」が@とは別に出てるのを
持ってるんだが、積ん読に埋もれて出てこない。 キリスト教のせいで斜陽になったのか斜陽になったせいでキリスト教が流行ったのか そもそも危機の3世紀でローマ帝国は事実上終了っしょ 中野好夫は、既に翻訳があるものを改めて翻訳することはないと思っていたが
岩波文庫版を読み返してみて、やっぱり今の言葉で新たに翻訳するか、と腰を上げた。 塩野女史のローマ人の物語の影響でちくま学芸文庫版をアマゾンで買ったけど
マヌエル2世の没年間違えたりとイマイチ信用できん。
原始キリスト教の章あたりなんかは読んでいて苦痛だった。 ギボンはキリスト教が嫌いなんじゃないかという気がする。 >>9
キリスト教徒じゃない世界史好きなら大体嫌いだろ 反キリスト教のユリアヌス(背教者)をあれだけ持ち上げてるしな ローマ帝国と共和制ローマの順番がわかってない僕です (王制)→(共和制)→共和的帝制→帝国的帝制→オリエント的帝制 >>14
サンクス
世界史の勉強だと共和制ローマすげーってなってカエサルが三頭政治してミラノ勅令して東西に分裂しましたぐらいしかやらなかったな それでツングース系の言葉にアーリア系の屈折語が影響して単純化した
屈折語的な膠着語がチュルク語になったと妄想する。以下はほぼ引用。
チュルク諸語の人称語尾は、明らかに文末主語か所有語尾が変化したもので
たとえば、トルコ語の yazıyorum「私は書く」は、副動詞(連用形)yaza + yor「いる」+ um で、
この -um は men「私」が変化したもの。これは、次の現代ウイグル語の形から明らか。
現代ウイグル語では、同じ「私は書く」が yazimän > yaza + (dur) + män で、män「私」が
人称代名詞そのままの形で語尾化してる。1人称2人称では dur が落ち、3人称では yazidu
「彼は書く」の形で du (<dur)語尾がある。単純過去の -dim などは形動詞(連体形)についた
所有語尾の変化。
チュルク諸語の人称語尾が発達定着するのは、古代語から中世語の段階で、人称語尾のある
イラン系言語(ペルシャ語やソグド語)その他との接触の影響が大きいと思われる。 ギボンのユリアヌス萌えが転じて日本で辻邦生の小説と塩野のローマ人の物語の
一部と化した訳だ。 >>2
Kindleでなくても英語版はただだよ。
著作権切れの作品ならたいていは普通にネットで読める
ttp://www.ccel.org/ccel/gibbon/decline/files/decline.html 塩野は本当に害悪だと思う
ヤマザキマリの方がまだローマ帝国に詳しいんじゃないか? 英雄史観を否定する歴史書って、なんとニヒルな・・・ イギリスの歴史観はギボンとカーライルの影響で英雄史観大好きだからな。 とある作家の、とある歴史上の人物を描いた伝記本なんだが、
明らかに作家はその人物が徹底的に大嫌いでストーリーが嫌悪感で
満ちてるのを読んだことあるが、読んでるこちとらの気分が悪くなり、
ほどほどでやめたのがあった。 ギボンはローマ帝国を領域で捉えて、そこでヘゲモニーを握った諸民族を中心に描いてたんだな
だから都市ローマやローマ皇帝も、歴史の主導権を失えば扱いが周縁化される >>29
ホスロー1世&2世の戦いをここまで詳細に読めるのって、
一般書じゃ衰亡史しかないんじゃないか? フェルドゥーシー『王書』
一応ホスロー1世&2世を扱っている。 >>29
その代わりアッチラ大王とフン族については冷淡だな
まあ、極端に卑下はしていないけど
今でもアッチラ大王とフン族はわからないことが多すぎるから、
文学としても描ききれなかったのだとは思うが
あの時代でも匈奴=フン族との認識があったのは驚いた。
あの時代でも漢文歴史書の知識が西欧世界に入ったのかネェ? 耶律楚材を知っていたくらいだから英訳された漢文資料に目を通していたと思われ。 完読できた人いる?面白いんだけど、気力尽きて挫折するんだよな。
筑摩版なんだが「いちいち注釈のページを読むからかな」と思って
注釈全削除というかなりの暴挙をやった岩波版から読もうと思ってる。 自分は原始キリスト教の章は全部読み飛ばした。
それでも読み終わるのに二ヶ月かかった。
岩波版はやめとけ
翻訳の文体が古すぎて読むに耐えん。 俺は岩波文庫版が現役の頃に読み切った。
通勤のヂーゼル列車に揺られながら半年かかった。
1回目は、目次の長めの段落名を本文の上に書き写しながら。
2回目は、文庫サイズのメモ帳に相関関係と登場頁を書いてそれを頁の間に挟みながら。 んで、本への書き込みにはボールペンでは駄目だというのが1字目を書いたところでわかり、
極細ペン先の万年筆をこのために購入した。 興味のあるところだけ拾い読みという暴挙をしでかしたけど
東ローマ帝国の空気っぷりと記述の整理されてなさっぷりに泣いた
フン族の項は、アッティラが出てくるもので一番面白い書籍だと思う 東ローマ帝国の扱いの悪さに不満を持ったあるイギリス人が「ビザンチン帝国衰亡史」という
本家の2倍の分量の本を書いたが全く売れなかったという話を聞いたことがある。
ギボンだけではなく殆どのイギリス人がビザンチン帝国には興味が無かったということらしい。 かの大モルトケは若い頃、金に困ってこの本をドイツ語訳して
印税貰おうとしたが、版権の都合で取り消しになり
予定額の三分の一程度しか手元に入らなかったそうだ。 社員一般研修で、「私の読んだ本」というテーマで各々10分ずつ話をする課程があり、
俺はくたくたになった岩波文庫10冊を持ち込んで時間オーバー15分話をしたことがある。 マヌエル2世の没年を78歳と間違って記入してあった。
本当は74歳なのに。 ★2ch勢いランキングサイトリスト★
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※ 要サイト名検索 個人的にはちくま学芸文庫の編集状態のままで
単行本化したのを読みたいな
文庫だと痛みやすいし、元の単行本は編集も活字も古くて読みづらい
あとできれば詳細な地図はもちろん写真も増やしたり解像度上げてほしい
中野先生の訳文では今では使われない旧漢字とか用語も多いから
(それ自体は気に入ってるけど)ルビ増やしてほしいです
旧版より高くなってもいいから買います 岩波版は旧漢字使ってるけど筑摩版は全部当用漢字だろ。
俺の通った高校の図書館には相当な数の文庫本がハードカバーに換装されてた。
装丁は立派だけど背表紙の書名が上手とは言えないマジック手書きで・・・w
今、このサービスをやるところあるのかな? >マジック手書きで
ちょっとここは記憶に自信がない。筆書きだったかも知れん。
昔は細字マジックがあったかどうか・・・ >>49です
久しぶりに改めて単行本読み直してみましたが単行本の方が註(割註)が多いんですね
註の多さで言うなら単行本の方が良いですが
文庫版みたいに小口註にすると読みにくくなるので悩ましいですね >1に漏れた1冊本の衰亡史
G岩波書店「ローマ帝国衰亡史」ウォールバンク著 吉村忠典訳
「アレキサンダー大王」「シーザー」の標記には違和感がある。
しかし翻訳された1963年当時はこちらでないと世間が納得しなかった、と読める凡例が・・・ この連休中に学芸文庫版を読み切ろうと張り切って読み始めたが
おととい一日で第1巻を読み終えられなかった。
諦めた。 寺に油をかける事件を見て衰亡史のキリスト教の記述を思い出した。
最近、イスラム教の不寛容が問題になっている。イスラム教が「寛容な
宗教」なのはもはや神話だけど、歴史全体を見れば、キリスト教(特に
初期キリスト教)の方が不寛容だと思う。
あの油の犯人には、聖マルティヌスという先輩がいるし。 そもそも寛容な宗教なんて本質的には有り得ないからね。
社会性を獲得して日和った結果な訳だから。 えー
それは一神教の思想に毒されてるよ
多神教は基本的に他の神を受け入れる
寛容さは程度問題なんだから多少の抵抗を不寛容と言い切るなら成り立ちうるが
価値観は比較と考えれば変やで
神道は「優れた」仏教やキリスト教やヒンズーの教義や神を受け入れた 大日本帝国の国家神道は
中央の見解しか認めないカトリックの不寛容と
救済や導きをする教義などはない多神教のいい加減さの悪い所取りをした愚行。 国家神道は単に国民国家の基礎となった自然権や人権概念を受け入れるに当たって
その人権を与えるキリストの神を天皇にしただけやで 仏教が日本に伝来した時だって、廃仏論が幅を利かせたわけで、
多神教は寛容というのは偏見でしょ。 だが廃仏論が幅を利かせたと言っても
仏教徒を強制改宗させろとか仏僧は火炙りにしろなんて意見までは出てない。
アブラハム教のやつらならそこまでやる。 いらいらしながらローマの軛に堪えていたガリアの民は、
ウェスパシアヌス帝(在位六九年‐七九年)の将軍の一人(ペティリウス・ケリアリス)から、記憶に値する教訓を得た。
この人物の重みを具えた分別は、タキトゥスの天才によって次のように洗練された表現を与えられている。
(以下はタキトゥス「同時代史」第四巻 七三、七四節の要約。)
「わが国の保護により、ガリアは内紛と外敵の侵入とから救われた。
民族としての独立を失ったとはいえ、それによって諸君はローマ市民たるの名と特権とを得たのである。
諸君はわれら自身に等しく、文民政権の恩典を永久に享受し、しかも遠く離れた諸君の位置は、
暴政の偶発的災禍にさらされることも遥かに少い。
われらは征服者の権限を行使することなく、諸君自身の生活維持に絶対必要な貢税を課するのみで満足してきた。
平和は軍隊なしに確保できず、軍隊を保持するには住民がその費用を支弁することが必要なのだ。
われらが獰猛ゲルマン人に対してライン河の防塞を固めているのは、
ひとえに諸君のためであってわれら自身のためではない。
何しろ彼らはその住居である森林と沼地の孤独境を、富裕で肥沃なガリアの地と取換えようと、
今までにも何度となく試み、今後も常にそれを意図することは疑いないのだ。
万一にもローマが倒れたりすれば、各属州にも致命的な結果をもたらし、
八百年の勇敢さと叡智とによって築き上げられてきたこの強力な組織の廃墟の中に
諸君自身も埋もれてしまうにちがいない。
諸君の空想裡の自由は野蛮な主(あるじ)によって侮辱され圧迫されるだろうし、
ローマ人を排除した後に来るものは、征服者たる蛮族どもの永遠の敵意以外にはないのだ。」
エドワード・ギボン著「ローマ帝国衰亡史」第Y巻(朱牟田夏雄訳 筑摩書房)第三八章より まぁガリアが破られたら次にゲルマンが目指すのがイタリアなんだけどなw
あとがリアがゲルマンに押し出されるとガリアが向かうのはイタリアかスペイン >>63
「植民地主義は第三世界を文明化した 途上国は感謝すべき」と言っても
奴隷扱いをされた途上国は納得しないだろうが、モノは言い様
それでガリア人は本当に納得したんかな??しない奴は征伐するしかない ガリアを分割統治してたからガリアの民でも納得する奴としないやついるだろ
元老院議員を生んだ部族はたぶん満足してただろう
おらがボスとの関係はローマ庶民とあまりかわらん 「アッティラこそがローマ東西両帝国に侮辱を加え、西ローマ帝国を崩壊に追いやった張本人」
ある意味アッティラへの賛辞にも読める。 >>61
ローマではキリスト教信者が解体されたりしてるよ そもそも平民からしてみればガリア時代は奴隷同然だったし
ローマの方がマシなんじゃないの
損したのは搾取してた特権階級 なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 >>71
一口に中世ヨーロッパと言ってもゲルマン民族の大移動からルネサンス前夜までは長すぎる
本当にイタリアやバルト海にそれが当てはまるのかどうか疑問
イスラム勢力に制海権を奪われても貿易は完全に不可能にはなってない
イタリア都市の富は地中海と黒海の貿易によってもたらされたし、
大西洋の三角貿易が中心になると、むしろイタリアは精彩を欠くようになっていった
キリスト・イスラムどちらの勢力にもメッチャ原理的で排他的な奴とオープンな奴の二つがあり、
西欧ではスペインとポルトガルが突出して原理的で排他的、他はそうでもない感じがする ローマの跡地で蛮族どもがヒャッハーしてた時代と
その蛮族が文明化して発展し始めた時代を
「中世」で一括りにするのは無理があるな 今までに衰亡史を4回通し読みしてるけど、
書き始めとなる皇帝は誰なのか今以てわからない。 いとこ同士の夫婦の有名人
チャールズ・ダーウィンとエマ・ダーウィン
アルベルトアインシュタインとエルザ・レーベンタール
マルクスアウレリウスとファウスティナ
ウィリアム三世とメアリー二世
HGウェルズとその奥さん
聖徳太子と苑道貝蛸皇女
真田信之と清音院殿
岸信介と岸良子
佐藤栄作と佐藤寛子
菅直人と菅伸子 岩波文庫の再版がそろそろ欲しいな。
欲を言えばワイド文庫で。 ホノリウスとトランプって似てない?
異民族のスティリコのおかげで国が維持出来てるのにをスティリコを殺害して
実質的に西ローマを滅ぼしたホノリウスだけどね ホノリウスや貴殿ほどの馬鹿ではないことだけは確かだがなw 実質的に西ローマを滅ぼしたのはユスティニアヌス1世 ユスティニアヌス1世とヒラリーが似ているな
この大統領選挙はまさにアメリカ版ニカの乱 トランプに相当するのはいない
だからローマは滅んだ
ユスティニアヌス1世はバルカン出身だけどバルカン防衛よりも
西ローマ領奪回を優先したのでバルカンはスラブ化してしまい
ユスティニアヌス1世の故郷は滅び東ローマはギリシャ人のものになった
ヒラリーを支持する投資家や知識人らも裕福な白人だけど
貧しい白人を蔑視して守ろうとしない
ヒスパニック=スラブ人 ヒラリーもトランプもまだ大統領になっていないのに
何が比定できるというんだ? 蛮族・・・数は多く戦意は旺盛だが技術・戦術・戦略面で劣った
ローマ軍・兵員数は不利でも技術・戦術・戦略面で優位であった
ホノリウスによるスティリコ(ハーフの司令官)殺害
ゲルマン系の将校もローマ軍より姿を消す
粛清されなかったゲルマン系将校は逃亡し少なくない数が蛮族軍へ
蛮族軍とローマ軍は技術面・戦術面・戦略面で互角になった
当然ながらローマ劫掠発生 蛮族・兵員数は不利でも戦意は旺盛で技術・戦術・戦略面で優位であった
ローマ軍・・・・数は多いが技術・戦術・戦略面で劣った
この当時のローマ軍は既に重装歩兵が主力ではなく
ササン朝やアラン族を模倣した重装騎兵が主力だった
言うまでもなく敵側の方がローマ軍よりも熟練していた
ゴート族もアラン族を模倣した重装騎兵が主力だった
ゴート騎兵は鐙を使用していてアラン族よりも改良されていた >>89
シリア内戦による難民が大きな問題になっているけど
ユスティニアヌス1世も似たような事をしでかしていた
ユスティニアヌス1世は同じキリスト教国のアクスムをけしかけて
イエメンの支配をめぐりアクスムとササン朝が争った
この戦争でマアリブ・ダムを維持する事が断念されたので
イエメンの農民の多くが農業を諦めてベドウィン化したという
ベドウィン化したイエメン人はやがてイスラム軍の主力となった
イエメン人らが戦力に加わらなければイスラム軍がササン朝と
東ローマに勝利する事は不可能だったと言われる
アッバース朝創建のホラサン軍もイエメン出身者が主力だった
ホラサンのターヒル朝はイラン系の王朝ではなくギリシャ人が
バクトリアに建国したグレコ・バクトリア王国のような
アラブ系の王朝だった 無駄に は余計だぞw 学問板なんだから品格持てよw エジプトやペルシアを領土にしていたからこその「パンとサーカス」だったんだよ。
そこを失ったら貧しい土人に逆戻り。
ギボンいわく「人類が手にすることが出来た稀にみる幸福な時代」
本当にそうだったんだろう。
但し、彼の言っている「人類」と言うのはヨーロッパ人のこと。 ただ、イタリア本土が北方系の蛮族国とその後決定的に違ってくるのは気象条件がそれほど悪くなく、
修道院のような物理的な贅沢が制限されているところでは、
自給自足体制下で最盛期の文化水準を維持することが可能だったこと。 ペルシアって・・・北アフリカの書き間違いか?
アナトリアとシリアよりも東は、ほんの一瞬イラクに侵攻しただけで領土になってないが アメリカ人はそこら辺のことをよくわかっているから、
補助金漬けにしてでも自分の国の農業は守ろうとする。
逆に日本にはTPPで稲作を放棄させようとしたり。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています