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 Ch・クラーク(一九六○〜)はオーストラリアの生まれ。シドニー、ベルリン、ケンブリッジで学び、
現在、ケンブリッジ大学西洋近現代史教授。
本書は二○一二年の刊行とともに直ちにヨーロッパ各国、
また中国、台湾でも訳され、ドイツ語版は二○万部の売れ行きを記録した。
いかにして戦争が起こるかのモデルケースを見たからだ。

 日本人には第一次大戦は、せいぜい「世界史」の時間に学ぶトピックかもしれない。
開戦後ひと月ちかくたってドイツに宣戦し、当時ドイツが中国、南洋諸島にもっていた植民地をぶんどった。
ほとんど労せずして大陸進出、またアジアへの権益拡張の足がかりを得たまでである。
だからおおかたの日本人は日本が戦争当事国だったとも思っていないし、
第一次大戦はいまなお「対岸の火事」騒ぎにとどまるだろう。
だが戦争を決定した当事者が「夢に取り憑かれて」いて、
自分がもたらそうとしている「恐怖の現実」がまるで見えていないとしたら−−。

 第一次大戦の遠因は、ヨーロッパの火薬庫といわれたバルカン半島をめぐる情勢に始まる。
訳書1は、サライェヴォの暗殺事件に至るまでの長い複雑な道のりであって、
一般読者は学者には珍しいおシャレな語り口をたのしめばいいのだろう。

 訳書2の「サライェヴォの殺人」に至り、がぜん歴史が動きだす。
オーストリア皇太子夫妻の巡行のコースの変更が運転手に伝えられていず、
あわてて停車して、車はゆっくり大通りに後退した。
「(テロリスト)ガヴリロ・プリンツィプ、一世一代の瞬間であった」

 標的が目の前にバックしてきて、銃声がとどろいた。つづく述べ方に当書の特色がよく出ている。
「サライェヴォの暗殺は、一九六三年のダラスでのジョン・F・ケネディ大統領暗殺と同様に、
瞬間的に人や場所を熱光線で捉え、記憶に焼き付けてしまうような出来事であった」