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【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001世界@名無史さん垢版2014/08/30(土) 14:52:13.040
一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。

前スレ
【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/
0002世界@名無史さん垢版2014/08/30(土) 14:52:46.500
うんこブリブリ
0004世界@名無史さん垢版2014/08/30(土) 15:29:08.510
ついにトレビゾンドが正統だと世界史板住人にも認められたか
0005世界@名無史さん垢版2014/08/31(日) 09:38:48.890
次スレ【栄光の】を【ビザンティン】にした方がいいかもしれない
しかし歴史用語で英語経由から現地語風に変更するのは最近は珍しくないが、他にも中世ローマだのここまでバラバラのまま並存してる例は珍しいかもしれない
0006世界@名無史さん垢版2014/09/01(月) 20:33:16.740
ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国の関係はどんなものだったの?
0007世界@名無史さん垢版2014/09/01(月) 23:04:33.400
そりゃ、時代による
マヌエル1世の時には、イタリア西岸に上陸し、イタリアで両国が直接戦ったことがあるよ
ドイツ人のローマ帝国(神聖ローマ帝国)とギリシャ人のローマ帝国(ビザンティン帝国)、
共にローマを名乗る帝国が、どちらも本家イタリアのローマ市は持っていないが
イタリアで戦うという、なんとも皮肉な状況
0008世界@名無史さん垢版2014/09/01(月) 23:06:39.100
>>6
全くローマでない「神聖ローマ」をローマと呼び
コンスタンティノポリスの正統なローマを「ビザンツ帝国」などと珍妙な呼び方するとは
どういうことなのか?
0010世界@名無史さん垢版2014/09/02(火) 00:23:09.160
>>9
それならコンスタンティノポリスのローマは
SPQR(元老院と市民のローマ)が自称で
ビザンツなどとは称してないんだが?
0012世界@名無史さん垢版2014/09/02(火) 06:40:17.87O
>>10
言葉がギリシア語に切り替わってからもSPQRだったの?
0013世界@名無史さん垢版2014/09/02(火) 07:09:23.040
>>12
コンスタンティノポリスがオスマンに占領される最後まで
ローマの国名はSPQR
0014世界@名無史さん垢版2014/09/02(火) 11:33:01.99O
>>6
「ちょ、おまえらごときが、何でローマ帝国名乗ってんの?本家うちだよ?ちなみに、元祖もうち!(生意気なんだよ蛮族がッ)」

とか言わなかったのかな?
0015世界@名無史さん垢版2014/09/02(火) 22:22:17.610
ビザンツの方は国号もそうだし、ローマ法を改良したという触れ込みの法律を制定するようなこともしているが、
神聖ローマ帝国の方はそういう古代ローマとの一体性を誇示する政策を何かやったんだろうか。
0016世界@名無史さん垢版2014/09/02(火) 23:06:56.57O
>>15
イタリア政策
0018世界@名無史さん垢版2014/09/03(水) 01:19:25.690
もうビザンツ帝国というスレタイやめろ
西欧人がローマの後継を認めようとしないために作った名前だ
0019世界@名無史さん垢版2014/09/03(水) 03:57:55.640
ギリシア=ローマ帝国にせい
0021世界@名無史さん垢版2014/09/03(水) 10:45:18.020
ローマを支配してないのにローマ帝国を名乗るのはおかしいだろ
せいぜいアラブ人の呼称する小アジア地域の名称で、ルーム帝国がいいところ
0023世界@名無史さん垢版2014/09/03(水) 14:47:13.530
Wikipediaの英語版SPQRの項目を見ると
を見ると、

Beginning in 1184, the Commune of Rome struck coins in the name of the SENATVS P Q R. From 1414 and 1517 the Roman Senate struck coins with a shield inscribed SPQR.

と書いてある。1517年には東ローマ帝国は存在していないと思うんだけど、
ここで出てくるthe Roman Senate って、何を意味しているのだろうか
知ってる人、教えて
0024世界@名無史さん垢版2014/09/03(水) 14:55:54.360
>>12
WikipediaのByzantine_Empireの項目には、当時の自称を
1 the "Roman Empire", the "Empire of the Romans"Latin: Imperium Romanum, Imperium Romanorum; Greek: Βασιλεία τῶν Ῥωμαίων Basileia tōn Rhōmaiōn,
  Ἀρχὴ τῶν Ῥωμαίων Archē tōn Rhōmaiōn),
2 "Romania" (Latin: Romania; Greek: Ῥωμανία Rhōmania),
3  the "Roman Republic" (Latin: Res Publica Romana; Greek: Πολιτεία τῶν Ῥωμαίων Politeia tōn Rhōmaiōn),
4 Graikia (Greek: Γραικία),
5 Rhōmais (Greek: Ῥωμαΐς).

と書いてある。SPQRは何故か載っていない。でもSPQRの項目には、
Beginning in 1184, the Commune of Rome struck coins in the name of the SENATVS P Q R
とあるから、SPQRも国号として用いていたと考えられている
0025世界@名無史さん垢版2014/09/03(水) 23:42:33.920
ビザンツが学名に過ぎないというのはわかるけど、西ローマが滅亡した後も
東ローマというのも違和感がある。ローマ帝国では古代ローマと混同されるから、
俺としてはローマニアという表記が妥当だと思うんだが
これだとルーマニアとも違いが出るし、実際当時の自称だし
0027世界@名無史さん垢版2014/09/04(木) 00:10:00.880
後世から見ての他称なら東ローマ帝国で何の問題もないと思うが・・・
テオドシウス1世の時代から、間違いなく政体が継続してる

いずれにせよビザンツ帝国ってのは、始期も確定できない曖昧模糊で最低な呼称だわ
古代ローマから文化面で変容しちゃってるからローマ帝国と呼ぶのはイヤっていうなら、
コンスタンティヌス1世時代から変えるべき・・・でもそれはしないのは、まさに西欧の都合
0030世界@名無史さん垢版2014/09/04(木) 06:39:15.220
まあでも西ローマ帝国でも東ローマ帝国でも滅亡するまで市民たちはローマ帝国民だっていう認識だったんでしょ?

あとさレオ朝のゼノンがオドアケルに西ローマ皇帝位を献上されて東西のローマ皇帝になったって本当?
0031世界@名無史さん垢版2014/09/04(木) 16:14:41.820
そういう説もあるよね。ネポス帝を最後の西ローマ皇帝として、ネポスを
擁立したのがゼノンの後ろ盾で西ローマ皇帝に付き、ネポス死去後、ゼノンは
新帝を冊立しなかったから、自動的に東ローマは、単独の「ローマ」に戻っただけという説

そんなわけで西ローマが滅亡したあとは、「ローマ帝国」しか残らなかったのだから、
「東ローマ」という名称にも違和感がある。で、「ローマ帝国」がよいとすると
古代と混同してしまうから中世ローマ帝国という言い方も悪くないと思うのだが、
ビザンツ(ビザンティン)、東ローマと比べると少数派
0032世界@名無史さん垢版2014/09/04(木) 17:09:20.580
ヘラクレイオス帝以降は中世ギリシャでも良さそうだな
ユスティニアヌス朝はバルカン出身で軍人皇帝時代以来
多くの皇帝がバルカン出身だった
バルカンがスラブ化してイリュリア人とかが滅亡したので
アナトリア出身者が皇帝になるようになった
0033世界@名無史さん垢版2014/09/04(木) 17:58:48.090
それはない、アイデンティティがヘラスにはなくローマイオイにあったのだから
0034世界@名無史さん垢版2014/09/04(木) 19:45:02.680
ギリシャ人意識については、プレトンを待たないといけないしねえ
0035世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 15:57:24.500
>>27
しないも何もビザンツ帝国と呼ぶほとんどの学者は始期をコンスタンティヌス時代かヘラクレイオス時代に置いているが
0036世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 17:48:41.020
ビザンツ帝国史の中ではプロローグとして取り上げられてるだけだろ、コンスタンティヌス1世は。
ユスティニアヌス1世はまだしも、コンスタンティヌス1世をビザンツ帝国の皇帝と呼んでる学者は見たことない。
0037世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 17:57:16.75i
呼び名なら中世ローマ帝国はどうかな

話は変わるけどメフメトさん折角異文化かぶれだったんなら帝国そのまま奪ってくれれば良かったのに
パレオロゴス朝→オスマン朝みたいな感じで
宗教もコンスタンティヌスで一回変わってるんだからまたイスラム教に変えればいい
0039世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 22:09:27.970
当時東ローマはすでにコンスタンティノープルだけだった。
アレクサンドロス大王のように目の前に大ペルシャ帝国が
実在した場合とかではないから、メフメト2世らに帝国を
征服したというような実感はなかったはず。
0041世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 23:03:52.230
イスラム教徒にとってローマ人=キリスト教徒だけど
西欧をも支配した古代ローマ帝国に実感がないから
西欧人=フランク人だった

アラブ人にとってはシリアとエジプトとアナトリアとギリシャと
マグリブを支配していたのがローマ帝国

トルコ人にとってはアナトリアとバルカンを支配していたのがローマ帝国
0042世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 23:14:45.150
>>35
ビザンツ帝国の始期は一般にコンスタンティヌス1世か
アルカディウスなのでは?
0043世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 23:33:31.520
>>42
コンスタンティヌス1世だかアルカディウスだかの時に
今後はローマではなくビザンツ帝国に改称すると決めたのか?

オレの知識ではローマはコンスタンティノポリスがオスマンに占領される最後まで
国名はSPQR(元老院と市民のローマ)だったはずだが
0044世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 23:43:24.610
>>42
アルカディウスよりスタートするのは、「東ローマ帝国」
東ローマ帝国=ビザンツ帝国と見なす立場ならそれでいいが、あくまで「≒」として考える学者が多い
つまり、古代ローマ帝国の成分が薄くなりすぎて同一のものと見なしたくない状態になってからがビザンツ帝国だと
そのタイミングは人によってバラツキがあるものの、公用語がギリシア語になったヘラクレイオス時代からというのが最も一般的
0045世界@名無史さん垢版2014/09/05(金) 23:47:03.350
       ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  / o゚((●)) ((●))゚o \  ほんとはローマ伝統の
  |     (__人__)    |   ラテン語をつかいたいんだお
  \     ` ⌒ォ     /
       ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \  でもラテン語知らないから使えないお
  |     (__人__)    |  
  \     ` ⌒ォ     /
       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   だからギリシア語にするお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'ォ     /
0047世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 08:15:31.28i
中世ギリシア語って大分ラテン語の影響うけてるよね
βが/b/から/v/に変わってるのは意味不明だが
0048世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 10:39:08.770
>>36
成立の年号を330年に置いている書籍は結構あるよ
>>27が言うようなテオドシウスから変わったと言っている学者の方こそ見たことない
0049世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 13:05:17.690
>>27で言ってるテオドシウス1世は、最後の統一ローマ皇帝だから名を挙げている
そこから政体が継続しているんだから、ビザンツなどと呼ばず東ローマで問題ないだろという話
0050世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 13:47:09.670
テオドシウスの前や後の皇帝が政体を変えていたら意味が無いからなあ
0051世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 17:35:40.210
トレビゾントのゲオリギウス司教は、1461年にメフメト二世に送った書簡で、
「何の疑いもなく貴方はローマ皇帝でございます。帝国の首都の合法的な主は、
誰もが皇帝であり、そしてコンスタンティノープルはローマ帝国の首都なのですから」
と書いたそうだ。
0052世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 19:41:39.370
ローマ帝国の首都はローマで東ローマ帝国の首都はコンスタンティノープル

パルティアの首都はクテシフォンでササン朝の首都もクテシフォン

ウマイヤ朝の首都はダマスカスでアッバース朝の首都はバグダード
0053世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 19:47:54.440
>>51
なるほど、そういう理屈なら、トルコ共和国がイスタンブルを首都としたら
ローマ帝国になってしまうからアンカラに遷都したのか。
どうせなら、ムッソリーニのローマ帝国とケマル・アタテュルクのローマ帝国で
戦ってみてほしかった
0054世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 20:23:42.310
ローマという名の由来になった大昔の街は既に無くなった。
長く遺構を残し村名か字の名として土地に残り、近代にフィレンツェ程度の都市として復活。
ゲルマン蛮族に支配された旧地を残し、
帝国ローマはコンスタンティノポリスを中心とする千年帝国としてその名を刻んだ。

つまり ローマ→奈良、コンスタンティノポリス→京。

後年、時の京支配者を認めぬ存在が、奈良を"本当の京"だと言い出した。これがイタリアのローマ。
0055世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 20:33:19.040
ローマ帝国のキリスト教国教化→東西分裂→西ローマ帝国滅亡 
まで、あっという間ということを、もっと一般に広く認識させるべき。
0056世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 20:34:47.760
>>53
イスタンブルにしなかったのは軍事上の理由
イスタンブルじゃギリシャに海から砲撃されて終わり
0057世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 21:04:09.360
アンカラ政府にはトルコ主義の意図がある。
イスタンブールはヨーロッパでは難しい事情がある。
そんな面倒なヨーロッパ事情に関わりたくないから英国は海に出た。
0059世界@名無史さん垢版2014/09/06(土) 21:58:01.860
受験で世界史習ってた頃は「何このダセー国。まあ皇帝の名前とテマ制プロノイア制だけ覚えときゃいいだろ」
くらいにしか思ってなかったのが、気がつけば陰謀だの戦争だの外交だののごっちゃになった帝国の魅力に取りつかれ、
今じゃ専門書が何冊も部屋の棚に並んでる始末
これが多民族帝国の吸引力か…恐ろしい
0061世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 00:14:14.440
>>60
東ゴートの正統性を認めたのは皇帝ゼノンですが何か
ビザンツこそローマを失ったくせにローマを名乗らないでくれるかな
0063世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 00:53:00.630
>>61
ランゴバルド語で言われてもよくわからんので、
プラトンの引用とかで頼む
0064世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 01:26:54.080
>>54
ローマ→奈良、ラヴェンナ→京で
ローマ→京、コンスタンティノポリス→江戸じゃないの
0065世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 01:45:52.230
>>64
ローマ:300年間
コンスタンティノポリス:1600年間

コンスタンティノポリスは京都に草も生えてない頃から世界最大の首都。
0066世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 05:52:56.530
>>45
元々、ローマ帝国東方はローマ時代を通してギリシャ語が共通語。
ラテン語は軍隊とか一部行政機関でくらいでしか使われてなかったろう。
0068世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 09:08:45.43O
新しい地中海扱った本でも見事なまでにビザンツを無視か蔑視する塩婆ちゃん
0069世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 09:53:37.090
>>68
「コンスタンティノープルの陥落」ではそれ程でもないのに何でだろうな
あの人、レパントの海戦でもいちいちスペインに問題があるみたいな書き方してたけど、
物の見方自体はそこまで偏ってる印象受けない
何というか、自分が現在進行形で書いている題材以外の分野については気配りが極端に足りなくなるというか
0072世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 11:36:52.850
塩野さんは一神教嫌いだからキリスト教に染まったビザンツが嫌いなんでしょ。
0073世界@名無史さん垢版2014/09/07(日) 23:38:48.150
キリスト教化前のローマが特に大好きなだけで、キリスト教化後のイタリア(特にヴェネツィアと
フィレンツェ)も好きだよ>塩野
今回は中世イタリアの海賊対策が中心の記述だから、シチリア・南イタリアを領有していた時代に
その地域の防衛に寄与しなかった(できなかった)ビザンツに対して評価が辛い
まあ、それでも地中海の歴史上、イスラム勢力とビザンツの海戦もあったのに省略されているのは
偏ってるとは思う
0074世界@名無史さん垢版2014/09/08(月) 19:23:02.480
塩野はイタリア語利用者でイタリアがすきなんだから、南の方をちょこっとしか支配していなかった
ビザンツに興味ないだろう。ギリシアに住んでいたことのある池澤夏樹とかが
ビザンツの小説をかいてくれればビザンツももう少し日本でメジャーになれたかも。
0075世界@名無史さん垢版2014/09/08(月) 21:45:33.390
ビザンツの史料がのってる史料集ってあるのでしょうか

岩波の世界史史料や東京大学出版会の西洋中世史料集に
ビザンツがのってないようなんですが、
ビザンツファンとしては怒るところですか
0076世界@名無史さん垢版2014/09/08(月) 22:50:39.950
>>68
「海の都の物語」の書評を渡辺金一が書いていて(俺は読んだことないけど)色々言われたんじゃないかな
で、「そんなら、アタシはイタリア語とラテン語なら読めるから、絶対にギリシア語使うようなところは避けて
自分の守備範囲で徹底的に勝負してやる」と決意して「ローマ人」や「十字軍」を書いた




としてもあの性格からすれば不思議じゃない
0077世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 00:09:05.400
歴史人類学会の『史境』のヨハネス・マララス著『年代記』とか
論文集からを拾い集めるしかないような。
0078世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 00:13:14.240
ビザンツって名前が悪い
ピンとこない

ビザンツローマ帝国とかどうかな
0079世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 02:03:31.090
だから西欧人の都合による「ビザンツ」なんて言い方やめろよ

西欧人がコンスタンティノポリス遷都後のローマをローマと呼びたくない事情はわかるだろ
それをローマと認めたら西欧がローマの直系後継者ではなく傍系になってしまうからだ
だが西欧人でない我等がそんなことに迎合する必要は無い
0081世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 03:08:07.480
>だが西欧人でない我等がそんなことに迎合する必要は無い

じゃ大秦か拂菻でいいよ
0082世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 19:32:43.580
>>80
それならローマに皇帝が寄り付かなくなった国もローマ帝国とは言えないですね。
0085世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 22:52:37.800
東ローマ共和国と呼ぶべきか
0086世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 23:11:33.020
スレタイがトレビゾンドじゃなくなってから一気に伸びててワロタ
0087世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 23:16:16.080
The Byzantine Empire was the predominantly Greek-speaking continuation of the eastern half of the Roman Empire during Late Antiquity and the Middle Ages.
Its capital city was Constantinople (modern-day Istanbul), originally known as Byzantium.
Often called the Eastern Roman Empire in this context, it survived the 5th century fragmentation and fall of the Western Roman Empire and continued to exist for an additional thousand years until it fell to the Ottoman Turks in 1453.
During most of its existence, the empire was the most powerful economic, cultural, and military force in Europe.
Both "Byzantine Empire" and "Eastern Roman Empire" are historiographical terms created after the end of the realm; its citizens continued to refer to their empire as the Roman Empire
(Ancient Greek: Βασιλεία Ῥωμαίων, tr. Basileia Rhōmaiōn; Latin: Imperium Romanum), or Romania (Ῥωμανία),
and to themselves as "Romans.
"http://en.m.wikipedia.org/wiki/Byzantine_Empire
0089世界@名無史さん垢版2014/09/09(火) 23:32:29.860
これカワイイなw よし、ローマニアにしよう!

> Romania (Ῥωμανία)
0090世界@名無史さん垢版2014/09/10(水) 01:06:24.58O
>>89
それで思い出した。
元々ギリシア語圏だったが故にビザンツはギリシア化してラテン語は省みられなくなった…と自分は聞いてたが、帝都コンスタンティノープルの程近くには今なおラテン系の言葉を維持しているダキア、今のルーマニアがあるんだよな。

ラテン語を保持し続けた民が近くに居て本当にラテン語は省みられなくなってたのかい?
0091世界@名無史さん垢版2014/09/10(水) 01:30:13.220
ダキア人の末裔ワラキア人の先祖は今のマケドニアあたりの山中にいて、
その後移住したという説があったと思う
マケドニアの北西のイリュリアはラテン語圏だったから、そのへんを継承しているのかも知れない
0093世界@名無史さん垢版2014/09/10(水) 10:07:47.460
アルバニアが存在するのが謎だな
バスクやウェールズはまさに辺境だけど
アルバニアはイタリアからギリシャへの玄関口
0095世界@名無史さん垢版2014/09/10(水) 18:44:30.020
それ不思議でもなんでもないけど。
平坦な平野部を切り拓くには大規模な土木工事が必要だから、
文明が十分に発展するまでは平野部に進出できないってだけだ。
0096世界@名無史さん垢版2014/09/10(水) 22:21:57.620
>>90
保持してたんじゃなくて近代に人工的に復活させたんだよ
イスラエルと同じ
0097世界@名無史さん垢版2014/09/11(木) 18:00:45.280
みなさんは、ビザンツ帝国のどんなところに魅力を感じているのですか
教えてください

私は聖歌やイコン、教会壁画などです
ttps://www.youtube.com/watch?v=711DKJm80CI
0098世界@名無史さん垢版2014/09/11(木) 21:00:46.210
>>97
学校の世界史がほぼ無視するところ
0099世界@名無史さん垢版2014/09/11(木) 22:20:18.940
ローマ帝国が分裂してなお千年以上存続していたことに興味をそそられた
0100世界@名無史さん垢版2014/09/11(木) 22:37:04.60O
>>96
キリル文字を止めてラテン文字にしたり、抽象概念表すギリシア・スラブ系の単語をフランス語・イタリア語で大々的に置き換えたり、とは聞いた。
だけど文法とか基本語彙とかは一貫してラテン系だったとも聞いたぞ。
0101世界@名無史さん垢版2014/09/11(木) 23:58:30.130
ロジャー・ベーコンに匹敵するような学者はいないの?
イスラム帝国に近い割にはアラビア科学の成果をほとんど吸収しなかったようだけど
0103世界@名無史さん垢版2014/09/12(金) 15:53:39.460
フォティオスに代表されるマケドニア朝ルネサンスや
プレトンに代表され、ルネサンスに多大な影響を及ぼしたパレオロゴス朝ルネサンスがないことにされるとは解せぬ
0105世界@名無史さん垢版2014/09/13(土) 21:42:27.130
フォティオスってカトリックとの政争の原因になったこととキリルのこと以外に何かしたの?
0106世界@名無史さん垢版2014/09/13(土) 23:15:40.010
フォティオスは、総主教になる前は聖職者ではなく俗人の官僚で、その時代を代表する学者でもあった
ギリシャの古典についての「図書総覧」を編纂している
0107世界@名無史さん垢版2014/09/14(日) 13:24:15.770
>>97
・皇帝に忠誠誓えば誰でも帝国臣民、どこの国の何系だろうと問題にならない
 というか皇帝自身が何系の血がどこまで混ざってるのかわかりゃしない
・中世西欧にあった十字軍思想や異端審問、魔女裁判の類が極端に少なかった
・運と実力に恵まれればパンピーから大臣や将軍、場合によっては皇帝にもなれる
・新しい技術の発明や進展は少ないけれど、過去から受け継いできたものをやりくりしながら時に発展させ、
 あの厄介な立地で千年保った

こんな所かな
0108世界@名無史さん垢版2014/09/20(土) 02:34:28.670
ローマ帝国こそ世界の中心ですから。
ローマといったらアジア。ボスボラスの東だよ
0109世界@名無史さん垢版2014/09/20(土) 02:49:46.730
BC2世紀 6位:ローマ
1世紀 1位:ローマ
4世紀 1位:コンスタンティノポリス 4位:ローマ
6世紀 1位:コンスタンティノポリス 8位:ローマ
8世紀 4位:コンスタンティノポリス 圏外:ローマ
9世紀 3位:コンスタンティノポリス 圏外:ローマ
10世紀 4位:コンスタンティノポリス
11世紀 2位:コンスタンティノポリス
12世紀 2位:コンスタンティノポリス
13世紀 7位:コンスタンティノポリス 約1万人:ローマ
14世紀 12位:コンスタンティノポリス
15世紀 圏外:コンスタンティノポリス
16世紀 2位:イスタンブール
17世紀 1位:イスタンブール
18世紀 1位:イスタンブール 24位:ローマ
19世紀 5位:イスタンブール
0110世界@名無史さん垢版2014/09/20(土) 08:05:52.280
多分都市人口のことだろうが、説明も出典も不明で荒らしのコピペかよ
0111世界@名無史さん垢版2014/09/20(土) 08:18:29.860
>>109
>17世紀 1位:イスタンブール

ここイスタンブールが一位だったことになってんの?
この時代の世界最大都市は江戸だったり北京だったりイスタンブールだったり
場所によってコロコロ変わるな、
0112世界@名無史さん垢版2014/09/21(日) 03:09:43.840
江戸はちょっとよくわからないが、
西欧中心の歴史人口や歴史GDPとかは、
よく中東西アジア北アフリカを飛ばす。
0113世界@名無史さん垢版2014/09/23(火) 10:29:05.720
ビザンツ帝国とかビザンチン帝国と言うより
東ローマ帝国と言った方がかっこいいと思うのは俺だけ?
0114世界@名無史さん垢版2014/09/23(火) 10:35:48.43O
>>113
そちらの方が正しいしな
0115世界@名無史さん垢版2014/09/23(火) 13:58:43.080
でも、一応東西兼任のローマ皇帝なはずなので
東がつくのにも個人的に違和感を覚える
でも、中世ローマ帝国というのも東欧世界の中世って何やねんって思っちゃうし
0116世界@名無史さん垢版2014/09/23(火) 14:05:06.050
個人的には、ビザンティン帝国という呼び方が好きだなあ
もちろん、後世の呼称であることは百も承知だが
0117世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 10:28:30.140
ローマ東西分裂後を東ローマとして、完全にギリシャ化以降をビザンツなりビザンチンなりとすればすっきりする
0118世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 11:43:08.860
当時、そこに住んでいた方は単にローマ帝国の意識
近代西欧人の方からするとビザンチン
西欧人の方にはコンプレックスがあるんだと思う
特に中世は
0119世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 17:19:04.080
下痢便
0120世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 17:33:04.620
ローマ帝国であることを認めようとしない
コンプレックスの西欧人の生み出したプロパガンタビザンツという名を
断じて使うべきではない

公用語鮮卑語から漢語になって漢化した北魏も依然と以後でも名前は変わらん
0121世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 17:58:45.620
>>115
ローマが分裂して出来た国なのでそれが正しい
東ローマが正しい
すくなくともビザンツなどというよりはよほど正しい
このスレも次が立つことがあれば名前を正すように
0122世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 18:08:58.660
そもそも栄光のとかいうスレタイが気に入らない
栄光の時代とかどれぐらいあったのか
ニケフォロス2世は敵のアラブ勢力が分裂していたから勝てただけだし
バシレイオス2世はブルガリアの僻地の反乱者にバルカン側を大部分盗られ
鎮圧に30年以上かかっている
しかも外国人傭兵のおかげで勝っているし
はっきり言おう栄光などと値する歴史はない
0123世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 20:44:15.130
地政学的に百年もてばいい場所で、千年「ローマ帝国」と正しい継続性がある帝国が続いたこと
それ自体が「栄光」に思います
時代に合わせて、政治の中身を変える力こそ「ローマ帝国」であり「東ローマ帝国」の凄味でしょう
0124世界@名無史さん垢版2014/09/24(水) 21:59:14.280
>>122
スレタイをどうするかは置いといてだ

仮に外国人傭兵の力で勝ったとして、だから何で評価に値しないの?
あと、30年っていう時間を言うなら、まずその時間が「かかりすぎ」だと断定する根拠を示してくれない?
ブルガリアなんて大した驚異ではなかった、もっと早く鎮圧できたと言える根拠を

ついでにニケフォロス2世の勝利はイスラム側の分裂ももちろん勝因の一つではあるだろうけど、
「分裂していたから」勝てた、なんて言うというのはつまり、分裂してなければ負けていたと?
何を根拠にそんな風に言えるんだか
0125世界@名無史さん垢版2014/09/25(木) 01:44:34.930
東ローマ帝国では皇帝は神の代理としての全世界の主、という意識があったため、
多くの外国人傭兵を従えることは一種の誇りであり富を表すステータスとして歓迎された
あらゆる国・地域の人々を兵として配下とすることは「世界の主たる皇帝」という理念を視覚化できたのだ

したがって「外国人傭兵のおかげだから云々」などという批判は筋違いである
0126世界@名無史さん垢版2014/09/25(木) 02:04:27.400
そういや、ユスティニアヌス1世の時点でフンの亡命貴族が率いる部隊とかいたな
0128世界@名無史さん垢版2014/09/25(木) 08:31:09.950
そもそも東西分裂前のローマ帝国末期には異民族の傭兵なんて大勢いたわけで…。
0130世界@名無史さん垢版2014/09/25(木) 16:44:38.760
>>127
あれ、そうなの?
「東ゴート興亡史」にフン出身と紹介されてたからずっとそう思ってたわ
0131世界@名無史さん垢版2014/09/25(木) 19:50:03.110
>>94
メソポタミアもインダスもエジプトも黄河も長江もみな平野起源の文明だろうに
0132世界@名無史さん垢版2014/09/25(木) 22:00:57.540
>>130
調べたのが大分前なんで正確性の保証はできないけど
たしか母方を通してアッティラの血を引いてるから、それでフン族の亡命貴族ということになったのかもしれんね
一応、叔父がテオドリック大王のイタリア遠征時にちょっかい出して撃退されたゲピダエ王トラウスティラだったと思う
0133世界@名無史さん垢版2014/09/25(木) 22:18:51.060
>>132
なるほど、詳しい情報THX
そういやアッティラの孫云々の話もあったな、母方が婚姻政策でゲピダエ王族に嫁いだってわけか
0134世界@名無史さん垢版2014/09/27(土) 01:15:37.230
ローマの名を世界に広めたのはアナトリアの帝国。
これが無ければ"ローマ"などという言葉は歴史の中に残らなかった。
せいぜいアステカかアトランティスくらいの秘密の文明名。
イタリア半島の中部に昔、古代の文明がありました。
今でも遺跡付近に宗教団体が居を構えています。キリスト教の一派だそうです。

と本来このくらいのところであるはずのところを、
世界史に燦然と輝くローマを作り出したのは、
紛うことなくコンスタンチノープルローマ。
0135世界@名無史さん垢版2014/09/27(土) 08:53:22.530
>>120
そうや!東ローマ帝国の首都は旧名ビザンチニウムじゃなくてコンスタンチノープルだっちゅーねん!
ベネチアの野郎、部下だったくせにいちびり腐ってペスト菌バラまきやがって何がラテン王国じゃ
大体、カナン人は根性がひねくれとる。いい加減新名コンスタンチノープルを認めよ!
ビザンチニウムというのはローマの支配に入る前の地名でしょうが!分かっている癖に!
執念深い嫌味カナンはくそハザールと心中しろよ。ウクライナ人ぶっ殺したのも本当はロシア人じゃなくてお前らだろうが
0136世界@名無史さん垢版2014/09/28(日) 21:03:43.630
ニケフォロス2世って「アラブ人の青ざめた死」なんてたいそうな名前ついてるのに
あんまりアラブの領土とれてないんだな
アナトリアの領土は拡大させたけど
0137世界@名無史さん垢版2014/10/02(木) 21:38:17.000
>>136 願望では?
東ローマは周囲のブルガール、ノルマン、トルコ、アラブ、スラブなどの蛮族に
領土を奪われながら奪還できず、侵略され続けているのに内ゲバもひどいな
自分が皇帝になりたい軍人ばかり 
東ローマ 南宋 カルタゴ オランダ 負けに不思議の負けなし
0138世界@名無史さん垢版2014/10/09(木) 07:36:53.140
>>136
あの時代には、封建化が進んでいた訳で
貴族の重層騎兵はイスラム世界の兵士には脅威だったでしょう
イスラム圏も高度な文化と武力を誇っていた時代ですから、お金もかかりますし
現実的軍事行動だったと言えると思います
0139世界@名無史さん垢版2014/10/09(木) 12:04:31.610
ニケフォロス2世の頃まで、イスラームに負けっぱなしという反動もあるかも
実際には、ニケフォロス2世以前からイスラームには勝利し始めてるんだけど
アンティオキアの回復というわかりやすい功績で名声を獲得した、という感じ
0140世界@名無史さん垢版2014/10/25(土) 14:24:31.300
なぜイスラームに負けまくったのな
0141世界@名無史さん垢版2014/10/30(木) 22:21:51.580
ニケフォロスといえば、1世のほうの年代記での書かれっぷりにはわろた
年代記作者 「非道の為政者、その十大悪政を非難する!」
現代の研究者 「いずれも国情をよく観察した上での理に適った政策で、しっかり成果を残した」
・・・ビザンツ官僚ェ('A`)
0143世界@名無史さん垢版2014/11/10(月) 08:38:39.22S
皇帝は神の代理人ってフレーズすき
帝国は神の国の代行者ってフレーズもっとすき

こんなに中二病を擽る国なんだからもっと創作の題材になってもいい
0144世界@名無史さん垢版2014/11/10(月) 09:49:41.390
いくら過去の栄光があっても滅んで500年で後継者もいないからマイナーなのもやむなし。ロシア?知らない子ですね
子孫がイギリスだかにいるんだから、西欧に亡命政府立てておけばマルタ騎士団みたいに現在まで残ってたかもしれんが
0145世界@名無史さん垢版2014/11/13(木) 13:10:48.080
 奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後
半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27〜395年)領内で見つかったローマ・ガラス
とほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光X線分析で分かった。国内の古墳
出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。

(記事の続きや関連情報はリンク先で)

引用元:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASGCD3C6RGCDPOMB001.html
0146世界@名無史さん垢版2014/11/14(金) 10:44:00.280
ユダヤ人は何回蛮族に攻撃・破壊されてもヘブライ人と呼ばれた頃から一貫してユダヤ人性を感じるのに
ギリシャ人はアカデメイア閉鎖、キリスト教改宗の辺りから既に精彩を欠くようになり
古代ギリシャ科学ですらユダヤ人から教わらないといけなくなったような感じがする
ラテン人なんてラテン風の名前すら消滅したし、今のイタリア人とは断絶がある感
0147世界@名無史さん垢版2014/11/16(日) 17:27:50.560
>>146
個人差も強いとは思いますが、ギリシャ正教徒の右派気味の方は
今もコンスタンチノープルが日本でいう京都の感覚である事に驚いたことが

近代のバルカン戦争でもギリシャ軍がかつての都を目指して惨敗
日本人が思うよりはギリシャ人に東ローマ帝国の臣民の末裔の意識が強いかと
0149世界@名無史さん垢版2014/11/22(土) 15:38:02.600
>>141
中世のビザンツ官僚は、イスラム社会の力も現実的に把握していた
ラテン圏はからすれば、異教徒は潰せと考える人間が多かったから
その老獪さが、いやだったのでしょう

>>145
海のシルクロードや、商売、文化交流が今考えられている範囲が狭い気がします
もっと、広く捉えなおすべきかと
0150世界@名無史さん垢版2014/11/22(土) 16:13:51.770
ニケフォロス1世は、東ローマ版のヴェスパシアヌス帝だな。
いわゆる財政再建屋で、世間の評判が悪くなろうと国家の基礎体力を滋養するタイプ。
その恩恵で花開いたのが五賢帝時代と、アモリア朝後期〜マケドニア朝前期の東ローマ再興時代。
0151世界@名無史さん垢版2014/11/23(日) 19:11:12.210
>>150
ニケフォロス1世は優秀な文官タイプ
皇帝には、惰性的な人間も、軍人型の人間もいて
適度な新陳代謝が帝国を長続きさせたのだと思う
0152世界@名無史さん垢版2014/11/24(月) 10:11:36.840
パレオロゴス朝の海軍とかマニアックすぎるわw

Byzantine Naval Forces 1261-1461 (Men-at-Arms)
ttp://www.amazon.co.jp/Byzantine-Naval-Forces-1261-1461-Men-at-Arms/dp/1472807286/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1416791274&sr=1-1&keywords=Ottoman
0153世界@名無史さん垢版2014/11/24(月) 12:12:42.560
そのテーマで300ページとか書かれてたらどうしようと思ったけど、48ページで安心したw
0155世界@名無史さん垢版2014/11/28(金) 17:21:23.260
>>15
皇位が血縁で継承されていない場合が多い(臣民が皇帝を変えたりしている)
そのことが、逆に帝国を長続きさせたのだと思う

>>152
中世のビザンツの重層騎兵もイメージが湧かないけれども、オリエンタルな要素があったのではと外国の本や模型からは感じる
0156世界@名無史さん垢版2014/12/20(土) 12:52:50.820
コンスタン略は飛行機が出来るまでは、
世界の要の都市だったからな。
0158世界@名無史さん垢版2014/12/20(土) 20:30:32.110
1800年代後半までトップクラス
大コケは20世紀から。
今でもwikiでは市域人口なら世界7位だそう。一千万都市
0159世界@名無史さん垢版2014/12/20(土) 21:08:11.960
コンスタンティヌスの建都から数えて1600年の歴史の中で
1300年くらい大帝国の都だった都市なんだから
大帝国の都おして世界最長記録かもしれぬ
長安やローマより長いはず
0160世界@名無史さん垢版2014/12/20(土) 22:13:53.780
全然長い。正直怪物レベル
思いつく都市を挙げても匹敵者は無い
ロンドンパリベルリンモスクワ北京東京N.Y.
ローマカルタゴバグダッドエルサレムカイロ杭州...
0161世界@名無史さん垢版2014/12/23(火) 22:44:56.230
東京は短いが京都千年の歴史
20世紀に首都で無くなったので良い形で残った
0164世界@名無史さん垢版2014/12/25(木) 14:56:20.680
そのダマスカスも例のシリア内戦で目茶目茶になり
観光名所のサラディンやバイバルスの墓廟も見学できなくなっている。
0165世界@名無史さん垢版2014/12/27(土) 03:29:03.290
正直ブハラでもサマルカンドでも紀元前都市なんてたくさん残ってる。
京都なんて新米都市レベル。
東京への対抗心で歴史の長さを売りにするが、
東京は東国でも最終開拓都市で、
どの都市でも古代以前。多分京都は新しい方。
0166世界@名無史さん垢版2014/12/30(火) 02:43:11.960
3500年前の城壁を修繕しながらつい最近まで使ってた鄭州市なんてのもある。
黄河の大氾濫で定期的に埋め立てられてるからめぼしいものは残ってないけれども。
0167世界@名無史さん垢版2014/12/30(火) 03:11:45.290
>>166
>つい最近まで使ってた鄭州市

ということは今はもう使ってないのか
0168世界@名無史さん垢版2014/12/30(火) 03:48:37.600
>>167
一応史跡として保存されてるがドタバタしてるみたい。

>>166で言ったのは近年まで市街の境界として機能していた、という意味ね。
20世紀になって市街が拡大して狭い旧城壁が邪魔になったので調査してところ
(これはヨーロッパでもよくあった話)、
基盤部分が3500年前のものと判明した、という経緯。
0169世界@名無史さん垢版2014/12/30(火) 12:27:21.380
日本は奈良が最古だから(現在まで続いている中では)、
なぜか古い都市が全然ない
0172世界@名無史さん垢版2014/12/31(水) 01:30:50.550
こういってはなんだが、出雲国造のような明々白々な古代都市は、
ちゃんと数えれば数多あるのだが、
親分の大和が初期に消息不明なため、
その他地域は全て遠慮して前に出れない状態。
二千年レベルは探せばあるだろう。
0173世界@名無史さん垢版2014/12/31(水) 10:16:28.190
日本は木造建築が多いから古い家が残らない
古い都市がないのは当然
でも無かったということではない
0174世界@名無史さん垢版2014/12/31(水) 12:36:54.080
初歩的な誤解をしていた 第四次十字軍は決してギリシャ人=正教徒 ラテン人=カトリックだから異端の首都を攻撃した訳ではなく
皇位継承争いで東ローマの皇子によって招かれた オスマン帝国が東ローマを滅ぼす時にはベネチア傭兵が守備についていた 
ギリシャ人が弱兵の為、西欧人はしばしば傭兵になっていた
カトリックと正教徒の関係自体は、別に対イスラム、ユダヤ、プロテスタントほど悪くなかったのどころか
皇子は東西両教会統一の提案までやっているし、なりゆきいかんで再統一できる雰囲気があるのが同じ一神教でも回猶新と違うな
0175世界@名無史さん垢版2014/12/31(水) 23:05:44.160
フランク族の要求した軍資金を出し渋ったら帝都を占領された。
西の辺境の熊男たちの攘夷思想が疎ましかっただけだ。
0176世界@名無史さん垢版2014/12/31(水) 23:32:28.400
フィレンツェ公会で合同が可決されたけど、使節団が帰った後、本国で神品と民衆の大反対で合同なかったことにされたし、合同が成功する可能性は低かったな
0177世界@名無史さん垢版2015/01/17(土) 09:29:26.300
でで
0178世界@名無史さん垢版2015/01/17(土) 13:48:31.560
>>173
いや、探しても現在まで続いている都市はなかった
0179世界@名無史さん垢版2015/01/17(土) 13:54:38.22ID:ciW7MlyP0
ラテン帝国建国で滅んだのに、二ケア帝国が勝手にローマ帝国僭称したんだよなぁ
二ケア帝国をローマ帝国と認める程度は神聖ローマ帝国をローマ帝国と認める程度と同じに過ぎない
0181世界@名無史さん垢版2015/01/17(土) 17:40:44.990
世界最古の都市とかあるあたりは乾燥地帯で都市以外に人が住めないような場所なんだよなあ
だから井戸を掘って灌漑して日差しを防ぐ建物を建てて都市をわざわざ作らなくても豊富に食料が調達できたし日射病で死にもしなかった縄文時代の日本ではどう考えても分が悪い
0182世界@名無史さん垢版2015/01/17(土) 20:00:30.36O
>>180
都市なの?
0183世界@名無史さん垢版2015/01/17(土) 20:12:32.250
大都市だぞ
0184世界@名無史さん垢版2015/01/17(土) 22:40:09.890
水はけのいいとこじゃないと住みにくいからな
0185世界@名無史さん垢版2015/01/21(水) 01:30:33.750
このご時世だけどトルコ行くことになった
イスタンブールの有名所は抑えておくとして、これはという所ある?
0186世界@名無史さん垢版2015/01/21(水) 12:47:42.180
夏ならトラブゾンはじめ黒海沿岸をお勧めするが・・・
寒い時期ならエーゲ海側も空いてるだろうから、エフェソスとか廻ればいいんじゃね
0187世界@名無史さん垢版2015/01/21(水) 17:06:11.290
トラブゾン(スメラ僧院、アヤソフィア、博物館)
カイセリ(城壁、博物館)
カッパドキア(キリスト教遺跡)
コンヤ(ビザンツ時代の遺構あったっけ?)
イズニク(アヤソフィア、城壁)

こんなところか
トラブゾンは寒さは内陸部よりもマシみたいだけど、天候が悪いらしいね
0189世界@名無史さん垢版2015/01/22(木) 15:21:23.400
ありゃ、トラブゾンといってもトラブゾン県の山奥にある処分場の話
観光客が港湾都市トラブゾンの市街地を回ってるかぎりは関係なし
0191世界@名無史さん垢版2015/06/06(土) 11:28:26.270
テオドルス=ラスカリス
0192世界@名無史さん垢版2015/06/21(日) 23:55:47.350
最後のパレオゴロス朝は悲惨な
衰退振りで記録を見たくないな
0193世界@名無史さん垢版2015/06/22(月) 11:02:57.38O
イスタンブールにもハンマームがあるようだけれど、ビザンツ時代から続く施設は無いのかね?
0194世界@名無史さん垢版2015/06/22(月) 21:01:03.390
ビザンツ皇女の降嫁についての質問です

ビザンツ研究者根津由喜夫氏の「二人のピザンツ皇女の運命. 「ジラール・ド・ルシヨン」を読み解く」
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/3854/1/AA11131902-27-nezu.pdf
のp3に、

「西方で復活したローマ皇帝権の継承者とピザンツ宮廷との間で成立した婚姻関係は3例のみ、
しかもビザンツ皇帝の実子が対象となったのはその中の2例にすぎないのである」

と記載があります。この2例の皇女と夫の名前を知っているかた、教えてください。

また、1204年以前のビザンツ帝国において、皇帝の実子である、
いわゆる「緋産室生まれ」の皇女の降嫁は、キエフ大公のウラジーミルに嫁いだ
アンナ以外の皇女(上記2例を含む。オットー二世に嫁いだテオファノは姪との説が
あるので除外)には誰がいたのか、ご存知の方がおられましたら、教えてください。
0195世界@名無史さん垢版2015/06/24(水) 08:07:41.470
ビザンツ皇女なんて野蛮なモンゴル人にまで嫁ぐくらいだからな
娼婦と何が違うのか、教えていただきたい
0196世界@名無史さん垢版2015/07/02(木) 19:38:46.340
チプラスを見てたらこいつらを思い出したんだが
政治家の兄弟とかおらんのかな?

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)
0198世界@名無史さん垢版2015/07/03(金) 04:29:22.75O
>>196
舌先三寸でバルバロイを手玉に取ってるんだろ。
0199世界@名無史さん垢版2015/07/05(日) 12:36:40.180
アマゾンの「旅に出よう、Kindleと」という広告の背景がアヤソフィアだったけど
あそこでギボンの「ローマ帝国衰亡史」でも読めというのか?
0201世界@名無史さん垢版2015/07/06(月) 12:11:18.350
>>196
チプラスは国民の意向をバックに外債を踏み倒そうとしてるのだから
寧ろブラザースの兄の息子の失敗の逆をやってるように見える
どちらにしても詰みではあるが
0204世界@名無史さん垢版2015/07/09(木) 13:02:48.340
196です
よう見つけてくれた!ありがとう!!!


俺ら極悪非道のチプラスブラザーズ!
今日も金がないからEUにタカってやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)
0206世界@名無史さん垢版2015/07/21(火) 19:44:05.830
ギリシャが国有の港を民営化
東ローマ帝国にとって港は手放す物らしい
0207世界@名無史さん垢版2015/09/03(木) 20:22:50.340
保守
あげ
0208世界@名無史さん垢版2015/09/10(木) 13:18:40.900
今回のギリシャ債務危機ではドイツとの関係ばかり問題視されて、終戦直後みたいな
米英の動きがないのは何故なんだろう ギリシャ・キプロスが経済危機に陥れば
ロシアが間違いなく地中海に出てくる だからそろそろ米英仏が顔を出してきてもいいはずだが
欧米西側にとって冷戦期に比べ著しくギリシャの戦略的価値が下がったのかも知れない
ユーゴ内戦も終結した事だし 冷戦期にギリシャが港売りに出したら米英は気が気じゃないはずよ
未だってロシアの金持ちが買うかも知れんでしょ
0209世界@名無史さん垢版2015/09/10(木) 14:09:06.490
ギリシャ救済案の一つとして三分割はどうだろう ペロポネソスとエーゲ諸島が中露の勢力圏になるのはあきらめる
隣のトルコとクルディスタンに欧米の草が強力な動きをしているので妥協する
その代わりマケドニアは米英仏イスラエルの勢力圏とし、歴史的には古代マケドニアとあまり関係ないけど
古代マケドニアとの連続性をつけたがるスラブ系のマケドニアとくっつける 
首都はユダヤ人が多いテサロニキとする
最後の西トラキアはブルガリアかトルコに引き取ってもらう・・両方とも嫌がるか・・
0210世界@名無史さん垢版2015/09/12(土) 22:28:02.100
ユダヤ人の王国はローマによって完全に滅ぼされた その後ユダヤ人は自前の国家をあえて持たない戦略を長く続けた
これが勝利の秘訣だったのだ イスラエルなんかユダヤ人の為にはならないよ
東ローマ帝国はギリシャ語圏の帝国で変に長続きしたせいでギリシャ人は変革できなかった
っていうか国が滅んだ事を理解して180度思考回路を変えた民族はユダヤしかいない
後の民族は帰属国家がどれだけ落ち目になっても、それにしがみつく事しか考えない
既存の王朝は新手にとって代わられていずれ衰退する 力をなくした皇帝より無冠の帝王になる事を目指すべき
0211世界@名無史さん垢版2015/11/05(木) 20:12:12.930
マスゴミか>無冠の帝王
0212世界@名無史さん垢版2015/11/23(月) 22:30:56.450
ビザンツ帝国の宦官について書かれた英書で
最も参考になる作品は、何という書物でしょうか?

何冊か教えて下さい。

よろしく
0214sage垢版2015/11/25(水) 20:14:11.800
>>212
uploadに失敗し失礼しました。
Wikipediaの英語版で「宦官」を検索し、内容を読み、最後のNotes上の
山ほどある引用文献を調べれば良いのでは?あえて英書で推奨本と書いて
あるので探すのは問題はないと思いますが・・・。
0216世界@名無史さん垢版2015/12/05(土) 11:59:10.840
リビアはカダフィ政権崩壊後、東部トブルク政府(世俗派・カダフィ派)と
西部トリポリ政府(イスラム派・反カダフィ派)の二大勢力を中心に国が分裂しているが、
この東部と西部の境界が東西ローマ帝国の国境線だったんだよな
今のイラン・イラク国境は大体ローマ帝国とパルティア、東ローマ帝国とササーン朝、
オスマン帝国とサファービー朝の国境付近だわな 中東史には時々時空を超えるものを感じる
0217世界@名無史さん垢版2015/12/05(土) 13:48:02.630
セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの境界も東西ローマ帝国の国境線
0218ゲッツチプラス13兆円垢版2015/12/08(火) 02:19:27.230
>>201
>>208
経済わからんアホはギリシャ問題はわからんよ。
ギリシャ経済救済の最右翼はフランスだったろ。
当初からフランスが根回ししてドイツとプロレス演じてた
だけだ。じゃなけりゃ25兆円程度しかGDPが無い国が13
兆円もの支援なんか得られるわけない。
ラテン諸国は緊縮財政に反対してたからな。

それよりトルコだ。今のトルコはビザンチン時代の遺産たる
戦略的要衝としての国家の地位に執着しているからクルド人の
台頭を警戒する。
トルコの国力の低下は正教徒にとっては悲願だろうけどなw
0219世界@名無史さん垢版2015/12/08(火) 02:22:14.290
>>109>>65
コンスタンチノープルはその皇帝の権威にキリスト教会の
権威が支えられていた。相互補完的とも言えるけどな。
人口とかどうでもいいんだよ。ローマ教会の権威は政治力で
決定されていたから当然皇帝が居るコンスタンチノープルの
権威が都市としても教会としてもキリスト教世界で最高位。
だからイスラム社会でも後のカトリック世界でもコンスタンチノープルを
支配する価値があった。政治とは政治的な権威で動くものだ。
そして宗教はそれに利用されることが多い。
コンスタンチノープルが征服されてからは正教ではモスクワのクレムリンだな。
>>97
イスラム社会やロシアを通じて現代にも影響を及ぼしている点。
特に法典と宗教と政治地理的特異性。歴史で面白いのその連続性だ。
馬鹿にはなかなかここがわからないけどなww

>>90
ラテン語話していた時代からローマ人はギリシャかぶれだったんだよ。
古代ギリシャ風の象等で残存しているものの殆どは古代ローマ時代の
リメイクだよ。
>>87
イスラム社会でもローマ帝国と呼ばれているしコーランにもそう
出ている。
0220ゲッツチプラス13兆円垢版2015/12/08(火) 02:27:56.430
>>44
関係ないよw帝国というからには皇帝の権威で決まる。
ローマ皇帝の権威に基づいて成立している帝国なんだから
ビザンチンでも東ローマでもなくローマ帝国としか
言いようが無い。当時は自他共にローマ皇帝と称されていた
わけで誰も東ローマ皇帝だのビザンチン皇帝なんて言っていない。

むしろ古代の方がローマは市民の国で古代以降の方が帝国だろww
共和制ローマの方が時代も長いだろ。
オクタビアヌスがプリンスみたいなふざけたこと抜かしていたのはまだ
ローマの下民に媚びないとならない時代だからだよ。
帝政が定着して以来はそういう傾向は減っていく。形式化形骸化して
行くんだよ。元老院なんてものも単なる皇帝の諮問機関程度になっていくだろ。
むしろ古代の帝政こそ揺り篭期の発展途上の帝政だよ。それが完成するのが2-4世紀だろうな。

だから正しくビザンチンと称されている時代こそ帝政ローマ。
つまりローマ帝国とは古代以上にビザンチンそのままだよ。
エンペラーなんて当初は単なる命令権で個人的な称号だ。
これが明確な政治的な権威と役職にまで発展するのは3世紀前後だろ。

つまり共和制のローマはその限界から前王政の権原により帝政に
発展させたんだよ。その際により求心的な政権を確保するために
キリスト教を利用した。それが完成したのがビザンチン時代の初期だな。
つまり帝権は法典と信仰により完成するんだよ。
古代ローマ法典が共和政時代の判例法や慣習法に近いものが
帝政時代に皇帝の命令と共に法典化されたと言うのはここでは常識でいいな。
それが完成した時代こそ帝政と帝権の時代だ。その恩恵は現在の我々も受けている。

本やサイトを鵜呑みにしないで少しは自分の頭で考えろ。
シーザーからコンスタンチンまでの連続性が見えないアホには
帝権の発展と完成は永遠に見えて来ないよ。
共和制好きなんて如何にも馬鹿面下げた現代的価値観による曲解だなw
0222世界@名無史さん垢版2016/03/30(水) 21:09:38.170
保守
0223世界@名無史さん垢版2016/04/08(金) 08:18:25.46O
みんな分かってる前提で議論してるのに、一人大上段から大威張りで説教してるのが面白い
0224世界@名無史さん垢版2016/05/21(土) 23:22:11.880
古代ローマ帝国の正統な継承国としては、15世紀中期まで東ローマ帝国(中世ローマ帝国)が存続していた。
当然のことながら、東ローマ帝国側は神聖ローマ帝国が「ローマ帝国」であることを認めず、
その君主がローマ皇帝であることも承認しなかった(二帝問題)。
一方、神聖ローマ帝国側でも、東ローマ皇帝のことをローマ帝国であると認めず、
「コンスタンティノープルの皇帝」「ギリシア人の王」などと呼ぶようになっていた。
0225世界@名無史さん垢版2016/05/22(日) 14:45:20.360
>>224
「継承国」でもなんでもなくローマそのもの
コンスタンティノポリスのローマをローマと認めると
西欧文明はローマの正統後継者ではなく傍流になってしまうから
西欧人が「あんなのローマじゃない」とダダこねてるだけ
0227世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 11:54:57.460
支配層がギリシャ人で国教がキリスト教の国をローマと言っていいのか問題
0228世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 12:13:28.550
>>227
別の国だと言い張るならいつ革命があったのかはっきりしてもらおうじゃないか
コンスタンティヌスの遷都のときか?
0229世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 12:22:34.590
ディオクレティアヌスの遷都の時かな?
帝国本土がイタリアからオリエントに変わった
以後ロマノス4世までオリエントを重視し続けた
0230世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 12:29:00.900
>>229
遷都=革命 なのか?
0231世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 12:55:21.970
アホな質問だなあと思ってたら、それ以上にヒステリックな反応で笑ってしまった
0232世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 12:57:21.450
革命がなければ同じ国というのは革命的な理論だわ
あるいは「革命」の語義の革命的転換か
0233世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 13:11:56.240
だから別の国だというなら前にあった国が滅びてるはずだろ
0234世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 13:41:42.170
ガッリエヌスがクラウディウス・ゴティクスらに暗殺されてからは
バルカン出身者ばかり皇帝になるようになったけど
父ウァレリアヌスが東方担当でガッリエヌスが西方担当だから
既に東が優位で東ローマが始まりつつあった
ウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟では兄が西皇帝で
西が優位とされた例外だった
0235世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 19:53:09.260
支配層ってギリシャ人だっけ?
アルメニア人とかイサウリア人とか色々な連中の寄せ集めだろ
0236世界@名無史さん垢版2016/05/30(月) 21:47:46.910
クラウディウス・ゴティクスからユスティニアヌス朝はバルカン出身者が
軍の主力で軍出身の皇帝の多くもラテン語話者だった
ギリシャ語話者は文官や聖職者として支配層だった

バルカンがスラブ化してからは東ローマ領内からラテン語話者が消滅
アルメニア人やイサウリア人とかアナトリア出身者が軍の主力になり
文官や聖職者だけでなく皇帝らもギリシャ語話者になった
0237世界@名無史さん垢版2016/05/31(火) 08:04:18.020
7世紀頃には公用語がラテン語からギリシャ語に変わり、政治的社会的に従来のローマとは様々な意味で変遷していたのは事実。
ただし、それでも当の本人たちは滅亡間際まで自分たちが「ローマ帝国」であるという建前を崩さなかった。
そういうところこそがビザンツ帝国史の面白いところだと自分は思うんだがな。
0238世界@名無史さん垢版2016/05/31(火) 09:48:18.510
ラテン語を話していたイリュリア人やトラキア人が滅んでしまった
0239世界@名無史さん垢版2016/05/31(火) 23:13:03.470
ササン朝のシャープール1世にウァレリアヌスが敗れたけど
この戦いの敗北で重装歩兵は主役の座を降りたようだね
息子のガッリエヌスは騎兵を主力とする軍の改革をして
その騎兵を率いる将軍らに帝位を奪われてしまった
以後ローマは騎兵出身者に支配され続ける事になる
ウァレリアヌスとガッリエヌス親子はエトルリア出身で
最後のローマ人らしいローマ皇帝だった
0240世界@名無史さん垢版2016/06/01(水) 03:26:37.210
ガッリエヌスの息子サロニヌスを殺したガリア帝ポストゥムスと
ガッリエヌスを殺したクラウディウス・ゴティクスらは同類だな
0242世界@名無史さん垢版2016/07/17(日) 21:52:40.530
もしコンスタンティノス11世が、オスマントルコの降伏勧告を受け入れたら
現代まで東ローマ皇帝が存続しローマ教皇みたいな存在になってたかも
0245世界@名無史さん垢版2016/07/23(土) 21:29:05.840
まあ20世紀までは、オスマントルコの影響下で細々と生きていても
第一次大戦で独立しても都市国家の皇帝程度で
世界平和を訴えるくらいしかないだろうけど
0246世界@名無史さん垢版2016/07/28(木) 22:49:16.810
現代まで残っていたらビザンツ帝国などと呼ばれなかったかもしれん

ところで西欧でビザンツ、ビザンティンという名称が発生したのはいつ頃なんだろう?
0248世界@名無史さん垢版2016/08/27(土) 22:11:26.200
残ってたらコンスタチノープルでじゃなくて
ギリシャのどこかだな
0249世界@名無史さん垢版2016/09/02(金) 21:17:07.990
東ローマ結構強くね?

ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
サラセン人をギリシャ火で撃破
ブルガリア帝国を滅ぼす
0250世界@名無史さん垢版2016/09/02(金) 21:17:08.040
東ローマ結構強くね?

ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
サラセン人をギリシャ火で撃破
ブルガリア帝国を滅ぼす
0251世界@名無史さん垢版2016/09/06(火) 20:35:49.920
東ローマやイスラムが古代ギリシア・ローマの知識を温存できたのに
ゲルマン諸国にはそれが出来なかったのはやはり文化程度が低かったから
0252世界@名無史さん垢版2016/10/02(日) 08:38:59.070
ユスティニアヌスの大出費で帝国財政ガタガタ
以下下り坂
そして第四回十字軍で一旦滅亡
回復後もトルコに圧迫されトドメ
0253世界@名無史さん垢版2016/10/02(日) 10:09:45.010
ラテン帝国の建国の時点でローマ帝国滅亡だと思うんだが
ニケーヤ帝国が取り返したけどここからは自称ローマ帝国でしょ
0254世界@名無史さん垢版2016/10/03(月) 08:59:50.280
首都を奪われたら別の国扱いなんてやり出したら世界史がメチャクチャになるな
0256世界@名無史さん垢版2016/10/05(水) 10:46:26.270
日本にも外国軍に占領されて主権が停止されてた時期があるけど、その前後で別の国だというのだろうか
0257世界@名無史さん垢版2016/10/06(木) 00:02:23.170
財宝と貿易による経済力を根こそぎ無くしたからなあ
ローマ帝国としては1204年に終わったと解釈することはできる

>>256
別の国だろう
大日本「帝国」ではなくなった
日清戦争前の姿に戻ったってとこか
0258世界@名無史さん垢版2016/10/06(木) 01:25:41.620
ミカエル8世なんてなんの正統性もないのにたまたまコンスタンティノープルを取り戻しただけだからな
王もう倒したのが劉姓でも王族でもなかったって感じ
0259世界@名無史さん垢版2016/10/06(木) 22:55:21.800
それを言ったらローマ帝国の軍人皇帝乱立時代なんか1つの国家と言えない
0261世界@名無史さん垢版2016/10/08(土) 07:41:53.800
王朝が変わってもイギリスはイギリスなんだから
1つの国扱いでいいんじゃないか
0262世界@名無史さん垢版2016/10/08(土) 09:13:29.560
内乱で王朝が変わることと他国に占領されることは全く違う

中国だと宋が金に開封を占領された後も南宋として存続していたが、
盛り返して開封を奪い返したような感じ
まあそうはならなかったのだが
0263世界@名無史さん垢版2016/10/08(土) 10:52:56.150
ラテン帝国の周辺にギリシャ人の国がいくつもできたからな
その中の一つすぎなかったニケーヤ帝国がコンスタンティノープルを奪取しただけ
0264世界@名無史さん垢版2016/10/09(日) 00:43:00.770
プレートアーマーの騎士って弱点なさそうだな
オスマン帝国の兵士たちはあんなのとどうやって戦ったんだろう
0265世界@名無史さん垢版2016/10/09(日) 00:50:54.370
倒したら自分で起き上がれないのが強いとは思えんな
捕らえられても殺されない貴族だから怪我しないこと優先で身を固めてるだけ
0266世界@名無史さん垢版2016/10/10(月) 14:39:42.910
そういや西ローマ帝国崩壊から絶対王政までヨーロッパでは常備軍がないんだよな
(オスマン帝国は除くけど)
戦の時は諸侯の騎士を召集したり、傭兵を雇ったりしていた
0268世界@名無史さん垢版2016/10/10(月) 17:11:40.450
常備軍がないのは経済力が無いってことさ
中世ヨーロッパじゃ麦は植えた量の2倍から5倍くらいの収穫量だったし
奴隷くらいしか売り物がなかった
0271世界@名無史さん垢版2016/10/23(日) 15:25:48.420
しかし無敵のローマ軍団がウホウホいってロクな武器を持たないバルバロイに蹂躙されたってのは不思議だよな
文明レベル圧倒的に上なんだ軍事技術も圧倒的に上なんじゃないの
0272世界@名無史さん垢版2016/10/27(木) 01:40:46.670
>>269
ガリアとかはローマ支配下に文明化して
勇猛な蛮族だったケルト人やイベリア人が
臆病な農民になってしまった
ローマ領内の蛮族が減ったので
ローマ領外のゲルマン人を傭兵にした
0273世界@名無史さん垢版2016/11/03(木) 12:53:10.530
東ローマの歴史は長いが、ユスティニアヌスの征服活動以降ブルガリア帝国撃破くらいしか見せ場がないな。
数々の外敵に攻められまくってるのによく千年も続いたもんだよと感心するわ。
0277世界@名無史さん垢版2016/11/15(火) 22:33:21.520
寛大な降伏勧告はねつけて被害甚大で国家終了って日本みたいだな
0278世界@名無史さん垢版2016/11/16(水) 21:47:01.010
東ローマの美少年はオスマン兵の餌食になったようだ
まさにケツマン帝国
0279世界@名無史さん垢版2016/11/25(金) 22:04:48.530
古代マケドニアと今のマケドニア共和国は完全に別物
羊頭狗肉もいいところだわ

ローマ人とダキア人の混血の末裔であるルーマニア人は認めてもいいけど
0280世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 00:10:20.020
首都スコピエにでかいアレクサンドロス大王像があるけど、今のマケドニア共和国領に滞在したことあんのかな
大征服前の領土においても只の北西部辺境だから、あまり用はないよね
0281世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 13:30:04.480
>>279
そそ、国名が同じなだけ、、
マザーテレサとアレクサンドロスが同じ民族だとは思えない
0283世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 14:32:08.210
「マケドニア」は民族名でも国名でもなく地名だと思えばええ
マケドニアという場所にあるからマケドニア共和国
0284世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 16:33:55.770
そのわりにはヴェルギナの太陽を国旗に採用しようと試みたり、偽装する気マンマンなわけで
王都ペラをはじめマケドニア王国の中心は現ギリシャ領にあったわけだし連続性も間違いなくギリシャのほうが上
いくらギリシャ人にとってマケドニアはサブ・アイデンティティに過ぎないとはいえ、そら怒りますわ
0285世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 16:39:23.700
ローマどころかイタリア半島にすら関わりなくなったビザンツがローマ帝国
名乗ってたのも偽装だな
0286世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 16:50:34.500
モンゴルなんか全く領有してないムガールは
0287世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 16:53:52.830
それは東晋とか南宋みたいなもん。大領土を獲得したうえで元々の根拠地を失ったということ。
長く続きすぎたから、いちおう主流かそれに準ずるものが順に継承していったものの源流からはかけ離れた姿になった。
0289世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 17:32:15.290
中華民国
0290世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 22:02:19.290
>>284
それこそが問題なんじゃないの?もう、建国当時から大問題になってたよね。
ギリシャ(今のギリシャ共和国)からみると、
国名どころか、アレクサンドロスという民族の英雄を剽窃する行為に見える。
そりゃ、今の正教徒のギリシャ人が、古代ギリシャ人の直系とは言い難いかもしれないが、
少なくとも言語は承継している。
でも今の「マケドニア共和国民」は、言語すらただのスラブ人であって、
アレクサンドロスとはいくらなんでも完全無関係だろ、という話。

マケドニアは、独立当初は「そんなこといったって、他に名称がないんだもん」
と言っていたように思うが、いつのまにか
アレクサンドロス大王を勝手に民族の英雄として持ち上げるようになった。
ギリシャの懸念は的中したわけだ。
+あたりだと、ギリシャを玄界灘の向こうの某国に例える論調が多いが、
それをいうならマケドニアだよなw
0292世界@名無史さん垢版2016/11/26(土) 23:02:58.810
マケドニア共和国はたしかに民族的にみて西ブルガリアにすぎないが、実は笑い話以上のものを含んでいる。
かつての王都ペラの周辺一帯(現テッサロニキの近場)ですら必ずしも近代ギリシャ国家のものになると限ったわけではなかったからね。
港町テッサロニキを除いては、長い歴史の中でスラブ系が定住してしまっていてオスマン衰亡後どこに帰属するかは微妙な情勢だった。
二度のバルカン戦争を経てブルガリアがマケドニア地域の大半から手を引き、セルビアが現マケドニア共和国領を、ギリシャが残りを得た。
ただ大ブルガリア主義はずっとくすぶり続け、内部マケドニア革命組織などに見られるように歴史の節目で姿を現してくる。
ギリシャが真に警戒するのはマケドニア共和国が大ブルガリア主義に走ることで、ギリシャ領への野心がないことを憲法に明記させるなどしている。
0293世界@名無史さん垢版2016/11/27(日) 10:13:41.360
>>285
ロシアみたいに正統が断絶したあと勝手に自称ならともかく、ビザンツは正式に継承・移転してるんだから全然別物
0294世界@名無史さん垢版2016/11/29(火) 20:24:53.620
>>292
でもさ、テッサロニキ周辺どころか、
エブロス河谷(フィリッポポリス周辺の盆地)がスラブ化したのって、何時なんだろうねえ。
ブルガリア公定史観は、第一次帝国の6世紀からずっとスラブ人が住んでると主張するけど、
これは眉唾だよな。正直、第二次帝国初期の頃でもまだ怪しいと思う。
第二次帝国が南方を征服していく際、ギリシャ人を追い出していったんじゃなかろうか。
0295世界@名無史さん垢版2016/11/30(水) 00:03:53.780
>>294
つまりこの状態で、いつまで耐えたかってこと?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Balkans650.jpg/800px-Balkans650.jpg
言われるまで沿岸部ばかりに気をとられてたけど、フィリッポポリスみたいな内陸部でも粘ってたんだな
スラブ定着の件は、ニケフォロス1世のスクラヴィニア再征服が途中で入ってくるのもあって判定が難しいね
0296世界@名無史さん垢版2016/12/03(土) 14:44:10.920
東ローマ結構強くね?

ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
イスラム海軍をギリシャ火で丸焼き
キエフ大公国の侵攻を重装騎兵と艦隊で撃退
ブルガリア帝国を滅ぼす
0297世界@名無史さん垢版2016/12/03(土) 17:47:25.530
コンスタンティヌス1世に始まりコンスタンティノス11世で終わった
0301世界@名無史さん垢版2016/12/10(土) 20:58:06.890
東ローマ帝国はカールの戴冠も神聖ローマ帝国も認めていないんだよな
一応本家なんだし当然だが
0302世界@名無史さん垢版2016/12/10(土) 21:16:47.040
オドアケルがゼノンに帝位を返上してるからゼノン以後は東西分裂状態は解消されてる
つまりそれ以後の西ローマと称するものはカールもハプスブルクも自称ローマ皇帝でしかない
0306世界@名無史さん垢版2016/12/22(木) 20:29:14.440
西欧 ゲルマン人の侵入で土人化
北欧 ノルマン人の根拠地で元から土人
中欧 アヴァールやマジャールなどの騎馬民族が割拠
南欧 サラセン海賊が略奪・人攫いしまくり

うーん、ビザンツ帝国以外は悲惨過ぎる…
0308世界@名無史さん垢版2016/12/25(日) 15:30:39.360
初心者ですみません
よく言われるローマ帝国の東西分裂と言ってもそれまでによくあった分割統治なわけで、ただそれ以降統一されることがなかっただけの話って聞いたんだけど本当なの?
0309世界@名無史さん垢版2016/12/25(日) 19:45:26.390
>>308
そうですよ。
皇帝の息子たちで分割統治なんてほかの皇帝もやってた。
例えばコンスタンティヌス帝は三人の子供にそれぞれ領地を与えてた。
副帝のユリアヌスにひっくり返されたけど。
0310世界@名無史さん垢版2016/12/25(日) 23:50:45.770
>>308
再統一も何も、帝国本店がイスタンブールに移り、
支店だったローマが窓際になり、リストラで部署廃止みたいな流れ。
0312世界@名無史さん垢版2016/12/26(月) 05:13:50.520
>>311
カールの帝国も神聖ローマ帝国も自称
血統は必要条件ではないからまあいいとしても
元老院が存在しないのにローマ皇帝もあったもんじゃない
0313世界@名無史さん垢版2016/12/26(月) 10:21:13.760
>>308
軍人皇帝時代のウァレリアヌスから東が中心になりだした
父ウァレリアヌスがオリエント担当で息子ガッリエヌスがドナウ担当
孫サロニヌスがライン担当で帝国三分割統治だった
ウァレリアヌスがペルシャの捕虜になるとサロニヌスはガリア人に殺され
ガッリエヌスもイリュリア人に殺された
この一家はエトルリア出身で最後のローマ人らしいローマ皇帝であった
0314世界@名無史さん垢版2016/12/26(月) 10:30:17.210
>>309
コンスタンティヌス1世はクリスプスの死後ディオクレティアヌスのように
配下の将軍らに帝国を分配しようとせず残された3人の息子だけを後継者にした
同じ母から産まれた兄弟ならば共存し続けるだろうと期待したのだろうけど
息子達は殺し合い結局コンスタンティヌス朝は断絶してしまった
コンスタンティヌス1世以降は再統一しては再分割を繰り返す事になったけど
一人で帝国全土を統治し続ける事はウァレリアヌス帝以来不可能になっており
再統一の為の戦闘で兵を失う事を繰り返して軍が消耗しただけだった
0315世界@名無史さん垢版2016/12/26(月) 10:38:03.100
東もかなり早い段階で元老院や民衆の歓呼なんかお飾りなんで別に必須とも
結局ローマの正当性って前任者から称号と首都を含む領土を引き継いだってことにつきるから、本来何の権限も無い教皇の任命して以降の西の皇帝より、
何かやたら正当性を攻撃してる奴がいる首都奪還後の東の方が空位期間があっただけで先例は実力主義なんだからよっぽど正当なローマ
0316世界@名無史さん垢版2016/12/26(月) 10:45:28.880
>>310
そもそもローマ帝国は東西に分裂していなかった
西の皇帝は多くが東の皇帝の臣下にすぎなかったよね
例外的なのは自ら即位したマクセンティウスとコンスタンティヌス1世らで
東に対して西が敵対しておりコンスタンティヌス1世が東を滅ぼして再統一した
次にウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟皇帝では
兄が西の皇帝なので東の皇帝が西の皇帝の臣下だった
最後に西の将軍アルボガステスが東のテオドシウス1世に反抗したけど
敗北したので西は東から自立出来なかった
もしアルボガステスが勝利したのならばローマ帝国は本当に東西分裂したはず
0317世界@名無史さん垢版2016/12/26(月) 12:36:47.490
いくら息子同士が仲良くても担いでる連中の派閥が違えば対立せざる得ないだろう
アルカディウスとホノリウスも担いでる連中がバルカン北部を巡って争った
フランク族出身のアルボガステスの敗死後にテオドシウス1世に後任に任ぜられた
ヴァンダル族出身のスティリコは西の現地人をあてに出来ないので古巣の兵で
西ローマの戦力を強化しようと東ローマからバルカン北部を奪おうとした
0318世界@名無史さん垢版2016/12/28(水) 15:18:35.750
みんなありがとう
詳しいね
勉強になります
0319世界@名無史さん垢版2016/12/28(水) 15:19:26.100
>>315
お飾りでもやることに意味があったのでは
0320世界@名無史さん垢版2016/12/28(水) 18:34:11.170
どうやら『西洋古典学事典』(京都大学出版)を見ながら
書き込んだようだね。
0322世界@名無史さん垢版2017/01/03(火) 14:08:24.660
よく暗黒の中世と言われるけど
あれはあくまで西ヨーロッパにおいてであって
ビザンツ帝国ではギリシャ・ローマ時代のクオリティで
学問・建築・美術が維持されていたのだろうか
0323世界@名無史さん垢版2017/02/11(土) 01:12:31.690
少なくとも美術の分野は衰退したな
イコノクラスム前後でイコンの質落ちすぎ
0324世界@名無史さん垢版2017/02/11(土) 02:16:44.440
>>322
西と違って壊滅はしてないが
東だって全盛期と比べて色々と劣化してる
0325世界@名無史さん垢版2017/02/11(土) 15:02:31.050
ヘラクレイオスのあとからニケフォロス1世が始まる迄くらいだな、暗黒時代
ユスティニアヌス1世に起因する混沌という見方にまで拡張することもできる
0326世界@名無史さん垢版2017/02/11(土) 23:14:17.000
そしてロマノス一世くらいの時から技術の面でも西欧に抜かれていった
0327世界@名無史さん垢版2017/02/12(日) 04:03:04.840
暗黒時代といえば東にも歴史がほとんど記録されてない暗黒時代があるんだな
ユスティニアヌスの大帝国が瓦解してイスラムが勃興してエジプト、シリアあたりを奪われて
コンスタンティノポリスまで圧迫されるようになって
そのあと二百年ほどローマの内情がどうなってるか史料が無くて全く不明
0329世界@名無史さん垢版2017/02/12(日) 12:18:06.600
>>304
ただの僭称だから
ローマ皇帝がモスクワに行ったわけでの譲ったわけでもない
0331世界@名無史さん垢版2017/02/12(日) 12:36:53.140
>>304
君府陥落後、ビザンツラストエンペラーの姪っ子ソフィヤはロシアへ落ち、イワン3世と再婚した
これなら正統後継国家名乗る資格を有するんじゃまいか!?
0334世界@名無史さん垢版2017/02/13(月) 09:59:38.910
栃木土人の足利尊氏や群馬土人の新田義貞でも栄光の源氏の正統後継者名乗ったようなもんだな
0335世界@名無史さん垢版2017/02/13(月) 12:12:50.860
ロマノフ王朝ならまだしも、ソビエトや、今のロシアは東ローマと関係ないだろ、王族いないし
0336世界@名無史さん垢版2017/02/13(月) 12:36:57.830
ソ連で断絶しちゃったからな プーチン王朝開始するとかせんとw
0338世界@名無史さん垢版2017/02/13(月) 16:37:52.470
>>335
ロマノフ家ですら足利や新田と比べるのもアレなくらい無理矢理な繋がりだからな
ロシア人は自分達で皇帝を虐殺したんだから未練がましく双頭の鷲なんて使わなきゃいいのに
国歌はソ連の替え歌で国章は双頭の鷲だなんて不思議な話だ
0339世界@名無史さん垢版2017/02/13(月) 17:21:50.330
八幡太郎義家の男系子孫なんだから、河内源氏であることに疑いの余地はない
宗家が消滅した後、残るうちで一番の有力御家人という立場を有していた足利が後継者として名乗りをあげたのはおかしくない
問題は河内源氏自体の価値が尊氏の時点でだいぶ低減していたことで、あそこで盛り返せてなかったら後世は源氏もくそもない
0340世界@名無史さん垢版2017/02/14(火) 05:51:53.050
信長だって平信長、家康だって源家康と名乗ろうと思えばできたかも
武田信玄は確実に源晴信と名乗ることは可能
なんたって頼朝を援けた強豪甲斐源氏・武田信義直系だからね
0342世界@名無史さん垢版2017/02/14(火) 11:54:29.840
でも、欧州最大のメガロポリス・モスクワの偉容といい、あの広大な"版図"といい
東ローマの後継候補ってロシアでいい、ロシア以外見当たらない気も駿河
0343世界@名無史さん垢版2017/02/14(火) 14:51:32.790
東ローマの後継国家なんて無いよ
ロシアはどちらかといとモンゴル帝国の後継国家だろ
0345世界@名無史さん垢版2017/02/15(水) 05:43:51.630
ロシア・・・東ローマの正統後継国家かつ欽察(金帳)汗国の正統後継国家
0346世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 01:00:26.520
どっちかっていえばロシア帝国だろう、だって完全に「東ローマ(トルコとの運命感がっつり)の双頭の鷲国章」って揃えてる。
しかもたしか妃かなんか亡命しなかったっけ、伊スタンブルに替わる時にさ、キリル文字(グレ後る文字発祥地ギリシャ地域)もその時に正教会と一緒に兄弟かなんかが伝統を継承したのではないか。
0348世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 01:20:25.190
だからコンスタンティノス11世の姪だってばよ
その程度なら、オスマンは第2代の時点でヨハネス6世の娘を娶っとるわ
0349世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 01:23:39.900
うんこブリブリ
0350世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 09:53:55.720
・オスマン朝の後代の王はヨハネス6世の娘の血は引いていない
・リューリク朝の後代の王はコンスタンティノス11世の姪の血は引いている

でもコンスタンティノス11世の姪はローマで育って多分カトリックに改宗したとある
また、イタリアから先進文化を持ち込んだ(とwikipediaに書いてある)
0351世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 09:58:11.680
後世の東ローマを象徴する言葉として「パンとサーカスの化石」というのがある。
「サーカス」の方は最初民衆の娯楽だった戦車レースを儀式として再現したことらしいが、
パンを配ることも儀式として行っていたんだろうか?
0353世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 11:22:07.520
>>345
欽察汗国
金帳汗国
キプチャク・ハン(カン・汗)国
ジュチ(ジョチ)・ウルス
ゴールデン・ホールド
アルタン・オルド
ゾロタヤ・アルダ

どれが一番妥当なんだよ?w
試験に出たらどれ書いても正解なのかな?
0355世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 16:50:39.090
そもそも東ローマの皇女ってどれくらい周辺国に嫁いでるの?
ミカエル8世あたりは姉妹や娘を使って方々と政略結婚させたはずだけど、全体像がよく分からん
0356世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 20:30:02.180
ミカエル8世は血迷ってバリバリ蒙古のイルハン朝にまで娘嫁がせてるからな

東ローマの皇女の価値なんて、所詮その程度
0357世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 21:08:48.240
ミカエル8世なんて運良くコンスタンティノープルを奪取できただけだからなぁ
血統的にはその辺の人代わらんし
0358世界@名無史さん垢版2017/02/18(土) 22:21:17.700
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
その男は弟のほうの孫娘から生まれた高貴な血筋だからな
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)
0359世界@名無史さん垢版2017/02/24(金) 18:47:38.810
ウィキペのヘラクレイオスの記事にササン朝に勝利したあと
「ソグディアナを支配下に収めて」と書いてあるけど、これは本当なんでしょうか?

ビザンツ帝国が一時的にでもソグディアナを支配下に収めていたのなら、そういう地図があっても
よさそうですが、あるのでしょうか?
0360世界@名無史さん垢版2017/02/24(金) 20:22:04.730
どっかの地名と書き間違えてんじゃね?
その時期はソグディアナの大部分を西突厥が支配下においてるから、仮に意図した記述だとすればそのへん絡み。
ただ東ローマと西突厥は同盟してササン朝を攻撃したんであって、西突厥が東ローマの支配下にあったとは言い難い。
0361世界@名無史さん垢版2017/02/24(金) 22:39:24.670
ノブゴロド対スウェーデンも、
セルビア対クロアチアも東西ローマ分裂が原因
0362世界@名無史さん垢版2017/02/24(金) 22:53:48.310
初心者なんですが
神聖ローマ帝国がなんちゃってローマ帝国で
ビザンツ帝国が本家ローマ帝国ということですが

似非ローマのゲルマン蛮族にとってキリスト教が唯一のローマ的な存在なので
あんなにキリスト教の権威が強いんですか?

またローマカトリックの聖職者はゲルマン社会の中に入っててもローマ人が多かったのですか?
ラテン語でミサをやってたのも聖書を現地語に訳すのを禁じてたのもローマ人の「知の独占」で
「下賤な蛮族信者は高貴なローマ人の言うことを聞いとけばいいんだ。聖書を直接知る必要はない」という意図・意識だったからですか?
0363世界@名無史さん垢版2017/02/24(金) 23:41:45.970
北ではスウェーデンとノブゴロドが対立していたが
南でも東西協会が対立してたら面白かったのに
リビアを東西に分けるとか
0364世界@名無史さん垢版2017/02/25(土) 22:16:47.890
>>327
まさかと思うが東ローマも一時断絶とかしてないだろうな
0365世界@名無史さん垢版2017/02/25(土) 22:44:36.300
>>364
歴史空白時代も皇帝の名前程度は分かってるからそれは無いと思うが
0368世界@名無史さん垢版2017/03/02(木) 20:10:33.840
ローマ帝国の繁栄の曲線はトラヤヌス・ハドリアヌス期がピークで
それ以降はゆっくり下降して衰退開始
それでも二世紀中はまだまだ「最盛期」の範疇だったけど
三世紀から本格的にごまかしが利かなくなっていく
0369世界@名無史さん垢版2017/03/02(木) 20:21:33.270
チート無双状態が200年も続いただけでも上出来だわ
アウグストゥスが即位してから東西分裂までの400年間もあれだけ広大な領土を維持できただけでもすごい

東ローマ帝国もユスティニアヌスの死後はどんどん領土を削り取られていくけど
バシレイオスによる中興もあったし、一度滅亡してもまた復活したりで、なんだかんだで1000年も続いたのはすごい
0370世界@名無史さん垢版2017/03/02(木) 20:22:48.090
トルコ・スペイン・ポルトガル

フランス・イギリス

イギリス・ロシア・ドイツ

アメリカ・ソ連・ドイツ・日本

アメリカ・ソ連

アメリカ

アメリカの覇権が続くのか、それとも・・・
0371世界@名無史さん垢版2017/03/02(木) 20:49:07.940
ビザンツが滅んですぐ北東でロシアが勃興したんだよね
ロシアに継承されたと思いたい
0373世界@名無史さん垢版2017/03/02(木) 23:58:39.970
>>370
トルコ・スペイン・ポルトガル

フランス・イギリス

イギリス・ロシア・ドイツ

アメリカ・ソ連・ドイツ・日本

アメリカ・ソ連

アメリカ

イスラム共同体
0374世界@名無史さん垢版2017/03/04(土) 12:30:16.010
>>371
ルーシもモスクワ大公国も東ローマ滅亡の前からあるのでは
0375世界@名無史さん垢版2017/03/04(土) 23:16:30.920
古本店でUbooks「ビザンツ皇妃列伝」てのを見つけて買ってきた。
8人にほとんどなじみが無いのと行動内容がネガティブなのとで
最後まで読む気が失せかけ・・・
0376世界@名無史さん垢版2017/03/06(月) 09:30:07.130
コンスタンチノープル陥落前のロシア・・・田舎のスラヴ土人国
陥落後姪っ子落ち延び後のロシア・・・東ローマの正統?後継国
0378世界@名無史さん垢版2017/03/06(月) 16:13:31.980
>>356
そうかな?東ローマにおいて東方遊牧王国って愛憎の感情は抜きにして外交上わりと尊重されてたと思う
キエフ・ルーシが調子こいたとき、お前らはハザールのカガンやイスラムのカリフじゃないって諭した話があった
バルカンのスラブ系王朝や西欧のフランク勢と比べても、伝統的に悪くない位置づけがなされてきた感じだよ
モンゴルはそれら地域の覇者になってるわけだから、嫁がせるのにさほど抵抗がない相手だったんじゃないかな
逆にモンゴルから見れば、周辺弱小勢力にすぎないけど伝統国らしいから縁戚結んでやるかといった程度だろうね
0379世界@名無史さん垢版2017/03/06(月) 20:36:17.620
ローマとカルタゴ
ビザンツとササン朝
武田信玄と上杉謙信
宮本武蔵と佐々木小次郎
早稲田と慶應義塾
ヒトラーとスターリン
日本航空と全日空
ドラクエとFF
アムロとシャア
イチローと松井秀喜
小倉唯と水瀬いのり
0380世界@名無史さん垢版2017/03/18(土) 21:36:25.520
ササン朝とバトルアンドバトル
終わりなき戦い
ユスティニアヌスが西ローマの旧領を大征服するが
その後がランゴバルド、アヴァール、イスラムに領土を取られまくって
停滞の時代が続き、しばらくするとようやく安定して
バシレイオスの活躍で再び大国になるが、その後は暗君が続き
トルコ人にアナトリアを奪われる
更に十字軍によって一回滅ぼされる
なんとか復活するが、ふるわずオスマン帝国に滅ぼされる

色々あったけどよく1000年も続いたもんだよ
0382世界@名無史さん垢版2017/03/21(火) 10:46:25.390
sage
0385世界@名無史さん垢版2017/03/26(日) 10:29:52.230
マケドニア朝初代がアルサケス朝の子孫ということになってたんだっけ。
0386世界@名無史さん垢版2017/03/26(日) 14:07:26.550
箔付けのために自分たちで流した噂だろあれ
アルメニア系農民が600年以上も前に滅んだパルティア王族の末裔だとか嘘くささしか感じねぇ
0387世界@名無史さん垢版2017/03/26(日) 23:44:15.670
確かアルメニアのアルサケス家はパルティア滅亡後も存続してたはず
そういえば王朝の起源ならパレオロゴス家はコンスタンティヌス大帝時代にイタリアから新都に入植してきた人の末裔を称していたらしい
こっちは可能性的にどうなんだろ
0388世界@名無史さん垢版2017/03/26(日) 23:55:08.290
そっちは普通にありえるんじゃないの
詐称にしちゃ地味な内容だし、代々コンスタンティノポリスにいましたって話なわけだからその事実がなければ怪しまれそうだし
0389世界@名無史さん垢版2017/03/27(月) 07:27:08.820
イタリアと周囲の島のビザンツ領っていつごろまで存在したんだ?
0390世界@名無史さん垢版2017/03/27(月) 09:47:22.070
>>383
ラストエンペラーの姪ともにロシアに落ち延びたビザンツ貴族は多くなかったの?
0393世界@名無史さん垢版2017/03/27(月) 20:23:44.650
皇帝の姪にどんだけ権威あんだよw
みんなイタリアに逃げたわwwww
0394世界@名無史さん垢版2017/03/28(火) 10:48:01.320
安徳天皇の権威を擁していた平家の落人は壇ノ浦陥落以降、どこに逃げたのか・・
0395世界@名無史さん垢版2017/03/28(火) 21:58:14.000
イスラムの興隆はビザンツ帝国とササン朝の抗争という絶妙なタイミングも大きい
これが全盛期のローマなら返り討ちにされ、ムハンマドが磔刑にされ第二のキリストになっていただろう
0396世界@名無史さん垢版2017/03/31(金) 10:55:19.010
ビザンツ帝国では、ギリシア・ポリスの歴史は「無神論と恥ずべき政体(=民主政)の証明」
であって、叙述に値しないと考えられていたが、中世の西欧で共和政ローマが
どう評価されていたのか気になるな。

やっぱりビザンツと同じようにトロイアから逃れてきたアエネアス、ロムルスとレムスの
建国神話、王制時代の歴代の王の後はカエサル、アウグストゥス以下の帝政に
移って、ローマの共和政時代にはほとんど関心がなかったんだろうか。
0398世界@名無史さん垢版2017/03/31(金) 23:39:00.140
>>387
まさかイタリアへ移住した後に言い出したんじゃあるまいな
0400世界@名無史さん垢版2017/04/10(月) 19:41:17.120
西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパはカトリックの力が強くて、
全てbノおいて宗教が覧D先され、科学bヘ神の教えを冒涛タしていると
糾弾されて破壊され顧みられなくなり、
折角ギリシア・ローマと繋がった科学と医学は、著しく後退してしまった。
それが再び注目を集めたのが、聖地奪回を目論んで始めた十字軍遠征。、
ここで科学とは縁遠い信仰一辺倒の生活をしていたヨーロッパのド田舎の騎士や従者は
進んだビザンツ・イスラームの文化に目を奪われた。彼等は
ビザンツ・イスラームが保存していた古代ギリシア・ローマの文物に触れて新しいインスピレーションを得ることになる。
それがルネサンスの始まりで文芸復興と訳される由縁。
産み出したのではなくてヨーロッパはビザンツとの接触やイスラームとの戦争により再発見したということ。
0401世界@名無史さん垢版2017/06/03(土) 08:19:54.010
西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり
ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に
ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退

日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ
カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う
0402世界@名無史さん垢版2017/06/03(土) 19:10:10.540
教会「ケルト神話?北欧神話?スラブ神話?邪教は禁止です」

教会「ギリシャ・ローマ神話?まあ、いいんじゃないの」

なぜ容認されてるんだろうね

1月 January ローマ神話で"物事の始まりと終わり"をつかさどる神ヤヌス(Janus)
2月 February 古代イタリアの清めの神Februus
3月 March ローマ神話の軍神マルス(Mars)
4月 April  ギリシア神話の女神アフロディテ(Aphrodite)
5月 May  ローマ神話の豊穣の女神マイアス(Maius)
6月 June  古代ローマの結婚や出産の女神ジュノー(Juno)
7月 July  カエサル(Julius Caesar)
8月 August 初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)
9月 September ラテン語でseptem「7番目の月」の意味(3月を初月として)
10月 October  ラテン語でocto「8番目の月」の意味(3月を初月として)
11月 November   ラテン語でnovem「9番目の月」の意味(3月を初月として)
12月 December  ラテン語でdecem「10番目の月」の意味(3月を初月として)
0403世界@名無史さん垢版2017/06/03(土) 23:11:09.410
>>402
Tuesday、Wednesday、Thursday「俺らは!?」
0404世界@名無史さん垢版2017/06/03(土) 23:12:02.300
すまんFridayが抜けてた
にしてもなんで今日はローマ神が由来なんだ?
0405世界@名無史さん垢版2017/06/03(土) 23:49:51.720
>>379
なんでアテネとスパルタがはいっとらんのじゃ
0406世界@名無史さん垢版2017/06/04(日) 00:02:41.610
テーベはいつからテーバイになったんだよw
俺が学生の頃は、テーバイなんて誰も言ってなかったど
0407世界@名無史さん垢版2017/06/04(日) 00:26:02.880
>>402
キリスト教教会もローマ神道を受け継いでるという考えなんだろうか?
0408世界@名無史さん垢版2017/06/04(日) 00:33:10.470
>>406
テーバイが古典ラテン語読みで
テーベが中世ラテン語読み
0410世界@名無史さん垢版2017/06/08(木) 23:17:47.190
ササン朝ペルシアと東ローマ帝国の長年にわたる抗争で、
シルクロードは通行不能になり、交易路はアラビア半島に迂回された。
このことがイスラム教の成立に大きく影響している。
つまり、アラビア半島のメッカやメディナは貿易の中継都市として大いに繁栄した。
この地にムハンマド(マホメット)が登場し、
神の啓示を受けて唯一神アッラーへの絶対帰依(イスラム)を提唱した。
0411世界@名無史さん垢版2017/06/26(月) 16:58:03.310
>>401
頼れるのがローマ教会しかなかったってことだろ
アッティラのローマ侵略を回避したのもローマ教皇だし
0412世界@名無史さん垢版2017/07/12(水) 11:31:13.060
ゼノンが中央アジア系でテオドシウスはスペイン人なんだっけ?

多民族国家は知ってたが皇帝にまでなれるとは
0414世界@名無史さん垢版2017/07/26(水) 17:23:11.240
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆
0415世界@名無史さん垢版2017/09/14(木) 01:08:40.080
実は東ローマはボロボロになりながらもイスラムの西欧侵入を
食い止める防壁の役割を果たしていた。

東ローマがもっと早く滅んだイフの世界では、
西欧がスペインどころか、フランス、ドイツまでイスラム化してしまう確率がかなり高くなりそう。
そして千年帝国を滅ぼしたオスマン帝国は、その後、20世紀まで続いた

激戦区の中近東で、これもまた驚異
0417世界@名無史さん垢版2017/10/01(日) 23:08:53.250
>>415
首都がアレキサンドリアかアンティオキアだったらもっと早く滅んでいただろうな
自称ローマ帝国だからローマに亡命政府を作る可能性もありだが
正教だからカトリックのローマと対立していると単純に考えてはいけない
ベネチアがコンスタンティノープルを占領したのはあくまで
東ローマ皇帝が約束した金を払わなかったからで宗教的理由ではないから

フランスは自分が頑張ったからイスラムを防いだのであり、東ローマは関係ないのでR
何故かオスマンは北アフリカで最強国のモロッコだけは征服出来なかった
しかし、オスマンが早々とバルカンを占領すると、内ゲバばかりしているドイツはヤバいな
先手を打ってデーン人とノルマン人が無能帝国神聖ドイツを占領しないと確かにイスラムに征服されそうだ
0418世界@名無史さん垢版2017/10/01(日) 23:20:28.310
なお日本はビザンツをボコったオスマンに対して不平等条約を結ぼうとした模様www
大日本帝国>オスマン帝国>ビザンツ帝国でいいよな?
0419世界@名無史さん垢版2017/10/02(月) 00:50:57.740
>>415
同じゲルマン人のフランク族だからドイツを征服キリスト教化出来た
南国育ちのアラブ人には寒さに耐えてドイツ征服とか無理だろう
ドイツが文明化しないとそれに対抗してスラブ人らも文明化しないだろうから
モンゴル軍とかが攻めて来たらフン族の時と同様に民族大移動となって
ゲルマン人やスラブ人が移住してきて地中海沿岸のイスラム諸国は滅亡しそう
0420世界@名無史さん垢版2017/10/02(月) 23:50:24.340
1453年の後、キエフかモスクワに落ち延びることはできなかったのか
1185年の平家、1279年の南宋の末路にそっくりだな
0421世界@名無史さん垢版2017/10/03(火) 09:33:53.930
>>418
同時代かどうかを無視、結ぼうとした条約含めればそうかもね。
でもそのルールなら

その大日本帝国に不平等条約を押し付けたフランス、フランスを破ったスペイン、
スペインを破ったオスマン帝国となるね

オスマン帝国>スペイン>フランス>大日本帝国>オスマン帝国>ビザンツ帝国
0422世界@名無史さん垢版2017/10/03(火) 09:42:34.210
>>420
当時のロシアなんぞ殆ど蛮族扱いだろ
実際パレオロゴス家の生き残りはイタリアに逃げてる
0425世界@名無史さん垢版2017/10/04(水) 09:04:39.950
再興しようにも

俺ら極悪非道のパレオロゴスブラザーズ!
もう帝都は陥落したのに専制公位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ∧_∧  ∧_∧     
 (・∀・∩)(∩・∀・)  
 (つ  丿 (   ⊂) 
  ( ヽノ   ヽ/ ノ   
  し(_)   (_)

だったし…
0426世界@名無史さん垢版2017/10/04(水) 09:15:37.410
でもコンスタンティノス11世は降伏せずに戦ったんだよな
僅かながらヴェネチア軍も参加してるし
絶望的ながらも曲げられない信念があったんだろう
0427世界@名無史さん垢版2017/10/05(木) 07:37:07.510
マルタ騎士団みたいな亡命政府が出来てたらオスマン滅亡のどさくさで復興の可能性があったかもしれんが、コンスタンティノープルはトルコ化してたし、ギリシャ民族主義とも実は相性悪いから列強の保護がなくなった瞬間すぐに滅亡しそう
0428世界@名無史さん垢版2017/10/10(火) 09:44:25.460
コンスタンティノス11世は、退かぬ媚びぬ省みぬで、玉砕を選ぶタイプだったんだろうか
0429世界@名無史さん垢版2017/10/11(水) 11:33:06.800
降伏すれば1領主としての地位は保証してたんだったけ?
遊牧国家は平伏すれば結構寛容よな
0431世界@名無史さん垢版2017/10/13(金) 21:34:40.110
>>429
オスマン側がモレアスの領有を認めるといっても
帰った所で>>425な訳で、コンスタンティノス11世自身は
行く所が無いと考えてたんじゃないかな
0432世界@名無史さん垢版2017/11/28(火) 15:42:06.580
>>420
教会合同で皇帝がカトリックに改宗したからモスクワに見捨てられたのでは
0436世界@名無史さん垢版2017/12/24(日) 00:47:41.680
よく出てくる駅遁長官って具体的にどんな役職なん?
0439世界@名無史さん垢版2018/01/15(月) 08:50:49.860
旅客機事故のついでに注目を集めるか?
トレビゾンド帝国
0440世界@名無史さん垢版2018/01/21(日) 23:53:33.660
もう、東ローマ帝国マケドニアを名乗ってしまえば良いよな気もするな
ギリシャもブルガリアもルーマニアも激おこだけど


古代マケドニア(ギリシャ人格国家)が北西部の現マケドニア共和国地域を支配

その後ローマが侵攻、まとめてマケドニア属州として支配

ビザンツ→オスマンと支配者が代わってもそのまままとめてマケドニアと呼ばれ続ける

その間スラブ系民族(現マケドニア人の祖)が流入
スラブ人が支配的民族になる

ブルガリア&ギリシャ独立
オスマン支配のマケドニア地域に住むスラブ系民族の中にマケドニア人という民族意識が生まれる

第一次、第二次の2つのバルカン戦争を経てマケドニア地域はオスマン支配から離れ
ギリシャ、ブルガリア、セルビア(ユーゴ)に分割される

ユーゴ崩壊後ユーゴ内のマケドニアはスラブ系国家マケドニア共和国となる

ギリシャ人国家マケドニア王国の発祥地を持つギリシャ切れる
(ブルガリアも切れる)

https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/01/19/20180119k0000e030218000p/9.jpg
0441世界@名無史さん垢版2018/01/23(火) 21:29:52.070
>>351
そもそも「パンとサーカス」自体、ユウェナリスっていう(当時の)社会や権力者や若者に憤ってた爺さんのボヤきな訳で
0444世界@名無史さん垢版2018/01/30(火) 07:20:54.270
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

ANCSZ
0445世界@名無史さん垢版2018/02/21(水) 21:44:26.390
アレクサンドロス大王の英雄譚も良いけど
個人的には十字軍の方がワクワク感が半端ない
異教徒ぶっ倒して聖地奪還とかこれ以上のロマンはないわ
聖十字架を発見した騎士たちの感動も一入だったろう
0446世界@名無史さん垢版2018/02/24(土) 15:37:10.400
第一回十字軍なんて不利な状況の中よく戦ったもんだ
ローマ皇帝は全く手助けしないし
もし皇帝が強力なバックアップしてれば以降の十字軍との関係も変わったものになってたろうな
0447世界@名無史さん垢版2018/03/18(日) 05:00:41.860
初歩的な質問で申し訳ありませんが、コンスタンティノスとコンスタンティウスの呼称の違いってどう意味があるんでしょうか?
あとコンスタンティノス11世ドラガゼスなど
〇〇何世の後につく名前はどういう意味ですか?
0448世界@名無史さん垢版2018/03/18(日) 07:14:56.100
>>447
にわかだが、わかる範囲で。

コンスタンティノスとコンスタンティ「ウ」スは違う名前。(スペルのnの有無に注意)
でも、呼称の違いと書いてあるので、本当に聞きたいのは
コンスタンティ「ヌ」スとコンスタンティノスの違い、では?
それならローマ帝国(東)の公用語がラテン語からギリシャ語へ変わった事による変更。
最近だとグルジアとジョージアみたいなもの。

名前の後は""でくくってあればあだ名で、なければ性
コンスタンティノス5世"コプロニュモス" はニックネームで
コンスタンティノス9世モノマコスとか
コンスタンティノス11世ドラガセスは名前
(コンスタンティノス・パレオロゴス・ドラガセス)
0450世界@名無史さん垢版2018/03/27(火) 04:41:14.040
西側がローマと認めないから東ローマ帝国をビザンツ帝国と呼びますが、逆に自称、神聖ローマ帝国を他の呼び名はありますか?
できたら神聖ローマ帝国を認めない視線での呼び方があれば教えてください
0451世界@名無史さん垢版2018/03/27(火) 06:12:56.960
>>448
神聖でもなく ローマ的でもなく
ましてや帝国でさえない
0452世界@名無史さん垢版2018/03/27(火) 08:07:33.390
>>450
ドイツ帝国?
帝位継承権はハプスブルク家以外にも認められてたから、逆にハプスブルク帝国だとオーストリアに限定されるよな
0453世界@名無史さん垢版2018/03/27(火) 23:24:19.170
ブロックチェーン関係でよくこの帝国の将軍が出てくるな。
0454世界@名無史さん垢版2018/03/28(水) 07:46:02.650
>>452
レスありがとう
カール大公のフランク帝国→オットーの神聖ローマ帝国→オーストリア=ハンガリー帝国→ドイツ帝国
こんな感じの流れなわけですね
ナチの第三帝国もあえてソレを意識させてるのかな 
いろいろ読みあさって勉強したいと思います
0457世界@名無史さん垢版2018/05/22(火) 01:37:56.500
>>455
五体満足でないと皇帝になれないっていう慣習があるから。当初は鼻を削いでたけどユスティニアノス2世っていうやべー奴が出てから目を抉るようになった。おそらくペルシャあたりの影響と思われる。
0458世界@名無史さん垢版2018/05/22(火) 01:39:59.400
アンドロニコス・コムネノス好きなの俺だけ?
0459世界@名無史さん垢版2018/05/22(火) 06:22:24.960
>>458
高齢で幼女と結婚した皇帝?
0461DJgensei artchive gemmar垢版2018/05/22(火) 15:46:09.340
殺すだけか?将来目測。殺しが最優先?発達未来あるのに。
0462DJgensei artchive gemmar垢版2018/05/22(火) 18:09:12.470
新書で見たけど歴史モノというよりは、裁飾モノの様だよねえ。ハプスブルグは。
0463世界@名無史さん垢版2018/05/23(水) 11:47:03.140
バシレウスとアウトクラトールってどういう使い分けされてたんだろう?
0464世界@名無史さん垢版2018/05/24(木) 15:45:50.260
>>457>>460
ありがとう勉強になりました
捕虜も先導役だけ片目残しあとは両目潰した?手首切り落とした?みたいな話もどこかで聞いたような
0466世界@名無史さん垢版2018/05/25(金) 04:19:32.840
>>457
失明させられても義眼入れて暴れる皇帝がもし居たら、その後はどうなってたんだろう・・・
0468世界@名無史さん垢版2018/05/26(土) 02:20:35.800
『ビザンツ世界論』途中まで読んだけど挫折した...
0471世界@名無史さん垢版2018/05/29(火) 17:38:29.760
エデッサはギリシャの古代都市として成立していたが、黒海沿岸のオデッサの都市成立は近代であって、古代にはありそうでなかったのだ
0472世界@名無史さん垢版2018/05/29(火) 21:31:34.130
ビザンツ帝国では魚料理が好まれてたのね
ttp://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3487460.html
0473世界@名無史さん垢版2018/06/04(月) 22:12:09.220
ビザンツは他称
自称はローマ
0474世界@名無史さん垢版2018/06/06(水) 14:52:06.150
地中海沿岸だから魚食べるのは不思議に思わないけどサーモンまで食べてたなんて交易国家らしいよね。
0475世界@名無史さん垢版2018/06/10(日) 00:43:14.960
かつてのトルコ人のほうが、そのへんは色眼鏡かかってないよね
多少訛ったけど、ちゃんとルームとかルーム人と呼んでいた
0476世界@名無史さん垢版2018/07/12(木) 11:11:35.450
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O2P
0477世界@名無史さん垢版2018/10/30(火) 06:53:40.670
ウィキペディアで東ローマのダメ皇帝
https://ja.wikipedia.org/wiki/コンスタンティノス8世
・・・を見ていたら、
「古代ローマの剣闘士競技を復活させて自ら野獣相手に戦った」とあった。

60過ぎの当時としては超高齢者が野獣相手にコンモドゥスばりの立ち回り?
あり得るのかな執筆者の勘違い?
0478世界@名無史さん垢版2018/10/30(火) 13:57:37.690
英語版みてもそういう記述はないな
しかも即位時には痛風で満足で歩くこともできなかったとあるし
0479世界@名無史さん垢版2018/11/19(月) 15:45:10.700
東ローマ帝国の全盛期はマケドニア朝のバシレイオス2世の時だよなあ
このときにイタリア半島再征服すればよかったのに
ベネツィア、ジェノバ、アマルフィ、ピサ、ローマ全部手に入れることができ
安定支配もできたんじゃないのか
0481世界@名無史さん垢版2018/11/19(月) 18:49:08.290
>>480
確かに後継者があの人ではベネツィアなんかは真っ先に離反しただろうな
しかしローマの支配を握ったままなら後々の歴史は大きく変わったような気がする
もしかしたらマンツィケルトで負けることもなかったかも
コムネソス朝の国力では皇帝一人が優れていても無理なもんは無理だったし
結果的に滅亡を速めている
0482世界@名無史さん垢版2018/11/19(月) 19:53:07.330
>>481
確かに国力があれば、コムニノス朝の皇帝達はその才能をより大きな成果に結びつけられたかもしれないし、
ロマノス4世は大敗しなかったかもしれない。けれども、神聖ローマと領土が接することになるんだよね。
長期的に東にセルジューク朝(またはオスマン・トルコ)、西に神聖ローマ帝国と大敵を持つことになるけれど、これがどの程度負担になるか。
そして征服事業で得られた領土は中世ローマ帝国が取りうる政策で国力の足しになる領土となるのか。
これはIFにIFを重ねる話だから、世界史板でやっていい話か分からないけれど。
0483世界@名無史さん垢版2018/11/19(月) 20:12:30.560
>>482
神聖でもなければローマでもなくそもそも帝国ですらない国を
何で正当なローマ皇帝が恐れなければならないんだ?
0484世界@名無史さん垢版2018/11/20(火) 08:06:57.730
領内すら満足に納められない神聖ローマがバルカンまで攻めてくるとは思えない
十字軍とかはかなり変わりそうだが
0486世界@名無史さん垢版2018/11/27(火) 09:20:12.580
>>473
ビザンツは後世で当時はローマじゃないのか?
0488世界@名無史さん垢版2018/11/27(火) 14:59:15.580
>>487
バシレイオス2世時代の神聖ローマ帝国は国内が混乱していて
後の30年戦争時代前までのハプスブルク帝国の強さとは全然違う
従って東ローマ帝国がイタリア再占領しても何の問題もなかっただろう
権威的な意味でのローマ、商業活動でアドリア海の女王と言われて元々帝国領だった
ベネツイア、その他ライバルのジェノバやピサやアマルフィを手に入れていれば
その国力の充実は全然違ってくる。バシレイオス2世がトルコ人とブルガリア人を
追い払ったところで止めてしまったことが後の滅亡の遠因にもなった
0489世界@名無史さん垢版2018/12/18(火) 19:17:15.760
アルプ・アスラーン : 「もし捕虜となったのが逆に私の方だったならば、貴方はどうするだろう?」
ロマヌス : 「きっと貴方を処刑するか、コンスタンティノープルの街中で晒し者にするだろう。」
アルプ・アスラーン : 「私の下す刑はそれよりも重い。私は貴方を赦免して自由にするのだから。」

これ意味深だなあ。
一度プライドを失ったら落ちるだけなのかもしれん。
0490世界@名無史さん垢版2018/12/18(火) 19:43:42.250
>>489
実際にはコムネノソス朝が最後の中興をするのだがマヌエル1世がいかに頑張ろうとももはやあの時代では失われたイタリアは返って来ずに国力を消耗した結果として
十字軍に首都を占領されてしまう
バシレイオス2世がイタリアを占領し、その上でセルジュークトルコと戦ったら
どうなったのか。あるいはそれを乗り切ったとしてモンゴル帝国と直接対決したら
どうなったのか。史実ではパレイロゴオス朝はイルハン国と同盟するのだが
それ以外に選択肢がなかったともいえる
0491世界@名無史さん垢版2018/12/18(火) 20:44:53.200
バシレイオス2世がイタリアを占領する事は東ローマにとって自殺行為
バルカンを奪回する為にを対ブルガリア戦を強行した結果
テマ制が崩壊してアナトリアが無防備になったのだから
これでイタリアも占領したらセルジュークにアナトリアだけでなく
帝都も奪われてしまっただろう
東ローマの歴史は西方領土を奪回すると没落する事の繰り返し
ユスティニアヌス1世がイタリアを奪回するとバルカンをスラブに奪われる
ミカエル8世がコンスタンティノープルを奪回するとアナトリアをトルコに奪われる
0492世界@名無史さん垢版2018/12/18(火) 20:54:16.580
>>491
あの時代のセルジュークにコンスタンティノープル城壁を落とせるとは到底思えない
小アジアの領土なくてもバルカン+イタリアを安定させた方がよかったと思うんだが
ベネツィアが金の卵なのは間違いないし
バシレイオスも南イタリアの安定はやってる。全イタリアが無理なら
うるさいローマ教皇を抑えるためにローマとアドリア海の女王だけでも
0493世界@名無史さん垢版2018/12/18(火) 22:02:19.050
中世東ローマにとって小アジアこそ本国
むしろバルカンを放棄してでも小アジアを死守すべきだった
0494世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 18:52:46.940
ひょっとして、メソポタミアやペルシアに進出した方が後顧の憂いを絶てるのではないだろうか
0495世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 19:11:17.380
>>494
ロマノス4世はセルジューク本国のイランへ遠征しようとした
マンジケルトの戦いは防衛戦ではなくイラン遠征の前哨戦だった
イラン遠征の為に城攻め用の人夫を数多く連れていたので
これが足手まといになり敗北の一因となったとされる
0496世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 21:41:15.650
>>495
ということはですよ、マケドニア朝の最盛期(ニキフォロス2世、ヨアニス1世、ヴァシリオス2世等)にそれをできていたならば、
オスマントルコを凌ぎ、アケメネス朝ペルシア帝国に匹敵する巨大帝国が誕生していたのでは?
0497世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 22:03:33.410
>>496
東ローマにとってはメソポタミアはどうでもいい地域で歴史的に必然的に
イタリアを目指す宿命がある
0498世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 23:00:07.380
>>496
マケドニア朝の最盛期にはブルガリアやキエフ大公国などスラブ諸国が脅威だった
ブルガリアを征服しキエフ大公国が分裂しないと遠隔地へ遠征する余裕がない
0499世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 23:12:43.620
>>498
ブルガリアを征服した後も国庫は財宝であふれかえっていたらしいから
それ使ってイタリア征服なら簡単だっただろうに
何せ南イタリアに拠点あるのだし、北部イタリアも目と鼻の先
0500世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 23:28:58.980
金だけで何とかなるのかな
良質な兵士を提供したアナトリアの小作農が、連年の遠征で没落してたんでしょ
0501世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 23:38:27.970
>>499
バシレイオス2世が延命すればイタリアに遠征したはず
イタリア征服に成功した場合は戦力が分散するだろうから
マンジケルトの戦い以前にブリガリアとかが再独立したかも
ブルガリアが再独立してバルカンが危険になった場合
東ローマは仲間割れせずに小アジアを死守したかもしれない
すなわち東ローマは滅亡を免れてたかもしれない
0502世界@名無史さん垢版2018/12/19(水) 23:52:48.240
>>500
アナトリアの小作農ではなく自作農が没落した

共和政ローマ 兵士兼農民→兵士

中世東ローマ 兵士兼農民→農民
0503世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 00:05:03.440
ロマノス4世が率いた軍は多くが傭兵だった
トルコ系ペチェネッグ人の弓騎兵や
フランク人とノルマン人騎士が花形だった
十字軍は既にスタートしていた
0504世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 13:18:47.480
要するに東ローマは古代ローマのように強くなかったから
大量の奴隷を入手する事が出来なかったわけだな
コムネノス家とか貴族が奴隷制の大農場を経営していたのならば
没落自作農が職業軍人になって東ローマは古代ローマのように
大帝国に拡大出来ただろう
東ローマでは没落自作農は小作農になり兵役を免除された
0505世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 16:08:08.540
>>504
コムネノス家はマヌエル1世が国力に見合わないローマ帝国の復興をあげて
イタリア制服しようとしてベネツィアやジェノバを敵対勢力にしてしまったから
致命的なことになった。もしも守勢に徹していたならそのままの状態で現在でも
続いていたかもしれないし、モンゴル帝国に危険視されて滅ぼされていたかもしれない
セルジュークにコンスタンティノープル城壁落とすなんぞ無理だがモンゴルなら
可能だからだ
0506世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 16:35:06.760
>>505
マヌエル1世がユスティニアヌス1世ではなくバシレイオス2世を手本に
していたのならば東ローマは生き延びたかも

コンスタンティノープル城壁は石造なのでモンゴル軍に耐える事が可能
イランやイラクの城壁は日干し煉瓦製で見かけによらず脆かった
ロシアと東欧諸国は木の城壁だけどウィーンとかが石の城壁なので
モンゴル軍は無理をせずに帰還した
0507世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 17:22:03.070
>>506
南イタリアだけならともかくローマ占領はそれくらい難しいのかな
ユスティニアヌスは確かに成功しているがローマという都市はそれで一度死んだとも
言えるくらい致命的打撃を受けているし
0508世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 18:01:43.060
>>507
中世東ローマはギリシャ人が多数派の国だからイタリアに強い愛着がなかった
マンジケルトの戦いでもロマノス4世はアルメニア人が多いカッパドキア出身なので
アルメニアを異教徒の支配から取り戻そうとしたけどギリシャ人らの戦意は低く
不利になるとすぐに逃げ出した
0509世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 19:32:34.550
>>508
いくら軍の資質で劣っても数では倍以上だったんだから勝たないとな
もしバシレイオス2世がマンツィケルトの戦いしたら多分勝ってるわ
0510世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 20:07:33.860
>>509
東ローマ軍の後衛を指揮していた副帝アンドロニコス・ドゥーカスは
先帝の弟である父ヨハネス・ドゥーカスこそが皇帝になるべきだったと
ロマノス4世の即位に不満であったのでこの機会にわざと退却したとされる
東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならばアルプ・アスラーン軍は
逆包囲され壊滅しただろう
当時セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていたので
アルプ・アスラーン軍に援軍の可能性は低かった
0511世界@名無史さん垢版2018/12/20(木) 21:17:20.460
東ローマはやっぱりキリスト教国で啓蒙思想もなかったから特に何も生み出せなかった
ローマ帝国の精神的後継者は政教分離を徹底したベネツィアなんだろうなあ
啓蒙思想がキリスト教を抑え込んで初めて人類は産業革命を起こしてローマを超えることが
できた
0512世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 15:29:52.170
>東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならば

このIFを東ローマに適用するなら、

>セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていた

に対しても、反乱が無いIFを適用すべきだろう

両方のIFを適用すれば、結局のとこマンジケルトの結果は変わらないであろう
0513世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 16:47:08.460
>>512
変わらないなら変わらないでマヌエル1世がローマ帝国の復興を言い出さなければ
コムネノソス朝はそのまま続いた可能性はある
0514世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 16:49:31.200
アルプ・アルスラーンはファーティマ朝を倒してエジプトを征服しようとした
新たな牧草地が欲しい遊牧トルクメンはエジプト遠征に乗り気でなかったので
アルプ・アルスラーンは側面援護を兼ねてトルクメンらにアナトリア遠征を許し
自らはマムルークを率いてエジプトへ向かいシリアに侵入した
ところがロマノス4世にトルクメンが敗退し
さらにセルジューク本国で謀反が起きたので
アルプ・アルスラーンはエジプト遠征を断念してシリアから退却した
そしてロマノス4世と講和して急いで本国に戻ろうとしたけど
ロマノス4世が講和を拒否したのでマンジケルトの会戦となった
0516世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 17:36:56.320
アルプ・アルスラーンはマンジケルトの会戦後に本国へ戻ると
西方領土拡大から本国重視に方針転換して中央アジアを制圧した
アルプ・アルスラーンは本国の兵力が減るのでトルクメンが移住
しないようにアナトリアを東ローマ領のままにしようとした

セルジューク朝では遊牧トルクメンが牧草地を求めて
イランの農地を牧草地化しようとして問題になっていた
セルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アルムルクは
アルプ・アルスラーンの死後トルクメンをアナトリアへ移住させた

アルプ・アルスラーンは互いに対立するトルクメンとイラン人の
双方にとって邪魔な存在だったようだ
0517世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 18:25:09.790
アルプ・アルスラーンはユーフラテス河を国境としてアルメニアを
セルジューク領としてロマノス4世と講和しようとした
これにニケフォロス・ブリュエンニオスらギリシャ人諸将は
賛同したけどロマノス4世は拒否してマンジケルトに進軍した

ロマノス4世がアルメニアを東ローマ領にしてアルメニア人を
ギリシャ正教徒に改宗させようとしたのでアルメニア正教徒の
アルメニア人はセルジューク軍に参加してロマノス4世に抵抗した

ロマノス4世もギリシャ人とアルメニア人にとって邪魔な存在だった
1072年にアルプ・アルスラーンもロマノス4世も自国人に殺された
0518世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 20:11:52.070
ロマノス4世死後アナトリアのアンカラでノルマン人傭兵が
反乱を起こしてガラテア公国と称して自立しようとした
副帝アンドロニコスは父とともにこれを鎮圧しようとして敗北した
東ローマはノルマン人傭兵の鎮圧をセルジューク軍に依頼すると
セルジューク軍は傭兵だけでなくアンカラの住民も残らず追い払った
0519世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 20:43:46.970
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて、アナトリアのテュルク化を防げたとしてだ
どうせ13世紀にはモンゴルの波がやってくるわけで、ルーム・セルジューク朝みたいな緩衝材なしに対峙してしまう
従属国で済むんなら史実より良い状態で14世紀を迎えられるかもしれんが、下手うったら200年早く滅亡コースだからな
0520世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 21:27:04.920
>>519
アナトリアにトルクメンが移住して本国の戦力が流失したので
セルジュークはカラ・キタイに負けたりするようになった
同様にアフガンのゴール朝もインドを征服すると本国から戦力が
流失してアフガンはホラズムに征服されてしまった
セルジュークの後継者ホラズムは流失したトルクメンに代わる戦力を
同じく遊牧民のカンクリ族で補い大国化したけど新参のカンクリ族と
従来から兵との対立でモンゴル軍に対して団結出来なかった
0521世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 21:45:16.810
新たな遊牧地を求めてたのはトルクメン自身だからなあ
アナトリアにいけなくなったら、ほかに行ってたんじゃね?
いずれにしても、こういう歴史IFをしだすとキリがないし詮無いな
0522世界@名無史さん垢版2018/12/23(日) 22:28:21.180
トルクメンとかはモンゴル軍に比べて規律が悪いから数が多くても勝てないだろうね
モンゴル軍はとにかく戦利品の略奪は戦闘終了後で違反者は厳罰に処せられた
他の多く国は遊牧民も農耕民も戦利品はだいたい早い者勝ちだった
いち早く戦利品を手に入れて満足した兵が勝手に帰ってしまう事が多かった
0523世界@名無史さん垢版2018/12/24(月) 14:46:16.640
要するにニザーム・アルムルクがイランのトルコ化を阻止したわけだよな
もしトルクメンをアナトリアへ追い出さなかったのならばイラン全土が
アゼルバイジャンやトルクメニスタンのようにトルコ化したのだろうな
これはかつて東ローマがゴート族を西ローマ領に移住させた事に似ているな
もしゴート族がバルカンに定住し続けたら後のブルガリアのようになったはず
0524世界@名無史さん垢版2018/12/24(月) 18:53:27.050
>>519
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて
アナトリア全土が東ローマ領のままならば当然
ロマノス4世の出身地カッパドキアも健在となるけど
カッパドキアはヘラクレイオス1世やニケフォロス2世も
輩出した尚武の気風の地だけど住民の多くがギリシャ化
していなくてアルメニア人が多かった地方だから
いつまでも東ローマ領であるとは限らなかった
0525世界@名無史さん垢版2018/12/27(木) 04:46:21.250
中国の史書にコンスタンティノープルに大きな水時計があったと
記されてるんだが、詳細分かる記録ある?
0529世界@名無史さん垢版2019/04/24(水) 20:43:22.050
ビザンツの魅力ってあまりにも戦争が弱いのに1000年も続いたしぶとさだよな
0531世界@名無史さん垢版2019/05/12(日) 21:29:43.270
イスタンブールのモザイク博物館に展示されてる大宮殿のものと推測されるモザイク画は血生臭い絵が多かったな。

猛獣が獲物に噛みついている絵など。

尚武の気風ということなのかな?
0532世界@名無史さん垢版2019/05/26(日) 21:36:25.610
東ローマ帝国は
なりふり構わず現在まで存続して欲しかった
一都市国家でもよかった
0533世界@名無史さん垢版2019/05/27(月) 17:21:10.300
国は滅ぶしかなかっただろうが皇帝がイタリアに亡命していれば皇帝兼イタリア貴族として存続したかも
逃げるよりは戦って死ぬことを選んだわけだが
0536世界@名無史さん垢版2019/05/28(火) 04:16:54.800
コンスタンティノス11世が逃げ延びてパレオロゴス家が存続したとしてもコンスタンティノープルが無ければただの一貴族程度でしかないのでは?
0537世界@名無史さん垢版2019/05/28(火) 09:43:39.970
異教徒に国を滅ぼされたローマ皇帝なんてキリスト教世界じゃ最高のステータスじゃん
0539世界@名無史さん垢版2019/05/28(火) 11:49:18.400
ビザンツの戦争の弱さは一流だけど皇帝で一番戦争が上手かったのは誰?
将軍はベリサリウスだけど

バシレイオス2世か?
0540世界@名無史さん垢版2019/05/28(火) 15:10:53.500
バシレイオス2世はブルガリアに負けたりしていて、戦術面では最高点はつけにくいかな。
ロマノスあたりは?
0541世界@名無史さん垢版2019/05/28(火) 16:35:28.370
ササン朝に完勝したヘラクレイオスとか挙げたいけどこの人も後年はムスリムに完敗してたり無条件で強いって人はいないよねこの国
0542世界@名無史さん垢版2019/05/29(水) 02:33:01.240
ヘラクレイオスは前半生もけっこう負けてて、ムラのある人だから最強論議には上がらないんじゃないか。
小説の主人公にはピッタリだけどね。
0543世界@名無史さん垢版2019/05/29(水) 20:00:16.190
>>541
ササン朝が突厥に中央アジア方面で負けまくって国力落としていた時期だからね。
0548世界@名無史さん垢版2019/05/30(木) 02:34:51.560
時期と人によるが、
そんなに強かったらエジプトは奪回してたろうな。
0549世界@名無史さん垢版2019/06/02(日) 00:19:15.790
弱くはないな、よくまあムスリムの本拠地近くで長いこと粘ったよ
惜しくも滅んだが彼らの侵食はペルシャだろうがインドだろうが中華だろうが止めれないからしゃーない
0551世界@名無史さん垢版2019/06/03(月) 01:45:51.640
あれ作った人も凄いな
どれくらいの年月かかったんだろう
築城時には侵略者から防げてたのかとか
0552世界@名無史さん垢版2019/06/03(月) 17:53:39.380
こないだコンスタンティノープルに行ったら城壁がピカピカに再生されてた。
0553世界@名無史さん垢版2019/06/05(水) 15:49:15.150
エジプトでのギリシャ正教とコプト正教会の勢力は30倍違う
他は全てはイスラームに改宗した
帝国政府はエジプト人の衆望を完全に失っていた以上もはや「奪回」のレベルでは不可能だった
0554世界@名無史さん垢版2019/06/12(水) 10:36:31.720
皇帝直属親衛隊のヴァラング隊ってカッコいいな
面白い本とかあるかね
0555世界@名無史さん垢版2019/06/13(木) 01:38:01.000
>>554
ヴァリャーギ親衛隊の軍装とか大雑把なのでいいなら
多分大きめの図書館なら置いてあるはずなんで借りてな

ビザンティン帝国の軍隊―886‐1118 ローマ帝国の継承者
(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) 単行本 - 2001/11
新紀元社
0556世界@名無史さん垢版2019/06/13(木) 01:41:23.700
>>555
あとこれは読みやすいとはいわないが
ヴァリャーギ親衛隊の事を詳しく書いてある
現時点では日本で唯一?かも

これも図書館で探すのが良いかと

ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊 単行本 - 2008/7
出版社: 国際語学社 (2008/07)
0562世界@名無史さん垢版2019/06/17(月) 16:28:46.490
欧米でもマイナーそうだなあ。
ちなみに映画化するならどの時代がよかろうか。
0564世界@名無史さん垢版2019/06/18(火) 21:28:35.980
>>561
ヘラクレイオス1世の時代のヤルムークの戦いを映画化したのが、
Youtubeにあるよ。でも、軍装が共和制から帝政初期のレギオンの
まんまで、スパルタクスの反乱時と区別がつかない。
あの装備なら駱駝騎兵と弓兵で構成されたウマイヤ朝軍にいかにも負けそう。
0565世界@名無史さん垢版2019/06/18(火) 21:30:26.510
>>563
蛮族に近いくらいの傭兵ならローマの略奪したドイツ傭兵部隊の
ランツクネヒトじゃないかな。
0566世界@名無史さん垢版2019/06/20(木) 01:43:33.790
>>564
ほんと?ありがとう
今通信制限中なのとにわかだから時代背景やら人物やらちょっと知識下調べしてみてから月頭にでも見てみるよ
サンクス
0567世界@名無史さん垢版2019/07/08(月) 00:33:34.980
>>566
ユスティニアヌスやテオドラの映画でいいなら・・・
探せば同時代のはまだあるはずです

http://en.wikipedia.org/wiki/Theodora,_Slave_Empress
http://www.youtube.com/watch?v=HQNI0XI36hQ
Teodora, emperatriz de Bizancio, parte 1 (1954)

http://en.wikipedia.org/wiki/Kampf_um_Rom

http://www.youtube.com/watch?v=SETCT5vwb7U
Kampf um Rom 1&2 - Trailer (Deutsch)
http://www.youtube.com/watch?v=vcjJQGEz2ac
Битва за Рим, часть 1 (1968)

ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w
0568世界@名無史さん垢版2019/07/08(月) 00:40:51.030
>>567

2つとも元の原題タイトル(や英語タイトル)とかで検索すれば
他にも動画が出てくると思います
その作品の制作国の言語だと多いかもしれません

ドイツ作品の方・・・ユスティニアヌスがあのアメリカの名優オーソン・ウェルズw
0569世界@名無史さん垢版2019/07/08(月) 00:48:52.250
>>567
付け足し

http://en.wikipedia.org/wiki/Kampf_um_Rom
Kampf um Rom

youtubeには朗読データとか出るのでドイツでは有名な作品のようですね

http://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%B9%20%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3-1625735
http://de.wikipedia.org/wiki/Felix_Dahn
フェーリクス ダーン

http://www.imdb.com/title/tt0047567/
http://www.imdb.com/title/tt00063174/
最初にあげたイタリアのテオドラの映画とこのドイツ映画の評価は・・・
昔の史劇ものにありがちな大味な感じなんでしょうかね(;^ω^)
0571世界@名無史さん垢版2019/07/08(月) 21:00:45.910
古代ギリシャは「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてる
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ
0573世界@名無史さん垢版2019/07/09(火) 08:20:01.230
漁ってみたら別スレに元ネタがあった。(以下改行の関係で文だけコピペ)
>>ギリシャは優れた文明がある国なのに何でこんな嫌われてるの?

>>嫌われてはいない
バカにされてるのと、面倒見るのは勘弁と思われてるだけ

>>古代には優れていたけれど中世以降は後進国

>>偉大な文明の発祥地として尊敬されてる

>>近代ギリシャは古代ギリシャとは別物だから

>>日本かて奈良時代の日本と現代の日本は全然違うやん
風景も街も人々の服装も都も違うし、現代人と奈良時代人とは言葉も通じん
でも日本は日本や

>>歴史が連綿と続いている日本と比較することがおかしい
ギリシャは存在自体が消えて19世紀まで出でこないし

>>「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてるじゃん
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ

>>は?

>>こじつけトンデモ説すぎて草
ほとんど騎馬民族征服説並み
さすがにネタだろうけど
0574世界@名無史さん垢版2019/07/09(火) 12:23:30.060
>>567
>ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w

ユスティニアヌス朝初期の頃はまだ東ローマの公用語はラテン語
また東ローマ軍の将兵には数多くのゲルマン人兵士がいた
ユスティニアヌス朝の時にバルカン北部がスラブ化して
東ローマからラテン語話者とゲルマン兵が消滅していった
ユスティニアヌス朝最後のマウリキウス帝はカッパドキア出身で
この頃になると東ローマはすっかりキリシャ人の国になっていた
0575世界@名無史さん垢版2019/07/09(火) 22:35:49.890
ギリシャ人は「西洋文明発祥の地」とかって威張ってるけど、はっきり言って現代のギリシャって古代ギリシャとは全然関係ないよね。
そのくせプライドだけは高くて周辺諸国ともめごとばかり起こすし、ロクなことしてない。失礼、言い過ぎました…
0576世界@名無史さん垢版2019/07/10(水) 02:11:42.060
21 風吹けば名無し 2019/07/10(水) 02:09:17.06 ID:tenMxdKn0
バシレイオス2世「この帝国も形になってきたな!」
コンスタンティノス8世「んほぉ~この戦車競走たまんねぇ〜」
コンスタンティノス8世「ボードゲームするだけで抜けるわぁ…」
市民「うわぁ来たよ…」(東ローマ名物無能皇帝)
アンドロニコス1世コムネノス「改革の進行はどうだい?」シコシコ
宦官「現在ここまで進んでいます」
アンドロニコス1世コムネノス「え?市民や貴族が反乱?…ふんふん…」(処刑)
貴族「次の皇帝は誰?」
市民「イサキオス2世さんですね」
貴族(そっかぁ…)
イサキオス2世「この第3回十字軍なんか違うんだよね…王道すぎるというか…ひねりがないよねぇ…」
教皇、アレクシオス3世「うわぁ…」(そうですか…)(帝位奪取)
アレクシオス4世「そうだ!この第4回十字軍に途中でハンガリー攻撃させてコンスタンティノポリスをカッコよく陥落させようよ!」
イサキオス2世「皇帝は俺とアレクシオス4世ちゃんね!これは面白くなるぞ!」
0577世界@名無史さん垢版2019/07/21(日) 17:52:47.710
んー
0579世界@名無史さん垢版2019/09/11(水) 17:07:00.030
>>575
じゃあ最初から言うんじゃねえぞ?この知恵遅れが。世の中を蔑むのもいい加減にしろよな?
0581世界@名無史さん垢版2020/02/03(月) 16:55:58.630
>>488
そこまで求めるのは無理ゲー。
バシレイオス2世に広域的な商業を解するだけのアタマはなかった。
禁欲的で質素を重んじたせいで、経済的には停滞した、とまで言われている。
ピサやジェノヴァを手に入れたところで、持て余すのが関の山。
0582世界@名無史さん垢版2020/02/03(月) 23:14:59.260
>>581
仮にバシレイオス2世に広域商業、経済を理解できるアタマがあったら、是が非でもノミスマ金貨の改鋳に踏み切ったと思う。
つまり通貨供給量の増加によるデフレ対策と域内経済振興と出目(でめ)収入。
「中世のドル」とまでいわれたノミスマでそれをやるなら効果は絶大だっただろ。

しかし結果的にバシレイオスが活躍した11世紀初頭までノミスマ金貨の純度は変わっていない。
金の供給量は変わっていないのだから、通貨供給は増加しなかった、と考えるべき。
金貨の純度が劇的に低下するのは12世紀末、ミュリオケファロンの敗戦後。
東ローマにとって苦し紛れの出目収入策だったが、地中海域内で一気にインフレが進行。
商業国家であるジェノヴァやヴェネツィアで投資が進み、後の台頭につながった。

ただ、これをバシレイオスに求めるのは酷に過ぎる。
貨幣価値は貴金属の含有量ではなく、発行体の信用力によって決まることを喝破したのは、7世紀も後、江戸時代日本の天才勘定奉行荻原重秀だった。
0583世界@名無史さん垢版2020/02/03(月) 23:54:02.340
あっ、間違えた。
ミュリオケファロンの敗戦後は11世紀末だった。
0584世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 00:08:37.030
>ミュリオケファロン

この単語、いつも「桶」とか、マヌエルが右手でOKしてるとことか連想しちゃう
0585世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 11:54:03.530
中世みたいな
供給能力低い時代に
デフレなんてあったの?
常にもの、サービス不足のインフレ状態だと
思うんだけど
0586世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 12:44:21.590
>>585
供給能力は低かったが、需要も低かった。
もっと低かったのは貨幣の供給能力。
むしろデフレ状態の方が多かったよ。
0587世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 14:09:19.000
>>582
>発行体の信用力によって決まること
これって中国の紙幣や16世紀フランドルの為替等で既に判明していたことじゃ?
0588世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 14:28:33.310
>>587
中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う。
フランドルの為替はノーチェックやった。
ご指摘dくす!
0589世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 20:29:53.580
>>588
>中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う
そうかな? 発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
政府の信用力を認知していたからだと思うのだが

まあ、中国の紙幣は貨幣は、毎回増刷し過ぎたり界もだんだん期限が長くなり最終的に無期限化したりしてたわけだけど

中国紙幣は為替が起源だけど、これはそれまで度々あった鉄銭や布巾など、銅銀金が不足していて貨幣供給不足の
場合に別素材を貨幣として流通させたもので、その場合必ず貨幣安定論として戦国時代からある子母相権論が出てくる
0590世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 21:12:43.950
>>589
>発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
>政府の信用力を認知していたからだと思うのだが

受取り拒否は死罪!
こんなこと決める時点で信用力とかもはや関係無し。
貨幣の3条件(支払決済手段、価値尺度、価値保蔵)のうち後2者を満たしていない。
つまり死刑にさえならなければ誰も受け取りたくないし、誰も価値基準としないってこと。
0591世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 21:34:19.330
確かに江戸幕府でも享保時代に貨幣改鋳を荻原重秀より確信的に、より徹底してやった大岡忠相は、旧貨幣の供出を拒否った4豪商の手代(現代風に言えば部課長級かな?)を問答無用で伝馬町の牢にブチ込んだが、別に誰も殺していない。

そもそも主人(代表取締役)でもなく番頭(役員級)でもなく、手代なんぞ遣わす時点で、豪商側の方が幕府(軍事政権)を舐めてたわけだが。
0592世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 22:06:03.080
>>590
>受取り拒否は死罪!
これ出典は?偽造したり、価値を毀損するようなことをした場合の話じゃないの?
雑学系の本ではなく、中国経済史の本では見たことがない

自分が知らないだけかも知れないので、まともな出典を教えてほしい

なお、自分が書いている信用の話は、元の話だけではなく、宋金代の話も含む(というか、
最初の紙幣なので、主に宋金のつもりの話で書いていた)
0594世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 22:29:54.650
なんだwikipediaか、、、まあ一般書とはいえ出典はわかったから、こんど確認してみるわ

仮に元の交鈔がそうだとしても、宋金とは違うという話だよね
0595世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 23:04:29.600
話を戻すと、ビザンツのヒュペルビュロンの暴落は、コイン史で有名なシラカワサイトによると

http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/E035.htm

ちょうど1200年頃、第四回十字軍の頃に見える

でも1176年のミュリオケファロンの敗戦とその後の条約がきっかけかも知れない

どっちなんだろうね
0596世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 23:50:07.340
>>595
すまん、ミュリオケファロンとマンジケルトの敗戦を混同してたわ。
高校行きなおしてきまつ・・・orz

ソリドゥス金貨
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9%E9%87%91%E8%B2%A8

しかし紙幣の概念の無いこの時代、「中世のドル」の乱発(というか、それまでが貨幣不足のデフレだった)は交易上のインフレを招いたことはほぼ間違いなく、こちらも話を戻すが、ジェノヴァ、ヴェネツィア等の商業都市の台頭を招いた。
0597世界@名無史さん垢版2020/02/04(火) 23:54:00.320
>>570
つ『コンスタンティノープルの陥落』 塩野七生
0598世界@名無史さん垢版2020/02/05(水) 18:55:36.350
バシレイオス二世の時代は、戦争して略奪して奪った敵国の貨幣や財宝を自国貨幣に改鋳にする、
というような安直な考えしかなかった時代だからねぇ
0599世界@名無史さん垢版2020/02/05(水) 23:37:50.160
>>598
確かに軍人皇帝時代らしい大雑把で乱暴なやり方。
しかも、それを胎蔵するために、宝物庫の床まで掘り下げるとかな。
しかしそのおかげで、帝国は安定した「中産階級」を抱え込むことができた、と言えなくもない。
0600世界@名無史さん垢版2020/02/06(木) 20:54:42.820
>>570
>>597
小説なら
「艦隊山越え 征服王スルタン・メフメット」豊田穣
歴史解説ものなら
「イスタンブール 三つの顔をもつ帝都」ジョン・フリーリ
(「世界の都市の物語」シリーズ内)「イスタンブール」陳舜臣
といった本もあるね
0601世界@名無史さん垢版2020/05/08(金) 01:02:28.720
新書48
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/books/1587183828/

38 無名草子さん (ワッチョイ dfbd-h83k) sage ▼ 2020/05/04(月) 05:19:42.19 ID:GxTw+zjF0
@中公新書6月。
遠藤耕太郎『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』
加藤文元『数学する精神 増補版』
蔭山宏『カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学』
倉沢愛子『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』
中谷功治『ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち』
--------
シュミット本の著者は政治(哲)学でもなく法(哲)学でもなくドイツ思想史が専門のようだ。注目。
0602世界@名無史さん垢版2020/05/08(金) 01:11:20.870
>>601

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784121025951
中公新書 2595
ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち
新書
中谷 功治(著/文)
発行:中央公論新社
新書判 336ページ
定価 940円+税
ISBN9784121025951CコードC1222
教養 新書 外国歴史
出版社在庫情報不明
発売予定日2020年6月23日
登録日2020年5月7日
最終更新日2020年5月7日

紹介
千年以上にわたるビザンツ帝国の歴史。
本書は、文字どおり波瀾万丈・有為転変の連続であった、その軌跡を描き出す試みである。
個性豊かな皇帝が登場し、過酷な政争や熾烈な外交および戦争が展開された歴史は、ダイナミズムに富んでいる。
コンスタンティノープルの発展、帝国が各地に及ぼした影響、十字軍との関わりなど、
豊富な論点を踏まえて、帝国の内実を描き出す。
0603世界@名無史さん垢版2020/05/08(金) 02:15:04.130
まーた通史か
同じようなばっかしで面白くないな
どうせ皇帝の羅列だろ
0604世界@名無史さん垢版2020/05/09(土) 20:30:46.250
小笠原『オスマン帝国』が売れたので二番企画なんだろうよ

オスマン帝国はかなり本が出ているようで、最初から最後まで全部扱った通史は
出てなかったからそれなりに売れたが、ビザンツ通史はもう何冊も出てるからなあ
0608世界@名無史さん垢版2020/07/11(土) 17:47:31.520
おい聞いてくれよお前ら
エルドアンの野郎がとんでもない暴挙に出やがった

トルコ大統領 「アヤソフィア」をイスラム教のモスクに変更
2020年7月11日 6時23分

イスラム教徒が多数を占めるトルコのエルドアン大統領は、
イスタンブールの世界遺産の一部で博物館として使われてきた歴史的建造物「アヤソフィア」をイスラム教のモスクに変更したと発表しました。
アメリカやギリシャはアヤソフィアを博物館のまま維持するようトルコに求めていただけに、今後、波紋が広がりそうです。

ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20200711/k10012509781000.html
0609世界@名無史さん垢版2020/07/11(土) 22:40:18.160
何を今更。1453年に東ローマは終わったんだ。建物が残っているだけでも良しとしないと。
0610世界@名無史さん垢版2020/07/11(土) 23:00:14.500
本当だわな
アルハンブラ宮殿のモスクは今やカトリックの大聖堂だが今更返せなんて言うのも野暮の話
むしろ建築が現存し歴史を伝えてくれるだけでもありがたい
アギアソフィアもまた同じこと
0612世界@名無史さん垢版2020/07/12(日) 02:40:00.850
東ローマ人だって自分たちでイコン破壊しまくったのにな
お陰でローマ絵画の流れを組んだ旧イコンは極僅かしか残らず、下手くそなビザンティンイコンが主流に
0613世界@名無史さん垢版2020/07/12(日) 04:21:22.390
でも写実的な前期イコンには魅力も精神性も感じないなあ
フロレンスキイ神父が言ったように、物理法則や写実性を無視したところに彼岸性や精神性が立ち現れる
0614世界@名無史さん垢版2020/07/12(日) 20:16:30.870
精神性だの彼岸性だのは後付だけどな
文化大革命の後の革命的新イコンを後付で評価してるだけ
0617世界@名無史さん垢版2020/08/06(木) 22:22:36.010
ビザンツ帝国では、農業技術の発展がほとんどみられなかったけど、なぜなのかな
西ヨーロッパでは農業生産が何倍にも増大し、イスラーム世界では灌漑によって
収穫が飛躍的に伸び、東方の作物も栽培されるようになったのに対して、
ビザンツでは11世紀の間、農業の生産性はまったく変わらなかった
0620世界@名無史さん垢版2020/08/22(土) 11:09:21.540
テサロニカ、エフェソス、トレビゾンドなどの街も経済的には重要であり、
また当時としては破格の3万から4万という人口を誇っていたが、首都である
コンスタンティノープルとは比べようもなかった
0621世界@名無史さん垢版2020/08/22(土) 22:23:19.530
ビザンツ皇帝は、「人の住むあらゆる土地」の支配者でなければならない
ビザンツ人にとって、外国人などというものは、少なくとも理論的には存在しなかった
建前上、皇帝が条約に署名するのではない
たとえそれが帝国に不利なものであっても、他国との条約はすべて、
「皇帝の寛大かつ一方的な譲歩」という形を取った

ちょっと中国に似ている
0622世界@名無史さん垢版2020/08/23(日) 14:16:34.520
テマ制度は唐の節度使にそっくりだな
前者はその後完璧に大土地所有を認める封建社会になったのに対して後者はガチガチの中央集権の宋朝が成立したという違いはあるけど
また前漢の武帝、魏の曹操、明の洪武帝永楽帝みたいに北の遊牧民を逆に侵略してボコボコにしてた時代もあるけど
東ローマは北方民族に優位に立てた時代がまったくない
攻めてきたら地方は捨てて首都に防御全振りしてやり過ごすか貢物おくってお引き取り願うかのどっちか
0623世界@名無史さん垢版2020/08/23(日) 14:46:34.440
ビザンツの地方貴族の出世とは、コンスタンティノープルに移って館を建て、
高位の官職につくことだった
貴族たちは、公務以外から報酬を得ないという、古代の有閑階級の生活様式を守った
このようなことは地方の所領からあがってくる莫大な収入があって可能なことであった
0624世界@名無史さん垢版2020/08/23(日) 16:14:22.650
>>622
テマは世襲ではないので節度使とは違うんでは?帝政ローマ時代の皇帝属州の総督(軍団指揮権を有してた)の方が近い
0625世界@名無史さん垢版2020/08/23(日) 16:47:57.660
ビザンツも中国も、「対等な関係」というのを認めない文明だけど、
実は近代ヨーロッパの、「対等な主権国家同士の関係」のほうが
人類史の中では特殊なのかもしれない
0626世界@名無史さん垢版2020/08/23(日) 17:48:36.290
>>625
互いの国力を無視して「対等」に扱うというのは本来不自然極まりないことだからね。
序列なり区別なりあるほうが自然。
0627世界@名無史さん垢版2020/08/23(日) 18:59:11.750
ビザンツ帝国はあらゆる国を――独立国であろうと、ビザンツ帝国より
強大な国であろうと――全キリスト教徒の父であるローマ皇帝を頂点とする
序列の中に位置づけた
各国の王は、家長である皇帝の家族とみなされたのである
0628世界@名無史さん垢版2020/08/24(月) 21:20:10.300
虚栄だわな
9,10世紀には人口も科学も文化もバグダードやコルドバの後塵を拝したのに未だに世界の中心だの空しすぎる
0629世界@名無史さん垢版2020/08/24(月) 22:11:04.310
>>617
ビザンツ帝国軍は騎兵が主力だったから
牧畜が奨励されて農業が停滞したのでは?
バルカンをスラブ人に奪われる以前は
バルカンが兵馬の供給地だったけど
以後はアナトリアで賄わなければならなくなった
0630世界@名無史さん垢版2020/08/24(月) 22:12:06.450
12世紀以降、北イタリア諸都市の商工業の発展に押されて
ビザンツ帝国の国内産業は衰退してしまったしな
0631世界@名無史さん垢版2020/08/24(月) 23:14:23.450
>>629
ビザンツの農業は古代ギリシア・ローマ以来の地中海農法が行われ、
あまり技術の進歩がなかった
それでも、古代から中世初期には西欧に比べて高度な農業技術を持っていたが、
12世紀に西欧やイスラムで農業技術が改善され農地の大開墾が行われるようになると、
ビザンツの農業の立ち遅れが目立つようになってしまった
技術的進歩といえば、せいぜい双股の鍬の発明ぐらいだった
0632世界@名無史さん垢版2020/08/24(月) 23:57:27.730
シュメール滅亡後に塩害で放棄されたイラク南部の土地で
アッバース朝時代に黒人奴隷ザンジュを用いた土地改良により
サトウキビとかを栽培する奴隷農場が発展したけど
ザンジュの乱の鎮圧後に農場は元の荒れ地に戻った

中世の中央アジアでは綿花の栽培が発展したけど
穀物から綿花に耕地を転用し過ぎたので
穀物の備蓄が充分に出来なくなり
モンゴル軍に包囲された都市が次々と陥落した
0633世界@名無史さん垢版2020/08/25(火) 00:11:16.720
セルジューク朝の遊牧トルクメンは放牧地を求めて
イラン人の農地を奪い放牧地にしようとしたので
ゼルジューク朝のイラン人宰相ニザーム・アル・ムルクは
イランを守る為にビザンツ帝国のアナトリアに
遊牧トルクメンを移住させた
遊牧トルクメンはビザンツ人の農地を奪い放牧地にした
0634世界@名無史さん垢版2020/08/25(火) 03:57:45.560
マケドニア朝末期のテマ制崩壊により
ビザンツ帝国の農民は兵役から解放され
農業に専念に出来るようになり
このまま農業が発展するかにみえたが
トルコ系遊牧民の移住により
ビザンツ帝国の農業は壊滅した
0635世界@名無史さん垢版2020/08/26(水) 10:56:33.670
古代ローマや中世ヨーロッパと違って東ローマはフィクションの題材として
あまり多く取り上げられないな
0637世界@名無史さん垢版2020/08/26(水) 16:09:49.160
>>636
プラトンは、哲人王は法よりもすぐれており、法に従っても従わなくても、
正しいと思う統治をすれば人々の幸福にになると考えていた
アリストテレスも君主制を望ましい政体と考えていた
ビザンツの専制は、オリエントだけではなく、古代ギリシャの影響も
あるんじゃないか?
0638世界@名無史さん垢版2020/08/26(水) 20:54:44.180
プラトンの哲人王は専制君主じゃないし(仕方ないから役目を負うって建前)、アリストテレスの政治学は12世紀までまともに注解作られないほど影が薄かった
古代ギリシャじゃ専制の僭主は基本評判悪い
0639世界@名無史さん垢版2020/08/26(水) 22:43:15.460
ビザンツ人は君主政を理想の政体とみなしていたが、その根拠は、神が唯一であるように
支配者もひとりであるべきだということである
複数の神を認めることは無神論であり、権力を複数の者が分かち合う民主政とは
無政府状態にほかならない
ビザンツの専制皇帝にあえてオリエント的性格を求めるなら、キリスト教がそれであろう
0640世界@名無史さん垢版2020/08/27(木) 21:26:34.330
>>635
ファンタジー小説の嚆矢である指輪物語のゴンドールやゲド戦記のエンラッドは東ローマ帝国がモデルだけど
RPGに出てくる西洋風の帝国は大なり小なり東ローマを連想してると思う
0641世界@名無史さん垢版2020/08/27(木) 22:54:39.690
ユスティニアヌスが西方領土を奪回しようとせず、東方国境の守りを固め、
バルカン半島の防衛を強化していたらよかったんじゃなかろうか
彼の死後にランゴバルト人がイタリアに侵入し、帝国はイタリア半島南端部と、
ラヴェンナからローマに至る地帯をかろうじて確保するのみとなってしまった
0642世界@名無史さん垢版2020/08/28(金) 00:19:54.670
ユスティニアヌス1世がアクスムをササン朝にけしかけた事が
アクスムとササン朝のイエメン争奪戦でイエメンが荒廃して
イエメンのマアリブ・ダムが放棄され
農業を諦めたイエメン人がベドウィン化して
アラブ・イスラムによる大征服の端緒となった
0643世界@名無史さん垢版2020/08/28(金) 08:52:44.880
ユスティニアヌス1世がアクスムをササン朝にけしかけた事は
アラブ・イスラムによる大征服の端緒となった
アクスムとササン朝のイエメン争奪戦でイエメンが荒廃して
イエメンのマアリブ・ダムが放棄されので
農業を諦めたイエメン人がベドウィン化して
イエメンの外へ移住せざるえなくなった
0644世界@名無史さん垢版2020/08/28(金) 09:19:45.610
イランの王朝は異民族の侵入によってあっさり滅びるパターンが多いけど、
ビザンツはゴキブリ並みにしぶといよな
717年、イサウリア人レオーン3世が帝位についたときは、帝国を取り巻く状況は
絶望的になっていた
アラブ人はコンスタンティノープルを海と陸の両方から包囲し、タウロス山脈沿いの
国境も寸断されていた。バルカン半島では、ビザンツの支配下にあるのは、
エーゲ海沿岸の細長い地域だけになっていた
しかし8世紀末になると、トラキア地方、カルキディケ半島、ギリシア中央部、
ペロポネソス半島などの領土奪還が進んだ
0645世界@名無史さん垢版2020/08/28(金) 12:38:58.810
「アレクシアス」
「ビザンツ帝国ー千年の興亡と皇帝たち」
「歴史学の慰めーアンナ・コムネナの生涯と作品」

アンナ・コムネナ関連も含めてビザンツ帝国関連の本が最近よく出てるな
0646世界@名無史さん垢版2020/08/28(金) 14:28:05.580
>>645
日本も衰退期に入ったし、どのように生き延びるかという意味で
ビザンツ帝国への関心が高まっているのだろうか
0648世界@名無史さん垢版2020/08/29(土) 07:41:25.400
現代の日本は古い共同体が崩壊して個人が重視されるようになっているが、
そのうちビザンツ人のように超越的な権威にすがりたくなったりして
0649世界@名無史さん垢版2020/08/29(土) 17:16:43.860
コンスタンティノス11世はスレイマンに降伏してた方が良かったな
意地はって劫略の憂き目を市民に味わわせるとはな
0650世界@名無史さん垢版2020/08/29(土) 22:18:21.290
あの状況で降伏したところで略奪は免れんよ
兵士が何のために戦っていると思っているんだ?
いくら日本人とはいえ平和ボケも度が過ぎるだろう・・・
0651世界@名無史さん垢版2020/08/29(土) 23:30:35.670
第四回十字軍のときもコンスタンティノープル市民は散々な目に遭ったしな
あの時代までは古代の彫刻や貴重な文献もかなり残っていたらしいが…
0653世界@名無史さん垢版2020/08/30(日) 07:33:50.050
>>619
コンスタンティノープルの人口は4世紀末には20万人をこえ、
6世紀前半にはおよそ50万人に達した
確かに一極集中だ
0654世界@名無史さん垢版2020/08/30(日) 15:11:48.650
都市の人口いくら増えても戦争には役に立たないんだよな
田舎のあぶれ者が兵士となってくれなきゃ戦争強国にはなれない
0655世界@名無史さん垢版2020/08/30(日) 16:50:08.970
>>654
だから外交で異民族同士を戦わせ、漁夫の利を得る
あるいは条約を結び、賄賂を贈って敵国を買収する
0656世界@名無史さん垢版2020/08/31(月) 07:35:04.180
コンスタンティノープルが本当の意味で帝都になるのは、
4世紀末のテオドシウス1世時代のこと
それ以前の皇帝たちは、帝国内の各地を移動していた
0657世界@名無史さん垢版2020/08/31(月) 12:56:18.760
>>646
なるほどそういう見方もあるのか
俺はビザンツの研究者が増えたということを言いたかった
俺らの時は大阪市大の井上先生か浜松医大の和田先生ぐらいしかいなかったもんな
0658世界@名無史さん垢版2020/08/31(月) 15:01:42.830
アレクシアスの訳者の相野洋三先生は井上先生より年上だしその上の世代には渡辺金一先生や杉村貞臣先生もいた
20世紀は井上和田相野渡辺杉村先生で合計5人いたことになる
夭折された米田先生や後年になって活躍した尚樹先生も含めれば7人

最近著作を出している新世代の先生は根津由喜夫先生と中谷先生と小林先生大月先生の4人なので
人数的にはむしろ減っているような
0659世界@名無史さん垢版2020/09/02(水) 16:31:06.940
>>656
テオドシウス1世時代からコンスタンティノープル以外が危険になり
皇帝が帝国内の各地を移動出来なくなったわけですな
0660世界@名無史さん垢版2020/09/02(水) 18:31:45.760
テオドシウスのオベリスクに刻まれている浮彫を見ると、
中世的特徴が出ているよね
古代から中世への過渡期の時代だということがわかる
0661世界@名無史さん垢版2020/09/03(木) 11:37:59.120
テオドシウス1世はスペイン出身だけど
即位してからスペインと絶縁状態になった
スペインにいたテオドシウスの親族らは
スペインから追放された
テオドシウス家は西ローマ領で嫌われていた
0662世界@名無史さん垢版2020/09/03(木) 18:51:07.860
後期ローマ帝国では、わずかな時期を除いて、複数の皇帝による分割統治が
行われたが、もうこの時期から東(ギリシア語圏)と西(ラテン語圏)の亀裂が
大きくなってきていたんだろうね

元首制時代のギリシア諸都市では、グレコ・ローマンという形容が示すように、
制度上も、文化面でも、ギリシアとローマの混淆が進んだが、それはしょせん
一時的なものにすぎなかったのか
0663世界@名無史さん垢版2020/09/04(金) 00:56:24.330
>>662
しかもアカエア属州としてローマに編入された当時のギリシャは、
少なからず自身がヘレネスとしての自覚を持ち、ローマに取り込まれることを拒んでいたのにな
蓋を開けてみれば意外にもローマ人が厚遇してくれたので反発も少なかったんだろうが、
それにしても後世自らを『ローマ人』だと規定するようになるとはね
その上で西はローマ帝国ではないと考えるとは何たる皮肉
0665世界@名無史さん垢版2020/09/04(金) 11:25:39.760
アナスタシウス1世の財政改革のおかげで東ローマの国庫は急速に豊かになった
これがなければユスティニアヌス1世の旧西ローマ帝国領回復もなかったかもしれない
0666世界@名無史さん垢版2020/09/04(金) 11:29:00.610
ユスティニアヌスなんて全然名君じゃないよな
なんか持ち上げられすぎ
0667世界@名無史さん垢版2020/09/04(金) 12:17:30.020
むしろベリサリウス使ってニカの乱を鎮圧(=民衆を虐殺)してるところとか、
ゲルマン民族の大移動後、東ゴート王国の支配の元で
安定を取り戻しつつあったイタリア半島を破壊・略奪したところとか、
帝国領土拡大の最大の功労者のベリサリウスを冷遇していったりとか、
暴君の要素しかないな・・・今思うと。
ニカの乱でコンスタンティノープルを脱出する直前に
妻テオドラに説得されて方針転換した話は今でも面白いなと思うけどさ
0668世界@名無史さん垢版2020/09/04(金) 14:19:09.640
>>667
ユスティニアヌスはニカの乱で市民を容赦なく虐殺してるけどさ、
元首政時代のローマ皇帝ならそんなことはやらなかったんだろうか?
ユスティニアヌスの時代のローマ皇帝はもはや専制君主だったからできたのかも
0670世界@名無史さん垢版2020/09/04(金) 22:13:38.390
>>654
11世紀には社会的上昇の媒体としての軍隊は魅力を失い、法学を学び、
中央の官僚機構に列することが野心に満ちた若者たちの最大の目標となった
0672世界@名無史さん垢版2020/09/05(土) 11:18:10.870
帝都コンスタンティノープルで豪奢な生活を送り、プラトンやアリストテレスの
作品について文人たちと談論したり、高度な神学上の問題について議論を交わす
これがビザンツ貴族の生活
もはや文明は爛熟しきっていた

イブン=ハルドゥーンも田舎から都市に出てきた人間は軟弱になる、
みたいなことを書いてなかったっけ?
0673世界@名無史さん垢版2020/09/05(土) 11:49:01.100
>>672
多神教時代のギリシャ人の哲学なんて談論してたの?
あと、イブン=ハルドゥーンが言ってたのは『人間』というより『民族』が
当初の野蛮な強さを忘れて軟弱になるって言ってた気がする
0674世界@名無史さん垢版2020/09/06(日) 08:52:31.760
都市に住むようになった王族と
遊牧民のままの部族民が対立するようになる
王族は専制化を目指すけど部族民が従わないので
傭兵や奴隷兵で部族民を押さえつけようとする
こうして仲間割れになって王朝は滅亡してしまう
0675世界@名無史さん垢版2020/09/06(日) 09:04:12.440
都市に住むようになった王族と
都市民も激しく対立していた
都市民は自警団アイヤールで抵抗していた
都市民の中には外敵に内通する者もいた
モンゴル軍の道案内をしたのは
オアシス都市出身の商人だった
0676世界@名無史さん垢版2020/09/06(日) 09:55:05.580
>>666
コンスタンティヌス大帝とテオドシウス大帝やユスティニアヌス大帝とか
キリスト教大帝を近代以前は批判出来なかったようだね
イスラム世界でムハンマドやシーア派のアリーを批判出来ないと同じだな
シーア派のアリーなんか単純に我儘な暴君なんだけど崇拝され続けている
0677世界@名無史さん垢版2020/09/06(日) 10:50:53.750
ローマのカンピドリオ広場にあるマルクス・アウレリウス・アントニヌス騎馬像は、
コンスタンティヌス大帝の像と間違われたので破壊されなかったのだとか
0678世界@名無史さん垢版2020/09/06(日) 11:40:10.040
マルクス・アウレリウス・アントニヌス騎馬像は
髭をはやしているから中世のキリスト教君主ように見える
コンスタンティヌス大帝とかローマ人の多くは髭を剃っていた
0679世界@名無史さん垢版2020/09/06(日) 14:53:46.260
ニコマキの象牙板
https://en.wikipedia.org/wiki/Symmachi%E2%80%93Nicomachi_diptych#/media/File:Diptych_Nicomachi-Symmachi_collated.jpg

テオドシウス帝によってキリスト教が国教化された後も、こういう古代的な作品が
つくられていたんだよな

その一方でテオドシウス帝の肖像の後ろには聖人のように光輪が表現されていて、
古代と中世の過渡期だということがわかる
https://simple.wikipedia.org/wiki/Theodosius_I#/media/File:Disco_o_Missorium_Teodosio_MPLdC.jpg
0680世界@名無史さん垢版2020/09/07(月) 19:29:26.540
ユスティニアヌス1世はアテネのアカデメイアを閉鎖したといわれるが、実際には、
アカデメイアはその後も活動を続けていたようである
ギリシア古典の研究、写本の作成が途絶え、ギリシアにおける文化活動が大きく
停滞するのは、6世紀の後半、アヴァール・スラヴ人の侵入による都市の破壊以降の
ことである
0681世界@名無史さん垢版2020/09/08(火) 16:26:57.070
中世画って今でいう
抽象画や印象派みたいな感じだったのかな
写実は無意味っていう
0682世界@名無史さん垢版2020/09/08(火) 20:02:29.820
単にイコノクラスムでローマ絵画の技術が失われただけ
彫像技術なんて6世紀には早く失われた
0683世界@名無史さん垢版2020/09/08(火) 20:08:13.760
神の真の姿は目に見えないもの、つまり人間の感覚を越えたもので、
絶対的な真理または美であるが、肉の目ではそれを見ることはできない
それは目に見えないが完璧な実在で、それをイデアと考える
イデアはたった一つの原型であるから、キリストの体や顔がまちまちの
個性を持っていることはその本来の性質を俗っぽいものにするので、
おおよそ身体も顔も決まった形式をもって描かれる
0684世界@名無史さん垢版2020/09/08(火) 23:47:29.650
>>680
マジで?
最後の学頭ダマスキオスら7人の哲学者が閉鎖後、ササン朝の保護求めて移住したのは有名だがアカデメイアが閉鎖後も活動できたならササン朝に保護求める必要なかったんじゃ?
彼ら主要哲学者達を欠いてアカデメイアの誰が活動してたの?
0685世界@名無史さん垢版2020/09/09(水) 09:42:06.100
近世以降のギリシャって東ローマ帝国に対しては古代ギリシャと同じく
尊敬の念を抱いてたりする?
0686世界@名無史さん垢版2020/09/09(水) 19:20:29.550
ビザンツではペストは流行らなかったのかな?
もし流行っていたとすればビザンツ帝国民も入浴の習慣はなかった、とか?
0687世界@名無史さん垢版2020/09/09(水) 19:32:27.600
6世紀ユスティニアヌス1世時代のペストの大流行は有名だね
14世紀のペストの大流行はビザンツを再起不能にしたと言われる
コンスタンティノープルは空き家だらけのゴーストタウンになった
0688世界@名無史さん垢版2020/09/09(水) 20:00:34.130
アカデメイアは閉鎖したが、アテネの学塾が全て閉鎖されたわけではない、他の学塾は
存続していた、という話だと思うのだけど
0690世界@名無史さん垢版2020/09/10(木) 00:32:46.180
>>688
>>680はアカデメイアが活動を続けたっていたって言ってるんだよなぁ
個人の活動だったらアカデメイアの活動とは言わないし
0691世界@名無史さん垢版2020/09/10(木) 01:40:40.860
>>690
アカデメイア閉鎖については
Justinian, Malalas, and the End of Athenian Philosophical Teaching in A.D. 529*
という論文があるから、529年以降もアテネでアカデメイアが続いていたとするなら
どこに書いてあるか教えて

ちなみに>>688では個人の活動などとは書いてないが
0692世界@名無史さん垢版2020/09/10(木) 02:13:40.430
>>691
だから529年以後もアカデメイアはどこで活動を続けたわけ?という疑問を680に宛てたわけだが
そしたら>>688が学塾が云々するからそれはアカデメイアの活動とは言わんよねってこと
0693世界@名無史さん垢版2020/09/10(木) 08:36:30.900
>>692
何か勘違いしているようだが、>>688は、「アカデメイアは閉鎖された」と書いたのであって、
学塾=アカデメイアとは書いていない

文章読解できるようになって
(「アカデメイアが活動を続けたっていたって言ってるんだよなぁ 」←君、文章も変だね)

で、現在わかっている事実は>>688で書いた通り

アカデメイアを閉鎖する法令が529年にでた。これをもってアカデメイアは閉鎖されたと考えられている
傍証としてアカデメイアの著名な学者は他の都市に移った事実がある

アカデメイアの学者が他都市に移ったから、これまではアテネにおける古代の学術が全てほろんだと解釈されてきたが、
最近の研究書で、その後もアテネで研究・教育がなされていた事例が指摘された(この部分が
どれくらいの規模かわからないのでとりあえず「学塾」と書いたわけ)
0695世界@名無史さん垢版2020/09/10(木) 22:56:13.410
現在のギリシャ人にとって東ローマ帝国は古代ギリシャと同じく栄光の歴史となってる?
どちらかというと古代ギリシャのほうを持ちあげてる感じがするけど
0696世界@名無史さん垢版2020/09/11(金) 19:54:16.430
ユスティニアヌス1世の時代、ビザンツ軍は傭兵を主体とした軍隊だった
傭兵を主力とする皇帝直属の中央軍団は、7世紀におけるアラブ人との
戦闘で敗北を喫する
彼らはアラブ人のゲリラ戦に対応することができなかったのである
0697世界@名無史さん垢版2020/09/11(金) 20:28:54.620
ヘラクレイオス1世の臣下10万超を2万のイスラム軍が破った戦い、ヤルムークの戦い(636年)の時にイスラム軍を指揮したハーリド・イブン・アル=ワリードは、アラブ世界では英雄/名将として有名。
アッラーの剣という異名を持つ。

ヤルムークの戦いではワリードの巧妙な戦術に東ローマ軍は10万超の大軍の約半数を失ったとされる。
0698世界@名無史さん垢版2020/09/11(金) 22:32:03.350
アラブ人は攻城術を知らなかったので、堅固な城壁に守られたビザンツ都市に対して
なすすべもなかったとか
0699世界@名無史さん垢版2020/09/11(金) 23:37:20.220
アラブ人って、象に苦戦したり攻城法を知らなかったり海軍がなかったり、
大征服の過程で、「こんなことも知らんで征服してたんか」みたいな話が多い

知らんかったことを着実に身に着けたから大帝国に発展したのだろうが
アラブ人がそうしたスキルを身に着けるまで放置していた敗れた側の大帝国たちは
何してたん?と思う
0700世界@名無史さん垢版2020/09/11(金) 23:41:33.880
>>695
イスタンブルが首都だったらもっとビザンツを売りにしてたかもね
ハギアソフィアがない、イスタンブルがないではビザンツ持ちあげても
片腹痛いという感じ

てかビザンツ持ちあげると大ギリシア復興運動が活性化しNATOを維持したい欧米に
止められるから国をあげてビザンツ持ちあげるとかできないんではないかな

二次大戦中の軍事独裁メタクサス政権ではビザンツを持ち上げていたはず
0702世界@名無史さん垢版2020/09/12(土) 01:38:44.860
そういえばギリシャの歴史ドラマって東ローマ帝国時代を舞台とした作品も多いのかしら。
逆に歴史ドラマの時代背景としてはマイナー?
0704世界@名無史さん垢版2020/09/12(土) 16:44:33.590
>>700
イタリアがローマを持ち上げるのと、ギリシアがビザンツを持ち上げるのとは変わりないように
見えるが

イタリアがローマを持ち上げてもムッソリーニの拡張主義に結びつける人よりも、ローマはヨーロッパの
源流として現在のEUに結びつける人の方が多いから問題ない

ビザンツをギリシアが持ち上げると、19世紀以来の大ギリシア主義と結びついてしまう
この違いは何なのか

ヨーロッパ諸国はローマを共通の祖先とか故郷だと思っているが、ギリシアの周辺諸国は
ビザンツを故郷とは考えておらず、敵対国と考えているから

ところがオスマン帝国は、わりとかつての支配下諸国に受け入れられていて
トルコが制作したオスマン帝国のドラマは周辺諸国でもヒットし、トルコのエンタメも
周辺諸国に受け入れられている

ギリシアでビザンツを作るとしたら、大ギリシア主義とは切り離して、周辺諸国含めた
普遍文化を強調すればうまくいくかも知れない
0705世界@名無史さん垢版2020/09/12(土) 16:52:01.160
ビザンツ帝国はアラブ人にエジプト・シリアを奪われたけれど、
単性論を信ずる地域を失ったおかげで、教義論争で悩むことはなくなった
かつてローマ帝国の支配地域だった領域は、西欧・ビザンツ・イスラームの
三つの文明に分かれていく
0706世界@名無史さん垢版2020/09/12(土) 23:03:41.870
古代のローマ人も、蛮族は変わらない、進歩しないと考えていたようだが、
ビザンツ人やペルシア人も同じだったのかなあ
0707世界@名無史さん垢版2020/09/13(日) 00:28:31.390
テオドリック時代の東ゴート王国は東ローマの属国いうポジションなのか?それとも皇帝なき西ローマと見做せばよいのか?
0708世界@名無史さん垢版2020/09/14(月) 16:30:52.500
東ゴート族は、最初東ローマ帝国の同盟者だったが、豊かな土地と戦利品を求めて
バルカンに侵入し略奪した
そこで東ローマ帝国は488年、テオドリック王率いる東ゴートをイタリアへ向けさせ、
彼らをうまくバルカンから排除した
東ローマはイタリアを犠牲にして自国を救ったといっていいのかな?
0709世界@名無史さん垢版2020/09/15(火) 13:39:40.050
ゴート族とイサウリア人が東ローマ軍内で勢力争いしていたけど
イサウリア人のゼノン帝はゴート族をイタリアへ移住させて
東ローマ軍内からゴート族を減少させてイサウリア人に有利にした
イサウリア人よりもゴート族の方が優秀な兵士だったようだから
東ローマ軍が弱くなった
0711世界@名無史さん垢版2020/09/15(火) 16:10:11.840
ちょうど鐙が普及し始めたからゴート族の優位が崩れたのだろう
民族大移動開始時にはゴート族以外は鐙を使っていなかったようだ
西ゴートも鐙を使うアラブ軍に滅ぼされている
0712世界@名無史さん垢版2020/09/15(火) 16:46:31.340
>>707
東ゴートのテオドリックは東ローマ帝国の皇帝の代理者という名目で統治にあたり、
またフランク族など他のゲルマン系部族の多くも東ローマの皇帝の権威を尊重したため、
少なくとも表面的には、東ローマ皇帝は地中海世界全体の宗主権を握る最高の支配者
という地位を保ち続けることができた
0713世界@名無史さん垢版2020/09/17(木) 23:20:28.530
7世紀に南スラヴ人がバルカン半島を南下し、西欧とビザンツとの間に楔を打ち込むと、
両者の交流は困難となった
その結果、ローマをはじめとする西方の主要都市におけるギリシア語の知識は激減し、
同時にコンスタンティノープルにおけるラテン語の知識も大きく後退した
そして、相互理解の機会は減少の一途をたどった
0714世界@名無史さん垢版2020/10/18(日) 10:02:03.990
東ローマにおいて古代ローマ時代のような”プレノーメン・ノーメン・コグノーメン”な
名乗りをしなくなったのって何で?
0715714垢版2020/10/18(日) 10:02:41.430
ageてもうたorz
0716世界@名無史さん垢版2020/10/19(月) 19:04:29.590
>>714
別にageてもいいんでない?
もう5chの世界史板なんて過疎り放題でageようがsageようが大差ない

それはともかく、その全名の名乗り方はローマ系住民の習慣であって
東ローマ帝国本土の大半の住民であるギリシャ系住民の習慣じゃない
そりゃあローマ人の習慣なんて廃れていって当然だろうよ
コムネノス朝頃だっけか?
家名を本人の名前の後に続けて名乗る習慣が出たのは。
それ以前か?忘れた・・・
0717世界@名無史さん垢版2020/10/19(月) 19:35:31.080
第四回十字軍がコンスタンティノープルを占領したとき、
この時代までは残っていたギリシア彫刻の傑作も破壊されたんだよな
古代の文献もこの時に失われたものが多い
聖ソフィア大聖堂では聖域の大きな垂れ幕が、その金の縁飾りのせいで
ずたずたに引き裂かれた
扉や説教壇からは銀細工や金メッキの彫刻が剥ぎ取られた
聖使徒教会では歴代皇帝の墳墓が荒らされた
0719世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 10:22:12.200
>>704
正教圏でも?正教徒にとってビザンツは総本山でしょ
逆に西欧もイタリアを祖国とは全く思ってない
ローマは崇拝しても
0720世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 11:02:47.060
>>719
正教圏のロシアで今ビザンツって人気なんだろうか?
もし人気だったら、ロシア経由で国際的にビザンツ人気が盛り上がる可能性もあるかもしれない
0722世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 12:35:50.550
>>719
正教徒はビザンツを総本山とは思ってないだろ
ローマはペテロの座だが、コンスタンティノープルは使徒は殉教者や聖書所縁の地でもなんでもない
カトリックにはラテン語という共通語があるが、正教はほぼ改宗後早い段階で聖書は現地語に
翻訳された
総主教も各言語圏ごとに独立した存在

また、正教圏の有力構成国はほとんどビザンツの領土だったことがない
ブルガリア、セルビアは一時的に領土になっただけ
アルメニアとグルジアは従属していただけ
ロシアとルーマニアは領土になったことはまったくない(カトリック圏の中南米と同じようなもの)

正教圏としての一体感はあるかも知れないがビザンツを共通の祖先と見なす考えはあまりない
とはいえまったく関係ないと思っているわけではなく兄貴分くらいには思っているかも知れないが
0723世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 16:30:18.230
正教圏諸国人でビザンツで高官に出世した人が少ないのも痛い

オスマン朝は大宰相にまで出世したバルカン人やアルメニア人など帝国内の諸国人がたくさんいたが
(というよりトルコ人よりも多い)
初期の頃はともかく、ヘラクレイオス朝以降の領土の縮小したビザンツ帝国で
高官に出世したのはギリシア人以外だとアルメニア人以外あまりいない
0724世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 16:46:44.600
>>723
よくビザンツは実力主義だったといわれるけど、
官僚となるための前提となった高度な教養自体、コンスタンティノープル以外では
事実上習得できず、地方の出身者で子弟を首都の高等教育機関に送り出すことが
できたのは富裕な家系に限られていたんだよな

中国で科挙を受験することができたのも富裕層の子弟が多かったらしいけど
0725世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 16:53:21.830
中世や古代なら「富裕ならチャンスがある」のは実力主義と言っていいんじゃない?現代社会なら格差の再生産だけど。
0726世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 18:18:27.290
軍や下級役人で成果上げればどの民族や出自関係なく出世して官位も得られただけで十分だと思うけど
コムネノス以降とはその辺は分けて考えたい
0727世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 18:44:40.440
富裕ならチャンスがある、ということは、経済力がある階層が時代とともに変わっても、経済力のある
社会層を常に支配体制に組み込める社会ということだから、こういう社会は持続性がある

社会でもっとも経済力のある層を支配層に取り込めなくなると、革命などの大きな社会変動が起こる

もっとも、格差が拡大しすぎて人口の99%が下層となってしまうと、いくら富裕層を支配体制にいれたところで、
99%が反乱を起こせばひっくりかえるから、やはりどこかに閾値があるのだろう
0728世界@名無史さん垢版2020/10/20(火) 19:31:16.400
コーンスターチヌス大帝 age
0730世界@名無史さん垢版2020/10/21(水) 00:04:37.670
今の日本で中国史や中国文化が親兄貴分としてしまれているのと同じような感じで
ロシアやバルカン半島諸国でもビザンツ史やその文化が親しまれてるってことはないんだろうか
0731世界@名無史さん垢版2020/10/21(水) 00:31:37.140
>>730
ビザンツ史についてはどうだかわからないけど文化についてはあると思う
だから

>ギリシアでビザンツを作るとしたら、大ギリシア主義とは切り離して、周辺諸国含めた
普遍文化を強調すればうまくいくかも知れない

ということ 
東洋でも、中国が冊封体制を持ち出して周辺諸国を属国扱いしたり、逆に日本が大東亜戦争は正しかった
とかいうと軋轢が起こるが、文化的なものなら中国人は日本のドラマをみて、日本人は三国志や
キングダムが好きで中華史劇ドラマも結構みられている

ビザンツは、ギリシアだけではなく、ブルガリアセルビアトルコロシアがあまりナショナリズムを強調するのがネック
なんせ19世紀末から20世紀初頭は「火薬庫」と言われた地域だから、東洋より複雑で荒れやすい

この点オスマンドラマは、ちゃんと諸民族出身者をドラマの登場人物に配して一方的に描かなかったこともトルコ以外で
受け入れられた理由のひとつ

一方ギリシアは大ギリシア主義と結びつきやすいからビザンツであまりアピールせず、古代ギリシアの方をアピールしてる
0732世界@名無史さん垢版2020/10/21(水) 00:54:48.620
>>731
ビザンツの普遍文化というとやっぱり正教や美術・文学とかになるんだろう
軋轢を生みやすいナショナリズムからは極力切り離して、そういう共通文化からまずは親しみを持たせていくべきだな
0733世界@名無史さん垢版2020/10/21(水) 14:43:00.200
ビザンツ人は自国のことを、人類の歴史は多くの帝国の興亡史だったが、
自分たちの国はその最後を飾る帝国であり、その後にはキリストの再臨、
最後の審判が来ると考えていた

オスマン帝国に滅ぼされたとき、ビザンツ人はどう考えたんだろうか
0734世界@名無史さん垢版2020/10/21(水) 20:05:51.150
お前らともあろうものがアレクシス和訳についてあまり話していないとは
0736世界@名無史さん垢版2020/10/22(木) 08:36:53.490
>>733
まだ滅亡まで余裕のあったうちは、終末論があったし、滅亡後民衆はそのように思っていたかも知れない

知識人の中には(少数派) オスマンをローマの継承者と見る人もいた

しかしその他知識人は、西欧の勃興をわりと認識していたようだから、終末論を脱していた可能性がある
その西欧では、このままオスマンに征服される危機感もあったろうが、一方でカール五世とかが登場し、
新たな普遍帝国を目指したから、結局のところキリスト教的ローマ帝国は西方で継続しているから
世界の終末はまだ来ない的な感じになったんじゃなかろうか

モスクワ大公国がツァーを名乗るのもオスマン以外の継承者理念の反映なのだろう
0737世界@名無史さん垢版2020/10/22(木) 22:18:14.510
すいやせん
ギリシャの火ってどれくらいすごかったんですか?
現代科学でもギリシャの火は作れないんですか?
これでもオスマンになぜ負けたのですか?
0738世界@名無史さん垢版2020/10/22(木) 23:22:58.070
ブリエンニオス歴史の翻訳終わってんならさっさと出して欲しい
引用の様子見てると相当事実に基づいてしっかり書いてそうだし
0739世界@名無史さん垢版2020/10/23(金) 02:55:03.520
>>737
ギリシャの火が活躍したのは9世紀ぐらいのことであって、
オスマン帝国が攻めて来た15世紀にはとっくのとうに過去の遺物として忘れ去られた兵器になってたぞ
その頃にはビザンツでギリシャの火が使われた記録はもう一切なくなってる
多分、時代と共に製法が忘れ去られて作れなくなったんだろう
0741世界@名無史さん垢版2020/10/23(金) 11:49:51.120
若槻泰雄が『日本の戦争責任(下)』で、
「日本の仏教は六世紀に伝来したときから、国家鎮護の思想として国家権力の
庇護の下に成長してきたのであるから、国家権力と対立するという思想を本来
持ちえなかった。浄土真宗のような例外もないではなかったが、国家を超えた
普遍的概念を構成することはなかった」
と書いているんだが、むしろ叙任権闘争の後、聖俗が分離した西欧文明圏のほうが
特殊なんじゃないのかな。

ビザンツ皇帝は「地上における神の代理人」とされ、皇帝は教会のあり方に
干渉したし、皇帝は厳密にいえば聖職者ではないが、「使徒に匹敵する」存在とされ、
一般信徒とは区別された。皇帝は説教を行うこともできたし、教会の内陣が
一般信徒に閉ざされた6世紀以降でも、内陣で聖体拝領を受けることができた。
0742世界@名無史さん垢版2020/10/23(金) 13:32:48.600
ヒトラーはまだビザンツ人がいれば
どうしてました?アウシュビッツ行き?
0743世界@名無史さん垢版2020/10/23(金) 21:06:50.440
>>739
ネットフリックスのオスマン帝国のドラマではギリシャ火が使われてたとか言われてたけどあれは創作なんだろうか?
0744世界@名無史さん垢版2020/10/23(金) 21:07:25.490
あ、コンスタンティノープルが陥落した時の戦いで使われてたってことね
0745世界@名無史さん垢版2020/10/24(土) 06:55:15.600
>>743
そのドラマは見たことないから知らんけど創作なんじゃね?
時代考証をちょっと間違えてる歴史ドラマなんて珍しくないし
0746世界@名無史さん垢版2020/10/24(土) 08:03:33.560
あのドラマ、間違いなくエンタメ用に脚色されたり意図的に抜いた要素とかあるからな
メフメト2世時代の大宰相チャンダルル・ハリル・パシャが
ビザンツ皇帝コンスタンティノス11世の弟である大臣兼軍司令官ルカス・ノタラス大公と内通していたってところとかな
少なくとも間違いなく彼らは直接会ったことはないだろうし、
ビザンツとオスマンで内通してたにせよ、こんな幹部クラスの人間同士で内通していたとは考えにくい
ただ、ルカス・ノタラス大公がコンスタンティノープル陥落後にオスマン側に処刑されたところは事実やね
俺はこのドラマ見てから調べて知ったけども

あと、傭兵隊長ジュスティニアーニ・ロンゴが皇帝の娘(妹?名前も忘れた)と恋愛関係になっていたところとかも創作
そこよりケルコポルタ門が『鍵のかけ忘れ』に気づかれて突破されたところは再現しろよ・・・と思う
普通にどっかの門が破壊されて突破されたことになってたし
0747世界@名無史さん垢版2020/10/24(土) 12:16:13.570
>>739
>ギリシャの火が活躍したのは9世紀ぐらいのことであって
1043年のルーシの襲撃ではギリシア火で撃退されているから、少なくとも11世紀までは使われていたようだ
0748世界@名無史さん垢版2020/10/24(土) 16:11:18.500
1453年についての史実どうこうとか言い始めたら戦ってたのなんて西ヨーロッパの商人とその傭兵だけで
住民はいつも通り生活してただけになりますけどね
0749世界@名無史さん垢版2020/10/24(土) 18:48:42.120
アラブ人が海軍を創設できたのは、優れた港や造船所を持つシリア、エジプトを
征服したかららしいね
674年から678年までアラブ艦隊はコンスタンティノープルを包囲するけど、
このとき滅亡寸前の帝国を救ったのが「ギリシアの火」
7世紀後半にシリア出身のカリニコスによって発明された
生石灰・松脂・精製油・硫黄などを混合した液体であったらしい
0750世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 09:49:59.320
あの〜双頭の鷲ってビザンツの象徴じゃないですか?
ロシア、アルバニア、セルビアはビザンツの実質的な正当後継国ということですか?
0751世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 10:33:09.040
アラブは乾燥地帯なのに、どうやって軍船用の木材を調達したんだ?
レバノン杉でも使ったのか?
0752世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 10:38:54.270
全部自称だけどね
ブルガリア君主とかも双頭の鷲じゃないけど、
シメオン1世はギリシャ語の『バシレウス』と名乗っていた
ビザンツ帝国を圧倒しコンスタンティノープル総主教にバシレウス(皇帝)だと認めさせた
『ローマ人とブルガリア人の皇帝にして専制君主』とも自称している
とはいえ、もちろんビザンツ皇帝からしてみればただの僭称に過ぎなかったわけだが。
東欧・南欧世界においてビザンツ皇帝というのは憧れの象徴だったのは間違いない
0753世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 11:02:24.780
そうなんですか・・
双頭の鷲は左右に向いてますよね?
意味は西も支配者、東も支配者としての意味なんでしょ?
支配者としての憧れの象徴にはなりえますね
0754世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 12:15:10.690
まあ古今東西、君主の称号やら紋章やらってのは僭称だったり
新しく創設したけど当時の人らには「自称でしょ?」程度の認識だったりする場合が多い
それでも年月が立つと権威ある称号だと認識されたり、
あるいは”ホントは縁もゆかりもないけど自身の権威付けに・・・”って理由で利用される
神聖ローマ帝国も双頭の鷲を国章としてるだろ?
あれもローマ帝国(皇帝)の権威にあやかってるだけ
ヨーロッパの西も東も支配する権利を持つ唯一の皇帝ですよ〜ってこと
もちろんローマを保有したことはないし、ラテン語も公用語でもないし、ローマ人は中世後期にはもういない
それでも「カール1世がローマ教皇からローマ皇帝としての戴冠を受けたから!」
これだけでローマ帝国を名乗っちゃうんだから、まあ面の皮厚いよね(笑)
0755世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 14:50:10.800
>>737
ギリシアの火は何度かあちこちで研究者による再現実験がされている
例えば greek fire byzantine national geographic で検索すると再現実験の動画が出てくる

原料は推測らしいが、将来ギリシアの火で焼かれた船の残骸が見つかって、残骸に残る物質の成分分析をして
成分が判明する時がくるかもしれないね
0756世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 14:55:18.150
>>754
神聖ローマ皇帝はしばしば都市ローマの支配者でもあったし、公文書もラテン語のものが多いだろ?
0757世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 19:06:31.610
カール大帝の西ローマ皇帝戴冠を知ったビザンツ側の反応は、
カールがコンスタンティノープルめざして進軍してくるのではないかという
懸念だったとか
この時期ビザンツでは皇妃イレーネが君臨しており、女性の支配者を認めない
フランク王国では、皇帝は空位であるという認識だった
0758世界@名無史さん垢版2020/10/25(日) 20:40:06.180
中近東は産油地帯だから、やはりギリシャ火には石油が使われていたのか?
0760世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 06:17:19.360
メディーバルトータルウォー(ゲーム)で東ローマに興味もったんだけど
西欧資本のせいであんまりなくない?
東欧も含めて東ローマ題材の映画とかドラマとか
地味という感じもするな
日本語付きの大河ドラマみたいなものがあればわかりやすいんだけどな
いろんな宗教や考え方が入り混じって翻訳難しそうだな
0761世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 08:19:18.320
ビザンツが地味なのは後継者のギリシャが今しょぼいからなのかな
人口も1000万人しかいないみたいだし
0762世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 09:06:39.560
ギリシャだけでなく、他の東方正教の国々も、西欧諸国に比べればイマイチだよな
世界を制したのは西欧文明のほうだったし
0763世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 09:19:29.380
オスマン帝国統治下のギリシャ人は、自分たちがヘレネス(古代ギリシャ人、異教徒)
の子孫だということをすっかり忘れ去っていた

西欧からの旅行者が古代ギリシャの遺跡を訪れるのを見て、
「彼らはヘレネスの子孫で、祖先が残した遺物を見に来ているのだ」
と考えていたという
0764世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 11:34:42.630
ビザンツのドラマとか映画がないから何が分からないかって、
当時の一般的な人々の服装や街並みとかがいまいち想像つかないんだよな
ビザンツ時代の絵画みても支配階級か宗教的人物のモザイク画ばかりで良く分からんし
オスマン帝国の時代のイスタンブールの街並みのほうが絵的にイメージ沸く
ビザンツ時代のコンスタンティノープルの映像は頭に浮かばない
0765世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 12:12:44.740
ビザンツが登場する映画なら、Fetih 1453 というトルコの映画がある

検索するとようつべのは日本語字幕もある

コンスタンティノープルの民衆も少しでてくる
0766世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 12:16:28.150
ビザンツ 映画 で検索したら、

ビザンツ歴史関連映画「コンスタンティン・フィロソフ」(1983年作)

というのも見つけた。テッサロニキや当時の小学校が登場しているらしい
0767世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 14:02:28.880
枢軸側と連合国側の違いとして
過去の古い制度への復活が枢軸側で
新しい制度への切り替えが連合国だった
連合国が西欧だな
ソ連は例外だが、枢軸側は東欧に多い
東欧は過去の古い制度への復活を目指すから
地味で西洋より時代遅れで、映画ドラマも
古臭くて敬遠されがちなんだろう
0768世界@名無史さん垢版2020/10/26(月) 22:22:07.860
東ローマは西ローマに比べて皇帝政府の権力が強かったけれど、これはやはり
専制政治の伝統が強いオリエントを統治していたからなのかな
西ローマの場合、在地の有力者が強い力を持っていたので、
皇帝政府が地域を把握していなかった
0769世界@名無史さん垢版2020/10/27(火) 13:14:02.530
すいやせん
十字軍とビザンツはなぜ対立してたのですか?
同じキリストでしょ?
ビザンツは十字軍を編成したことはあるのでしょうか?
0772世界@名無史さん垢版2020/10/27(火) 22:02:59.590
ビザンツ「聖地をムスリムの手から取り戻してくれ。ただし取り戻した後はうちの領地にしてくれ」
十字軍「はい」
占領後
十字軍「なわけないだろ。占領地は俺らのものだわ」
ビザンツ「約束を破りおって許さん」

こんな感じだったような
0773世界@名無史さん垢版2020/10/27(火) 22:37:19.620
というか高校の世界史教科書に載ってそうな話をここで聞くのか
0774世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 04:30:43.860
>>771
どこから語ろうか・・・
正直解説動画とかサイトとか見てほしいレベル
ビザンツは中世半ば頃まではヨーロッパの先進国家、オリエントを支配下に入れてた
宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は
キリスト教がローマ帝国で公認された当初は正教会とカトリックという区別はなかったが、
11世紀に入るまでには正教会とカトリックという形に分裂、対立関係にあった
それでも「完全な異教徒よりはマシ程度」の考えは持っていたが・・・
そんな状況下で、ビザンツ帝国を圧迫していたセルジューク朝(イスラム王朝)がアナトリアを征服し、
ビザンツ側は「異教徒共がエルサレムを占拠した!全キリスト教徒の危機!」と西欧に宣伝、
エルサレムの奪還を目的とする救援を求めた。
(これは当時の皇帝アレクシオス1世によるプロパガンダでしかない。
 実際はセルジューク朝以前からエルサレム周辺はイスラム勢力の支配下にあり、キリスト教徒の巡礼も許されていた
 エルサレムはアラビア半島の一部なので、アナトリア征服とは何の関係もない。
 アレクシオス1世が自国の征服版図を取り戻すための宣伝活動だった)
しかしビザンツ側はあくまで傭兵団程度の規模の派兵を求めていただけったのに対し、
西欧側はローマ・カトリック教会の呼びかけにより、西欧連合軍規模の軍団を派遣した。
なお、この時エルサレム及び周辺地域はスンナ派のセルジューク朝とシーア派のファーティマ朝で取り合いをしていた
そこに十字軍が殴り込みをかけて・・・
あとは解説動画でも見てくれ
0775世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 04:33:02.200
解説に抜けてた点があった

>宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は

の後に

>ビザンツの首都と同じコンスタンティノープル

が入る
0776世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 04:43:32.650
>>772
だいたい合ってるが、ビザンツ側も都合の良いことを言い過ぎなんだよな
実際に聖地奪還の努力をしているのは十字軍騎士たちなんだから、
そりゃ報酬ナシで動いてくれなんてムシの良いことを言って聞いてくれるはずがない
そもそも十字軍に参加している騎士たちは本国では出世ルートを外れた嫡男ではない連中ばかりで、
十字軍に参加して領土を獲得しなきゃ後がない。
まあそんな事情こそビザンツ側の知ったこっちゃないだろうが、
少なくとも”聖地奪還”という宗教的な目的だけではるばる西欧からやってきてくれるはずもない
しかしアレクシオス1世コムネノスはちゃっかり戦後利権は確保する策士である。
少なくとも自分の治世の間は十字軍が獲得した領土に影響を及ぼすことができた
0778世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 14:59:54.790
ビザンツでは西欧のように修道会が組織されるということもなかったな
隠修士の伝統を色濃く残していた東方の修道院は、それぞれが独立した
施設であるという傾向を持っていた
0779世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 19:10:53.570
>>777
もう遅いかも知れないが、上の解説は細部で違うところがある

まずビザンツは、援軍を要請したが、聖地奪回とか、宗教戦争という意味合いはなかった
ビザンツ皇帝の依頼を拡大解釈したウルバヌス達が十字軍にしてしまった

だからビザンツ側は、宗教的情熱に燃えて聖地奪回のための大軍がやってきてびっくりした

また、征服地の宗主権はビザンツだと誓約させたが、ビザンツも軍を出すという前提だった

問題のひとつは、ビザンツ軍は途中で手を引いてしまったこと
ビザンツ軍とすれば、当時の国境線をすこし押し返す程度でよかったのでほどほどで軍を返してしまった
その後の多くの征服地は十字軍だけで征服したので、その部分まで宗主権を主張するのは十字軍側としてはムシがいいだろうと不満を持った

当時「同じキリストでしょ」という考えはあまりなくて、カトリックと正教は仲が悪かった
→15世紀、滅亡直前でも「枢機卿のマントよりターバンの方がまし」といって、オスマン征服を受け入れる人々も多かった
0780世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 19:36:38.500
>>779
すまん。
その細部で間違った解説をしたヤツが俺だが、あんたにも一つ間違いがあるぞ

>→15世紀、滅亡直前でも「枢機卿のマントよりターバンの方がまし」といって

これを言ったのはビザンツの住民ではなく、大臣兼軍司令官のルカス・ノタラス大公だよ
しかも内容は「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、スルタンのターバンの方がマシだ」のはず
まあニュアンスは伝わるのであんたのでも大して間違っていないが
0781世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 20:00:18.370
>>780
実は、俺もそれ書いた後調べてみたら、尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』には
「私は市内にラテン人の司教冠を見るよりは、イスラム教徒のカフタン(毛皮付マント)を見る方がよい」
とあった

マントは、カトリックではなく、イスラム教徒の方で、更にターバンではなく、カフタンだったわww
0782世界@名無史さん垢版2020/10/28(水) 21:27:15.600
初歩の質問から新しい発見へとつながるのはいいことだ。
意外にもわかっていてもしらんかったことってある
0783世界@名無史さん垢版2020/10/29(木) 19:53:18.930
>>781
それは全然知らんかった
カフタンって調べたらあんまり定義のない、
ゆったりとした長袖・袷仕立ての長い前開きのガウンだそうだ
トルコでは近代化政策の影響であんまり見ないけど、
イスラム圏では広く一般的に男性の服として定着している
しかも最近はワンピースの一種として非イスラム圏の諸外国の女性が着ていることが多いみたい
カフタンで検索したら日本のファッション関係のサイトばっかり出てビックリ
0784世界@名無史さん垢版2020/10/30(金) 06:49:07.990
ニカイア帝国ってのがあるのか
亡命政権だって
社会主義の国に住んでいる政治家が資本主義の国に逃げて政権樹立をイメージするけど
こんな時期に近代国家的なものがあったなんて
なんて日本よりも進んでいるんだと思う
中世の日本なら亡命は許さんから降伏か滅亡どちらかを選べだろ
0785世界@名無史さん垢版2020/10/30(金) 11:21:44.100
大体がローマと言えば温泉だろ、クリチョンって風呂入るイメージないんだけどw

やっぱコンスタンティヌスのせいだな、ローマの荒廃と滅亡は
0786世界@名無史さん垢版2020/10/30(金) 11:37:33.460
>>784
近代国家とは関係ない。
滅亡したり領国を失った武将や大名の一族が御家再興を期して他家の客分になることはよくあっただろ?それも亡命政権だよ。足利義昭の鞆幕府も亡命幕府。
0787世界@名無史さん垢版2020/10/30(金) 12:17:56.620
ビザンツの関わりを抜きにして語ると
亡命とは政治的理由がないと亡命にはならない
家臣や他大名の庇護のみなら
単純に守られただけで亡命にはならない
0788世界@名無史さん垢版2020/10/30(金) 14:56:13.030
バカジャネーノ、亡命なんかに定義はない
相手側の情報を知りたいとか、権威として利用できるかとか、受け入れ側の理由があるだけだろ。
そういう事例が古今東西で多いから「亡命」という言葉の定義が出来ただけだ。

終身雇用の侍お役人社会では、主の失態で数百もの家族や家来が露頭に迷うと社会問題になるから亡命ではなく切腹が出てきた。守るものも無いのに腹を切るのはタダの自刃。

やっぱ温泉無いと頭が悪くなるんだろうな

温泉こそローマやで
0791世界@名無史さん垢版2020/10/31(土) 07:54:14.050
>>787
ビザンツ帝国の亡命政権もその「亡命」なのか?
ニカイア帝国やトレビゾンド帝国が亡命政権なら、鞆幕府だって亡命幕府だろ?
0792世界@名無史さん垢版2020/10/31(土) 09:50:34.770
建前は日本中が室町幕府のもので全員臣下だから、鞆幕府って自分の中の臣下間の移動にすぎない
信長も毛利に将軍を預けとくぞといっていたらしいしな

ビザンツは首都が別格すぎるというのがまずあるな
0793世界@名無史さん垢版2020/10/31(土) 10:04:41.650
国家権力の迫害からの避難所を求めるって意味は「亡命政権」「亡命国家」にはもともとないでしょ。
0794世界@名無史さん垢版2020/10/31(土) 10:39:07.850
ド=ゴールは?
ナチスの犬のヴィシー政権の迫害からロンドンへ避難所を求め
自由フランスを樹立した
0795世界@名無史さん垢版2020/10/31(土) 12:37:40.930
>>791
現代人の思考で行くと
コンスタンティノープルが占領されて、同じ宗教でもやり方が違うので
受け入れられないから別の国へ避難したのなら亡命になる
単純に攻略されて逃げて別領土で新たに国つくっただけなら亡命にはならない
ニカイア帝国は亡命政権じゃないってことだな
0798世界@名無史さん垢版2020/10/31(土) 22:48:16.770
アレクシオスはベスト10に入る?
0801世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 08:24:37.450
ベスト1位はやっぱりバシレイオス2世かユスティニアヌス1世かのどちらかになるんか?
0802世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 10:32:15.330
ベスト1位は初代皇帝
コンスタンティヌス1世だろ?
よくビュザンティオンを見つけたよな
チートすぎるから除外か?
0803世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 14:46:14.680
>>802
東方のサーサーン朝ペルシア国境と、北方のドナウ河国境の二方面へ
必要に応じて移動するのに最適な場所が、ビュザンティオンだったんだよな
0804世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 15:30:37.640
オスマンが首都にするくらい
今でも首都になるくらいのものを見つけたのはすごい
0805世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 15:50:58.450
黒海北岸に移住したゴート族が海峡を通って
エーゲ海を荒らすようになったので
海峡の防衛が必要になった
ゴート族以前のスキタイやサルマタイは
遊牧民なので海賊行為をしなかった
0806世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 16:57:32.590
コンスタンティヌス4世は?
初めて実戦でギリシャの火を使ったのは功績として大きい
で、ワースト1はコンスタンティノス11世なの?
0807世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 18:03:36.190
コンスタンティノス10世の方がワーストだな
コンスタンティノス10世の息子ミカエル7世がワースト1かな
ミカエル7世はアンカラで自立したノルマン人傭兵の反乱鎮圧を
セルジューク朝に依頼した
0808世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 18:28:03.780
十字軍に一時滅ぼされたことが衰退の決定的要因になったことを
考えるとアレクシオス1世もワースト10位以内もありうる
いくらイスラムの脅威とはいえ、領内に外国の軍隊をいれるなんてアホ
0809世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 19:27:56.900
コンスタンティヌス1世もローマ帝国的にはワーストだな
持ち場を放棄して友軍を攻撃した
ガリアを防衛する為の軍でイタリアを防衛する為の軍と
オリエントを防衛する為の軍に大きな被害を与えた
0810世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 20:22:11.580
ワーストというとユスティニアノス2世は?

ウマイヤ朝への遠征の失敗、ユスティニアヌス1世に倣った建築活動で国民を疲弊させ、
加えて宦官であるペルシアのステファノスの専横もあって
ヘラスの長官レオンティオスのクーデターにより捕縛、鼻を削がれ廃位にされる。
しかし、その後黄金製の付け鼻を付けて復帰を表明。
レオンティオスを廃して帝位に付いたティベリオス3世を打倒し、
投獄されていたレオンティオスと共に処刑する
しかしその後復位したユスティニアノス2世は懐疑心の権化となり、
少しでも怪しい行動を起こした人間・勢力を全て粛清する暴君に。
自身の流刑地だったケルソンにまで復讐を行おうとして艦隊を派遣したが、
これに対し怒ったケルソン市民の反乱に艦隊が同調。
艦隊に同乗していた有力者フィリピコス・バルダネスを皇帝に推戴し、
これに更にハザールの支援を受けた反乱軍が首都コンスタンティノープルに迫ると、あっけなく首都は開城。
ユスティニアノス2世は小アジアに亡命したが間もなく捕らえられ処刑された。
首都に与えたダメージというよりは、まあ普通の暗君と言った感じだが。
0812世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 21:46:27.120
コンスタンティヌス11世はオスマンに滅ぼされない選択肢もあり得たのだろうか
0813世界@名無史さん垢版2020/11/01(日) 23:23:52.010
難しいな
ギリシャ方面に船で脱出するしかない
あるとすれば、イェニチェリを買収する手はどうだ?
メフィスト2世が困ったのは彼らの扱いだった
あとゲリラ戦に持ち込んで伸びきった補給路を夜襲でつくとか
いずれにせよ、風前の灯の状況でコンスタンティヌス11世は責められん
0814世界@名無史さん垢版2020/11/02(月) 09:17:32.270
たとえコンスタンティノス11世の時代に滅亡を免れたとしても遅かれ早かれビザンツは滅んでたと思うがな
長くはもたない状況だった
0815世界@名無史さん垢版2020/11/02(月) 11:36:19.070
ミカエル8世はベスト5に入れてもいいかな
コンスタンティノープルを奪回したし、
シャルル・ダンジューの野望も打ち砕いた
0816世界@名無史さん垢版2020/11/02(月) 13:44:26.230
>>814
逆によくそこまで持ったな 室町幕府みたいな
状態で滅びそうでなかなか滅びなかった
超高齢でガタガタのお爺さんみたいだ
0817世界@名無史さん垢版2020/11/02(月) 14:39:13.480
滅亡直前のコンスタンティノープルは衰退と人口減少が進み、
テオドシウスの城壁内の市街地にはいくつかの集落が散在し、
皇帝はなかば廃墟と化した宮殿の一角で生活するありさまだったとか

逆にジェノヴァ人居留区ペラは繁栄していた
0818世界@名無史さん垢版2020/11/02(月) 21:44:41.680
アレクシオス1世がワースト2?
十字軍を呼ぶなど衰退の決定的要因作ったから
0819世界@名無史さん垢版2020/11/02(月) 21:52:12.510
ミカエル8世自体はなかなかの名君なんだが、
肝心のビザンツ帝国自体がもう彼の治世にはボロボロに衰退しきってて、
輝きをあまり感じられないのが残念だ
0820世界@名無史さん垢版2020/11/02(月) 22:18:36.800
パライオロゴス朝ルネサンス期には、西欧の影響のためか、立体的な浮彫が
製作されている
ビザンツ帝国が滅亡しなければ、正教美術にも別の発展があったかもしれない
0821世界@名無史さん垢版2020/11/03(火) 01:44:48.060
>>818
アレクシオスは十字軍など読んでいないよ、傭兵に依頼をしただけ

それをウルバヌスが勝手に十字軍に仕立て上げただけ

要請の内容は、西欧側とビザンツ側では食い違っていて
「十字軍の依頼」と主張しているのは教皇側

十字軍派遣の伏線は、むしろ1054年の教会の東西分裂にある

そもそも西欧の傭兵はバシレイオス二世も雇っていたから
傭兵の要請が衰退の要因になるのならバシレオイス二世もワースト入りだろう
0822世界@名無史さん垢版2020/11/03(火) 02:25:11.250
第一回十字軍の頃はまだ中東に行ってたし、あまりビザンツ衰退の決定打っぽさは感じないな
0823世界@名無史さん垢版2020/11/03(火) 09:21:07.270
第四回十字軍は、最初エジプトのカイロを攻撃する予定だったんだよな
だけどヴェネツィアに対して契約金を支払うことができなくなったので、
エンリコ・ダンドロは、ザラの奪還に協力すれば支払いの延期を認めるという
提案をした
コンスタンティノープルに十字軍を導き入れたのはビザンツ帝国の内紛
0824世界@名無史さん垢版2020/11/03(火) 11:21:00.910
セルジューク朝のアルプ・アルスラーンも
ファーティマ朝を倒す為にエジプト遠征の途上だった
ファーティマ朝はきっかり百年も延命した
0825世界@名無史さん垢版2020/11/03(火) 13:44:28.990
十字軍は、最初はセルジューク朝に征服されたパレスチナに向かったはずなのに、
到着してみたらファーティマ朝の支配下に戻っててファーティマ朝を攻撃することになってしまった

殴り合いの喧嘩の助っ人に入ったら、間違って庇う方を殴ってしまったみたいな

ファーティマ朝が統治していたころは、聖地巡礼旅行が普通にできていたから
第一回十字軍でも後のフリードリニ二世のような人が指揮していたら、ファーティマ朝との
間で無血交渉ができたかも知れない
0826世界@名無史さん垢版2020/11/03(火) 22:13:12.510
どっかの本で、ラテン帝国作られて、滅ぼしたけど失ったものも
大きかったとあったな
0827世界@名無史さん垢版2020/11/03(火) 22:34:23.110
10世紀初め、コンスタンティノープル総主教のニコラス・ミスティコスは、
イスラムのあるアミールにこう書き送っている
「この世界には二つの最高権威があります。ひとつはイスラム教徒のもの、
もうひとつはローマ人のもので、世界はこれらの権威から放たれる輝かしい
光で満ち満ちています」

一方、ビザンツ帝国は、西欧に対し常に優越感、軽蔑、不信感をもって接してきた
この意識の差は、ローマ教会に対するコンスタンティノープル教会の高飛車な
態度となって現れ、1054年、これに不満を抱いたローマ教皇の使節は、
コンスタンティノープル総主教に破門状を叩きつけた
0828世界@名無史さん垢版2020/11/04(水) 01:06:45.420
そんなビザンツも15世紀に入る頃には西欧に文明力も追い越されてしまうんだよなぁ
建築様式ですら一部西欧式のものを取り入れる始末
歴史ってものはホントどう動くか分からない
0829世界@名無史さん垢版2020/11/04(水) 09:19:05.830
>>828
このスレとは直接関係がないけど、前近代に、日本がいずれ中国を追い越すと
考えた者はいなかっただろうな
0830世界@名無史さん垢版2020/11/04(水) 18:46:37.010
東ローマとササン朝ペルシャではどちらの方が文化水準が上だったの?

まあどちらとも軍事力ではイスラムに敵わなかったわけだけど古代ローマとゲルマンを見ても分かる通り文化水準と軍事力は別だからな
0831世界@名無史さん垢版2020/11/05(木) 13:04:57.320
シミュレーションゲームがあるとするやん?
信長の野望みたいなさ
自分が君主としたら
どこの時代が一番簡単?
反対に1453年は無理ゲーだけどどの時代が
やりごたえありそう?
(こんなん聞いても分かってくれるかな?)
0832世界@名無史さん垢版2020/11/06(金) 02:58:18.690
>>831

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%9A%87%E5%B8%9D%E4%B8%80%E8%A6%A7
東ローマ帝国の皇帝一覧

このスレに来る他の方が遥かに知識も豊富で詳しいと思うけど・・・
私見では「一番ラクチン」って言うならコンスタンティヌス大帝とかユスティニアヌス大帝とかじゃないの?
難易度考慮せず「やりごたえ」っていうなら
ユリアヌス、ヘラクレイオス、バシレイオス2世あたりでは
0834世界@名無史さん垢版2020/11/06(金) 10:31:36.440
逆になりたくない皇帝といえば、アンドロニコス1世とかユスティニアノス2世
とかかな
0835世界@名無史さん垢版2020/11/06(金) 20:05:31.630
アレクシオス1世がやりごたえありそう
ロマノフ率いる主力中の主力が壊滅し、
移民族の侵略が続き、政治は乱れ
財政は破綻しつつあった状況から開始だな
それにしても24歳で将軍はすごいな
コムネノス系は有能な人物多い
0836世界@名無史さん垢版2020/11/07(土) 18:33:01.960
ビザンツには両眼をえぐり取る、舌を切断する、鼻削ぎの刑に処す、去勢する、
などの残酷な刑罰が途中から出てくるけど、あれはオリエントの影響なのかな
0837世界@名無史さん垢版2020/11/07(土) 23:18:01.290
残虐さで1000年ももったのかな?
始皇帝の秦は15年しかもってないけど残虐さは同じくらい
0839世界@名無史さん垢版2020/11/08(日) 12:39:24.850
>>836
オリエントの影響もあるらしいけど、それまでなら処刑だったのを命までとらなくなった
というのはキリスト教の影響らしい
0842世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 01:02:42.380
目を潰すのは基本的に反乱だっけ?
普通は殺さないとまた反乱されるから殺されても仕方ないところを、あえて生かすとなると目を潰さないと反乱を防げないからってことだろうか
0843世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 05:54:20.820
グロい話はええわ。
この帝国はどこまで儲かってたん?東西交易の中心に都があったから
それなりに関税収入も入ってたんやろ?
0844世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 07:42:55.280
絹織物も、最初はビザンツでしか作れなかったんじゃなかったっけ?
0845世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 08:13:26.130
西欧で作れなかったが西アジアでは普通に作れてた
イスラム帝国でもマシュリクでは作れてた
アンダルシアとかマグリブではどうだったか知らんが
0846世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 09:16:45.290
ビザンツ帝国には、それなりの輸出産業があった。
コンスタンティノープルは絹織物や工芸品、バルカン半島のトラキアは農産品、
マケドニアは鉄・刺繍・ベーコン・チーズ、ギリシアはラコニアの大理石、
小アジア西部はワイン・油・米・紫衣・スペルト小麦(家畜の飼料)、
その他の小アジア沿岸部は農産品、内陸部は織物や動物の皮を生産していた。
0847世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 14:47:36.090
ビザンツ帝国は、外国人の交易をコンスタンティノープルに限って行わせ、
彼らの滞在期間は3か月以内とし、輸出入とも10%という高い関税を支払うことを
義務づけていた
この原則を、アレクシオス1世が放棄した
0848世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 21:48:51.180
なるほどな、かなり儲かってるな
輸出にあたって、海上ルートがエーゲ海と黒海だけというのがコンスタンティノープルの弱点だな。
アナトリア半島は確保したいよな。道理で遠征繰り返すわけだ。
0849世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 22:30:14.700
バシレイオス2世は、死後に何万もの金貨からなる財宝を残した
ノミスマ金貨は品位が安定していたのでバルト海から紅海にいたる
広大な地域で本位通貨になっていた
この時期のコンスタンティノープルは世界一の市場だった
0850世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 23:13:41.000
>>8
西欧主義の身勝手かと思ってたが
ビザンツをローマと認めちゃうと、そのローマを倒した共同体(イスラム)がダニエル書の予言の成就と重なるから
ローマと関係なくする動きや東ローマ帝国の過小評価につながってるのかなとおもた 
0851世界@名無史さん垢版2020/11/09(月) 23:50:06.350
ビザンツの歴代皇帝見たけどみんな金持ちの割には質素だね
コインしか顔がわからんのはあほくさと思った。
0852世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 06:49:12.360
12世紀にフライジングの司祭オットーは、「帝国移転の論理」を用いて、
世界を支配する帝国が、古代ローマ帝国から東ローマ帝国、カール大帝の
フランク帝国を経て、最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国に移転したという
説をとなえた

西欧人がビザンツを否定するようになるのは、やっぱり近代になってからじゃ
ないのかなあ
0853世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 19:47:15.820
ユスティニアヌス帝は地中海世界の彩光を目指して大遠征をおこなったが、
征服地で重税を課した。
結果、ローマの再興に幻想を抱いていた民衆は幻滅してしまった。

あげく、ニカの乱では数万の民衆を虐殺するわ

名建築のアヤソフィアを建てさせたことは歴史に残るが
名君かは微妙に?がつく
0854世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 21:33:20.500
>>846 ビザンツはどこまで水産資源を活用してたの?
トルコ地域は魚食べないから聞いてみたい
0856世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 22:20:51.210
ビザンツの商人が扱った交易品は、ワイン・油・塩魚・奴隷・東方の香辛料・織物・
衣服・壷・貴金属などだった
0857世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 22:32:44.340
今のトルコ人がトルコ文化に染まった元ギリシャ人というのは本当なのだろうか
0858世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 22:36:57.490
古代の小アジアには、リュカオニア人とかフリュギア人とか、
さまざまな民族がいたけれど、彼らはビザンツ時代にはどうなっていたのだろうか
ギリシア人に同化されていた?
0859世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 22:54:10.240
アナトリア東部ユーフラテス河国境に接するカッパドキアは
完全にギリシャ化しておらず住民の多くがアルメニア人だった
ロマノス4世はカッパドキア出身なのでマンジケルトの戦いでは
ギリシャ人将兵らが戦場から勝手に退却した
0860世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 23:06:16.540
ユーフラテス河の東西にカッパドキアとアルメニアに
アルメニア人が分布していたわけだね
セルジューク朝はユーフラテス河を国境にして
アルメニアをセルジューク領にして東ローマと
講和しようとしたけどロマノス4世は拒否した
ギリシャ人諸将はこの講和を歓迎したけど
ロマノス4世を説得出来ず戦場で裏切った
0861世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 23:14:03.460
昔のアルメニアはユーフラテス河で東西に分断されていた
近世のウクライナがドニエプル河でポーランド領とロシア領に
東西に分断されていたのに似ている
0862世界@名無史さん垢版2020/11/10(火) 23:18:43.820
マンジケルトで戦ったビザンツ軍の中には、トルコ人傭兵もいたのだとか
0864世界@名無史さん垢版2020/11/11(水) 03:34:45.690
ローマ帝国が東西分裂したばかりの時にはアルメニア人以外にも
イサウリア人やケルト系ガラチア人とかが小アジアにいた
その後バルカンにスラブ人が移住してくるとバルカンから
ギリシャ人が小アジアに避難してきて小アジアのギリシャ化が促進した
トルコ人が小アジアに移住してくるとギリシャ人はバルカンに避難して
かなりスラブ化していたギリシャ本土が再ギリシャ化した
0865世界@名無史さん垢版2020/11/11(水) 09:16:04.600
ビザンツではテマ制がうまく機能しなくなったので、徴兵制をやめ、
傭兵を雇うための租税を徴収する方向に転換した

傭兵の中にはヴァリャーグ人、フランク人、ノルマン人、ペチェネグ人、
ブルガール人、アルメニア人などがいた
0866世界@名無史さん垢版2020/11/11(水) 13:09:58.170
ギリシャの火の原材料はどこから輸入?
硝石って火山国にしか取れないから
火山国多い日本から輸入してた?
0871世界@名無史さん垢版2020/11/11(水) 22:32:46.580
陸上で傭兵を雇うだけでなく、海軍力も、法外な商業的特権と引き換えに、
ヴェネツィア人に委託してしまう
0872世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 08:59:21.110
ロマノス4世がセルジューク朝と講和せずにマンジケルトで戦ったのは
兵の大部分が戦利品目当ての外国人傭兵だったからでもある
ロマノス4世は第二のアレクサンドロス大王になると称して
イスラム世界に攻め込む為に大軍をかき集めた
フランク人やノルマン人やペチェネグ族らはイスラム世界の富に憧れ
略奪する事を夢見て傭兵となったので講和するわけにはいかなかった
もし戦わずに講和したら傭兵らは東ローマで略奪しかねなかった
イスラム世界の都市を攻める為の投石機や破城鎚を操作する作業員が
野戦で足手まといになった事も東ローマ軍の敗因のひとつだった
0873世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 11:04:37.960
中世人にとって、戦争というのは基本的に経済的行為なんだよな
戦争による財貨(動産)の獲得が主な動機

ヴァイキングがイングランドや西フランク王国を恒常的に略奪してまわったのも、
アッバース朝から商業交易その他の形で西欧に流れ込み、フランク王国に蓄積された
富をねらってのことだった
0874世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 11:33:38.910
○○ケルトという地名はアルメニア語

本来はあのあたりまでアルメニア文化圏なんだよなあ
0875世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 13:05:22.580
難しいこと聞くかもしれないけど
日本の中世の政権運営方法をビザンツに
輸出はできるのかな?
鎌倉幕府から明治まで800年
武家政権が続いたわけだけど
その土台になるのは御恩と奉公
という将軍と御家人の主従関係なんだけど
ようは御家人は将軍から自分たちの社会的地位
や領土を認めてもらうかわりに滅私奉公的に
幕府にために尽くすというものだけど
これどう?ビザンツでも通用する?
幕府に問題が起きたら「いざ鎌倉へ」なんだけど
ビザンツに問題が起きたら「いざコンスタンチノープルへ」というキャッチフレーズで。
0876世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 14:07:15.700
>>874

マラズギルトはむしろアルメニアの中心部
ディヤルバクル近郊のエルガニの現存最古の記録がアルメニア語で
その後の歴史で現マラティアくらいまでがアルメニア圏と考えられる
0877世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 14:20:36.210
ヘレニズム時代にコンマゲネ王国という国があったけど、あれもアルメニア人の国?
0879世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 18:28:22.980
アンドロニコス2世の時代にはアルモガバルスと呼ばれたカタルーニャ人傭兵も
雇っていたな
0880世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 22:47:16.940
>>785
無理。
第一、日本の御恩と奉公は、幕府からの対価と幕府への義務が曖昧すぎる。
日本のような単一民族で、物事をあいまいにできる人種ならできるだろうが、
ビザンツはいろんな宗教や人種がいるんだ。忠誠心もまばら。
どんな価値観が混ざっても、義務と報酬を明確に紐づけてあげないと、
いくら働いても報酬はこれだけ、一方でちょっと働いてたんまり報酬という
不公平な扱いがあっちこっちに出てきて、不満が爆発するに決まっている
0882世界@名無史さん垢版2020/11/12(木) 23:26:31.480
トルコ人が小アジアを制圧したころ、西からは、ノルマン人が南イタリアの
ビザンツ領に侵入しはじめ、1071年には最後の拠点バーリが奪われる。
そして、1080年代になるとノルマン人の首領ロベール・ギスカールが
アドリア海を渡ってバルカン半島に入り、コンスタンティノープルを目指すようになる

この時期のビザンツは西にも東にも敵を抱えていた
0883世界@名無史さん垢版2020/11/13(金) 08:14:24.940
>>872 そんなことがあったのか・・・
ロマノス4世って皇帝で捕虜にされた前代未聞の馬鹿と思ってたけど違ったのね
東ローマのダメ皇帝列伝とかに載ってないから、なんでかな?と思ってたけど
そういうことか。
0884世界@名無史さん垢版2020/11/14(土) 00:11:47.110
この王朝は本当に王族同士での殺し合いが多すぎる
アレクサンドロス大王の時代を除けばギリシャの全盛期を作り出したとも言えるが

個人的には三人賢帝を選ぶなら、
ユスティニアヌス1世、ミカエル8世、マヌエル2世だと思う

最後の皇帝三人はやった事や考え方を見ると凄く現実的で穏やかでしたたかな人物
マヌエル2世、ヨハネス8世、コンスタンティノス11世は
別の時代に生まれていればかなり勢力を拡大したと思うしさぞ名君だったと思う

特にマヌエル2世が当時最大の脅威だったオスマン帝国を
存命中は表面上はあくまで友好的に接しながら何度も離間を仕掛けて
自分の意のままに操っていたというのはかなりのもんだと思う
もっとも狡猾なギリシア人ってのはマヌエル2世の方が相応しい
0885世界@名無史さん垢版2020/11/14(土) 00:26:57.980
そういや暗殺も好きだけど本当この国、目潰し大好きだよね
何かあるとすぐ目を狙ってくる
0887世界@名無史さん垢版2020/11/14(土) 11:27:42.940
目潰しは反乱できなくするためではないかな
主に反乱した人がされたみたいだし
命を奪わないだけ慈悲深いという認識だったのかも
0888世界@名無史さん垢版2020/11/14(土) 12:36:18.230
反乱しても命を取られるわけではない、ということで反乱が増加した、という見立てもある
0891世界@名無史さん垢版2020/11/14(土) 15:58:03.560
すいやせん
東ローマ帝国が滅亡してローマ帝国が滅亡したと考える学者と
西ローマ帝国が滅亡してローマ帝国が滅亡したと考える学者とで2つに割れるって
本当ですが?それぞれの学者の言い分について教えてください
0893世界@名無史さん垢版2020/11/14(土) 22:16:44.120
西方教会と東方教会では、実は東方教会のほうがキリスト教本来の姿に
近いんじゃないのかなあ
キリスト教はもともとパレスチナで生まれた宗教だし、
新約聖書はギリシア語で書かれているし
0897世界@名無史さん垢版2020/11/18(水) 23:39:06.560
>>885
東ローマの捕虜になったブルガリア兵大多数の両目を潰した後,片目だけ潰した
残りの連中に連れ帰らせたんだっけか
0898世界@名無史さん垢版2020/11/20(金) 12:51:20.490
どうして第4十字軍にあんなにあっさり落とされたんでしょうか?
はるかに弱体化した最終決戦の時もオスマン帝国相手に粘ったのに
いくらフランク騎士のほうがトルコ騎兵よりも接近戦が得意で攻城戦には有利とはいえ、
20万の大軍+大砲相手に1万人で2か月も耐えた都市が、大帝国の国力があるのに
烏合金欠騎士団相手に2週間で陥落するなどということがあるでしょうか
0899世界@名無史さん垢版2020/11/20(金) 13:37:18.530
>>857
そもそもトルコ人の定義がトルコ語を話すムスリムだからな
当然改宗したギリシャ系の子孫も多い
0900世界@名無史さん垢版2020/11/21(土) 11:23:53.890
ビザンツ帝国は、黒海に国営養魚場をふんだんにもっていたため、
コンスタンティノープルの労働者はしょっちゅうキャビアを食べていた
0901世界@名無史さん垢版2020/11/25(水) 08:00:21.630
11世紀半ばのビザンツでは、商人出身の新興中産階級が元老院に入れるようになったが、
1081年に、アレクシオス1世コムネノスが即位し、土地所有貴族が実権を握ると、
商人出身者は元老院から追放され、元老院議員の商業活動も禁止された

もしビザンツが商人に対してずっと開放的であり続けたら、この国の歴史も
変わっていたのかなあ…
0902世界@名無史さん垢版2020/11/25(水) 15:48:37.690
西欧からやってきた十字軍もビザンツの捕虜となった時は目を潰されちゃったんだろうな・・・
それはともかく現在のギリシャ料理やトルコ料理ってその本元はビザンツ料理なんかな?
イスラム圏で広く食されてるケバブは違うかもしれんけど
0903世界@名無史さん垢版2020/11/25(水) 17:11:31.450
トルコ料理のヨーグルトの多用とかは遊牧民文化の特徴だと思う
0904世界@名無史さん垢版2020/11/26(木) 01:41:22.670
>>902
>西欧からやってきた十字軍もビザンツの捕虜となった時は目を潰されちゃったんだろうな・・・
犯罪者でもないのに目つぶしなどされない

十字軍は犯罪者集団に近かったから、そういう素行の悪いやつらは目つぶし刑にされたかも知れないが

捕虜は原則捕虜交換された
1014年のブルガリア軍との決戦での目つぶしは現在では伝説だと考えられているそうだ
0905世界@名無史さん垢版2020/11/30(月) 19:52:27.660
コンスタンティノープルだけになってもローマ帝国を名乗ったビザンツは台湾だけになって中華民国を名乗る台湾みたいなもん?
0906世界@名無史さん垢版2020/11/30(月) 22:20:02.860
>>905
末期のビザンツではギリシア人意識が生まれていた
自分たちを「ヘレネス」(ギリシア人)と自称し、
ギリシア古典文化の復興も行われた
0907世界@名無史さん垢版2020/11/30(月) 23:17:00.880
ローマじゃなければ聖書の予言が達成されないから
神がそうさせたんだよ
0909世界@名無史さん垢版2020/12/04(金) 19:07:31.670
コンスタンティノープルとかビザンツ都市の城壁は
石と焼き煉瓦で造られていたから簡単に陥落しなかったはず

華北や中央アジアとイラクの城壁は日干し煉瓦製が多く
見かけによらず脆かった
0911世界@名無史さん垢版2020/12/04(金) 23:28:23.130
明の時代に華北の城壁も焼き煉瓦になった
二度とモンゴルに征服されない為にした

イランは煉瓦を焼く薪が貴重なので
モンゴル征服も日干し煉瓦だった
インド人が火葬するのに古代イランの
ゾロアスター教が火葬を厳禁したのは
砂漠なので薪が貴重だからだろうね
0913世界@名無史さん垢版2020/12/31(木) 22:45:48.790
中世には、ビザンツ皇帝が飛躍的に高まったローマ教皇の権威を利用するため、
ビザンツ皇帝が教皇から帝冠を授かるという構想さえ何度か浮上したのだとか
もちろん、ビザンツ側の原則に照らせば、皇帝を選ぶのは元老院と軍隊と民衆だが、
そのねらいはむしろ、西側のローマ皇帝から正統性を奪うことにあった
0914世界@名無史さん垢版2020/12/31(木) 22:51:30.620
西側のローマ皇帝って西ローマの皇帝?それともフランク皇帝?神聖ローマ皇帝?
0915世界@名無史さん垢版2020/12/31(木) 22:56:21.700
西ローマ皇帝がいた時代はまだ教皇はそんなに権威はなかったはずだからフランク皇帝か神聖皇帝じゃないの
0916世界@名無史さん垢版2020/12/31(木) 23:04:44.580
カール大帝の頃はビザンツの権威は教皇のカールへの戴冠など意味はなく
ビザンツの承認こそがカールの正統性だったから(ビザンツ側はそう考えていた)
教皇の戴冠を求めるのはパラエオロゴス時代の話なんじゃないかな
0917世界@名無史さん垢版2020/12/31(木) 23:17:38.910
>>913
>ビザンツ皇帝が飛躍的に高まったローマ教皇の権威
これはかつては西ローマ皇帝時代にも主張されていた

近年では後世ローマ教皇の権威が高まった後で西ローマ皇帝時代にも教皇の権威が高かったように
史料を編纂したことが指摘されているため、この件も同様のアナクロニズムかも知れない

例えばコンスタンティヌス大帝の洗礼なんかはアリウス派が施したと考えられるが、
後世教皇の権威が高まった後になると教皇が洗礼したと主張されるようになったりしている
0918世界@名無史さん垢版2021/01/04(月) 18:45:44.500
中国では、唐の文化を見たければ日本に行け、といわれているらしいけど、
ビザンツ文化もトルコやギリシャよりむしろイタリアのほうに数多く残ってそうだな
イタリア各地にあるモザイク壁画、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の上に
飾られていた青銅の四頭の馬、パラ・ドーロ……
0919世界@名無史さん垢版2021/01/06(水) 11:13:42.730
ギリシャはさすがにビザンツそのものだから
結構保存状態は良いだろう
今でも当時の文化を残してるんだから
どっかのエジプトと違って
ただ、オスマンに占領されていた時期が長いが
0920世界@名無史さん垢版2021/01/13(水) 19:10:35.790
東ローマの国旗(赤と黄色のやつ)ってソースの画像を見たことがないんだけど、どうしてあの国家だとわかるの?
0921世界@名無史さん垢版2021/01/13(水) 19:12:10.920
ビザンツ帝国が滅亡しなかったらってたまに言うけど末期には普通に西ヨーロッパに文明も文化も抜かされてた感じがするから残っててもあまり凄いことにはならなそうな気がする
0922世界@名無史さん垢版2021/01/13(水) 20:08:53.740
現在まで続いていれば
1.ローマ教皇と似た感じで生ける化石として珍重される
2.あと前753年に成立した国が現在まで続いていたことになるからこれは凄いこと
0923世界@名無史さん垢版2021/01/13(水) 22:20:17.200
残っていれば逆に西欧の文化の影響を受けていたかもしれない
立体的な彫刻が許されるようになるとか
0924世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 11:41:45.420
しかし、それが成れば
イズミル周辺なんて当然ギリシャ(ビザンツ)だろうし
トルコ人はシリアかイラクあたりにクルド人のように
国家無しで復興活動してるかもしれんね
0926世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 15:16:14.660
5世紀頃の帝国もビザンツ帝国って呼んでいいの?
0927世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 15:33:24.130
>>923
パレオロゴス朝時代の絵画はチマブーエの絵と手法が似ていて
初期ルネサンスと相互影響にあったと考えられている

そのまま発展していれば立体的な彫刻も出てきたかも
0928世界@名無史さん垢版2021/01/18(月) 00:08:57.080
もはやローマを領有してないのにローマを名乗るってどんな気持ちなんだろうか
0929世界@名無史さん垢版2021/01/18(月) 19:27:10.140
ロマイオンは都市ローマを意味してなかったからね
都市ローマはギリシア語でロミイだったかな
0930世界@名無史さん垢版2021/01/21(木) 23:03:08.290
コンスタンティノープルの正式名称は新ローマだからローマを保持していたと言える
0931世界@名無史さん垢版2021/01/22(金) 14:01:27.640
武田とか上杉だって名字の地なんてとっくの昔に手放してるしな
0933世界@名無史さん垢版2021/01/23(土) 17:09:01.330
イタリアのロマーニャ地方ってローマ市のローマから直接由来した地名じゃなくて
東ローマ帝国の領土だった地域由来だな
ラベンナ総督府の管轄が総督府滅亡後教皇領となり、その地域がそのままローマ領という意味で
ロマーニャと呼ばれるようになり、現在のロマーニャ州となった
ロマーニャ州にはローマ市は含まれていない
0934世界@名無史さん垢版2021/01/23(土) 20:34:21.210
ルーマニアやルメリアやルームセルジューク朝みたいなもんか
0935世界@名無史さん垢版2021/01/24(日) 00:33:10.710
ローマから東にはローマ由来の地名が結構残ってるんだな
西にはないのかな
0936世界@名無史さん垢版2021/01/25(月) 23:08:26.970
ビザンツ皇帝ティベリウス2世の使節が突厥を訪れたとき、突厥の可汗は、
「ここに私の十本の指があるが、ローマ人はこれと同じ多くの舌を有し、欺瞞と偽証の
言辞を弄する。現に貴下が私自身に言う言葉と私の臣下に言う言葉は別物である。
かくして諸国民は次々と諸君の背信的な雄弁に欺かれてきた。貴下は自分の同盟者を
戦争と危険に投げ入れて彼らの労苦を横取りしながら、これら恩人を平然と見殺しに
する」
と述べた
この時代には遊牧民の間にもビザンツ人は狡猾だという評判が広まっていたのかな
0938世界@名無史さん垢版2021/01/26(火) 22:38:57.980
ビザンツ帝国はマンジケルトの戦いでセルジューク朝軍に惨敗したが、国の荒廃は
むしろ引き続いて起こった10年間の内戦によってもたらされたんだよな
ロマノス4世ディオゲネスの幽閉中に継子ミカエル7世ドゥカスが政権を握り、
それを機にさまざまな派閥の間で皇位をめぐる争いが始まった
結局この争いで得をしたのはトルコマン族だけだった
0939世界@名無史さん垢版2021/02/05(金) 18:49:32.220
アナスタシウスの浮き彫りは女性の胸が強調されててキリスト教の国なのに意外な感じがする
https://i.imgur.com/ZQ1pOTQ.jpg
0940世界@名無史さん垢版2021/02/05(金) 20:36:47.010
何でヘラクレイオス朝からコインの肖像が正面になったの?
0941世界@名無史さん垢版2021/02/10(水) 06:39:06.260
ノープル攻略できて、ウィーン包囲は2回負けたことを考えると
堅城はウィーンに軍配があがるわけか
0943世界@名無史さん垢版2021/02/11(木) 15:42:42.840
ここって
複式簿記
導入するの遅かったんだな
イタリアンのほうが先とはな
0944世界@名無史さん垢版2021/02/12(金) 08:50:23.570
>>938
ロマノス4世がアルメニア人をギリシャ正教に改宗させようとしたので
マンジケルトではアルメニア人の多くがセルジューク軍に参加して
アルメニア人は自らセルジューク朝の支配を受け入れたので
アルメニアはほぼ無傷だった
マンジケルトはアルメニアなのでアナトリアもほぼ無傷だった
ミカエル7世がアンカラで自立したノルマン人傭兵の鎮圧を
セルジューク朝に依頼するまでアナトリアはほぼ無傷だった
セルジューク軍はノルマン人傭兵だけでなくアンカラ住民も
一人残らず追い払った
0946世界@名無史さん垢版2021/03/06(土) 21:43:35.860
>>945
後にバイキングがルーシ作ったように、バイキングは貿易でこの辺りに出入りしてたみたいだから、その繋がりじゃないんかね
それにこの時代ならみんなが複数の言語を使っててもおかしくない
0947世界@名無史さん垢版2021/03/09(火) 06:13:19.670
なんかちょっと出てくるとすぐ「定説覆す」っていうのほんとやめてほしいわ。
いろいろ検証してからようやく判明する話なのに。
0948世界@名無史さん垢版2021/03/09(火) 19:45:11.460
これまで一つも確認されてなかったものが一例でも出てきたら、「定説を覆すか?!」と報じるのは当たり前だと思うがなあ

山本勘助非実在説だって、一例でも信頼できる同時代史料が出てきたら「軍師かどうかは別として、そういう人はいた」説になったでしょ
0949世界@名無史さん垢版2021/03/10(水) 09:21:52.760
そういうのは検証に耐える物証が出た例外中の例外だろ
定説覆すとかマスコミに出た100のうち99は評価の定まらない新発見資料をかなり飛躍して解釈したり、ひどい場合はまともに古文書も読めないレベルの自称研究者が既出資料をとんでもない超解釈してたりする
0950世界@名無史さん垢版2021/03/10(水) 15:56:23.160
@ゲルマン人が利用してたルーン文字入り占い骨文がスラブ人にありがたられて
輸入されスラブ人の墓に収められた

Aルーン文字で刻まれている言葉がスラブ語とは記事には書かれていない
Bなんらかの理由でスラブ人社会で生きることになったゲルマン人の墓だった
C紀元600年とはまさにスラブ人がチェコに定住した時期にあたり、墓のスラブ人は
先住のゲルマン人の遺物の新な所有者となり墓に収めた
Dゲルマン人と接触のあったスラブ人が自分たちの言語をルーン文字で刻んだ
Eゲルマン人と接触のあったスラブ人が、わけもわからず意匠としてルーン文字を刻んだ
Fゲルマン人と接触のあったスラブ人が、特別な占い文字として刻んだ

などと想像力が広まる
0952世界@名無史さん垢版2021/03/14(日) 16:29:08.330
>>951
現代日本でも卒塔婆にサンスクリット語が書いてあるが
普段から文字としては使ってないしな。
0953世界@名無史さん垢版2021/03/30(火) 18:19:03.470
>>951
スカンジナビアのバイキングの墓からアラビア語が打刻されたディナールやディルハム出てるもんな

よしスカンジナビアはアラビア語なんだぞー
0955世界@名無史さん垢版2021/04/05(月) 20:11:13.260
https://www.afpbb.com/articles/-/3340585
トルコ、運河計画に懸念表明の退役将校ら10人拘束 クーデター同然と非難
2021年4月5日 19:38 発信地:アンカラ/トルコ [ トルコ 中東・北アフリカ ]

【4月5日 AFP】トルコ当局は5日、イスタンブールに運河を建設する
レジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)大統領の計画に
海軍の退役提督ら104人が公開書簡で懸念を表明したのはクーデターの呼び掛けに等しいと非難し、
書簡に署名した元将校のうち10人を拘束した。

首都アンカラの検察当局は、退役将校10人に逮捕状が出されたほか、
4人が年齢を考慮して拘束はされなかったものの、3日以内に警察に出頭するよう命じられたと発表した。
トルコの民放テレビNTVによると、14人は「実力と暴力を行使して憲法に基づく秩序を排除しようとした」疑いが持たれている。

トルコは先月、パナマ運河( Panama Canal)やスエズ運河(Suez Canal)に匹敵する
「イスタンブール運河(Canal Istanbul)」の建設計画を承認した。

この運河は、エルドアン氏が2003年の首相就任以降の18年間で空港や橋、道路やトンネルを次々と新設し、
推進してきた「クレイジー」なインフラ事業の中でも最も野心的な計画だ。

トルコ政府は、欧州とアジアを結ぶ世界貿易の重要航路である
ボスポラス(Bosphorus)海峡の通航量を軽減するため、新運河は不可欠だと主張している。
0956世界@名無史さん垢版2021/04/05(月) 20:11:33.050
>>955


だが、計画をめぐっては環境への影響を懸念する声に加え、
ボスポラス海峡とダーダネルス(Dardanelles)海峡の通航について定めた
モントルー条約(Montreux Convention)を骨抜きにする恐れがあるとの指摘がある。

1936年に結ばれたモントルー条約は、両海峡の平時と戦時における民間船の自由な通航を保障する一方、
黒海(Black Sea)沿岸諸国以外の国の軍艦の通航を規制している。
新運河ができれば、両海峡を通らずに地中海と黒海の間を船舶が行き来できるようになる。

退役将校104人が署名した公開書簡は、モントルー条約を「トルコの国益を最大限に守る」合意だと評価し、
同条約を議論の俎上(そじょう)に載せるのは「憂慮すべきこと」だと表明していた。

https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/8/5/1000x/img_85684f6b83afc30eba5825a8cf988e8b174224.jpg
トルコ・イスタンブールに建設が計画されている運河の位置を示した地図。
0959世界@名無史さん垢版2021/05/06(木) 07:48:49.750
>>772
十字軍を支援する約束だったのに何もしなかったから十字軍諸侯は自分たちで自立するしかなかった
0960世界@名無史さん垢版2021/05/07(金) 12:46:24.270
>>772
>ビザンツ「聖地をムスリムの手から取り戻してくれ
ビザンツは聖地奪回など依頼していない
>>959
諸侯のパレスチナ占領と建国は諸侯の暴走
支援しなくて当然
0962世界@名無史さん垢版2021/05/08(土) 19:56:24.660
ビザンツが要請したのはルーム・セルジューク朝にぶんどられた領土の失地回復についての援軍であって
具体的にはアンティオキアまで
0964世界@名無史さん垢版2021/05/08(土) 20:10:11.960
要請したのは傭兵だったのに大量の貧民と浮浪者を送り込まれた上に領内で略奪までされてビックリだ
0965世界@名無史さん垢版2021/05/09(日) 15:25:33.610
この時代はまだ農業しかねえ貧しい王侯とローマ教会って認識だったのかなビザンツは
0969世界@名無史さん垢版2021/05/10(月) 20:45:43.540
>>967
占領地は引き渡し
援助はしない
こんな条件で統制できるつもりだったんだから甘すぎるよな
0970世界@名無史さん垢版2021/05/10(月) 21:19:03.420
ビザンツの11世紀頃の皇帝を調べてたらみんな短命なんだけど、よく国が持ったな
官僚国家だったんかな?
0971世界@名無史さん垢版2021/05/10(月) 23:43:13.860
>>969
>占領地は引き渡し援助はしない
間違いが多すぎる

要請したのは傭兵であって「十字軍」ではない
要請したものと違うものを送って来て当時の西欧人は手紙が読めたのか
文盲を差出人のせいにしてはいけない

帝国と十字軍の司令官たちはレイモン以外1097年に正式に帝国と契約している
その契約における返還範囲は旧ビザンツ領であって
それを越える領域での十字軍の活動については帝国が支援する義務はない
にもかかわらずアンティオキアでは契約を破って勝手に独立国家が建国され
暴走する十字軍を支援してビザンツ軍はトリポリ等シリア沿岸諸都市を占領した
0975世界@名無史さん垢版2021/05/11(火) 20:11:11.770
>>970
11世紀前半は官僚制国家だったから、短命皇帝でも惰性で維持できた
世紀後半は地方で反乱が続発し国家解体に向かった
アレクシオスが収束した国家は既に官僚制国家とはいいがたく
封建国家であるとか家産国家であるとかいわれてて
君主の力量で統一が維持される国の形になっていた

だから君主が馬鹿だと国家解体に向かう
その帰結が第四回十字軍
0978世界@名無史さん垢版2021/05/12(水) 23:34:53.560
クソスレage
0979世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 09:37:24.920
シチリアでは聞き分けの悪い子を諭すのに、
「ビザンツ人が来るわよ」
という言い方がある
おそらく、シチリア人にとってビザンツ人は怖い存在であり、
ビザンツ支配の記憶が芳しくないことを示しているのだろう
0980世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 11:16:33.600
ローマ帝国の時代の権威は元老院>皇帝>宗教
だけど、東ローマ帝国はローマの自称だけ残って
完全に権威が皇帝>キリスト教会>元老院という
別物国家だよな ギリシャのポリスとも
イタリアのコムーネとも全く違う専制国家
西欧の国王や皇帝も名誉革命まではそれが理想で
18世紀に欧米はまた古代の元老院の時代に戻り、
19世紀以後はそれが更に左からの圧力で
「平民化」しているような
0981世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 13:28:59.120
アウグストゥス自身が余の権威は万人に勝った
と碑文に残してるから帝政期の権威は皇帝>元老院 でしょ

権威の序列で別物国家かどうかを決めるなら、
王政ローマと共和政ローマと帝政ローマも
別物国家ということになるわな
0982世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 14:08:52.780
アウグストゥスが元老院の権威を超えたからそこから帝政って言うんだろ
0983世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 14:46:13.620
ビザンツも古代ローマも日本も、長続きした国は時代によって
政体を変化させているよな
そうしないと生き残れない
0984世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 18:36:08.380
シチリアはビザンツ支配の時代にギリシア語が再導入され、7〜9世紀にかけて
ギリシア語の書籍が数多く出版されている
シチリアで生産される穀物は、ローマと同様にコンスタンティノープルに
とっても重要だった
0985世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 20:56:47.260
>>980
> ローマ帝国の時代の権威は元老院>皇帝>宗教
> だけど、東ローマ帝国はローマの自称だけ残って
> 完全に権威が皇帝>キリスト教会>元老院という

古代ローマとビザンツが別国家なのはその通りだが、
そもそも皇帝も元老院議員の一人でしょ?
0986世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 21:42:31.040
>皇帝も元老院議員の一人でしょ?
これも不正確
皇帝=元老院議員なのは元首政時代まで
>古代ローマとビザンツが別国家なのはその通りだが、
国制的には継承国家と見なせる

別国家か同一国家かはさまざまな属性の何を基準とするかで変わって来る
0987世界@名無史さん垢版2021/05/13(木) 21:57:26.420
クソスレage
0988世界@名無史さん垢版2021/05/14(金) 00:15:28.600
おら異民族ども
さっと次スレ立てやがれ
0991世界@名無史さん垢版2021/05/14(金) 10:27:53.370
これからの日本は、共同体やイエ制度が崩壊して、
ビザンツのような大衆社会になっていくかもしれない
0992世界@名無史さん垢版2021/05/14(金) 10:27:55.240
>>990
>>986は共和政時代じゃなくて元首政時代と言ってるぞ

>>980
東の総主教はともかく、教皇はローマ帝国の神官長でもあるから
0993世界@名無史さん垢版2021/05/14(金) 13:44:33.970
>>992
今朝「東ローマの歴史」というビザンツディスりスレが立ったんだが
lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1620934501/l50

ここの書き込みを見ると時代遅れの通俗史観をお持ちの方々のようだ
学説の方はまったく知らないように見える
>>990の読み間違いも、耄碌して字を読み間違えるような古い通説しか知らんじいさんか
自分の考えに凝り固まっているあまり事実を歪めて認識してしまう強度の認知バイアス患者か
どちらかであるように思われる

ビザンツディスりの容態を観察するには格好のスレとなるだろう
0996世界@名無史さん垢版2021/05/14(金) 23:01:47.370
そんなだからA.キャメロンや井上先生とかにピザンツ好きは歴史学とは遠いところにいると揶揄されるんよ
0997世界@名無史さん垢版2021/05/14(金) 23:04:13.010
ビザンツをディスりたい人は「東ローマ」とか呼ばずに普通に「ビザンツ」って呼ぶと思うけどな
0998世界@名無史さん垢版2021/05/14(金) 23:12:08.390
東西分裂時代以降も一般に普及しているビザンツ帝国じゃなくて東ローマ帝国って呼んでる人って、大概は西欧にコンプレックス持ってる名誉ビザンツ人みたいな人でしょ
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