過大評価されてた反動で過小評価されてる人物 [無断転載禁止]©2ch.net
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かつてはいくら過大評価されてたとはいえ、そこまで過小評価しなくてもって人物いるよね
最初から評価されてない人物はNG 日本の場合、反戦思想が暴走して
近代日本軍をまともに取り扱おうとするとヒステリーを起こす人が多いからなあ 俺は反戦主義者で内村鑑三を尊敬しているが、
乃木大将も立派な人物だと思ってるぞ。 乃木大将と新渡戸稲造は親交があった。
新渡戸は内村鑑三の親友。 こんな所にまで名を残してるんだし決して過小評価はされてない
http://www.nogizaka46.com/ 日本の場合、ネトウヨ思想が暴走して
近代日本軍をまともに取り扱おうとするとヒステリーを起こす人が多いからなあ >>53
帝国憲法下で、天皇は恩赦という形で刑の減免は出来たが
一度下った判決の厳罰化は不可能だよ。軍法会議で判決が出たら
裁可するか恩赦するかしかない。
2.26の将校達は実は獄中で大赦を期待していたんだよなあ。
磯部の手記でわかる。部下思いで知られる安藤も「出られる」と確信していたそうな。 2.26の裁判は実際暗黒裁判なんだが、しでかした事に対して将校たちの見通しは楽観的に過ぎた。
最期こそ潔かったが、死刑判決自体には多くが恨みを抱いていた。
昭和天皇が死刑になった人たちに向けてぼんぼりをともさせた逸話が
せめてもの救いか。 515はあまり反応しないのに226で苛烈な対応をしたのは、
侍従のこともあるけど、昭和天皇が共産主義アレルギーだったかな。
226事件の主張って、共産主義革命だろ。 昭和天皇がGHQのホイットニー准将に送った手紙(アメリカ公文書館保蔵)の一部抜粋
”私は今、この国の労働状況をかなり憂慮している。
日本の労働者は、物事を真似する事において、義務を等閑にして
自分の権利を利己的に追求しやすく、米国のストライキから有害な
影響を受けるので、米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。”
戦後も日本に共産主義革命が起きないかビクビクして、GHQに、日本の労働者が影響を
受けると困るから、アメリカのストライキを早く鎮圧しろとか求めてるし。 >>65
昭和天皇は、自由主義・資本主義に憧れてるアメリカ大好きな人だから、
国家社会主義だろうが、共産主義だろうが、両方嫌いなんだよ。 【226事件の主張】
・男女平等
・男女政治参画
・華族制度廃止(当然、貴族院も廃止)
・所得累進課税の強調あるいは私有財産制限
・大資本国有化(財閥解体)
・皇室財産削減など
↑
共産主義そのものって感じ。 >>69
それを訴えると共産主義じゃないのか?
共産主義は反戦じゃなくてむしろ好戦だよ。
共産主義というのは経済体制の話で、
好戦か反戦かは政治姿勢で根本的に共産主義とは関係ない。
こんな基本的なことを誤解してるやつが多いんだよね。
おまえはそうでないと願いつつ。 華族廃止だの、皇室の財産削減だのを求めてくるやつらを
昭和天皇が好きなわけがないw >>70
知ってるよ。でもさ、北一輝や青年将校らの主張はどうみても
国家社会主義であって、共産主義じゃない。
当時の日本共産党の主張は大陸進出反対であって、青年将校らと
共産主義は接点はない。むしろ君こそ意図的に
国家社会主義と共産主義を混同してないか。
共産主義者だって「人民解放戦争」万歳の人もいれば、憲法9条を守れと
真面目に言う人だっている。 >>72
じゃあ、国家社会主義と共産主義の差をちょっと言ってみな。 >>70
世界革命を志向しだすと途端に軍国主義化に傾く危険思想なんだが
スターリン自身は一国社会主義思想だったから実際には防勢的な戦略思想の持ち主だった
やばかったのは粛清された赤軍上層部
なにをトチ狂ったか大規模な機械化軍団を作ったり、侵攻先の共産主義勢力との提携の為に空挺作戦を考えたり
数百キロにわたってポーランドやドイツ、ルーマニアに侵攻する作戦構想考えたりとか
手が付けられない状態だった、周知の通りドイツ国防軍とはズブズブ
いまだに粛清したスターリンが悪いってことになってるのはかわいそうだと思う 国家社会主義はイデオロギー的には民族国家、民族共同体に至上の価値を置く。
共産主義は良くも悪くもイデオロギー的に国際的だ。
経済体制は国家社会主義は資本主義を全否定しない。一種の修正資本主義だし。
ナチスとドイツ財閥の親密ぶりは知ってるでしょうに。
北一輝だって財閥にたかっていた。
人命や人権を一顧だにしないのは両者に共通してるな。 >>68
ドイツ大使は本国に「ボリシェビキ紛い」と報告したし、昭和天皇にも「日本もロシヤのような国になりましたね」と言われてる。 国家社会主義は、共産主義のような階級闘争を否定して全国民の合同を目指すから
まかりまちがうと俺なんかには魅力的に見えてしまう恐ろしさがある。
ナチス党員にはホーエンツォレルン家の皇子から元浮浪者まであらゆる階層がいた。 226事件は、男女平等を訴えてるから共産主義だな。
国家社会主義はズルイんだよ。
自分の都合の良い社会に作り変えたいだけだ。 >>77
共産主義だって貴族はいる。
ナチス支持者の大半が低学歴の貧乏人であったという事実。 >>79
ナチス支持の高学歴の御仁もぞろぞろいる。
ハイデガーはそれで一生の汚点を残した。 >>80
宮崎市定もヒトラーに会ったことを自慢してたような…… >>80
それは低学歴をつるための看板ってやつ。
低学歴は「高学歴の◯◯さんも支持してる」に弱いからな。 まあ、資本主義者から見れば、国家社会主義も共産主義も、同類。
両方とも、カネの平等を求めてる貧乏人だから。 >>81
ヒトラーに割と好意的な随筆を戦後になって記しているよね。 ハイデガーは雇われ看板じゃなくてイケイケでナチスを支持してたよ。
どっちにしろ人生の汚点。 経済学とか政治学では、社会主義というのは、資本主義と共産主義の移行期にあるもので、
経済学者ですら、違いを明確に言えないよ。
両方とも アカ といわれる。 二次大戦の頃の軍人は毀誉褒貶が激しいよな
ロンメル:砂漠のキツネ or 兵站度外視の戦術バカ
ジューコフ:大祖国戦争を勝利に導いた名将 or スターリンの提灯持ち
マッカーサー:太平洋戦争、朝鮮戦争で活躍した名指揮官 or お勉強だけの秀才
結構紙一重だったんだろうなあとは思う >>65
本人たちは違うと思っていても、外野には同じ穴の狢に見えることはよくある >>87
名将神話が付加されなくなった時代、というのもあるんだろうな 話が伸びるもの
天皇 二次大戦 ナチス 三国志 戦国 >>89
過去の名将って言われている人間もたくさんミスしてたと思うんだよね
太平洋戦争で横綱相撲というイメージ強いミッドウェー以降の米海軍ですら
常に錯誤ごと混乱の中で戦ってて楽な戦争なんて存在しないんだなと実感させられるもの
スレタイ関係で軍事史家のジョミニ
列国の軍隊でも最近じゃほとんど読まれてないらしい
クラウゼヴィッツ、孫子は再発見的な感じで脚光浴びているのに ジョミニの引用割と見るけどね
俺がナポレオン戦争好きだからかな >>56
セヴァストポリの6倍の防御を誇る旅順要塞を
セヴァストポリの半分以下の期間で
セヴァストポリの1/10の被害で陥落させたのは世界の驚異でした。
それで無能呼ばわりする司馬史観論者とは一体……。 >>94
旅順陥落の武名が鳴り響いていた影響からクロパトキンは奉天会戦のとき第三軍を
必要以上に警戒したせいで戦場から時期尚早に後退するという大チョンボを犯している
日本軍は下手したら反撃されてぶち抜かれる可能性があったから、これは嬉しい敵失だったんだが
でも糧食も弾薬も尽きた上に主攻撃正面変換された中で最後まで戦い抜いた第三軍は凄いわ
乃木の場合旅順よりも奉天会戦の方が内容的には優れていると思う >>95
奉天戦前に戦闘序列の再編成を行い、第11師団を第3軍から鴨緑江軍に移管しており
それを知らないロシア側が奉天の東に第11師団を発見。
予備兵力を東に急派。
当の第3軍は西側から奉天を攻めていたが、司令部立案の長距離迂回作戦は不可能と判断。
独断で片翼包囲作戦に変更。
クロパトキンの懸念が的中し、第3軍の第7,第1師団が猛進。
特に最左翼を担った第7師団の進撃が凄まじく、
4倍以上の兵力差をものともせずにガンガン前線を押し上げた。
また包囲軸に位置した第9師団も第2軍と連携しつつ何とか持ちこたえた。
第3軍の位置を見誤り、また第3軍の進撃を止めるのは不可能と判断したロシア軍は撤退を決意。
撤退先は鉄嶺……のはずがその倍の距離の四平街まで撤退。 事実上の潰走であった。 奉天会戦の時は児玉の作戦が杜撰過ぎると思う
隷下の各軍司令官が頑張って尻拭いしたって印象なんだが
坂の上の雲は読んだことないんだけど
やっぱり乃木とか扱きおろされてるの? >>97
小説を面白くするためでしょうが、事実を相当曲げて書かれています。
旅順での児玉の指示あたりとかは特に。
そもそも、たとえ大山の一筆があっても児玉が直接第3軍に指示を出せば軍法会議モノ。
もし万が一出していたとしても、陸軍が証拠を残すはずがありません。
証拠が出てくれば軍法会議にかけなければならなくなりますから。
なので、小説中で児玉が旅順で出した指示は全て"創作"です。
203高地は頂上が広く平坦なため、山上の取り合いになるのは自明でしたし、
(旅順が初陣の第7師団が経験不足からミスをしたことも要因ではありましたが…)
児玉到着前から203高地方面への砲兵の陣地転換は始まっていましたし、
自軍歩兵を気にせず203高地への砲撃を続けるように指示したのは事実と完全に逆で、
第3軍においてもっとも士気旺盛だったのが砲兵。
「砲兵は敵だろうと味方だろうと動くものがあれば砲撃する」とまで言われていました。
歩兵はむしろ児玉に対し、砲兵にもっと自重させろとお願いするよう陳情するほどでした。
もちろんこの件への対策も事前に取られています。
歩兵は各小隊ごと常に複数の日の丸を掲げ、自軍砲兵にその位置を示すこと。
ロシア兵と遠距離でも見分けが付くように夏服を基本にすること。
冬服を着る場合は、冬服の上から夏服を着ること。
などなど。
ひとつひとつ挙げていけばキリがありません。 >>98
一応、さっき出た第7師団の名誉を保つため補足。
旅順が初陣になった理由は、国土防衛のために北海道に残された最後の正規師団、切り札だったからです。
旭川第7師団、別名"北鎮師団"は設置当初よりロシアが仮想敵国だったため特に厳しい訓練を施され、
名実ともに最精鋭の師団でした。
ミスらしいミスは初陣の第3次旅順総攻撃のこの時だけで、
それ以降は>>96に書かれているように他の師団よりもワンランク上の強さを発揮していました。
体格・銃剣のリーチともに勝り、勇猛で知られるロシアの正規兵でさえ、
第7師団の銃剣突撃の前には鎧袖一触でした。
ただ、彼らが白兵戦で強すぎたために
その後の陸軍が銃剣に重きを置く論拠のひとつになってしまったことは否定できませんが……。
良くも悪くも、第7師団は強すぎたのです。 >>100
若干の脚色は認めますが、
鎮台を再編した他の師団とは異なり、第7師団は屯田兵を前身としています。
屯田兵にはもちろん松前藩の旧士族がいますし
松前藩の頃からすでにロシアとは樺太などの領土係争があり、
樺太・千島交換条約を経ても緊張感は高いものでした。
屯田兵は開拓の面が強いイメージがありますが、
日常的に軍事教練を行い、日々の生活も上官が管理するなど、軍事色がかなり強いです。
また、農業と軍事教練だけでなく、土木工事も行いました(他にする人はいないので当然ですが)。
第7師団の進撃速度が速かったと書きましたが、
この時代は機関銃も榴散弾もあるので塹壕を掘らねば進めません。
つまり、進撃速度は塹壕を掘るスピードにも依存しているのです。
当時日本が理想としたプロイセン式軍学(の兵農一致の部分)に
最も近い形だったのがこの第7師団ではないでしょうか。 >>98
旅順は別に203高地を獲得して観測点を得たから勝ったわけじゃなくて
残酷な言い方だが、203高地で彼我の予備戦力を磨り潰し合った結果として
ロシア軍が持ちこたえれなくなって落ちたわけでしょ
完全に第一次世界大戦先取りしてますわ >>103
もちろん203高地は、旅順戦の決定打にはなりません。
乃木希典をはじめ第3軍では、堡塁を落としても敵兵に被害が無ければ意味がない
と、かなり早い段階で見抜いていたようです。
攻撃用の塹壕とともに防御陣地も作り、
うまく釣りだして不用意に飛び出したロシア軍を迎撃したりもしていました。
防勢有利と、時代を先取りして気付いていたようです。
また、近距離での撃ちあいでは、やや威力に劣るものの精度の高い三十年式小銃が真価を発揮しました。
第1次総攻撃以降は大本営や満州軍の指示を頑なに拒み、塹壕を掘り進め敵兵を狙撃する正攻法を軸に進めました。
そして203高地は他の戦線でロシア兵を削りまくった結果、進撃が可能になった面が大きいです。
若干蛇足ながら、203高地以前でも高崎山などからのめくら撃ちで旅順艦隊を砲撃して無力化できていました。
旅順には修理施設が無く、艦船は上部構造が破壊されたためかなり早い段階から砲・弾薬を陸揚げしていました。
ロシア側は魚雷を重砲で撃ち出したり、何とか戦力として活用しようと頑張っていたようです。
第3軍でも塹壕戦に有効な軽迫撃砲を自作するなど、両軍ともに驚異的な現場力を発揮しています。
詳細を見ていけば日露戦争が"第0次世界大戦"と言われる理由が分かりますね。
まあ、欧州では碌に教訓にされず、死体の山を築くわけですが……。 >>104
この手の話は平成になってからの司馬史観見直しで再発見されわけではなく
戦前の乃木、満洲総軍関連の史料に普通に載っていたらしいな
戦後に出された乃木の伝記でも後書きで「最近の小説に基づく日露戦争の記述は
ケシカラン」みたいな恨み言が書いてあってワロタ記憶が けっこう親日の露助っているのに、日本人の対ロシア感情は最悪だなw
wikiにもあったが、特亜の反日感情クラスか?w >>106
ロシア人の個人や、ロシア文化は好きですよ。
ただロシアと言う国家のやることはあまり好感が持てません。
あまり報道されないので知らないかも知れませんが、
スクランブル発進をどれだけさせられてると思ってるんです?
3.11のときには混乱に乗じて平然と領空侵犯しましたし。 >>106
単なる大陸恐怖症だと思う
シナが強い時はシナを恐れ
モンゴルが強い時はモンゴルを恐れ
女真が強い時は女真を恐れ
ロシアが強い時はロシアを恐れる
大陸の方が人口も生産力も資源も全部上なんだから島国では対抗するにも限界が生じる
かつてはイギリスがいたし、今はアメリカがいるから何とか張り合えてるけど
それらの国がいなくなったときのことを考えると(現代の日本人は目を逸らしているけど)
気が狂っておかしくなっちゃうんじゃないかな >23
一時期、音楽家ではあっても芸術家ではない的な言われ方をしてたけど、
最近はスター性を含めて高評価だと思う。 >>75
全然違うW
共産主義は国際的ってのは「そういうかんがえもある」程度
ドグマは生産手段の共有化であって民族主義とは本来全く関係ない >>79
ナチス支持してたのは商店主みたいなやや金持ちや大資本家
中産階級やその下部なんぞでガチの下層は共産主義やでW >>113
突撃隊に入隊したのはゴロツキやDQN少年など最底辺だけど >>114
ごろつきが最低辺かはともかくナチス支持者は「大半が」突撃隊しかいなかったのかね
何の反論にもなってないで ナチスはドイツがいい調子だったから支持しただけであってナチスを特別崇拝してる国民ばっかりじゃない ライモンド・モンテクッコリ
過小評価どころか、今では知ってる人さえ少ないくらい。 >>121
オイゲン、サックス元帥並の知名度だと思ってたが
マールバラ公やテュレンヌは逆に過大評価かなあ マールバラもテュレンヌも一般への知名度は皆無だけどね >>123
一般への知名度なんて言い出したら17世紀の欧州の軍人なんて誰も入らないだろ
三銃士やダルタニヤンの方がまだ知名度あるレベル
ライトなオタクがグスタフ・アドルフやヴァレンシュタインを知っている程度か ここまで秀吉公なしは意外だが、まあ世界史板なので
明治天皇 昨今過小評価された人物の見直しをよくみるが
趙括さんだけは永遠にその評価を不動とするであろう 別に弁護できないことはないが。
趙括じゃなきゃ白起相手に勝てたのって話だし
連覇や白起を褒めれば言い訳で、まだ若いうちの最初の敗北での破滅は不運だったねと。
無責任に放り出して逃げずに戦死するまで戦ってるし
もっと腐りきった愚将暗君の類はたくさんいるのに彼だけ槍玉に挙げられるのも可哀想ではある 歴史に残る大戦で、そこで大敗からの戦死だから
どうしても悪いイメージだけが流布しちゃんだよなあ
ある意味、紂王暗君説と似たような所がある
他に特筆すべき軍事業績があればまだ再評価できるけど、
それもないから悪いイメージの払拭も困難だし この件で一番の無能は孝成王でしょ。
藺相如と趙括の母まで出てきて諫めたのに廉頗を更迭するんだから。 ジョミニやらクラウゼヴィッツ、あるいはリデルハートなんかに中国の戦史を評価させたら
面白かったろうねえ。史記の戦いとか○軍大破殺○万みたいな記述しかないのも多いし
軍事的にどう解釈するのか、否定するのか。
リデルハートはモンゴルを評価したけど、他には触れなかった。東洋は案外大戦の日本くらいかw >>124
高校の世界史に出てくるからグスタフ=アドルフやワレンシュタインは有名だろう。 三国志ヲタなんて九品官人法知らない奴がデフォルトやで。 三国志演義が明朝の作品で当時の明の制度を使ったりしてるから混乱するんだよな。
まあ、演義は地名とか地理とかも無茶苦茶いい加減なんだけど。 俺も都督の制度を完全に理解してるとはいい難い
九品官人法の意図や作用を型どおりに解釈していいかも分からない 九品官人法は司馬懿がすぐに改悪しちゃったからな。
考廉制度の頃と同じかそれ以下になっちゃった。 ワレンシュタインとグスタフアドルフは一般教養だろうと思ったが
そうではないのか
少なくとも学問板では知らんというレスは問題外だろう >>145
>>146
知ってて聞いてみたけど案外簡潔に説明できないものだな
一般人にして推して知るべし、だろう >>140
おいらの認識によると、やった人というより
やられた人達な気がします、、、 >>147
グスタフ=アドルフは妻がヤンデレで娘がツンデレ
ヴァレンシュタインは金と出世の為に金持ち未亡人に全力でアタックする出来た男だ
カール10世の方が普通にグスタフより有能だと思う >>147は恥ずかしい
もし知ってるなら聞かなきゃいいのに
呆れた住人がググレと言うと簡潔に説明できないものだな(キリッ >>147
ここは一般人に解説する板ではないんだよ
そういう意味でも問題外のレス ライトでもオタならティリー伯やトルステンソンくらいまで知ってるだろう 過大評価からの過小評価とは少し意味合いが異なるけど、
「リンカーン大統領はそれほど聖人ではない。南北戦争もあくまでアメリカの分裂阻止が目的に過ぎず、
奴隷制廃止は方便にすぎないし、心の底から奴隷の解放は望んでなかった」
みたいな風潮が最近は少し増えすぎている気がする。
そりゃ、確かにリンカーン本人も、南北戦争においてはアメリカ統一のほうを最重視していたし、
他の過激な奴隷制廃止論者とは違って、比較的南部との対話を重視したタイプだけど、
奴隷制度に対して否定的な立場にいたのは事実だし、漸次的な廃止自体は考えていただろ、とは思う。
リアリストというか慎重な性格だったから、過激な行動に踏み切れなかっただけで、
当初から奴隷制自体にはあくまで否定的な考えだったし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています