海の民の正体について語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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ちなみに僕はシュメール人の残党ではないかな、と思います 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
NLW7S https://ja.wikipedia.org/wiki/ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字
>原シナイ文字(げんシナイもじ)は、シナイ半島のサラービート・アル=ハーディム(英語版)
>(アラビア語: ????? ?????? Sar?b?? l-??dim) で発見された、青銅器時代中期 (紀元前2000年-
>紀元前1500年) の年代と推定される少数の刻文に使われている文字を指す。
文字の普及から当時のセム語系の動きを予測できないかな
ヘブライ語、フェニキア語のルーツは原シナイ文字で間違いないらしい
そしてセム語を記録していたことも確からしい
エジプトは恐らくヒクソス(アラブ、セム人)政権でそのために同郷の人間を優遇したかった?
(実際エジプト領内ではそんなことはなかったが)ためか、アラブ人を教育するためにエジプト文字からシナイ文字を生み出したのか
>カナン地方自身からは、紀元前17世紀以降の2・3の刻文しか見つかっていない。いずれも非常
>に短く、大部分は数文字からなる。おそらくカナンの隊商か、あるいはエジプトの兵士によって書
>かれたかもしれない
カナンエジプト人(ウガリット言語系)がセム語文字を書くなんてことはないだろう
カナンには当時らくだ使いの隊商貿易商人はいない
らくだが導入されたのはアラム人の征服以降とわかっている
つまり当時のカナンはまだエジプト人が優勢で、アラビア半島系セム語も用いられていなかった
エジプトのヒクソス政権の終わりとカナンのセム系支配はほぼ同時期のはず
原カナン文字が現れだすのもそのあたりで、それがフェニキア語として発展していく なんで海の民ペリシテ人はペリシテ人の国アシュケロンを滅ぼしたの? 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
LVC >>239
因果関係の捉え方が違ってる。
海の民ペリシテ人がカナン人からアシュケロンを奪って自分たちのものにした。 ここの議論を見ても海の民の正体がフェニキア人であることはほぼ間違い無いというのがわかるよ
フェニキア人そのものというよりは、地中海周辺地域から人を集めて海の民と呼ばれる海賊を組織して取りまとめたのがフェニキア人てところだろ
そして>>231 でも言ってるように
>フェニキア人は商人としても交易を担ってたわけだから海賊なんて思われたら生活できなくなる
だから自分たちの正体がフェニキア人であることを徹底的に秘匿したんだろ
フェニキア人以外を周辺から集めたのも、海の民の正体を探る痕跡が極端に少ないのもそのためだろうな 海の民をフェニキア人単独と考えるのが間違い
すでに地中海各地の出身者がいるという記録があるだろう
民族や国単位で捉えることが不可能な集団だからそうなる
>>235
ギリシャ文字の起源はフェニキア文字だが、ギリシャ文字の最もユニークな特徴は史上初の「母音文字」の誕生だ
フェニキア語にはセム語らしいガタラルGutteralsの音、すなわち喉頭、咽頭、声門、口蓋垂といった
口の奥の、喉に近い箇所で出す子音が多く、フェニキア文字は最初からそれらを区別してきた
こういうセム系の文字をセム語以外の言語に適用すると必ず直面するのが
「子音文字が余る(ガタラルがそんなに多くないので)」「母音文字が無い」という問題だ
子音の並びだけで意味がわかるセム語と違い、セム語以外の言語には、母音を表記しないと伝達に支障をきたすものが多い
ギリシャ文字はこれを解決するのに、「余る文字」を機械的に全く音の違う母音に割り振った。
こんなことはフェニキア文字を特定の音価で普段使っているフェニキア人には思いつかない。
文字というものを知りたての、「要は区別ができればいいんだ」と考える、
たぶんそのぶん頭の柔らかいギリシャ人だから主体的にそういうことができたのだ
よって「フェニキア人がギリシャ人を奴隷化して自分たちの文字を与えた」という推測は間違っている >>244
ぜんぜん説得力無い
結論ありきで理屈をこねくり回しているようにしか見えない
フェニキア人がギリシア人を支配したからギリシア人はフェニキア由来の文字を使用するようになったと考えるほうがはるかに論理的で無理が無い >>245
それはお前が言語と文字について知らない事が多すぎるから
ウィキペディアでギリシャ文字の起源についての解説だけでも読んでこい
フェニキア人がギリシャ語を表記したのなら、
ペルシア語におけるアラビア文字を利用した母音文字のようになっているはずだ
所がそうはなっていない 日本人が漢字と仮名を使うようになったのは、中国人が日本を支配したからなのか?
満洲人がモンゴル文字を改良して満洲文字(有圏点満文)を発明したのは、
モンゴル人が満洲人を支配したからなのか?
モンゴル人がアラム文字に由来するソグド文字を縦書きにしてモンゴル語に使うようになったのは、
アラム人やソグド人がモンゴルを支配したからなのか?
そもそもイラン語派のパルティア語、ソグド語、パフラヴィー語がアラム文字で書かれたのは、
アラム人がそれらの民族を支配したからなのか?
どれも「取り入れた」「採用した」「借用した」んだよ。人間はそういう事ができる。
もちろん同じイラン系のバクトリア語がギリシャ文字を採用したように、
征服者の文字が現地の言語に使われる例もあった。
ここ500年の文字化された先住民語は大半が支配者のラテン文字を使っているしね。
でも航海技術と送れる兵員に限りがあった当時、船で移動して占領した民族が、
現地の民にその言語に合った文字を改造して与えて去るなんていう例が他にあるかね?
そもそもフェニキア人は他の民族に対して(たとえばアナトリア語派のルウィ人ほか)同じ事をしたか?
お前こそ「フェニキア人によるギリシャ支配と奴隷化」なんていう結論ありきで飛躍しすぎなんだよ。 何か必死になって理屈をこねくり回しているけど、お前の言説はフェニキア人がギリシア人を支配していたことを否定する根拠には一切なっていない
お前がやってることは、フェニキア人がギリシア人を支配した事実を隠蔽するために必死になって苦しい理屈をこねくり回しているということだけだよ >>248
「必死」というのはお前の主観にすぎない
感情の断定と押しつけは議論に関係ない
「苦しい理屈」「こねくり回す」も同様の主観的表現にすぎない
お前のほうは「フェニキアがギリシャを支配した」事さえ
何の材料も揃えられていない
フェニキア人はすぐ沖のキプロスさえも中継地点にするだけで
完全制圧はできていないじゃないか >>248
ほら反論できていない
何か言ってみろよ 今のトルコ南部に居住していたルウィー人が
一時的に東地中海の覇権を握った。それが海の民。
という説があるみたいね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Luwians チュルク人が来る以前は小アジアとかアナトリアって言えばいいんだよ
チュルクと区別されているとはいえ、
19世紀以前の「トルコ」は地域名より民族名として使ったほうが便利 22 しかし、カインは滅ぼされるであろう。アシュルはいつまでお前を捕虜とするであろうか」。
23 彼はまたこの託宣を述べた。「ああ、神が定められた以上、だれが生き延びることができよう。
24 キッテム(キプロス)の海岸から舟がきて、アシュル(アッシリア)を攻めなやまし、エベル(セム人)を攻めなやますであろう。そして彼(キプロス人)もまたついに滅び去るであろう」。
25 こうしてバラムは立ち上がって、自分のところへ帰っていった。バラクもまた立ち去った。
(民数記24章) 海の民はキプロス人?
聖書にキプロス人が船で攻めてくると書いている キプロスは前15世紀ぐらいにはアッシリアやエジプトとも交易し財力を持っていて
カナンへも奴隷狩りに行っていたと思われるが(当時のカナンは特に産物もなく文化も低い)、
海の民と戦った被害者の側でもある
しかし本格的な破壊は免れ、
ギリシャ暗黒時代以前のミケーネ様式の方言、陶器、文字を6世紀ぐらいまで保っていた >>255
海の民は地中海沿岸地域の流浪人や拉致した人間を集めて創った多国籍海賊集団
組織した張本人はフェニキア人 フェニキア人はその海賊集団を退治した人たちなのかも フェニキア式土器はミケーネ様式とは比べ物にならないくらい貧相
ただ実用主義で地味な形にしたとも考えられる
セム人はどいつもみんな呪われてるのかっていうくらい美術的センスに乏しい
アッカドや後のバビロニアなどを見ても彫像や偶像を嫌っていたとは限らないのだが、
作る偶像もこれまた貧相 ずっと後のメッカの破壊された偶像もそんなのだったらしい
アシュケナージ・ユダヤ人も落書きみたいな観念的な絵ばっかりのシャガールくらいしか生んでいないから
やっぱそういう血統なんじゃないかと思う
古代のペリシテ人はカナンに侵入してフェニキア化していった元アーリア人じゃないかと言われている
最初はミケーネに奴隷狩りされて漕手として使わていたイタリア半島やシチリアの原住民が反乱を起こし、
いつしかヒッタイトの鉄の武器を入手してオリエント一帯を荒らし回った、という筋書きが一番しっくり来る 聖書にはペリシテ人はカフトル人(クレタ島民)からわかれた、とある
クレタ島の古い絵画は黒い人間が描写されてる
黒人のような巻き毛も見て取れる
エジプトとのつながりも考古学的に発見されている クレタ島は何度かアカイア人〜ドーリア人といったギリシャ系に襲われているが、
15世紀ごろにアカイア人に攻められた時点で、
城塞などが開放的で無防備なクレタ人の線文字Aミノア文明はいったん滅んでいる
その後のクレタ島はペロポネソス半島側のミュケーナイを中心とするミケーネ文明の支配下に置かれるが、
そこでは線文字Bギリシャ語が使われている
原クレタ人にせよアカイア系クレタ人にせよ、クレタ人文明を持ち文字を持たなかったことなど無いのだ
クレタ人がそのまま海の民なのだとしたら、クレタ島が線文字Bもろとも破壊された辻褄が合わない
そもそも海の民は文字記録をどこにも残していないのだ 海賊がもうかるから海賊だけのまとまりで集団を作ったと
で、それを駆逐して貿易圏を作ったのがフェニキア人か >>263
駆逐?
もし駆逐されたと表現するのだとしたら、暴れる側も駆逐される側もどちらもフェニキア人のマッチポンプだわ
事実はフェニキア人が交易で付き合いのある周辺地域に自分たちの正体がバレないように襲撃するために、フェニキア人以外の様々な地域の人間を集めて編成した海賊だよ 艦隊を作るためには鉄器が必須か
やはりまずヒッタイト付近からか >自分たちの正体がバレないように襲撃
戦えばどうやっても捕虜が生まれるし、拷問でもなんでもやり放題の時代、
正体を隠し通すなんて無理無理
すぐ特定されて滅ぼされる
特定の大きい勢力が黒幕、ということにどうしてもしたいのだろうけど、
だったらちゃんと名乗るのがこの時代 そのほうが安全だからだ
名乗らなかったのは、集団自体が自然発生的で「名乗れなかった」のだ
もしフェニキアが海の民の黒幕だったとしたら、
せっかく得た各地の財物を売り飛ばすお得意先の国さえ滅ぼされて、さぞ当惑しただろう
途中から黒幕にさえ統制できなくなった、というドラマを描くことは可能だろうか ケープ・ゲラドニア沈没船(BC13世紀)がカナンの船
おそらく海賊にやられたのだろうが
当時カナン人をフェニキア人が襲うだろうか?
ウルブルン沈没船(BC14世紀)もカナン地方の船 でも11世紀あたりでフェニキア人が地中海を席巻してたのはほぼ間違いないわけでしょ フェニキア人はフェニキア文字でフェニキア語の記録を残した
海の民は一文字も言語記録を残していない >>267
フェニキア人はカナン人の一部であり、
「カナン」としか自称を残していない
「フェニキア人」というのはギリシャ人・ローマ人からの他称 フェニキア人はセム系
イスラエルアラム人と蜜月だったのみてもセム系
聖書のカナン人はエジプト系
フェニキア隆盛とともに起こったのがアムル人の駆逐とアラム人(セム系)の勃興 >>272
碑文も陶片も壁の落書きもいくらでもある
カルタゴでは灌漑が発達し、農法書も残っている >>271
事実に反する
イスラエルやユダは何度もアラム人、フェニキア人と戦争をしている
エドムに至っては完全に滅ぼしてユダヤ教を押し付けて同化した
言語系統が近ければ仲良かったはず、という思い込みは
近代の国民国家思想を素朴に信じ込んだ結果に過ぎない
「エジプト系カナン人」なんて存在せず、カナンでエジプト語が話されていたこともない
出エジプトしたのはもともと何代も前からエジプトに住み着いていたカナン人・シナイ人で、
エジプトで代を重ねていた間もセム語を話していたし、エジプト語に同化した者も
脱走者の社会で再びセム系のカナン語を取り戻した >>273
唯一残ったのがそれの翻訳ってだけで
記録自体は残ってない >>274
実際カナンはエジプト文化圏でミイラのDNAでも昔のカナン人のDNAに近い
聖書のとおりだ
アラム人はラクダ使いの隊商貿易民族で明らかにアモリ人とは食い違う
それはアラビアの文化だから
フェニキア人はヘロドトスに「紅海からやってきた民族」と書かれている >>276
むしろミイラにもならなかった「昔のカナン人」をどう調べたんだろう
エジプトでもヒクソスなどの遊牧民王朝はカナン人と血統が近いか同じだったんじゃないの
そんなふうに征服王朝だらけのエジプトは王族も土着の農民と違うだろうし、
下流域にはギリシャ人の都市もミケーネ時代からあったぐらいで「エジプト人のDNA」
なんてどれのことやら、少なくとも王族のミイラで判断すべきものじゃないだろ
とにかく「出自がこれこれだからあの民族とは仲がいい」なんていう理屈は
当時の力関係や敵対関係を説明する屁の役にも立たないよ
言語系統の情報はそんな雑な使い方するもんじゃない ヒクソスはアラブ系
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/58/Ibscha.jpg
色が白いし巻き毛じゃない
言語系統じゃなく民族系統でみよう
エジプト壁画では女の髪の毛はチリチリに書かれてるだろ?
ミイラ肖像画みてもそう
エジプト人庶民は大半が巻き毛で黒い肌
つまり本来エジプト人はエチオピア人エリトリア人に近い
それがカナン地方にいたのだ
聖書で書かれてる通りに モーセも言っている
「我々の祖先はいちアラム人(セム系)に過ぎず・・・」
定住系のアモリ人ではないしカナン人でもない はいはい黒人だ黒人だえらいねっと
でもセム語族の半分は黒人だし、むしろアフリカ側のセム語のほうが多様だから
そっちが故地である可能性は高いね、だから何?
ちなみにアラビア語はかつて南セム語と考えられていたが、
新しい研究では北西セム語の一種、
つまりアラム語やヘブライ語と近いグループだということがわかっている セム語族は民族じゃなくイスラムに侵略されたとこだろ
アラブ人は当時ハビル人のひとつ
ハビル、ヘブル人はアラム人、エドムなどと同系
ハムは黒人でなく「色が黒い、巻き毛のコーカソイド」
それがエジプト、リビア、エチオピア、そしてカナン地方に広がっていた
当時のエジプト文化圏はカナンを含んでいる
そしてそのハムから世界最初の大王ニムロドが生まれた、とされる
最初の帝国の王=サルゴン大王
https://qph.fs.quoracdn.net/main-qimg-67d5fb23daff8afe9a071b9de05fedbc
実際彼の頭像からはエチオピア人のような顔立ちと巻き毛の後ろ毛が見て取れる >>281
セム語族は言語上の分類で、今もキリスト教が続いている所も多い
シリア人やレバノン人にはキリスト教徒も多いが、彼らもアラビア語を話す
彼らの先祖はアラム語という別のセム語を話していたが、
イスラム軍の占領で環境がアラビア語化し、言語だけそれに呑まれた
面白いことにあの辺りのアラム語話者にはムスリムも多い
イスラム化には言語的同化は必須ではないからね
黒人バカトークつまんないよ シリアやレバノン人はフェニキア人の遺伝子含むし元々セム系だろ
そうじゃなく黒人のアラブ語地域のことを言ってるんだろ?
シリアやレバノン人などの色の白いセム系が住む以前は
カナンはエジプトと同じ文化圏のエジプト系人種が住んでいた 「セム語族は民族じゃなくイスラムに侵略されたとこだろ」
これのどこがフェニキア人の遺伝子とやらを考慮してるんだよ
だいたい「エジプトならアフリカだから黒人」っていう発想が頭湧いてるわ
エジプトはブラックアフリカじゃないんだよ 本来ブラックコーカソイドだったんだよ
ミイラ肖像画見ろ
ほとんど巻き毛で色黒だったのがエジプト人だ
コーカソイド系エチオピア人と同じだったのがエジプト人
>でもセム語族の半分は黒人だし、むしろアフリカ側のセム語のほうが多様だから
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/24/Hamito-Semitic_languages.jpg
アムハラ語とかも一緒くたにした解釈か
アラブ近縁言語ではないな それは現代語の地図だろ
古代エジプト語はファラオがいなくなってからコプト語という大言語になったが
アラビア語に押されて千数百年の間に地図でも見えない少数言語の地位に落ちたんだよ
もはやハム語派という仮説すら成り立たないが、どっちみち古代エジプト語はセム語でもアラブ近縁でもない
「解釈」も何も、エチオピア・セム諸語は定説だ
ブラック・コーカソイドのほうがよっぽどトンデモ並のいい加減な概念
単に白人特に地中海人種と黒人との混血という以上の共通点もなく、
髪も巻き毛どころかエチオピア人種は波がある程度だったり 一回既存の知識捨てて何もない状態から冷静に考えてみてくれ
聖書の通りなんだ
黒いハムは呪いのためにセムの奴隷になったんだよ 聖書は一部のカルト化したセム人の願望を書いたらくがき帳だろ
実際にはエジプトで奴隷化されて何世代もこき使われてたのはセム人
それが脱走してシナイ山で山賊やってるうちに掟を作って
約束の地っていう予言をでっち上げてカナンを侵略したのがイスラエル 「ハム」という概念に集団としての実態なんてない
聖書の系図なんてとっくに意味はないし、
セムやハムは今や言語の分類概念でしかない
しかもかつて「セム・ハム語族」が想定されていた頃
ハム語派の下位分類とされていた
エジプト語派、ベルベル語派、チャド語派、クシ語派、オモ語派の5つは
共通の語彙もほとんどなく、系統的関係を証明できる証拠がまったくない
わずかに文法構造からのみ類似点を指摘されているのは先の3つぐらい
エジプト語派はコプト語だが、話し手は皆セム語派のアラビア語に鞍替えした
>>288
どこでそんな民族的位置付けが生まれたんだよ
>>290
べつにコプト教徒は奴隷になっているわけではない カナンに入植したヘブライ人が扇動してエジプトに攻め込ませたのが海の民? エジプトだけに攻め込んだわけでもないし
カナンも襲われてるからそれはない
つかろくに襲撃先を知らないやつ多すぎ >>297
「メソポタミアで暴れたのは海の民じゃないよ」説かな? 海の民に滅ぼされたアカイア人と海の民に加わっていたアカイア人がいた、ということはアカイア人は当時2つに割れて争っていたのか? ノルド人がヴァイキングと化して違うヴァイキングの村を襲う
ということはよくあった
ではノルド人はヴァイキング派と襲われ村派の2つに分かれて
争っていたのか ドーリア人が一番近いと思う
若干他の民族が加わった可能性もある >>304
木馬作戦は彼らの常套手段だったりして
どうりで都市を次々攻略できるわけだ やはり民族というよりは、海賊集団と考えた方がしっくりくる ドーリア人の主要な武器は鉄器だったが、海の民の頃はまだ鉄器は拡散していなかったんじゃないか? ヨーロッパは掘れば何か出てくるんだから、地中海をサルベージしまくればいい。 >>310
ドーリア人南下の先ぶれの頃だったんだろう
ヒッタイトの武器の拡散の初期でもあり
>>311
フェニキアの諸都市も襲われている ヒッタイト、フェニキア、エジプトと地中海東沿岸軒並みおそわれてんのになんでフェニキアだという奴が出てくんだろ フェニキアは一国でなくツロとシドン、カルタゴなどを支配した部族
シドンは当時アラブ系、セム系、ヘブル系ではなかったろ アラブ系はまだ登場していない
セム系はアラブ系やヘブル系の上位概念
なおポエニ戦争の頃までずっと、フェニキア人の自称はカナン
部族制ではなかったようだ ヒッタイトは滅亡させられたし、エジプトは王権が傾くきっかけになるほどの打撃を受けた
フェニキアだけは壊滅的な打撃を受けて居ない
そもそもフェニキアの諸都市が襲撃されたというのが事実かどうかすら怪しい
ヒッタイトやエジプトが滅亡させられるほどの勢力なら、軍事的には弱小そのものと言っても良いフェニキアの諸都市など一瞬で跡形も無く壊滅させられているはず
『フェニキアも襲撃された』という情報そのものが、フェニキアから疑惑の目を逸らすための情報操作の可能性が極めて高い
海の民という海賊集団を組織してコントロールしていた黒幕はフェニキアだと考えるのが妥当だよ
自分たちの正体を隠匿しながら出自の不明な海賊を装って、周辺国を壊滅させて自分たちの交易による利益独占を計ったのだ エジプトヒッタイトが最大の顧客なのにそれ潰して何を独占すんの 顧客としての一面もあったにせよ、それをはるかに上回るほど邪魔な存在だったということだろう 確かに海の民についてはまだまだ謎の部分が多い
最大の謎は今指摘されているように目的だな
何のために? 海の民到来以前はフェニキアは遠洋に全然出れないレベルだぞ >>316>>318
カルタゴの建国は紀元前1000年より前とするものもありますが
カタストロフ以前には遡らない感じですね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%B4
古代ギリシアやローマの歴史家らの史料ではトロイ戦争(紀元前12世紀頃)前、
紀元前820年頃や紀元前814年頃にそれぞれ建国されたという記述があるがいずれも裏付はない。
ちなみに伝統的なフェニキアの都市は
その二つではなくてビュブロスです。
ここはエジプトとは伝統的に強固な関係性あります。
けっきょくビュブロスは被害を受けず
レヴァント最大のライバルだったウガリトが首尾よく滅亡しておりますね カタストロフの時代に地中海沿岸から鉄器の痕跡が発掘されたような話はあまり聞いたことが無いけどどうなんだろ? カタストロフの時代、鉄器の担い手が海の民だった、ということになれば今まで書かれた歴史はかなり書き換えなくちゃならなくなるんじゃないか? 海の民の一つフィリスティア人って結局どうなったんだ?
ヘブライ人との抗争に敗れて消えたんか フィリスティア=ペリシテ=パレスチナだろ
この時代だとカナンにやってきて定着し、言語もセム化した元アーリア人だって話じゃなかったか >>111>>114
青銅交易をめぐるヒッタイトとアッシリアのいざこざ
ヒッタイトのアラシア支配
その後カタストロフが発生しエーゲ海の線文字Bの交易文明圏が消失
最終的にフェニキアが青銅交易の実を握る
ふむぅ ミケーネ文明の崩壊にもフェニキアが絡んでる
ミケーネの王権を倒すために彼らが行ったのは、民衆を洗脳して王権へ敵意を向けさせるように仕向け、民衆による暴動を起こさせてミケーネの王朝を滅亡させたのだ
これがおそらく人類史上最初の市民革命だろう
この時に民衆を洗脳するために彼らが創りだしたのが、人類初の民主主義という思想だよ
フェニキア人はその後彼らが行った事の証拠を残さないために、ミケーネの文字文化を徹底的に破壊し尽くした
自分たちの行為が公になることを避けるために、自分たちの正体を徹底的に秘匿し、文字による資料などは一切残さず、後世に残るような証拠は完全に隠滅しようとするのは、フェニキア人に見られる際だった特長だよ アシュケロンも攻撃受けてるんだからペリシテ人が海の民ではないでしょ
ペリシテ人は聖書ではカフトル(クレタ島)から来た人でハム系(黒色コーカソイド)
クレタ島の壁画には巻き毛で色黒の人物が書かれている(白もいて書き分けられてる)
聖書の記述で気になるのは民数記のバラムの予言でキティオンからの侵略者が来るという予言が書かれている
事後予言だったとしても重要だ >>331
妄想爆裂してんなw
アルファベットの元祖フェニキア文字作ったフェニキア人が記録を残さなかった?
なに一転だ >>333
海の民は後発のヨーロッパの蛮人の寄せ集め集団
だから出身地もシチリアやイタリア半島などの諸都市名が挙がっている
ペリシテ人も加わった可能性は大
単独の勢力によるものと考えると、陰謀論にしかならない
>>114の理屈がこれまたおかしい
>当時後進国だったヨーロッパが海の民なんてことはないだろう
>ヨーロッパの遺物があるのは連れてこられただけにすぎない
奴隷なり捕虜なりとして連行されてくる時に、いちいち私物を持たせてもらえるのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています