海の民の正体について語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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語りましょう
ちなみに僕はシュメール人の残党ではないかな、と思います チュルク人が来る以前は小アジアとかアナトリアって言えばいいんだよ
チュルクと区別されているとはいえ、
19世紀以前の「トルコ」は地域名より民族名として使ったほうが便利 22 しかし、カインは滅ぼされるであろう。アシュルはいつまでお前を捕虜とするであろうか」。
23 彼はまたこの託宣を述べた。「ああ、神が定められた以上、だれが生き延びることができよう。
24 キッテム(キプロス)の海岸から舟がきて、アシュル(アッシリア)を攻めなやまし、エベル(セム人)を攻めなやますであろう。そして彼(キプロス人)もまたついに滅び去るであろう」。
25 こうしてバラムは立ち上がって、自分のところへ帰っていった。バラクもまた立ち去った。
(民数記24章) 海の民はキプロス人?
聖書にキプロス人が船で攻めてくると書いている キプロスは前15世紀ぐらいにはアッシリアやエジプトとも交易し財力を持っていて
カナンへも奴隷狩りに行っていたと思われるが(当時のカナンは特に産物もなく文化も低い)、
海の民と戦った被害者の側でもある
しかし本格的な破壊は免れ、
ギリシャ暗黒時代以前のミケーネ様式の方言、陶器、文字を6世紀ぐらいまで保っていた >>255
海の民は地中海沿岸地域の流浪人や拉致した人間を集めて創った多国籍海賊集団
組織した張本人はフェニキア人 フェニキア人はその海賊集団を退治した人たちなのかも フェニキア式土器はミケーネ様式とは比べ物にならないくらい貧相
ただ実用主義で地味な形にしたとも考えられる
セム人はどいつもみんな呪われてるのかっていうくらい美術的センスに乏しい
アッカドや後のバビロニアなどを見ても彫像や偶像を嫌っていたとは限らないのだが、
作る偶像もこれまた貧相 ずっと後のメッカの破壊された偶像もそんなのだったらしい
アシュケナージ・ユダヤ人も落書きみたいな観念的な絵ばっかりのシャガールくらいしか生んでいないから
やっぱそういう血統なんじゃないかと思う
古代のペリシテ人はカナンに侵入してフェニキア化していった元アーリア人じゃないかと言われている
最初はミケーネに奴隷狩りされて漕手として使わていたイタリア半島やシチリアの原住民が反乱を起こし、
いつしかヒッタイトの鉄の武器を入手してオリエント一帯を荒らし回った、という筋書きが一番しっくり来る 聖書にはペリシテ人はカフトル人(クレタ島民)からわかれた、とある
クレタ島の古い絵画は黒い人間が描写されてる
黒人のような巻き毛も見て取れる
エジプトとのつながりも考古学的に発見されている クレタ島は何度かアカイア人〜ドーリア人といったギリシャ系に襲われているが、
15世紀ごろにアカイア人に攻められた時点で、
城塞などが開放的で無防備なクレタ人の線文字Aミノア文明はいったん滅んでいる
その後のクレタ島はペロポネソス半島側のミュケーナイを中心とするミケーネ文明の支配下に置かれるが、
そこでは線文字Bギリシャ語が使われている
原クレタ人にせよアカイア系クレタ人にせよ、クレタ人文明を持ち文字を持たなかったことなど無いのだ
クレタ人がそのまま海の民なのだとしたら、クレタ島が線文字Bもろとも破壊された辻褄が合わない
そもそも海の民は文字記録をどこにも残していないのだ 海賊がもうかるから海賊だけのまとまりで集団を作ったと
で、それを駆逐して貿易圏を作ったのがフェニキア人か >>263
駆逐?
もし駆逐されたと表現するのだとしたら、暴れる側も駆逐される側もどちらもフェニキア人のマッチポンプだわ
事実はフェニキア人が交易で付き合いのある周辺地域に自分たちの正体がバレないように襲撃するために、フェニキア人以外の様々な地域の人間を集めて編成した海賊だよ 艦隊を作るためには鉄器が必須か
やはりまずヒッタイト付近からか >自分たちの正体がバレないように襲撃
戦えばどうやっても捕虜が生まれるし、拷問でもなんでもやり放題の時代、
正体を隠し通すなんて無理無理
すぐ特定されて滅ぼされる
特定の大きい勢力が黒幕、ということにどうしてもしたいのだろうけど、
だったらちゃんと名乗るのがこの時代 そのほうが安全だからだ
名乗らなかったのは、集団自体が自然発生的で「名乗れなかった」のだ
もしフェニキアが海の民の黒幕だったとしたら、
せっかく得た各地の財物を売り飛ばすお得意先の国さえ滅ぼされて、さぞ当惑しただろう
途中から黒幕にさえ統制できなくなった、というドラマを描くことは可能だろうか ケープ・ゲラドニア沈没船(BC13世紀)がカナンの船
おそらく海賊にやられたのだろうが
当時カナン人をフェニキア人が襲うだろうか?
ウルブルン沈没船(BC14世紀)もカナン地方の船 でも11世紀あたりでフェニキア人が地中海を席巻してたのはほぼ間違いないわけでしょ フェニキア人はフェニキア文字でフェニキア語の記録を残した
海の民は一文字も言語記録を残していない >>267
フェニキア人はカナン人の一部であり、
「カナン」としか自称を残していない
「フェニキア人」というのはギリシャ人・ローマ人からの他称 フェニキア人はセム系
イスラエルアラム人と蜜月だったのみてもセム系
聖書のカナン人はエジプト系
フェニキア隆盛とともに起こったのがアムル人の駆逐とアラム人(セム系)の勃興 >>272
碑文も陶片も壁の落書きもいくらでもある
カルタゴでは灌漑が発達し、農法書も残っている >>271
事実に反する
イスラエルやユダは何度もアラム人、フェニキア人と戦争をしている
エドムに至っては完全に滅ぼしてユダヤ教を押し付けて同化した
言語系統が近ければ仲良かったはず、という思い込みは
近代の国民国家思想を素朴に信じ込んだ結果に過ぎない
「エジプト系カナン人」なんて存在せず、カナンでエジプト語が話されていたこともない
出エジプトしたのはもともと何代も前からエジプトに住み着いていたカナン人・シナイ人で、
エジプトで代を重ねていた間もセム語を話していたし、エジプト語に同化した者も
脱走者の社会で再びセム系のカナン語を取り戻した >>273
唯一残ったのがそれの翻訳ってだけで
記録自体は残ってない >>274
実際カナンはエジプト文化圏でミイラのDNAでも昔のカナン人のDNAに近い
聖書のとおりだ
アラム人はラクダ使いの隊商貿易民族で明らかにアモリ人とは食い違う
それはアラビアの文化だから
フェニキア人はヘロドトスに「紅海からやってきた民族」と書かれている >>276
むしろミイラにもならなかった「昔のカナン人」をどう調べたんだろう
エジプトでもヒクソスなどの遊牧民王朝はカナン人と血統が近いか同じだったんじゃないの
そんなふうに征服王朝だらけのエジプトは王族も土着の農民と違うだろうし、
下流域にはギリシャ人の都市もミケーネ時代からあったぐらいで「エジプト人のDNA」
なんてどれのことやら、少なくとも王族のミイラで判断すべきものじゃないだろ
とにかく「出自がこれこれだからあの民族とは仲がいい」なんていう理屈は
当時の力関係や敵対関係を説明する屁の役にも立たないよ
言語系統の情報はそんな雑な使い方するもんじゃない ヒクソスはアラブ系
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/58/Ibscha.jpg
色が白いし巻き毛じゃない
言語系統じゃなく民族系統でみよう
エジプト壁画では女の髪の毛はチリチリに書かれてるだろ?
ミイラ肖像画みてもそう
エジプト人庶民は大半が巻き毛で黒い肌
つまり本来エジプト人はエチオピア人エリトリア人に近い
それがカナン地方にいたのだ
聖書で書かれてる通りに モーセも言っている
「我々の祖先はいちアラム人(セム系)に過ぎず・・・」
定住系のアモリ人ではないしカナン人でもない はいはい黒人だ黒人だえらいねっと
でもセム語族の半分は黒人だし、むしろアフリカ側のセム語のほうが多様だから
そっちが故地である可能性は高いね、だから何?
ちなみにアラビア語はかつて南セム語と考えられていたが、
新しい研究では北西セム語の一種、
つまりアラム語やヘブライ語と近いグループだということがわかっている セム語族は民族じゃなくイスラムに侵略されたとこだろ
アラブ人は当時ハビル人のひとつ
ハビル、ヘブル人はアラム人、エドムなどと同系
ハムは黒人でなく「色が黒い、巻き毛のコーカソイド」
それがエジプト、リビア、エチオピア、そしてカナン地方に広がっていた
当時のエジプト文化圏はカナンを含んでいる
そしてそのハムから世界最初の大王ニムロドが生まれた、とされる
最初の帝国の王=サルゴン大王
https://qph.fs.quoracdn.net/main-qimg-67d5fb23daff8afe9a071b9de05fedbc
実際彼の頭像からはエチオピア人のような顔立ちと巻き毛の後ろ毛が見て取れる >>281
セム語族は言語上の分類で、今もキリスト教が続いている所も多い
シリア人やレバノン人にはキリスト教徒も多いが、彼らもアラビア語を話す
彼らの先祖はアラム語という別のセム語を話していたが、
イスラム軍の占領で環境がアラビア語化し、言語だけそれに呑まれた
面白いことにあの辺りのアラム語話者にはムスリムも多い
イスラム化には言語的同化は必須ではないからね
黒人バカトークつまんないよ シリアやレバノン人はフェニキア人の遺伝子含むし元々セム系だろ
そうじゃなく黒人のアラブ語地域のことを言ってるんだろ?
シリアやレバノン人などの色の白いセム系が住む以前は
カナンはエジプトと同じ文化圏のエジプト系人種が住んでいた 「セム語族は民族じゃなくイスラムに侵略されたとこだろ」
これのどこがフェニキア人の遺伝子とやらを考慮してるんだよ
だいたい「エジプトならアフリカだから黒人」っていう発想が頭湧いてるわ
エジプトはブラックアフリカじゃないんだよ 本来ブラックコーカソイドだったんだよ
ミイラ肖像画見ろ
ほとんど巻き毛で色黒だったのがエジプト人だ
コーカソイド系エチオピア人と同じだったのがエジプト人
>でもセム語族の半分は黒人だし、むしろアフリカ側のセム語のほうが多様だから
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/24/Hamito-Semitic_languages.jpg
アムハラ語とかも一緒くたにした解釈か
アラブ近縁言語ではないな それは現代語の地図だろ
古代エジプト語はファラオがいなくなってからコプト語という大言語になったが
アラビア語に押されて千数百年の間に地図でも見えない少数言語の地位に落ちたんだよ
もはやハム語派という仮説すら成り立たないが、どっちみち古代エジプト語はセム語でもアラブ近縁でもない
「解釈」も何も、エチオピア・セム諸語は定説だ
ブラック・コーカソイドのほうがよっぽどトンデモ並のいい加減な概念
単に白人特に地中海人種と黒人との混血という以上の共通点もなく、
髪も巻き毛どころかエチオピア人種は波がある程度だったり 一回既存の知識捨てて何もない状態から冷静に考えてみてくれ
聖書の通りなんだ
黒いハムは呪いのためにセムの奴隷になったんだよ 聖書は一部のカルト化したセム人の願望を書いたらくがき帳だろ
実際にはエジプトで奴隷化されて何世代もこき使われてたのはセム人
それが脱走してシナイ山で山賊やってるうちに掟を作って
約束の地っていう予言をでっち上げてカナンを侵略したのがイスラエル 「ハム」という概念に集団としての実態なんてない
聖書の系図なんてとっくに意味はないし、
セムやハムは今や言語の分類概念でしかない
しかもかつて「セム・ハム語族」が想定されていた頃
ハム語派の下位分類とされていた
エジプト語派、ベルベル語派、チャド語派、クシ語派、オモ語派の5つは
共通の語彙もほとんどなく、系統的関係を証明できる証拠がまったくない
わずかに文法構造からのみ類似点を指摘されているのは先の3つぐらい
エジプト語派はコプト語だが、話し手は皆セム語派のアラビア語に鞍替えした
>>288
どこでそんな民族的位置付けが生まれたんだよ
>>290
べつにコプト教徒は奴隷になっているわけではない カナンに入植したヘブライ人が扇動してエジプトに攻め込ませたのが海の民? エジプトだけに攻め込んだわけでもないし
カナンも襲われてるからそれはない
つかろくに襲撃先を知らないやつ多すぎ >>297
「メソポタミアで暴れたのは海の民じゃないよ」説かな? 海の民に滅ぼされたアカイア人と海の民に加わっていたアカイア人がいた、ということはアカイア人は当時2つに割れて争っていたのか? ノルド人がヴァイキングと化して違うヴァイキングの村を襲う
ということはよくあった
ではノルド人はヴァイキング派と襲われ村派の2つに分かれて
争っていたのか ドーリア人が一番近いと思う
若干他の民族が加わった可能性もある >>304
木馬作戦は彼らの常套手段だったりして
どうりで都市を次々攻略できるわけだ やはり民族というよりは、海賊集団と考えた方がしっくりくる ドーリア人の主要な武器は鉄器だったが、海の民の頃はまだ鉄器は拡散していなかったんじゃないか? ヨーロッパは掘れば何か出てくるんだから、地中海をサルベージしまくればいい。 >>310
ドーリア人南下の先ぶれの頃だったんだろう
ヒッタイトの武器の拡散の初期でもあり
>>311
フェニキアの諸都市も襲われている ヒッタイト、フェニキア、エジプトと地中海東沿岸軒並みおそわれてんのになんでフェニキアだという奴が出てくんだろ フェニキアは一国でなくツロとシドン、カルタゴなどを支配した部族
シドンは当時アラブ系、セム系、ヘブル系ではなかったろ アラブ系はまだ登場していない
セム系はアラブ系やヘブル系の上位概念
なおポエニ戦争の頃までずっと、フェニキア人の自称はカナン
部族制ではなかったようだ ヒッタイトは滅亡させられたし、エジプトは王権が傾くきっかけになるほどの打撃を受けた
フェニキアだけは壊滅的な打撃を受けて居ない
そもそもフェニキアの諸都市が襲撃されたというのが事実かどうかすら怪しい
ヒッタイトやエジプトが滅亡させられるほどの勢力なら、軍事的には弱小そのものと言っても良いフェニキアの諸都市など一瞬で跡形も無く壊滅させられているはず
『フェニキアも襲撃された』という情報そのものが、フェニキアから疑惑の目を逸らすための情報操作の可能性が極めて高い
海の民という海賊集団を組織してコントロールしていた黒幕はフェニキアだと考えるのが妥当だよ
自分たちの正体を隠匿しながら出自の不明な海賊を装って、周辺国を壊滅させて自分たちの交易による利益独占を計ったのだ エジプトヒッタイトが最大の顧客なのにそれ潰して何を独占すんの 顧客としての一面もあったにせよ、それをはるかに上回るほど邪魔な存在だったということだろう 確かに海の民についてはまだまだ謎の部分が多い
最大の謎は今指摘されているように目的だな
何のために? 海の民到来以前はフェニキアは遠洋に全然出れないレベルだぞ >>316>>318
カルタゴの建国は紀元前1000年より前とするものもありますが
カタストロフ以前には遡らない感じですね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%B4
古代ギリシアやローマの歴史家らの史料ではトロイ戦争(紀元前12世紀頃)前、
紀元前820年頃や紀元前814年頃にそれぞれ建国されたという記述があるがいずれも裏付はない。
ちなみに伝統的なフェニキアの都市は
その二つではなくてビュブロスです。
ここはエジプトとは伝統的に強固な関係性あります。
けっきょくビュブロスは被害を受けず
レヴァント最大のライバルだったウガリトが首尾よく滅亡しておりますね カタストロフの時代に地中海沿岸から鉄器の痕跡が発掘されたような話はあまり聞いたことが無いけどどうなんだろ? カタストロフの時代、鉄器の担い手が海の民だった、ということになれば今まで書かれた歴史はかなり書き換えなくちゃならなくなるんじゃないか? 海の民の一つフィリスティア人って結局どうなったんだ?
ヘブライ人との抗争に敗れて消えたんか フィリスティア=ペリシテ=パレスチナだろ
この時代だとカナンにやってきて定着し、言語もセム化した元アーリア人だって話じゃなかったか >>111>>114
青銅交易をめぐるヒッタイトとアッシリアのいざこざ
ヒッタイトのアラシア支配
その後カタストロフが発生しエーゲ海の線文字Bの交易文明圏が消失
最終的にフェニキアが青銅交易の実を握る
ふむぅ ミケーネ文明の崩壊にもフェニキアが絡んでる
ミケーネの王権を倒すために彼らが行ったのは、民衆を洗脳して王権へ敵意を向けさせるように仕向け、民衆による暴動を起こさせてミケーネの王朝を滅亡させたのだ
これがおそらく人類史上最初の市民革命だろう
この時に民衆を洗脳するために彼らが創りだしたのが、人類初の民主主義という思想だよ
フェニキア人はその後彼らが行った事の証拠を残さないために、ミケーネの文字文化を徹底的に破壊し尽くした
自分たちの行為が公になることを避けるために、自分たちの正体を徹底的に秘匿し、文字による資料などは一切残さず、後世に残るような証拠は完全に隠滅しようとするのは、フェニキア人に見られる際だった特長だよ アシュケロンも攻撃受けてるんだからペリシテ人が海の民ではないでしょ
ペリシテ人は聖書ではカフトル(クレタ島)から来た人でハム系(黒色コーカソイド)
クレタ島の壁画には巻き毛で色黒の人物が書かれている(白もいて書き分けられてる)
聖書の記述で気になるのは民数記のバラムの予言でキティオンからの侵略者が来るという予言が書かれている
事後予言だったとしても重要だ >>331
妄想爆裂してんなw
アルファベットの元祖フェニキア文字作ったフェニキア人が記録を残さなかった?
なに一転だ >>333
海の民は後発のヨーロッパの蛮人の寄せ集め集団
だから出身地もシチリアやイタリア半島などの諸都市名が挙がっている
ペリシテ人も加わった可能性は大
単独の勢力によるものと考えると、陰謀論にしかならない
>>114の理屈がこれまたおかしい
>当時後進国だったヨーロッパが海の民なんてことはないだろう
>ヨーロッパの遺物があるのは連れてこられただけにすぎない
奴隷なり捕虜なりとして連行されてくる時に、いちいち私物を持たせてもらえるのか? ヨセフスとか、フェニキアの記録を引用しているが
それが残ってないってことは、アブラハムの宗教にとって都合が悪かったのか >>214>>215>>216>>217
おいら調べによると
セプトゥアギンタの方が
ユダヤの聖典より先に成立しておりましたね
そんでもって強制されたのは
先に成立したやつじゃなくて
後からできたやつを正典とみなすことでしたよっと >>331
フェニキア人は通商の民だったのに
なんであんなに記録が残ってないんですかねぇ
謎が多いです、、、
パクリです、、、
カルタゴの建国神話に基づく伝記[編集]
フェニキアの都市国家テュロスの国王の娘で幼名はエリッサ(Elissa)といった。
父の弟でメルカルトの神官をしていたシュカイオスと結ばれて同じく巫女として仕えていた。
父の死去の際、彼女と兄のピュグマリオーンが共同で国を治める様に遺言された。
ところが、兄は王位の独占と叔父の財産目当てに遺言に違えてシュカイオスを暗殺し、ディードーの命をも狙った。
そこで彼女は全てを捨てて心ある家臣たちとともに航海に出たのである。
ディードーの一行は途中キプロス島で豊饒の女神アスタルテーに仕える神官と神殿に献上される予定であった乙女達を受け入れながら旅を続け、
現在の北アフリカ・チュニジアの地に辿り着いた。
そこで彼女はこの地の王であるイアルバースに土地の分与を申し入れた。
イアルバースは1頭の牝牛の皮が覆えるだけの土地であれば分与しても良いと応えた。
そこで彼女は牝牛1頭分の皮を細かく引き裂いてビュルサの丘の土地を取り囲み、砦を築くだけの土地を得た[1]。
この地が後のカルタゴとなった。 >>214>>216
マジかよ「セプトゥアギンタ」の意味も由来も知らずに語ってんのかこの人
プトレマイオスの王様が経典が素晴らしいことを聞き知って図書館に収めるにふさわしいと考えた
そこでハスモン朝に翻訳者を依頼して、イスラエル12部族から各6人計72人で翻訳することになった
それで翻訳されたものは端数を切って70(セプトゥアギンタ)と呼ばれるようになった
ユダヤ人が翻訳の主体だし(そもそもユダヤ人以外に誰が翻訳できるんだっての)、聖典の翻訳がタブーなんて勝手な妄想 >>337
聖典としての権威が確立してるのはトーラーが先な
セプトゥアギンタはトーラーとよく読まれてそれに類するものとされていたものを手当たり次第翻訳したもの
なぜかギリシャ語しか知らんキリスト教徒がセプトゥアギンタ全部をそのまま聖典と見なすようになったから、ユダヤ側でもトーラー以外にも聖典を確定する必要に迫られて22書が確定した
ユダヤ人側からすれば、なんでこれが聖典?ってレベルのものまでギリシャ語に翻訳されてた 聖書の翻訳がタブーなんてよくもまあ勝手に思いつくもんだな
パレスチナでもアラム語が日常語になった時代にはヘブライ語聖書と一緒にアラム語訳(タルグム)が読まれていたし、ギリシャ語が日常語ならギリシャ語の翻訳がされるのは当然
アラビア語の時代になったらサアディア・ガオンが翻訳したアラビア語訳がヘブライ語と合わせて読まれた >>317
フェニキア人はヘロドトスによると紅海側からきた民族だが
それが事実だとして、何人になるだろう?
ナバテア人? >>342
フェニキア人は支配層と下層民で出自が異なる
支配層は元ヒクソス
下層民はアラビア半島の紅海沿岸と対岸のエチオピアを故地とする当時のエジプトの被支配層出身で、ヒクソスがエジプトを追われてカナンに撤退する際に一緒に引き連れて来られた人々
だからヘロドトスがフェニキア人の話として紅海沿岸からやってきたと述べているのも間違いでは無い >>338
滅んだ国の記録が残っていないなんてよくあることじゃん
特に言語や文字ごと滅んだら書物なんて数えるほどしか無い ヨセフスは記録引用してるし、残ってはいたんだよ
滅んで消失したのならよくあるが
それと関係なしに記録が失われるってよくあることかな? よそに引用されていた記録が残っているというのもよくあること
フェニキア語の資料も例に漏れず、紙の一次資料はほとんどなく、
印章、碑文、陶文などだろ そうそう
引用にだけ残って原典は消失なんて印刷技術が現れるまで当たり前の現象 単純に後代に自分たちで隠滅したんだろ
フェニキア人は商業を何よりも優先するから情報が持つ力を他のどの民よりも知り尽くしていたんだ
そして文字による情報の継承と拡散が持つ力も熟知していた
だからこそ合理的な文字体系を創り出したんだとも言える 一行目とそれ以降が繋がってないが
隠滅する理由がない フェニキアはユダヤ化したグループとイスラム化したグループが生き残って
残りは滅びた >>349
後代には残ってないでしょ
ヨセフスはモーコスとヘファスティオスという二人の著者のフェニキア史を挙げているが
この時代にはあったということ
片方はギリシャ人だろうしフェニキア人というよりフェニキア関係が消失してると見たほうが近い
フェニキア史ってやっぱりユダヤの歴史に近かったんじゃないだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています