海の民の正体について語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/02(土) 15:50:36.760
語りましょう

ちなみに僕はシュメール人の残党ではないかな、と思います
0084世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 17:58:38.480
映画のベン・ハーでは奴隷が漕ぎ部屋が2層か3層ある船に鎖でつながれて漕いでたなw
0085世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 19:05:41.470
さも自分自身が見て来たかのような口ぶり&時系列無視の事象のパッチワークによるオリジナル新説は
歴オタにはありがちだよね
0086世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 19:35:30.110
>>76
海の民が暴れた後定住した土地には、彼らが残した可能性のある文字記録は一切存在しない
0087世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 00:30:51.920
>>82
北アフリカの黒人(ニグロイド)が奴隷にされてたという話は?

ヒクソス=イスラエルではないよ
一部ヒクソス=イスラエル&フェニキア
イスラエル&フェニキア=元ヒクソスでヒクソス王朝時代、カナンがエジプト文化を
捨てた時代からあのへんが完全にセム系に乗っ取られたんだよ
元は完全なエジプトの属州だったのに
0088世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 00:45:07.530
>>86
それが完全に海の民そのものであると証明できる?
連れられてきた奴隷かもしれない
利害関係でみればフェニキアが関与してるのは明らかじゃないか
ギリシャが衰退して暗黒時代
エジプトも衰退してかつての国力も失う
そんななかフェニキアだけが隆盛を極め北アフリカやヨーロッパにも進出(莫大な金がかかる)
植民都市も作りヨーロッパを脅かす
0089世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 01:39:33.790
ギリシャが束縛を逃れ記録を残し始めたのがフェニキアが陸上からアッシリアの服属を受けた時と一致する
その記録というのもフェニキア文字を転用して作ったもの
ギリシャなどの記録からフェニキアが知られだした時からフェニキア=海賊・商人・奴隷売買・人さらい
として知られている
それが「ある日突然」始まったなんて馬鹿げてる
元々そういう民族だったのだと考えるほうが自然
0090世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 07:27:27.690
>>88-89
「海の民」の居住跡地にはフェニキア文字の書き付け一つ残っていない
略奪された文明国から連れて来られた奴隷なら少なからず文字が書けるものがいたはずだが、
線文字Bもヒッタイト語もエジプト語も何も残っていない

そして何より大事なことに、平時からフェニキア人と付き合いがあった、略奪された国の文献は
どれ一つ取っても敵をフェニキア人とは明言していない
もしそうならはっきり言うよ
「ギリシャなどの記録」ってどれだよ
言ってることが穴だらけでただの思い込みじゃねえか
0091世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 11:09:10.050
今のシリア難民が、シリア難民だけではなくてパキスタンとかアフリカンがかなりの割合を占めてるってのをみて
昔もそんなんだろうなって思った
0092世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 18:19:19.730
>>90
だって当時は紀元前12世紀あたりで殆ど文字記録ない非文明国がほとんどだし
それがヨーロッパから連れてこられた奴隷だったにしろ文字を持ってるはずがない

http://7thsg-entry-76.html
ホメロスやヘロドトスでは、彼らは人さらいの代名詞ですよ。
 買い物をするためにフェニキア商船に乗った王女と侍女が
 そのまま連れ去られた記述がヘロドトスの「歴史」にあります。
 カンビュセスのエジプト遠征に協力した時も、フェニキアの艦隊は
 陸から人をさらっています。艦隊っていうからこれは国家ぐるみです。
 一方、ローマ人の間では彼らは「裏切り」の代名詞です。」
0093世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 21:10:28.860
>>92
エジプトもメソポタミアもヒッタイトも文字文明が栄えていたよ
それを破壊して滅亡や滅亡寸前に追いやったのが海の民だろ
「文字を持っているはずがない」とは聞いて呆れる

>>71に逆に質問
>ペリシテ人とミケーネ人が使ってた土器や都市の構造や武器が一致してる
だったらペリシテ人が一文字も線文字ABとも残していないのはなぜだ?
ミケーネ人をさらってきて奴隷にしたのなら、ミケーネ人の書き付けぐらいあって当然だろう

おまけにリンク先は読めないと来た
「サーバーが見つかりませんでした」ってw
おおかた、デタラメな偏見ばかりの醜さに、何かの圧力をかけられて閉鎖されたんだろう
0094世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 00:51:58.480
ペリシテ人ってほとんど旧約にしか登場しない民族のはずなのに
考古学ではペリシテ人のものって明確にされてるのは何故だろう
0095世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 00:57:18.790
>>93
ヨーロッパから連れられてきてヨーロッパの遺物を残してる海の民の居住地とされる場所のことだろ
奴隷売買、海賊行為に加担されるようになったのかどういうものかはわからんが
黒幕はフェニキアだろう
0096世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 01:32:22.160
カナン人って新王国時代のエジプトでは常に駆られて奴隷にされる側だし
エジプトでカナン人以外を奴隷にしたのってわずかな黒人の例を除くとまるでなくて
ヨーロッパから奴隷を買ったなんていう話もぜんぜんないのはどういうことだ?
0097ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2017/08/28(月) 07:56:53.940
>>94
差がいちばん簡単にわかるのは
とんこつの有無らしい、、、
0098世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 11:26:12.690
>>96
エジプトがアジア方面を占領しただけでも今までのエジプト史からすれば活気的な事だろ
新王国はミタンニ、ヒッタイト、リディアと言った強国がいる中で最大限に勢力を拡張したのだ
欧州の蛮族地区に進出するには強国の激戦区東地中海を押さえないといけないが、アケメネス朝ペルシア登場まではどこもあと一歩届かなかった
0099世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 14:04:23.050
>>98
べつにエジプト新王国が大したことないって言ってるんじゃなくて、
エジプトが遠征して奴隷を確保した先のカナンのフェニキア人が
なんで海賊や奴隷商人で儲けてたんだよって話だよ(>>95に)
略奪して奴隷を確保したのなら、売る先はどこだよ
エジプトか?でもエジプトはカナン奴隷ばっかり使っててヨーロッパ人なんて奴隷として使ってないんだよ
0100世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 19:25:05.140
>>89
>ギリシャなどの記録からフェニキアが知られだした時からフェニキア=海賊・商人・奴隷売買・人さらい
>として知られている

はぁ?どこにそんな記録があるんだ?あるというのなら出してみろ
それに反する記録なら見たことあるがな「そこの住民を見ると、シドン(フェニキア)人のならわしに従って、平穏に暮らしていた。」(士師記18章7節)

大体、古代ギリシャ人の記録にでてくる海賊ってのは当のギリシャ人だし、エジプトの碑文に出てくるのもアカイカ人やイタリアの連中ばかりだぞ

>>92
トロイア戦争の話持ち出してお前バカ?つうかお前原典の「イーリアス」読んだことある?
ギリシャ軍の描写とか野盗そのものやぞ
0101世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 19:41:48.060
>>87
>北アフリカの黒人(ニグロイド)が奴隷にされてたという話は?

へぇ〜古代にガレー船を黒人奴隷使って漕がせてた国があったんだ?どの時代のどの国の話だ?

>ヒクソス=イスラエルではないよ
>一部ヒクソス=イスラエル&フェニキア

ヒクソスは 第15王朝が滅んだあと所在不明、一方イスラエルが出てくるのはそれから300年後のメルエンプタハ碑文からで全然つじつまが合わないんだが
0102世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 23:28:22.900
>>100
ユダヤとフェニキアは同民族
異教徒なのになぜかフェニキアとは仲がいい
ヘロドトスの歴史の冒頭がフェニキア人に王女がさらわれたというくだりだし
0103世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 23:32:10.210
>>101
メルエンプタハでわかるのは当時その地区にすでにイスラエルという国があったということだけだ
どれだけ長い間そこにいたかなんてわかるはずがない

「ユダヤを知るにはフェニキアの知識は欠かせない。」でぐぐれ
0104世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 23:44:47.790
まあおおっぴらに海賊なんてやってたら地中海全域の貿易なんて不可能になるから
始めはバレないように船を沈めまくってたのを最終的には海賊の略奪品を買い取る
商業都市になったんだろうな
でもフェニキアが繁栄したのは確実だろう
メルエンプタハも侵略(というか元々の領土を取り返す)して支配したと言ってるだけで実際は
なんにも鳴ってないからな
0105世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/29(火) 11:19:36.410
2つ上のやつぐぐったらただの思い込みとトンデモしかなくてわろた
ヘロドトスどころか十年近く前の2ちゃんの過去ログで同じ妄想を書いてるだけ
これでどんなアフィ収入が入るのか知らんが、馬鹿馬鹿しい
0106世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/29(火) 18:39:13.910
>>102
支離滅裂なんだがユダヤとフェニキアが同民族だっとして、そっから3百年前に居なくなったヒクソスとどうつながってくるんだ?
つうかお前ヘロドトス読んだことないだろ?

>>104
ギリシャ人はおおっぴらに海賊ヤリまくってましたが?
つうかお前、自分の妄想をさも見たことあるように書くのやめろ
0107世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/29(火) 22:42:32.820
>>106
ヒクソス後期にカナンはエジプトの文化影響を捨てて独自の文化を持つようになった

歴史】 世界初・ミイラのゲノム解析 古代エジプト人は意外な民族と近かった!
http://egg.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1496345788/
それまではエジプトの完全な一部で遺伝子も似通っていた

マネトのモーセの記録なども奴隷に落とされていたヒクソスの脱出と考えることが出来る
そう考えれば亡命ヒクソスの行先はカナンしかないのがわかる
0108世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 00:29:32.370
>>102
>ヘロドトスの歴史の冒頭がフェニキア人に王女がさらわれたというくだりだし

間違い。ヘロドトスの『歴史』は前5世紀のギリシア諸都市とペルシアの戦争を中心とし、
序文の次に、リュディアというアナトリアにあった国の興亡から始まる
リュディアが栄えたのは前7〜6世紀、ヘロドトスが活躍したのは前5世紀と近い時代だ
「さらわれた」云々はおそらくホメーロスの『イーリアス』の冒頭(詩神ムーサへの祈りの次)の
アカイア軍(ギリシャ人側)にイーリオス(トロイア)側のポイボス・アポローンの神官であるクリューセースの娘クリューセーイスが
さらわれたという話をごっちゃにしているんだろう。うろ覚えにも程があるwしかもどっちもフェニキア人なんてかけらも出てこねえw
イーリアスの主題であるトロイア戦争は、早期の歴史記録では前13世紀半ば、考古学的には前23世紀かそれ以前と、とにかく古い。
ヘロドトスの『歴史』の主題ペルシア戦争より5百年以上も前の時代だ。王女じゃなくて神官の娘だ。
まとめると、お前は
「ヘロドトスの歴史(←ホメロスのイーリアス)の冒頭がフェニキア人(←ギリシャ人)に王女(←神官の娘)がさらわれたというくだり」
と、何一つ合っていない上に、うわ言のようにフェニキア人フェニキア人フェニキア人は人さらいで奴隷貿易ーと言ってるだけ
0109世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 00:44:56.340
>>108
文庫のだから抜粋かもしれないが自分の読んだやつでは冒頭にちゃんと出てきてたぞ
0110世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 00:47:29.910
ギリシャが海賊っていってもその時は紀元前5世紀とかそこらだろ
問題にしてる紀元前12〜9世紀あたりのギリシャ暗黒時代とか言われるあたり
何故その時期にフェニキアだけが繁栄できたのか?
0111世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 14:38:28.360
>>109
じゃあそれを引用するか、そのくだりをスキャンしてアップロードするといいよ
手元にないとしたら、書名を間違えて覚えているせいで実は持っているのかもしれないし
ヘロドトスの『歴史』とホメーロスの『イーリアス』の両方を参照して、
どちらの、そしてどこにフェニキア人が出てくるか探すといい
>>110 話が逆
前1200年のカタストロフィでミケーネ文明が崩壊し、ギリシャ海洋交易圏がいったん途絶えた所に
その空隙を埋めるように広がったのがフェニキア交易圏だ
暗黒時代以前のミケーネのギリシャ交易圏の存在はエジプト資料によっても確認されている
古典時代以降に記録されたギリシャ語方言のうち、キプロス方言とペロポネソス半島中央部のアルカディア方言が
そっくりの形をしていて、はるか後に解読された線文字Bがアルカディア方言とこれまた同じ形をしていることも、
ミケーネのギリシャ交易圏の広がりを示している。キプロス島と言えば地中海の東端、レバントのすぐ沖だ。
キプロス島にはミケーネ文化崩壊後にギリシャ人が移民したのではなく、もっと前からいたのだ。
フェニキア人は島の南側に後から来て植民した。カナンの目と鼻の先なのに、後から入ってきてほんの一隅を占めただけ。
そこでギリシャ人と交友を深め、海洋民族としてのノウハウを吸収したのだ。
「フェニキアだけが繁栄」というが、滅んだのはヒッタイトだけで、エジプトはテーベに押され一時的な衰退、ミタンニとカッシートは遅れて滅亡、アッシリアとエラムは健在だ
0112世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/30(水) 20:45:17.110
>>107
>ヒクソス後期にカナンはエジプトの文化影響を捨てて独自の文化を持つようになった

はぁ?だからそれがどうしてイスラエル=ヒクソスになるんだ?

>マネトのモーセの記録なども奴隷に落とされていたヒクソスの脱出と考えることが出来る
マネトの伝承は第18王朝末期の頃で時代が合わないよく調べてこい
しかもこれを引用しているヨセフスは大ホラ吹きで二重の意味で信ぴょう性がない

>>110
>ギリシャが海賊っていってもその時は紀元前5世紀とかそこらだろ

はぁ?お前「オデュッセイア」知らないの?読んだことないの?
この中でギリシャ人はどういう描かれかたしているのか読んでみろよ
0113ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2017/08/30(水) 21:47:22.440
>>94
そういえば豚の飼育跡だけじゃなくて
神殿様式にも差があるらしい
0114世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/31(木) 00:44:29.900
>>111
https://ja.wikipedia.org/wiki/キティオン
キティオン小王国は紀元前13世紀頃形作られた。紀元前1200年から1000年頃に、
装飾品や陶芸品、建物のデザインの変化などから大きな政治体制の変化があったと
推測され、またこの頃アカエアからの初めてのギリシア人移住者がやって来たと思われ
る。銅の採掘のために初めてこの地に定住したのはミケーネ人で、その後2世紀ほどで
消滅した。紀元前12世紀頃、町は大規模に再構築され、日干しレンガで作られて
いた城壁がキュクロープス様式(英語版)のものに作りなおされた。紀元前1000年頃
には宗教施設が放棄され、墓地の発掘研究から分かったことでは、生活の場所をそ
れら以外の地区に移していたようである。

文学作品の記述より、初期のフェニキア文明の影響を受けていたようで、紀元前10世
紀はじめ頃にはティルスの支配を受けていたようである。ティルスから来たと思われるフェ
ニキア商人はキティオンに定住し、政治的影響力も持った。彼らは紀元前850年より
後、カタリ地区の聖域を再整備して利用した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あっとるやん
BC11世紀あたりからフェニキア支配を受け始め、それまでいついていたミケーネ人(BC13〜11)が島を放棄した
そのあたりからフェニキア人はヨーロッパ北アフリカに植民都市を築いている(確定)
それに支配されるレベルだから当時後進国だったヨーロッパが海の民なんてことはないだろう
ヨーロッパの遺物があるのは連れてこられただけにすぎない
0115世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/31(木) 00:51:16.530
>>112
マネトのモーセがフェニキアになったとかじゃなく
それ以前からカナンはヒクソス政権時代にすでにセム系に入れ替わっていて
全くエジプトの文化を放棄していた
その情報があったからこそマネトのモーセ(オサルシフ)は14世紀頃、
エジプトアマルナ時代、アメンホテプ3世の時にカナンを目指したのではないか?ということ
これは出エジプトの時代と一致する

>じゃあそれを引用するか、そのくだりをスキャンしてアップロードするといいよ

めんどくさい
書いてあるから嫁
読んでないの?

ギリシャがフェニキアのアッシリア支配で開放された後、海軍の必要性に迫られ
それから海賊を含め櫂船を増強したなら話は通るな
0116世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/31(木) 03:26:16.760
海賊で船を沈めるのはわかるが
どうやって上陸して戦闘するんだろ
0117世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/31(木) 05:27:15.450
>>114 キティオンはキプロス南岸の植民都市。そこにキプロス全体のことは書かれていない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Cyprus#Prehistoric_and_Ancient_Cyprus
During the late Bronze Age the island experienced two waves of Greek settlement. The first wave
consisted of Mycenaean Greek traders who started visiting Cyprus around 1400 BC. A major wave
of Greek settlement is believed to have taken place following the Bronze Age collapse of Mycenaean
Greece from 1100 to 1050 BC, with the island's predominantly Greek character dating from this period.
Cyprus occupies an important role in Greek mythology being the birthplace of Aphrodite and Adonis,
and home to King Cinyras, Teucer and Pygmalion. Beginning in the 8th century BC Phoenician colonies
were founded on the south coast of Cyprus, near present-day Larnaca and Salamis.
訳:青銅器時代の後期の間に、島はギリシャ人植民の大きな波を2回経験した。
最初の波は、キプロスを紀元前1400年頃に訪問し始めたミケーネ・ギリシャ人の交易商人から成っていた。
ギリシャ人植民の主要な波は、紀元前1100年から1050年にかけてのミケーネ・ギリシャの青銅器時代の
崩壊後に起こり、この島の主にギリシャ的な風土はこの時代から続いていると考えられている。
キプロスは、ギリシア神話においてアフロディーテとアドニスの生誕の地、キニュラス、テウクロス、ピグマリオンら諸王
の故郷として重要な役割を果たしている。
紀元前8世紀にはフェニキアの植民地が、現在のラルナカとサラミスに近いキプロスの南海岸に設立された。
0118世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/31(木) 05:33:37.120
>>117続き。
117は英語版ウィキペディアの「キプロス」の項目の「有史以前及び古代のキプロス」から。
年代に違いはあるが、先に来たのがミケーネ人だということがこれでわかる。
>>114 まずその記事の冒頭を見ようや。
>キティオン(古代ギリシア語:Κ?τιον,ラテン語:Citium)は、かつてキプロス島南岸にあった小王国 (en) で、
>現在のキプロス共和国ラルナカ付近に存在した。
↑これが大前提な。キティオンはキプロスじゃなくてキプロス南岸、のちにフェニキア人が移住する所。無視するなよ。
そしてお前の文、
>BC11世紀あたりからフェニキア支配を受け始め、それまでいついていたミケーネ人(BC13〜11)が島を放棄した
違う。ミケーネのギリシャ人は暗黒時代になっても「島を放棄」なんかしていない。
ギリシャ人は島にずっと住んでいた。だから古典時代(前8世紀以後)になってもミケーネ的特徴のアルカディア方言を保っていたのだ。
放棄したのはあくまで初期の宗教施設で、それを「生活の場所とともに」島内の別の場所に移したのだが、最終的には
>紀元前312年、プトレマイオス1世がキプロス島を攻めフェニキア人のキティオン王を殺して神殿を焼いた。
この時に破壊された。お前はキプロスを語るのに南岸の都市だけ引くという間抜けかごまかしをした上に
自分の引用文も引用元もろくに読んでいない。
>>115 めんどくさいとはまた歴史を語るに不誠実な(笑)。俺はそんなくだりは「ない」と言っている。「ある」と主張するお前が示すのが筋。
0119世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/31(木) 19:31:05.880
>>112
>マネトのモーセがフェニキアになったとかじゃなく
そんなこと言ってない

>全くエジプトの文化を放棄していた
>その情報があったからこそマネトのモーセ(オサルシフ)は14世紀頃、
>エジプトアマルナ時代、アメンホテプ3世の時にカナンを目指したのではないか?ということ

これがどうやったらヒクソス=イスラエルになるんだ?もしかしてお前はカナン人がヒクソスの後裔で
のちに同族であるイスラエルが同胞たよって逃げて来たと言いたいのか?
それは、ねえよな申命記でモーセはエジプト人を憎むなと言う一方カナン人は皆殺しにしろと敵意をむき出しにしてるんだから

>エジプトアマルナ時代、アメンホテプ3世の時にカナンを目指したのではないか?ということ
>これは出エジプトの時代と一致する

お前出エジプト記読んだことあるか? 「庫の町ピトムとラメセスを建てた。 」(出エジプト記一章十一節)
ラメセス二世の治世を想定して書いてるわけだがお前言ってること全部の時系列無茶苦茶だぞ
0121世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 02:53:17.450
>>118
ヘロドトスの歴史ってどっかの王が自分が世界一幸福だとか財宝見せて
「幸福かどうかは人生終わってから決まるものだ」とか諭されたやつだろ
書いてあるって

>>119
カナンはハムの子でありペリシテ、ミツル(エジプト)と同族
それとフェニキアの扱いは違ってるだろ
ソロモンもダビデもシドンやツロの王と同盟関係で仲良かった
奴隷にしろといってるのは元々その地に住んでいたエジプト系カナン人やペリシテ人

>お前出エジプト記読んだことあるか? 「庫の町ピトムとラメセスを建てた。 」(出エジプト記一章十一節)
>ラメセス二世の治世を想定して書いて

これは間違い
マネトはアマルナ時代を想定してるし実際そのあたりにしないと年代が合わない
ピ・ラメセは地域の名前を当てはめただけで
実際その土地はヒクソスのアヴァリスに近い
0122世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 03:52:07.040
>>120
あほか、「だろう」って確認もしないでw そりゃ「フェニキアの陶磁器」って検索したんだからそう出るわなw
じゃあ同じことを「キプロスの陶磁器」で
https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVG7S6hZlz8AHDyU3uV7?p=Cypriot+pottery&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
ふむ、そっくりだな。じゃあ「ミケーネの陶磁器」でやると
https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCAwkWVKhZECwAKh2U3uV7?p=Mycenaean+pottery&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
あれれー?おんなじだぞー?
次にお前は「それはフェニキア人がギリシャのミケーネに持っていったんだべ」と言う
そこで https://en.wikipedia.org/wiki/Philistine_Bichrome_ware
引用>Scholars have sought to connect Philistine Bichrome ware with imported Mycenaean pottery from Cyprus,
and local Canaanite monochrome ware.(中略)Philistine Bichrome ware is related to Cypriot Bichrome ware.
仮訳>研究者たちの調査により、ペリシテの2クロム器はキプロスから輸入されたミケーネの陶器やカナン土着の1クロム器と結び付けられることがわかった
(中略)ペリシテの「2クロム器」はキプロスの2クロム器と関係がある。
ミケーネの器とその様式がキプロス経由でカナンにも輸出され、類似品、模造品をカナン・フェニキアでも作るようになったんだよ
ミケーネの陶器は輸出品の目玉で、エジプトなど広く出土している。当時のレバント↓やエジプト↓の土着の土器にはその華やかさ、精緻さの欠片もないぞ
https://en.wikipedia.org/wiki/Chocolate-on-white_ware https://en.wikipedia.org/wiki/Tell_el-Yahudiyeh_Ware
0123世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 04:02:02.630
>>121
ミダス王はプリュギアの話で、
ヘロドトス『歴史』だと第2巻にプリュギアの話が出てくる
ホメロスの『イーリアス』にも出てくる
お前の記憶が混濁している疑惑は一層深まったのでw、とっととうpれよ
歴史そのものはお前一人の脳内記憶ソースだけで他人に話して納得させられるものじゃないだろ
0124世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 04:05:21.130
>>123追加
>>121
お前のやることは簡単。手持ちのヘロドトス『歴史』の冒頭をスキャンして、
>>102で言ってる「ヘロドトスの歴史の冒頭がフェニキア人に王女がさらわれたというくだりだ」
を証明することな
0125世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/01(金) 18:34:40.650
>>119
>カナンはハムの子でありペリシテ、ミツル(エジプト)と同族
お前バカ?そんな聖書の記述持ってきたどうしたの?聖書だとエジプト人もハムの子孫ってことになってるんだが(歴代誌一章八節)

>ソロモンもダビデもシドンやツロの王と同盟関係で仲良かった
で、そんな一時の話してどうしたの?じゃあ何でフェニキア人の街ライシュ滅ぼしたの?バアル崇拝を何度も弾圧したの?

>奴隷にしろといってるのは元々その地に住んでいたエジプト系カナン人やペリシテ人
そんなこと書いてないが、カナン人は皆殺しにしてエジプト人には慈悲をかけろって言ってるよね

「ヘテびと、ギルガシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、・・・あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。」(7章1節)
「またエジプトびとを憎んではならない。あなたはかつてその国の寄留者であったからである。」(23章7節)

>これは間違い
>マネトはアマルナ時代を想定してるし実際そのあたりにしないと年代が合わない
>ピ・ラメセは地域の名前を当てはめただけで

間違ってるのはお前
マネトの記録の人物は出エジプト記の記述は全く合わない
つまりヨセフスが勝手にモーセに比定しているだけ
0126世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/02(土) 00:55:30.730
>>122
年代も見ろ
>後期青銅器時代でも特に紀元前1300年頃になると土器の表現様式が大きく変わりはじめ、
>波や渦など幾何学的で規則性のある模様が見られるようになります。

これはフェニキアの影響以外にないだろ
華やかなミケーネ土器とはまるで違う
0127世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/02(土) 01:20:18.870
Herodotus attributes the conflict first to the Phoenician kidnapping of lo, daughter
of King Inarchus of Argos (Histories 1.1), which provoked in turn a Greek response,
the kidnapping of the Phoenician king of Tyre's daughter. Finally,

https://books.google.co.jp/books?id=W7SCAgAAQBAJ&;pg=PA104&lpg=PA104&dq=ki
dnap+%22lo%22+phoenician&source=bl&ots=EK4QnuLkCH&sig=sLkO1DBno-R87PHa
GJX21wcYjNI&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjB85jKsYTWAhXETbwKHWlrCXEQ6AEIKzAJ

これかな
0128世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/02(土) 01:25:18.540
>>125
>ネトの記録の人物は出エジプト記の記述は全く合わない

マネトの引用は対して信用におけるものじゃないが
「アマルナ時代に偶像破壊を行って聖牛を焼き殺したモーセという人物が集団を伴って国外へ出た」
という記録があるということだけ見ればいい
ラメセス時代じゃメルエンプタハ石碑がおかしくなる
ピトムとラメセスはピ・ラメセではなくヒクソスのアヴァリスあたりの名前として出してるにすぎない


>バアル崇拝を何度も弾圧したの?

現在はイスラエルもバアル信仰が蔓延していたことがわかっている
豊かなフェニキア見てれば当然そうなるんだろうけど
0129世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/02(土) 08:27:03.610
>>126
文章を引用するならソースぐらい明記しろよ ここだろ?→ http://4travel.jp/travelogue/10853447
その引用文は焼き物を見ていくと上から来ていきなりミケーネ様式になる真ん中よりちょっと上のあたりで、そのすぐ下の画像についたコメントが、
>紀元前1300年頃になると、ミケーネ人が植民を開始した影響が陶器の文様にも大きく影響しているとのことです。
ほらミケーネって言ってる。
>これはフェニキアの影響以外にないだろ
>華やかなミケーネ土器とはまるで違う
違う。むしろそこからもっとミケーネ風になっていく。そしてもっと下に牛の角をかたどった石があり、説明が
>キティオンから出土した、石灰岩の“horns of concecration”。
>“horns of concecration”は、ミノア文明で偏在する神聖な牡牛の象徴のことのようです
前15世紀頃のミノア文明人(系統不明)か、その宗教を継承した前13世紀に到来したミケーネ人(アカイア人、ギリシャ系)が築いた宗教施設のものだろう
上のほうの土器と説明を見ても、少なくともキプロス南岸にはかなり早くから古い文明の担い手が来ていたようだ
「紀元前3800年?2500(or3000)頃の金石併用時代」のものからあるから、近隣のアナトリア人かレバント人(フェニキア人の登場は前15世紀だから違う)がいたのだろう
本拠地のクレタ島をはるか離れたこんな所までギリシャ人が街を作り、ミケーネ様式の町を作り王国を築いて宗教施設を持ってきていた。
フェニキア人が本拠地レバントの目と鼻の先のこの町を支配するのは前10世紀頃(しかし住人はその後もずっとギリシャ人)。海を独占して海賊ばっかしていた(?)にしては、ずいぶん遅いと思う。
0130世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/02(土) 23:24:31.280
>>129
後期青銅器時代でも特に紀元前1300年頃になると土器の表現様式が大きく変わりはじめ、
波や渦など幾何学的で規則性のある模様が見られるようになります。
紀元前1300年頃になると、ミケーネ人が植民を開始した影響が陶器の文様にも大きく影響しているとのことです。

これは文章でそうなってるだけで、その文様形式がフェニキアなんだよ
渦や波線はフェニキア式
0131世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/02(土) 23:35:09.280
>>130
その文章の6つ上の焼き物と、そのさらに3つ上のワイン差しはどちらも波の文様がある(あと共通して色が赤い)
本当はその土器も中期青銅器時代のもので、フェニキアかどうかはともかく大陸から古い時代に渡ってきた様式じゃないかな
その辺よりももっと下の、後の時代と言われている焼き物のほうがもっと典型的なミケーネ様式じゃないか
0132世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/03(日) 00:00:57.590
ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン(イオニアン、ギリシャ人)、トバル、メセク、テラスであった。

ヤワン(ギリシャ)の子孫はエリシャ(イタリア、シチリア)、タルシシ(スペイン)、
キッテム(キティオン、キプロス)、ロダニム(ドーリア人、ロードス)であった。

ソロモン王が飲むときに用いた器は皆金であった。またレバノンの森の家の器も皆純金であって、
銀のものはなかった。銀はソロモンの世には顧みられなかった。

これは王が海にタルシシの船隊を所有して、ヒラム(ティルスの王)の船隊と一緒に航海させ、タルシシの船隊に
三年に一度、金、銀、象牙、さる、くじゃくを載せてこさせたからである。

このようにソロモン王は富も知恵も、地のすべての王にまさっていた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

元ギリシャの領土が大半フェニキアに奪われソロモン(BC10)の富が増えた事が聖書にも書かれてる
0133世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 01:16:41.530
>>127
そんな孫引きじゃ要領を得ない。これだろ
http://www.sacred-texts.com/cla/hh/hh1000.htm

でもフェニキア人はこそこそ盗んでいっただけで、海戦で勝つわけでもないし、このあと話の中心に来ない
アカイア人のミケーネは滅ぼされるどころか初っ端からフェニキアの姫を逆にさらってレイプしてまだ飽き足りず
ノリノリで小アジアのトロイを滅ぼす侵略者じゃん
どこにフェニキアの覇権があるんだよ
0134世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 14:01:58.610
だからBC1500〜BC7世紀あたりまでだって
新しくなるにつれて覇権が失われて滅ぼされてるのは誰でも知ってる
0135世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 14:03:40.770
しかし植民事業がかなり遅くなったのは、本国の人口が少なすぎたんだろうな
おそらくユダヤ人も動員されたんだろうけど
0136世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 19:05:41.590
BC1300年でもミケーネが乗り込んできたキプロスには
後からちょこんとお邪魔する程度でしかなかったフェニキア
これが最盛期?

一体何を根拠にフェニキア人がユダヤ人を自由に動員できるような立場だったと思ってるんだろう
言語が近ければ何でも言う事聞くとでも思ってんのかよ
0137世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 20:09:01.180
植民が例えば9世紀なら実際実権をにぎったのははるか前になるしかないだろ

実際カルタゴのユダヤ教改宗者などみても、あまりにもその2つが結託しすぎて蜜月すぎるんだよ
フェニキアもユダヤ教徒改宗が多かったし
宗教的におかしいだろ?そんな改宗が受け入れられる宗教じゃない
同族とみなされてたとかなんかそういうのがないと
0138世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 20:35:18.230
おかしくもない
特にユダヤ人自身が生存戦力としてそのほうが有利だと判断した時には改宗を自ら推し進めている
ハスモン朝のヨハネ・ヒルカノス1世はエドムを攻めて強制的にユダヤ教に改宗させている
ゲリジム山を攻めてサマリア人の本拠地を徹底的に破壊したのも、サマリア人をラビ派のユダヤ教に再び合流させるつもりだったらしい
実際に時代を問わず、自分の意思にせよ圧力によるものにせよ、ユダヤ教に改宗するサマリア人はいた
そういうことは特にディアスポラ時代以前にはちょくちょく起こっていた
しかしだからといってバアルを信仰するフェニキア人がそのままでヤーウェを信じるユダヤ人と行動をともにしたわけではないし、
逆も然り
改宗と同盟は全く別の話
0139世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 21:13:06.250
>>136
乗り込んで城塞を日干し煉瓦から強化したのも関係あるかも
むしろ海の民に対抗するためとか
で11世紀には宗教施設を放棄で他にうつる
こんな大々的なことが何もなしに起こるわけがない
例え遷都があっても元の土地には必ず残る人がいる
0140世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 21:18:56.770
>>138
ユダヤ人自身がユダヤ教に異教徒(他民族)を改宗させる(これ自体が聖書に反することだと思うが)
ではなく異教の熱心な信者だったのがそれを捨ててユダヤに改宗
これは起こりにくいし現在ユダヤ人になるにも様々な障壁が用意されてて容易になることはできない
0141世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 22:47:58.200
別に改宗は問題ないのでは?w
何か障害あるかあ?

イスラムは何やら改宗すると殺されるようだが。
0142世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/05(火) 12:24:17.310
>>139
障壁をキュクロープス様式に改めることは、ギリシャ本土のミケーネ人も行っている
まるで将来の海の民の襲来を予期していたかのように周到に作られたという
本土を見る限り、海の民は何度かに分かれていた(元寇の防壁のように)と見るか、
あるいは海の民以前にちょくちょく別の海賊が横行し始めていたか(あるいはそれがフェニキア人?)、
と考えられそうだ

しかしキプロスを見ると、ギリシャ・フェニキアの様式混在が見られる南岸ともっと古い出土物を除けば、
前1世紀と前後数百年の全体はミケーネ様式であふれていて、とてもフェニキア海賊の島とは思えない
アカイア人とフェニキア人が平和裏に混在していた島ではないのだろうか

ここで「『暗黒時代』が300年続いてすぐミケーネ様式の陶器が復活するなんておかしいだろ!
暗黒時代なんて無かったんだよ!」というジェームズ説が説得力を帯びてくる
支持するか否かは別として、この時代に言及するウィキペディアの年代は特に英語版では
この説に基いて年代が数百年ずれていることがあるので注意
0143世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/05(火) 17:07:40.960
>>141
ユダヤは宗教民であり民族であるからな
アジア人が「ユダヤ教信じてるからユダヤ人です」なんてなりにくい
エチオピアからユダヤ教徒の集団を受け入れるなんて事件になったが
いざ来てみると黒人で被差別者あつかい
ユダヤ教自体流布して他宗教信徒を改宗させて増やすなど教義にない
それらは普通宗教にあるものだが
0144世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 04:59:23.520
https://en.wikipedia.org/wiki/Bireme
二段櫂船は恐らくフェニキア人の発明、と書かれてる
壁画でもアッシリアに服属したフェニキア人の二段櫂船が最も古い
形状はその後の三段櫂船に同じでさきっぽに衝角をつけるのも同じ
ギリシャがやっとこれを導入したのがBC8世紀
恐らくフェニキアがアッシリアに服属したため独立し海軍を増強した
それ以前は平和的な商船や軍船があっただけ
当然孤立した海上で機動性でまさる櫂船に太刀打ちできるはずがない
0146世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 06:49:03.750
>>143
ユダヤ教における入信は神との契約であり、ユダヤ教の場合それは
契約した預言者かつ族長である者がその子孫まで神に祝福されて神に従うという形式をとる
だから預言者の子孫でなければ入信できないという縛りが生まれたが、戒律というより故事の解釈による慣例にすぎない

しかしモーセが引き連れた群れはエジプトを出た雑多な集団であり血縁関係もなく
セム人であったかどうかも怪しい上に、偶像や邪神を崇拝する者でもあり、新たなる戒律と契約を必要とした
シナイの放浪者たちは内部抗争と粛清によってヤーウェ信仰を核とした特殊な集団になっていく
神話に従ってたとえイスラエルと名乗った所で、類似する他のセム人集団とは相容れない

言語的に同化した時期にも他の北西セム人を安易に容れないようにしてはいるが、
それは単にシナイ時代に生じた苦労を共にした階層の血の序列を守るためだった
実際には教団の拡大、他の地域との抗争、安全を確認しながらのディアスポラなど、必要に応じて入信や強制改宗を行なってきた
ラビ派のユダヤ教は、限られた聖典と儀式だけに頼らず(頼れば入信者に母屋を取られかねない)仲間の範囲を狭める目的も
あったかもしれないが、タルムードがいくら膨大でもそれさえ読めばユダヤ人になれるわけであり、結果的には血族でなくても
ユダヤ人になれる道を拓いてしまったとも言える すなわち民族宗教から世界宗教への変容の道だ
0148世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 16:46:30.100
>>146
聖書ではイスラエルの民族となってる
雑多な民族であったかどうかもあやしい
マネトはそういうふうに書いてるが
実際はヒクソスのみだったんでは?
0149世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 19:58:11.590
>>147
じゃあ外部からの入信を禁じた戒律があるなら挙げてみな
>>148
ヒクソスの件で反論したのは>>146じゃないんだが
それでもなんでもヒクソスだったというのは雑すぎると思う
0151世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 20:26:09.140
ユダヤ人自身が他宗教徒を大量改宗させて〜みたいな一般観念を持ってない
同族同士の結婚だった場合子供はユダヤ人となる
改宗は大々的に規制していないが、聖書、ヘブライ語などの知識が必須
「私はユダヤ教を信じている」と考えただけではユダヤ人ではない
実際現在世界で改宗ユダヤが大規模に行われて認められたりはしてない
0152世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 20:28:43.110
そういう宗教であるのは教義をみれば明らかで
フェニキアが滅んだ時点ではそれが確立されていたのは間違いない
その上でフェニキアやカルタゴにユダヤ人改宗者が多く出ている(キリスト教への配慮も多少あるだろうが)
共に商業に特化した民族性
0153世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 20:53:26.360
>>152
そこはお前の飛躍、思い込み、当てずっぽう
ユダヤ人がディアスポラの最中にフェニキアの諸都市にユダヤ人コミュニティを作っていた事は事実だが
べつに全面的に混じりあったわけではない
それを言うならギリシャ人諸都市にだって同じようなユダヤ人コミュニティがあり、両者はネットワークで結ばれていた
ギリシャ語を母語とするユダヤ人グループは旧約聖書をギリシャ語に翻訳し、これは最初からギリシャ語で書かれた新約聖書、
そしてユダヤ人ネットワークとともにキリスト教の地中海圏布教におおいに役に立った(ネットワークが機能したのは初期のキリスト教において)
0154世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 21:23:04.970
>>153
全面的に混じり合った以前にそれ以前のバアル信仰が消失してるんだよ
その上でユダヤ教徒の増加がある
ギリシャ語圏のユダヤコミュニティか?元はフェニキア人だったほうがすっきりしないか?
ユダヤは貿易民族ではなかった
0155世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 21:32:24.360
しかし繁栄したのにもかかわらずほとんど記録が残ってないのが共通点のフェニキア、ヒクソス
滅ぼされた側に容赦なく扱われたのも共通している
ヒクソスはセム系でユダヤも同じくヒクソス
0156世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 21:45:49.670
ファラオのセプトゥアギンタ作成にしても相当の事業だし大金がかかっているのは間違いない
それはエジプト領内に相当数のユダヤ人(ユダヤ教徒)がいたということ
それ以前のイスラエルのあり方では不可能だろう
海洋商業民族でもなかったわけだし
0157世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 22:34:09.680
こいつに何を言っても無駄
時系列順に事象を並べて俯瞰するという高校受験生ですらやってることが丸で出来てない
恐らくはアスぺ
誤読の多さ、思い込みの激しさ、ワーキングメモリーの欠落から知識の体系的な整理が苦手
全部当てはまってる
0158世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 23:05:42.620
何が思い込み?なんか食い違ってる?事実を基準に構築していってるだけだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/ディアスポラ
古代地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多く存在する。一般的に周辺住民によるイ
スラエル民族への弾圧によって成立したといわれることが多いが、実際には(特にヘレニズム期に)
人間や物資が地中海世界を自由に往来する中で発達した。フェニキアの植民地であったカルタ
ゴは滅亡後、バアル信仰を捨て、ユダヤ教への改宗が進んだ。古代世界最大のユダヤ人コミュ
ニティーはエジプトの大都市アレクサンドリアにあり、ローマ属州時代に存在したものである。ユダ
ヤ人の本国フェニキアでもユダヤ教への改宗は進み、それがキリスト教(正教)普及への流れを
産んだ。




バアル信仰が(ほぼ完全に)ユダヤ教になった
0159世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/06(水) 23:07:44.580
これおかしいな
「カルタゴ人の本国フェニキアでも」だろな
0161世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/07(木) 07:57:27.820
>古代世界最大のユダヤ人コミュニティーはエジプトの大都市アレクサンドリアにあり、ローマ属州時代に存在したものである。
まずこれがダメ。「あり」と「存在した」と2回も存在を意味する動詞があり、連続しているのは変だろう。
たとえば「古代世界最大のユダヤ人コミュニティーはローマ属州時代のエジプトの大都市アレクサンドリアに存在したものである。」
と言えばいいんだが、こいつはこの程度の作文能力もない。素人丸出し。
しかもエジプトってローマの属領じゃなくてローマ皇帝個人の私有地だろ。
形式上、ローマ皇帝をファラオと兼任させるための措置としてそうなったんだが、そんな基礎知識もないのかよ。
直すんなら今のうちだぞ。ここに晒しちゃったし編集履歴も辿れるけどな。
0162世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/07(木) 18:24:15.730
>>156のセプトゥアギンタについてだって、べつにユダヤ人が金を出したとは限らない
(それにユダヤ人の金持ちが金を出したって別に不自然ではない)
当時のファラオ、プトレマイオス2世ピラデルコスがパトロンになったという説もあり、
それは誇張だろうとも言われているが、それほど学問を重視したファラオだった。
彼が学士院と附属図書館に多数の学者文人を招く文化政策を進めた事はよく知られている。
ヘレニズム王朝であるプトレマイオス朝は、ファラオも好奇心旺盛なギリシャ人だから、
異教の学問だから顧みないなんてことはなく、ユダヤ人の古典も研究の対象にしたのだ
そういう学問を重んじる風潮が国にあれば、有力な貴族や大商人だって学術事業に金を出す。

むしろユダヤ人はギリシャ語訳に消極的、あるいは反対だった可能性のほうが高い。
彼らにとってヘブライ語の聖書は絶対的なもので、翻訳などは正確に行うことは不可能であり、やってはならない。
たとえ行なってもそれは「翻訳」ではなく「注釈」であり解説にすぎないのだと。
これはイスラム教徒がコーランの「翻訳」という話題について言っていることだが、ヘブライ語聖書も同じだろう。
ユダヤ人は幼少時からヘブライ語でのみトーラーを暗記させられる。たとえディアスポラの結果母語がイディッシュ語や
ラディーノ語になっていても、原典はあくまでヘブライ語で、ラビの解説は現地語と別になるが、「翻訳」はしない
ギリシャ人(ギリシャ語ユダヤ人ではなく)が「外側」から学術的な目でヘブライ語聖書を見ようとしたからこそ翻訳も可能だったのだろう
0163世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/07(木) 21:21:38.870
>>161
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Jews_in_Carthage
よく知られた事実だぞ
"There is no evidence of Jews in Carthage during the Punic period (before 146 B.C.E.);
それがフェニキア、カルタゴ滅亡の後、ほぼバアル信仰が消えた
代わりに何故かユダヤ人が(殆どいなかったであろう場所にも)出現しだした

>>162
誰もユダヤ人がかかせたとは書いてないが
ファラオにそこまでさせる影響力(人口)があったということ
0164世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 00:41:13.650
citation neededとかdubiousとかdiscussのマークが散りばめられた証拠不十分だらけの記事なんか出されてもw
カルタゴの主神はバアル・ハモンであってカナンの神バアルとは別の神だ。混乱を避けるためにバアルとは区別するべきだろう。
その信仰の痕跡が消えたのは、第三次ポエニ戦争の結果だ。
それまで2度のポエニ戦争で、カルタゴはすべての海外領土をローマに奪われ、ハンニバルの反抗さえもむしろローマに脅威視され、
ただ滅ぼすことだけを目的にあらゆる無理難題を押し付けられて一方的に攻撃された。その結末は以下の通り:
>包囲戦の後半には多くのカルタゴ人が餓死した。さらに戦いの最後の6日間には、多くの戦死者が出た。戦後に残されたカルタゴ人の数は5万人で、
>戦前に比べるとわずかな数だったが、全て奴隷として売られることになった。>町は、10日間から17日間ほどで手際よく焼き払われた。
>町の壁や建物、港は完全に破壊され、一説によると周辺の土地は作物が育たぬようにと塩が撒かれたとも言われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
滅ぼされる前からカルタゴにもユダヤ人はいたが、墓石は他のカルタゴ人と違いフェニキア文字ではなくヘブライ文字ヘブライ語とラテン語で書かれていた
カルタゴの故地にはその後2度にわたってローマ植民都市が作られ、そこにもユダヤ人が住んだ。
カルタゴの徹底的な殲滅はローマで囁かれた例の「カルタゴ人は子供を生贄にする神を崇拝している」という噂のせいでもある。
ローマ人でさえ彼らは死産した子供を捧げたという記録しか残していなかったにも関わらず、またその祭儀だってただの葬式かもしれないというのに
その信仰の内実も知らないままに、いや、だからこそ恐怖をもって根底から滅ぼしたのだ。もしカルタゴ人が多数生き残ってユダヤ人に
なったというなら、ローマ人はそれを隠してローマの残酷な仕打ちを捏造してまで歴史にわざわざ残したことになる。そんな事をしてローマ人と歴史家に何の得がある?
>>163 わかってないな。そもそもユダヤ人がファラオに聖書翻訳をさせる理由がない。むしろユダヤ人は翻訳に反対した可能性のほうが高い。人口と影響力が少ないから妨害に失敗したんだろうw
0165世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 02:31:37.090
>>164
ローマに滅ぼされる前なのにラテン語で墓碑銘書かれてたって?
ありえない話じゃない?
基本的にはそれ以前にはユダヤ人がいた記録はないんだから

>わかってないな。そもそもユダヤ人がファラオに聖書翻訳をさせる理由がない。

だから誰もユダヤ人が翻訳を促したとか金出したとか書いてないだろが
「理由は不明」だが、「ファラオの命令で」それが行われた
ということは「相当数のユダヤ人」がいたことは確実で、
それはイスラエル本国にそれまでいた民族であるだろうか?ということ
0166世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 03:40:14.130
>>165
カルタゴに住んでいたのはカルタゴ人だけだとでも思ってたのか?
そりゃとんでもない誤解だ。少数のユダヤ人はずっといた。だからカルタゴ人と同じ墓地に墓があるんだよ。
もちろん商用で住んだローマ人もいたし、第二次ポエニ戦争以降はローマ駐留軍だっていた。
すでに属州も同然のカルタゴに住むユダヤ商人としてはラテン語なんかいくらでも使うし、ユダヤ人で2言語3言語併用は当たり前だ。
(そんなカルタゴをローマはさらに全滅させたのだが)
ユダヤ人は元々カルタゴ人の宗教を好ましく思うはずもなく、それはお互い様だったと思われる
(ホームのカナンでは隣接する異教徒をエドムの時のように戦争をふっかけて滅ぼしている)、
アウェーのカルタゴでもローマ人にカルタゴ人と間違われないように振る舞ったのだ。
ラテン語の墓銘誌もその一環だよ。言語や人種の上で近いからこそ大いに異なる者たらんとしたのだ。
言語が近いからって戦って負けた相手でもないのにそうそう簡単に同化するかよ。
お前の民族観はいちいち単純すぎるんだよ。
0168世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 03:47:32.590
ラテン語がどうとかじゃなく、カルタゴ滅亡以前にそこにユダヤ人がいた記録ね
その歴史は存在しないって以前読んだから
0169世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 04:03:20.310
>「理由は不明」だが、「ファラオの命令で」それが行われた
>ということは「相当数のユダヤ人」がいたことは確実で、
>それはイスラエル本国にそれまでいた民族であるだろうか?ということ

ああもうグダグダだなw不明と言いながら憶測だらけで話にならない。推測だってそれなりに根拠を示せよ。
むしろファラオの命令だったかどうかはわかっていないんだよ(英語版ウィキ(略のプトレマイオス二世の項目で「それは誇張だろうと」)
ヘブライ語聖書の翻訳とエジプトでのユダヤ人社会の存在は関係ないと言ってもいい。
翻訳にはユダヤ人は少数の学者がいれば十分。それもギリシャ語のできるユダヤ人と、聖書に詳しいラビ的な学識者だ。
そしてファラオなりファラオの学問熱心に触発された貴族や大商人がパトロンになれば、翻訳は始められる。
理由は?純粋な知的好奇心だろう。ファラオだってギリシャ人なんだから当然だ。一つの言語で書かれた大部の歴史書となれば
それだけでユダヤ人でなくたって読みたくなる。ちょうどメソポタミアでずっと孤立して続いてきたエラム語とその記録が新バビロニアの学者たちに重宝されたように。
もちろん実利的な要求もあっただろう。レバントの要地を締めるイスラエルを本拠とするユダヤ人の歴史や考え方を知ることが
オリエントの国家経営にとって有益でないわけがない。たとえエジプトに相当数のユダヤ人がいなかったとしても、だ。

お前の方はどうなんだ?ユダヤ人が聖書をギリシャ語に訳してどんなメリットがあるんだ?ユダヤ人がそこに「いた」ことで翻訳で誰が得するんだ?
ユダヤ人は聖書を読める唯一の民族であることによって周囲の他の北西セム人と差別化を続けてきた民族だぞ?わざわざその内容をヨソに教えるか?
0170世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 04:19:29.290
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&;c=400&m=212006
>さらにフェニキアの植民都市からキリスト教が広がっていく記述もある。
>『カルタゴ』第五章 宗教 P.62
> 「ポエニ人の祭祀がローマの占領下でも存続したということは、ローマ軍の
>侵入を免れたチュニジアややや遠隔地方のどこででも、立証されている。カルタゴの主神たちが、
>ラテン語の呼び名のもとに熱烈な帰依を得たのである。

つまりメルカルトがヘラクレスになってラテン名で拝めとか強要されたのか
ここらの時期にやたらと習合が行われたらしいが
http://historia334.web.fc2.com/history/alexandros/a-3-5.html

> キリスト教が北アフリカに急速に広がったこと、カルタゴの最初の教会がその信仰や殉教者や
>学者によって権威を得たことの理由は、おそらく原住民の心の中に宗教的熱情が残されていたことや、
>ポエニ人の宗教の超越的性質によって説明されよう。二世紀におけるキリスト教の伝播区域は、
>アフリカにおけるポエニ人の植民地の範囲とほぼ一致しているのである。」

本来ポエニ人(カルタゴ人)だったものがまずユダヤ教に改宗し、
それが大衆へ広める、つまり金儲け宗教じゃないと理解してキリスト教化?
0171世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 04:19:56.470
ああ、>>161にあったこれだな
Substantial Jewish settlement is known only from the time of the Roman Empire.
Its existence is shown from inscriptions (mainly on tombstones) and from literary sources,
especially those of the Church Fathers. The majority of Jewish inscriptions from Carthage
(discovered in a cemetery excavated near the city) show that the language of its Jews was Latin,
although a few inscriptions are in Hebrew..."

なんだ、ローマ時代以降だな。でも大事なのはそこよりも、大半のユダヤ墓銘誌がラテン語であり、ヘブライ語は少なかったということ。
ヘブライ語という言語はフェニキア語と兄弟。カルタゴ人は滅ぼされる直前までラテン語なんかじゃなくて
フェニキア語で会話し読み書きしていた。もしカルタゴ遺民がすぐにユダヤ教徒になったというのなら、文字なんか一対一で対応して
1日でマスターできちゃうようなヘブライ語をもっと積極的に書かないわけがない。
これが真性ユダヤ人ならまだわかる。彼らにとって結局大事なのは言語よりも宗教であり、だから他所の土地に住みついてもすぐ言語上は同化する
ということがよく起こっている。旧カルタゴのにわかユダヤ教徒なら、新たな「同胞」に「本物」ぶりを見せるためにもヘブライ語墓銘誌をできるだけ残そうとするはずじゃないか。
0172世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 04:25:32.070
>>170
そこはユダヤ教でクッションを置く理由がなさすぎる。
一度ユダヤ教に浸かってそれを教養として人格を形成した者が
そう簡単に一斉に再改宗するだろうか。
0173世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 04:29:42.080
>>171
その時代はすでにヘブライ(旧約聖書)は理解できなくなってるのは死海文書の注釈がアラム語なのでもわかる
0174世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 04:37:27.600
>>173
ユダヤ人にとってはそうだけれど、カルタゴ人にとっては違うだろって話だよ
もしもこれがお前の考える「にわかユダヤ教徒の元カルタゴ人」だったら
まさかフェニキア語をまんま残すわけにもいかない(ローマ人に破壊される恐れがある)
ラテン語は生活に使っていないし仇敵の言語は使いたくない
だったら今まで話していたフェニキア語に近く、今聖典として読んでいるヘブライ語で残そうってなるはずだろ
注釈書じゃなくて墓銘誌だったら決まり文句の連続でそう難しくもないだろうし
0175世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 04:42:28.020
初期キリスト教ではユダヤの宗教施設でユダヤ教指導者をしたがえてキリストへの祈りをささげた
ある時はキリスト教徒、ある時はユダヤ、
でお金もうけができたのだろうか
0177世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 12:12:35.160
アラム語は陸(オリエント)、フェニキア語は海(地中海)という縄張りで
ともに広域的な商業言語でもあった
どちらも北西セム語でヘブライ語とも近いが
どの言語であるかは見分けがつくようになっている
0178世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 12:14:29.850
>>175
そんな時期のキリスト教はユダヤ教と未分化だから別々に活動するという発想がないだろう
0179世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 17:25:52.360
http://hebrewresources.com/images/Ancient_Hebrew.jpg
ヘブライ語とアラム語がほぼ同じ(というか同文字別字体)
方形ヘブライ語がその時期にあったかどうかもわからないのでヘブライ文字=アラム文字
http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_middleeast_12.html
BC5世紀あたりですでにフェニキア文字ではなく
フェニキアも同様だったか、むしろフェニキア人がアラム文字の原型産んだのでは?
0180世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 00:28:43.940
>>169
適当に推測してみた

フェニキアユダヤ「国も滅んだし、後ろ盾もなくなったしフェニキア人というだけで嫌われるからユダヤ教徒になったろ」
フェニキアユダヤ「偶像などただの作り物!拝んでも無駄!神は一人だけ!お前らもみんなユダヤの神を信仰しろ!」

エジプト人「うちの国でお前らのとこの狂信者が暴れてるんだがどうにかしてくれ」

本物ユダヤ「うちはそんな宗教じゃないぞ。みんな改宗させろなんて誰もやってない」

エジプト人「ちょっと詳細送ってくれ」
0181世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 01:08:43.040
そりゃフェニキア文字のほうが原シナイ文字に近くて素朴な形をしているし
より古いのは見りゃわかるが、大事なのはそこじゃない
ヘブライ語はバビロン捕囚後にアラム文字を使うようになり(だから文字が「似ている」のは当然)、
それ以前の古ヘブライ文字の系統はサマリア人だけが使用し保存しているが、大事なのはそこでもない

フェニキア語もアラム語もそしてヘブライ語も、セム語族の北西セム語群(カナン語群)に属し
互いに言語として似ていることは再三出ているが、しかしカルタゴでその滅亡直前まで使われていた文字は、
アラム文字ではなくフェニキア文字だった。この2つの文字は外見上、全く似ていない。
フェニキア文字はギリシャ文字の素ともなり、そのギリシャ文字の初期の形からラテン文字も作られたと考えられているが、
実際にフェニキア文字はラテン文字にも似ているから、カルタゴ滅亡後の墓誌がもしフェニキア語で書かれていたら、
ローマ人が見たら一発でバレるし、墓も掘り起こされて破壊されただろう。
しかしもしヘブライ文字(アラム文字系)を彼らが知っていたら、その習得は難しくない。なにしろ平仮名だけで暮らしていた人が
新しくカタカナを覚えてよその方言とカタカナだけで暮らすようになる、その程度の労力だからだ。フェニキア語とヘブライ語は音素の数が同じ、
簡単に言えば文字の数が同じ。個々の文字の示さんとする発音がぴったり一致する。よく使う語彙や文法的な活用形、派生語を
多少いじることで行き来できる。ローマ市民を装ったラテン語の墓よりも、相手の知らないヘブライ語の墓誌で煙に巻いたほうが安全というものだ。
0182世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 02:15:17.390
>>181
>しかしカルタゴでその滅亡直前まで使われていた文字は、
>アラム文字ではなくフェニキア文字だった。

ソースある?
0183世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 02:15:24.730
>>180
その「フェニキアユダヤ人」というのはカルタゴのフェニキア人であり、正規の手続きも経ずに改宗したニセユダヤ人のことだろ。
台詞を見てもわかるように、なるほど敗戦後の日本人もかくやと思わせる破廉恥ぶりだ。ていうかお前の想像内容がデタラメすぎて人間の気持ちを何とも思っていないのがわかる。
フェニキア人やアラム人から見てユダヤ人とは「得体の知れない怪しげな神をやたら長い呪文で拝むカルト集団」でしかない。教義の内容なんて理解できているわけもない。
同じ奈良・近畿の方言を話していても天理教信者でなければおやさと・おやがみ・ひのきしん・ようきぐらしなんていう宗教用語は正確には把握できないだろう。

第3次ポエニ戦争でカルタゴが跡形もなく消滅させられてから20年も経たない前125年に、
ハスモン朝のヨハネ・ヒルカノス1世はエドムを攻め滅ぼし、住人を強制的にユダヤ教に改宗させている
エール、バアル、Qaus、そしてアシェラートといった諸神を信仰していたエドム人は強制的にユダヤ人にされた。
セレウコス朝に抵抗して大祭司の地位を得てこれを世襲制にしたハスモン家が異例の存在だったとはいえ、
敬虔派に批判されたこの強制改宗も結局取り消しにはされなかった。まだそれがぎりぎり許される時代だったのだとも言える。
このエドム強制改宗は当時の社会ではよく知られ、歴史にもハスモン朝を揺るがした批判材料として残っている。後のハザールの集団改宗だってユダヤ人社会にとっては大事件で、後々語りぐさになった。
どちらもユダヤ集団からラビが送られ、また速攻で血縁関係が結ばれていたらしい。フェニキア人が本当にユダヤ化したのだとすれば、西地中海全域の情勢に影響するわけで、ローマだって穏やかではない。
それなのになぜローマの史家が言及せず、ユダヤ歴史家の記録にも残らず、ファラオもその為の調査の痕跡しか残さず、こんな事件を闇に葬ったのだ?
不自然にもほどがある。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況