イスラム王朝の歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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そもそもアラブの大富豪に見初められて玉の輿なんて話し日本とオマーンで言ったら戦前にすらある話しね
大山清子姫とかブサイナ王女とかね、戦前から知られた話だよ、中東を血沸き肉躍るエンタティーメント活劇でしか
見れない人非人には悪いが
ブサイード朝の海洋帝国含めてポルトガル・オマーン・イギリス(オスマン帝国も絡んでいたな)のインド洋覇権争い
なんて大戦略の陰謀の定番ね アガーハーン4世の英国、ポルトガルなどへの歴訪は去年のダイヤモンド・ジュビリー(君主の在位60周年記念)
を記念した物、昭和天皇、エリザベス2世とならんでアガーハーン4世は、明確に君主として扱われている
ニザール派だけではない、イスマイール派のね、自称もHis Highness the AgaKhan(アガーハーン殿下)ね 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
5M2 古代アラビア半島の文献的資料は旧南北イエメンばっか、ヘレニズム時代に名の知られた都市は
現在の地名で比定すれば、バーレーンの対岸、ナジュラーンの北西、ヒジャーズ北西、ムサンダム半島
あれ、メッカやメディナどころかリヤドすら出てこない、UAEすらディスった狂信的サウジ中華主義者には悪いが l o l >>84
昔サイードの『オリエンタリズム』読んだら
「欧米のイスラム史ってどこがどこと戦争して誰が誰を殺したとか
そんなんばっか」
とか怒ってたけど、今は違うん? 欧州は知らん、日本のイスラミスト、中東専門家なんて戦争・紛争専門家、紛争をやっている国の現代史
専門家ならいざしらず、中東全般を扱う自称専門家の大半は、朝から晩まで中東の血みどろの殺し合いと
陰謀渦巻く政争しか取り上げない、現地のメディアは御用メディアで無味乾だと黙殺して凡アラブ紙ばかり取り上げている アフリカも同じ、アフリカ大陸の現地メディアの方がまだ世界遺産特集とか砂漠のオアシス都市とか
急速に進む現代化の報道に熱心だ、極端な話し、悪い事、ネガティブな事が起こらなければ焦点を
当てないんだな、別に中東、アフリカだけではない、極端な話し太平洋島嶼国のニュースの大半は地震のニュースだよ 太平洋島嶼国の地震のニュースは最後は津波の心配はありませんと締めくくられる、現地の人間が死ななきゃ
大きく取り上げもしない、中国援助絡みの話しが他に出てくるくらい、過去半年の太平洋島嶼国の地震のニュース、トンガ、ニューカレドニア
ソロモン、パラオ、またパプアニューギニア、フィジー、バヌアツ、またフィジー、サモア、またNカレドニア・ナウル・またフィジー イスラムの国でポジティブなニュースって何があるんだよ。
サウジで女性が運転できるようになった、とかいうニュースが取り上げられても
人権の不備にフォーカスされているって受け止めて、やっぱり不満なんだろ? 大山清子姫とブサイナ王女の話しは戦前の話しなのね、極端な話し年齢層によっては子供のころから
知って入る話なのよ、アラビアンナイトの王女様のおとぎ話しとしてね、再認識されたのは東日本大震災で
オマーンが赤十字義援金か救援金で世界で4位の拠出した時ね 特に、ちゅか帝国主義者が何としても中国を上位に上げたくて中国本土と香港の寄付額を合算して
故意に中国が4位だ4位だと騒いだ時に、ごく一部だが、中東通のあいだで憤激が走って再認識されたのね
クウェートなんが原油の現物を足せば天文学的な寄付していたし そこらの新進気鋭の中東通がまだ「生まれる以前」の話しだし、中東通のなかにサウジの王子に一目ぼれ
玉の輿とか言ったやつがいたな、最近ではデビ夫人とか、そんなのいくらでも例があるのよ おフランスのマクロンさんが昨日アガーハーン殿下と会談しているよー、暗殺教団の頭目だぞー
スンニシンパアラブきちがい 最近シーア派の系統樹が書換えられたな、以前は十二イマーム派から5イマーム派(ザイド派)や
7イマーム派(イスマイール派)が分派したとかとぼけたこと系統樹だったがいつのまにやら7代目の
イマーム(カリフ)争いでイスマイール派と十二イマーム派に分裂した、7代目のイマーム以降を十二イマーム派と表現し始めたな 当たり前の話しだ、十一人目のイマームが死去し(スンニ派に言わせれば実在すら疑われる)一二人目のイマームが
お隠れになった事をもって後世十二イマーム派と言われたんだし、始めっから十二人目のイマーム派なんてそもそも存在しなかったのね
イスマイール派はファーティマ朝でイスラム帝国作ったんだし系統樹的にどっちを主流派ととらえるかなんかなんか無理があるのね >彼らはあくまでもシーア派の一派で独立の宗派ではありません
(シーア派にも12イマーム派とか7イマーム派とか、多くのグループがあることご存知の通り)
この一文、もしかしてザイド派=7イマーム派なこと良く理解していないんじゃないの 笑 もとい、ザイド派は5イマーム派だ、7イマーム派はイスマイール派、カルバラの悲劇を唯一免れた
フサインの息子の子供の1人のザイードがクーファのの蜂起に失敗して処刑された、その信奉者
の流れ、イスマイール派のファーティマ朝のカリフ・ハーキム(の時代)の失踪後のその信奉者の一派がドルーズ派 その後のファーティマ朝の内紛でイスマイール派から分派したのがニザール派、純粋な十二イマーム派
から分派して今日生き延びている大きな宗派って実はないんですよ 笑 >イスラムは何しろ60年代のアラブ民族主義の影響でほとんど勉強もしなかったので
よく知らないというのは正直なところです、知らない事は調べろよ、今時十二イマーム派以外
の宗派を7イマーム派だの5イマーム派なんて呼ぶイスラム学者はいないよ、シーア派分派初期すらアリー信奉派だ ウマイヤ家の世襲に反対して粛清されたのはアリーの信奉派、カルバラの悲劇のフセインやその孫の
ザイードだけではないもの、メッカの並行カリフとか、ハワーリジュ派とかまだあるもの、そもそもアリー
は4人の正統カリフの一人だし、十二イマーム派の初代にすること自体無理があるのね カイサーン派無視してシーア派論騙るやつはマジでもぐりだね、カイサーン派こそシーア派の根本理論
ガイバ論の本家だもの、でも途中で雲散霧消したから無視しているのかな、違うなあ、シーア派とは
ムハンマドの娘(ファーティマ)婿のアリーの血を引く一派だとかたくなに妄信しているから見たくないのよ カイサーン派はアリーの末子をマフディとしての擁立した指導者がその代理人(カリフ)を名乗って
ウマイア朝に反旗を翻してこれまたクーファでほろぼされたのね、ムハンマドの母系の血をうけついで
いない、叛乱鎮圧後生き延びたマフディさんまでお亡くなりになったのでガイバ論がうみだされたのね ガイバ論の先駆宗派を無視してシーア派騙るやつはマジでもぐりね、ハワーリジュ派なんてイスラム教の系統樹にすら存在しない
元祖AQやIS、現代のハワーリジュ派の語源だからかな、これはアリーとウマイア朝の開祖、ムアーウィア軍の妥協を拒否して
退去した者、たちねアリー信奉派(アリーを暗殺したのはハワーリジュ派)とウマイア朝に逆らってウマイア朝に過激派は鎮圧された カイサーン派を滅ぼしたのはメッカの並行カリフのイブン・アッズバイルの弟だった 笑 このころ日本の
イスラム学者の主流派がひたすら黙殺しているハワーリジュ派が蜂起している、683年イブン・アッズバイル
がメッカでカリフを宣言、684年ハワーリジュ強硬派アズラク派蜂起、685年かイサーン派蜂起、ウマイア朝は四分五裂と だからイスラム過激派は黒旗(アッバース朝旗)が好きなのでしょう、ウマイア朝旗(白旗)ではまるで
今のシリアの四分五裂の叛乱軍まんまだものね、692年メッカの並行カリフ・アッズバイルをウマイア朝軍討滅
699年アズラク派ウマイア朝軍に壊滅的な打撃を受けると、740年ザイドの叛乱鎮圧、なんと747年にはアッバース革命の発端がおこると 749年にはホラサーンで蜂起した部隊がクーファで隠れていたアッバース家と合流、反ウマイア朝で
シーア派も支援、アッバース朝初代カリフを推戴、750年初頭にはウマイア朝最後のカリフが殺害
4月には首都のダマスカス陥落と、まともに統治したのがよいとこ半世紀だもの、ウマイア朝なんか見たくもないのね 今のシーア派もコーランの天地創造以前の「周期」を信じているのでしょうか?
天上的アダム、地上的アダムというコーラン以前の人類の祖は「隠された」啓示としてイマームに与えられたけれど、修正はされていないのでしょうか? こうしてみると欧州人だけではない、日本人の研究者のイスラム教史も年表にするといつどこで
だれがだれを殺したか、戦争があったかばかりだな イスラーム歴史書の先駆けであるタバリーからそんな話ばかりじゃん ヴォルガ・ブルガールとかジョチ・ウルスとかカザン・ハン国とかシビル・ハン国が
史上最北のイスラム国家かね イスラム教成立史、ムハンマドの征服活動、イスラム帝国の勃興期の話など読み飽きたので読み飛ばしていた
アラビアの歴史、目を通したら、イスラム教を含む多文化共生主義者真っ青の内容、アラブ人ファースト主義
外来勢力の排除が成立の根源の動機の一つときた ムハンマドの時代、アラビア語はアラビア半島でのみ話される言語だった。
エジプトやイラクやヨルダンでは、アラビア語は交易での使用言語のうちのひとつでしかなかった。
イスラームの征服事業に伴うアラビア語マウンティングに応じて母国語をアラビア語としたのが今のアラブ世界である。
アラブ人とイスラム教を頂点とするカースト制度。これぞアラブ人ファースト主義。
アラブ人ファースト主義、アラビア語マウンティングを拒絶した周縁のペルシャ人とトルコ人が
現代においてイスラム世界に大きな影響力を持ち続けているのは運命の皮肉であろう。 そもそもジャーヒリーヤ時代(歴史的区分には諸説あるが、イスラム教勃興期の前夜ととらえると)においてアラビア半島で
覇権を握っていたのが、(東)ローマ帝国でもなければ、紅海の対岸、アクスム王国(エチオピア)でもない、ペルシャ湾を
押し渡って来たササーン朝ペルシャなこと、イエメンまで影響下に置いたことをアラビスト、イスラミストの大半は黙殺する メッカの並行カリフのイブン・アッズバイルを並行カリフと呼ぶのはウマイア朝正統論によるものだが
第二次内乱の主役1人、このアッズバイルの父親がアリーのカリフ就任に反対してラクダの戦いで戦死している
アッズバイルの存在自体、第二次内乱がウマイア朝と後世シーア派と呼ばれる一派の抗争でないことを如実に示している そして日本のイスラム学者のほとんどが黙殺するハワーリジュ派の叛乱、なかんずくアズラク派の蜂起と鎮圧、アリーを暗殺し
ムアーウィヤも同時に暗殺しようとしたハワーリジュ派の強硬派の動きを加味すれば、ウマイア朝初期の混乱は単にウマイア家
とアリー信奉派の争いでない事は明らか、ウマイヤ朝側に短命、幼少君主が数代続いた間隙を突かれたもの >>123
ハワーリージュ派はキリスト教におけるドナティストと捉えるとよい アリーもムアーウィヤも棄教・背教はしていませんけどね、ハワーリジュ派から見たらどうなるか知らんが
カーフィル(背教者)に対するタクフィール宣告の概念の先駆者だしそうともとれるかな、ハワーリジュ派強硬派アズラク派の
軍事活動は、アリー信奉はの萌芽期における軍事的強硬派と言う意味では、宗教革命の先駆者、フス派に似通っているような まあ反シーア派論者のなかにはカーフィルとかタクフイールって概念を生み出したのがハワーリジュ派
なことすら知らない人がいるがね、マジでシーア派のみが使う言葉だと妄信していた >>124
異常なほどアイシャを嫌っていたのがよく分からん アイシャは若すぎた後妻だしねえ、そういう人と先に生まれた娘やその婿が相性が悪いのは世の常
ラクダの戦いでアリーの前に立ちふさがったアッスバイル親たちのバックはアイシャだったがず アーイシャの性格は相当気が強いしな
アリーとの戦いの時には自ら戦場に出たり ラクダの戦いなんてまさに先妻の娘婿と父親が最後に愛し後妻の取り巻きの戦い、今時の週刊誌なら
骨肉の遺産相続争いね、この戦いに負けてアイシャはメディナに隠棲してムハンマドから晩年に聞き取った
言葉をハーディスにまとめたとか、アイシャはスンニ派的には「聖女」だが生前には砂漠で迷子になって姦通疑惑事件おこしている ラクダの戦いのラクダとは、アイシャがラクダに乗って自ら戦陣に立ったことから来ているのね、アラーの剣ことハリード・ブン・ワリードが
活躍したヤルムーク河畔の戦いで、ヒンド・ビント・ウトバ(ウマイヤ朝の始祖ムアーウィヤの母)率いる女性部隊が一時崩れかかった
部隊をこん棒振り回して戦場に追い返して督戦している、イスラム教初期の女性像って今からは想像もつかないんだなあ と言うかイスラム教興隆時のムハンマド以来の急速な勢力拡張はある程度落ち着いてミスルへの定住策
がとられるまでは拠点都市間の移動で後顧の憂いをなくすため幕営生活で、有力者の妻子同伴なんて当たり前だった
のかもね、モンゴル帝国の膨張史でも見られたが >>135
それは偏見ですね。
イスラムに都合の悪い文物はすべて破却されるので、人々がイスラムをディストピアと感じることはありませんよ。
イスラムの理想社会で生きることはすばらしいことです。 こんな世界を作った神を信仰出来るか
唯一絶対の神ならなぜ預言者が中東あたりにしかいない チンギス・ハーンも預言者のひとりと言えるだろう。
チンギス・ハーンは神託によってモンゴル帝国の大ハーンになった。
ホラズム・シャー朝やアッバース朝がモンゴル帝国に滅ぼされたのは神意だろう。 モンゴルにはキリスト教がすでに広まっていたわけだからチンギス・ハーンに一神教的思想現れていてもおかしくない 毛沢東も預言者のひとりだよ。
「ムハンマドは最後の預言者」というムハンマドの主張は正しくない。
これからもどんどん預言者が出てくるから楽しみにしとけ。 日本の預言者には池田大作や大川隆法がいるしな
日本は預言者の国だな 大量虐殺を行わない預言者なんて預言者じゃないでしょ。 ムハンマド王子=後鳥羽上皇?
アサド大統領=源頼家?
エルドアン大統領=北条時政? 人々の憎悪を巧みに操ってこそ預言者といえる。
預言者ムハンマドの時代もこんな風にしてアラブ社会が変革していったのだろう。
膨らむ憎悪、あおり続けたトランプ氏 米国でまた銃乱射:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASLBX5DJLLBXUHBI01B.html
2018年10月28日22時37分
11月6日の米中間選挙を目前に、また憎悪をむき出しにした事件が起きた。
ペンシルベニア州ピッツバーグ市のシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)で27日に起きた銃乱射事件では、11人が死亡。
トランプ大統領が増幅させてきた「分断」「憎悪」が暴力につながる異常な連鎖が相次いでいる。
事件は、礼拝所で赤ちゃんの命名式が行われている最中に起きた。
半自動ライフルと短銃を手に押し入った犯人は「すべてのユダヤ人は死ななければならない」などと叫び、約20分間にわたって銃を乱射した。
捜査当局と銃撃戦の末、拘束されたのは同市に住むロバート・バウアーズ容疑者(46)。
犯行前、本人のものとされるSNSに「ユダヤ人の難民支援グループは、我々の仲間を殺す侵略者を(米国に)連れてくることが好きだ。
私の人々(マイ・ピープル)が虐殺されるのを傍観はできない」と反移民と反ユダヤを結びつけ、「攻撃に入る」と書き残していた。
ほかにも「ユダヤ人はサタン(悪魔)の子供だ」などと反ユダヤをむき出しにした書き込みを繰り返していた。
「米国のユダヤ社会を狙った最もひどい攻撃の一つ」(米メディア)とされ、特定のグループを攻撃するテロ行為ともいえる。
米国では中間選挙が目前に迫った26日、トランプ氏を熱狂的に支持するフロリダ州の男(56)が、
オバマ前大統領やヒラリー・クリントン元国務長官ら、トランプ氏に批判的な政治家やメディアに爆発物を送りつけたとして逮捕された。
党派や宗教、人種などが異なることを受け入れないヘイトクライム(憎悪犯罪)が、中間選挙前に立て続けに起きる異常事態だ。
ユダヤ教礼拝所の襲撃後、トラ…
残り:859文字/全文:1534文字 >>144
2人とも、生粋の日本人ではなさそうだな? >>42
アッバース朝のカリフが滅ぼされず、オスマン帝国のスルタンの背後で宗教的権威として存続していたら、本当に日本史と似ていたな マムルーク朝庇護にあったカリフなんかそれだな
マムルークなんて戦国大名みたいなもんだし ティムールがオスマン朝を痛打したことは、オスマン朝のヨーロッパ進出を
警戒するカスティーリャ王国の関心を引き、国王エンリケ3世はティムールの
もとにクラヴィホらの使節を派遣した オスマン帝国がクリミアタタール汗国を藩屏にして黒海を内海にしていた時代が最盛期で17世紀初頭ね
そのころのルーシー諸国なんて、南方からスウェーデンバルト帝国、南方からオスマン帝国に圧迫された
草刈り場ね、ロシア帝国の南下政策なんて話し、ツアーリロシアがロシア帝国に変わった18世紀以降の話しね 南方からスウェーデンバルト帝国、もとい、北方からね 西暦2019年1月13日日曜日 アマジク(ベルベル)歴 2696年 新年 おめでとう
時を支配するものが真の支配者 時を軽視するものはまがい物 アフマド、ムハンマド、マフムードが同時期に複数登場すると
頭がこんがらがってしゃあない 18世紀初頭に大改革者・ピョートル大帝が登場してロシアは飛躍する
それまでのロシアにとっては、スウェーデンが北方の大国で越えられない壁
オスマン帝国は憧れの文化・経済大国で先進国もいいとこ これ、キチ原珍太郎の文章なんだけど
> ヘーゲルは「歴史は他の何にもましての現実だ」と説いたが、
> キリスト教文明とイスラム教文明の相克ははるかに古く、
> 2世紀におけるサラセン帝国とキリスト教圏との衝突に始まり、
> 中世の十字軍騒動以来、実は今日まで続いている。
https://www.sankei.com/smp/column/news/150123/clm1501230001-s.html
「2世紀のサラセン帝国」て何? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています