戦う者(うん)耕す者(うん)祈る者(←おい) [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
一人だけ楽してるじゃねーか。
祈っても効果ないとか科学的発想する人おらんかったの? それだけ細木先生みたいな人は凄みがあったんだ だから17世紀までそんな発想が思い浮かばなかったんだろう 平将門征伐や元冦退散などで、多くの僧侶が祈祷に動員された まあ日本のような本物の神々なら祈りが通じるが
バカ白人のキリスト教は嘘っぱちだから意味がない 農民 食料生産
商人 商業活動
武士 政治
公家 ? >>1
戦う者というのは
平時にはいたずらに税を消費して
戦時には民衆の生活を破壊する者のことだが
それに比べれば、祈るものすなわち知識人の方が
社会の役に立っているのではないか。 祈る事と知識を活用する事は別物だよ。
祈る者は、正直今も昔も糞の役にも立ちゃしない無駄だな。 >>17
とんでもない。
祈ることと、学問文化に従事することは切り離して考える
ことはできないのだ。特に中世においては。
信仰という求心力があるからこそ、その中心に食うこと戦うこに
忙殺されずにすむ、一種の余暇を持つ人間集団が生まれる。
歴史的にみると、彼らが祈りつつ学問をすることで、人間社会の
知的な土台が築かれたのだ。 祈る人ってのは昔は知識人階級だな
祈る人は耕す人を指揮して沢の開拓までしてたのもいる インドのカースト制最上位はバラモン(聖職者・祈る者)で、
クシャトリヤ(武人・戦う者)は二番目 フランスの王政時代も第一身分は聖職者、第二身分が貴族。
第一身分はもちろん税制上の特権階級だったが、
同時に教育や医療や救貧など社会福祉の一端を担っていた。 そんな殊勝な事やる奴がいたのか?
だったら革命は起きてないだろう。 わずかな高位聖職者を除いて、第一身分の平均的な立場からみれば
べつに死守したいほどの特権的立場でもなかった。
だからフランス革命には大勢の聖職者が進んで参加した。 >>22
慈善事業を主催するような余裕が第三身分にあるなら、
それこそ革命など起きないだろw
王政時代における慈善救済事業の担い手は第一身分と第二身分。 一部の裕福な商人はやっていたけどな。
あとは修道士とか。 それにしても第三身分が14世紀から国政に議員として参加してるなんて
フランス先進国すぎるよな >>29
庶民院のことなら1265年だから13世紀 フランスは三部会だが、スウェーデンは第四身分の農民もいて四部会。 >>22
例えば18世紀のパリでは新生児のうち1772年には5割、1780年には9割が孤児院に送られいる
「育児放棄」は近世フランスに普遍的にみられた現象でパロワスによる孤児院運営がなければいつ人口が崩壊してもおかしくなかった >>33
公家が落ちぶれて武士はまだ野蛮な荒武者だった中世には特にね
その頃は坊主が唯一の知識階級だったようだ ヨーロッパの中世でも、カロリング・ルネサンスにみるように
さいしょは坊主の坊主による坊主のための文化事業だな。
その恩恵が貴族の子弟への教育という形で広まっていく。 字もろくに書けないカール大帝の時代から
今日の科学先進国が築き上げられたその根元には
キリスト教会による「知の集積」があったんだ カールが呼び寄せたのが、ブリテン島にいたアルクィンというのが面白いね
ローマ帝国の最辺境に知の遺産が残っていたと 金沢文庫の文庫を勝手に持ち出す徳川家康。
おかげで金沢文庫がしょぼくなった。
江戸時代には「知の分散」があったんだ。 直接後継の東ローマがあんだけど。
あるいはイスラムも文明を継承。
最辺境にだけ知の遺産が残ったなら面白いがそんなことはない 日本でも真言宗なんかは古代大和朝廷に仕えた技術者氏族が仏教の皮かぶったもんだし >>1
平日の昼間からこんなスレ立てている奴が、おいなどと言える身分かよw
修道会の中にはシトー派のように、朝から晩まで労働しているところだってある。
君も少しは見習うべきww 事実、だから皇室は一生懸命社会での価値を証明するために働いてますアピールしてんだろ。
正直、あんなアピールをしなきゃならん時点でもう長くないとは思う。 あほか、あれだけ忙しく国の行事をこなす必要がある、
つまり需要と存在の必要性があるということだ。
君のようなニートとは存在意義が違うのだよ。 宮内庁職員が首になると困るので需要はある。
「もんじゅ」を廃止すると首になるので続けることに意義があるのとおなじ。 飾り物としては忙しそうではある
本当に必要な業務なのかどうかはわからないが ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>50
狂ったようにコピペを繰り返しているが、そんなに相手にしてもらえないのか?
だんだん不憫になってきたわ。 昔はどこの国でも聖職者という名の知識階級が不可欠だったのだろうな。
時々入れ替わる統治者はしょせん腕力頼みのボス猿なのだから、
文化を広め伝えていくには別の担い手が必要になる。 宗教というのは中世の人間集団が
アイデンティを確立するうえで重要だったもんな。
無宗教なんてフワフワした存在は、外敵と戦う上で団結力ゼロで、
当時の世界で生き残れなかった。 >>1
大仏をつくるニダ
国分寺をいっぱいつくるニダ 日本の宗教者は、西欧の宗教者ほどには
実用の学問の発展には貢献していないよね。 >>62
仏教の修行そっちのけで武術の修行に明け暮れている山法師が大勢いたらしいので
武術の発展には寄与したんじゃないですかね >>1
古代中国でも孫子や荀子は超合理主義者で祈祷など信頼してない >>57
スターリンも独ソ戦のときだけは
戦意高揚のため正教会を利用した
ヒトラーもユダヤ人キリストの教会を廃絶はしなかった
(ナチス用に改変はしたけど) 死ぬかもしれない戦争に人間を動員するには
来世を謳う事が効果的だったのだろう 権力者の権力を正当化する上でもな。
世界のあらゆる民族で宗教を担当する人間が居たという事は
その存在に社会的な必然性があった事を示すだろう。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
BKFVH 無為徒食の輩が社会に占める割合は年々上昇していく
べつに>>1のことを言っているわけじゃないが。 世界遺産にも登録されているポルトガルの
サンタ・マリーア・ディ・アルコバーサ修道院。
その食堂の入り口は「ダイエットの門」と呼ばれ、
幅が35センチしかありませんでした。
そう、お察しの通り、おなかが出てきた修道士は
ご飯にありつけなかったのです。
このアイデア、現代でも応用できそうですね。 修道院の日課を見ると、労働と勉学に8〜10時間ぐらいを充てていて、
祈りなど聖務にあてる時間は4時間とかなんだな。
つまり、働き学ぶ時間は一般人と大差なく、一般人が家に帰って
息抜きでテレビをみたりゲームしたりする時間を祈りに使っている。
>>1のような勘違いをしている者は多いかもしれないが、全然ラクな
生活ではないね。 民衆が王権に従うのは聖書(ローマ人への手紙)に世俗権力への服従が書かれていたから。
教皇が皇帝を上回る権力を持ったのは、そのためですよね。
破門でもされようものなら、臣下も領民も誰も言うことを聞かなくなるから、教皇に許しを請わなきゃならなかった。 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
3Y4 日本でも行基とか僧がインフラ整備に活躍してたな
徳のある聖職者の元に人が集まる社会の方が
そうでない社会より発展するとは言えそう 宗教勢力って、権力側にいるようでいて
つねに権力者と微妙な対抗関係にあるね
いつの時代のどこの国でも >>95
近代より前の世界では、徳やご利益の宗教的な求心力があってこそ資金が集まる
資金の集まるところに人も集まり事業が興る 何かの書で古代オリエントの医療では、悪魔祓いをする医師と、霊的治療をする医師と
実際の治療をする医師がいて、3番目が一番報酬が低かったとか >>1
シャーマニズムによって国がまとまっていった
邪馬台国の昔を思い出せい。 >>98
基本的に現代の日本だってそうだよ。
前二者は新興宗教に看板を変えたが、やってることは昔と同じ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています