もしもミシシッピ文明圏があったら [無断転載禁止]©2ch.net
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世界四大文明のように、ミシシッピ川周辺に現代世界に影響を
及ぼすような文明圏が存在していたら、どんな歴史を刻んだの
だろうか。 >>731
タラスカではメソアメリカでも例外的に金属の武器を製造していたそうだぞ タラスカには、アステカと覇を競うライバルになってほしかった・・・
>>730じゃないけど、競争相手や脅威が存在しない土地は
どうしても進歩が沈滞してしまうんだよね。
ここはひとつ、米墨国境地帯を股にかけてチチメカが騎馬民族と化すことを期待するか。
ミシシッピ文化圏とメキシコ高地の中間地帯にあって、中継貿易とヒャッハーの二刀流で
さしずめ新大陸のスキタイか匈奴のような存在になればw 土着の馬が滅んでなければよかったのにな。
ウマ属でウマ以外にロバも家畜化できたんだから、北米の本当の野生馬も家畜化できたかもしれない
実際ラクダ科やガンカモ科では、旧大陸と新大陸と両方で家畜化が起こったんだし
ラクダ科ではヒトコブラクダ・フタコブラクダ対リャマ・アルパカ、ガンカモ科ではガチョウ・アヒル対バリケン 明治になって北海道室蘭に作られた製鉄所は、夕張の石炭と胆振地方の海浜から得られる砂鉄を原料とした。
アイヌもその気になれば十分に鉄器を自製できる環境だったんだな。
石炭はともかく、薪炭材は腐るほどあるんだから。 そもそもアイヌに金属器を自作しようって発想はあったのか?
農耕はしていたらしいが、結局の所最後まで国家を為す事は無かったしな。 たしか続縄文時代から北海道で鉄器は出土しているんだよな。
おそらく樺太方面からの伝来かもしれない。
でも「製鉄技術が伝来」したわけではないようで。
熱してトンテンカンくらいは行っていたのかもしれないが。 過去スレで挙がっていた、
「紀元前後にシベリアからアラスカのイピウタク文化へ鉄器文化が伝来」の史実を
利用した方がいいのかも。
それでも「鉄器をシベリアから輸入し
鍛造はアラスカ〜カナダ〜グリーンランドで」という
制約があったとしてもね。
南下してミシシッピ文化圏へ伝わるには地理的障壁がほぼないんだし。 >>742-743
北海道には7世紀ころから鉄器が使用されている。
大半は日本本土からの移入品。
アイヌは「毛皮だの鮭だの持っていけば鉄と交換してくれるからいいや」
で話が止まってしまい、自分から製鉄を学ぼうとしなかった。
結局、和人側が悪辣になってくると取り込まれてしまい… >>745
さらに残念なことにそれで石器製作技術まで衰退してしまった
自らは調達できない鉄に依存した生活形態、正直言って江戸後期までよく支配されずに済んだと思う しかもアイヌは日本本土から鉄鍋や漆器が入って来れば、土器製造の技術もなくしてしまった。
文字の存在も知っていたはずなのに習い覚えなかった。
沖縄は鉄器が入って来るや農耕が広範囲に広まって三山の小国分立時代、
そして琉球王朝へと至ったのに… >>731
量が少ないからだろ。
フィリピンだって金属器は日本より早かった。 >>747
琉球の主体は西暦千年頃に九州から来た日本人 >>747 頑張ればゲルマンや女真みたいなポジションになりえたのにな 我々は>>1が何故このようなスレッドを立てたのかという
疑問を解決するため、>>1の故郷であるイピウタック郊外の寒村に向かった。
「まだ我がウヤクックの治世にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した兵士に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着るユピゲットたち、
そして土着のデネは身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
シベリア舶来のヤクート馬だの、最新鋭の製鉄所だの、チュクチ文字による正書法制定だので
浮かれていた我々は環ベーリング海文化圏の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「>>1が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
我々はこの時初めて>>1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、この村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は母親から貰ったアザラシの干し肉を手に、
打ちひしがれながらシトカへと帰路についた。 テノチティトランはもはや街ではない。
日中は火と煙がもうもうと立込め、一寸先も見えない。
炎に照らし出された巨大な炉のようだ。
それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、
犬でさえテスココ湖へ飛び込み、必死で対岸にたどり着こうとした。
動物はこの地獄から逃げ出す。
どんなに硬い意思でも、いつまでも我慢していられない。
人間だけが耐えるのだ。神よ、なぜ我等を見捨てたもうたのか。
――チチメカ軍将校の手記より >>751
欧州で例えるならケルトのポジションだろ
ウェールズ語やブルトン語が細々ながら現役で生きてることを考えれば
実際にはケルトのポジションにすらなってないが イピウタク遺跡ってチュクチ海に面した捕鯨の「町」だったのね。
具体的にはアラスカ北西部のホープ遺跡。
最盛期の紀元500年頃には人口650〜700人に上ったとされ、当時の北米大陸では
一ヶ所に集住した人口では五大湖以北で最大規模の集落とされる捕鯨と対アジア貿易の根拠地。
鉄製工具を用いないと彫り出せない工芸水準の、セイウチ牙製のチェーン
(イピウタク遺跡出土、紀元100年頃)。
http://www.lesk.com/gallery/bering12-detail/item4.html
おそらくこの時代、すでに本物の鉄製チェーンを目にしたエスキモーが
海獣の牙で模造したものとされ、同種のチェーンを彫る技術は現代のイヌイットまで継承されている。 >>402
逆にもの凄い迷信で
先祖が海から流れてきたらしいので
「そうだ故郷に帰ろう」運動みたいな
一大ムーブメントが発生してみるというのはどうだろうか、、、 >>754
少なくともケルトはローマ以前から鉄器文明化してたし、
ローマ都市であるロンドンをメチャクチャに攻め滅ぼすくらいの軍事力もあった。 鉄山は歴史を動かす争覇の舞台にしばしばなるよな。
中国の山西省とか欧州のベネルクスとかもそうかな?
北米大陸のアイアンレンジ、メキシコ高地、ブラジルのカラジャスなど、なぜか分水嶺が多いのは偶然だろうか?
とりわけ米加国境、五大湖最西端という絶好の立地に広がるアイアンレンジなどは、
メキシコ湾に注ぐミシシッピ水系の最北端でもあり、北へ流れる北極海水系との分水嶺でもある。
針葉樹林帯と広葉樹林帯の境界、トウモロコシ農耕の北限、と
ここいらに文化領域の境界線が走る可能性は高い。
北方から製鉄技術をもたらし、鉄製武器を用いて南方の農耕民を征服するために鉄山を奪わんとするデネ系、
南方のミシシッピ王朝は、製鉄技術で北方民族に後れを取るも、圧倒的な経済力と人口で鉄山を死守する・・・
世界遺産のサーペント・マウンドも実は北方民族の南下を阻む土塁だったりして。 昨日、トラルトゥことシアトルの贈答儀礼・ポトラッチ行ったんです。ポトラッチ。
そしたらなんか船がめちゃくちゃいっぱいで接岸できないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、返礼宴開催条件200%返し必須、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、返礼宴如きで誰も返せない200%なんぞ要求してんじゃねーよ、ボケが。
200%だよ、200%。
なんかタールタンとか山岳民族とかもいるし。一族こぞって太平洋まで交易か。おめでてーな。
よーし族長、シロイワヤギの毛皮振る舞っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、ヤーンドッグ1頭やるからその席空けろと。
ポトラッチってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
会食用舟形ロングトレーの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。奴隷平民階級は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、銅の盾を海に投げてみせて、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、銅盾なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、銅の盾海にポイして、だ。
お前は本当に銅盾を見たいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、銅盾って言いたいだけちゃうんかと。
ポトラッチ常客の俺から言わせてもらえば今、ポトラッチ通の間での最新流行はやっぱり、
鉄梃、これだね。
西方から漂着した船の釘から鋳造した氏族紋入り鉄梃。これが通のあつらえ方。
鉄梃ってのは鉄が高純度。そん代わり漂着まかせなんで入手が極めて稀少。これ。
で、それをさらに鍛えた鋼鉄。これ最強。
しかしこれを頼むと次からベーリング海系主催者にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、マッケンジー川河口域の自然銅でも取り寄せてなさいってこった。 >>752>>759
おいらけっこう好きですよww
>>758
露天掘りという条件があると
そんな感じになったりするんでしょうかねぇ ポトラッチで贈る銅板は自然銅だったのか?
それを鍋なり刃物なりに加工していれば… ポトラッチで名高い北米大陸北西海岸では、
自然銅を叩いて薄く延ばしたものですね。
銅は威信財としての利用が主だったようです。
金銀プラチナのような貴金属のようにみなされてたんでしょうね。
むしろエスキモーが住んでいた北極圏のほうが
日用の刃物に銅刃ナイフを盛んに用いていました。
現カナダのヌナブット準州の州都の名が「イエローナイフ市」。
アサバスカ語族系のイエローナイフ族に由来した地名で、
エスキモーの銅器文化(ノートン文化かもっと先行する文化?)
由来のタルテイレイ文化に起源を持つ歴史の古い銅器文化です。
五大湖周辺のホープウェル文化でも自然銅の副葬品が多数出土していますが、北方の銅器文化と
関係していたかはよく分かんなくてスンマソン 映像の20世紀のコピペは、チチメカというよりタラスカ軍将校の手記にした方がしっくり来たな。
あのまま南蛮が襲来しなければ、いずれアステカ帝国とタラスカ王国はライバルになったろうからね。
ひょっとしたら、アステカの後継王朝になったかもしれないしな。 >>674
「北アジア文化圏」は
脱魂型シャーマニズム、トナカイの家畜化、狩猟採集あるいはトナカイ遊牧基盤の移住生活、
などの文化要素でくくれるかな。
そういや北アジア史専門の「貂主の国」ってサイトがあったね。 >>765
遊牧型の保存食は家畜そのものなんですよねぇ
あんまり食品加工して日持ちさせるモチベは乏しいんじゃないでしょうか、、、 あ、一つ上へのレスか、、、
>>759
ポトラッチでカカオブームを醸成して
一大ムーブメントを発生させてみるというのはどうだろうか、、、
大航海時代の香辛料的な役割みたいに ポトラッチについては前々から考えていたんだが、
物量の潤沢さを誇示しあう競争から
珍品のレアさを競いあう方向に移行すれば、
珍奇な文物や産品を求めて「ライバルがまだ知らないもっと遠方へ」と遠洋航海の競争時代に入るんじゃないかと。
もともとポトラッチが盛んな文化圏は沿岸航海ならお家芸だし、ツノガイのような共通通貨も実際に流通していた。
旧大陸の農産物を新大陸へ持ってくるには、農耕をやらない(というか農耕を知らない)シベリアを通過・中継しなければならない。
未知の農産物を欲するよほどの強い原動力がないとアジアの農耕圏まで辿り付けないよなあ・・・と
思っていたけど、オホーツク海沿いに南下し、女真族のいるあたりまで交易路を切り開ければ
小麦、大豆、ソバ、ヒエ・・・あたりから新大陸に種子を持ちかえってもらい、ポトラッチの席で
入手までの長途と困苦をドヤ顔で披露するやいなや、ライバル部族の羨望と競争心に火を点ける、と。 あ、ちなみに
ポトラッチに近い「贈答の応酬」習俗を有する文化圏は
アラスカを越えてアジアのチュコト半島まで広がっていました。
そり引きに重宝されたシベリアンハスキー犬(特に調教済みの犬)などが人気を博していました。
ロシア人が西方から攻めてくる以前は、現在のサハ共和国東部やマガダン州まで
チュクチ人が広く住んでいたようなので、同じポトラッチ文化圏のよしみで
オホーツク海までの交易路(ペンジナ湾経由が選ばれるかな)も割合い快く通過させてくれるのではないかと考えてみたり。
カムチャツカ半島の付け根、チュクチ族と隣接するコリャーク族の甲冑には
樺太か千島経由で日本から渡ってきた甲冑の影響がみられる(ないしパーツが流用されていた)とも。
意外とありえない話ではないかも? コリャーク族の甲冑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Koryak_armor.jpeg
↑北海道アイヌの甲冑の形状とどこか似通っている?
オホーツク海といえばニブヒの伝承に
「アイヌから仕入れた日本刀の切れ味につい目がくらみ、先祖代々の訓戒『人間を殺す武器で獣を狩ってはならぬ』との
禁を破ってしまったら、自然界の精霊の怒りに触れ、海獣も陸獣も姿を見せなくなってしまった」
というくだりがあるので、シャンタルスキー諸島までは日本の甲冑や刀剣が出回っていたのかも。 >>765
アイヌは日本を通じて東アジア文化圏にも属するようになればよい
いいとこ取りです >>770のニブヒと日本刀のくだりは
中沢新一著 「熊から王へ」が出典
とみた。
>>772
千島アイヌに一役買ってもらいたいが、
あそこらへんの地域で交易品といったら何が主役だったんだろうな?
魚皮や羽毛が衣類の材料だったというから、北海道からの衣類とかかな? 交易品の主体は日本本土由来の鉄製品か漆器
17世紀にカムチャッカ半島を探検したロシア人が、「現地人は下絵のある器か、オリーブ油を塗った器を使っている」と記録している。
じつはこれは日本の漆器で、千島アイヌの手を経てカムチャッカまで流通していたのだ。 アイヌは日本からは濃い影響を受けていたのに「東アジア」の一国という感じがしない 日本から濃い影響を受けていたのは
北海道アイヌのことだろうね。
樺太アイヌや千島アイヌは間接的にしか日本の影響を受けていなかったせいで
むしろ北アジアの一員といったほうがしっくりくるわな。 >>773
>千島アイヌに一役買ってもらいたいが、
千島アイヌはもう消滅した スレタイのとおり「もしも」の北米史での活躍の話だからな。
千島アイヌはフード付きの海獣革のパーカを着たり革張り船を漕いだりして、
北米のアレウト族やエスキモーと生活文化が似通ったところがあった。
樹木が乏しく海産物が豊富な亜寒帯・寒帯気候の風土が共通していたせいかな。
交易相手だったイテリメンとの関係も情報が欲しいけどどうにも乏しいね。 環ベーリング海文化圏「メソガイア」を提唱したい。
ベーリング海峡両岸は、時に交易や戦役、時に通婚などで
互いの大陸に影響を与えあってきた。
カヤック、パーカー、ポトラッチ的贈答合戦、
狩猟採集民なのに定住し大規模集落を形成、
儀礼小屋の存在、発達した捕鯨技術、鉄器の加工、
身分階級制度、そり引き犬の調教技術・・・ あ、ちなみに「メソポタミア=川と川の間」をもじり
「メソガイア=大陸と大陸の間」とネーミングしたものです。 しかし、大陸間だとその文明そのものは発展しにくいんだよなぁ・・・
こう、やっぱり海岸と島々だけだと消費地というか、物質的な裏付けが少ない気がする。
発達した農業、文化、社会制度、軍事・・・どれもある程度大きな領域が無いとね。
そういう、近代に繋がる国家的な要素が交易ベースの文化圏には薄い気がする。 中央アジアになぞらえるとこんな感じ?
オアシス都市国家群(点)・・・捕鯨と貿易が生業の大集落
遊牧民族(点を結ぶ線)・・・・ユピックなど海上交易民族
点と点を線で結んで網目(ネットワーク)が広がる感じ。
その点では東南アジアの立地条件とも似るかな。
まあアジア大陸の文化を北米大陸へ取り込む玄関口として
機能してくれれば十分な気もするね。
マッケンジー川河口まで来れば、ミシシッピ文化圏までは地理的障害もほぼないし。 >>781が挙げた「大きな領域」はやはりミシシッピ文化圏が務めればいいと思う。
なにしろ北米最大の農耕圏だしね。
アジア文化や文物への渇望が進めば、当然ベーリンジアを掌握したいと野心を起こすのが常だろうが、
中国の歴代王朝がシベリア針葉樹林帯を征服しなかったように、まあ「北征」は断念するだろうから
ベーリンジアことメソガイアはどこからも侵略されずに済む・・・と考えてしまいがちだが、
むしろ亜寒帯を跋扈するであろう(不毛のバレンシールド一帯を根拠地とする)トナカイ遊牧民が
「北のメソガイアに舶来財貨が荷揚げされれば北上してヒャッハー、
ミシシッピ流域が豊作なら南下してヒャッハー」で大忙し、
という構図が浮かんできてしまうw 「西のチュクチ、東のデネ」と並び称される
精強な「ツンドラの覇者」として
定住民からスキタイや匈奴のごとく恐れられる存在になったりしてな。
成人通過儀礼は一人でホッキョクグマ狩り、とか タイガの覇者なら
西のエベンキ、東のオジブワってところだな。
オジブワ(チペワイアンのほう)はいいポジション占めたな。 一方、中西部では・・・
温帯の草原地帯はスー語族系やカド語族系の「もと農耕民」がウマを取り入れて
騎馬民族化するのかもしれない。
実際に、メキシコ方面からウマを取り入れて短期間で農耕を放棄した集団は多かったし。
西部から騎馬民族が攻め寄せ、
北方から騎鹿民族が攻め寄せ・・・敵は多いがまあ中原を囲む北狄と西戎だとみなしてみるか。
遊牧民族にとって略奪と交易は表裏一体だったりするから、
侵略は遮りつつも、遠方の文物をもたらすならば各地に「互市」を開く、なんて政策を取るのかも。 五大湖が万里の長城がわりの防波堤になって
トナカイちゃんの南進を食い止めるのね、胸熱 五大湖はむしろ、地中海的な位置づけになるんではないかな。
ああ、でも、北の遊牧民族と南の農耕民族か。
万里の長城的かあ。
アジアからはベーリンジア以外のルートはないのかな。太平洋を渡ってくるとか。
直接は無理でも北か南の島か海岸伝いでとか。 >>788
ベーリング海峡ルートより早くて近いルートを探した結果、
アリューシャン列島伝いにカムチャツカ半島へ通じる海上ルートが
新たに発見される、なんて感じかな。
コマンドルスキー諸島に人類が生息した形跡はないことから、アリューシャン列島は
史実では「行き止まりの袋小路」だったわけだが、
東西交易の発達につれて等緯度の地域をつなぐ「バイパス」の開拓を考え出す人間は
きっと現れたんではないかと思う。
あとは千島列島伝いに北海道まで行くのは容易だしね。
なにしろ千島はアイヌ語がどの島でもずっと通じるし。
え?オホーツク文化期にはアイヌ語圏とは限らない? それでもまあいいか。 >>789
例えば、室町時代辺りの「補陀落渡海」とかを関連付けてみてはどうだろうか。
うまくいけば、日本人のコロニーとかがミシシッピ文明に影響与えたりとか。
夢想しすぎかな。 忘年会を半強制することはハラスメント
男社会のクソ文化
ダウンタウンの松本気取りのくだらない奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする
大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 >>790
室町時代だとコロンブス到達までもう時間が足りない・・・
しかも補陀落渡海は「窓をすべて釘でふさぎ」生きて遠くの陸地に到達することを
目指しての航海じゃないのが致命的なのよ・・・
日本列島から太平洋を横断し、なおかつ北米の歴史を書き換えるような航海かあ・・・
なにか浮かぶ?
平安時代に、津軽の十三湊から太平洋に抜け
平泉を目指した商船が漂流・・・とかか。 平家の落武者を何とか北アメリカまで連れて行けないか?
若しくは義経新大陸に行く、とか。 三浦綾子「海嶺」みたく
西海岸インディアンに捕らえられて奴隷にされ
歴史の波に埋没してオシマイ、てな気ガス。 >>794
東日本大震災の津波で日本から沖に流された瓦礫の行方、一番
大量に漂着したのが北米西海岸(ワシントン州〜ブリティッシュコロンビア州)の多島海一帯。
ちょうど江戸時代の漂流民の漂着先と一致する。
上のほうのレスでポトラッチコピペがあったが、
もしもある日、未知の珍しい品が積まれた船が沖から流れついたら・・・
次回ポトラッチでふるまう金品にも困窮していた部族が一転スターダムにのし上がり、
万年貧乏部族に磁器や刀剣や絹をもたらした功績から
日本人が「文化英雄」の扱いを受けて厚遇され、さらには貴族に列せられ、はては王朝を興し・・・なんて
想像もできないことはないw
でも一行の中に技術を持った職人がいないと一発花火で終わる悪寒。 >>794
>西海岸インディアンに捕らえられて奴隷にされ
ヌートカ族「すいません」
北隣のクワキウトルと並んで裕福な部族だったのが逆に災いしw >>794
鉄器の武器防具持ってるんだから逆にインディアンを襲って所従、家人化しておわりじゃない
コロンブスの記録見るとそもそも北米インディアンはそこまで好戦的じゃないよね >>797
北米先住民と一口に言っても千差万別。
コロンブス第一回航海で遭遇したバハマのタイノ人は友好的で温和だったが、
西海岸のバンクーバー島あたりのインディアンはどうっちかというと
わりあい「文明も経済もあった尚武の民」。
気候も亜寒帯に近い温帯で、冬は雪も降る土地。
ポトラッチを引き合いに出すまでもなく北米大陸の中でも富裕なほうで、大型カヌーも
交易用と軍用とを用途に応じて使い分けていたほど。
ミシシッピ川流域をしのぐ人口密度だったあの一帯を
太平洋を漂ってへとへとの落人が攻め獲れるかな? アラスカからカナダの太平洋沿岸には、船着き場を見下ろす高台に
要塞(トリンギット語でヌーウ)が建造されていた。
北米大陸西海岸では最大の土木建造物とされている。
アラスカ南部のシトカ市はヌーウのふもとに建造されて現代に至る都市。
かのロシア人もこのヌーウを交易の拠点に流用していたほど。
ちなみにヌーウからは多数の寛永通宝も出土している。
北海道アイヌのチャシ、カムチャツカのゴロディシチェとの関連性を指摘する説もあるようだがいまだ謎多いまま。 >>800
ちょっと調べてきた:
1802年、ロシアに占拠されていたシトカ城塞(元ヌーウ)を奪還するため
挙兵したトリンギット族の重武装兵の図w
https://warriorpublications.wordpress.com/tag/tlingit/
木製甲冑とはいえフル武装&この時期に銃を駆使でしたか・・・
中段にはインディアンの鍛造によるらしき鉄製の短剣(((ガクブル))) アリューシャン列島のアレウト族にはなんと
人体のツボを骨や石の鍼で刺激するはり治療技術が伝わっていた。
当然、各ツボに名称が付けられており、たとえば
背骨に沿った縦に並ぶツボはアレウト語で「チュグギダールム(竹のふし)」と呼ばれていた。
あれ?アラスカに竹なんか生えていないよな?
そう、アジア(おそらく日本列島かそれ以南?)からアリューシャン列島の海岸に漂着する竹を
頻繁に拾っていたため、竹の存在を知っていたという次第。
大黒屋光太夫一行の難破船もアムチトカ島へ漂着したくらいだ。
けっこう日本列島からいろいろなモノ(ときにヒトも)が流れ着いたことだろうな。 ツボ治療といい、ミイラ作りの風習といい、あと笠をかぶる風習といい・・・
どこかこうアジア文化の気配を感じるんだよね。
たまたまなのかな。
宮岡伯人著「北の言語 〜類型と歴史〜」に
「環北太平洋沿岸文化圏」の諸民族のこういった類似点(言語・宗教・物質文化等)を
沢山例に挙げているので興味深いよ。ご一読を。 カムチャツカかアリューシャンか、あの辺の民族のどれかの言語で、ウニのことを「アウーナ」と言ってたような
TBS系の新世界紀行だったかNHKだったかで昔見たような
まさか日本語のウニと語源上の関連があるとも思えないけど.... アイヌ語でウニのことをノナ(nona)というが、まさかね・・・
ちなみに青森の下北半島や北海道ではウニの種類によって呼び名が異なり、
キタムラサキウニ・・・ノナ
エゾバフンウニ・・・・・ガゼ、ガンゼ
と呼び分ける。
もとは下北半島にいたアイヌが使っていた呼称を和人が拝借したのが由来だそうな。 樺太アイヌの社会では、有力者に限って遺体をミイラ加工する風習があった ミイラは確実に本土の方が古いから和人の風習が伝わったんだよ 日本本土が奈良平安時代のころ、北海道ではアイヌ文化の前段階である擦文時代(こすって文様をつけた土器の時代)だった。
擦文文化の特徴は、墓地がほとんど発見されない事。
これは人口がすくないという意味ではなく、当時は風葬が行われ、遺体が消失してしまったかららしい。
この風葬は本土の古墳時代の「モガリ」が伝わったものらしい。
やがてアイヌ文化の成立以降は遺体は土葬されるようになったが、樺太アイヌ社会では「周圏論」で古い風習が残り
モガリが発展したミイラ葬が成立したようだ。 >>802
漂着物でしか竹を知らないとなると
どんなものだと思ってたんだろか
ちゃんと植物だってわかったのかなぁ
バロメッツ並の奇怪な生物みたいなの創造してたりしないかなww バンクーバー島付近、アメリカカナダ国境地帯は水陸の資源に恵まれた地域。
山には良材があり、海には無尽蔵の水産資源がある。
だから豊富な食料で余暇を楽しみ、トーテムポール他木材加工技術も発展した。
北海道も同様の環境だった。
だが近世の和人に搾取されてしまった。 NW(北米大陸北西海岸)は漁業と林業には恵まれた土地だが、
農業にはとんと向かない立地だよね・・・
リアス式海岸で平地が乏しく、海からすぐ急峻な山がそびえ立つ地形。
暖流(黒潮)が豊富な湿気を運んでくるので雨天と曇天が一年の大半を占める・・・と。
だが先住民も決して農耕に関心がなかったわけではなく、
タバコ(嗜好用)とヒナユリ(食用)は栽培されていた。
けど「農耕文明」を打ち立てるほどの大規模農耕には至らなかったんだよね。
「定住し階層分化もしたのに狩猟採集民のまま」って、縄文時代の日本と似ているわ。 北米大陸を文化領域ごとに色分け:
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4d/Nordamerikanische_Kulturareale_en.png
こうみるとミシシッピ本流域って、複数の文化領域にまたがっているんだな。
こういうほうが多様な文化様式や特産品を交換できて
文明発生にはいい条件なのかも。 それほど多様性はないし距離も遠いので文明発生条件にならなかった。 穀物・・・トウモロコシ、ミナトムギクサ、ブタクサ
豆類・・・インゲンマメ
根菜・・・キクイモ
嗜好品・・・タバコ
果樹・・・ハヤトウリ、ポポー
家禽・・・シチメンチョウ
家畜・・・イヌ(荷役用)
ミシシッピ流域に範囲を限ると、この地域で栽培・飼育されたものってこれで全部ジャマイカ?
そういや繊維作物がないんだな。野生のイラクサとかを紡いでいたのかな。 一日経って気が付いた;
↑カボチャが抜けていたorz ブタクサの種子って食べられるのか
だとすればオナモミ類(いわゆるひっつきむし)の種子も食べてたのかな
キク科つながりでヒマワリの栽培化もこのあたりでは?でも全部穀物というより油糧作物か (((アワワ))))
↑ヒマワリも抜けていたorz
北米東部原産の油料作物なのにィィィィ >>817
メキシコ原産のオオオナモミ、調べてきた。
コロラド高原のズニ族(メキシコ国境に近いニューメキシコ州ね)は
実を炒って食用に、油を絞って食用や医療用に、と多彩な用途に供していたそうな。
ヒマワリの栽培化は(諸説あるが)オハイオ川流域(五大湖南方の平地)説が有力。
紀元前2200年頃栽培化、とあるので、トウモロコシ伝来よりはるかに古いんだな。 しかし北米の東海岸は
中西部と比べると農耕開始がとても遅かったのよ、なぜか分からないけど。
ニューイングランド地域でのトウモロコシ栽培の開始が紀元後650年頃。
採集狩猟や漁労だけで食糧獲得が事足りる環境だったからかな。
オハイオ川流域のような巨大建造物も築かれなかったようだし。 北米大陸にトウモロコシ以外の穀物はないのか、と調べてみたら・・・あった。
イネ科スズメノチャヒキ属の雑穀、サウウィ(英語名メキシカン・パニックグラス)。
コロラド高原からメキシコ北部にかけて栽培されていた雑穀で、乾燥に強かった品種。
トウモロコシと同じように、製粉してトルティーヤ状に練って焼いて食べた様子。
厳しい乾燥でトウモロコシが育ちにくい土地にだけ残存した雑穀なのかも。 河出書房新社「千年前の人類を襲った大温暖化 文明を崩壊させた気候大変動」
ブライアン・フェイガン著より:
第5章「イヌイットとカドルナート」
「・・・セイウチの牙は銛先に適しており、丈夫な素材だったが、非常に珍重された鉄とは
くらべものにならなかった。
鉄がアジアからベーリング海峡一帯に初めて伝わったのは二〇〇〇年ほど前だった(正確な年代は明らかではない)。」
「シベリアのデジニョフ岬、エクヴェン村。西暦一一〇〇年、暖炉から立ちのぼる煙が家のなかに充満し、
鯨の骨で作った垂木のあたりに漂う。その下では捕鯨船の二人の船長が静かに話をしている。一人は
地元の人間で、もう一人は海峡を越えてきていた。現在の(アラスカ州)ポイントホープの近くにあり、
この当時イピウタックと呼ばれていた夏用の村で、超自然と強力な関連のある場所からやってきたのだ。
晩夏の好天の日を選んで海峡を渡ってきた客人は、数時間前に到着したところだった。
彼はうまい時期を選んでやってきていた。いまでは南寄りの強い風が海峡を吹き荒れているからだ・・・」
狩猟採集社会でありながら大規模な定住集落、明確な階層分化と生業の分業制、
副葬品を伴う墳墓や祭祀用の公共建造物の存在、トナカイ遊牧民や海洋漁労民との遠距離交易・・・
高度な文明圏や統一王朝の興隆・・・は苦しくても、
新旧大陸を股に掛ける独自文化圏の発生はありえない話ではないかも。
旧大陸で類例を挙げるなら、中央アジアのオアシス都市国家群?
イロコイ連邦 - Wikipedia
ヌーベルフランス - Wikipedia
ここまでは、インディアンも頑張っていた
というか、フランスが頑張れなかっただけかもだが
人口の膨張速度というか国力の成長速度の英米との差か
フランス領ルイジアナ - Wikipedia と
ルイジアナ買収 - Wikipedia と
ヌエバ・エスパーニャ - Wikipedia
の地図で食い違ってるところがあるのは、どう考えたらいいのか
テカムセの戦争 - Wikipedia は1811年だから、このあとか
メキシコや南米はまた別に考えないといけないが
戦国時代から江戸時代初期の人口倍増期を経て
日本の人口が増加を止めるのが1721年頃
このころに全国一斉に産児制限を行ったと思われる
(中絶、子殺し、捨て子など)
この時期に、そうではなくて日本人が鎖国をやめて
世界各地に移民していれば世界史は変わっていただろう
特に新大陸に移民して、
インディアンにイギリス人に対抗できるだけの
火縄銃を質量ともにあたえることが出来ていれば
1701年 ビーバー戦争の終わり。
1722年 ラル神父戦争7月25日 - 1725年12月15日
1754年 フレンチ・インディアン戦争 - 1763年)
1775年 アメリカ独立戦争( - 1783年)。 ひとまずアフリカを目覚めさせて南米に刺激を与え、さらに北米に刺激をあたえる >>824 海禁してても清代の中国人は海を渡ったのにな。最近じゃ日本も厳密な意味での鎖国はしてなかったというし、出ようと思えば出られたのかな。
そうしなかったのは国民性の違い? >>826
日本人は基本的にお上への依存度が高いし、自発的な海洋進出はよっぽどの理由がない限りしないだろう。
或いは幕府が鎖国ではなく、明治政府のように対外進出を行ってたら違ったかも。 近世まではキリスト教による思想汚染回避の為に防備を固める方を選んじゃったからなあ
もし天下統一したのが信長だったら積極的な海外進出してた可能性は高いと思う あるいは毛皮交易かセイウチの牙か捕鯨目的で
北千島→カムチャツカ→ベーリング海、へと開拓地を拡げる道もあったかも。
東進するロシアに押し出されるようにアラスカへ交易先を伸ばし、
ユーコン川で佐渡金山を凌ぐゴールドラッシュ、って展開?
スペインとの国交が回復できてたら
メキシコ〜フィリピン間の往復船に日本人も大量に乗り込んで
日本人居住地がカリフォルニア州から東に増えていって
ミシシッピ川をはさんでイギリス人と決戦だ
フレンチインディアン戦争の勝敗をひっくり返そうw >>832
> ルイジアナ・テキサス辺りは一面の稲田か
そこまで日本人が辿り着くのは大変そうだな
現地人にハナシを聞いて、ちゃんと日本の農生活が通用するところを目指せるかどうか
明治の史実だと途中で日本式に土着化しようとして、見事に大失敗したんだよな >>247
@東アジア文化圏 漢文
Aインド文化圏 サンスクリット
B中東文化圏 フスハー
Cヨーロッパ文化圏 ラテン語
D北アメリカ文化圏 オジブワ?クリー?スー?(ナバホとイヌイットや
それ系の語族はいくらなんでも寒すぎて文明には厳しい場所なので却下)
E南アメリカ文化圏 ナワトル語
F東アフリカ文化圏 ???
G西アフリカ文化圏 ??? >>834
Fスワヒリ語
Gマリンケ語 スス語 アカン語 ヨルバ語 ハウサ語 フラニ語
追加
H南西アフリカ文化圏 コンゴ語 ルバ語 キンブンドゥ語
I南部アフリカ文化圏 ショナ語 ンデベレ語 ズールー語 ソト語 D以下の民族は寒すぎて文明化しないとは限らないのではないかな
アジアでは女真族や東北の蝦夷を思わせる 中国には遼河文明があるが、
アナサジ族の岩の集落には高度な技術があるように思う
ハイダ語 トリンギット語 イロコイ語 チェロキー語 スー語 ナバホ語 アナサジ語 文字は絵から発達した オーストラリアにも先住民の古い時代の壁画はある
しかも砂漠地帯が多い
と言う事は、アラブやエジプト、インド、中国と同じ環境にあると考えても良いのではないだろうか
オーストラリアの先住民が都市文明を発達させたらどんな都市になるか面白そうだ
シュメールだって新石器時代からいきなり巨大建築を建設し出した訳ではない
宗教的オカルト・神秘主義・宇宙人説より実際の文明発展史の方が面白い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています