中世中期まで世界史最強は北方騎馬民族でいいよな? [無断転載禁止]©2ch.net
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南下、西進して中東、中央アジア、欧州、支那、満州、チベット、朝鮮半島地域に進入、カツアゲ、たこ殴りにしまくって
暇があれば国、王朝、帝国作って困ったらアジア北方まで店じまいすればいいやという身軽さ
で上であげた地域のやつは北方行って戦争するほどの価値がないしそれ以前にできないし
次から次へと雪崩打ってまた進入してくるし
中世中期までは文明度が低い民族のほうが強かったというか
平気で混血、宗教、文明、言語を受け入れるから今のグローバリズムが子供のままごとに見える
ハチャメチャなウルトラグローバリストだったな 近世以前はユーラシアの遊牧スキタイ、テュルク系、モンゴル系の騎馬民族が最強かもしれんが
近世以後はロシアと銃と海(欧州)の時代がやってきてオワコン化する
ロシアは元々騎馬民族に侵略、支配される側だったがシベリア進出して中央アジア、モンゴルと接触、侵略するうちに騎馬民族に感化されたのか?
スラヴ人も大元はスキタイと関係あるからなのか?わからんけど
ユーラシアの騎馬民族精神に乗っ取り西進、南進して行くんだよなw
近世以前は騎馬民族の陸の時代
それ以後は英露の海と陸の2強時代
そして今は米が若干優勢な海の時代 ユーラシア遊牧・騎馬民族系列の主な帝国・大都市を領有していた帝国
アケメネス朝ペルシア帝国
アルサケス朝パルティア帝国
クシャーナ帝国
セルジュク朝トルコ帝国
モンゴル帝国
オスマン朝トルコ帝国
ティムール帝国
ムガール帝国
清朝
レーニン朝ソ連帝国w
帝国主義ってステップ気候の騎馬民族が作ったようなもんだろう
世界初の帝国っぽいと言われるアッシリアもどうせ騎馬民族で
ステップ気候原産だろうな
定住してる部族は拡大しにくいしな >>7
レーニン朝ソ連帝国は冗談だよw
レーニンは父方がテュルク系、モンゴル系だからね
ブレジネフとかもテュルク、モンゴルっぽいよね
プーチンもわずかに入ってる感じはする
コッサクは帝政時代は戦争やシベリア進出、侵略で活躍したり
反乱する分子もいたりバラバラで傭兵集団みたいなもんだ
ソ連時代はその通りだね
プーチン時代になってコッサクは愛国の鑑みたいになってまた重宝されてるね >>6
>ティムール帝国
>ムガール帝国
>清朝
これはモンゴル帝国の一部分じゃないですかね しかし1480以後はことごとくロシアに併呑しつくしされる羽目に 紀元前から近世以前までは騎馬民族を源流とする集団、国、帝国が基本最強だった
それをやっと近世、近代になって克服できたのがロシアとイギリス
ロシアは北ユーラシアを陸から抑えていきイギリスは南ユーラシアの縁を海から抑えた
とはいえ近世、近現代、現代になっても騎馬民族が生んだ帝国の末裔を攻略、支配、制御するのは至難の業
ロシアの政治体制ソ連が崩壊したのもアフガンの泥沼が要因のひとつ
海の覇者大英帝国の継承者アメリカがくずり始めてるのもアフガン、イラク
騎馬民族同様あの地域は都市部を制圧しても都市部外で集団が再形成されて
また闘争を始めるし彼らは何百年、何千年でもやり続けるだろう
普通に考えたら米はユーラシアの縁を抑えることに専念したほうがいい ロシアは自称ではバイキングのルス族のリューリク家を起源としている。 ブルガール・ハザール汗国はアケメネス朝やパルティアよりも純度の高い遊牧国家 アケメネス朝やパルティアは遊牧民国家というより遊牧民を起源に持つオリエント国家だが、
ブルガール・ハザールは遊牧民が草原地帯に形成した国家 ロシア人を構成する主な集団
スラヴ 紀元前最強の騎馬民族スキタイとの関連性があるとか スラヴ人は農耕スキタイらしいが
テュルク、モンゴル 遊牧騎馬民族
ルーシ バイキングだとかいうが真偽は不明
最強・最凶の組み合わせやな!
こりゃあんだけ四方八方に領土拡張したくなるはずだはw 最凶の遊牧牙民・匈奴(フン)
匈奴という漢字を見れば凶暴・凶悪だったことが明らかすぎる
冒頓やアッティラに通じる残虐性を露助は有している 冒頓やアッティラって常に陣頭で指揮していて暴虐ではあるが同時に豪胆な印象なのに比べ
イワン雷帝とか宮廷に引きこもっていて陰気な印象がある。 そりゃ近世までのユーラシアは定住集団vs遊牧騎馬集団とも言える戦いだからな
で恒久的に定住地に騎馬集団が乱入して略奪・殺害・支配・定住するも
また違う騎馬集団が乱入するという物語だから
つまり遊牧民が世界最強だった
日本は一番古い国だが遊牧民が生まれる環境がない定住集団だから
日本列島は国が興るのがユーラシアの壮絶な殺し合いが起こってる地より遅かったんだと思う
だからずーと続いて来れたんだろうが 厳密にいえば遊牧民が強かったのではなく、アッティラや冒頓が強かった。
有力な指導者のいない時代の遊牧民集団は逆に定住民側の国家に劣勢だった。
指導者の能力で優位でないときは人口や経済力の差が出てくる。 信長のほうが後世なんだから、冒頓アッティラ型といったほうがいいかも
>>20
漢武帝も各将軍を派遣こそすれ全く前線に出て匈奴と戦わなかったな
対匈奴で武力行使がんばったという意味で武帝なんて名前をもらったが >>24
モンゴル帝国時代のモンゴルって人口がたったの200万人くらいって言われてるよ
版図や帝国を広げるには求心力のある指導者が必須でしょう
支配されるれてるときはただ遊牧してるだけの民でそれが彼らの本来の姿
劣勢、支配される側になっても支配する勢力が遊牧民出身が作った国ってのは有りがちな話
あと中東なんかのステップ地帯が支配されることはあるけど
ユーラシアの北ほうにあるステップ地帯の大部分は近代以前は1度も非遊牧民からの強い影響下、支配されたことないが
英露のグレートゲームの経過とともにロシアが19世紀になって版図、影響下に治めて遊牧民の時代が完全に終わった
それでもロシアの下に活躍したのは遊牧民だけどw 平時の遊牧民は大人しいけどひとたびヒャッハー暴徒化すると手がつけられない ゲルマンを西に押し出したのも騎馬民族フンが大きな要因だしな
ゲルマンもフンのヒャッハー文化に感染してしまったのか欧州でヒャッハー祭りを開催した
同じくフンに押し出されたのかヴァンダルは欧州と北アフリカを舞台に元祖ダカールラリー選手権を開催し走破した >>28
ゲルマンは元からヒャッハーだよ
フン到来のずっと以前からキンブリテウトニ連合による西欧蹂躙の旅とかやってる
ただし当初はローマがあんまり強すぎてそうした動きのすべてが頓挫する
さらに逆にローマのほうが侵攻してきてゲルマンがヒャッハーされてしまう側だったり
そんで3世紀以降からゲルマンがヒャッハー再開したのは
その今まで抑えこんでいたローマが内紛や経済崩壊などで自滅して弱まったからってのもある 2世紀までは西や南の地中海側は最強期ローマがガッチリ固めていたため
周縁地域は逃げ場のない部族が密集していて緊張感もたかまってた
また逃げられる場所にいる部族もその方向は東しかなく
初期のゴートもヴァンダルもこの時代はウクライナのほうへ移動してる
でも3世紀からローマが内輪もめでグダって弱まるとそうした事情もかわって
ゲルマンはまた西と南に積極的に手をだすようになる
そして4世紀になるとフンがやってきてゲルマンのケツを蹴り
その流れが爆発的に加速する 歴史に残る最初のヒャッハーはマデュエス率いるスキタイがオリエントに侵入した時。
暴れまくったスキタイだが、メディアのキャクサレスが宴席においてマデュエスを謀殺すると、
スキタイは散り散りになって逃げ帰った。
遊牧民の強弱は指導者の能力に依存している面が大きく、
有能な指導者が居ないとただの烏合の衆になってしまう。 メディアも遊牧民出身が支配層の国だった可能性が高い
遊牧民はただ単に都市部、定住地に侵略するだけじゃなくて
指導層がいかにそこの土着民を手懐けて土着できるかというのが課題だったな >>27
匈奴は平時は非常に人々の平和を重要視していた
ふだんは刀を一尺抜いただけで反平和行為とみなされ、重罪とされ死刑にされた
それほど普段は平和・安寧が尊ばれた >さらに逆にローマのほうが侵攻してきてゲルマンがヒャッハーされてしまう側だったり
アルミニウスに完全に撃退されて防戦一方だったろ >>23
>日本は一番古い国だが遊牧民が生まれる環境がない定住集団だから
>日本列島は国が興るのがユーラシアの壮絶な殺し合いが起こってる地より遅かったんだと思う
常にスキタイやサルマタイといった遊牧民と隣り合って暮らしていたスラブ人は日本よりずっと国家形成が遅かったけどな >>35
防戦一方どころか逆に攻勢だよ
アルミニウスの反乱がおこったそもそもの理由が
ローマによってエルベ川までヒャッハー蹂躙されて占領されたからであり
あとゲルマニア征服を諦めたあとも
ローマは示威目的で定期的にライン河をこえての略奪侵攻を繰りかえし
ドミティアヌス帝時代にはライン河上流をこえて一部併合し
マルコマンニ戦争では前半で苦戦させられたぶん後半は
ドナウ上流の北へと深部侵攻して徹底的なヒャッハー報復をおこなってる ローマの盛期である紀元前1世紀末から2世紀については、
戦例を総合的にみるとゲルマンのほうが圧倒的にヒドイ目にあってる。
ではなぜそういう戦例を実際に見ながらもローマ人自身が、
「ゲルマンに対する防御」とさも劣勢のように述べていたのかというと、
それは紀元前2世紀におこったキンブリ・テウトニ戦争のトラウマか、
あるいは軍を引き締めさせたり民衆を煽るための大義名分。
この時代のパワーバランスの実態に沿ったものではない。
この時代は同じことをパルティアに対してもおこなってる。
さもローマ世界を揺るがすかのように脅威を過大に煽りまくって、
2世紀の3度にわたる一方的な侵略を正当化してる。 ゲルマニアの占領を断念したってだけで
姿勢については『攻撃は最大の防御』理論で
二世紀まで変わらずアグレッシブだからな
ほんとうに防戦一方の受身になるのは三世紀から >常にスキタイやサルマタイといった遊牧民と隣り合って暮らしていたスラブ人は日本よりずっと国家形成が遅かったけどな
スキタイが築いた国家に先スラヴ民族は隣り合っていたのではなく、従属してたと思われる。 馬は元々北アメリカ大陸原産だが氷河期に馬が絶滅してしまった
インディアンの馬は欧州人が連れて来た馬だ
絶滅していなかったら歴史は変わってたかもしれんが
ただロッキー山脈が邪魔だな
大陸での文明の発展には定住地と遊牧民の相乗効果が不可欠
対してウクライナ辺りの馬は蹄で雪を掻き分け草を食べる習慣を覚えたから絶滅しなかった
そして最初は食用だったが牧畜化広がっていきユーラシア文明の原動力になっていった ドン川流域で赤軍コサックにフルボッコされるヘタリア第8軍に
フン族に締め上げられていたローマ軍の面影を見た。 ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 しかし項羽を完全に滅ぼした劉邦も完敗した匈奴騎馬軍団すごいわ まずシナ地域の場合は秦ができるまで遊牧民が作った国ばっかりだからな
かくいう始皇帝も遊牧民 匈奴の時代よりかなり前から、シナ北西方には犬戎や厳允のような強力遊牧部族は居た テュルク最強
戦闘力ならモンゴルに劣るが征服後の統治まで成功する遊牧民はテュルクくらい プレートアーマーの騎士って弱点なさそうだな
オスマン帝国の兵士たちはあんなのとどうやって戦ったんだろう >>6
いまさらだけど、アケメネス朝の中核は騎馬民族出身じゃないぞ
ペルシャ湾側のファールスがホームランドだし、馬は使っていても主にチャリオット
簒奪に近い形で征服したメディア王国のほうの傘下に北方騎馬民族がいたってだけ 元寇でモンゴル騎兵をボコボコにした鎌倉武士こそ最強
モンゴル騎兵の戦術は軽装で相手を挑発して追ってこさせて追撃してくる敵を騎射で射抜くものだったから、和弓を使う武士には射程外から一方的に射抜かれて歯が立たなかった >>60
元寇のモンゴル軍
「十一月二十日、蒙古舟ヨリ下リ、馬ニ打乗リ、旗ヲ揚テソ責懸ル」
当時の史料には普通に蒙古が騎兵だったと書かれているが 元側の「汎海小録」だと鎧と騎兵の運用の見事さ、刀の鋭さに言及する一方、「弓は遠くに及ばず」と酷評
高麗史でも「倭兵、突き至りて中軍を貫き、長剣左右に交わる。」と刀の威力を強調する一方、弓にたいする言及は皆無 移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと
柔然がその後ブルガリア人となり
突厥がその後オスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています