⇒北朝鮮軍が、国連軍を海に追い落とすべく、釜山橋頭保の戦い(1950年8月〜9月)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E5%B1%B1%E6%A9%8B%E9%A0%AD%E5%A0%A1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
 を行っていた真っ最中に、毛沢東がこのような警告を米国に対して発したのは、
 北朝鮮がこの戦いに勝てないことを見通していた上で、国連軍を38度線以北にまで
 進撃させないように予め釘を刺した、と想像されます。
 それに対する、このようなトルーマン、というか米政府上層部の対応は、天然という
 形容がぴったりきそうな残念なものだったわけです。


「<毛沢東は、>仁川上陸作戦についても、<現地中共参謀の上申を受けたところの、
事実上の朝鮮派遣中共軍総司令官の周恩来の報告に基づき(☆)、>その可能性を予測し
金日成に警告を与えていたが、金日成は警告を無視したため、北朝鮮軍は<9月15日の>
仁川への国連軍の上陸作戦を阻止できず、<容易に>38度線突破を許す事になった
ことに幻滅していた。 <毛沢東は、米国への最終的>警告<も>外交ルートを通じて
<行っ>ている。<すなわち、>インドの<駐中>大使カヴァーラム・バニッカーは
10月2日の深夜に周恩来の自宅に呼ばれ、周より「もし<米>軍が38度線を越えたら、
<中共>は参戦せざるを得ない」と伝えられた。バニッカーは10月3日深夜1時30分に
インド本国に報告し、朝には<ちょっと前まで宗主国であった英国の>首相にも伝えられ、
ほどなく<米>国務省にも届いたが、・・・アチソンはバニッカーを信用しておらず
この情報が活かされる事はなかったが、実際は正確な情報であった。」(★)

⇒中共当局、とりわけ、毛沢東の、国際政治軍事情勢把握・対処能力の卓越さに、
 改めて感心させられます。(彼は、内政面でこそ、大きな失敗を繰り返しましたが・・。)
 仮に米国がこの最終警告に従ったら、それを手柄にすべく、北朝鮮には警告を発した
 旨を伝えてあったと思われますが、毛沢東は、米国はこの警告を無視するだろう、
 と読んでいたのではないでしょうか。