民族移動の歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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民族大移動の歴史について語りましょう
欧州のゴート族、ゲルマン族、フン族移動
中国漢族の南方移動(膨張)
インドやペルシャへのアーリア人移動
などがよく知られています まずはミヌシンスクからスタートしろ 話はそれからだ オーストロネシア語族が最強
あとバントゥーの大移動も侮りがたい 民族移動と移住は別だと思うが、どう区別するのだろう
集団に指導者か指導者層がいてまとまって邪魔者を排除しながら移動するのが民族移動で、
平野や海岸・川伝いに人口が増えるのは拡散、膨張
太平洋の島々やマダガスカルみたいに、同系の人たちが繰り返し漂着して民族化もありそう 民族としてのアイデンティティなりが確立されてからの移動が民族移動なのかな タリム盆地へは
@トハラ人
Aアーリア人
Bトルコ人
この順番かな 漢民族は今後どうなんだろう?
人口だけは半端なく多いけど
同心円的な拡大にしか成功していない
飛び地でまとまって勢力圏を作れたのはシンガポールだけだ 北アフリカに侵入したヴァンダル族は8万人
イベリア半島へ侵入した西ゴート族は10万人と言われている
イタリア半島へ侵入した東ゴート族も10万人 北朝鮮が崩壊して、朝鮮人がソウルに移住
空白地になった北朝鮮に、シナ人が移住する イタリアに侵入したランゴバルド人は13万人ないし20万人と言われている ランゴバルトは西ゲルマン系らしいな
消滅したゲルマン人の系統は全部東ゲルマンかと思ってた 西アフリカのフラニ人て他の民族の間を縫うように広範囲に居住してんのな
遊牧民が定住民の国を乗っ取っていくつかのジハード国家を打ち立てたというのはテュルク民族に挙動が似ている気もする カリブ海地域に移住したインド系移民。
イギリス政府の認可制のもと、約55万人の年季契約労働者が1845年から1917年までに
カルカッタとマドラスからカリブ海域へ送り込まれた。
その行き先の内訳は、イギリス領へ約43万人、フランス領へ9万人、オランダ領へ
3万人となっており、そこからさらに他のフランス領やオランダ領へも移住させられた
人々もいた。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
OET0R 約3500年前にインド亜大陸に侵入したアーリア人は何万人ぐらいだったのだろうか? 逆にインド最古の住民と思われるオーストラロイドはもともとどれくらいいたんだろう
ドラビダ語族が外来言語として、話者の中にオーストラロイド的特徴の人が今でも多くみられるからには、
先住民が相当いたと考えるのが自然だけど。白人と接触した当時のアボリジニよりもはるかに多い数の先住民が、数千年前のインドに住んでたのかな
農耕がかなり発展してたんだろうか
あるいはドラビダ語族自体が先住民で、西方から来たという説が誤りなのかな? >>31
インドのドラビダ系の人ってドラビダ的特徴はあっても、オーストラロイド的特徴はないような
そもそもドラビダ系とオーストラリア先住民は同じ人種なのか 明らかに特徴が違う
東アジア系とポリネシア系とメラネシア系も同じモンゴロイドには全く見えない
アメリカ先住民がモンゴロイドは納得出来るが、ポリネシア系とメラネシア系は
どう見てもコーカソイドかニグロイドに見える >明らかに特徴が違う
あ?
顏の彫りが深くて目の上の眉のあたりが出っ張っててオッサンは髭モジャなとこは一緒だろ
あとメラネシア人はオーストラロイドだろ ポリネシアはオーストラロイドと古モンゴロイドとの混血
コーカソイドもネグロイドも無関係 見える見えないとか言ってる奴はバカなの?
アダマン人やチベット人、アイヌ人は同じD系のハプロだけどお前は見た目でこいつらが近縁って分かるのかよ 3500年前の世界人口が推計で3000万人から5000万人の間
インド亜大陸の人口が控えめに見て世界の10%として
300万人から500万人の間ではないだろうか
侵入したアーリア人は10万人もいたんだろうか・・・ 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
HIZ >>35
Yハプロが同じ系統だからといって近縁とは限らないぞ それを言ったら「見た目」なんてもっと当てにならないぞ ドイツ語で Völkerwaderung
英語で Barbarian Invasions ヨーロッパは「今も昔も移民の大陸」
科学が示す民族主義者の思い込みを覆したDNA解析
ナショナル ジオグラフィック日本版2019年8月号
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/073000446/ フィリピンはごく一般的な途上国に見える
スラム街も貧困もギャングも格差も地主制も
途上国のどこにでもあると思う
しかし、何故かメイドと言うとフィリピン出身が
圧倒的に多くて、似たような状況のはずの
他の途上国は少ない
同じに見えて何が違うのか???文化か?宗教? 民族移動のきっかけは他民族の流入、攻撃、飢饉が多いとと思われるが、
疫病もあったのだろうな >>39
アフリカにいた=ネグロイド
っていうのは間違い >>44
ヘルベルト・フォン カラヤンの先祖の移民史は以下なの?
54 :世界@名無史さん:02/11/15 01:25
カラヤン=アルメニア人説は真っ赤なウソ
マケドニア時代はカラヤニスという典型的なギリシャ名だった
で、シレジアに移住してからカラヤンと改名した
末尾のスペルの-nesをとったから発音上アルメニア系っぽく見えるだけ
マケドニアにはカラヤニスっていう地名が残っているらしく・・・・・・・・
アルメニア
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1028806356/54- 12〜14世紀に行われたドイツ人の東方植民
シュタウフェン朝の時代になると、三圃式農法の普及によって農業生産力が
著しく高まり、人口も増え、従来の農地では足りなくなって、全ヨーロッパ的に
開拓・開墾の時代が始まる
そしてドイツ人はエルベ川を越えて東方に活発な植民活動を行い、エルベ川から
その東のオーダー川へ、そしてさらに東のスラヴ人居住地域に進出して、
この北東ヨーロッパを大きくドイツ化してしまった イタリア南部のフランコ・プロバンス語の飛び地はどうやってできたんだろう
アルプス周辺の人間が十字軍の途中で脱落?あるいは戦いを終えてエルサレムから帰る途中で「Jターン」?? >>53
イタリア南部と言えば、ギリシャ系とアルバニア系の集落も残ってるな 現代世界では、「多様性はその国にとって強みになる」ということになってるけど、
実際のところはどうなのかな
欧州のムスリム移民を見ていると、移住先の国にとって強みになっているとは
とても思えないんだが 昔はキリスト教を受け入れたり納得した少数のイスラム教徒が欧州に入っていた
今はイスラム教のまま欧州に大量に流入してくる 英領マラヤは、かつて華人の移民に乗っ取られそうになったことがある >>57 ドイツの「ガストアルバイター」のトルコ人がその始まりか
トルコでのトルコ対クルドの構図もそのまま持ち込んで。
でももう最初にドイツにやってきた移民から3代目くらいか。下手したら4代目? イスラームの教義では、本来、特別な用事でもない限り、ムスリムは異教徒の土地に
足を踏み入れてはならないということになっていた
でも現代のムスリムは欧米や日本のほうが豊かで快適な生活ができるということが
わかったので、どんどん異教徒の土地に移住する うちの市では、かつて豚肉も焼いていただろう焼肉屋の跡を、建物も居抜きでそのままモスクに転用
どうやってお清めしたのかは知らない マルタ語はアラビア語の口語の一変種
ただしロマンス語系の語彙も入っている
かつてムスリムが支配していた時代の名残り 同じイスラーム化した地域でも、言語までアラビア語化してしまった地域と、
そうでない地域があるよな
イベリア半島、ベルベル人の住む地域、ペルシア、南アジア、中央アジア、
東南アジアが元の言語が残った >>54
アントニオ・グラムシはアルバニア系ギリシア人の移民を曾祖父にもつ >>63 ブラックアフリカとバルカン半島も
ベルベル人地域は微妙
そういえばベルベル系はフランスにも大量移民してるけど、移民先でもカビール語を保ってるんだろうか
それともムスリムとしての意識が強くて,ほかの北アフリカ系と融合してアラビア語を使うようになる?
まあ代が下ればフランス語が母語になるんだろうけど フランスのアラビア語話者は400万人もいるらしいけどな 古典期のギリシア人は小アジア、シチリア、イタリア南部、リビア、
フランス南部にまで植民都市を建てた
ヘレニズム期になるとオリエントにまでギリシア人が移住するようになる 海外に住む漢族のルーツは、大体言語の大区分で粤語・ビン(門構えに虫)語・客家語の地域からが伝統的には多かったな
古くから海外に開けてた呉語地域からも明清のころから海外雄飛しててもよさそうなのに。
香港の有名人で上海系の人もいるけど、これはたいてい国共内戦や中華人民共和国成立で香港に親が逃れてきたもの。 >>67
海沿いに居住拡大だと、じつは言わないが海賊が本業だったのかも >>69
そういえば媽祖って多くの海賊に信仰されてきたんだよな アステカの先祖はロッキー山脈辺りから来て、今そのあたりにカナダがルーツのナバホが住んでる。
両者の移動って関係があるのかな?
北方から来たデネ系にアステカの先祖が追い出された?でも狩猟民に農耕民が負けるか?
あるいは同時期の気候変動で玉突き状に南へ押し出された?この場合両者は出会ってないかもしれない
それとも全く別の原因でどちらも南へ下りたのかな 福建省は山がちな地形だから、海へ出ていったんだろうか?
ポルトガルもそうだよな ジャレド・ダイヤモンドは日本は移民を受け入れるべきと主張している
アメリカは移民を受け入れたからノーベル賞受賞者を大勢輩出していると アフリカのインド系移民は、当初「苦力」や「サーミー」などと蔑称されていたとか
インド人の年季労働者は前借金をもらって、5年はその返済のために熱帯地方の
砂糖プランテーション農場などで働いていた フィリピンは中南米と同じくスペインの支配を受けたのに、
言語はスペイン語にならなかった
なぜかはわからん >>77
一時的はスペイン語になっただろ。
タガログ語にはスペイン語からの借用語が多く入ってるし、
姓の主流はスペイン語名称。
アメリカ支配になって英語世代が増えていっただけ。
フィリピンには母語となる言語が172あるとされ、
スペイン語世代が消えるに連れ共通語が英語に取って代わった。 原住民が外来の病気で大量死しなかったからか
大量死が起きてたら、接中辞のある古いタイプのオーストロネシア系言語が、台湾の言語並みにオーストロネシア語族内のレアな骨董品的存在になってたかも 最近のイタリアでは移民が増えたおかげで、ピザを作る職人にはエジプト人が
多いのだとか
農業にはアルバニア人、建築業にはモロッコ人やルーマニア人が携わっている
ベビーシッターやホームヘルパーはポーランド、ウクライナ、ルーマニア、
フィリピン、ラテンアメリカ出身者が多い 戦前にちょっと手を出してたエチオピア(エリトリアも含む)からの移民もそこそこいるみたいだな
さすがに東欧系や地中海系とは風貌が違いすぎて、さらにイタリア人の目につきにくいところでさらに汚れ仕事をさらに低賃金でやらされてるのかな イタリアにはベルリンの壁崩壊後、当時はポーランド出身のヨハネ・パウロ2世が
ローマ教皇だったということもあり、多くのポーランド人がイタリアにやってきた
旧ユーゴスラビアからの移民もいる
路上販売をしているのはサハラ以南アフリカの出身者 スペインにはルーマニア、モロッコ、エクアドルなどから移民が来ている
さらに温暖な気候にひかれて長期滞在するシニア移住者(ドイツ人、イギリス人、
フランス人)も多い イビサ島には不良外人(スペイン人から見て)も多いのかな
世界的パリピのメッカらしい 現在、人口の10%にあたる100万人以上のポルトガル人が国外で暮らしているが、
そのほとんどはフランス在住である
経済危機の影響が大きかったため、高学歴の若者や賃金生活者の多くが国外に移住した
ただし、旧ポルトガル領アンゴラは、原油価格の下落で人気を失っている 現代のポルトガル人って曲がりなりにも先進国の国民なのに、アンゴラの衛生環境で生きていけるのかな
実はポルトガル自体まだ生水が飲めないような国で、案外赤痢などへの免疫があるのかな >>86
ポルトガルに仕事がない場合、アンゴラのような悪条件の土地にでも
あえて働きに行ったらしい 西欧への東欧移民をもっとも多く送り出しているのは、ポーランドとルーマニアである
その他のEU新規加盟国は、人口がほとんど1000万人を超えていない(ハンガリー、
チェコ、スロヴァキア)ので、移民を送り出すポテンシャルは低い ロシア人はドイツやスペインへ移民する人が多い
ウクライナ人はポーランド、チェコ、スペイン、イタリアなどへ行く
あと、ロシア国内には旧ソ連諸国から移住してきた人たちがいる
カフカス諸国、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、ウクライナなど
その他にアフリカ人やアジア人もいる 大航海時代のポルトガルの男は、5人に1人の割合で海の上にいた イタリアにはアルバニア人も大勢住んでいる
まともなアルバニア人だけではなく、アルバニア・マフィアも北・中部イタリアに
進出している 新政権のもとアメリカにはまたヒスパニックの大洪水が押し寄せるのかな
中南米もコロナがひどいけど、アメリカ自体があんなだからもう不法移民が来ても大差ないか 中国の少数民族である蛋民は現代でも男も女も10人中10人の割合で海の上で暮らしている >>93
今までアメリカのヒスパニック系移民はメキシコ系、プエルトリコ系、キューバ系が
多かったけど、これからは中米出身者が増えるんじゃね? 19世紀のイタリア移民というと南北アメリカに向かった人たちが有名だが、
その他にイタリア・アルプス地域に居住する山の民がアルプスを越えて
フランスやスイスで道路、トンネルの建設に従事したり、シチリア出身者が
チュニジアで漁民や農民として労働したりしていた >>94
蛋民は民族ではない
水上生活者を蛋民と呼んでるのだから蛋民が100%水上生活なのは当たり前で
水上生活をやめたらもう蛋民ではない
数は激減中 北アフリカのユダヤ人には、世紀前後から住み続ける人々に加え、レコンキスタ後の
イベリア半島から移り住んだ者たちもあった
この地に侵攻したフランスは、彼らを支配に利用する形で現地社会の分断を図り、
1870年にはユダヤ人にのみフランス市民権を与える政策もとっている
そのため近隣の地域から、新たに入植してくるユダヤ人もいた
市民権が剥奪された時期も例外的にあったものの、彼らは意識の面では
ほぼフランスに「同化」され、アルジェリアの独立とともに多くが「フランス人」
として本国に引き揚げた
その数は11万人ほどにのぼる イベリアはイベロ族からで地中海民族
その後、ケルト人、ローマ、ゴート族が来て、イスラム教徙が来た アルジェリアへの入植者のおよそ半数はフランス人ではなく、イタリア、スペイン、
あるいはマルタ島など、近隣のヨーロッパ諸地域からの到来者だった
1954年にはアルジェリアのヨーロッパ系の人口は98万4000人にも達し、
本国を知らない「フランス人」が確実に再生産されていった
これらの人々は「ピエノワール」(黒い足)と呼ばれるようになった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています