>>173

しかし、その意図せざる結果として何が起こったかと言えば、釈迦の唱えた「ダルマ」の、
マウリヤ帝国内、及び、セイロンへの普及であり、そのことを奇貨とした、釈迦を祖師とする
仏教なる新宗教の勢力大伸長であり、「ダルマ」の普及・保護のための過度な財政支出や
国家財の供出、及び、平和志向によるマウリヤ帝国の財政的・軍事的破綻であり崩壊だった。

尚、アショーカの事績中、最も重要なのは、釈迦の思想の中核であるダルマ
・・人間主義回復方法論、と言い換えてよかろう・・
が、彼によってセイロンに伝えられたおかげで、それが、上座部仏教の一環として、
(インド亜大陸における仏教の事実上の消滅にもかかわらず、)忘失を免れることになり、
やがて、チベットにおいて、それが大乗仏教の中に組み込まれることによって、現代にまで、
念的瞑想として生命を保ち続けることができたことです。

その後、インド亜大陸北西部において、セレウコス朝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%82%B9%E6%9C%9D
から分離したグレコ・バクトリア王国から更に分離した、インド・グリーク朝が成立した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD

そこで、アショーカの下で興隆し始めた初期段階の仏教に起こったことを、
論理的に想像した下掲は説得力がある。↓


「紀元前2世紀に現在のインド西北部を支配したギリシア人のミリンダ<(メナンドロス)>王は、
仏僧のナーガセーナとの問答を通じて仏教に帰依し、出家したと『ミリンダ王の問い』は伝える。・・・
<しかし、>ナーガセーナの教義は、もしもミリンダ王にギリシア哲学の素養があるのなら、
論破できる類のもの<なので、疑問>だ。

もちろん、ミリンダ王ならびに彼の後継者となるギリシア人の王たちが仏教を保護したことは
事実と認めてよい。だが、彼らは、出家しなかったことからもわかるように、仏教に心底帰依した
というよりも、むしろ政治的に利用しただけではないのだろうか。