ヨーロッパの歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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ヨーロッパが統一されていれば今頃もアメリカに負けなかったのにね >>84
まあ、伝統的に境界線とされているのは、ウラル山脈だけどな
昔、「欧州共同の家」が提唱されたときも、「ウラルから大西洋まで」と言ってた エジプトといえばナイル川、中国といえば黄河と長江なのに
なぜか、ヨーロッパ史におけるライン川の重要性が語られることは少ない ラインラント(Rheinland)は、ドイツ西部、ライン川沿岸の一帯を指す地方の名称。ラインラント=プファルツ州のほぼ全域とノルトライン=ヴェストファーレン州西部を中心に、ヘッセン州西部、バーデン=ヴュルテンベルク州北部にまたがる。
沿岸一帯といっても、南部の上流域であるアルザスやバーデン地方は含まず、カールスルーエ付近からオランダ国境付近までを指す。ベネルクス三国やフランスのロレーヌ地方に接し、西欧の経済・産業の一大中心地である。
フランク族発祥地ということもあって方言系統はフランク語系に属し、宗教的には比較的カトリックが強い。観光名所が集まり、ドイツワインの中心的産地としても世界的に知られる[要出典]。 第四紀の更新世には、ネアンデルタール人がこの地域に分布していたが、ネアンデルタール人は、デュッセルドルフ近くのネアンデル谷にから名づけられた。
古代ローマ帝国の時代から都市が建設され、ドイツでは最も古くから文明が栄えた地域でもある。ケルン、マインツなどの歴史ある都市が点在し、中世には神聖ローマ帝国を支える主要地域の一つであった ネアンデルタール人も、フランク王国も、ラインラントが発祥地
神聖ローマ帝国の歴史は、ラインラントを抜きにして語れない ヨーロッパは、非常に統一しにくい地形だ
イギリスは島国だし、イタリアとスペインは半島で、しかも半島の付け根を険しい山脈で区切られている ライン川を隔てて、東西に国民性が大きく異なる2大民族がある 北ドイツやポーランドは、かつては無数の沼沢と森林に覆われた湿地帯であった
おかげで、騎馬軍団に征服されにくかった 中国やインドと異なり、一部の地域に人口が集中しておらず、バラけている
各地の地方色が豊かで、独立心旺盛だ ハンガリーのブダペストの国旗の化け物はトリコだった。
ルーマニアの呪われた森もトリコと関係している。
トリコとはwikiにあるギリシャ神話のメネシスの絵画の気持ちの悪い模様そのものである。
最近その模様がひどくなった。
ということはルーマニアのは男が女に犯した罪の歪みになる。 >>104
世界のいたるところで少なからずそういった呪われたような場所はある。
ヨーロッパは特に多い。 森林には、深い神秘がある
草原や砂漠の国とは、そこが違う 古くはライン川を境界として、西岸はケルト人、東岸はゲルマン人が主に居住していた。
しかしユリウス・カエサルのガリア侵攻によって西岸はローマ帝国領となり、ライン川はローマとゲルマンの境界となった。
彼を継いだローマ皇帝アウグストゥスはライン東岸へと侵攻したものの、9年にトイトブルク森の戦いにおいてローマ軍は敗北し、
帝国の前哨線はライン川へと戻り、以降ローマ領が流域北部においては東岸に広がることはなかった。 しかし、流域南部においては、ライン両岸がローマ帝国領に入った。
ローマ帝国はライン西岸に国境警備のための砦や駐屯地として都市を数多く建設し、これらの都市にはローマ文化が定着した。
ケルン、コブレンツ、マインツなどはこの都市が元となって現在まで存続した都市である。 しかしやがてローマ帝国は衰えを見せ始め、4世紀に入ると東岸のゲルマン人がローマ国境を越え、次々と西岸へと侵入した。
ゲルマン民族の大移動である。
これにより西岸もゲルマン化されていき、やがてライン川周辺地域を中心として、フランク王国が勢力を拡大していく。 フランク王国はカール大帝の時代に最盛期を迎えるも、その孫の代に分裂し、
843年のヴェルダン条約によってライン川西岸は中部フランク王国のロタール1世に、
東岸は東フランク王国のルートヴィヒ2世に与えられ、ライン川は再び国境となった。 東フランク王国はやがて神聖ローマ帝国となるが、同国においては諸侯が大きな力を持ち、ライン沿岸にも多くの諸侯が割拠した。
諸侯だけでなく、マインツやケルン、トリーアなどの大司教、司教といった聖界諸侯もこの地域には多数存在し、
いずれも各地に城郭を建て、関所を設けてライン川を通航する商船から通行税を取り立てて財源とした。 一方西方の西フランク王国はやがてフランス王国となり、徐々に中央集権化を強めて強国となっていく。
この過程でフランスは諸侯の乱立するライン川沿岸へと徐々に東進し、勢力を強めていった。
そうしたなかで、フランスの国境をライン川へと求める、いわゆる自然国境説がフランスで有力となっていき、
以後フランスの多くの為政者がライン川沿岸にフランス国境を伸ばすことを狙うようになっていった。 そもそもライン川の自然国境説って誰が言い出しっぺなんだろう 自然国境説
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
国境を民族・人種や文化的連帯などによらず、天然の地形や自然境域により定めようとする説。
歴史的な理念としては、16世紀以来フランスで唱えられた。
ルイ14世は「余には祖国の領土に限界はない」と豪語したが、もともとガリアの昔から、南はピレネー山脈と地中海、東はアルプス、北はライン川、西は大西洋によりくぎられた地が、「甘(うま)し国フランスの郷土」とみる思想があった。
そのため、ドイツ(神聖ローマ帝国)と隣接するライン川沿岸で、フランスの自然国境説は絶えず摩擦や紛糾を呼び起こした。
ドイツの領国がライン川を越えている矛盾を指摘し、16世紀に得たストラスブール、メス、ベルダンなどの要衝を固めて、国境を北東方へ押し出す策は、ルイ13世の宰相リシュリュー以後、歴代のフランス王や将軍の侵略熱をあおった。
フランス革命軍やナポレオン軍のドイツ進撃に際しても、自然国境説は理性的に正当化され、ライン川左岸の地を全面的に占領すべき作戦の名分に加えられた。
1870年に勃発(ぼっぱつ)したプロイセン・フランス戦争の結果、フランスはライン川に近いアルザス・ロレーヌ2州を失うが、同時にそれは伝来の自然国境概念の挫折(ざせつ)でもあり、破局でもあった。
フランス国民は第一次世界大戦により、これに復仇(ふっきゅう)を遂げるのである。[金澤 誠] ヨーロッパの歴史を古くから大きく揺さぶってきたのは、「ライン川の境界線」だった。
大昔のカエサルやアウグストゥスの時代には、「ここから先はゲルマン人の領域、ここまではローマ帝国」という線引きが、ライン川で行われた。
しかし、その後はローマ帝国が拡張した。 ローマ帝国が崩壊期に入ると、東岸のゲルマン人が、ライン川を越えて西岸へと大移動した。
ヨーロッパの歴史の、古代と中世を分ける分岐点となった大事件だ。
中世の前期には、この地に興ったフランク王国が巨大化する。 その後も、ライン川の西岸をめぐるドイツとフランスの対立が、近代の戦争の原動力となってきた。 いっそのこと、本当にライン川を自然国境にして、「東はドイツ、西はフランス」と決めてしまえば良かったのだ。
そうすれば、ナポレオン戦争、普仏戦争、第一次大戦、第二次大戦は起きなかった・・・かもしれない。 ナポレオン以前にも、太陽王ルイ14世の侵略は、ライン川流域を主目標にして行われた 上にも書いたけど、イギリスは島国で、大陸とは海峡を隔てている。
イタリアとスペインは半島で、大陸とは険しい山脈で仕切られている。
これらの自然国境は明確だ。
いまひとつハッキリしないのは、ドイツとフランスの国境。
「ライン川を国境にする」と決まってればよいのだが、実際には、ライン川は東岸も西岸も中世以来、ドイツの地。
これが、ヨーロッパの国境問題をじつにややこしくした。 しかも、ライン川の流域は、ヨーロッパでも最良の地といってよい。
豊穣にして、交通便利。
近代には、石炭の大産地ともなり、工業の中心になった。
河口のオランダ・ロッテルダムは、ヨーロッパ最大の貿易拠点であり、世界でも最大級の港。 今の欧州から見れば異端裁判、魔女狩りの時代は現在と無関係な
絶対過去に見える しかし、逆に当時の欧州を見て未来に
欧州が今みたいな感じになる事は想像出来ないと思う
今のイスラム圏が宗教教義より女性や個人の人権を尊重する社会に
変わる事が想像しにくいように >>107
ローマに皇帝なんかいたことなんかないのになw
ローマはキリシタンとは違うが、キリストと同じ思想だから同じみえるんだよ。
同じ事を言ってるからな。
インドも同じ、つまり日本も同じってことだよ、イギリス人もどき達w >>104
トリコは鷲だという。
エジプトで大昔役に立った鷲をエジプト人はおざなりにしたせいでナイル川周辺は砂漠化した。
関連ないようでルーマニアの魔物が出るのはエジプトも関係しているらしい。 オスマントルコとローマ軍は正義軍。
反対は悪。
まぁ、はっきりしてるな。 >>123
スペインは行き過ぎた正義でそうなった。
イギリスが少しでも正しい事を思い出していれ魔女狩りなんかする必要はなかった。
イギリスはまたサイバーしてわたち達イギリスは悪魔崇拝してますと主張w >>123
敏感に反応してるのはイギリス。
わざわざ日本の掲示板にまで来て嘘を吹き込む必要がイギリスにはかるわけだからなw
アホだよな。 イギリスとフランスの戦争がイギリス勝利になっているのに、一向に良くならない世の中は、イギリスが正しくない悪魔崇拝だからに他ならない。
正しくない事をすれば、必ず代償を払わなければいけなくなる、それをイギリスは狡猾な手段で他に擦り続けた歴史の積み重ねが災害級までひどくなった原因だよ、バカだから分からないまま滅ぶイギリス。 必ず人外なエネルギー、知恵、技術で過去を辿り昔の掟を遂げる事をするだろうな。 1066年、フランスのノルマンディー公国が、イギリスを征服した。
フランス王国がイギリスを占領したわけではない。
フランス王国の封建諸侯のひとつである、ノルマンディー公国だ。
東アジアに例えれば、北九州の藩が、韓国を征服したようなものだった。 イギリス国王の歴史は、このときに始まると考えられている。
それ以前のアングロサクソン人の王たちや、デーン人の王たちとも、遠い親戚ではあるのだが、直接の祖先はノルマンディー公だ。 英雄・リチャード獅子心王も、本当はリシャール・ド・プランタジュネという名前のフランス人であり、フランス語をしゃべっていた。
イギリス国王としての在位期間の大半を、大陸で過ごした。
過ごしたといっても、ノンビリと玉座にすわっていたわけではなく、闘争に明け暮れる日々だったが。 イギリス王室の歴史は、フランスの北海岸から始まった 百年戦争の後半くらいから、イギリス王室はフランスと決別し、英語をしゃべり始めた 百済の王様も、少年期は倭で育ち、成人したら祖国に赴任して即位していた
おそらく、日常的に倭語を話していたであろう >>137
そのあとも英語が喋れない王様は何人か出たけどな。 ドイツとイタリアも、現代の世界地図を見慣れた目には、もとから分かれていたようにしか思えないのだが、中世の前期までは英仏と同様、切り離して語れない状況だった。
ドイツの皇帝とローマの教皇の関係は、鎌倉の将軍と京都の天皇に似ている。
「ドイツの皇帝がイタリアを侵略していた」というふうに語られることの多い歴史だが、
当時の人々はそう思ってなかっただろう。
そもそも、当時の北イタリアにいたのはランゴバルト族であり、ラテン民族ではなかった。 オランダは、中世の前期までは存在しなかった。
10世紀頃から干拓が始まり、今でいうオランダの地が、海底から浮上し始めた。 フランスでフランク人に敗れた西ゴート人は、スペインでその後も繁栄した。
今でこそ、フランク王国に比べて存在感が非常に低い西ゴート王国だが、当時はどうだったか。
スペインは、ローマ帝国以来の先進国だ。
ドイツやフランスより文明度は高かった。
その後、スペイン南部はサラセン帝国に併合される。
ピレネー山脈を境に、キリスト教圏とイスラム圏に分かれた。 >>138
都の住民の過半数以上が朝鮮半島出身らしいから多分古代朝鮮語を話していたと思う >>143
なるほど
チョコレート は 元々は スペイン に存在していて
後から フランス に伝わったと >>133
イギリス白人至高主義者に頼まれましたw >>136
フランスに習ってスペインやポルトガルも戦うべきだったんだよな。
スペインが何故魔女狩りにまで偏ったのかというと、正しい事を選択してこなかったからだよ。 欧州には、ポルトガル・スペイン・イギリス・フランス・オランダ・ドイツ・イタリア・ギリシャ・トルコ・ロシアと、世界的な大国として一度は覇を唱えた国々が並んでいる。
そんな中で、東欧諸国のショボさが目立つ。
なぜ、ポーランドやハンガリーは大きくならなかったか? ポーランドにも、輝いた時期はあった
かつては、ロシアを侵略するほど強かった >>143
西ゴートってスペインにもフランスにも存在しない。
もっと北欧の人たちだからな。
スペインは白人至高主義じゃない白人w
フランスはユダヤ人の影響を強く受けた白人。
イスラムはフランスに殺されそうになったユダヤ人が中東で出来た宗教。
フランスはイギリスに負けたばっかりにいう事を聞く羽目になった被害国。
周辺の国もフランスも同じように貧しかったのに知らんぷりだったからイギリスが図に乗ったのは知ってるよなw >>141
12世紀13世紀の感覚では、坂東の賊が京に対して不埒を働いている、だけれどな。
摂家将軍、親王将軍も、人質にとられてる感覚。
人質に取られた、摂関家・親王の若いのは、穢れてしまってる感覚で帰京後も飼い殺し。 >>36
ケルト人は凶暴な首狩り族だぞ〜
その証拠がこのたび発見された。
首刈り族。2500年前の南フランスで、斬首した敵の首を晒す風習。発掘された大量の頭蓋骨の破片から確認。〜カラパイア〜
http://karapaia.com/archives/52270626.html >>141
ランゴバルド人とか精々7万人程度でほとんどはラテン人だぞ
日本は外界から隔絶された島国だから支配者と庶民の人種は同じだが外国は異なっているのが普通ってことを覚えておいたほうが良い イタリアやスペインでのゲルマン民族の人口割合1〜2%程度
フランスでも5%程度 >>153
ケルト人は強くて、元からいた原住民を圧倒した
後から来たアングロサクソン人はさらに強くて、そのケルト人を圧倒した
さらに後から来たデーン人やノルマン人はもっと強くて、アングロサクソン人を圧倒した >>152
しかし、だんだん鎌倉幕府の力が強くなり、京都の朝廷も、両統迭立問題の仲裁を幕府に頼るようになった ジブラルタルの大問題:英国はこの地も将来失うか。
ブレグジットでイギリス VS スペイン+EU26カ国(今井佐緒里) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20190211-00114398/
歴史的経緯がよくまとまっている 他の文明圏の歴史とは、面白さが段違いだなあ
とくに近世
明清帝国やオスマン帝国の時代における、中国史や中東史のつまらなさは異常 と力説してみたものの、明清帝国スレに書き込み数で負けているという現実。 欧州古代史が急に面白くなったな
分子人類学のせいで ノルウェー では
漁師の収入が,日本の 9 倍も有るって
本当ですか ? ノルウェーのスバールバル諸島では消費税ゼロだという
うらやましか 信長の叡山焼き討ちみたいな事やった君主はいないの?もし居ないのならその理由は?絶対うっとおしいはずだよね? >>169
フィリップ4世のテンプル騎士団壊滅作戦とか、近いかな? ハンザ同盟についての、見ているだけでも楽しい長文記事。
Hanseatic League?The First European Union?・・・
https://www.bbc.co.uk/news/extra/A2MFANtn3Z/hanseatic_league ポルトガルのアフォンソ・エンリケスて有名じゃないね
小説したら面白そう >>169
宗教戦争は、カトリックに対する壮大な叡山焼き討ちみたいなもの >>169
世界史の教科書でも有名な「カノッサの屈辱」
教科書には、「教皇の破門に屈した皇帝が、ひざまずいて謝罪した」というところで話が終わってるが、あのあと皇帝はたちまち勢力を盛り返し、教皇は自殺に追い込まれた >>171
フィリップ美男王は、テンプル騎士団長を処刑したのもさることながら、アナーニ事件で教皇を襲撃して幽閉した ヘンリー8世の修道院解散
イギリスの宗教改革でヘンリ8世が1536〜39年に断行したローマ教会抑圧策。修道院の土地は国教会信者の貴族やジェントリに払い下げられた。
イギリス宗教改革の一環として、ヘンリ8世は国内の修道院を解散させ、その土地を没収して王の所有とし、貴族やジェントルマン、商人らに払い下げた。
まず修道院の堕落を攻撃して1536年に小規模な修道院の廃止を決め、さらに反発を抑え込んで、大規模な修道院にも圧力を加え、1539年に大修道院解散法を議会で通過させて合法化した。
修道院の土地は王領として没収されたが、順次、新たに創設された貴族やジェントルマン、商人に対する贈与、下賜、貸与、売却という形で払い下げられていった。 しかし、「信長の叡山焼き討ち」に最も近いと思われる西洋史の出来事としては、1527年の皇帝カール5世軍による「ローマ劫略」か(以下抜粋コピペ)
・・・皇帝軍は閉ざされた城門を打ち破り、城壁をよじ登ってローマの街への侵入を図りましたが、その際、城壁を登ろうとしたブルボン元帥が火縄銃を浴びて倒れました。
大将の死を機に、暴徒と化した傭兵たちはローマの街になだれこみ、理性を忘れて好き放題暴れました。
宮殿や貴族の豪邸に侵入して金銀を奪い、さらに一般の家庭や商店などにも押し入って、食物を奪い、女を陵辱し、老人や子供を見境なく殺しました。
美しいカトリックの寺院や教会もドイツの新教徒たちによって物色され、破壊されました。
彼らは奪えるものがなくなると味方同士で戦利品を奪い合うようにさえなり、美しく芸術にあふれた都だったローマは廃墟と化していきました。
この皇帝軍の略奪が世界史上名高い「サッコ・ディ・ローマ」(ローマの略奪)です。 ヨーロッパの地形的な特徴として、アルプス以北が平原だということが挙げられる
フランスは南部を除いて大半が平原地帯、ドイツもアルプス山脈から離れると広大な低地。
イングランドも、島国なのに山らしい山はない大平原。
非常に統一しやすい地形だ。 今のスペイン王室はブルボン王朝?だからフランス系なの? >>154
その割にはクロマニヨンのY-DNAであるIが相当残ってるけどな >>182
スコットランドのあまりにも激しい鋭い山々は影響してるだろ。 山や川が国の教会を形作るのは分かるが、平地だと統一しやすいか?
フランスが統一するのに何年かかったか?
ドイツが今の形にまとまるのに何年かかったか?
ポーランドはしばしば外敵に脅かされていた ヨーロッパって、遠い将来はムスリム移民に乗っ取られるのかな
ムスリム移民の指導者は、
「どんどん子供を産んでヨーロッパを支配しよう」
と発言している >>188
>フランスが統一するのに何年かかったか?
「国土が大平原」というのは、南仏を除いた話。
南仏は峻険な地形だ。
南仏を除けば、フランスは欧州のどの国より統一と中央集権が早かった。
>ドイツが今の形にまとまるのに何年かかったか?
ドイツも、北部は平坦な平原地帯だが、英仏とは違って、森林と沼沢が多い。
こういうところは統一しにくい。
>ポーランドはしばしば外敵に脅かされていた
ポーランドやハンガリーは、フランスからロシアに続く大平原の真っ只中にあり、ユーラシアの騎馬民族からの侵攻を受けやすい地理環境にある。
でも、ポーランドは、ドイツと同じく森林と沼沢が多いので、騎馬民族にとっては面倒くさくて苦手な地。
その点、ハンガリーは侵攻しやすい。 トニー・ジャットは、『ヨーロッパ戦後史』にこう書いている。
「アメリカは最大の軍隊をもつだろうし、中国はより大量に、より安価な商品を
生産するだろう。だがアメリカも中国も、世界全体が見習うべき具体的なモデルを
提示できなかった。その直近の過去の恐ろしさにもかかわらず、今や自らの犯した
過ちの繰り返しをどう避けるかについての謙虚な助言を提供する独特の立場にあるのは、
ヨーロッパ人である」 オーストリアって第1次大戦終結まで大国で首都のウィーンも世界的な大都市だったけど
何故かオリンピック開催出来なかったのが不思議な都市だよね・・・
考えようによってはウィーン市民はソウル(1988年開催)にオリンピック開催を先越された事って
物凄く屈辱的じゃ・・・
李朝末期の荒廃都市がウィーンを超える大都市になるんて誰が予想できるんだろ?
それだけ現代オーストリアが衰退したって事なんだろうけど かつて繁栄したオーストリア・ハンガリー帝国は、多民族国家ながら民族間
対立が避けられていたという、言うならばその国体がイギリスに危険視され、
世界大戦で解体される事と成った。その後は、復讐戦としてのEU成立に邁進し
イギリスを出し抜く事に成功するも、EUの影の首都の地位に甘んじる他なかった。
翻って韓国就中ソウルは、冷戦の最前線のショールームとして育てられたし、
また、日本を非難し抑え続ける為の道具としてイギリスに優遇されてきた。
だが、今まさに上記の構造を作り出してきた要因である、
英米の世界覇権=第二大英帝国が崩壊しようとしている。 とうとうオーストリアはイタリアとの国境を封鎖した
シェンゲン協定もなし崩し的に崩れていくのかもしれない 何となくだけど現在のウィーンの位置を見るとこの都市が
ドイツ人居住地域と異民族地域の接点にあって多民族帝国を統率する首都という印象を受けるんだよね
ウィーンはオーストリア帝国時代は国土の中心に近い場所に首都があったし
他国の首都で例えるなら中国の北京に近い印象 >>196
冬季五輪であればインスブルックでやった事あったよね>オーストリア >>196
ウィーンが立候補して落ちたのは、1964年の東京オリンピックのとき
「アジアで初の、っていうか欧米以外で初のオリンピックを」という、東京の勢いに飲まれた >>200
ハプスブルク帝国の皇帝マクシミリアンは、インスブルックに首都を置いた
それだけ、交通の十字路というべき要所だった 昔の五輪開催地(特にヨーロッパ)だと何故この都市で開催したって都市があるよね
普通この手の開催都市って首都、或いは最大都市優先するイメージあるけど
ベルギーはアントワープだし、スペインはバルセロナだし
それいったらアメリカは何故かセントルイスなんだが このスレが機能してそうなのでここに質問します
なぜ17世紀後半から18世紀のヨーロッパは継承戦争が多いのですか あんなユーラシア大陸の端っこの僻地が現代世界を支配することになるとはねえ >>205
王位継承は一族の有力者、実力主義
↓
王が息子を共同王にして継承権の制度化(長子相続)を図る
↓
王は有力諸侯の一人にすぎない、王女を国内の有力諸侯と結婚させる
↓
近世になると、国内がほぼほぼ固まり、王の下に諸侯がぶら下がるので
王女を外国の皇太子や王子と結婚させる
↓
17−18世紀あたりにヨーロッパの王族が遠い親戚だらけになり始める >>206
中世前期は、完璧に野蛮で遅れた辺境で、中世後期(千年前ぐらいから)に至って、社会が急速に発展しだすが、それでも中東や中国に比べたら、スケールの面でまだまだ劣っていたと言える
やっぱり、ヨーロッパが半端ないことをし始めるのは、ルネサンスからやろうなあ
ルネサンスと言っても文学の方は大したもんじゃなくて、美術が、人類未踏の偉業だったわけだが
勿論ヨーロッパが実際に覇権を握るのはもっと後のことだけど アメリカ大陸を植民地にしていなかったら、ヨーロッパの歴史は
まったく変わっていたかもしれない
やはりヨーロッパは幸運に恵まれた地域 アメリカ大陸の銀はスペインを経由してヨーロッパ各国へ流れていった ヨーロッパ人はアメリカ大陸の銀がなければ、アジアにやってきて香辛料を
はじめとするアジアの物産を手に入れることはできなかっただろう なんせ数十万の鉱夫をあの世に送ったからな
この記録が破られることは無い >>27
人種差別で申し訳ないが、白人や黄人が進んだ
文明持っていても意外性が無い
アフリカの黒人や南米の赤人には意外性、
アジアやヨーロッパに無い面白い特性、
独特な様式と不思議な感覚がある >>209
では、南米は幸運を奪われた地域かなあ
16世紀の話だと思ったら20世紀の話だったりする
テレビカメラが皆殺しにされた先住民の町を
映した事がある 犯人は逃げ切るかも知れない >>213
ヨーロッパ人が南米大陸の巨大さに尻込みし
あるいは熊にでも追われて逃げ帰って欲しかった
人間にお金は必要だが、神秘的な巨大さが
せせこましい金に変えられるのはあまりに残念だ 中近東の掠奪闘争が拡大した結果登場し、
掠奪を全地球規模に拡大する地域 アマゾン森林を開発する業者が先住民の影響を
受けて、逆に欧米の方にその生活様式を伝えて
欲しいわ 逆流しろ世界史 >>208
> ルネサンスと言っても文学の方は大したもんじゃなくて、美術が、人類未踏の偉業だったわけだが
自分が知ってるものを高く評価して、
知らないものを低く評価するのは良くない >>220
北米のインディアンの思想や生活文化は
ヒッピーやニューエイジやアウトドアやボーイスカウト、といろいろ
影響を及ぼしたわな。
南米のインディオについてはその辺どうなんだろうな。
キリスト教と習合した呪術や自然崇拝はインディオ以外にも根付いているようだけど。 ひさしぶりにあそひいきたい沼尻てすべりたいねなつかしいなそれから悠伍にいきたいね ルイスソテロが日本に寄越せと要請して
その後スペイン王位継承戦争やって
本来なら呼び戻されるけど
おそらく骨肉の争いのせいで
ここで穏当に存在抹消されたんだろうなと
今日ふと思った。 でも混血する前提で送り込んで
身内から見て帰国が脅威という認識もオカシイし。
どうしてスペイン内紛のゴタゴタを見て見ぬフリして
未だに誤魔化すのか。子孫をnwoのキーマンにするため? キリスト教における「千年王国」は
1000年ごとを節目と解釈するのが肝心で
大きな綱紀粛正の機会にすべく
00年前後は準備に余念が無いわけだが
その犠牲って事でしょうか?
話題には何事も裏表あるけど
最近は裏の話すら作文って印象あるし。
千年王国と解釈するのが本命で、結構皆気が付いてるの伝わる。 バスク人とバスク語の解明が必要だな
印欧語族と先住民との関係がわかる ヨーロッパ人というのがいないのはインド人というのがいないのと同じ。本当はインドもヨーロッパ同様様々な人種がいるのであってインド人というのはない。 インドは国家を形成してるだからパスポートでインド人と認識できるよ どこの国でもそうだけど国民と民族の境界線があいまいだからね
今は一応民族の定義があめけれど一般のイメージは国民≒民族だから
日本人だってそう プーチンがNATOが冷戦の遺物だって言ってたが
お前らソビエト辞めたんだから攻めてくる口実ないんでもう関係ないだろ
EUにも入る努力しないし同じ欧州って価値観ないのかよ NATOの最大の失敗はロシアを取り込まなかったこと
その構想力のある政治家がいなかった カナダだとカナダ市民権がある人がカナダ人とも言い切れず難しい >>233
そfれは国籍やろ
「〇〇人」て」言うのは民族の話であって国籍の話なら「〇〇国民」 民族というか、単なる分類な
例えば縄文人や現代人は時代による分類で統一的な文化も民族意識も持ってない 第二次世界大戦後から現在におけるヨーロッパ(ソ連、ロシア除く)の歴史において特に重要な人物って誰がいる?
欧州以外でいうならJFケネディやゴルバチョフ、
20世紀前半でいうならヴィルヘルム二世やチャーチルに比肩する存在で。
欧州の歴史における大物はヒトラーで最後なのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています