スペイン・ポルトガルの歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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(左寄りの連中を除く)スペイン人にとってラス・カサスは現在でも裏切り者扱い? 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
19L アンダルシア地方の人ってスペインの他地域の連中から「怠け物」
としてバカにされてるってスペイン関連の本で読んだことがあるけど,
ポルトガル人ってそんなアンダルシア住民からもバカにされてんの
かしら? 未だにわからないのが、16世紀のポルトガル人やスペイン人が中国
や日本とは関係を持ったのに、朝鮮半島には踏み込まなかったこ
と。特に九州からなら朝鮮半島はすぐそこなのに…。
https://twitter.com/mig76fk/status/1036722527509377024
↑
わかる人いる?
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 函館や長崎みたいな
「天然の良港」
が少ないのではないか?
朝鮮半島沿岸は。地形的に。どうだろ? まぁ朝鮮西海岸は遠浅の海で、しかも干満の差が大きいから船を付けるのは難しいだろ。
でも釜山ならいい港にならないかな? 16世紀に朝鮮半島に渡ったスペイン人ならいますが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/グレゴリオ・デ・セスペデス
>>119
×未だに分からない
〇未だに知らない 世界史無知の俺の意見。
火縄銃って、ポルトガル産だっけか?
じゃあ、それがあったから潤っただけで、
それ以外なんにもないんじゃないんだろうか?
ちょっと火縄銃調べてくる ウィキったら、
種子島火縄銃ってもろポルトガルじゃねえか!!! 不思議なのは銃、大砲の発祥地がすぐそばなのに
なぜ日本には何百年も遅れてポルトガル経由で伝来したのか いろいろ調べると、
倭寇経由で日本にすでに伝わってたかもしれないみたいだな。 当時の日本に戦乱が無くて新兵器の需要が無かったというなら理解できるんだが
太平記の戦乱も応仁の乱もあった 当時、大陸系アジアは、
火器の点で島しょ部アジアに勝っていた。
しかし、種子島へのヨーロッパ系新式(当時)火縄銃伝来により、
島しょ部が大陸を圧倒していった。
豊臣秀吉による大陸侵攻など。
とあるな。 >>131
小銃に限ってはね
大砲では逆に日本側が圧倒された
なぜか不思議なことに日本では小銃ばかりもてはやされて大砲はさっぱりだったし
明では大砲ばかりもてはやされてて小銃はさっぱりだった >>132
俺の少ない知識では、
大阪の陣で東軍が西軍へ大阪城に新式の大砲を撃ったんだよな。
それが決定的だったと昔NHKでみた。
大陸では、多分貿易ルートとか商業の関係で、
小銃が入ってこなかったというか、使われなかったというか。
不思議ってことはないと思うんだよね。
必ずその理由があって、
それは文献や歴史を調べればわかると思う。 >>133
徳川軍が大砲何門装備してたと思うんや?
明では大砲3000門装備しててもちろん当時世界一の数やで 文禄・慶長の役のときの明の将軍戚継光が
「我らは大砲を使う、彼らは小銃を使う」と書いてるから
装備の違いは意識されてた なるほど。
日本は破壊力では当時大変劣ってたんですね。 >>111
最終的には
隠れユダヤ人も隠れムスリムも追放したけどね >>128
初期の中国の火器は精度が悪く威力も低かった
日本ではまとまった量の硝石が用意できないため火薬も輸入頼りとなる
西洋で発達した火縄銃の段階で改めて移入されて初めて実用するにあたると判断されたんだろう 室町の頃にも中国製の銃が入ってきてるよな
西洋製に比べて効果低いから一般的じゃなかっただけ 大砲の伝来はいつどこからやねん
鉄砲の伝来に比べて全く語られんけどどういうことやねん 16世紀のヨーロッパを舞台とした外国の映画・ドラマにおいてスペインを
”悪の帝国”として描いてる物を何度か見かけたなぁ 鎖国以来長らく日本との交流が途絶えていたスペイン・ポルトガルだけど,
開国初期(幕末〜明治初期)の日本を訪れたスペイン人やポルトガル人の記録
ってあるんやろか。
外交官として日本に赴任しその後定住したモラエスが日本に来たのはそれより
ずっと後の明治後半になってからだっけ 外交官も仕事不足で専門の職掌もないと来てる。やはり一般省庁が勝つね。
外務男性年上セクハラ覗きにご用心。 現在のスペイン人にとっては16世紀こそ自分達にとっての誇れる時代であり、
異端審問やピサロの残虐行為といった負の部分に触れるのはタブーなん?
(左派連中は知らんけど) スペインの歴史ドラマも16世紀の華やかな宮廷ドラマが中心だったりすんのかね?
(悪役はプロテスタントとかオスマントルコなパターンが多かったりとか) レコンキスタ終了後、イダルゴと呼ばれる下級貴族層が
戦う人として社会的上昇をとげようとするならば、
イタリアに渡るか、インディアスと呼ばれていた
アメリカ大陸に渡るか、そのどちらかしか選択肢は
残されていなかった >>147
下級とはいえ貴族なら、無理しなくてもよさそうなもんだが。 フランシスコ・ピサロは庶子で、読み書きもできなかった >>149
後を継げない次男坊以下だったとか?
よう知らんけど >>145
スペインのドラマ『イサベル〜波乱のスペイン女王』を見たけど、
異端審問もコンキスタドーレスの残虐行為も普通に出てきてたぞ
もちろんラス・カサスも
昔はともかく現在のスペインではタブーなんてことはないと思う 現在は違うとはいってもスペインというとどうしても反動保守のイメージが
付きまとうのよなぁ(何でか知らんけど) スペインでは自由主義の伝統が弱かったけど、
それはイタリア・ドイツ・中東欧・ロシアなどでも同じだよな
別にスペインだけが特に保守反動的だとは思わないが 15世紀末のスペインでは主としてコンベルソの中の隠れユダヤ教徒に対して
火刑を含む思い処罰が科された
しかし、隠れユダヤ教徒問題が落ち着くと、1530年代からは罰金刑による
財政収入という点もあって、人口の大半を占めるキリスト教徒による
冒涜的な言動、まじない、婚姻外性行為、同性愛などが審問対象として
増加していった
そのため、科される刑も罰金などの比較的軽いものが多くなり、
火刑の実行数は急激に減っていった スペインの没落については、いくつかのストーリーを聞いたことがある。
一つは無敵艦隊沈めたイギリスで小馬鹿にされネタにされたスペイン名物の
「スペイン宗教裁判」に戯画化されたように、ようするにスペインという国は
本質的には非合理的で神権政治の国で「国の意思決定層が宗教キチガイのアホ」だった
というのが一つの説明。
もう一つの説明はもうちょっとテクニカルで産業政策にかかわるもので、
スペインを押し上げたのが新大陸からの黄金なら、スペインを破滅させたのも新大陸の
黄金という話。
こっちはつまり、新大陸でインディオをしばきあげて黄金をもってこさせれば、スペインは
大量の富を自在に手に入れることができる立場に、ある時期までいた。
これがスペインの脳みそを完全にとろけさせちゃって、スペイン人は付加価値をつけるとか
ものごとを工夫するとかそういう努力を一切しなくなった(今の産油国の、なにも文明に
寄与しない割にカネだけある連中を「油土人」とけなしてる意識と同じ感情が働いてるかもしれん)。
その間、プロテスタント諸国は創意と工夫があった。
ようするにのちにスペインを撃破していくプロテスタント国の付加価値の源泉は「自分らの頭脳」
だったのに対して、スペインは自分らのケツにしいてた黄金にうつつをぬかして、そういう付加価値的
労働からくる産業を何一つ育てなかった。
だから、黄金が流出したとき、スペインにはろくな実力がなかった。
という話。
俺は大学時代、この二つの話を聞いた。 >>828
Q:植民地が独立しても欧米は貧乏にならなかったのですか?
A:植民地を維持するほうが、コストがかかる事を知ったため、直接支配するのではなく、間接的に旧植民地地域を支配するほうに切り替えたのです。
そもそもオランダだけでなくイギリス・フランスの植民地が続々と独立していったのは支配していた国が
世界恐慌と第二次世界大戦により疲弊して、植民地なんかに構っている余裕がなくなったためです。
第二次世界大戦後はGATTの成立で自由貿易のルールが出来て貿易を独占するのが難しくなり、
植民地を維持するほうがはるかにコストがかかる事を知ったため、
植民地を積極的に独立国にさせて、直接植民地を支配するのではなく、
欧米企業が既得権益者となって間接的に旧植民地地域を支配するほうに切り替えたのです。
植民地は独立しても経済基盤がないので、輸入に頼るしかありません。
その時に、必要なものを正確に把握し、輸出入のネットワークを持っているのは旧宗主国ですから、独立後も経済依存するわけです。
植民地側でも旧宗主国の技術や資本無しではミャンマーやソマリアにジンバフェみたいに経済が回らなくなることは知っていましたから、
なんだかんだと旧宗主国と繋がりを保っていました。また宗主国の利権を得るために経済的、政治的、軍事的圧力をかけることも依然可能でした。
つまり植民地を早期に独立させ、欧米企業が既得権益者として旧植民地地域の利権を握るほうが、独立させないよりはるかに利益になるのです
現在でも英国とフランスが世界経済にそれなりの影響力を持っているのはそのためです。
旧植民地にある既得権益は莫大です。
このようにして、欧米先進国は独立後も合法的に利権を得る体制を作っています。
だが、それができずにいつまでも植民地の直接支配にいつまでもこだわり続けたスペインとポルトガルといえば
植民地地域で発生した独立戦争で国力を急激に消耗させて、最終的に主権を放棄することを強いられました。
結果として大航海時代の頃、植民地貿易で栄えたポルトガルは、いつの間にか西欧最貧国になってしまいました。 イスラムの呪い
対イスラムのためにイダルゴが多かったので
中央集権化が進まなかった。
ハンガリーなども対イスラムの為免税特権を持つ屯田的貴族・騎士が
中央集権化を抑制した。 外国人が思い浮かべるステレオタイプの「スペイン」とは、
フラメンコ、闘牛、ジプシー(ロマ)に代表される、
情熱的で激しくて、どこか翳を背負った世界であろう
しかし、アンダルシア以外の出身者の多くは
フラメンコを自分たちのものとは思っていないし、
そもそも、この芸術を生み出したロマは、
長らく異分子的な位置におかれていた外来の放浪民族である
各地の祭りにおける目玉興行として長く親しまれてきた闘牛も、
カナリア諸島とカタルーニャではもう消滅してしまった スペインが過去に行ったユダヤ人・ムスリムの追放だが、
現在のように多様性が高く評価される時代が過ぎたら、
「やはりあのときユダヤ人やムスリムのようなマイノリティを追放していてよかった」
と評価が変わるのかもしれん スペインのガリシア地方民の1〜2%はスエヴィ族の子孫らしい ガリシア地方は1年を通じて雨が降り、年間降水量も豊富。 イスラム支配下はみんなアラビア語しゃべってたのか? スペイン人やポルトガル人ってイギリス・オランダ・フランスなんかの西欧人からは
(ラテン系言語をしゃべる)アラブ人キリスト教徒と思われてんのかしら?
>>163
ラテン系言語のモサラベ語だったりも… アルバ女公爵である現アルバ家当主、カエタナ・フィツ=ハイメ・ストゥアルト・イ・
シルバは第18代目のアルバ公爵である
1926年生まれのカエタナは52の爵位、18の大貴族の称号を持ち、その数は
フアン・カルロス1世よりもはるかに多い。世界で最も多くの貴族の称号を持ち、
ギネスブックにも認定されている
アルバ家はスペインで最も長い歴史のある貴族で、その家系は1472年に
カスティーリャ王エンリケ4世によりガルシア・アルバレス・デ・トレドが叙位
されたことより始まる。近くはイギリスのスチュアート朝のジェームズ2世にも
つながっている。その庶子エンリエッタはスペンサー伯爵家と婚姻を結びダイアナ妃に
つながっており、男児誕生でフィーバーを起こしたウィリアム王子にいたる。
エンリエッタの弟ジェームズ・フィッツ・ジェームズはフランスに帰化し、その嫡系
子孫がスペイン貴族アルバ公爵につながっている >>132
城壁の有無としか言いようがないな
大陸の城市は、城壁で囲まれている
それを砲撃するのが大砲の役割 >>119
朝鮮は、明の一部だったからだ
現代の地図を見慣れた目には、朝鮮半島に独自の国家があるのが当たり前に思えるが、当時の認識としてはそうではない
豊臣秀吉も、現代人には朝鮮出兵に見えるが、本人にとっては明国出兵だった 幕末にも、日本には外交を求める外国使節が続々と訪れたが、朝鮮に来たのは海賊だった 馬は、火薬の爆発音が大の苦手
子馬の頃から慣れさせておかないと、パニックに陥って戦闘どころじゃなくなる
騎馬による戦闘が主体の中国・モンゴルで、火薬の軍事利用が早くから進んだのもうなずける
人を狙って射つ小銃のような精巧な機械を造るは、大昔から日本や西欧の独壇場であり、大陸の人間はそんなの得意じゃない ■8000年におよぶイベリア半島の古代人DNA、4500年前にいったい何が?
人類の移動が始まって以来、現在のスペインとポルトガルが位置するイベリア半島は、アフリカ、欧州、地中海沿岸の文化が混じり合う場所だ。
8000年にわたるこのイベリア半島の古代人の遺伝的特徴をまとめた新たな論文が、遺伝学者と考古学者からなる111人の研究チームにより、
2019年3月15日付けで学術誌「サイエンス」に発表された。論文によると、遺伝子は非常に複雑に入り混じっているという。
また、約4500年前に謎の大移動が始まり、それだけで古代イベリア人男性のDNAが完全に一新されたことが示唆された。
いつ、どのように、イベリア半島へさまざまな人々がやってきたのかを探るため、研究チームはDNAに刻まれた痕跡を調べた。
古代イベリア人271人のゲノム配列を決定し、これまでに公表された別の132人のデータと統合した。
結果は、予想以上に複雑だった。 ■男性はすべて置き換わっていた
イベリア半島の古代人の遺伝子構成は、青銅器時代に劇的に変化し始めた。
紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々に関連する遺伝子が、イベリア半島の人々から検出され始める。
その後、古代イベリア人のDNAの多くが、ステップ地帯の人々のDNAで置き換えられた。
インド・ヨーロッパ語族を広めたのはステップの人々だったという仮説がある。
その「ステップ仮説」では、ステップの人々はほぼ同時期に、東はアジアへ、西はヨーロッパへと広がったとされる。
今回の論文は、彼らがイベリアにも到達していたことを示している。
その前後で、イベリアの人々の60パーセントにはステップ由来の遺伝子が加わらなかったが、Y染色体は紀元前2000年までにほぼ置き換わった。
Y染色体を持つのは男性のみであるため、ステップ地帯から男性が大量に流入したことが示唆される。
「影響は男性にとても偏っていたようです」とナショナル ジオグラフィック協会の上級プログラムオフィサーを務める遺伝人類学者ミゲル・ビラー氏は話す。
なお、氏は今回の研究に関わっていない。
やって来た男性は何者だろうか? 争いはなかったのか?
ビラー氏は、ステップの男性は、馬に乗り青銅器を携えてイベリア半島にやって来て、青銅器時代の到来を告げたのではないかと推測している。
同氏はこの移動の影響を、1490年代に欧州人が上陸した際に、南北米大陸の先住民が直面した事態になぞらえた。
「欧州の端から端まで広がる大移動に成功し、いまだにこの西端の地に多大な影響を及ぼしているのです」とビラー氏。
その頃、青銅器が使われ始めたこと以外に、ステップ文化の明らかな痕跡はイベリアでまだ見つかっていない。
一方、今回の研究により、西欧でインド・ヨーロッパ語族ではない唯一の言語を話す現代のバスク人が、ステップの人々と非常に近い遺伝子マーカーを持っていることがはっきりと示された。
イベリア半島では、その後も何世紀にもわたり遺伝子が混ざり合ってきた。だが、現代のバスク人の遺伝子は、そうした現代のスペイン人のものとは異なるという。 ペルー の人口は,入植後
僅か 40 年程で,13 % にまで
減少してるんですね 【科学】古代南欧で謎の「男性大量流入」、一体何が? イベリア半島の古代人DNAを調査、4500年前から男性のY染色体が置き換わる
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553005474/ バスク人もごく最近に中央アジアから来たということか
遺伝子が変わるということは言語も変わるはずだから >>171
>紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々・・・・・・
BC2500年頃に、この地からインド・ヨーロッパ語族が一斉に欧州大陸に
移動し一部がイベリア半島まで侵入定住したということか?
おかしいな、ケルト人はもっと以前から欧州各地に居住していたのじゃないか?
男性だけ移動というのも不可解だ、男性だけの略奪軍なら、故地へ引揚げる筈だ。 サラザール政権って、なんとなくフランコ政権同様に枢軸国寄りの中立と思ってたけど、
親イギリスで連合国寄りだったんだな。 ゲーム「トロピコ」でのサラザールの特徴
財テクの天才
勤勉
けち >>175
>BC2500年頃に、この地からインド・ヨーロッパ語族が一斉に欧州大陸に
移動し一部がイベリア半島まで侵入定住したということか?
→YES
>ケルト人はもっと以前から欧州各地に居住していたのじゃないか?
→NO
>男性だけ移動というのも不可解だ、
男性だけの略奪軍なら、故地へ引揚げる筈だ。
→おそらく男女セットで移動して非配偶者のかたちで現地の女たちに子供を産ませた
現地女にありつけたのは侵入者の一部 >>175
ケルト人はケルト語に言語交替したからおかしくはない
元ケルトは印欧系ではないという事だ >>175
支配階級の女性の遺伝子は消えやすい傾向にある 古代は一夫一婦制で考えない方かいい
権力者の男たちは何人もの愛人がいた
農業開始以降の歴史の鉄則 支配階級の女性が平民に嫁に行くことはほぼあり得ないが
支配階級の男性が平民の嫁や妾を取る事は頻繁にあったはず
支配階級の女性の遺伝子はどんどん減っていき平民女性の遺伝子はどんどん増える 現代スペインにはモロッコ、東欧三カ国(ルーマニア、ブルガリア、ポーランド)、
中南米からの移民が多い フランコ時代のスペインでは、「フランコ」という言葉が私服警察にキャッチされたら
独裁者を誹謗中傷したという廉で直ちに連行された
また、公安当局が使っているデモ隊排除や鎮圧のための放水車が放つ水に、
青い塗料が混入されていて、それが一度衣類や皮膚に付着するとなかなか
落ちないので、デモ参加者は翌日でも事後逮捕されてしまった 欧州諸国の中でもスペインはパラサイトが多い。
20代の67.4%はいまだに親と同居しており、不況の余波でこの数字は
上昇傾向にある。したがって晩婚化も進み、スペイン人女性の初産年齢は
平均31歳である。
さらにスペインはニートの数でも欧州で上位である。18〜24歳の若者の
23.1%はニートに当たる。 2002年のユーロ導入以後、スペイン経済は見事に回復し、
1960年代の高度経済成長以来の、順調な、しかもEU平均を常に上回る
経済成長率を遂げることになった。
しかしスペインにもバブル崩壊の日が到来する。
2007年末から2008年春にかけて、米国のサブプライムローン問題が
引き金となってバブルが崩壊し、スペインは奈落の底に突き落とされた。
スペインの好景気を支えたのは住宅建設ブームだったのであり、
本来は産業構造全体にわたって研究・開発・技術革新を進め、
量よりも質の拡大を図る必要があったのである。 スペイン、セビーリャにあるモスクが、レコンキスタで歴代スペイン王が
過去に行った残虐行為に関して、現在のフェリペ6世にフェイスブックで
謝罪を要求した。ネット上では、その前のイスラム支配に対する反応に
過ぎないと反論される そりゃそうだ。
イスラム教徒がイベリア半島侵略を謝罪しない限り無理だろう。 アルガルヴェ王国ってわざわざ分けておく必要があったのか? 中世ポルトガルの貴族の男女比は、女性100人当たり男性112人だった。
ポルトガルの北アフリカおよびインドへの領土拡張行動に、次男以下を
中心とする土地を持たない上流階級の男性が参加し、陰の大きな
原動力となったといわれている。 >>195
一番数多く流出したのはブラジルだけどな 60年間もスペインに統合されてたのに再分裂したポルトガルってなんなん?
どんだけ当時のスペイン無能やねん ポルトガルがスペインと別の国である必要ってあるの? >>200
日本のどっかの親藩の藩が、
江戸幕府から独立してるような感じ >>182
ヨーロッパだと古代から上流階級の女は愛人を囲うのが一般的だったんだよな
スペインだとブランカ2世、フアナ、マリア・ルイサも御多分に漏れず複数人の愛人を公然と囲っていた
正直ヨーロッパの上流階級の血統なんてどこも怪しい >>195
そして現地の女に子供を数多く生ませた
その子孫が中南米人 理想はスペインとポルトガルではなく、以下のように別れるのがよかった
○北部(ガスコーニュ含む):
国家:ヒメノ朝ナバラ王国
言語:バスク語
文字:ラテン文字
宗教:カトリック
○南部:
国家:ズンヌーン朝トレド王国
言語:ロマンス語
文字:アラビア文字
宗教:イスラム
フアナ・ラ・ベルトラネーハって名前酷くね?
不義の子ですって宣言してるようなもんじゃねえか >>205
タイファをまとめるため、
アンダルスにも幕府と天皇的な存在が必要 ポルトガルには、国土の南北で地域差が存在する。
南部には、イベリア半島中央部を占める広大な台地「メセタ」の辺縁部が広がる。
一方、中北部ではスペイン国境をなす北部のジェレース山地、ペネーダ山地、
中部のエストレラ山脈など1000メートルを超す山々が連なり、相対的に起伏が
激しいのが特色である。 ブラジルへの近代移民は北部出身者が多い
サッカーのジーコはその二世 1960年代初頭から1973年のオイルショックまでの時期には、ポルトガルから
西欧諸国への移民が激増した。
とくにフランスへの移住者は1960年からの14年間でおよそ100万人に達し、
現在でもブラジルに次ぐ規模のポルトガル人社会が形成されている。
また、アフリカ大陸、とくにアンゴラへの移住者が増加したのも
この時期の特色である。 王家がそのままブラジルを本拠地にしたらまだ王国だったのか 16世紀ポルトガルの人口って200万から100万まで減少してるんだな
大航海時代って一部の階層限定の話かと思ってたけど
ゲルマン民族移動をしのぐほどの人口移動だったようだ ポルトガル人の海外移住の歴史は15世紀までさかのぼる。
大西洋上のマデイラ、アソーレス諸島への入植に始まり、
16世紀にはインド航路の発見にともない移住地がインド洋沿岸地域へ拡大、
さらに16世紀後半にはブラジルへと展開した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています