スペイン・ポルトガル連合軍 vs 豊臣日本軍 [無断転載禁止]©2ch.net
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死の統制じゃないけど、基金で人が死ぬことが、国にとって悪い事には思いません。 スペイン・ポルトガル連合軍なんて島津軍だけで返り討ちに出来るだろうw 当時はオスマントルコに押され気味だったけど、スペインやポルトガルよりも
ガチでバトルすれば、モスクワ公国の方が強かったんじゃないか? 南北アメリカのコンキスタドールは、古代エジプトやメソポタミアを、
神の啓示のハッタリで乗っ取ったみたいなだけ。
無敵艦隊が、狭い袋小路の瀬戸内海に入ってきたら、毛利の水軍にやられるだろうな。
朝鮮の亀甲船でも無理。
ペスト菌に感染したネズミでもスペイン船に投げ込もうものなら、もう阿鼻叫喚だろう。
そもそも、モンゴル帝国の西方進出で、アジアのペストがヨーロッパに広がった。
アジア人はペストに対する抗体をそれなりに持っていたけど、西洋人にはなかったから、
耐病原菌の問題でピンチになるのは、インカ帝国とは逆にスペインの方。
万一、スペイン船が本国までペストを持ち帰ってしまったら、
ゴイセン(ユダヤ人)が井戸に毒を入れたからとか根拠のないデマが広がったりして、
国中パニックになるかもしれない。
オランダも、化外の地でやる気のない明軍と戦って、何とか講和に持ち込み、
台湾を領有してみたけど、山の中は原住民の首刈りが怖くて、平地の要塞に引きこもり。
挙句の果てに、当時東アジア・東南アジア一帯を荒らしまわっていた、日本人倭寇と
漢族の海賊のハーフみたいな鄭成功一族に、追い出されてしまう。
秀吉は、スペインの拠点であるマニラに侵攻を仄めかしてスペインを牽制したこと
もあったとか。
インカやアステカのような古代国家ならばともかく、インドのムガル朝や、
中国の明・清朝、日本の秀吉政権などを、プレ絶対王政〜絶対王政期の西欧諸国が
植民地化することは不可能。仮に、中国・朝鮮のように、キリスト教は一部受容していたとしてもね。
これらを植民地化できる可能性が生まれるのは、産業革命の圧倒的な工業力の登場を
待たなくてはならない。
ただ、マニラを拠点にしていたのが、当時絶頂〜斜陽に向かい始めるスペインだったのは、
とりわけこれから鎖国・海禁政策にシフトしていくことになる、東アジア諸国にとっては、
幸運だった。
これがもし、斜陽のスペインではなく、日の出前の大英帝国の拠点であったなら、
300年後の、19世紀の英国艦隊の東アジアへの圧力は、比べ物にならないほど強力だっただろう。 >>4
何気に、アルマダ海戦では、イングランドに神風が吹いたんだな。
大船団のスペイン艦隊に対する、英国海軍の善戦もあったけど、
スペイン船が暴風雨で悉く沈没した。
スペインは別に陸上部隊を派遣し、無敵艦隊と呼応してイギリスに上陸させる作戦だったけど、
海軍と陸軍の連絡がうまくいかず、結局合流できなかった。
大型で小回りの利かない無敵艦隊に対し、機動力のある小型のイギリス艦船が
攻撃を仕掛け、戦闘そのものはイギリスやや優勢に推移するも、膠着状態に。
しかし、英船は弾薬の在庫がギリギリでほぼ尽きかけていたが、
危険を冒して総攻撃をかけ、余裕のあったスペイン軍は、一度撤退することに。
ところが、とりあえず体勢を立て直そうと、ひとまず撤退しようとしていた
スペイン艦船は暴風雨に遭遇、半数以上の艦船が沈没してしまい、
死者の数は2万人ともいわれる。
スペイン船は、上陸後の陸上戦に備えて、沢山の資材も積んでいて、
かなり重量オーバーだったから、これだけの被害が出てしまったらしいけど。
ちなみに、これによって、英国プロテスタントは、カトリックに代わって、
権威的な正当性を得た。
「神がプロテスタント信仰を加護している。」
「神は風を起こし、そして彼らは追い散らされた。」
エリザベス伝説は彼女の死後も長く生き残り、そして成長した。
アルマダ海戦の兵力
スペイン軍 兵員3万人 死者2万人
イギリス軍 兵員1万5千人 >>26
しかし、300年以上前の日本の元寇時と比べると、
それでも動員のスケールはずっと小さい。
文永の役(1274年)
蒙古帝国軍 4万6千人
鎌倉幕府軍 1万人程度?
弘安の役(1281年)
蒙古帝国軍(東路軍) 4万2千人 蒙古帝国軍(江南軍) 10万人
鎌倉幕府軍4万人程度? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています