古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】33©2ch.net
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中世スタンダードだと戦争で活躍した人には土地をあげるのが定着した
それだと土地がいくらあっても足りないから、国によっては茶器とか武具の名品、官位・称号などのハク、
それと金銭を与えてお茶を濁そうとした
ローマの軍人って戦争で活躍したら何を貰っていたの? 昔、テレビで見たんだけどローマの退役軍人はニームていう町をアウグストゥス帝から与えられたと言う話をテレビでやってた >>7
それは軍役を一定期間勤めたことへのご褒美であって
軍功に対するものとはちょっと違う 帝政初期の軍団兵については現金による一時的なボーナスや昇格&昇給
中でも飛びぬけた者については
騎士階級入りに必要な資産を皇帝からポンともらえて貴族の仲間入りして
地方の名誉ある公職などを与えられて政界入り
そして息子や孫世代が中央政界入り フラウィウス家、ウルピウス家、アエリウス家あたりがその成り上がりの最たる成功例か むしろ古代で後々の中世のような現物支給ではなく硬貨による賃金を兵隊に支払って賄っていた事の方が驚きだと思うんだけどね。 >>12
今更じゃないか?
古代ローマは産業革命と農業革命がなかっただけで、それ以外は19世紀の水準にあったと言われてるくらいだし 職業軍人による常備軍制となると
現金支払いメインにしないと上手くいかない 兵卒のお手柄が上の目に留まれば
Beneficiariusや各種Optio級などに任命されて
(副百人隊長Optio Centuriaeの他にもたくさんある)
基本給がどんどん倍増していく
能力あるいはコネがあってさらに上手くやれば
給料が兵卒の十倍単位の百人隊長級にまでのしあがり
ごくごく一部だけどもっと上手くやれば騎士階級になることも夢じゃない
そして騎士階級にて手柄をあげれば
より高位の各種Praefectus級(長官級)に任命されたり
さらにごくごく一部だけど元老院議席を貰えることもある 騎士階級と首席百人隊長ってどっちの方が格上だったの? 身分は騎士階級のほうが圧倒的に格上
軍内序列も基本的には騎士階級からなるPraefectus級のほうが上だけど
実質的な指揮権限については状況によっては筆頭百人隊長のほうが上になることもある 封土を与える形式だと家臣に土地を与えるために際限なく戦線を拡大しなきゃならない定めにあって、
君主はもちろん土地を得るために戦いを繰り広げなきゃならないし
部下は部下でもっと土地が欲しいから戦いを望んで、和平路線の君主を消すムード、文化を作ろうとする
戦時でも平時でも同様に昇進があって、でも昇進するために優れた戦士・統率者にならなきゃいけないから努力する
これは軍事組織として理想のものに近い…のだろうか?
英雄になるために皇帝も軍人も戦争を求めるのは止められなかったけど いや全然
封臣は封土を手放さない限り安堵してくれている国王に軍役義務を負うんだから
べつに戦い続ける必要ないし
封臣側も領土経営が忙しいからなるべく戦いに行きたくない
だから代わりに戦争に行ってくれる傭兵がどこも主流になったわけ 次男三男も戦争にいくより聖職者や貴族のサラリーマンになった方がいいやーって感じ? >>18
土地貰わ無いと軍役負わ無いんじゃなく
土地安堵されてる限り軍役を負担する義務を負うんやで
人口当たりの兵力比で見れば徴兵>封建制>常備傭兵 土地貰っても遠い異国の地に行かされたら島流しと変わらんしな
実際ギヨーム王がイングランド征服した際も土地入らないんで故郷に居させてくださいって
辞退した連中がいたわけだし 中世地中海世界でローマ帝国が帝政前期の勢いのまま存続できていたら
イスラム勢力やモンゴルの東欧遠征軍相手に十字軍も真っ青な活躍をしたんじゃないか 西ローマ帝国が存続したとして、宋と同等の経済発展ができたかに懸かってるだろうな
モンゴルの強さってのは当時の最先進国宋の技術を得た蛮族の強さだから 職業軍人による常備軍もすごいんだけど
すごいのは貨幣経済が浸透してたこと
流石に僻地になると2つに割った貨幣とかが出てきて貨幣流通量の不足と
高額貨幣不要な地域経済が伺えるけど >>14
中世近代あたりの職業軍人に対する俸禄なんて現物支給だろ。 帝政初期の百人隊長って現代日本に当てはめると
平隊長でも年収二千万以上のクラスか
プリムス・ピルスとかオルディネスとか上位だと億に届きそうだな 退役後に事業失敗してその財産を喪失する人がちょくちょくいたのも
なんだか現代世間に似ていて面白い 爆発的な利益が見こめる海運貿易業に手を出したら、
難破で投資の全てを失って転落パターン。 元老議員の中にも首が回らないほどの負債抱えて
同僚や皇帝に支援してもらう人もいたとのことだからなかなか世知辛い 17歳で入隊して40過ぎで退役。軍隊以外の世界を知らず、
商売始めて失敗か。高卒プロ野球選手みたいなもんか。 商売を知ってる奴隷とか重宝されたんだろうな
世間知らずの退役軍人は(その価値を知っていれば)喉から手が出るほど欲しがっただろう 「軍団社会に比べたら民間社会なんてヌルイだろよゆーよゆー」と見くびって失敗した奴おおそう >>35
英国ドラマのROMAで主人公がそれやらかしてたな ヤクザとして優秀でも社畜として有能かどうか分らんしな この時代に会社員はいないだろ
強いて言うなら奴隷がそれだが というか退役軍人がなったのは個人事業主あるいは経営者だろう イギリス人ローマ大好きだな
あのROMAってドラマイギリス制作だつたのか 細かいこと言うけど、ROMEじゃね
ヴォレヌスの苦労人ぷりとプッロの脳筋ぷりが好きだったわw ブリタニア属州が大英帝国になるんだから実際たいしたもんだよ
なお、ダキア属州は… ドラマROMEで毎回デカイ声で叫んでたオッサンがいたけど、史実にもあんな役職があったの? 世界で一番ローマ帝国に熱心なのがイギリスなんでしょう? >>45
俺たちこそローマ人の後裔だって言ってる人達がいるらしいね ゲルマン人がローマの後裔を名乗るよりは違和感ないかな アウグストゥス時代から親衛隊はゲルマン出身が多かったから
違和感ないがな >>42
最初の頃はキチガイでバカやるプッロをヴォレヌスが抑えて面倒見るという間柄だったけど
だんだんプッロがシッカリしてきて逆にヴォレヌスが壊れていって関係が逆転していくのも好き 同盟市戦争終結時点でラテン人とエトルリア系サムニウム系その他の
人口比率ってどんなもんだったんだろうな。 アウグストゥス帝時代にはエトルリア人とローマ人はかなり同化が進んでたらしいが同盟市戦争ではどうだろう 軍人皇帝時代のヘレンニウス・エトルスクス&ホスティリアヌス兄弟
トレボニアヌス・ガッルス&ウォルシアヌス父子
ウァレリアヌス&ガッリエヌス父子らはエトルリア出身 ローマ帝国は人口減ってたんだから
ゲルマン人を入れてやればよかったのにな
ゲルマン部族長を元老院議員にして
民族組織を解体して同化させれば無問題だった
まぁそれが出来んかったのはゲルマン人の宗教が
アリウス派でローマ人との宗教戦争の側面が
あったからだろう ゲルマン系の諸部族を大量に入れてるって。
農奴も軍団もゲルマン系なしじゃ成り立たないくらいの比率になってるよ。
現代日本で言うところの非正規派遣みたいなもんだ。 マルクス・アントニウスぐらいの時代にゲルマン同化作戦しとくべきだったな
クラウディウス帝がこの時代にいたらそうしたかもしれん Quinn, Josephine. "Goose Girl." Review of Theodora: Actress, Empress, Saint, by David Potter. London Review of Books 39 no. 9 (2017): 38-39,
によると、
Procopius, History of the Wars
は、プロコピウスの生前には、とうの皇帝たちが生きていたため公刊されず、
17世紀に発見されプロコピウスの真筆と立証されて刊行されたわけだが、
淫乱な技を尽した売春婦であったテオドラは、ユスティニアヌスと結婚して皇后となると、淫乱さではなく凄惨な拷問を周囲の人物に与えるようになったとのこと。
幼女時には肛門性交で客を取り、長じて舞台で陰部を出して観衆がそこに小麦を撒きアヒルにその小麦をついばませる芸で売っていたと。
「自分は穴が三つあるが、乳房にももう一つ穴があればよかったのになあ」と宣った。
皇后となってからは拷問マニアとなり、気に入らない臣下を動物の糞尿受けに縛りつけたまま何か月も生活させ、発狂させたりして楽しんでいたとのこと。
ホンマかいな… まあ欧州人だし本当だろう
ドイツ人なんて今でも皆そんな感じだし >>57
ゲルマン人って最大部族のゴート族でも30万とかそんなんだぞ
全部族呼び寄せても焼け石に水
>>58
農奴のゲルマン人なんていないが
奴隷階級のローマ人並みに意味不明
ゲルマン人って自由民っていう意味で人種じゃないぞ
ローマ人って結婚したらその時点でお前はローマ人なってサリカ法典に書いてある >>64
サリカ法典なんて西ローマ崩壊後だろ。
ローマ内の大農場で働く農奴はどんな奴らが耕してたと思うんだ。
ローマ人がやってたと思ってるのか?
それにゲルマン人なんて誰も書いてないぞ
ゲルマニアにいた雑多な諸部族はみんなゲルマン系住民だ。
そういう奴らがわらわら出稼ぎでローマ帝国の中に入って来てるよ。
ローマ帝国自体も国境地帯に集団移住させたりしてる
集団移住させた奴らもそこだけに定住するわけじゃなくいろんなとこに散らばってる
定住するだけじゃローマ市民権得られないのはわかるよなる ゲルマン部族は血統に因る
末裔も相変わらず略奪と虐殺と詐欺が大好き >>65
>ローマ内の大農場で働く農奴はどんな奴らが耕してたと思うんだ。
農奴(コロヌス)身分がいつ出来たか知ってる?つうか世界史の授業の時習ったはずだよね
>ローマ人がやってたと思ってるのか?
大半の奴隷はローマ人間での再生産だろうよ
戦争捕虜だけでは到底維持できないしローマでは新生児遺棄は当たり前に行われていてそいつらは大抵奴隷になったから
帝国東部では奴隷のことをThreptos(養子)と呼んでいたんだがこの名称が奴隷の来歴を良く表している
>>66
「カウキー族は高貴な部族であり、自らの偉大さを正義で守ることを好む。貪欲や制しがたい劇場を知らず、如何なる土地をも略奪で荒らしたりしない」(ゲルマニア 35章) ゲルマン人って出稼ぎのために入ってきたのか
中々に前衛的な説だな
個人的には欧州のイスラム移民問題を古代に投影しすぎじゃねと思うが >>67
古代から詐欺と嘘ばかり吐いてたんだなゲルマン部族
流石国家詐欺を繰り返すドイツ族 >>68
ドイツ各地でローマで稼いで持ち帰った金貨が出土してるぞ いかなる土地も略奪で荒らさないは誇張か部族のホラを間に受けたかだろうな そのドイツ人から医学と憲法を学んでたフン族の末裔が極東にいるらしい >>61
>「自分は穴が三つあるが、乳房にももう一つ穴があればよかったのになあ」と宣った。
テオドラは乳癌で死んだ いかなる土地も荒らさないし大人しい部族だったから
インフェリオル属州と目と鼻の先に暮らしていたのにかかわらず放置されていたわけ まあそのカウキ族もキウィリスの反乱に加わってるんですけどね 一部の著述だけを抜き取って都合よく印象操作してる人いるな
ゲルマーニアにおけるカウキーは
「力と勇気があるからこそ正義を重んじ進んで戦をしない」というのと
「敏捷な武具を備え多数の人馬からなる軍がある」と綴られているわけで
「大人しい部族」なんて旨は一切綴られていないんだが
あと>>76が言っているとおり同じタキトゥスの同時代史では
4巻79章と5巻19章にてキウィリス陣営で参戦してることも綴られてる マルコマンニ戦争でも思いっきり何度も襲撃してたろカウキー
どこが「如何なる土地をも略奪で荒らしたりしない」「大人しい部族」だよ そう特筆された部族ですら実際には暴れてんだから
やっぱりゲルマン全体が略奪好きなのは揺らがないな 一部を抜き出して印象操作してるのはお前だろ
マルコマンニ戦争とかタキトゥスが死んでからどんだけ立ってるんだ
ヘルウェティィ族みたいにガリア戦争と以後では評価が真逆になった部族とかいるだろ
それと穏健派であること無抵抗で武備を持たないことは=ではないしイジメまくったらそりゃ反発もするさ >>81
キウィリス戦争はタキトゥスが15歳くらいのときに起こったものだよ タキトゥスにとっておもっくそリアルタイムじゃん
むしろなんで>>67みたいに記したんだろう
戦後に友好的になったことへのリップサービスとか? だ〜か〜らさぁ〜その戦争の当事者が「貪欲や制しがたい激情を知らず、如何なる土地をも略奪で荒らしたりしない」
って書いてあるんだから説得力あるんだろうよ
アルマンニ戦争のときは知らない >>84
だ〜か〜らさぁ〜その当事者が別の作品では
カウキーがキウィリス軍に加わって
アグリッピネンシスの町を襲撃しようとしていることを記してるんだよ >>81
さすがに、ゲルマニアのごく一部分だけを引用して、
同著者の他作品や他記録を無視してる側の方が、
印象操作の度合いはずっと大きいと思う。 まあ、あえて強調されているのだから
他の部族と比べて好戦的ではなかったというのはあるかと あるいはタキトゥスが、何らかのローマ側に負い目を感じるような現実を目の当たりにしたのかもな ゲルマン人は高貴なアーリア人の本流であり
略奪なとしない
略奪したのはウァンダル人で彼奴らはスラブ系
汚れたスラブ系ヴァンダリズムの蛮族と
高貴なアーリア人のゲルマン族を一緒にしてはいけない 「アグリコラ」「ゲルマニア」はローマの先行きが不安なドミティアヌス〜ネルウァ期に書き進められたもので
「同時代史」「年代記」はタキトゥスもニッコリするくらいの絶世であるトラヤヌス期に書かれたもの
この執筆環境もそれぞれの描写スタンスに影響及ぼしてるだろうな そういや訳者の国原さん今年の四月に亡くなったんだよな
一つの時代が終わったようで寂しい キウィリスに加担する以前では、カウキー族はゲルマニクス側について戦ってる。
47年頃には「図太くなって」、逆に反ローマとなって低地ゲルマニア属州に侵入してる。
どちらもタキトゥスが年代記にて書いてる。
(第一巻 ゲルマニア戦役の章、第十一巻 ゲルマニアの状勢の章)
ゲルマニアにおける清廉潔白の正義漢・略奪嫌いを思わせるベタ褒めは、
何かの意図があって誇張したものか、あるいは単に調査不足だったのかもしれない。
(年代記が書かれたのはゲルマニアのずっと後) 文明レベルの低い蛮族が一切の略奪をしないで生活できるのだろうか 今のドイツ人を見ても判る通り
ゲルマン族も日常的に詐欺を働いてたからな
略奪、虐殺は年中行事、それを隠蔽する詐欺も 好戦的≒掠奪を好む だろ
掠奪という旨味がなくて戦争するバカの存在はほぼ無視してよい 女真族は好戦的な部族だったけど同時に略奪は滅多にせず住民は丁重に扱っていた
と竹内藤右衛門らは記している
一方で明人そのものは大人しく臆病な連中であるが明軍は殺戮と略奪が常態化しており
女真族も降明軍の扱いには苦労してた ちなみに竹内らは女真族の盗賊に抑留されていたことを
清国の役人によって解放されたので女真族の肩を持つ気はさらさらなかったことを考えると猶更真実性は高い 好戦的だからといって略奪したとは限らないけれど
問題になってるカウキー族の侵入行為は略奪と=でつなげて良いと思う
年代記の該当部分でも
「とくにガッリア地方の海岸部分を荒した。この地方の住民が、金持ちで戦争嫌いであることを知っていたのである」
と明確に略奪目的であることが示されてるから というかこの話は「タキトゥスの同時代史と年代記を参照しろ」で終わるだけもの。
結論も「ゲルマーニアでのカウキ族の描写は、
後に書かれた年代記と同時代史の具体的な時事描写と異なっている」で終了。
数十レスかけたりわざわざ東アジアの例まで引っ張ってくるような話じゃない。 年代記のカウキー襲撃の部分
好意的に見ればカンニネファテス族の
ガンナクスに扇動されたと考えることもできるけど
積極的に略奪侵入やったことはやはり否定できないから
やはりゲルマニアで述べられてる性格とは食い違ってるな 相手が平和的で金持ちなら襲う
ローマ人の前では誠実なように振る舞い略奪なんてしませんよ、と嘘をつく
さすが野蛮人 官軍が略奪虐殺やり過ぎて住民が蛮族に靡いて終了って
金や元の時もそうだったからな
ま、中国史ではお約束だわな どうしてもシナに話を持っていきたがる輩が居るな
どうせローマに興味無いのに勢いあるから来てるんだろ?
帰っていいよ ゲルマン蛮族が適切に野蛮人扱いされると火病って何故か中国叩きを始める統失いるよね ローマ帝国と中華王朝はシルクロードの繋がりがありそう
三国志の時代、ローマはローマ帝国 パルミラ王国 ガリア帝国に分裂してた ローマがドナウ帝国 パルミラ王国 ガリア帝国に分裂したままで
属州ダキアを放棄せずにドナウ防衛に専念していたのならば
かなり安定しただろうな
ドナウ軍団がガリアやオリエントも防衛しなければならなくなったので
ドナウの防衛が手薄になってしまいゴート族らに突破されてしまった
ガリアの防衛はガリア人にオリエントの防衛はオリエント人に任せるべきだった
パルミラは元パルティア兵を雇ってササン朝を自力で防いでいたけど
パルミラ滅亡直後はパンノニア出身のプロブスらがオリエントを防衛した 中世は誰がどう見ても暗黒
西ローマ帝国滅亡後、文化水準が古代ローマのレベルに戻るのが1000年以上後のルネサンスだし
つか西洋の絵画を見ていつも不思議に思うのは
セムハム系で本来なら褐色黒目だろうイエスが、金髪碧眼の白人として描かれている点 起源主張はゲルマンのお家芸だからな
神殿を漂白したりアウグストゥスは名君だからゲルマン人だと言い張ったりそのキチガイぶりたるや >>106
新羅からガリアで制作された剣の柄が見つかってるんだって
どういう経緯で流れ着いたのやら 歴史に関しちゃ普通に南韓のウリナラファンタジ-より酷いもんなドイチュ人
昔も今も大昔も ベルリンのペルガモン博物館は、展示品としての神殿にもおどろかさせられたが、一番驚いたのはドイツ語の解説だ。
丸二日間かけて全部読んだが、すべてが、オリエントーギリシャ・ローマ、そして現代トルコとイランが、完全に現代ドイツに直結していることを、
ゲルマン魂を発揮した長文長文また長文で、主張していたな。 あの、ドイツ=ローマ史観と、ゲルマン魂としてのヘルマンーアルミニウスの存在は、どう折り合いをつけてるんだろうか。 優秀な奴は全員ゲルマン人なので
必然的にほとんどの古代の戦争はゲルマン人の内戦だったということになる いやゲルマン内戦と言えるのは中世から
古代でゲルマンパワーが台頭しはじめるのは3世紀頃からの晩期からであって
それまではローマに押さえつけられてきた基本的には試練と雌伏の時代 >>112
へぇ〜あんたドイツ語読めるの?
じゃあ頼むけどこれなんて書いてあるのかちょっと訳してみてくれ
https://de.wikipedia.org/wiki/Arminius 翻訳依頼スレかよ
つか電子書類ならばグーグル翻訳で十分じゃん
日本語にすると誤りが大きくなるから
ドイツ語から英語に訳したらええがな >>112,116
あのぉ、ローマからすればゲルマンの野蛮な暴力を防ぎ続けた歴史なんですけどね
ほんと迷惑でした
古代には文明の域に達しない民族が多い中、政治・経済から思想・文化に至るまで文明開化の生活を営んでいたのがローマ市民でした
ガリアやブリテンを始め、帝国の版図に入った地域の人々も市民権を得て文明人の仲間になりました
ずっと後世に至るまで彼らはこのことを誇りにしています
ローマこそが人類の理想・希望です
人間は決して野蛮な存在ではなく、文明を築いて穏やかに生存して行ける存在なのだと
それを略奪と暴力で脅かし続けたのがゲルマンです
衰えに乗じてローマにとどめをさしたのも蛮族どもです
ずっと後になって反省したのかあこがれたのか神聖ローマなどと称するも笑止
ローマを受け継ぐものなどと世迷いごとの展示を為すに至っては何をか云わんやであります そうだ。
古代ローマに関して詳しいことは、ともかく
京都大学学術出版会・刊行の稀代の名著『西洋古典学事典』ならびに、
『西洋古典学事典アプリ』を参照せよ。
よいな。 >>121
フェニキア人「せ、せやな……(震え声)」 >>112
現代トルコとドイツが直結?クッソワロタ
きみドイツ語出来ないどころかドイツに行ったことすらないでしょ?
ドイツ人というか西欧人のトルコ人に対する印象ってほんと最悪だからな >>124
>>112は「ペルガモン博物館の解説にはそうあった」としか読めないが。 じゃあすげぇリベラルな奴がいてそいつがその解説を書いていたんだろうな
保守派ほどイランやトルコ大嫌いだから
どれぐらい悪いイメージもたれてたかというと指輪物語の作者がモルドールはトルコがモデルですと言うぐらい
蛮族を多数従える悪の専制帝国ってのがかつてのヨーロッパ人のトルコのステレオイメージ 全く世俗化しなかったムスリムには激しい闘争を経て世俗化した西欧から見ると嫌悪感あるんだろ
結局トルコは世俗派が負けて中世に逆戻りするしEUに入れるわけない 最も野蛮で最も醜いとローマ人から蔑まれていた平たい顔族がローマ人になりきるスレ >>126
壮麗で一つの国を代表する巨大博物館の展示システムと解説文(一つ一つが長大で全部合わせれば百科事典くらいになるだろう)が
特定個人とその政治イデオロギーにより決定できると思っているならお前はどうかしている
また個人レベルでの感情とパブリックでのそれは西欧ではまったく違うしドイツでは特にそうで
公的にはオリエントーローマードイツという継承ラインを正当化するために全ての論理が動員されている
たかがファンタジーの設定および歴史的感情と政治的正当性とメリットをもつイデオロギー的主張を混同するアホはおらん モムゼンはアルミニウスのことを再評価してたし
サヴィニーはローマ人の秩序(法)とゲルマン人の精神を継受したのがドイツ人だといってたから
多分そんな感じじゃね? >>112は見た上で件の感想を持ったんだろ?
じゃあ>>129も行って見てまた違う感想を書き込めばええやん
見もしないで「〜なはずだ!」ってごちゃごちゃうるせえよ
もう他所でやれ 歴史的に偉大な物を全て起源主張するのがドイツ人
アーリア人種やら人類学やら戦前戦中は酷い妄想ばかりだし
戦後も妄想体質は何も変わって無い ドイツとトルコの親和性の強調は国内の保守派のカウンターバックとしてやってるんじゃないの
日本の歴史教科書も戦前の反動で、やたら古代からの朝鮮との関係を強調したり肩もつ記述になってるし
自国を打ち破った他国の英雄をコラムまで割いて教科書で解説してる国ってなかなかないぞ 特定個人とその政治イデオロギーが学説や公的機関に影響及ぼすなんて文系学問ではしょっちゅあることだがな
講座派と労農派の抗争とかほんと下らない トルコといえば歴史ドラマのオスマン帝国外伝やってるな
ウクライナの村を襲って住民虐殺、女は拉致するタタール人が思いっきりドルジ顔のモンゴロイドだったわ アルプスの氷を削りその上に蜂蜜をかけたものがローマ式かき氷である 古代ローマ帝国でググったら、紀元前8世紀に建国って書いてある。
4世紀末にコンスタンティノープルに遷都して8世紀には旧都の領土での影響力を失った
とはいえ、滅ぼされたのは15世紀半ば。。
つまり、ローマ帝国は2200年も存続したということ? オスマントルコもローマ帝国皇帝名乗ったからオスマン滅亡まではカウントして良いんじゃね? >>141
じゃあどうして、ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされたって言われてるの? あと、ウィキペディアだったか、
ローマ帝国からヨーロッパの領土を奪ったフランク王国、いわゆる西洋人(the Western)たちは、
ローマ帝国(東ローマ帝国)のことを「ギリシャ人の国家」と呼んだ、って書いてあった。
どうして、西洋人たちはローマ帝国を「ギリシャ人の国」と呼んだの? 神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない神聖ローマ帝国を間接的にディスるのはやめてください(切実) >>144
神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)は、まったく関係ありません。
本物のローマ帝国の話です。 日本て島国だからいろんな国に支配される感覚わからないけど
ヨーロッパの人はその辺どうなんだろう
自分のルーツに対しての気持ちとかどうなってんのかな >>140
日本は2650年続いてるし秦帝国は2700年続いた
それと同じ事 >>146
ポーランドなんかその例として象徴的だが、若い世代は相当悩むらしい >>141
オスマン朝はセルジューク朝やホラズムの後継者
ローマの元々の本国がイタリアだったように
イスラム・トルコの本国はホラサンだった セルチュクはホラーサーンじゃ無くモンゴル北西部の出な もともと「アニメーション」という用語は「アニマル」と同じ「アニマ(ラテン語の霊魂)」を語源としている。 >>149
中華民国のもともとの領土が今の中国だったというのと似たようなものだね。 満州族の清帝国 → 中華民国 → 中華人民共和国
ラテン人のローマ帝国 → イリュリア人の東ローマ帝国 → ギリシャ人の東ローマ帝国 漢帝国の最後は三国志で有名で、
本も映画も山ほどあるが
(西)ローマ帝国の最後も劇的なんだけど、あまり小説、映画がない
戯曲のエツィオくらいしかない
塩野に飽き足ら、少し固めの弓削達か南川か、それこそギボンにいくしかない
アドリアノープル戦のヴァレンス帝敗死から
スティリコやアラリック、ホノリウスなんてまんま三国志に当てはめできるし
三国志じゃないけど、スティリコなんて岳飛みたいだし
三国志の時期の異民族は大人しかったが、
ローマ末期はアッティラが出てくる
女だってガッラ=プラチディアとか濃いのがいる
アエティウス(エツィオ)やオドアケルやアンブロシウスだって濃いし
ユリウス=ネポスやビザンチン皇帝のゼノなんて名前からして中2心をくすぐる
三国志並みに人間はいるんだよ トルコのWikiにはトルコ政府の公式見解では自国をヨーロッパの国としているとあるな
トルコ人はアジアに分類されるのは嫌なんだろうな >>154
その国家の移動先を書くなら、
満州族の清帝国 → 中華民国 → 台湾
ラテン人のローマ帝国 → イリュリア人の東ローマ帝国 → ギリシャ人の東ローマ帝国
でしょ。 ローマ帝国は、フランク王国(ゲルマン)という野蛮人に駆逐され、東のイスタンブールに移動した。
支那帝国は、人民共和国(共産党)と言う野蛮人に駆逐され、東(正確には南南東)の台湾に移動した。 共産党(人民共和国)に領土のほぼすべてを奪い取られた支那帝国(中華民国)が、再び復権して、領土を取り戻す可能性は、
かつてのローマ帝国(今の東方教会)が、西のカトリック教会と合体する可能性と同じくらいなんだろうか。
つまりほぼあり得ない??と思ったけど、考えてみたら、
西のカトリック教会は、今でもローマ帝国(今の東方教会)の教えや伝統を守って、
教皇の名前はローマ帝国の名前にするし、ハロウィンも認めていない。
つまり、西のカトリック教会は、東方教会の伝統を受け継ぎ守り続けているわけだから、
話し合えば再統一して、東方教会(ローマ帝国)の復権と言う可能性もゼロではないのでは??
中華人民共和国も、かつては徹底的に否定した支那の伝統や誇りを、今では最大限に尊重している。
話し合えば台湾に駆逐された支那帝国と再統一して、シナ帝国の復権も可能なのでは? >>155
劉禅「朕は孔明殺さなかったからホノリウスよりはマシ」
>>156
元祖アジアの地に住んどいて、無理筋にも程があるわー。 >>159
どっちも無いな。
もともとローマ司教とコンスタンチノープル司教で同格のはずなのに、
ローマ教皇が「神の代理人」を名乗ってる時点でアウト。
支那の方も無理。どっちかがどっちかを滅ぼして皆殺しという形でしか
統一は有り得ないだろ。基督教も支那も、基地外原理主義団体だからな。 >>159
台湾自治区に成る迄20年掛からんでしょ
正教会と西方異端はローマ僭王を廃止為ん限り不可能 >>148
そうかー、やっぱ悩む人いるよなー
現マケドニアの国民なんか自分はマケドニア人だなんて
思ってないよな、多分 >>159
中国のお家芸の内乱、軍閥割拠が始まったらワンチャンスあ?かも どうして、ローマ皇帝とローマ教皇は立場や身分が逆転したんだ?
キリスト教を受け入れてから、ローマ皇帝は権力権威が失われたのは何故なんだろか? 立場が逆転したって勘違いするのは西ローマが滅亡した後にローマ教皇がフランク王にローマ皇帝を僭称させたり
神聖ローマなるドイツ人の連合体の皇帝に戴冠したりしたからで
国としてローマ健在の頃はそんな事はあり得ないよ。
ローマ皇帝が教皇を任命するわけだし >>165
ローマ帝国の皇帝が、教皇より弱くなったことなどありませんよ。
もともと何百年もの間、帝国内に跋扈してたキリスト教徒たちとの戦いに際限がなかったから、
ローマ統一のためにキリスト教を公認したのであって、
帝国がキリスト教を取り入れたわけでもないし、ローマ帝国が教会に支配されり、影響を
受けたこともない。
その逆で、カトリック教会は、ローマ皇帝の庇護を得て、ローマ皇帝の言いなりにローマ
皇帝の政治に利用された。
ローマ帝国が遷都をして、旧首都の管理がおろそかになったため、旧首都にあったカト
リック教会が蛮族のたてた国家、フランク王国に乗っ取られてしまった。 コンスタンチノープルって、別にローマより人口が多かったり巨大だったりしたわけじゃないんだろ? 古代ローマ帝国において、皇帝ってのはキリスト教関係なく存在できる
キリスト教の了解を得なくても次の後継者を決めて戴冠していい
皇帝は軍事力を持っていて、これもキリスト教に関係ない
実際に教会を攻撃しまーすって言ったら社会問題になるけど、元々の権限的に問題ない
神聖ローマ帝国においては、皇帝ってのはタテマエ上教皇様が認めたから存在できる
教皇権が強くて且つ国内の統制が取れていなければカノッサの屈辱のように
地元領主から皇帝と認めないよ〜とか言われる「可能性」がある
しかし神聖ローマ皇帝は結局世俗諸侯で圧倒的な軍事力を持っているから
国内統制さえできていれば教皇勢力なんて何の障害にもならない
いっつも諸侯間をうまく渡り歩いた教会のリーダーだけが皇帝の好き勝手にさせない力を限定的にもってることもある、程度 カノッサの屈辱させられたハインリヒ4世も、最終的には教皇を追い出してるしな ヨーロッパの貴族で古代ローマのパトリキの家系をルーツにしてるのって聞いたことがないんだけど
コンスタンティノープルが首都になったことで当時の貴族階級はみんな皇帝とともに移転しちゃったからなのかな? >>168
コンスタンティヌス1世が惚れ込んで新都市建設を思い立つくらいだから、おそらく美しかったんでしょう。
非ローマ市民の人数が管理しきれないほどにふくれあがり、乱れたローマに比べれば、
どこでも美しく思えたんでしょうけど。
モデルスキーの人口推計では、
遷都前4世紀のローマは100万人。5世紀には80万人。7世紀には10万人とウィキペディアに紹介されています。
5世紀以後、蛮族に襲われて人口が激減したあげく、西ローマ帝国そのものが滅んだので、
そもそも「都市」ではなくなったのでしょう。
コンスタンチノープルは遷都後5世紀に40万人、6世紀に50万人、7世紀に60万人。 神聖ローマ帝国っていう名前が紛らわしいんだよね。
ドイツ帝国で統一したらいいのに。
ローマ帝国を東へ駆逐し、ローマ帝国の西方領土(西ローマ帝国)を奪い取り、
カトリック教会を買収して取り込んだ蛮族の帝国。 ウィキペギアの記事によると
キリスト教の下では相手がたとえ皇帝であろうとも、主教(司教)の命令には信者は従わなくてはならないという規則がある。アンブロジウスはこれをテオドシウスを御するための手段とする。
テオドシウスは破門の処分を受けても約8ヶ月間は抵抗したが、ついに屈し、司教の足元に許しを請うた。
と書いてある
ローマ帝国は この時、歴史が動いたのだと感じる テオドシウス帝は、結局のところアンブロジウスの傀儡?になっていたかも知れない
ローマ皇帝が主教の言いなりになるのは前代未聞の出来事だよ。
ビザンツ帝国よりは些か東フランク王国の方がマシではないか? そう考えると、遷都を考えたのは、もしかしたらカトリック教会を捨てるためだったのかもしれないな。
蛮族にのっとられたという見方は正しくなく、
ローマ帝国に捨てられたカトリック教会が、経済的支援や庇護を、蛮族の王に求めたということか。 392年にキリスト教を公認したあと、395年には旧都に置いてけぼりにされたのがカトリックなら、
ローマ帝国の歴史において、カトリック教会はほぼ関係ないということになるな。
392年に公認して、395年には一緒に新首都に連れて行った東方教会こそがローマ帝国の宗教ということでいいのかな。 ヴァンダル族の略奪に協力してる時点でもうローマ国家の宗教とは言えないでしょ
ローマを蛮族に売り飛ばしたのが今のバチカン >>182
皇帝でもできないことをやってのけた辺り、やっぱり教皇がNo1なんだよなぁ 西ローマ帝国崩壊後の無秩序と課した西欧に権威で秩序をつくりあげたカトリックがすごかったというべきか
生き残るためローマ帝国という看板すら玩具にしたカトリックに対して、東ローマ帝国に庇護されながらぬくんだオーソドックス
教皇至上主義はどうかと思うけど、歴史で経験した積み重ねは否定できないと思う >>184
オーソドックスだってスラブ人相手によく頑張ったじゃないか カトリックの教皇は、今でも本名ではなく、正教会に習ってギリシャの名前に改名して
就任する。正教会に習ってハロウィンも否定している。
ほぼ全て正教会以来の伝統を守り続けているのだから、いずれカトリックの教皇が正教会
に戻る日は来るんじゃない? 冷たいな。そんな言い方だと希望を持ってしまうじゃないか。 後々の東ローマや正教会との関係や十字軍なんかの経緯考えたらローマ帝国自体西方のカトリックとはあまりいい関係とは思えないよな。
そもそもローマ教皇っても元を辿ればローマ領内にいくつかあったコンスタンティノポリスやカルタゴ、アレキサンドリアなんかの各地方に置かれた司教の1人だろ。
ローマとコンスタンティノポリスの司教以外はみんなイスラム教に飲み込まれていったってだけで、その2つだけが残ったってだけで
成り立ちを考えたら教皇=地方の司教ごときが西のローマ皇帝を任命するとか大それてるにもほどがあるよな。
秩序が崩壊して再建中だった中世の西欧だからそれもできたんだろうけど、そんなもんは東ローマの皇帝健在の時は認めてなかったわけだし。 >>191
?
カール戴冠時に東ローマも東ローマ皇帝も健在でしょ? そういくら西欧で新しい秩序権威を作ろうとして、それを試みても東ローマ健在の頃は東の皇帝の承認がなきゃそれは正式なものでないわけで
西欧からの目線と東ローマからの目線だとそれぞれ言い分があるんだろうけどね。 そういえばローマの元老院って崩壊後どうなったの?
元老院さえ残ってれば教皇の好き勝手にはならなかったと思うけど 少なくともビザンツ帝国がローマを再征服した時点では消滅してたっぽい
コンスタンス2世だかがローマを見て「あの元老院はどこへ行ったのだ」とか嘆く逸話があったはず ビザンツ帝国がローマを再征服した時点で消滅したんですけどね
崩壊の原因を作った大元が「あの元老院はどこへ行ったのだ」とかどの口が言ってるんだって話
東ゴート王国時代の元老院はカトリック派に立ってゲルマン側のアリウス派に対抗していたので
両者が対立するとかまずない >>196
東ゴート族はゲルマン人だしテオドリックはアリウス派なんだが 元老院って要は貴族院だし支配民族が変われば消滅が必然 >>197
それがどうしたの?
東ゴート王は王国内のローマ人統治に関しては執政官と元老院に任せて
宗教に関してもカトリックが崇拝され信仰の自由が保たれていたが
東ローマ軍が講話を認めず東ゴートを追い込んだのでトーティラの手によって元老院が滅ぼされることになった
これすべてプロコピオスの「戦史」に載っているようなことだし当然知ってるよね? >>171
ハプスブルクが確かユリウス一門の末裔的なこと言ってたような。 そういやキリスト教が国教になるまでの古代ローマ帝国の遺産(というか文化、技術)は、まだ国教化された時点では残ってたんだよね。
便利だって思ったものを何で残せなかったのだろうか・・・・それもキリスト教の教えの故?? 国教化された後も教会には残ってるよ。
というかラテン語文献をごっそり溜め込んで教会でのみ独占したわけで、もちろん失われていった物もあるけど、それはブリタニアの、例をあげたらローマ軍撤退後200年経たずに
石造りで瓦葺きの建物が失われて木造掘っ建て小屋に変わってしまったように生活レベルが落ちて必要なくなった技術だよね。
中世の街中じゃラテン語どころか文盲ばかりの庶民達だけど教会で牧師になるにはラテン語の読み書きが必要なわけで、読み書き出来れば古代ローマの文献も読み漁る事が出来るわけだよ。 >>195
竹下昇政権の時、よく「あの自民党はどこへ消えたんだ」と自民党タカ派の人たちが
言っていたけど、自民党は存続してたし、ただだらしなくなってしまったことをさし
てそう表現したんだよ。
どうやらローマ帝国の元老院は、皇帝と共に新首都コンスタンティノープルに移動して、
ローマ帝国滅亡(1453年)まで存続したそうです。
また、歴史学者がローマ帝国のことをビザンツ帝国と呼ぶようになったのは19世紀頃からだそうです。
ウィキペディアで<元老院>についてこう書かれています。
>ローマの元老院は、紀元前27年の帝政移行後も存続したが、次第に権限が縮小され、
>正当な皇帝を承認する機関へ、そして、皇帝の諮問機関へと、段階的に性格を変えて
>いった。それでも、「元老院」という名称の機関そのものは、1453年の東ローマ帝国
>滅亡まで存続した。 西の元老院はオドアケルと結託して皇帝を廃位して共和制の再来ともいえる全盛期を
取り戻したが上で書いた通り東ローマに圧迫された東ゴートと共に心中
東の元老院もニカの乱で無力化された後は皇帝の協賛機関として再編されて実質ただの貴族の寄り合いとかして
諮問機関としての機能は完全に消滅している ローマ帝国を変貌させた人物
コンモドゥス帝 ローマ衰退期
カラカラ帝 ヘリオガバルス帝 ローマの軍国主義時代
以下
群雄割拠
四分統治 西ローマ帝国と呼ばれているのは、そういう帝国があったわけではなくて、ローマ帝国
西部のこと。
首都や元老院がはるか遠い東方に移ってしまったことで、多くのエリートたちも出ていき
管理や防衛が弱まって、人口も激減して弱体化していた時に、今のフランスあたりに建国
されたフランク王国が、その後どんどん影響力を強めて浸食し、最終的に、今のドイツや
イタリアの大半をすっぽり覆う、ローマ帝国の西方領土を奪いとった。
そのあたりを指して西ローマ帝国と呼んでいるだけのこと。 >>207
アメリカの大リークでいう所の西部地区みたいなもんかな(笑) 西ローマ帝国は、日本でいうと応仁の乱で焼け野原になった京都みたいな感じかな( ^ω^)・・・ 西ローマ帝国の都ローマは、ヨーロッパ西部を抑えていたゴートに襲撃されて陥落し、
ゴートに征服されてしまう。これが西ローマ帝国滅亡。
東ローマ帝国がその後西ローマ帝国を復活させるけど、脆弱極まりない状態だったので
異民族にすぐに滅ぼされてしまい、後にはほぼすべてフランク王国に吸収された。 >>209
そうだね。
とはいえ異民族に征服されたわけではないけど。
もし、その時荒れ果てた京都に台湾原住民だかが乗り込んできて京都を征服して、西日本が
そいつらの領土になるようなことがあれば、まさに西ローマ帝国みたいな感じ。 >>206
> カラカラ帝 ヘリオガバルス帝 ローマの軍国主義時代
これはどちらかというとその前のセプティミウス・セウェルスの仕業
ただでさえ軍事費が財政圧迫してる中でさらなる軍増強・優遇政策を親父が強引に進めて
カラカラ以降はその無理ゲーを引き継がされてやっぱり失敗したという立場 セウェルス帝はトラヤヌス時代の最強っぷりを一時的に蘇らせたのと引き換えに、
火の車だった帝国財政に止めを刺しちゃったからな。
元世界チャンプがドーピングして王座に返り咲いたようなもの。
そこから先は反動で体がボロボロになってひたすら落ちていくのみ。 カエサルやアウグストゥスの名を名乗ったり実父や養父を神格化して神殿建てて自身を神の子と演出したり、
どんなに権威付けをしたって暴政を行えば(と思われれば)容赦なくぶっ殺されるわけで、
政治的に権威付けって必要?
なんか役に立ってたの? >>214
権威付けしまくったからこそ皇帝が殺されるくらいで程度で済んでたんだよ
共和制末期の政治不安定すぎで今にも砕けそうだったローマを
繋ぎとめた楔となったのがアウグストゥスが権威ガチガチに固めて構築した皇帝のポジション
もし権威付けしていなかったら
「ローマの最高指導者」はカエサル一代で終わって帝政以降なんてなく
ローマそのものがすぐに分裂コース >>214
権威付けしてなかったら
中の人が殺されるどころか帝位そのものが廃されて
グダグダな共和制システムに戻ってローマ崩壊だぞ >>214
権威付けしなかったらそもそも暴政うんぬん以前の話だから。
仕事ぶり関係なく親衛隊とかの気分や都合でいきなりサクッと殺される。
権威付けしておけば暴政をしないかぎり(と思われなければ)
少なくとも暗殺の危険性はかなり下げられるし、
それこそティベリウスやハドリアヌスのように、
暴君でも(と思われていようが)強引に押し切ることもできる。
権威付けがなかったらそもそもまともな暴君にすらなれない。
その前に殺される。 在位数ヶ月〜数年レベルでポンポン死んでいった三世紀の皇帝たちは権威づけ失敗の典型例だな
そしてそういう奴らが続くほど皇帝位そのものの権威も薄れていく悪循環 現代では見逃されているがセウェルス家はシリアの出身であり、ローマ市にシリアの多神教を持ち込んだ事で当時大問題になっている
当時のローマ人にとってセウェルス朝は一種の宗教侵略に他ならなかった
セウェルス家の皇帝はローマ市民権をローマの全国民に付与したり、とにかく属州民(とりわけシリア人)の地位向上に熱心だった
最終的にキリスト教が勝者になるが、2〜3世紀頃のローマ帝国内ではオリエント系宗教が流行していたようだ
セウェルス朝はそのような風潮の中から生まれてきた時代の徒花であった 元々ギリシア哲学の本流はギリシアローマ多神教の元に養われており、それは長い事ローマ帝国支配層の基礎教養となっていた
学問と宗教の区別が曖昧であった古代社会において、ギリシアローマの学問は異教の教義でもあった
4世紀頃までのローマ帝国の真っ当な支配層はみな異教の哲学を学び、高度な学問と合理的思想を重んじていた
この当時でオリエント系の宗教を信仰していた階級の殆どは学のない貧民や迷信者であり、知識人階級からは見下される対象となっていた
セウェルス家はそのような中でローマの皇帝におさまった訳であり、周囲のインテリ階級からはかなり白い目で見られていたに相違ない
セウェルス朝が終わったあと、オリエント系宗教の中でキリスト教がギリシアローマ思想を吸収して、ローマ多神教を凌ぐ思想レベルまで高まってくる
この次に現れるオリエント宗教重視のローマ王朝はコンスタンティヌス朝であるが、この頃にはキリスト教がローマ多神教を凌駕する勢いを見せており、既に多くの知識人階級がキリスト教徒となっていた。 >>207
だから元老院は普通に残ってるし執政官も選出されてる
東ゴート王国もあくまで東ローマからするとの最後まで管区扱いで独立したことなんてなかった
>>210
全然違う
西ローマを滅ぼしたのはローマ将校だったオドアケルとそれと結託した元老院
オドアケル自身は帝位につかず、それをゼノンに返上してるので建前上はこの時に東西ローマは一度統一されてる ゾロアスター教 ミトラ教 マニ教 などなど
元を正せば中東アジアから発祥したんだよね
ローマ帝国が初めてオリエント風の国家になったのはディオクレティアヌス帝からだよ >>212
ウィキペディアからの記事で
セウェルス帝は息子達に、元老院と市民を無視してでも軍を最優先にしろと遺言したんだって
本当かどうかはわからないけど (´ε`;)ウーン… >>222
返上も何もオドアケル自身は西の帝位なんて持ってないから返上出来ないのでは?
ネポス帝暗殺後にって事? そもそもローマ帝国は東西に分裂していなかった
テオドシウス1世がアルボガステスらを倒して西の自立を阻止した
さらにホノリウスが東と対立するスティリコを粛清して自ら西の自立を阻止した 実効支配してなかったから、分裂してたしてないって水かけ論じゃない? ホノリウスは見事役目を果たしたな
ローマ的にはダメな方向に 西ローマ的にはダメな方向だけど
東ローマ的には大成功だった
バルカンから西ゴート族を追い出す事が出来た
帝国本土防衛に成功した 俺はローマ人だという自負のある者はみな東に移住してしまって
西は蛮族が跳梁跋扈する未開時代に退化してしまったし ゴート族をバルカンから追い出せたので東ローマは生き延びた
ゴート族が後のブルガリアのようにバルカンに建国したのならば
東ローマはゴート族とササン朝に挟撃されて中世には存在しなかったはず
ギリシャ人やアルメニア人は東ローマ皇帝になれなかったはず >>225
軍隊も元老院も掌握していて帝位に思えば就けたけど就かなかっただけですが
実際、西ローマの帝冠も紫衣もゼノンに送ってるでしょ
西ローマでは在来のセナトール貴族が権勢を誇っている一方でゲルマン自由民の没落が激しかった
そこでオドアケルはイタリアの土地の数分の一をゲルマンに分け与えることにしたのだけど、これではローマ勢力が内紛を起こしかねない
だから帝政を廃止して自身は軍管区長につけてもらい軍事とゴート族を管轄、あとの行政は元老院の好きに任せて、カトリックにも治外法権を与えて
お互い好き勝手出来ることにして折り合いつけてたんだが、対立皇帝レオンティウス側を支援する動きを見せたことから東ゴート族を送り込まれて滅ぼされたわけ
テオドリックにしてもゼノンの指示通り、あくまでオドアケルの職権を引き継いだだけで
ローマから独立しようとしたつもりはない 「ゴート戦史」プロコピオス 6巻6章
ゴート人の特使らこう言った。
「(略)我らは、その地の法を、政治秩序を、それまでの皇帝たちが傾けてきた以上に熱意をもって保持してきた。
成文化されていると否とに拘らず、テオドリックとその後継者たちがこの体制に反する法を発することはなかった。
宗教に関していえば、我らはイタリア人に完全な自治を与えようとした。彼らの自由は、誰一人として、今日にいたるまで強制的にであれ自由意志によるものであれ、
信仰を変える者がなかったことによって明らかだろう。
しかもわれらは、ローマ人の宗教(カトリック)に改宗したゴート人を厳しく扱うこともしなかった。我らはローマ人の教会をこの上ない敬意をもって遇してきたので
あって、ローマ人の教会に逃げ込んだ者はいかなる暴力をも振るわれることはなかったのである。(アジール権)
さらにまた、彼らは自分たちの統治機構(元老院)を持ち続けることができ、それにはゴート人は参与しなかった。(略)」
ベリサリウスはこう返した。
「我々としてはお前たちゴート人にはブリタニアをくれてやろうと思っているのだ。その地はシチリアよりも広大で、かつてはローマ人に服属していた土地でもあるしな。
最初に良いお返しをした者にはそれ相応の報酬が与えられるべきであろう。」 >>234
グレートブリテン島シチリアより狭いじゃん!
嘘吐きベリサリウスは皇帝にイジめ殺されろ! ベリサリウスとかいう無能
妻すら満足に扱えないならナルセス神みたいにチンコきっちゃえ ゲルマン蛮族やモンゴルみたいな例外も在るけど
基本蛮族の方が文明大事にするよね最初のうちわ
ゴートとか鮮卑とか東国人とか ローマ帝国から土地の半分を奪った蛮族は、中国やローマ帝国、日本のような、誇るべき
まともな歴史を持ってない。
カトリック教会を、お金と地位で買収して自分のものにしたのもやっと9世紀になってから。
その後もみっともなく勢力を競い合ってとうとう16世紀にはイギリスが逃げ出した。
だから最近のクリスチャンたちは、東亜かぶれが増えて、日本のアニメが好きとか、
中華の歴史ドラマが好きとか、韓国アイドルが好きとか言って、仏教に関心を持つ人が増え、
キリスト教離れが進んでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F >>239
よそ者は、完成した美しい姿の文明を手にするからね。
もともとの持ち主は、それがまだ原始的なかっこ悪いものだった時期から見てきてるから
そんなに大げさにとらえないのかも。 ハロウィーンは蛮族(ゲルマン)の祭り。
それゆえ、カトリックも正教会も、このハロウィーンを否定しています。
カトリックは、蛮族(ゲルマン)に金や土地や地位と引き換えに身を売ったのに、
いまでも正教会の時代と同じく、蛮族の習慣は頑固に否定している。
それは、蛮族(ゲルマン)が、カトリックを買収する際、カトリック(ローマ帝国の文明)を
心底尊敬し、自分たちの野蛮な民俗を恥じていたからだろう。 そういえば、日本史においても、
摂関家や武家政権は、天皇や上皇たちを何人も平気で遠慮なく島流しにしたり、
退位させたり、天皇の御遺志を簡単に否定して謝罪させたり、いくら横暴をふるっても、
朝廷の伝統、文化は、全力で守り抜いた。
摂関家はさておき、北条氏、足利氏、徳川氏らは、ちょうどゲルマンみたいなもんかもしれないな。 日本書紀に書かれた日高見国(東北地方)の習俗に「其国人男女、並椎結文身、爲人勇悍(その国の男女は槌の様な髷を結い入れ墨をし勇ましく悍ましい)」とある
平安末期以降に勃興してきた武家の文化と共通している様だ >>240
日本史や日本国内の出来事や人物でもないのに日本語の記事しかないWikipedia記事は、
まともに相手にできない。ほとんどJulio MeinというHNしか書いてないし
概説のところにベネディクト16世の著書の引用があるが、書名さえ書いてないし
Julio Meinが自分の学説を認めさせたいなら、英語記事を作成し、英語圏の人々と編集合戦&ノートでの議論
くらいしなきゃだめだよ
こんなの引用して恥ずかしくないか >>245
ローマ帝国から土地の半分を奪った蛮族は、中国やローマ帝国、日本のような、誇るべき
まともな歴史を持ってない。
カトリック教会を、お金と地位で買収して自分のものにしたのもやっと9世紀になってから。
その後もみっともなく勢力を競い合ってとうとう16世紀にはイギリスが逃げ出した。
だから最近のクリスチャンたちは、東亜かぶれが増えて、日本のアニメが好きとか、
中華の歴史ドラマが好きとか、韓国アイドルが好きとか言って、仏教に関心を持つ人が増え、
キリスト教離れが進んでいる。
この↑程度の文章も理解できずに、ほとんど文脈理解の助けにもならないような、
ついでのリンク先に頼ろうとして、リンク先から単語を探すのが精いっぱいで、
文脈がつかめない(文章が理解できない)ままコメントしちゃったその態度のほうが
みっともないよ。 文脈とはそれほど関係のないウェブページ(場合によっては単なる詐欺広告)が、
レスにリンクれている可能性は高い。
自力で文章読解をしようとせず参考URLに頼ろうとするのは愚の骨頂だよ。 ローマ関係の日本語Wikipediaってほとんど塩野七生のコピペだよね
参考文献にローマ人の物語って書いてないのも文体が明らかに塩野のそれ 塩野七生からの評価が低いせいでキケロのページの記述が異様に薄いのか 文体があきらかに〜
評価が低いせいで〜
おまそうにしかみえないのだが? 理由が塩婆にあるかどうかはともかく
他国のページと比べて日本版wikiのキケロの記述が薄いのは事実じゃね? >>251
そもそも日本語Wikipediaなんて全部感想だろ
出典を書いてあるのがほとんどない
特にローマ関連は 西ローマにスッラがいたらホノリウス殺して自分がトップに
軍を再編し蛮族を蹴散らしローマのかつての勢いを取り戻す…
そうなるといいなぁ >>246-7
つまらん言訳だ
こまったちゃんだな
文脈の助けにならないついでなら>>240に変なリンクなんかはるな
そもそも>>240は、リンク先ちゃんと読んでないだろ?
なんかもっともらしい引用リンク貼れば自説の説得ができるなどと考えるのは浅はかとしかいいようない
>自力で文章読解をしようとせず
小学生ですかね?>>240程度の内容で文章読解とかなんとか、何いってるんだ?大丈夫か? >>254
なぜスッラなのかね
対蛮族なら無敵の大将軍マリウスの方がよかろう マリウスだと政治面が若干不安よ
ガリア・ブリタニア・ゲルマニア方面の司令官として赴任させれば安心して任せられる
それで残りをスッラが片づける
ポンペイウスは地中海の海賊を平らげる
クラッススが傾いた財政を立て直す もうローマ人もローマ兵も居ないからな
マリウスでもさてどうかな >>257
クラッススが財政を立て直すために、その前にネロにローマを燃やしてもらった方がいいんじゃないか? ヴァンダル族とゴート族の違いが分からん。サルマタイ人もよく分からん >>249,>>252
塩野は読んでないから知らないが、ウィキペのキケロの欄は、英語版では冒頭で、ラテン語の規範というだけではなく、
19世紀までヨーロッパの言語の規範であり、19世紀までは散文とはキケロの文体に戻るという反応だった
とさえ書いてあるのに比べ、日本語の記事の冒頭では、こうしたヨーロッパ史上での絶大な影響に
ついて言及がない。日本語記事は哲学者・道徳家・政治家・政治思想家としての意義しか見ていない感じだ。
日本語ウィキペのキケロの記事はまだまだ書き足す余地があると思う デンマークの中学校で使われてる歴史教科書を読んだけど微笑したくなる内容だなw
紀元前800年〜紀元500年頃についての章題が「ローマ人とゲルマン人」になってて
記述の分量もほぼ両者同じくらいになってる
>現在のデンマークとドイツ北部のキンブリ族とテウトネス族は、より住みやすい地を見つけるために暮らしていた地を旅立った
>(中略)
>彼らはローマ人に、住める場所をもらえないかと尋ねたが、ローマ人は無視した。
>こうして戦いとなり、ローマ人は敗北した。
>(中略)
>ローマは何年も負け続け、ゲルマン人の部族たちがイタリアまで侵入してきたときはじめて、止めるのに成功した。
みたいな記述はナショナリズム感溢れてていいね!
アルミニウスについての記述も筆が乗りに乗ってるw テーマとして一番面白い時代はカエサルがいた時代、次がポエニ戦争って順位は文句ないところだと思うが、
その次に面白いのってどれだろ。セウェルスの内乱かな、ディオクレティアヌスのテトラルキアかな 軍人皇帝時代は、史料が少ないせいか、詩人の感性を刺激しないものがあるのか、
面白そうだけどあんまり語られないし、映画やドラマにもなってないよな知らんだけかもしらんが
海外の本読んでても、「ハンニバルのように」って例えが出ることはあるけど、「テトラルキアのように」って言われることはないよな ハンニバリアヌスって名前おかしくね?
ローマ皇帝が過去のローマの敵からな名前とっていいの? ここで進められてた密偵ファルコ読んだけど面白いわ暇つぶしに丁度いい温度感 古代ローマ関連の本はもっと売れていいと思うんだ
漫画とか打ち切りばっかじゃないかい
一般文芸でもライト小説でも新作とか無いし
そんなに暗黒の中世が好きなのか 現代に似すぎてファンタジー感がないんだよねローマは スキピオやカエサルの快進撃とかどこの戦記物の主人公だって感じだけど
知名度イマイチ >>270
日本は中華文明がベースだからしょうがないだろ
欧米で三國志や項劉記がメジャーではないのと一緒 海外でも魔法と龍が飛び交う古代ローマのファンタジーものってあんまないイメージあるわどうなんだ? ルネサンスでローマの文明が再度フィーチャーされたといえ
それは上澄みの理性的な部分が主であって
ファンタジーの源泉になるような根っこの部分は断絶してるからではないかと
敬虔さとか霊的な価値を重んじる側面はローマにも当然にしてあったけど
ルネサンスではそこは切り捨てられてきたというか
神話としてはだいたいギリシャのコピーと思われているしね 蛮族や中世の方がファンタジーはイメージしやすいな。 ローマ帝国時代でも地方は中世みたいなもんやったろ
先進的なのはイタリアとギリシアだけ
ガリアやシリアやイリュリアやエジプトなんて
ローマ文明の光も当たらず妖精や魔術の文化が
連綿と続いとった
辺境では中世との断絶なんてあらへんかったやろ >>277
シリアやエジプトはローマに支配されるまえからバリバリの先進地域で
支配後も巨大経済圏として発展し続けたんだが
あとガリアやブリタンニアでも程度差はあれど
ローマの貨幣経済・物流システム・安全保障といった
「文明の光」の恩恵をたっぷり受けていたんだが
そしてだからこそローマ崩壊したら西欧まるごと産業崩壊起こして
地獄絵図になったわけで >>277
古代において中東は先進圏の古参重鎮だぞ。
ギリシャやイタリアのほうがその文明の光を受けとった新参の後追いだ。 ローマ時代のオリエントは後進地帯
経済的には栄えていたけど学問的にはギリシアローマ文明には全く及ばない
特にメソポタミアは完全に文化後進地帯
ただし経済力だけはあった >>280
ローマ時代の学問なら
それこそヘレニズムから引き継がれていた中東のほうが上じゃね
大正義アレクサンドリア図書館とかあったし
逆にギリシャこそがやや落ち目 レバントはインド交易で栄えていたからね
大航海時代までは商業的に重要な土地だった
キリスト教の発祥地だから先進地域にしたがるけど
もとの文化は大した事はない >>281
ギリシアローマ時代のシリア属州は支配階級はギリシア語話者
土着民は見下される対象だったよ
ギリシアローマの人達からすれば学問レベルも極めて低い
というか学問なんてなかった
アレキサンドリアの図書館は支配階級だったギリシア人の学問所
エジプト土民は古来からの宗教祭儀を続けてるだけでみな無学 >>283
学問系統や担い手の人種はそうだけども、
>>277の言い方からして地域ごとにみた話かと。
そしてローマ盛期にはギリシア本土地域が落ち目というのは正しい。 >>280
学問の中心もエヂプトな、少し落ちるがシリアも >>282
エヂプトやシリアから見ればイタリアなんて田舎
室町時代から江戸時代前期頃の江戸や関東みたいなもん 野蛮で粗野で武張って無教養というのがローマ時代のイタリカの連中の内外問わない印象だが 東ローマ帝国時代でも司教座都市のほとんどアナトリアにあってギリシャやバルカン地方何て未開もいいとこだからな 何でローマのあった半島が現在「イタリア」って呼ばれてるんだ? アレキサンドリア図書館をキリスト教徒に燃やされちゃったことって今のカトリックとかはどう思ってるんだろ 馬鹿なことをしたと思うだろうけど
元は異教徒達との抗争の結果なので
日本のキリシタン迫害みたいに
「キリスト教徒は追い込まれた側」って被害者ヅラすると思う ヒュパティアはカトリック教皇によって聖人認定されてるよ キュリロスはヒュパティアを快く思っていなかったようだが、
殺害事件は信者が勝手に暴発した物 つまりキュリロスは麻原で信者が勝手にサリン撒いたってことですね もし大長編ドラえもん雲の王国に出てくる天上人のようなのが中世の教会だったら
「ローマ人は身勝手でウソつきだ!」
こんな感じになるのか 言ってることがよく分からんからパーマンで例えてくれ カトリック約10.8億人、プロテスタント諸派計約3.5億人、正教会約2.2億人だって。
でも、カトリックやプロテスタント諸派の信徒のうち、アフリカ人、韓国人、東南アジア人、
南米人など、今では否定された近代帝国主義によるものがほとんど。
そして最近ではカトリック信徒の数が激減しているとも言われている。
発表されている信徒数と、実際に日曜のミサに出る信徒数の間には10倍もの開きがあるとか。
こんなニュースもある。
(CNN) オーストラリア王立委員会は6日、子どもに対する性的虐待の問題をめぐる公聴会
を開き、国内のカトリック教会の司祭の7%前後について、1950年から2015年の間
に子どもへの虐待に関与した疑いがあることを明らかにした。一部の団体ではメンバーの4割
以上に虐待疑惑が浮上しているという。
真面目な信徒は今でも正教会のほうが多いんじゃないかな。
正教会がまじめにやっていけば、横暴を繰り返したカトリックなんか軽く追い抜けると思う。
そうしたら、カトリックが、正教会と統一を申し出るかもだけど。 現代人の感覚だと異端のネストリウス派が一番しっくり来るんだよなあ >>263
聖徳太子の頃の対中関係において、
日本が中国に無礼(ともとれる)な手紙を出したところ、
向こうは使者を使わしてきたが太子が立派で国も文化が高いので友好関係を築いた方が得だと判断した
的なくだりがあるけど、ヨーロッパ人もアジア一般の歴史を勉強する時はきっと中国史観で見るから
微笑みを浮かべながら読んでるんだろうな〜
中国の記録に国の文化も高いからなんて書いてあったとは思えんわ 隋書には「蛮夷の書、無礼なる者有り。又以て聞する勿れ」とあるが、
その後裴世清を返使として派遣してる。なぜ煬帝の気が変わったのか
書いてないのよね。 >なぜ煬帝の気が変わったのか
状況的には高句麗を挟撃する、あるいは少なくとも敵を増やさないため 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/ 正教会、いいですね。
因みに「体制従属的である」という批判の声が挙がる一因として、天皇と為政者のための祈りがあるが、
この祈りは新約聖書の中のテモテへの手紙一第2章の「願いと祈りと執り成しと感謝を
すべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい」
という記述に基づくものとされる[45]。 小学生の頃クロノトリガーっていうゲームが古代や中世などをタイムスリップ出来て
この画像は古代なんだが文化力が中世よりも現代よりも高過ぎる時代だった
画像は誇張し過ぎだが実際の古代も文化力が高い時代なのだろうと妄想してた
だが実際は野蛮な戦争ばかりしてる汚らしい民族だと当時は思ってしまった
と長々とチラ裏すまん
勿論今は古代ローマ凄いって思ってるよ
後この綺麗な古代画像を載せたかったって想いもある
http://iup.2ch-library.com/i/i1842798-1503402503.jpg というか「古代に今より科学技術が発達した偉大な文明があった」という思いを中世〜産業革命以前のヨーロッパ人がずっと抱き続けてたせいで
その辺からイメージを取ってきてる和製ファンタジーもそういう世界観になりがち 「実際は野蛮な戦争ばかりしてる汚らしい民族」って近代の列強もそうだし
現代でも覇権国家はみなそうだろ
まぁいつの時代も侵略する側か、その庇護に入らないと侵略されちゃうから仕方ないね 文化や技術が優れていて侵略的でない国があるなら教えてほしいわ
精々、大国間に挟まれて大人しくせざる得ない小国ぐらいだろ 古代ローマは途中まで完全にやむを得ず自衛戦争でズルズル拡張してただけだしあれを野蛮な侵略を断ずるのはちょっとねえ ローマ帝国の滅亡はいつで、どのようにして起こったのか…
ちょっとググって調べてきます。 と思ったけど、ウィキペディア見たらあっけなく書かれてた。
1453年4月、オスマン帝国の軍がコンスタンティノポリスを攻撃。2ヶ月にも及ぶ包囲戦の末、
5月29日城壁が突破されコンスタンティノポリスは陥落した。
最後の皇帝コンスタンティノス11世は戦死し、東ローマ帝国は滅亡した。
残存するモレアス専制公領やトレビゾンド帝国も1461年までには掃討された。
悲しすぎる…でも、正教会は残ったんだね。 西ローマって、古代日本で言えば大宰府みたいなもんだよね。
大宰府も藤原純友に落とされたりもしたけど、朝廷が軍隊を派遣して鎮圧した。
元寇の時に負けて元に侵略されてたら、まさに同じような状況になってた。 >>318
サーマーン朝はアッバース朝の切れ端みたいなもんだから無理がある
カルタゴは戦争しまくりで超攻撃的文明。シケリア戦争とか知らんの? 鎌倉室町の関東みたいなもんでしょ西ローマ
太宰府はアテナイとかコリントスとかのイメ-ジ >311
ラストダンジョンが未来じゃなくて古代にあるんだよな
空中要塞 >>323
なんで?
鎌倉時代は関東に幕府がおかれて、京都の朝廷も幕府の指導下に置かれたし、
室町時代は、逆に京都に幕府がおかれていた。 私はよく「おめでとメリクリスマスみんなでメリクリスマス楽しくメリクリスマスお祝いしましょ♪」
って口ずさむんだけど、これってアメリカ人の影響だと思う。
子どものころ通ってた教会の牧師さんは、若い頃にアメリカ留学していた人だし。
でも、この歌を歌う感覚、正教会でも受け入れられるものなのかな。そこが知りたい。 >>325
北条家も足利家も関東が本拠で御家人の多くが関東だからイタリア半島みたいな印象
田舎で武骨未開なのもローマやラベンナ等を除けば西ローマと被るし
当初の室町幕府も六波羅探題と同じく出先機関で
京都中心の政権へと変質して行く義満の時代がテトラルキア制が始まった頃と似てるかなと 最高の文明が古代にあったってのはゲームメイク的にも楽なんだよな
ダンジョンや遺跡にあるアイテムは市販品より強い合理的理由ができるし
最強の武器が市販されない/量産されない理由にもなる >>322
戦争しまくり=攻撃的ではないだろ
シチリア戦争はギリシャ人独裁者の虚栄心に基づく攻撃がきっかけ
カルタゴのスタンスはどっちかと言うとエクソンモービルやアップルみたいなグローバル企業に近い
利益を最大化する為には戦争もやむを得ず、というだけで当時の勢力にしては極めて穏当だよ >>329
第二次ポエニ戦争の存在一つで否定されるような愚かな主張だな
ローマを倒す為にヒスパニアを侵略するのが穏当? >>330
ローマを倒す為にイベリア半島を侵略????
ローマと戦争する前からカルタゴはイベリア半島に進出していたんだが
ローマにシチリアを抑えられたからもう一つの海外投資先であるイベリア半島に進出を強化したと考える方が妥当だろ
何も知らないニワカは黙っとけよ >>330
愚かなのわオマエ
イベリア半島はカルタゴの方が遥かに早く植民開発して居た >>331
「何も知らないニワカ」ってw
人って自分の弱みを他人への悪口として言う傾向があるよね
それはさておき、あなたが説明している経緯はカルタゴの侵略行為そのもの。ポエニ戦争以前か以後かは問題じゃない
まさかカルタゴが進出するまでイスパニアに誰も居なかったなんて思っちゃいないよね?
スタートの「カルタゴは侵略的でない」がアホすぎる主張なせいで、言い訳が言い訳にもなってない >>333
古代の未開地って人口希薄で開発地スカスカな空き地だらけ
近現代じゃ無いんだから >>333
はあ?
お前が第二次ポエニ戦争一つで云々とかバカなこと抜かすからその戦争に言及して反論したんだろうが >>334
つまりあなたは
カルタゴのイスパニア進出はイベリア人集落やギリシャ人都市への侵害を伴わなかった
と主張したいわけ? 当時の勢力にしては"比較的穏当"と主張したのに
少しでも侵害を与えたはず!とか的外れなしょうもない屁理屈に論点ずらしか
話にならないな >>335
これだからバカは……いや失礼
カルタゴは確かに第二次ポエニ戦争以前からイベリア半島沿岸部に進出しています
だけどその「進出」は元から住んでたイベリア人やギリシャ人から見れば侵略に他ならない
それに加えて第二次ポエニ戦争時でも、ハンニバルはイベリア半島における支配領域を大幅に拡大しています
当然これも侵略行為
第二次ポエニ戦争は高校必修の世界史でも習う用語です
>>318は間違っているし、それは高校生ですら知っていること
>>337
論点ずらしはあなたでしょう(笑)
「当時の勢力にしては」なんて>>314で言ってないのに勝手に付け加えるのはどういう了見ですか?
そしてシチリア島の1/3およびイスパニアの大部分を侵略したことは「当時の勢力にしても」大規模な侵略です 無知が誤魔化すのに必死で錯乱しとるな
未開地への植民を侵略行為(笑)とか失笑者 >>339
当時のイベリア半島は未開地じゃありませんよ
タルテッソスとかエンポリオンとかご存じないんですか? >>339
素直に知りませんでした、と言えばいいのにな
カルタゴのイベリア進出の歴史も理解してないみたいだし >>340
はぁ……
糖質のあなたにも分かるように説明すると
>>314「文化や技術が優れていて侵略的でない国があるなら教えてほしい」
↓
>>318「カルタゴ」
↓
カルタゴが侵略的であることを説明されあなたの形勢が不利になる
↓
>>337「俺は最初から『当時の勢力にしては"比較的穏当"』と主張してたんだ!」
「当時の勢力にしては」なんて条件を新たに付け加えて、論点ずらししたのはあなたですよね?
まぁカルタゴは当時の勢力にしても比較的穏当なんかじゃありませんが >>343
お前の脳内では世界がこう見えてたのか可哀想に 高校世界史ねぇ…
この方は高校生なのかなもしかして ガリアに侵略されギリシャに侵略されカルタゴに侵略されローマに侵略され
西ゴートに侵略されイスラムに侵略され、イベリア半島さんもたいがいやな。 >>346
その経験があったからナポレオンとヒトラーの侵略から逃れられたのかもしれない >>315
>>320
宋とか金や遼やモンゴルにやられまくってたから大して悪さできなかっただけで
平気で講和条約破って侵略してくるクズやぞ >>350
建国過程からして異例の穏健さだから無いな 宋の卑劣な協定破りや宋の驕兵たちの横暴さは趙匡胤がみたら卒倒するレベルやぞ
金や蒙古との戦いも同盟を結んでいたのに関わらず一方的に宋から襲い掛かってきて始まったものだし カルタゴは軍はほぼ傭兵で構成されていてストラテゴス(司令官)も傭兵たちの推挙によってきまり
百人会の統制を受けないという独特な構造していたからカルタゴ市とカルタゴ軍は分けて考える必要がある そもそもカルタゴは海軍と陸軍がまるで別組織だからな >>351
それ、既に斜陽化してる上に戦争に弱いだけじゃ…… ローマ帝国時代の常備軍強かったのに
後世の国家はあんまり常備軍作ろうぜ〜とか言わなかったんだな ほら・・中世ヨーロッパはどこも常備軍を作れるほどの、お金がなかったんだよ 中世西欧とか大きめの城持ち(極小さい城)諸侯でも手勢たったの数十人レベルじゃし 農業革命以前で生産効率も悪かったあの時代で
30万以上の常備軍維持していた盛期ローマ帝国がいろいろおかしい 武具関連についても安定した大量精製・大量生産の技術は当時まだなかったのに
それを国力ごり押しでカバーして末端兵卒まで板金胸当や鎖帷子を大規模支給するキチガイパワー >>364
前スレでの話か?
それなら君のほうが嘘つきだ
前スレでのはGDP比にすると国家財政の総額自体が小さいという話で
国家財政支出の七割以上が軍事費って部分は別に嘘じゃないから まあ嘘というかちゃんと読んでないだけだろうな
前のスレで論争になったのはローマ帝国の総生産と比べた帝国政府の財政規模であって
2世紀には帝国政府財政の7割が軍に投入されていたという点は誰も否定していない 動員能力は近世後期ごろにようやく追いつくわけだけど
逆に言えばそれ以降は各国それぞれが地中海帝国ローマ級の国力もったということで
ヨーロッパはすっごく成長したなあとも思う まあそもそもが小さな政府で、社会福祉も経済浮揚策もない時代だからな。 >>368
戦国期とはいえ30万以上を組織的に使えるようになるのって豊臣からだから
日本も年代的にはあんまり変わらない >>368
装備も何も手弁当の各地方領主の寄せ集めの30万人だろ。 単に動員するってだけなら
それこそローマなんてまだイタリア半島域しかなかったポエニ戦争のころに
既に計30万以上しぼりだしてるしな
最盛期ローマ帝国軍のポイントは
衣食住も装備も全支給で貨幣による給料と退職金もある常備軍として
最低でも二百年以上もずっと維持していたところ 日本の自衛隊よりも多いと思うとものすごい数だよな30万て より細かい数値だと絶頂期のハドリアヌス時代で約38万、
強引な軍拡進められていったセプティミウス・セウェルス時代には約45万に。
ここで限界が来て以降は逆にだんだん減っていく。 軍団数はハドリアヌス時代で28〜30個、
セプティミウス・セウェルス時代で33個。
この間に近衛軍団の規模も約2倍に増員、
補助部隊数も20〜25%ほど増加。 ただし平時には10%前後の欠員があったとされているため、
実数はこれよりもやや少ない。
また大きな戦争前にはその欠員の穴埋めや支援・予備戦力として、
退役した古参兵やボランティア兵が集められたようだけど、
これらは臨時召集であって常備兵ではなく、
戦争が終わったら正規兵とは違ってすぐ解散する。 マイナー、あるいは無能とされてる皇帝の中で実は有能だったんじゃないかって人を教えて下さい
たまにネロとかコンモドゥスが「言われるほど無能じゃない」って話は聞くんですが・・・ >>378
個人的な感想だけど、軍人皇帝時代に活躍したプロブス帝を推すよ
この人は日本人的な気質の持ち主だと思う
あとは、東ローマ帝国最後のコンスタンテノス11世かな? ←この人はしょうがなくて可哀想す
アレクサンデル・セウェルス ←古代ローマ帝国の皇帝らしい最後のローマ皇帝
https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンデル・セウェルス
https://ja.wikipedia.org/wiki/コンスタンティノス11世
https://ja.wikipedia.org/wiki/プロブス コンモドゥスは20年にわたるマルコマンニ戦争を終結させ、
マルコマンニとクアディをほぼ従属化させた上で更にサルマタイも屈服させ
ゲルマン、サルマタイに捕らえられた捕虜のほとんども奪還した程度には名君 >>372
戦国大名の装備支給形態を手弁当と言い張るならスペイン帝国も同様
>>369
近世西欧の常備的傭兵に比べると永禄天正年間以降の足軽のが余程常備軍だよ >>378
何をどう頑張ってもネロの無能は覆らんでしょ
プロブスは衰亡史読む限りじゃ有能に読めるは 古代でこれだけ組織的かつ大規模な軍制を布いていたことには毎度驚かされるし
こういうのをおおよそ割り出せる駐屯地跡とかの考古学的物証が揃ってる点もまた驚異だよね 古代で○○軍ウン十万って
記録はよく見られるけど
それが誇張じゃなく本当だと
裏付ける物的証拠があるのは
西洋だとローマくらいだね ローマも結構誇張してねーか?
ポエニ戦争で水難事故死したことになってる4万人も怪しい
本当は海戦でやられたんじゃないの
ぽっと出のローマ海軍が歴戦のカルタゴ海軍相手にほぼ負け無しとか信じ難いんだけど これを常備軍というには無理があるな
フロイス「日本史」 第四五章
そこで薩摩の国主島津殿は、自国に危険が切迫しているのを見ると、国内の全地方から人々の招集を
図り、老若男女を問わず、ついには武器を手にし得る者はことごとく、いかなる逃げ口も許さず、領
国の自由のために参集するように命令した。その際彼は、各人はただ四、五日分の米を帯に入れて携
えよ、その糧食が尽きる時までには、戦の勝敗は決していなければならぬと伝達した。このようにし
て、人々が確信するところによれば、薩摩の国主は五万人近い人を招集した。それは何も驚くには足
りぬことである。日本では国主または大名が他と戦を始める時、彼は兵士たちになんら支払いはしな
い。彼はせいぜい特殊な家臣に対して費用を払うくらいであって、軍隊にはほとんど費やさない。 >>388
薩摩は幕末に至るまで特殊な地域だったから
その地域で日本全体を語るのはやめた方がいい これと似たような命令はどの大名も発しているんだが
例えば北条も小田原征伐の際に領内の百姓は鎌でも棒でもいいから持てる者もって城内に参集せよ
って命令を出してる >>386
流れ的にローマ帝国の常備軍30万ってことについての話だと思うぞ >>390
全然違う話
北条家の例わ軍役を負担為無い百姓に対して総動員を掛けた割と珍しい例
それも主に小田原城や各支城の整備と増強の為に招集掛けた
島津家の例もフロイスが日本の制度を理解出来て無いだけで
軍役衆は税や夫役の減免や免除等の権利が与えられて居るし
5日とか10日を超えると補給は領主持ち
武器防具も兵科に由ってわその為の扶持や貸出がされて居た 兵農分離してない状況での兵士は屯田兵みたいなもんだから >>392
でソースは?家わけ文書や戦国遺文みても兵一人一人の食料や武具まで面倒見てる記録はないし
そもそも兵科なんて概念当時にはないぞ 「戦国時代に兵科はあったか?」って戦国史で今割と熱いとこだよな
言ってる研究者もいるけど、否定意見もある
すれ違いだけどもうちょっとだけ俺は見たいw 例えば1439年のシャルル7世の勅令だとコンパニー・ドルドナンスは
王から任命を受けた隊長が兵一人一人を自ら選抜し、(一条)国王選抜の隊長以外の主従関係や命令を受け入れず(三条)
国王の所定した場所を防備し(三十条)、その維持にはタイユとエードを充てる(四十二条)
ここまでやって初めて常備軍と言えるんだよ
指揮系統が一括されてない、どこで誰がどの程度の人員を持っているかハッキリしない、装備食料自弁の百姓の寄せ集めを常備軍とは言いません >>394
普通に何日超えたらこちらで支給するからそれ迄の分は自前で持って来い
って発給文書わ複数の大名が出して居るよ豊臣家とか北条氏とか
氏政の書状が発見された(内容を研究者が解読した)のわ割と最近でここ10年の話
食料や防具や鉄砲の面倒見てる記録が残ってるし
槍足軽、鉄砲足軽、弓足軽、馬上などの兵科に分かれてた
足軽は御恩と奉公の典型的な封建制下の存在で屯田兵と性質が大分違う
あと天正末期に成ると田畑の在る地元から離れて専業化する士分が増えたよ >>396
フランス王国なんて16世紀に入っても全然常備軍抱えて無いよ
毎回、大多数は戦の数カ月前から各地で募兵して集めた傭兵 >>397
豊臣家の文書はほとんど残ってないはずなんだが
北条家に関しては織豊政権以上に残りが良いが管見の限りではないな
そんな研究、聞いたことないんだけど一体誰が主張してるんだ
>あと天正末期に成ると田畑の在る地元から離れて専業化する士分が増えたよ
朝鮮出兵ですら9割近くが百姓からのかき集めで最近では兵農分離自体がなかったとか言われてるんだが 国王直属の軍隊何てどこでも持ってるが
スペインとか少なくともアルフォンソ6世の頃には一部の都市に騎士の提供と装備を負担させて作ってるぞ
何時、裏切りかもしれない傭兵だけで戦えるわけないだろ >>399
詳しそうなのでちょいとお尋ねしたい
三傑の中で信長の方が秀吉より人気が高いのは、やっぱり残っている文章量の差による研究者の数の差が理由として大きいの?
あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね? >>401
織田期の史料も豊臣同様よく残ってないだなそれが
右筆衆などほかの大名と比べてかなり整った官僚組織を持っていたという割には、なぜか史料の残りが良くない
>あと北条家の文官って小田原征伐の後家康が手に入れたのかね?
そもそも文官とかいう区分はなかったんじゃない
遺臣は吸収されただろうね 朝鮮の役の薩摩の武将の書状に「公儀米○石、自分米○石船にて送る」
とあるのを見たな。さて公儀とは島津家か秀吉か…? 西ローマの崩壊から1000年以上後の極東の島国の領主達の私兵をローマ帝国と同じ規模の常備軍だのなんだの言って恥ずかしくなってこないか?
時代降って日本の有史に近い時代の東ローマですら志願兵を国が訓練して君は歩兵、君はカタクラフトという感じで分けてたわけだよ。 >>400
国王自身の常備軍なんて1/10以下で侍/足軽の割合よりも少ない
而も当時西欧で最も常備軍化の進んでたのがスペイン帝国
>>399
豊臣家の文書わ滅亡した家にしちゃ割と残ってる方だよ
氏政の書状伝々は書籍で読んだ気がするけど記憶が曖昧、論文かもしらん 北条家の文章が多く残ってるのは、江戸幕府が、武蔵・相模の旗本や御家人から古文書を提出させて写しとったかららしい 朝鮮出兵のとき対馬とか人口六千に対し五千とか滅茶苦茶な軍役が充てられてるからな
これ島民のほとんどが出払ってるんじゃねえの >>407
人口15000前後だぞ、5000人は船役 初期ローマの軍隊はファランクスだったらしいけど盾もギリシャ式の青銅の円盾だったのか
それともスクトゥム?
スクトゥムでファランクス組んでるって凄い違和感があるんだが サムニウム戦争以前のギリシャ式ファランクス戦術つかってた頃は
盾もギリシャ式の円盾や丸みを帯びた台形のとか使ってた >>410
台形の盾はローマオリジナルですか?それとも周辺のイタリア原住民の影響? >>412
中央アペニン山脈とその周辺一帯で使用されていたもので
ギリシャ式円盾と違ってイタリア半島オリジナルと言えるようなタイプ
代表的な使用者はサムニウム人だけど
「ローマ」の建国母体である麓のラティウム圏にも古くから浸透してた
いわゆる「スクトゥム」の祖先の一つでもある
サムニウム戦争でローマがサムニウムスタイル真似たのはある意味では
外来のギリシャ式から伝統のイタリア古式への回帰とも >>413
なるほど面白いなあ
詳しくありがとうございます そのプロトスクトゥムに縦長の楕円(長方形)なケルト盾風味が混ざったものが、
のちのローマ軍団の顔になる『スクトゥム』の原型になる。 >>408
人別帳からの統計だと慶長年間でも5900人程度なんだが
しかも船役じゃなくて上陸して釜山落したりしてるんだが いやいやスクトゥムはガリアからパクったものだから
ロリカ・ハマタもそう
サムニウム人は壁画見ても普通に丸盾つかってる サムニウム人が台形盾つかっていて
それをローマが参考にしたってのは一応リウィウスが書いてる
彼がどのような記録を参考にしてそれを書いてたのかはわからん リウィウスって帝政ホヤホヤの頃だしまだサムニウム族に関する記録は大量に残ってただろうな ローマンスクトゥムがどのように形成されていったのかは諸説入り乱れてるな
こういうローマンスクトゥムやケルト盾に近い形のをすでにサムニウムが使ってる壁画もあって混乱してる
https://c1.staticflickr.com/8/7186/6926556849_c3167de3ca_b.jpg サムニウム戦争以降のローマの戦術体系は
ギリシャ式の密集隊形・ガリア式の盾壁戦術・サムニウム式の散開戦術を
状況に合わせて併用したいという欲張り仕様で形を成していったものだから
戦闘技術の中心となる盾も色んな要素が混ざったものだろうな 古代ローマの感心するとこは、小国だった頃からローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事だよな。 複数の運用法をこんだけよくばって詰め込むとまともに確立できないか
できても器用貧乏で微妙なものになるのが普通なんだけど
ローマはこの路線で最強に仕上げやがった 古代ローマ軍ほど中二心をくすぐるものはないとおもうけどな
https://i.warosu.org/data/tg/img/0427/28/1443305467950.jpg
まぁ実際は全員ロリカ・セグメンタタを着用できた軍団はそうそうなかったらしいけどな マリウスの軍政改革までは専業の兵士じゃなく一般市民が農業やらなんやの自分の仕事生活やりながら一定期間兵士として訓練行ってたんだもんな。
兵士の数が戦闘を決める要素なんだろうけど、現代のスイス並みに一般市民が兵役就て訓練しまくってファランクスとか
号令一下少人数のグループに分かれて前進してって短剣構えて敵の胸を一突きとか
確かに他を圧倒するわな。 軍団描写はゲームのTotal War ROME2がお気に入り
装備品が100%完璧に統一されているわけではなく
様々な型式の兜やハマタやセグメンタタが
混ぜこぜ併用されてるってのをちゃんと描いていて
実物だと管理や準備が面倒そうだから
映画やドラマではなかなか見られそうもないかな >>431
あのゲームは良いよな
divide et imperaってmodを入れると1粒で2度遊べる >>432
Divide et Imperaはほんと良い意味で変態マニアックだな
ローマだけじゃなく各勢力ユニットの作りこみもハンパない >ローマ市民を訓練して集団戦とか散開とか組織的な事出来るようにしてた事
直接は関係ないかもだけど、
「項羽と劉邦」とか「大秦帝国」とかに、古代中国の練兵の様子が出てきて、
すっごいカッコイイと思う。人口がそれだけあったってことと、広々とした平たい土地のおかげだろうけど、
日本では、戦国時代にしても、今の自衛隊にしてもあれほど大規模なのは見られないだろうね。 練兵以前に、弱い奴は連れて来るなとか言っちゃうから日本の大名 ローマ帝国の正教会では、教区の司祭は妻帯も可能で、
カトリックの司祭たちのように、異常性犯罪が繰り返されるようなことはないみたい。
カトリックより正教会のほうがいいかも。 古代中国の練兵も蛮族にヒャッハーされれば勝ち目なし 本当に練兵なのか?
遊牧民の軍隊に物量で圧倒的に優勢なのに蹴散らされまくってるじゃん >>438
匈奴内藩化、突厥属国化、回鶻属国化、女真属国化
西晋宋元の時期を除くと、中国帝国側が基本優位 属国とは言うが、中華サイドが遊牧民を軍事的に力を背景に押さえつけてた時期なんてほんと数えるくらいしかないだろ
基本的には全部間接統治でお茶を濁してるわけだし そのかわり中華サイドは金を払って解決
戦争にかかるリスクと金を考えれば賢い選択だ >>441-442
>>440の日本語文が読め無いのかな? >>444
軍事的に支配されてた時期が>>440に挙げた例 中国大陸の場合北方蛮族って元々は北方にいたわけじゃなく中国大陸の中でごった煮みたいにいたのを追い出してったんだよね?
春秋戦国時代あたりまでまるっきり違う部族同士が争ってるみたいな感じに捉えられるから 一部は元々北方で遊牧為てたし牧畜民の一部は華北北西部に居たし色々でしょ 前々から気になってたんだが、現代はともかく、古代期って、「金払って戦争回避」ってよく成立してたなと思わない?
「金払う=弱い、富はある」なわけじゃん?
「なら俺たちで占領して徴税すればもっと太れるじゃん」って思ってしまうんじゃないの? 異国人っていうか秦あたりじゃまだいろんな集団が大陸に寄せ集まりましたって意識じゃね?
言葉もそれぞれ通じないだろうし。
異国に対して本国ってどれだよって感じで漢なんて次の時代だし
春秋戦国時代でかなり混血はしたんだろうし異動もしたんだろうけど、まだまだ後々の漢人みたいな意識はなかったんじゃないか? >>449
そのとおりで実際に歴史を見てると大抵は一時しのぎにしかならない
「血を流さずに富が手に入る」というのに越したことはないので
最初のうちは攻撃側も喜んで飛びつくんだけど
繰りかえすうちにだんだんエスカレートして最終的には
「土地ごと寄越せ」とか要求したり「俺らで征服しようぜ」になる 「これで勘弁してください」とお金出すパターンは相手がどんどん図に乗ってくるから悪循環。
ただし帝政初期の最盛ローマがやってたような圧倒的軍事力をバックにして、
「おとなしくするのなら経済支援してあげるよ^^」と迫るパターンなら、
トラヤヌス〜ハドリアヌス時代のゲルマンがシーンとしてたようにわりと安定する。
もちろんこの関係の維持は圧倒的な軍事優勢あってこそだから、
マルコマンニ戦争時のように少しでも揺らいだら一気に連鎖崩壊する。 最盛期のローマがやってたのは、右手のナイフで相手の耳を削ぎながら
左手の札束で逆の頬をぺちぺちして「どうする?」と聞く麻薬カルテルのようなやり方 そして中にはダキアのような
その状況から噛みついてくる猛者もいた >>436
え?正教会も少年愛者の巣窟ですが
大体、痴漢や児童買春で捕まってる大人もほとんどは妻子もちだろうに 少年性愛に関してはむしろロシアが最もヤバイ地域だよな >>450
春秋の覇王から垣間見える通り
牧民の戎狄や米食ってる楚呉越に対する周朝を戴く農耕民の俺等
って意識位わ有ったんじゃね ネットで見かける三次ショタ児ポはほぼロシア産
ああ^〜スラヴショタたまらんのじゃ〜 ものすごいざっくりした推定だけど、ショタ被害が多いってことは、その二倍ロリ被害も多そうだよな >>458
所謂中原で農耕やってます民って感じか?
ただ殷周ってその後の戦乱と秦の統一漢へって流れですでに秦以降は殷周の集団なんて離合集散してしまってるんじゃないか?
漢にしたって劉邦なんて楚の人間だし。 それはどうかな
カトリックで性被害にあってる児童はほとんど男の子なわけだし
ローマもガリアもヘルール族も美しい男の子を侍らすことは名誉と考えられていたわけだし
ヨーロッパ人そのものにそういう気がある人が多いんじゃ >>461
周朝の封建体制下に在った地域が大体その辺だしまあ
春秋期でも殷はもう歴史上の存在に成ってただろうけど
劉邦の出た沛県は東夷と中原の境目で楚が征服したのも大分遅いから
ダキアみたいな感じで同時代人もあんま楚人の印象無いんじゃね >>464
貴族が塞外に封建された属州とか箕子朝鮮みたいな国ね スレチ話題に寛大なのがこのスレの伝統的に良いところ
なぜなら、All roads lead to Rome なのだから 時代的にはなんとか重なるから、まさにローマに道は通じてるな。 レコンキスタと東方植民って南北で同じことやってるように見えるんだけど、地域以外に何か違いある? ローマからの道も米国と日本へ通じ無い。あとブラジルも 歴史板でもこのスレくらいだろ、毎日何レスもあるのは
他は丸一日レスなしとか多すぎて2chの衰退が怖い 古代から続くローマ帝国がもしも今現在まで続いていたらヨーロッパやアメリカなどで人種差別問題はなかったかも知れないな
アメリカ合衆国にプロテスタントとか、空飛ぶスパゲッティモンスター教なんかは入って来なかったよね ローマ帝国がイタリア本国維持できて現代まで続いてればベストだな
仮に世界大戦があってもゲルマンに味方することだけはないだろう
アルプス越えてナチス征伐とか見てみたい 面白いな
イタリアでローマ帝国が存続していたなら、カールの戴冠もなければ神聖ローマ帝国も存在しなかっただろう >>462
ジャップほどじゃないだろ
衆道とか尋常な民族じゃないよ ナポレオン対ローマ帝国
持久戦でピュロスの勝利に持ち込めれば何とかなりそう 思想的には当時の神聖ローマだのの君主国家よりナポレオンのフランスの方が共和制ローマの思想により近いからな。 どこがだよ
共和政ローマ:パトリキ(部族の長)から選ばれた者が統治する
神聖ローマ帝国:選帝侯(部族の長)から選ばれた者が統治する
フランス第一帝政:共和制の否定から生まれたナポレオンの独裁政権 ナポレオン帝政時代はほぼ追認機関と化した議会と元老院だけど、
それでもフランス革命後だからちゃんと仕事してるんだよなあ 独裁政権っていうけどナポレオンのフランスとヨーロッパ君主連合の戦争の原因は市民権の輸出だぞ ナポレオン自体は急進的に皇帝の座に就いたけど、実際のそれって王侯貴族の寄り合い根回しじゃなくローマ皇帝のそれに近いあくまで前提として議会、軍隊、市民の支持でってやつだからな。
ローマ法皇なんかに皇帝に就けてもらってないぶん権威による権威付けみたいな中世以来の慣習をぶち壊した
古代ローマ以来の皇帝の再来になってるかもな。 オクタウィアヌスがプリンケプスと名乗っておきながらその実態は独裁であったように
ナポレオンも革命の成果の守護者として国民の支持を得た上で独裁やってるわけだからな 真面目に比較したら結構類似点と相違点出てくるんじゃないか?それこそ東大の論述問題が一個作れるくらいには >>485-486
つまりナポレオン体制は帝政ローマに近かったということで>>481は間違いだな >>487が言ってるけど時代背景の違いがあるから論文並みになってしまうかもしれないが、共和制ローマから皇帝が出現していく過程と似たもんがあるかもしれないよ。
でもって共和制ローマの思想考え方意識が根底にないとローマ皇帝という物の出現はなかったって考えたらあながち間違いじゃない。
フランス革命も共和派が勝ったと思ったらその思想のなかからナポレオンっていう皇帝と帝政を生み出したんだから。
それが旧来の王政的思想と王党派や王侯貴族の考え方慣習ならば軍隊や市民の支持で皇帝を生み出すなんて発想すら生まれなかったわけだよ。
洋の東西あれど市民軍、一般市民の支持これが皇帝を生み出すということをしたのはローマとナポレオンくらいじゃないか?
他に例があったらすまんけど。 「皇帝」という言葉面に拘らなければむしろ普遍的事例だろ
貴族共和政が市民の支持を取り付けた僭主によって革められるのは世の習い 共通点て「これからは俺らブルジョア/エクイテスの
時代だよな!」とかかな? 負けたクラッススとポンペイウスこそエクィテスで
勝ったカエサルはパトリキなんだよなぁ >洋の東西あれど市民軍、一般市民の支持これが皇帝を生み出すということをしたのはローマとナポレオンくらいじゃないか?
ヒトラーがそうだな。日本の天皇はざっくりいえばそうだと思う。毛沢東は詳しくないから分からん 初期の天皇は豪族の連合体だから貴族共和制じゃね日本は類例無いっしょ
根本的に国の交代期にしか出無いだろうし 日本は民意を集めるシステムが伝統的に未発達だったからなぁ
僭主が生まれる基礎がなくて、貴族共和政がずっと続いてきたようなもん
正直今でもまだ続いてるような気がする >>494
第一次大戦で帝国崩壊、ユンカー没落の後に出てきた伍長殿だからな。
>>496
武士階級の勃興と幕府成立がそうじゃね?武士は平安末期の勃興から
南北朝の悪党、戦国期の土豪国人と、農民との境目がずっと曖昧だし。 >>497
幕府に僭主(=民からの圧倒的な支持と武力を背景に独裁的な権力を振るう)は存在しない
鎌倉も室町も江戸も地方分権的な支配体制で、幕府内部を見ても寄り合い所帯的で僭主的な人物が見当たらない 武士は平安末期に中央で栄達を絶たれて地方で軍事貴族やってた連中に追捕や徴税を
アウトソージングした結果出来たものだし
国人はもとは在庁官人だったのが守護の被官となったのが元だから全然農民とは立場が違うし
民意の上に推戴されたわけでも何でもない
魏晋南北朝の塢主や朝鮮の後三国時代の将軍は勝手に民衆が擁立したものなので
こっちのほうは僭主に近い >>499
鎌倉幕府成立から遡ること400年前、藩鎮にアウトソーシングやった唐では安史の乱ていう一大カタストロフを起こしたのに
日本ではあそこまでひどいことにならなかったのは何で? >>501
統制力が弱かったから乱に成る迄も無く好き勝手に独立為ちゃった
足利幕府は結構早い段階から京都周辺の地方政権だし 逆に統制力の弱さが幸いしたのかw
強いってのも良いことばかりじゃないなぁw 大土地所有が脆弱で中央の統率力が強かったから
武士は名主田堵として名の徴税、勧農を行う代わりにそこから上回えはねるだけで
満足して、地方に割拠してやろうなんて野心なく何だかんだ言って院宮王臣家のいう事聞いてるし
国司も国司で単なる徴税官で節度使みたいに私兵集団抱えてたわけでないしな 日本の中央の統制力(統率力?)は強いのか弱いのかどっちなんだ! 中央がまるでやる気がないだけで、グダグダになってるだけで強いといえば強い
室町期の守護にしても中央からの統制はちゃんと受けているわけで
じゃないと守護請けなんて成立しない
太平記読むと切り取り次第じゃーなんて勝手気ままに他人の土地を横領していってるイメージがあるが
以外とルールは守ってる あれって大きな誤解をしてたわ
【誤】将軍後継争いの京都の局地戦。乱後、中央の地方統制が取れなくなり戦国時代の幕開けへ
【正】全国的な争乱(関が原の九州・近畿・東北争乱と同じ状況)。
将軍後継者が東軍総大将から西軍総大将に転向したり、細川・山名の和睦を無視して諸将が抗争を続ける等しており、戦国時代は応仁の乱から既に始まっていた 室町の世が乱れて生まれたあらゆる勢力が鎮圧され、均一な江戸の世に終息するという流れに、日本の「和をもって尊し」「出る杭は打つ」「ことなかれ主義」を感じる
15世紀ヨーロッパみたいな混沌のまま17世紀に突入する日本史だったら大変だろうな
商人自治、仏教勢力、山城自治、ローマ法王領、南蛮要塞、国人、諸大名全部アリで まさに全部入りだったイタリアは傭兵のやる気のなさで救われたな
古代ローマから受け継いだ文化力のおかげかな
まあ野蛮なスイス傭兵にボコボコにされちゃうんですがね! >>505
天皇朝は統制力有ったけど、武家政権は北条、足利と統制力無いよ。周朝と大差無い気がするw
義満が頑張ってあちこちの有力大名をモグラ叩き為たけど、義満でもそれが限界で
嘉吉の乱前後から皆領国帰ったり内戦為たりと唐末みたいなもんだし 応仁の乱後も六角攻めや河内攻めでも将軍は諸大名のイニシアティブ取ってる
最近だと戦国時代は明応の政変からってことに
それと戦国時代に入ってもまだ院宮王臣家を頂点とする職の体系が依然と残ってて
これを完全にぶっ壊れたのは太閤検地から
ここにきてようやく古代の王民制のくびきから解放されたと言える 皇紀2600年……はまぁ話半分としても
1000年以上続いただろう古代の制度から解放されたのがたった400年前と思うと不思議な感覚だ
今の日本には古代の名残がいっぱい残ってそう 戦国大名と言えども将軍と封臣関係を結んでる武家なわけで、ある程度の予定調和に収まってる
唐末や軍人皇帝時代のローマみたいに勝手に兵士が擁立した節度使や皇帝がポンポン出てくるほどカオスな状況にはなってない 日本では、政権中央の統制が取れなくなって、地方が勝手に振る舞っていても、
地方の権力は中央の権威だけは借りていたってことかな?
逆に言えば、中央の政権に真っ向反旗を翻す地方の権力は少なかった? そういう意味じゃ日本の戦国時代って、実は中国の春秋時代に相当するよな
古代ローマでいうとセウェルス朝辺りに相当? >>514
国土面積じゃなくて大陸と島国の差では?外敵との近さと言い換えることもできる。
軍人皇帝といい節度使といい、すべて辺境防衛のために置かれた軍団を支持基盤にしている。
その点日本は島国だから、北九州あたりの守りさえ固めとけばあとは海と潮の流れが守ってくれるわけで、それほど強力な軍事力を辺境に置く必要がなかった。 確かに対馬海峡がイタリア半島とシチリアの距離だったら?
ジブラルタル海峡の距離だったら?
まったくの異集団が目と鼻の先にいたら変わってたかもね。 島国としてなら英国が近いか
ドーバー海峡を渡るのは至難
カエサル上陸は貴重な成功例の一つ 帝国が滅ぶっていうイメージがわからない。
日本でも太平洋戦争で敗北したけど、天皇制は続いた。
<1453年4月、オスマン帝国の軍がコンスタンティノポリスを攻撃。2ヶ月にも及ぶ包囲戦の末、
5月29日城壁が突破されコンスタンティノポリスは陥落した。
最後の皇帝コンスタンティノス11世は戦死し、東ローマ帝国は滅亡した。
残存するモレアス専制公領やトレビゾンド帝国も1461年までには掃討された。>
これで完全に終わる理由がわからない。
1500年も続いた帝国であれば、後継者はあちこちに散らばって生き残ってるのでは?? 東ローマだけの時点でローマ人はすでにいなかったわけだし滅んでると言えば滅んでるような?
東ローマの祖もコンスタンティヌスでありカエサル・アウグストゥス時代とはほぼ別ものになっちゃったし そういう民族・人種的な拘りのなさが古代ローマの良いところだと思ってたんだけど
コンスタンチノープルに遷都してからは人種的な拘りを持つようになったとか? >>519
イギリスというかイングランドなんてローマ軍撤収以来海渡って来た奴らに占領されまくりじゃないか >>511
唐末の唐朝廷みたいな物、当時既に畿内周辺にしか影響力及ば無い政権だし
管領や有力守護に好き勝手やられても将軍家だけじゃ抑える力の無い御輿
公家が生き残ったのわ職能、技芸を持って居たからで軛でも何でも無い
>>513-514
室町幕府はより封建的分権的で藩鎮と比べ守護大名の支配力が強かったからその差でしょ >>515
てか、関東は相当早い段階から将軍権力と余り関係無く独自に動く別世界よ >>522
王朝だけで言えば東ローマに在った王朝は何度も滅んでるんだし
支配民族がトルコ人に代わったとしても別段不思議無くね >>520
そういわれてみれば、たしかにイメージできないな。
なんで後継者がいないんだ?
男大迹王が越前から招かれて天皇になったように、
どこか少しでも離れたところに住んでる皇帝の親族がローマ帝国を継承したら
済む話なのでは? 血族が生き残っているかどうかと、後を継がせてもらえるかどうかは別問題だろ。
日本だと仮に、神武天皇から続く男系男子が存在していても、
誰も天皇位に就けさせてもらえなければ本朝は終了。 >>527
モスクワ大公が東ローマの親戚だというので、東ローマの後継者を自称するようになった。
ロシア「皇帝」なのは、それが由来だよな。 >>521
何を言ってる?
100万人のローマ人たちがローマ市を捨ててコンスタンティノープルに引っ越してきたのが「コンスタンティノープルへの遷都」だろ?
ローマ市の人口…紀元前500年 10万人
紀元前100年 100万人(ローマ帝国建設直後)
紀元200年 120万人
紀元400年 80万人
紀元500年 10万人(ローマ人ほぼ全員が東欧に移住した結果)
以後、ローマは都市とはみなされない。ローマ帝国の首都じゃなくなったから。
紀元500年のローマ人口10万人は、ローマ帝国が建設されるよりはるか昔の人口と同じ。
つまり、ローマ帝国の人民がすべて東ローマ帝国に引っ越してしまったことを示す。 そもそもローマ人をローマ人足らしめていたのはローマ市民権、果ては「ローマ人である」という自覚であったわけで、本来であれば人種とか民族なんてものは気にしない。
(ただし、南雲先生はローマ帝国後期にはいるとローマ人たちの間に排外的な民族意識が芽生えてゲルマン人たちを排撃するようになり、それが結果的に帝国の衰退を加速させた、というようなことをおっしゃってはいる)
東ローマ帝国滅亡の際に皇帝の血族がどこにもいなかったわけではない。帝国が滅亡したのは結果的に帝国が復興されなかったってだけ
ラテン帝国のときは実際復興されたわけだが、あの時点で帝国は一時的に滅亡してるわけだしな >>531
>そもそもローマ人をローマ人足らしめていたのはローマ市民権、果ては「ローマ人である」という自覚であったわけで、
つまり、今イタリアのローマ市である、あのローマと言う場所は問題ではなく、
「ローマ帝国の市民である」という意識が重要だったわけだね?
4〜5世紀、「ローマ帝国」が、ローマ市からコンスタンティノープルに遷都した時、
100万人もの市民が、こぞってローマ市を離れてコンスタンティノープルに移動し、
「イタリアローマ市の市民」ではなく、「ローマ帝国(コンスタンティノープル)の市民」
であることを証明しようとした。
そういう理解でOK? >>532
カラカラ帝の治世に帝国内の全自由人にローマ市民権が与えられていること
ディオクレティアヌス帝、およびコンスタンティヌス帝の治世における帝国統治理念(皇帝権威の基盤の変化とい言い換えてもいい)の変化
以上のことを踏まえれば、それ以前と比して帝国統治の象徴としてのローマ市それ自体の価値が、相対的に低下していたのではないかと考えることはできる。
> 「イタリアローマ市の市民」ではなく、「ローマ帝国(コンスタンティノープル)の市民」
> であることを証明しようとした。
証明しようとしたのかはわからない。帝国内の経済規模は東方が圧倒的であり、対する西方は費用対効果としては東方に及ばない。実利的な判断が働いた故の遷都だったと思うがね。
いずれにせよ、ローマに住んでいた人々がコンスタンティノープルに移住しようがしまいが、帝国内のローマ市民権を持った人々が、等しく自分たちをローマ人と規定していたことに間違いはない。 ローマ市がローマ帝国の首都だった時には120万人もの人口があって、
コンスタンティノープルに遷都すると、10万人までに減ってしまったことは重要なことだと思う。
コンスタンティノープルも、ローマ帝国の首都となってから、人口が60万人を超えた。
大事なのは、イタリアにあるローマ市がローマ帝国の首都だったのは紀元前1世紀から起源
4世紀までの400年ほど。
一方で、コンスタンティノープル市がローマ帝国の首都だったのは、紀元4世紀から
紀元16世紀までの1200年。
この現実はちゃんと知っておいた方がいいと思う。 東西ローマ共存時代とビザンツ時代との連続性がどこにあって、逆に断絶がどこにあるのかは気になるな
少なくともハドリアヌス時代とユスティニアヌス時代は全くの別物に思えるんだけどね キリスト化してる時点で別人でしょ
全く違う見方で世界を見てる そら別もんよ。
一般的には7世紀にシリアとエジプトを失って以降、帝国のギリシア化が進んでビザンツ帝国と呼ばれるやうになった、みたいな言われ方がされてるよね
ただビザンツ帝国の人間は自分たちのことを「ローマ」って言ってたわけだから、よくわからん 断絶が無くても500年も経てば全然別の国に成るわな
今の日本で云えば室町時代末期やぞ
ビザンツ帝国にローマ人の意識が在ってローマ人の帝国を自認してて
実際、蛮族の王国と違い外形的にも最もローマ帝国っぽかったわけだし 西ローマでは、その高い識字率にも関わらず最後まで女性に参政権が与えられなかった
キリスト教はどちらかといえば女性の政治的関与を抑制する方向に働いた(と本で読んだ気がする)
しかし同じキリスト教国である東ローマでは女帝が生まれた
この違いはどこから生まれたの? 日本だって大和朝廷の頃と
封建時代と今じゃ全然違うが、
皆日本人だ。
首都だって奈良、京都、東京と移転しているし、
東京の人口は京都の約10倍じゃないか。 >>540
基本は文化的、身分固定が弱い程女性の社会的地位が高いでしょ
美化して云えば尚武だけど有体に言えば野蛮だし 男女平等のスキタイは文化レベルがギリシャローマより高かった!w 女性の権利を認めていて女帝を容認してるなら文化の高さと言えるかもしれんが、
ルールを守って女を公的地位につかせないのと
皇帝の愛人だったから女帝になれました(なし崩し)
ってのじゃ前者の方が文化高い気がする コンスタンティヌス帝とテオドシウス帝だったら、どちらが国のリーダーとして
優れていましたか?! >>543
遊牧民は家が安定しないから身分固定が甘い
1代で大きく成ったり落ちぶれたりするしね >>538
ビザンツ帝国なんて名称は滅亡後何百年も経った後からドイツ人が付けた名所だろ。 女性の権利を認めているから文化レベルが高いみたいな言い草が現代の価値観に当てはめたモノの見方なんで >>536
ユスティニアヌス朝時代のバルカンのスラブ化で断絶している
バルカンがスラブ化するまでは東ローマの支配層はラテン系だった
イリュリアやモエシアなどバルカンのラテン人居住地が
スラブ化したので東ローマ領内からラテン系がいなくなった
ヴェネチア人はイリュリア人がラテン化イタリア化した民族だから
ヴェネチアはルーマニアとともにクラウディウス・ゴティクスから
ユスティニアヌス朝の直系の子孫 >>549
というか古代地中海世界文化レベル最強のギリシャが女性の地位を全く認めてないからな まぁギリシャもローマも兵役就てこその市民権だからな。
無産階級が兵役つけるようになるのもだいぶ時代が下るぜ 一方、文明文化レベル最低のガリアは一般人の女も普通に民会に出席していた
遊牧民も大概、双系制で女の地位が高く普通に女首長がいる
十三翼の戦いでモンゴル軍を指揮していたのもチンギスじゃなくてホエルンだし
両者に共通しているのは牧畜狩猟社会で、常に部族あげて戦争していたこと 女性の社会進出とやらも戦時の労働力不足による徴用もしく貧困の結果起こったことにしか過ぎないからな
思想だとか文明レベルだとか関係ない
現在でも一位から順にルワンダ、タンザニア、マダガスカル、ジンバブエ、モザンビークとアフリカ勢が上位独占で
イスラム圏以外は後進国ほど、女性の就労率は高い >>550
ローマから東ローマ領域に移転したラテン系民族がスラブ系に飲み込まれて消えたってこと? ローマらしさが確立したのが共和政前期か中期頃
完全に断絶したのが帝政後期あたりという認識でOK? 大英帝国はローマ帝国意識してのかね
チャーチルだけは有名だけど 学問や贅沢を知らないあばら家に住む迷信深い屈強な牧畜民による戦士集団こそが真のローマと考えるなら
共和制前期からポエニ戦争まで 共和制末期までマジでそんなレベルまでローマを退行させようとした保守派が結構いたからな
実はキケロ物もその一人 キケロ自体が戦士とは程遠いと思うのにな
しかも田舎者だし キケロってプリンキパトゥス政の提唱者じゃなかったっけ?
ポンペイウスやカエサルをそう定義することで、共和政と僭主政の妥協を図ろうとした(牽制したともいえる)んだから進歩的じゃね? >>564
キケロがスッラと対立してたの知らない人? >>569
パルティア人がエヂプトで市民権者に抑留されてたのを
役持ち貴族の地元採用奴隷に助けられた様なもんか 大カトも小カトも軍事的には無能だよな
2人とも記録に残ってる勝ち戦ある? 軍事もダメだけど政治家としても微妙というね
テレビの批評家とかコメンテーターとかにいそうな感じ 小カトは数々のエピソードから頑固だけど良い人ではあるんだろうなと思えるが
大カトは人間性からして信用ならん 年取っても若い女とやってたのは市民を増やすためだから…(震え) グレコ=バクトリア王国やインド=グリーク諸王国の軍隊はマケドニア式ファランクスを維持していたのかな
あそこら辺で主流の軽装弓騎兵相手に鈍重なマケドニア式ファランクスは分が悪そうだが ローマスレで突然全く関係のないネタを振れるのすごいね スキピオの政敵が小カトーで
カエサルの政敵が大カトーだったらどうなってたんだろ 古代中国や戦国日本のスレチは全くお咎め無しで延々と続けるのになぜか古代ギリシャ方面に話が逸れようとすると神経質になる奴がいるな みんなポンペイウスをどんな人物だと思ってる?
自分はお人好しの天才お坊ちゃんだと思ってるんだけど
カエサルとの対比か、はたまたドラマROMEの影響か、叩き上げの軍人風だと思ってる人がいてビックリした 福々しい肖像彫刻を見ると、あんま苦労はしたことないんだろうなとは思う。>ポンペイウス お人好しのおぼっちゃまっていうのも塩野史観の影響じゃね
配下の軍人がついてくるぐらいには軍人然としてただろう >>583
エリート軍人風って意味で言った
甘ったれとかマザコンとかそういう意味じゃないよ
ただ根っこのところにお人好しな感じがあるというか。厳しさだけじゃない包容力で部下に慕われた感じ 大カトーとかキケロとかセネカとか、ローマの賢人は
なんで信用ならない奴ばっかりなんだ。 >>585
何だかんだ尚武の気風が残ってて、賢人に対しては周りの目が厳しくなったんじゃないの?
それを差し引いてもキケロは情けなすぎるだろって感じがするが ポンペイウスは逆境から立ち上がったカエサルとは真逆な感じだな
スッラやルクルスの後ろ盾もあっただろうし >>581
なんでかわかんないけどざっくりスキピオと被ってる
「慣習を破って若くして活躍」ってとこだけなんだけども ライバルが大カトー程度でカエサルがいなかったからな。
カエサルのライバルが小カトーしかいなかったらどうなのか。
もちろんキケロは風見鶏で。 スキピオにポエニ戦役時のやる気があれば
晩年における大カトーの難癖も跳ね除けて失脚せずに済んだだろうな
そこら辺が惜しい >>592
ネアカな大スキピオに陰湿な大カトーの相手は荷が重すぎただろう
同じローマ人相手に会戦するわけにもいかないし、マリウスみたいに粛正できるほどキチガイじゃない
小カト−はポンペイウス相手なら上手くやれただろうが、実は超陰湿なカエサルには敵わなかった
というか小カトーはあんまり陰湿ではないね。ちょっと老害っぽいけど気骨の人って感じ >>591
意外と鳴かず飛ばずで終わったりしてw
カエサルの雄飛はポンペイウスの甘さに助けられた部分が大きいからなぁ
元老院での弁舌合戦ではキケロに負けっぱなしだし 僕は古代ギリシャ人 古代ローマ人の弁論術にとても憧れて興味があります。
カッコイイイメージです 演説中に反対派勢力が武装して押し寄せて来たりギリシャ人ほどおとなしく演説聞いてる感じはないがローマ >>595
古代ギリシャでは、重要な行事のときには全裸が基本。
祭礼、戦争、民会の演説や決議、都市対抗運動会の競技、ともかく目立つ場面では
カッコ良く全裸だ。 戦争全裸wまだパジャマのペルシア歩兵の方がマシだな >>598
それって、マジですか!?
古代オリンピックは全裸で競技していたと、昔トリビアの泉でやってたのを思い出したwww スネ当、胴鎧、なんて付けてるのは随伴のペリオイコイだぞ。
ラケダイモンは全裸に兜、楯と、槍
密集歩兵群の最前列右端は、フルチン丸見せだぞ。 ローマ軍は弓矢から身を守るために身体に亀甲縛りを施してたらしいな >>601
うんなわけねえだろ
>>602
市民が重装歩兵でペリオイコイは軽装歩兵なんだが
>>603
亀甲陣形と亀甲縛りかけるとか寒いんだよ なんでそんなカリカリしてるんだ?
明日から学校で憂鬱なのかい? >>604
大縦と長槍が重装なんだよ。んなもの持って駆け回れんからな。
従卒は駆け回るから胴巻きの防具が要るんだよ。精々円い楯と柄の短い剣とだから軽装なんだよ。 長槍戦術が確立したのは盾の小型化したマケドニアファランクスから
重装歩兵の持つホプロンは10kg近くあるので当然ながら長槍など持てない
それ以前のマケドニア式以前のファランクス戦術は陣形を組んでひたすら前進するというものなので
駆け回る必要もないし、軽装歩兵は軽視されトラキア人傭兵を使うことが多かった
これを一変させたのがイフィクラテースでネポスによると彼は歩兵にはリネン制の布鎧のみを着用させ、盾を小型化、剣と槍を大型化することで
重厚な鎧で完全武装したスパルタ軍を機動戦で圧倒したと伝えている またヘレニズム時代になると軽装歩兵と重装歩兵の間に小手と脛当てを省いたサムニウム兵みたいな格好をした胸甲兵というのがある
出てくるのだが、これを主力としていたのがアエトリア同盟でポリュビオスによると山岳戦で猛威を振るったらしい 革鎧を使っていたのは弓矢での戦いが多かったアジア地方の連中だろ
確かに紀元前7世紀以降から一部に革を使って軽量化&量産化を図ったりはしたがな
エジプトに上陸したカリア人とギリシャ人の海賊を見たプサメンティコスが青銅の人と呼んだという伝承がある ポピュラーにはならなかったが東方の影響を受けて鱗鎧をつける連中もいたらしい
https://i.pinimg.com/originals/e3/41/04/e34104ed91af407b5549ac43cac20c04.jpg
アケメネス朝ペルシャの影響かと思ったけど歴史は意外と古くミケーネ人の一派とみられるペリシテ人がすでに使っていたらしい >>611
マケドニア諸王朝が成立する頃迄、兜や脛当てが青銅で鎧わ皮革 シュメール人の画像を検索してみると、上半身は裸ぽいね
あと、シュメール人 バビロニア人てモンゴロイド系だと予想している >>614
ゲルマン民族も古代ローマ人も昔は女たちもおっぱいむき出しだったの? 初めて裸を恥ずかしいと思ったのは、モーセに率いられ、アダムとイブの話を伝えたユダヤ人たち? >>598
そのとき、古代ギリシャの女子たちはどこでどうしてたんですか? 執政官「セプテンベルのカレンダエを宣言する!」
鳥占官「本月のローマ市の運勢は…」 >>617
出たがりの古代ギリシャ人でも全裸は市民正丁の特権。
女は半人前の人格しか認められてないので、公の場で裸になる権利はありません。
市民の妻女はよほどのことが無い限り外出すら許可されません。おうちで子育てと糸繰機織に明け暮れてます。 >>614
それは女神様
人は胸を覆った服を着てるよ
シュメールのあの顔でモンゴロイドだとしたら
古モンゴロイドだけど、鼻のあたりが違う気がする シュメールとかエトルリアの系統不明っていうのは所謂語族の系統が不明って意味だろ?
普通に原住だったんじゃねーの?知らんけど でもエトルリア人は古代の歴史家は必ず何処かから来た人たちってことにしてるし(アルプス以北説とアナトリア説があるにせよ)原住民族ではないんじゃね シュメール人はネアンデルタール系の生残りだったとか?
脳の構造が違うので、原始生活から脱却できなかったクロマニヨン系(メソポタミア人)より発達した文化が作れ、自らは絶滅乃至クロマニヨン系に吸収された
…みたいな >>623
割と近くのインドが北も南も古アジア系だから人種的にアジア系でも何の不思議も無い イタリア半島もメソポタミアもインドからは程遠いと思うが…… フィンランド人が東南アジアからやって来たってご存知ない? その話とインド-イタリア半島の地理の話と何の関係があるんですか? >>627
一昔前に流行った語族の話になるが
インドのアーリヤ人も、メソポタミアに君臨したヒッタイト人やペルシア人も、ヨーロッパ文明の始まりであるギリシア人やローマ人、そしてゲルマン人も、みんなインド・ヨーロッパ語族に分類される。
つまり彼らの使う言語は、元を辿れば一つの言語に収束すると考えられており、そのことが彼らが元は同じ地域に住んでいたと考えられる根拠にもなっている
ただしエトルリア人はその言語系統が不明なので…という話 僕も>>625の意見に賛成
古代文明の世界は、今を生きる現代人と違ってネアンデルタール人を始めいろんな種族の人類がいたと思う。
(もしくは生き残り)
もしかしたら超古代文明はあったかも知れない >>624
ローマ人だって祖先がアナトリアから来たことになってるだろ。
トロイヤの遺臣遺民があちこち放浪してカルタゴに寄ったりしながら、最終的にラティウム地方に流れ着いたと。 >>630
言語と血統と帰属意識との組み合わせは簡単に入れ替わるからなー
たとえば、アメリカ人。
血の量から言えば、一番多いのはドイツ系。大体4割。もともと英語を持ち込んできたアングロ系(イングランド啓・スコットランド系)はドイツ系の半分くらい。
なのに最も優生な言語は英語で、ドイツ語解る人は極僅か。
結構な数のヒスパニックは居るけど、古い時代に、たとえば米西戦争のとき地面ごとアメリカに編入された人は、アメリカ人でありヒスパニック系であるという
意識はあっても、スペイン語はおぼつかず、専ら英語。
フィリピン系、支那系、アフリカ系もやっぱり喋ってるのは英語。 キリスト教はじめそれの登場も大きいのかもね。
アナトリアの住民も元はレスプブリカに属するローマ市民って意識がいろんな集団の流入と今月で支配者がその地域地域で変わっていこうとも俺らキリスト教徒俺らイスラム教徒ってざっくりとそういう帰属意識に変わって
しまいにはトルコの文化言語を持ちながらも俺はキリスト教徒別にオスマン人じゃないしとか
ギリシャ系の文化言語を持ちながらも逆に俺らイスラム教徒だからギリシャ人じゃないしみたいな感じになって見た目や言語習慣じゃその集団がどのアイデンティティ持ってるかさっぱり不明というか 言語わ入れ替わり易いよね
アラビア語とかトルコ語とか民族意識より短時間で置き換わってる >>637
古代とそれ以降は単純比較はできんよ。
言語とか血統、帰属意識の組み合わせが簡単に入れ替わりやすいのは全く異論はないけどね。
語族による人間集団の規定は、あくまでも地域間交流がまだ質的にも量的にも盛んでない時代だからこそ有用。人間集団の多様性が少なければ、特定の要素でその人間集団を規定することはそこまで難しくはない。
ただ語族とか言語で人間集団を規定出来るとすれば、ヨーロッパ地中海世界に限って言えば遅くともヘレニズムまで。そりゃ18世紀に言語だけでアメリカ人を規定することなんて不可能なのは当然だよ あとは単純に、今現在の歴史学において、古代の人間集団を規定するには言語が一番確実っていうのがあるかな
そりゃシュメール人とかエトルリア人のDNAでも採取できれば彼らがどこから来たのかなんてすぐ分かるけどね。
それが出来ないから、今現在手に入る資料・史料から判断するしかないんじゃないかな
連レスすまなんだ エトルリア人のDNAというか、エトルリア地方の古代ローマ時代の住民のDNAは採取されていてアナトリア説が補強されてるよ
ただアナトリア出身の軍団兵か補助兵がエトルリア地方に入植して、それがたまたま採取された可能性もある >>613
逆、むしろオリエントの影響受けてリネンキュラッサや革鎧が流行ってる
こっちのほうが動きやすいし弓矢に強いから 何で英語ではLinothoraxなのに日本ではリネンキュラッサって言うの? その理由わりとあると思うな>語感がカッコいい
完全に新しい単語の日本語表記を作らねばならないときに
学問的正しさ等はもちろん最優先されるのだけれども
最終選択においてその音感は重要な要素になるよ
愛着ができているからね >>617
機織りから奴隷を引き連れて農業、牧畜、オリーブ栽培などすべての労働
基本、男は遊んで暮らして労働は女と奴隷の仕事と考えられていたから >>648
ポリスの中のアゴラでは、夏でも爆乳、胸チラ、ミニスカは見ることができなくて、男ばっかりだったんですね。
アゴラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%A9
ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテナイは商業的なアゴラを推進したが、
アリストテレスは市場としてのアゴラと政治的なアゴラを分離することを主張した。
市場での買い物も男の仕事? 現代の価値観を投影しすぎなんじゃないの
当時乳房をエロいと見なす価値観はまだなくもっぽら足だったはず
市場での買い物も基本は女で最終的に東ローマになると男は家から外に出ることすら滅多にしなくなり
イブン・バットゥータも「市場や街中にいるのは女ばかりである」と大旅行記に書いている おっぱいについてはどうなんだろうな
それこそ女の平和とか女の議会とか読めばなんかわかるんじゃない? 東ローマ国民総引きこもり状態か
そりゃ戦争に弱くなりますわ パラエストラもアゴラも演劇場もなくなっちゃったし
ま、多少はね? 闘技場も大浴場もないし、もうやだああ〜やだもうやだあ・・・無理い〜もう無理い〜 家で何してたのかが気になるよな
仕事も1日中ではないだろうし
やっぱ読書と象牙製品ぐらいか娯楽は >>640
一強多弱になると簡単に言語なんて入れ替わる。
長らく小集団がみんなバラバラの言語を話し隣の集団との交渉のために多弱がそれぞれ互いの言語を習得していたものが、
一教の登場で、多弱すべてが一強の言葉を使って弱小勢力どうしの交渉をやはじめる。
そうなると、ニ・三世代のうちに元の言語を失って、一強の言語を血統に拘わらず喋るようになる。 ローマで例えると西方領土は経済的に圧倒的だったラテン語が広がっていったけど、東方領土はオリエントはじめ経済的には優位で
その経済圏の共通語だったギリシャ語の方が後々まで残って、しまいには東ローマの共通語となったみたいな?
軍事力も要素なんだろうけどやっぱりより経済の強い奴らが話してる言語の方が主流になっていくのかね? ガリアもゲルマニアもクソ田舎で、谷ごと川筋ごとに訛が違ってて通じねーんだもん
ガリア語いくつも憶えるよか、ラテン語一つ憶えてりゃ隣の谷も3つ川向こうでもなんとか通じて楽だからなー 使いやすさもあるでしょ
古代ギリシャ語は当時にしては圧倒的な完成度 いやそれはない
ガリアはガリア・コマタとガラテア人が通訳なしで喋れるほど均一的だったらしい >>656
まあ一強多弱でも多弱の側の言語が一強と根本的に違っていればそう簡単には飲み込まれないんだけどね。
例えばアラム語圏やコプト語圏はアラビア語に飲み込まれてしまったがペルシア語やトルコ系の言葉は無事だった。
ベラルーシ語は今まさにロシア語に飲み込まれているところだがキルギス語やグルジア語は当面安泰だ。 >>662
シュメール語とか統一がままならんうちに、広域で言葉が同じで且つ政治力軍事力の強いアカディア語に飲み込まれてしまったろ・
シュメール語の各都市の方言が多弱、アカディア語が一強な。
コプト語やアラム語がアラビア語に飲み込まれたときも似たようなモノ。
コプト語派、下エジプトと屈曲部と上エジプトとで通じないくらい別の言葉になりかけていた上に、沿岸部はラテン語とギリシャ語、ナイルから10キロも離れると
モール人各部族。まさに、多弱の状態。 古代のケルト語はラテン語とかなり似た形だったようだが 島のブリトン語と大陸のガリア語よりも
ラテン語とガリア語の方が似ていたそうだ 経済と言語の結びつきはかなりあると思うな
アラム語はアラム人が登場して以降爆発的に広がり、少なくともイエスの時代までは使われていたらしい。イエスがアラム語て話したってのは有名だし、パルティアの公用語もアラム語が採用されたらしい。(公用語がアラム語単一だったかは不明)
ちなみに言語とはまた別に文字についていえば、アラム文字はソグド文字、突厥文字、ウイグル文字、満州文字にまで派生してるから超すごい(小並感) >>662
バビロニアからシリアからレバントからペルシャの西部からエジプトから支配するアッシリア帝国があったからな。
その後のカルデアもバビロニアを自称していたものの実質的な支配層はアッシリア人が多くてシリア・メソポタミア・レバントはアッシリア語が通用する。
古今東西どこでもそういうことやるけど、カルデアは特に念入りに、支配域内で地元勢が多数派にならないよう、住民の移し替えをやってる。
何千年も経ってもまだ怨み語と言われる、バビロン虜囚も、それな。
結果的に、領内各地で、アラム語の一強と、その他の多弱の状態を人為的に作り出したことになる。
次のアケメネス王朝は、一種の封建制のようなやり方での、間接支配。知事を派遣して地元勢力を知事に協力させるというやりかた。
なので、アラム語の通用している地域でアラム語が廃れることも無ければ、ペルシャ語が押し付けられることもなかったので、割と残った。 上でエトルリアが出てきたから聞きたいけど
お墓以外の居住地とかは遺跡ないの?
写真あったら見たい
素人な質問ですみません エトルリア人の暮らし
http://www.daviddarling.info/encyclopedia_of_history/E/Etruscans.html
街
http://i.imgur.com/d2eIyOc.jpg
神殿
http://blogimages.animhut.com/wp-content/uploads/2010/09/temple.jpg
陽気な連中だったようで笑みを浮かべた像や踊っている絵が多くギリシャと違って女性像が多いのも特徴である
また夫婦仲を重視していたようで男女一対像も多数残っている
男は半裸、女は全身シースールの服を身に着けていた
ギリシャ人とは暗黒時代からの付き合いで文化もよく似ていたが衆人環視の中で性交を行う文化があったことから野蛮視視されていた スパルタの方がアテネより男女平等に近かったっけ
男女皆兵だったし >669
そういう性癖のあるギリシャ人カップルが
態々エトルリアにプレイに行ってそう わざわざエトルリアまで?
有り得なそう
南仏か南イの植民都市からいくとしても安全な旅路は確保されてないし >>673
アドリア海は海賊が荒らし回ってますけど
運良く渡れても陸路はラテン人蛮族がひしめいてて誰も安全を保障してくれない マグナ・グラエキアはエトルリアと通商してたんだから交易路はあるだろ
コルシカ、サルデーニャのフェニキア商人に連れてってもらうのもありだな >>673
アルバニア人のボートピープルが良く流れてきてたオトラントとレッチェ(クレーテーの植民市)からローマまで550キロ
ターレント(ラコニア人の植民市)かローマまで400キロ
シチリアとの海峡にめんしたレッジョ(アカイア人のカルキスの植民市)で直線500キロ海岸沿いの道で700キロ
反対側のナポリ(ふてないの植民市)からローマまで20.0キロ
トスカナ(エトルリア)の本拠地の中心いまでいうとフィレンツェりあたりまでならプラス350〜400キロ
道が整備されるポエニ戦争より前には行くの大変だよ。 うんなこといったらポキス人とかえらく辺鄙なところにアルル、ニース、マッシリアとか
大規模なポリス三つも立ててるけど 必要に迫られて大人数で行う植民や通商とカップル旅行を一緒にすんなよ
男女二人で安全にそんな遠距離を通行出来るのはローマ帝国の覇権が確立されてからの話 ローマでもイタリア半島ですら盗賊が横行してたから男女二人で旅行なんてまずありえないが
普通はキャラバンか交易船に同行させてもらうってのが近代以前はどの国どの時代でも共通だろ >>677
古代ギリシャ人て、マケドニア帝国が例外的に大陸でも内陸でもガンガン責めていったけど、
基本、海辺川辺に港町作ってそこから歩いて耕しに行ける範囲くらいしか支配していない。
本領中の本領ペロポンネソスですら、内陸はバルバロイの住処。
アルルもニースもマルセイユも海っペリだろ。ポリス時代、お互いの行き来は船だったのよ。 >>675
南米へスペイン語喋れず伝手も無いのに行く様なもんだな、 小 型 船 で 普通はポリス周辺は友好的な部族だけ残して後は排除してあるのが普通だけどな
クセノフォンがシノペに向かう所、地元土着民からの襲撃にあって撃滅したのだが
後からわかったことだが、その部族はシノペ市と友好関係を結んでいた
彼らはクセノフォン一行が略奪に向かおうとしているのだと想い、それからシノペ市民を守ろうと襲ってきたのだった
とちょっと泣ける話がアナバシスにある オスマンごときにコンスタンティノープルとられるとかすげー弱いんだろうな ローマが地中海世界の覇者だった頃ならオスマンは返り討ちにされてただろうな
東ローマ単体では荷が重かったに違いない ごときてw
15世紀半ばにはコンスタンティノープルの町一つ分しか領土無かったと 十字軍にも占領されてるからしゃーないといえばしゃーない 東ローマ帝国は聖像破壊活動(イコン)をやっていたから、バチが当たったんだよね
(*´ノд) >>683
実際あちこちで酷い略奪為捲ったしなギリシア人傭兵 すべては時の流れよ。
オスマンも第一次大戦時には「瀕死の重病人」と呼ばれていたし。 教皇に雇われてたスイス傭兵も略奪してたの?
してたとしたら大問題じゃね? 略奪の合間に気が向いたら戦う事も有るのがスイスとドイチュの傭兵 カトリックもオーソドックスも大概
ローマ帝国が滅んだのはユピテル神を崇めなくなったからやろ 公認してるだけで良かったのにな
日本みたいに神道信者とキリスト教徒で共存すればいいだろ
まあ日本の場合前者は右翼、後者は左翼が多いけど
ローマにもペイガンとキリストが共存できない(どちらかが国教でどちらかを迫害しなきゃならない)政治的事情があったのかな 中世西欧であれだけ禁欲的な宗教だったのに、よく古代ローマで受け入れられたよな。 そらキリスト教が一神教だからでしょ
一神教は他宗教の存在を許さないのが面倒
インドとパキスタンだってイスラム教が一神教だから分離したようなもの 現代でこそキリスト教徒は
なあなあでやってる感じがするけど(エホバとか極端なやつ除いて)
明治のキリスト教徒は家の仏壇を海に捨てたりして、ゴリゴリの一神教だったみたいだな 戦国時代には神父に唆されて
農民達が寺社を破壊
そりゃ徳川から邪教と言われるわ 古代ローマ・ギリシャ神話は信者0人になったのにもかかわらず情報が残ってるのはなんで?
マニ教みたくぺんぺん草も残らないぐらい抹消されてもおかしくないのに カトリック信者がプロテスタント全部の2倍も3倍もいるというのがちょっと信じられない。
アフリカ人や韓国人はほとんどカトリックだというけど。日本人もカトリックが多いのかな。 困ってる人々が救いの対象を求めて信仰する場合
制約が多い方が御利益にありそうに感じるんだよな
悪徳新興宗教はその辺を良く知っている 日本に正教会がいるって意外。
ほとんどがアメリカ系プロテスタントだと思ってた。 チュニジア…つまりカルタゴか
大カトーの怨念が数百年後津波でも起こして沈めたんだな
もし共和政末期に生きてたら都市カルタゴの復興に反対しただろうし >>712
知らなかった。プロテスタントより正教会のほうが多いの? 日本国内でカトリックは44万4千人ほど。
プロテスタントは50万9千人。
日本正教会の信者数は9千619人とのこと。
日本聖公会5万1千人
日本基督教団12万人
日本バプテスト連盟3万5千人
末日聖徒イエス・キリスト教会12万8千人
などにも遠く及びません。
正教会には頑張ってほしいけど、彼らは常に財政問題で悩んでるカトリックのように、
アジアアフリカで信徒を獲得しなきゃならないということはないんでしょうね。 日本の正教会って殆どが露助のじゃない?特に北海道は ロシア教会から独立した日本教会だよ
(協力は受けてるが)
ウクナイナ教会とロシア教会も別に東京にある
正教総本山(イスタンブール)は日本教会の独立を承認していないので、
日本教会としてはロシア教会と仲良くせざるを得ない事情はある (;゚o゚) ええっ 正教総本山ってオスマントルコの首都にあったのか?知らなかった! オスマントルコの首都になる前は、1000年以上もローマの首都だったんじゃよ 途中の十字軍連中に占領されてた時期から目を背けつつ 自称ローマ人の末裔の北方カルト軍団が占領してたんだから名義上はローマでいいな >>719
1453年の占領以降、オスマン帝国がルム・カイザリ(ローマ帝国)を兼ねてるからな イスラムが攻めてこなければ
西ゴートやビザンツは現代まで続いていたのだろうか? 十字軍がへとへとになって犠牲者を出しまくって行軍した荒野を
ローマ軍はすいすい進んでるね
これが兵站の有無の差なんだよな ローマ時代は人口希薄時代、ともかく人が資源になるくらい
或る程度の統率とれた集団なら敵なんか無いのも当然。
中世は逆に人が余って戦争になってる時代だから、行く手を阻む人も多数 中東に関しては古代でもいうほど人口希薄じゃないし
ローマ軍だって行く手を現地勢力にしょっちゅう阻まれてるよ >>730
セルジューク兵の襲撃以外でも食糧・水の不足で衰弱死しまくってるけど >>731
だから、人口希薄な古代では、戦争の戦利品に領地よりもさきに人を奪っていくだろ。
人がもっと居たら余ってる土地とか水とかもっと利用できるから。
中世だと、土地とか水とか森林とかの資源に対して人が余ってるから、奪い合い。
人の手で作るものも確保しやすいけれど、逆に物盗りにもなるからな。 だからあの地域は古代でも
そこまで人口希薄ではないだろ ユダヤ戦記よむかぎりじゃあんまり環境に違いはない印象だなあ
ローマ側も方々でかなり濃密な抵抗受けてるし 西欧に限って言えば古代より中世前期中期の方が人口少なくね?
水道もない狭い城壁の中で汚い水使いながら伝染病にかかりまくって農村でも水飲んで腹下すくらいならビール飲んだ方が安全
肉なんて滅多に食えず、宗教上の理由からひたすらパン
ライ麦パン
栄養偏りまくりというより栄養不足
食料事情や栄養状態、流通、衛生考えたら人が増える要素ないぞ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 >>738
ちゃんとした本読めば中世ヨーロッパの酷さは誰でもわかるぞ
一番大きいのが支配者の責任感の欠如
税金は山ほど取るが民を守る気がない(5公1教会1種籾1鉄製農具レンタル料2民つまり8公2民)
街や村を野盗・海賊に荒らされても男は殺され女子供がさらわれても領主は城に引きこもってやり過ごすだけで何もしない
民衆は絶望してますます宗教にのめり込むと言う悪循環
教会は科学否定で本を燃やすから文明が退行してローマ時代の施設が壊れても直せないので生活水準は落ちる一方
はっきりいって絶望しかない社会だ >>739
厳格じゃねーじゃん。
偶像崇拝に姦淫に豚肉に、教義に反してばかり。 >>739
作文お疲れ様
次は中世ヨーロッパよりは豊かだった3世紀のローマやビザンツ帝国にもキリスト教が受け容れられた理由を作文してね キリスト教は最初はローマ帝国内の貧困層から広まった 教皇「汝、殺すなかれ。ただし異教徒は別です。あと聖戦に参加したら天国へ行けますよ」
騎士「ヒャッハー!略奪だー」 >>739
ローマ帝国域内の海上交易って想像するより全然少ないよ
倭国時代の日中交易と大差無いレベル >>733
>>737
食糧不足のため、アンティオキアを包囲する十字軍の宿営内では飢餓が発生し、
人間も馬もばたばたと死んでいった。全軍で7人のうち1人は飢えで死に、軍馬は700頭しか残らなかった。
民衆十字軍の生き残りであり隠者ピエールに率いられて陣営にいた特に貧しい兵士たちのうちから、
死んだ敵兵の死体を食べる人肉食に走る者が現われた。
騎士らのうちにはあえて飢えを耐えようとする者もあった。しかし多くは馬の死体などを食べた。
流石にローマ軍はここまで酷い状況に陥ったことはないでしょ >>747
だからそれは十字軍側の物資確保能力が低いせいでしょ
あの地域の現地環境は古代も中世もそこまで変わらず
違うのは十字軍とローマ軍の補給能力ってこと >>746
さすがにそれは過小評価しすぎ
エジプト属州〜ローマ市間の穀物輸送に限っても年間十万トン以上だったんだし >>746
釣り針デカ過ぎw
海上交易が盛んじゃなきゃカルタゴがあれほどの経済大国になってないぞ 新航路が開拓されるまでは地中海貿易がメイン
ベネチア、ジェノヴァのことは言うまでもないだろ 一世紀の海上航路でローマ市に供給される穀物分だけでも40万トン級やぞ
倭国時代にんなド級交易してたまるか そのベネチアが関わってる十字軍で兵站が弱いとは一体? 大規模な海賊があらかた掃討されたローマ帝国時代とは違って
中世はサラセン海賊などが暴れてたからな ポンペイウスって凄かったんやな
何でカエサルに勝てなかったん? ローマ帝国のユダヤ戦争・パルティア戦争などと十字軍を比べるのは
ちょっと十字軍側にとって不公平だとは思う
ローマ側はすでに地中海とエジプト・アナトリアを完全掌握してたりと
そこにいたるまでの事前の周辺状況がまるで違うから
まあそれら周辺を踏まえて「公平」に考えると
十字軍の無計画っぷりがなおさら強調されてしまうんだけど >>755
しばらく一線から離れていてブランクあったのと
他の議員たちの顔を立てるために
軍議の場でも素人意見を聞き入れちゃったからじゃないかな それこそファルサルスの戦いとか
ポンペイウスがちゃんと自分の意見通していたら
カエサル連敗してたかもしれんからな 大規模な海賊とかローマ帝国期全般を通して年がら年中出まくってたが
ストラボンの地理誌見ると街全体が海賊とぐるになってるとこがザラにあったようだ
殺傷はなるべくせず貧民にばらまく所謂義賊みたいなのが現れたのもローマ帝国の頃 「大規模な海賊」ってのはポンペイウスが掃討したキリキア海賊や
のちのイスラム海賊のような規模のじゃないの
沿岸都市を片っ端から襲撃して焼きはらって住民を根こそぎ連れ去るレベルの >>757
そうはいっても小規模な軍団だった頃から野営するのにも陣地こさえてた奴らだからなぁ 「大規模な海賊」ってのが具体的にどんくらいなのかわからんが
少なくとも数百隻クラスによる大襲撃活動は
ポンペイウスによる殲滅以降3世紀のゴートアタックまで起きていない ゴートアタックってのが何を指してるか分からんがコンモドゥスの頃にはフェリクスと呼ばれる
海賊が数万単位の兵を率いて横行し貧民たちから支持を受けていたとカッシウス・ディオが記している
また海賊ではないが同時期、ヘロディアヌスによると脱走兵マテルヌスが大規模な盗賊集団を率いており
ローマ市への侵入を許すという前代未聞の出来事を起こしている >>764
Bulla Felixの手勢は600人だし
そもそもその二人は海賊ではないぞ ディオの77巻ざっと見返したけどフェリクスの兵600って書いてあるな >>749-752
一世紀わそうだけど五賢帝の頃から減り始めて二世紀末だと月1隻とか年間数隻位(推定値)とかそんなレベル
近距離の陸上輸送に段々置き換わったと 海賊・三世紀・ゴートといやあ、
250〜270年代のゴート船団によるエーゲ海・東地中海への大襲撃じゃないか。
フェリクスだのマテルヌスだのよりも遥かに基本の知識だと思うぞ。 ソースといえば古代ローマのガルムってローマ帝国解体とともになくなったんだよな
正直ワインが残ってガルムが消えた理由がよくわからん
地中海の安定が失われたと同時に漁獲量も減ったことが原因なのかな セウェルス帝がより海運を円滑にすべくテッラチーナ港〜オスティア港間の街道作ってるんだけど
月一隻程度でそうする必要が生じたとかローマは万トンクラスのタンカーでも使ってたのか >>728
ロシアに急襲、もとい吸収合併・併合されただろうw ローマ帝国だからなぁ
10万トン超えるタンカーくらい保有しててもおかしくない。 コンスタンティノープルって東ローマ→オスマン帝国になった時に民族の変化あったの?
単にキリスト教からイスラム教に改宗しただけで、実は人々は殆ど変わってなかったとかない? >>774
その技術についてはあんまり
元々のオスティア港(アンティカ)も堆積でだんだん機能低下して
トラヤヌスが作った新オスティア港(ポルトゥス)に比重が傾いていったりしてる >>775
宗教以外で見分けるのは難しいぞ。
そのオスマンが発祥したのもコンスタンティノポリスから程遠くない場所の住民の愚連隊だったわけで余所からオスマン集団なるもんが大勢で押しかけたわけじゃない。 クリミアゴートというゴート族最弱なのに最も長く続いた部族もいるんだぜ
1700年代以降は分散させられ行方不明だが セルジューク朝に敗れてアナルトリア半島は一気にトルコ化した
これが十字軍の遠因 ギリシャ「アテネ・スパルタ、アレクサンドロス大王、ビザンツ帝国(キリッ」
イラン「アケメネス朝、ササン朝(キリッ」
ローマ「ローマ帝国(キリッ」
トルコ「オスマン帝国(キリッ」
イギリス「大英帝国(キリッ」
アメリカ「ふーん(鼻ほじ」 >>770
消えてねーだろ
ウスターソースの原料の一つのがアンチョビの塩漬だし オスマンになってからはるばるアナトリアにやって来たんじゃなく、オスマン発生から数世紀前からトルコ系の侵入移住は始まっていて
オスマンなるものはすでにアナトリアに数世紀に渡って定住していた奴らから発生したの。
オスマン集団なるもんがはるばるアナトリアに来たんじゃない。 >>775
イスラム教支配を嫌って出て行った多数
入れ替わりに
トルコ人の兵員や官吏とその家族
スペインから追放されてきた元イスラム教徒でここでキリスト教を棄教した人たちをかなりの数受け入れて
ヨーロッパの新支配地に住まわせてる。 >>782
それは「受け継がれた」であって、ガルムとしてはやっぱ消えてんじゃん いやアンチョビソース、今でも普通に南欧料理に使われてるし >>784
オスマンはホラズム軍の生き残りだったのでは?
ルーム・セルジューク=アングロ・サクソンならば
オスマン=ヴァイキングみたいな感じ >>775
1204年第4回十字軍による陥落から1453年オスマン軍による陥落までの間
コンスタンティノープルは住民が流失して大都市ではなかったので
イスタンブールの住民の多くはオスマン時代に移住した連中の子孫 >>788
オスマン自体はルームセルジューク崩壊後の混沌状態になったアナトリアで大小自然発生した盗賊野党傭兵団の中の1つくらいだと思うよ。
下手をしたら本当に最初の最初は街にも住めず山賊生活してたようなグループのリーダーがオスマンなる人物だった暗いな。 >>768
ゴート族が海峡を通ってエーゲ海に侵入した事が
コンスタンティノープル誕生のきっかけになったよね
サルマタイとか遊牧民は船を使わないからドナウ河の
防衛線だけで充分に防げたけどゴート族の出現で
さらに海峡も防備する必要が生じた
まずディオクレティアヌスがビチニアのニコメディアに遷都したけど
それ以前は東方の最重要支配拠点はシリアのアンティオキアだった 上から下までをきちんと監督する人のいる組織だった軍隊のローマ帝国と
目的は同じもの同士の大小の連合体でしかない十字軍を比較するのが間違ってる 十字軍はガチで聖地奪還を目指す信仰心の厚い奴も大勢いたが
一方で領地や財宝目的の連中も多数だった 日本には武士道があったから泰平の世を経ても
奢侈文弱になった清朝・オスマン帝国と違って尚武の気風を保てた
>>790
天下人の徳川家も元々は三河の土豪に過ぎなかった 信仰心は篤くとも隣人を愛する気持ちはなかったようだ 現代の欧州の王侯貴族の血筋は
元を辿ればローマ末期に侵入してきたゲルマン諸族の酋長に行きつく
ローマ皇帝や元老院議員の末裔は不明(庶民の身分に落とされたのか) >>795
異教徒は人外(獣)扱い
サラセン人しかり、インディオしかり カール大帝のフランク人サリ部族はユリウス氏族だからローマ人の貴種と同祖同族だな。
でなんだかんだでヨーロッパの王侯貴族はみんなカール大帝の子孫だし。 >809
アメリカは大陸の古文明に尊敬は抱いてると思うが
古い文明を馬鹿にするのは社会主義国家群 カエサルが盛大にばら撒いてるからな。
ユリウス氏族 >>800
ロムルスによるローマ建国が紀元前750年くらいだから、アイネイアスからロムルスまで15世代ロムルスから遡って400年前、アイネイアスは紀元前1150年くらいの人だな。
カール大帝は8世紀前半の生まれだから、アイネイアスから1900年後くらいの人。辺境の蛮族にも血が行き渡ってておかしくないな。 トロイはミケーネに滅ぼされたんだから、トロイ戦争は
紀元前1200年のカタストロフより前なのか。 四皇帝の年にバダウィ族のユリウス・キヴィリスが反乱起こしてるな
他にもユリウス・クラシクス、ユリウス・トゥートル、ユリウス・ヴァレンティヌス、ユリウス・サビヌス
とかどんだけユリウスいるのってぐらい出てくる >>796
元老院議員(セナトール)ならメロヴィング朝あたりまで官僚兼司教として残ってるよ
トゥールのグレゴリウスもセナトールの家系だし 六世紀ぐらいから、セナトール系からゲルマン系貴族が力持ってくるからね 共和政期のパトリキを起源とする氏族は少子化のせいで軍人皇帝時代ぐらいにはかなりの数が絶えたんじゃなかったっけ
それでも残った氏族は皇帝とともにコンスタンティノポリスに移住したから西欧には残っていないかと >>794
日本のサラリーマン侍の弱さを甘く見るなよ
桜田門外の変じゃ真っ先に主君を見捨てて逃げて禄没収された赤備の末裔とか
ペリー来たから本格的に鍛え直すぞーって講武所開設したらさっさに幼子に家督を譲って隠居して幼子に講武所行かせる若い当主ばっかり
無論いつの時代も雑魚はいるから比率の問題かもしれんが 幕末でも横柄で傲慢な尚武の気風は残ってたよ
その代わり文官として無能だったけど 武士が役に立たないのは、戊辰戦争で証明されてるしな。 >>814
幕軍 = 武士
皇軍 = お公家さんの大将プラス農民からかき集めた俄仕立て兵員 西南戦争はむしろ農民軍の錬度の弱さが露点した最初の戦いになった
タダの素人をたった1〜2年でセミプロレベルまで引き上げるノウハウがまだなかった >>808
>それでも残った氏族は皇帝とともにコンスタンティノポリスに移住したから西欧には残っていないかと
セナトール貴族何てほとんど西ローマに放置してきているけど
既存勢力の力弱めるために遷都したのに連れて行くわけないじゃん そしてローマに残った元老院議員はみんなゲルマン人に殺されるか奴隷にされてしまった訳だな ローマも軟弱になって最後の方とかは軍団がゲルマン傭兵ばっかりじゃん
カルタゴとガチバトルやった時の心意気はどこいった・・・ その後も教皇やフランク国王に取り入って絶頂を極めてましたが
ゲルマン系の王国といってもどこも王族以外の廷臣も司教の座もほとんどが元老院家系が占めていて
宮宰ももとはセナトール貴族の独占ポストだった
それが6世紀頃からピピン一世が宮宰に就いたのを皮切りにゲルマン貴族による巻き返しが始まると同時に
セナトール層の没落が起こり共和制から続いた元老院階級による大土地所有がようやく終止符を迎えるわけだ >>794
ギリシャ最強と謳われたスパルタも贅沢になって弱くなった >>821
ローマがすごかったのは共和国の時代だから
帝政ローマは共和国の遺産を食い潰してただけ >>824
ローマが一番すごいのは帝政の2世紀
この時期こそ最盛かつ最強 ローマの全盛期はトラヤヌス・ハドリアヌス帝の時代だよ パルティア凹ったらササン朝という裏ボスが出てきた
おまけにゲルマン連中も暴れ出した ゲルマニアを占領しておけばササン朝との戦いに専念できたものを >>824
共和政期が成長時代というのは同意だけど、
細かくみると共和政末の内乱時代こそが食い潰し期。
帝政移行はそこに安定をもたらして、
経済も軍事もより発展させて最盛期を築いたのだから、
「遺産を食い潰しただけ」とは間違ってもいえないよ。 帝政が共和制の遺産食い潰しただけとか
アウグストゥス終わってからモチベ低下した塩野史観か? 「帝政が共和制の遺産食い潰しただけ」が
塩野史観だという証左を書いてからそういうこと言えや >>827
マルクス・アウレリウス帝の治世にカッシウス将軍が
セレウキアを殲滅したのでメソポタミアから
親ローマ派が消滅してしまった まあトラヤヌス即位のライバル問題もスルーしてるし、
五賢帝期はテンションあがらなかったんだろうなとは思う塩婆。 塩野史観かどうかは知らんが、帝政が共和制の遺産を食い潰したっていう認識は、少なくとも現行のローマ史学における認識ではないよな >>830
それを「塩野史観」というのは間違いだぞ
塩婆も定説どおり五賢帝期が最盛時代としてるから
ただし語り口の熱さや著述の深さが内乱期から下がって褒める頻度も低下するから
読者側で「共和制>帝政」という印象を抱いてしまう人は少なからずいると思う 共和制ローマはグダグダな内戦しょっちゅうしてたり対外戦も全然安定してなくて
あっさり壊滅してたり色々と粗削り感が 対外戦が安定するのはスッラとかポンペイウス、カエサルが出てきてからだな
戦下手なクラッススは別よ
共和政末期勢は揃いも揃ってキャラが濃いから逆に帝政期が見劣りするんでない? 西ローマ帝国時代ていうのは、日本史で例えると
元老院議員=京都公家 ゲルマン部族=坂東武士 みたいな感じだと思う
鎌倉〜南北朝時代に似てるのかな 何を持って対外戦が安定するしないを語っているのかは知らんけど
共和制末期の連中がローマ史の中でやたら強調されるのは、歴史叙述がなされた帝政ローマ期の皇帝の権威とか権力の源泉がその時代にあったからなんだろうな
カエサルに関する記述のあれこれってどれくらい信憑性あるんだろう >>838
言うほどクラッススって戦下手か?
そりゃ上に挙がってる3人に比べりゃ見劣りするだろうが
スッラの麾下としてそれなりに実績挙げてるし、法務官を二度撃退して執政官が及び腰になったスパルタクス軍鎮圧にも一応成功してるし むしろクラッススってそこそこ戦上手だと思うんだが
ポンペイウスとかスレナスがそれを上回る天才だったってだけでしょ シリアは紛争前、豊かで安定した国だった。
アラブの春なんて騒がれたとき、長老といわれる年寄りたちは、絶対にやめておけ、ろくなことにならないと口をそろえていった。
現在、国中が紛争に巻き込まれ長老たちがいったとうりになった。
でもね、年寄りどもは、先進国からは遅れていてもそこそこ豊かで安定した社会に満足していたかもしれなかっただろうけど、
若者は違う。
能力のある若者、野心のある若者は外の世界に飛び出して力を試してみたい、祖国を古い世界から新しい世界へと変えてみせたい。
結果は悲惨な状況になってしまったけれども。
スティーブジョブズのご先祖様がシリアにとどまっていたらアップルは生まれていない。 パルティア遠征を実現してたらカエサルも負けてたりして
この人結構負けてるし辛勝も多いからね セレコウス朝・ローマ帝国・ビザンツ帝国と長きにわたり
ギリシャやローマに支配されたシリアだが、ムハンマド登場後一瞬でイスラム化したな
様々な民族に支配されても
トラヤヌスによる征服から今日までずっとアイデンティティーが「ローマ人」のルーマニアとは非常に対照的 イギリスは聖地からユダヤ人とムスリムを追い出してエルサレム王国を再興するべきだった カール大帝の称号も西ローマ皇帝だからね
暗黒の中世になって数百年経ってもローマの権威は残っていたわけだ カンナエの戦いとかアラウシオの戦いとかカルラエの戦いとか共和制期
はウッソだろお前みたいな負け方することあったけど、帝政期入ってからはそんな派手な失態はないし
大抵やられたら倍返ししてるよね ササン朝やゴートに皇帝ぬっ殺されたことあったけどね
ローマ劫略はスティリコを排除したことによる自滅
アラリックにとっては幸運だった ガリア戦争でもヘルウェティイ族との戦いウォセグスの戦いでは圧倒的だったのに
アドゥアトゥカの戦いでは一個軍団と5コホルスが壊滅したりいまいち強いのか弱いのかわからない >>840
ガリア戦記とか盛り盛りに山盛り盛ってるもんな
>>839
西ローマ帝国〜フランク王国のローマ系貴族と似た存在ってあんま日本史に見当たら無い気がする
南北朝でも日本より中国の南北朝と山東貴族の方が近いイメージ 最低のローマ皇帝は満場一致で文句なしにホリノウスだが
最高のローマ皇帝は誰だろう?アウグストゥス?トラヤヌス?ハドリアヌス?コンスタンティヌス? >>844
スレナスが粛清されなければパルティアは
カエサルに勝利したかもしれないね >>854
最盛1〜2世紀における最大の敗北といえそうだけど、
それでもたかが三個軍団だからなあ。
>>848に出てるような特大敗北に比べたらだいぶ軽い。 >>855
言うほど容易くはないぞ
アントニウスだって撃退されてるし
その後トラヤヌスはじめ何人もの皇帝が首都を落としても国としては中々滅びなかった
カエサルがアレクサンダー気取りで深入りしてたら戦死した可能性もある 共和政期や三世紀以降は
「歴史的大敗」とくれば5〜10個軍団級がポンポンふっ飛んでるのに
帝政初期は一番でかいトイトブルクの負けでも3個軍団
やっぱりただ強いだけじゃなく安定感もあるね >>852
最低のローマ皇帝はユスティニアヌス1世では?
イタリアとバルカンを壊滅させて名実ともに古代ローマを終わらせた
最高のローマ皇帝は満場一致で文句なしにアウグストゥス 共和政末期にバッススさんが圧勝してるのに無かったことにされてる
パルティアは厄介な敵ではあるけど勝てないほどのものでもないよ >>860
パルティアの恐ろしさは「勝てない」ことじゃなくて「勝っても倒せない」ことだから
国力が充実しまくってた五賢帝期にも倒しきれなかった
カエサルの真意が「適当に勝って切り上げる」んじゃなくて「パルティアの完全制圧」にあったならそれは不可能だったろう アウグストゥス帝を最高と評価するのは流石に軽率がすぎるだろ
元老院をあそこまで巧みに丸め込んだローマ帝国初代皇帝なんだから、歴史書だっていいように書かせてるに決まってる
その後の皇帝たちもアウグストゥスの名前を継承しているわけだから、当然否定なんてほとんどしないわな トラヤヌス、ウェルス、セプティミウス・セウェルス、
二世紀のパルティア遠征はどれも侵攻時は圧倒して首都まで蹂躙するんだけど、
その一通り勝った後から問題が噴出してるんだよね >>863
ましてや国力も安定度もその頃と比較にならないカエサルの時代ではね…… パルティアとローマの戦いは長いから一概には言えないけど、パルティアを完全に征服する必要性をローマ人が認識していたかってのは疑問だよね
少なくとも共和制期にパルティアと交戦したコンスルは、シリアエジプト防衛ありきの攻撃か、あるいは実績を積む手段にしか見ていなかったのではないか
だから、「倒しきれなかった」んじゃなくて、「倒す気がなかった」
まあ、本気で潰そうと思っても出来なかったとは思うけどね まあアウグストゥスが最良ではないにせよ、優秀な人物であったのは事実だろ
カエサルは若造だったアウグストゥスの資質をよく見抜けたな 何百年もローマ・ビザンツと死闘を演じたパルティアの強化版であるササン朝だけど
ポッと出のイスラムに瞬殺されてる
ビザンツとの戦いで疲弊し過ぎたかな
何気に最後の方にアケメネス朝の領域まで達してる 東ローマってそう考えると凄いな
ササン朝とのチキンレースにも生き残るし 「パルティアは王者にしか屈服しない」って話をカエサルが真に受けたというギボンの説が正しいか否かだな イスラームの勃興を受けて、ビザンツとササン朝で同盟を組む話があったらしいな
うまくいかなかったみたいだけど ゲルマニアを完全征服しても維持できたか怪しいところ
全員奴隷にするのは無理だしな カルラエ敗北から学んでウェンティディウス・バッススがテコ入れして
そこから2世紀にかけてちゃんと対パルティア戦の技能は蓄積
さらに軍そのものの能力も向上していたから戦闘では9割方勝ちという安定
ただしパルティアを真に征するには
「戦闘における強さ」とはまた違うものが必要だったというね ゲルマニアの例をみるとカエサルも占領する気は無かったんじゃない?
クラッススが大敗したとき捕まった捕虜奪還の目的もあったかもしれんし
こちらから攻めることでパルティア側からの侵攻を阻止するためかもしれん
オクタヴィアヌスとアグリッパも連れてく予定だったらしいが
カエサル本人でもないしわからん そもそもパルティアの征服とその属州の維持って、費用対効果が悪すぎるんだよな 古代では全く見ないスラブ人だけど
ゲルマン人の大移動後はどっから湧いてきたってくらい大量発生してるね ビザンツとササン朝との抗争でシルクロードが通行不能になり
商人はアラビア半島を経由するようになり富が蓄積される
そこにムハンマドが登場して信者増やしてやがて武装集団になり、そして伝説へ・・・ アラビア遠征を試みた人もいるが
アレクサンドロスは実行前に病死
ローマは実際に行軍したが暑さと水不足で断念 元祖パルティアキラーのウェンティディウス・バッススも
パルティア領内への追撃侵攻はしなかったからね
アントニウスに嫉妬されるのを警戒したとも言われてるけど
それ以前にバッススの戦略も戦術も基本的に守勢で誘うタイプで
パルティア側の土俵に踏み込まないことを第一にしてる節があるから
やはり彼は深入りする危険性を理解していたんじゃないかと思う >>874
メソポタミア属州は残しておくべきだった
肥沃な三日月地帯 >>880
え、あの時期のメソポタミアってもはやエジプトとかシリアと比べたらもう全然だったんじゃないの?
むしろメソポタミアって河川とペルシア湾のセットで交易の要衝としての価値の方がより重要視されてたのでは? >>859
ユスティニアヌスは功績もあるだろ
一時的にではあるがローマ帝国の領土をほぼ復元したし
ローマ法大全の編纂も特筆すべき点
ベリサリウスを酷使し過ぎなところはいただけないけどな
名将スティリコを処刑して蛮族祭りの原因を作って良いところ無しのホリノウスこそ
ローマ随一の暗君と言えるだろう 2世紀ローマがポエニ戦争ばりの国力総動員かけたら
たぶんゲルマニアもパルティアも征服できる
ただしポエニ戦争期よりも図体が遥かにデカイぶん負荷も桁外れだし回復も遅いから
おそらく疲労でローマ自身がそのままぶっ潰れて分裂解体する ホリノウスは草生える
でもさぁ、正直皇帝に即位したタイミングによって皇帝の業績ってかなり左右されるんじゃないかと思うんだよねぇ
清朝の最盛期の皇帝についても最近同じようなことが言われてる。つまり、清朝が彼らの治世に栄えたのは、皇帝のおかげじゃなくて、ほっといてもある程度栄える下地が揃っていたから、みたいな 時代に恵まれたローマ皇帝ならアントニウス・ピウスが筆頭かな
逆にめちゃくちゃな時代に即位したけど見事に事態収拾したのはアウレリアヌス >>886
そりゃもちろんそうさ
徳川六代将軍だったら俺にだってつとまる自信があるね! 明朝は暗君のオンパレードなのに300年も続いたところがすごい イスラム教の凄いところは死後の世界の俗っぽさよね(´・ω・`)
これを手に入れるために現世では戒律守ってるとか
>イスラームでは男性は天国で72人の処女と関係を持つことができる。
>永遠の処女とされる。
>また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。 >>887
アウレリアヌスがあと十年皇帝を続けてたらローマはもう少し保ったのかな? >酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができる
これがリアルであったのがローマ帝国
毎日美味しい物を食べては寝て食べては寝て、そして大浴場で好きなだけ寛ぐ
まさに天国
現代の先進国の下層や発展途上国の連中よりも余程良い暮らしをしてた >>891
最初の戦犯はカラカラ帝
アントニヌス勅令でローマ市民権の価値が暴落し
ローマ軍の成り手が減って粗悪なゲルマン傭兵頼みになって
軍団が弱体化していった アラブ族の狂戦士っぷりはイスラム以前からなので教義とか関係ない
モンゴルや女真と一緒で各部族が統一された瞬間に派遣確定 イスラム教が戒律に厳しくなったのってつい最近だしな
バーブル・ナーマとか見ると飲酒も麻薬、乱パもホモも何でもあり
ブルカなんて着だしたのもここ数十年の話だし
Lehnert、Landrockとかでググってみ
昔のイスラム圏の写真が見れるけど裸同然の姿してて肌の露出にうるさい当時のヨーロッパ人が物珍しがって殺到してた >>892
まさにキリスト教の教義からは外道と言われそうだよな。
本当にローマがよくあんな宗教受け入れたよな。
一部貧民の為の宗教みたいなもんだぜ >>895
ササン朝とアクスムの抗争でイエメンの農業が衰退して
イエメン農民らがベドウィン化したのでアラブの戦力が急増した >>896
全裸ちゃんもいるけど、何なんだ?
ローマから中世になっちゃったみたいな感じだな >>891
おそらくボヘミアを属州化しただろうね
ダキアのように放棄された後もラテン化したままで
ボヘミアはスラブ化しなかったかもしれない 首飾りつけただけの全裸ちゃんは北アフリカでは19世紀まで
未婚女子の間ではありふれた格好
結婚すると貞節を示すためヒジャブやブルカで身を隠すがそれでも胸をはだけていたり今より開放的な恰好していた
同時期のヨーロッパでは娼婦ですら裸は見せない
ポルノなんて持ったようなら刑務所に叩き込まれる
そんな時代にあって合法的に手に入るイスラム少女たちを映した写真や絵ハガキは家族以外の女の裸をみたことがないヨーロッパ紳士には飛ぶように売れた >>870
これがうまくいってたら、今日のISはなかったかもしれない? >>902
同盟が組まれていればイスラームの成功はなかったかもしれない、という意味合いであれば、可能性としてはあっただろうね
ただISILの本質はイスラームではなく欧米列強に対するアンチテーゼなので、違う形で同じようなものが出て来てはいたと思うよ 欧米列強に対するアンチテーゼといえば、中や露もそうじゃない?
なんか今回の北の問題でも顕現してるような希ガスるけど >>637
なら世界大戦も所詮ゲルマン人の内戦なんだな >>906
対欧米列強国というより
帝国主義者NATOの侵略に対抗する為止むを得ずだわな
NATOの侵略で幾つもの文明国が滅ぼされてるし しかし、WW2以降の一般的な日本人感覚でいえば、
米国=正しい、善、信頼できる
中国、ロシア=胡散臭い、邪悪
なんてイメージが一般的かなw原爆落とされた国なのにね >>909
そういう意識が形成されたのは中曽根以降やで
「ワタクシメは米国様の忠実なポチでござーいー!」って首相が尻尾振るから国民もそうなりはじめた
日米外交摩擦を経て、小泉が自衛隊を海外侵略に使ったところでポチ化完了 ゲルマンが世界最悪民族
次がイタリア人、次いでロシア人、フランス人、トルコ人、北欧人、ブラジル人が糞
米国人は存外まとも、中国人やスペイン人は上の連中と比べたら聖人君子 社会主義とか共産主義は勘弁だが、社会福祉はちゃんとやってもらいたい
金持ちからちゃんと税金とってよ >>908
いやいや、中国もロシアも、もといソ連も十分帝国主義だったじゃないか >>909
日本はじゃなくて世界中も当のソ連や中国の人民もそう思ってたけどね
自国民に対して核攻撃したり、数千万単位で虐殺やらかす国はどう強弁してもまともじゃない
>>910
大国に隣接してる小国はどこもそうでしょ
ポチがーポチがーとか安全よりも国のメンツを選ぶ奴のほうがどうしようもない
紀元前のローマでもあなたと似たようなこと考えてた連中がいたが、そいつらがどのような末路を迎えたか
ユダヤ戦記読んでどうぞ 反自民で日本共産党支持者の俺がネトウヨねえ?
日共がGHQを解放軍と呼び歓迎していたこと、憲法9条を攻撃した最初の政党であったこと、新聞赤旗が文革を批判していたこと
ソ連を悪の帝国と呼んでいたこと、原発事故で急旋回するまで原発推進派であったこともその調子じゃ知らなさそ どうしてロシア好きってちょっとおかしいのがおおいんだ? その人は別にロシア好きなわけじゃない
ネトウヨというワードで人を罵倒したいだけ >>919
戦前の日本共産党が労働者の賃金格差是正に反対していたこと
年功賃金にも反対していたこと
戦後しばらくの間ソ連から巨額の日本転覆用の資金をもらっていたことももちろんご存じだろうな? ローマ人だって社会主義や共産主義は嫌がると思うぞ
貧しさの平等とか発展を否定した蛮族の考えと判断するかもしれん 国際派とか半世紀以上前に総括された連中の話持ち出してバカじゃねえのコイツ ゲルマン人やスパルタ人みたいな脳筋ならマンセーしてくれたんじゃない? トルコはケマルが革命をしなければ
今でもアラブみたいなガチガチのイスラム世界だったかも 『資本論』の著者で科学的社会主義の創始者となったカール・マルクスは
最も尊敬する歴史上の人物としてスパルタクスの名を挙げ、
エンゲルスへの書簡でスパルタクスを
「全古代史の中でもっとも素晴らしい人物」、「ガリバルディも比べ物にならない偉大な将軍、高潔な人格」
と絶賛し、「古代プロレタリアートの真の代表者」と評した。
褒め過ぎィ そこまで深い人物なのかねスパルタクス
俺には単に戦争捕虜の奴隷が徒党を組んで反乱を起こしただけにしか見えんが
あれだけ大規模になったことからして指導力と魅力はかなりのもののようだ ? 君達何言ってるの?
渋沢栄一が日本に導入した"資本主義"は実は空想的社会主義だと言われているし(だから日本企業は特殊)
安倍がやたら熱心なオリンピックも万博も空想的社会主義の産物なんだが? 安倍政権は計画統制経済主義且つ資本原理主義且つ封建的血統主義という
意味不明な政体でしょ
高負担低福祉だけ日本の伝統を受け継いでるけど かつて「国家社会主義ドイツ労働者党」なる意味不明な政体があってな…… >>933
パーレビ追っ払ってホメイニ迎え入れたんだから清貧を旨にして
暮らしてればいいのに、経済悪化がどうのと言ってるイラン人はおかしい。 烏合の衆になちがちなのにきっちりまとめ上げ、ローマ正規軍に何度も勝ったのは正直すごいと思う >>928
ケマル=アタチュルクは存在自体がチートだからな。
ケマル1人で日本の維新の志士全員がした仕事をほとんどこなしている。 大移動初期にローマに勝ったゲルマン人も相当凄いと思う
いくら弱ったとは言え全員重装歩兵という当時としては超高級な軍隊にTシャツ戦士みたいな装備で突っ込んで勝っちゃうし
まあ後期になるとローマ軍の装備を盗んで重装化しただろうけど ナチスの「社会主義」って名前だけ取り出して得意げにナチスを左翼と形容する人がいるんだけど
あのネーミングってカモフラだよな? ナチスは明白に社会主義なんだが
大学に行ってまともな学問を受けられなかった人かな? お前はまず人に対する口の聞き方から学びなおしてこいよな ローマの装備を盗んでというか、もうローマ軍も同盟軍もゲルマン人だらけで、いわばゲルマン人同士の戦いみたいな感じじゃないか?
装備もそうだけどローマ軍の戦術そのものも学んで、さらに東方から鐙まで伝わって戦い方自体も長槍持ったゲルマン騎兵が優位になったというか。 ナポレオンとスターリンは成り上がりだけど、フランスもロシアも元々大国だからな
悪く言えば彼らはそこに乗っかっただけ
一方ヒトラーは莫大な賠償をせびられ借金だらけで破綻寸前のドイツからスタート
そこから回復してイギリスを除く欧州をほぼ征服したのだからこっちの方が難易度が高い 弱体化して国家破綻寸前のオスマン軍に返り討ちにされボコボコにされるギリシャって・・・ >>944
どの程度ローマの戦術を継承したんだろう
コホルスやケントゥリアまで継承されたんだろうか
中世になるといつの間にか歩兵はただのバラバラ突撃に戻ってるよね >>943
口の「利」き方ね
こんなオツムの程度じゃまともな仕事割り振ってもらえないでしょ 大学に残ってる連中って凄い性格悪いのが多いよな・・・ >>940
ローマ軍は盾で相手の攻撃を防ぎながらグラディウスでちくちく刺す感じ
ゲルマン人は斧やロングソードの原型みたいなのでぶった切る感じ >>941
経済政策はガチガチの左翼だけど
とりあえず「我が闘争」でも読んでみたら? そもそも社会主義と左翼って必ずしもイコールで結ばれるものではないっていう認識でいるんだけど違うかな
ナチスの経済政策は社会主義の路線だけど、それを持ってしてあれを左翼とは言わないのでは >>955
合ってる
けど社会主義=左翼って認識もそれなりに幅利かせてるので中々会話しづらいわな アリストテレスの存在も忘れ去られていた
アウグストゥス・トラヤヌスはキリスト史観でも名君だがな
科学・建築・水道・文化・芸術・戦術あたりは
ローマ崩壊後の教会による弾圧や、ゲルマン人が学問・技術を重視しなかったことも相俟って
一気に衰退した
中世は神父くらいしか文字が読めないくらいだし、あのカール大帝でさえ文盲 普通に左派に分類されてますけど民族ボルシェヴィズムぐらい抑えておこうな
民族主義だから左派じゃないとか帝国主義だから左派じゃないというのなら中共やソ連ですら左派じゃなくなってしまう
「余はマルクス主義をただ克服したのではない。マルクス主義において正しいものから、ユダヤ=タルムード教義の衣を取り除くならば、余はマルクス主義の執行者でもあるのだ。
余はマルクス主義から多くのことを学んだ。ためらうことなく、それを告白できる。」(『永遠なるヒトラー』ヘルマン・ラウシュニング) >>933
中東にとっては今が暗黒の中世なのかもな 磔にされたおっさんをご神体として崇めるカルトが今や世界最大の宗教とは
イエスを処刑した当時のローマでは流石に誰も予想は出来なかっただろう 映画「意志の勝利」を見たが、冒頭のヒトラーの演説が凄く煽動的で
「うおかっけえ!」と興奮してしまった。ところが、最後の閉会の
演説が原稿棒読みでさっぱり。
いつも絶好調な訳じゃなかったんだなアドルフおじさん。 >>861
>>863
>>869
>>885
寡兵で圧倒的国力・兵力を誇るアケメネス朝を倒して完全征服したアレクサンドロスはやはりチート 単にアケメネス朝を滅ぼしただけでなく
ソグド人を倒すわスキタイも倒すわでほんとアレクサンドロスはおかしい
なんか憑いてたとしか思えん
仕上げに集団結婚まで敢行してギリシャ人を各地の支配層として根付かせてるしな
あんな命令ローマ人じゃ無理だろ だがそのアレクサンドロスが400年続いたアルゲアス朝を断絶させたという事実 トラヤヌスがもうちょっと長生きしてたらパルティア滅ぼしてインドまで行ってたよ 集団結婚したのは精々2万組だし大半はギリシャに帰還しちゃったから
あんまり意味なかったけどな >>964
アレクのやったことはまさに>>885のようなことだからな
短期の偉業とひきかえに分裂と混迷の未来をも招いたから -─フ -─┐ -─フ -─┐ ヽ / _ ───┐. |
__∠_ / __∠_ / / ̄| / / |
/ /⌒ヽ / /⌒ヽ /l / |
( | ( | / / l /\ | /
\__ _ノ \__ _ノ / \ / \ |_/
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| ヽ | ヽ | _. ├─┼─┤ __
| l | l / ̄ └─┴─┘  ̄ ヽ
| | | | ( , l ヽ |
し し ヽ__ / ヽ___,ヽ _ノ >>892
ローマの「市民」って参政権持ちの特恵層だからな。幕末に輸入された西洋史や政体論やらの本の当時の訳語では「士」となってる。
奴隷の方に「民」の訳語を当ててるでよ。 >>948
あのオドアケルですら軍歴20年越えの傭兵隊長だからね。
蛮族出身者でこんな経歴の人間がゴロゴロいるわけだから、ほぼローマ軍の戦闘方法そのまんま蛮族側も使ってたんじゃない?
というか末期になると蛮族側の戦術が巧みでローマ軍側が嵌められて壊滅みたいなのがザラにあるからね。 >>972
何気にマッサゲタイやべーよな
アレクサンドロスとキュロス大王に勝ってる
世界史でもトップクラスの英雄2人を破り、かつキュロス大王の方は死に至らしめてるんだもんな >末期になると蛮族側の戦術が巧みでローマ軍側が嵌められて壊滅みたいな
これ本当?面白そう
なんかそういう戦いの例とかある? 奴隷のほうに民って自充てる奴って全然当時のローマの身分制度分ってないよな
農場監督任せれたた奴隷とか市民の小作農をこき使ってたし
皇帝や元老院つきの奴隷兵士とか一般市民にしたら目も合わせるのもおそろしい存在だろうに 一市民のオバちゃんがハドリアヌス相手に恫喝した逸話もあるくらいで
ローマは中華や中央アジアの帝国と違って、恐怖で人を支配してないよ 皇帝なんぞにはなりたくない。ブリトン人の間をうろついて、……の間に潜んで、スキュティア人の地の冬を、辛抱しなければならぬから 単に特権身分の貴族様の持ってた奴隷が上級身分のローマ市民権者より上だっただけな
ローマ市民の持ってる奴隷のが属州民より上だけど貴族様の飼ってる動物より下 持ち主がその奴隷に任せている権能と、その権能で回る金の重さ次第になるな
奴隷に純粋な人権・ローマ市民権は無いとしても、クルマや家具に相当する
重い財産なんだから、貴族のクルマに十円傷付けてるのを見とがめられれば
小指くらい吹っ飛ぶ。まして株を監視してるサーバーともなれば >>953
こんなとこでマウント取るしかないのが哀れだよ いくら言い訳しても>>941が凄い馬鹿である事実に変わりはないわけで >>976
蛮族が三列の陣を敷いて二列と三列の間に湿地帯を挟んだけど、ローマ軍はこれを知らずに攻撃して一列二列と撃破したんだけど
重武装のローマ軍はそのまんま湿地帯にはまって身動き出来なくなって周り囲まれて殲滅とかド派手な負け方とかあるよ >>986
なぜか思い出したのが「風雲たけし城」だった 風雲たけし城はSASUKEの20倍面白かった
きっちりした競技好きな人には評価が真逆なんだろうけど >>979
江戸時代の「民」の中にも、大名や旗本に金を貸して頭下げさせたり、
天下普請の取締(工事の現場監督)で各藩から派遣されてきた士分を顎でコキ使ったりしてたの
多々あったじゃん。、
穢多頭とか、農工商とは別枠の、非人・賤民だったが、これまた刑罰や荒事に関する汚れ仕事を
任されて農工商民に対する犯罪捜査の権限とその費用の徴収(所謂食い逃げ御免)があって
忌み嫌われ恐れられていたよな。 >>987
え?
あなたは"ナチスの「社会主義」はカモフラ"とかいう>>941の発言に同意しちゃうわけ?w 本人が言い訳しなきゃ叩かれもしないのにな
よっぽど恥ずかしかったんだろうが恥の上塗りにしかなってない >>991
どこにそんなこと書いてんの?
>>941が間違ってんのは事実として間違いないが、それにかこつけてマウントをとって悦に浸るようなみっともない真似はもうよせといってるんだよ こういう変な流れを演出してワッチョイいれろとかいうのだけは勘弁
他の板と串刺し検索できるとか自由にレスできなくなるから
今まで他のスレではこういう流れで新参の耐えられない奴が
ワッチョイ入れましょう!とか言い出して勝手にスレ立てして
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