「都市と農村を分離することは明らかに古典古代の思考には思いもよらぬものであった。
それはギリシアのみならず、イタリアでもそうであった。
(中略)すなわち農村地域は、都市の従属領域(Untertanengebiet)ではなく、都市と同様に市民の居住地なのであった。
したがって、古典古代の「市民」が、大部分、大なり小なり農地所有者であったことは驚くにあたらない。」
(『ヨーロッパーその歴史と精神』岩波書店 332〜333P)