古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】35
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ローマ人で有名なオツヌンティウスとかオクタヴィアオツみたいな名前の人っていない? グーグルさんなら修正してくれるかと思ったが
無理だった 停滞してるように言われるが新しい人も入ってきてるんだな 本当のイエスはセムハム系で褐色黒髪だった筈なのに
西欧の絵画ではなぜか金髪碧眼になってる不思議 ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 >なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
キリスト教を受け入れたのは、古代ローマ帝国だろ
コピペにレスつけても仕方ないが >>9
捏造改竄はドイチュ民族の十八番だから仕様が無いね 奥さんと旅をしてアナルセックスをする
これがホントのオクタビアヌス! それは38歳で確定しちゃうだろ
18歳の頃はオクタヴィウスだったんだから アウグストゥス帝は古代ローマ人の貝木泥舟だよ。 ※ライトノベル小説のキャラクターね ヌメリアヌスなんか1800年後に日本で笑われようと命名したとしか思えない
全てが出来すぎてる >>24
大半の人が知らない固有名詞出して何の意味があんの? 俗人は、ついつい自分はこう言う人を知っていると言いたくなってしまう嫌な癖があるのさ >>27
ラノベのキャラクター沢山知ってるなんて恥でしかないだろう いや、流石にそれはない
ラノベや漫画のキャラたくさん知ってても恥とは思わん そういうお目出度い人も一億数千万人の日本人の中にはいるのかもしれないね >>20
ペルシア(ペルージャ)の戦場跡の投石器の弾丸に書かれた落書きにも
オクタヴィアヌスの尻穴に言及するものがちょこちょこ残されているそうだね
「オクタヴィアヌス、力を抜いて俺の上に座れ」ってやつがいい
騎乗位が一般化してたんだなと当時の風俗もわかる >>36
つうかこれモノじたいは何?
なんか酒杯のように見えるが
こんなデザインの杯で坂飲むのって… 漫画に出てくるキャラみてーな顔してるな!すげえ
日本人のアニメ漫画の遺伝子は鎌倉から続いてるんだな 古墳時代のハニワあたりからじゃね?
もう西ローマなんてなくなってた頃だけど。 1年前くらいはもうひとつローマ帝国スレがあって
にぎわっていたのに何で消えたんですか? >>47
もともとここから分離したスレで
話してる内容も住人もほとんど同じだったから
これ統合していいよねって流れだったはず なんで中世ヨーロッパに時代が移れば絵心まで退化するのか?
偶像崇拝につながるから? >>52
体つきとかのリアリティを求めるとかエッチなことだと思われてたのかも
絵なんて意味がわかりゃいいくらいの扱いだったんでは >>55
リアリティのある像とかエッチだからなー
性的には厨房みたいな状態だからギリシャローマ彫刻とか目の毒だわ 古代ローマの彫刻ってやたら艶めかしいマッチョ像ばかりだから
粗野なゲルマン女どもは見ただけで陰部が濡れまくってただろうな 前スレ読み返してたところでふと思って
ローマ式敬礼をツイッターで検索してみたら本当に誤って定着しきっちゃってるんだな
他のよくある勘違いと異なって訂正する人が日本ではまずいないから完全に野放し >>58
その話題今知って見返してみたけど、
レリーフの人々、スタジアムの観客のアクションと変わらんわ
騎馬像のほうは、それに応えて手を振ってる
五輪の凱旋パレードみたいなもんじゃん アメリカの公共建造物ってよく見ると古代ローマ風のデザインが基本だよな
逆に近代西欧風デザインの建造物はあまり見ない・・・・ 古代ローマ独自の建築デザインはエトルリア由来なのか? 確たる証拠ないにもかかわらず一人歩きしすぎて定説のように広まったってのは
中国のローマ兵子孫説と似たようなものなのかなローマ式敬礼 >>65
半円アーチはエトルリアにあって、古ローマにもギリシアにはなかった。
なのでおそらくエトルリアから学んだと推測される。他に有力説もない。 そういえば10月がオクトーバーな理由は
カエサルとアウグストゥスが途中に2ヶ月突っ込んだからだと
学校の先生に教わったと呟いてる学生さんをちょくちょく見かけたよ
ヌマ暦とか覚えてもしょうがないからいいんだけどさ >>68
ほんの2週間ほど前までそう思い込んでました・・・
紀元前153年にヒスパニアで反乱があって、その鎮圧のために執政官が早く着任したからなんですね
しかしなんか中途半端だ。どうせなら12月25日(冬至の翌日)を年の始めにすれば良かったのに ローマがもっと存続して英雄が出れば9〜12月にも名前が付いたかも えーっと、どういう事かな
Marchが年の初めでそこから8番目の月がOctoberで今の10月にあたる
で、10番めの月のDecemberに執政官だかの任期が来て交代、翌月から新しい年度に入る
そのうちに、新しい年度っていうんだったのが、新しい年だと思われるようになって、11番目の月であるJanuaryから新年だと思われるようになってしまった
と言うんではないの カエサルとアウグストゥスに因んで7月8月の名が変更された事と
JanuaryとFebruaryが追加された事を混同してる人がわりといるよね -ロムルス暦-
春スタート
1月 March(現代の3月)
2月 April(現代の4月)
3月 May(現代の5月)
10月 december(現代の12月)
で、二ヶ月ほど暦のない時期がある
-ヌマ暦-
春スタート
1月 March(現代の3月)
2月 April(現代の4月)
3月 May(現代の5月)
10月 december(現代の12月)
11月 January(現代の1月) ← 新規追加
12月 February(現代の2月) ← 新規追加
13月 賃金の月(2年に1度挿入される端数調整の月) ←新規追加
-紀元前153年の改暦-
冬スタート
1月 January(現代の1月)
2月 February(現代の2月)
以降13月まで続く
-ユリウス暦-
冬スタート
7月をJulyに
8月をAugustに
13月削除 >農業歴のため農閑期には日付は必要なかった
のどかな時代だった…のかな? >>73
カリグラはつけようとしたけど誰も継承しなかったってどこかで聞いた
本当かは知らないが
ティベリウスの
「代々のカエサルの名前つけてって7代目になったらどうすんの?」は
なかなかお気に入りのツッコミ発言だ
彼の人柄がわかる ティベリウスがそういう正論で追従者を跳ね付けてるところがカッコイイ
自分が追従するのも嫌いなところは性格の難しさを感じる ティベリウスが現代に生きてたら5chやってそうなイメージある
「人事をしっかりやってれば自分自身はあんまり頑張らなくていい」って人だったみたいだし ドミティアヌスって言われるほど暗君だったの?
軍の優遇が元老院と市民の怒りを招いたけど、そこまで無能じゃなさそうなんだけど
ウェスパシアヌスやティトゥス(治世短いので長かったらこの人も分からなかった)ほどではなかったってだけでは? ずっと長い間ローマの国境線を守ってきたリメスシステムの産みの親だからな 「ググレカス」に似たラテン語の言葉、人名って実際にあるの? >>83
7代目までは名前を付けられるだろ
カエサル、アウグストゥス、ティベリウス+7代で10人 マルスやウェヌスといった本物の神様の名前退けて自分の名前入れるのか
カエサルやオクタヴィアヌスですらそれは遠慮したのにたまげたナァ トランプ「日本は迎撃するべきだった。武士の国なのに理解できない」
武士の国というが
武士といっても精々人口の7%程度で
後はほぼ百姓だったがな
全員が戦士のゲルマン人や領内の3割が武士の薩摩などの
戦闘民族と同じように考えてないか白豚さん
江戸時代の人口比率
公家・神官・僧侶:1.5%
武士:7%
百姓:84%
町人:6%
穢多・非人:1.5% 農耕民族の漢民族は余剰生産があるから諸葛亮や謝安みたいにニート生活出来たけど
五胡や女真、モンゴルみたいな狩猟民族は狩猟や略奪で生計を立ててたからニートみたいな穀潰しは放棄されてたの? アナトリア半島
ヌメリアヌス
インノケンティウス
ウェセックス
オスマン帝国
オマーン国際マラソン >>93
民族単位でいえば、五胡も女真もモンゴルも農耕民族がそれなりにいたからニートが許容される
部族単位でいえば「掠奪もできん軟弱な男は飢え死にしてしまえ」という部族がいたことは否定できない
ただ掠奪を主とする連中は逆に労働時間が短い。奪ってしまえば暫く喰うに困らないのだから >92
武士もっと少ないイメージだったが
町人と変わらんな。
平民が都市に住めば町人で
農村に住めば百姓だっけ
侍=公務員として
現代日本に当て嵌めたら、
逆に町人8割4分、百姓0割6分位になるのか 町人が武士より少ないのは意外だった
ま、武士つっても大名や旗本だけでなく最下層の足軽まで含めれば7%はいくわな ビザンツから専制とキリスト教を
モンゴルから獰猛さを
フランスから文化を
ドイツから軍事と共産主義を
吸収した結果が今のロシア ロシア人兵士は別に勇猛じゃないし、フランスに匹敵するほどの文化もないだろ
どちらかというと工業力と科学がすごい >部族単位でいえば「掠奪もできん軟弱な男は飢え死にしてしまえ」という部族がいたことは否定できない
ゲルマン人も他の部族やローマ帝国との戦いの連続だったから軟弱な男は生き残れなかった
クリミアゴートは例外だがな >>99
撃たれても撃たれても次から次へと突進してくるがな
スターリングラードでの粘り強さも異常(並の国ならとっくに陥落してる) クリミア半島って昔から比較的豊穣だったし地理的な要衝でもあるのに
なんでクリミアゴートはかなり長い間存続できたのかな >>101
それはロシア人の性格ではなくてソ連軍の性質によるもの
赤軍は逃亡が多かったので督戦隊に2割以上もの兵を割かねばならなかったし
戦車すら内側からハッチを開けられないような構造になってたくらい >>96>>97
農民戸籍の町人がゴロゴロ居たから10〜15%位 deha ro-mano hanasiwo suru tehazimeni ro-mazide kakukotoni siyou 古代ローマ帝国てさ、まとめるとアウグストゥス帝のアウグストゥス帝によるアウグストゥス帝のための国家だと思うんだがどうだろう?
歴代のローマ皇帝はアウグストゥス帝の引き継ぎ係なんじゃないかな。 少なくとも軍人皇帝時代以降のローマはアウグストゥスが作ったシステムと全然別物だぞ >>93
つうか狩猟社会の男は基本ニート
タキトゥス「ゲルマニア」よろしく労働と言うのは女や子供や戦争に負けて捕虜になった男がやる弱者の生業だから
古代ギリシャやローマも本当に最初期はそんな感じ ちなみゲルマン女は働き者にならず戦争とあれば槍や斧を振るい
略奪もこなすエキスパート戦士だ
カエサルと戦ったスエビ王もアリオウィストゥスは生き延びたが妻と娘は一人を除いて名誉の戦死を遂げた
古代ローマ軍団でも高地ゲルマニア軍団と低地ゲルマニア軍団はゲルマン人で構成されていたため女たちを率いて戦う風習があったとタキトゥスは記している アンティノウス
どんな美少年やったんや……
昔のオッサンの趣味はわからんけど 現代アフリカの定住部族でも
労働は女がやって
肉食獣からの警備だけを男がやるって所があった
有る意味「三年寝太郎」や「ブルギさん」の役目だがな… おっさんの臭っさいチンボを毎晩ねじ込まれるのが嫌で身投げしたのではないかと思う フランス王国のフィリップ2世のあだ名がオーギュスト(尊厳者)で
尊厳者ってなんやねんwダッサwwwwww
とか思っていたがアウグストゥスを継承したものなら実は凄い称号なのでは?と気づいた
神君アウグストゥスの再来ってのはフランス王国を実質的なものにしたフィリップ2世に相応しい呼び名だと思う 意味がわからんな
アウグストゥスと比べるとしょぼすぎる アウグストゥスの作ったローマはたかだか400年程度しか保たなかったが
フィリップ2世の作ったフランスはもう1000年近く保ってるぞ
単純に比較できるものではないが、フィリップ2世の国家創造者としての実績はかなり凄い >>122
>アウグストゥスの作ったローマはたかだか400年程度しか保たなかったが
えっ?
1400年保ったけど? >>123
地域も政体も言語も支配する民族構成すら変化したらもう同じ国とはいえない じゃあローマも王政、共和制初期、中期、後期、帝政前期、軍人帝期
テトラルキア、東西時代でそれぞれ別カウントしないとフェアじゃないな 共和政を初期・中期・後期に分ける理由って何?
第二次ポエニ戦争で地中海の覇権を握る前後で分けるだけで十分だと思うが フィリップ2世のフランスってローマに比べると領土ちっさい
そもそも旧ガリア属州じゃないか >>126
「ローマ人の物語」しか読んだことないと、そう思うわな
前期 ほとんど領土的野心を持たない普通の凡百の都市国家
中期 ラティウム同盟戦争以後、フォエデラティ条約を基に諸都市を従属下に置き始める
この時点ではまだ都市国家の域を出ていない
後期 同盟市戦争以後、ポー川以南全域にローマ市民権が与えられる
これと前後して征服地に多くのコロニアが造られるようになり領土的野心を最早隠すことすらしなくなり帝国主義を全面的に押しだしていく
ポエニ戦争とかカルタゴのぽっと出の将軍が結構頑張っただけの話に過ぎない
歴史的には敗者への武断統治の始まり&国内外から批判を浴びたコリントス戦争、後に軍閥政治の遠因となったキンブリ・テウトニ戦争のほうが後世への影響はデカい >>118
あれ守ってるじゃなくて
肉食獣から獲物かっぱらうため見張ってるんだよ
http://nicogame.info/watch/sm13695307
アフリカの狩猟民族の多くは自らの手で狩ることはめったになく大概の場合は肉食獣からかっぱらって来る
ライオンですら手に武器もった人間には勝てないから獲物を置いて逃げる
ブラックアフリカでは騎乗の文化がないんだけど、馬なしで草食動物に追いつけるわけないからね >>129
>ポエニ戦争とかカルタゴのぽっと出の将軍が結構頑張っただけの話に過ぎない
>歴史的には敗者への武断統治の始まり&国内外から批判を浴びたコリントス戦争、後に軍閥政治の遠因となったキンブリ・テウトニ戦争のほうが後世への影響はデカい
には全く賛成なんだが、だからこそあなたが言う前・中・後期の分け方が理解できない
【前期と中期の分け方】
ラティウム同盟戦争以前からローマは拡張的
むしろエトルリア諸都市を大体吸収し終えたから次はラティウム同盟諸都市と戦ったと見るべきで、ラティウム同盟戦争前後でローマの性質が変わったとは見えない
【中期と後期の分け方】
帝国主義性が分割の根拠なら、それこそ第一次か第二次ポエニ戦争後が分水嶺になるはず
同盟市戦争で分けるのはいくら何でも遅すぎる。それ以前にあなた自身が挙げてるコリントス戦争やキンブリ・テウトニ戦争もそうだし、他にマケドニアやシリアもあるし 現代のフランスとフィリップ二世のフランス王国は同一視するのに共和政を無理矢理三分割する頭のおかしさよ >>131
>むしろエトルリア諸都市を大体吸収し終えたから次はラティウム同盟諸都市と戦ったと見るべきで、ラティウム同盟戦争前後でローマの性質が変わったとは見えない
第二次ラティウム戦争のときは他のイタリアの諸都市同盟の中でもまだ最小の勢力であり、そんな力はない
戦争のきっかけはカンパニア併合によるもの
この戦争に打ち勝って以後、ローマを盟主とする軍事同盟を諸都市と結んで従属下に置くという発想が初めてできる
ラテン市民権が出来たのもこの時から
>帝国主義性が分割の根拠なら、それこそ第一次か第二次ポエニ戦争後が分水嶺になるはず
>同盟市戦争で分けるのはいくら何でも遅すぎる。
根拠不明
ポエニ戦争でローマの何が変わったの?分水嶺の根拠は?
同盟市戦争以後は領域国家化と大々的な植民団による扶植と言う二つの大きな特徴があるけどね
>それ以前にあなた自身が挙げてるコリントス戦争やキンブリ・テウトニ戦争もそうだし、他にマケドニアやシリアもあるし
マケドニア戦争やシリア戦争では終結後はすぐに撤兵してるし、テウトニ戦争に至っては一方的に攻められただけだが
戦争が終わった後も居座るという事はコリントス戦争以後から行われるようになったことで、これは当時から批判されていた
まぁ移民を占領地に移住させて隷属させるなんてことを大々的にやり始めたのは、さらに後のことだが 補足するとラティウム戦争とそれ以前との同盟の違いは、ローマと諸都市がまず個別に条約を結ばせる点にある
つまりローマ以外との関係を断ち切り都市間が連携することがないようにしたわけだ
>>132
そんなこと書いた覚えはないが
いったいお前は誰と戦ってるんだ >第二次ラティウム戦争のときは他のイタリアの諸都市同盟の中でもまだ最小の勢力であり、そんな力はない
第二次ラティウム戦争時、ローマは既にエトルリア同盟を倒している
第二次ラティウム戦争以前からローマは好戦的で、じじつサビニ、ウェイイ、フィデナエ、チェルベテリ,タルキニア等を支配下に置いている
そもそもローマが多数の都市国家を支配下に置いた結果、第二次ラティウム戦争が起きたのだし
>ポエニ戦争でローマの何が変わったの?分水嶺の根拠は?
第一次ポエニ戦争後:"属州"が誕生した
第二次ポエニ戦争後:イタリア半島(とシチリア)を越え、地中海全域にローマが軍事力を行使し始めるようになった
共和政ローマの帝国主義化として、これほど象徴的な出来事もないはず
自分は第一次か第二次ポエニ戦争以前のローマを「イタリア半島内の一農牧国家」、以後を「地中海帝国化するローマ」と見ている
このような二分法の方が(あるいはホルテンシウス法やマリウスの軍制改革、三頭政治時代等を区分するもっと細かい分け方の方が)共和政ローマは見通しがよくなると思う
>テウトニ戦争に至っては一方的に攻められただけ
戦争そのものというより、戦争に対応するためにマリウスの軍制改革が行われたことが大きい
このことはあなたも>>129で認めているように見えるが
>戦争が終わった後も居座るという事はコリントス戦争以後から行われるようになった
これは「ローマ正規軍の」という意味かもしれないが、ポエニ戦争以降から既に、シチリア等の属州でプロコンスルが軍事力を行使して掠奪してる
仮にあなたの意見を認めるとして、だったら「コリントス戦争前後で分ける」ということにならないだろうか?
あなたは>>129で「共和政後期は同盟市戦争以後」と主張しているように見える
なお自分は>>132とは別人です ローマの話なんだから熱く熱弁ふるえばいいんだよ。
スレ違いネタなんかよりよっぽど読み応えあるよ。 >>135
>第二次ラティウム戦争時、ローマは既にエトルリア同盟を倒している
エトルリアがローマの統制下に入ったのは紀元前280年のウルキの陥落以後のはず
第二次ラティウム戦争のときはタルクィニイ、カエレ、ファレリイとの間に休戦協定を締結したばかりで、まだそこまでの実力はなかった
>第二次ラティウム戦争以前からローマは好戦的で、じじつサビニ、ウェイイ、フィデナエ、チェルベテリ,タルキニア等を支配下に置いている
サビニ戦争は伝承によればローマ側が原因だけど、あれはむしろ融和と言うべきじゃないの
ウェイイは陥落から数年後のガリアによるローマ劫掠の後、ローマ難民の受け入れを申し出ていることを考えると、完全に滅ぼされたわけではないはず
フィデナエ、チェルベテリ,タルキニアに至っては自分から戦争仕掛けた結果、しっぺ返しを受けただけなので自業自得
>第一次ポエニ戦争後:"属州"が誕生した
>第二次ポエニ戦争後:イタリア半島(とシチリア)を越え、地中海全域にローマが軍事力を行使し始めるようになった
そういえば属州統治の嚆矢はポエニ戦争だったね
しかし地中海全域の制海権を完全に掌握できたのはポンペイウスによるキリキア海賊討伐の後なのでは
テウトニー戦争云々ちょっと勘違いしてたので無視してくれ
>これは「ローマ正規軍の」という意味かもしれないが、ポエニ戦争以降から既に、シチリア等の属州でプロコンスルが軍事力を行使して掠奪してる
>仮にあなたの意見を認めるとして、だったら「コリントス戦争前後で分ける」ということにならないだろうか?
援軍要請を受けて出兵した後、いつまでも居座り続けるといういつもの手段の最初の例がコリントス戦争なんだよ
山川の「世界史詳説研究」だと、これをローマの「帝国主義」のはじまりとしているけど、それよりはるか以前から帝国志向は見られるので
個人的にはユリウス法による領域国家化か若しくは門閥政治の始まりを後期と分類した方がいいと思う 歴史のイフになるけど、フィリップ2世が幸運と能力でいち早くフランス国土統一を開始できたから
最終的に北フランスと南フランスに、あるいはフランスとブルゴーニュ・フランスとかに分かれたまま固定されないで済んだ
中国がどれだけ地方政権ぐちゃぐちゃになろうとなんとなく統一国家作ろうぜーって動きになるのは
伝説と化した一つの中国って文化思想が根付いてるからだと思う
フランスもそれと似て、一つのフランスって文化を根付かせる先鞭をつけたのがフィリップ2世といえるだろう 一概に言えないことだけど
歴史上統一される機会に統一された場合とされなかった場合ではだいたいその地域の発展という観点では統一されたほうがうまく行ってるような気がするな
統一されるってのはその地方の自治や文化がある程度滅ぶということでいいことばかりではないんだけど その地方の自治や文化がある程度滅ぶということでいいことばかり
韓国「せやな」 インドは英語と民主主義が手に入って良かったろ
これ無かったら、今頃ヒンディー語と方言しか話せない開発独裁国家
チャトランガ文化は破壊されたけどな いや、統一されたというのはフランスの話の流れでいってるのであって、民族意識もなにも古い慣習や伝説のなかにつまれてしまって統一後の国家への帰属意識で何百年もかけて上書きされてしまってる状態の話だぞ
現代史のスパンで起きる出来事じゃないよ 清の下、東洋のアフリカだった朝鮮を
日本が劣化日本にまで引き上げたせいで
世界中が迷惑してるのであり
得をしたのは半島だけで
人類的には損失よ >>144
今の世界に民主主義でない国なんてサウジアラビアやリヒテンシュタインなど僅かしか存在しない
もちろんインドも民主主義国だ 北アフリカは今でこそ土人ランドになってるけど
かつてはエジプトやカルタゴなどの文明的な大国があったんだよな ビザンツには生き残ってほしかった
ヴァンダルは内政が糞過ぎて外敵が来なくても自壊していただろう >>149
カルタゴはフェニキア人の植民都市だからアフリカ独自の文明ではないけど >>143
英国人に植民地支配されて無ければ
ここ迄汚職と腐敗の蔓延る国に成って無いし
中国程じゃ無いとしてもより早く経済大国へ成長してたよ メソポタミア、エジプト、インド、ギリシャ、中国
古代文明発祥の地が軒並み土人化してる法則 シリアイラクは米国人が破壊したせいだからなあ
それに中国は東亜の中で最も文明的だしエヂプトも地域大国 あまりにゆたかすぎたおかげで周辺から異民族が流入しまくって荒廃した文明もあるな
メソポタミアなんかはそんな感じ
エジプトはイスラム教徒のせいかなあ?エジプトっていつまで豊かだったんだろう
中国も周辺異民族入れまくって本家漢族そのものが変質してしまった
ギリシア人はでていく一方らしいからなあ、でもペリクレス時代にすでに斜陽に入っていた気がするわ 資源食いつくすだけしか能がないゲルマン土人とイスラムは比べ物にならないだろ
ゴルドバから中央アジアのサマルカンドへの交易路が確立したのはイスラムだし
厳格的なキリストと比べて戒律に緩く恋愛や飲酒に寛容な都市文化を形成していたことも評価できる 6〜17世紀辺りまでを比べて
古代ローマの文明を引き継いでる感じするのはヨーロッパよりアジアよな 価値観もキリスト世界とイスラム世界では後者のほうが圧倒的にローマ人と違いな
現世利益や快楽、性愛に肯定的なところとか都市志向な一面とか
イスラムでは純愛をテーマにした詩をつくったウズラ派や異性への口説き文句を詠ったガザル詩とか
とにかく明るいイメージがあるが
同時代のヨーロッパとか自由恋愛などしようものならアベラールよろしく去勢もの
とにかく田舎っぽい、汗臭い、暗い、脳ミソまで筋肉で出来たゲルマン野郎どもの世界って感じでよいイメージが丸でない ヨーロッパの再文明化にはローマ滅亡が関係してる
コンスタンティノポリスから西欧に多くの知識人が亡命して西欧に再び文明の灯がともった
ベネチアあたりは中世でも文明を維持してたが
これもまたローマ滅亡の巻き添えで衰退してしまい
その文明が西欧に普及することとなった 繁栄って言っても比較対象によるよね
ダウ船によるインド洋交易とかサトウキビ栽培とかが盛んだったけど世界帝国だったアッバース朝と比べると見劣りするんじゃないの
一万人以上の人口を抱えた都市がほぼイタリアに限られていた同時代のヨーロッパ土人よりマシなのは間違いないけど 「中世の生活文化誌 」によると中世初期のヨーロッパとか農村では鉄器どころか青銅器時代以前に退化して石器時代に戻ってたからな
ローマよりはるか以前のラテーヌ文化のほうがまだ発展していたんじゃ名乗ってレベル 中世ヨーロッパでは「知のアルテ」と呼ばれた大学ですら暴力や略奪で満ち溢れており
大学には生徒たちが街の女たちを襲わないように売春宿が併設されているのが常であり、その娼婦たちを取り合って生徒同士が殺し合いに及ぶこともしばしばだった
当時の街の治安状況についてはニコル・ゴンティエの「中世都市と暴力」に詳しい >>161
キリスト教があったからこそ教会は曲がりなりにもローマの遺産を
ゲルマン人に伝えることができたんだよ
これがなければローマ崩壊後の欧州はアフリカ並の土人地域になってた 中世西欧とかイタリアイベリア除けばアフリカ以下の土人地域なんですが ユトレヒトなんかは中世でも結構栄えてたんじゃないの? >149
昔はカルタゴ贔屓で、
両国膠着したままキリスト文化席巻とか、逆にローマが滅ぼされる仮想戦記を考えたりしたが、
カルタゴに子供の人身御供文化があったと知ってからは、
人類史に淘汰されるべくしてされたんだなと感じるようになった
ローマ側のプロパガンダの可能性もなくはないが… 1445年の「北関入船納帳」によると兵庫港の年間の入船数は1900
一方、1368年のハンザ同盟の首邑のリューベックは「輸出入関税記録」によると300程度
それほど栄えてる部類には入らない日本の国内港にすら劣るレベルでアジア圏とは到底比較にならない >>171
ハンニバルに負けそうになったローマも人身御供やってる
日本だって昔(といっても100年ほど前まで)は人身御供文化があったんだし、そういうのは文明の発展に伴って自然と消えると思うぞ >>172
中世までのヨーロッパがアジアに全く及ばない点は誰も文句付けてないで
非難されてるのは>>162がアフリカ土人呼ばわりしてることで
そらアレクサンドリアなんかには敵わないだろうが、土人って呼ぶほどじゃないだろ 失礼>>162じゃなくて>>167だな
ヨーロッパと一括りにするのは大雑把すぎる議論だろう
古代末期〜中世初期でも本当に旧石器時代レベルまで文明が戻ったのは、イングランド等の辺境に限られるはず ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 ネタではなくリアルなところが恐ろしいところ
事実は小説より奇なり 中世人は古代ローマを模範として仰ぎ見た。
政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。 >>175
ローマ帝国の文化水準にようやく追いつくのがルネサンスあたりとか ローマ帝国 チート
中世 暗黒時代
ルネサンス 復興の兆し
大航海時代 確変
産業革命 覇権 かつて東南アジアを制覇したアンコール朝を生んだカンボジア
だが最凶を経て最弱に転落した模様(これだけやれば仕方ないか)
1 (遊)地雷をとにかく自国に埋めまくる
2 (中)寺院は豚小屋化
3 (右)こども医者
4 (一)国外のインテリ層も騙して全員処刑
5 (三)密告されたものも全員処刑
6 (二)教育廃止
7 (捕)知識人完全処刑
8 (左)こどもスパイ
9 (投)私有財産没収・貨幣制度解体 ポルポト政権の4年間を見ると暗黒の中世や文革が可愛く見えるぜ ローマ崩壊後は貨幣経済からまた物々交換に戻ったんだっけ? 部分的にはな
中世後もローマ時代の大都市は生き残っていたから、貨幣経済も一部では生き残っていたはず >>149
北アフリカはファーティマ朝がズィール朝を懲らしめる為に
バヌーヒラル族らアラブ遊牧民をけしかけて移住させたので
農業が主産業であったこの地に遊牧業を広める事となった
ベルベル人が多数派だった北アフリカはアラブ化していった >>177
これもうちっと検証してほしいわ
ローマでは上から下まで都市から地方までその恩恵を受けられていたのか
逆に中世は上から下まで都市から農村までその惨状だったのか
ローマはスゴイ 中世は暗黒
だから何いってもいいって感じで良いところ悪いところだけパッチワークしてる奴いないか? いないか?というか、そこは自分で検証して納得すべきだろう >>158
エジプトは14世紀半ばのペストの大流行で人口が激減して衰退した
衰退したままっだったので後にオスマン帝国に征服されてしまった
オスマン支配化でもペスト以前に人口が回復する事はなく
19世紀近代になって回復しだしさらに人口が増加していった 回復っつーかダム作って灌漑したから一年中農業出来る様に成ったから人口増えたんであって 14世紀半ばの奴が一番大きかったのと対策が打てなかっただけで
ペストって1回起きておしまいじゃなくて何度も起きているよ。 >>185
部分的にじゃなくて全面的に廃れてるよ
再び貨幣経済に戻るのは11世紀以降の商業ルネサンスから
首都ローマですら寒村に退化してるのに地方都市なんて猶更存続できるわけでないし ローマは549年トーティラ率いる東ゴート軍により陥落した時に
生存者はわずか5百人ぐらいだったとされる 一方同時代のヨーロッパは男でも水浴びの際は全身水着を着ていた
ジョジョ1部でジョナサンが着てた奴 ある程度流通範囲全体に責任をもって質を管理する能力があって
公正な貨幣を作るって評判があってようやく通貨として信用されるわけだからなあ >182
「大人は悪いから殺す
こどもは良いから残す」って
大人子供論の究極だよな
ぼくらの七日間戦争が行くところまで行っちゃったみたいな >>182
現実の社会経済を見ずに、観念論を優先させた結果だよ 上が決めたアホみたいな目標で下が苦労するのはよくあることだけど
共産主義政権は組織が強固すぎて下の異論を許さないんだよな
だから、今月は○人インテリを粛清しろとか目標が決まるとアホみたいな理由で関係ない人殺さないといけなくなる ローマも末期は人材不足だな
スティリコ処刑したら代わりに防衛を務める者がいなくて蛮族祭り ローマに限らず衰退期はそういう自滅が多いな
内ゲバや主導権争いに明け暮れたあげくスタッフがいなくなるっていう
カルタゴのハンニバルもそういう流れで本国からの支援が滞ったんだろ 頼朝みたいだね
いつの間にか北条幕府になってる不思議 大活躍したスティリコとか処刑して、誰がその後釜になりたがるんだっつー
みんなどーせ活躍してもこうやって殺されるんじゃなーって思うにきまってるわ スティリコはバルカン北部の領土を西ローマ領にしようとして
東ローマと対立していたから粛清されてしまった
スティリコはテオドシウス1世により西に派遣されたから
東ローマにとってスティリコはまぎれもなく反逆者だった
スティリコがバルカン北部を欲しがったはその地が兵力供給源だったから
アルボガステスらを滅ぼしたテオドシウス1世らは西ローマ領の住民に憎まれており
スティリコはガリアのフランク族兵とかの忠誠心をあてに出来なかった ローマ帝国は東西分裂していなかった
テオドシウス1世がアルボガステスを撃破して分裂を阻止した
ホノリウスがスティリコを粛清して分裂を阻止した その結果が西ローマ滅亡と蛮族ヒャッハーではシャレにならん 西ローマ領へ蛮族らを誘導して西ローマを犠牲にする事で
東ローマは生き延びた
ディオクレティアヌス以降は東ローマが本国で最優先だった
アルボガステスやスティリコが健在ならばゴート族らは
西へ移住する事が出来ずブルガリアのようにバルカンに
ゴート族が定住建国する事になっただろう
東ローマがゴート族とササン朝に挟み撃ちにされて
滅亡したかもしれない イタリア半島放棄するあたりがすでにローマ人として終わってる
日本人が日本列島放棄するようなもん
共和政期だったら考えられんよ 最後の古代ローマ人はガッリエヌス帝
ガッリエヌス帝は配下のイリュリア人将軍達に殺された クラッススと同じリキニウス氏族に属する由緒ある元老院議員の一族の出自の
ウァレリアヌスは息子ガッリエヌスと孫サロニヌスで帝国3分割統治を目論むが
ウァレリアヌスがササン朝の捕虜になるとまず孫が配下のガリア人に殺されて
息子もイリュリア人に殺されてしまった
オリエント戦線とドナウ戦線とライン戦線で軍団の配置に合わせる3分割は
帝国防衛に最適だったはずだけど後継者らは採用しなかった >>209
東国人王朝にも東国中葉捨てて京都へ移った王朝在ったろ どっちかというと戦前の日本が日本本土捨てて朝鮮半島とか大陸へ移ったって感じじゃね
故郷捨てたという意味でも アウグストゥスはエルベ河を国境にしようとゲルマニアを征服して
ライン戦線とドナウ戦線をエルベ・ドナウ戦線として統合しようとしたけど
イリュリア人とそれに触発されたアルミニウスらの反乱で頓挫してしまった
エルベ・ドナウ戦線が実現していたのならローマ帝国が東西分裂しても
西ローマの方が先に滅亡する事は避けられたかもしれない >>214
大日本帝国でも大陸に遷都する構想はあったようだけどな 京城遷都案だっけ?
日本人には奇異かも知れんが
異民族地域に遷すのは歴史上では珍しくないしな
マケドニア帝国みたいに
故地が陥落しても征服先(プトレマイオス朝)で生き残るケースもあるしね >>214
ニコメディアに遷都したディオクレティアヌスはイリュリア人だった
イリュリア人だった彼は退位後イリュリアのダルマティア沿岸スプリトに
ディオクレティアヌス宮殿を造営して余生を過ごした
ディオクレティアヌスはオリエントで生涯を終えなかった
ディオクレティアヌスは故郷を捨てられなかった 原爆が開発されなかった世界で
大日本帝国が大陸遷都した状態で
本土陥落(戦力・産業・皇室退去済み)
→
王兆銘政権中国・満州・半島に日本軍戦力逆集中、ソ連様子見
→
米国、大陸攻略の決め手なく停戦
→
大陸日本が北朝鮮的に生き残る
旧日本列島にはアメリカ人が入植
こんな形で遷都先での存続とか 人生の終わりは故郷で過ごしたいというのは古今東西変わらないもんなんだな 東側陣営に対する防波堤として半島に存続する大日本帝国
ちょっと見てみたい カリアゲは自分の死刑執行書にサインしたようなもんだ。
アメリカが最も恐れてるのは、イスラムの過激派に核が渡ること。
911を見ればわかるように、奴らは手に入れた核は必ず撃ってくる。
外貨に困った北がイスラム勢力に核を売り渡すのは時間の問題。
この狂ったカリアゲに核を持たせとくくらいなら版図ことごとく中国の手に落ちてもいいとさえ考えてるだろう。
北だけでなく南も差し出すつもりでいるかもしれない。
アメリカは一刻も早く空爆したいと思ってるよ。本意気で。 おそらく
北朝鮮=満州国ならば
アメリカ軍=ソ連軍で
朝鮮半島=中国東北地方だよね
朝鮮半島のチベット化だよね >>217
ヘレニズム時代からローマ帝政期では
アナトリアとシリアとエジプトからなる
地中海オリエントが飛びぬけて富裕だったようだね
ディアドコイ戦争ではこの地をめぐって激戦が繰り返され
セレウコスが東方に広大なイランを領有していたけど
ライバル達は無関心でイランを奪おうとしなかった
コンスタンティノープルの大城壁は帝都の城壁であると同時に
ヨーロッパの蛮族がオリエントへ侵入する事を防ぐ城壁でもあった
コンスタンティノープルの大城壁は見事にその役割をはたしたけど
東からのササン朝軍やイスラム軍に対しては言うまでもなく無力であり
シリアとエジプトはアラブ人に奪われアナトリアはトルコ人に奪われた セレウコス1世はスピタメネスの娘アパメと結婚していて
ソグディアナとかイラン東部に政治的軍事的基盤があったけど
まずメソポタミアのセレウキアを首都として建設して
最終的にシリアにアンティオキアを建設して首都とした
セレウコス1世はソグディアナやバクトリアに首都を建設しなかった >>222
世界恐慌がなければそうなっていただろう
日本も満州に踏み込まずアメリカも共産主義者の
手先に騙されずに済んだんだからな >>209
スペインに入植したトラヤヌスとハドリアヌスらの先祖のように
退役兵とかローマ人の多くがイタリアから流出していたようだ
共和政後期にイタリアの自作農が没落して職業軍人化して
退役後に征服地の植民市に入植とかが繰り返された結果
帝政時代にはイタリアは金持ち以外は奴隷の子孫だらけになった
ライン河やドナウ河の沿岸には数多くの都市が建設されたから
むしろ古代ローマ人の子孫はライン河やドナウ河流域にいたようだ
カタフラクトが軍に主力になってから帝位を独占するようになった
バルカン出身の軍人らにも古代ローマ人の子孫がいたと思われる 何言ってんだ、って感じだな
ローマのすごいところは日本みたいな島国根性に固執しないで、人種や民族を超えた大帝国を築いたところにあるのに ハドリアヌスはアドリア海に由来する名のようだから
ハドリアヌスの祖先はイタリア東部アドリア海西岸出身で
ローマのイタリア統一以前はイリュリア語を話していたのかも
>>221
エーゲ海がギリシャ人の内海だったように
アドリア海西岸からヴェネチアとダルマティアとぐるりと
アドリア海はイリュリア人の内海だった
ディオクレティアヌスはこの内海で晩年を過ごした ディオクレティアヌスってよくキリスト教の大弾圧とかやっておいて引退できたもんだな
引退して力を失ったら殺されるとか思わなかったんだろうか? 殺されるかもしれないから
ディオクレティアヌス宮殿に引き籠っていた ディオクレティアヌスはスターリンような人物だったようだね
ディオクレティアヌスはアウレリアヌスやプロブスのような名将ではなく
ディオクレティアヌスは戦場での軍の指揮が苦手だったようで
対ペルシャ戦を副帝ガレリウスに丸投げしていた
ディオクレティアヌスの事を諸帝は恐れていたようだけど
後継者のガレリウスは舐められていた それ全部アウグストゥスにも当てはまるが、だからアウグストゥスが無能ってことにはなるまい ディオクレの失敗はマクシミアヌスを強引に退位させた事で
これをきっかけに帝国が西部から混乱して体制崩壊になった
ディオクレとガレリウスはコンスタンティヌス1世に
ゲルマニアやブリタニア北部の征服とか西方での領土拡大を
命じてコンスタンティヌス1世を西に釘付けにすべきだった
コンスタンティヌス1世は蛮族との戦いで戦死したかもしれない
コンスタンティヌス1世の生涯をガリアで終わらせるべきだったしはずだった >>232
>スペインに入植したトラヤヌスとハドリアヌスらの先祖のように
>退役兵とかローマ人の多くがイタリアから流出していたようだ
共和制期からずっとコロニア作って流出していましたが?
>共和政後期にイタリアの自作農が没落して職業軍人化して
>退役後に征服地の植民市に入植とかが繰り返された結果
全然違う
自作農が没落して使いものにならなくなったららプロレタリーから募って職業軍人制に移行したの
>帝政時代にはイタリアは金持ち以外は奴隷の子孫だらけになった
あのさぁ歴代皇帝の支持基盤はプレブスなんだが
>ライン河やドナウ河の沿岸には数多くの都市が建設されたから
>むしろ古代ローマ人の子孫はライン河やドナウ河流域にいたようだ
>カタフラクトが軍に主力になってから帝位を独占するようになった
>バルカン出身の軍人らにも古代ローマ人の子孫がいたと思われる
全然「ローマ人」の概念を理解できてきないな
日本人は有史以来、ずっと単一民族で鎖国してきたからよく理解できないだろうけど「ローマ人」という人種が存在していたわけではないの
ローマ市民権保持者のことをローマ人という
両親が解放奴隷のローマ人もいれば、元ローマ人の奴隷もたくさんいた 没落した自作農らはプロレタリーになり
プロレタリーが増加していったから
元自作農で職業軍人になった者がいた ちょっと代名詞使わないアスペっぽい文章連投してる人に言いたいけど
世の中そんな戦略ゲームみたいには上手くいかない
権力闘争に勝てばそれで終わりってわけには現実ではありえないのだから 挨拶されようとわざと立ち止まるキモイ奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする
大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 古代ローマは禿でもモテるからいいよな
俺も2000年前に生まれてれば 禿げだからモテるんじゃなくカエサルだから禿げててもモテたんじゃないか? 現代でもモテるヤツはハゲでもモテるよ
エド・ハリスやブルース・ウィリスやジェイソン・ステイサムやジュード・ロウや 現代は禿隠しの高度な技術あるし丸坊主やスキンヘッドもファッションとして定着してるけど
古代はそういう逃げ道ないからむしろ逆に古代のほうがハゲは辛いんじゃないか なんかイタリア代表がいつの間にかW杯予選敗退していた件
ローマ人気質なら行けてただろうか? 無理じゃないか
イタリア人はメンツが少ないほうが強いっていう噂だけど
ローマは数をそろえて弱くなった例をなかなか聞かないから 現代になってハゲが悪みたいにプロパガンダ流されただけで
昔からすりゃそこまで悪じゃねーだろ
現にハゲを気にしてる国はそんなに無い >>252
とはいえカエサルのような大器豪胆な男ですら真剣に悩んでたほどだし 海賊に拉致られたエピソードとか借金だのなんだのに開き直る面の皮の厚さとか
元老院派をそのまま恩赦してしまうあたりかなり豪胆な人だと思うけどなあ そりゃ繊細さも持ち合わせただろうけど
性格の傾向なら間違いなく肝が据わった大器だよ 複雑な人格を持った人物みたいだし、切り口しだいでしょ
剛胆なばかりじゃ女はくどけないし友達もあつまらない
剛胆さを数あるカードの一つとして、自由に切れるタイプだったんじゃない? 様々な顔を巧みに扱うとなれば、安定した人格基盤ないと成り立たない。
それこそカエサルは多才で武名から浮名まで垂れ流したけど芯はブレなかったし、
表面は繊細知的で複雑ながら根っこ部分は典型的な剛勇武人タイプかと。 魏・呉・蜀
高句麗・百済・新羅
宋・遼・西夏
島津・大友・龍造寺
ヤマト・佐川・郵便
吉野家・松屋・すき家
セブン・ローソン・ファミマ
ふむ・・・ >>249
王冠を被るようになるのはコンスタンティヌス以降だしな ゲルマン人を野蛮と蔑んだローマ人だが金髪には憧れていたらしく
彼らの髪を買い取って鬘も作ってる 人類という生物種の遺伝子に、金髪を選好する因子が組み込まれているのかねぇ… >>240
スペインに入植したトラヤヌスとハドリアヌスらの先祖のように
退役兵とかイタリア人の多くがイタリアから流出していたようだ
共和政後期にイタリアの自作農が没落して無産市民化して
征服地の植民市に入植する事が繰り返された結果
帝政時代にはイタリアは金持ち以外は奴隷の子孫だらけになった
ライン河やドナウ河の沿岸には数多くの都市が建設されたから
むしろ古代イタリア人の子孫はライン河やドナウ河流域にいたようだ
カタフラクトが軍に主力になってから帝位を独占するようになった
バルカン出身の軍人らにも古代イタリア人の子孫がいたと思われる 福岡市が韓国人中国人だらけになって
デュッセルドルフ市が日本人だらけになるような物かな 外国暮らしって、今でこそ金持ちのイメージあるけど、
大英帝国の食い詰め者が戦前上海で暮らしてたし
満州やブラジル渡ったのは農地の無い日本人だったな 江戸っ子は結構地上げに遭って
都内から町田や埼玉に移住した人々が多いね
で、江戸っ子の立ち退き跡にはおのぼりが移ってくる >>268
>共和政後期にイタリアの自作農が没落して無産市民化して
全然違う
自作農が没落して兵役を担えなくなったので軍隊の規模を縮小して無産市民からなるローマ軍団が再編された
>スペインに入植したトラヤヌスとハドリアヌスらの先祖のように
>退役兵とかイタリア人の多くがイタリアから流出していたようだ
>帝政時代にはイタリアは金持ち以外は奴隷の子孫だらけになった
>ライン河やドナウ河の沿岸には数多くの都市が建設されたから
退役兵の植民市は大半が半島に作られていて、ライン河やドナウ河なんて僻地にはほとんど作られていません
植民市の分布図をよく見て見ましょうね
https://en.wikipedia.org/wiki/Colonia_(Roman)
>帝政時代にはイタリアは金持ち以外は奴隷の子孫だらけになった
それだった「パンとサーカス」が成り立たないでしょう ローマがイタリアを統一してイタリアをラテン化する過程で建設された植民市
ローマがイタリアの外を征服してイタリアの外に建設された植民市 併合前かもしれないというか
紀元前200年ごろからとのことだから完全に併合前で
これについてはローマはあんまり関係ない >>275
英語が読めないのかな?トラヤヌス朝の最盛期の頃の図なんだが 横からだけどその地図に書かれてる年代説明間違ってるな
ダキアどころかシュヴァルツヴァルトすらまだ併合されていないから
ドミティアヌス以前の地図じゃないかな >>278
その数多くの植民市が全てトラヤヌスの治世中に建設されたのか?
トラヤヌスの治世中に存在した植民市なのでは?
古い町もあれば新しい町もあるはず >>279
そういやそうだな
ダキア戦争前の図かも
シュヴァルトヴァルトはもとより未開のまま放置されていたのだから植民市が一つもないのは当然
>>280
いづれにしてもイタリアに植民市が集中していてバルカン半島はギリシャ以外すかすかであることは間違いないわけでは
そのほかにも突っ込みどころ満載だけど>>268 言うまでもなくトラヤヌスはアレクサンドロス大王ではない
ローマ植民市はアレクサンドリアではない >>281
イタリアに植民市が建設された頃には
まだラティフンディウムがない頃では? >>252
フィリップ二世やフリードリヒ二世も当時の記録でわざわざはげと書かれているし、やはりそこには
筆記者にとって見過ごせない何がしかの意味があったのだろう >>171
そういう基準で文明が淘汰される云々なんてナイーブすぎるよ。
我らが大好きローマは大虐殺おこなってきた文明
1日での殺害量有史上一位のアメリカは今超大国として繁栄してる
ナチが悪と呼ぶ現代史観の人間でもドイツはいま最も繁栄してる国家のひとつということは否定できまい。 >>285
>筆記者にとって見過ごせない何がしかの意味があったのだろう
記録を残した人自身がハゲだったからとか 抑々日本人もソ連や中国で非武装の住民大分虐殺してるしね BS-TBS 映画「ポンペイ【吹替】」
2017/11/21(火) よる9:00〜10:54
http://www.bs-tbs.co.jp/movie/pompeii/
西暦79年、一瞬にして灰となった都市、ポンペイに秘められた不滅の愛。
最先端VFXで描く、映画史上空前のスペクタクル・ロマン超大作の完成!
2014年/アメリカ >>285
当時見かけは非常に重要だったので単に身体特徴を記したものでは?
写真ないのでなんか変なとこあったら容赦なく書かれるな >>290
監督が監督なだけあって歴史映画としては考証ガバガバすぎるクソ映画
せいぜい見所はポンペイの町並みだけ
そしてポールWSアンダーソン映画としてもいつものケレン風味が封印されていて
「実況しがいのある面白いバカ映画」じゃなく本当に「ただのクソ映画」 ライバルが撮った「トータルリコール」のリメイク版は
実質的に「アンダーワールド」シリーズの番外編だったな
「ポンペイ」は「バイオハザード」シリーズの番外編ですらないのか ポール・W・S・アンダーソンの醍醐味って
外連味あふれる大仰なアクションなんだけどポンペイはそれすらなかったよね
三銃士のほうは外連味たっぷりで楽しめたけど 見せ場であろう剣闘シーンがすっげえチンタラしてた記憶
それこそ「三銃士」のようなチャンバラ期待してたから肩透かしだった ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 中世は暗黒だった → 中世にも良い所はあったし発展した部分もあった → やっぱ暗黒だった(今ココ)
ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日) ローマ帝国の映画といえばグラディエーターやベン・ハーが有名だが
それ以外でなんかおすすめのやつある? ビザンチン時代の話になっちゃうが
バシレイオス2世って何故知名度が低いんだろ?
ギリシャの歴史上の人物なら
高レベルでバランスが取れている人物なのに
個人的にアレクサンドロス大王より総合能力は上な気がする
(インパクトならアレクサンドロスの方が上だが)
バシレイオス時代のビザンチンと
アレクサンドロス大王時代のマケドニアなら
どっちが格上なんだろ? 東ローマの全盛期は領土ならユスティニアヌス、国内の充実度ならバシレイオス2世だな
後者は前者と違って世界史の教科書に載ってないから一般人の知名度が低いだけ 高校時代の世界史でバシレイオス2世は習ったぞ
捕囚の目玉抉るエピソードがインパクトありすぎでトラウマになりかけた >>298
末期題材だけど金かかってる「アレクサンドリア」、
大作ではないけど「第九軍団のワシ」あたりがけっこう評判いい
後者は同じ第九軍団消失ネタの「センリュリオン」もセットで見るとより楽しい
あとキリスト題材だけど「パッション」と「復活」もローマ時代作として一見の価値あり
とくに「復活」はローマ軍描写が中々凝ってるところある 『第九軍団のワシ』と『復活』は脚本上の主題やテーマとは別に、
「どんだけローマ軍好きなんだよ」ってくらい製作側のローマ軍コダワリが伝わってくるから好き。
クリエイターの裁量が大きい低予算作のだいご味だな。
大作になるとああいうマニアックな要素は省略されがちだから。 充実度ってのも何を根拠に言ってるのかさっぱりわからんな
考古学的にはコンスタンティヌス一世の頃が都市文化の最盛期で後代になるごとにガッタガタになっていったことはわかっているが 第九軍団は、筋肉男がモヒカンを薙ぎ倒す北斗の拳みたいな作品立だったな コンスタンティヌス一世ってそれまだ東西ローマあった時代じゃん
ビザンツ帝国って1000年通して古代ローマ帝国超えられなかったの? 総合力ってのも戦略ゲーム的な表現で何を言ってるのかわからない
アレクサンドロスみたいに各地に都市建設したわけでもなければ、オリエントを征服できたわけでもないし
比べるまでもない
いかにも歴オタが好みそうな地味な名君って感じ 経済的に言うと東ローマはコンスタンティノープル絶対主義って感じで地方はただの収奪の対象
税を絞るだけ絞ってあとは放置
ローマ期の都市のほとんどは機能を停止して、本来は砦にすぎないカストロンと呼ばれる山間部に立てられた要塞が都市機能の代わりを果たしていた
平安時代の日本とよく似ている アナトリア以外は糞みたいな土地しかつかまされてないのに古代ローマこえるとか無茶言わないで >>309
なんか首都ないし首都圏以外放置って
言葉悪いが今の北朝鮮みたいだ
首都ないし首都圏に全振りしている国なら他にタイとかあるけど シリアを維持できなかったのはさすがに擁護できないだろ
アナトリアのお隣やぞ アナトリアとか古くはローマの土地なのに何故西洋人は奪還しないのか >>313
ヒント:アナトリア西部は荒地や山岳地帯が多い >>314
住民自身がEUに所属したがってるのに断ってるじゃないですかー 大英帝国の時とか聖地エルサレムをオスマンからいくらでも奪取できたけどしなかった >>309
アンティオキアは結構栄えてたで
十字軍の後はイスラムの反撃で廃墟になってしまうが・・・ >>311
韓国はソウルだけだが
日本は東京以外にも
大阪、名古屋、横浜、神戸、京都、福岡、札幌、仙台、広島の9都市があって
そこそこ栄えてて、大都市近郊もベットタウンとしてその恩恵を受けてる ふとビザンチン帝国でコンスタンティノープル以外の主要都市と言ったら何処になるんだ?
首都圏を除外するとテッサロニキで
その次がイズミル、アンティオキアってとこかな?
ブルガリア帝国領になった都市ならスコピエ、タルノヴォも候補になりそうだけど >>313
昔の生活形態で良い土地だったからって今もそうとも限らんし
古代の技術だと関東とか糞だけど今や日本で最も恵まれた土地じゃん? イギリスはヴィクトリア朝
フランスはナポレオン時代
ドイツは第三帝国
イタリアはローマ帝国
ロシアはソ連
トルコはオスマン帝国
中国は唐
の頃が全盛期だな 日本の全盛期は
文化では江戸時代、影響力では大正から昭和初期orバブル期あたりかな ニカイアも気になるな
2回も公会議が開かれてるし
コンスタンティノープル失陥後一時期避難先だったし
かなり大きい都市だったのでは 瀕死のオスマンからすらコンスタンティノープルを奪えないギリシャ
アテネやスパルタ、アレクサンドロス大王の時は強かったのにな
ギリシャといい、ローマといい、古代は最強・現代は雑魚みたいなケースあるよね ポルトガルの零落ぶりがもうね
かつて世界の半分を制覇した海洋国家だったが、今や欧州の最貧国… >>327
フォローしておくとイタリアだって第2次大戦〜冷戦終結まで総合的な国力は
イギリス、フランス、西ドイツとほぼ同等だった
今は上記4か国だとドイツが突出した形になっちゃったけど >>319
日本を代表するメーカの本拠地をいくつも抱える川崎が雑魚はないだろ パッション・復活は
アラム語使わせてる拘りが凄い
役者が、ブリタニア語じゃなくて
ちゃんとラテン語喋ってるローマ映画なんてろくに無いだろ >325
ある程度好景気で、女性も元気で
珈琲の薫りと江戸の名残りが入り交じる大正が一番だったかと >>332
ベン・ハーでローマ軍団の行進のとこだけはラテン語 ヒトラーのドイツが借金しまくって一瞬だけ版図広げたのが最盛期だったら
日本も大戦中の島々を占領してた時期が最盛期だよな フランスの最盛期にフランク王国が出てこないで
中国の最盛期を唐とか言っちゃう辺り高校世界史レベルの知識すらないんだから
相手にするだけ時間の無駄 (ソ連より帝政末期のローマの方が遙かに広大で人口も多いの、知らんのやろなぁ・・・) ウクライナ以外痩せてるロシア帝国(スキタイ地域+古代未開地域)より
オスマン帝国(ほぼ東ローマ帝国圏)の方が豊かな筈だな
イスラム圏だから経済力が伸びなかっただけで >>328
ポルトガルもイスパニアも植民地に移住し、収奪することしか
やること無かったんだから、当然。
とにかく人口の3分の1もが移住したため、資金はたっぷりあるのに
本国の産業がスプロール化。 フランスの最盛期がフランク王国とかアホ?
あんな王侯貴族ですら文盲で現物経済主体のヒャッハーランドのどこが最盛期なの?
それとも男の子にありがちな戦争の強さと領土の広さ=国力的な発想か? >>343
>>324はドイツの最盛期をヒトラー、中国の最盛期を唐とか言ってる時点で「戦争の強さと領土の広さ=国力的な発想」っぽい
その基準でもツッコミ所満載なんだけどね 日本の全盛期は徳川家斉の時代だろ
戦後日本は独自文化が無いから認めない イスラム圏だから経済が伸びないという理屈がよくわからない
多分今の「イスラム」の漠然としたイメージを過去に投影してるのだろうけど
基本的には商人の宗教だし「ペルシャ王国見聞録」とか読むと同時代のヨーロッパよりずっと都会的で洗練されてる おいおい、独自文化を基準にしちゃうと古代ローマそのものを否定しなきゃならなくなるぜ
マジでエトルリアとギリシャをパクっただけじゃねーかってレベルで何もねーからな >>346
イスラムが理由かは知らんけど
ロシア帝国とオスマン帝国との西欧に追い付け競争で
何でああもオスマン帝国がロシアに遅れを取ったのかはよく分からんし、気になる
現代じゃさらに後から追い掛けてきた日本、中国にも、完全にぶっちぎられてる体たらくだしな >>344
ナチス時代は経済規模でドイツがフランスを抜いた転換期だし
唐は数百年来続いた関中の食糧難が江南からの食料輸送で解決
さらに突厥を滅ぼしシルクロードを掌握、南海貿易航路の確立と対外交易と歴代王朝の五指に入ると言っていいだろう
悔し紛れに噛み付いてきたみたいだけど、それ全然反論になってないよね
フランク王国のどこに最盛期と思える要素があるの?軍事的にも大したことないし フランク王国とか領民から女とりあげて奴隷として売るぐらいしか
ろくな輸出品がないゴミ屑国家という印象しかないな
おかげで千一夜物語にはフランクの女奴隷が良く出てくる >>349
フランク王国については君の言う通りだと思うよ
唐についてはちと同意しかねるが
>>344は>>338の擁護じゃなくて>>324のアホらしさを指摘したまで >>349
横レスだけど、ドイツの経済規模がフランスを抜いたのは1870年代とされていると思うのだが
国民皆兵のナポレオン戦争に苦しんだドイツは、人口増大、富国強兵につとめ、その結果、
1870年代に人口・GDPともにフランスを抜き去っている
20世紀に入るころは、ドイツは英米に次ぐ世界第三位の経済大国となっていた 現在からは想像できない
スウェーデン大暴れ時代(大北方戦争)が、かの国の黄金時代だな
あれに勝って歴史続いてたら、東西冷戦はアメリカとスウェーデンの間で行われたのだろうか
大戦争に負けて平和国家に転身ってのは日本を彷彿とさせるような… カールの戴冠(フランク・ローマ皇帝)は欧州復活の第一歩だな
ようやく安定した秩序が形成され
ローマ・ゲルマン・キリスト教の三要素が融合して昇華され、今の欧州の土台が出来上がってくる
暗黒時代に一筋の光がさした瞬間 >>355
暗黒時代1クール目が暗黒時代2クール目になっただけだろwww
それでも1000年続く暗黒時代の序章のごく一部 ・異端審問や魔女狩りが激化したのはルネサンス以降
・イスラムが厳格化したのは近代ナショナリズムの影響
ローマ〜暗黒時代〜再生って流れは
いい加減棄てた方が良いと思う
ルネサンスは欧州人をより野蛮にしただけ 文化・生活水準だとルネサンスでようやくローマ帝国レベルに追い付くんだっけ? 十字軍の頃になるとイスラムを一発ぶん殴って聖地エルサレムを奪い返して
百年くらい維持する程度には強くなってる
オスマン帝国が出てくるとまた押されるけど いや、産業革命直前くらいでやっと追い付く
中世と近世は一続きの暗黒時代と捉えるべきでしょ >>358
残念ながら歴史学的・考古学的に以下の事例は証明されてる
反論できるもんならしてみるんだな
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 現代でも技術・資源が途絶えてアフリカ・中東・中南米・中国から土人が大量に来たらこうなるわ >>362
今に例えると文明崩壊が起きて
現代人がいきなり江戸時代レベルの生活に転落するようなもんか
耐えられんな・・・ >362
いやいや、そうじゃなくて
ローマ水準に戻れてないルネサンス期も暗黒時代の一部に過ぎないって言いたいのよ
現代でも発展途上国は
衛生面で古代ローマ以下だったりするしね 実際ブリタニアはローマ崩壊後に石器時代まで退化したんだよな
ヤバ過ぎだろ ローマ時代にあった優れた文化で
現代人ですら取り戻せてない物とかありそう ローマンコンクリート、青磁はもう作れないのよね
日本刀は職人の技が受け継がれているからまだ製造可能だが >>369
よく勘違いされてるけどローマンコンクリートは別に再現不能ってわけではない
あとローマンコンクリートより性能良いジオポリマー系もちゃんと開発されてる
民間にはほっとんど広まってないけど米軍が基地滑走路とかに使ってる 「ロマコンは現代の『民間建築』のコンクリより遥かにすごい」
ってところから『民間建築』のところがすっぽ抜けて、
「現代技術でも追いつかない」とかの尾ひれがついて一人歩きしてる状態だね。
日本のメディアではまず間違いなくこの誇張した論調で紹介される。
実際には研究開発はちゃんと行われていて、一部の特殊建築で実用されてるのに。 >>368
コロセウムの見世物は現代では再現不可能 >>367
一部の宗主国から独立した植民地なんてそうなっている所も多いんだよね。
コンゴ民主共和国とモザンビークは植民地時代の方が
まだ安定していたという皮肉 >>356
カロリング・ルネサンスとか写本に勤しんだだけじゃん カール大帝はフランク王国を「キリスト教帝国」とみなし、
キリスト教に基づく統治を進めるには、聖職者の資質を高め、
教会を発展させることが必要と考え、各地からアーヘンの宮廷に人材を集めるとともに、
自由学芸と教育を振興した。特に古典研究を進め、俗語化していたラテン語が純化され、
ラテン語教育が盛んになった。また、各地に教会付属の学校が開かれた。
W・ウルマンはこのため、カロリング・ルネサンスは学芸文化運動というよりも宗教運動であるとした。
カール大帝はヨーロッパ各地から知識人を招き、カールの宮廷は「宮廷学校」とよばれるようになった。
イングランドから招かれた神学者のアルクィンがカロリング朝ルネサンスの中心人物として有名であり、
一時はカール大帝のブレーンとして皇帝を補佐した。774年のランゴバルド王国併合後、
イタリア人パウリヌス、ピサのペトルスらが宮廷に招かれるようになった。
カールは宮廷学校に貴族だけでなく、中流や下流階層の子弟にも勉学を学ばせた。 >>360
イスラム側の内紛につけこんで居座っただけじゃん
しかもヒッティーンの戦いでサラディンに総なめにされてエルサレム陥落するし
和平交渉で取り戻すもモンゴルと徒党を組んで侵略した所をバイバルスに返す刀で
ことごとく十字軍国家は滅ぼされるし基本は頭数しかとりえのないザコ 古代ローマが凄すぎたから落差が大きかったというだけで、西欧中世は全く暗黒でなかったことに注意
中世後半期の西欧は既に1人辺りのGDPにおいて豊かな地域だった
https://goo.gl/UMwKRt >>376
ながながとWikipediaの記事張り付けてるとこ悪いんだけど
カロリング朝の文芸はほとんどローマ期の文献の切り貼りに終始していて見るべき所はないってのが妥当な評価なんだよ
俗化して滅茶苦茶になった状態から再び純正な古典ラテン語を復元したという功績はあるがな
所詮は文芸復興なので識字層の修道士以外には恩恵はない >>362
少し大げさに書かれてるところもあるが基本的に全部事実だな
中世前期(ゲルマン蛮族諸王国割拠)から中世中期(十字軍の時代)まで大体こんな感じ >>380
あなたが引用したページでは
>"一見"、西欧中世は、古代ローマの半分程度の生産性であるような印象を受けます
と書かれていて、その後事実が"一見"とは異なることを詳細に説明しているのだが >>378
前から思ってるが産業革命前のGDPっておおむね農業生産力という自然環境にに左右されるものが基準なので
発展度合いの基準としては役に立たない ブリタニアが、ローマ崩壊後に石器時代まで後退したって?
六世紀まで支配下の都市機能を維持してるんだぞ。 >>348
世界帝国
アメリカ
欧州の地域大国
イギリス・フランス・ドイツ・ロシア
極東の地域大国
日本・中国
中東の地域大国
トルコ・イラン・サウジアラビア
トルコもイランもまだまだ地域的には大国の部類
オスマン帝国やアケメネス朝・ササン朝の頃に比べたら影響力は全然違うがな
サウジはぽっと出だが、石油利権がでかいし、バックに米国もいる 暗黒だったのは西欧だけでビザンツ帝国やササン朝、イスラム帝国では
古代からの文明がちゃんと保持されていたのか? アメリカもローマ帝国みたいにいつかは滅んでしまうのかな? 接点が無さすぎるためか
あまり比較されないが、
中世暗黒時代(古墳時代〜鎌倉時代)の
西ヨーロッパと日本だと、後者が勝ってる?互角? >>380
地味が豊かで気候が良かった地中海地方???
地味が豊かな場所は比較的少ないし、小麦の生産には地中海性気候より中世西欧の西岸海洋性気候の方が有利だろ
何をトンチンカンな事言ってんだこのサイト >>389
古墳時代は西欧もまだまだローマだっただろ
ローマが西半分を切り捨てた頃以後なら日本のほうが文明度は上だ 文化・文明の水準として。
「中世暗黒時代、中東は欧州よりも進んでいた」を、日本におき換えて、
「中世暗黒時代、日本は欧州よりも進んでいた」と考えても良いのかという…
欧州が停滞する一方で発展していた、アジア大陸部の文明を吸収していたのだから、結局当時の日本も欧州より進んでいたのか?って疑問 まず日本と西欧は文明化した時期がおおむね同じ
ほぼ同期の文明と言っていい
日本は文明の移入元だった六朝隋唐から少し離れてるが
西欧は文明の移入元だったローマの嘗ての西半分だった まぁ現代でもメーカーとかの技術者を全員あぼーんして、工場も発電所も全部アボーンすれば
生活レベルは一気に江戸時代にまで落ちるだろうな。 >>396
1億2千万が江戸時代の生活するのは無理 >>396
それも高望みだろな。江戸どころか南北朝以前まで戻る。江戸には江戸なりに
ノウハウやテクノロジー、あと環境整備があったけど
今の世代はその知見を完全に失伝している
電気が禁止されたらどこまで戻るか見当もつかない >>395
日本は中国から文明を取り入れたが、西欧はどうやって? ちゃんとした本読めば中世ヨーロッパの酷さは誰でもわかるぞ
一番大きいのが支配者の責任感の欠如
税金は山ほど取るが民を守る気がない(5公1教会1種籾1鉄製農具レンタル料2民つまり8公2民)
街や村を野盗・海賊に荒らされても男は殺され女子供がさらわれても領主は城に引きこもってやり過ごすだけで何もしない
民衆は絶望してますます宗教にのめり込むと言う悪循環
教会は科学否定で本を燃やすから文明が退行してローマ時代の施設が壊れても直せないので生活水準は落ちる一方
はっきりいって絶望しかない社会だ >>401
ローマって東ローマ?
ても唐ほどに学ぶものはあるの? >>387
イエメンではマアリブダムが放棄されたままで農業が衰退した
イラクではササン朝末期の大水害からの復興がスタートするのは
アッバース朝によるバグダッド建設からでウマイヤ朝時代には
まだ立ち直っていなかった
9世紀後半のザンジュの乱の鎮圧後にイラク南部の農園は壊滅放棄された
モンゴル軍によるバグダッド破壊によりイラク中央部ディヤラ川流域は壊滅した 西洋中世=暗黒で脳死してるバカはいい加減出てってくれねぇかなぁ
そんな単純なレッテルで語れるようなもんじゃないし、第一スレ違い >>404
騎馬戦術とかを東ローマに学んだ
槍を脇に挟んで片手で構えるのは
東ローマ軍の傭兵になった西欧騎士が
故郷に広めた
もともとはローマ軍も槍をアラン族や
パルティア人のように両腕で構えていた >>400
理系の学問はイスラムからのパクリじゃね? >>387
スペインは西ゴート王国と後ウマイヤ朝によって
古代からの文明がなんとか保持されていたけど
後ウマイヤ朝末期の内乱で一挙に中世になった
北アフリカはファーティマ朝がズィール朝を懲らしめる為に
バヌーヒラル族らアラブ遊牧民をけしかけて移住させたので
農業が主産業であったこの地は遊牧業が広まる事となった
ベルベル人が多数派だった北アフリカはアラブ化していった
アナトリアはセルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アル・ムルクが
トルコ遊牧民ら移住させたので農業が主産業であったこの地は
遊牧業が広まる事となった
アナトリアはイランの身代わりとなりトルコ化していった
オスマン帝国時代にトウモロコシが伝わると農業が復興した >>385
考古学的にはそうなってるんだから仕方がない
「ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ」を読んで
いくら机上の空論を弄した所でローマとゲルマン諸王朝の間には完全な物質文化の断絶が確認されてて
ローマと中世ヨーロッパ文化はつながってないというのが著者の結論 なぜローマがここまで簡単に崩壊したかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる 最近になってローマ人の物語を読み始めました。
今文庫本の9巻のカエサルがゲルマン人を殺しまくって100万人を奴隷にした…というところです。
この本をローマ人はヨーロッパを平和にした正義の味方みたいに書かれてますが、実はそうでないのではと思ってます。
違う本を読むとローマは殺戮を繰り返して侵略をし続けたと書いてあって、こっちの方が正しいのではないかと思ってますがどうなんでしょう? >>413
どっちも一面の真実
例えば徳川家康は別に世の為人の為に頑張ったわけではなく、己の野心の為に江戸の幕府体制を築いただろうが
結果として日本には長き太平の世が訪れ、生産力が上がり文化が花開いた
ローマも同じ
彼らは己の野心と欲望のために侵略して殺戮して収奪したに決まっているが
その結果その地に平和と文明がもたらされたと言える場合もある(ダキアなど)
そう言えない場合ももちろんある(例えばセレウキア) ローマ帝国の崩壊〜とか読んで、イイ気になってる無知は、早く去れよ。馬鹿かよ。 ローマ文明崩壊後の世界については「中世の生活文化誌 カロリング期の生活世界」は読んでも
どれだけ酷かったか分かる
>>413
ゲルマン人??ガリア人の間違いじゃないの
大体ガリア戦争のきっかけはヘルウィティア族の侵略からだし、内陸奥深くまで呼び込んだのも
同じガリア族だから自業自得 ブライアン・ウォード・パーキンズは何でもかんでもゲルマン人のせいにしてるのがちょっとな
まぁローマ文明を石器時代すれすれまで退行させたのは事実だけど、バダウガエの反乱でブルターニュ地方は一足お先に都市が全滅してるし
ゴート族がドナウを渡れたのもローマ兵の手引きからだしな
そういった下層民の動きを無視したパーキンズの説では文明の絶頂だったローマがなぜ、はるかに劣るゲルマンに滅ぼされたのか説明出ない >>412
ローマが簡単に崩壊したって、どういう歴史勉強をしてるのだや? じゃなんでブリタニカから農村の一般家庭にまで普及していた陶器が数十年の間になくなったり
馬小屋まで瓦葺で吹かれていたのが掘立て小屋になったり、カロリング王朝時代の行政史料だと一つの教区に数十しか鉄製農具がなくて
農民が石器で畑耕してたのか教えてもらおうか >>414
ベルギカを征服してゲルマニアからベルギカ経由でブリタニアに向かう
民族移動を止めてしまったのはローマにとって致命的だった
ゲルマン人にとって暑い地中海沿岸ではなくゲルマニアよりは少し温暖な
ブリタニアに移住しようとする部族まで妨害する必要はなかった
ライン河に東に移住出来ない部族がたまり続けて南下を目指す部族に
合流するようなってしまった そういう神の目線的なIFって意味ないと思うんだけど
だったら今度はブリタニアから南下してくるだけじゃないの 逆に気になるけど中世ヨーロッパが古代ローマより優れていた点って何かある?
流通システムが崩壊し交易を欠いた自給自足で貧困生活、
文化・芸術は比較するのも憚られるくらい、高度な建築技術は消滅、
学問は神学ばかり、教会は科学否定で文明がどんどん退化、
僧侶以外文盲、キリスト教による禁欲生活、魔女狩りとかで社会も暗い、
風呂に入らん所為で不衛生、疫病大流行、戦争でもイスラムに押されっぱなし、
制海権もイスラムに握られるわ、更に奴隷にされる
ふむ、良い所が見当たらん 神の目線的なというほど大袈裟な事ではなく
カエサルの遠征時にブリタニア南東部は既に
ベルガエ化していてブリタニアは滅亡に向かっていた
他の地域と同じ東から西への民族移動にすぎない イギリス人はアングロサクソンというが土着のケルト人の方が人口多かったんじゃないの?
フランスでもイタリアでも、フランク族や東ゴート族は少数派だった >>425
糞デカい宗教建築をつくれるようになったところか
あと魔女狩りは近世な
中世はそれほど盛んでもない
>>426
滅亡に向かっていたとかわけわからない
ブリタニアは地理的名称でそういう国が存在したわけではないし
大体、カエサルがブリタニア遠征したのは、そこからガリアへ侵入してくる連中がいるからってガリア戦記にも書いてあるんだけどね
ブリタニアへの侵入を許せば今度はそこから南下してくるだけの話
何でゲルマン人が東から西へとしか移動しないと思っているのかさっぱりわからない >>429
カエサルはブリタニアでベルガエ人と戦った
カエサルがベルギカを攻めたのでブリタニアに
移住したベルガエ人が故郷に援軍を送った ゲルマン人がドナウ川を越えたのはフン族に圧迫されたゴート族の片割れが
ローマ兵の手引きでしたことだし
ブリタニア征服から何百年たってると思ってるの
あなたの理屈だともっと早くに民族移動はおこってないとおかしいよね フン族が来るはるか以前からマルコマンニ族とかとローマは戦い続けていた >>431
ベルギガうんぬんのいつもの人の話はわからんが、
ゲルマン人が拡散しようとする民族移動については紀元前2世紀ごろからダラダラ起きてるよ。
後期のゲルマンウェーブは厳密にはフンの圧力によって始まったんじゃなく、
元からあった民族移動の波をより激しく加速させたってのが厳密には正しい。 まぁ北海沿岸にいたはずのゴート族あたりが黒海沿岸まで移動してる時点で随分と移動はしてるもんな ゴート族はポメラニアから黒海北岸へ移住していたから
ライン河方面の西ゲルマン人の移動とはまた別だよね 紀元後からゲルマンが東へ拡張して、ゴートなんかが黒海まで行っちゃったりしちゃった遠因は、
西と地中海へのルートを最盛期の強いローマが封鎖しちゃったせいでもある。 クリミアゴートが1700年代まで存続していたのが驚き
退去させられた後の行方は不明だが キンブリ・テウトニ ローマの奴隷
マルコマンニ 壊滅、奴隷化
ヴァンダル 行方不明
フランク ガロ・ローマ人に吸収
西ゴート ローマ人やアラブ人・ベルベル人と混血
東ゴート ローマ人に吸収
ランゴバルド ローマ人に吸収 フン族はハンガリー人へ
ヴァンダルの相棒アラン人もどっかに消えたな ヴァンダルどこ行ったんだろうな
カルタゴみたいに全員奴隷になったわけでもなさそうだし >>438
マルコマンニは2世紀の大戦で衰退したにせよなんやかんやで存続して
めぐりめぐってスエビ王国を作る移動集団の一角になってるよ >>415
日本も東国は天皇朝→武家王朝の王統交代で古代レベルへ退行してるし
文明の衰退なんて簡単に起こるは それは初耳だな
東国はもともと京から東夷と蔑まれた地域だったけどね
江戸も家康が開拓する前は葦や萱などが生い茂る湿地帯 世界三大パクス
パクス・ロマーナ
元祖ローマの平和。広大な領土に高度な文化、世界史的黄金時代。
偉大な建造物の数々は圧巻。
パクス・トクガワーナ
戦国最後の勝者徳川幕府。関東および全国における直轄領の保有に加え地方大名を統制した200年以上にわたる泰平の世。
その威光は琉球から朝鮮まで多大な影響を及ぼすほど。
パクス・アメリカーナ
現代の超大国アメリカ。巨大な軍事力、経済力を兼ね備えた一極体制。
日本・ヨーロッパ諸国を従えた自由主義の覇権は圧倒的。 つか北朝鮮難民は日本に密入国してどうやって暮らすんだろ?
働こうとすれば正体バレるし、ナマポ受給しようとすればこれまた正体バレる
西成や山谷あたりのスラム街か、
樹海や山岳地帯に身を潜めるしかなくない? ゲルマン系のローマ市民もいたようだが
褐色黒髪のラテン人だらけの中に金髪碧眼がいたら目立つよな 別に
コンモドゥスも金髪巻き毛だったし
ポー川以北のガリア人やケルティベリア人、バルカンのディナール人種や
マケドニアやトラキア人も遺伝的にはR1aやGやIなので恐らく金髪だろうし ローマ人自体がかなり長い間をかけて色々な民族と混血してるから、大丈夫でしょ。 ローマ人ってのは身分でラテン人ってのは語族なんだが
日本人は語族も人種も民族もずっと単一だったから何度言っても全然理解できてない人がいるよね 一つの国に一つの民族一つの語族一つの人種ってよくよく考えると色々とすごい フランク人も民族集団だからね。ラテン系、ケルト系もいたし。 >>414
あ〜ありがと〜このスレでローマ否定したら怒られるかと思ったが安心した。
本を読んでるなか、ずーと違和感を感じてたんだがスッキリしたわ。
他の部族を無傷で攻められるならまだ分からんでもないが、ローマも多くの犠牲者をだすのに理想だけで、そこまでやるか?と思ってた。
思うに、日本に住んでる外国人が日本は最高だね〜と誉めるのとおなじで塩野さん自身がイタリアに住みやすくなるように、ヨイショして書いたから、こうなったんだろうね。 べつにイタリア人に向けて書いてたわけではないと思うが
そもそもローマの帝国主義なんて当時からローマ人自身が批判してるし
ちなみにスターウォーズの銀河共和国は共和政ローマ、通商連合はカルタゴ、ダース・シディアスはカエサル
銀河帝国は帝政ローマをモデルとしている
ずっと単一民族国家だった日本人には理解しづらいけど欧米人がローマをどのようにとらえているかこの設定を知っていればよく理解できるんじゃない ちなみに各地のローマ化や覇権主義はポリュビオスやヨセフスなど新参者ほどマンセー調で
タキトゥスやキケロ、セネカなど生粋のローマ市民権者の両親から生まれたローマ騎士は批判的な傾向がある 東アジアは中国に学んだけど、
ヨーロッパはギリシアとローマの記録に学んだわけな まぁ善悪二元論で完結しちゃってる脳ミソの人には歴史は向かんわな
イデオロギッシュな人は歴史好きなくせにそういう人多いけど
スターウォーズも設定知ってると皇帝=悪、ルーク=善でないことがわかる >>436
ローマ方面に進出しようとしてたんじゃなく、ただ単に昔から北海から黒海への交易ルートになってるドニエプル川沿いから黒海へ抜けていくルートに自然と移動して行って
黒海北岸あたりまで進出したんだろ。
西に南西にも当たり前だけどゲルマン系やケルト系ガリア人やらがいてそっちに向いたらそいつらと戦争になるだろう。
ゴートが黒海沿岸にたどり着く頃はスキタイが烏合離散してぽっかりとそこが空いてるからそっち方面に行ったんじゃないか。 >>455
タキトゥスについては反対意見としてそういう批判思想も認めていたというだけで
彼自身はアグリコラやゲルマニクスを賛美してたとおりガッツリ拡張・覇権主義だよ 「アグリコラ伝」で属州の都市化や教育も本当は原住民の奴隷化が本当の目的なのだ
的なことが書いてあるけど、いくらなんでも穿ちすぎだろと思った
あとブーティカの演説は彼の完全創作です 「世界の強盗(ローマ人)は、凡てを荒らして陸地を去り、もう海を捜している。敵が金持ちの場合、ローマ人は貪欲であり、敵が貧しい場合、
ローマ人は野心的となる。
全人類の中で、彼らだけが自分の富と世界の貧窮を同じ熱情で欲している。
掠奪し、殺戮し、強盗することを彼等は支配という偽りの名で呼び、人住まぬ荒野を作ると、そこを彼等は平和と名づける。」
byタキトゥス >>459
「ゴートがローマ方面に進出しようとした」とは言っていないよ。
2世紀のゲルマニアは、
部族テリトリーが過密しすぎた圧力で既存部族が壊れはじめて、
後のアラマンやヴァンダルなどに発展する新世代の大部族基盤が形成されつつある混乱時代で、
ゴートが空いてる東へと移動し始めたのもこの大きな変動の一部。
そんでゲルマニアがこんな状態になった理由の一つが、ローマが西と南を塞いじゃったから。
(ガリア進出しようとしていたアリオウィストゥスのスエビ連合をカエサルが叩きのめしたのが始まり)
さらにティベリウス・ドルススによる侵略、ゲルマニクス戦争、ドミティアヌスの攻撃など、
ローマ側から断続的に圧力も加えていて、これも悪い刺激になってた。
2世紀後半のマルコマンニ戦争があそこまで連鎖的に拡大したのも、
こういう圧力がずっと溜まってきていたせいでもある。
そしてゲルマニア圏の東端にいたゴートは、
こういう騒ぎに乗らずにサッサと抜けだしたクールなポジション。
(逆にお隣のヴァンダルはマルコマンニ戦争とかに飛びこんでいってハッスルする) >>459
> 西に南西にも当たり前だけどゲルマン系やケルト系ガリア人やらがいてそっちに向いたらそいつらと戦争になるだろう。
この西や南に割りこむ余地がないほど他の部族が溜まっていた理由こそローマがライン・ドナウを塞いだからだよ 東ゲルマニアの南側についてはダキアもブロック役になってるな
先駆けのバスタルナエ族を止めたり >>459
ゴート族が黒海北岸にたどり着く頃には
サルマタイがスラブ人を模倣して農民化し始めていて
軍事的に弱体化していた
6世紀にスラブ人はヴェンド人とスクラヴェン人と
アント人の三つに大別されていたけど
このうちアント人はサルマタイの子孫だったようだ >>465
もっと簡単に考えろよ。
ヴァンダル族のさらに北にいた記録のあるゴート族がローマがラインやドナウにリメルをこさえるかこさえないかくらいには遺跡を辿れば交易ルートの川沿いを南下して黒海北部に抜けて組んだよ。
ゲルマニアにいた部族全部が部族の使命のように地中海を目指してそれをローマが食い止めてたわけじゃない。
違う角度から見たら逆に地中海側からローマが北上してきてラインドナウまで迫ってきたせいでゲルマニア側に部族が押されたせいで北部にいたヴァンダルやゴートが川伝いに黒海方面に南下したとも見れるだろ。
そもそもゲルマニアなんて雑多な集団の坩堝でゲルマニアにいる奴ら引っくるめてゲルマン人って呼んでた訳で、全くまとまりなんて有り得ずに集団集団でそれぞれあっちゃこっちゃに移動戦闘を繰り返してた訳だしさ。
共和制末期あたりからは明らかにローマが北上していってる訳だぞ。 >>469
> 逆に地中海側からローマが北上してきてラインドナウまで迫ってきたせいで
> 共和制末期あたりからは明らかにローマが北上していってる訳
俺はまさにそういう意味で「ローマがライン・ドナウを塞いだ」って表現したんだよ あとゴートが本格的に南東へ動き出したのは二世紀半ばで
ローマのライン・ドナウリメス完成から約一世紀ほど経ってるどころか
ダキアのリメスもすでに完成してる ローマの北上が直接ゴートを動かしたんじゃないんだからタイムラグそりゃあるだろ。
ガリヤに向いてた連中がローマのガリア平定でストップして逆に戻ってきた訳で
それでゴートも即黒海沿岸に着いたわけじゃなくて時間かけて川沿いを南下していった訳でリメル完成から100年後位にちょうどダキアあたりで小競り合いをし始めてるだろ。
遺跡が川沿いに移動して残ってるって事はポメラニアンから即黒海沿岸にたどり着いた訳じゃないぞ もう一回書いとくけどラインドナウの防衛ラインに昔からローマ人ラテン人がいた訳じゃじゃなくて、そこにはいろんな奴らがいた訳で、そいつらを押しのけてまずローマがそこまで進出してったんだからな。
ゴート族なんてポメラニアにいた時から地中海目指してたわけじゃないだろ。 >>473
さっきから何か勘違いしていないか
そもそも「ゴートが地中海を目指した」なんてこっちは書いていないよ
俺が言いたいのは単純にローマが西と南からゴリゴリしてたから
ゴートが移住したくなった頃に空いてたのは東だけだったって話 >>462
ローマ人の物語を読んでるとハンニバルは極悪人みたいに感じるが、その言葉をからは逆で、実はハンニバルこそが正義の味方に見えてくるね。
現在のヨーロッパの様子をみてるとそう思えたりする。 >411
ローマ文明およびササン文明は、メソポタミアに始まったオリエント文明からの最終形態であって、
ヘブライズムから発展したキリスト・イスラム両文明は最早別系統だろうね >>475
「ローマ人の物語」自体はかなりハンニバルに好意的だとおもうが
塩婆基本的に英雄好きだから >>453
そもそも歴史において色々な捉え方があるなんてことは当たり前で、
ことさらロマ物がどうだとか、ヨイショしたとか馬鹿らしいんだが、
この手の本を読むのは初めての人? >>443
京に残ったお公家さん達は貴族文化をずっと保持し続けたんではないの? 2世紀中庸 ゴートさんのある日
ゴート「もっといいところに移住したいな〜どこに行こうかな〜」チラッ
当時のドナウ方面の状況↓
エルベ東岸にいたセムノネスら奥地スエビ系連中が南のマルコマンニの背中バシンバシン
オーデル・ヴィスワ間にいたヴァンダルらLugii・Buri系連中が南のクアディやコティニの背中バシンバシン
(さらにマルコマンニやクアディたちは南の盛期ローマ側からも圧力が加えられていて、
このプレス環境によってマルコマンニ戦争への燃料が熟成される)
ゴート「なんか向こう混みあってるから、僕らは川にそって南東行こうか。ガラガラだし」 >>479
うん、京都や西国はそれ程退行して無い
東国は官衙が無く成って古墳〜飛鳥時代の水準迄退化してる ゴート族の若者「族長、俺ローマ人になりたいっス!」
族長 「実は俺もw」
んじゃ、みんなで行きますか… >>478
歴史ものはよく読んでるから言いたい事はよくわかる。
ただもう少し客観的な視点は入らなかったか?と思うので。
別の本のローマの歴史はたった5Pだが、虐殺、侵略、搾取が酷くてキリストがかたをつけたで締められてたので、逆にローマ人の物語で書かれている出来事が理解できた次第です。
ローマ人の物語は色々な法案が作られた背景がわかっていいとおもってますが。 マルコマンニ戦争はカオスだがその前夜もすでにカオスなんだな
むしろカオスの圧力が凝縮されたからこそマンコ戦争もあんだけカオスになったのか >>480
>>482
いつものブリタニア移動ができなくて溜まる論の人だと思うけどそれは何を根拠に言っているの?
ゴート人の動きをたどると1世紀オクシヴィエ文化ポーランド北部→2世紀頃オーデル川流域ヴィェルバルク文化→3世紀初頭黒海に到達
って感じでずっと南東に移動していて急遽、ローマに入って来たのは東に移動しすぎてフン族と遭遇したためだし >>478
ヨイショしたというのは、日本にいる外国人が、日本ってこんなにひどい事をした国なんだ…なんて事を自国にメッセージしてたら、日本国内はとても住みづらい国になると思いますよ。
近隣国からきた大学教授がさんざんTVで日本批判やってたのとは逆な話。 イアン・ブルマとかベンジャミン・フルフォードとか日本人論をぶつ白人は
上から目線で日本を叩くのがお決まりですが
普段テレビしか見ないからそんな陰謀論じみた勘違いするんだろうな
第一イタリア人のほとんどはローマ人の物語なんて知らないし興味もないだろ >>485
3世紀に黒海に到達したゴート族は
船に乗って黒海を航行しエーゲ海に侵入
エフェソスを略奪したりしていたが
4世紀には黒海北岸の肥沃な土地に
適応して農業に専念していたようだ
フン族に襲われた時にゴート族は
もはや船で黒海を渡る事をしなかった
ドナウ河を渡る時の船もローマ側が
提供したものだった 「ローマ人の物語」はむしろキケロの扱いがひどいと思う
まぁ実際口先で執政官になったんで戦争下手だし
ファンだったルネサンスの神父もキケロの泣き言だらけの書簡を発見してゲンナリしたらしいし
コウモリ野郎で周りの元老院議員にも結構嫌われてたようだが
それでも、見識と修辞能力に関しては間違いなく古代ローマの最高峰だと思うぞ
アウグストゥス以降の政治家はそれこそ現代に至るまで、キケロの主張をよく参考にしてる感じ ロマ物読んだイメージだと良くも悪くも生きてる大作家って感じはしたけどな
言ってることとやってることが違うのは客観的事実だろうし >>492
普通ならショボいやつの代わりにパクス・イスラミカ、パクス・モンゴリカ、パクス・セリカ、パクス・オトマニカ、パクス・ブリタニカのどれかだろう >>485
>>480だけどいつものベルギガ何とか言う人とも>>482とも別人ですよ
あとそのゴート人の動きをたどると〜ってのが何を指摘してるのかよくわからない
こちらは別にそのゴートの動向は否定していないよ
それともう一つ言えばゴートが沿っていったのは
(Wielbark文化の分布領域)は「ヴィスワ川」だからね
西の「オーデル川」のほうには行っていないぞ >>491
文章読んでると、大作家とは感じないな。
読んで思うのは、区読点を付け直してもらいたいって事ね。
読んでて意味がわからなくなる部分が度々ある。
文庫本の4巻目位から多い気がする。
まあ外国語が堪能なので、そのぶん日本語が落ちたのかも知れんけど。
出版社の編集の問題ですかね? >>486の人だと思うけどあなたよく意味をはき違えたり思い込みが激しいと言われない?
>>491の言ってる大作家というのはキケロのことだよ ちょうど今ロマ物読んでいるけど
イタリア語読みとラテン語読みが混在していてたまにうーん、てなる >>485
チェルニャコヴォ文化
2世紀から5世紀にかけて黒海の北西一帯にかけて広がっていた文化
城塞のような構造の集落はほとんど見られなくなり
ほとんどの集落は開けた構造となった
ケルト人やスラブ人は城塞に籠城したけど
ゲルマン人は城塞を築かず森林や沼沢に
外敵を誘い込んで戦った
これは森林では極めて有効な戦術だったけど
ゴート族は草原に移住してからも城塞を
築かなかったのでフン族に追い払われた >>497
wまぁ色々な可能性を考えながら読んでますよ。
何か違和感を感じるものは、たいがい意図的な何かがあるよ。 籠城って、
男心的には凄くワクワクするけど、
年単位とかになってくると段々、城内の雰囲気がイライラギスギスしてくるんだろうな
些細な事での喧嘩とか増えそう >>501
大奥だって喧嘩ばかりだったらしいからな
中高はイジメがおおくて大学では無いのと同じ まあ、南ヨーロッパ、地中海に面した気候のいい国はだいたいダメだな
破綻ギリシャ、イタリア、スペイン、全部ダメだ
逆に北海に面したドイツはマジメで勤勉
イタリアなんかは縦に長いから、北と南で数字の上でも明らかな違いが出てる
やっぱ地中海がダメなんだな
気候が暖かいと人間はダメになるらしい じゃあその地中海周辺地帯と比べて
最大限大目に見積もっても80年程度しか互角以上でない日本ってダメ未満のクソになるのかな? >>504
縄文時代は食い物加工に関して世界のトップやで ドイツが真面目で勤勉はない
車関係でいろいろやらかしてるのに 日本なんて19世紀まで朝鮮に毛が生えた程度の文明しかない未開地域だろ >>506
捏造の仕方も勤勉だと思うぞ
ばれたのはアレだが、試験用の状況に合わせる祖父と作るっていい加減で怠け者には作れない
真面目に偽装をしてると思うw 別にドイツ人が勤勉とか思わないけど、そんな僻地の事より、南イタリア。
シチリア含むこの辺りってギリシャの植民都市から始まって東ローマやノルマン人の支配と移ってトドメに北イタリアに支配されて今に至るみたいな感じだけど言語の訛りや文化習慣なんかも未だにギリシャ色が濃い地域なんだよな。 アレクサンドロス大王が若死しなければ
イタリアはアナトリアのようにギリシャ化していたのだろうね
エトルリア語やフリギア語のようにラテン語も死語になっていた
スペイン語もフランス語もそして英語も最初から存在しない アレクサンドロス大王は早死にしなかったとしても西に目を向けたかな? 向けないだろうね
北インドの後、
南インドを飛ばして秦か東南アジアを征服しようとするだろ アレクサンドロス大王は死の直前
バビロンでアラビア遠征と地中海遠征を計画していた >>503
スペインもギリシャも山がちで降水量少ないからね
北西部欧州の方が単純に恵まれてる >>501
べつに男心的にもワクワクもしないと思うけど
籠城を防空壕か核シェルターに避難的なものと連想してる様だけど
近現代以前の籠城戦何て敵が攻めてくる時期だけ籠っての繰り返し
大体、空輸もない時代に年間通して籠れるわけないし攻め手側も干からびるよ 現代っ子の歴オタって無双や戦略ゲームから入ったゲーム脳が多いから
古代の戦いは万単位の兵士が一同に会して突撃しあってたとか思ってそう ローマや漢ならそのくらい動員できそうだが
大国じゃないと無理だな 2世紀の最盛ローマは動員の全体数なら20万近くになるけど、
実際の運用ではそれが一まとめになってたわけじゃなく、
ダキアやパルティアへの侵攻でやったようにいくつもの集団にわけて分散させたり、
三分の一くらい予備や兵站管理のためか後方に残してたりしてるな。 >>519
つうか戦略ゲームってだいたいCPUの戦略がセコいから消耗戦ばかりで
シナリオモードとかじゃないと大規模な会戦は起きにくい ローマの大軍勢が一つの戦場に集結した例として「フィリッピの戦い」が典型的だけど
戦いの経緯を読むかぎりは広い範囲のあちこちで数千同士の戦闘が幾十も行われたような印象だな
少なくとも映画的な10万同士が集中して一斉にドカン!というスタイルではない アクティウムの海戦好き
陸戦でじゃなく海戦で決着がつくのが面白い >519
実際は大軍でも
地形の制約で前線(実際に戦闘してる兵士)は小規模だったりするんだっけ
関が原の小早川8千を大谷の予備兵500で相手出来てたのもそのお陰という
(→小早川でなく、大谷自身が連れてきた脇坂達に裏切られて計算外の敗北) フィリッピの戦いってカッシウス・ブルートゥス陣営が勝つ可能性もあったの? 軍団の分散と集合が大軍同士を擁する大国間の戦いなのを理解してない人が多いと思う
10万の軍とかいって10万人でひと塊に行進してたとか思ってそうだわ >>511
未だにギリシア語の村があったはず
元マグナグレキア地域 全体は万単位でも、実際の戦闘は万対万の一塊じゃなく、
方々で行われる百人単位の衝突の集合体で、だからこそ百人隊長級に重きを置いたローマ軍は強い。 ペロポネソス戦争とか見てみると重装歩兵は数百人でも大戦力だからな >>528
むしろそっちの方が現代ギリシャ語より古代ギリシャ語の形質が残ってるんだろうな。 オーストリア=ハンガリーやオスマン帝国みたいな多民族国家は崩壊したね
今でもイギリスでスコットランドの独立運動があるくらいだし
多民族国家なんてロシアや中国みたいにスラブ人漢人のような支配民族多数、
ヤクートやミャオ族などの被支配民族少数みたいなケースでもないと上手くいかない
それかアメリカみたいに人種民族問わず世界中から金で人材を惹きつけるか いやいやご近所の東南アジアとかすべて多民族国家だから
フィリピンとかどんだけ部族わかれてるのってぐらい 単一民族なのは韓国くらいか
日本ですら大和・アイヌ・琉球の3つあるしな
古代には蝦夷や隼人とかいたけど 部族で言ったらフランスやドイツも他部族国家だな
特にドイツ
中国もか? >537
5つとも縄文系の親戚民族なんでしょ
古代オリエントのイスラエル、モアブ、アンモン、イドマヤ人の繋りみたいな物
薩摩だけ異様に単体の戦力が強かったり
侍の人口比が異様に高かったりしたのは
大和と異なる隼人の血なんだろうな >>537
韓国も韓、倭人、海胡(済州島とか黄海島嶼部)で一応3民族なんやで
朝鮮族の東濊も結構南に居たからそれ含めると4民族 かつて欧州を荒らしまわったゲルマン人もノルマン人も
今ではイスラム移民にボコられてるな
やはり文明化すると軟弱になってしまうのか 中原に入った異民族は漢化され奢侈文弱になる
五胡しかり契丹しかり女真しかり満州族しかり ゲルマン人とモンゴル人だけはローマ化・漢化しなかったな >>543
ローマ人「カルタゴ、ギリシャ、ケルト、ゲルマン、ダキア、パルティア・・・全て叩き潰して征服してやる」
↓
ローマ人「食っちゃ寝するおーコロッセオで試合みるおー戦いは・・・ゲルマン傭兵を金で雇って後はお任せだお」 後半のぐーたらぶりが今のイタリア人みたいだ
血は争えんな >映画「ポンペイ」
なんじゃい、このばっかばかしいシナリオは >>540
大陸系のヤマト民族が拡大して縄文人が分断されてアイヌだのハヤトだのクズだのになった >>545
衛氏朝鮮に服属してた主要民族の末裔が高句麗で女真や韓とまた別 >>514
アレクサンドロスはヘファイスティオンが死んでやる気をなくした
ヘファイスティオンの生前は二つの帝国を建設しようとしていた
アレクサンドロスはダレイオス3世の娘スタテイラと
オクシュアルテスの娘ロクサネを妃としていたけど
ヘファイスティオンもスタテイラの妹ドリュペティスと
ロクサネの妹アマストリネを妻としてしていた
アレクサンドロスは自らとヘファイスティオンの子孫が
統治し続ける帝国が二つ必要になった
おそらくそれはユーフラテス河を境に地中海帝国と
ペルシャ帝国に分割するつもりだったのだろう
アレクサンドロスとヘファイスティオンで帝国を
分割するのではなくそれぞれが王家と宰相家が
統治し続ける帝国を東西に建設したかったようだ
アレクサンドロスとヘファイスティオンの代は
維持出来たかもしれないけど息子の代以降は
王家と宰相家が史実のディアドコイらの様に争うはずだよね 自分の死後10年先も考えて無さそうなイメージしかないわ アレクサンドロスは頭のいいヤツだったという話だけど
考えは結構メチャクチャなのね
まだカエサルの方が常識人に思えるw マケドニア王国としては
アレクサンドロスが乱戦で戦死して
パルメニオンが生きている方が最善だった
パルメニオンにならばディアドコイらも
服従しただろう 多分豊臣秀頼みたいに滅ぼされるんじゃね?リュシマコスあたりに ロリカ・セグメンタタ → チェイン・メイル → プレートアーマー セグメンタタが廃れたのはやはりコストがかかり過ぎて
全盛期ローマでもないと維持できなかったからかな
チェーンメイルは斬撃への耐性はあるけど
槍による刺突やメイスによる打撃には弱いんだよな イラン式のカタフラクト戦術の採用で騎兵が重装備化する一方
歩兵は軽装備化して鎧を着なくなり盾と兜だけで防御するようになった
ゲルマン人傭兵らは数が多くなるにつれてローマ式の訓練戦術を
拒否するようになりローマ軍の歩兵はゲルマン式になっていった >>555
アカイメネス帝国をまるごと征服する気は全然なかったというしな。 スッラが国禁を犯して首都にまで軍隊を進めたのは並々ならぬ理由だったかもしれんが
模倣者のポンペイウスとかはしょーもない理由で首都進軍したよな
その際には前任者も首都まで軍隊を動かしたから云々って、世の模倣者の常の言い訳したと思うんだが
果たしてカエサルはスッラを引き合いに出したのかどうかが気になってる >>543
>女真しかり満州族
女真と満州族てどう違うんだ? ポンペイウスはルビコン河を渡河してないから、首都進軍したとはいえなくね? >>560
お前って散々突っ込まれても時間がたつと知れっと同じ事書き込むよな
その執着心の強さアスぺだろ?
>ゲルマン人傭兵らは数が多くなるにつれてローマ式の訓練戦術を
>拒否するようになりローマ軍の歩兵はゲルマン式になっていった
軽装歩兵と重装騎兵の組み合わせたのはガリエヌス帝時代から
ゲルマン傭兵もちゃんとローマ式の訓練を受けてるし末端の兵士に装備や戦術に口挟む権限はありません >>565
アスぺだとか人格攻撃をするから
お前たち民族は日本人に嫌われるんだぞ
自分はこれまであなた方のレスにも
答えてきたけど今後はあなた方の事は
一切無視する事にしよう ネトウヨかつアスペとか救いようがねえな
あと最近は西ローマ帝国になってもゲルマン傭兵はそんなにいなかったって説あるの知ってた?
まあいっか 当時のフレスコ画みると丸盾と槍もってるだけのから
ウルトラマンみたいな兜つけてるのやらいろいろ
ピルムとスクトゥムは真っ先に廃れたらしい
まぁゲルマン人は関係ないがな 日本人なら俺は日本人だと言えばいいのに
どうしても言えないわけだねw >>573
カタフラクトはそんなに重装備になってもまだ鐙(アブミ)無しなのかw NHKBSPで今日午後1時から映画「グラディエーター」
マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝が息子に殺され簒奪されたなどという
アホな展開だけは受け入れがたいが、先日の「ポンペイ」よりはマシかな。 グラディエーターの続編(前日譚?)が制作されるとかされないとかやっぱされるとかいう話はどうなったんだろ >>526
海ではアヘノバルブスが三頭側の補給路を絶つことに成功していたから
短期決戦にこだわらず持久戦にもっていけたら勝ててたかもとは言われる
カシウスが死んでなかったらそう判断できたかもしれない
指揮官経験のないブルトゥスひとりになって判断を焦ったのかも
ただカシウスが死んだのも全体の戦況をちゃんと把握できてなくて
自分が不利だと勘違いしたせいだと言われてるんだよな
三頭側はオクタウィアヌスがテンパって手も足も出せず
経験豊富なアントニウスひとりで暴れ回ったのがなんか逆に功を奏した
兵力は多ければ面白い戦いになるとも限らない感 >>526
"カッシウス・ブルートゥス"という著名な人物がいたのか、と一瞬思った >>581
勝ったり負けたりは時の運の部分もあるけど
そういう情報収集能力というか状況判断能力の差は史実から結構見えてくるものだねぇ
カエサルは結構無茶な戦争を仕掛ける癖があるから、彼の成功はある程度運に支えられてる気がする
逆にポンペイウスはカエサルと違って、冬になるときちんと撤退したりして、周到な準備で勝つ戦争しかしない印象(周りから突き上げられたファルサルス除く)
政治家としてはカエサルだろうけど、将軍としてはポンペイウスの方が有能な気がするなぁ
アントニウスは政治能力の低さが致命的だったけど、将軍としてはカエサルに負けないくらい有能なようにも見えるな
ガッロルムで負けはしたけど引き際は鮮やかだったし、パルティア遠征で負けてもクラッススと違って生き延びてるのは判断能力の差がありそう
オクタヴィアヌスはそもそもあまり将軍として活動してないけど、晩年を見るととても才能があったとは思えない ヴァンダル王国には生き残ってほしかったな
北アフリカにゲルマン人のキリスト教国家とかロマンやん
ま、ビザンツに滅ぼされんでも後のイスラムに征服されるか
統治が糞だったから自壊してただろうね キリスト教の欧州はルネサンスや啓蒙主義、市民革命で自己批判を経験したけど
イスラムはそういった経験がないからな(一応まともに改革できたのはトルコくらいか)
だから未だにムハンマドマンセーで終了 中東ばっか見てるとそういうアホな結論に陥るけど
イスラム国家であるマレーシアとかインドネシアの都市部はメチャメチャ発展してるからな
特にマレーシアは全土で見ても、1人辺りの購買力が既にロシアを超えてる
http://ecodb.net/ranking/imf_ppppc.html カトリックとギリシャ正教全否定だな
そういう人はこのスレ来ない方がいいんじゃない?
ローマよりゲルマンの方が好きなんでしょ? イタリアって韓国より下なのか
ユーロだから上よりにひっぱられるはずなのに イタリア南部は古代ローマ時代にマグナ・グラエキアと呼ばれてたくらい、むしろギリシャに近いからな
イタリアとは、ギリシャとドイツを足して二で割ったようなもんだ >>592
名古屋が70位に居るのに福岡が128位以内に居ないなんてそんなランキングは信用できない
大嘘ランキングだろ >>412
江戸時代の日本は
たまにオランダや清と交易するくらいでほぼ鎖国状態の内需経済だったけど
豊かで文化水準も高かったな >>593
たかだか150万都市の福岡をえらく買い被ったもんだ
少なくとも横浜、京都、札幌の方がずっと上 >>594
長崎に入港する蘭船は年に1隻だから「たまに」と言っていいが
清船は年に150〜200隻入港してたから「たまに」というレベルではない 福岡・神戸・京都は横並びの150万だが
福岡は160万に向かう勢い、
京都は相変わらずの大観光都市で現状維持、
神戸だけ衰退傾向と
3者3様 東京
大阪
名古屋
横浜
神戸
京都
福岡
札幌
仙台
広島
の主要10都市以外は田舎 川崎って都会というよりは東京・横浜のベッドタウンって感じ
埼玉みたいな位置づけ 横浜は定住人口370万とか化物じみてるけど
昼間人口がいきなりしぼむ(大阪より下)辺り、
「日本最大のベッドタウン」といえるな
240万の名古屋にも生産力で負ける >>601
ローマに関係無い話題を延々続けた挙げ句、堂々と間違えるとか恥ずかしくないの?
http://databasejapan.com/?p=906 >>568
それ年々ローマ市民権を持ったゲルマン人が多くなったから傭兵率が減ったってだけだろ。 あってようが間違ってようがちゃんとローマ帝国の話題を書き込んでる奴より、現代日本の都市ランキングについて語り出したり、果ては朝鮮半島や中国の話を繰り返す奴らの方がよっぽどアスペに感じるけどな。 ビザンティウム、ローマ、アテネ、アンティオキア等
各大都市でも市民間で都市対抗意識とかあったの? >>583
アントニウスのパルティア遠征も
侵攻時はクレオパトラの懐で鈍ってたせいか雑で酷いもんだけど、
撤退時は逆境で目を覚ましたのかなかなか鮮やかなんだよな
クラッススとちがって負傷兵をもしっかり守って生還させてるし 東京 : コンスタンティノポリス (新都)
京都 : ローマ (旧都) ローマ「陛下はギリシャにちょっと足伸ばしただけどすえ」 京都はローマっていうよりアテネかスパルタじゃないか アテネ・スパルタだと国全体の首都って感じがしない
あくまで都市国家規模という感じだし コンスタンティヌス1世による開都から
トルコ共和国によるアンカラへの遷都まで
1600年も都であり続けたコンスタンティノポリスが東京は無いわ
東京なんて都としての歴史はたったの150年 コンスタンティヌス1世による開都から
で計算するなら江戸の250年も加算しなきゃフェアじゃないゾ というか途中で十字軍に占領されてるがな
この時点で難攻不落ではなくなってる 豊臣時代の大坂城とか北条時代の小田原城のほうが難攻不落っぽいイメージ 頭悪い発言続けてるのは同一人物か?
コンスタンチノープルも大阪城も大砲に耐えられずに落城したんだが >>616
東ローマ帝国内の権力闘争で
反乱を起こした次期皇帝候補らに
何度か占領されている コンスタンティノポリスは東の都なんだからまさしく東京 >>613
京都だって、経済的には国全体の首都と言えるほど大きい存在ではないが、文化的には大きい存在だったんだからまさしくアテネ >>623
渤海とか越南にも東京ってなかったか?w >>626
帝政初期まではそう
帝国の構造自体がその全ての富をローマに集める手足だったと思ってもいい アントニヌス勅令のせいで1/10税が消えちゃったけど、相続税等が国庫に入るようにもなったんだっけ
この勅令はカラカラの失策だったのかな?
それともローマの衰退期に面してやむを得ない措置だったのかな? ローマの話じゃんw
ローマ時代の都市
ローマ時代のゲーム
ローマ時代のスポーツ
ローマ時代のピンクネタ
ローマ絡みならいい
かえってローマ時代と関係ないフランク王国の歴史とかスレ違い 蒼き狼と白き牝鹿の古代ローマ版みたいなのがあるといいのにな
カエサルの野望でもいいけど >>627
日本の都市にあてはめるなら、っていう流れが読めないのかヤバいな >>626
1世紀の人口はローマが35万人、アレクサンドリアが20万人ですば抜けてるな
アンティオキアは9万人だから同じヘレニズム帝国の旧都でも差がある >>627
「東京」一覧
漢、隋、唐 : 洛陽
遼 : 遼陽
宋 : 東京開封府
西夏 : 東京興慶府
清 : 遼陽
渤海 : 東京龍原府
越南 : 東京河内府 (トンキン・ハノイ府)
日本 : 江戸
もしローマで漢字漢語を使ってたらコンスタンティノポリスは「東京」と称してたはず >>631
フランク王国だってカール大帝がローマ皇帝に即位してるからローマだ
限りなく僭称だけど 西ローマが中世まで続いてればシャルルマーニュが皇帝に選ばれた可能性もなくもないか
元老院が認めればいいわけだし マグネンティウスやアルボガステスとかはフランク族出身だった
当時は東ローマ側が強大で西ローマ側は倒されてしまった
コンスタンティヌス1世の時は西側から東側を征服していった カエサル・アウグストゥスの時代は、少なくとも軍事力では西>東に思えるけど(東側のポンペイウスやアントニウスを倒してる)
経済力のみならず軍事力でも東が圧倒する時代っていつからだろう カタフラクトが軍の主力になった時代
鐙無しでカタフラクトをやれる人材が
バルカンとか東側に多かったから
鐙が普及すると西欧人自身が
騎士になる事が容易になった >>640
アウレリアヌスがガリア帝国を倒した時だな
アウレリアヌス軍はガッリエヌスにより改革された軍で
ガリア帝国軍は従来からのローマ軍のままだっただろう
その後ディオクレティアヌスによりコンスタンティウス父子ら
バルカン出身の将兵らが西側に配備されたので
東西が互角になったけどコンスタンティヌス1世が
東に本拠を移す時に多くの配下も東へ移住したので
マグネンティウスの頃には地元出身の将兵しか
西側に残っていなかったのだろう フランク王国はわかるよ。
フランク王国のサリーフランク族は元々ローマの同盟者としてローマ軍に従軍したりして西ローマ衰退から崩壊にかけて南下して西ローマ領だったとこに勢力伸ばしてこさえた国がフランク王国だしさ。
そもそもローマがサリーフランクを蛮族対策の防壁としてローマ領内に居住を認めたりしてる。 ローマの元老院が完全に崩壊したのは、ユスティニアヌスの再征服時なのか、ランゴバルドの進入時なのか
どの時期なのかねえ
ローマの元老院が残っていれば、ローマ司教がローマの代弁者として振る舞うことなんかもできなかったろうに アウグストゥス以降、元老院の影響力はイタリア半島内に限られてたから微妙
キリスト教の神父や修道士が積極的に僻地へ布教しにいってくれたおかげで、司教の影響力は西欧全体に広がってた >>645
キリスト教の影響力は過小評価しないけど
西ローマの皇帝を教皇が戴冠する、って無理筋は難しいんじゃないかな、と
それだけで、立ち位置結構変わりそう >>619
>コンスタンチノープルも大阪城も大砲に耐えられずに落城したんだが
コンスタンティノープルはそうだけど大阪城は砲撃が天守の一部を破壊しただけで
城壁は一か所も破られてない
日本の石垣はイタリア式築城と同様、土段に石を張り付ける様式なので砲撃による破壊は難しいと思う
実際、朝鮮出兵では劉テイが順天倭城を砲撃しまくったが丸で歯が立たず諦めてる カール大帝が正式な形での西ローマ皇帝だったらゲルマニア属州化万歳ができるのだが 西洋の城壁って高さと比べてびっくりするぐらいぺらいよな
中東や東アジアが高さより厚みを重視していたのと対照的 >>648
そもそも西ローマ皇帝はマクシミアヌスやホノリウスとか
東ローマ皇帝の代理として東から派遣された部下とかだから
カール大帝のように西ローマ領出身者はまず選ばれない
西で挙兵した将軍が東側に皇帝として認めてくれるように
願い出ても多く場合で認められず簒奪者として討伐されて
東側が選んだ人物が西側に押し付けられた 中世ではローマ時代に作られた延々と続く橋や壁が凄すぎて
「こんなの人間が造れるわけない!これは悪魔が造ったものだ」とか言われてたんやで 今ある万里の長城は明代だからふーんと思う程度だが
コロッセオはそれより遥か昔の古代の建造物なのがすごいところ
ピラミッドもね >>653
明代だって500年以上前だったりするんだけどね…… >>650
>>649はかなりペラいし高くも無いっていう >>579
久しぶりにグラディエーターを見たけど、
古代ローマってあんなに弓兵がいたものかな?
せっかくの投げ槍がほとんど使われなかった感じ >>652
それよく言われるけどどの程度まで共通認識だったわけ?
一部の人間のアホ言動を1000年近い期間のヨーロッパ人のスタンダードだと思ってないか? >>656
いちおう2世紀には弓兵の補助大隊が30個ほど常設されてる
あと戦時には同盟勢力からも弓兵集められるから
かなりの大動員かけられてる劇中のマルコマンニ戦争時にはさらに多くなってると思う 30コホルスってすごくね?そんなにいたっけ?
それだと半数近くは弓兵ってことになるな >>660
半数ってのわからん
補助軍全体からすると少ないはずだよ
2世紀になると補助大隊は350個をかるく超えるから 2世紀半ばの補助部隊数は350前後(研究者によって320〜380とバラつきあり)
Cohortesが260〜300、そのうち弓隊(Sagittariorum)が20〜30、
Alaeが80〜90、そのうち弓騎が8〜10
だいたいの兵数としては歩兵が13万〜16万、うち弓兵が1万〜1万5千、
騎兵が5万〜7万(Cohors equitata付のturmaeも含む)、うち弓騎が約5千
弓系は全軍で見るとかなり少数(というかローマ軍が大所帯すぎ)
ただしプロフェッショナルとしてかなり重用されていて、
大事な戦争となれば帝国どこにでもはるばる派遣されて主力軍団付として集中投入される それプラス正規軍団も30個くらいで15万ほどいるんだろ。ほんと呆れる規模だな。
しかも駐屯跡地が実際にたくさん発掘されてるから誇張された数字でもないという。 >>635
嘗ての渤海に近いウラジオストクも東の征服地って意味だっけ
東京に近いニュアンスなんかな 同時期の漢の常備軍は百万以上とされてるからまぁ・・・ ローマ軍ってむしろ国土や人口から見ると少ないほうなんだよね
内乱で肥大したのをアウグストゥスが縮小しまくって軍事費削減&量より質の路線とったから 657氏の意見に同感。ほんと、この話が出る度にうんざりする。
馬鹿馬鹿しいステレオタイプですわ。 自分も同感だな
古代ローマの文明が当時にしては非常に高度で、古代末期で失われたものも多いことは全く否定しない
けどそこで思考停止して、中世を否定することに躍起になってるだけってのは正直アホ
こういうタイプが魔女狩りを率先してやってたんだろうなと思う 全くです。現代においても、失われた技術は多いからね…。 フランク王国と神聖ローマ帝国の違いを教えてください
フランク王国:フランス人国家? 神聖ローマ帝国:ドイツ人国家?
それとも同じ系統の国なのか、わかりません 魔女狩りで有名なスペインは全然魔女狩って無いし裁判も寧ろ理性的というね
ドイチュとかエゲレスは酷いけど どっちも西ローマの皇帝名乗ったから違いがいまいちわからんのかい? 弓兵は専門の補助大隊とは別に、
普段の前哨基地などでの見張用の弓チームも各隊に付いてたりしたらしいな。
あと必要に応じてパートタイム射手もよく雇ってたようだけど、
どちらも具体的な構成や規模は不明。 欧州の主要都市って殆どローマ時代に原型ができたものなんだな
ロンディニウム、ウィンドボナ、パルキノ、アクアエ・グラニ、コロニア、
ハドリアノポリス、アクインクム、ルテティア、ルグドゥヌム、フェリキタス・ユリア 一神教が欧州を覆い尽くしたことは人類にとってメリットとデメリットどちらが大きかったのか、いまだにわからんな。
排他的な考えが人々を支配したともいえるし、一方で近代的な思考・哲学を生み出して「人類は平等」に始まる解放的な思想を生み出したともいえるし。 文化の多様性という点ではアブラハム教の隆盛は人類にとって大きな損失だった
西方世界の各地の多様な文化がキリスト教徒イスラムによって消されてしまった よく言われる「キリスト教の功績」は
・抽象的思考を育んで科学の発展を生んだ
・人権概念を普及させた
・平等概念を普及させた
といったところだが
・抽象的思考を育んで科学の発展を生んだ
↑あれだけ技術と文化が揃ってた中国が科学で遅れを取ったことを思えばそうかもしれない
でもそれどっちかというと、ギリシャ哲学の功績だったんじゃないの?
・人権概念を普及させた
↑キリスト教による人権侵害のカウンターとして生まれたようにも見えるし、ゲルマン民族古来の発想が普遍化されたと思えなくもない
・平等概念を普及させた
↑単に豊かな国ほど平等概念が広まりやすいってだけじゃないのかと >抽象的思考
こういうことなら仏教はアブラハム教の比ではないが? >>673
西暦481年、現在のベネルクス3国一帯にフランク族長クロヴィスがフランク王国を創設。
それから二百年ほどかけて現フランス、西部ドイツ、北部イタリアに拡大。
その間、分割相続と統一を繰り返す。
そして世襲宰相だったピピン一族が王権を凌駕するようになり、771年、遂にピピン家の
シャルルマーニュが王位を簒奪。
シャルルマーニュはローマ教会となぁなぁの関係を保ち、西暦800年にローマ教会が
預かっていた西ローマ皇帝の帝冠を受冠する。
王国はシャルルマーニュの孫のとき仏独伊の領域に3分割相続され、それきり各々断絶に向かう。
3王国のうち、やがて東フランク国=ドイツ王に即いたサクソン王家のオットーがイタリアの
混乱を収拾してローマ教会から西ローマ皇帝の帝冠を受冠する(962年)。
これが時代を経て神聖ローマ帝国と称されることになる。 >>682
ゲルマンのは民主制的な話かな?
人権概念は王に対抗するツールではあるがその理論の体系化にあたって「神のもとの平等」概念が影響してるのは間違いないかと
弱者の現実逃避の側面があった宗教が人権概念にはやくたったと思うよ
日本も一向宗があまねく広がっていたら似たような死に際しての平等思想から人権的ななにかは生まれていたのではないかな >>685
ちょっとイデオロギーちっくな「ゲルマン民主主義」は眉唾だと思ってるけど
厳しい自然に対峙するにあたって、古代のゲルマン人に個々の自由の尊重と相互扶助の精神があったのは間違いないと思う
この辺、王者の集まりと呼ばれた共和政期のローマに似てるような気もする 中世ヨーロッパがロマネスクやゴシックのような高度な建築を作れたのもローマの技術を解析したお陰だろうか ローマの建築技術は主に修道士がヨーロッパ各地に保存していて、それが活かされたのは事実
ただロマネスクはローマの影響「も」あったとされるが、ゴシックはむしろ断絶性の方が強く指摘されてる
力学的構造を見せつける機能美重視のギリシャ・ローマ建築と比べて
フライング・バットレスなどを用いて、力学的構造を隠す(そして非現実感を演出する)のがゴシック建築の本質だったため >>684
ノルマン・コンクエスト以前のイングランドではサクソン語が話されていたから
イングランド=西サクソンで神聖ローマ帝国=東サクソンだったわけか
ドイツもフランクに征服されて東フランクになっていたのに
英語とドイツ語がそっくりではないのは不思議と言えば不思議 司教職をセナトール貴族層で初期に占めていたのも、建築系などの知識保存に役立ったと思うな。 英語は、ノルド語やノルマンフランス語の影響を多大に受けてるからねぇ。 >>684
教えてくれてありがとうございます。
中世ヨーロッパの時代は、やや複雑ですね >>689
デーン人による征服と、ノルマンコンクエストによる上層のスクラップアンドビルドがあったから、その影響の
大きさたるや、半端ない
あと、基層としてイングランドにはケルト文化もあったからな >>690
でも西ローマ滅亡からカロリングルネサンスまでの時間はなんだったんだろう >>694
文献の保存はされていても技術や知識自体は途切れてるからね。
100年前に作る事のなくなったこれを、もう一度作りたいんだけどちょっと教会に残る文献漁ってみるかなわけだし。
それにセナトール貴族が占めていたっていっても布教自体は時間とともにそれぞれの分割された地域の庶民の話すラテン語口語がそれぞれの言語に変質していってたから
ラテン語文語からどんどんかけ離れていって、もう宗教教義を勉強する為に日々精進してる修道士くらいしか読めなくなっていったってのもあると思うよ。
フランク王国が分割された時の条約でも元々のラテン語文語からはかけ離れた言語になっていたどころか
すでに西フランク東フランクで使ってるラテン語すらそれぞれ変化してしまって訛り位じゃ効かない程の両者が使うラテン語がかけ離れてしまっている。
なのでフランク王国の王侯貴族達同士は普段は共通語としてフランク語を使ったわけだし
200年くらい経てば同じ修道士でも西フランクと東フランクの修道士の話すラテン口語がお互い通じないくらい変化してたはずだよ。 流れをぶった切って申し訳ないが、塩野七生はcensorを「財務官」と日本語訳してるらしいねw
「ドミティアヌス帝は『終身財務官』になって元老院議員の地位を剥奪した」とか…
したがって、日本に多数ある塩野受け売りサイトが全部censorを「財務官」と訳してる
あのオバサン、どこで記憶違いしちゃったんだろう
あまりにも驚いたのでちょっと書かせていただいた次第 まぁ「ローマ人の物語」は古代ローマ風英雄ファンタジーだと思っておけばいいw
巻末に列挙されてるあの膨大な文献群、絶対全部を読み解いてはいないだろっていう内容だしな >>696
300年じゃないよ。
ローマ帝国自体が衰退していったから西側が崩壊してしまったわけで蛮族が侵入したから衰退したわけじゃない。
西ローマ崩壊の150年くらい前からとっくに経済的にも軍事的にも衰退は始まってるよ。 >>684の訂正
フランク王位を簒奪したのはシャルルマーニュの父・ピピン3世(短軀王)だった(751年)。
ローマ教皇にやたらヨイショして王位簒奪の公認を貰った。 >>700
近年まではそういった徐々に衰退したという説が有力だったが
最近ではオドアケルが西ローマ滅ぼして
ゲルマン諸王朝乱立してから一気に物質文化が下がったという説が有力で
考古学の発掘から証明されてる >>702
東ゴートがローマの既得権ある程度認めつつ王権確立した時期に物質文化が一気に落ちた、って話は聞いたことないが?
ランゴバルドの侵入後ならともかく 西側の衰退はペリサリウスの遠征が止めって意見もあってどれが本当なのかさっばりなのだが
現実が半分ファンタジー、だから暗黒なのか 軍人皇帝時代には貨幣の質が下がって商業もがたがただし
重税による不満でバダウガエが暴れまわるで農村もズタボロ
東ゴートは元老院や教皇と折り合いつけてローマ文化の再興を図ってたようだが
ベリサリウスに止め刺されて完璧に終焉したという感じ >>644
確かゴート戦争の時にSPQRが消滅したんだよ 平民たちが掘立て小屋に住むまでに落ちぶれる一方でゲルマン王国乱立後でもセナトール貴族だけはローマ風のヴィラに住んで豪奢な生活送ってたからな
ライン地方ですら6世紀までそんな感じ 物質文化に目をやれば蛮族の侵入に目が行くけどローマが衰退せずに、そのまま経済軍事と発展していたらそもそも蛮族なんかに侵入される事もなく領土を蹂躙される事もないよ。
ローマ帝国自体全盛期を過ぎていたからこそ西側を維持する活力を失っていってたわけだし。 軍人皇帝時代以前のセヴェルス朝あたりで衰退を止められればチャンスありそう
パルティア遠征とかしてる場合じゃない ローマ帝国自体全盛期を過ぎていたわけだけど
西側ではなく東側を優先したのは何故だろう?
西側は蛮族に侵入されれば文明が崩壊してしまうけど
東側はササン朝に征服されてもササン朝の支配下に繁栄し続けそう
東側の住民にとってはローマでもササン朝でもどちらでも良さそうだけど
西側は蛮族が移住すると農地が牧場になったりして飢餓で死ぬ事になる >>709
セプティミウス・セウェルスの挙兵時やアウレリアヌスの即位時とか
そのまま再統一せずに帝国3分割すればそれぞれ発展できたかも
ライン戦線とドナウ戦線とオリエント戦線で軍団に対応して
分割するのが最適だったのかも
オリエントはオリエントで自衛させればラインとドナウが
蛮族に突破されなかっただろう
オリエントを守る為にヨーロッパ側の軍が持ち場を離れたので
手薄になったヨーロッパの国境を蛮族が突破した 地中海世界全体を維持していくだけの力を失くし維持していく為に縮小を迫られればどっちかといえば、小煩い元老院や現地の世襲地主やセナートス貴族層で占められてる教会ネットワークが張り巡らされて
そして生産効率も低くブリタニアみたいな辺境を含む西側を切り捨てた方がいいよね。
東側を残そうじゃなく西側を切り捨てないと生き残れないと考えたんじゃないか?
むしろ西側で残れば半永久的に東側の領土回復なんて不可能に思うけど
東側で生き残れば時間をかけて再起を計れば西側の領土回復もできるかもしれないと。
実際東側で生き残って失った西側の領土回復をやってるから、そう考えたんじゃないか? それともう東西に分かれた後のそれぞれの軍事費だけど、西側自体の軍団と防衛ラインを維持するのに西側だけの税収じゃかなり厳しいだろ。
西ローマっていうと滅亡しただけに軍事的に弱く感じるけど西側各地に散らばってる常備軍団の兵力数考えたら蛮族が腰抜かすくらいの軍事大国な訳だし。 ラテン化もしていないブリタニアは早々に放棄すべきだったけど
実際にはラテン化しているダキアが東側で放棄されてしまった
ダキアは皇帝と将兵らの生まれ故郷であるバルカンのすぐ近くで
一方ブリタニアはバルカンから遠く離れていた ハドリアヌスがわざわざ長城を築いたという辺り
相当ブリタニア維持は面倒だったんだろうな ブリタニア放置したらそれはそれで比較的豊かなイングランド地域で力をためた蛮族がくるパターンでしょ 当時のイングランドにそんな余裕あるかな?
逆にノルマンコンクェストまで侵略受けっぱなしだったじゃない >>712
東側は豊かなオリエントと将兵の供給源のバルカンの二つに大別されたけど
オリエント防衛と西側の領土回復の為にバルカンが犠牲になったわけだよね
アウレリアヌスが帝国を再統一したりダキアを放棄しなければ
バルカンは犠牲にならずにすんだのでは?
豊かなオリエントのパルミラは元パルティア兵とかを雇って
カタフラクトを配備してササン朝から自衛していた
豊かなオリエントの防衛は豊かなオリエントに任せていれば
バルカンは犠牲にならずにすんだはず >>719
カエサルがベルギカを攻めたので
ブリタニアに移住したベルガエ人が
故郷に援軍を送った 中世になると犠牲になったバルカンを奪回する為に無理をして
テマ制が崩壊して今度はアナトリアが犠牲になってしまう
オリエントは身をもってバルカンに恩返しをした事になる >>705
ミラノやローマを破壊したり住民を追放したのは東ゴート軍
自国民だけど敵に帰順しようとした者には手加減しなかった ゲルマン民族移動問題はカエサルがというより属州化から二百年以上経っても何もしなかった当時の人らの責任よ
防衛線を後退させるなりできただろうに パンノニアとかドナウ河流域は将兵の供給源だから
防衛線を後退させる事は自殺行為
ブリタニアとガリアとヒスパニアからなるガリア道ならば
丸ごと放棄しても帝国の軍事力を維持出来ただろう 全盛期並の動員力を持つローマがゲルマン民族と血で血を洗う大戦争して轢かれていく様を見たい >>727
ローマが全盛期なら、そもそもゲルマン人は内部分裂させられて、ローマに顎で使われるのがオチだと思うよ
実際、強勢だった頃はそんな関係だったわけでな ガリアを完全に放棄すると緩衝地帯が無くなってイタリア本国が危険になる ガリアを放棄するという事はガリアの防衛は現地人に任せるという事でもある
テオドシウス1世はアルボガステスとその配下を殺してしまったので
スティリコが率いる軍を西へ配備しなければならなくなった
スティリコらは本来は東側でゴート族やササン朝と戦う為の将兵だった
テオドシウス1世がアルボガステスを承認して西を放棄したのならば
スティリコらがゴート族をドナウ河以北に追い返したかもしれない 言語の分布でいくとライン川以西の地域のかなりな範囲でドイツ語離されてるから、ざっくりとローマ帝国はライン川防衛線のかなり深くまで同盟ゲルマン人達を住まわせて防衛に当たらせてたんじゃないか? ガリアのライン河国境地帯は属州ゲルマニア・スペリオルと
ゲルマニア・インフェリオルでゲルマン人の居住地だったようだ
国境を守るローマ軍が駐屯していて強くラテン化されそうだけど
ラテン化しなかったようだ
ガリア語とラテン語は印欧語内で近縁なので
ガリア人はラテン語を覚えやすかっただろうけど
ゲルマン人はラテン語を覚えるのが苦手だったようだ
ノルマン・コンクエスト後のイングランドも
完全にフランス化せず英語が存在する 長い目で見れば、ガリア帝国を敵対視せず承認した方が良かったのかな やっぱりアウグストゥスへの憧れがそれを許さないんだろうな >>736
当時のブリタニアはケルト語だからゲルマン語というよりガリア語の近縁だろ? ウェールズやコーンウォールはケルト語だけど
ウェセックスはサクソン語でデーンロウはノルド語など
ゲルマン語がブリタニアにひろまっていた ノルマンコンクエストで、ノルマンフレンチ話してたのは、支配者層。大半がサクソン語話してたんだから、影響与えても普及しないのは当然やろ。
むしろ支配者層が下の者と話すのに、サクソン語覚えたぐらいなのに。 >>741
残念ながら
今の英語の、特に抽象的な語彙はフランス語起源のものがほとんどだったりする
おおよそ1万語以上だとか
Parliament、view、cathedral、chancellor、city
とかね だから、影響は与えてるって言ってるの、分かんないかな。 >>744
影響を与える、どころの問題ではなくベースの一つだって話をしているの
文法はゲルマン語由来なのは疑いのないところだけれど、語彙、特に高級語はフランス語由来ってお話
なお、生活語の語彙はケルト由来が多くゲルマン語(サクソン語)由来のものは少ない、ってのもある
これを「影響を与える」程度のお話として理解してるんなら、それは間違ってるよ >>724
元をただせばそこまで東ゴートを追い詰めたのはベリサリウスなわけで
「ゴート戦史」プロコピオス 6巻6章
ゴート人の特使らこう言った。
「(略)我らは、その地の法を、政治秩序を、それまでの皇帝たちが傾けてきた以上に熱意をもって保持してきた。
成文化されていると否とに拘らず、テオドリックとその後継者たちがこの体制に反する法を発することはなかった。
宗教に関していえば、我らはイタリア人に完全な自治を与えようとした。彼らの自由は、誰一人として、今日にいたるまで強制的にであれ自由意志によるものであれ、
信仰を変える者がなかったことによって明らかだろう。
しかもわれらは、ローマ人の宗教(カトリック)に改宗したゴート人を厳しく扱うこともしなかった。我らはローマ人の教会をこの上ない敬意をもって遇してきたので
あって、ローマ人の教会に逃げ込んだ者はいかなる暴力をも振るわれることはなかったのである。(アジール権)
さらにまた、彼らは自分たちの統治機構(元老院)を持ち続けることができ、それにはゴート人は参与しなかった。(略)」
ベリサリウスはこう返した。
「我々としてはお前たちゴート人にはブリタニアをくれてやろうと思っているのだ。その地はシチリアよりも広大で、かつてはローマ人に服属していた土地でもあるしな。
最初に良いお返しをした者にはそれ相応の報酬が与えられるべきであろう。」 ぷるぷるぼくわるいゲルマンじゃないよって講和を求めてる東ゴート族に
戦争回避したいのならブリタニアに出てけとかもう滅茶苦茶ですよコイツ
しかもローマを占拠した後は防衛の名目で片っ端から水道ぶっ壊して去っていくし
ローマ市民からしたら疫病神でしかない ベリサリウスはローマ人じゃないからしょうがない
ローマを破壊するローマ人がいて堪るか スッラ「ローマ人がローマを攻撃するわけがないな」
マリウス「全くだ」
軍人皇帝達「ローマ人がローマに軍隊を向けるなんてあり得ないことだ」
神聖なローマの皇帝カール5世「うんうん」 >>747
ルビコン川とアペニン山脈を境界に
南側をよこせという事ならば
東ゴート族も妥協しそうだけど
ブリタニアに行けという事は
ユスティニアヌス1世はフランクも
倒してガリアをも併合する事を
夢見ていたのかな >>747
ベリサリウスはブリタニアがどんなところか知っていたのかな?
後の十字軍の騎士達は十字軍以前に傭兵や巡礼で
ビザンツやパレスチナに行った事がある者がかなりいた
マンジケルトの会戦は大勢のノルマン人やフランク人が
参加していて実質的に十字軍だった 知ってって言ってるに決まってるだろ
ユスティニアヌスにアイツラはもう用済みだから始末しろと言われてきてるのだから
最初から生かしておく気はない
ブリタニアに行けというのも遠回しに死ねといってるようなもの ブリタニアやるよ!っつったって蛮族が住んでる土地だもんなあ、しかもかつて維持しきれなくて捨てたという 当時のブリタニアはまだ先住民のブリトン人が多数派だったけど
ユスティニアヌス帝時代のペストの大流行でブリトン人が減って
アングロ・サクソンが多数派になっていったそうだ
元ローマ帝国人だったブリトン人は地中海と交易し続けていたけど
アングロ・サクソンらは自給自足的でブリトン人とも交流が
少なかったからだそうだ ここの誰もが、とっくに知ってる情報をご丁寧にどうもww やっぱり責めるべきはユスティニアヌスであって史上最高峰の戦術家をもうこれ以上責めるのはやめてやってくれ
老後は乞食だったっけ? >838
「親北条の国人を纏められる訳がない」「沼だらけの土地でどうしようもない」
「畿内から遠ざけて豊臣恩顧で東海道塞げば天下を狙えない」
の三段構えで家康を関東に左遷したのに、最後は全て克服されたみたいに
東ゴート族にブリテン統治されて手が付けられなくなる可能性も在り >>764
関東=沼だらけの土地でどうしようもない
は間違いって明らかになってる
そもそも、古代律令時代から
武蔵、上総、下総、上野、常陸は大国
相模、下野は上国
と、生産力の高い地域とみなされていたし、鎌倉以降は武士の本拠地として特別扱いだったわけでな
ブリテンとは比較にならんよ
当時の関東ならガリアとヒスパニア合わせたくらいなわけで >>765
関東平野は北条氏の経営でどんどん豊かになっていって
当時No1だった濃尾平野にもうすぐで追い付くってタイミングで
濃尾平野出身の大名(織田、豊臣、徳川)に飲み込まれたっていうのが面白いよな
信長か秀吉のどちらかがもう少し無能だったら、最終的な天下は北条氏のものだったかもしれない 武蔵野台地の本格的な開墾は、江戸時代に玉川上水開通してからだろ
戦国時代の武蔵なんて僻地だよ >>767
そら文明的には僻地だけど、石高は戦国末期時点で相当高かったよ
太閤検地の時点で関東の石高は300万石を超えてる。対して尾張と美濃を足しても100万石ちょっと ゲルマンってあんな森ばっかの土地に住んでる割になんで人口多かったんだ?
意外とドイツって当時から豊かな土地だったのか? >>767
武蔵野新田の話と武蔵国の話を混同されてもなあ……
最近の研究に触れてないとしかいえない >>769
あの時代の人口に関する研究ってあるのかな
中世以降は洗礼名簿に基づくかなり詳細で正確な統計がとれるらしいけど
考古学的証拠に基づく推論だとかなり大雑把になるよね
ローマ側の記録によるしかないか >>764
史実で東ゴート族はイタリアだけでなく
イリュリアとパンノニアも領有していて
バルカンの西半分も支配していた
東ゴート族はバルカンを守る衛星国であると
同時に情勢によっては危険な隣国でもあった
ササン朝がホスロー2世の時のように大攻勢を
かけてきた時に東ローマは挟撃される危険があった ローマ時代のゲルマン人の風習聞くと、よくあんなとこらへんに何百年間も住んでたよなあって思うわ…人口爆発付きで
周囲を焼き払うとか無駄の極みだと思うんだがなあ >>765
普通に沼沢地だらけだよ
荒川と利根川の間とか印旛沼から霞ヶ浦にかけてとか
>>768
穀類だけ作っても貧乏じゃあな そりゃ関東平野の広さは日本本土では圧倒的だからな
さしづめ濃尾平野、大阪平野なんか猫の額といったところか >>776
沼沢地が多い≠沼沢地ばかりでどうしようもない
沼沢地の多さで言ったら濃尾平野も変わらない
中世から干拓が進んで沼地が減っていたのは摂河泉くらいのお話 >>765
関東に限らず日本中が沼だらけやぞ
江戸中期にならんと
本格的になくなるのは1970年代 >>769
豚を飼っていたからではないだろうか
あと別に人口おおくはないんでは。
兵数十万とか言ってるがどうやら若者や老人含んでる >>781
子供ならまだしも、若者なら十分戦力じゃね? >>778
濃尾平野わ人口稠密、戦国時代の時点で開発と木曽川の治水が進んでたから
あまり残って無いよ沼沢地 >>784
江戸初期あたりでも濃尾下流は沼地ばっかなので沼地に無理やり田を作ってて驚愕というおのぼりさんの記録が残ってるで
足場のないところに足場を作ってる様が驚異だった模様 東ゴート族の宗教ってペイガン?アリウス派?ミトラ教? 古代ローマ期の著述において、もっともゲルマン軍の数字が多かったのは、
マルコマンニ戦争に関して綴られたユスティノスの手紙で97万としてる。
もちろんこれは大幅に誇張されているのは確実だけど、
マルコマンニ戦争の戦域が全ドナウとラインの一部、さらに北部の部族たちもはるばる参加したことから、
戦闘員の総計は10万から多けりゃ20万にはなるんじゃないかとは現代でも言われてる。
ただしこれまたもちろんのこと、この数はまとまった一つの軍ではなく、
10年以上にわたる期間と全ドナウという広大な戦域に散らばっていたのを無理やり合計したものだということに留意。
あとサルマタイ(イアジェゲス族など)や、ゲルマンに服属してたケルト系(コティニ族など)も含まれている。 ローマ軍みたいな職業軍人集団が珍しいわけで、ゲルマン側なんて武装難民みたいな集団だろうしね。 マルコマンニ戦争って規模としては民族移動期のゴートやヴァンダルやアレマンやスエビなど戦いをひとまとめにしたようなもので
古株部族から新興部族まで軒並み参加したゲルマンオールスター+サルマタイだから全部合わせたらそのくらいいくだろうな
ただし大物ルーキーでもゴートは参加しなかったが >>786
沼地というか輪中堤を築いて水郷に適する稲作してた
関東の自然のままな沼沢地と違い開発された農地だよ
関東の方は村落とか殆ど無かったし アルミニウス戦争について現代の推測では
トイトブルク時にケルスキ・ブルクテリ・カッティ・カウキー族が集って1万〜2万
対ゲルマニクス時にヴェーザー・エルベ間の部族総集結して5万未満ってところ
古代記録では10万単位なキンブリ・テウトニ戦争やアリオウィストゥス戦争も
戦闘要員だけに絞ると同じくらいの数字になるのかな >>791
村落とかほとんどなかったとか
旧利根川沿いや旧荒川沿いは古代から中世にかけての集落の集中してる地域なんですがね
固定観念で語りすぎなんだよ ただ、古代のゲルマン人とかって、老人でもある程度の戦力になったんではないかね
そもそも戦力足り得ない老人とか死んじゃうでしょ、正直 ゲルマン社会の構造的に状況次第で郎党の男たちがまるごと戦力になったりもできるしね ローマ軍が攻め込んで来たってのは、ある程度普段から戦闘要員だった年齢の人間だろうけど、その土地で人口をかかえられず食って行けなくて新天地を求めというか
他の豊かな土地を分捕って移住ってなると部族丸ごと武装難民集団になってるだろうからね。
ゴート族もランゴバルドもヴァンダルも女子供老人丸ごと引き連れて西欧中を略奪三昧だったわけだし。 古代ローマ以外のガリア、ゲルマン以外にイリュリアとかペルシャも女や子供に武器を持たせて戦場に連れて行く風習があった
とおく離れた秦漢でも墨子や商君書には女や子供兵士の規定がある
そういうのを含めれば数十万に達するだろうが、戦闘員の定義を成人男子のみにするとずっと少なくなる
>>794
東ゴート族がドナウ河を渡る際に老人や負傷者はローマ軍が運んでくれたそうだからいたんじゃない
そもそも戦闘できないものは死ぬほど貧しい社会だと乳幼児死亡率100%で部族が成り立たないだろ 古代ローマ軍だと上ゲルマニアと下ゲルマニアの配置された軍団以外は妻子を戦場に同行する風習はなかったらしい
これは古代の軍隊としては例外的といえる >>797
死ぬほど貧しいとかそういうことではなく
ある程度健康維持できない個体は自然と淘汰されるのではないか、という意味
ローマやペルシアなんかの文明国の都市住民は全く戦力化できないだろうが、ゲルマン人はある程度の
戦力として計算できるのではないだろうか、という趣旨だよ 戦闘員(戦士およびそれに類する成人男子)をおおざっぱに見積もる場合
アレシアなどの誇張割合からみてローマ側資料の数字を三分の一〜五分の一程度に縮めると
だいたい現実的な数字におちつく >>800
アレシアの戦いって誇張あるの?
確かローマ軍7万対ガリア軍25万だったというけど、実際のガリア軍は5〜8万くらいってこと? >>793
利根川と荒川の間わ他地域と比べて発見されてる村落や館、城跡の分布スカスカ >>799
>ある程度健康維持できない個体は自然と淘汰されるのではないか、という意味
後期高齢者よりも乳幼児死亡率ははるかに高いんだぞ
老人すら生きられない劣悪な環境なら、その民族そのものが淘汰されると思うがな
>ローマやペルシアなんかの文明国の都市住民は全く戦力化できないだろうが、ゲルマン人はある程度の
文明国だから戦力化できないという理屈が良く理解出来ない
ローマ軍団のレギオはローマ市民が供給源だし、アケメネス朝軍も中核はペルシャ人だぞ
>>800
ガリア戦記だと写本によるがガリア人の女たちが投げ槍で応戦してきたという記述がある
逆に男でも奴隷は武器は恐らく持たせてもらえなかったろうから、一概に成人男子=戦える人員というわけではないので戦闘員の数は推定の使用がない ゲルマン部族って陣地に立て籠もってとかじゃなくゲリラ戦を得意にしてたってのもローマ軍が戦いづらい一因になったのもあるかもな。
いくら戦闘員の数はどっこいでもみすぼらしい皮の鎧や石斧なんかで武装した即席兵士が三倍くらいの数にいましたとなると開けたところで包囲殲滅とか騎馬隊突入とかしなければ、なかなか自分より数の多い敵に勝つって難しいよな。 蛮族系VSローマの戦争においてざっと眺めてると、
蛮族側のガチ戦士は対峙するローマ軍兵士の半分程度しかいないけど、
いざとなれば素人衆もかき集められて全体ではローマ軍の倍とかになる、って印象がある >>803
アケメネス朝はペルシャ人とメディア人が免税特権の支配民族で
同じイラン系でもソグド人やバクトリア人とかは被支配民だった
アケメネス朝軍は鎧を着ていない兵士が多かったようだから
ペルシャ本国は国民皆兵で鎧を買えない庶民も総動員していたようだ >>804
ウォセグスの戦いでは背後に馬車でバリケードを作って更に密集陣形を取るという戦法でかなり統制がとれている
石斧とか一体誰の記述に出てくるの?蛮族だから武器も原始的に違いないという連想?
いくら何でもヤストルフ文化から何百年もたっているのに石器はないでしょ
>>806
「アレクサンドロス東征伝」に読むとガウガメラの戦いではペルシャ人は馬にまで足がすっぽり覆う鎧をつけるので
それがあだとなって包囲殲滅とあるけどな ローマ人てゲルマン人を蛮族扱いしてるけど、正直ゲルマン人て言うほど蛮族じゃない気がする
そらローマ本国ほど洗練された文明都市は持ってなかったけど、地方の「ローマ人」なんかよりよっぽど頭良くて統制取れてた気が ガリア戦争だとスエビ族が馬車に女たちを乗せて戦っていたけど
クルティウスのほうの大王伝を読むとペルシャ人も馬車には貴族の女たちが無数に乗っていて
敗走中に多くが崖っぷちに落っこちて死んだとか書いてある
印欧語族共通の習慣かな
アッリアノスは大王軍も大勢の女たちを連れていたとあるが、こっちは普通に歩いて移動してるっぽい >>808
頭が良くて統制が取れる
ことと
文明化されてる
は、直接リンクしないからなあ(関係はある) >>803
帝政中期以降のローマ都市住民が兵力として使えなくなってるのは、どの史書読んでも明らかだと思うが?
帝政初期以前の話は、基本的にはしていない
また、老人すら生きられないではなく、生きられる老人は戦力化できるのでは、という趣旨だと二度説明した
乳幼児死亡率が高いのは誰しも理解しているだろうけど、そのことと主張には関わりがない ローマ市民が兵力として使えなくなってるのはグラックス兄弟の改革の頃から社会問題になってたけどな
都市の生活に慣れて惰弱になったとかじゃなくて、農地を失ったりして軍務に耐えられないほど貧しくなかったから
どれだけの人間を武装させれるかは鉄生産量や経済力如何でしょ
古代や中世より都市化してた近世、近代のほうが圧倒的に動員率は高いし >>812
アケメネス朝とかほとんど遺物も当時のレリーフもほとんど残ってないのに
ましてや地方の兵装までそんなにハッキリとわかるもんかね?
ペルシャ軍の絵は教科書でもおなじみのこれを参考にしてる様だけど、どこまで正確か
http://www.brianmefford.net/wp-content/uploads/2015/08/image12.jpg
アッリアノスやクルティウス、ユスティヌスを読むともっと重武装なんだよね
馬はひざ下まで覆う鎧をつけていた、とか、巨大で金ぴかに装飾された武具を持つペルシャ軍本隊の威容を見て怖気づくものが相次ぐとか
こっちのほうがイメージ的にはあってる
https://weaponsandwarfare.files.wordpress.com/2015/11/achaemenid_chariot.jpg >>784
長生きして病院のベッドで家族に見守られながら安らかに死ね >>814
ヘロドトスに個人兵装について書いてあるところがありますよ >>817
へぇぇぇ〜
前ちょろっと読んだ程度で見落としてましたな
時代が少しずれてるけど読んでみます
どうもありがとう http://www.afpbb.com/articles/-/3153400
カエサル英侵攻の初の証拠か、英大学チームが発見
2017年11月29日 12:01 発信地:ロンドン/英国
【11月29日 AFP】古代ローマの将軍・政治家ユリウス・カエサル(Julius Caesar)が
現在の英国を侵攻した初めての証拠とみられるものを考古学者らが発見したと、
英レスター大学(University of Leicester)が28日、発表した。
研究チームは、カエサルの艦隊が英ロンドンの南東約110キロに位置する
ケント(Kent)州サネット島(Isle of Thanet)のペグウェル湾(Pegwell Bay)から
上陸したことを示唆する新しい証拠を発掘した。
レスター大によるとペグウェル湾の位置と風景は、紀元前54年に行った
上陸についてのカエサル自身による説明と一致するという。
考古学者らは、湾を見下ろす場所に古代ローマの武器など遺物があるのを発見した。
近くの海岸に到着した艦隊を守るとりでだった可能性がある。
今回の発見は、新道路の建設の際に行われた考古学の発掘作業で
防御用の大規模な堀が見つかったことがきっかけになった。
発掘作業の監督者で、ケント州議会で考古学問題を担当するサイモン・メイソン(Simon Mason)氏は
「大陸と近いサネットは、古くから新しい考えや人々、貿易、そして侵略の入り口になっていた」と述べた。
英BBCは29日に、今回の発見についてのドキュメンタリーを放送する。(c)AFP
http://www.bbc.com/news/uk-england-42155888
Julius Caesar's Britain invasion site 'found by archaeologists' さすがイギリス先輩はカエサルがブリテンを攻めたことを探すのに必死なんだな >>791
いやいや
輪中なんて十分開発された時期のものだよ
だいたい輪中は田地の話じゃないやん
江戸初期は沼地の沼を掻き揚げてやや高い沼地を沼地のなかに作ってたんだよ
増水ですぐ流れる >>808
冶金や木工技術はローマより優れてるものも合ったな
ただ文明とは大規模な国家や設備、軍隊を維持組織するモノと考えれば
やっぱり遅れてる >>814
馬はひざ下まで覆う鎧をつけていたとか812の重騎兵らを見ると
下からの攻撃に対する防御を重視していて歩兵と戦う為の騎兵だったようだね
騎兵と戦う為の騎兵ではないからマケドニア騎兵に敗れてしまったのだろう >>821
濃尾平野も他所と同じく江戸時代に開発されたのわ海西郡とか残ってた下流域の低地で
以っと上流は戦国時代既に輪中でびっちりだし ビールを酔っ払うまで飲む蛮族でありたいよな
当時ホップで香りをつけてないのは残念 モーゼルワインで有名なドイツのライン川ローマ側地域は最初は防衛線のローマ領内に移住してきたゲルマン人が作ってたんだろうからなぁ ガリアのライン河国境地帯は属州ゲルマニア・スペリオルと
ゲルマニア・インフェリオルで当時はゲルマン人の居住地だったけど
古くはガリア・キサルピナやガリシアにガリア人が移住する以前は
今日のドイツの大部分がガリア人の居住地でライン河国境地帯も
ガリア人の居住地でゲルマン人は後から移住してきたわけだ ヨーロッパの歴史を見ると
北よりも南の方が先進的だった時期が長いんだよね。
当時先進地帯だったイスラム圏に近い事や
ルネサンスがイタリアから始まった事や
ビザンチンが交通の要所であるボスポラス海峡を支配していた時代が長かった事
ポルトガル、スペインが大航海時代の先駆けになった事も影響してるのかな
そういえばドイツも
北のプロイセンより南のオーストリアの方が強大な時期が長かった ゲームの話だけど、TotalWar:Rome2に新DLCが来て、タイトルが Divided Empire
最初東西ローマに別れた時の話か?と思ったけど、女王ゼノビアとかガリア帝国とかいて三世紀の分裂の話だった
これだと相変わらずローマが最強でパルミラもガリア帝国もライバルにならないよなあ
お互いが強大なライバルである東西ローマ時代でシナリオにするなら誰の時代だろう? >>831
プロイセンはドイツではない
というツッコミはともかく
ブランデンブルクは、近代の統一帝国できるまではずっと辺境だよ
オーストリアも割と辺境だけども ブランデンブルクもオーストリアも元は辺境伯だな
ドイツの中心は基本的に黄金のライン沿い ドイツには中心地という概念は無いんじゃないかな。
ドイツ人に「ドイツの中心はどこ?」と聞けば、
その人が属する地域を中心だと言うだろうよ。
ザクセン人はザクセンを、バイエルン人はバイエルンを、フランクフルト人はフランクフルトを・・・ >>836
明確な中心はない、が
ブランデンブルクとオーストリアは明確に中心から外れているって話、歴史的には完全に辺境 >>836
直接関係ない話かもしれんけど、定住してない民族って世界の中心とかどう考えてたんだろ >>839
モンゴル高原からジュンガル盆地あたりの遊牧民族だと天山山脈とかあるよね >>836
まぁドイツ王国書記官長やら宗教上の都市、古い諸侯がライン沿いではあるんやで。
ザクセンあたりも中世初期は辺境だし ザクセンはフランク王国に支配されるまでヨーロッパではなかったといえる ローマ帝国が400年以上も占領出来なかったゲルマニアをフン族は一瞬で征服したな フン族の領土は諸説ありすぎてなんとも
ハンガリーは支配してるが ローマがゲルマニアを占領して早い段階でゲルマン人を取り込んでたら、軍人皇帝時代にゲルマン人にローマ帝国自体乗っ取られたてたと思うけどな。 その代わり、ゲルマン人の文明化は
千年早くから進んだかもな ローマがゲルマニアを占領している場合は
ブリタニアはローマ領ではないだろうから
アングロ・サクソンはもっと早期に
ブリタニアに移住出来ただろうね 悪い例えだが
ローマ人の感性が京都なら
ゲルマン人の感性って群馬栃木あたりのだろ
ゲルマン化されたローマの場合
ローマ人のゲルマンヘイトが起こって
ポグロムとか頻発しそう イリュリア人の反乱によってマルコマンニ族討伐が中止になり
イリュリア人の反乱に触発されてアルミニウスは反乱を決意したけど
イリュリア人はティベリウスに鎮圧され再独立に失敗した結果
軍人皇帝時代以降は帝位を独占するようになった
もしゲルマニアがローマ領となっていたらゲルマン人は
イリュリア人の手強いライバルとなったはず ゲルマニアを制圧できたとしても、
ゲルマンの有力者を元老院入りさせるさないで揉めただろうな 現代のというか将来のアメリカ合衆国にも言える事かもしれないけど、ローマ人の比率の中ですでにイタリア半島出身の者より他の出の者が多数占めた上で
官僚や軍隊もゲルマン系ローマ人が多数占めて上で皇帝もゲルマン系ローマ人から排出されたら国自体乗っ取られたも同然なんだけど
そもそもローマの制度がそれもありにしてるんだから、それもあり得るんだよな。 もともとのローマもサビニやエトルリアやサムニウムとのごちゃ混ぜだしなあ ローマ随一の名家であるクラウディウス家が元サビニ人ってマジ? そんな事言ったら、帝政末期のローマ皇帝、有力者層にどれだけ最も狭い定義のローマ人が居ることやら
殆どは属州出身の成り上がり、ゲルマン人出身もいるし。 クラウディウス家ってローマ参加時にクリエンテスが5千人だっけ?
ちょっとした都市並だな ローマもポエニ戦争する頃には人口凄いことになってたし
元々イタリア半島中央部って人口稠密地帯だったの? 家とかおかしな訳するから解り難いだけで
クラウディウス部族だからね >>852
南北戦争以前のアメリカはイングランドやアイルランドなど
英語圏出身の白人と黒人奴隷とかが多数派だったけど
南北戦争後にヨーロッパの非英語圏から積極的に移民を受け入れた結果
東欧系ユダヤ人など非英語圏の白人がアメリカの指導層に加わっていった >>861
ドイツ系はかなり初期から指導層にいるぞ >>862
カエサルが元老院議員定数を900人にした時には入ってたと思うが
アウグストゥスが600人に戻したときに排除されたのではないの? クラウディウス一門という言い方がメジャーやないんか 古代ローマにおいて、人種主義ってのがどの程度あったのかは気になるところ
今ほど過敏ではないにしろ、一定数はあったんじゃないか?ってのが非専門の考えるところだが
ローマの貧民が、チッあいつゲルマン出身の癖によお とか陰口叩いたのかなかったのか 古代ローマと非常に似ている近代アメリカに人種差別があったのだから、ローマにも当然あっただろう
KKKみたいな団体もいたのだろうか? >>866
ガリアの民が元老院議員になると悪口いってるやつがいるからそれなりにはあるだろう
ただゲルマンの金髪は大人気だぞ
どうやら金髪は性選択的に人が好む模様 >>868
奴隷を優しく扱うべき派と楽しみのためにころしていいやん派はいたみたいね
奴隷は国家財産という観点から優しく扱うべき派が勝ったが >>870
日本文化を受容した北欧ねーちゃんとか絶対人気出るだろうし、妥当だな マスコミが、日本文化を持ち上げるのにも大概フランス人出してくるよな 兵役の義務もなくなって何世代も経ち国境からはるか離れたローマ帝国の中心で城壁すら必要ない都市生活を何代も続け
戦争なんてはるか遠くの国境地帯の辺境の出来事って住人達と
かたや国境防衛線に蛮族対策の防衛力として移住してきて、ローマ帝国領土の自分達の土地国境地帯を守るために、度々越境してくる蛮族と戦いながら親子何代もローマ軍の兵役に身を投じて、戦争や蛮族と隣り合わせみたいな地帯に代々住んで来た住人じゃ
同じローマ人って資格は持ってて住む世界が違い過ぎてやっぱり軋轢くらいはあるだろうな。 フランスは何故かエキゾチックな文化を珍重する伝統があって、日本や中国、インドやアフリカの文化を称揚
すること多いんだよね
ローマやギリシャやオリエントにしか興味ないドイツとは違うね >>875
ドナウ国境出身の将軍らが名門出身のガッリエヌス帝を殺して
ローマに城壁を築いてローマを特別扱いするのを止めたよね >>876
一般的に文化の成熟した国は他の文化に対しても寛容
文化の遅れた国は国粋主義的になるところがある
自信の差かな? >>843
古代ローマ人と遊牧騎馬民族の征服の形は全然違うからなあ
ドドドっと攻め寄せて来て、
ドドドっと去ってゆく
ローマみたいに拠点を作って、
お風呂まで用意しちゃうってのとは違うから、
いなくなるとなんにも残らないよね
>>870
>どうやら金髪は性選択的に人が好む模様
見た目はいいけど、老けるの早いし(古代人の寿命なら関係ないか)、
体臭やらなんやら考えるとねえ…… >>869
馬鹿野郎!
偉大なる大英帝国を受け継ぐ高貴な人が、
あの髪型であんなに堂々としているんだぞ!?
同じような頭で苦しむ我々からすれば、
なんとハゲまされることか!(´;ω;`)ブワッ 偉大なる大英帝国の歴史の始まりは
これまた偉大な一人のハゲのブリテン島上陸からだそうな ハゲ(サクソン)とフサフサ(ブリトン)との熱い闘い。 >>870
金髪は劣性遺伝なのに生き残ってるからな
金髪白人は全方位に性的アピールできる優良種 フン アヴァール マジャール ブルガール
これ全部元はモンゴロイドで西にいくにつれてコーカソイド化していったということでいいの? >>884
マジャールはもともと東欧の森林にいた半農半猟民
おそらくハザールに負けて逃げてきたブルガールに
森林から追い出されて草原に移住して騎馬民族化した
おそらくマジャールは中世のヴォルガ・ブルガリア
現在のタタール・スタンの原住民だったと思われる どうせ禿げるなら堂々と禿げたい
トランプや細川たかしみたいなのは嫌だ >>884
アヴァ―ル人の復顔
https://i.pinimg.com/originals/69/3f/23/693f235eede7f0f185e35b25ef029eaa.jpg
コーカソイド化したんじゃなくてマジャール人もブルガール人もその一部の中に圧倒的多数のスラブ農民を支配した分派がいただけの話
アヴァ―ルはほとんどいなくなったが、マジャール人とブルガール人はその大多数が故地に残りヴォルガ・ブルガール国を構成していたがモンゴルの遠征で消滅する >>878
国粋主義=後進的という現代的な価値観を過去に投影しすぎなんじゃねーの?
漢民族もエジプト人もアッシリア人もインドアーリア人もギリシャ人もペルシャ人もエラム人も
バビロニア人もイスラエル人も古代文明を築いた連中は同胞にあらずんば人にあらずみたいな連中ばっかだぞ >>889
ここでいう「国粋主義」っていうのは文化面に限定したものね
古代文明がおおかた民族主義的(と言っても現代の民族主義とはまた異なるけど)だったことはその通りだが
先進的な文化を持つ文明が他文化の受容に積極的な傾向は見られると思うよ
漢民族が仏教をはじめとする多くの西方文化を受け入れたことは歴史的事実だし
最盛期のギリシャ人はコスモポリタニズムを打ち出した
古代エジプトが無数の征服を受け入れ呑み込んで成り立っていることは多神教によって示されている
反対にイスラエル人は多文化の受容に消極的だったが、それは彼らの文化が相対的に低位だったことの証明にしかならないだろう 古代ローマ初期の文化なんて原型がなくなるほどエトルリアとギリシャの文化受け入れまくってるが
先進的だとは思えないな 仏教を採用したのは南北朝からで五胡によって半ば強引で、最初は浮屠だとか悪字当ててバカにしてたが
漢族自体は「礼」だとか「孝」だとか最後まで自分の文化に近いかどうかでしか物事を図れない連中だったが
そこから外れると蛮人
だから魏志倭人伝でも男女や親子が別居してるかどうか事細かに書いてるだろ
ギリシャ人もそんなコスモポリタニズムあふれた連中ならアレクサンドロスはあんなに苦労してません
エジプト人も受け入れられたんじゃなくて、ただ力不足なだけで蛮族を追い出そうとアケメネス朝のときはずっと反乱を起こし続けていたし
カエサルも何一つ本当のことを言わない反骨精神の塊のような連中だと書いてます
この中で異文化に寛容だったのは古代イスラエル人だけだな
元は遊牧民で文字から都市から何までカナン人からの借り物だし
それも文化的には最盛期を迎えると、それでも共存していたカナン人やバアル崇拝を弾圧したり民族主義に凝り固まるようになるのだが ____
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ ローマ帝国はわしらが育てた
.しi r、_) |
| `ニニ' /
ノ `ー―i
【古代ギリシャ人】 日本も「我々は野蛮で何一つ歴史を持ちません」とか言ってたのが
日清戦争に勝ったころから「日本よい国清い国世界で唯一の神の国」とか言い始めるし
覇権国の宿命みたいなものよ 日本語のwikiにはブルガールはモンゴロイドと書いてあるんたが どこのwikiだよ
日本語のwikiなんて数えきれないぐらいあるだろ 共和政ローマ時代のマニプルス戦術は鮮やかでわかりやすいけども、帝政ローマはどんな戦術を使ってたんだろう? コホルスへ編成単位は変わったけど基本的な動き方はけっこう同じ
そこへ多様な補助部隊組み合わせてより機動的・汎用的になってる 帝政移行前後〜最盛紀あたりの戦いで具体的な運用が伺えるのは、
ウェンティディウス・バッススのパルティア戦争、イディスタウィソの戦い、
ワトリング街道の戦い、1世紀後半のユダヤ戦争、グラウピウス山の戦い、
アッリアノスのアラン戦争、マクリヌスのニシビスの戦いあたりかな。
あと同時代史で綴られる四皇帝内戦も、
戦場全体の俯瞰は曖昧だけど部隊レベルでの具体的な描写はかなりある。
印象としては根幹部分はカエサル時代から変わっていないものの、
百人隊長以下がさらに専門的に&補助軍の充実・連携力の向上などでよりアップグレードってところ。 2世紀はローマ軍制の集大成でまさに最強時代なんだけど
よりによってこの時期のダキア戦記や各パルティア遠征記などの具体的な記録がまるごと散逸しちゃってるという
盛期ながらも大負けすることもあった1世紀や負けが増えていく3世紀はそこそこ記録残ってるあたり
やっぱりそれなりにピンチもないと後世が写本するモチベーションも湧かないのかね オクタウィアヌスとアントニウスに隠れがちだけどバッススさんはもっと有名になっていい
ポストカエサル期最高クラスの名将だしローマにおける東方騎馬民族戦の第一人者なんだし カエサルのパルティア遠征が行われていたら大活躍してたかもな、バッススさん
アントニウスには従いたくなかったもよう バッススが破ったラビエヌスって有能だったの?
オヤジのラビエヌスが有能だったことくらいはさすがに知ってるが 以前の経歴や功績はよくわからんけど
ウェンティディウス軍にやられる前の段階まではそれなりに勝ち続けてるので少なくとも無能ではないかな >>895
ブルガールってトルコ系だからバリバリのモンゴル系だよね >>874
まごうことなき親父の血
イギリス人は矯正しない人もいて
けっこうガチャな人がいて楽しい
歯がキラキラしてる歴史物とか見たくねーわ >>888
同じような眼窩なのに
ここまでまぶたのあたりを作り込めるものなのかね?
鼻が下向いてるとか上むいてるとかも難しそうだけど ローマの意味不明に人材育成が有能なのはなんなの?
有名人の子どもってだけじゃ出世できなくて、
有能なやつが出世するからポンポン湧いてきているように思えるだけ? >>908
別に人材育成上手くないぞ
上手かったらアウグストゥス以降の皇帝が元老院の無能っぷりを嘆いたりしない http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1857
のサイトに書いてある
>アウグストゥスは「ローマ帝国をもうこれ以上拡大するな」という方針でした。
ってホント?
むしろ積極的に外征しまくってて、ティベリウスが反対してたゲルマニア侵攻で痛い目に遭ったという印象なんだが >>890
ンなわけあるかよ
既に889さんが指摘してるが文明先進地域を自認してたとこは排他的
日本なら発達したものがなかった古代がいちばん他の国のもの受け入れてた
単に豊かな地域は他の文化を受け入れる「金と人」があっただけでしょう
貧乏なところは多文化なんて受け入れる金がない >>908
育成法が有能かは知らんが部族の寄せ集めだった建国の経緯から指導層になりうる人間が
王制の国より多く、そこから選べるだけ王制の国より選択肢は多い >>910
ゲルマニを支配する予定だったけど内戦次期と比べて軍縮したことは事実だな
カエサルみたくパルティア支配は狙ってないぽいし カエサルのパルティア遠征は別に支配目的じゃないだろ
ゲルマニアのときみたく長期維持が無理なら未練なく撤退を選択するさ >>910
ドーバー海峡の向こう側のブリタニア
ドナウ河の向こう側のダキア
ユーフラテス河の向こう側のアルメニア
これらの領有を厳禁として
アウグストゥスは防衛線の短縮を目指した
防衛線の短縮化の為にエルベ河を防衛線にする為に
ゲルマニア西部を領有しようとした
またドナウ河が上流では川幅が狭くなってしまうので
イタリアの北方で広い川幅の河川がエルベ河だった
さらにライン戦線とドナウ戦線を
エルベ・ドナウ戦線として統合しようとした >>910
ドーバー海峡の向こう側のブリタニア
ドナウ河の向こう側のダキア
ユーフラテス河の向こう側のアルメニア
これらの領有を厳禁として
アウグストゥスは防衛線の短縮を目指した
防衛線の短縮化の為にエルベ河を防衛線にする為に
ゲルマニア西部を領有しようとした
そしてライン戦線とドナウ戦線を
エルベ・ドナウ戦線として統合しようとした
またドナウ河が上流では川幅が狭くなってしまうので
イタリアの北方で広い川幅の河川がエルベ河だったので
エルベ河を防衛線にしようとした 防衛線の短縮と言えば始皇帝も同じだった
始皇帝は防衛線を短縮する為にオルドスを征服した
アウグストゥスはマルコマンニ族を
ゲルマニアからボヘミアへ追い出したけど
始皇帝も匈奴をオルドスから北方へ追い出してしまった
マルコマンニ族も匈奴も活性化して難敵になってしまった カエサルはライン河の内側を時計と反対回りに
北上してガリアを征服していったけど
アウグストゥスはエルベ河の下流から南下して
ゲルマニア西部に北から侵攻させた
アウグストゥスはノリクムから北上して先にボヘミアを征服してから
エルベ河の内側に侵攻させればカエサルのように成功したのかもしれない 【タマ人の物語】因縁つけ闘技場で男子高校生を暴行か 少年ら7人逮捕
http://news.tv-asahi.co.jp/sphone/news_society/articles/000116068.html
15歳から16歳の少年ら7人は9月、東京・多摩市の広場で私立高校に通う男子高校生(15)を呼び出し、
殴る蹴るの暴行を加えて全治1週間のけがをさせた疑いが持たれています。
少年らは広場を闘技場と呼んで男子高校生を呼び出し、「自分たちの後輩に暴力を振るっただろう」などと因縁を付けて暴行したということです。
当時、20人ほどの少年らが周囲を取り囲んで暴行の様子を見ていたということです。取り調べに対し、全員が容疑を認めています。
A.D.21 多摩市の闘技場 インスタバエトニウス撮影
http://imgur.com/Uv1R4vp.jpg フランスの金髪はフランク族の、イタリアやスペインの金髪はゴート族の血筋かね >>920
イタリアはランゴバルドの影響のがおおきいだろ >>914
カエサルは後継者に分割統治させるために
さらに領土拡大を意図したのかも
エーゲ海以西のローマ領をオクタウィアヌスに
エジプトとシリアとアナトリアと旧パルティア領
からなるオリエントをカエサリオンにとか わざわざ戦争に弱いオクタウィアヌスに戦争が多い西側に配置する意味は無いな オクタウィアヌスはローマとイタリアに愛着が強そう
カエサルの死後に
オクタウィアヌスとアントニウスで東西分割した時
オクタウィアヌスが西を継承した カエサリオンに「自分の息子だから」土地奪ってプレゼントするわーwwwwwww
なんてやってたらカエサルの評価ダダ下がりだ 現代のように、世襲を許さぬ体制なのか、
他の地域のようにひとつの家系で繋いでいくのか
世襲を許さぬ体制ならどうして子供を後継者とかにできたのかがふしぎ >>927
アレクサンドロス大王は早死にしたのでギリシャの英雄になった
長生きしたらテーベを破壊したようにアテネも破壊したりして
ギリシャ文明の破壊者という評価になったかもしれない アレクサンドロス大王はちょっと早死にし過ぎな気がするけど、歴史上の人物だといいとこで寿命尽きた人の方が失敗する前に死ねてるから評価はいいままじゃないかな?
カエサルだって暗殺されずにそのままいったら後世評価はひっくり返ってたかもしれないし
ハンニバルなんてザマの戦いまでに死んでたら、ハンニバルが生きてたらローマは負けてたなんてので持ちきりなんじゃね? マリウスもキンブリテウトニ戦争の直後とかに早死にしてたら後世評価かなり変わってたろうな >>931-933
ドミティアヌス「俺をもっと讃えてくれ」 >>935
健全な民主主義が働いてる証拠でしょ
長期に渡って民衆の支持を得るにはどうしても言論統制かポピュリズム政治(パンとサーカスみたいな)が必要になる >>922
ランゴバルドとか精々十数万程度の人口しかなかったんじゃないの
それとローマは日本みたいな島国じゃないから混血せずにいることなんて不可能で
金髪碧眼やゲルマン系のローマ人も普通にいたからな ローマに対するゲルマン人比率が1%だからね。大した影響ないよ。体質的には。 最初から失敗続きな我国の総理大臣を侮辱したら拘束半年な オクタヴィアヌスは戦争に弱い
カエサル「こんなこともあろうかと予めアグリッパを用意しておいたぞ」 政治家としてはよく分からんが、軍人としては明らかにティトゥス > ネロだよなぁ
というか軍人として実績のない名君ってアウグストゥスとクラウディウスくらいしかいなくね?
ネルウァもだけど彼を名君と呼んでいいのか微妙 名君と言われたことが統治機関の短さに起因することはあるけど
統治機関が短かった者が名君になるわけではない
的なただし書きがつくと思うんだが、そうすると誰でも名君になれるって言葉とやや矛盾してる気がする
もうちょっと上手い言い方かただし書きの書き方ないかな 統治期間が長かったけどバシレイオス2世は
晩年に急死したので名君のまま終わったような
バシレイオス2世もユスティニアヌス1世のように
イタリアを征服しようとして寸前で急死した フランツ・ヨーゼフ1世もサラエボ事件以前に崩御していれば・・・ >>949
フランツ・ヨーゼフ帝は明君かはともかく、実質的なラストエンペラーとして敬愛と憧憬の対象だろ
別にそこで評価は暗転してない >>945
有能な将軍を任命する有能さがあればいいんやね
ブルタニア遠征は一応本人の功績な気がする >>947
軍人として実績がない、という意味でディオクレティアヌスを挙げてるならさすがに違くね?
ヤツは一兵卒から親衛隊長までのし上がったガチガチの叩き上げだし
確かに○○を征服した、みたいな実績には乏しいが・・・ トラヤヌスも征服面積ならすごいけど、軍事的才能があったかと言えばどうもなあ
軍事的にはそれこそど素人だし
というか元首政時代の勝利をささえてたのは優秀な下士官であり、軍団長クラス以上は軍事的に素人 皇帝の軍才とローマ軍の強さはあまり関係ない(カリスマ性はある程度士気に影響を与えただろうけど)
軍事的才能なら軍人皇帝以降の皇帝がずば抜けて高い トラヤヌスはよく最前部隊を自分で陣頭指揮してたらしいから少なくとも素人ではないと思うよ
あと大軍勢の戦略的運用の能力はローマ史トップクラス
あれだけの大軍勢を複数にわけてあそこまで指のように自在に操った最高司令官はそうそういない >>955
> 軍団長クラス以上は軍事的に素人 皇帝の軍才とローマ軍の強さはあまり関係ない
これはない。皇帝ふくむ将以上の質も大いに関係ある。
なぜならいくら百人隊長以下が有能とはいえどこでどう戦うかを決めるのは将以上なんだから。
元首政時代の負け戦の敗因のほとんどが将以上の判断ミスによるものだし、
将以上の質が関係ないどころか勝敗に完全直結してる。
あとウェスパシアヌスやアグリコラやトラヤヌスといった人たちは、
プロ(専業)の軍人ではないけども、経験自体はちゃんと積んでる。 ドミティアヌス主催のゲルマン・ダキア戦はグッダグダだったのに対して、
トラヤヌス主催のダキア・パルティア戦はなかなか鮮やかだし、
(パルティアはその後の統治政策でミスったが)
トップが軍事に明るいかどうかはやっぱりかなり影響あるんじゃないかな
なにせ重要な指揮官人事や戦略方針さだめるのは基本的に皇帝だしね ティムールのジンギス汗リスペクトみたいに
トラヤヌスってアレキサンダーに憧れてたりしたの? ローマ人の物語だとそう書いてあった記憶があるが
トラヤヌスが若かったらアレキサンダーのようにインドまで征服しただろう、って書いてる歴史家はいるけど、トラヤヌスがそう発言したのを記録した歴史家って居たっけ? >>958
大きな動乱が起きなかったからアントニヌス・ピウスは名君でいられたけど
仮にマルコマンニ戦争みたいなことが在位中に起きていたら、彼が名君でいられたかは微妙だね アグリコラやコルブロって軍事経験が20年くらいあるんだっけ
専業ではないけど十分に熟練してはいるよね マルクスちゃんは身体が弱いのに最前線まで出張って「戦争を覚えた」から評価してる
5賢帝とか言ってトラヤヌス、ハドリアヌス、マルクスちゃんと
ネルウァ(笑)とピウスおじさんが同列であるかのように扱われてるのは実は結構不満 アウレリウスの治世前半で人事とかミスしてグダって
治世後半でそのへん修正して戦局も持ち直していったあたり
やっぱりトップの采配がすべてを左右するんだなと思う でも俺がもし五賢帝の側近になるなら、慈悲深いアントニウスさんか温厚なネルウァさんがいいな
間違ってもハドリアヌスの側近にはなりたくねぇw トラヤヌスの臣下になるもの大変そう
皇帝自身は大らかだったらしいけどその周りがな
ガチの凶暴狂人なルシウス・クィエトゥスとか曲者がたむろしてる印象があって・・・ そういう意味じゃトラヤヌスってほんとすげーな
よくもまあ、ああもくせ者達を使いこなせたもんだ 全盛期のハドリアヌスが好きだけど
後年の人たらしの才能が無くなって、気難しい爺さんになって、後継者にも恵まれなくて、っての一緒に体験したら俺も悲しいわ
トラヤヌス後半から仕えて、ハドリアヌス中盤で死ぬのが一番未来に期待したまま死ねるかも アントニヌスの長城がほんの20年程度しか保たなかったのに対して
ハドリアヌスの長城がその後1500年にも渡って使われたという差が
両皇帝の軍事的資質の差を示しているような気がするな >>968
ハドリアヌスは後継者には恵まれた方じゃね?
マルクスっつーローマ帝国通してもかなりの逸材を見いだせて、中継ぎのピウスも優秀
むしろ後継者選定で最も成功した部類に入るのでは
実子が云々ってことなら彼自身が男色家だったので自業自得 ネルウァ時代のトラヤヌスや、トラヤヌスに自ら才能をアピールしたハドリアヌス自身のように浮かび上がってくる有能な人いれば
気難しいおじいちゃんにならずに済んだんじゃないかなあとか思ってる
いなかったのかどうかわからないんだけども >>971
ネルウァ時代のトラヤヌス
トラヤヌスに自ら才能をアピールしたハドリアヌス
どっちも皇帝位を半簒奪してるんですが・・・ 軍人皇帝最有能はアウレリアヌスだろうけど
次点はガッリエヌス? >>963
ネルヴァはトラヤヌスを出したという偉大な功績があるじゃまいか 「軍才」といえば一般的には戦術才ばっかり注目されるけど、
皇帝というポジションにおいては戦略的な整備や運用の才のほうが重要
そしてトラヤヌスやハドリアヌスは戦術視点からだと具体的な戦闘記録が散逸してるのでどうしても軽視されがちだけど、
戦略視点からするとその運用・整備能力は全ローマ史上においても最上位級 >>955
トラヤヌスって常に前線で直接指揮とるようなそれまでいなかったタイプの皇帝で
それこそ『戦う皇帝』という軍人皇帝の原型のような人だぞ 皇帝が大きな戦争の現地最高指揮官も担う、
ってのが当たり前になったのはトラヤヌスからなんだよね。
それまでは大戦であっても皇帝はローマに残ってるか、
現場に出たとしてもゲスト役で指揮する程度だったり、
打ち合わせや視察してすぐローマに帰るくらいだったのが。 >>980
アウグストウスとしては不自然だが、インペラートルとしてはむしろあるべき姿に戻ったのでは >>983
タキトゥスの詳しい逸話は知らんけど、さすがに統治期間短すぎて評価できなくね? >>980 >>982
本来のinperatorの意味は軍最高司令官だからな 軍団指令でも方面軍指令でもなく「なんとなく軍の最高指令」ってのが共和制由来のおもしろいとこ
兵士が認めたら軍団長より上位の何かではあるがあくまで称号であって職名でないのがミソだ
王を防ぐためのシステムだったが事実上の君主の称号になってしまった ガリア戦記を読んでいるのだが、ガリア人やゲルマン人は移動が激しいな。
一族あげて移民って、半農半牧畜なんだな、アイツら。 同じ畑で農業するのではなく
焼畑農業をやって移動していた 逃げるときも侵略するときも一族郎党男女合わせて移動して掠奪しながら移動って
まさに蛮族って感じで大変よいw 初心者的質問なんだが、クラウディウスが妻の小アグリッピナに毒殺されたって
史実にされてんだけど、当時はどう判断されたわけ?
病気による急死だろうか?
アグリッピナはその後も大きな顔して生きてたわけで、当時殺人犯はアグリッピナだ!
なんて声上げた人もいるわけないわけで、後の人が状況証拠で殺人犯をアグリッピナだと
断じてるだけじゃない?もしかしたら冤罪かもしれないのに。 あいつなら毒殺ぐらいやりかねんとみれれてたこと
クラウディウスの実子を排除した手法などからみてそうじゃねーのって話。
そもそも結婚の経緯も強引で不自然。当初からネロを皇帝にしたいのはあからさまだった
ちなみに当時から疑ってる人はいたぞ 光緒帝調べたら西太后の毒殺だったし
毒殺暗殺が疑われてる事例の半分以上は事実だと思うは ローマの剣マルケッルスって三国志の夏侯淵に似てる気がするな
長期的には勝ち目のない魏相手に頑張った劉備をハンニバルになぞらえると、死に様までまんま同じ >>957
いやいやヴェスペシアヌスやトラヤヌスは軍団の一兵卒からの叩き上げの
ガチガチの戦闘のプロだぞ >>995
いやいやいやウェスパシアヌスもトラヤヌスも軍歴はトリブヌスからで
一兵卒からの叩き上げプロではないぞ ユダヤ戦記のガラム戦の記事を見ると「ヴェスペシアヌス将軍は元は歴戦の戦士であり
兵士が攻略にもたついてるのを見ると自ら盾を持って最前列に立ち城塞を落してしまった」とか書いてあるけどな
騎士身分だけでキャリアスタートは歩兵ジャネーノ 親父が元老議員だから一兵卒スタートは有り得ないよ
最低でも各種optio級待遇でスタートかと ウェスパが入隊する前にすでに兄貴が政界入りしてるようなランクの家だから
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