悪の枢軸国日本が世界へと侵略の魔の手を伸ばしつつあるとき、
日本国内では昭和天皇ヒロヒトを現人神とする思想的統制が強化されました。
そのために自分の神様を奉る宗教は政府から陰ひなたに弾圧を受けました。
カソリック教会の何十人ものクリスチャンたちが特高に逮捕され拷問されました。

それまでの特高の拷問は平気で顔面を殴っていたのですが、
それで死に追いやられた小林多喜二の無残な写真が紙面に載ったせいで
世間からの激しい批難を受けて、それから腹部を集中的に責めるようになったのです。

腹部を徹底的に殴られたクリスチャンたちはひどい内出血をおこして
下腹部から大量の出血をして失血死してしまいます。
その遺体を検死した御用監察医はただチラ見しただけで、死因「下血死」と書き込んで、
拷問死に追いやられた人たちを後腐れないように病死として処理したのでした。

しかし安泰に思われた昭和天皇の人生にも暗雲が立ち込めてきました。
昭和天皇の前に本物の神様が現れると「ヒロヒトや、罪を償いなさい」とのたまったのです。

とつぜんヒロヒトの下腹部から大量の出血がはじまりました。
それは人間のちからではどうすることもできないものでした。
昭和天皇の遺体を調べた医者は「簡単に言うと下血死ですね」と沈鬱に答えたのでした。

「本物の神様がいるなんて…」これが昭和天皇の最後の言葉になりました。
たかが人間の分際で現人神を詐称したペテン男の哀れな末路でした。