民族とは何か?
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民族とは何か、国民とは、国家とは、ということを本質的に議論していきましょう >>80 >縄文時代の8000〜7000年前に縄文人が北上してきて最初の朝鮮人の先祖になったことは考古学的に見てもミトコンドリアDNAを見 縄文系由来のミトコンドリアハプロとか朝鮮人どころか現代日本人にすら痕跡さえ残ってないのだが https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/ >同一検体のミトコンドリアDNA (注5)の系統解析も行ったが、明らかに縄文人由来と想定されるような系統は存在しなかった。 西日本の縄文人の遺伝子ってちゃんと調べられてるんかいな? 南琉球人は縄文形質強いけどY染色体ハプロでDがいない(ついでに縄文文化も伝わってない)のはなにかしらの説明が付けられると思う >>116 さらに開拓時代のアイヌが和人の孤児を養子にしたというのを引きずって、アイヌが異民族を同化できる「てい」でどんどんよそ者をアイヌ認定とか 文化に同化力のある時代ならそれでもよかったけど、今だったら受け入れた集団に飲み込まれるだけ >>14 チトーの「ユーゴスラビア人」提唱は上手くいかなかったのかなあ。 中国の「中華民族」、ソ連の「ソ連人」。 アメリカの「アメリカ人」。 これらは、より人工的に理念上造られた、「民族」の上位概念である別種の民族観念。 アイヌは観光資源の為先住民族として復活させている 頭がよろしくないみぞゆう太郎君はしらなかった >>120 「アメリカ民族」なんて聞いたこと無いで >>122 アイヌ語が母語である人が一人も存在せんから アイヌ民族はもう存在せん もちろん復活は可能ではあるけど 近い将来にアイヌ語ネイティブができる可能性は低い ネイティブが全滅語に復活を果たした例としては ヘブライ語、マンクス語、コンウォール語の例があるけど アイヌについては今のところ子をアイヌ語で育てる父母が居るとは思えんし ヘブライ語はカルトみたいな一家(実質家長の父親主導だけど)が復興を成し遂げた でも、マン語やコーンウォール語ってどうやって復活したんだろう 地域のカルチャーセンターの講座みたいなのが学習の場だったんだろうけど、 受講生にたまたま語学のセンスがある人がいたのかな。あと熱意とか ちなみに現代ヘブライ語最初の母語話者は、長じてエスぺラント語とヘブライ語のローマ字化を呼び掛けた https://en.wikipedia.org/wiki/Itamar_Ben-Avi#Journalism_and_literary_career >In his numerous opinion and commentary articles in Doar HaYom he also advocated the widespread use of the International language Esperanto. Ben-Avi was an advocate for the Romanization of Hebrew. 絶対自分の人生をおもちゃにした父親を恨んでただろうw >>127 >>126 こういう事する人は、とても貴重で有意義な事なんだけど、 「ヘブライ語の勉強や文化の習得」に労力を費やすことで、他の面でハンディキャップにならなければ良いのだけど。 親が、自分の子の教育に関して「紺屋の白袴」になる可能性もあるし。 宇梶剛士のお母さんは、アイヌの言語復興を考える熱心な活動家だった。 宇梶の母親の宇梶静江はアイヌの詩人・古布絵作家で、民族運動家でもある。 この事情から母は家庭不在のことが多く、青年期まで確執があったことや、 「高校での部活や学校の実態に対する反発が不良になった原因である」と 著書やメディアで自ら述べている。 宇梶は、暴走族に加わり、当時日本最大組織とされたブラックエンペラーの、三多摩地区のヘッドから後に7代目名誉総長となり、 この時代に得た一生の友のことをテレビ番組でたびたび熱く語っている。 同じく元暴走族のヒロミは「僕らがガキだった頃、とんでもなく有名だった人」とコメントしている。 また八王子在住の作家で同世代のゲッツ板谷の著書に、「伝説的存在だった」との記述がある。 そして暴走族同士の抗争で再び逮捕。 生い立ちとアイヌとの関わりが深いことから、北海道白老郡白老町にあるアイヌ民族博物館のアイヌ文化紹介VTRに進行役として出演している。 また、叔父である浦川治造(を追ったドキュメンタリー映画『カムイと生きる』のナレーションも務めている。 浦川治造は、アイヌの著名なエカシ(長老)である。 アイヌ文化奨励賞受賞者。東京アイヌ協会名誉会長。 40代で関東に移住し、現在も関東におけるアイヌのリーダーの一人として、活動を続けている。 とはいえ、宇梶が救われたのもまた、母親や親族の「誇り高い生き方」 だったのかもしれない。 アイヌ民族自身は自らは千島列島の先住民であり、日本とロシアの両方が侵略者であると主張してきた。 2004年にはカムチャツカ地方の小規模なアイヌ人団体が、ウラジミール・プーチン大統領に日本との間での北方領土における 一連の動きついて再考することを求める手紙を出した。 その手紙では日本、帝政ロシア、ソビエト連邦の全てをアイヌ民族の殺害と、同化政策を行なったとして糾弾していた。 しかしながら、その要請はプーチン大統領に拒否された。 その団体はアイヌ民族をめぐる悲劇の規模と激しさはアメリカ先住民が直面したジェノサイドに匹敵すると主張している。 2010年の国勢調査ではその集落の100人近くがアイヌ民族と申告したが、カムチャツカ地方議会はそれを拒否してイテリメン族として取り扱った。 2011年にはカムチャツカのアイヌ民族団体のリーダー、アレクセイ・ウラジミロヴィッチ・ナカムラがウラジミール・イリューヒン (カムチャツカ地方知事)とボリス・ネフゾロフ(連邦下院議員)に、政府の北方・シベリア・極東地方少数先住民族のリストに加えるように要求した。 しかしながらこの提案も拒否された。 サハリン州とハバロフスク地方のアイヌ人は政治的主張を行う団体を結成していない。 アレクセイ・ナカムラは2012年時点でロシア領内にアイヌ人は205人しかいない、 そのうち2008年段階で自らがアイヌ人であると主張していたのは12人であり、 「千島列島のカムチャダール族」と共に少数民族としての認定のために活動している と主張している。 アイヌがロシア政府の少数民族の公式リストから外されて以来、彼らは無国籍人、 ロシア人、カムチャダール人のいずれかに定義されている。 なお、2012年時点では北千島アイヌと千島列島のカムチャダールは 共にロシア政府から北方少数先住民族としての漁業権・狩猟権は認められていない。 最近になって、ボリス・ヤラヴォイによってロシア極東アイヌ協会(RADA)が 設立された。 2010年のロシア国勢調査では109人のアイヌ人が存在するとしている。 このうち94人はカムチャツカ地方、 4人は沿海地方、3人はサハリン州、 1人はスヴェルドロフスク州、1人はロストフ州という内訳である。 実際のアイヌ人口は更に多いと考えられるが、サハリンの数百人のアイヌは自らをアイヌと定義する事を否定している。 ロシア連邦当局の国勢調査ではアイヌ民族はロシア国内では既に絶滅した民族集団と されている。 アイヌ民族を名乗る人もアイヌ語を話すことは出来ず、生活における民族の伝統文化の 要素も失われており、社会的・風習的にロシア人とほぼ同化している。 それゆえ、イテリメン族に与えられているような少数民族としての権利は、カムチャツカのアイヌ人には認められていない。 アイヌ語はロシア国内では話し言葉としては既に消滅している。 カムチャツカのアイヌは20世紀初頭にはアイヌ語を用いなくなった。 1979年時点でわずか3人の流暢なアイヌ語話者がサハリン州にいたのみであり、1980年代には消滅した。 プーチン大統領はアイヌをロシアの先住民族と呼ぶ提案に賛成した。 提案に賛同する模様は、プーチン大統領と露大統領人権評議会のメンバーとの 会合の逐語記録に残されている。 会合ではロシアに居住する民族のすべてが、ロシアの先住民とは見なされていない 問題が取り上げられた。 同評議会のアンドレイ・バブシキン氏は、正式にはロシアの先住民とみなされていない 民族として極東諸島に古代から居住するクリル民族ないしアイヌ民族を挙げた。 アイヌ民族をロシアの民族に含めるという提案にプーチン大統領は 「そうしましょう。私は賛成です」と答え、さらに次のように続けている。 「アイヌを先住民族に含めることは正しいことです。」 プーチン大統領はこう語った上でアイヌは日本、米国、 ロシアのどの国にも暮らしていることを指摘した。 https://jp.sputniknews.com/russia/201812185720111/ ポロナイスク市第3学校(寄宿制北方民族伝統技術学校)リツエイ リツエイでは、一般の教育課程の他に主としてウイルタの伝統工芸と言語を教 えており、ポロナイスク市立の学校で国からの支援をえており、民族学校として 位置づけられている。 リツエイで18年間教えているドヂャバロワ先生(女性)は、 ニブフ族で母親がニブフで父親がロシア人であり、北方民族の工芸を教えている。 サハリン州ポロナイスクにおける教えている言語としてはウイルタ語のみであるが、 工芸は北方諸民族全般を教えている。 主としてニブフ、ウイルタ、ナーナイの刺繍を教えている。 工芸や言語を教える教員はロシア国内で裁縫学校と工芸学校で学んでマッセル(マス ター)の資格を取得して教員となった。 この他に、北方民族の工芸を教える教員が2名いる。 一人はニブフで一人はウイルタであり、全員女性である。 北方民族の言語(ウイルタ語)を教えているのは3名の教員である。 この学校が設立された契機は、自分たちの北方民族の文化を守る運動が起きて、 そのスポンサーとしてアメリカ人やロシア政府がいたことによる。 伝統的な文化を守ろうとする機運はロシア人にも広がり、1993年に設立されている。 それ以前は民族教育はほとんどなく、ロシア式教育のみであった。 このリツエイに在籍する生徒数は全校で60名程度であり、 うち31名が北方少数民族である。 ウイルタが最も多く、ニブフ、ナーナイ、エベンキと続く。 他はロシア人と韓国・朝鮮人である。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jies/20/0/20_95/_pdf/-char/en >>121 琉球民族は大和民族に同化したけど、アイヌ民族は大和民族に同化していないと思う。 そもそも琉球民族は大和民族と容姿も言語も近いから同化しやすかったけど、アイヌ民族は大和民族と容姿と言語も全く違う。 いやいや同化してるから 同化したアイヌは和人として生きて 同化しなかったアイヌが滅んだわけだからね >>120 多民族国家でナシヨン(nation、国民体)の形成に成功しているのは、スイス。 スイスの多民族はな ドイツ人、おフランス人、イタリア人 いづれもスイス国外にその本拠地がある民族ばっかりや つまり各民族はスイス国内の事情なんかお構いなしに存在してる民族ばっかりで ちょっと引き合いに出すのは違うで >>133 琉球でも、八重山諸島は大分違うよ。 方言のイントネーションも。 与那国の先住民は、マレー系の影響が色濃い。 琉球王国の侵攻がなければどうなっていたか? 宮古島の豪族は、1390年に琉球に最初の「朝貢」を行っているが、全く言葉が通じなかったので、3年間、宮古島の20人の若者を王府で教育した。 1628年、スペイン船のカルバルル号が台湾に漂着、台湾原住民に殺害される。 1632年、カンボジアの船が、台湾の宜蘭辺りに漂着、乗組員50名殺害される。 なお、この時期、オランダが台湾統治に乗り出していたが、台湾東部にはオランダの行政権はとても及んではいない。 しかし、こんな台湾島に、波照間島の住民は、時に「集団逃亡」していたのではないか、との痕跡が見られる。 琉球王府からの重税を逃れる為だ。 けれど彼らはしばらく安全に、台湾島に滞在して、与那国島経由で帰ってきているように思われる。 つまり、八重山の人々と台湾島には、それ相応の、「友好関係」が双方にあったとは考えられないか? 台湾東部の農耕技術と、八重山のそれが非常に似ているのも、活発な交流があった傍証となり得る。 八重山は、文化的には南方系の諸民族に近く、政治的に東側から琉球王国の圧迫を受け、さらに後背の薩摩藩に朝貢しようとする独立国だった。 西に行くほど、琉球王府の施政から逃れられる可能性が高くなる構造もある。 >>138 マレー系は関係ない 台湾原住民はオーストロネシア語族ではあるがマレー・ポリネシア系ではない 言語的にもマレー語との共通点は一切ない 前世紀のトンデモ学者の黒潮民族論を真に受けないように >>139 台湾も、南東海域にあるヤミ島(蘭嶼)の言語は、マレー系。 フィリピンのバタネス諸島の最北部に位置している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AA%E8%AA%9E イトバヤット島、ヤミ島(現在のフィリピン領土最北端)、そして蘭嶼、 さらに台東に東の沖合にある、緑島。この辺りは皆、マレー語系の言語を話している。 この言語集団は、フィリピンのルソン島から、バシー海峡の島嶼沿いに、 大きく北上している傾向が見て取れる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%A8%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Malayo-Polynesian-en.svg 台東の東海上にある緑島には、タオ族(達悟族)が居住している。 タオ族は、民族学者、鳥居龍蔵博士による1879年の調査をもとに、 長らくヤミ族(雅美族)と同一視されてきたが、 近年の再調査によりタオ族の独自性が認められた。 タオ族はフィリピン北方の民族と共通点が多く、 かつてフィリピンから渡って来たと考えられる。 https://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200811/lan_basic.html ここから与那国島までの距離は、240q。 台湾の東海岸を望みながら北上すれば、視認できる範囲だね。 与那国島(と、もしかしたら、台湾の東海岸沿い)の先住民が、 この真南からの系統だとしても、あり得ない話でもないかな?と思える。 台湾の西岸や山岳地帯の多数の先住民と、東岸&島嶼の少数民族のルーツは、 別系統なのではないか? もっとも、台湾の東海岸は、すぐに急峻な山が迫っていて、 とても多数の人口を養えるような場所ではない。 なので、台湾の東部沿岸を航海するにしても、時折上陸したであろう台湾島は、 海洋の民の彼らにとって、生活居住域は、離島に住んでいるのとあまり変わらない 環境だったかもしれない。 >>139 そのトンデモ論言ってる先生って、ほぼ琉球大学の木村正昭先生でしょ? 与那国島海底遺跡とか盛んに言ってる人。 彼、地震学者の学会の方でも1980年代から、 「相模トラフの大地震は、数年以内に起きる。」 「1999年までに、富士山は宝永噴火以来の大噴火を起こす。」 とか、繰り返し言ってた。 今は同化されたシラヤ族がビサヤ系だと言ってる人もいるな 言語学者じゃなく、台湾のシラヤ族の末裔と結婚したビサヤ系のフィリピン人男性だけど フィリピン語派も台湾先住民諸語も古いタイプのオーストロネシア語だから、接中辞とかで一見似てると思ってしまったんだろうな トルコ人は過去には騎馬戦に優れた遊牧民だったと言うがその頃はやはりモンゴロイド寄りが中心だったのかなぁ 今のトルコ人はややモンゴロイド混じりな風貌はいても、基本はコーカソイドな感じだけど、元来はもっと平ための民族だったのかな いまのトルコ人より、今現在中央もアジア等でテュルク語派を話すモンゴロイド系民族の方が元来のテュルク(トルコ)人に近いのかな。 民族という漢語がnationとethnicityと2つの単語の訳に使われてしまって、その2つが混同されてしまうことがある 先天的な身体の特徴で分類したのが人種で、後天的な文化要素で分類したのが民族 逆に言えば英語のnationがエスニックなのとそうでないのを包含してるところがややこしいとも言える ドイツ語では「人種」→Rasse(ラッセ)、「国民(国民体)」→Nation(ナツィオーン)、「民族(≒エスニック・グループ)」→Volk(フォルク)。 日本語とほぼ一対一で対応する概念体系になっている。まあ、多少のデコボコはあるが。 ウクライナとロシアのように同系民族の場合 「民族」は祖国防衛の御旗よりは、侵略の口実になるのだろうか >>143 サハ(ヤクート)なんか純粋モンゴロイドやで さらにイスラム教徒でないトルコ人ということでも貴重な存在 ロシア人ってヨーロッパ人なのですか?アジア人なのですか? >>157 確か現在トルコのトルコ人は本来の遺伝子5%くらいしか受け継いでいないらしいな だとしたら日本人の縄文由来より少ないことになる >>160 大半は欧州・中東・コーカサス系 黄色人種系は2〜3%程度 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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