【メロヴィング】フランク王国【カロリング】
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友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方 興味がある人はどうぞ 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 058 カールマンが息子にピピンと名付けてカールが怒ったとか >>13 サターン派ハビル三世は、イギリス王国が少しでも有利に働くように世界中に間者を送り込む事を提案したのが、フランク王国に漏れてしまい、ハビル三世はイギリスが暗殺さざるおえなくなった。 その為イギリスはフランク王国に只ならぬ憎しみを抱くようになったのが、本当の話w 自業自得なのに他人のせいになんかするから…悪魔崇拝のトップにまで上がったんだねw フランク語、ウィキには北の低フランク語がオランダ語なんかのご先祖様で 南の高フランク語がドイツ語フランケン方言(カール大帝が都置いたアーヘン あたりの方言)のご先祖様って書かれてたような 北部イタリア人にはフランク王国の後裔だという認識はあるのだろうか >>23 北部イタリアは、トルコユダヤ、ギリシャ人の混血だというのが正解。 >>22 フランケンは未来に出てくる生贄の話をイギリスが変えちゃって全く別物。 >>14 フランスに乗り込んだイギリス人は、早速フランス王国の国王になったんだよな。 アルジェの女たち 未来のフランス人、特に女性は自堕落な生活を送るしかできなくなるような絵。 黒人が心配してうるさく言ってるが、フランス女性は生返事。 傷を癒す事もないまま、正義を重んじた後遺症だ。 >>28 閂 これもそう、自堕落なフランス女性に男性が多分お酒を取り上げた時の絵 美術館の絵は、未来の絵が多い。 生贄もかなり出てきている。 日本とは直接関係のないもの、アフリカが関係してくるもの。 フランス人はイーリスになる事になるだろう。 わかる事はあまりない。 フランス南部、田舎の方はイギリスに特に酷い扱いを受けている。 隠れて一生を過ごすか他の国に逃亡するかしか選択肢がない女たち。 岩波文庫の「メロヴィング王朝史話」 上下2冊をあわせても500頁以下、本の厚さ合計2.5cm 1冊にならんもんかね 冷たいイギリス人。 それがわたちとなんの関係があるのよと。 だったらなんなのよと。 ジャップのくせに引っ込んでろと。 ここはいつの間にかイギリスの掲示板になってる図々しいイギリスはんかくさい女どもw ロンスヴォーの戦い カール大帝の敗北は1回のみなのか? メロヴィスが始祖でメロヴィング家なんだから、 ピピンが始祖ならピピニング家とすべき 始祖クロヴィスの祖父メロヴィクスに因んでメロヴィング朝。 始祖ピピン3世の父カール・マルテルに因んでカロリング朝。 おかしくない。この時代のゲルマン人は姓が無いのでご先祖様の名前を家名にするわけだ。 >>35 南フランスは人が少ない田舎で、イギリス人がフランス女を漁りに来ていたから。 現在のフランスでフランクの血統を色濃く残してるのって貴族の血を引く人だったりするん? あと現在のドイツで同じくフランクの血統を色濃く残してるのってフランケン大公領だった ところの人達? メロヴィング朝の名はメロヴィッヒ(マルヴィッヒ)という人物にちなんでるけど 同じヴィッヒで終わる名前のフランス語形でもルートヴィッヒはルイなのに メロヴィッヒのほうはメロヴェとなるんだな フランク語の流れを汲む言語としてはオランダ語なんかがあるそうだけど, 当の”フランク語”が現在も続いてたらなあ…とは思った。 >>37 フランク人には姓がなくカロリングは宮宰カール・マルテルに因み「カールの」程度の意味しかないらしい カール・マルテルの父はピピン2世(中ピピン)でその父はアンゼギセル アンゼギセルの父はメッツ司教のアルヌルフということからカール・マルテル以前はこの一族のことはアルヌルフィング(アルヌルフの)と呼ばれていた >>40 はいそうです しかしながらカロリング家の血統はLudwig(IV.) das Kind の死(911年)で断絶してしまいます その東フランク王位を継いだのは同じフランケンのコンラディナー家の Konrd I. です しかし、彼には嫡男がいなかったのでザクセンのリウドルフィング家の Heinrich(I.) der Vogler を後継者に指名して918年に歿します このコンラディナーも Konrad I. の弟のエーバーハルト3世が相続しますが、939年に反乱を起こし戦死し断絶してしまいます この件によりフランケン太公位(領)は消滅し、皇帝(ローマ王)の直轄となります Konrad I. 娘婿、もしくは妹の子がザーリアー家のヴォルムスガウ伯ヴェルナー5世であり、その子孫がザーリアー朝として後にローマ(ドイツ)王およびローマ皇帝を世襲することになります フランク人の間ではキリスト教の聖人名って普通に使われてたん? ゲルマン起源の名前しか見かけん感じやけど フランス語での 狼:Loup 発音:ル 8月:Aout 発音:ウ で思った事 フランス語って綴りとか発音の面で他のラテン系言語とは一線画してる感が あるけど大きな影響を与えたのはフランク人?ガリア人? フランク語の末裔の一つといわれるオランダ語もようつべ聴く限りだと フランス語ほどには綴りと発音が乖離してない感じだし,8月を意味する 語彙の綴りも オランダ語:Augusutus フランス語:Aout って具合にオランダ語のほうが本来の原型をとどめてるような… >オランダ語:Augusutus オランダ語:Augustus だったorz オランダ語ってドイツ語低地地方方言みたいなもんだし 高地ドイツ語>低地ドイツ語(オランダ語)>フリジア語>古英語 っていうクラインになるんだっけ。 クロヴィス1世(466年頃 - 511年11月27日)は、メロヴィング朝フランク王国の初代国王(在位481年 - 511年)である。 日本では大半の書籍では、フランス語読みの「クロヴィス」でなく、英語ないしドイツ語読みに近いクローヴィス1世の表記が用いられる。 クロービスがフランク族を統一してメロビング朝を創始したのは、481年 「メロドラマ、芝居(481)がうまいクロービス」と覚える トゥルネーは、ベルギーのワロン地域、エノー州の市。 ベルギー最古の町であり、フランク王国初代のクロヴィス1世が生まれた地であるため、フランス揺籃の地とも言われる。 世界遺産も2件登録されている。フランス国境に近い。 クロービスは、ベルギー出身 フランク王国の首都をパリに置いた 千年の古都・パリの歴史はここに始まる メロビング朝を語る上で忘れてはならないのは、「首都がパリだった」ということ カロリング朝は、そうではなかった シャルルマーニュ大帝は、帝国の中心をライン川沿岸に移した そもそも、サリー系フランク族の歴史は、ユリアヌス帝が フランク族を中心とするゲルマン系集団を 今のベルギーの地のトクサンドリアに 帝国の同盟軍として入植させたことにはじまっている。 メロヴィング朝の歴史は彼らがローマ帝国の遺産を背景にして ガリアを中心に覇権を打ち立てた時代。 カロリング朝の時代は、ガリアを本拠地とするフランク王国が ゲルマニア方面に前線基地を置いてゲルマニア征服を遂行した時代。 クローヴィスのフランク語形ってHlodawigというんだな ttps://www.youtube.com/watch?v=jefaToEtXH4 >>56 クロドウィクス、クローヴィス、ルートヴィヒ、ルイ これらは同義異形の人名なんだよな。 フランクとイングランドの接点, カール大帝がアルクィンを招聘したことと、西フランクから土地をもらった ヴァイキングの子孫がイングランドを征服して同地にフランクの文化を もってきた事ぐらいしか知らんかった(´・ω・`) >>57 ヒトラーの親父の名もこれらと同系だったなんて >>58 そもそも、カール(カルル)って人名そのものが、 アングロサクソン語のケオルル(チェオルル)=「自由身分の男」に由来しているという説もある。 それから、サリー系フランク人の葬送文化に石棺を埋葬するときに行列状に並べる、というものがあるが、 この風俗がイングランドにまで伝播していて、アングロサクソン小国群にフランク王国が大きな影響力を 及ぼしていた証左とされている。 メロドラマに弱い(481)、クロービス1世 夏が恋しい(751)カロリングにピピンときた スコットランドのメアリー=スチュアートがフランスからの帰国後,ダーンリー卿との 間に生まれた子にシャルル=ジェームズと命名。 (シャルルはルイと並ぶフランス王室の典型的な名前) ↓ シャルル=ジェームズ本人はジェームズと名乗る (スコットランド王としてはジェームズ6世、イングランド王としてはジェームズ1世) ↓ シャルル=ジェームズは自分の子供にもシャルルと命名 ↓ シャルルがイングランド王チャールズ1世として即位しチャールズの名が 英語圏に広まる という感じで英語圏におけるチャールズという名の歴史が人名関連の書籍で 触れてあったけど,それまではカール,シャルルに相当する名が英語圏では 用いられてなかったとも書かれてた。 >>59 氏が挙げてるケオルルがこういう形でイングランドに逆輸入されるなんて… 西フランク(フランスとなった後も含めて)の貴族・王族は いつ頃までフランク語を話してたんやろ? イベリア半島を支配下においてた西ゴート王国のゴート人と違って フランク人のほうは意外とイメージが湧きにくい(´・ω・`) だって、「フランク人」って実質的に、ラインラント出身を中心とする 群小ゲルマン系部族とガロ・ローマ人の混成戦士集団だもん。 ケルトやラテン系とかも混じった集団だよね。というか、相当ローマ化された連中だけどね。 ローマ帝国の「同盟軍」という地位の部隊をベースに 集団形成を進めた連中だよね。 アウクシリアだったっけ? ゲルマン系戦士の墓から、良くローマ軍支給のベルトとかスパタが出てくるんだよね。 同じフランクでも西フランク地域ではRobertの名を持つ諸侯・騎士を たまに見かけるけど(ノルマンディー公となったヴァイキングのロロも Robertと名乗ったっけ),東フランク地域でもポピュラーな名前だったん やろか? フランクじゃないけど,トイトブルクでローマ軍倒したアルミニウスって ローマの市民権&騎士階級所有者だったのな へぇ、初めて知ったよ。ありがとう。 ここ数年、トイブルクの正確な位置が割り出されて発掘中なんだよねぇ。 >>54 そらそうだろうよ カロリング(アルヌルフィング)家の根拠地がアウストラシアなんだから へぇ、嘘ばっかりイギリス人だな。ありがとう。 ここ数年、イギリス人の正確に頭のおかしさか表沙汰になってその上発狂中なんだよねぇ。 >>73 またじゃない、お前はここに今日はじめてじゃんw >>73 Nazeing、Waltham Abbey、EN9 2DY、イギリス ペトリー ランセン 42 イギリス海軍 下っ端 ジビエがフランク語由来(隼狩りを意味するGabaiti)なのを知ったのは つい最近のことですたorz そういやフランス語はフランク語由来の単語が結構あるみたいですが ドイツ語やイタリア語はどうなんでしょ フランスの首都がパリなのも、フランク王国が北から来た征服王朝だから 要は中国の首都が北京なのと同じ >>77 ガリア語由来もあるそうです。 南フランスの言葉は、フランクの影響がほとんどありませんが。 やっぱり、サリー系フランク人の民族形成が行われた「本拠地」って、 今のベルギー辺りなんだよなぁ。 メロビング朝の本拠地は、ライン川の下流 カロリング朝の本拠地は、ライン川の上流・中流 ちょっと嘘を指摘されたからって、すぐキチガイというテロリスト国家イギリスw なんでも新しい言葉を作るのは子分中国共産党の真似だよなw >>82 ネウストリアといえば、木村拓哉主演映画「HERO」 >>85 よくイギリスから日本語を習ってのこのこヘッタクソな日本語で叫びにくるよなw 王妃「あなたン〜、私の妹なんだけど、もう年頃なの。 誰かいい人いないかしら」 王 「そうか、探しておこう」 王 「妹御の相手、決めたぞ」 王妃「それはよかったわ。で、どなた?」 王 「ん・・・この国第一の騎士だ・・・」 王妃「え?」 という逸話、メロヴィング王朝史話にあるはずなんだが、見つからない >>87 基地外、病院へいけ くらいしか言えなくなったのかいw イギリス人は白人至高主義が日本でも有効だって余裕あったのにねぇw ヘッタクソな日本語で不快なだけなのにw メロヴィング朝の王たちは、事実上一夫多妻制だったからなぁ。 >>92 重装騎兵部隊が成立してくるのがカロリング朝期、 封建制で養われる騎士身分が成立してくるのが10世紀くらい、 だったっけ。 のちに西フランクから土地をもらったヴァイキングが中心地と したとこでしたっけ>ルーアン >>93 確かそうです。 スコラだったかそんな名前です。 たしか、姉妹丼のメロヴィング朝の王様の言った言葉は 「この国第一の男を夫にしてやったぞ」 じゃなかったかな。 >>98 いや、もっと後世のキルペリクとかそこら辺の話じゃなかったっけ。 >>94 のちにイギリスから土地を奪ってイギリス人が中心の国になったフランス イギリス人はフランス人に対して、絶対的な強制を押し付けた。 負けたフランス人は聞くしかなかったが反発するとイギリス人は拷問し殺す事を楽しみにしていたヒトモドキ。 フランクフルト・アム=マインもフランクにちなむ地名ですね なぜ東フランクはカロリング家が絶えたらフランクの名を捨てたのに、 西フランクはカロリングが絶えても現代までずっとフランクの名を保ち続けてるのか ガリア系の名にすればよかったのに >>103 西フランクはメロヴィング朝以来のフランク王国の本土。 東フランクはフランク王国によって軍事占領されたゲルマン系諸部族の部族大公の地。 カール大帝の帝国は「フランク王」と「ローマ皇帝」を一人の君主が兼ねる体制だったが、 そのうちフランク王国本土たる西フランクでは君主がフランク王位を継承。 一方、フランク王国による被征服地で部族大公の寄り合い所帯だった東フランクでは、 この寄り合い所帯の盟主を部族大公たちが持ち回る体制が確立されていき、 その盟主がローマ皇帝位を継承した。 こういう下地があるので、西フランク>フランス王国ではカロリング朝の断絶後の 地方分権化をカペー家の歴代の王たちが中央集権の回収に向かい、 東フランク>神聖ローマ帝国では分権化が温存され、 部族大公>領邦君主の連合政権としての方向性が強化されていくことになる。 東フランクとはいっても、ローマ帝国やフランク王国に属していた古いヨーロッパ部分と、 ザクセン戦争で征服された新しいヨーロッパ部分では 相当文明度に差がありそう >>105 実際、文明度、人口、経済活動密度ともに ネーデルラント>ラインラント>スイス>北イタリア という土地の連鎖、いわゆる「ロタリンギア」地帯が フランク王国旧領のなかで隔絶した地位を保ち続けるんだよね。 産業革命より前の段階で、この地域の人口密度は 旧西フランク、旧東フランクの主要部分より ひとケタ高かったらしい。 結局、フランク王国分割後の歴史を大雑把に言うと、 西フランク>フランス王国と東フランク>神聖ローマ帝国が ロタリンギアの領有、覇権を奪い合う歴史になったと言ってもいい。 それが、ポストモンゴル時代、ルネサンス時代に金融制度が 革命的に進歩すると、このロタリンギア地帯が独自の政治勢力として 台頭してくる。 最初は北イタリアの諸都市で、次いでネーデルラントで高度な産業社会が勃興、 両地域を結ぶスイスの峠道の関税利権が重要度を増す。 この流れで起きたのが、スイスとネーデルラントの独立闘争。 何にせよカペーの血筋が現在まで残ってるのは、面白い。 昔のスウェーデンではゴート人としての民族意識が高まっていた時期もあった そうですが、オランダやベルギーでフランク人としてのアイデンティティが 高まっていた時期はあったんでせうか スペインにゴート人としての意識があったかというと、早くにイベロ・ローマ人と融合してなくなっちゃったからねぇ。 ゴート人としての意識というのはつまり北方の野蛮人としての意識ということか? >>107 日本で「万世一系の天皇」とよく言われるけど、フランス王室のほうがよほど一貫性は高い カペー朝からヴァロア朝、ブルボン朝と王朝が交代したとされてるが、あれは本家の跡継ぎがいなくて分家から跡継ぎが出ただけであり、日本だったら特に問題とされないところだろう イギリス王室にはそこまでの一貫性はなく、大陸の貴族が来英して即位したりしているが、それでも、イギリス王室の血筋をなんらかの形で引いていなければ、候補にも挙がらない その点、ロシアでは、リューリク朝と血のつながりがない、単なる外戚でしかないロマノフ朝が王朝を建てた 神聖ローマ皇帝のように血統原理を基に諸侯による選挙で選出されるのが民主的で非常に良いような気がする スペイン王国の起源は、西ゴートにも逆らい続けて同化しなかったバスクだろうから、 それが西ゴートの後継者を名乗るのはおかしい イギリスは狡猾な手段でフランスを負かしている。 そして、フランスに乗り込み全てを奪っていっている。 フランスを駒にヨーロッパを制覇しようとしたイギリス。 失敗に終わったが、動いたのはフランス。 ゴミのような歴史を重ねたイギリス。 ただそれだけのヨーロッパの歴史。 フランスは立ち直ろうとしていた。 今その疲れが酷いと感じる。 それから立ち直れるのが難しいフランス。 >>114 アラゴンはバスク(ナバーラ)だけでなくカタルーニャも包含していったからな 確かフランスのブルボン王朝の諸王はナバラ王国の国王であった訳だがどういう経緯でナバラ王位を継承したんだったっけ? スペイン王国は、建前では西ゴートの貴族だか王族だかのぺラーヨが作った国家を バスク人が継承したってことにはなってるな まあぺラーヨの実在や素性からして嘘くさいけど >>113 結果的にそれが諸侯の独立性を高めて、神聖ローマ崩壊につながったからねぇ。民主的ではあるけど、あの当時だと争いネタだから。 >>118 スペインに伝わる化け物がペラーヨw スペイン南部に伝わる神を冒涜した白人に対して。 >>117 確か、フランスのカペー王家のブルボン家がナバラ女王に婿入りして、 それでナバラ王位を継承している。 ハプスブルグ家と一緒でヨーロッパのあちこちにいるね。政略結婚で。 ローマ、西ゴート、イスラム帝国、フランクに対抗し続けたのがバスク。 レコンキスタの初期の担い手もバスク。 >>117 むしろアラゴン王国はナバラの分家。 バスクは先住民族の中のエリート。 スペインのコンキスタドーレが南米でインディオを大虐殺しまくったのは ヒャッハーなゲルマン人の子孫だったから? >>125 キリスト教の考えでしょ。異教徒に対する。 実は、「大航海時代」に中南米やフィリピンに入植していった「スペイン人」って 案外バスク人の比率が高いんだよなぁ。 バスク人は「山岳民族」という印象が強いが、実はビスケー湾を舞台に活躍した 海洋民族という側面がある。 中世にはバスク人によるビスケー湾捕鯨が盛んだったし、 北西ヨーロッパ人がカナダを「発見」する前からその沖合にバスク人漁師が タラ漁に来ていた。 >>128 違うスペイン人だと思う。 バスクってちあきなおみの喝采の歌に出てくるスペインの事を歌った歌のようなんだけど、なぜか一致してないんだよな。 間違いないのに一致してない。 >>129 喝采の二番はスペインのある蔦の生えてる小さな教会。 名前をど忘れしちゃったけど、分かりやすい。 >>125 インディオは、スペイン人に虐殺された人口より、彼らが持ち込んだ伝染病で死んだ人口が多かった >>132 天然痘と麻疹(はしか)が双璧だった。 江戸時代の日本でも「疱瘡(天然痘)のきりょう定め、麻疹のいのち定め」と称せられるほどに多くの命を奪っていた。 ましてや、成人になるまでに麻疹感染経験のなかった新大陸やポリネシアの先住民はバタバタ死んでいった。 最近アマゾンの密林で続々と弥生時代の環濠集落みたいな農耕集住地のネットワークの遺跡が高密度に埋まっているのが 確認されているので、「アマゾンの未開の先住民」というのも、実はこの時の天然痘と麻疹による大量死で 文明が維持できなくなって原始生活に後退したのでは、という話もちらほらうわさされる様になってきている。 アマゾンの奥地の文明が天然痘で壊滅・・・ という事は、スペイン以前にも新大陸に旧大陸から誰かが来ていたってことか。 インカ帝国がそれで壊滅しているのだから、アンデスから伝わってとは思えないしな。 >>134 いや、アマゾンの農耕コロニーネットワークが壊滅したのが、 どうもイベリア人の侵入のタイミングと一致するみたい。 で、本格的なイベリア人との接触寸前に先行して流行していた感染症で 人口崩壊していたということ。 スペイン人の侵入と前後して、じつにタイミング悪く異常気象が連続したという調査結果もある >>136 まぁ、14世紀後半から19世紀半ばにかけて、絶賛「小氷期」ただなかだからねぇ。 西ゴート王国が打倒されフランク王国の制圧下に置かれた場合のイベリア半島。 9世紀半ばの王国三分裂の時期においてもフランク王国の領土だったら西フランクの 一部になってたとは思うけど結局は分離独立してたんだろうか… 訂正 ×:なってたとは思うけど ○:なってたのかなと思ったけど レコンキスタで領土を広げた結果、ラテン系住民を抱えすぎて 結果(バスク系だった)王や貴族もラテン語話者になってしまった ほどほどでやめときゃよかった アストゥリアス王国はフランク王国の傘下に入ったことは一度もないよね? >>140 九世紀末ごろの時点ですでにアストゥリアス王国内ではラテン系が多数派になったという 元々ローマ文化との融合を推奨してたから、ラテン語話すのは必然的だったと思うな。ゴート人の数も少ないし。 イスラム圏に長く入ってたおかげで、アラビア語からの語彙が多くなったけどね。 >>143 西ゴートもアリウス派の消滅とともにゴート語は消滅したし、 アストゥリアス王国やカスティーリャ王国では王や貴族はバスク語からラテン語に乗り換えていった 一方、ローマ人やアラブ人は先住民に自分達の言葉をしゃべらせていった 文明度の違いか。 >>106 21世紀の今でも「ブルーバナナ」と言われていて、「長兄の国」エリアの経済・人口的中枢っぷりは健在だよね。 だが不思議なのは、このエリアが一貫して、エスニシティの境界地域であり続けたこと。 そもそもフランク王国3分割の段階で、ラテンとゲルマンの言語境界線は、現在とそれほど変わっていなかったはず。 ラテン圏もゲルマン圏も、よりによって端っこが一番発展していたことになる。 だから、後に「独自の勢力ガー」といっても、どうしてもここを中心にまとまらない。 無理に国を作ると、ベルギーのように宗教を揃えても言語的な分断国家になって政府が長期崩壊する事態になる。 >>145 結局、ロタリンギアで政治的独自性を樹立できたのは、 アルプスの峠道を押さえたスイス連邦と、北ネーデルラントから台頭したオランダだけだったんだよね。 特にオランダは近世ヨーロッパ初代の「ヘゲモニー国家」となり、投資、アウトソーシングによって スウェーデン、ロシア帝国のみならず、大英帝国、アメリカ合衆国という次世代「ヘゲモニー国家」を生み出していくことになる。 ロタール2世の支配領域はなんであんな不自然な範囲になったのかね。 アルプスを挟んで北のロタリンギアと南のイタリア。 >>147 上の方でも述べてるけど、当時、というより産業革命以前の歴代の時代を通じて、 この地域こそが、西ヨーロッパ社会で人口密度も産業活動密度もけた違いに大きい、 もっとも豊かで繁栄した地域だったんだ。 ロタリンギアの中心地は語感が似ているロートリンゲン=ロレーヌなのかな? >>149 ビンゴ! ロタールの国=ロタリンギア(ラテン語)=ロートリンゲン(ドイツ語)=ロレーヌ(フランス語) フランス・ロレーヌ地方といえば岩塩が思い浮かぶけど,ロタリンギアにおける 貴重な財源の一つでもあったんかな? ロタリンギアには、岩塩もある、鉄もある、石炭もある、肥沃な農地もある、 発達した水運網もある。 9世紀までには、ローマ街道で舗装されていた箇所の敷石は再利用され、ガタガタの道となっていたのが悲しい。 >>147 ライン川の沿岸から、北イタリアの平野にかけての細長い領域 そこは「黄金のバナナ」とも呼ばれる、ヨーロッパで最良の地 黄金のバナナじゃない、ブルーバナナだった(笑) 黄金のバナナは、ドンキーコングだよ >>155 その「ブルーバナナ」の南北ユニットを結ぶ交通の要衝がスイス。 ハプスブルク家がスイスを出発点に発展し、 ハプスブルク家が留守にしたスイスが独立するぐらいに力をつけたのも、 「ブルーバナナ」におけるスイスのポジションに秘密がある。 ハプスブルグ家って元々、アラン貴族なのかな?それともフランク貴族?知ってる方教えてくだされ。 >>135 「アマゾン文明」「モホス文明」でググれば出て来るね ハプスブルク家の祖先は「領地持ちのグントラム」である。この人物は東フランク国王オットー1世によって 領地を没収された「グントラム金満公」と同一人物と考えられている。グントラム金満公はアルザスを支配した 大貴族エティション家の傍系とされている。エティション家の起源はフランク族ともブルグント族とも西ゴート族とも 言われている。ざっくり言うと「みなされている」「考えられている」だらけではっきりと言えることは何もない。 フランクゆかりの名前であるルートヴィヒ(クローヴィス)とロタールって どっちも”名高き戦士”って意味なんだな >>156 皇帝マクシミリアンがインスブルックに首都を置いたのも、それだな >>159 ありがとう。ゲルマン系のいずれかなんだね。 関係ないけどYouTubeで「ケルト系音楽」とか検索して聞くと、中2病みたいな連中がケルト大好き!とか書き込んでるんだよ。 でも、笑えることにケルトについて全く知識が無いんだよな。 カール・マルテルに興味を持ったんですが、 彼の個人史にページを割いている日本語の書籍あれば教えてください。 9C半ばのストラスブールの誓いにおいて西フランク王は古フランス語の原型となった ラテン系言語、東フランク王は古高ドイツ語で自国の兵士に演説してたそうですが, 高フランク語と,東フランクの住民が話してた古高ドイツ語との関係がわかりにくいような… >>164 「両王はラテン語でも自国の言語でもなく、お互いに相手国の言語を用いて兵の前で宣言し、両国の兵は それぞれ自国の言語で誓いを行った。これは、この頃までにカロリング朝フランク王国が東西に分裂した証拠と 考えられてきた。」 それぞれの王は相手国の言語で両国の兵に宣言した。東フランク王国の住民はもともと使ってた古高ドイツ語を 使った。のちのフランスに当たるガリアではゲール語が使われていたが、古代ローマに征服されて俗ラテン語が 広まってガロ・ロマンス語が成立した。ガロはガリアの事。ガロ・ロマンス語はラテン語の方言だったが、古フランク語の 影響で大きく変化して古フランス語が成立した。古フランク語はフランク族が使っていたであろうと考えられる ゲルマン系の言語。 以上のことから古フランク語と古高ドイツ語とは関係ないようだ。 ヨーロッパでカール系統やルイ系統の名前が広まったのって カール大帝やクローヴィスに因んでのことだったん? ↑のと違ってロタール系統の名前はドイツ語圏ぐらいでしか 見かけんような・・・ 父が王として即位。 そして在命中に息子を分王国の王として任命。 王位継承の安定化を図ったが、この構造は学習者には覚えにくい。 フランク語がラテン語由来の語彙を取り入れたり,フランク人の諸侯・騎士の間で キリスト教の聖人名が用いられる事例ってあったんやろか。 後者の場合はたいていゲルマン系言語由来の名前だと思うけどあえて。 >>162 ケルト音楽ファンだからと言ってケルト民族に詳しい必要がどうしてあるのかね。 ハワイアンをうたってる人だって、ハワイイ人の悲しい歴史にはほとんど興味ない。 ジラール家はパリ伯ジェラール1世と宮宰カールマンの娘の子孫 >>169 ケルティックもそうだけど、ゴシックも相当意味やイメージの一人歩きが激しいね 建築のゴシックの時点でゴート族とほぼ無関係だけど、その後の小説や絵画や音楽やファッション等のあれこれはゴート風とは一体何なのかという思いを呼ぶ フォントのゴシック体は現代では簡素、対称的な部類の字体でゴシック建築とは正反対 ゴスロリファッションの人にゴート族の事聞いても何言ってんだこいつと思われるだけだろうな 毎年のようにフランスに行くが、 メロヴィング朝時代については、文献も遺跡も極めて限定されていて残念 https://youtu.be/7kA3sUgNKSw コールドスキンは日本人になるだろう。 日本で今京都が北海道に対してするものと同じような感情をヨーロッパが日本に対して持つとこうなるのかw 状況は悪くなる一方になる。 >>175 私も中世初期の史跡を訪ねてヨーロッパに出かけますが、西ゴートやカロリング期の建物はあっても、メロビング期のものはなかなかないですね。どこかご存じのところがあれば、教えてください。 >>180 創建がメロヴィング朝時代なのは、トゥールのサンマルティン教会、サンドニ、サンジェルマンデプレ(パリ)だけど残っておらず、 比較的残ってるのは、ヴィエンヌのサン・ピエール教会のようです。 厳密にいえば創建は西ローマ時代(5c中ごろ)だけども、 一部にメロヴィング時代の建築技術が反映されているようです。 白を意味するラテン語Albが存在するのに現在の ラテン系地域ではフランク語由来のBlanc系統が 用いられてるという・・・ まあイベリア半島のほうはゲルマン祖語まで遡れば Blancと同源なゴート語に由来してるかもしれんけどw フランク史の新訂版が出たけど、旧版と大分違うのかなあ。 読み比べた人いる? >>188 どちらもフランス読みのルイに 相当する名のフランク王なのに、 この人はフランス王のルイ○世に カウントされて、 メロウィングのクローヴィス4人は カウントされないのはどうして? 太陽王はルイ18世、ルネッサーンスの 漫才師は山田ルイ57世にはならんのか? カロリング時代は 霊威の象徴として王様だけが長髪で、 最後の王様がお払い箱になるときも 髪を切られたとのことだが、 カロリングのシャルル2世みたいに 王様が禿げたらどうすることに なってたのやろか? ≫190 やはり禿頭王って名前がつくんじゃない?w >>194 いや、禿げたら霊威もなくなった扱いになって廃位や退位すべしとされてたんやろか?てこと >>163 ドイツ語の文献ならある Andreas Fischer Karl Martell Der Beginn karolingischer Herrschaft https://www.kohlhammer.de/wms/instances/KOB/appDE/nav_product.php?product=978-3-17-020385-3& ;world=BOOKS アンドレアス・フィッシャー著 「カール・カルテル〜カロリング朝支配の始まり」 >>163 単独の評伝等はないが日本語で読めるものなら「あだ名で読む中世史〜ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」(岡地稔著、八坂書房)でカール・マルテルの「マルテル」はどういった意味かについて言及されている 図書館で借りて読んでみては? カール・マルテルのマルテルはマルス由来のラテン語起源個人名かと思ってた >>199 カール・マルテル (Karl Martell) のMartellは Latin語「鉄鎚」の意でよいの? 南フランスは、西ローマ帝国滅亡後も、古代的な相貌をとどめていた しかしカール・マルテルの侵略戦争により、古代的な姿は完全に 払拭されてしまった クローヴィスは有能というよりむしろ狡猾、残忍な人物で、ライバルとなりうる 人物を片っ端から殺して成り上がっていったんだよな 481年にサリ族の王に即位し、その後リブアリ、上フランクの両部族を統合 500年にはブルグンド王国を制圧、507年には西ゴートを撃退した 498年にはランス司教レミギウスの手により国王として塗油を受けた 後世のブルゴーニュ公国とかブルゴーニュ伯国の君主は ブルグント王の血は全く引いてなさそうだな 534年ブルグンド王国がフランク王国に征服された時点でブルグンド国王はブルグンド族の血を引いとらんだろ メロヴィング王家の開祖とされるメロヴェウスは、母がネプチューン(海神)と呼ばれた 怪獣と交わって生まれたとされる 日本神話でも、天皇家には海のサメの血が流れているとされていなかったっけ? メロヴィング朝の王は海神の血をひいているがゆえに、 超自然的力を備えるものと信じられた 手をかざすと傷が癒えるとされたのも、そのためである アウストラシア王シギベルトの王妃ブルンヒルドは、ネウストリア王クロタール2世に よって10人もの王の死の責任を負わされ、駱駝に結び付けられ、 四つ裂きの刑に処された この時代はまだまだ野蛮だよな ブルンヒルドは「ニーベルンゲンの歌」で対立する二人の妃ブリュンヒルドとクリームヒルト両方の モデルになったとされる。つまりブルンヒルドが居なかったらワグナーが「ニーゲルングの指輪」を 作ることもなかったかもしれない。 キリスト教に改宗したにもかかわらず、メロヴィング期には地位の高い人間は 一夫多妻を行っていた クロタール1世とおそらくダゴベルトが同時に複数の王妃を持っていたし、 宮宰ピピン2世はプレクトルディスと離婚することなく、アルパイダを娶って、 彼女との間にカールをもうけただけでなく、別の妾も持っていた メロヴィング朝期までは、ゲルマン人の王たちは、東ローマ皇帝の委任のもとに 王国を統治しているのだというタテマエになっていたのだよな メロヴィング諸王が発給した国王文書の書体や形式は、皇帝府のそれではなく、 ローマ時代の地方属州政庁のそれを採用している >>210 ライバルのフレデグンドのほうが多くの暗殺の裏で手を引いてたのにもかかわらず、 かの女は天寿を全うしたんだよな。 全く皮肉なことだな。 カロリング朝の時代には、聖別や説教が行えず、騎馬の訓練や狩猟に明け暮れる 司教や修道院長がおおぜいいたとか 彼らは軍事遠征があれば喜んで武器を携えて出軍した フランク王国関連のYouTube動画 【ゆっくり解説】悪女VS悪女、フレデグンドとブルンヒルド【中世ヨーロッパ】 https://m.youtube.com/watch?v=BqtsbuUq5rg 【ゆっくり解説】あだ名はハゲ・シャルル2世 https://m.youtube.com/watch?v=F8ZySU7ZaF4 クローヴィスの改宗 世界史に影響を与えた出来事ランキング https://m.youtube.com/watch?v=Ttci13BtDDI 【約8分半動画】「王」が治めた神聖ローマ帝国【歴史小話】 https://m.youtube.com/watch?v=wrwJTrqYTr0 【ドイツ片田舎】チャンネル∽歴史館 #1「憧れのカール大帝*シャルルマーニュ−プロローグ〈序章〉編」Karl der Große/ Charlemagne/ Charles the Great 1 https://m.youtube.com/watch?v=V6a6DfCtpj4 【ドイツ片田舎】チャンネル∽歴史館 #2「憧れのカール大帝*シャルルマーニュ−〈本編〉」 Karl der Große/ Charlemagne / Charles the Great https://m.youtube.com/watch?v=_ZX2QijHw6o 佐藤彰一先生の「フランク史 I クローヴィス以前」が刊行されたのは大きいね ローマ帝国末期を扱ったピーター・ブラウンやランソンやパーキンズの本はローマ帝国からみた蛮族という構図だったけど、フランク族側からみたこの時代の本ってこれまであまりなかったので早速買って興味深く読んでみた フランク王国の通史ってこれまであまりなかったのでこれは非常に嬉しい II はメロヴィング朝、IIIはカロリング朝という感じになるのかな? グレゴリウスの「歴史十巻」やアインハルトの「カロルス大帝伝」でももう一度引っ張りだして読んで予習しとこうかな https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/098276.html 2016 11/30 著者に聞く 『贖罪のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー >西洋の修道制についての通史の仕事とは別に、フランク史の分野での著作を考えています。 >こちらは注付きの学術書の体裁となります。 >フランク人の起源の問題に取り組む予定なので、北西ヨーロッパの青銅器時代にまで論が及ぶことになるでしょう。 >考古学を主力とする先史学と、文字記録を素材とする歴史学をどのように結びつけるか、 >方法論の上でも工夫をしなければならない著作になると踏んでいます。 ゴート人の方はまだ日本だと本が皆無に近いな いまだにグルトゥンギやテルウィングと東ゴート人や西ゴート人が同一視されてるようなのしかない パウルス・ディアコヌスの「ランゴバルドの歴史」、コルヴァイのヴィドゥキントの「ザクセン人の事績」、サクソ・グラマティクスの「デンマーク人の事績」の邦訳は出てるのにヨルダネスの「ゴート史」はまだ出てないな 西ローマ帝国のうち結構な割合を閉めてたブルグント族もほとんど何も無い 佐藤彰一先生の「フランク史」読んだけど、今まで知らなかった学説 が出ていた。 「匈奴のフン族の系譜関係がソグド語文書で証明された」 「クローディオはサリ族ではなくラインフランク出身」 「そもそもサリ族という部族は存在せず、サリという言葉は仲間たちを意味する普通名詞」 現在の学界での評価はどんなもんなんだろうな? オランダ語はフランク語の末裔の一つとかどっかで見た事あるが,その割には 発音にしろ表記にしろ独自の進化を遂げてるな。 ・aa,uuみたく同じ母音を続けて表記 ・他のゲルマン系言語でfとなるやつがvになる ・ijやuiといった母音の綴りとその発音 ・gを【x】で発音 とかいろいろあるけど ガロロマン組み込む前の原フランク人はネーデルラントに住んでたそうだが, 当のオランダ人・フラマン人にフランク人の末裔という意識とかあんの? クローヴィスにちなむルイとカール大帝にちなむシャルルはフランス王室で よく見かける名前となったな ・そもそもフランク同盟に加わった諸部族の総称が「フランク人」であってフランクは部族名ではない ・フランク人にサリー支族やリプアリー支族なんていなかった >>228 フランク人というのは現代でいえばアメリカ人や漢民族みたいな感じのものじゃないかと思う バイエルン人も恐らくその類いだろ ゲルマン諸民族にローマ人やケルト人などが加わった集団というイメージがある ローマ人もフランク人と同じくローマ市民権もってる諸民族の呼び名 そういやゲルマン人も元はゲルマニクス属州のローマ人に対する「田舎もん」みたいな言葉だしな ガリア人から見たライン川の向こうの奴ら、じゃないのか。 >>223 シルウァヌスの反乱を一般的な「コンスタンティウス2世の疑い深い性格」のせいだけにせず、 正教派のシルウァヌスとアリウス派のコンスタンティウス2世の宗教的対立があったのではないかとする推測は意外な着眼点だった 右腕を「刃の義手」にした中世イタリアの戦士の遺体が見つかる 2022.01.19 WEDNESDAY https://nazology.net/archives/103457 ナイフは右肩経由で歯に固定? 問題の遺骨は、イタリア北部にある、6?8世紀頃のロンゴバルド王国時代の共同墓地で発見されました。 そこには男性のほかに何百もの遺骨が埋葬されており、人間以外にも首なし馬や猟犬の骨も見つかっています。 えらく物騒な遺骨が出土していますが、このロンゴバルド族は好戦的な民族として知られ、 568年にスカンディナヴィア半島からイタリアに侵入。今日の北イタリアにロンゴバルド王国を建国しました。 その後、774年に初代神聖ローマ皇帝のカール大帝の軍によって滅ぼされています。 調査の結果、埋葬された男性は40?50歳と推定されており、右腕は前半部から先が切断され、代わりにナイフが置かれていました。 https://nazology.net/wp-content/uploads/2022/01/fd84efc5a60e0a84d01c717c442560ca-579x600.jpg >>237 フランク史II「メロヴィング朝の模索」出ましたね 待望のメロヴィング朝の日本語書籍が出たのは嬉しい反面、非常に複雑な歴史なので読むのが大変そう このあだ名、ちょっと酷いよね ちび Pépin le Bref ピピン短躯王 でぶ Karl der Dicke カール肥満王(3世) はげ Charles le Chauve シャルル禿頭王(2世) 隠さないで…もっと君のかわいらしい顔をみていたいから……(ちょっと意地悪か優しく言う) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる