教養が、状況の予測能力や効率的意思伝達、理解力だろうとは思う。

教養に対する反感、というのは現状の問題への無策と、その問題に直面している
人に対する無関心への反感だろうね。

将来の予測により現状のスルーという結論になったり、
「教養のない」人と意思の連携ができなかったりする場合、それは教養が至る
必然の特徴なのだろうか。
それともそれは教養が足りないということだろうか。
真の教養とは状況への的確な対処と啓蒙を伴う、と。