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秦漢帝国
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0340世界@名無史さん
垢版 |
2018/12/12(水) 00:48:00.560
宦官が皇帝や王になったという例は、歴史上皆無なのでしょうか。
0341世界@名無史さん
垢版 |
2018/12/12(水) 18:11:59.580
なぜ宦官が忌み嫌われてるかと言うと宦官の権勢は寵愛してくれる皇帝の代限りという期限付きってこともあり
今のうちとばかりに国庫に手を付けたり暴政に走りやすい そうなると今度は不正を許さない清廉潔白な官僚が邪魔になってくるので真っ先に消され
宦官と汚職に加担する濁流派ばかりが重用される悪循環に陥る
その典型が党錮の禁だな
>>335
皇帝の意を受けて命を懸けて動く宦官ってどこをどう斜め読みしたらそんな頓珍漢な言葉が出てくるんだ? 十常侍がそんなご立派な連中なら黄巾の乱も起きなかったし三国時代もなかったろうよ
0342世界@名無史さん
垢版 |
2018/12/13(木) 10:47:00.720
>>347
インディカなら古くから在るよ、有名なのだと黄膠稲っていう水害に強い早稲
チャンパ稲は旱害に強い早稲
0343世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/02(土) 20:33:03.570
保守
0344ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/03(日) 11:43:40.800
いま読み始めたところなのだが
こんなどうしようもない内容が
最後の方まで続いてるんでしょうか、、、
0345世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 14:04:32.290
駄スレになってしまったか?
0346世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 14:06:05.770
まだ、スレの3分の1が終わったばかりだ

今ならやり直せる
0347世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 14:32:41.270
ほぉ、こんなスレがあったのか。
0348世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 14:48:58.490
宦官とは何か、というのを考えるためには、「後宮」的な組織を持つ他の文化圏との比較が
有用だろう。

ここでは、中華世界、日本、モンゴルを比較してみる。

まず、日本の後宮。
これは御所の後宮組織でも江戸幕府の大奥でもそうなのだが、天皇なり将軍なりの
正妻あるいは生母を頂点とする女性の自治組織で、基本的に男に口出しはさせない。
男女が別々の自治組織を作るというのは、たぶん日本の古くからの土俗的な基層文化で、
私がフィールド調査をしたことがある九州の某地方でも、部落(広義)の寄り合いに
男性の寄り合いと女性の寄り合いが別組織で行われていた。

次にモンゴル。
これは、モンゴル帝室の「オルド」に典型を見ることができる。
「オルド」は遊牧組織そのものであり、組織の頂点に正妻がおり、
その配下には君主の妻妾だけではなく、男性の牧民労働者や遊牧騎士軍人まで含まれる。
君主の遊牧組織が肥大すると、なんと「正妻」の数を増やして「オルド」を分割し、
遊牧組織としての適正な規模を維持する。

こうしてみると、中華世界における後宮の特徴がはっきりと見えてくる。
・女性は男性の支配下に置き女性の自立した自治は許さない
・後宮には配偶者たる君主とその未成年の子息以外の男性の存在を許さない
この条件を満たすため、一般家庭よりはるかに肥大化した君主の後宮を維持するためには
「男性ではない男性」が不可欠となる。
この目的のための「女性の群を管理する」ための「男性ではない男性」が宦官であり、
彼らは君主の女性支配の代理執行者たる一種の「君主の奴隷」身分である。
0349世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:18:43.770
牧畜民族は、家畜の去勢を日常的に行っているので、宦官もその延長線上にある自然な発想といえる

日本人は、中国文化の大半を導入したが、宦官・纏足・人肉食だけは、まったく受け入れなかった
0350世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:26:11.500
>>349
ところが、>>348で述べたように、純牧畜民のテュルク・モンゴル系遊牧民の遊牧国家では、
後宮が去勢男性による管理じゃなくて正妻による統治なんだなぁ。しかも、非去勢男性が
正妻の臣下として牧畜や戦に従事している。

中華世界における宦官のルーツに関しては、牧畜文化由来だけではない要素をもっと深く考察する必要が
あると思う。
0351世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:33:32.670
ロシア万歳
0352世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:34:03.840
それから、纏足はそもそも「漢民族」以外、どんなに深く中華文化を受容した民族でも
受容していないだろ。

朝鮮半島国家でも、琉球王国でも、ベトナム王国でも、中華世界を支配した満州族ですら
受容しなかった。
0353世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:36:44.850
>>352
確かに、朝鮮人でさえ、纏足はしなかったな
0354世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:47:19.770
人肉食については、七年戦争のとき、北米のインディアンが集団で英国軍の兵士の肉を喰らっていたというエピソードがある

それも、「腹が減ったから」というようなことではなく、勝利の儀式として行われていた

中国人にも、それと似た発想がある
0355世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:48:32.080
やはり、嫁いできた女性の発言力を封殺する漢民族社会の民俗性のシステムこそが、
宦官の発達にしても、纏足にしても、効いていると思うんだよなぁ。

中華帝国でも、北朝〜隋唐帝国では君主の配偶者とか娘とかの発言力が強くて、
しかも皇帝に盛んに助言した皇后が名妻女として絶賛されていたりする。

ところが、唐朝でも科挙官僚の登用が進み(北族系武川鎮軍閥貴族の後退を意味する)、
王朝の漢族化が深まってくると、むしろ女性の発言権が非難されるようになって、
楊貴妃みたいに本人はほとんど政治に口を出さなかったのに亡国の女性呼ばわりされたり
するようになっていく。
0356世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 15:52:23.710
>>354
古典的な民族学研究で、人肉食の背景を検証したのがあるが、農耕民の場合、打ち倒した敵への敵愾心の強調として、
狩猟採集民の場合、社会で高い敬意の対象になっていた人の聖性を受け継ぐため、人肉食が行われる傾向がはっきり出たらしい。

漢民族もむろん典型的な農耕民族だが、北米インディアンも誤解が多いがトウモロコシ、カボチャ、ヒマワリなどを栽培していた
農耕民が大半だからね。
0357世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 16:40:14.180
中華でも数は少ないが後宮に女官はいて、女官組織も規模は小さいがあったそうだが
0358世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 16:51:34.750
>>357
女官がいなきゃ、大奥モノの時代劇か成り立たないよ(笑)
0359世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 16:59:03.740
>>357
宦官が真に実力を発揮するためには、パートナーとなる女官と組まないとダメだったという話もあるね。

日本における「妻妾女官自治組織」と中国における「宦官女官組織」の違いを掘り下げると面白そう。

それから、朝鮮では「宦官組織」と「妻妾女官組織」が別立てだったみたいで、前者はあくまでも王の身辺の世話係で、
妻妾の管理が業務ではなかったみたいなんだなぁ。

なんか、こういう後宮的組織の構造にその社会の「ホンネ」みたいなものが垣間見れて面白い。
0360世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 18:13:52.800
>>359
オスマン帝国あたりの後宮が普遍的な完成形でそれ以外のは発展段階が違うということだと思う。
中国の場合は后妃の序列が明確で嫡母の概念があるという点で一歩遅れている。
宗教の違いによるというわけではない。オスマン帝国の後宮はイスラム法が想定するようなものではない。
0361世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 18:26:52.570
清では、宦官と女官の結婚が普通に行われていた
0362世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 19:06:26.350
>>344
だったら、お前が書けよ(笑)
0363ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/03(日) 19:07:06.460
途中からちょっとマシになってました

なんの話をしようかなぁ
0364世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 19:49:10.850
>>363
まあ、そういえばそうかも

最初のほうは、例によって「漢末〜魏晋南北朝の民族大移動」の話

これが始まると本当にスレが荒れてどうしようもなくなる
0365世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/03(日) 19:59:30.250
>>352
満洲族は纏足は無理矢理規制していただけで受け入れ寸前まで行ってる
0366ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/04(月) 00:00:40.720
>>239>>240>>241

銅山の名前やそこら辺に関する話などもあったのだけど
完全に失念、、、

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kosen/sub/han2.html

○文帝四銖半両銭

    前元五年(前175年)四銖の重さ(2.7g)の半両銭を鋳工させます。
    文帝四銖半両銭は、民間での鋳工を許可し、申告納税方式を採用した為、各地で鋳工が行われ、
   特に「呉王び」と「ケ通」による大量鋳銭により、短期間で切り替えられていきました。

    ・呉王び(劉び):漢皇族の一人。呉王に封じられていた。
              塩の専売と大量鋳銭により富を蓄え、文帝死後反乱を起す。(呉楚七国の乱)

    ・ケ通     :文帝の寵臣で銅山を賜り、大量鋳銭を行った。文帝死後、全て没収された。

     ※両者の財産は、当時の皇帝よりも莫大であったと伝えらている。

    文帝四銖半両銭は、厳格な製作基準を定めただけではなく、違反した場合の処罰を明記した上で
   民間に許可した事もあり、均一化された半両銭が流通する様になりました。また、それまでに流通
   していた半両銭も、基準に満たない半両銭は流通を禁止されました。

    ※文帝四銖半両銭は、4枚で16銖(10.75g)以上の重量である事と、半両銭の銅質についても
     厳しい条件を課しました。
     当時、密告制度や相互監視制度により違反者を摘発し、違反した場合は、違反した者だけでは
     なく、周辺の人々も罪に問われるなど、厳しいものでした。しかし、違反者は後を絶たず、
     刑罰がより厳しいものに変化させていきます。
     (当初は刺青、強制労働等の罪でしたが、その後死罪に変更されました。)
0367世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 00:13:24.760
呉楚七国の乱の盛り上がりは異常

これほどスケールの大きい大乱にしては、なんで注目度がイマイチなんだろうな?
0368世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 00:53:05.310
>>367
単なる劉氏の内輪もめに見えてしまうからじゃないかな。

でも、秦による天下統一から呉楚七国の乱に至る「振幅」って非常に面白いよね。
完全に陝西(関中盆地)と陝東(華北平原+揚子江流域)の抗争の歴史という枠組みで語れる。

秦による六国征服:陝西による陝東の征服
秦末内乱:陝東による陝西支配体制の転覆
楚漢戦争:陝西による陝東の征服
呉楚七国の乱:陝東による陝西支配体制への反抗
前漢の終焉から新を経て後漢へ:陝西支配体制の終焉と陝東を中心とする豪族連合政権へ
0369世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 18:36:36.800
>>367
結果として反乱は鎮圧され、かえって漢朝の基盤が固まった

この結果が面白くないんじゃないかな?

安史の乱みたいに唐が崩壊するとか、靖難の変みたいに南京の朝廷が引っくり返されるとか、そういう刺激的な結果だったら、もっと良かった
0370ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/04(月) 19:10:38.420
>>366
お金ヤバイ、、、


@秦の統一とともに貨幣が統一される
→各国から大量の武具が押収され
 官営鋳造所で鋳なおされ大量の金属貨幣が供給される基盤となる

A私設の鋳造が許可され、反乱軍の財政的なバックボーンとして機能する。

B後漢になると金属貨幣をベースにした経済は衰退
布帛が幅をきかすようになる

C董卓さんの中の人が小銭欲しさに銅銭に止めを刺す
0371世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 19:16:24.550
>>370
>>B後漢になると金属貨幣をベースにした経済は衰退
>>布帛が幅をきかすようになる

前漢代には農民でも人頭税が銅銭納税だったので収穫物を換金する必要があったんだよな。

結局、古代的な郷里共同体の成員が豪族の成長によって浸食されて豪族の隷属民に落ちていったことで
貨幣経済の基盤が掘り崩された、という事なのかな。
0372ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/04(月) 19:32:53.940
>>371
普通に生活してるだけでも
お金が大量流出しちゃったらしいです、、、

あと派手にお金使う人ほど名君とされる法則でもあるんですかねぇ
0373世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 19:40:05.630
>>372
そりゃあ、おカネを派手に使うほど景気が良くなって民間が喜ぶのは、今も昔も変わらない

財政破綻と、後世に残すツケが問題
0374世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/05(火) 23:00:06.710
漢代の民衆には、竪穴式住居に住み、土器や青銅器で暮らす人も多かった

まだまだ、原始人と文明人が混在していた時代
0375世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 00:04:46.080
鉄製農具なら春秋時代から普及してるし「竪穴式住居」と言うのも多分君が連想してるのとは別物だと思うぞ
そもそも前漢代まで都市国家の延長線上で古代ギリシャと同様ほとんどの住人は「里巷」とよばれる城壁で囲まれた都市に住んでおり
散村みたいなのはほとんどなかった
0376世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 00:13:37.310
>>375
「豪族」っていう新興勢力が勃興してくることで、都市国家ベースの社会が崩れて、
豪族の隷属民に墜ちていく民衆が増えてくるんだよね。

その結果、豪族の荘園に居住する荘民が農民庶民の普通の姿になっていく。

その結果としての豪族連合政権である後漢の成立。
0377世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 00:14:03.890
>>375
弥生時代の日本みたいな住居をイメージしておけば間違いない
0378世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 00:21:09.130
古墳時代の庶民の竪穴式住居が榛名山の火山噴火で降り注いだ軽石で埋もれたやつが
群馬県の黒井峰遺跡から出てるんだが、
多くの書籍の「竪穴式住居」のイメージからかけ離れているのな。

地面への掘り込みは人の背丈ぐらいに深くやってるし、
その上に載っている屋根も、草ぶき露出じゃなくて
壁土で頑丈に塗りこめられている。

かなり防寒性のある優秀な住居だよ。
0379世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 00:53:25.560
あの時代、寒かったのかね。いわゆる北方系の住居だ。
しかしそのあと、平安期になると、少なくとも貴族の家は南方系というべきシロモノに変化している。
「夏を旨とすべし」というやつだ。
その後の小氷期でもそれは変わらなかった。ちょっと不思議。
0380世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 00:58:29.710
>>379
黒井峰遺跡は、まぁ、からっ風の吹く北関東の上州だし、
平安貴族の寝殿造邸宅が建っていたのは夏が地獄の蒸し暑さの京都盆地だし・・・
0381世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 01:06:50.690
あと、弥生時代の「高床式」の建造物が、「高床式倉庫」なのか「高床式住居」なのか、
検証が難しくて、かなりの「高床式住居」が「高床式倉庫」としてカウントされてしまっている
可能性も考慮すべきかもしれないな。
0382世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 01:10:12.480
さらにちょっと付け加えると、
歴史時代の伝統的日本民家ってやつなんだが、
高床式の床敷きの建築と、土間建築を大黒柱のところで接合した構造になっている。
多分、床敷きの部分は高床式住居の系譜をひいていて、
土間の部分は竪穴式住居>平屋住居の系譜をひいている。
両者が接合前の時代には、ひとつの家族が同時に建設されている二棟の別構造の
民家を同時使用していて、季節によって住み替えた可能性もあるんじゃなかろうか。
0383世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 18:38:13.550
漢の文明を異様に高く評価してる人たちってのは、一度、博物館で当時の遺物を見てきたらどうなんだろな?

結構、原始人っぽいよ。

もちろん、全部がそうじゃないんだが。
0384世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 19:28:52.060
前漢代の豪農の家
https://archive.archaeology.org/1101/departments/artifact.html
https://www.pinterest.jp/pin/434315957799792584/
https://www.turbosquid.com/3d-models/ancient-chinese-house-3d-max/1027763

前漢代の庶民の家
https://www.1stdibs.com/furniture/asian-art-furniture/more-asian-art-furniture/han-dynasty-pottery-model-house/id-f_788567/
https://www.granger.com/results.asp?inline=true&;image=0078285&wwwflag=4&itemx=35&screenwidth=1920
https://wildfiregames.com/forum/index.php?/topic/18742-rote-task-storehouse-c%C4%81ng-f%C3%A1ng-han-dynasty/

後漢の洛陽
http://i.imgur.com/53gIhwc.jpg&;key=f9b904b3d17a58e000fc3ebb5d978ba507a0449d1f0e7b8c2dbd857861206398
0385世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 19:44:51.650
当時の農民の暮らし
https://blog.artron.net/space-957263-do-blog-id-1176568.html

漢代は高層建築を建てることが富裕層の間で流行っていたようで画像石を見ると後代では見られないような奇妙な造形が目立つ
http://www.twoeggz.com/news/9143772.html
https://detail.youzan.com/show/goods?alias=360dsdgwa3aps
http://www.guoxue.com/?p=23672

これは台榭といってまず凄く高い土壇を築きその周囲に廻廊状に屋根を巡らしているらしい
0386世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 19:54:21.510
前漢代の金貨
https://en.wikipedia.org/wiki/Han_dynasty#/media/File:%E9%87%91%E9%A5%BC_%E6%B5%B7%E6%98%8F%E4%BE%AF%E5%9B%BD%E9%81%97%E5%9D%80.JPG

https://en.wikipedia.org/wiki/Han_dynasty#/media/File:Warring_States_or_Western_Han_crossbow.jpg
脱穀具
https://en.wikipedia.org/wiki/Han_dynasty#/media/File:Winnowing_machine_and_tilt_hammer.JPG
地震計
https://en.wikipedia.org/wiki/Han_dynasty#/media/File:EastHanSeismograph.JPG
宴会の様子
https://en.wikipedia.org/wiki/Han_dynasty#/media/File:Mural_Painting_of_a_Banquet_Scene_from_the_Han_Dynasty_Tomb_of_Ta-hu-t%27ing.jpg
0387世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 20:33:49.540
>>384
人によって感性は違うと思うけど、漢代のものは原始人っぽい
0388世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 22:09:53.460
>>387
漢代の庶民レベルの生活具の「素朴さ」ってのは、「原始人っぽい」のとはちょっと違うと思う。

これは、庶民の生活を支える生活具が「商業生産」されていない、ということを意味してるんじゃないかな。

つまり、都市エリートの生活は十分商業化され、そこに商品を供給する工業も発生しているが、
庶民の生活は十分貨幣経済化されておらず、生活に必要な物資の供給は商工業に依存していなくて、
前漢の段階では郷里制の共同体に属する職人、後漢の段階では豪族の荘園に属する職人が製造していた。

商工業の市場原理にさらされていたわけではないので、
商品としての洗練は見られない素朴な生活具を庶民は用いていたのであって、
それは決して「原始的」な生活というわけではなかったと思うんだが。
0389世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/06(水) 22:13:48.080
>>388承前

そういう意味で、庶民の生活具が十分に「商工業化」されて
市場原理での洗練の洗礼を十分に浴するようになるのは、
事実上、宋代になるんじゃないか?
0390世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 00:22:08.890
>>387
これで原始人なら、奈良時代の日本でさえ類人猿みたいなものじゃね?
0391ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/07(木) 00:40:43.930
>>370

Aの時点では、銅銭による通貨発行益が得られていたのは明らか

そしてこの後、武帝さんの中の人が
信用貨幣の発行に踏み切るが挫折。
その後も数度の試みられるがいずれも失敗

王莽さんは金本位制を導入することでマネー供給量の増大を図るも
結局のとこ額面価値と金属価値の切り離しはできなかったため
市場へ供給されるマネーを増大させることに失敗した
0392世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 00:46:13.930
奈良時代どころか江戸時代中期ですらこの水準に達していたか怪しいレベルだぞ
0393世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 01:07:47.210
>>389
上流階級と都市という領域から、農村部まで貨幣経済と生活水準の平準化が進むのは、多分宋代だろうね

>>392
江戸中期の「東北と山間部を除く」日本の農村部は商品経済の発達に組み込まれ、生活水準も古代とは比較にならんぞ
「東北と山間部は除く」がな(2度目)
0394ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/07(木) 01:17:02.350
>>389
ふむぅ、、、

墟市
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%9F%E5%B8%82

墟市(きょし)とは、草市(そうし)とも呼ばれ、晩唐以後の中国において、
地方の人口密集地や交通の要所に形成された小規模な定期市の事。
この動きの中心であった江南地域では主として「墟市」と呼ばれる事が多く、他の地域では「草市」などの様々な呼称があった。

律令制(あるいはそれ以前の)中国の市場は、
国家権力が認めた一定の区画(市)以外での商業活動は厳しく禁じられて、
国家による強い規制を受けていた(中国より商業に寛容であったと言われている日本においても、
平城京や平安京の東西両市もこのような思想の元に設置されている)。

ところが、晩唐期になると国内の秩序は崩壊して律令制も破綻をきたすようになった。
そのような中で生産力の高まりとともに余剰物資を生活必需品と交換するために
人口の密集地域や交通の要所において自然的に発生したのが墟市(草市)であった。

「墟市」という名前のように月に数回あるいは何日かに一度の割合で市が開催されるものの、
それ以外の日には文字通りの廃墟も同然の状態になったといわれている(なお、今日の中国においてもこうした形式の市場を「墟市」と呼ぶ場所もある)。
だが、後年には開催間隔が短縮され、中には恒常的に営業される市場も現れて小規模な都市に発展する場合もあった。

これに目をつけた有力な地主や商人の中には環境を整備して墟市(草市)を誘致して地代を得ようとする者もいた。
また、国家や地方権力の中には墟市(草市)の支配を目的として、墟市の安全確保を名目に鎮を設置する例も現れるようになる。
また、逆に取引の安全の確保のために逆に鎮に市が形成される事もあり、これらの鎮と結びついた市を鎮市(ちんし)と称した。
他にも有力な寺院の門前に開かれた廟市(びょうし)が開かれる事があったが、
一般的な墟市(草市)が生活必需品を主として扱っていたのに対して、
広くその名が知れ渡っている寺院の廟市には遠方からも商人が訪れて遠距離貿易・中継貿易の拠点となるケースが多かった。
0395ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/03/07(木) 01:29:01.950
>>393>>391

ふむぅ、、、
なんで塩は後々までこういうのなかったんだろう

交子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E5%AD%90

交子(こうし)とは中国北宋代に四川地方で発行された紙幣。世界史上初の紙幣とされる。

概要

宋より前、唐代に堰坊という物があり、ここでは銭・金銀・布帛などを預かり、預り手形を発行していた。
この手形は他の地域において現物と同じ価値を持って支払いに使用することが出来、流通していた。
この堰坊は後に堕落して無頼者の集まる賭博場のごときものとなったが、
この手形発行の方式はここから広まって全国的な広がりを見せて、
交子・会子・関子などの手形が発行されており、交子の発行所は交子鋪と呼ばれた。

五代十国時代に於いては全中国的に商業活動が活発化しており、
主要な貨幣である銅銭の需要は非常に高かった。
しかし四川地方では銅の産出量が少なく、
需要を満たせなかったので当時四川を支配していた前蜀および後蜀政権では産出量の多かった鉄を使用して鉄銭を発行していた。
宋朝に代わった後も全国的に銅不足の状態が続き、
しかも西方に西夏などの新興の非漢民族政権が成立して四川がその勢力圏に近接するようになったため、
四川では引き続いて鉄銭の使用が強制された。
0396ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/03/07(木) 01:49:12.490
>>391
この時点でも布帛が活躍とありました
恒常的に通貨が不足してたのかなぁ
ローマとの差はどんな感じなんじゃろうか


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
均輸法きんゆほう

https://kotobank.jp/word/%E5%9D%87%E8%BC%B8%E6%B3%95-54546

中国、前漢の武帝時代の経済財政政策。
財貨の円滑な流通を目的とし、桑弘羊(そうこうよう)の立案と指導により、
紀元前115年から部分的に施行され、前110年から全面実施となった。

地方の郡県に均輸官を置き、中央には大司農(だいしのう)に均輸令を長官とする均輸があった。
商品価値のある地方の特産物を賦税にかえて納入させ、
国家はこれを他の地方に転売して物価の調整を実現し、
その利益は国庫の収入となる制度という理解が古典的解釈である。

しかしこの解釈には疑問もあって、均輸法の機能を尽くしているとはいえない。
均輸には賦税の運輸の負担を均平にする意味があったと考えられ、
また均輸法の実際の運営では布帛(ふはく)の強制的賦課とその均輸官への大量の集積があった事実が認められ、
制度の機能と運営の実体については不明の点が多い。[影山 剛]
0397世界@名無史さん
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2019/03/07(木) 01:58:41.520
>>396
ローマとの違いだけど、以前読んだ経済史の論文でこういうのがあった。

モンゴル時代より前、
中国を中心とした東ユーラシアでは銅銭ベースの少額決済システムは発達していたが、
高額決済システムが欠けていた。
しかし、
ヨーロッパやイスラーム圏といった西ユーラシアでは金貨・銀貨ベースの高額決済システムは発達していたが、
少額決済システムが未熟だった。

モンゴル帝国の経済政策とは、この両者の結合、つまり高額決済手段と少額決済手段が両方完備したシステム構築であった。
0398ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/03/07(木) 02:07:34.880
>>370>>391


すばらしく簡潔です
https://rekishinosekai.hatenablog.com/?page=1485375327

前漢・武帝J:運河 漕運/灌漑/治水
前漢・武帝I:算緡令・告緡令/均輸法・平準法/桑弘羊
前漢・武帝H:塩鉄専売/五銖銭と貨幣の中央政府独占発行
前漢・武帝G:第二期対匈奴攻戦
前漢・武帝F: 西域支配
0399世界@名無史さん
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2019/03/07(木) 02:07:45.320
>>390
弥生時代の日本の住居も、瓦を使ってないことを除けば、別に変わらんぞ?
0400世界@名無史さん
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2019/03/07(木) 02:10:18.710
ロシア語で金銭のことをジェニギと言うけど、モンゴル経由で入ってきた中国語の「銭」が語源だそうで。

ロシア語にはモンゴル起源の語彙はけっこう多い。モンゴルでは勅書を意味したヤルルィクも現代ロシア語に残ってる。意味は「小包の荷札」まで零落してるけどw
0401世界@名無史さん
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2019/03/07(木) 02:15:01.290
>>399
壁や柱と梁といった建築力学的な基礎技術からまるで違うわけだが……
0402世界@名無史さん
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2019/03/07(木) 02:21:24.040
古代ローマ軍の兵士たちの給料は共和制期から帝政期全般においては金貨や銀貨で支払われてきました。

しかし社会混乱と悪質な造幣により貨幣価値が暴落した西ローマ末期の時代には一時的に塩で支払われていた時期があるといわれています。

当時の人にとっても貴重な必需品だったため、塩でお給料を払うという行為が成立していたのです。

古代ギリシア人も、奴隷を買う際に塩で支払ったとされています。

奴隷の価値は同じ重さの塩と同等だったそうです。

人間の命と同じように扱われるほど、古代では貴重品だったことがわかります。(人間の命が軽く扱われていたともいえますが)


日本でも塩は物々交換にもつかわれてきました。塩を米や穀物と交換していたのです。



中国では、塩に重税をかけていた時代もありました。広い国土の割に塩の産地が少なかったために、国を支えるために重要な財源となっていました。

サラリーマンのサラリーはラテン語の「salarium」を語源にしているといわれています。

これは塩を購入するための手当てや、塩田や塩の輸送ルートを守ったりさせるための現金報酬を意味しています。
0403世界@名無史さん
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2019/03/07(木) 02:25:31.610
>>401
今でも、内陸部の農村なんか、原始人みたいな生活しているぞ?
0404ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/03/07(木) 02:26:55.630
>>397
アテナイ市民がどっぷり首まで浸かっていたというのは聞いておりましたが
ポンペイさんの中の人もどっぷりでございました、、、


http://www.vdgatta.com/note_coin.html

古代ローマの貨幣について考えてみたいと思います。貨幣価値については、意見がさまざまあると思いますが、
河島の感覚で、2007年現在の日本の貨幣価値に置き換えます。
 また、ローマにおける物の値段に関して、少しずつ情報を増やしていきたいと思います。
ローマ人の生活や経済活動などを垣間見ることができればと考えています。
 参考文献は一番下に掲載してあります。


ポンペイのある家族の場合

あるポンペイの家の5日間の買い物、特に指定の無い単位はアス
ポンペイが噴火によって壊滅したのは79年

古山『西洋古代資料集』 p.166: CIL(Corpus Inscriptionum Latinarum) IV 5380
計15アス 6日  チーズ 1、パン 8、オリーブ油 3、ぶどう酒 3  
計23アス 7日  パン 8、オリーブ油 5、玉ねぎ 5、1杯分 1、奴隷用のパン 2、ぶどう酒 2
計15アス 8日  パン 8、奴隷用のパン 4、カラス麦 3   
計28アス 9日  勝利のためのぶどう酒 1デーナーリウス(16アス)、パン 8、チーズ 2、ぶどう酒 2 
計59アス 10日  …1デーナーリウス、パン 2、女性のためのパン 8、小麦1デーナーリウス、きゅうり 1、ナツメヤシの実 1
 乳香 1、チーズ 2、ソーセージ 1、やわらかいチーズ 4、オリーブ油 7 
0405ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/07(木) 02:34:07.840
>>400
ドラゴンボールも「ゼニー」でしたが
これもモンゴル経由ですかね、、、

勅書が「小包の荷札」となったのはなんでなんだろ
もしかしてハンコもらうからなのかww
0406世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 02:51:41.260
日本語の「ゼニ」とロシア語の「ジェニギ」の語源が同じだとは言われているな

あまり指摘する人がいないけど
0407世界@名無史さん
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2019/03/07(木) 08:08:49.530
>>403
中国は2016年に未電化人口ゼロを達成してるんだけど、君の脳内の原始人って電化製品使ってるの?w
0408世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 09:45:53.280
>>406
両方とも、漢語の「銭」が語源なんだろうね。

案外、漢字の「訓読み」に採用されている「やまとことば」の語彙に、
漢字とセットではない口語で入ってきた漢語起源の語は多いように思える。

有名なのが「うま=馬」と「うめ=梅」だが、今ちょっと思い出せないが怪しいのがかなりいっぱいある。
0409世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 09:52:15.450
>>397に追記だが
少額決済システムの未整備だったモンゴル帝国以前の西ユーラシアでは、
金貨銀貨を使うまでもない少額の小売り取引では、
それこそ布や塩などの現物との物々交換が主に行われていたんだと。

つまり、金貨銀貨の信用暴落していない貨幣が有効に機能している時代でも、
少額小売り取引で布や塩などの交換財が不可欠だったようなんだな。
0410世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 10:02:36.850
>>405
変化の順序としては
1.ハーンの勅書
2.ハーンの意思をうけた国庫からの支給命令書
3.荷札
らしい。

2→3はまあわかりやすいとして、1から2の特殊な意味への変化は何か特殊な事情でもあったのかな?
0411世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 10:21:46.050
>>409
まあ、金貨銀貨の場合は、貴金属としての価値が裏付けになっているからな

政府の信用が暴落しても、溶かして地金にすればいいだけ

金と元の朝廷が紙幣を乱発した反動で、明では銀貨が好まれた
0412世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 10:53:40.920
>>411
明朝の銀貨ってのは、大元ウルスの反動ってわけでもないんだよな。

そもそも、大元ウルスを北方に追い払ったばかりの明朝前半期の時代というのは、
銀本位制を敷いていた大元ウルスにおいて経済規模に対する銀の不足で起きた経済大混乱の危機対応時代。
むしろ、紙幣と布などの現物決済が優先されて貨幣経済としては後退した時期。

この経済混乱期を脱して、日本やスペインから流入した銀で大元ウルス時代の銀決済が民間主導で復活し、
朝廷も民間の追認で銀決済に移行していったのは、明朝後半の現象。
0414ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/07(木) 21:03:51.390
>>410

1と2のでちらにも
ハーンコが押してあったことは
想像に硬くないですね


>>408
銭がセントと同じ語源なんじゃないかと
怪しんでおります
0415ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/07(木) 21:14:19.030
>>402>>395>>391

塩はおいらの知る限りで塩はモンゴルからですね。
エジプトはさっさと小麦でやってるし
やっぱイノベーション的なものなんすかね
現在に繋がるやつもゴールドスミスの奴ですから
0416ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/03/07(木) 21:37:57.700
>>372
まぁ、銀が決済通貨に使われてる国と貿易したら
そうそうに銀が流出したことは
用意に想像がつきますなぁ

王莽さんはどうすれば良かったんだろうか、、、
重商主義というのはやっぱ必要なのか、どうなのか
0417世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 22:14:23.530
>>416
もう、前漢の帝国性を支えていた在地の社会システムは雲散霧消している時代だし、
豪族の荘園システムはもうとても潰せる状態ではないし…

いずれは後漢的な豪族連合政権に移行せざるを得ない時代には来てたんだろう。
0419世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/08(金) 12:18:16.940
>ウムウムさん
なんでいつも自己レスにレスつけているの?
0420ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2019/03/08(金) 22:49:24.880
>>419
多数決合議性の自己学習人工無能なので
自分と会話していますね
0421ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/08(金) 22:54:01.340
>>370

白登山の戦い(はくとさんのたたかい)は、
紀元前200年に行われた匈奴と漢の戦いである。
白登の囲みともいう。

この結果、70年ぐらい匈奴への歳幣が続く

その後、武帝さんの中の人が出て
西域経営を始めるのだが
その前後でどっちの方がお金が流出したのだろうか、、、
0422世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 02:19:27.920
>>421
関市ではしばしば遊牧民に超絶不利なレートで生活必需品の取引をしてるので
遊牧民に払った金を漢人側が盛大にボッて回収してる
匈奴側もそれを見越して歳幣を貰ってる感あり
プラマイで言うと多分微赤くらいなんじゃないかと推測してる

西域経営は大赤+人的資源の大喪失を起こしてるんで
負けるが勝ち状態じゃねーかなーとか思う、確証ないけどな
0423ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/09(土) 05:21:11.170
>>422
政府の営業成績的には
西域経営は大赤字だったでしょうが

中華の富は
増えたんだろうか
減ったんだろうか

そんでもってお金が無くなったのは
始める前と後でどっちなんだろうか
0424世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:12:46.400
>>423
まあ、交易が活発化した隋唐ならともかく、武帝の頃は、良馬の確保が大きな目的だったわけだし
0425世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:23:51.330
自動車やオートバイが生えてくる場所だったのか
三河や遠江地域をめぐる争奪戦のようなものかな
0426世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:25:49.610
>>423
中華世界の銅銭貨幣は中華の外ではほとんど通用しないので、貨幣としての外への流出はないと思う。

確か歴代王朝での銅銭不足のひとつの原因として、銅銭として設定されている価値より、
青銅製の器具に鋳なおした物品の価値が高いために、
民間で銅銭をどんどん鋳つぶして道具に鋳なおしてしまう、という問題があったはず。
0427世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:26:48.230
古代だからな

馬の調教技術は、当時としてはハイテクの領域
0428世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:34:05.710
>>426
宋銭は、日本を含むアジア各地で広範に流通していた
0429世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:39:48.730
>>428
あ、言い直すわ。
戦国〜秦漢帝国の時代の銅銭ね。
一応王莽の新の貨幣が弥生時代の日本に来ていた例はあるけど、当時はまだ中華の隣接世界で
貨幣経済が目覚めていない。
0430世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:39:59.660
>>426
そこでいう中華世界とは、どこまでを指すんだ?
旧ビルマ、インドネシアあたりを含む東南アジアや、日本も含む中華帝国外の国々への銭の流出が問題になったのは
宋・明時代だけの話じゃないんだが

そこまでが中華世界だってんなら、まあその通りだが
0431世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 09:49:48.150
>>428 >>430
おまえスレタイ読めないのかよ
0432世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 10:01:23.850
いや、でもやっぱり俺の表現が舌足らずだったわ。
スレタイ別にして、時代限定宣言すべきだった。

でも、本格的に中華王朝版図の隣接地域が貨幣経済に突入して
中華銅銭受け入れるようになるのっていつからなんだろう。

日本の場合は真の意味で浸透するのは日宋貿易も後期以降だとわかるんだが。
0433世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 19:04:12.560
>>429
中央アジアやモンゴルは勿論インドも未だ貨幣経済に入るかどうかの時期だからねw
>>426
額面に対する金属としての価値+銅銭の鋳造コストが75%前後
0434ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/09(土) 22:11:04.910
>>426>>433

おいらが知ってるのは
盗鋳が横行していたことなので
通貨発行益は十分あったはずということですね

あとは売官制度が流行る時代になると
金持ちの中の人の家に銭が死蔵されて
通貨としての流通が減って
もっぱら富の蓄積としての役割が増しちゃったはずです
0435世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/09(土) 22:43:15.620
>>426
ねーよ
貨幣は金属の値段+政府信用+政策的調整で価値は地金より高く設定されてるわ
歴代王朝共通の政策だぞ

何のために私鋳銭作って儲ける犯罪者とそれを取り締まる官僚が設定されてるのか知らんのか?
0436世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 01:40:09.560
>>435
東アジアの銭貨はそういうものじゃないよ。
政府の信用とはほとんど関係なく、地金の価値とも最低限しか連動しない。
今で言えば仮想通貨のあり方に近い。
王朝が銭を発行した目的は民間の便宜を図る面が強くて発行益は限られていたから、
私鋳が厳しく取り締まられることも少なかった。
0437世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 01:50:34.480
>>436
えっと悪いんだが出典聞いていいか?
何か言ってることおかしくねぇか?
0438世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 02:19:14.450
>>437
おかしいというのはその通りで、東アジアの銭は西洋的な常識では理解しがたいところがある。
流通するから流通する、交換手段が必要だから流通する。
地域ごとに流通に関する謎のローカルルールが発達する。
金銀との相場は短期的な決済需要に大きく左右されて季節変動が激しい。
いろんな本に出てくる話。
0439世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 07:27:08.520
日本では、わりと宋銭を潰して銅にするのが盛んだった

明の時代になっても、日本人は宋銭を要求することがあった

宋銭のほうが良貨だから
0440世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 07:28:41.570
宋銭は、日本を含む東アジア各地で流通していたが、現代の米ドルと同じような意味で「基軸通貨」だったわけではない

それぞれの国のローカルルールで勝手に使われていた
0441世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 08:10:33.430
>>438
王朝の権力の及ぶ領域の外はともかく内部ではちゃんとやってて
その統制が取れなくなると塩鉄の密売と銭の私鋳で経済が滅茶苦茶になって崩壊

って毎度のパターンだから言ってる事おかしいって話
0442世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 08:35:17.590
毎度のパターンじゃ無いからな
鉄の専売なんて春秋〜前漢までしかやってない
銭の私鋳も南北朝まで、明の悪銭は地方政府の鋳銭した粗悪品
0443世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 11:42:52.220
>>441
清の全盛期ですら私鋳は後を絶たなかった。それも先進地帯の方がひどい。
逆に辺境では兵士の給料を通じて制銭が豊富に供給されたおかげで私鋳銭は少なかった。
銭の流通が混乱したのは銭不足の時期で、
いったん不足が始まると良銭は退蔵されて悪銭ばかりが流通するようになる。
0445世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 13:24:00.370
>>439
いやいや日本は銅を輸出して宋銭を買ってたのに
それをまた元の銅に戻すとか意味不明だぞ
0446世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 14:16:54.430
>>445
日宋貿易、日元貿易の時代にはまだ銅の輸出は本格的に始まってない。
この時代の主要な輸出産品は硫黄と木材。
銅が本格的に輸出されるようになるのは日明貿易からだね。

輸入宋銭が大量に鋳つぶされた好例が鎌倉の大仏だよ。
0447世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 14:31:40.980
鎌倉時代だと未だ自給自足物々交換の時代だし青銅器も使われて無いからな
0448世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 14:40:23.320
日宋貿易で徐々に入り始めて通貨としての流通が始まった宋銭が日元貿易で
一気に大量流入して日本列島が本格的に貨幣経済に入るのが鎌倉時代後期な。

荘園公領制の秩序外でまわる経済が増大してきて、そういうのを背景に
反幕府的な活動をする武装組織(いわゆる悪党)が活発になってくる時代だ。

貨幣の流通とともに庶民が蓄財してそれを元手に荘園や国衙領の支配を抜けて
一揆結合に基づく村とか町を結成し始めるのも重要な動きとなる。
0449ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/10(日) 16:02:03.280
後漢時代はあんまり印象ないと思ったので
ウィキペディア先生を見ていたら
たしかに科学技術の発達が著しかったです

なにか時代背景的みたいなのあるのかなぁ
紙の発明ぐらいしか説明できる要素を思いつかないですね
0450世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 16:10:48.640
>>449
後漢時代というと、新石器時代以来の邑制社会の根っこにある郷里制の共同体が
豪族の成長に侵食されて解体してしまった時代。

こういう基礎共同体の解体の時代というのは、庶民目線だと互助的な扶助団体を失う事なので
非常にしんどい時代なんだが、別の見方をすると、共同体の縛りから社会が解放されて
ある種の「自由競争」が到来した時代ともみなすことができる。

豪族、というのも見方を変えると、「自由競争時代」の新進の起業家群とも見ることができるわけで、
こうした豪族の経営組織の中で新規技術が次々に生まれた可能性がある。
0451ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/10(日) 16:56:29.470
>>450
かといって在野の人材が
地方で活躍する感じでもないんですよね

なんか中央にひっぱってくる仕組みみたいなのあったんだろうか、、、
あとは儒教との関係性も気になりますね
0452世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 16:58:44.190
>>450
国衙料も荘園も残忍酷薄な重税労役に堪えかねた百姓に由る
仏教寺院への亡命や寄進、暴力団の横領が広い地域で進行したものの、一揆惣村は地域的に限られた現象
0453世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 17:19:57.400
>>452
むしろ、日本の国衙領や荘園ってのが、暴力団的な「富豪之輩」と呼ばれる新興経営者による
在地社会の実効支配を追認したシステムだよ。

で、国衙領や荘園(後期荘園)による「荘園公領制」というのが成長したのは10〜11世紀。

それに支配された民が貨幣経済を背景に蓄財して「村」や「町(ちょう)」を形成し始めるのは
14世紀末で、全然時代が違う。

だから、鎌倉〜室町初期の武家の所領は国衙領の郡・郷・保や荘園単位だが、
戦国期にそういう所領の単位がどんどん崩れていって、最終的に織豊期〜江戸期には
武家の所領が全部、村・町単位に変貌してしまう。
0454世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 17:53:03.610
国津神系の地方領主層が天皇朝廷に粛清され滅ぼされ尽くしたのが8〜9世紀で
新興の貴種暴力団が代わって農奴制支配を広げたのが9〜11世紀
それ等の暴政に因る餓死者が続出して百姓が寺院へ駆け込む時代が10〜13世紀
惣村は畿内近縁に限定的な現象、武家が多少まともに成っていくのも室町時代
0455世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 17:56:27.590
後漢は、明の後期と並んで、人口が増えた時代のひとつだろう

もちろん、18世紀以降は別扱いで
0456世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 18:12:32.470
>>454
そもそも、日本の9世紀までの地方の有力者層は伝統的な共同体からの規制を大きく受けている首長層で、
いわゆる封建的な意味での領主ではない。

それに、武力的に粛清されるどころか、律令制の運用そのものが彼ら地方の首長制共同体に深く依存していた。
例えば、地方に派遣される令制国の国司は、これら地方首長にあいさつ回りをして戸籍を取りまとめてもらったり、
徴税の実務なんかも彼らに丸投げ。

彼らの没落要因は、かなり複雑な共倒れ現象で、私の見たところ、歴史学的にも十分解明されたとはいいがたい状態。

10世紀に地方首長層が没落するのに合わせて台頭した「富豪之輩」にしても、貴種もいれば在地の富裕層から
成長した者もいて、きわめて多様な出自から成長している。

惣村としての組織がしっかりしたものが先進的に発達したのは確かに畿内近国だが、東国や九州でも「村」は
形成されている。
0457世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 18:16:11.430
>>451
日本の場合、中央政権を構成する集団に出自する者がどんどの地方に拡散して土着していって
地方の有力者から中央に登用されるってのが稀なんだけど、

中国の場合、地方で有力者になった者が中央に吸い取られて中央政権の構成要素に組み込まれていく、
というパターンが優越している。

後漢の豪族層にしても、中央政権にコミットすることで在地の権力を強固にしている印象がある。
0458世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 19:03:59.530
水滸伝では、梁山泊で旗揚げした無頼漢たちが、アッサリと朝廷に投降して、今度は官軍となって方臘の乱の討伐に向かったりする

日本人にとっては違和感ありまくりの展開だけど、中国人にとっては別におかしくない

地方が中央に組み込まれるプロセスってのは、そんなもんだった
0459世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 19:17:38.340
源氏も平氏も、出自は天皇家

彼らが全国各地、とくに関東で在野の武士となった
0460世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 19:39:15.440
古代中国では、地方の豪族の土地所有のスケールが違ったということだろう

「大陸は広いから」の一言では片付けられない

同じ大帝国でも、西ローマ帝国の地主はトンデモない規模で土地を所有していたが、東ローマ帝国ではそれほどでもなかった
0461世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 21:21:29.840
そりゃギリシアわ丘陵の間間に平坦地が散在してるからね
>>456
共倒れ現象なんかじゃ無く
天皇朝廷が積極的に国津神系地方領主を様々な謀略や戦闘で殺してる
0462世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 22:11:35.430
なんだ、「わ」さんか。

話が通じんわけだ。
0463ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/10(日) 22:14:31.660
>>419
既においらが誰と話しているのか
さっぱりわからんのですが
皆さんのレスは誰と話しているのですか?
0464ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/11(月) 18:34:40.650
>>457>>450

ここで書いてることは
秦〜前漢〜後漢でなぜ後漢時代に
科学技術が発展したかを
説明してないような気がするんですよね

共同体が崩壊すると自由競争が起きる
というのもピンとこないです
0465世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/11(月) 21:03:25.990
>>464
そりゃ因果関係逆だしねぇ

社会の流動性が高まる要因が出来て、共同体が崩壊して行くのならありえるけど
再起にいきなり共同体が崩壊してから流動性が高まる、というのは本来ありえない

外的な攻撃で共同体が崩壊して、みたいなことならまあありえるけど後漢には当てはまらないし
0466世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/12(火) 08:56:29.090
後漢の社会変動は、長期安定で人口が増えたのが根本原因だろう

漢・唐・明・清と、みんな長期王朝の後半で大きな社会変動が起きている
0467世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/12(火) 09:16:26.330
乱世は乱世で、人口減少による社会変動が起きるんだが(笑)
0468世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/12(火) 09:56:48.670
>>467
それ、因果関係が逆の可能性
0469ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/12(火) 20:52:21.840
この時代
道を作った話は聞くのだが
運河はあんまり作らなかったのかな?

おいらが今思いつくのは曹操さんの中の人のやつだけですね
0470世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/12(火) 22:40:17.090
まあ、大運河ってのは基本的に、江南の物資を開封や北京に運ぶためにあるわけだから

秦漢時代は、まだ江南が未開発であり、運河のニーズも低かった
0472世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/13(水) 06:32:43.960
鄭国は、韓が秦の財政を浪費させるために送り込んだスパイだった・・・という伝説は、本当だったか?
0473ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/13(水) 18:55:41.560
>>471>>472
おお、これは
おいらもエピソードだけ聞いたことありますね

先生によりますと
「鄭国渠は古代中国の3大水利施設のひとつ(他は都江堰、霊渠)と呼ばれる[6]。」

このうち霊渠は輸送目的っぽいですな


概要
揚子江の支流・湘江と、広東地方の西江へと流れる漓江を結ぶ運河。
紀元前221年に建造開始、紀元前214年に完成。36の水門で水位を調節するという高度な技術が施された灌漑施設である。
全長33.1キロメートル、西にある漓江と繋がり海まで到達している。南越征服のために始皇帝が築いた。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7e/Lingqu_Canal_map.jpg/957px-Lingqu_Canal_map.jpg
0474ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/13(水) 19:03:15.340
>>473
地図は見てもさっぱりわからんのですが
ここにある説明をみると、だいたいどうなってるのかわかりますね

http://www.geocities.jp/shokatusei/QinShihuang/59.html

  B.C.214年――――――――――――
  始皇帝は、郡守の史 禄に命じて「霊渠」を建設させた。 長江(揚子江)から洞庭湖に入り、
長沙を過ぎて湘 江をさかのぽった地点が霊渠であり、
これを抜けると桂林へ出 て桂江を下り、西江・珠江を通って中国南海岸にまで達する。

  船は北渠から海洋河へ入り、そこで方向を転じて南渠に入る。
湘江のに上流の海洋河は洪水の流勢が強いため、錘嘴と呼 ばれる、石を鋤の形に組み合わせた水制工によって北渠と南渠 に分流させる。
さらに洪水流が南・北渠に乱入して水路を損 壊しないように、大大平・小天平と名づけられた溢水堤を設 け、
湘江の古い河筋に溢水を流すように設計された。

運河部分の長さは約24キロ、水路の幅は約五メートルで、深 さはそれほどなかったが、
32ヵ所の水門で水を塞き 上げて、船が通過できるだけの水位を確保した。

  霊渠の完成によって、始皇帝は兵士ならびに武器・糧秣を自 由に南へ送り込むことができるようになり、
中国南部一帯から さらに現在のベトナム北部までを支配下においた。
0475ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/13(水) 20:22:34.220
>>469

前漢・武帝J:運河 漕運/灌漑/治水
https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/zenkan-butei-keizai3-unga

太田幸男氏*1によれば、武帝の時代に大規模な運河がいくつも作られた。
治水・灌漑・漕運の3つの目的を兼ねたものが多かったとのこと。約3000字。

まずは黄河の地図
漕運
灌漑
治水

前132年 黄河、大氾濫。以後二十数年にわたり修復できず。
前126年 漕渠開通。
前109年 前132年に決壊した場所をようやく修復する。
前95年  白渠開通。
0476ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/13(水) 20:28:16.790
平行運河まっすぐになってますね
勾配は大丈夫だったんでしょうか、、、


>>475

漕運

漕運とは船を使って物資を運搬すること。
前述の太田氏*3によれば、漕運は武帝の時代からいちだんとその必要性が増した。
理由は塩鉄専売と均輸法・平準法の大量の物資輸送の国家事業のためだ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/rekisi2100/20170125/20170125111106.png

長安と山東(?山こうざん以東の地。現在の河南省西武より東の地)を結ぶ輸送はおもに黄河と渭水が利用された。
しかし、急流な黄河を遡ることの困難さとともに、砥柱の険と呼ばれる三門峡付近の難所が漕運を苦しめた。
したがって陸送も併用されることが多かった。

渭水の遡行にも困難が多かったが、南方に渭水と並行する運河の開鑿が鄭当時によって提案され、
武帝が認めて三年間に及ぶ大工事がおこなわれ、前126年に開通した。
漕渠(そうきょ)と呼ばれるこの運河によって、航行期間を半減させることができた。
0477世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 06:37:06.980
現代の黄河は水が涸れかけているが、古代には水量が豊富だったという話だからな
0478世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 08:12:36.450
秦漢の運河は、山東の物資を長安に運ぶためにあるんだな

流れが荒い黄河を補完するものだ
0479ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/14(木) 20:17:57.950
>>469>>470

秦代に嶺南地域と中華が運河で接続し
中華世界の南範囲が拡大

おかげで様でおっぱい姉妹とも会えたということですかね
0480ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/16(土) 07:37:14.780
>>476

塩鉄専売と
均輸法・平準法で
物資輸送はホントに増えたんだろうか、、、
0481世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 07:56:19.940
>>402
奴隷の価値が同じ重さの塩と同等かぁ
面白いね

日本人男性の平均体重が61.7kg
業務用の塩25kgが通販で1200円から3000円
単純計算で奴隷1人が
3000円〜8000円
まあ妥当なとこだなw
0482世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 08:58:02.730
>>481
当時の奴隷は、いまでいう家や車みたいな高額商品
0483ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/16(土) 10:32:32.600
>>481
現代の塩は価値が下がりすぎていて
貨幣として機能は失われてしまってますね
0484世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 11:51:14.720
塩は明清まで価値を政府の重要な収入源だったが、鉄はコモディティ化が早かったな
0485世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 11:53:52.090
黄土は固くて、耕作には鉄製農具が欠かせなかった

漢の政府は鉄の専売をやってたから、農民がみんな同じ官製農具を使う人民公社みたいな状態になった
0486ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/16(土) 12:00:27.950
漢の官製農具は品質が悪くて
みんなむっちゃ切れてた
みたいな話を聞いた記憶があります

切れるのか切れないのか、どっちなんだww
0488世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 14:13:42.020
漢以降の王朝時代の中国の専売制には戦国時代に成立したシステムの背景があるみたいだね。

日本の村なんかだと、地域で自給自足的にやっていく上で必要な天然資源を
入会地の里山みたいな形で自治単位ごとに確保して管理してきた。
ところが、中国では都市国家時代の春秋期から領域国家時代の戦国期への変遷の過程で
そういうシステムをぶっ壊してしまったみたい。

つまり、地域の自治単位ごとに持っていたそういう天然資源を採取できる入会地みたいなのを
全部潰させて農地に替えさせてしまった。
そして、中央政府の管理する大規模な「山林叢沢」からの供給に依存させるように
してしまった。

だから、漢族の地域社会には、今でも天然資源の適切な管理の思想が欠けている。
中央政府の力で強力に規制しなければ、植林してもすぐに地域住民が伐採して
燃料にしてしまう。
0489世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 16:05:25.300
>>488
まあ、2010年代に入ってからの話ではあるんだが
中国本土の緑化が予想を上回る規模で進行中、とのアメリカの研究機関のレポートがある
0490世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 16:53:08.040
中国の緑化とは?

森林面積が増えているという中国。まぁ、植林はしています。造林面積は増えているのは事実でしょう。
でも、100年、200年の森作りをしているかと言えばNoです。
見かけだけの、緑化の意味を考えていない森作りが行われています。
人の虚栄心を満たすための緑化です。

雲南省や河南省を初め、岩場や墓場の石に緑のペンキで緑化した話がありました。

中国の現場では、緑化=常緑と理解しています。常に、冬でも緑でないといけないと。

半乾燥地の水条件の厳しいところで常緑針葉樹を植えています。そして常緑針葉樹を維持ずる為に潅漑設備を設置して水やりを行います。
パイプを引いて、川の水をポンプアップしたり、地下水をくみ上げています。
今の経済状況であれば、金さえかければOKということでしょう。でも、私から見れば生命維持装置を付けたままの植林です。

http://www.kikori.org/god/main-17.html
0491世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 16:56:27.710
無意味に杉を植林為捲って土砂崩れや花粉症の元凶を生み出してる日本人が言えた立場じゃ無いな
0492世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 17:23:11.340
>>491
なぜ、そこで日本が出てくる?
0494世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 19:03:51.720
>>482
「塩鉄論」とか読めばわかるが貴族の奴隷>>>>>>>>>>>>>>木端役人>>>>>>>>>>一般庶民だからな
0495世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/16(土) 22:12:15.060
>>494
メソポタミアやエジプト、ペルシア、中国もそうだけど、古代世界の多くの地域では、
奴隷は権力者や富裕層の子飼いの家来。

自前の自治的な社会集団を背景にしていない分、奴隷主に忠誠を誓わねば生きていけないからこそ、
主人にしてみれば裏切りを心配しなくて済む最も信用のおける家来たり得た。

奴隷が生産労働の中枢を担っていた古典古代のギリシアやローマ、中世アッバース朝のザンジュ農場、
近代の北米綿花生産地や中南米サトウキビ生産地が異常。
0496世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/17(日) 08:11:32.340
>>493
まあ、そうだろうな

でも、中国のような宣伝合戦の伝統を持つ国の公式発表を、そのまま鵜呑みにするよりは良い
0497ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/17(日) 08:18:43.080
>>488
「山林叢沢」から税金とる話があったっんでしたっけ
確か武帝さんだったかと思いますが

あと船舶税は取りっぱぐれ無くて良さそうですけど
洋の東西を問わず反発が強いですね
0498世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/17(日) 10:25:30.000
>>497
戦国期の領域国家では「山林叢沢」以外に木材などの天然資源のロクな供給場所が
なくなってしまうみたいで、しかも国家の国力の源泉が「山林叢沢」になるらしいので、
多分、民への天然資源供給を通じて民間の富を吸い上げるなんらかの方策を講じていてのは
間違いないと思う。

木材なんかの専売制があればわかりやすいんだけど。
0499世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/17(日) 10:29:47.830
木材の専売制が労力に全く見合わ無い事位少し考えれば解る
0500ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/17(日) 12:11:03.900
>>497>>498

ちらっと探してるときに
だんだん思い出してきましたが
おいらの当てにならない記憶では

漢の財政には二種類あって
皇室に属するものと
国庫に属するものと
別々の課税源から収入が入るようになってたような
0501世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/17(日) 14:04:25.540
>>500
そうそう。

そして、時代が下るにつれて後者が縮小して前者が拡大の一途をたどるの。
0502世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 07:23:24.330
ということは、皇帝の権力が増大したということか?
0503世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 09:45:15.310
もしかすると、「劉邦と仲間たち」の延長線上の政権集団から
皇帝の権力がいちぬけしていって専制化の道をたどっているのかもね。

それでも後漢期には皇帝の専制権力は有名無実化して「豪族連合政権」になってしまうんだが。
0504世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 10:00:47.920
皇室に属するものと > 内朝
国庫に属するものと> 外朝

だね。ローマ帝国も皇室と国庫がわかれていて、皇室官吏が帝国官僚に発展した。
絶対主義時代のヨーロッパでも王家の家産役人が国家官僚化した。
現安倍政権でも内朝(官房と内閣府)が肥大化し、外朝(官庁)の領域を蚕食している

いつの時代でも普遍的に見られる傾向
0505世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 10:12:45.960
>>504
面白いのは「内朝」の構成。

漢代には皇帝の私的スタッフで内朝が構成されていたことから、それを背景に宦官と外戚の専横と抗争が拡大していく。

これが北方種族の浸透王朝である北朝になると、征服者たる鮮卑の貴族エリート層の合議機関が内朝を構成する。
この場合の「外朝」は漢人実務官僚の事務機関的なポジションになる。

隋唐帝国でも鮮卑武人の中のさらに武川鎮軍閥系の「関隴集団」の合議体制が政権の中枢を占めるわけだが、
今度は皇帝がこの政権担当集団からいちぬけした専制権力を手にしようと漢人科挙官僚を私的スタッフのような形で
抱え込んで、門閥貴族層を排除していこうとする。
0506世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 11:41:44.010
>>505
王朝中期以降に、王家を支えていた特権貴族層と王権が対立を始め、王権がそれらの外の勢力と組んで対抗するって構図は洋の東西を問わずに普遍的に存在するよね
中世欧州における都市と商人、近世フランスや英国のブルジョワジーと王家との癒着とか枚挙に暇がない
0508世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 15:23:20.170
>>507
この「たまねぎ」の構造を腑分けしていくのが、歴史を学ぶ醍醐味。
0509世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 18:12:29.560
>>500
もともと前漢の頃の財政だと皇室財産と国家財政の区分がなかった
だから国中から集められた税は一旦すべて皇帝の懐に入った後に分配されるという方法をとっていた

それを例えば武帝の頃に年少の者が納める人頭税二十銭を皇帝を経由せずすべて軍事費に充てるということにしたり
皇帝のポケットマネーを切り崩す方向に進んでいき徐々に国家財政というものが出来上がっていった
0510世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 18:22:56.340
>>505
まず武川鎮軍閥=鮮卑武人(軍戸のことをさしてるのか?)ってのが先ず間違ってるぞ
例えば宇文泰、独孤信は系で賀抜岳は高車だし、軍閥のトップの爾朱栄も鮮卑じゃない
で関隴集団というもっと広い範囲で見てくると李弼、高昂、趙貴、王雄、李遠、蘇綽、楊愔、祖挺、裴協、
盧弁 、などなど漢人系も相当多い
0511世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 18:57:29.360
>>510
それを言い出したら、13世紀のモンゴル帝国の政権中枢を担った「モンゴル」という軍事集団だって、
純モンゴル部出身者は一部だけで、テュルク系の諸部族だとか漢人軍閥なんかもかなりの規模で組み込まれている。

要するに、拓跋鮮卑部族連合体出身者を中核に結集した軍事集団、という意味だよ。
0512世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 19:15:46.840
だからその武川鎮軍閥が拓跋鮮卑部族ってのまず間違ってる
武川鎮軍閥の立役者の爾朱栄は契胡族で、その軍閥を引き継いで東西に分かれて争った宇文泰と高歓はそれぞれ匈奴と漢人で
鮮卑系はトップについてないわな
関隴集団は士大夫や遊侠の徒などなど雑多な出自の混成集団で武川鎮軍閥以外のものも含まれる

鮮卑族を中心に構成されていた兵戸とか軍人と言われていた層は非鮮卑でも刑罰として編入されたり
あるいは降伏せずに戦死した兵戸の家族が兵戸から解放されたりほぼ戦闘奴隷と言ってもいい連中で決して国の中枢になれるような連中じゃない
特に多いのが軍閥と兵戸層をごっちゃにしてる奴だけどこれって日本史で言うと御家人と所従を武士で一括りにするようなものだぞ
0513ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/19(火) 04:32:32.110
>>504
おいらも内容は帝政ローマを思い出したんですが
ローマは担当属州による
地域で別けてるんじゃないかと思うんですよね

だから課税ベースで分割してるのをみかけたとき
おもしろいと思ったような記憶がございます
0515世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/19(火) 10:13:24.910
そもそも拓跋鮮卑って連合体そのものが鮮卑拓跋氏を軸に匈奴やら様々な出自の
グループを寄せ集めて成立したものだと思うのだが。

だからこそ、東洋の拓跋鮮卑が西洋のサリ系フランク族と好対比で語られるわけで。

ちなみに、サリ系フランク族もローマ軍への奉仕部隊に参加した群小ゲルマン系部族
を軸に、ガロローマン系を含めて様々な出自の戦士の寄せ集まった戦士団が
もとになって成立している。
0516世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/19(火) 13:21:14.680
>>514
それよく目にするけど実際は逆で鮮卑化した漢人だぞ
本貫は渤海高氏で祖父の高謐の代に六鎮送りになったのだからわりと新参
0517世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/19(火) 19:33:15.780
>>513
多くの皇帝領で有名なアフリカ・プロコンスラリス州は元老院属州だね
0518ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/20(水) 02:34:35.390
G番がどこに入ってどう展開したのかイマイチわかりません、、、
ちなみに豪族というのも、よくわかりません

>>238
@秦の郡県制

A藩閥政治?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%BC%A2
高祖は蕭何・韓信らの功臣たちを諸侯王・列侯に封じ、新たに長安城を造営、
秦制を基にした官制の整備などを行い、国家支配の基を築いていった。
しかし高祖は自らの築いた王朝が無事に皇統に継承されるかを考慮し、
反対勢力となり得る可能性のある韓信ら功臣の諸侯王を粛清、
それに代わって自らの親族を諸侯王に付けることで「劉氏にあらざる者は王足るべからず」という体制を構築した。

B前漢の郡国制

>>239>>85
C諸侯王の改易

D皇帝の専制

D王莽さん革命

E後漢の成立

>>339>>505
F宦官と外戚の専横

>>376>>457
G豪族の台頭と豪族連合政権
0519世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 09:18:44.070
>>516
そりゃよく見るだろうけど
だって後の北斉で皇帝になった時に高氏は元々鮮卑で
漢姓を名乗りましたーって記録残してんだから当り前やw
0520世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 19:30:03.200
>>518
それろくすっぽ史料読んでない奴が書いてるぞ
まず長安城を造営したのも秦法にもとづいて官制を整備したのは蕭何の独断専行だし
韓信を粛清したのも呂后と蕭何で劉邦は関与してない
劉邦自身は都城も定めず法もいわゆる法三章を発布しただけで漢帝国の存続とかあまり考えてない
そこまで用意周到な性格だったらまず蕭何が真っ先に粛清されてただろうな

>>519
どこにそんなことが書いてあるんだ?
「北齊書」第一卷 補帝紀第一 神武帝 高歡上
斉の高祖、神武皇帝は姓は高、名は歓、字は賀六渾。渤海蓚県の人なり。六世祖の隠は晋の玄菟太守であり、隠から慶が生まれ、慶からは泰が生まれ,泰からは湖が生まれた。
三代に渡って慕容氏に出仕するも、慕容宝が敗れるに及んで、国乱れ、湖は衆を率いて魏に帰順し右将軍となった。
湖から四子が生じたが、第三子が謐である。魏に仕え侍御史の位に至るも、坐法によって懷朔鎮に移り住んだ。
0521ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/20(水) 19:42:56.420
>>520
蕭何さんはどういう権限で
高祖さんの中の人を通さず
権力を行使したのですか?

そうすると、@Aの間に功臣の専横があったということですね
0522世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 19:49:59.850
高歓は鮮卑化漢人だけど韓信の粛清わどう判断しても劉邦主導
0523世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 20:08:04.970
>>522
お前、そうやって自説を言い張り続ける習性はそろそろなんとかならんの?
0524世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 22:37:45.640
>>521
蕭何の活躍した時代はまだ漢の朝廷というのは「劉邦と仲間たち」の集団指導体制の性格から抜け切れていなくて、
それから何代もかけて皇帝専制が確立していく、という風に見た方がいいんじゃないかな。
0526世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 22:59:11.670
>>523
「わ」の中の人はそっとしておいてください。
0527世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 23:03:48.140
こっちで暴れてるのは「わ」さんなのな。

歴史系のまとめブログ系だと「江戸時代暗黒」さんってのの暴れっぷりが「わ」さん以上にすごい。
0529ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/21(木) 01:30:33.050
>>524
おいら個人の見解としては
集団指導体制はとらなくて権限を分割して
法律関係は蕭何さんに○投げしたんだと思ってますね
0530世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 05:02:47.040
>>524
皇帝専制と言えるのは、武帝のときだけじゃないかな?
0531世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 05:08:22.070
明では、引きこもりの無能皇帝でも、その気になればいつでも大臣を罷免できるほど皇帝は絶対的な存在になった

これは近世の絶対王政なんであって、古代社会ではそんなの無理
0532世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 09:33:59.400
皇帝が好き勝手言えない皇帝周囲の政権担当集団って、
前漢初期は「劉邦の仲間たち」とその子孫で、
後漢になると中央に完了を送り込むだけの実力を持った地方の大豪族、
となってくるんだけど、その間の端境期の状況がよくわからないんだな。
0533世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 09:39:49.060
そもそも、「東洋の専制」ってのはギリシア人の偏見がそのまま古典を通して
西洋人の偏見に繰り越されているんだよな。

古代ギリシア人が専制体制の典型とみなしたアケメネス朝ペルシアでも、
政権コアはペルシア貴族とメディア貴族の集団指導体制で皇帝は好き勝手出来なかったし、
それに先行するアッシリア帝国でも、有力市民会議のアールムと有力市民から
毎年選出されるリンムって執政官がいるとか、なんだか後世のローマ帝国を
彷彿とさせる体制だったりする。
0534世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 09:40:48.110
>>532
まず、呉楚七国の大乱があった

これは、高祖が封じた劉氏の王たちによる反乱だけど、室町幕府にとっての関東公方みたいなもので、身内なのにどうにもならない事実上の独立勢力

これに勝利したことによって、事実上は長安と洛陽あたりの地域に限られていた前漢の皇帝権力は、東に向かって大きく拡大した
0535世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 09:52:11.390
モンゴル騎馬軍団が登場する以前のユーラシアの帝国じゃ、機動力がなさすぎて、広大な領域を統治するのは難しすぎた

火薬や鉄砲のない時代では、百姓どもが農具を振り回して暴れるのを正規軍が止められないこともよくあったし、武人でも少人数で移動したら命の保証はなかった

紙がないから文書行政にも限りがあるし、とにかく統治体制に無理が多い

古代の皇帝は、「覇者」とか「盟主」と呼ぶべき存在にすぎない
0536ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/21(木) 09:56:29.490
>>532
ぜったい劉邦さん
好き勝手いってると思うんですよねぇ
そうじゃないとおいらのイメージが崩れてしまいます

>>530
王莽さんの中の人は専制政治だったんじゃないでしょうか
0537世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 10:01:38.750
武帝や光武帝みたいなカリスマ皇帝のときは、周囲は何も言えなかったでしょうな
0538世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 10:04:00.210
>>537
そもそも漢の政権の体質を豪族連合政権になし崩ししたのが洪武帝だぞ。
0539ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/21(木) 10:13:06.720
武帝さんの中の人は
周囲がめっちゃいろいろと言ってたらしいですが、、、

それよりも後漢の豪族が
どうやって
いつごろ
なにを背景に
成立していったのかの方が気になりまする
0540世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 10:24:20.930
>>539
漢代の豪族は、前漢の時代には政治体制を破壊する、制度外の新興勢力で取り締まり対象。
ところが前漢末期には手が付けられなくなってきていて王莽が潰そうとして大失敗。
結局後漢では政権を事実上乗っ取る。
魏晋南北朝の混乱期にはむしろ名門視されて貴族化。
ところが隋唐帝国では宮廷貴族化して在地性を喪失。
唐末〜五代十国時代の混乱で社会集団としてほぼ消滅

これが大雑把な「漢代豪族」とその後継者の歴史。
0541世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 10:42:25.130
色々違うよ
豪族は元々前漢朝廷が取り込みを図って支配階級へ吸い上げた層
前漢晩期に成ると経済活動の進展で自作農を磨り潰しつつ巨大化
徐々に自己完結して分立傾向が高まるけど未だそこ迄の実力は無い

王莽は只の無能だし、豪族も後漢後期以降貴族化してずっと名門
0542ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/21(木) 11:22:57.450
みんな豪族豪族いってるけど
特別詳しい方はいらっしゃらないようなので
グーグル先生に聞いてみまする

おいらのイメージではエクイテスなんですが
0543世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 11:43:35.320
春秋時代は 「鉄製農具」 や 「灌漑技術の進化」 などによって農業生産力が超アップ。
これによって広大な農地を所有する者が出現し、
秦・漢の時代になると、これらの 「大土地所有者」 は経済力・軍事力をバックに
官職をも独占するようになったのでした。彼らが 「豪族」。

つまり 「豪族」 とは秦・漢のころに登場した 「大土地所有者」 のコトでして、
周王朝から土地をもらった 「諸侯」 や、(春秋五覇が有名)
諸侯から土地をもらった 「大夫」。大夫の中でも上級家臣の 「卿」。
こういった連中は 「豪族」 とは呼ばないみたいですね。
0544世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 11:44:02.440
山川の用語集には 「豪族」 について、こんな感じに書かれてます。

豪族 (頻度 9)
秦・漢以降、広大な土地と多くの奴婢・農民を支配下においた一族。
官職を独占し、経済的・社会的・軍事的影響力を持ち、地方の実力者となった。
0545世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 11:46:36.680
春秋戦国時代には、まだ地主は成長途上だったんだな

秦漢になって、「大土地所有者」が中国社会に台頭してきた

土地だけでなく、政治力まで獲得したので、「豪族」と呼ばれるようになりました・・・てことか
0546世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 11:50:45.080
この、春秋戦国時代から成長しはじめ、秦漢で「豪族」として台頭してきた大土地所有者が、六朝時代を経て門閥化し、隋唐では「貴族」として都に君臨する

それが、唐宋変革期に一気に没落して、皇帝と科挙官僚の時代になりました・・・大雑把にいえばこんな感じか
0547世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 11:56:12.750
秦漢の「豪族」は、中央権力の統制が効かない、体制のラチ外にある勢力であった

それに比べて、同じ大土地所有者で地方有力者でも、明清の「郷紳」は、完全に体制の内側にある存在

いくら郷紳でも、「三代つづけて科挙に不合格だと、その家は没落する」と言われた

それくらい、郷紳の地位を維持するためには、朝廷から官職を賜ることが必須だった
0548世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 12:28:31.470
漢の豪族は地方政府の枠内
郷紳に成ると行政が巨大化して天下り官僚的な中央政府と繋がった害悪に
0549世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/22(金) 00:44:32.440
明清は儒教国家で官僚国家

秦漢のほうが健全だ
0550世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/23(土) 22:45:47.270
そして唐明の制度を劣化パクりした武家王朝
腐敗汚職体質も財政権がバラバラなのも
0551ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/26(火) 23:08:16.020
>>449
王莽さんの中の人が
地方に学校を整備したらしい、、、

もうちょっと調べてみようと思います
0552ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/28(木) 02:41:19.850
>>542
そもしも後漢の成立時点で
地方豪族というもは
あんまり関係なかったらしい、、、
0553ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/29(金) 21:34:44.000
>>313
外交関係で兄として持ち上げるのは
修羅の国の掟なんでしょうかww
0554ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/03/29(金) 22:07:00.730
>>509
郡国制で諸王の地域は
中央に人頭税を納めていたらしいのだが
そうすると戸籍調査がどうなっていたのかが気になってまいります
0555世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/30(土) 10:25:40.790
>>552
豪族は、後漢の時代に台頭した
0556世界@名無史さん
垢版 |
2019/03/30(土) 17:27:53.960
もちろん、それ以前にも地主はいたが、貧富の格差はまだ、たいしたことなかった

後漢時代の経済発展が、格差社会を生み出した
0557ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/02(火) 04:31:45.420
後で気力があったら整理してみるけど
豪族の発達と経済発展を一緒に扱ってる人も居ますね

マネーは減少したのかどうなのか
流通貨幣(金属貨幣)は減少したのか
それとも別要因があったのか
経済は発展したのかどうなのか


>>371>>376>>388
>>450>>457>>532
0558世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/02(火) 10:11:18.700
後漢時代は人口が増えたから、農地の開墾が盛んに行われ、小作人も増えたってことが、地主階級の成長につながったんじゃないかな?
0559世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/02(火) 14:24:37.990
後漢時代、政府による貨幣改鋳の記録はない
桓帝の時代、財政難とインフレーションを理由とした改鋳を上奏した人がいて
一回朝廷でも改鋳が検討されたが実際されなかった
理由の記録はなし

インフレが起こっていたということはつまり「市場に銭が増えていた」ということを示している
政府による改鋳が記録されない一方で
貨幣量の増加が資産や商品の増加の速度を上回る時に起こるインフレが記録されたということは
後漢を通じて私鋳が公然の秘密として行われていたことが推測される
0560ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/02(火) 23:39:16.150
>>554
後漢はそうそうに戸籍調査に失敗してた気がするけど
その後はどうなったんだろうか、、、


史記貨殖列伝の商品一覧(特記ない限り1000銭)
http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/C015.htm

物価が載ってました
>>404

 ●たべもの
   ○穀物・果物・野菜 1鐘(124リットル)  ○酒 甕1個  ○酢・醤油 瓶1個  ○シロップ 大瓶1個
   ○牛・羊・豚の肉と皮 1匹分  ○干物 1鈞(7.8Kg)  ○棗・栗 3石(90Kg)
   ○こうじ・なっとう 1斗6升(5.5リットル)入りの瓶で1個  ○ふぐ・刀魚 1斤(260g) ○雑魚 1石(30Kg)
 ●布、皮
   ○しろぎぬ・きぬわた・細織りの麻布 1鈞(7.8Kg)  ○あや織りの絹 1匹(11m)
   ○榻布・皮革・子羊の皮衣・親羊の皮衣 1石(30Kg)  ○狐・テンの皮衣 1枚  ○絨毯 1枚
 ●道具など
   ○馬車 1台で1万銭  ○牛車 1台
   ○漆器 1個  ○銅器 1鈞(7.8Kg)  ○木器・鉄器 1石(30Kg)
 ●動物   ○馬 1頭5000銭  ○牛 1頭2000銭  ○羊・豚 1匹500銭
 ●奴隷   ○奴隷 1人1万銭
 ●香料など   ○ベニ・茜 1石(30Kg)  ○漆 1斗(3.5リットル)
 ●その他   ○薪・藁 車1台分  ○材木 1本  ○竹ざお 10本  ○動物の筋・角・丹沙 1斤(260g)

  穀とは、禾(あわ)、黍(きび)、稲、大麦、小麦、高梁(カオリャン)、麻など、主食となるもので、成人一人あたり1日に1〜2リットル必要だったそうです。 
1鐘(124リットル)は3ケ月分の主食になりますから、これを現代の3万円とすると、1銭=30円となります。 (白米80リットル=3万円)
0562世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/03(水) 00:08:00.410
令和は張衡由来か?
0563世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/03(水) 09:57:45.220
>>561
剪輪銭は董卓政権に入って後漢の統治機構がかなりぶっ壊れてからの銭で
後漢中後期までのインフレーションの理由としては考えられない
0565世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/03(水) 21:09:16.340
>>563
磨郭銭や剪輪銭は後漢晩期というのは発掘遺物からも想定されることはわかったが、
物価上昇圧力への金銀や布帛の貨幣化の影響はどうなのだろう
0566世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/03(水) 22:21:40.770
>>564
まあ、現代の中華人民共和国でさえ人口統計がイイカゲンなんだから、二千年前にしてはよくやったほうだろう
0567世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/03(水) 23:19:52.350
>>565
わからん
記録は銭と他の物品との比較で書かれているので
金銀や絹等を通貨とした時の物品の値段の変遷が全くわからない

ただ後漢末期に董卓五銖を発行した董卓本人は根城に大量に金銀を保有していた事から考えると
銭の価値は大幅下落しつつ他の資産の選好が起きていたという事はある程度推測が出来る

問題はその選好が後漢中後期からどう起こってたのか、
もしかして起こっていなかったのか、それとも上下動してたのか
ということは全くわからん
0568ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/03(水) 23:36:35.010
>>565
ここに載ってるのがベースですかね

後漢・三国時代貨幣史研究
古代から中世への展開
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180922163833.pdf?id=ART0007572672
P.72

インフレ対策として布帛の貨幣化が進行する経緯が書かれております。
あと金は王莽さんが本位貨幣に失敗した後に
銀錠が試みられたことも書かれてますね
0569世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/03(水) 23:38:07.740
>>564
その論文読んだけど、どこが統計上のまやかしなのかイマイチわからんかった

後漢で農民が豪族支配地に逃げ込み小作人化した分、人口把握ができなくなった、というのは
統計のまやかしというほどの話でもないような
0570ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/04(木) 00:01:52.200
>>569
おいらがどう思っているかは別として
地方官吏が大量に水増し申請したことになってますね
0571世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/04(木) 00:09:08.090
>>570
水増し申請の件か。現代の地方政府のGDP統計と同じで人口増加が
業績として評価さていたらしいから、この構図は2000年間変わっていないような

しかしそういう状況で政府把握の数値が和帝以降減少するというのだから、
役人たちも農民逃亡を隠しきれなかったということなのか
0572世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/04(木) 00:35:54.350
>>568
サンクス、その論文も読んだ、それによると布帛切替時に帰結したインフレの原因は貨幣供給量ではなく、
穀物不作による物価騰貴のようだね
0573世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/04(木) 01:00:46.710
>>563
後漢・三国時代貨幣史研究
古代から中世への展開
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180922163833.pdf?id=ART0007572672

を読んでいたところ、p76に董卓が発行した粗悪貨幣は剪輪銭の後継者にあたる、とでてきた。

晩期になって発掘遺構に剪輪銭が増大するのは、それまでは良貨しか退蔵されなかったが、
晩期になってほとんどの貨幣が悪化となってしまったので剪輪銭も退蔵されるようになった、
と考えることもできるのではないか、と思った
0574ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/04(木) 01:05:49.220
>>572
そう単純ではないということが述べられてますね

あえて単純化するならインフレとして認識されている内容は
銭の流通そのものに問題があったということになりますか

>>557
その上で経済発展とは
なにをもって発展というのかという
問題もでてきます
0575ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/04(木) 01:19:12.170
牛馬のように働く(銭換算)というのは
相当に難しいことがわかりますね、、、

>>560

 エピローグ
  元始5年(AD5)、王莽が第14代皇帝平帝を毒殺し、事実上前漢は滅亡しました。
  この間の五銖銭の鋳造高は280億余枚でした。 一見多いようですが、
当時の人口5960万人(AD2の戸籍調査)と比べると、一人あたり500枚にしかなりません。 まだまだ貨幣経済は発展途上時代です。
  上のいくつかの資料から、「五銖銭」1枚は、現代のおよそ30〜300円に相当するようです。
  その後「五銖銭」は後漢・六朝・南北朝・隋の歴代王朝に引き継がれ、唐の開元通宝(AD621)が発行されれるまでの間、東アジアの標準貨幣でした。

 奴隷の値段
  上の二つの資料に奴隷の値段が出ています。
    最初の資料では、 人=1万銭、馬=5000銭、牛=2000銭、羊・豚=500銭
    次の資料では、 人=1.5〜2万銭、馬=4000銭、牛=3000銭
  です。 非常に似かよっている数字なので、信頼できる数字だと思います。
  人の値段と、牛や馬の値段と比較してみてください。
0576世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/04(木) 12:28:10.850
>>573
ああ、確かにちょっと記憶違いをしていた

剪輪銭の前に質の落ちた五銖銭が増えてて
こちらは一応従来の五銖と大きさだけは一緒
五銖の品位下げて数を増やした銭が出回ったのが桓〜霊帝期

この後、剪輪銭が登場して董卓五銖が出て来るので
桓帝の時代に指摘されるインフレーションの原因はむしろこっちかもな
0577ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/06(土) 06:39:52.080
>>567

おそらく前漢時代から
穀物価格の変動に政府が悩まされていたであろうことは
均輸法・平準法が採用されたことからも
なんとなく想像できますね

結局のところ布帛が通貨として用いられることで
穀物価格の変動を緩和する形にはなりました
0578ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/06(土) 18:13:32.720
人口とはなんだろうか、、、

>>2>>334
>>455>>460>>466
>>558

とりあえず、前漢時代の方が人口多いから
後漢の社会情勢や技術発展を人口数に求めるのは
もっともらしい説明が必要になっちゃいますね
0580世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/11(木) 20:24:52.600
法律
政治
経済

1
2
3
0581ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/13(土) 15:11:48.530
>>557

いわゆる大豪族というのは
華南か華北にだけ集中してみられ
江南地域にも成立するのは
三国呉になってからということらしい


>>551

南方系出身の高級官吏は
前漢の11名から後漢では50名以上に大幅に増加してて
前漢では郡太守どまりだったのが
中央官庁の高級官僚もつとめるようになったとのこと
0582世界@名無史さん
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2019/04/15(月) 15:11:24.860
>>518
中国史漢代における「豪族」が何なのか理解するためには、中国史における地方在地社会の有力者層、
指導者層が時代によって大きく変質していることを理解しないといけない。

まず、一番古い時代の華北の在地社会の基本構造は「邑」という都市国家。
邑ごとに首長がいて、それを支える貴族層がいて、
0583世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/15(月) 15:12:36.220
すまん、誤爆した。
0584世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/15(月) 19:45:47.290
郡太守ってかなり高位だろ
更に昔の諸侯並だし
0585世界@名無史さん
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2019/04/16(火) 20:29:03.370
郡は100以上あったから、高官といっても地方知事クラス
中央政府の高官となれば各省庁の大臣くらいに相当するのだろう

その場合、中央官庁の高官は、三公+九卿で12名
ただし、仮に平均任期10年としても前漢で2400名、後漢で2100名が就任したことになる
(実際の平均任期は10年以下だろうから、もっと多いはず)

後漢で南方出身の高級官僚が10名→50名に増えたといっても本当に微々たる微増に過ぎない。
その数字に意味はないとまではいわないが、帝国全体の体質変化を語るほど大きな数字ではない
0586世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/16(火) 20:32:57.950
間違った
誤)前漢で2400名、後漢で2100名

正)前漢で240名、後漢で210名

この程度だと、11→50名に増えたというのは影響ありそう

でも平均任期5年なら、累計在任者数前漢480名、後漢420名くらいになるから、
50名程度はあまり大きな数字ではなくなる

当時の高官平均在任年数はどれくらいなのだろうか
0588世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/16(火) 23:34:32.390
個人サイトが悪いわけではないがごちゃごちゃしてると見るきをなくす
0589ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/17(水) 04:21:41.560
>>575
牛は足りなかったそうな

1)「代田法」という乾地農法
2)「代田法」採用の背景と意義
3)乾地農法・精耕細作・農本主義
https://www2.rku.ac.jp/hara/tokushujuly8.htm


2)「代田法」採用の背景と意義

「代田法」の記録は、この農法を試した場所では「縵田」よりも1畝当り1斛の増収があった、としている。
前回述べたように白渠流域で取られた灌漑方法は「引洪漫地」方式、であった。

中略

これも私見だが、「引洪漫地」耕地の再生アルカリ化現象は深刻になっており、早急に対応が必要だったと思われる。
再生アルカリ化した土地の再利用方式として有効なのは、ある意味では原始的だが、
ウネタテして、塩類の集積した部分の土を除け、塩分の無い溝の中に播種することなのである。

民国期の東北地区で取られていたその方法については、天野元之助博士の論文に詳しい。
春先のまだ芽がひ弱な段階をこうして乗り切れば、夏になるまでには雨が降り、畝に積み上げた塩類の混じった土から、塩分が地下に流れ去ってゆくのである。
ただし、「代田法」の場合、対処が必要なのは白渠流域の広大な面積であった。
手作業では追いつかない。犂を使う必要がある。ここに「代田法」は、開発されたのである。
0590ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/17(水) 04:36:25.020
>>551

小学の道 - 漢簡から見る漢代識字教育
http://museum.sinica.edu.tw/exhibition_detail.php?id=4&;lang=ja-jp

敦煌および居延漢簡の中で、練習のため《蒼頡》、《急就》、九九、六甲を 抄写した大量な残簡や、
ほとんど完全無欠な毛筆一本を発見したことにより、
両漢中期から東漢明帝時期まで辺境にある兵士は、辺境防衛を機に初級レベルの教育を受けたことを証明されます。

I、字書
《蒼頡》
《急就》

II、毛筆と「習字留痕」
III、習字の簡
V、草書
VI、篆書
VII、六甲干支の簡
VIII、九九術

VII、六甲干支の簡

《漢書?食貨志》曰く、「八歳になれば小学に入り、六甲、五方、書、計の事を学ぶ」。
漢代の幼童は小学を学ぶ際、《蒼頡》、《急就》のほかに、六甲も習います。
六甲というのは、「甲」で始まる六つの干支表(すなわち甲子、甲戌、甲申、甲午、甲辰、甲寅)であり、
天干と地支をもって時と日を計算します。

干支の練習で使われる竹簡は、敦煌、居延と長沙東牌楼漢簡、およびイギリス国家図書館所蔵の削衣の中に発見され、
その書体の一部は篆書で、一部は篆、隸の中間にあります。
0591ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/17(水) 21:47:40.500
>>551>>590

>>449

おいらとしては結局のとこ小学校が大事で
識字率の向上と、メディアの発達で
科学技術に携わる人員が増えたという
仮説を提唱してみたいとこっすね
0592世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/18(木) 00:11:06.390
後漢時代の文化史や経済史って何を読んだらいいかわからない
後漢末になると三国志の影響でネットにも情報があふれているが
近年木簡とか大量に発見されているが後漢時代のものはあるのだろうか
0593世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/21(日) 22:02:44.760
キングダム上映記念アゲ
0594ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/21(日) 22:09:46.710
マンガ読んだことないのだが
おもしろいのだろうか、、、

ちらっと見かけたときは
ちゃんとアレで車輪を持ち上げてた気がします
0597ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/25(木) 21:18:20.840
>>596

車輪は映っておりませんでした、、、

これではロウアイさんの実力を
ほとんど表現できておりませんね
0599ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/04/27(土) 00:46:58.540
人頭税っていうのは
社会にどんなバイアスをかけるんだろうか、、、

なんで少子化にならなかったんだろう
0600世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/27(土) 18:02:40.820
>>599
少子化までいかなくとも人口増加率は低いんじゃないか?
丁単位の課税から資産への課税に実質的に移るにつれて、人口も急増。
特に明清期は激増。
0601世界@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 22:13:05.750
単純に古代じゃ土地余ってたというだけの話、技術の問題で
0602世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:58:53.900
>>601
土地が余ってたら、
封建できないじゃん。
有限で希少でないものを給付されても
受ける側は全くありがたくない。
0603世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 08:23:32.970
ロシアでは伝統的に土地は余ってて労働力が稀少だったので、「農奴○○人持ちの領主」と呼ぶのが普通だった。
0604世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 09:10:55.900
>>603
労働力が稀少なら、労役が税として意味が大きくなるね。
0605世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 10:40:45.650
西欧の中世史では、「ペストで人口が激減し、人手不足の売り手市場になったおかげで、小作人の地位が上がり、農奴から解放された」とされてるんだけどな

ロシアでは、なんで農奴の地位があんなに低かったんだろう?
0606世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 10:55:03.350
奴隷が必要になったら、奴隷市場で買ってくるんじゃないか。
人手不足になったら、値段が上がるだけで、奴隷の地位には変化しないとか。
0607世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 11:06:37.080
ロシアじゃ何処迄行ってもロシアだからな
古代中世の日本列島を何処迄行っても奴隷制国家なのと同じ
0608世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 12:17:47.310
>>607
シナの科挙官僚の荘園だろ、農奴を使ってたのは

もっとも、その科挙官僚にしたって、皇帝の家産奴隷だったが
0609世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 18:58:00.670
>>605
古典的な東欧史では西欧の発展により穀物不足となり輸出産業・穀物生産の為農業労働者の安定確保などが必要になり土地への緊縛が強くなり農民が農奴化した。
貨幣経済などの浸透により、西欧とちがい手工業やらに投資できないので、より高度な農奴管理となり加速する。

東部ドイツ、ポーランド、ロシアなど。
0610世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 19:13:03.320
>>609
ロシアは西欧資本の導入による強引な工業化のために農奴をいきなり解放して工場労働者にしようとしたので、
それで農奴の生活保障すら失われて社会不安が増加、社会主義革命に向かう流れを創り出してしまったな。
0611世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 20:56:11.280
アメリカは、アフリカから黒人を連れてきて奴隷にした

ロシアは、自国の国民を奴隷にして白人奴隷にした
0612世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 23:27:37.760
秦朝では、宮刑(去勢)を宣告された男は宦官奴隷となり、兵馬俑のような計画の強制労働に従事した。
秦の政府は、強姦の罰として宮刑を受けた者の家族の財産を没収し奴隷とした。奴隷は家族と連絡を取る権利を奪われた。

三代、先秦、秦朝時代には、官奴(国の奴隷)と私属(個人の奴隷)の区別があった。奴隷は多くは戦争で発生し、敵の捕虜になった庶人や軍人は奴隷になる可能性があった。
犯人も奴隷に貶められ、反逆罪を犯した時は、全家族または全宗族が官奴にならなければならなかった。
0613世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 23:29:17.030
漢の高祖劉邦の最初の行動の一つは、戦国時代に奴隷となった農業労働者を解放することだった。だが家内奴隷の地位はそのままだった。

漢代も宮刑を受けた男性は奴隷労働に使われた。初期法家思想の法より、漢朝も三年の重労働か宮刑を言い渡された犯罪者の家族は逮捕され政府の財産とされると規則を定めた。

漢朝では、奴隷の生産は主に耕地整理から形成された私属民からである。前漢の衛青は奴隷の身分から大将軍まで上り詰めた。
0614世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 23:30:00.620
王莽は土地改革法の一環として、全ての奴隷制を廃止し、奴隷の取引を廃止した。

王朝があっけなく崩壊したことによって、両方は元の状態に戻った。
0615世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 23:31:09.590
後漢末期では、戦乱を避けるために、大荘園主に投降して、私属民となるものがいた。 三国時代では、自由民と奴隷の中間状態が発展したが、1%を越えることはなかったとおもわれる。

後漢末・魏晋南北朝以来の貴族制下では、律令により賎民に区分された雑戸官戸や奴婢などの農奴と奴隷が政府や勢家の下に多く存在していた
0616世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 23:59:52.240
秦漢帝国の特徴として、「奴隷制だった」というのが挙げられる
0617世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 00:23:21.350
またネットの浅い知識を雑に継ぎ接ぎして知った蒙りしてるけど重大な複数の事実誤認が有るんだよね
徒三年は刑期中官奴とされる物だけど自宅から通ってもOKで只の懲役刑なんだよね。身分を奴隷に落とされる戦争捕虜や以っと重い刑罰と違って
日本国は未だに奴隷が10万人弱も居る奴隷制国家なんだよね

農奴わ総力戦時代の戦国期にわあまり居らず、漢代に土地の兼併に因って増加した
というか農業労働者わ奴隷じゃ無いし農作業奴隷わ家内奴隷と何も変わら無いんだよね
0618世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 01:08:06.750
>>617
いや、別に知ったかぶりなんかしてない

>>612-615はWikipediaのコピペ
こんな知識ないわ
0619世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 01:32:50.130
秦漢帝国の時代、特に前漢代までは古代の都市国家である邑制社会の残滓の郷里制共同体社会が
濃密に残っていて、農業の生産労働の主体はこの共同体によって担われていた。

奴隷や奴隷的な存在はいたが、決してそれが農業の生産労働の主体を占めていたわけではない。
秦漢帝国を奴隷制社会の帝国とみなすのは古代を奴隷制社会(奴隷が生産労働の主体を担う社会)
と定義したマルキシズムに引きずられた概念。

こういう古代的な共同体を束ねた社会が崩壊してくると、土地は人民に対して様々なレベルで
権利権限を持った様々な社団(身分団体)、例えば豪族の経営体とかそういうものが複雑に乱立してきて、
土地や人民に対する支配権限なんかも重層的に錯綜してくる。そういう中で社団に対する従属度の高い
農業労働者を「農奴」とみなしているに過ぎない。
0620世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 08:32:51.410
>>619
>秦漢帝国を奴隷制社会の帝国とみなすのは古代を奴隷制社会(奴隷が生産労働の主体を担う社会)
と定義したマルキシズムに引きずられた概念。

そういうのはあるだろうな
秦漢帝国は古代だから奴隷制社会
隋唐帝国は中世だから農奴制の荘園
0621世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 10:46:36.590
中国の民衆から見た社会体制わ
商王朝〜春秋期が奴隷制
戦国期〜後漢が身分制る
魏晋〜武周が貴族農奴制
盛唐〜五代が移行期
宋帝国〜が近世
元帝国〜が奴隷制、だね
0622世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 19:46:15.850
>>619
>奴隷や奴隷的な存在はいたが、決してそれが農業の生産労働の主体を占めていたわけではない。
>秦漢帝国を奴隷制社会の帝国とみなすのは古代を奴隷制社会(奴隷が生産労働の主体を担う社会)
>と定義したマルキシズムに引きずられた概念。

滅茶苦茶な理屈やな
それなら漢の哀帝が諸侯や豪農の力を削ぐために奴婢の所有数を制限したのは何でや?
結局猛反発されて取り消しになったのは何でや?
豪族の財政基盤が奴隷制農業に他ならんからだろ

>権利権限を持った様々な社団(身分団体)、例えば豪族の経営体とかそういうものが複雑に乱立してきて、
>土地や人民に対する支配権限なんかも重層的に錯綜してくる。そういう中で社団に対する従属度の高い
>農業労働者を「農奴」とみなしているに過ぎない。

「社団」って何?言っとくけど中世日本の「土一揆」とか「惣村」みたいな自治体は
中国には古代から現代にいたるまで存在しないぞ
宋代の「天聖令」のだと佃戸は主人の憑由(証明書)が無ければ移動する事すら禁止されてるのだが
これを農奴じゃないと言い張るなら世界中どこにも農奴はいなかったことになるぞ
0623世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 21:46:49.090
貴族が荘園に佃農を抱えてた唐代の律令を参考の為に書いてるんだから当たり前
佃戸わ農奴と違うんだよね
0624世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 21:51:36.490
>>670
惣村は周代に在った、後漢末期〜三国時代にも在った
奴婢わ農奴な奴隷じゃ無く
0625世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 22:55:21.370
>>622
哀帝の時代は、もう前漢も末期で邑制社会の残滓である郷里制の共同体が解体して
なし崩し的に豪族の荘園に社会が再編されている真っ最中の時代になる。
哀帝の奴婢制限策は、その再編を食い止めようとした抵抗策に他ならない。
前漢は郷里制共同体を郡県を通じて直接把握することを権力の源泉にしていたが、
それが崩壊してしまった後漢では事実上豪族連合政権に成り下がっている。

つまり、後漢以降の豪族連合政権的色彩が出てくる前の古代帝国的な「秦漢帝国」というのは、
豪族荘園における奴隷や農奴的な生産労働ではなく、邑制社会を再編した郷里制の共同体の
生産労働への依存がまだまだ強い。

この郷里制社会を破壊して成長してきた豪族の荘園経営では、様々な従属度の農業労働者が
いたわけで、最も従属度が高い者は事実上の奴隷であったろうし、より従属度の低い
農奴的な者、自由身分の小作人的な者までかなり格差があった。
0626世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 00:46:32.370
また適当なこと書いてるな
そもそも古代中国では大土地所有家かさもなければ奴隷かで中間層が存在しなかった
「民」という字も原義は奴隷という意味だしな
春秋戦国から秦代も「史記」や「漢書」読めば分かる通り士大夫層かさもなきゃ奴婢のどちらか
で中間層と言える人々の記述がほとんどない

漢の哀帝の時代はようやく直系家族のみによって自立した自営農が現れ始めた時代で
また奴隷にしても豪族の家長はそれまで生殺与奪の権を握っていたのだが董仲舒が「去奴婢除専殺之権」を建議したのを
皮きりに奴婢に対する支配権も徐々に制限されていったと見られる

奴隷として売り買いの対象にはならないが土地に緊縛された農奴身分にあたる「佃戸」層があらわれたのは
もっと後の魏晋南北朝時代に入ってから
0627世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 00:53:50.230
>>626
おい、そんなことを言い出したら、漢の高祖となった劉邦も「大土地所有家かさもなければ奴隷」
ってことになってしまうぞ。劉邦一家はどう考えても奴隷を使役していた大土地所有者じゃないだろ。

それに、商代・西周・春秋期の邑制社会では農地は邑共同体の共有地で大土地所有者なんて出現してないぞ。
0628世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 10:07:10.470
奴隷のごとき身分から大将軍になった衛青。
かっけぇぜ。

大将軍になってもほとんど政治に口出すこともない。
曰く、
「人奴之生、得毋笞罵即足矣・・・」
人の奴隷の生活から、
笞(むち)うたれたり
罵(ののし)られたりが
毋(なく)なる状態を得れば、
即(すなわ)ち足(た)りる、
満足満足だそうな。
どんだけ悲惨な少年期だったんだ。

姉の衛子夫は身分の低い歌姫で、
武帝に献上されちゃったら、
寵愛されちゃって、
衛青の身分も上がり、
衛子夫や衛青が仕えていた武帝の姉と結婚。
かつての女主人を妻にしたんだぜ。
ドラマ化になるわけだ。
0629世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 14:59:29.090
>>628
でも、部下にも庶民にも武帝にも愛されたのは、生まれた時から貴種だった甥の霍去病というのがなんとも

霍去病はその傲慢さすら、豪胆で大将たるにふさわしいと愛されたという
0630世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 20:12:07.000
>>626
戦国期に入ると奴隷が大きく減り自営農が大きく増える
兵卒の供給源は奴隷じゃ無く農民なのだから当たり前の話
佃農が増えたのわ前後漢代
0631世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 20:51:02.700
ということは、やはり、漢は古代の奴隷制

唐は中世の農奴制ってことだな?
0632世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 20:52:26.440
宋では市民社会が実現しつつあった

明ではなぜか、国民皆奴隷制になったが
0634世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 21:35:29.930
>>627
>ってことになってしまうぞ。劉邦一家はどう考えても奴隷を使役していた大土地所有者じゃないだろ。
何言ってんの?亭長を務めたり徴発した百姓を咸陽まで送り届ける顔役やったのだから
どう見ても豪農の出でしょ
>それに、商代・西周・春秋期の邑制社会では農地は邑共同体の共有地で大土地所有者なんて出現してないぞ。
お前が「史記」すらろくに読んでないのはよくわかった
空想膨らます前にちくま新書でも良いから読んでからにしてくれ
0635世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 22:08:10.450
>>634
春秋期ぐらいまでの社会の実相は、史記なんかの戦国以降の記録をベースにした古典とかなり乖離している
って話は、今の史学では常識になっているぞ。最近の金文文書や考古学史料をもとに執筆された歴史学論文、
ちゃんと読んでるか?
0637世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 23:03:49.240
戦国〜前漢前期わ身分制階級社会(近代〜現代日本の様な社会)
身分が大事で富わその次
0638世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 23:15:10.960
>>637
いや、都市国家社会、邑制社会の神聖性を帯びた古代貴族層が解体して、
新興豪族層から名望家となって成長してきた魏晋南北朝期の中世貴族層が発生する前の、
いわば端境期が戦国〜前漢前期でしょ。
0639世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/09(木) 00:33:27.850
>>635
一体それはどこの誰が唱えてる説なんだ?
最新の部類に入る「中国古代家族史研究」でも秦漢代は奴隷制農場経営が広く一般的だったとされてるんだが

「睡虎地秦簡」に示される「封診式」では被疑者の奴隷を差し押さえる規定が示されている事や
秦漢代の戸籍を見ると戸主の所有している奴隷の名も一緒に記されている例が多いのは奴隷の所有や使役が一般的だった証だよな
0640世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/09(木) 12:43:09.050
>>639
>>635では邑制国家の時代まで遡っちゃったので、まずは秦〜前漢期に話を戻そう。
私が今まで読んできた論文や概説では、以下の論文のような認識が主流を占めているんだ。

飯田祥子(2004)「前半後半期における郡県民支配の変化―内郡・辺郡の分化から―」
https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&;active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6094&item_no=1&page_id=25&block_id=47

『中国古代国家における人民支配の特徴は、郡県の広範な小農民を対象に、
「個別人身的支配」と呼ばれる個人の把握・個人からの収奪に重点が置かれ
ている事であるとされる。このような支配形態は、春秋戦国時代の恒常的な
軍事緊張の結果、特に秦において、大多数の庶民を、農業生産と軍事義務の
両方に従事する「耕戦の士」とし、彼らを富国強兵の基盤とする体制から生
まれてきたものだと考えられる。』

ここでの「小農民」というのが大土地経営者とはとても思えないんだな。
また、前漢期に押し進められた屯田政策も、一般にこうした「小農民」の拡大再生産を
企図した、また、豪族抑制政策も、こうした「小農民」の広範に存在した状態の破壊を
食い止めるためと説明している論説が大半だ。

秦〜前漢期に広範に奴隷が農業労働に従事していたとすると、
それは大土地経営の農地なんかではなく、ヘシオドス期のギリシアのポリスの小農民が自ら
農耕に従事するのと同時に少数の奴隷も使役していたのだとか、
室町期の「百姓の家」で正統な百姓身分の家族成員に加えて、隷属的な農業労働者が
抱え込まれていた現象とか、そういうのと似ているんじゃないのか?
0641世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/09(木) 15:14:23.760
>>639
戦国・秦・前漢期の「郡県の小農民に対する個別人身的支配」が確立する前の
西周の社会を「奴隷制古代」という色眼鏡で見ることの危険性をはっきり主張している
論考にこういうのがある。

木村秀海(2012)「西周時代の身分制」
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&;active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=25800&item_no=1&page_id=30&block_id=84

『周知のように殷・西周時代の身分制についての身分制についての論考は多い。
専論以外に記述中に言及したものも多い。ただ、それは奴隷身分に偏っていると
いう傾向があったことは否めない。特に1950年代以降1980年代までの研究には
その傾向が著しい。これはこの頃の古代史家が中國古代に奴隷制時代を強いて
措定しようとしたことと無縁ではない。この傾向はなくなったわけではない。
今も残滓を引き摺っていることがある』

『西周時代を研究する場合、奴隷よりも、当時の社会基盤をなしていた庶人の
研究こそが重要であろう。庶人は主要な農業の従事者であり、軍事にも関わり、
社会全般がその行為によって支えられていた。庶人と田、庶人と徴税、庶人と
管制、庶人と兵役・徭役など、庶人と諸般の関係を明らかにしてはじめて西周
という王朝の性格や構造がわかると思う。』
0642世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/09(木) 20:20:36.550
>>638
古代貴族層は春秋期に解体され後漢代に中世貴族層が形成されたが
>>640の云う通り戦国〜前漢は国家の力が強い小自作農を中心とした身分制社会
0643世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/09(木) 22:14:55.590
>>642
おいっ!
>>638>>640は同一人物(つまり私)で、
対立どころかほぼ同じ主張を展開しているんだが。
0644世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/09(木) 22:54:04.780
次々壊スノ重死路レオパレス今モット上手ニ殺ッテルンダロダンパー問題ソノ他急速ヴェノム物件・銀行問題業界ゴト潰レル?ソノテイド利凍ル公害重イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ万死葬災熱湯強烈今サラ薬害毒死多繋ガル看後死
1000件以上介護保険税金ムダ泥棒マダゴーン今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家ハルマゲドン
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害山林焚書死テa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ若竹口爆発害ヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1443184621/
0645ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/10(金) 02:59:36.870
>>614

王莽さんは中の人に
理想の国家像的なプランありますよねぇ

それもネロ帝のような
ロマンが先行する夢見がちじゃないやつで

どちらの中の人も現実的じゃない部分は似てますが
王莽さんの政策はアメリカ大統領に近い気がします
0646ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/10(金) 03:17:05.050
>>600
やっぱ産児制限みたいなのはあったと思うんですよね

>>640>>641

そんでおいら的には

・土地所有と田畑租
・人口調査と人頭税

これの時代的な変遷は気になります

郡県制(州制)での公的な会計記録とか
そういうのは発見されてたりしないんでしょうかねぇ
0647ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/10(金) 03:38:25.670
ローマは15年周期の調査がはいったっぽいです
成人年齢は何処も似たようなものだから
だいたい似てくると思うんですよねぇ

インディクティオ(15年) - ローマ帝国での徴税額の査定更正周期

漢は年齢で超税額が変わってたと思います

ローマ市民が払うのは最初は兵役で
その後はどうなったんだろうか
0648世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 08:25:49.100
>>646
木簡とか竹簡なんかが結構、出土してるね。
保存状態が良いのは砂漠とかお墓とか。
2002年に湖北省の古城で発見された里耶秦簡みたいな大量の秦の行政文書もあったりするので、
今までの歴史観が大幅に変わるかもしれないね。
0649世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 09:26:56.410
>>647
共和制ローマ時代当初は直接税がないと言うね。
市民は無報酬で1年間従軍し、武器も自前で調達。
行政官も無報酬。
戦争税はあるけど、戦利品があると還付されるので国債みたい。
征服地に対し、課税するようになるが、基本は現地習慣に合わせてた。
BC150年頃に属州への収穫税を課し始め、
徴税請負人に収税委託した。
資金力がある徴税請負人が5年分の徴税権を買い取る。
ローマ側から見れば5年分の前払いを受けるが割引もある。
初期資金が必要な徴税請負人に投資する者もいた。
徴税請負人は下請け請負人を多数雇う。
言わば会社みたいな組織になる。
住民にとっては中間マージン分を多く取られて負担が増える。
結果、反乱を起こす属州が次々出てきて、共和制が動揺し、
国家システムを改善する強いリーダーが求められるようになった。
0650世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 09:33:57.890
>>649
>>市民は無報酬で1年間従軍し、武器も自前で調達。

古代国家って、共同体の自衛軍がそのまま国家の軍に読み替えられているから、
そういうのがかなり普遍的だよね。
古代ギリシアのポリスの軍もそうだし、古代日本の軍団兵も無報酬武装自弁だった。

それが、中世になると土地の経営権とか徴税権の公認との引き換えの軍役に替わっていく。
0651世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 14:25:41.860
>>641で紹介した文献で

『これはこの頃の古代史家が中國古代に奴隷制時代を強いて
措定しようとしたことと無縁ではない。この傾向はなくなったわけではない。
今も残滓を引き摺っていることがある』

ってあるのは実はすごく重要で、東洋史の専門書や論文を読むときにすごく気を付けないといけない
問題点なんだ。

というのも、19世紀にヨーロッパで近代歴史学が誕生したときに、古代から中世、そして近代へという
普遍的な進歩の階梯をたどることができる能力があるのはヨーロッパやその影響を受けた地域だけで、
それ以外の地域はどの時代の断面を取り出しても金太郎飴みたいに均質な停滞の世界、だから歴史学
の対象となるのはヨーロッパとその影響を受けた時代・地域だけ、というテーゼが提唱されて、今でも
欧米の大学ではそのテーゼが有効とみなされているんだ。だから、今でも欧米の大学では東洋史の研究は
文化人類学的な地域研究の対象であって、歴史学でまともに取り上げる意味のない研究対象とみなされている。

だから、近代以降、日本や中国の歴史学者の大きな任務というのは、東洋史がどの時代をとっても金太郎飴みたいな
停滞の歴史ではなく、進歩や変動があったのだということを跡付けて、西洋にその証拠を叩き付けること、だった。
そのために、日本や中国の東洋史家たちは、西洋の史家が提唱する発展段階史観のテンプレートに沿って、
「奴隷制古代」「農奴制中世」が存在したことを「発見」することに躍起になった。

現代では「普遍的な発展段階」という概念が陳腐化したので、歴史学はその影響を脱しつつあるんだけど、
まだ完全にその影響力は消え去っていない、というのが上記の引用部分の真意なんだな。
0652世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 17:12:51.530
【衝撃】世界四大文明はフィクション?!それでも『試験』に出る驚愕の理由とは?【海外の反応】
https://www.youtube.com/watch?v=nTNSn0xwAWM
四大文明と縄文文明 〜学校では教えてくれない四大文明のウラ〜【CGS 日本の歴史 1-6】
https://www.youtube.com/watch?v=9fk5jZkeuiE
武田鉄矢、新事実!?世界の4大文明に匹敵する日本の縄文時代
https://www.youtube.com/watch?v=MbHoNC1enHo
火鳥風月 弥生時代@:世界四大文明のウソと、戦いの歴史
https://www.youtube.com/watch?v=8DzVG0TWzVY
世界最古の文明は縄文文明だ!文明は日本から世界へ広がった!【縄文王国】
https://www.youtube.com/watch?v=9dkyCvFuewY232
縄文時代とか世界四大文明とか邪馬台国・卑弥呼とかの話  歴史教科書にだまされるな2
.https://www.youtube.com/watch?v=_bgtrJiEFao
0653世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 19:12:19.200
>>39
鈴木直美の論文少し見てみたが、封診式のところで登場している所有奴隷に対する裁判、
主人が奴隷を裁判に訴え、政府に購入してもらう、というのは、共和政ローマではよほどの例外でない限り
考えられない。共和政ローマではいうことをきかない奴隷は主人が処罰すればいいだけ。
主人より奴隷の方が力が強くて従わせられない場合、主人が仲間を連れてきて力づくで
従わせればすむだけ。奴隷のしつけができなくて政府に購入してもらう、なんてありえない。

古代中国と古代ローマでは奴隷といっても大分違うようだ
0655世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 19:27:51.450
>>653
色んな時代や地域を扱った歴史学論考を読んでいて痛感するのは、
果して「奴隷」とか「農奴」という訳語が本当に正しいのかよ、
ってこと。

地域とか時代でずいぶん実態が違う、実際には様々な語彙が当てられていた人身隷属様式を、
「古代奴隷制」「中世農奴制」というテンプレートに強引に押し込めるために
そのどちらかに決めつけて訳語を与えているケースが多いんじゃないか。

さらに事態を悪化させているのが、日本人の「奴隷」というタームのイメージの原点が、
相変わらず「アンクルトムの小屋」の近代米国南部の綿花プランターのもとの「slave」制度で、
「奴隷」というタームを目にすると無意識にそのイメージから敷衍しようとしてしまうこと。
0656世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 19:42:55.720
>>655
まさにそうだな

その鈴木直美の奴隷裁判の原文では、奴隷は「臣」と書かれていて、「奴」「婢」のような用語は
登場していないのに、「奴隷」と訳してしまっている。この時点で「奴隷」という語彙が
大きな先入観を与える効果を生んでいる

岡本隆司が「世界史序説」で「佃戸」を英語に翻訳するのが難しいと書いていたが、奴隷も同類だろう。
もっとも、岡本の場合、論文の英語翻訳化を自分が回避するための言い訳成分も感じられるが
0657世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 21:45:33.170
そうだな

軍人奴隷のマムルークが最たるもので、要するに「金銭で購入した傭兵」なんじゃないの?とも思える

「市場で購入した女奴隷」もそうで、単なる一夫多妻制の妻と見てもおかしくないケースが多い
0658世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 22:35:07.880
しかし、人身売買である以上、身柄を拘束されている

人権は、所有者である主人に委ねられている
0659世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 22:56:57.620
>>658

>>641で紹介した西周期の金文研究によると、西周期の「庶人」は、
人身拘束と意に反する人身移動なしで、
士分の貴族層によって、臣従関係の名跡と、その「庶人」から徴税される
税の帰属が売り買いされていたんだそうだ。

こうしてみると、「人身売買」といっても、身体そのものを売り買いするレベルから
徴税権だけ売りに出される段階まで、いろいろなレベルがあったんだなぁと痛感させられる。

よく、古典古代ギリシアのスパルタに置けるヘイロタイ身分を「奴隷身分」とする歴史書を
見かけるが、彼らの場合所属は国有で売り買いされることもなく、ただ彼らから収奪される
税だけがスパルタ市民によって公平に分配されていた。しかも、自前のポリスによる自治すら
認められていて、ああいうのを「属国」ではなく「奴隷」とみなすのは本当に適当なのか、
疑問を強く感じる。
0660ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/10(金) 23:33:10.790
>>659
ほほぅ、なるほどう
徴税自体は誰が実施して税の配分はどうやって実施されるんだろう
実務的なところが気になりますね


少人数で多数を支配する必要のある制服王朝は
軍事力を手元に置くのと
支配地域の住民にはかなりの部分の自治を認めないと
基本的に治まらないっすからね

これについて例外はほぼないんじゃないでしょうか
0661世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 23:42:04.680
>>660
古代世界では、しばしば「臣従」のあかしに貢納を行う、というのがあるから、
徴税権が移動した先の士分貴族に庶人自ら貢納儀礼を執り行ってたなんて想像してみる。
0662世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 00:46:29.280
カール・マルクスの唯物史観でいくと、古代は奴隷制で、中世は農奴制じゃないとカッコが付かないんだよなあ

古代も中世となく、「どの時代も同じ持続の帝国」なのに、現代に入って、いきなり社会主義革命が起きるってわけにも
0663世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 07:24:42.210
>>659
中世日本列島の加地子と同じだね、農家に対する
中世日本列島の場合、更にその下に小作人と奴隷が居た
0664世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 09:26:14.530
>>663
中世日本の百姓の家で使役されていた隷属民は「下人」ってやつだね。
日本の場合には、本格的な奴隷的な隷属と年季奉公的な隷属の境界が曖昧だったり、
あと戦争に伴って雑兵の乱取りによって「下人」として売り買いされていた者を、
もともとの出身地の同郷者や親族が買い戻して隷属身分から解放する制度があった事に特徴がある。
戦国後期になって戦場の乱取りによる「下人」売買の国内市場が飽和して南蛮人商人などに
売られるようになると、彼らにはこの買い戻しによる解放制度が理解されずにトラブルを生じている。
0665ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/12(日) 11:33:23.880
>>599>>600>>646


漢代の人頭税は男女差があった可能性が高そうなので
そうすると、税率が低い女の子を残して
男の子を間引いたのかなぁ

これだと最近までの現代中国と反対ですね

古代ローマの娼館も男の子の遺体ばっかり見つかってたと記憶しております
0666世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/12(日) 13:54:57.680
漢帝国はその替わりに独身女税が有るから
ローマ帝国にも有ったけど
0667世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/12(日) 14:26:19.690
それと飢饉でも無い習慣的な間引きって売春の様な特殊な業種除くと日本独特
0668世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/12(日) 19:10:38.100
古代ローマのポンペイから出土した碑文からは当時の売春宿には娼婦たちが
囲っていた男娼たちも大勢暮らしていて子どもも一緒に養育されていた形跡がある

漢代中国でもやはり遊女の間にも男奴隷を囲う風習があって
これを「廟客」と呼んでいたが由来不明
0669世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/12(日) 19:21:21.770
>>668
面白いな。

江戸時代の日本では、芸者は客に体は売らない(深川など例外はあり)が、
特定の旦那にパトロンになってもらって囲われ肉体関係を結んでいた。

その一方で、芸者は相撲取りを買って肉体関係を結び、パトロンになっていた。

色んな所で並行現象があるんだな。
0671世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 20:48:16.270
>>651
なるほど、いいたいことはわかったよ。でも俺の感想はこれだ。AAなんて滅多に貼らないんだけど、
どんぴしゃ過ぎるので今回は御容赦。具体的なレスは後でするつもり。

       ∧_∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      (    )  < 古代奴隷制だのアジア的停滞だの何だの
      (⊃ ⊂)    \_____________
      | | |
      (__)_)

        クルッ       ______________
       ∧_∧    /
      (`・ω・´)彡< 未だに教条的マルクス主義史観に囚われてるのは誰だ?
   Σm9っ   つ   \______________
       人  Y
      し (_)

  ┏━━━━━━━━━┓
  ┃       ∧_∧     ┃
  ┃     (´・ω・` ).    ┃
   ∧_∧⊂   9m)   ┃
  .(    )  Y   人.     ┃
 ⊂ >>651フ .(_入_|    ┃
   人  Y ━━━━━━┛
  (_入_|
0672ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/15(水) 20:51:13.930
>>667
これはいけませんね

>>666
独女税はどういう年齢区分ですかね

バツイチはセーフになったりすると
夫暗殺計画が進行しそうな感もありますが
0673世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:43:15.580
>>664 >>667
「中世日本の百姓の家で使役されていた隷属民」っていやあ信州では家を継がない子は「おじろく」「おばさ」と呼ばれて結婚できずに長男の家族の召使にされてたんだってなあ
従属状態に置かれているうちに精神に障害を負ってしまうらしい
新潟とかの他の地域でも次男以下を「おじ」、次女以下を「おば」と呼ぶ方言があるから似た様なことは貧しい地方ではよくあったんだろう
0674世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 06:18:55.970
>>658
戦国獅子伝で奴隷を焼き殺して遊んでいるのを主人公が見て
奴隷の命は主人のものでこれは掟だって言ったり

杜子春で奴隷を殺して遊んだりしていたり

奴隷って苦しめて痛めつけて犯して去勢したり手足を切り落として楽しむものじゃないの?
0675世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 10:27:46.890
>>674
そんな地域や時代の方が珍しい

奴隷っつうても、マムルークなんてのもいる
0677世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 14:32:23.080
>>674
だいたい多くの時代や地域の奴隷ってのは、価格的に高級自動車を購入するような感覚。

高級自動車の自家用車には「人権」はなく身体の自由はないが、
でも、大枚払って買った高級自動車をボコボコにしてお遊びするオーナーなんて普通はいないだろう。
0678世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 14:48:30.020
大枚払った高級車も百台ぐらいあれば、一台ぐらいは潰れてもいいぐらいの感覚にはなる。
地位によってだろうな。
0679世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 18:41:17.660
んなこと言ったら、主人が奴隷に殺されることだってある

お互い様だ
0680世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:08:29.560
古代ローマでは、会計士や家庭教師など頭脳労働を担う奴隷は高待遇だった。
家庭教師は、生徒(つまりご主人の子息)に体罰を振るうこともできた

だが農園や鉱山ではたらく奴隷は悲惨…
0681世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:09:51.100
>>673

昭和58年の映画「楢山節考」の世界だね
0682世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:21:27.860
>>673
おじろくおばさは伊那の特定の部落に特有の現象として精神医学雑誌に論文が掲載されたし
新潟等の事例も要は山間地それも中越に独特な隔離された小さく貧困な谷間に特有な現象であるように理解している
それを普遍化するのは誤りではなかろうか
0684世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 20:41:26.820
本当かいな…それを示す論文を教えてもらえると助かるのだが
0685ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/16(木) 20:51:56.660
>>678
そういえば武帝さんの購入した
超絶高級車はどうなっちゃったんだろうか、、、
0686世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 21:16:45.150
>>682
特有なのは、近代まで残ったことが特有なのであって
近代以前でも特有だったのかはまた別の話
0687世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 22:15:31.800
東北では、太宰治の実家の「斜陽館」で、
家を継ぐ長男の座る座に対して、次男以下の座る座が完全に使用人ポジション、
というのが有名かな。
0688世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 00:15:02.380
>>684
大都市や近隣都市で1日14時間年休3日働き
半分が30代で死ぬか金貯めて農地買うか
上記の都市が無い地方だと小作人で短い一生貧乏暮らし
農業生産性も低い東北や南九州や特定地域だと中世的な農奴生活
0690世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 00:19:47.230
江戸時代ユートピア史観は、誰が広めたんだろうか。

東北の大飢饉や牢屋のリンチ、切り捨て御免
年貢は安くて3割、高ければ7割
米の喰いすぎで脚気、裏長屋はボットン便所の悪臭
コレラに天然痘、夜鷹を買って梅毒。


なんのカンの言って、現代が一番いい
0691世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 01:22:55.370
>>672
漢代だと妻が夫を殴っただけでも死刑なのに
ましてや夫殺しとなれば如何ほどの酷刑に処されたのやらガクガクブルブル
0692世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 03:39:44.610
>>690
貧農史観が修正されていく過程での行きすぎだろ。
切り捨て御免とか言ってるあんたの歴史観も怪しいが。
0693世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 09:20:26.940
>>692
なんか、江戸時代ユートピア史観の行き過ぎの反発で、
逆に江戸時代最悪暗黒時代みたいなプロパガンダを吹く向きがネットのあちこちで暴れてるからな。
0694世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 11:28:52.720
>>690
切り捨て御免・・・・そういえば、水戸黄門も試し斬りをしていたか。
0695世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 13:29:56.490
>>646
「漢書」昭帝紀の中に
 毋収四年五年口賦・・・・・
 其減口賦銭・・・・・・
 有司奏請減什三・・・・・・・
 軽由薄賦、与民休息・・・・・
 至始元、元鳳之間、
 匈奴和親、百姓充実・・・・・
とかあって、
昭帝のとき(霍光が執政権を握っている)
四、五年の口賦を免除したり
口賦銭を10分の3減らしたり、
匈奴とも平和な関係となり
賦課を薄くして、民を休ませ、
百姓が豊かになったそうな。
次の宣帝のとき
山陽郡の戸九万三千、口五十万以上という数字があるなど、
人口増加があったことが推測できる。
(元の数字がないので推測)
0696世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 16:44:39.980
江戸時代がどんなに良くても

毎日シャワー浴びられない
冷えたビールをグイッとあおれない
麻酔無しでお腹を開いてもらえない
水洗便所にウォシュレットの快感を体感できない

やっぱり現代がいい
0697世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 17:00:22.270
ホイジンガの『中世の秋』でしたかね
中世の生活の厳しさと輝きのコントラストの激しさを記述した後で
どんな時代であろうとも
人間が味わうことのできる幸福の総量は変わらないのではないか
という歴史家の直観を語ったのは
0698世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 17:07:15.940
戦国時代延々と秦無双してたのに天下とったらなんであっちゅうまに滅んじゃったの?
0699世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 17:28:23.600
漢は秦系だから組織として滅んだわけじゃない
組織のトップが変わっただけ
0700世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 17:34:20.240
>>699
劉邦は漢中に封建されたときに、穀倉地帯の蜀の掌握と、関中の秦の父老たちの協力取り付けをやって、
それで楚漢戦争に勝利しているんだよな。
前漢初期の中央政府の支持勢力として、旧秦の存在感はかなり大きい。
0701世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 18:12:59.650
>>698
陳勝呉広の乱がかつてない全国規模になったからな

七国に分かれてた頃は、そんなこと無かった
0702世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 19:49:03.600
>>692
貧農史観の方が正しいんだけどな
上位4割である士農工商の農家が貧農じゃ無いのわ当然で
人口の半分に達する小作人は貧困層その物

斬り捨て御免も実際の掟だし
0703ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/18(土) 02:05:19.810
>>691

そういった厳しい社会規制があるんでしたら
逆にうまくやりおうせたらリターンはでかかったのでしょうか、、、
0704世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 02:13:40.720
漢民族、というか華北人というか、彼らの社会の家父長権力のきつさというのは、
日本人にはちょっと理解しがたいレベル。

日本社会の「家制度」の家父長権はそこまできつくないように思える。
0705世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 07:17:01.970
1度宿を借りたら永久に奴隷な日本の家制度がきつく無いとか失笑ww
古代ローマ中世ドイチュエゲレスと比べても変わら無いレベル
0706世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 10:37:53.400
リターン?ないと思う
未亡人とかその字が示す通り近現代まで女性に置いては夫の早世は死亡リスクの最大要因の一つだったわけだし

「都市史」を扱った論文で16世紀のイングランドでさえ夫を失った女性は数年間にほとんどが死亡しているという指摘は
衝撃的だったな
漢代の「辺塞文書」を見ると赴任してくる兵士が妻も同行させてる場合があるのだが
これは女一人世帯が当時の社会にあって如何に難しかったかを示してると思う
0707世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 12:28:02.230
いや、普通に未亡人+子の戸籍が在った。発見される程度に
0708ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/18(土) 12:42:54.720
>>706
ふむぅ、職業はともかく
土地も相続できないんですかねぇ

古代中国といえばニートがもてはやされる世界だと思ってたのに、、、
0710世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 16:35:20.400
辺戌は徴兵制の内地勤務と違って志願制で給料も出てたからな
0711ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/18(土) 17:31:15.720
>>695
税金減らしたら、人口が増えたってことですかね?

>>661
士分貴族が「貴方を○○に売りました」と連絡すると
その庶人が新しい人のところに出向いて納税する??
「今日から家来です」
0712ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/18(土) 17:43:16.150
>>543>>626

士大夫
したいふ

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
https://kotobank.jp/word/%E5%A3%AB%E5%A4%A7%E5%A4%AB-73712

一般に、旧中国社会で上流階級をさす語。

古代には天子、諸侯、大夫、士、庶民の5階級があったと伝えるが、天子、諸侯は大小の君主で特別なものであるから除外すると、
大夫と士が支配階級であり、被支配階級の庶民と対立した。

統一国家、漢の下で士と庶民の別がなくなったが、新たに官吏と人民との別が生じ、官吏の地位が世襲的となり、士族と称せられ、
六朝(りくちょう)を中心とする貴族政治の時代が出現した。

宋(そう)代以後になると世襲貴族が没落し、かわって科挙による官僚階級が形成され、士大夫、読書人などと称せられた。
彼らの間では学問とともに高雅な趣味が尊ばれ、たとえば彼らが余技として描く絵画は士大夫画(文人画)とよばれ、
職業画家の絵よりも高く評価された。この形勢は清(しん)末まで続いた。[宮崎市定]
0713ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/18(土) 17:51:26.150
>>712

士大夫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E5%A4%A7%E5%A4%AB

起源

『春秋左氏伝』によると、周代の身分制度は王や各諸侯の下に大夫と呼ばれる貴族階級があり、その家臣として士と呼ばれる階級があった。
彼らは「邑」と称せられる都市国家の指導者階級であったが、
氏族社会を基盤とする都市国家の連合体制が崩壊して家父長制を背景とする領域国家が形成されて来た戦国時代になると、
この階級が崩れ、士は独自の能力を持って領域国家を支配する各諸侯に仕える人々を指すようになる。

前漢の統治体制が確立すると、地方において強い経済力を持って人民を保護民化していった者たちが、
郷挙里選の制度下で子弟を中央官僚として送り出すようになり、支配階級を形成する。
彼らは自らを周代の都市国家指導者層に擬えて「士大夫」と呼ぶようになる。後世からは「豪族」と呼ばれる階級である。

魏において九品官人法が制定され、魏晋南北朝時代には豪族は漢以来の血統と文化的実績、人民保護者としての名望を背景に、
華北に浸透した北方遊牧民の有力族長層と共に、より名門意識を高めて後世「貴族」と呼ばれる階級に変わって行くことになるが、
自らは変わらず「士」「士大夫」と称していた。

貴族階級は、自分たちの地位を保全するために、貴族階級から外れた者たちを「庶」と呼び、激しく差別して政治の場から排除していた。
0714世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:04:44.520
>>712
日本は平安時代の貴族社会から、鎌倉以降の武家社会になった

中国は、唐代の貴族社会から、宋以降は士大夫へと社会の主導層が代わった

それを思うと、士大夫は重要だ
0715世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:05:27.450
ただし、清朝においては、士大夫の上に満州貴族がいたのだが
0716世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:10:35.460
>>714
日本国は天皇朝が崩壊してから徳川朝までずっと無政府状態
五胡十六国時代や五代十国時代みたいなもの
0717世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:13:31.030
>>715
大清国はダイチン・カンを共通の主張とする同君連合。
この連合を構成する諸国の関係は対等ではなく、マンジュ・グルンとモンゴル・ウルスが
軍事力を握って世俗の支配階級、チベットがチベット仏教を背景にした宗教権威。
そして「漢土」は生産力を吸い上げられる従属国。
この従属国である「漢土」にダイチン・カンが皇帝・天子として君臨し、士大夫科挙官僚を
使用人として統治の実務を負わせる、というシステム。
0718世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 19:45:50.430
>>716
いや、応仁の乱より前の室町幕府は、唐くらいの状態だ
0719世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 20:12:06.300
>>716
天皇による万世一系という見方が不自然
日本の歴史を他国と同様に王朝の興亡として扱えば以下の様になる

倭奴国 1世紀頃
倭国大乱期 2世紀末〜3世紀初
女王国(不弥国) 3世紀中頃〜4世紀後半
女王制邪馬台国 〜4世紀初
神武朝大倭国 4世紀初〜4世紀後半
応神朝大倭国 4世紀後半〜5世紀前半
第一次王権分裂期 5世紀中頃
雄略朝大倭国 5世紀後半
第二次王権分裂期 5世紀末〜507年頃
継体朝大倭国 507年頃〜670年
天皇制日本国 670年〜1167年
平氏政権日本国 1167年〜1185年
鎌倉幕府日本国 1185年〜1333年
建武新政期(南朝) 1333年〜1392年
室町幕府日本国(北朝) 1336年〜1573年
織豊政権日本国 1573年〜1603年
江戸幕府日本国 1603年〜1867年
大日本帝国 1867年〜1945年
連合軍軍政期 1945年〜1952年
象徴天皇制日本国 1952年〜
0721世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 23:56:35.120
>>707
その未亡人と子どもって当時の社会でどれほどの間生存できたのだろうね
子供なら奴婢となることで生きながらえることが出来るが
儒教規範では再婚はありえないのでその点は厳しかったろうな
0722世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 05:57:30.150
>>720
それはないだろう

盛唐でも、河北省あたりはすでに手出しできない半独立国

日本に例えれば、京都の幕府が関東平野に手出しできない状況だ
0723世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 06:41:28.020
玄宗は、足利義満みたいに地方勢力を削って真の統一を実現しようとしたが、逆に地方勢力の反乱で王朝が崩壊した

「開元の治」と称される最盛期の玄宗ですら、そんな状況

ましてや、それ以後の唐は、日本でいえば応仁の乱のあとの室町幕府、つまり戦国時代

さらに黄巣の乱のあとの晩唐ともなると、日本語でいえば安土桃山時代に相当する
0724世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 06:46:54.820
それに対して漢は、最大の危機だった呉楚七国の乱を、長安の勝利、地方の敗北という結果で乗り切ったのが大きい

これにより、中央集権が実現した
0725世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 07:50:01.670
>>722-723
最早無知過ぎて願望を越えて妄想レベル

足利朝は義満の時期ですら京都近郊以外半分処か2/3独立国で中唐晩期
安禄山の後継藩鎮より広範な権限と世襲権益持ってたのが大名

その後の2代盛期の義持義教期でも大名は1/9独立国で全く統制効いて無い
関東地方は全く制御の利かぬ独立した地方だし
日常的にお膝元で内戦やらかして将軍が攻められて逃亡してたのが史実
0726世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 08:42:29.110
>>725
唐だって、皇帝が攻められて逃亡したことが何度もあっただろ
0727世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 09:22:48.650
>>722
>盛唐でも、河北省あたりはすでに手出しできない半独立国
これなんのこといってるのかな。無知な俺におせーて
0728世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 09:29:53.960
そもそも、「盛唐」ってのは文学史の区分、唐詩の最盛期を指す

大詩人・杜甫が活躍した安史の乱の前後、「国破れて山河在り」の時期が盛唐
0729世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 09:37:57.970
安史の乱後、代宗は安禄山の旧臣であった李懐仙を幽州に、田承嗣を魏博に、張忠志(後に李宝臣)を成徳に封じた。
その後河朔三鎮(河北省を中心とする地域の三つの藩鎮)は次第に地方勢力として独立し、唐王朝の勢力が及ばなくなった。

三鎮は「河朔の旧事」と称してその主帥は代々唐王朝の任命によらずに世襲や部下による擁立によって就任し、勝手に領内の文武百官を任命して租税の上供を拒んだ。
これによって藩鎮の弊害の嚆矢ともいえる存在になるとともに北方地区の政情不安の原因となった。
これに対して徳宗は制圧策を用いるが、三鎮側は黄河以南の河南二鎮(平盧・淮西両節度使)と結んで反乱を起こして徳宗を長安から追放する程であった。

だが、憲宗が河南二鎮を攻め滅ぼす事に成功すると、これを恐れた三鎮は一時的に唐王朝に帰順したが、憲宗崩御後に再び独立して自立を回復する。
0730世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 09:49:19.540
盛唐(読み)セイトウ
デジタル大辞泉の解説
せい‐とう〔‐タウ〕【盛唐】
中国、唐代の文学史を4期に区分した、その第2期。玄宗の先天元年(712)から、代宗の永泰元年(765)までの約50年
0731世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 09:49:36.590
河北三鎮が半独立国と化したのは、安史の乱より後の話だな
0732世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 10:06:28.310
やはり、唐が中世的な地方分権の藩鎮体制になったのは、安史の乱以後のこと

それ以前は、古代帝国のような中央集権体制だったと見るべきか?
0733世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 10:10:44.020
>>732
いや、その時代は事実上武川鎮軍閥系の北族の血筋の軍事貴族の合議体制に近いから、
前漢のような古代帝国的中央集権体制とは言い難いな。
0734世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 15:04:07.340
中華ドラマ「賢后 衛子夫」がアマゾンプライムで見れる。
武帝の皇后になるヒロイン衛子夫が超美人。
あれなら武帝さん頑張っちゃうもんね。
0735世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 15:48:18.560
>>698
いきなりの郡県制が急ぎ過ぎ。
高度に発達した官僚制が
始皇帝の個性に依存過ぎ。
0736世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 16:43:02.530
>>726
足利将軍は逃亡とかじゃ無く盛期の義教でも白昼堂々殺されてるからな
義持も義教も大名に度々命令拒否されてるし晩唐水準だよ
統制出来てたのわ義満時代だけ、而も義満ですら唐皇帝と違って守護領国は全く関与出来無かったし
0737世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 17:57:10.580
>>736
足利幕府の時代の社会でややこしいのは、幕府自体が有力守護の連立政権というのに加えて、
当初は令制国ごとの軍事警察司令官に過ぎなかった守護が守護領国制を発展させて、
地域に盤踞する半独立勢力に成長する途上だったというのがある。

幕府運営に強くコミットしている有力守護は守護領国制を成長させていく実務を
守護代層にゆだねざるを得ず、国ごとに守護からの戦国大名への成長ルートと、
守護代層からの戦国大名への成長ルート、国人一揆からの戦国大名への成長ルートと
道が分かれていった。

さらにそれに加えて、幕府中枢そのものが幕府本体の西国国家と、鎌倉公方支配の
東国国家に分裂していた。
0738世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 19:40:01.570
>>735
呂不韋→李斯→韓非→趙高の操り人形としてほぼ統一目前だった良い時代に即位して国中に圧政敷いて自分は不老不死に夢中になって優秀な長男辺境に追いやってアホな末っ子甘やかした暴君始皇帝って構図はもう無くなりつつあるの?
0739学術
垢版 |
2019/05/19(日) 20:06:16.120
アシタカ。
0740世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 20:39:02.510
>>736
唐は、徳宗と敬宗は宦官に殺され、文宗は宦官に幽閉されるという、あり得ないヘタレっぷりだ

歴代皇帝を個別に見ていくと、歴代最弱王朝の名にふさわしいのは、宋じゃなくて唐だってことが分かってくる
0741世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 20:48:20.490
安史の乱の前だって、カリスマ皇帝の太宗がいなくなったら、すぐに外戚の武氏に王朝を簒奪され、武氏から取り返しても、またすぐ韋氏に乗っ取られかけた

強い実力皇帝が出たときは一時的に安定するけど、それも長続きしない動乱の繰り返し

これで300年つづいたのは奇跡ともいえる、不安定な王朝
0742世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 21:01:45.240
漢も、後漢の後半は、宦官と外戚の弊害でボロボロだったが
0743世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 06:09:53.340
>>738
史記でのイメージは強いね。
少なくとも暗殺対象に狙われやすい人物ではある。
始皇帝個人の命さえ消せば、
情勢が激変する。
「戦略的人物」として、暗殺しがいがある。
0744世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 09:36:33.490
>>721
武帝の姉、平陽公主は曹時と離縁した後、
衛青と再婚してるが、
儒教的はどうなんだろう?
まぁ武帝の時代に董仲舒の献策で
儒教を国教化したという従来の理解は、
今は否定されてるのかな?

ちなみに曹時・平陽公主の子、曹襄が平陽侯を継いで、
武帝の娘の衛長公主と結婚。
劉家と曹家はかなり密接。
後漢末に曹操の父は養子で曹家を継いだ。
曹操は漢の名門を継いでることになる。
0747世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 23:19:08.210
わガイジって助詞の「へ」使うときも「え」って書くんけ?
0749世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 19:04:26.560
屁をしても絵になる男
0750世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 20:06:44.750
>>741
足利朝は最盛期でも只の地方政権(京都近郊だけ)だぞ、明帝国の1/10000しか財政規模ないし
晩唐〜五代レベルというか後漢末期〜三国レベル
0751世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 00:59:25.180
足利朝ってなーに?

歴史的に足利朝なんて存在してないんだけどw
0752世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 07:40:09.200
英語版のWikipediaの足利幕府は、項目名が足利将軍国で、記事の冒頭は「足利将軍国」は
大名に起源する王朝である、と書かれている。

足利朝や徳川朝という言い方は日本では利用されていないが、英語では若干ヒットする

世界史的には、サーマン朝とかブワイフ朝とかアッバース朝の家臣も王朝扱いなのだから、
足利朝という表現も歴史学的にはあってもいい。そういう利用の仕方は慣用的ではないというだけ。

慣用的ではない、と指摘するならともかく、「歴史的に足利朝なんて存在してない」と書くのは歴史学の素養がないのではないか

王朝表記の統一定義なんてないのだから

そもそも英語では足利幕府はAshikaga shogunateで直訳すれば足利将軍国、徳川幕府は
Tokugawa shogunateで直訳すれば徳川将軍国。日本と中国を除く世界的には、
「足利将軍国」「徳川将軍国」という認識の方が一般的なのだが

まあだからといって俺も足利朝なんて使い方はしないけ。慣用的じゃないから
0753世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 16:19:52.770
>>752
>>記事の冒頭は「足利将軍国」は大名に起源する王朝である、と書かれている。

この英語圏の足利幕府理解ってのも普通の日本での日本史理解では妙なものだな。

「大名領国制」が成立してくるのは室町幕府体制下でそれまで令制国ごとの軍事警察力の
指揮官でしかなかった守護が民政機能をも国衙から奪取して守護領国制を成長させた
事に起因していて、いわゆる「大名」のイメージの源泉になっている戦国大名や
近世大名も、この「守護領国制」で出現した「守護大名」の行政組織をルーツにしている。

足利幕府が出現した段階では「大名」とは「大規模な名主」の意味でしかなく、
派生で大勢力の武家にも援用されているくらい。
だから、室町時代成立の能楽の演目で出てくる「大名」ってのはどれも武家領主より
下位の名主百姓の中の大規模経営者ばかりで大勢力の武家なんて出てこない。

「大名」なる大領国組織の武家は「足利幕府体制」から生まれてくるものであって、
逆に「大名」のひとつが成長して「足利幕府体制」をつくったわけじゃない。
0754世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 19:21:26.420
抑々足利幕府は春秋期の覇王みたいなもんだから
而も国衙なんてとっくに崩壊してるし
0755世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 19:25:33.300
>>754
国衙の崩壊期=室町前期の守護領国制確立期

これ、荘園制の確立した平安時代中期に国衙なんて崩壊しちゃったんだろうと
思い込んでいる人が多いんだけど、当時の実情は荘園公領制であって
荘園と並んで国衙領となった公領の勢力が案外大きく、国衙が経営拠点に
なってて室町時代前期まで存続してるんだよ。
0756世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 19:35:32.530
" shogunate"ってのも"sultanate"と同じで「〜役」「〜職」「〜位」を意味する
ラテン語語尾"-atus"の英語形を"shogun"や"sultan"にくっつけたもので、
要するに「〜の役職に伴う政権・権力」って感覚の語だな。
「〜国」「〜朝」って訳もそこからの拡大解釈の感がある。
0757ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/22(水) 19:50:19.170
なんのスレ開いたのかわからなくなっちゃったぜw



>>518
Eで群国は特定の地域に集められながら継続したらしい

諸侯国と諸王国が集められた地域は
おいら調べの記憶によると
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f7/China_Han_Dynasty_2.jpg/800px-China_Han_Dynasty_2.jpg


冀州
青州
?州
徐州
豫州

この五州でいわゆる後背地ですね
ローマの文民元老院議員が
戦線に隣接しない属州総督に任命されるのと似た感じですね
0758世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 19:53:08.580
>>754
それを言ったら、漢唐の皇帝だって似たようなもんだろ

「支配者」というより「盟主」というべき存在だ
0759世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 19:55:16.420
すぐ日本の話になるのは、中国史スレの宿命か
0760世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 19:59:41.070
日本史は中国史のコロナリー
0761世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 20:04:02.870
>>756
中国の王朝名は、Han Dynasty, Tang dynasty, Song Dynasty・・・で用語統一されている

日本の Emperor や Shogun は欧米でも有名だ

世間の一般人ならともかく、文系インテリなら知ってて当たり前
0762世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 20:10:47.640
つまり何が言いたいかというと、室町幕府を“Ashikaga Dynasty”と思ってる人はいない

ちょうど、いま読んでた“Why nations fail”という本にも、

The Japanese emperor was sidelined and assumed a purely ceremonial role・・・とある
0763世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 20:41:26.600
>>762
>室町幕府を“Ashikaga Dynasty”と思ってる人はいない

オスプレイのSamurai Commanders (1): 940–1576には Ashikaga Dynasty と言う用語が登場しているね
https://books.google.co.jp/books?id=FdYbDAAAQBAJ&;pg=PA30&lpg=PA30&dq=%22
ashikaga+dynasty%22&source=bl&ots=j_0Car7B4M&sig=ACfU3U1e1-OPVe8jWdJJlZDMCg4D6KPAyw&hl=
en&sa=X&ved=2ahUKEwiGwKLthK_iAhVRGKYKHVBSDO0Q6AEwEHoECAkQAQ#v=onepage&q=%22ashikaga%20dynasty%22&f=false

他にもAshikaga Dynastyで検索すると少ないものの出ては来る

こんなのが主流とは思っていないが、「室町幕府を“Ashikaga Dynasty”と思ってる人はいない 」というのは言いすぎだろうね
0764世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 21:02:07.120
英語圏の認識は日本人からすれば奇妙なものが結構見つかるな

アメリカのブリガムヤング大学の公式サイトに掲載されている江戸時代の地図では、
幕府直轄領土と思われる部分が「TOKUGAWA EMPIRE」と書かれて色塗りされている・・・
0766世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 21:06:35.320
>>755
西国じゃ武家より天皇家公家のが未だ行政権握ってたのわ知ってるけど
それより仏教寺社領や惣村のが更に勢力大きかったからな
而も天皇家公家じゃ武家の武力の前に無抵抗だし
0768世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 21:31:48.160
>>766
わガイジって「へ」使うときも「え」って書くの?
それとも頑なに「に」に書き換えて使わないようにすんの?
0769世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 22:10:54.040
>>767
東京国立博物館は未だに弥生時代の開始を紀元前4世紀に置いていたり、
多分、美術史の人が実権を握っている組織だからなんだろうけど、
歴史学的にはいろいろ奇妙な認識に固執しているところがある。

日本における美術史の人と日本史・東洋史の人の歴史観のギャップが垣間見れて、
それはそれで面白いけどね。
0770世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 23:14:12.620
>>763
そうだな

「思ってる人はいない」は言いすぎだ

ケネディ家やガンジー家だって“Dynasty”と言われるくらいなんだから、この用語の適用範囲は広い
0771世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 23:16:45.630
>>764
まあ、江戸幕府の天領は、神聖ローマ帝国の皇帝直轄領みたいに見えるんだろうな
0772世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 23:21:48.690
フランス王国の国王直轄領でもいけるな
0773世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 23:28:01.130
>>769
そりゃ文化史の人は感覚が異なる

その最たる例は、前にも出てきた「盛唐」で、これは李白や杜甫が活躍した唐詩の最盛期を指す文学史の区分

安史の乱で「国破れて山河在り」、「黄昏 胡騎 塵 城に満つ」とうたわれた頃が盛唐
0774世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 23:58:49.480
>>773
文学史の人の言う「初唐」が胡族国家的な世界帝国の時代で、
「中唐」はこじんまりとした中華帝国に落ち着いた時期。
「盛唐」は両者の移行期の混乱期。
0775世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 00:03:19.850
ちなみに、美術系、歴史・考古系、自然史系のどの分野の学芸員とも付き合いがあるが、
純美術系の学芸員にはマジで絵画に描かれている画題の歴史的・社会的な文脈とか、
描かれている動植物の正体とかに関心絶無なのってけっこういるんだわ。

そういう人って、構図とか技法にはすごく詳しいんだけどね。
0776世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 00:26:47.550
>>775

そりゃそうだべさ。
クリエーターの作品をいろいろ鑑定するんだから、
美しければ、画題が真実でも虚構でもいいんだから。

たとえば「伴大納言絵詞」。
火事を眺める群衆や
子どもの喧嘩に親が出る、の場面はまさに秀逸。

そこでわざわざ
「この絵は9世紀に発生した政治疑獄をテーマにした作品だが、
描かれている人々の風俗は、実際に絵が描かれた院政期、12世紀のものである」
などと突っ込むのはヤボというものだ。
0777世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 00:37:28.440
>>776
でもさ、江戸時代の絵画で墓石と夏草が朝露に濡れていて、そこに光ってない
ヘイケボタルがびっしり集っている画題のを見て、そこに描かれている虫が
ホタルだって全然気が付かないのもどうかと思うんだ。

そこに何らかの寓意が込められていると判断すべきだろ。
0779世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 02:05:30.620
>>778
いや、ヘイケボタルって和名がつけられたのは明治以降だから、
画家にとっては「ホタル」ってことが重要だったんだと思う。

あと、墓石じゃなくて石灯篭だったかも。

あのとき一緒にいた美術系学芸員が「美学」方面じゃなくて「図像学」系の人だったら、
いろいろ謎解きをしてもらえたと思うと、残念でならない。
0780世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 08:13:37.630
>>773
>安史の乱で「国破れて山河在り」、「黄昏 胡騎 塵 城に満つ」とうたわれた頃が盛唐
これもまた違う。

盛唐は安史の乱の前も含む。安史の乱後も含むことを強調したいという意図はわかるが、
開元天宝を含まないかのように書くのはおかしなこと

盛唐(読み)セイトウ
デジタル大辞泉の解説
せい‐とう〔‐タウ〕【盛唐】
中国、唐代の文学史を4期に区分した、その第2期。玄宗の先天元年(712)から、代宗の永泰元年(765)までの約50年
0781世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 08:17:13.940
文は必ず秦漢 詩は必ず盛唐
0782世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 10:55:22.790
秦は暴政か否か?

Webで中国語ページを見てると、
秦代は、「奴隷制」国家というよりも、
「刑徒制」国家である気がしてきた。
全人口の1/5 いや 1/4 以上が、
法を犯したために
刑徒として劣悪な環境下での強制労働に従事させられていたのでは?
という論議がヒットしていた。
実際はどうなのか、本当のところはわからないが、
本当ならば
まるでスターリンが数百万人をシベリア送りにして、
シベリア開発の労働力を確保したのに似てるな。

里耶秦簡では、
多数の刑徒が洞庭郡遷陵県の公役労働に携わったことや、
司寇と称される刑徒は住居や田畑を給付され、戸を形成した者だとわかるそうな。
遷陵県の戸数は150〜190戸しかないので、
労働力不足を補うため、他地域から刑徒を動員、移住させたのかもしれない。
0783ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/23(木) 19:00:33.280
>>782
ほほぅ

賦役を大量に課した結果として罪人が増えたのかと思っておりましたが
そもそも逆の経路で賦役を増やした可能性もあるわけですね
0784ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/23(木) 19:55:34.830
秦末に編成した罪人軍団は
牢獄の中の人を徴用したのかと思っておりましたが
強制労働中の方を連れていったのかもしれませんね

あのへんは大規模工事もいっぱいやってたでしょうから
0786世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 00:34:16.820
江戸は当時すでに世界的な大都市だったが中国が近年までずっと停滞してた理由は何?
0787世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 00:42:29.630
中国もどんどん発展したけどそれを上回るペースで人口が増えてしまったから
0788世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 06:29:02.600
>>785
防人や衛士は武具や食糧が自弁というのは本当なんだろうか?
地元の盗賊退治じゃないんだから、
無理だろ、それと思う。
暴政で名高き秦ですら、賦役に従事する者に食事や衣類はもちろん、手当まで支給されてたそうな。
そうじゃなきゃ全員死ぬ。
兵役でも軍服、武具、食糧は官給。
働きが良いと報奨も手厚い。
軍功で土地を支給された新興地主が急増。
もし待遇が悪けりゃ誰が命を張れるものか!

里耶秦簡の中に「得虎」での功績で6人に賦役免除というのがあるそうで
地元の虎退治みたいな公益に貢献と見做されると賦役免除になるらしい。
0789世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 07:44:57.620
江戸時代の朝鮮通信使が残した記録では、まず、大坂を見て驚き、「今までは北京が世界最大の都会だと思っていたが、大坂は北京を上回る大都会だ」と書いている。

その後、京都、名古屋と進むにつれて、驚きはさらに大きくなった。

しかし、江戸は、そんな大坂・京都・名古屋をも遥かに凌ぐ、超・大都会だったという。
0790世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 09:59:02.930
阿房宮と驪山陵の建設に刑徒70万人、
全長900kmの直道建設に30万人、
他に霊渠や長城など
始皇帝在位11年の間に、戦争や賦役に
合計200万人から250万人を動員という計算がある。

全人口推定2000万人。
負担が大きいか否か?
統一後の秦が短命だった要因か?
0791世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 10:07:50.910
陳勝と呉広、劉邦も徴発業務の破綻がきっかけで蜂起。
高負担だったんだろうな。
0792世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 10:44:24.180
>>788
どうも、戸籍で中央政府が個人把握して徴兵したってのはあくまで建前であって、
現実には弥生〜古墳時代以来の地方首長である郡司が、首長制共同体の自衛武装組織を
招集して、それを中央の要請に応えて送り出していたみたいなんだよな。
だから、「自弁武装」ってのも実態は共同体の公有の武器庫から支出されていたみたい。

そして、律令制の崩壊と連動して地方の首長制の組織そのものが解体してしまったので、
こういう招集が不可能になっていった。
0793世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 18:32:03.560
>>790
全国各地でメチャクチャに土木工事を乱発してるのは、21世紀の中華人民共和国と同じだ
0794世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 19:48:31.930
>>790
食事の供給だけでも大変
戦争みたいに略奪しながら通過というわけにいかない
その数字が本当ならすでに倒産している
0795世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 21:40:23.980
>>794
いやぁ、戦国時代の動員に比べたらマシという説もある。
アメリカの南北戦争のとき、人口3千万人で戦死者は民間を含めて70万人。非常時はそのぐらいの犠牲や負担が民衆にかかる。
統一後、非常時体制から負担を減らして平常時体制に転換できなかったのが滅亡の原因という話を読んだことがある。
隋とか豊臣政権とか、統一成就しながら短命で終わった例を連想するなぁ。
0797ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/24(金) 22:32:20.500
>>790>>794

働くのもですが
そもそも現地に行くのが
めっちゃたいへんですよねぇ

こういうのはゼニをうまく使えば
かっちょよく回せるんじゃないかと思うんすよ
0798世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 22:44:17.190
いや自弁だよ
古代日本天皇国は無茶苦茶、中世よりも以っと無茶苦茶
九州防人や戎夷討伐は無給の上に3年とかいう秦の徒刑課せれた罪人よりも重い苦役
0799世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 22:53:47.480
いや、そもそも貨幣経済も、商業経済すら未発達の時代に、物理的に戦場に武器を持っていっているんだから。

在地の首長制の社会が介在せずに丸裸で(比喩です)民衆を戦場に動員したとしたら、
それは丸腰の素手で戦場に放り込んだことになってしまう。

中央政府の官給の武器支給が充実していない社会で民衆を戦場動員できていたとすると、
在地の首長制社会の武器庫を想定しないと無理筋過ぎるんだよ。
0800ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/24(金) 23:01:00.410
>>795

南北戦争は歴史上最初の総力戦とみるむきもあるので
それまでの戦争とは別格かと思いますね

そもそも戦国時代は、技術・通信・輸送・政治体制をかんがみるに
そんなに大規模の動員ができたとは思えません
0801世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 23:04:54.290
>>792
むしろ、古代日本の場合、村落共同体の存在を前提に、共同体上位層を機関化し
村落内の人と土地を、朝廷が直接把握・支配しているというころがポイント。
普通、共同体が残る古代社会では、そこから先は中央権力は立入不能になり、そこから下の状態が不透明になる。
新羅なんかはこの状態のまま、古代国家が運営された。こっちがむしろ普通。

平安中期の律令クラッシュというのは、古い共同体が崩壊してそのままヒャッハーのカオスになったのではなく、
開発領主などにより新しく出来た共同体においては、その内部が(原則に戻って)不透明になってしまい、
朝廷が人や土地まで把握を貫徹できなくなった、というところがポイント。別に突然カオスな地獄に転落したわけではない。
この不透明さを担保するために、荘園が都の上位者に寄進されて支配権が重層化することになる。

まあスレチだが、秦の場合はどうなんだろうね。
0802世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 23:22:07.910
>>801
私も決して「ヒャッハーなカオス」になったとは思ってないんだ。
実際、平安中期に突入した段階でむしろ商業生産された安価な漆器であるとか、
輸入陶磁器の廉価品なんかが末端の民衆レベルまでいきわたって、
民衆の生活レベルが格段に向上していることが伺われる。
ただ、10世紀中ごろに古代集落が消滅して荘園公領制の確立した
11世紀になって14世紀ごろまで継続する荘園や国衙領における集落が形成される
はざかいの時期は、考古学から見ても明瞭に指摘できると思っている。

スレテーマの秦漢帝国に話を戻すと、中華世界では日本列島よりも古代的な社会から
中世的な社会への組み換えがもっと多段階を踏んで起きているような気がする。

まず、戦国期の邑制社会の旧首長層のおとりつぶしによる「廃国置県」が古い氏族社会の
解体と並行して起きて、さらに前漢から後漢にかけて長い時間をかけて「父老」の家父長的
指導を受ける郷里社会が変質、それが三国期〜五胡十六国期の戦乱を経て豪族系の新貴族に
指導される中世的な共同体が再編されてくる、という事じゃなかろうか。
0803世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:19:24.180
現代総力戦だから秦代とは比較にならんけど、『日本軍兵士』という本に、
1944年の日本の成年男子の10%、1943年ドイツの28%が軍人だったとありました。

が、これは限界を突破していた時期で、1940年の日本は4%だそう
女性子供老人含めた全人口比では1%くらいでしょうか

始皇帝の11年間に200−250万人は1年あたり20万人程度、
人口の1%なので、1940年当時の日本の動員割合くらいでしょうか
0804世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:25:32.740
>>802
中国だと、何度も何度も氏族制が破壊されては再構成されるという繰り返しなんじゃないの?
人類学的には、硬いヒエラルキーとしての氏族制はその大きなゆらぎを内包する。
だから別段、不可逆な何かが起きて社会構造が相転移したわけではない。

周の氏族制は、多分秦の全国統一と崩壊の過程で一度崩れた。
前漢前期に再構成された氏族制は、王莽で崩壊した。
後漢前期に再構成された氏族制(一般には豪族支配という)は、五胡十六国で崩壊した。
このように、基本的に百年から数百年単位で何度もリニューアルされる。それだけなんじゃないのかなあ。
0805ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/25(土) 02:02:46.610
>>803>>790

ふーむ、なるほど

ちょうど戦時で外国と戦争状態だった時期と
おんなじぐらいなんですね
期間的な部分も良く似てます


中華の中の人
その初の中央集権国家ならやりおおせたのかもしれません
0806ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/25(土) 02:08:17.680
>>790>>795
内戦終了後のアブレ者どもをどう扱うか

外国と戦争するより
インフラ整備で使い潰す方が健全な気はします

両方やっちゃうと隋の中の人みたいになっちゃうかもしれませんがw
0807世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 07:23:06.670
>>805
現代の総力戦とは様相は違うけれど、
古代の住人って、普段から地元の邑、県の城壁作りとかで駆り出されてたんじゃない?
農民たちは夜になると城壁の内側でないと安心して眠れない。
平和な日本じゃ想像が難しいが、大陸は常時臨戦状態なんだよ。
さもなくば集落を取り囲む城壁作りなんて重労働をやらないだろうに。
0808世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 07:45:59.480
>>801
全然違う
藤原政権が国津神系以来の共同体を後半且つ大規模に破壊した上に
酷い搾取を犯して地獄に成った

寺院領や開発領主は少数派
0809世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 09:21:04.160
>>808
地獄なのは、お前の脳内
0810世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 10:03:39.360
>>807
日本じゃ、城は軍事拠点に作るもので、都市を囲む城壁という発想が希薄かな?
せいぜい環濠集落を形成するぐらい。
環濠集落跡は日本以外に韓国南部にもあるらしい。
吉野ケ里遺跡には、矢尻が刺さっていたり、頭が切断されてる人骨が見つかってる。
古代日本も結構物騒。
ああ人類はなんでいつも殺し合わねばならぬのか。
0811世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 11:59:09.200
>>804
古代の「氏族社会」って、中世や近世の共同体社会とやっぱりなんか「におい」が違うんだよね。
それは呪術性であったり、成員が広範に擬制的に同じ血縁の一族とみなされる閉鎖性を抱えていたりとか
いろいろあるんだけど、

特に
>>810の人の指摘しているような、初期の農耕共同体の間に激しい軍事的な緊張関係があって、
相互に凄惨な殺し合いを恒常的にしている、ってのも重要な側面だと思う。

日本の古墳時代にはそういう殺し合いが止揚されてきて、防御性の集落が解消されてきちゃうわけだが。

日本の中世後期〜近世初頭に台頭してくる自治村落の間の軍事緊張もそうとうなもんだが、
なんか古代のそれと「におい」が違うんだよなぁ。この相違感、違和感って何なんだろう。
0812世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 17:25:36.630
古代の氏族社会なんて実態不明なんだから
略々無臭
まあ日本列島は平安時代中期まで古代
且つ現在に至っても氏族社会だから事情が異なるが
0813世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 19:16:19.850
環濠集落が本当に防御性集落かというと最近の考古学では怪しいとされてるよね
というのも木柵の外側にないとおかしい堀が内側にほどこされてるから
これだと外から攻めてくる方が有利になってしまう

弥生時代から古墳時代の軍事学の泰斗というか日本ではこの人ぐらいしか専門に研究してる人いないけど
藤原哲氏の最近の論文だと「環濠集落を巡る集団戦ではなく、“奇襲・襲撃・裏切り”といった数人単位の戦術や儀礼的なものが中心」
って結論になってる
0815世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 21:28:12.990
>>811
日本は、直感的には多分その「におい」でいいと思うんだ。においでは学問的議論にならんけどね。
でも中国は最初から違う気がする。
古代氏族制の時間的な射程が短いんだよ。祖先崇拝といってもたかだか数世代。
孔子ですら、西周初期に戻れというのであって、殷に戻ろうとは決して言わない。
理想郷の設定ですら、「たかが数百年しか遡及しない」。
近代人からみると、儒教が妙に合理的にみえるのはこのためなのだが、
孔子が合理的なんじゃなくて、もっと根本的な問題がある。
周の氏族制は、殷周革命より遡らないんだよ。殷末から周の征服で一度クラッシュしてる。
東の黄河下流域のクラッシュは遅れたと思われるが、とにかくクラッシュした。
0816世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 22:10:44.250
孔子わ直近の統一国家が周なんだから当たり前の話
頭アベかよ

ちなみに日本列島は北条朝も足利朝も統一出来て無い唯の地方政権で春秋の覇者の様な者
0817世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 22:26:40.530
弥生時代の戦闘で死んだと見られる人の遺体は青谷上寺地遺跡を例外としてほぼすべてが埋葬された状態で発見されている
これは室町時代以降の古戦場から時には乳幼児の遺骨すら発掘されるのとは対照的で
相手側集団を全滅させるような戦いがなかったという証明である

また戦場痕があるのは若い成人男性がほとんどで青年男性が数人ごとが集団を代表してそれなりのルールをもって戦っていたと考えられる
この点も沼津の千本松原のような古戦場あとからですら多くの女性人骨が見つかっている室町時代とは対照的
0818世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 22:55:40.050
弥生時代って中国だと前10000年〜前5000年頃の新石器時代だからな
前5000年以降に成ると各地の文明が拡張し始める
0819世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 23:11:59.760
殷周革命を画期として、それ以前とそれ以後の社会って見方は果たしていいんだろうか。

あれは周に率いられた陝西の勢力が陝東の殷を中心とした都市国家連合体を制圧した事件で、
それによって確かに陝東の社会には様々な断絶が生じているわけだが、
征服した側の陝西の社会に断絶は生じているんだろうか。
0820ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/26(日) 00:09:46.620
>>788>>807

徴用されてもお小遣いもらえたんでしょうかね、、、
0821世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 07:02:56.350
>>816
周は、実質はもちろん、建前ですら統一国家じゃないだろ
0822世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 07:11:21.330
>>815
孔子は、約2500年前の人

殷周革命からすでに500年がすぎ、その前には殷の600年、夏の500年があり、堯舜はさらにその前の人

「数百年しか遡らない」とする所以は?
0823世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 07:52:07.880
>>820
小遣いあったみたいね。
秦律 司空の文言の解釈次第だけど
1日8銭とか糧食1/3斗とかの提供があったらしい。
男が月に両石、女が月に1.5石を発糧とかの文言もあるそうな。
0824ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/26(日) 08:21:14.950
>>823

銭納(または物納)による免役と
お小遣い制の両輪で望めば
社会保障と税負担の公平性の両方を
満足できそうではありますが
0825世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 08:45:32.620
>>821
徳川将軍国が統一国家と見做されるのと同じ様に統一国家だよ
徳川朝と北条朝の中間くらい
0826世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 09:20:46.350
>>825
いやいや、そんなことはない

周王は、「皇帝」というより「盟主」にずっと近い地位

形式的にも実質的にも統一王朝ではない
0827世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 09:23:31.000
>>825
>徳川朝と北条朝の中間くらい

漢や唐で、やっとそれくらいの統一レベルだ
0828世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 09:31:23.500
安史の乱以後の唐の朝廷は、北京を中心とする北部をコントロールできなくなっていた

無理に抑え込もうとしたところ、反乱が起きて逆に皇帝が長安から脱出する羽目になり、反省と謝罪をすることでようやく戻れた

これは、足利義満以後の室町幕府が、身内だったはずの関東公方をコントロールできなかったのに相当する状況
0829世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 09:42:24.290
太宗のときは「貞観の治」、玄宗のときは「開元の治」という最盛期があったが、唐が名実ともに統一王朝だったのは、この2つの時期だけの一時的な状況

あとは、日本でいえば室町幕府みたいな群雄割拠の時代
0830世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 11:01:41.220
>>826-827
先ず、北条朝足利朝に関して全く無知過ぎる
源、北条氏族わ近いんじゃ無く只の盟主、足利家に至ってわ盟主ですら無く大和朝廷レベル。
徳川朝の支配形態や実効性が後漢帝国と同程度
>>828
全く違う
安史の乱当時唐が義満期の室町幕府、黄巣の乱以降が義持〜
室町幕府が全国政権に成った時期わ実態として一度も無い
0831世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 15:51:27.720
>>752
それ訳語の問題であって足利朝が存在してるって証拠にはなってないのですが
0832世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 17:58:42.140
訳語の問題じゃ無く歴史認識の問題、乃ち足利朝という認識
0833世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 18:11:20.260
>>832
いやdynastyって企業とかで社長一族の支配とかでも使ったりするし
日本人の考える王朝と概念が違うのよ
0834世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:02:18.200
>>824
行政文書の竹簡の研究が進むにつれ、
秦は決して苛政なんかではないんじゃないかというイメージが出てきた気がする。
0835世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:10:39.960
>>833
北朝鮮を金王朝と言ったりするようなもんで、日本人だって適当だわな
0836世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:14:46.060
やっぱり前漢の張騫より後漢の班超の方が大物だよねぇ?
0837世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:16:10.520
英語の"dynasty"だと単に世襲支配者の系譜って意味合いだけど、
漢字文化圏の「〜朝」だと「天子の執政の場」って意味が付随するんだよな。
だから、皇帝・天皇か、せめて王の政権じゃないと、となる。
そうすると、天皇から官位を与えられて政権をひらく征夷大将軍は朝廷じゃないじゃん、
ってなってしまう。
0839世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:55:22.180
>>837
教義の王朝ではないかもしれんが広義の王朝にはあてはまる
ってだけやろ
0840世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 20:50:30.330
そもそも当時の認識としては、幕府というより「鎌倉殿」・「室町殿」だからな
全国の武家社会の盟主であって、王朝でないのは明らか

室町幕府が東国に設置した関東公方も、「鎌倉殿」と呼ばれていた

日本や西欧の中世は、きわめてバラバラで分権的なのが特徴
「どの時代も同じように見える」中国史とは、その点が対照的
0841世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 20:54:05.940
しかし、中国史がどの時代も同じように見えるのだって、実は錯覚、というより、意図的に作られた歴史の一貫性だ

漢が滅亡してからモンゴル帝国が大統一するまでの中国大陸は、隋の煬帝、唐の太宗・玄宗といった実力皇帝による短期統一を除けば、ずっと中世的なバラバラ状態
0842世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 21:00:25.370
武家の盟主であるためには、強くなければならない
家柄や教養だけで認めてもらえる世界ではない

五代十国時代の中国や、武人政権期の高麗では、その時々で最強の武人が天下を取り、天下人がコロコロ入れ替わった

高麗では、崔氏の武人政権が四代つづいた時期もあったが、これだって、たまたま崔忠献の子孫が権力闘争に連勝しただけであり、世襲ではないという見方もある
0843世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 21:04:49.310
秦漢に征服された巴蜀やビン越のえろい人たちはどうなったんでしょう?
0844世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 21:14:17.760
古代ペルシャ帝国に征服された各地の酋長たちは、皮剥ぎの刑や、串刺しの刑にあっていたが?
0845世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 21:32:00.130
>>840-841
他に大規模な権力体が無かったから仕方無い
唐後期の藩鎮が林立した状況でも徳川朝より直接支配して居たからね
0847世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 21:36:06.700
>>846
まあ、そうだな

確かに、そういう面もある
0848世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 21:38:10.050
基本はヤクザだからな、武家社会の義理人情ってのは
0849世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 00:22:49.980
>844
うんわけねぇーじゃん
例えばトラキア総督のセウテスとか皇帝アルタクセルクセス2世の命を狙ったクセノポンを匿ったにもかかわらず
総督の地位を剥奪すらされてねえぞ
「アナバシス」や「ダニエル書」「ネポス英雄伝」を読めばわかるがアケメネス朝の統治体制は各属州の有力者が共同でペルシャ皇帝を擁立する体制で
徴税や司法権は各州の総督に丸投げ、属州民同士が戦争しようが基本放置って方針だぞ
0850世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 01:47:54.270
>>829
高宗と武則天時代も地方長官は任期制で勝手に世襲できなかったから統一政権だと思うのだが
0851ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 03:37:05.470
>>849
前漢のときもほとんど一緒なので
帝国ってそんなもんじゃないっすかね

初めからヤバさを感じるのは
単于頭曼以降の冒頓時代の匈奴帝国の中の人ですか
あ、あと始皇帝さんの中の人もですね


>>836
間違いないかと思います
0852世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 03:42:23.300
>>836
比べるなら張騫と甘英、班超と衛青か霍去病じゃない?
0853ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 03:45:37.990
>>834
おいらは初めからそのイメージはないですね

超低識字率時代に全国一律の
完全放置国家が成立できたのかは気になりますが

秦代各地の書簡で
法律上の地域差(慣習法)的なのってあるんでしょうかね?
0854ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 04:01:16.350
おいらようわからんのは
>>520の法三章のエピソードっすねぇ

これが法になじんできた関中に向けて布告されたのでなければ
なるほどとも思えるのですが
関中人民の支持を取り付けるのに利用されてるのが
めっちゃ解せないところです


出ず、稼がず、働かず、のニート三章はどの程度やってたのだろうか、、、
0855世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 06:22:06.730
>>844
それはアッシリアだろう?
壁画に数々の残虐行為を誇るように描き残してるのは。
アケメネスのペルシアは穏便だったはず。
0856世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 06:25:03.100
>>852
張騫は軍事的才能皆無だもんな。
0857世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 06:33:12.920
>>849
岩波文庫のアナバシス読んだことがあるけど
結構、版図内にペルシア王に服さない部族が跋扈してるね。
近代国家の領土のイメージじゃないな。
0859世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:21:24.380
古代ペルシャ帝国のダレイオス大帝もそうだし、ブルボン朝フランス王国の太陽王ルイ14世もそうなのだが、即位直後で地方の諸侯たちが大反乱を起こし、それを鎮圧することで、かえって専制が固まった

前漢も、呉楚七国の乱を乗り切って全国支配体制を固めた

それでも、近世の明清帝国と比べたら、「皇帝」というより「盟主」に近い程度の統制力だが
0860世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:33:26.390
モンゴル騎馬軍団の登場で、機動力が大幅にアップした

歴代王朝が、各地の豪族を儒教官僚に置き換える取り組みを五百年、千年と粘り強く続けた結果が、明清帝国の中央集権体制となって結実した
0861世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:47:27.860
>>858
反乱には厳罰だったろう。
権力闘争なんだから。
支配下の地方の首長を皮剥にしないだろ。
アッシリアと違って。
0862世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 08:53:56.010
この「地方領主から儒教官僚への置き換え」を最も強力に推進したのは宋朝

よって、宋以後は中央と地方の関係が大きく変わる

早い話が、地方のトップは「独立経営者」から「サラリーマン(それも転勤族)」に代わった
0863世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 10:05:44.400
>>861
そりゃそうだろうな

アッシリアはひどすぎるな?
0864世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 11:54:34.440
アケメネス朝は統一法典がなかったし、地方太守もほぼ世襲制で軍事力を有していた

秦漢には統一法典があった
0865世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 14:51:23.590
>>853
秦律の地域差があるか、どの程度かはなかなかわからないかもね。
里耶秦簡(紀元前222年紀元前208年)は湖南省で出土。
睡虎地秦簡(紀元前217年に死去と思われる官吏の墓)は湖北省。
王家台秦簡も湖北省。
王家台秦簡の秦律・效律の内容は睡虎地秦簡とほぼ同じ。

これらはみんな楚の旧領。
秦が征服した地域ではあるが、
文書の決済手順などが厳格に規定されている模様。
文書行政がしっかり施行されていたと解釈できるんじゃないか?
0866世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 15:00:42.920
アナバシスでは、スカスカのアケメネス朝の統治ぶりが目出つわけだが、
古代ローマでも、「黄金の驢馬」なんかを読んでると、町から離れると盗賊の治外法権地帯が目立ち
ローマ末期の5世紀になっても、イサウリア人などという、500年以上
帝国国内の領域にあり続けているはずなのに、ほぼ独立している蛮族がいきなり登場して驚く

イサウリア人がいるところとクセノポンの旅したところは近いので、あのへん限定なのかも知れないが
0867世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 15:11:07.600
>>863
アッシリアがあまりに残酷でひどいので諸民族が離反した。
反乱した諸民族が結集して旗頭になったのが、
バビロン(カルデア)のナボポラッサルとその息子のネブカドネザル。
この新バビロニア王朝によって、アッシリアの天下は短命に終わる。

同様な苛政で民衆が離反し、
秦の天下が短命だったと思われてたけど、
行政竹簡が出土してきて、
あれれ?結構、まともな統治じゃん。
良民に過重な負担がかからないようにしてるし。
と、イメージが一変。
始皇帝が正義の英雄として
映画やドラマ、漫画に取り上げられ、
現在に至る。
映画キングダムのヒット、良かったね。
0868世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 16:52:42.320
>>867
>映画キングダム

長澤まさみの楊端和が美しい
0869世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 17:04:38.770
>>868
完全に同意。

でも史実の楊端和って普通に男の部将なんだろう?
うまくフィクション化したなぁ、と感心する。
0870世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 17:38:59.970
>>858
そいつらは皇帝を僭称するという一番やってはいけないことをしたからな
カルドゥコイとかアケメネス朝の本拠地の目と鼻の先に暮らしていたのにも関わらづ一度も納税せず皇帝にも臣従せず
なのに基本放置
またエジプトやピシディアは建国当初からしょっちゅう蜂起していたのに一度もおとり潰しにあってないとこ見るとローマよりも寛容かも
0871世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 18:56:20.050
>>862
中央から地方に送られてくるのは上層部だけで、あとは現地採用組

現代の人民解放軍も上層部だけは転勤族
0872世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 18:59:55.150
清の朝廷にとっても、広東省などは遠い南のハテ

阿片戦争でも、なぜか清朝より日本人が危機感をもって国内改革に乗り出した

正確にいえば、「このままではイギリスに東アジアを征服される」という強烈な危機感をもったオランダが、江戸幕府に厳重に警告してきた
0873ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 22:25:43.660
>>865
ほうほう

おいらの秦律理解は睡虎地どまりなのですが
けっこうしっかりしてるんですね

そうすると原本みたいなものがあったのかもしれませんね

秦の文章行政は配達から拝領まで
全部記録とってたみたいなので
しっかりというか厳格だったんじゃないかと思います
おそらく写しが発送元にも残ってるんじゃないでしょうか
0874世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 22:28:44.240
>>872
太平天国を倒して洋務運動で力を付けつつあった清に対する警戒心もかなりあったんじゃないかね
0875ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/27(月) 22:36:38.460
>>861>>867
アッシリアのあれは自己喧伝であって
実際はそうでもなかった説みたいなの
あった気がしますね

それでもアッシリアの支配地域はやっぱ治まらない感じです
0877世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 06:11:13.740
>>876
キュロス2世の子孫が断絶しちゃったんだから、
傍系の誰がなっても簒奪じゃないだろう?
キュロス大王の息子の暗殺に続く大混乱を誰かが収め、
崩壊しだした帝国を再建しなくちゃならない。
とするダレイオスの主張は理にかなってる。
見事にそれをやってのけたことが重要。
ダニエル書の文言からすると、
ダレイオスはキュロス大王の政治方針を引き継ぐことを重視してる。
それが正当なキュロスの後継者であることのアピールとも言える。
そして大きな成功を収め、見事に帝国は復活、最盛期を迎えた。
後世のへそ曲がりの学者の評価なんぞより
成し遂げた実績を評価すべき。
0878世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 06:30:32.670
>>873
明清に比べると、残ってる史料が圧倒的に少ない秦漢の研究って
少ない史料に基づきあれこれ推測を重ねていく感じなんかなぁ?
明清期は史料が多過ぎて、一生かけても全部に目を通せないかもしれないが。
0879世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 08:14:43.660
>>878
その代わり、新たな史料が発見されるたびに、ちょっとした騒ぎになる

古代史はどこもそうだろう
0880世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 08:20:42.990
班超は、鄯善国(楼蘭)に使者として行った時に、初めは歓迎されたのが次第に雰囲気が悪くなってきた。
その時北匈奴の使者も来ていたのである。

このままでは殺されると考えた班超は怯える部下達に「虎穴に入らずんば虎子を得ず(不入虎穴焉得虎子)」と勇気付けて、北匈奴の一団に切り込んだ。

班超たちは36人しかおらず北匈奴ははるかに多かったが奇襲を受けた北匈奴の使者達は慌てふためき、見事班超たちの大勝に終わった。
これにより鄯善国は漢に降伏した。
0881世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 09:52:21.240
>>880
班超がいなければ、後漢は弱小国で終わってたな。
0882世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 20:33:20.350
前漢の衛青は、幼少から匈奴と境を接する北方で羊の放牧の仕事をし、匈奴の生活や文化に詳しかった。だが、奴隷のように扱われ、時には父親などから虐待を受けていたという。
逸話として、人に従い甘泉宮に訪れた際に甘泉宮にいた人から「あなたには貴人の相があり、将来は出世するだろう」と言われたものの、
衛青は「鞭で打たれるような生活から脱却できればそれで十分」と答えたという。

・・・匈奴征伐に際して車騎将軍に任命され、匈奴の事情に通じていたことから十数回出陣し、連戦連勝して匈奴の首を数万討ち取り、匈奴の領土(現在の内モンゴル自治区のバヤンノール市)を奪い取るなど、多大な功績を挙げる。

大将軍に出世後、武帝の姉である平陽公主を妻とした。彼女はかつて衛青を使用人として使っており、また曹時(曹参の曾孫)との間に嫡子がありながら病を理由に離縁されていた。

甥の霍去病が台頭すると、人気・軍功ともに譲ることになる。しかし霍去病が24歳で死去したため、軍の第一人者であり続けた。
0883世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 20:35:19.580
霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。

衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。
その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。
その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。

しかし宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。
衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったとされ、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていた模様だった。
武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。

また衛青が李広の末子の李敢に襲撃されたことに憤慨し、その李敢を射殺した逸話によって世間からは義侠の士として人気があったという。
0884世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 20:45:07.550
万里を径り沙漠を度り
君が命を受けて匈奴に奮う
矢刃砕け刀尽く
老母已に死せり
恩に報ぜんと欲すと雖えど
将た何処にか帰せん
0885ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/29(水) 00:48:18.380
>>852

張騫と甘英さんの中の人の報告書
どっちが優れてましたかね?

http://www2u.biglobe.ne.jp/~dnak/sangoku/saiiki3.htm


武帝 前139頃 月氏、西に移動して大夏を破って支配する。
武帝、張騫を西域に派遣する。
武帝 前129頃 張騫、大月氏に到着する。
武帝 前126頃 張騫、西域から帰国する。
武帝 前121 匈奴の渾邪王、漢に降伏する。
西域諸国、匈奴の支配を脱す。
武帝 前118頃 武帝、張騫を烏孫に派遣する。
武帝 前116頃 張騫、副使を西域諸国に派遣する。
武帝 前115 張騫、烏孫から帰国する。
武帝、武威・酒泉郡を置く。
武帝 前114頃 張騫の副使、各国の使者を伴い帰国する。



和帝 97 西域長史王林、車師後王[シ豕][革是]を斬る。
班超、甘英を大秦に派遣する。
和帝 100 蒙奇・兜勒国、漢に内属する。
和帝 101 安息王満屈、漢に師子・条枝大爵を贈る。
和帝 102 班超、漢に帰国する。
0886世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 03:40:42.250
>>877
「断絶しちゃったんじゃなくてダレイオスが断絶させた、ダレイオスに殺されたガウマータ(いわゆる偽スメルディス)の方がカンビュセスの弟で正統な継承者だった」というのが現代の歴史学者の見解。
正統な継承者から王位を簒奪し殺害しておいて「あいつは実は偽物だったんだよ」と言ってるのがダレイオス、ということになる。
0887世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 06:06:05.280
>>886
簒奪したなら、国がまとまるかな?
ペルシア人やメディア人はみんな長いものに巻かれる民族なのだろうか?
ガウマタがいた頃までは、反乱が相次ぎ、帝国は崩壊寸前で、
ダレイオス即位後、帝国がやっとまとまり、繁栄に向かうことができたのは何故だろうか?
0888世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 06:43:21.590
>>887
まあこの話題に深入りするとスレチになるが、ペルシャ人の伝統として君主専制よりも合議制の傾向が強かったみたいだから、必ずしもキュロスの血統じゃなくても貴族集団に支持される君主なら良かった、ということじゃね。

あと、小都市国家アンシャンの王から急激に膨張して広大な領域帝国の君主になって、それに相応な支配体制を整備できたかどうか。できなかったキュロスの血統は王位を失い、それができたダレイオスとその血統が長く支配を維持できた、と。
0889世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 08:22:21.410
キュロスとカンビュセス親子はエラム系アンシャン人だという説もあるね
ダレイオスが初代イラン系ペルシャ人の王だという説
当時イラン人が多数派になりエラム人が同化消滅しつつあった
0890世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 08:45:47.650
>>875
アッシリアは南の方ばかり領土拡大していたので
北から侵入したスキタイとかがメディアとカルデアに
加勢したのでアッシリアは包囲殲滅された
マケドニアも東の方ばかり領土拡大したので
西からケルト人やローマが攻めて来た

アケメネス朝とローマは四方に領土拡大したので
本国が帝国領のほぼ中央だった
アッシリアとマケドニアは本国のすぐ北が異国のままだった
0891世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 08:47:24.240
>>888
貴族集団に支持される君主というのは重要だね。
古代ペルシア人の集団って、ルール(法)厳守で、
ルール>王 というところがある気がする。
キュロスは征服戦が好きなだけで、
勝った後は良きに計らえで人に任せっぱなしだよなぁ。
戦いにしか関心がなく、統治に関心がなかったんじゃないか?

秦の力の始めは、商鞅の変法。
法は大事。
行き過ぎもあるけど。
0892世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 09:09:24.120
>>889
ペルシャの支配者テイスペス,キュロス1世,カンビュセス,
およびキュロス2世は皆それぞれ「アンシャンの王」という称号を持つ。
テイスペスがエラムからアンシャンを奪ったからだが、
もともとエラム人なのかい?
0893世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 09:38:32.090
>>885
甘英がローマまで行ってれば、評価できたのに。
0894世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 10:38:26.840
>>892
クル(キュロス)はヴェーダ文献のクル族と同語源という説がある
もとはペルシア系だったがかなりエラム化していたとする
0895世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 12:01:54.440
秦漢時代の頃の日本はちょうど弥生時代に相当する
0896ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/29(水) 19:14:00.170
>>857>>866>>890

ヒッタイトなんかも
領域内の部族みたいなのに
何度か首都ハットゥシャおとされちゃってるし

逆に長駆バビロン劫略しちゃったりと
やっぱかなりスカスカなんでしょうねぇ
0897ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/29(水) 19:25:04.050
>>891
古代ペルシア人の集団は
酒を飲まないと会議すらできない
ダメ人間ぞろいだったという話を
どこかでみかけましたが
どうなんだろう、、、
0898世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 20:19:47.810
中国も春秋期わ都市国家間はスカスカしてたし戦国期でも六国が秦に他の都市無視して首都落とされたりしてるしな
>>887
継体も簒奪でしょ、易姓革命かもしらんが
0899世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 02:59:06.800
>>898
継体は文献的にも考古学的にもちゃんと証拠出しての簒奪や革命を証明してる人おらへんで
適当に推測だけしてる人はおるけどな

アケメネス朝の簒奪が文献的なおかしさを指摘されてるのとは大分違う
0900世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 08:26:22.800
>>897
かなりの宴会好きで大酒飲みだったが
酒を強いることは禁じられていた。
少なくとも王の諮問を受けた賢人会議は席上でシラフだったと思いたいが。。
案外。。。。。。
0901世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 08:34:20.180
>>898
秦漢以後もスカスカなんじゃ?
だから県城を城壁で囲む必要があった。
点の支配が限界で、残りはきっと解放区だな。
0902世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 09:36:04.770
>>901
宋代以降、県城の城壁の外に「卿紳」に指導される農村世界が形成されていく。
その「卿紳」たちから奪権していったのが「中国共産党」の支配する「解放区」。
0903世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 09:44:20.940
>>899
アケメネス朝も継体朝ももっともらしさは同程度じゃね?
どちらも状況証拠や史料の検討から、当事者の主張は怪しいとしてるわけで
0904世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 09:48:20.180
少なくとも、雄略朝期の急進的な権力集中政策の反動による混乱を収拾したのが、
継体朝だったのは確かだな。

古墳時代の同時代の金文による一次史料で名前が出てくる大王が雄略と継体だけ、
というのも興味深い現象。
0906世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 21:51:20.080
先秦時代なんか、あの広大な大陸に人口二千万人だろ
しかも、現代とは違って深い森林に覆われていた

まったくの別世界をイメージする必要がある
0907世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 21:55:40.620
言語も、もしも現代人がタイムマシンに乗って当時の中国に行き、人々の会話を聞いたとしたら、
中国語というより、ベトナム語とかタイ語とか、東南アジアの言語に聞こえるだろうと言われている
0909世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 22:45:18.290
>>907
甘粛から関中に出てきた秦人だとチベット語に近い言語を話してたんじゃないかな。
0910ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/05/31(金) 00:04:53.480
>>422>>421>>398

西域に目を奪われガチだけど
秦漢代は中華の南域が大幅に拡張された時期

北は強すぎたので南でヒャッハーしてみました
0911世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 10:44:37.690
>>910
広州付近や広西付近、海南島、ベトナムは交州九郡で直接支配。
ベトナムは何百年も中華王朝に支配されてるのに、
よくまぁ同化せずに独立を果たしたものだな。

一方、漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)で朝鮮半島北部中部を400年間直接支配。
こちらは、よくまぁ、あの朝鮮半島を長期間支配できたものだな。という感想を持つ。
0913世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 13:23:01.810
>>910
戦国〜秦で大幅に南限が広がったのに漢初の動乱で盛大に喪失してるけどね
前漢はむしろ秦より南限が後退していたりするからなぁ
楚漢戦争期なんて黥布の九江、淮南辺りがほぼ南限になってて
その後漢代通じて時間掛けて南方に拡大してる

代わりに、秦代には南海貿易の交易路に点在していた都市の支配だった荊州が
南陽は前漢末辺りから、南郡以南の五郡が後漢を通じて開拓されたことで
領域的な支配が進んで、ここらが完全に北部と接続された地域に変化してはいる
0914ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/01(土) 21:24:05.660
>>911
やっぱ東の四郡はめんどうだったのでしょうかね、、、

>>913
ほほぉ、なるほど

そしたら始皇帝の中の人は
南海貿易はどのくらいやったんだろうか
0915世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:14:16.660
南海貿易が盛んになったのは、唐の後期くらいからではないか?

それ以前は、シルクロードの陸路が中心でしょ
0916世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:15:18.430
シルクロードの陸路だって、前漢の頃は未開拓だったような?
0917ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/01(土) 22:30:38.270
>>473>>474>>790

霊渠で直接的にミナミと接続されるようになったので

始皇帝の中の人はともかく
後は運河沿いに開拓が進んだっぽいですね

そもそもミナミに出かけていった理由が
南海貿易を志向していたとしても
なっとくできる要素ではあります
0918世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:02:04.040
南海交易わ漢代からやってるけど時代と伴に段々大規模に
でも自前でインド越えて西洋まで行くのわ宋代に成ってから
0919世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:52:13.450
今のような船が昔からあったわけでなくて、草船、丸木舟から少しずつ進歩したらしい
竜骨発明前は平底で大型化できず、外洋に出られれないので沿岸伝い航法
0920ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/02(日) 00:00:13.500
南海交易自体は遅くとも殷代からやってますけどね


後漢時代は領域の進出も合わさったのか
建造船の発達と海洋地理学的な発展がみられます
0921世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:08:24.740
ジャンクはキール(竜骨)を使わない大型帆船だけど
これ、独特の技術発達のおかげで外洋航行可能な上、明代までは西洋帆船より優れた点が多かったという謎技術

アヘン戦争まで現役だったから、性能に関しては推定ではなかったりするところもまた凄い
まあ、未だに現役なイスラムのダウ船には負けるけど
0922ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/02(日) 00:11:59.410
そういえば鄭和さんの船は
構造なんかは推定されてたんでしょうか?

というか、残ってるやつそのままだったりするのかな
0924世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 03:51:44.320
>>918
ん?

秦はベトナム遠征で南海貿易を強化したりしてるように南海貿易の始まりは漢代どころの話じゃないよ
始皇帝が統一事業終わった後に速攻でベトナム方面攻め込んだりしてる事から考えても
戦国時代にはもう旨味も経路もある程度出来上がってたことが推測できるし
0925ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/02(日) 06:05:52.940
>>923

宝船サイズでかすぎるけど
ジャンクなら建造可能なんだろうか、、、
そんでもってちゃんと寄港できるんだろうか、、、


短足おじさんの一言


鄭和の宝船の大きさ

 13日のエントリー皇帝の夢」で中国明朝時代の鄭和の大航海の話を取り上げた。
その艦隊の旗艦を宝船(ほうせん)と名づけていたのだが、現代の常識で見ても信じられない大きさである。


見つかった宝船造船所遺跡

ソース
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/Chapter3.pdf 英文です。

上掲ソースの元は
http://www.shipwreckasia.org/wp-content/uploads/FU-South-East-Asia-Archaeology-Brochure.pdf

私はこのキムラ ジュン氏については知識が無い。ただトヨタ財団の援助での研究なので信頼して良いと思っている。

そしてこの造船所遺跡なのだが・・・
まあこのバカデカい造船遺跡を見ればそれ以上説明扶養と思います。
この遺跡、長さは421m、幅41mなのだという。
伝えられる宝船の長さは137mなので、長さは十分。しかし幅は56mと伝えられているので幅が不足だが、造船上は問題ないらしい。
0926世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 06:32:51.140
>>914
朝鮮半島南部を直接支配しなかったのは面倒だったんじゃないかなぁ?
南部の三韓なんてそれぞれ小国の連合体みたいで、
征服しようと思えば楽勝な気がするが。
0927世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 06:56:14.400
>>926
ああいう、南北に長い地を征服するのは容易なことじゃない

「イタリアは長すぎる」というナポレオンの言葉は有名
0928世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 07:07:52.780
現在のタイの主要構成民族のタイ族は
BC1000年頃にはムアン・ルン(西安の北西)、ムアン・パー(現在の重慶)、ムアン・ギャオ(長沙)という都市国家(ムアン)を形成。
BC215年に秦がムアン・ギャオを攻撃したため
タイ族は逃れて南下、雲南省にムアン・ペーガイ(哀牢国)を形成。
漢の武帝によって哀牢国は滅ぼされたものの一度は復活再建した。
しかし結局、後漢によって滅ぼされた。
多くのタイ族は東南アジアに移って、
移住したところで王国を形成していったんだろうね。
雲南省には少数民族として、タイ族が残ってる。
水掛け祭りのパフォーマンスがあって
水を浴びせられたぞ。
暑いときだったから気持ち良かった。
0930世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 09:42:49.110
>>924
南海交易の始まりわ一般に漢代と看做されてて、それ以前は定期的な交易じゃ無く稀に往来が有った状態
0931世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 12:59:12.260
>>928
それラオスの教科書にあるトンデモだよなあ

>BC1000年頃にはムアン・ルン(西安の北西)、ムアン・パー(現在の重慶)、ムアン・ギャオ(長沙)という都市国家(ムアン)を形成。
ルン=隴
パー=巴
ギャオ=เงี้ยว(ngíao;シャン族)

大した根拠もなくここもあそこもとウリナラ認定して自国風の名前を付けるもその根拠は結局は漢文というお粗末さ
0932ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/02(日) 13:36:59.280
>>930
ふむふむ、なるほど

そしたら漢代には何処から何処に
定期航路ができていて
どの程度の頻度で運行されていたのでしょうか?
0933世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 15:19:55.260
>>930
「一般に漢代」というけどざっと検索かけてもコトバンクで
ブリタニカを出典に秦のベトナム遠征から始まったとか書いてるあるけど
貴方の言う一般とはどこの一般なのでしょうか
0935世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 22:50:57.360
>>934
中国の史学界の一般ってことは元になった論文あるんだろうね

誰のどの論文が元になって一般化したの?
0936世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 23:40:33.300
一帯一路政策で海のシルクロードをアピールしてるから
一昨年から古代南海交易に関する宣伝や論文が数多沢山出てるよ
0937世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 02:54:23.720
秦代で南シナ海沿岸まで中華文明圏が延びたんだからそれ以降から南方との通航の記録が出てくるのも当然だろうねえ
0938世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 04:29:13.900
>>936
で、漢代からってのはどこから?

秦のベトナム遠征から南海貿易ってのが普通の話だと思ってたけど
「一般的」と言うからには俺が間違ってたのだろう
確認したいからどの学者の何て論文で漢代スタート認定されてるの?
0939世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 04:34:32.360
あーあと一杯論文出てるっていうけど一杯じゃわからんから
端緒となる論文とか代表的なの例示してみてくれよん
0940世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 20:14:47.820
>>938-939
関于中国古代海上絲調之路最早始発港研究述評
東南亜与海上絲調之路
古代海上絲調之路対南海区域的影響

何れも漢代を南海交易の始まりとして居るね
はい、完全論破
0941ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/03(月) 21:43:43.960
>>940
ほほぅ、うほほ

それには何処を拠点にどの国と
どの頻度で貿易したことになってるんですか
めっちゃ気になります

まぁ、秦代に定期交易がなかった理由は容易に想像がつくので
あったとしても定期便は漢代以降でしょうけど
0942世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 23:30:20.850
>>941
そりゃ統一からあっという間に滅んでるからな
王朝が維持できてなきゃ定期便なんて成立せんわな

>>940
漢代に定期的になった、安定的なルートとして確立されたという話やんけ
始皇帝がルート整備して南海貿易は既に秦には始まっていたし
秦以前からもある程度行われていたって事は背反しないのだが
「スタート地点」は漢以前だし、漢で持続的になった、って話を勘違いするなよ

南越が始皇帝の遺産ガメて南海貿易していたのもあるしな
0943世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 23:54:41.650
最初から定期的な交易が始まったのわ漢代と書いてるよな
それと>>933は誤りで中印間の接触は楚の時代から有る
0944世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 00:47:36.850
>>930
うん?だから「始まり」は秦以前って言ってるでしょ?

君は>>930で何故か定期的な交易だけが南海交易だと言ってるけど
もっと前から交易自体は存在してて南海貿易は漢より前から始まってるって言ってるんだけど?
0945世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 19:29:36.700
南海交易わ一般に漢代から始まったと看做されて居る
それ以前の不定期、偶然な往来や交流も推認出来るけどね
0946ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/04(火) 19:56:14.290
しょうもないから別の話にいくか、、、、

>>921>>920
漢代の船の船体構造がどんなものか
調査可能なんだろうか、、、

ジャンクとして出てくるのは結構遅そうですね
0947世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 20:51:23.000
ジャンクは宋代に完成を見たって言われてるよね(だから、東南アジア交易が一気に拡大した)
それ以前も技術的には同系列なんだろうけど、唐代や漢代の船は考古学的な発見難しそうだなあ
0948世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 21:49:29.660
ジャンクを過大評価するのはどうかねえ。「外洋航海」も可能って、沿岸航海に毛の生えたレベルでしょ?

ヨーロッパの外洋船はマゼランの時代にすでに、インドネシアのモルッカ諸島からインド洋を突っ切ってアフリカの喜望峰まで直行するレベル。しかも完全に未知の大洋を。まあ航海術のレベルも大差あったろうけど。
0949世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 23:11:59.090
西欧の航海術は中国のそれをモンゴルが伝えた物な
大型の外洋航海ジャンクはガレオン以上に外洋航海用
0950世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 23:25:55.550
>>948
その時代にモルッカ諸島から喜望峰まで直行って、船乗りは自分の位置をどうやって知ったんだろう?
緯度は天体観測で分かるけど経度は分からないはず。
0951ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/04(火) 23:40:55.510
>>950
ログを取ったのではないでしょうか、、、

>>947
地中海から離れたとこの
船発達過程の情報はみたことないっすねぇ
0952ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/04(火) 23:42:41.110
あ、北欧は船情報がけっこう残ってます
0953世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 23:54:53.430
>>950
緯度航法ってやつだね。

まず南北に移動して目標地点と同一の緯度に到達、その後はひたすらその緯線上を東西方向に移動する。これなら目標が絶海の孤島でも外さない。もちろん推測航法も併用したろうけど。
0954世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 00:16:44.410
ほぼ正確に24時間で落ちきる砂時計を毎日正確に使い続けて
日の出時刻が遅くなることで推定位置を知る、とゆーのはどうでしょ
0955世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 00:29:25.600
>>954
史実の推測航法でも砂時計は使われたけどね。当直が砂時計をひっくり返すのを忘れることが多かったそうだw
0956世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 00:32:36.710
六分儀でおおよその緯度と経度はわかるようです
でも発明されたのは近世になってから

南海交易ができたのは、黒潮本流から外れていたからですかね
黒潮を突っ切る遣唐使船はかなり遭難した

インドネシアやフィリピンにも南海交易で人が行き来していたのなら、早くから大きな国が
できそうなものだがマレー、インドネシアにシュリーヴィジャヤ王国ができたのは7世紀と
割と新しい、ボルネオなどには今でも原始的首長制の村がある
0957世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 00:45:00.970
>>956
六分儀だけでは緯度しかわからない。経度は原則としてはクロノメーターがないと無理。まあ月距法天測という裏技もあるので「原則としては」だけど。

四分儀でも精度は落ちるけどだいたい同じことができて、こちらは古代からあった。
0958世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 00:55:47.270
>>948
ようやく農耕文化を受容して100年足らずの琉球がジャンク船を得てからの「雄飛」っぷりを見るとねぇ・・
何で中国と古い付き合いであるはずの本土には中国の造船技術がもたらされたなかったのか不思議でならない
0959ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/05(水) 02:24:25.850
>>956

このネタはおもしろそうなので
別のところで調べてみます
0960世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 09:22:59.970
首都から遠方の地方に旅するだけでも何十日もかかるのに、
よくまぁ中央集権的な大帝国を作ろうと考えるものだ。
広大な版図だと、大問題があちこちで同時に生じる。
かなり面倒じゃない?
ローマは東西に分割して対応したけれど、
漢は分割を考えなかったんか?
0961世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 11:04:53.030
>>960
漢の初期に呉楚七国の乱が起きた

これは事実上の東西分裂による東西戦争
0962世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 12:28:43.720
>>960
中央集権的な大帝国じゃなかった、と考えられるけどな
一応徴税はしてるんだけど商業ネットワーク的な帝国だしね

郡吏の漢代の権限の強さはほぼ実質的な自治だったとして考えると
名目的トップの郡守、州刺史等が本籍地が赴任先でない人が中央から派遣されるけど
これって実質的な権限のない監査役的な扱いだったように見受けられる

まあ刺史も時期によっては軍事力持ってたりして長い漢代を一括りに語るのは良くないとは思うけど
一応傾向としてね
0963ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/06(木) 20:58:26.980
>>960
ウチの中だけで生活すれば無敵ですね


>>962
後漢の早い段階で
地域の常備軍が廃止されて
その後はことが起こると
刺史に編成権マル投げしてたりするんでしたっけか
0964世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:10:56.710
当時の皇帝権力は、現代のアメリカ合衆国みたいなものだろうな

突出した国力を持ち、世界秩序を維持する盟主

ならず者国家に対しては、制裁したり、ときには成敗することもあるが、絶対権力ではないので、力が及ばないときは放置するしかない
0965世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:18:30.810
現代のアメリカ大統領のように掣肘する議会が法定されてるわけじゃないし
逆に臣下に政治を壟断されても法的にそれを止める手段なんてほぼない

皇帝と臣下の個人的紐帯や力関係、実力行使で物事が進むので
制度的な上限も下限も全く担保されてないっていう意味では同じとは言い難いかと

だからこそ後漢で宮廷内の闘争が宦官使って暗殺に走る和帝とか出たり
皇帝毒殺して首挿げ替えたりなんて結末になってくわけで
0966世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:20:59.910
漢文での記録は世界の皇帝みたいな顔してるけど
漢の皇帝って武帝の登場までは匈奴のパシリだし
以降も北方の騎馬民族にはしょっちゅう搾取されてるから
合衆国程に世界で突出してる感はないよね
0967世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 22:38:48.630
漢や唐の皇帝権力は、明清帝国のそれと比べて明らかに弱く、「盟主」に近い存在

もっとも、その明清帝国にしたって、しょせんは鉄道も自動車も、電話もテレビもインターネットもない時代だ

地方からの情報が届くのに何週間もかかるようじゃ、統制力にも限界がある
0968世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 23:06:07.830
清代わ広東省からでも急ぎだと10日〜2週間くらい

後漢帝国は近世西欧と同じくその場鎬ぎの募兵制だからな
0969ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/07(金) 02:08:23.790
>>946>>947>>948

外洋船が明確に区別されるようになったのは
三国時代からで意外と遅め

少なくとも唐代の船舶までには
水密隔壁が存在したようです
0970世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 19:22:48.580
中世から近世ヨーロッパみたいに職業軍人を直接雇用みたいな制度は
中国では有史以来一度もないよ

基本的に現在の中共に至るまで女子供でもいいから頭数だけ集めて
人海戦術ってのが基本
0972世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 21:52:46.770
人海戦術は中世〜近世前期までの西欧や中世中期の日本
職業軍人を直接雇用は後漢魏晉や宋代、中世後期〜近世の日本
前漢は徴兵制
0973ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/08(土) 22:09:57.040
そういえば始皇帝の中の人が
人海戦術を改め
訓練された精鋭だけで軍事行動を行うようにしたんでしたっけか

制度的な裏づけもあるのかなぁ
0974世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 23:23:40.670
墨者は、守城戦の専門家として各地で雇われ、「墨守」という言葉の語源となった・・・なんて話もありましたなあ
0975世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 23:38:43.600
大昔の戦争は、荒くれ男が棍棒で殴りあうような戦いが基本だから、ゴロツキや盗賊を雇って傭兵にするのが早道だった

でも、鋭利な刃物が改良され、火薬が発明され、モンゴル騎馬軍団が登場し、大砲が登場し・・・と、技術が進歩するにつれて、腕っぷしが強いことの有利性は低下した

戦術が高度化して、だんだん素人の出る幕じゃなくなってくる
0976世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 23:56:54.780
>>975
いつの時代を想定しているのか意味不明
0977世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 00:24:12.570
少なくとも戦国期には既に弩の登場によって「弩をちゃんと引くだけの筋力持った職業軍人」
って存在が求められるようになってるのだよね

蹶張之士だったかな、一般歩兵の中で張力の強い弩を足で引き絞る事に優れた兵の事を指すんだけど
こういう力自慢を古代は特段に求めて職業軍人として組織してたことがわかってる
下級兵の扱いなんだけどたまに蹶張之士から出世して大臣になった人もいた
0978世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 00:31:04.360
墨守の語源になった墨子さんは女子供老人でも叩ける奴は城壁の上に登って
守備戦に参加しろとか書いてるけどな
墨子 十五巻 号令
諸男女有守於城上者,什、六弩、四兵。丁女子、老少,人一矛。

秦では戦って死んだ者は女であっても論功の対象になったという「古史考」の記述は
当時の秦の逼迫した状況をよく反映していると思う
0980ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/09(日) 12:14:54.090
>>974>>978

墨家さんの中の人は
ちょっと時代を超越しちゃった感がありますよねww

ああいうのが成立する歴史的背景みたいなのあるのかなぁ
0981ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/12(水) 02:02:24.380
>>969

舟という漢字の成り立ちが
木板と隔壁による
構造船の存在を示唆するものらしい、、、

ところで、舟を編むってどういうこと?
0982世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/12(水) 04:41:13.980
>>981
古代じゃ草とか編んで舟にしてた
長江流域だと結構後の方まで草で舟ちっちゃいの使ってたはず
0983世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/12(水) 12:48:45.750
千山 鳥飛ぶこと絶え
万径 人蹤 滅す
孤舟 蓑笠の翁
独り釣る寒江の雪
0985ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/12(水) 19:24:31.990
中身は全く知らんのですが
無謀なことの例えなんでしょうか、、、

>>982

「玄武書房」に勤める変人編集部員・馬締光也が、新しく刊行する辞書『大渡海』の編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられ、
個性豊かな編纂者たちが辞書の世界に没頭していく姿を描いた作品。

「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味でこの書名が付いている。

執筆にあたって、岩波書店および小学館の辞書編集部の取材を行なっている。
0986世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/12(水) 21:29:25.610
>>978
秦の伝承上の開祖が女防という悪来の娘あるいは孫娘ってのもあながち伝説でもない?
女性が開祖ってはっきり語ってるのも秦ぐらいでは?
0987世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 03:01:30.440
>>982
台湾→西表島漂流実験も草舟でなかったかな
アンデス、ペルーのチチカカ湖では観光用に残っている
0988ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/13(木) 20:38:56.440
>>987

海部さんの中の人は
たしかこんな舟では黒潮には勝てんとギブアップして
草が生えないのに変更してた気がしますね

https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/

ヘイエルダールさんの中の人は
りっぱに草生やしてましたww
0989世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 16:26:13.490
舟、艇、船、舶、艦、舸、艘、艚、艟、艀、舫、艨。
現在は大小や軍用で使い分けるけど、おんなじフネだよなぁ。

英語では
boat、ship、vessel、craft、canoe、ferry、cruiser
が思いつく。
0990世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 17:34:15.830
?、筏なんかの日本語では「フネ」に当たるものもあるね

イカダとも言う
0993ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2019/06/16(日) 21:36:09.110
まだ話するとこ残ってますかね
0994世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 21:52:33.030
南太平洋から東南アジア、インド洋を超えてマダガスカルまで広く活躍したのが
アウトリガー カヌー。
マレー人、ポリネシア人がアウトリガーカヌーを駆使。
0996世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 23:47:03.150
>>993
無理してこなくてもいいんよ

このスレも今年になって伸びるようになったが、それ以前は閑古鳥だった
とりあえずまったり続けていれば、話題が投下されることもあるだろ
0997世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 18:14:30.580
匈奴=フン族説
匈奴のスキタイ起源説
0999世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 21:42:31.000
スキタイはイラン アーリア系だろう。
月氏もイラン系説が有力。
匈奴はトルコ系かもしれない。

999 get?
1000世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 22:21:10.140
秦漢帝国万歳
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