史的唯物論を批判するスレ
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E0O 唯物論は、無生物論(生きものはいない論)と言ってもいいんじゃないか? 無生物論(生きものはいない論)↔有生物論(生きものはいる論) 生物としての生物、生物の生物性。
無生物としての生物、生物の無生物性。 こういうと必ず、じゃあ大事にせずに粗末に扱っていいのか?という知的障害者がいるが、そういう人は、自分の腐った精神を反省してほしい。 生物は物だから、粗末に扱っていい。大切にしなくていい。(ただし、自分(たち)は例外。)
↑こういう人間をゴミという。人格が腐った人間に、生きる資格はない。死んでくれ! 生物は、物だ。だから粗末に扱っていい。
↑↑だったら、自分もそうされてくれ!!w 生物は物だから、粗末に扱う。
↑お前も生物だ、それがわからない知的障害者兼腐敗人格障害者は、殺処分! アラー(=the god)・アクバル(=great)
神は、偉大なり。 私は好きなように生き、好きなように死のう。アラーがお望みなら! >>3
マルクス自身がニートで労働者のこと全く分かってないからな 過去は、既に刻まれている。
未来は、なるようにしかならない。
無生物の手によって! 無生物、万歳!
無生物、万歳!
無生物、万歳!万歳!万々歳!! 生物の中でもホモサピエンスとそれ以外を分けるのは当たり前だろう
ホモサピエンス以外はモノでよい
なぜならそうしないとホモサピエンスが食い物が食えなくなるから 唯物論は、百薬の長にして百毒の長。万能薬にして万能毒。 科学の発展には寄与したが、キリスト教からは危険思想と見做されたという。 「宗教が文明社会の土台である。」<フランス革命の省察>エドモンド バーク(近代保守主義の父) 資本論をもし読んだ人間がここにいれば問いたいが、
唯物論は人間の自由意思をどのように捉えているのか。
そのような形のないものは実在しないと考えているのか。 >>57
資本論を読んだ人間などは
すでに死に絶えたのではなかろうか 生産力の向上に従って生産関係(土台、下部構造)が変わり、それに規定されて政治体制、法律、文化などの上部構造も変わるというのは大きな流れとしては納得できる
でも山川の教科書みたいに世界の多くの戦争の敗者は古い時代の階級出身者で勝者は新しく勃興した階級出身者だった的に無理やり階級闘争だったことにするのは子供の頃からおかしいと思ってた。
ペルシャ(隷属民)とギリシャ(自由な農民)、項羽(貴族)と劉邦(農民)、エドワード黒太子の部隊(自営農民)みたいに
後にマルクス主義を知ってから、無理やり史的唯物論に当てはめてたのだと理解した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています