モンゴル帝国って何で東欧すら征服できなかったの?
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指折りの不遇国家ポーランドとはいえ最盛期のその頃はヨーロッパ最強の一端って話も ノース人、定住に成功、とけ込む
ブルガール人 定住に成功、ブルガリア
マジャール人、定住に成功、ハンガリー
モーロ人、撃退され追放、さようなら
トルコ人、ちょこっと残った
ウラル語族、定住に成功
ロマ人、いたのね
ソルブ人、誰れ
モンゴル人、撤退 >>15
混血して強くなるなら朝鮮人はモンゴルの血が入りまくってるのに弱いよね… 朝鮮人は自分らが純血だと思いこんでるだろ
様々な血を取り込んで自分らが強くなってるなんて思ってもいないだろ
純粋さが強さだと信じ込んでいるだろ
だから実際は弱い >混血して強くなるなら朝鮮人はモンゴルの血が入りまくってるのに弱いよね…
いや、丸腰の相手になら無双状態で情け容赦なく強い >>63
相撲?
それならモンゴルの力士のほうが強そう >それならモンゴルの力士のほうが強そう
韓国軍は許されるなら力士相手にその軍装で情け容赦無い攻撃をする。 高麗軍は博多ではそんなに目立たなかったが対馬の住民に対しては無双してたし、
韓国軍も朝鮮戦争では共産軍には負けまくったが、保導連盟の韓国人を抜け目なく20万人以上も殺害している。 >韓国軍も(略)保導連盟の韓国人殺害している。
韓国軍が韓国人を >ロシア人がスラヴの中で頭一つ抜きん出ているのは
>タタール人と戦う前にヴァイキングの血を注入されていたからだろうな
いや、寧ろ積極的にモンゴルに接近・協力して力を蓄えたんじゃ?
ネフスキー公はモンゴルに協力したし、正教会はモンゴルに逆らった者を破門にしてたし。 ロシアはモンゴル帝国の代官として台頭した。
ロシアのことを「白モンゴル」と呼んでさしつかえないと思う。 モンゴル帝国にとっての優先権第一選択は、なんといっても
「ステップ地帯の全遊牧民の天下統一」
なんだな。
それに次ぐ優先権だったのが、
「遊牧地帯に隣接した遊牧国家への貢納地になりうる農耕地帯の征服」
そういう意味で、ロシア以外の東欧は遊牧軍団のベースキャンプたるステップ地帯から
ちと遠かった。 >>70
ロシアが、というよりモスクワ大公国が、ロシア諸侯国のモンゴルに対する貢納の
実務を担った代官だった。
そのモンゴル帝国の代官たるモスクワ大公国の地位をベースに「ロシア帝国」が発展した。 モンゴルは最初、漢族を皆殺しにして牧草地に変えるつもりだったのに
誰だか忘れたが絹が取れるからやめたほうがいいと進言した馬鹿がいる >>75
それは耶律楚材をヨイショするために書かれた与太話だから。
耶律楚材はチンギス・カンに対してそんな影響力は持っていなかったことが判明している。 遊牧地帯はちょっとした気候変動ですぐに大飢饉になる。
モンゴル帝国にとって征服した農耕定住地帯は遊牧地帯の飢饉を救済するための
穀物を得るための重要な「遊牧権力の源泉」だった。
だから、帝国初期には放牧地はチンギス・カン家の王族に分配しても、
定住農耕地帯の支配権を皇帝は手放さなかった。
皇帝中央権力が弱体してきて初めて帝国内地域政権を確立してきた王族が
定住農耕地帯への支配権と徴税権を手にしている。 遊牧民を征服者として受け入れた中国の農耕社会は、ヨーロッパや日本のような封建社会を経ることなく近代を迎えてしまった。
中国や朝鮮は、だれも農民のための政治をやらない社会になった。
とりわけ朝鮮半島では、もともといた朝鮮原住民を南端に追いやった満洲系の狩猟民が流入して土地を所有したため、
人糞を肥料に使う風習が失われ疲弊し奴婢が使役される古代がそのまま近代まで維持されることになった。 スレ違いになるけど朝鮮では貨幣経済が導入されるのもだいぶ遅れてからだったそうでびっくりした
はっきり覚えてないけど壬辰倭乱以降だとか オゴタイが死んだから軍を引き返しただけ
これだから池沼は困るワ >>81
それが、統一新羅時代とか高麗時代には黄海の海運の主力を担う開かれた交易国家で、
高麗時代に貨幣経済への移行は済ませているんだな。
一般に、衣料品や穀物を交換財として使う経済に後退したのは
モンゴル侵攻による戦乱期とされているけど、
あれほど商業経済に力を入れていた大元ウルスのクビライ政府の藩屏に
高麗が組み込まれていた時期に貨幣経済が復調していた可能性は検証する価値があると思う。
朝鮮半島の貨幣経済に最終的にとどめが刺されたのは、元末のモンゴル帝国全体を覆った
汎ユーラシア的な社会と経済の混乱によるところが大きいんじゃないかと思う。
実際、この混乱の危機対応政権として登場した大明政権は中国大陸での貨幣経済や
大元ウルス時代の銀本位制を停止して、事実上衣料や穀物による物々交換経済に経済を後退させている。
大明が先代時代の銀本位制を復活させるのは、日本やメキシコからの銀が大量に流入して、
民間で勝手に銀建て経済が復興してきたのを追認したことによる。
ところが、李氏朝鮮ではこの大明での貨幣経済復興に連動した経済復興が起きなかった、
という視点でこの王朝での貨幣経済の不成立を論じるべきなんじゃないかな。 >>82
残念ながらスレ違いであること…
朝鮮史のスレはないよね 一応、「モンゴル帝国周縁史」に引き戻したつもりではあるので勘弁してくれ。
レス付けも、出来たらモンゴル帝国に関係づけてやってくれると助かる。 >>85
そうだね
責めたわけではありません
82すごく面白いのに専スレがないのが悲しくなった
モンゴルモンゴル! 「モンゴル時代の高麗経済」に関して書いていて、ふと気が付いたことがある。
宋朝は北宋の時代も南宋の時代も北方の遊牧勢力に供えた国境線防衛で使う火薬兵器の
原材料の硫黄を日宋貿易で手にしていたんだけど、モンゴル帝国は南宋を接収する前の
弘安の役の段階で、日本侵攻のための兵器として黒色火薬による炸裂弾を使ってるんだよね。
どうやって当時のクビライ政府が火薬原料の硫黄を手にしていたのかずっと疑問に思っていたんだが、
これってもしかすると博多に交易に来ていた高麗船に日本が硫黄を売って、
それをモンゴル軍が日本侵攻に使っていたって事じゃないのか? なんだったら、高麗史専用スレ立ててみんなで議論してみる?
自分も興味あるし
日本では意外に特徴が知られてない時代だけど、非常に個性的で時期別の違いも多様だと思う
(ひとつ気になるのが、5chで毎度ありがちな排外主義的論者のスレ居座りの可能性だけど、それはどう躱す?) >>89
賛成。
ただ、私自身に中国史、モンゴル史の史書を読んだ時の周縁情報としての知識しかない。
排外主義者はまともな書き込みで圧倒するしかない。 >>90
高麗朝はむしろ対外的に非常に開けた時代で、君主の家門そのものが海上勢力系豪族由来だから、
中国史やモンゴル史に詳しい方がいてくださるのは、マクロ的考察の面でも非常に心強いよ 高麗は満州系の征服王朝だから対外的に開けてるのは当然だろ。 立ったら嬉しいけどスレタイはどうする?
朝鮮を入れなきゃ変な人は来ないかな? >>93
単純明快に
高麗史専用スレ
でいいんじゃないかなと >>93
或いは
高麗時代史専用スレ
がいいかな
「高麗史」だと、史書の題名としての意味もあるし >>99
新スレありがとうございます
(新スレでも先ほど立ち上がり直後から書き込み始めました) バグダードの戦いは12万でまぁ多いけど
カルカ河畔の戦いとワールシュタットの戦いは双方3万以下
崖山の戦いでもモンゴルは2万で兵力は少ない、南宋は25万もいたのに弱過ぎだろ。
モンゴルはたいした兵力持ってないのに何故圧勝したんだか >>101
モンゴル軍の戦闘自体の強さは他の遊牧国家と大差ない。
モンゴル軍の強さは戦闘の強さじゃなくて戦争の強さにあった。
つまり、戦闘に突入する前に徹底した諜報、調略によって敵の弱点のあぶり出し、
敵内部の裏切りの誘発などなどを済ませていて、戦闘自体は最低限でよかった。
戦争がうまくいきすぎて諜報、調略を済ませていない地域まで軍が突出すると、
あっけなく負けたり泥沼の戦争に巻き込まれることも少なくなかった。 当時の日本は本当に一枚岩だったといえるだろうか。
モンゴル帝国が鎌倉幕府統治下の日本社会に裏切り工作を仕掛けるとしたら、誰だろう。
日蓮宗門徒とか西国の在地勢力とかかな。いずれにせよ反幕府勢力を利用するだろうね。
壱岐の島に救援を送らなかったら、幕府を見限ってモンゴルに寝返る勢力も出てきたんじゃないかな。 モンゴルが苦労したのは西欧・北ロシア・日本・ベトナムあたりか
森林の多いところは苦手なんだろうな
あと完敗したのがエジプト >>103
意表を衝いて鎌倉幕府の「正統」をかつぐかもしれない。
北条氏というのは簒奪者だからな。 文化や言語も異なる相手に調略をしかけるのは難しい。
モンゴル帝国隷下の朝鮮人脈を利用して、朝鮮と交流のある日本人に調略をしかけると思う。
となると北九州の商人に利益と殺戮の恐怖をちらつかせれば、モンゴルになびくかもしれない。 >>68
この場合「韓国人」は「朝鮮人」と同義
国籍・属する政府とは関係なく、
もし韓国政府が危ぶんだ通りに左翼思想を抱いたままの偽装的な転向者が大量にいたとしたら、
それは韓国の中に北朝鮮の隠れたゲリラ基地があるのと同じことだから >>104
モンゴルは西欧まで侵攻してないし、北ロシアで苦労なんかしてないだろ。
それに、エジプトが完敗なら日本はそれ以上の完敗。
弘安の役のモンゴル軍の損失なんて10万人以上じゃん。 幕府は『征夷大将軍』の下に開かれる。征夷大将軍の仕事は…『外敵の討伐』
外国の侵攻をはねのけるのは…『征夷大将軍の仕事』の最たるものだと思う。
江戸幕府が攘夷を強要されて窮地に追いやられるのも、同じ理由だよね(^_^;) >モンゴル帝国って何で東欧すら征服できなかったの
逆に聞くがナポレオンもヒトラーも敗退しているけど、だれが上手くやったのか? 東欧の定義がマチマチよね
マケドニアやバルカン半島、ルーマニアとかも含まれる
今のトルコあたりもギリギリ入ったり入らなかったり
ローマ帝国ぐらいじゃないのか一部とはいえ統治できたの 旧オストプロイセンを含む神聖ローマ帝国領域…基本的に『蛮族の住まう地』扱いだっけ?ローマ帝国の正当後継たるビザンティウムから見たら… 自分達の生活の基礎基盤である草原地帯が突如として後背地から大陸屈指の強国と接する国境地帯になったのだから分裂後は東欧なんぞに兵を寄せる余裕なかろ >>1
14世紀でvsモンゴルというとポーランドていうかリトアニアのイメージが強いなぁ この地域が10年以上統一を保ったのってワルシャワ条約機構ぐらいじゃね? >>104
モンゴルは、インドも征服できなかったよ。 >>117
ムガール帝国
ホンマや。モンゴル弱いわ。 も、モンゴル帝国が目指したのは遊牧民社会の統一だから(震え声) 4
今のポーランドあたりあった地域からそりゃロシアが発生したんだし
西ゲルマンと東ゲルマンの分裂でロシアは東ゲルマンの延長 117
だいたい官吏がそろって強いとこに着きたがり裏切るからね
中国あたりは事変が起きるたびに官吏連中が処刑された歴史やの 自分らで都開けて待ってる場合もあるんだぜ
最後は徹底的に見下されて終わり、被害ぶろうが無駄 >モンゴル帝国って何で東欧すら征服できなかったの
逆に確認したいが、有史以来、東欧が一体化した時代ってワルシャワ条約機構があった時代ぐらいしかないんじゃね? >>120,121
見づらいわ
アンカーくらい付けろアホ >>104
井の中の蛙が妄想で偉そうにしたんだな。 >>104
ジャワ忘れてるで
要するに蒙古は大陸弁慶や
島嶼や沿海地域では大して強くない
宋の征服では何十年もかけて執念で歩兵部隊主力の軍を作った
草原を駆ける騎馬部隊では宋の制服は無理だった 基本草原じゃない場所は密集してる拠点をちまちま落としてかないといけないからね
騎兵だけだと厳しい >>35
モンゴロイド
ウイグル、ウズベク、トルクメン、トルコ、
アゼルバイジャンはコーカソイド 何とかが死んで引き返しただけ。絶対に勝ってたもん。 オゴデイが死んでなかったら
イベリア半島まで行ってたな。
台風が来なかったら、日本ヤバかったな。
世界史の教科書に、ジパングハーン国になってから、日本国になってたな。
当然、今の天皇の子孫は居ないか?チンギス・ハーンの子孫が皇族になってる世界だった。
胸熱 下手すると、日本じゃなくて、ジパングって国名になってるままかも知れないな。
イスラム化して、ジパングスタン共和国とか。 チンギス統原理を受け入れた社会がことごとく現代においてろくでなし国家なのはなぜなのか。多少まともなのはモンゴル本国だけという皮肉。 海や水にも弱い
南宋がなかなか落とせなかったのも、大河が渡れなかったせいだし、日本もそうだし、ベトナムも森と河で、やられている。
ジャワも海路でヘロヘロになって失敗。 モンゴルは大陸平原弁慶
しかし、騎馬部隊では宋の征服は無理と分かって
わざわざ何十年もかけて歩兵部隊中心の新しい軍を作って宋を征服した
必要ならここまでやるかということもやる モンゴルのハーンは頭悪く思われがちだけど、フビライあたりまでは、全員頭良いと、思うぞ 一回目のモンゴル侵略の反省から木の砦を石造りに変えて防衛体制を強化して簡単に落とせなくなった
あと一回目の侵略の時重装騎兵の損失が非常に少なかったから、重装騎兵中心にしたらキプチャクの侵攻も食い止められるようになったとあるね
一回目で引き返して相手の防衛体制を整えさせたのが失敗 >>140
曹操は北方の遊牧騎馬には異様に強かったらしいな モンゴルも最後はふないくさで南宋をたたきつぶしたしな >>143
今でも、ポーランドのクラクフでは、バトゥ軍が攻めてきて、警告のラッパ手が弓矢で殺されてるのを再現して
ラッパの音を途中で止めてるからな。
13世紀からずっと続けてる。 >>134
ジパングをZi-pangだと思ってる奴多いけどZi-pan-gu(日 zi 本 pan 国 gu)だから
Zipanistan モンゴル帝国ってあれほどの国土を支配した恩恵はどれほどあったんだろうね?
ローマ帝国は奴隷や物資を吸い上げて贅沢三昧していたけど
モンゴル帝国はほとんどが荒野と草原でしょう?
具体的にやってた事って人住んでるところに無差別に攻め込んで忠誠を誓わせて
旗立てて行くだけでその後は放ったらかしなのかね? >>150
モンゴルだって贅沢品を収奪して
それらを味方の諸部族に分配することで
支持を集めて権力を強化していた。
素朴な遊牧民も贅沢の味を覚えてしまうと元に戻れず、後に引けない。
より豊かな南方へと目が行く。
西方の大国ホラズムへは最初から侵略を企図してたわけではなく、
交易を望んで使者を派遣したら、大虐殺されてしまったので、
報復大遠征となってしまった。
東方の金朝に対しては、
金が長年にわたって遊牧諸部族同士を操って敵対させる政策を取ってきたことへの復讐がある。
基本的に商人を優遇する交易促進政策だったことから、
商業ネットワーク構築を歓迎する東西の商人たちの支持を受けての拡大とも言える。 >>144
人口がはるかに多く、経済力が突出している南宋を攻略するには、
軍事力だけでは駄目だった。
モンゴル自身が変革して、漢文化をかなり受容する必要があった。
中華に傾倒してたフビライが帝国を中華式に変貌させたことが南宋征服に最大に貢献したと言える。 >>151
王族内抗争で疲弊、自滅じゃないか?
全然、平和じゃない。
特にハーンの代替わりのとき。 交易ネットワークが充実し
人々の行き来が増えると
伝染病も広がる。
雲南省のペストが中国全土からヨーロッパへと一気にパンデミック。
人口の大幅減少と文明の衰退を招いた。 >>139
>あと一回目の侵略の時重装騎兵の損失が非常に少なかったから、重装騎兵中心にしたらキプチャクの侵攻も食い止められるようになったとあるね
モンゴル騎兵相手に重装騎兵とか完全に悪手なんだが
数十万単位の鉄騎を保有していた金ですら太刀打ちできなかったのに騎馬民族でもない貧乏農耕民のルーシがつけ焼き刃で鉄騎揃えたところで何の価値もない 東欧といえば
モンゴルはブルガリアのイヴァイロにも負けて
あのあたり諸勢力がグダグダ >>1
モンゴルに負けてウラジミル大公はハーンの家来になった オゴタイが早く亡くならなかったら、モンゴルはヨーロッパ全土を支配占領していただろう。当時陸上戦でモンゴルに勝てる勢力はいない >>160
ブリテン島の東南端と、オランダはたいして離れてないぞ
朝鮮半島と日本の距離とはワケが違う >>158
そうではない
ウラジミル大公アレクサンドル・ネフスキーは、みずからモンゴル帝国におもむいて臣従した >>165
臣従したのは、モンゴルがウラジーミルの首都を攻撃して占領した後だろ オゴタイがもう少し延命してたら、東欧どころかヨーロッパ全土を征服してただろう
オゴタイの葬儀のために途中で引き上げて、そのまま遠征再開なし
中途半端で盗った領土はバトゥ一族が占領維持 オゴタイ汗時代に南宋遠征と同時に行われたのが東欧遠征
モンケ汗時代に南宋遠征と同時に行われたのがペルシア遠征
クビライ汗時代に南宋遠征と同時に行われたのが日本遠征
東欧遠征、ペルシア遠征、日本遠征はモンゴル帝国にとって同格の作戦 当時において中東制圧したけど、東欧制圧できなかったことは致命的な失陥なのかな? >>168
北欧から、ヴァイキング植民地のアイスランド、グリーンランド、北米大陸への
モンゴル人の進出はないか? >>172
モンゴル人は天命によって世界の支配者になったというテングリ思想の持ち主なんだから
海の向こうに国があれば普通に進出する いくら天命だとか煽ってもモンゴル人は水が苦手なのはどうにもならなかったし、
実際フビライが日本遠征で動員かけて、海を渡らされる、と聞いたらモンゴル人は反乱おこしてるし。 モンゴル人は普通に2回も海渡って日本遠征してるが? 高麗人も南宋人も「広義のモンゴル人」と言えばそういうことになるが。
遊牧民のモンゴル人はストライキ反乱を起こして渡海動員をほぼ免除を勝ち取った。日本への渡海の主力は高麗人と南宋人で編成された。 >>176
日本遠征の主力はモンゴル人だろ。
台風の後で置き去りにされた元兵の内、南宋人は助命され、モンゴル人と高麗人と漢人は
処刑されたと元史に書いてある。
置き去りにされるほど大勢のモンゴル人が参加してたわけだ。 民族としてのモンゴル人もいるには居ただろうが、指揮官クラスで総数にしては数百から千人程度で
高麗軍約4万、旧南宋軍10万を構成する民族は概ね高麗人と旧南宋人だった、という。 >>179
モンゴル人が指揮官クラスで総数にしては数百から千人程度しか参加してなかったら
置き去りにされず全員帰還できたはずじゃん。
史料では明らかに万単位のモンゴル兵が参加してる。 >>178
主力をどう解釈するかだけど、人数だけでいえば、弘安の役の南宋人が一番割合大きい
ただと何故か二か月遅れでやってきてちょっと戦ったら台風に遭って置き去りにされて掃討戦で壊滅したから
二か月以上の弘安の役の主力として戦ったわけではないけど >>179
高麗軍4万もいた?弘安の役だよね?
高麗史には「東征軍九千九百六十名、梢工水手一萬七千二十九名」
とあるからこれが蒙漢軍を入れない高麗軍のみの数としても26989人では >>174
文永の役や弘安の役で日本遠征に反対しての反乱なんかあったっけ?
三回目の日本遠征準備中には反乱起きてたと思うけど、
これモンゴル人じゃなく旧南宋地域じゃなかったっけ 日本への遠征が道義的に間違っている、という意味で反乱したのではなく、
日本海を渡る作戦に自分等が動員されるが嫌だ、という意味での反乱というよりストライキ。 学校の教科書で、習った「タタールのくびき」ですね。
モスクワまで支配していた、とか・・・800年ほど前なのだが。
:要するに、ジンギスカン。←厨房のキミが、この夏に行く焼き肉屋のお話ではない
「元寇=モンゴル襲来」なんて、ニンゲンの言葉を知らないだろ?
今現在までの『 歴史の、一発屋!』としては、モンゴル帝国はユーラシア大陸の
4分の1を「征服」していた・・・今現在は "日本の相撲" なんて。クソ弱小国に
なり果てている。 三回目の元寇準備中の反乱って元寇関係あったっけ?
どっかで造船負担が造船能力のある旧南宋住民にのしかかったので
その負担にキレたっての聞いた気がするけど 弘安の役の後は反乱大量発生したよ。
10万の兵が皆殺しにされたのが衝撃で、みんな日本に行くのはヤバいってなった。
日本に使者を送ろうとしたら海上で船員が使者を殺して逃亡とか。 元寇によって大陸の日本に対する認識が変わったって説あったな
まあそれまでは白村江や刀伊の入寇くらいだし強い国って認識もそんななかったのかな >>188
日本で巻き添え喰らうの恐れたんだろうけど
皇帝の使者殺害してその後どうなったんだろう
普通に死罪相当だよね >>188
一応2回来てるけど、よく来る勇気あったな 日本は仏教国だから僧侶なら殺されないだろうって、僧侶に国書持たせて送ることにした 英語版WIKI読んだ記憶からすると
モンゴルの侵略の時、重装騎兵の死傷者が少なかったから重装騎兵を増やした
石でできた堅い城はおとせなかったから木造のしょぼい砦から堅固な石の城にのきなみ変更
ハンガリーは2度目の侵攻、ポーランドは3度目の侵攻で完全に対応して終了 遠征軍が単純に規模が縮小してるからなぁ
対応したんじゃなくてモンゴル側が弱くなってるんだよなぁ モンゴル軍で攻城戦担当してたのは漢人部隊だからな。
チンギス・カンの西征でホラズム・シャー朝の城を陥しまくったのも漢人部隊だし、
フレグの西征で暗殺教団の要塞やバグダード攻略したのも漢人部隊。
漢人部隊のいないモンゴル軍は戦闘力がかなり落ちる。 遊牧民がまともに攻城戦できるわけないじゃん。
漢人部隊なしにどうやってサマルカンドやバグダード攻略したと思ってるんだ? >>198
チンギス・カンが金に攻め込んだ時、女真人に支配されてた中国人が大量にモンゴル軍に
寝返ったんだよ。
その中国人たちが直後の中央アジア遠征にも従軍して大活躍。
ロシアまで遠征してカルカ河畔の戦いに参加した中国人もいた。 >>198
当時の「漢人」は金の遺臣で漢字使える人程度の意味だから
血統的には漢晋の漢人とはかなり掛け離れてるし、鮮卑と融和した隋唐の漢人とも全く別
南宋人は南人、もしくは南蛮人、蛮子とか呼ばれてたし >>201
金朝成立まで北宋人だった連中もチンギスの中央アジア遠征には大量に参加してた。
そもそも漢人がモンゴル軍の中核として活躍してたことに異論はないんだろ。 >>201
元寇の時の蒙漢軍はどうなんだろ
確か小弐に射られて怪我した副司令官は漢人ぽかったけど >>203
どっちかというと遼→金と移動してった人がメイン「漢人」
遼と移籍した人々がその後も金、モンゴルと所属してったので
北宋から遼や金に従った人もいたのは否定はできないけど
それが中核と言うのは言い過ぎなんじゃねーかなーと思うよ 14万人全消滅って本来
国家危機レベルだろ
カンネーでさえ6万くらいで伝説レベルなのに
弱すぎ もし攻め入ったのが日本でなくグレートブリテン島だったらどうなってただろうか?
クレシーの戦いみたくロングボウ兵によって射殺されちまうのだろうか? ノルマン・コンクエストや名誉革命など、兵力2万で上陸すれば余裕で征服できるのが
グレートブリテン島 >>3
朝鮮半島は要らなくない?
中国と国境接したくないんだけど 欧米の研究者は当時のヨーロッパが辺境だと理解してないから東欧遠征を過大評価してる。
モンゴル帝国にとってヨーロッパの価値なんて最低ランク。
モンゴル西征軍もキプチャクを征服したら主力のグユクとモンケはキプチャク軍団連れて
さっさと帰還してる。
その後の東欧遠征に参加したのなんて残りカスだけじゃん。 ローマ教皇にモンゴルへの降伏を促す親書を送ってるだろ。 最低ランクのとこに遠征軍送り込むほどモンゴル帝国も暇じゃないだろ… >>1
ワールシュタットでは大勝してるし充分だろう
ビザンツ帝国などが常に敵と戦っていて屈強だったので簡単にはいかんわな
単にビザンツやホラズムが百戦錬磨だったのと
ルーシ諸国の撤退しながら戦う焦土作戦にやられてそれ以上進めなかっただけ
海戦では日本だけでなくベトナムにすら完敗してるだろ 悪酒絶つと(ワールシュタット)胃に良い(1241) >>215
ポーランドに侵攻したモンゴル軍の兵数は1万人
サハリン遠征と同じくらいの作戦規模 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています