明清帝国
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日本では、明も清も人気がない
2つ合わせれば、それなりに話のネタもあるか? 大学で東洋史を学んでいるものだ
個人的には明オタクなんだが、指導教官が面倒見切れないので研究は清朝史です 張士誠
泰州白駒場(現在の江蘇省塩城市大豊区)の人。郷里で官塩の舟運の傍ら、私塩の密売にも携わっていた。
財を軽んじて人を施すのを好んだので、衆人の心を得ていたが役人、土豪とは利害が対立していた。
至正13年(1353年)に土豪から侮辱を受けたため張士義、張士徳、張士信ら3人の弟を含めた18人を率いて報復のために挙兵、
塩丁ら多数がこれを加わり、たちまち泰州を落として参政の趙lを殺害し、更に興化、高郵など江北の要地を占領する。
翌至正14年(1354年)には誠王と称し、国号を大周、元号を天祐と定めた。 張士誠の反乱を元朝は極めて深刻に受け止めた。
なぜなら、反乱が起こった淮東は、全国最大の塩の生産地であり、
かつ江南の物資を京師に輸送する大動脈である大運河が通っている地域であったからである。
塩の専売を最大の財源とし、経済面で江南の豊かな物資に依存している元朝にとってはまさに死活問題であった。
そのため、右丞相のトクト(脱脱)を司令官とする大規模な討伐軍がただちに発せられた。 張士誠ね、後漢末にタイシジ持ってたリュウヨウのイメージだわ、もっと有能か >>7
まあ、経済力がありすぎたせいか、晩年は奢侈におぼれたとされてるが、江南の覇者になるくらいだから、タダ者ではない 「天下の三分の二は魏」といわれ、国力の差が明らかだった三國志とは異なり、
張士誠・朱元璋・陳友諒の三大勢力は、どれも甲乙つけがたい強大な勢力 朱元璋は、国力が劣る上に、他の2勢力に挟まれる不利な位置にあった。
ただし、劉伯温や李善長をはじめとする、人材がすごかった。
陳友諒は、張士誠に「朱元璋を挟撃しよう」と同盟を持ちかけたが、張士誠は乗らなかった。
陳友諒に対する警戒心が、朱元璋への敵意を上回ったのであろう。 陳友諒は、それくらい強大な勢力だった
朱元璋が勝利したのは歴史の奇跡 「大明帝国朱元璋」はイイゾ
荒削りなところが多いが、朱元璋の人間的な所とカリスマ的な所が上手く演出されている
適当に描いているからこそ、朱元璋飛躍の必然性というか神がかり的な能力の高さを感じさせる 明の時代の李時珍による『本草綱目』人部には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。
特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。
不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという。
民間では、同時代の『南村輟耕録』に、戦場での人肉食の実例と調理法が多岐に渡って紹介されている。
この食事方式を採用した隊では戦果が食事に直結するため、大いに士気が高揚したという。 人口、GDPが急拡大した時代。
貿易黒字が続き、世界中の銀が集まった時代。
最後に阿片でボロボロにされた時代。 人口爆発っていったら、20世紀のアフリカあたりを連想するけど、中国では16世紀から始まってるんだよなあ 豊臣秀吉がヌルハチみたいになれなかったのは何故だろう?
国力、兵力は上だと思うんだが。 >>17
地続きの清でさえ、朝鮮に5回も攻め込んで、やっと半島を制圧することができた。
たったの2回で断念したのが、日本の失敗原因。 なるほど。
短期決戦で強くても完全制服には至らない。
数代に渡る長期戦を要するということか。 仮に明軍を圧倒し、そのまま明を倒し、
秀吉が寧波あたりに遷都できたとしたら、
征服民族が中華化してしまう法則が働いて、
日本語を話せない日本人に変化してたに違いない。 日本が漢化するのかって凄い興味深いよな
時代は変わるけど南明日本乞師で薩摩藩とかが本格的に介入したらどうなったんだろうとワクワク モンゴル帝国でさえ高麗には何度も攻めこんでいるよね
降伏するのは早いんだがその後撤退すると手のひらをすぐ返すの繰り返し
移動手段の乏しい時代に半島を征服するのはなかなか難しい
だから民族が同化されずに残ったんだろう 仮に唐入りが成功していたとしても
日本本土とは離れているから全体の漢化はなかったのでは?
その代わり寧波に拠点を移した豊臣本家は漢化したかもね
そして数世代のうちに日本本土は分家か有力諸侯により寧波の支配から抜け出すのではと思う
大軍が行き来するのは難しいから 古くから漢文化を受容してきた素養があるのだから、
漢化しようと思えばアッサリしちゃう気がする。
教養人はみんな漢文を読み書き出来てたし。
漢化する覚悟なく、
日本式を押し通したら
大陸制覇は抵抗が大き過ぎて不可。
ただチョンマゲぐらいなら強制できるかも。 大陸に渡る支配者層の漢化は早いだろうね
しかし三国国割構想では日本と大陸には別の天皇と関白を置くつもりだったらしいし
日本本土は漢化しないのでは?
距離の問題もあるし日本自体が当時は相対的に人口が多い国だから
少なくとも庶民まで日本語を忘れて漢化することは考えにくい 日本人を見習って、土足で部屋に上がらないとかじゃね? 満洲語、満洲文字が権威を持っていたように、
尾張弁、漢字かな混じり文が権威を持っただろう。 >>34
むしり日本では漢文こそが教養人の証だったから大陸の日本人はせっせと漢文を取り入れただろう >>36
送り仮名や返り点が中国で普及するのだね。 >>34
シナ人の連歌師が出現して、連歌会が催されただろう 文化や風習はともかく、
制度を日本化するだろう。
太閤検地の実施。
石高制に基づく封地割当。
封建領主は屋敷を城にして、
町を囲む城壁はなくした城下町。 加藤清正は豆満江を超えて
オランカイと闘った。
清正の報告では、
オランカイは朝鮮の倍の広さがあって、
全体の統治者がおらず、
伊賀者甲賀者のように砦を構え、
一揆国みたいらしい。
オランカイは
統一前の女真族の一派かもしれない。
清正の見立てでは、
オランカイを通って明国入りするのは無理。
女真族はかなり手強いという認識。 >>22
秀吉時代は失敗したけれど、
南明勢力からの日本乞師に答え応じていたら、
大義名分が出来た分、有利になるから、
結構いけたかもね。 >>43
「師」は軍隊のこと。あとは読んで字のごとく。 バチカンにまで送ってたらしいね
十字軍でも期待したのかな 満州八旗が強かったのはほんの初期だけというイメージがある。
むしろ漢人武将たちの活躍で、
あれよあれよと大征服出来ちゃった感じ。 三藩の乱だって緑営をぶつけて八旗は後方で片付け待ってたらしいからな
果たして満州人が絶対的に強いのか怪しいと思う
なんか、モンゴル帝国の圧倒的な強さというイメージで異民族王朝を語ってる節がある希ガス >>40
太閤検地みたいなことは、明の太祖がさをざんやったからなあ >>29
そりゃ、進行するだろ
日本より遥かに文化伝統の少ない満州の狩猟民ですら、どれだけ中国の文化を変えたか? ただし、日本人は農耕民族
服装や食事とかは、洋の東西を問わず、狩猟民の機能的な服装や、肉食文化の影響力が大きい >>47
人口の違いは大きい。
どうやって少人数で絶対多数を服従させたかは興味深い。 >>48
貨幣経済が発達し、
明代には銀本位経済がフルに回っていた中で、
さすがに石高制はないね。
秀吉だって銀山を主要な財源にしていて、
朝鮮出兵時にも朝鮮の銀山確保を重視したりしていることから、
十分に銀の力の重要性を理解していた。
明清内で流通する銀は南米産以外は日本産。
戦国日本で鉄砲を大量生産できたのは、
銀生産拡大での購買力に依るところが大きい。 明清が世界中の銀を自国に引き寄せていった商品の販売力は凄い。
当時の国際経済での競争力はナンバー1.
日本の当時の輸出品は、銀、硫黄、そしてあまり知られてないが奴隷。
銀が枯渇してくると、高値で売るものがないので鎖国で制限するしかない。 >>52
明清は、郷紳、つまり地主階級が全盛だった時代 >>53
銀はともかく、硫黄なんかで外貨を稼げたのは良い時代 田沼意次は、干し鮑やフカヒレなどの俵物の輸出を図っている。
金銀の流出を抑えるために。
そのおかげで中華料理の高級食材の定番になった。 昆布の道
蝦夷地松前藩⇒富山藩⇒薩摩藩⇒琉球⇒清
富山と沖縄料理で昆布が多く使われる。
薬の道
清⇒琉球⇒薩摩藩⇒富山藩⇒全国に薬売り >>55
石油の脱硫装置がなかった時代だもね。
火薬の原料として欠かせないものだが、
さすがの明も硫黄の調達先が仮想敵国の日本だけでは不安だったため、
東南アジアや西アジアなどの入手先の多方面化を図っている。 >>54
一条鞭法や地丁銀制は銀納。
銀が大量流通していないと成り立たない制度。
その銀の生産元の大半がメキシコなどの南米と、一部が日本。
銀生産地の新大陸は西欧諸国の植民地。
西欧諸国が銀の需要が大きい明清に銀を供給。
西欧諸国は明清の物産を大量入手。
商業が発展して西欧の力が急速に伸びる。
織豊時代日本の文化の輝きも銀の力。
なのに石高制は米本位の物納。 石高制は明が銀本位制に移行したことによって
輸入した銅銭に頼っていた貫高制が維持できなくなったからだろ
明を征服するなら銀本位制に移行するわ 宋の頃は、日本が莫大な銅の輸入国だった。
明では、日本が銀の輸出国に転じた。
この違いは大きい。 日本は、明代になっても、宋の古銭を輸入していた。
「宋銭が東アジアの基軸通貨だから」というのはもちろんだが、「銅の輸入」という側面も見逃せない。 農民出身の朱元璋は、農本制に移行しようとしていたが・・・。 >>64
荒廃した国土復興と食料確保が優先なので、
朱元璋の政策は間違ってない。
ただ商業軽視、朝貢外交に固執は儒教の悪影響だと思う。
周辺諸国が貿易自由化を求めて反発するのは必定。
北虜南倭、秀吉の出兵、ヌルハチの挙兵、後年のアヘン戦争も含む。 衛所制というのは殆ど上手くいかなかったと見て良い? >>62
輸入してたのは宋の銅銭であって銅そのものは輸出国だぞ日本は
原料輸出の強みは技術力が要らないということ
貿易で利潤を得ようとするらなら相手国の製品より性能なり価格なりで優位を示さないといけないが
さすがに当時の中国相手に技術力で勝負するのは分が悪い
その分銀や銅硫黄といった資源はそのものに価値があるのでいつの時代でも安定的に商品として機能してくれる >>68
資源を輸出して、製品を輸入するというのは、現代の日本とは逆のノリだな
やはり、江戸時代だろうな、日本が変わったのは しかし、現代では資源輸出国といったら「発展途上国」という位置づけだが、大昔にそのイメージを適用すべきなのかどうか。
昔は、鉱山を開発するのだって、大変な技術だ。
ましてや、中南米の鉱山を開発して中国に輸出していた南欧諸国は、現代の資源メジャーがやってることと変わらない。 >>70
先日のNHKヒストリアで、徳川家康がスペインから
金や銀を含む鉱石から水銀を利用して金や銀を取り出す製錬法(アマルガム法)
を技術導入しようと交渉した話しをやっていました。 日本の場合は開発途上国の悲しさがあった。
日本が輸出していた粗銅には金銀が含まれており、
当時の日本にはそれを分離する技術がなかった。
明の商人たちは日本から安値で粗銅を買い取り、
金銀を分離して大きな利益を得ていた。
戦国時代に朝鮮から灰吹法、
南蛮から南蛮吹きなどの技術が伝来して、
ようやく日本でシルバー、ゴールドラッシュを迎える。 >>72
灰吹法が極めて非効率だから、スペインから技術導入したんだが? 江戸時代初期の日本が、欧米からの技術導入で金銀の生産を大幅に進歩させたというのは、見落としがちなポイントだ。
江戸時代における欧米の影響というのは、もっと認識されてよい。 「江戸時代の日本」といえば、「鎖国」。
「明清時代の中国」といえば、「海禁政策」。
でも、実際のところ、当時の朝廷は、どれほど海洋貿易を統制できてたんだろか?
最近は、日本史の教科書も書き換えられている。
「長崎の出島で、オランダ人とだけ貿易してました」
という話は、すっかり過去のものになった。 >>73
その非効率の灰吹法すらなかったから、
みすみす利益を明の商人たちに奪われていた。
開発途上国の悲哀だ。 >>75
長崎の出入りする船だが、
オランダ船より中国船の方が数が多い。
そのオランダ船だが、
オランダ東インド会社が支配していた東南アジアの香辛料や砂糖以外は、
中国物産が多く、ヨーロッパ由来の物品は量としては少ない。
オランダ東インド会社はまずはアジア域内交易で儲けを追求し、
その儲けでアジア物産を買い付けて欧州に持っていく。
つまり長崎オランダ船の交易の大半は中国物産の取引だった。 >>75
少なくとも日本船を仕立てて渡海して、
海外に日本人町を形成するようなことはなくなった。
海外物産への興味がなくなったわけではなく、
需要は大きく、
いわゆる「鎖国令」発布以前よりも
貿易量が多くなっているデータはあるそうだ。 中国も、明ともなれば、「ラクダに乗った隊商がシルクロードをはるばると越えていきました」なんて世界では、とっくになくなって久しい。
現代と同じように、沿海部に主要都市が集中している。
海洋貿易は、中国にとっても生命線だった。 釜山には倭館があって、
元禄時代にも数百人の日本人が常駐。
福建省には琉球人町があって、
冊封交易が続いてた。
他の日本人町は消滅。
こういう拠点間海外ネットワークを維持できなかったことは、
欧州との差を広げてしまうことに繋がる。 >>79
隊商交易はなくなってはいない。
量的には増加しているはず。
オイラート、タタールの攻勢は隊商交易が活発だったことを示す。
19世紀になっても中央アジアの陸上交易は盛んだった。
ロシアとの交易も始まるし。
アンドレ-グンダー・フランクの「リオリエント」では
従来、海上貿易に目を奪われがちだったのを批判して、
陸上交易の重要性は失われてなかったと主張してたことの受け売りだけど。 最終的に清に滅ぼされたジュンガルも勢力拡大の背景に陸上交易の利があったと思う。
ジュンガルは清との戦争でロシア製の大砲を使ったり、
ロシアからの技術導入で工業化を進めようとしたりしているので、
ロシアの支援があったかもしれない。
ロシアも清と対立したくないから、表立って支援しないと思うが。
タタールのくびきの記憶も残っているし。 >>67
軍役は辛いからねぇ。
八達嶺や慕田峪の長城を行ってきたけれど、
よくまぁ、あんな山の尾根に城壁作ったよなぁと感心する。
いやぁ長城まではロープウェーとかケーブルとかの乗り物だったんだけれど、
長城自体の上り下りがキツクて、息が上がって苦しいことおびただしい。 19世紀の北京に駱駝がいたのか、ビックリした
もしかしてもっと前から中国に駱駝は来てたの? 北京中心から70キロほどで砂漠地帯に入るよ。
昔はどこまで砂漠があったかは知らないけれど。 じゃあ中国の歴史上で駱駝騎兵部隊とかいた可能性があるのか
…砂漠以外でのメリットが無いから無理か 中華ドラマでは駱駝部隊は見たことないな。
モンゴル系騎兵部隊は普通に馬だし。
戦闘用というより、荷役では使われたかもね。
なぜか杭州の宋城という宋時代を模した
テーマパークがあって、
そこで駱駝に乗せてもらったことがある。
なんで宋で駱駝なのかはよくわからない。 中国人のことだから駱駝料理もありそうだな…と思ってググってみたら駱駝の瘤が中華料理の珍味として紹介されてた
中国パネェ 広州に行ったときに、
古くから回教徒(イスラム)が多く住む区域があって、
中華式モスクがあった。
仏教寺院みたいな、ちょっとデザインを変えてあるような建物。
回族料理の飲食店があって、
羊肉が店頭にぶら下がっていて、
ちょっと食べてみたかったなぁ。 >>92
アラブの寄付があるのかもね。
新疆ウィグルのカシュガルあたりだと、
また変わるんだろうな。
イスラム建築の煉瓦造り青色ドームがあったりして。
住民の顔立ちも黄色人種でないし。
広州の回族は女たちがベールしている以外は他の中国人と見分けがつかない。
寺院は古い屋根瓦の木造だったし。
広州が昔からムスリム商人を受け入れてきた証だと思う。 >>93
唐の場合はイラン系ソグド人文化の影響が強い。
安史の乱以降はトルコ系ウィグル人の影響が強くなるのかなぁ。 ウィグルはムスリムだけど、
モンゴル系はどういうわけか知らないが、
チベット仏教になっている。
ジュンガルもチベット仏教国。
清朝はダライ・ラマを手懐けることで、
モンゴルをも掌握する。
中華皇帝+大ハーン+チベット仏教の守護者ということで君臨できた。
ムスリム寺院への寄進も怠ることはできず、
大帝国の運営は多方面に気を遣う。 その点大明帝国って凄いよなぁ
中華皇帝の名称だけで中国統治しちゃうんだもん 明ってチベットもモンゴルも満洲も支配してないじゃん 中華統治期間の長さで、
明:1368年-1644年の276年間
清:1644年-1912年の268年間
よって明の勝ち。 漢人しか支配しなかったなら皇帝号だけで十分なのは当たり前 逆にほとんど差が無いのがすごいな
シンクロニシティだ 明の皇帝一覧
名前 皇帝号 即位年 終了年 在位期間(引き算しただけ)
朱元璋 太祖洪武帝 1368 1398 30
朱允? 恵宗建文帝 1398 1402 4
朱棣 成祖(太宗)永楽帝 1402 1424 22
朱高熾 仁宗洪熙帝 1424 1425 1
朱瞻基 宣宗宣徳帝 1425 1435 10
朱祁鎮 英宗正統帝 1435 1449 14
朱祁ト 代宗景泰帝 1449 1457 8
朱祁鎮 英宗天順帝 1457 1464 7
朱見深 憲宗成化帝 1464 1487 23
朱祐? 孝宗弘治帝 1487 1505 18
朱厚照 武宗正徳帝 1505 1521 16
朱厚? 世宗嘉靖帝 1521 1566 45
朱載? 穆宗隆慶帝 1566 1572 6
朱翊鈞 神宗万暦帝 1572 1620 48
朱常洛 光宗泰昌帝 1620 1620 2ヶ月
朱由校 熹宗天啓帝 1620 1627 7 すまん。再録。
明の皇帝一覧
名前 皇帝号 即位年 終了年 在位期間(引き算しただけ)
----------------------------------------------
朱元璋 太祖洪武帝 1368 1398 30
朱允? 恵宗建文帝 1398 1402 4
朱棣 成祖(太宗) 1402 1424 22
永楽帝
朱高熾 仁宗洪熙帝 1424 1425 1
朱瞻基 宣宗宣徳帝 1425 1435 10
朱祁鎮 英宗正統帝 1435 1449 14
朱祁ト 代宗景泰帝 1449 1457 8
朱祁鎮 英宗天順帝 1457 1464 7
朱見深 憲宗成化帝 1464 1487 23
朱祐? 孝宗弘治帝 1487 1505 18
朱厚照 武宗正徳帝 1505 1521 16
朱厚? 世宗嘉靖帝 1521 1566 45
朱載? 穆宗隆慶帝 1566 1572 6
朱翊鈞 神宗万暦帝 1572 1620 48
朱常洛 光宗泰昌帝 1620 1620 2ヶ月
朱由校 熹宗天啓帝 1620 1627 7
朱由検 毅宗崇禎帝 1627 1644 17 清朝皇帝一覧
名前 中華号 満州号 モンゴルハーン号 即位年 終了年 期間
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヌルハチ 太祖 アブカイ・フリンガ・ハン スレ・クンドゥレン・ハーン 1616 1626 10
ホンタイジ 太宗 スレ・ハン ボクド・セチェン・ハーン 1627 1643 16
福臨 世祖順治帝 イジスフン・ダサン・フワンディ イャルート・ジャサク・ハーン 1644 1661 17
玄Y 聖祖康熙帝 エルヘ・タイフィン・フワンディ エンケ・アムガラン・ハーン 1662 1722 60
胤メ@ 世宗雍正帝 フワリヤスン・トブ・フワンディ ナイラル・トゥブ・ハーン 1723 1735 12
弘暦 高宗乾隆帝 アブカイ・ウェヒイェヘ・フワンディ テングリ・テクゲチ・ハーン 1736 1795 59
永? 仁宗嘉慶帝 サイチュンガ・フェンシェン・フワンディ サイシャ・ヤルート・ハーン 1796 1820 24
旻寧 宣宗道光帝 ドロ・エルデンゲ・フワンディ トル・グレト・ハーン 1821 1850 29
奕? 文宗咸豊帝 グブチ・エルギェンゲ・フワンディ トゥゲモル・エルベト・ハーン 1851 1861 10
載淳 穆宗同治帝 ヨオニンガ・ダサン・フワンディ ブリン・ジャサク・ハーン 1862 1874 12
載? 徳宗光緒帝 バダランガ・ドロ・フワンディ バダルグ・トル・ハーン 1875 1908 33
溥儀 宣統帝 ゲフンゲ・ヨソ・フワンディ ゲブト・ヨスン・ハーン 1908 1912 4 皇帝の数
明:17人
清:12人(後金を含む)
明の勝ち。 平均在位期間で
明:16.24年
清:23.83年
清の勝ち。 >>99
不完全だが支配はしてるぜ
チベット:
烏思蔵都司・朶甘行都司として一時的・名目的に支配
当時のチベットには全体の統一された支配者はおらず各地方の土豪よりも上の存在は即ち明の皇帝ということになる
満州:
奴児干都司として黒竜江河口域まで結構がっつりと支配
後に独立されて後金となる
モンゴル:
万歴年間にフフホトに帰化城と名付けて内蒙古は帰順させた
西北には赤斤蒙古衛や哈密衛など関西八衛を置いてモンゴル系の哈密王国(カラデル)を属国に(後に東チャガタイ汗国の分裂したトゥルファンに奪われる) >>109
英宗(正統帝、天順帝)。
最初は最悪のアホ帝かと思いきや、
ドン底の苦しみを味わった後は、
恐るべき精神力と人タラシの術を駆使した。
皇帝ではないが、
万貴妃の悪女ぶりも好き。
最初から悪女に変貌したわけではない。
味方のいない廃太子の幼い皇子の子守りとして
愛情深く仕え続けたまさにマドンナだ。
ただ、皇子を愛しすぎて、
二十年ぐらい年が離れているのに
男女の仲になり、
皇子が復権して皇帝になった後、
年増女の嫉妬が暴走しただけだ。 >>109
清朝ではダメ?
皇帝ではないが、孝荘文皇后。
ホンタイジの側妃。
俗説ではドルゴンに嫁ぐが正史では否定。
順治帝の生母。
康熙帝の祖母。
モンゴル人。
中華ドラマや小説ではおなじみのすげぇ超女傑。
大清帝国の事実上の建設者。 >>103
王朝の興亡パターンが有るよね。
創設期⇒発展期⇒繁栄期⇒衰退期⇒滅亡。
気象変動周期が原因という説。
経済変動の長期周期(好況不況の長期波)によるという説。
人口増加と生産力増加のアンバランスの調整が生じる説。
いろいろ原因は考えられそう。 試験では
・王朝名
・創設者名
・最盛期の皇帝名
・滅亡時の皇帝名
の4つを覚えればOK。
しだいにどれも同じパターンに思えてきて中国史が飽きられていく。 >>114
どの王朝も、有名な皇帝は最初の数人だけ
あとは惰性で続く ローマ帝国も、国家としては長く続いたが、皇帝は選挙やクーデターで交代し、王朝がしょっちゅう入れ替わっている。
それを思えば、元・明・清は、「ペキン帝国」と一括して総称しても良いように思う。 >>100
明清だけで550年
室町時代から明治時代まで、ほぼフルカバーだ
長い はっきり言って、中国史の勉強は、明から始めれば十分 日本に多すぎる三国志ヲタを、どうすれば明清ヲタに変身させられるんだろうな? >>121
「明清ダークヒーロー列伝」ゲームを開発する。 >>120
高校時代、社会科教師からイタリアの歴史をまとめて発表する割当を受けた。
得意になってローマ共和制からの資料をプロジェクターで写しながら延々と発表したもんだ。
教師からの講評は「そんな昔のはカットしろ。ルネサンスあたりからで充分だ。」
こん畜生!腹立つ!!
教師の言わんとすることが何となく理解できたのは、
ずっと後のこと。 >>116
ボルジギン朝ペキン帝国。
朱朝ペキン帝国。
愛新覚羅朝ペキン帝国。 実際、北京(大都)や地方の文武百官のほとんどはそのままだったんじゃないかなぁ?
北京入城時は略奪虐殺厳禁で、
人心安定が優先で、
朱元璋は元朝の正当性を認めた上での大都住民へ降伏勧告を出し、
清は明朝の後継を宣言して、朱氏の祭祀が続くよう配慮した。
統治体制の中身を破壊しない。
政権トップが変わっただけ。 >>114
大学入試で王朝名とか君主名とかほとんど出題されないが
中国史はどこも大体政治史6割文化史3割その他1割 「王朝が滅亡したときの皇帝」って重要か?
陳の後主と、南唐の李Uだけは重要だけどな、文学史で。 >>125
明を滅ぼしたのは清じゃないからなあ
結局満州族が治安維持のために漢土に駐留してるみたいな感じやん >>128
明、清のそれぞれの征服軍の北京入城時に百官が勢揃いして、
万歳している様子をイメージする。
帰順した官僚はそのままの地位を保つので
政治組織体としては700年連続しちゃう。 >>126
入試の時、西欧史と肝心の中国史が全く出ず、
ほとんど知らなかったアフリカ史、ベトナム史、朝鮮史の問題だった。
酷い。。。(>_<) >>127
滅びの美学にシンパシーを感じるもんで。 >>131
日本史だと、足利義昭や徳川慶喜は重要だけどな。
それだけ、重大な歴史的役割をはたしている。 >>132
崇偵帝も、袁崇煥を処刑して明の滅亡を早めるという重要な役割をはたした 「近所の裏山で首を吊った」という劇的な最期で記憶に残る皇帝 >>121
光栄に入社してゲーム作れ
蒼き狼と白き牝鹿的なシステムで頼むわ ティムール侵攻とかのシナリオがあれば最高に燃えるがな 君は洪武帝の魔の手から生き残ることができるかのサバイバルゲーム。 >>121
漫画も描いてね。
中国語だが「明朝あれこれ漫画版。 萌え太祖! 朱元璋!」
https://www.amazon.cn/dp/B00NHLJ9ZG/ref=sr_1_14?ie=UTF8&qid=1528544098&sr=8-14
この漫画の朱元璋の人物紹介で笑ってしまった。
座右の銘で日本語訳してみると
「お前の物は俺のもの。俺のものも俺のもの」
パクリだな。 >>138
明初の英雄は、中国では人気キャラなのにねえ。
日本では人気・知名度とも低い。 現代のオタだけじゃなく、江戸時代から明清の歴史に興味もってないからなぁ日本人は
基本は春秋戦国〜唐、あと禅僧がらみなどでちょこっと宋?
モンゴルの波に洗われ、さらに対日海禁の方向性が強くなった後はやはり意識として疎遠な感じ
あと日本側の事情として、中央集権が崩れて武装地主への所領安堵の集積からなる武家政権になると、
中国の政体がもはや参考にならないんだよね・・・そしてただの教養としてなら古典で量的には充分と 国性爺は例外的に日本人の興味をかなり引いたほうじゃねえかな、その出自のおかげで 日本中心の主観的興味に偏り、
大陸事情に無知のままなのは良くない。
秀吉も旧日本軍も、失敗の最大原因は無知だと思う。
侵攻前に一応詳細に敵地を調査研究はしているんだが、
戦争目的と動機付けが無知、無理解、主観的希望に基づいている。 「文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)」を読んだ。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4642063269/
文禄のときは、征明が目的で、朝鮮はただの通り道のつもり。
朝鮮が道案内してくれないから攻撃しただけ。
慶長のときは、言わば日本の外交的体面を保つためだけの出兵で、
朝鮮が形だけでも頭を下げてくれたらと希望しただけ。
実質的な意味はない。
朝鮮側からしたら、ふざけんな、この野郎だ。
明は結構早い段階で、秀吉の野望を察知していたが、
朝鮮は明に危険を報告するのを躊躇していたため、
明は朝鮮が日本側に付くのではないかと朝鮮の態度を疑う。
平壌が陥落しそうになって、やっと援軍派遣が決定する。
等々、なかなか面白かった。 当時は堺や博多の商人が活発に活動しており、日本にしては国際化された時代だったんだが・・・。
大陸や半島の情報は不足していたか? >>145
情報はあっても、情報を活かした計画になってない。
いや計画以前に、戦略目標がすこぶる怪しい。
派遣された諸将もすぐにこりゃあかん、
このままだと不味いと気付き、
現地で何度も対策会議を開き、
上から出される軍令と、
どう辻褄を合わせるか苦慮する。
十万を超える兵力を渡海するという
当時の世界でもなかなか例を見ない壮挙なんだが、
その割には朴訥で、無計画にすら思える。 元・明からは、生糸や唐物や書画といったブツの輸入先という存在になったな
相手の歴史や思想や宗教を学ぼうとかそういう対象ではなくなった、それは古代で基本ストップ
この時代のもので日本に影響を与えたのって陽明学くらいじゃねえかな >>147
学ぶ気が無いならなぜ最大の輸入品目が書籍だったのか
徳川時代を通じて清から輸入された書籍は数百万部数千万部に昇るのだが
徳川時代の日本で流通した清本の量を考えてみろよ 幕府や諸藩の諸法度や御触書などの法令制定に明律が参考になったという話は聞いたことがある。
荻生徂徠も明律国字解を作ってる。 陽明学は、むしろ中国より日本で影響が大きかったという印象だな。
幕末の志士も強い影響を受けている。 NHK Eテレ 6月18日(月) 午前0時00分(再放送予定)
地球ドラマチック「中国 紫禁城の秘密」
http://www4.nhk.or.jp/dramatic/x/2018-06-17/31/34586/2340518/
イギリスのドキュメンタリーみたいだけど
永楽帝の無茶ぶりがわかってオモロかった。 >>149
荻生徂徠は、中国語を勉強して漢文を中国読みするなど、
中華を聖地として礼拝しかねないほど傾倒していたが、
「自分が崇拝しているのは、いまの清ではなく、
古代のシナなのである」と言っていた。 幕末の志士の影響を中国の革命家たちが受けてたな
ぐるぐるぐるぐる 明の滅亡に伴い、大勢の文人が日本に亡命した
これ以後、日本のレベルが大幅に向上し、中国のそれが大幅に低下した
現代人が見落としがちな視点 >大勢の文人が日本に亡命した
大勢ってことはないような。 現代のような高度情報社会のイメージで語ってはいけない
100人の知識人が抜けた穴など、そう簡単には埋められない カントやヘーゲルの頃のドイツ哲学だって、「当時の哲学業界は、実質、50人くらいで成り立ってた」という話だ 朝鮮出兵だけが無知なのかな?
当時の外征なんてそんなもんじゃないの?
陸続きならともかく海を隔てていて入ってくる情報も限定的
問題があるとすればたった数年で諦めてしまったことだろう
半島に橋頭堡を築いて断続的に攻めこむ必要があった
モンゴルや女真ですら半島支配には時間がかかっている そりゃそうだ
インターネットどころか、テレビすら無かった時代だ 捕らぬ狸の何とやらだな
明との戦いにつもりで朝鮮なんてどうでもいいと思ってたんだろ
結局朝鮮半島で躓いた 外国の事情など、何度も行ってみなけりゃ分かるわけがない 結局、天下獲って調子に乗った秀吉が
チンギスやフビライの逆パターンの乗りで征服戦をやろうとしたんでしょ
でも、現地事情もろくに知らないで、力押しだけで上手くいくはずも無い
白村江以来、日本が大陸に力ずくで押しかけていっても
あとあと揉め事を増やすだけでろくな結果になってないのは毎回おなじみの展開だったのに
それでもたびたび似たり寄ったりの路線を繰り返したもんだから
そういう過激なやり方のつけが21世紀の今に至るまで尾を引いてるんだよな
それこそ、日本では>>145氏が言うようなビジネス関係の人たちのほうが
政治の関係の人たちよりもよほど現実的な情報力と穏健な付き合い方を心得てるっていうのは
今も昔も変わらないんだろうかね >>164
まあ、それはその通りだろうけど、モンゴル帝国だって、中国を征服するのに何代もかけている。
初代のチンギス・ハーンは、金朝に対して優勢ではあったが、征服できなかった。
二代目のオゴタイのときだって、それこそ現地の事情もよく知らないのに、強引な力攻めで大苦戦した。
モンケも外征のさなかに陣没。
その次のフビライが、やっと南宋を滅ぼした。
何事も、最初からうまくいくわけがない。
侵略だって同じこと。 朝鮮にしても同じで、日本が2度の侵攻で撤退した後、さらに弱体化した朝鮮を、地続きの清が5度の侵攻を経て、やっと完全に屈服させることができた。
長らく、朝鮮人が日本・日本と、日本にばかり文句を言うので埋もれていたが、最近はこの出来事も脚光を浴びるようになり、盛んに論じられている。 >>165
何度もといっても兵の消耗率が大きくて、無理じゃないか?
正確な数字はわからないが、
陣立てリストからすると、渡海したのがざっと15万人。
帰還できなかったのが5万とも6万とも推定されている。
ルイス・フロイスによれば、
敵の手にかかったものよりも、
戦病死や飢餓が多かったらしい。
続出した逃亡兵も帰還していない。
実に三分の一も失われてしまったら、とても続かないのでは?
秀吉自身の渡海計画が何度も延期になったのは、
とてもとても太閤殿下をお呼びできる状態じゃなかったため。
まぁ秀吉や家康の渡海が実現してたら、
大きく士気が上がり
様相が大きく変わったかもしれないが。 >>155
いや全然、四庫全書が編纂されたのも考証学の全盛期も清代だし
甲骨文字が解読されたのも清代
漢学一辺倒の日本と違って康熙帝をはじめとする満州人たちは
イエズス会宣教師によって西洋の学問や哲学を直に学んでるという点も看過できないな >>160
普通に考えて無知だしどう見ても無謀だよね
ルイスフロイスも敗因に日本人の海外に対する無知さを挙げているし
数十万の大軍を擁しつつも補給のことを考えてほとんどを遼東に残し
一度に5万しか展開しなかった明軍のほうがよっぽど賢い
だいたい明が目的なら大同江まで占領したあたりで守勢を固めて
そこから黄海経由で山東半島に上陸すればいい
明がどこにあるか地理的な知識もないまま見切り発車したのがバレバレだよね
加藤清正とか明後日の方向の満州にまでいってるし >>169
黄海経由の方が無謀じゃないか
山東半島に攻め込んだときに半島を明軍が南下してきたら補給が断たれるじゃん
清正は満州に偵察にいったんだろ
無謀だと言ってたら女真が明帝国相手に戦いを挑んだのだって無謀なわけで
李自成が北京を落とさなければ山海関はとても越えられなかった >>170
珍島周辺は李舜臣が死守してたらしい
海路で山東へ攻め込むとしてもそこで妨害を受けることになる 何にしても、頼みもしないのに大いくさに巻き込まれた李氏朝鮮が実際めちゃくちゃな目に遭わされてるわけで
それでも何とかぎりぎりのところで国を完全につぶされずに済ませたのは凄いことだと思う
朝鮮出兵そのものが回避可能な戦争だったかどうか、そこは非常に微妙な点ではあるが
当時の秀吉とその側近のうち主戦論者を抑え込むことは(日本国内の穏健派の立場からしても、他国の外交関係者の立場からしても)そもそも不可能だったのか否か
そこはどうだろうね >>172
国を完全に潰されなかったというが、朝鮮の王宮なのに、清の外交官が表門から入り、朝鮮国王が裏門から入るというほどの従属関係になった。
たしかに、一応、王朝としては存続したが・・・。 それ以後の朝鮮は、あまりにも清から搾取されたため、国力を消耗し尽くすハメになった。
ここに至るまでの外交的失策が、いま、韓国で盛んに論じられている。 韓国でどう論じられているかというと、「今は、アメリカから中国へと、覇権が交代しつつある。
これは、明から清へと覇権が移りつつあった当時と似た状況である」ということと、
「朝鮮は、明に義理立てするあまり、清との関係を悪化させてしまった」という反省。
ここが、一昨年あたりから、急に韓国メディアでクローズアップされるようになってきた。 今の中国というのは、日本人から見ると、「バブル崩壊直前の日本」や、
「ソビエト連邦崩壊直前のロシア」に似ているのだが、韓国ではそう思われていない。
「明に代わって大陸を制覇する直前の清」に例えるという見方が、非常に流行している。 >>173
それって直接的には清との関係の話で、明との関係じゃないよ 太閤さんは大陸ではなく、
南方の東南アジア方面に行けば良かった気がする。
スペインやオランダなら難なく駆逐できたんではなかろうか? >>173
存続できただけでも立派。
豊臣政権も大明帝国もまもなく崩壊しちゃうのに。 >>178
東南アジアは遠い。
当時の日本には、スペインやオランダみたいな帆船が無いからなあ。 当時は中華征服!だからヤル気がでるんであって東南アジア征服なんてなんのロマンを感じなかったろう 琉球台湾なら手が届きそうだな
台湾を抑えられたらフィリピンベトナムあたりにも手が届きそうではある >>182
西洋人には、「胡椒が欲しい」という強い動機があったからな。
日本人や中国人には、それが無い。 足利義満の勘合貿易は、中国
徳川家康の朱印船貿易は、東南アジアへと向かった
小学校6年生でも知っている話 倭寇の伝統があるのだから、
日本は海賊国家を目指すべき。 >>181
いや、だから
日本と李氏朝鮮と明の関係の話であって、
李氏朝鮮と清の話じゃないじゃないの
いきなりここで清の話を持ち出しても、それはいかにも話が飛び過ぎ 倭寇の延長なら、中国人商業勢力の協力や手引きもあるし。
東南アジアには日本人町ネットワークがあったのだから、
西洋式帆船でなくたって、そこそこ成功する気がする。 >>188
それは認識の相違だな
こちらにとっては、日本が2度攻めてきて、そのすぐ後に清が5度攻めてきて、ついに清の前に屈服したというのが、朝鮮史の一連の流れ
韓国でも、そういう見方が主流になってきている 日本と清による相次ぐ侵攻(朝鮮では倭乱・胡乱と総称されている)、そのどちらも、明とは深い関わりがある
ちなみに、清といっても、まだ中国を統一する前の、満州の清 >>189
まあ確かに、本気で取り組めば、できただろうな。
ただ、衰退した明ならともかく、清が黙っていないだろう。
福建省や広東省の港の交易は、どの国にとっても重大な世界的利権だけに。 >>190
それは対清外交の進め方の話であって、ここで直接議論してる件とは別でしょ >>193
「外交に失敗して、滅亡寸前まで追い込まれた朝鮮」の話ではなかったのか? >>193
そういう話してるんじゃないでしょ
そもそも同時平行の事象じゃないんだしさ
それに、繰り返すようだけど、>>179氏も指摘してるように国や政権そのものは存続してるし >>195 アンカー訂正
>>194 氏宛てのレスだった >>195 もう1箇所訂正
同時平行の話じゃない → 同時並行の話じゃない >>171
珍島ってどこにあるか分かってる?
直近の対馬海峡の補給すら絶てなかったのに
遥か北にある黄海まで手を伸ばせるわけない 平民から成り上がって日本を統一した秀吉なら、
「自分なら世界征服もできるはず」と考えるのは当然過ぎる話だな 秀吉が新大陸を目指していたら歴史は大きく変わっていただろう。
アメリカ西海岸には辿り着けなかったかもしれないがw >>192
清はそんなに強くないんじゃ?
鄭成功の台湾を平定するのにかなり手間取った。
鄭氏政権が内部対立で自壊して、
鄭氏配下の武将を清側に寝返させる工作がうまくいって、
ようやく制圧できた。
本来の清海軍は役立たずで、何度も大惨敗で壊滅状態。
寝返り武将の率いる艦隊で台湾海軍を撃破した。
もし鄭氏台湾が一致団結して揺らがなかったら、
清は手も足も出せない。
秀吉+倭寇海賊+中国海賊で結束できたら無敵。
清相手なら明残党とも組める。
東南アジアはもちろん中国南部沿岸すら確保できたんじゃないか? >>201
スペインやポルトガルから新大陸へは、日本と東南アジアくらいしか離れてない。
日本にとって新大陸は、地球の裏側にある。
同じように見えても、太平洋は広くて、大西洋は狭い。 >>200
天下人は、恩賞を配らないといけないからな。
もう、日本の国内には土地がなかった。 >>203
鄭氏は日本、中国、東南アジア間の三角貿易を独占的に掌握していた強みがあった。
清はこれに対抗するために海禁に踏み切る。
貿易どころか漁業も禁じ、
沿岸住民を内陸に強制移住させるという手まで使った。
鄭氏側と接触を極力封じる
究極の経済封鎖で、
鄭氏にとっても痛手だが、
福建・広東の住民にとってはさらに大きな経済苦境をもたらしている。
清にとって、海外貿易の利権も南部沿岸経済もさほど重要ではなかった。 >>204
新大陸とのアクセスの違いが
西欧と東アジアの発展の差につながったというのを
グローバル経済学の本で読んだことがある。
東アジアの経済成長率も結構、高かったんだけどね。
新大陸の資源を入手できる西欧には対抗できない。 >>208
まあ、地球上で最も広大かつ温暖で豊饒な地が、北米と中国であることは疑う余地がない。
東洋人が両方とも取るのは、さすがに取りすぎ。 >>206
清にとって「重要でなかった」は言いすぎ。
でも、自分たちの権力を維持することが最優先であり、それに比べたら優先順位が低い。
昔も今も、「権力維持」と「経済繁栄」の二者択一を迫られたら、躊躇なく前者を選択し、後者を後回しにするのが、中国の権力者の常。 鄭成功の本拠地アモイのコロンス島に3年前に行ったことがある。
大きな鄭成功の石像が建ってるし、鄭成功の博物館もあった。
アモイのすぐ眼の前に人民解放軍を迎え撃った台湾領の金門島があって、
現在は自由に行き来できるらしい。
鄭成功も蒋介石軍もこの海域で激戦を行ったわけだ。
アモイでは、他に客家の円形集合住宅の土楼を見学した。
なかなか面白い建物だよ。
土楼の周りが茶畑で、鉄観音のお茶がうまい。
住民はお茶で大儲けしているそうだ。
料理にお茶を頼むと、お茶代のほうが料理全部よりずっと値段が高い。
現在でも輸出品として重要作物。 忘れられがちだが、大陸から目と鼻の先の金門島も、台湾の領土なんだよな。 清の朝廷による台湾の海上封鎖の必死さを見ると、北京にとって台湾がどれほど重要なのかがわかる。 アモイと金門島の間はフェリーで1時間ぐらい。両岸で出入国手続きがあるので時間の余裕をみないといけないが日帰り可能の距離。 >>213
台湾自体は未開の地だったけどね。
オランダ東インド会社が占領中は特に何にもしてない。
琉球王国の方が格上。 鄭氏政権と三藩の連携には神経を尖らせていた。
これらを各個撃破した手法はかなりミラクル。 台湾が清の支配下になっても化外の地扱い。
琉球漁民が台湾住民によって首狩された事件について日本が清に抗議したとき
清は管轄外であると返答。
それが日本が台湾に出兵するきっかけとなった。 清は台湾府を置いているんだが、
首狩り原住民は皇帝の統治を受けない者どもという位置付けなので我関せず。
この首狩り事件への対応で、
台湾の領有権が曖昧になり、
琉球が日本のものに確定したようなもの。 >>212
金門島が台湾の領土?
なにを言ってるんだ?
金門島は福建省の島やぞ >>219
確かに。「中華民国」福建省金門県だな。 >>151
紫禁城を3回見学したことがあるが、
たくさんの巨大建築を見て回るのはかなり疲れる。
教室2つぐらいの大きさの部屋の小さい建物を見つけて、
「軍機処」と書かれていた。
巨大建築に比べるとやけに小さくて狭い。
装飾もどうってことなく平凡。
デカイ建物は単なる儀式用で、
国家権力中枢の実務は少ない人数で運営してたのだろうか? >>213
台湾本島より、澎湖諸島や琉球の島々の方が文明化していたのは何故だろう?
文明人が入れない密林だったのかしらん?
もっと密林が多そうなボルネオ島だって王国があって宋に朝貢しているのに。 >>222
台湾は山が高すぎて交通の便が悪すぎ
原住民の部族が分かれすぎ、互いに首狩りしてて野蛮すぎ
熱帯特有の疫病流行り過ぎ
ボルネオも似たようなもんだけど台湾程地形の凹凸なくて河川で結構内陸まで航行できる
隣接する島々も熱帯で疫病が猖獗を極めてるので特段環境が悪い訳ではない >>224
台湾怖いですね。
行くの止めます。
首狩られたくないです。 >>222
琉球王国も、貿易で繁栄していたのは15〜16世紀の明代だけ
その後は衰退した
清の海禁政策もさることながら、琉球も台湾も、広東省に圧倒されたと言ってよい 台湾・フィリピン・マレーシア、みんな大航海時代に「発見」された国々であって、西洋人が到来する以前の歴史など無いに等しい 台湾やフィリピンは、ジャングルが深いし、周囲の海も荒い。
中国本土からも、日本からも離れすぎ。 >>225
台北から一時間ぐらいで烏来というところがある。
トロッコ列車に乗ったり、滝見物したり、ロープウェイに乗ったり楽しいが、
演舞場があって、タイヤル族の踊りを見ることができる。
私は見ている途中で踊り子たちに掴まれて、
舞台に連れ出された。
中国語がさっぱりなので、困惑したが、
一緒に踊ろうという意味らしい。
見よう見まねで踊ってたら、
花嫁役と思しき踊り子を背負わされた。
私は花婿役らしい。
なかなか面白い。
首狩りには遭わなかった。 >>229
いろいろなご経験されておられるのですね。 >>221
もともと軍機処は臨時機関なので規模が小さいのはまぁ仕方ない
>>224
「出草」の風習は入植した漢人との抗争や山奥に追いやられ居住地が少なくなったことから
生じたものではないかな
オランダ人レデリク・コイエット の報告書「閑却されたるフォルモサ」に出てくる台湾原住民
は好戦的ではなく友好的な民族で政体的には古代ギリシャのような民主制だった模様 >>227
無知すぎ
シュリーヴィジャヤ王国とか南海貿易のほとんどを独占していた当時の倭国とは比べ物にならない強国だぞ >>233
「マレーシア」じゃなかった
「マカオ」と書くつもりだった なぜ琉球が繁栄したか
まず第一に当時の琉球には後に「久米三十六姓」として知られる華人が入植しており
その中には操船技術に長けた福建出身者が多かった
察度(1321〜1395)の治世にはスマトラ島まで交易を広げている
第二当時の日本は金銀硫黄木材といった資源に恵まれていた国であったが造船技術が未熟で遠洋交易が
盛んではなかった
そこで琉球は日本の資源を明や東南アジアに輸出し、そうして得た明、東南アジアの物産を今度は
日本で売り払うというようなことをやっていた
こうしてまだまだ本土では守護大名ですら土塁に囲まれた掘立小屋に住んでいた時代に
石垣グスクが立ち並ぶ繁栄を得たわけだ >>236
琉球王国は、朝鮮王国よりも、国の格が上だったんだよな
国王が着てた服で、それが分かるらしい 台湾はミクロネシア・ハワイの住人の経由地として歴史に足跡残してるじゃん >>231
台湾楽しいよ。温泉もあって。
日本から近いしおススメ。
中国本土も近いよ。
少数民族の風俗とか踊りが好きなんだよね。
そんな私が面白かったところが、北京の中華民族博物院(中華民族園)。
園内は広大で、五十数もの中国内の少数民族のアトラクションを見て回れる。
貸衣装で民族服を着て写真を撮ってもらえるし、私は竹馬遊びを体験できた。
人が少なく、観光地の人混みに疲れた身にとって憩いの場所でもある。
結局、三回行ってしまった。
他にもいい場所は沢山あるんだろうがあまり知らないもんで。
中国語が出来ればいいのにと思うが難しいなぁ。 >>232
軍機処に胥吏はいたのかなぁ?
もしいたら帝国の真の支配者はそこの胥吏頭。 >>237
首里城王宮は北京紫禁城の小型版。
なんか似ている。 紫禁城は真四角つうか正方形・長方形の世界だけど、
首里城ってなんか曲がってね?
平行四辺形つうか、ひし形みたいな
あの違いは何なんだろうと不思議に思っていた
いちおう儒教も教えられていたし科挙までやっていたんだから、
易や陰陽五行や風水なんかも知っていただろうと思うのに 東アジアの中心は、長期的に南へと移動している。
沖縄の注目度もますます上がるだろう。 広東省や福建省の港での貿易は、唐や宋の頃から盛んだった。
でも、宋代には、まだ「官僚が左遷する僻地」として定番だった。
清の時代には、 広東省が中国の三極のひとつとして台頭。
いまでは、広州が、北京・上海と並ぶ三大都市のポジションを確立している。
さらに、「深センが三都を超える日」という議論が盛んだ。 >>243
四角形じゃなかったんだ。気がつかなかった。
立地条件じゃない?
首里城は山みたいだし。
紫禁城は平地。北側に公園になってる山があるが自然の山ではない。
堀を掘った土を盛り上げて山にした。 >>245
沖縄は軍事的に重要。
朝鮮半島から米軍が撤退したら、
沖縄の軍事的価値がますます高まる。
経済的な中心になれるかというと、台風が多くて。。。 >>248
浅いサンゴ礁の海なので、国際港湾にも適していない >>244
その論文はただ「美」という言葉で片付けていて、その視点は別に否定するものではないが、
そこに出ている沖縄のグシク建築がアシンメトリーを好むのは、中国の歴代王朝を模した感じではないな
また独特のものを感じる
風水思想だって、中国では南北には落差を付けるけど東西や左右は対称を好んでいると思う
https://www.isan-no-sekai.jp/feature/20161003_01
リンク先のこっちの最初の画像の首里城正殿
なんかもう、全体にこの「斜めってる」感じが紫禁城にはないんだよな
>>247
山城っていうのもむしろ日本とのつながりを感じる
紫禁城に対する北海公園の辺りは、それだけで独立した庭園だろう
北京全体の風水に配慮した存在はずっと北にある八宝山だろう >>247
御庭(うなー)は四角形だよ
ただ、四隅が直角ではないってことだね >>243
発掘調査によると元々は四角形だったけ後に改築してわざとゆがめたらしい
首里城って何度も改築しててそのたびに形が結構変わってるんだよね
正殿も今は外観二層内部三階だけど16世紀の漂流朝鮮人朴孫らの報告によると
国王の治所は五層で屋根は板葺きとあって本土の天守閣のような層塔型だったらしい 結局は、台湾も琉球も、広東省に圧倒されたと言ってよい。
広東省の台頭は、明清時代の大きな特徴のひとつ。 宋代には、広東省は「官僚が左遷される先」として定番だった。
実際に、蘇東坡は広東省に左遷されて、詩を作った。
そこは、酷熱瘴癘の地。
ジャングルから瘴気が立ち込める、熱帯の土人の世界だった。
でも、住めば都で、後には^肉やライチーを称賛する詩を作っている。 ここが北京・上海と並ぶ中国の三極のひとつになろうとは、当時の人々には予測できなかったであろう。
もっとも、北宋の時代だと、北京もまだ辺境だったが。 わずか30年足らずで、人口が30万人から1400万人に増加するなど、人類の歴史上比類のないスピードで発展した深セン。
世界の工場として知られたこの場所は、今も中国全土から若者が集まり、65歳以上の高齢者は2%しかいない。 かつて、広東省は衛生状態が悪いことで有名だった。
「世界中で伝染病が流行しています」というニュースでは、たいてい、感染源が広東省かアフリカのどちらかだった。
「世界で最も不衛生な巨大都市」と言われた広州も、最近は改善されてきている。 深セン含め広東省は、一応広東語の土地ということになっているが、
ちょっとでも都市化した地域では普通話の訛ったのをみんな話していて、
広東語は一部の地元民の内緒話や家族レベルの会話で使うだけ
広東語が実質上の公用語である香港の広東語は、
広東省でとっくに使われなくなった言い回しをよく保存し、
独自の表現力を発達させているが、
広東省の広東語は普通話をなぞった新しい表現が多い
公用語であることで広東語がその威信を保ってきた香港は、
スペインでは方言でしかないカタルーニャ語にとってのアンドラという国にちょっと似ている 上海語や広東語は、言語としては消滅に向かってるな。
普通話の訛りがなくなるとは思えないが。 上海語や広東語は、言語としては消滅に向かってるな。
普通話の訛りがなくなるとは思えないが。 とくに深センは、人口の流入が速い。
30年で人口が30万人から1400万人に増えた。
根っからの地元民など、ほとんどいない。 上海を東京とすれば、北京は札幌。
深センは鹿児島あたりの位置関係にある。
日本も昔は、北海道はアイヌ人で、鹿児島はクマソ人だったが、今では日本語による言語統一が完成している。
それを思えば、中国が言語統一できても不思議はない。 広州で宴会に招かれた。
酒にとても弱いもんで、どうなるか怖かった。
中国人は大酒呑みで、
やたら何度も乾杯するというイメージだったから。
連れていかれたところは飲茶(ヤムチャ)の店だった。
良かったぁ。
お茶なら何杯でもいける。お茶大好き。
飲茶文化を発達させた明清は素晴らしきかな!! 【大地震なら、W人工″】 プーチンは知っていた <46分> は、核の起爆時刻、電子制御だから、正確
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1528509829/l50
スケート国際大会で、プーチンが、冗談で、311の地震波形を、示すと思うか? >>264
数年前までは、カラオケボックスには性接待がセットでついてきたのだが 太平天国好きだから南京も好きなんだけど、なんでしょぼくなっちゃったの?
やっぱり上海が租界で発展したのが大きいのかな?内陸過ぎた? 南京は呪われた都
常軌を逸した暴君暗君オンパレードの南朝を初めとして
朱元璋に洪秀全に蒋介石 >>268
内陸といっても、長江の沿岸都市は別枠でしょ。
海に面してるようなものだ。 >>271
やはり、南朝・梁のときに沖田南京大虐殺の祟りか? 今の共産党政権になる時にべつに南京を首都にしても良かったろうと思うが、
ソ連を警戒しつつ北方の生産性向上を進めようとしたのかもしれない
東北や沿岸部の旧淪陥地域の生産性は上がっていたが、内戦ですでに疲弊していた
また朝鮮情勢も緊張の兆しがあったし、旅順大連もまだソ連に租借されていた
(完全に中国に返還されるのは1955年)
ソ連は香港の英国とともに中国に残った「最後の列強」であり、
最大の同盟国であると同時に侵略国でもあったから、北京に首都を置くことで対峙しようとしたのかもしれない 今は、旧満州の重化学工業が斜陽化してお荷物になり、深センのIT産業が台頭するなど、中国経済は南高北低になってきている。
重心が南に移ってきた以上、北の外れにある北京に首都を置いているのは不自然に見える。
でも、毛沢東の時代はそうではなかった。
旧満州には日本が残した工業化の遺産があるし、ソ連との関係からしても、首都が北にあるのは自然だったと思われる。 はぇ〜皆さん詳しいですね!
ソ連という北方の脅威があったことは目から鱗でしたわ!
永楽帝後も北京が首都でありつづけたように近代になっても北の脅威から北に首都を置く
中華人民共和国はその点でも明みたい(笑) ソ連はよく占領した満州国を
満州人民共和国とかにせずに返還したな >>277
中華人民共和国の初期においては、ソビエト連邦は脅威どころか、宗主国というべき存在だった
ソ連が満州を譲ってくれたおかげで、日本の統治が残した近代化の遺産を国家建設の礎にすることができた >>278
まあ、ロシアと清の時代からの条約もあるし、いくらソ連でも連合国を無視して占拠し続けるわけにもいかないからな 20世紀の終わり近くまで、「中国の旧満州では、日本が敷いた鉄道で、日本が遺した汽車がまだ普通に走っている」と言われてた。
日本が遺した製鉄所などの工場も、まだ稼働していた。
今でこそ、中国政府が全国各地に鉄道を敷きまくったおかけで、すっかり様変わりしたが。 中華民国が清から権力移譲されて出来た政府なら清の後継国家、つまりは異民族王朝である
その中華民国を武力によって駆逐した中華人民共和国は偉大なる明王朝の正当なる後継国家である!
って論法どう?国内の異民族への扱いはさておき >>282
清は明の後継王朝という位置づけ
明を滅ぼした李自成の乱を鎮圧して、正式な継承者になった だが、中華人民共和国は中華民国を否定し、黒歴史あつかいしている だって中華民国が国家なら台湾も国家という事になるから うわぁしまった、李自成を忘れていたこの論法破綻した 清朝の帝位はモンゴルの大ハーンです
これはもちろん元から譲位されたものであって明からは帝位を譲位などされてないし奪ってもいない
つまり清は明が滅びた跡地に元の帝位を持って入ってきた元の継承国であって明の継承国などではないということ
そして明もまた元から譲位などされてなく元の継承国ではなく、元が逃げた跡地で新たに建国された別の国であり、
そして清は明が滅びた跡地に帰ってきた元であるということ >>290
中華の皇帝と、モンゴルの大ハーンを兼任していたんだが? >>290
明はモンゴルの大ハーンを継承してないが、
元朝の中華帝国は継承している。
朱元璋の発した檄文では元朝の正統性を認めるとともに、
元朝の徳が失われたので変わるべきとしている。
また周辺諸国に対しては元朝の立場を明が継承していることを宣言して朝貢するよう促している。 普通にウリャンハイ三衛からハーンとして推戴されていますけど 明は元朝の大臣クラスを含めて多くの官僚たちをそのまま採用してるし、
清も弁髪に応じた明の官僚たちをそのまま採用している。
しかも同じ官職のままだったりする。
組織的にはまるっきり別の国とは言えない。 やはり、同じ北京帝国の中で起きた、政権交代と見るべき 明清には中国人の質が落ちた。
中国人が尊敬されるのは宋のじだいまでであり、そのあとは別の人種であり、
階級も異なる。
日本人の中国観もそれに応じて変化した。 日本人がイメージする中国人や中国の文化って清代かせいぜい遡って明代だが __
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r┤ ト::::: \___/ || もちろん、朕だよな。
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
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| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ >>297
国家として朝貢しなくなったけれど、
民間交易は盛んだった。
明清の物産、書籍の需要が大きかったので、
大量の金銀が明清に渡ってしまってる。
従って明清も依然として憧れの地。 >>299
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/ ̄\ (●) (●) || 秀吉と戦ってるよ
r┤ ト::::: \___/ || あそびにきてね
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
万暦帝:明の14代目皇帝。廟号は神宗、諱は朱翊鈞。 >>297
日本も、広い意味では、南の国だからな。
「北京に親しみを持てない」という意識は確実にあると思う。 やっぱり、明といえば万暦帝じゃないか。
「明は万暦に滅ぶ」なんて、なんだかロマンを感じる。 なぜ、日本人には唐宋の人気が高くて、明清の人気が低いのか。
自分の考えでは、「北京」が首都になってからの中国史の人気が低い。
やっぱり、中華の都といったら、洛陽とか長安じゃないとダメみたいだ(笑)。
それというのも、日本人は、モンゴル帝国とその継承者を本能的に嫌っている。
その感覚は確実にあると思われる。 しかし、日本人が「昔の中国人」と聞いて思い浮かべるイメージは、唐や宋ではない。
マンガに出てくる中国人は、男は辮髪で道士服、女は三つ編みかお団子ヘアでチャイナドレスだが、
これは、明・清・中華民国のイメージが錯綜してできあがったイメージ。
「来来 キョンシーズ」という台湾の映画が、日本人の中国観に大きな影響を及ぼしたと言われている。 韓国メディアには、しばしば、「日本人は、なぜ中国に関して、あんなに関心が低いのか?」、
「日本人は、なぜ中国を高く評価しないのか?」ということが、しばしば議論される。
「辺境の日本人は、中華の華夷秩序に反抗してるニダ」というのが、朝鮮人好みの世界観ではあるけど、
実際にはそうではない。 今の中国は、日本人から見ると、「ソビエト連邦が崩壊する直前のロシアに似ている」とか、
「バブル相場が崩壊する直前の日本に似ている」と思えるのだが、韓国ではそう思われていない。
韓国では、「明が滅んで清が天下を取ったときの清に似ている」というのが、よくある中国への評価だ。
「沈みゆく明に過剰な義理立てをしたおかげで、清を怒らせてしまった」というのが、歴史的な教訓として
しばしば語られている。
ここでいう明というのは「アメリカ合衆国」、清というのは「中華人民共和国」を指すらしい。 天皇家が中華皇帝とモンゴルの大ハーンを継承することは出来ないのか? >>305
それなら唐と宋の間の断絶のほうが大きい
発酵食品や米の加工製品が多く酢の物もあった唐の料理は日本料理の原型で、
炒めもの中心の中華料理が完成したのは宋代から
宋が洛陽や長安を都としたことはない
漢文では日本では唐詩が中心だが宋詞や元曲は専門家だけ
日本の儒学の根幹は漢唐訓詁学で、宋学つまり朱子学の系統は大正から戦後で廃れた
今の日本で朱子学と聞いたらそれだけで歯をむき出しにして嫌悪感を露骨に現す人ばかりだろう
日本人はモンゴルにはむしろエキゾチシズムからくる憧れの気持ちが強く、嫌う理由は全くない
元寇で来たのは高麗人と漢人の多い連合軍で、エキゾチックな遊牧民モンゴルのイメージからは遊離している
少なくとも「朱子学」と「モンゴル」でどちらのヘイトが強いか考えればわかる
モンゴル以外では満洲人、チベット人についても、日本人は多くは学校教育での予備知識がほとんどないが、
趣味的に知識を得ると惹き込まれる人がよく見受けられる
中国歴代王朝との交渉史を知ると、同じ周縁民族として共感する所もあるだろう >>309
清の手本に習い、
徹底的な中華化。
またモンゴル王侯の娘との婚姻で生まれた子を即位させる。 >>309
皇室典範で皇族は外国人との結婚が許されていないので不可
関東軍が愛新覚羅溥傑と日本女性との結婚を画策し、
溥儀は弟の溥傑を日本の皇族の女性と結婚させることを希望したがそれで立ち消え
代わりに公爵家令嬢の嵯峨浩が溥傑と結婚、愛新覚羅慧生が生まれた >>313
結婚する必要は無い
愛新覚羅家かロマノフ家から譲位されればいいだけ
譲位の条件に結婚なんて無い 皇室典範みたいに明文化されてはいないが、更にありえない情況だなw>譲位 >>314
ロマノフ家?
ローマ皇帝? ツァー?
だったらキリスト教国化が必須。
やっぱり同君連合国家の形成では政略結婚が一番摩擦が少ない方法。 >>316
ロマノフ家はモンゴルの大ハーン位を持ってる
愛新覚羅家も >今の日本で朱子学と聞いたらそれだけで歯をむき出しにして嫌悪感を露骨に現す人ばかりだろう
それはない。
朱子学のことなど、誰もまったく知らないから、反感の持ちようがないな。 >>314
それより、中華帝国の袁家となら可能性はあった >>313
それは、中華皇帝というより、満州皇帝だな
満州で「大清帝国」が存続していれば、東アジアの歴史はもっと面白かったと思うが、残念ながらそうはならなかった 現代の日本では、かなりのインテリでも、「格物致知」という言葉すら知らない
朱子学は、本当に忘れ去られて埋もれた だが「誠心誠意」はよく聞く
これはもちろん大學の「正心誠意」から来てる
あと、「治国平天下」もたまに聞く 「誠心誠意」も派生語ではあるが、「心を正し、意を誠にす」という元の意味とは違いすぎる 「誠」が日本の「清明心」概念に等値として理解されているからね
これはやはり本居宣長以来なのかね? >>319
ニュー速+行って聞いてみな
みんなシナチョンとセットで朱子学嫌いって言うから >>321
関東軍と満鉄が、満洲国と大清帝国の連続性をできるだけ印象付けないように操作したからね
五族の国軍を作ったんなら八旗の用語でも入れたらよかったろうに >>327
満州国は全てにおいて中途半端。
帝政は既にシナ人多数から嫌悪されてるんで、
少しはモダン化したスタイルにしようと
官制の多くを中華民国からのパクリ。
五族協和の理念は孫文の五族共和のパクリ。
パクリの限界で中華民国の劣化版でしかない。
下手に近代化スタイルにせずに、
明清路線完全復興を理念にした方がマシじゃないか。 今、もしも大清帝国が満州で存続していたら、中国共産党も一目置かざるを得なかっただろうな
面白いことになっていた しかし、ソビエト連邦に滅ぼされるのを避けるのは、どう脳内シミュレーションしても無理という結論になる ロシア革命に乗じて、先手を打って極東ロシアを占領することができていたら、また違う展開になっていたかもしれない
大清帝国の傀儡皇帝が、さらにロマノフ家の生き残りを傀儡に立てて、「極東ロシア帝国」を樹立する(笑) 「第二次世界大戦の直後、皇帝が遼東半島に逃げ込み、大連で帝国を存続する」というシナリオも考えてみたが、地形を見る限りでは防衛不能(笑)
朝鮮半島みたいなわけには行きそうもない 台湾の場合は、連合国に保護されていたから蒋介石も逃げ込めた
大連では無理 梅里雪山に逃げ込めば・・・
そして生き残れられればあるいは・・・ 地形的には、山東半島のほうが、まだ防衛しやすいと思われる 大連と青島、雰囲気がちょっと似てた。
どちらも港があって、岩山の奇岩風景があった。
大連の5つ星ホテルに泊まったが、
泊まり客の外国人のうち
半分が日本人で、半分がロシア人のように見える。
たぶん日露の進出競争が大連にて現在進行形。
海産物の火鍋がうまい。
旅順も外国人に一部解放されているので行ってみたかったけど
空母は見せてくれないだろうな。
青島は赤っぽい屋根の家並みが続いて、ドイツ文化の影響が残る。
青島ビールが安くてうまい。
海軍博物館があって、昔の軍艦や潜水艦に入れる。
戦闘機や戦車もあって子供達がよじ登ってた。
機会があったら泰山に登ってみたいものだ。 >>328-329
バカを舐めたらあかん
あそこで行われている「文系叩き」が、結局のところは文科省官僚を動かし、
全国の国立大学のカリキュラムから第二外国語選択必修を無くさせ、
多数の非常勤講師が解雇されるという結果を生んでいる
官僚だってねらー程度のおツムなんだよ
お前らがここでどう吠えたってそんな影響力はない >>342
ここで吠えてるのは、お前ひとりだよ
他は、明や清をネタにして雑談を楽しんでる人ばかりだ いや、よく見ると、明や清をネタにしていない
話が飛びまくっている >>342
>多数の非常勤講師が解雇されるという結果を生んでいる
それは問題だな 黄文雄からケント・ギルバート、たぶん金文学や呉善花、石兵など、
ネトウヨ系文化人の多くは朝鮮時に中国批判とセットで朱子学の悪口を言う
そこでは朱子学の中身にほとんど触れないままだ
うろ覚えか又聞きで朱子学言いたいだけやろレベル
そういうのが何百万冊も売れている
日本人の多数における朱子学という言葉のプラスイメージを広めている媒体はほとんどない 中国では辛亥革命の前から儒教への批判があった。
批孔が始まって百年以上。
朱子学が為政者に都合のいい思想だったという評価も古くからある。
近年の中国では逆に再評価する向きがあり、
孔子学院まで展開中。 明清ネタから離れてきたが
一般レベルで朱子学を語る場面てのは
「洋務運動は根本には遅れた儒教的価値観を脱しておらず失敗した」「遅れた学問で官僚を採用する科挙を廃止して大学を設けました」とか「寛政の改革は儒教的な現実に合わないものだった」みたいな感じで話に入るのが多い気がする
高校の教科書や歴史番組で長年こんな風にネガキャンしてたから“儒教”という言葉そのものにマイナスイメージがついたのやろう
“陽明学はテロリスト”と言ってるのと代わらん位物事の一面しか見えてない気がするが、殆どの人は何も考えておらん 日本にも幕末いや国学勃興の時からあった今さらの儒教・朱子学批判だが、
今復活している流れは黄文雄あたりだろう
元々は台独派だった黄文雄が、五四知識人の遺産たる儒教批判を吸収し、
反中国言論の延長でネトウヨ書籍に反映させた
台独派以外では柏陽の反中国言論が儒教批判を流行らせていた 因みに明で一番好きな皇帝は正徳帝です
早すぎた自由主義者、ていうかニヒリスト?快楽主義者?
彼の退廃的な人生が面白くて好き 漢唐訓詁学、宋明性理学、清朝考証学
と言われるが、それは官学と有力な学者たちの見解の主流であって、
明でも清でも子供の勉強は朱子学ベースだった(後世の批判は別の話として)
陽明学や考証学はあくあで「学者の議論」で、あまりに応用的でレベルが高すぎて、
四書集注みたいな基礎テキストを編み直すような方向に行かなかった
だから明でも清でも、科挙に合格するまでは朱子学式の勉強をしろってことだったようだ ネトウヨ系文化人ってなんだよw
定義から説明してほしいわ 理解していないから説明できないのね
賢しがるやつってそんなパターンばっかだな
世界史板なのにどうせ左右も誤用の方を使ってるんだろう >>346
黄文雄や呉善花や石平はともかくケント・ギルバートは漢文読めるのか?
まさか漢文も読めないくせに朱子学云々言ってるんではなかろうな?
朱子学について語るなら最低でも四書集注と近思録、朱子語類くらいは読んでるんだろうな? >>358
医者や看護師じゃないんだから、資格も免許もいらないと思うよ >>359
でも科挙を目指す人は猛勉強を何年もやらんといけないんでしょ?
もうちょっと試験科目を実務に合わせればいいのに。
まぁ名文を書く能力も必要なんだろうが。
なんか文系古典に偏った感じがして。 >>360
科挙なんて100年くらい前に廃止されてるから、
科挙を目指すための勉強そのものが別に必要じゃない
先進国で、医者になるには免許が必要だが、朱子学者になるのに免許は不要
朱子学者だと勝手に自称するだけで十分だと思うよ センター試験倫理の問題があった。
伊藤仁斎が朱子学者を批判した内容として最も適当なものを,
次のうちから一つ選べ。
1、彼らは,社会で定まっている上下の身分も徳の有無によって
入れ替わるという易姓革命の理を説いたため,
他者に対してむごく薄情になりがちである。
2、彼らは,天人合一のための修養として私欲を抑える愛敬を重んじたが,
私欲を抑えることの強制は,他者に対してむごく薄情になりがちである。
3、彼らは,形式的な理によって善悪のあり方を厳しく判断してしまうため,
少しの過ちも許さない傾向に陥り,他者に対してむごく薄情になりがちである。
4、彼らは,心に内在する良知と理としての行為とを一致させるべきであると
いう知行合一を説いたため,他者に対してむごく薄情になりがちである。
正解は3らしい。 >>361
一応、明清スレなんで、
明清時代に身を置いたつもりで
当時はどんなんだべ?と考えただけで。 朱子学は、「勉強する」ということを重視するだけあって、初学者むけのテキストが充実しており、読む順番まで決まっている。
学びやすいシステムなので、ある程度のレベルまでは早く到達できる。 洪武帝は始まったばかりの科挙を停止させたことがある。
理由は合格者が実務に役立たない青二才ばかりだったことと、
南人ばかりが合格していたため、北方が不満を抱いたこと。
成績の南北地域格差はいかんともしがたく、
北方に配慮しようとすると、南が差別されたと怒る。
大帝国ならではの苦労と言える。 右系論客とかまともなアカデミズムを共有してないから歴史スレで語るに値しない >>369
それは、左派論客も同じだろ
どっちにしても、偏光メガネで歴史を見る奴はダメだな ケントギルバートに対応するようなデマ左論客って誰やねんw 右派論客がアカデミズムでは語るに足りないデタラメな主張しかしていなくても、
「中国・韓国=儒教・朱子学=だからダメ」という意見がネットを席巻して
それが日本人の意見の大勢を形成してしまっているのが現状だとしたら? うんこ話で政治が左右されて大学のカリキュラムが改悪されてるんだよなあ 左派の人も儒教にシンパシーを持つ人は少ないのでは?
むしろ右派よりも左派の方が儒教に肯定的ではないだろう >>372
それはネットを席巻していないし、普通の日本人が知るよしもないこと >>374
むしろ、儒教に対する日本人の関心が、以前よりは高まった >>375
日本の右翼はその源流に陽明学があるんや
だいたい、日本の右翼が大好きな教育勅語も軍人直喩もその他戦前戦中のさまざまな文書も
十三経や近思録あたりからの引用だらけやろ
そんなこと言うなら反儒教の右翼思想家を何人か挙げてみぃや
言うとくけど、石平やら黄文雄やら呉善花やらケント・ギルバートやらは右翼思想家なんかやないからな 王陽明の生涯って凄いんだな。
武術に熱中して鍛錬し、兵学を学び、
高僧と問答で言い負かして僧を泣かし、
朱子学を学び、科挙に合格するも、
宦官劉瑾を批判して僻地に左遷され、
正規軍でない烏合の衆の民兵を率いて、
匪賊を討伐し、
寧王の乱を平らげ、
軍事、民政に功績を残し、
天才ぶりを発揮する。
正直、儒教の理論については、
神学論争みたいで興味を持てないけれど、
この人のアグレッシブな生き様には感心する。 >>379
日本の右翼の源流を語りだしたら左翼と区別つかないで
玄洋社は自由民権運動の派生だし、
宮崎滔天は自由主義者で孫文を支援、
孫文と言ったら頭山満、内田良平ら右翼の巨頭と思想的にも相互影響している
三民主義の一つ、民生主義とは社会主義のことだ
ついでに言うと北一輝なんて日本のバクーニンじゃないのかw
「右翼の大好きな物言い」とお前がまとめたがってるのは単に漢文の教養がないから
当時は右でも左でも漢文口調ぐらい口にしたんだよ
陽明学はそれこそ左右問わない革命家に便利なツールにすぎない
もっと前の「国学」はどこ行ったんだよ?本居宣長、平田篤胤、佐藤信淵
儒教って「からごころ」じゃないのか? 陽明学が健全に理解されていない(正しいとは書かない)
テロリストや革命家の精神的支柱になることが多いと言われているが本来の陽明学はそういうものじゃないでしょ! どうしても、日本の話ばかりになるな
まあ、仕方ない 明朝倒した李自成って大内義隆倒した陶晴賢とはその後別の敵に倒される点で
被らんくもないような。 李自成が朱元璋や劉邦になれなかったのはなぜだろう?
似たようなもんだと思うけど。 >>386
偶然ってのも、あるとは思うけどな
勝てば官軍っていうか、結果が歴史の必然みたいに見えるけど >>366
ほっとくと江南の奴ばっかりになるらしいね
しかも明初なんて河北河中はボロボロだし…… アメリカ人って明清大好きだよな
ポメランツの大分岐とか皆さんどうお考えで >>389
江南は米という効率の高い作物の生産に向いていて人口が増えやすく、
経済が発展しやすく教育インフラも整えやすい(学校、書物、学者、教師が多い)
また江南の諸方言は古い特徴が多く、官話系方言よりもずっと古典の学習・科挙への準備に有利
(入声が残っていて単音節語が多い、声調や子音の区別などが多い、など)
そういうマクロな傾向は王朝が何度リセットされても続いたようだ
(山西の晋語のように入声音があっても、北方語は発音がシンプル)
明清とくに清の雍正期に官話の普及が進められ、後者の優位要素は徐々に失われ、
科挙の廃止と文学革命によって言語の上では北方が有利になったが、学問と教育
のレベルはまだ南方が比率的に高いように思う >>391
GDPで明清がずっと圧勝してたもんね。
乾隆帝が天朝に産しないものはない、
お前らが欲しがるものを哀れんで与えてやるだけ
と英国側に豪語したのは、
事実に反しているわけではない。
その数十年後、アヘン戦争でフルボッコ。 アメリカは、中国への進出に国家的情熱を燃やしてきた >>386
呉楚七国の乱や、寧王の乱は鎮圧されたが、永楽帝は成功した
それと同じようなもんですな 寧王の乱は、鎮圧軍が、たまたま王陽明という軍事天才に率いられていたのが運のツキ >>381
少年時代、継母にいじめられたので、こっそり、継母の寝室の布団にフクロウを入れたというエピソードがいい >>383
いや、もともと、陽明学にはそういう面がある
熱く燃え上がらなければ、陽明学の徒ではない >正直、儒教の理論については、
神学論争みたいで興味を持てないけれど、
この人のアグレッシブな生き様には感心する
「アグレッシブな生き様に感心する」というような人なら、朱子学より陽明学に共鳴するのは間違いない
そもそも、朱子学は極めて理論的だが、陽明学はそうではない 朱子学も、南宋の時代においては過激な思想だった
朱熹は投獄されて不遇だった
しかし、後世においてはガチガチの保守思想となる しかし、清代の考証学においては、むしろ、史上最大の学者として持ち上げられたのは後漢の鄭玄であった >>391
ポメランツの大分岐の主張って
西欧が経済面で東アジアを超えるようになったのは、
石炭産地からの距離の短さと新大陸によって、
資源が得やすかったからでしたっけ?
まぁそれもあるだろうが、
国家が海外進出に積極的かどうかの違いじゃないかなぁ。
明清が国家として海外進出に積極的だったら、
オーストラリアあたりは中華世界になってたはず。 >>403
日本や中国は、内陸的な勢力が鎖国政策を全土に広げてしまったからな
九州や広東省が、オランダやポルトガルみたいな独立国だったら、世界地図はまったく変わっただろう >>403
東アジアからオーストラリアというのは、難しいな
フィリピン・インドネシア・パブアニューギニアの密林を越えて数千キロ
あと、オーストラリア周辺の海域は、海が荒い >>405
東南アジアに華僑が大量移民してるんだから、
国家の後押しがあれば密林なんぞ大したことはない。
徐々に切り開いていくだろう。
西欧からオーストラリアに向かうより難しいとは思えない。
元代でも大型船があったらしいし、
航海術も引けを取らないものがあったはず。
倭寇系勢力を引き入れて海軍を作っても良い。
英国のように海賊出身で海軍を組織すればいい。 14世紀時点だと華僑はインドネシアのマジャパヒトまで進出している 帝国は気候ががらりと変わる南北よりも同じ気候の東西に拡がりやすい
インドネシアの島々だけでも極めて広大であるというのにどうして更に遠くて環境の厳しいニューギニアの密林やオーストラリアの砂漠に行く意味があるのか >>408
それは大陸国家的発想。
海洋型帝国に変貌するべき。
オランダや英国では出来たこと。 資源のない西欧諸国だからこそ新天地に入植して資源を得ようとしたわけであり
物産の豊富にある東アジアには必要がなかったこと >>410
人口圧で資源は足りなくなっていているよ。
広東や福建では外へ入植しようとする動きが強い。 >>403
オーストラリアがオーストラリア大陸として「発見」されたのは、
新大陸(アメリカ大陸)より後だったはず。 >>410
太平洋と比べて、大西洋は狭い。
欧州とアメリカ大陸は、日本と東南アジアくらいしか離れていない。
日本人も東南アジアにはかなり進出していたのだから、それと同じような距離感だろう。 >>409
そういうのって、本土から遠く離れた支配地を維持するための上手いシステムを工夫できないと難しい
それができないと遠く離れた支配地はすぐに反乱して独立して短期の支配で終わってしまう
英蘭やチョーラ、マジャパヒトはそれができたが、中華帝国のシステムでは厳しいと思う
地続きですらちょっと中央が衰えると節度使が反乱起こしたりしてたんだし >>406
華僑の進出は、沿岸の都市部から始まっている
華僑が華人になり華裔になってやっと農民化する >>416
明清時代の話をするのに、「節度使の反乱」は時代が違いすぎる
「平将門の乱」を引き合いに出して、「江戸幕府には地方を統治するシステムがなかった」というようなもの >>412
福建や広東などで海外へ進出しようとする動きがあったのだから、
それを国家で後押しして、
投資して拠点を広げていれば、
中華圏が拡大してたのでは?という仮説と
それができなかったのは内向き志向が帝国を支配していたためではないか?という仮説の話。 満洲は長年、漢人が進出できなかったが、
19世紀に漢人の移住が許されてから、
一気に漢人の世界に変わった。
主に山東省出身者が満洲に移住している。
人口圧と中華化パワー恐るべし。 >>417
東南アジアではプランテーションで働く肉体労働者も多かった。
ジャングルを切り開いたのはこれらの肉体労働者たちの働きが大きい。
プランテーションの経営者はオランダなどの西洋人たち。
賃金労働者たちが故郷に送金するための金融商人も発達したが、
多額の投資を続けたのは欧米のため、利益の多くは欧米に行っちゃう。 >>422
山東省人は東北3省を見下すような偏見があるという話がある。
俺たち本家、お前ら植民地人という感覚。
子女の結婚の反対することもあるとか。 日本の半分もない面積に、人口1億
昔ならまだしも、黄河の水が涸れた今、どうするつもりなのか >>418
いや、節度使を引き合いに出したのはたしかに時代錯誤で不適切だったが、
明清だって本土から遠く離れた遠隔地を統治した実績は無い
それどころか現代の中華人民共和国すらそういう実績が無い
清も中華人民共和国も100kmしか離れてない台湾に反乱勢力が立籠もる始末
英帝国のように地球の裏側の支配地まで維持できるとはとても思えない >>422
近いから山東半島と遼東半島を橋だかトンネルだかで結ぶ計画ですでに工事が始まってる >>424
東北は遼寧省がいちばん言葉が訛っていて
黒竜江ハルピンあたりとなるといちばん訛りがなく、
アナウンサーの出身地にも多い(北京よりも癖がない)
遼寧省の言葉が田舎臭いのは
古くから山東人が移民していて影響してきたせいだと山東をバカにして言う
ちょうど日本の東北と北海道、北海道の中の北部と道南みたいな関係 陸路で山海関を超えていくより海路で山東から渡る方が遼東に行きやすいのな 朝鮮半島と山東半島も、意外なほど近い
海路を考えると、東アジアの地図がまったく違って見えてくる ベトナムやインドネシアの中国人排斥と比べて目立たないが、じつは韓国も、山東省からの移民を追放した歴史がある
そのおかげで、韓国にはチャイナタウンがなくなった 日本には中華街があるが、あれは台湾人が作った街
大陸本土系だったら、日本人に受け入れられなかっただろう 韓国は、北海道より少し広い程度の国土に人口5千万
山東省は、その韓国の1.5倍くらいの国土に人口1億
日本が本格的に移民を受け入れたら、ドッと押し寄せるのは確実だ 日清戦争120周年ということで、このところ、ずっと日清戦争について調べている。
その中で、「威海衛」という地名が出てくる。
山東省の最東端にあり、清国北洋艦隊の母港となっていた場所なのだが、現在は「威海市」になっている。
つまり、現在は「衛」がついていないのだ。「衛」とは一体何のだろうか?
百度百科を見ると、明代の軍隊編成には、「衛」(「卫」は衛の簡体字)と「所」の2種類があり、「衛」は5600名からなるらしい。 北洋艦隊(ほくようかんたい)は、光緒14年(1888年)に編成された清朝の李鴻章の艦隊である。
清国では北洋水師と呼ばれた。
母港は威海衛、旅順。
創設者は北洋通商大臣兼直隷総督の李鴻章で司令官は提督丁汝昌。
日清戦争において大日本帝国海軍連合艦隊と交戦(黄海海戦、威海衛海戦)し、日本の威海衛攻略の際に壊滅した。 >>423
輸出品目が労働力。
出稼ぎや移住しないと生きていけなかったんか。 >>439
中国人の出稼ぎ労働者は、苦力(クーリー)と呼ばれた。
アメリカで奴隷制度が廃止されてからは、アメリカでも黒人奴隷の代わりに活躍した。 >>437
威海衛は倭寇対策で設置されたのが始まり。 仲が悪いは言いすぎにしても、山東省出身の宋文しゅう 宋文洲は、「日本で山東省出身者に会うと、同胞という感じがする。
四川省出身者を見ても、そういう意識はない」と言ってた >>441
南北の差はあるにしても、東北三省は一つのまとまりという意識がある
また山東への感情も、親戚のようなものだからで、北方全体での相互の親近感もある
よく聞く「隣同士は仲が悪い」みたいなのは民族が違って言語がまるで通じない場合で、
漢民族の間では隣の省は言語、風習、食文化などどこかに共通点があってそうならない
漢民族内部の多様性は確かにあるが、それは連続性を否定するものでもなく、
北端と南端で大きく違うというような話だろう 今はそうだけど、昔はガチで言葉が通じなかったらしい。
同じ広東省でも、広東語と潮州語では通じなかった。
同じ四川省でも、長江の沿岸と、山奥では食文化が大きく違った。
鉄道も省内で完結しており、「隣の省に貨物列車を送ったら、帰ってこない」
(つまり、車両をそのまま奪われてしまう)という話は有名だった。 >>434
仁川に中華街あるよ
ショボいけど一応ある >>435
台湾人?
キチガイか
華僑のほとんどは広東人だし、世界中のほとんどの中華街は広東人の街だ
もちろん、横浜神戸の中華街も広東人の街だ
長崎の中華街だけは世界でも極めて珍しい福建人の街だけど
台湾人の中華街なんて聞いたことが無い >>446
それぞれ事情が違い、省内で自然に分化したわけではない(確かに福建語や呉語は互いに通じないことが多いが)
潮州語地域はビン語(福建語)の飛び地群で(いかにも「海洋民族」みたいな分布)、
しかも福建省のビン語ともかなり違う
行政の都合で一緒にされているが、省単位で考えること自体にあまり意味がない
四川省は西半分が併合されたチベットの一部だし、
奥地の岷江語は巴蜀語という古い方言の名残りで実際は成都のような官話系ではなく、
その意味で単体で呉語、ビン語、粤語、客家語、晋語と同格の独自性がある
鉄道の話は軍閥が地の利を生かしていただけで、
どこの省境にも中間的な方言が分布していて連続体を成している
>>447
韓国は70年代の土地税制などで華僑を痛めつけてほとんど追い出した
今の仁川の中華街は90年代に中韓国交締結以後、
出稼ぎで韓国に渡った朝鮮族が中心になって再建したもの 福建語は台湾や海南島や雷州半島でも使われてるし
福建人は海洋民族みたいやな >>448
広東華僑が福建華僑を上回るようになったのは20世紀に入ってから
今でもフィリピン華僑の8割は福建人だし国によっては多数派だよ あと横浜神戸にも福建会館はあるし決して広東人だけの町ではないよ >>451
肥沃で広大な平野のある広東省とは異なり、福建省は山がちで人の住む場所は少ない 中国では広東省
インドではタミール
それぞれ、南端に海洋民族がいる >>455
日本でも南端の琉球人は海洋民族やな
清や東南アジアで手広く交易してたようやし
ただし海を越えて移民植民はやってない
せいぜい大阪の大正区くらいか 琉球で交易に従事していたのは福建から移住して来た久米村の華人で
琉球人はその船に一緒に積んで行ってもらってだけ >>427
英国もアイルランド島すら統治できてない有様だけどな ていうか、イギリスは、日本に例えれば、北海道と関西と九州が同時に独立運動してる状況だろ 中国でも、ウイグルとチベットでは独立運動が起きているが、
上海や広東省といった内中国では、北京に対する反感はあるけど、本気で独立しそうな気配はない 淮河を挟んで北が中華人民共和国、南が中華民国でも良いなぁ >>440
苦力を組織的に斡旋するブローカーを「客頭」というんだが、
20世紀末以降登場する密航斡旋犯罪組織である「蛇頭」と連続してるんだろうか? 台湾の歴史の本(中国語)を見てたら、
清代の客頭の多くは「全無良心」(良心がまったくない)で、
密航者を壊れた船に乗せるので、よく沈没する。
これを「灌水」と呼ぶ。
また「餌魚」ともいう。溺死者が魚の餌になるから。
台湾の海岸に到着するや否やすぐに下船させるので、
岸に上る前の海砂泥の中で死んでしまう者が多く、
これを「種芋」と呼ぶ。
上陸後も原住民との衝突で命を落とす。
俗に「六死、三留、一回頭」と言う。
10人中6人が死に、3人が留まり、故郷に無事に帰れるのが1人だけ。
これが実際の比率かどうかは知らぬが、
海外渡航は人命消耗の活動でもある。 >>460
日本に例える意味がない
日本のそれらの土地には侵略された独自の言語も民族もない >>459
英国はかなり特殊。
本国自体は島国で、面積と人口と兵力のどれも決して大きくない。
それが世界の陸地と人口の1/4を支配する最強の世界帝国になっちゃう。 >>465
英国と日本、似てるところもあるよ。
大陸の端っこの島国で、
隣の大陸側に侵攻したけど失敗した。
但し英国は島の中も統一できてないというのが日本より不利な点。 【パスまわし、九条″】 無謀な勝負に出て失点 <奇襲、玉砕、特攻> 専守防衛で攻めずに時間稼げ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1530671116/l50
西野監督を、防衛大臣にしよう! >>467
>隣の大陸側に侵攻したけど失敗した
英国の歴史を、かなり誤解してないか? >>467
百年戦争の原因は、フランスの地方貴族が英国王「も」兼任し継承してきたこと
英国王がフランスの地方貴族に「なった」のではなく、その逆
このフランスの地方貴族がフランス王位を狙い、英国から兵を連れてきた
これを「英国が大陸を攻めた」とは言えない
また「統一」とは「本来一つだったものが分裂しているのを『元の状態に戻す』」というニュアンスで使われる
ブリテン諸島は民族に関して「一つ」だったことなどない
よって「統一できる/できない」という、「統一」を前提とする尺度で語るのが間違い イングランド国王が、フランスに広大な領土を持ったのは、結婚と遺産相続のおかげ
後のハプスブルク帝国と一緒で、侵略によるものではない むしろイギリスを侵略したのはフランス人のほうだろ
ノルマン人はフランス人の一部だよ フランス人から見たらノルマン人は後から入ってきた異民族です イギリスとフランスを2つの国に分けたのは、百年戦争
百年戦争の途中から、英語をしゃべる土着化したイギリス王が登場した
それまでのイギリス王は、フランス語をしゃべるフランス人
リチャード獅子心王も、本名は「リシャール・ド・プランタジュネ」で、治世の大半をフランスで過ごした 世界史板だからいいんじゃない
俺は西洋史は詳しくないけど面白い 実は俺もオモロイと感じてるんだが、流石に脱線しすぎだろ。
世界史雑談スレみたいに思ってる。 王朝末期の衰退は
人口は幾何学的に増加するが、
食糧生産は算術的増加に留まって、
貧困が生まれるという
古典経済学のマルサスの罠によるものだろうか?
清代のグラフを見る限り、
一人当たりの耕地面積が小さくなる一方で、
もちろん土地の生産性は向上してるとは思うのだが、
追いつかない感じがする。
ちょっと話題を明清に絡めました。。。 >>403
あと資本集積の結果だったような気が
英国の場合は東欧や産業化の遅れた国が資本収奪の対象になって、英国に比較的楽に資本が集まり、産業化が進展したのに対して
清は江南以外の地方に殖産興行してしまって、江南の産業が他の地域との競争にさらされてしまい資本の集積が上手くいかなかった
これでは前提としてヨーロッパと中華を同じ規模のものと考えてます >>478
だから確か明清って相対的に恒常的に飢餓なんですよね……
何かの論文で読みましたが、中国が明清交代期の戦争や明末のいわゆる「郷紳の横」とかで荒れたせいで17〜8世紀くらいに日本の方が農業生産性で上回るんだそうですね
あと個人的に明清調べてて思ったのが、牛耕よりも人力作の方が発展してると見られるってのは意外でしたね
その方が生産性高いらしいですし >>403
地理的な影響で資源が得られやすい云々の話はどちらかと言うと銃病原菌鉄とかの話では無いでしょうか? >>473
今どきそうは考えないんだよ
バスク人もアルザス人も国民国家に入れて何百年経ってると思ってる >>477
英国と日本は同じだなんてぬるい事言うやつが出るからいけない >>481
その場合の生産性は土地生産性な。
土地が足りなくて労働力が余ってたから人力を際限無く投入して収量を増やすのが合理的になる。 江戸時代の農村で
人口の増加と
家畜の減少と
労働集約型による生産向上を
観察した歴史人口学者の速水融により
提唱されたのが勤勉革命論。
同時期のイングランドでは逆に
資本集約・労働節約型の生産革命になり、
産業革命へとつながる。
両国の違いは人口あたり利用できる土地の広狭に原因があるとする。
土地が余ってるか、人が余ってるかの違い。
明清は人余りなんだろうな。
だから移民も進む。 >>481
清代は世界で例をみないほどの人口大爆が興った時代なんですけど
乾隆帝 (在位1735〜1795) 一億七千七百万人
道光帝 (在位1820〜1850) 四億千三百万人
新大陸から生産量が高く山間部でも育つトウモロコシが伝来したことや農業技術の革新で
ようやく人口一億の壁を越えれるようになった
日本も未曽有の人口増加があったのは確かだが享保年間で停滞して以来明治時代まで横ばいと清と比べると対したことない >>487
「俺も行くから君も行け 狭い日本にゃ住みあいた
海の彼方にゃ支那がある 支那にゃ四億の民が待つ」
(「四億」はシオクと読むので頭韻を踏む)
の元になった数字が出たのは道光年間か
『馬賊の歌』が流行した1910年代はもう5億になっていたようだ >>486
同じ島国でも、山岳国家の日本とは異なり、イギリスは平原だからなあ。
もともと土地の広さが違う。 イギリスは牧畜がメインなので、労働集約的な農業という発想はあるまい 中国でも、労働集約的な稲作をやってる南部の人口密度が高いというイメージを持ってる人は多いのだが、実際にはそうでない
本当に深刻なのは、黄河流域の人口過密 日本と面積が同じくらいの華北平原に、4億の人口が集中してるのは異常
大平原といっても、もっと広い平原国家のフランスは人口6千万 中国は、国全体での人口密度はヨーロッパと大差ないのだが、地域による偏りがひどいので、人口過剰が遥かに深刻 清の時代には、黄河は今ほど水が涸れてなかった
そのときの人口爆発が現在の状況につながっている 人命が軽い。
洪水で何千人が死んでも、大したことない。
人がいくら死んでも、すぐに増えちゃうから。
死刑も簡単に執行しちゃう。
王朝崩壊で人口激減?
ちょっとしたリセットだよ。
戦乱で何百万人犠牲が出ても、すぐに増えて元に戻る。
なんか怖いと感じちゃう。 日本でもリアルタイムで死刑執行中
中国でも報道
オウムのことを「邪教」と言ってて
そのまんまだけどさすが宗教で
何度も国を転覆されてる国は言葉も簡潔 中国ではチベット仏教とチベットの民族文化を弾圧する理由付けに
ずっと日本のオウム事件を利用してきた経緯がある
2ちゃん/5ちゃんでよく見かけられる極端で過激な反仏教・仏教弾圧支持の言説には
中国の五毛党も明らかに混じっている >>496
また、朝日新聞だの時事通信だのが、「強権支配の安倍政権が、大量に死刑執行中」とかなんとか、海外にむけて宣伝しそうだな(笑) >>498
俺は反安倍だけど今回のは違うよな
新天皇の即位の前にやらないといけないことだわ
ついでに今上陛下に太祖のように日○会議のメンバーを
粛清して頂きたいけど 胡惟庸の獄も天皇が皇居護衛官使って内閣総理大臣その他の閣僚を粛正して奪権したようなもんだしな
今のレイシスト右翼の総理はさながら紅巾の生き残り 例えば移民が実質的に解禁になって、チベットやウイグルから日本にやって来たら、日本の地で独立抗争が起きたりする可能性もあるんだろうか。 日本の真言宗はチベット人にはどう見えるだろうか
どっちも真言密教だけど、仲間と思うか、それとも全然違う別物に見えるか 真言宗もチベットの主要な教派も一見するとずいぶん違うけど
基本は密教というより顕教で、大乗の立て直しのために密教を手段としているような所がある
それに多くのチベット人にとっては仏教であること自体が大事で、宗派の違いとかよりまずそこでホッとする
というかアジアの他の国から日本に来た外国の仏教徒は、まずそこに親しみを感じるので宗派はその先の話という感じ インドのスマナサーラ長老は、「日本には、意外にもインド本来の仏教が残っている」と驚いた。
いくら日本とインドが遠くて、国民性が正反対とはいえ、さすがに大昔の日本で仏教を研究してた連中は精鋭ぞろい。
遣唐使も、「大陸の進んだ文明を学びました」という面ばかりが強調されるが、確かにそういう面もあるんだけど、当時の日本人が最も熱心に求めたものは、仏教の経典だったことを忘れてはいけない。
平安時代には「日本辺境論」が盛んになったが、どこに対して日本が辺境なのかといえば、聖地インド。
インドが、世界の中心。 キリスト教が、中東に生まれて欧州で発展したように、仏教も、インドに生まれて中国で発展した なぜ、清では仏教が衰退したのか
歴史の謎のひとつだ >>149
福沢諭吉の父親は「上諭条例」入手してるよ 明って運用面はともかく建前では米による俸禄制だよね
明会典29
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E3%91%B9%E5%85%B8_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B7029
正一品の月俸米八十七石以下、従九品の月俸五石まで >>510
太祖が稲作地帯出身の農本主義者だからな >>508
清どころか宋から仏教の衰退は始まってるよ
そもそもなぜ唐代にあれほど仏教が大流行して、さまざまな宗派が栄えたのかというと
中国の伝統思想である旧儒教には哲学が無かったから
唐代には仏教のみならず、清真教やら摩尼教やら景教やら多くの外来宗教が流行し繁栄した
それら外来宗教は旧儒教には無い哲学がある
哲学の無い旧儒教は「世界の根本は?」などという問いに答えられない
そんな状況に対する儒教側の答えが宋学だった
宋学は旧儒教とは違って哲学を備えていた
そして儒教が哲学を求める需要に応えられるようになって
仏教をはじめとする外来宗教の多くは廃れて行った
まあ、それでも宋代には禅が盛行してまだまだ仏教も盛んではあったが
それでも宋代から少しづつ、確実に、仏教は衰退して行った 諸子百家と易を生んだ中国に哲学がないとはひどい物言いだ
そもそも仏教は「世界の根本」なんて説いてないじゃないか、バカバカしい
排仏思想だってべつに朱熹からではなく、
韓愈の論仏骨表に始まって李?(コウ・Ao2)に継がれている流れがある
南北朝あたりからの中国の歴代皇帝が仏教に心酔したのだって「哲学」を求めたんじゃなくて、
「どうか安寧な統治ができますように」っていうオカルト的な願望からにすぎない
つまり皇帝たちは膨大な仏典を理解なんかしていない、翻訳されてもやっぱり難解なのを
わからないまま有難がっていただけ >>514
仏教では全ては縁起によって存在すると説いてる
それは立派に「世界の根本」であろう
易は元々五経の一つだったが、宋学はそこから哲学を抽出したわけだ __
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r┤ ト::::: \___/ || 坊主、ハゲ、托鉢と言う者共
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ 全て凌遅。
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ >>516
かつてハゲ頭の坊主で托鉢をされていた朱元璋陛下だ。
開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊徳成功高皇帝万歳!万歳!万万歳! 永楽帝の第一の功臣である姚広孝は
道衍と号す僧侶で浄土信仰に関する仏教著作を多数残す。
仏教擁護に熱心な僧だったのだ。
そんな彼が燕王をそそのかして反乱を起こさせ、
軍師として建文帝軍を打ち破る功績を挙げた。
道衍が故郷に戻った時、
誰も彼に会おうとしなかった。
姉からは「和尚は道を過った」と罵られ、ガックリ。
抜群の才能と度胸を発揮して権勢を手中にした道衍は
故郷では一番の嫌われ者だった。 >>517
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r┤ ト::::: \___/ || 朕を素早く讃えた功績に公爵位を授ける。
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ 一方で黒歴史を蒸し返してるので、その後は死刑。
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__ 俸禄出すのがもったいないしな。
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ >>506
原理主義的な南伝仏教と違って日本は北伝仏教の系統だし最早ユダヤ教とキリスト教ぐらいちがう
そもそも日本の仏教は中国仏教の支流で南都六宗も中国十三宗から派生したもの
請益僧も唐へ留学した者はいてもインドへは向かおうとすらしてないでしょ >>520
経典の中身なんかどうでもいい
そんなのは暇な屁理屈厨にでも言わしとけばいい
仏教は記号の集積であり、僧がいて伽藍があって読経の響きがあればそれでいっしょなのだ
そういう逆説があるんだよ ほかにも大陸の先進的な芸術や建築や学問を導入する役目もあったけどね
朱子学も五山僧が伝えたものだし >>515
縁起説は原理を説いたに過ぎず、それはすべての発生ではなくその後の発展の道理だけだ
神話的なものを含んでいないぶん、諸々の成り立ちの出発点は如何という問いに答えていない
朱熹が抽出・合成したものは四書であり、論語や孟子が五経の外側にあったぶん、
「五経から哲学を抽出」には当てはまらない
論語は孔子と門人が五経のたぐいに接する姿を描いた外典であり、孟子は諸子の一つに過ぎない
しかし宋明性理学の流れはむしろこちらから出ていて、五経の陰は薄くなる >>520
南伝仏教と北伝仏教の違いはユダヤ教とキリスト教なんてレベルじゃないよ
ワシの感想としてはユダヤ教とキリスト教とイスラムの違いなんて
浄土宗と浄土真宗の違い程度だ >>524
宋学の哲学要素は周易を下敷にしてるんだよ
易を太極図で視覚化してそれに解説付けた太極図説
それが宋学の基礎になってる 陳隋辺りの岳州と荊州ってどう違うの
中国語からっきしだからよくわからん 日本仏教は、仏教を道教から救い出したという側面があるよね。
中国仏教は、実際にはどこまでも道教の変則的一流派でしかなかったといってもいい。
というより、漢代にはおおよそ知的思考の基礎が固まっていた漢民族は、仏教を道教的にしか理解できなかった。
大和民族は、道教のような高度で抽象的な思想を何も持っていなかった分、
仏教経典に触れた時、経典をそのまま素直に読むことができた。
>>526
易経って、ただの占いの本ですよ。それもケースブックで、さらに言えば、中身は一種のことわざ集。
日本の現行のおみくじの言葉よりもっと世俗的・具体的で、もはや「教育かるた」か何かに近い雰囲気。 >>521
むしろ記号の集積なのは神道だろうw
あれこそ、神主が幣をフサフサ振って暗記した祝詞を読み上げれば、全部同じだ。
超自然的存在としての祭神はともかくとして、
現実の聖職者集団としての神主というのは完全に記号化されていて、そこには教義としての中身が全く何もない。
日本仏教も、その大半が位牌の前で読経するだけの記号的存在に堕しているというのなら、まあそうかもしれないがw >>521が言ってるのは仏教に分類される範囲が広すぎて見た目でしか仏教が定義できないという話だろう。
ほとんど日本だけの問題で、大陸の仏教は上座部から密教まで一定の枠の中に入る。
神社神道は全く話が別で、神話も浄不浄も誰も信じていないことを前提に儀式と卜占に特化してしまったことに特徴がある。
多様性は多神教としてはむしろ少ない方だろう。(前近代は別) >>529
易を儒学に取り入れた程伊川は、「ワシは占いなどやらぬ」と生涯、言い張り続けた 宋の儒学というのは、現代人から見ると、本当に宗教っぼくて怪しい。
「精神統一して心の曇りを磨き、神聖なる経典を読んで大宇宙の理と一体化し、聖人になる」という宗教。 儒教と、日本の新興宗教は、教義が似ている
「仏教とキリスト教を統一した」と自称しつつ、中身は儒教
それが、日本の新興宗教にアリガチなパターン オウム真理教には当てはまらないが、統一教会と幸福の科学は、思いっきり儒教だった
ほかにも霊友会とか、仏教系なのに先祖供養がメインになってるのは儒教の影響 そんな儒教も、清の時代には宗教色が薄れた
どっちかっていったら、「古典を文献として研究する」ってのがメインになった
清では仏教も衰退した
じつは、近代ヨーロッパと同じく、脱宗教がすすんだ合理主義の時代 そもそも中国人に宗教を真面目に信仰している奴なんているのかね
所詮実利だろ >>529
神道は後から出来たものだが、古神道にはすでに経典があった
(「神道には経典がない」という俗説は信者が読んだことがないからというだけ)
中国仏教には道教、それに儒教の影響もあったが、純仏教に近い流れもあった
密教には道教の影響の痕跡は薄いし、
四川省の寺には中国とチベットの僧がともに生活し翻訳を通じてともに研究する所があった >>526
それは「玄学」の部分だが、科挙にも四書に基く普遍化された教育にも関係ない
普遍化とは宋代以降清に至るまでの初等・中等教育におけるスタンダードになったということ
四書は中国・朝鮮・日本・ベトナム共通の儒教の必須科目になった
易の言語は易を語るときにしか使われない、神秘の言語であり続けた
神秘的な欲求に応えたと言うだけ >>530
神道に教義がないというのはただの偏見
お前が知らないということを自虐的に正直に言っていればいいものを
「形だけ」の宗教と言うなら古代ギリシャ・ローマの宗教はどうなる
形の重要性を舐めるな
もちろんギリシャ・ローマの宗教も「形だけ」などではない >>531
神話はお神楽などでも公開され、穢れと清めの思想は参拝の作法にも反映している
信じるとは神社で無作法を働かないことや祭りの後始末などの作法も含む
それらを「無い」とは何も見ていないに等しい
仏教が記号の集合体だというのはべつに悪口ではない
日本に嫁いできたベトナム人の女性が、初めて連れて行かれた東京の大きなお寺を
菩提寺のように大切にその後も通って参拝し続けた話(『サイゴンから来た妻と娘』)や、
チベット独立派の亡命中の人を宗派の違う善光寺の僧が「今まで大変でしたね」と慰めて
その一言で亡命者が泣いて感謝した光景も、寺と僧形の寄与した部分がある
また日本の(「宮型」の)霊柩車を見て「これこそ現代に生きる仏教の姿だ」と感激したモンゴル人が、
最初は移動寺院として、のちにやはり霊柩車として中古車を買い取り活用していると言う話など
また日本仏教の団体や個人が海外の仏教国に友好や修学のために訪れ、ともにこだわりなく
滞在し読経する姿など、その馴染み方の速さは記号あってこそだ
経典が違う、宗派が違うと騒ぐのは浅い学問かじって頭だけで語ってるやつで、そういうのが原理主義に陥りやすい >>538
古神道の経典笑だとかやめてくれwwww腹筋が崩壊するwwww
どれもこれも、江戸時代の新興カルトが作った偽書じゃねえか。
上代8母音体系で書かれてる「古神道の経典」が何一つ存在しないのが、その明白な証左。
全部、まぎれもない江戸時代以降の音韻体系ベースで書かれてる。
つうか、場合によっては江戸時代どころか昭和だからな。
>>537
結局、どこまでも現世絶対主義というか、現世極楽主義なんですよね>漢民族
これは殷周の昔から変わらない鉄板の伝統。
インド人とは現世に対する根本的な見方が違うので、漢族の手に係ると解脱すら延命に化けるw >>542
いや、そうでもない
中国人がここまで実利重視になったのは、やはり明清からの傾向
そもそも、「中国」や「中国人」と聞いて浮かぶイメージの大半は、明清以降の特徴 隋唐の頃は、マジメに浄土信仰していた
彼らは、いまの中国人とは文化が違うし、そもそも人種も異なる 古代中国には、「あの世」というのを考えない傾向があった。
少なくとも、インドや中東と比べると、「この世」しか考えない傾向は歴然としていた。
そんな中国に浄土信仰を持ち込んだのは、西域や北方の異民族。
彼らが中国人に伝道したというより、信仰を持つ彼らが移住して、新たな中国人になったというほうが実態に近い。 宋あたりまでは、浄土信仰が続いた。
仏教に対抗して新儒教を大成した朱子も、若い頃は熱心な仏教徒だった。 元(拓跋)、赫連、宇文、段、慕容も数は少ないながら漢族として生きながらえてるよね
固有の服装や言語、テングリ崇拝といった民族宗教は失ってしまったが 中華ドラマの「宮廷女官ジャクギ」を見たが、なかなか面白かった。
現代女性が康熙帝の時代にタイムスリップした挙句に、
康熙帝の何人ものイケメン皇子たち皆んなから求愛され、
凄まじい後継者争いの中心になっちゃう。
辮髪男たちがなかなかカッコよく見える。
超ロマンチックのラブコメ調なんだが、
いきなり四肢引き裂きやら、
釜茹で刑の場面が出たりして、
さすが清朝。 >>532
でも彼は、ぐるりと一周して真実に近づいたという面もあるように思える。
易経の元ネタは、おそらく占いの宣託ではない。バラバラの竹簡に書かれた格言集のようなものだったようだ。
最初は、筮竹を立てるのではなく、竹簡をおみくじのように1本引いていたのかもしれない。
あるいは、現行の道教の占いのように、筒をガチャガチャ振って最初に落下した竹が占いの答えだとするような方法。
そんなものだったから、「これは占いではない」と思って読んでみれば、当然別の世界が開けることになる。
そこから先の屁理屈は何とでもなる。
「手を挙げて横断歩道を渡りましょう」→「人たるもの、神の道(横断歩道)へ向かうには、自ら名乗り出なければ(手を挙げる)ならない」
これぐらいの宗教的屁理屈は、俺でも即座に思いつくわけでw 強引すぎる屁理屈かもしれないとはいえ
易から哲学をひねり出してしまだた程子は凄いと思う >>544
人種が異なるとか無理があるでしょ
五胡以降大きな人口移動なんてないしその五胡ですら漢化を免れ得ないほど少数派だった 清はボロクソ国家とされる
けどこの歴史解釈は誤りだ。その最大根拠は人口×農業生産×人口増加ペースだ
清の時代末期4億弱で農業生産トンは4500-5500万トン以上
実は個人あたりの石高割り当ては当時の日本と大差ない
そして1940年代満州開発で石高は増強しつつ、人口は4.6-5.2億ほどなので農業事情は全く悪くない
むしろ相対的に破滅的なのはロシアであり、ロシアは大戦で1500万、粛清と内戦で1000万も死んでるのに
別途1910年から35年で餓死者4000-5000万と以上な量の死者を出してる
結果人口が増えなかった
同時に当時のソ連は明確に身長が低かった。これは飢饉の裏付けだ
実は清帝国は歳入、歳出、貿易黒字、農業経済、農業成長は完全にうまく言ってた
というかこうがダム爆破と、大躍進の二大厄災をうけるまで実は農業経済うまくいってた
これは意外と知られてない公然の秘密である >>542
いや、経典って祝詞や記紀の類だよ
何勘違いしてんだろう
漢民族にオカルト信仰がなかったのなら、あらゆる宗教反乱は無かったことになる
宗教を信じたら中国人じゃないってか?どこの共産党ドグマだよ >>543
太平天国は清代じゃなかったのかねえ
羲和門拳だって「刀槍不入」という迷信をスローガンにしていたよ
あ、槍って銃のことね
拳法を極めると銃弾も刃も身体を傷つけないっていう >>550
宋明性理学は言葉の定義もあやふやなまま議論に時間と労力を費やし、
ただ文字数が増えた事自体に権威となる拠り所を求めた空理空論だった
「空空如也、我叩其両端而竭焉」 公理系の不在は、東アジア世界の知性における歴史的な宿痾だねぇ… >>542
古神道ってそんなに昔じゃないよ
上代八母音は万葉集の頃の話
古神道は中世
常識に欠けてるね 神道は仏教に影響を受けて
しかも本地垂迹思想等で混交されて発展したもの
元々の神道はどこの民族も大抵持ってる素朴なアニミズム
経典なんてあるわけない
記紀のような逸話なら由来の古い民族なら大抵は持ってる程度のもの >>548
八爺だけは、女性ファンに不評だった
「彼だけはカッコ良くない」とか言われて >>558
延喜式が事実上の経典として機能している気がする >>555
それは、時代を経てだんだんそうなっていったのであって、当初は過激な革新的思想だった
まあ、思想はなんでもそんなもんかもしれんが >>588
いちいち言葉に悪意と棘があるな
科学的に話せよ
ユダヤ教のラビ派じゃないミズラヒやサマリア教徒も経典と崇めるモーセ五書は
いわばトーラーの中核、最も重要とされてきた経典だが、
内容は記紀のような天地創造から始まる歴史書だよ
つまり記紀は神道の経典だ 読まずに適当なこと書いてないか
レビ記はもろ典礼書だし申命記と民数記は戒律を定めた書だぞ
ただの説話の羅列に過ぎない書紀とはわけが違う 中世の「古神道」なんてなぁ…ww
本地垂迹の全盛期に、坊主の風下で冷や飯を食って悔しい悔しい禰宜どもが、
仏教理論をつまみ食いして剽窃しては、話をひっくり返した珍説を展開して耳目をひこうとしただけじゃないか。
圧倒的通説や科学的事実のような、誰もが納得しているものについて、
話の主客をわざとひっくり返した珍説を展開するのは、
2chやツイッターでも昔からあるし、それで「自称社会派書籍」を粗製乱造して食ってるエッセイストすらいる。
でもおよそ中身はないし、社会的には害悪ばかりで淘汰されていく。 概ね同意だ、その趣旨からは外れるのだが
「自称社会派書籍」の書名を例示いただければ有難い
その界隈のゲテモノは興味がないので把握してないが
しかし簡単には学習しておきたいので それから、記紀は徹頭徹尾、「皇室は如何に偉いか」を語るための由緒書で、
世界中の神話の中でもかなりエキセントリックな部類に入る。
王家の正統性確保は多くの神話の重要課題ではあるが、ここまでそれだけに特化したものはあんまりない。
そうであるがゆえに、一応貧弱ながらも天地の由来は書かれているが
その先にあるべき、世界の構造を示す宇宙論(形而上学という人もいるが正確にはコスモロジー)が完全に欠落しているし、
皇室を自画自賛して話が終わってしまっているから、庶民にとっての倫理規範や社会規範も何一つ導けない。
だから、今でも神主に人生相談をすることは全くの徒労だし、
神社で占いをしてもらうと、なぜか河図洛書だの陰陽五行だのがでてくるw >>560
ヒロインを演じた劉詩詩は、
四爺を演じたニッキー・ウーと実生活でも恋仲となり、結婚した。
中華芸能情報でした。 >>564
典礼書や戒律って「経典」に本当に必要か?
どれも言葉の羅列に過ぎないって言っちゃえば同じだろ なんか明清からずれすぎてる奴等が居るなぁ
やっぱりこれは人気ないゆえか(悲哀) 日本ではフィクションに登場する中国人の多くが胡服弁髪だったり、
あるいはそのアレンジであるチャイナドレス姿たわったりする
これは日本では清が人気あるということではないのか >>573
日本人が侍と言うと鎌倉〜戦国時代の野蛮な奴等ではなくて江戸(〜明治)時代の武士道云々言ってる落ち着いた奴等を思い浮かべるのと同じだろう
単に一番近い時代だからだ >>519
明はケチ。
官の待遇が最悪。
薄給でこき使われた挙げ句に粛清。
報われない。
明朝万暦6年の財政収入を銀換算すると2080万両。
これは宋朝の1.6億両に劣るだけでなく、
唐朝貞観年間の3000万両にすら及ばない。
一方で科挙官員の数は明朝中期で10万人で唐朝貞観年間の十倍以上の数。
結果、官員は薄給となる。
さらに膨大な胥吏や雑役がタダ働き同然を強いられていて、
みんな暮らしのために汚職するしか道がない。 >>571
完全教祖マニュアルの著者の談だが
あなたが○○教でよかったことは何ですかと聞くと多くの人は善悪の区別がはっきりするようになったと答える
多くの人が宗教に期待していることは何をすれば良いのか悪いのかというルール
それが欠如してる時点で神道は宗教としては欠陥品
昭和天皇は神道はただの儀式で宗教でも何でもないと言ってたが実体は儀式ですらないんだけどね >>575
明らかに割に合わないのに官僚になりたがるのは何故なんだろうね >>576
>昭和天皇は神道はただの儀式で宗教でも何でもないと言ってた
これは興味深い
出典がわかればご教示いただきたく >>577
使命感。
名誉。
権力欲。
一族の繁栄。
やっぱり袖の下の旨味。 >>570
劉詩詩って、ウイグル人なんだよな
ウイグル人と台湾人の国際結婚か >>572
中国史スレで執拗に日本サゲ連投する奴は、必ず出てくる
どの時代でも関係ない(笑) >>579
ホイットニー文書
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
>日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。 日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けて
おり、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。
日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、日本人はアメリカ人のよ
うに自分で考える訓練を受けていない。
現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状
況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていない。
この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。
日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。
平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考
慮するに値しない敵と考えている。
日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎ
ず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。
しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員
兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。
以上のようなことから、私は今は日本人のもつ美点を述べている場合ではなく、むしろその欠
点を考える時だと感じている。 ヒロヒトの日本人分析は鋭いけど同族以外は敵みたいな思考はずっと中央集権国家だった中韓にしても同じだから
その辺は詰めが甘いよな つうか昭和天皇の生きた時代を考えれば、議会政治の右往左往と軍部の内部対立と
その収束、その辺からの分析に過ぎない
でも自らクーデター未遂事件では専制君主として振る舞って民主主義を否定した事を考えると、
日本人全体の欠点を論じる立場にないな >>575
軍事研究家の別宮暖朗が言ってた話だけど、中国とりわけ時代が下った王朝は、極端な「軽税国家」なんだよね。
そしてそのことが、一見善政のようで実は社会の発展の足を引っ張っているのだと彼は言う。
(もちろん経済学的観点としては無自覚だったにしても)、権力による所得の再分配がされないので、
貧富の差が開きまくり、それが爆発して社会不安を引き起こし、王朝が崩壊する。
新王朝は、王朝崩壊の混乱後の「みんな貧しく平等」からスタートするので、最初は再分配なくてもうまくいくが、途中から貧富の差が開いて無限ループ。 日本人と天皇云々の長文書いてる奴、ここに来る人らの興味関心は明清だぞ
天皇云々に興味有る奴ばかりじゃないんだ
まあ皇帝との比較に必要とかなら必要かも知れんが
義憤に燃える右翼さんが居るならその人共々他板でどうぞ >>588
まあ、明清の地主は、インドでいえばマハラジャみたいなものだな
事実上、地主の連合国家だ >>588
「軽税国家」が人口爆増を起こす要因かなぁ。 >>588
>王朝崩壊の混乱後の「みんな貧しく平等」からスタート
そんなわけがない。
上位が躓くだけ、あとはコネシステムが多少崩れるだけ
新王朝初期には農民が一杯科挙に合格するのか? >>582
清朝に乾隆帝に謁見したマカートニー曰く
「確かに中国政府の機構と権威は、
ほとんど即座にどんな困難でも克服し、
人間の力でできることなら何でもしでかしてしまうほどに
よく組織され、強力である。」
だそうだ。
明清政府機関はそれなりに機能した。 今もそうだ
地価が暴落しそうになれば土地の売却を禁止し、株価が暴落しそうになれば株式の売却を禁止して、バブル崩壊を防いでいる
人民元が暴落しそうになれば為替取引を禁止して通貨危機を防いでいる
やはり、社会主義のほうが制度として優れているのか? 中国が社会主義的なのは、今に始まったことでない
他の多くの事柄と同じく、やはり、明清からの傾向 >>595
均田制、いや井田制の昔から資本財の共有化を理想としているフシはあるな。 >>581
ジャクギ主題歌の alan は四川省のチベット人。
チベット民謡由来と思われる独特の発声がとてもきれい。 >>594
完全に自由市場経済になってる国はない。
貧富の拡大や悪徳企業跋扈や
市場の暴走を防ぐため
どの国も政府のコントロールが入る。
ただコントロールする政府が暴走することがあるので、
これを防ぐための上位機関が必要となり、
仕組みが煩雑になり、どんどん非効率になって、
ええい面倒だ、
全部市場に任せてしまえと一旦戻り、
すると市場がまた暴走して、
政府の規制が始まり、
・・・ずっと無限ループ。。 明清戦争って、いまいち武将や政治家のキャラ立ちが薄いよね
日本の戦国武将とかヨーロッパの西蘭戦争・北方戦争・30年戦争のキャラみたいなのが少ない
袁崇煥くらい? 19世紀後半という時代を考えればキリスト教もオワコン気味になってきているのに
こともあろうに物質文明と啓蒙思想や合理主義を味方につけたインチキ論法で
日本をディスり続けたのが明治に来た不合理な宣教師たち
ほっとけばみんな騙されて洗脳されて巨額の寄付金を持っていかれそうだったから
明治政府は防衛措置をほどこした
それが国家神道で、当時の急務は経済発展と国力アップと軍事力の増強だったから、
高等宗教なんて練り上げる暇もなくでっち挙げのハリボテ
現代社会ではそれと復活した仏教で十分用は足りたのだった
結局いつまで経っても威張りん坊のキリスト教は「1%の壁」と呼ばれる限界を超えられないまま >>599
李自成と呉三桂は、講談・芝居に欠かせない超人気キャラ 南宋になっても粘った宋とは異なり、明はあまりにもあっけなく滅んだ
おかげで、「抗金の英雄」岳飛や、「亡宋の三傑」文天祥みたいなのがいない
中国を征服した異民族の英雄に、人気がないのは仕方ない 【同音同語】 ヘブライ文字は、そのままカタカナとして読める、漢字から作られたというなら証拠だせ!
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1531275971/l50
日本人は、Dの一族(遺伝系統D型=チベット=ユダヤ系)″だった!? >>592
中国の場合は王朝が変わっても官僚組織はそのまま
つまり別の国になるわけでなく、同じ国で皇室が交代しただけ 明は官僚の粛正や皇族内の殺し合いが多く野蛮なイメージがある 史可法、永暦帝、呉三桂、祖大寿王夫之、顧炎武らへんが僕好き 明や清の人物は、日本での認知度が低いだけ
中国での人気は、劉備玄徳や諸葛孔明と変わらんっていうか、多分それ以上 明清の人物は学者ならズラズラと思い浮かぶが
武将なんかはサッパリだ
清末の革命期になるとまた知ってる人物多くなるが
清の皇帝だけはヌルポハチから溥儀まで全員知ってる そもそも女真じゃなくて李自成に滅ぼされてるからな……
呉三佳とかキャラ濃いけど異民族側に付くし単純な2極対立じゃないから分かりにくくて流行りにくいのかも……
それでも裏山で自殺したすうていていとか好きだ 確か呉三桂の妾を李自成が寝取ったから山海関明け渡したとか言う逸話有るよね むしろ明清に関する知識や関心が無さすぎる日本がちょっと変かもな
欧米での中国学と言えば真っ先に明清時代が対象だからな 全くだ
大学で四年間明末清初をやっていた身としては社会に出てから頭を使うことが無くなってしまって悲しいもんよ
こういう所にしかお友達がいない 三国志とか諸子百家とか日本人が好きな中国は古代だからなw 日本人の「古代好き、近世無視」が、中国社会停滞論を未だに引きずる輩が大勢いる原因の一つなんだと思う
お前は戦前からタイムスリップしてきたのかと言いたくなるような人間が多すぎる >>591
少なくとも、康煕帝の有名な政策「課税人口の固定」が、その後の清のクソ人口爆発を生んだ重大な要因の1つだったのは、紛れもない事実だと思う。
あれで、19世紀にはついにマルサスの罠に陥り、中国社会は飢えた貧民が暴れまくる大動乱の時代に入る。
>>592
「永楽帝大虐殺伝説」が、華北の農村の広範囲に、20世紀になっても伝わっている事実を見ると、
王朝交代時期(前後含む)の混乱は「上位がちょっと入れかえ」とは考えられないけどねえ。
しかも、歴史の勝者が大虐殺をした伝説が全国レベルで広範に広まっているという、世界的にも珍しい状態。
洪武帝じゃなくて永楽帝(燕王)の軍勢が大虐殺した、という伝説内容でどこの村も一致する。
つまり本当に庶民レベルまでの大虐殺があった可能性が高い。 >>616
むしろ、明清は知らなくて幸いだったという面が多いと思うがなあ。特に戦前。
「あまりに無法地帯すぎたから、ちょっとだけ馬賊のマネをしたら、戦争犯罪になってしまったでごさる」というのが、日中戦争の顛末。
当時の日本人が、明清のリアル政治のありさまを知ってたら、
帝国陸軍が「永楽帝スタンダード」だの「曽国藩スタンダード」だのやりかねない。
これ、近代の国軍としては、戦争犯罪なんてもんじゃなくなる。まあスターリンのように「勝ってもみ消す」ことができりゃいいけどw >>617
文革の時の破壊とかみんな日本鬼子のせいにされてるのに?
円明園でもそういう落書きを見たぞ
大衆の記憶の中の「なんかこわいもの」は簡単に入れ替わる >>615
欧米人も、ペルシャ帝国やバビロニア王国は大好きだが、中世以降のイスラム史には無関心という傾向があるので、それと似てるけどな 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
8J3 欧州の歴史が本格的にスタートするローマ帝国までは、前史としてのペルシャ帝国やバビロニア、アッシリアが重視される
ローマ帝国からは、まったくの欧州偏重史観になり、中近東は「ときどき攻めてくる迷惑な隣人」という程度に格下げされる
日本もそれと同じで、漢や唐の初期あたりまでは、前史としての関心が集まるが、日本史が本格的にスタートする奈良・平安時代からは日本偏重史観になる
古代文明の発祥地に隣接する文明として、共通するものがあるのだろう 実際には、西欧や日本は、わりとつい最近まで野蛮な辺境だった
現在の先進国、日本・イギリス・フランス・オランダ・ドイツの文明が浮上するのは、17世紀あたりからの話
その後は急激な逆転現象が起きた その間、明清帝国やオスマン帝国も、立ち止まっていたわけではなかった
彼らの文明も、さらに進歩していた
しかし、それ以上に、西欧と日本の進歩が急加速した 中国の章回小説のたぐいは
日本では後漢末を描いた三国志演義、唐を描いた西遊記までが人気で、最近では殷周革命を描いた封神演義もある
北宋末を描いた水滸伝はいくつか日本の小説、漫画、ドラマなどあるものの人気は今ひとつ
中国で何度もドラマ化されて人気度も高い楊家将(北宋を描く)は日本では知名度は非常に低い
四大奇書の一つでもある紅楼夢は清代の貴族社会を描き中国では最もマニアックなファンの多い作品だが
これも日本ではあまり人気がない(女性の一部か) >>626
隋唐演義も、どうにも人気が出ない
関羽と張飛の知名度を100とすると、秦叔宝と尉遅敬徳の知名度は、中国では50くらいはあると思うが、日本では1未満、ていうかほぼゼロ 明初の英雄もそうだ
諸葛孔明の知名度を100とすると、劉伯温の知名度は、中国では70か80といったところじゃないか
日本ではほぼゼロ >>627
取り上げている時代が200年間と長いことが、感情移入しづらい要因かもしれない
ノリが学習まんがみたいになっていて、そのくせ史実は変えているという中途半端さとか >>618
そう言うことを言いたいんじゃない
もっとちゃんと文章とレスの流れを追ってくれ
そう言った戦前の中国観を今でも保ってる奴等が居ることが問題なんだ
検閲も戦争もない現代で、しかも70年に及ぶ研究で中国社会停滞論を払拭してきたのにも関わらず、未だに戦前の中国観を引きずってる輩が大勢居るのが問題なんだ
で、その問題の根本は「古代好き、近世無視」なんじゃないかと言うことを言いたいんだ >>629
あと、「親分の単雄信のもとに集まる義侠の志士たち」っていう、中国特有の「ヤクザの独立国」みたいなノリが、中国の時代劇を見慣れていない普通の日本人には、理解困難と思われる
日本は、ヤクザが集まって独立王国みたいになれるほど、広い国ではないから >>631
ほとんどヤクザの鎌倉武士も狭い地域での殺し合いだもんな
確かに独立王国辞退が成立しない >>630
でも、明の政治制度と庶民レベルの社会構造(家族構造)は糞だぞ。あれこそ停滞論というか劣化論の格好のネタだ。
超先進的でユニークな試験官僚制は、現実の政治レベルを見る限り北宋中期でほぼ完成していて、あとは劣化の一途。
だから、日本の伝統的な中国政治史は王安石で「終わる」w
明清における「宗族制の庶民への浸透」も、儒家がみれば文明化かもしれないが、客観的には家族制度と社会制度を硬直化・因習化させただけ。
東アジアで、(沖縄除く)日本だけがこの明朝的宗族システムの毒牙から免れ、後に近代化に成功することになる。
経済的には爛熟しているし技術の進歩も大いにみられるが、政治社会家族制度にはみるものがない。
ただし、清初期の政治の「北アジア的な柔軟さ」は、もっと評価されていい。
制度的には素朴だが、現実の政治では実に柔軟にさまざまな難問を解決していっている。 >>631
劉邦はヤクザの親分みたいなものだけど司馬遼太郎のおかげで人気。
三国志人気はゲームが始まり。
明清も漫画やアニメ、ゲームを展開すべき。 明朝の制度疲労に対する反動として、清朝が登場したんだな 明清といえば皇帝独裁制が極限までいったイメージがあるが、
あんな巨大国家の舵取りを一人の人間に集中できるものなのか?
毎日、何百もの重大な決裁を要する気がするが。 >>634
たしかに、それを言ったら、劉備玄徳が英雄豪傑を集めて蜀で旗揚げするのも、水滸伝の梁山泊と話の構造は一緒
だけど、劉邦や劉備は、やっぱり本当の国家だから、日本人にも分かりやすい
梁山泊は、普通の日本人には分からない世界 >>636
それをやり遂げようとしたのは清の雍正帝
日夜、全国から集まる大量の書類の決裁に追われて睡眠時間を削り、「過労で早死にした唯一の中国皇帝」とも言われる
明の皇帝たちは、日常の行政を官僚まかせにして、自分たちは遊び呆けた 西洋では、スペイン最盛期の国王フェリペ2世が「書類王」と呼ばれた >>638
生身の人間に耐えられない。
今後、究極の独裁制を目指すなら、AI決済システムだ。 コーエーは流賊・南明・三藩のシナリオのあるシミュレーションゲームを作ってくれ >>633>>635
そのへんを踏まえると、
明末に李自成が現れても人々は魅力を感じなかったのかもしれない
また賊の親玉かよ!と
別に民主的な手続きを踏むはずもないが、混乱の過渡期だし、
将兵たちの士気が上がらなかったということはなかったか >>633
うーんこの、なんか論点ずれてるんだよなぁ
「検閲も戦争もない」のに調べもせずに停滞論言ってる奴が問題
調べりゃ流石に戦前の様な停滞論からは抜け出せる
あなたも自分の中でもある程度社会が進展してるの理解してるやんけ
ただ経済的な側面は全く無視してるし
科挙に関しても宋代と明清では結構性格違うし
ろくに明清の論文読んで無いでしょ……
特に科挙の社会的な性格なんて郷紳論で70年前から腐るほど論議されてるし、経済的な側面もここ3〜40年で腐るほど論議されてるぞ……
宗族制度とかそう言うのではなくてむしろ明清研究はそっちが中心だ >>148
最近、細川護煕元首相が、
熊本藩細川家所蔵の永青文庫から
約4千点もの漢籍を中国国家図書館に寄贈した。
日本の「凡庸な漢籍」ゲットで習近平が大喜びの理由
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53492
でも、史料的には大した物はないみたい。 >>638
明の皇帝は遊んでいたのが多かったけれど、
遊んでる皇帝の一存で、あっという間に
権臣佞臣宦官の首を飛ばせる怖さがある。
皇帝に代わって権力を握った者の時間は短く、
遅くても次代即位で失脚し悲惨な末路となる運命。 >>639
雍正帝とフェリペ2世、似てる。
広大な支配地からあがる膨大な数の報告書を黙々と読みながら、
余白に書き込みをする。
フェリペ2世は指示、注記ばかりか、つづり字や地誌の誤りまで訂正していた。
地味で細かい絶対君主なんて最悪の存在。 ようやく本論に入ってきたw
>>643
郷紳は過大評価されすぎw
各国語への翻訳がどこかミスリードなのと、裏返しに共産党批判になるので、今は欧米で持て囃される傾向にあるけど。
あれこそが問題だったのだという、魯迅に代表されるような古い古い認識のほうが的確。
ただ、何がどう問題だったのかについては、実際のところみんな隔靴掻痒だった。
これはもっと大きな問題の一部でもあって、
単一の国家試験の合否一本で、社会階層をゆるく新陳代謝していくというシステム自体、
同時代の中国人にとっては人類の叡智の結晶にして至高の制度だったのだが、これが致命的にまずい。 >>147
江戸時代、朱子学は官学だったからまだまだ関心と研究の対象だった。
中国どころか朝鮮の李滉(退渓)や李珥(栗谷)が盛んに学ばれ、
江戸の朱子学は実質上、李退渓を読むのが仕事だったし、当然その著作はよく輸入された。
最低でも「日本の『近代化に』影響を与えたのは」と言い直すべきだろう
>>618
大陸浪人たちは中国人の「本音」ばかり見て、建前の持つ恐ろしさを舐めすぎていた。
だから日本軍は大陸浪人の情報やコネクションを元に現地の軍人を買収して懐柔したり、
中国人同士戦わせたりしてやりくりしていたが、突然来るカタストロフを全く予想できていなかった。
中国人なりの民族主義や近代化はただの綺麗事じゃなかったし、
一見直接の強さに繋がらなそうな、共産ゲリラの組織の書類や会議といった手続きの厳格さにも、すでに「近代」の芽が吹いていた。
少なくとも台湾残留の民主国勢力のような、水滸伝まがいの任侠に生きる山賊たちのよう(日本側掃討軍の伝)ではなかった。
好きであんな文化の違う国に住んだ大陸浪人っていう人種は、中国の後進性を酒の肴にする連中。
ある種の歪んだエキゾチシズムを好んでいたので、近代化の過程なんていう「見たくないもの」はあまり見ていなかった。 >>644
リンク先面白かった
今回の寄贈の目玉の『群書治要』っていうのは、
これもまた日本にしか残っていなかった『十八史略』みたいに、
いろんな本から引用して合わせた、いわば教科書的なものだったんだな
そういう本は通俗的なものだから中国で失われて日本に残るというパターンが多いのだろう
ただ十八史略は元代であるのに対して群書治要は唐代初期と古いので、
引用元自体が現存していない古い書物や版なので、貴重度が段違いだ
…といっても群書治要自体は清代にすでに里帰りしてはいるが、
習近平の父親の趣味の対象だったから中国の覚えもめでたいわけだ >>634
>三国志人気はゲームが始まり。
その前に吉川三国志があって次に横山三国志があって
光栄三国志はその次やろ 三国志は史実50フィクション50で史実が程よく脚色されてる感じ
水滸伝は史実1フィクション99で史書にあるほんの小さなことを空想で果てしなく膨らませたもの 郷紳階層は、ミクロでみると、いろんなことを手がけ始めているようにみえる。だからいろんな研究者が夢を見る。
でも大きなところでは、試験官僚制に取り込まれた存在で、結局の所、前代と変わらない。
試験官僚制の致命的欠陥は、政治社会のダイバーシティを徐々にしかし完璧に失わせるところにある。
だから、北宋ぐらいまでは多様性があるが、その後は消える。
これもおなじみ「なんとか学ガー」では反論にならない。
案外、世襲貴族制どころか、猟官制のほうがこの点では優秀だったりする。
試験問題をどう改革しても結局同じであることは、旧大日本帝国陸海軍をみればわかるw
欧米は古代以来の政治文化がぜんぜん違うので、これが問題たり得ているのはフランスぐらいだが、
近代日本の場合、どうしても他人事ではなくなる。煮詰まった明清など知らんほうが良いのだ。 >>651
ごめん、そうだった。
私自身、横山三国志全巻を読んでたことを忘れてた。
当時、ゲーム狂の中学生相手に史論を
論じ合ったあげくに、
論負けした記憶 (*^▽^*)ゞ があって、
ゲーム侮り難しという思いが強くなってた。 >>654
いまは、スマホのソーシャルゲームで三國志キャラが大人気だ
どれか特定のゲームというわけではなく、どんなゲームでもキャラとして登場する
おかげで、中高生や、日頃は歴史談義などとは縁のない専業主婦やキャバクラ嬢でも劉備や関羽を知ってる 「なぜ、日本のゲームに登場する人物は、三國志と(日本の)戦国時代ばかりなのか?」
というのは、ゲーム業界でも話題になるのだが、どうにもならないらしい
他の時代の人物を出しても、なぜか人気が出ない
カードゲームも、パズルゲームも、アクションゲームも、劉備や諸葛亮ばっかりだ 一騎当千とか恋姫無双とかもう女体化だけでいくつになるのか
知識が広まると次の作品の売れ行きにも有利だからな >>633
>東アジアで、(沖縄除く)日本だけがこの明朝的宗族システムの毒牙から免れ、後に近代化に成功することになる。
ええこれはどう考えても逆
というかイデオロギー先行で適当なこと書いてるように見える
「閑吟集」見ると室町時代まで庶民は通い婚でもっぱら養育権は母親のほうが強く
父はあくまで母親に種付けしにくるだけの存在でしかなくしかも通ってくる「夫」が複数いることもザラにあった
ところが江戸時代になると夫が家長として責任をもって妻子を養い妻はもっぱら家内のことを担当するという明や朝鮮とそうかわらない儒教的な家族道徳や性分担が普遍的になる
ただし沖縄は例外で家父長制全盛期の戦前においても父親より母親の発言権が強く祭祀を取りしきるのみな女性
15世紀に琉球に漂流した朝鮮人梁成らも琉球においては国王よりも王妃のほうが尊重されていると証言するなど父権的な本土とは対照的な社会構造していることがわかる そういう面はあるな
ていうか、日本の家族制度が本当に儒教的になったのは、明治維新の後だろう >>656
群雄割拠の戦乱期でないとゲームになりにくいか?
明清を通じて概ね平和。
なので明清中華ドラマも宮廷や後宮が舞台のことが多く、
スケール感が足りない。
中華ドラマ「大明帝国 朱元璋」の前半は
血湧き肉躍るワクワク感満載だったが、
後半が宮廷内ばかりの場面でちょっとダレてる気がする。
制作コストの問題かもしれないが。 >>663
朱元璋 ED
https://youtu.be/lkyicdGffhk
ワクワク感ありまくり。
太平天国香港編集版のOPも好き。
https://youtu.be/rlvp-43EKTE
いいのはOPだけ、肝心のドラマ本編は退屈でつまらないが。 太平天国って、
日本で言えばオウム真理教のようなカルト勢力だろ。
よくドラマにできるな。
中国政府は「邪教撲滅」を呼号し、麻原の処刑を当然視しているのに。 >>666
太平天国は公式史観では正義。
人民革命の先触れ。
志半ばで倒れた父祖たちの夢を共産党が受け継いだ。
ちなみに李自成も高評価。 >>653
試験だけでは能力はわからないもんな。
明の時代から同様の論議は幾度となくあったらしい。
状元になった人物が軍を率いたけど、
丸っ切り敗退してしまい、
挙句に水増し報告して体裁を繕ったことが明るみになったりしたし。
文官が軍に指令するのは
シビリアンコントロールの理想だが、
限界がある。
地方行政の実務だってどこまでタッチできるのか? >>666
看板は新興カルトだが、
参加した民衆秘密結社勢力や
少数民族勢力のネットワークは
古くから活動している。
王朝衰退期に民衆反乱の形で歴史の表舞台に登場。
朱元璋が加わった白蓮教徒勢力と大差ない。 >>666
『太平天国演義』のドラマ版は面白かった
八路軍の男女間のやばいこぼれ話とかをネタに入れている
内ゲバとか、共産党初期のゲリラ戦の言いたくて言えないことを仮託している >>653
>煮詰まった明清など知らんほうが良いのだ。
知らんかったら教訓にできんやろあほ 太平天国でも科挙を実施してるんだな。
女性科挙で女性が状元になったりと、
なかなか面白い。 「女性科挙」って書くと下品で俗っぽく感じる
ミスコンかなんかの一種かと >>670
「大明帝国 朱元璋」では
農村復興に尽力する役人がいて、
洪武帝に褒められると、
高すぎる目標を立てて
農民たちを鼓舞して
失敗する場面があって、
明らかに人民公社設立での
「大寨に学べ」運動を揶揄している。 >>653
せめて武科挙がもうちょっと機能していたらなあ。
地方官は一定数を武官にするとか中央の高官も一部はたすき掛け人事にするとか。 ひところは、中国でも言論や創作がかなり自由になってきた明るい時期もあった
習近平になって、再びナチス並みに統制が厳しくなってきている
今では、政府や共産党を揶揄するのも難しい >>675
ジャクギが大ヒットしたのを見て、政府は「タイムスリップ時代劇は、大衆の歴史観を歪める」統制批判し、タイムスリップ物を禁止した
主演の台湾人は「これでは何も作れない」と怒っていた 実際に主人公がどんどん追い詰められていろんなことがままならなくて
どう見ても清朝の王宮に民主的な考えや人権思想がないのが悪い、
っていう結論になってしまいそうだったからなw タイムスリップものってのは、「封建的な大昔の人間が、現代人の自由奔放な考え方に驚きあきれながらも魅了されていく」というのが最大のポイントだからな。
中国の場合は、現代の政治体制もたいして変わらんから、自由奔放にも限度がある(笑) それか、主人公の持っている知識や技術が昔の社会を圧倒するっていうのとか(「アーサー王宮廷のヤンキー」型)
大昔から来た人間が野性的な魅力とか超人的な武芸で活躍するパターン
ルオシー若曦はお菓子とかあと料理ぐらいか >>677
日本未公開の「走向共和」(共和に向かって進む)は中国国内放映禁止だろうね。
ネットでは全話見られるが。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLSS-SpVFJEO94PAeX3eG_x4KllnpH0oYe
李鴻章や西太后、袁世凱、孫文などを多面的に描き、
単純な悪役になってないばかりか、
日本ですら好意的に描いてた。
明治天皇なんて超カッコいい。
https://youtu.be/XA9YOKI3De4
公式史観と真逆という冒険的作品。
極め付きは、
「共和」に向かって届かない現実と
孫文が「中華民族は必ず共和を実現できる、そう私は信じている」
と結んでること。
現体制への批判そのものじゃん。 >>681
毛沢東語録を暗唱して、「なんという、素晴らしい言葉だ!」と清人から感心される場面があったな
いや、毛沢東の作った詩だったか? >>681
ジャクギの場合は、大河ドラマ「康熙王朝」や「雍正王朝」を見ていたおかげで、歴史の先行きをよく知っているというのが重要だった 中国人は、「次の皇帝の座をめぐる兄弟の争い」というテーマが大好きだ
兄弟殺しで有名な唐の李世民と、清の雍正帝は、歴史ドラマに欠かせない2大人気皇帝 >>685
二人とも名君として名高いから名君の暗部を暴くという面白さもあるんやろ 太平天国ときたら、
「ウォーロード/男たちの誓い」
予告編
https://youtu.be/NMu1Xg8RUL0
男たちが熱い。 >>685
過去の遊牧民族王朝の場合、
後継者をめぐる内紛で、
弱体化して短命で終わることが多いので、
一歩間違えれば清朝も同じ轍を踏むことになっちゃう。 >>686
大ヒットした雍正王朝に加え、ジャクギ・シンケイと、2年連続で雍正帝を巡る女のドラマが視聴率ナンバーワンになった。
おかげで、雍正帝のストーリーは、中国での認知度が極めて高い。
ドラマでの取り上げ方を見ても、功臣・年羮堯との対立のエピソードなど、
視聴者が知ってるのが当然という扱いをしている。
「古代に比べて、明清に有名な人物がいない」というのは、日本人ならではの感想。 >>690
遊牧民は独立自尊の気風が強く、兄弟間の争いが血なまぐさいものになる。
オスマン帝国もムガール帝国も、悲惨なエピソードに満ちている。 中国人から見た清朝皇帝って日本人から見た水戸黄門や暴れん坊将軍みたいな感覚だろうな >>634
SD戦国伝の続編で、SD明清伝を展開するとか >>693
実際に、役人の不正をビシビシ取り締まっていたからな
役人が賭け麻雀に興じていたら、次の日、雍正帝に呼び出された。
雍正帝は、手に麻雀牌を握ってた。役人は顔面蒼白になった・・・
というようなエピソードもある。 >>692
皇帝になるかならないかで、差が大きすぎる。
臣下にとっても、どの皇子に付くかは大きな賭け。 >>691
年羹堯の妹が雍正帝の側室年氏だとかああやってたなと思い出す
年羹堯は台湾でも中国でもよくドラマに出てくるし、その名が主人公としてタイトルに付いたドラマもあって
両方足したらなんと二十本を越えていた
清朝の人物で描き方に違和感が出てくるのはやはり日本でも有名な西太后(慈禧皇后)か
義和団事件時の西安逃亡までの人物像と、西安から帰ってきた後の開明派としての振る舞いのギャップ
前者の「女妖怪」のほうは改革開放期の映画『西太后』でお馴染み(主演は当時の人気女優・劉暁慶)
四人組裁判の後で、「自力更生」の鎖国体制を作って国を停滞させた江青をかぶせている
後者の「かわいいおばあちゃん」のほうは近年のドラマ(といってももう00年代か) >>698
中国の時代劇は、善玉と悪玉の色分けが露骨で極端だからな
最近は変わってきたが 中国の時代劇は明清時代がメインなのだから、日本で明清が注目されるには、アチラの時代劇が流行るのが一番
でも、かつての韓流オバサンたちも、華流時代劇はあんまり見てないみたい
中国は歴史ネタの宝庫で、韓国とは比べものにならないんだが 中国は視聴者人口が大きいので、
撮影に莫大な資金を投入できる。
そのため各地に巨大な映画セットが作られて、
大抵テーマパークみたいな観光地になっている。
その中の一つ、紫禁城実物大セットもある横店映画撮影城
http://www.cnta-osaka.jp/spot/culture/hengdian-world-studios
ここは「蒼穹の昴」でも使用された。
製作資金は豊富、映像技術も格段の進歩なんだが、
いかんせん共産党支配下の表現の制約が多くて。
はっきり言って面白さは韓流が上だと思う。 設定では11世紀の北宋仁宗の時代とされる
チャンイーモウ監督の「グレートウォール」の場合、
長城のセットを実際に20万個のレンガを積み上げて作った。
中国の会社が数百億円を提供したとも言われている。
内容は時代設定不明のトンデモ怪獣映画。
ともかく昔の中国は凄いと言いたいらしい。
あの長城は明代のものだよ。絶対。
予告編
https://youtu.be/B9xMPUVLjsQ >>638
洪武帝の場合、
1384 (洪武17 )年9月14日から21日までの8日間に集まった上奏文は 、
1160通 、その案件は3291件 。
1日平均400件
独裁者は働き者。 >>588
軽税国家なんで政府はほとんど民の厚生福利のために動かない。
政府が全く当てにならないので、民衆の間で互助組織が発達する。
○ ○会、幇とか名乗る政治的、宗教的、あるいは任侠的結社が大きな影響を及ぼす。 >>702
長城で史実に沿った中華防衛戦を描けば蒙古族と満族が嫌な気分になる
だから「今の中華民族」がまとまって外敵と戦う話を描こうとすると、
いっそ架空のモンスターと戦おうぜってことになる
ついでにハリウッドの白人スターを傭兵で主人公にすればアカデミーも狙えるだろと
ぶっちゃけ賞狙いのホワイトウォッシュかよってところがあとあと一番論戦になった
中華すごいんだぜ系の国威発揚の歴史系の意味なし大作ってだけなら、
もうレッド・クリフとかたくさんやってる
それらは監督や演出や俳優やカメラマン等多くの才能を無駄に疲弊させている
張芸謀なんてカメラ回した前で素人を勝手に動かして政府批判気味の低予算映画撮らせたら
それだけで西側でいくらでも賞が取れる人なのに >>676
武の世界まで科挙に毒されなくてよろしい
明代中期だって仇鉞が一兵卒から伯爵のように昇進ルートがある
現場を知らない頭でっかちよりも叩き上げの方が良い
張介賓だって世襲紹興衛指揮使で科挙なんて気にしなくて良かったから
医学研究に没頭できたわけだし >>695
洪武帝の方がもっとビビる
https://zh.wikisource.org/wiki/%E7%BF%A6%E5%8B%9D%E9%87%8E%E8%81%9E
「太祖嘗微行里市間」以下
国子監監生が居酒屋に行って相席になった爺さんと話してて
翌日なぜか皇帝直々の呼び出しで行ってみたら昨日の爺さんだった
良い感じのこと言ってたから按察使に任命されたけど
悪口言ってたらどうなってたのやら >>695
中国の現代ドラマにも水戸黄門的なものが
バスの中で勤務態度の悪い車掌がいると
そこに「どうしました?」と言って現れる中山装(人民服)姿の温厚そうなご老人
よく見ると…「あ、あなたは周総理!?」
という周恩来漫遊記のドラマが中国のテレビ黎明期にあったらしい >>648
単に元々論点が違うんだよな、、
俺にはお前を救えない、、
あなた虚空に向かって自分の言いたい事を述べてるだけだよ…… 清代のドラマやると辮髪ハゲになるからなぁ……
日本のちょんまげもそう変わらんが >>713
清初の辮髪令に対して浙東(浙江省)では激しい抵抗と反乱が発生する。
奇妙なことに隣の浙西(江蘇南部)では全く抵抗が起きないばかりか
中心都市の蘇州では1日のうちに全員が辮髪頭になったと言われる。
蘇州の文化人たちもこぞって進んで辮髪になって、その後も清朝に協力的であった。
明初洪武帝に浙東が協力したが、
浙西は抵抗したために弾圧冷遇されていたことの裏返し。
辮髪は単なる髪型ではなく、
思想や主義のような印を含むみたい。 >>713
日本のチョンマゲと
ツングース系やモンゴルの辮髪に
共通起源がある気がする。
兜を被るのに適しているからというのは取って付けた理由で。
尚武の気風の象徴であり、
まるで魂を込めたかのような強いこだわりがある。
単なる髪型デザイン以上の意味合いを含めて、
日本の武士階級に伝わっているんじゃないかなぁ? >>713
辮髪ハゲもチョンマゲもイケメンはやっぱりイケメン。 >>713
似合う人と、似合わない人に分かれる
明代の長髪も同じ 元朝支配下で多くの漢人がモンゴル式の
頭の前方を剃り、
後方の髪を編む辮髪のスタイルになってたのを、
洪武帝が禁止して、総髪にさせた。
清朝でまた辮髪になり、
中華民国で辮髪が切られ、と忙しい。
髪型は政治のスタイルを象徴する。 面白いのが清朝は属国の李氏朝鮮には弁髪令押し付けて無いんだよな
おかげで明朝時代の礼服や風習なんかが李氏朝鮮で受け継がれることに 新疆が版図になった際、
トルコ人たちは辮髪になることを申し出たが、
清朝は許可しなかった。 >>719
だが越南に胡服は着せてる
そういうのってどういう判断で決めてたのかさっぱりわからん さらっとスレ見たけど、なんと言うか話の通じない奴が居るな……
知識を出したいだけの……
恐らく同一人物か
知識ひけらかすにしても「ちなみに」とかの接続詞付けような
まあ明清の歴史好きな奴なんて変人だけだししょうがないだろうけど 最近知った明末清初じゃなくて清末民初って言葉がお気に入り
クソみたいなどうしようもない時代に、人間が何をするのかってのを見ていくのが面白い
清末のあそこら辺に出来た秘密結社が現代の反社会勢力へと(直接的ではないにしても、形式として。「幇」パンの字を未だに使ってたりする )繋がってるから、日本の暴力団とチャイニーズマフィアは性格が根本的に違うらしい。
設立時になんかしらの信念とかがあったり、自己防衛のためだったりして、フリーメイソンの暴力版みたいな感じ
言ってしまえば国民党も共産党も元は秘密結社って見方もできる 共産党は国を征服してしまった秘密結社、という言い回しを聞いたことがあるな >>721
ベトナムに胡服じゃ暑そう。
布を薄地にしてアオザイになったんだろうが、
ヒラヒラの布の分、汗でべとつかないか? >>724
ある地方の秘密結社が毛沢東の写真を掲げて忠誠を誓って共産党に加入する話は聞いたことがある。
秘密結社の連合体みたいなもの。
太平天国も同様。 清末民初も面白いよね
清室優待条件について、今大学の講義で聴いてるよ 満州語の本に書いてあったけどヌルハチが早い時期から天下取った後のことを
考えて学者を集めてなんでモンゴル帝国は長続きしなかったのかを研究させたとか書いてあったな
同じ時期に徳川家康も学者を集めて日本の法制を古代からさかのぼって研究させたとか >>727
ラストエンペラーで始めてその単語知った
面白いよね清末民初も
あんまり言及すると右翼左翼が沸いて来てしまうのがたまにキズだけど >>729
中国史スレがウヨサヨ論争の場になるのは、どの時代でも一緒
日本の話をしなけりゃいいんだが、どうしてもそうなる 右翼左翼なんて近代社会に特有のもんやから
アヘン戦争以前の前近代の時代に右翼も左翼もないやろ >>728
さらっと読み流してたけど満州語の本読めるってすごいな >>733
満洲語「についての」本、ってことじゃないかな、明末清初の時代の言語状況に関することとかね
まあいずれにしても、満洲語って非常に文法や音韻や表記体系(特に、有圏点満洲文字に移行して以降)が単純明快で、
日本語話者にも実は非常に理解しやすい言語なんだよね
基礎文法書と辞書さえ手元にあれば、あとはほぼ逐語訳で読めそうなほどだよ 満州語の文法は例外少な過ぎて殆ど人工言語にしか見えないぞ それほんとですか?
教科書辞典揃えれば独学でもできるのなら是非やってみたいのですが 昔の日本の幼児の髪型である芥子坊主がまんまモンゴル風辮髪なのは何か関連あるの? >>736
この他カテ過去スレを通読して参考にしてみてよ。
なお、「品切れ情報」のレスが書かれた後に、「出荷情報」のレスも書かれたりしてるから、よく気を付けて読んでみて。
↓
【満州語総合スレッド】
http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/gogaku/1349605120
まず初めに特に参考になりそうな書籍はこの4種類かな。
「満洲語入門20講」 大学書林
「満洲語文語入門」 京都大学学術出版会
「満和蒙和対訳 満洲実録」 刀水書房
「満洲語辞典」 松香堂書店
上の二つは比較的安価な基本文法書 兼 満洲語文献転載書で、書店でも割によく見かける。
下の二つは大著でかなり値も張るけれど、本格的に満洲語の文献を読もうと思うなら、とりあえず図書館かどこか、とにかくまず読める場所を見付けておくべき重要書籍だね。 >>738
うおお、めちゃくちゃサンクスです
幸運なことに近所に大学がありまして蔵書検索でそれら4点全て確認できました
来年辺りからぼちぼちしこしこ満州語を学習してみようと思います >>739
ひょっとするともうご覧になったかもしれませんが、
特に「満洲語入門20講」の後ろのほうのページには、動詞の活用の簡素な一覧が載ってます。
本当に極めて簡素な一覧ながら、実際その動詞の活用の一覧と、同書の中ほどページの代名詞の格変化の一覧、
それに基本的な格助詞を参考にすれば、
あとはもう日本語の擬古文を綴るような感じですんなり逐語訳していけますよ。
>>739さんのお話ですと、来年どころか今週末、いや、それこそ明日からでもすぐ学習・講読できると言ってもいいかもしれません。
思い立ったが吉日、ぜひどうぞ。 そうそう、ご近所が大学図書館さんなら、
「満洲語文語入門」(京都大学学術出版会)の旧版に当たる、
「満洲語文語文典」(京都大学学術出版会)もあるかどうか確かめておかれるといいですよ。
両書は実質的にほぼ同一内容の本である一方、
「満洲語文語文典」のほうは「満洲語文語入門」に比べて分量が多く、通読するにはかなり重厚な印象の本ではありますが、
満洲語文献の満洲文字原典の複写などの分量も「満洲語文語入門」より多かったりしますので、
さらに読み応えがあります。 満洲語の教科書や辞書は中国で出ているものでいいのがあるからそっちのほうが便利
中国語ができればね 俺も、初等文法と基礎語彙をちらっと見たぐらいだが、この言語、日本人には中国語を挟まないほうが容易に理解できそうなんだよなあ。
そりゃあ中国語の書籍が圧倒的なのは当然なんだけど。
英語のテキストしかないから仕方ないが、英語を挟むと何もかもがやたらと面倒になる少数言語ってわりとある。
そういえば、清朝に仕えていた欧米人は、かなりの後代になるまで、中国語より満州語を駆使する人が多かったらしい。
表音文字表記で、しかも格文法がわりと明確な膠着語だから、
(たとえ欧州言語の多くと満州語は語順は違っても)、複雑怪奇な表意文字&語彙力勝負の中国語より習得しやすかったそうな。 >>743
まさにそのことでね、
今てもとに本が無いからすぐには確認できないんだけど
>>743に挙げた「満洲語文語文典」か「満洲語文語入門」のどちらかの中で
「文典」著者かつ「入門」共同編著者の河内良弘博士(同じく>>743に挙げた「満洲語辞典」の編著者でもある学者さん)が
「満洲語の語法は欧州諸語や中国語よりも日本語に近いので、日本語話者にとって、満洲語に関する解説は日本語が最も適切」
という趣旨のことを、はっきり言ってる。 >>744 の各アンカーを訂正。
>>743
まさにそのことでね、
今てもとに本が無いからすぐには確認できないんだけど
>>741 に挙げた「満洲語文語文典」か「満洲語文語入門」のどちらかの中で
「文典」著者かつ「入門」共同編著者の河内良弘博士(>>738 に挙げた「満洲語辞典」の編著者でもある学者さん)が
「満洲語の語法は欧州諸語や中国語よりも日本語に近いので、日本語話者にとって、満洲語に関する解説は日本語が最も適切」
という趣旨のことを、はっきり言ってる。
(>>743 さんへ)
アンカー間違いで>>743さんのレスの直後をややこしいことにしてしまって、ごめんなさい。 宮廷図書館が近所にあってこれほど感謝したことありません
南明史を満州目線からも見てみたいという変態的願望がありましたのでこれでなんとかなるかもしれません(笑) 欧州における中国研究は、清代に作られた満漢対訳の書物や
諸文献の満語版を頼りにしてかなり進歩したという
また有圏点満州文字は満洲語を離れた発音記号としても使えるもので、
五体清文鑑という満・漢・蒙・ウイグル・チベット対訳辞典では満語以外の言語の注音にも使われている
漢語独自の発音を記録するために子音文字が準備されていたり、
それを応用して京劇の台本の「読み仮名」として使われていたりもする
(京劇の言葉は今の北京語よりも古い発音を伝承している)
日本では幕末期に外交文書を通じて清語(満洲語)が知られ、
研究を命じられた高橋景保が独学でマスターしたが、
その速さは対訳辞書のおかげと、日本語との構造の類似もあるだろう >>728
まだ通読していないから、こちらの勘違いならば申し訳ないけれど
その本って、ひょっとして、これ?
帝国を創った言語政策 ダイチン・グルン初期の言語生活と文化 (京都大学学術出版会) ダイチン・グルンだのジョチ・ウルスだのと新しぶって余計なことしやがってwww
グルンもウルスも基本、「国」と訳したらそれで終わりな単語だろw >>749
新しいも何も、清の正式な国号の満洲語式の呼び方がそうなってたんだけど。
そもそも、>>749 の本の著者さんはシベ語のネイティブスピーカーだよ。 あ、「>>749の本」じゃなくて>「>>748 の本」ね。 >>750
それまでの日本語への「翻訳」「訳語」っていう行為を
なんでわざわざ否定しなきゃいけないんだって話だよ
原語がそれだっていうのは元から承知だよ
ネイティブ話者だからって日本の歴史用語を改変しようなんて意図はないと思うから、
これはその前から新しぶった新進気鋭()の余計なことする日本人研究者がいたんだろ >>752
てか、清史を扱った本の書名で満洲語国号を書いてるのは、別にその本には限らないよ
どういう意図でレスしてるのか知らないけど、何もそこまで目くじら立てなくてもいいじゃない?
満洲語事情や満洲語文献を主軸にしてる内容なら、なおさらだし >>753
過去に出た比較にならないほどより多くの文献ではダイチングルンなんて言っていないだろ
伝統と蓄積があるのにそもそもなんで言い換える必要があるのかっていう話
新しぶっていると言われて神経質に目くじら立てているのはそっちだろ 清という王朝の行政システムが、今のEUの方式を先取りしたような多言語同時併用方式だったことを忘れるべきではないだろうね。
満漢二体合壁や満漢蒙三体合壁が行政の現場でごく普通に行われていた。
場合によってはチベット語やウイグル語も併用されたし。
満文の併用が後代になるにつれ形骸化していく流れはあったにせよ、例えば乾隆年間に至っても、それは普通に機能していた。
乾隆帝自身が満洲語文で指示を出している史料はたくさんある。
漢文だけだと、清の社会や政治などの様相について、つかみきれない部分はどうしても出てくるよ。 >>757
清朝末期の言語事情だからね。
でもその頃にも満漢合壁の方式自体は廃止されず、ずっと続いていた。
例えば康熙年間の頃だと、康熙帝その人自身が満洲語・漢語・モンゴル語のトライリングァルだったほどだよ。 >>756
清朝における多言語社会の重要性、満語の重要性は論を俟たない
しかし、蒙古人やチベット人やウイグル人は一語一句違えずに「ダイチングルン」と呼んだのか?
欧米社会はどうだった?そうしなければこの国を正当に捉えたことにならないのか?
日本の歴史学界で清朝を清と呼んだら間違いなのか?それは「漢文でしか清の史料は読まないよ」
という意思表示になるのか? >>759
あのー、ちょっと
仰りたいことって何ですか?
ここのところ、スレの流れとしては「多言語社会」としての清の背景の話が続いてるってだけなんですが
なんでそんなに詰問調? 簡単な質問なんだから黙って答えればいいのに
答えに詰まったからって意味わかりません、は卑怯だよね 質問が重なったからって詰問だの何だのと
相手の感情や態度を決めつけるのも卑劣な話題そらし >>759
一応ひととおり答えておきましょうか。
満洲語(文語) : ダイチン・グルン
漢語(北京音) : ター・チン
モンゴル語(文語) : ダイチン・グルン (※国号としてはモンゴル語圏にも満洲語由来の名称が導入されていた)
チベット語(ラサ音) : チン・キェー・ラプ
ウイグル語 : ビュユク・チン・スラルィスィ
西洋では、漠然とならシーヌとかチャイナとかキタイとかキャセイとか呼んでいたでしょうし、
王朝名で呼ぶなら例えばチン・ダイナスティとかでしょうが、ダイチン・グルンの名も専門家の間では或る程度知られていたでしょう。
既に上にも議論が出ていますが、むしろ満洲語のほうが欧州人には馴染みやすかった事情もありますからね。
それから、清は漢語圏の王朝でしたから、(後金からの改称後は)清と呼んで間違いではないですし、
もちろんこのスレでも、清という漢語式の国号自体が間違いだとは、どのレスの誰も言っていません。
そして、清は多言語併用を基礎とする王朝であったことは既にここでも度々話題に上がっていることであり、
漢語・満洲語・モンゴル語・チベット語・ウイグル語のいずれも、清を一次史料から研究するためには非常に重要な言語です
さて、御用件は何ですか? >>760
よくある、パヨクの中華至上主義者なんだろ 文法は明快で論理的でわかりやすい。発音も明快だ。
読みやすく習得しやすい文字を持っている。
17世紀の中華を治めるだけの政府機関や公文書を十分に記述できるぐらい、固有語の高級語彙構築・造語力も十二分で、
かつ(読みにくそうだけど)中国語の取り入れ力も、日朝ベトナムに十分に肩を並べられる柔軟さを持っている。
欧米人も積極的に習得に取り組むほどで、文明史的役割も十分に果たした。
そんな17世紀のハイスペック言語が、21世紀の今では
(動態保存というかリアル世界のタイムマシーンとなったシボ語を除き)ネイティブ話者0人、文語としての使用者すら0人という
事実上の絶滅状態に転落してしまったのは、どういうことなんだろう?
もう世界言語史のミステリーに近いレベルの不思議な事態だと思う。
>>756がホルホルするほどに、このミステリーが際立つことになる。
清朝は自国語たる満州語の言語政策について致命的な失敗を犯したと断言せざるを得ない。何が致命的だったのだろうな。 満州語が単純明解になったのは結局彼らが靺鞨と名乗っていた時代からの絶え間ない中国語との言語接触の影響だろう
他のツングース語は満州語と比べて乱雑である
女真文字を作り漢人の真似をした結果、どんどん中国語に引き寄せられていき
中国語から借用をする位なら初めから中国語を話していた方が便利な状況になった
考えてもみろ
abdahaと言うよりもyezi
indahunと言うよりもgou
と言う方が遥かに短くて済むのだ 満州語による文芸や演劇作品はなかったのかな?それがないと厳しい
逆に日本語は大量の「薄い本」が出版され続ける限り安泰だ
しかし最近は薄い本さえ英語やポーランド語それにアラビア語とペルシャ語に翻訳され始めている…
仏教経典の翻訳はおそらく原典であるチベット語のままの方が有難いとされたろう現状から推測するに >>766
okaasanやeomeoniよりma1
umaやmalよりma3
の方が楽だが日本語や韓国語が残存している理由はナショナリズム? >>768
単純に人口の差でしょ
もともと寒冷な地で半農半牧する女真人は農民である漢人と較べて圧倒的に数が少ない
漢人を完全支配して元々の居住地から離れて各地に散ってしまった結果多すぎる漢人と同化した方が生活が楽になる
遠くの親戚より近くの他人 >>765
旗人(民族の内訳としては本来の満洲人だけではなく、漢人やモンゴル人など様々な民族が含まれていた)には満洲語の習得が義務付けられていた一方、
旧明国地域の漢人には科挙首席・次席合格者を除いて満洲語の習得が禁じられていたことが、その要因として非常に大きいのではないか。
むしろ旧明国地域でも満洲語の習得の義務付けがもしあったならば、その後も使用人口が一定以上継続した可能性があるとも考えられるが、
漢人一般層の満洲語の習得を禁じたため、結局は満洲語の側が漢語の側の使用人口と文献の多さに圧倒される展開になり、
満洲語は清の版図全体でのリングア・フランカになり損ねたのだろう。
その一方、満洲語はトゥングース諸語圏(広くはモンゴル語圏の一部も含め)では充分にリングア・フランカの機能を長らく持っていたのだが、
その後の漢語やロシア語の浸透で、その地位も失うことになった。
さらに、辛亥革命ののち、清の時代に版図の各地に設置されていた駐防(旗人の集住・駐屯地域)が廃止され、
駐防で長らく続けられてきた満洲語の伝承・習得の環境が決定的に減少したことが、満洲語の脆弱化の決定的・最終的な要因となったと言えるだろう。 >>771
俺もそう思うんだよ。モンゴルと違い、科挙を継続したままで、(漢語科挙の)合格者は上位2名を除き満州語社会から締め出した。
そのくせ、満漢偶数制で、漢語科挙の合格者を行政のかなりのレベルまで登用した。
一見、旗人支配を強固にする政策のように見えてこれは大失敗だった。
科挙自体をやめて、シナ全土への旗人単独支配を貫徹するか、あるいは科挙合格者に広く満州語習得を義務付け、
満州語を行政の作業言語として漢民族に広めていくか。
これ、作業言語をどうするかという問題が核心だろう。
そういえば、EUも90年代以降、作業言語は英語一択で、実務レベルではフランス語を使う会議すら全く存在しなくなったらしい。
EUのような建前は、むしろ多言語社会をすりつぶす害悪でしか無い。きっと清も同じドツボにハマったのだろう。 >>767
例えば三国志や金瓶梅などの満洲語ヴァージョンは実在するし、実際、満洲語関連の重要文献の一つとされる。 >>767
仏典について言えば、
漢訳の大蔵経でいうところの三蔵(「経」と「律」と「論」)の分類が、
チベット語訳の大蔵経では仏説部(「経」と「律」を包括)と論疏部(「論」)の分類とされる。
そして、チベット語訳の大蔵経の流れを汲むモンゴル語訳の大蔵経では、仏説部と論疏部がどちらも作られた。
一方、同じくチベット語訳の大蔵経の流れを汲む満洲語訳の大蔵経では、仏説部は作られたが、論疏部は作られなかった。 >>773
EUで、いわゆるブレグズィットがどうなるか、
ひょっとするとUKが脱退そのものを撤回するか、という可能性も考えられる状況ではあるけれども
もし本当にUKがEUを脱退したならば、英語はどうなるだろう?
UK以外にも、英語はアイルランドとマルタの公用語ではあるが。 満洲語で通すにはモンゴル語の存在が大きすぎたのかも。
モンゴル族を満洲族とほぼ対等の存在として遇するには漢語が一番好都合だったと。 >>773
フランスが関係する国際学術会議の公用語が、多くは英語になっている。来月もそういうカンファレンスがあるが、
英語だけでよく、フランス語を使わなくて済むから、フランス語が不得手な自分としては助かる。 >>765
語彙はお話にならないくらい貧弱で、
同義語の多い漢語からの翻訳は、いくつもの漢語から同一の訳語だらけにするか、
即席の借用語だらけか、苦し紛れのなぞり表現だらけにするかしかない
(「人民」をniyalma(人) irgen(民)って訳すとか、それirgenだけでいいじゃん)
感覚的な擬音語・擬態語も多く、主観的な表現だらけ
文法も使役と受け身の区別すらできない
単語が長いからか「かばん語」による造語も多いが、意味不明になりやすい
元々がツングース語から母音調和や細かな文法表現を取り去ってできたクレオール言語
広域的な通商と軍事ぐらいにしかメリットがなく、しかも方言差も馬鹿にならない
漢語に対してはローマ人がギリシャ語を習い続けたのよりはるかな格差があるよ
なおシベ語は綴りと発音の乖離がひどすぎて現代の話者に相当の負担を強いている >>769
言語上の問題を扱っているのに、ウヨウヨ言ってるんじゃねーよ。
そんなこと言っているからパヨ呼ばわりされるんだぞ。 >>779
しかしそれは言語特性の一部について語っているだけだろう。
(例えば、受動と使役の区別については、直接的に混同が起こる表現を回避すればよいのだし。)
方言差についても、文語には一定程度の共通性がある。
漢語に比べて使用人口や文献の蓄積が少ない点ではモンゴル語も或る程度そうだったが、モンゴル語はその後も充分に存続している。
抽象語や格式表現の充実に関しては、宗教的背景も考えれば、漢語の他にチベット語から導入する方法もあっただろう。実際、モンゴル語はそうだった。
そして何よりも、実際に、無圏点満洲文字の制定〜有圏点満洲文字への移行〜辛亥革命まで、行政用の言語として使用されていた事実がある。
少なくとも清朝中期までは行政の実務の場の言語としても確実に機能していた。 モンゴル語はチベット語との長期の接触によって豊かになったが、
満洲語は漢語と正面から向き合いすぎた
高位の貴人も王族も乳母や嫁や妾が漢人ばかり、生まれてくる子は漢語で育つ
清代における言語改革は後手で受け身。衆寡敵せずというか、どうしようもなかった >>780
いきなりパヨって言い出したのは764君なんだ😆 >>779
民族の原住地を考えれば、あれは上等も上等、超ハイスペックだよ。
官職名など、日本の奈良時代の律令官制の和語名を彷彿とさせる冗長さだが、ネイティブにとっては見た目ほど鬱陶しくはないだろう。
それに、ヴォイスやテンスが貧弱なのは、中国語、特に文言も同じこと。
文言に至ってはヴォイスもテンスもアスペクトもなく、まともなコピュラすら無い。
それでも殷周から民国まで3000年以上中華文明を支えてきたばかりか、東アジア唯一の共通語たり得てきたのだから、
そんなことは、どうってことでもないわけだ。 「唐宋在日本、明朝在韓国、大清在中国、民国在台湾」
唐宋文化は日本にあり、
明代文化は属国の韓国にあり、
民国は台湾に移って、
現代中国には清文化が残っただけとする、
中国人の自虐ネタ。
清の文化が劣っているという意識があって自虐が成立するネタ。 中国語ネットで
「漢唐在日本、大明在韓国、民国在台湾、満清尚在中国」
というのもあった。
清は版図の面で偉大なのに。 >>785,786
越南は?
胡服のアオザイなんか着てるから清か? >>788
唐在日本、宋在越南、明在??国、民国在台湾、文革中国在朝??
とかいうブログがあった。
越南に宋が残ってて、
文革時代は北朝鮮が継承したらしい。 何かウヨウヨ言っている場違いな馬鹿チンがおるな。
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ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ スレと関係ない口げんかする者らは、どっかよそでやってくれ
スレと関係ないことでもどうしてもここでやり合ってやると言い張るなら、
いっそ、満・漢・モンゴル・チベット・ウイグル五体合壁でやってみてくれんか
できないなら、関係ない口げんかは、もうするな
あ、そうそう
ついでに言っとくが
例えば日漢二体合壁の口げんかとか日漢英三体合壁の口げんかとかもスレと関係無いから、ここでは、しないでくれよ ウヨサヨよりウンチク自慢がしたいだけでしょみんな
これも日本ホルホルに取って欲しくないんだが、周作人はどこかのエッセーで
「日本人の選択眼は恐ろしい。中国に学んでも唐からは宦官制度を学ばず、
宋からは纏足を学ばず、明からは八股文を学ばず、清からはアヘンを学ばなかった」
みたいなことを言っていたらしい 記憶を頼りにぐぐってみた↓
https://zhidao.baidu.com/question/1822292343521947708.html
なるほど日本こえーという気もするが、日本は日本の事情や制約でこれらを入れていないだけな気もする >>794
いや、最近は以前ほどじゃなくなってきたが、中国史スレでの中国アゲ・日本サゲは執拗を極めている >>794
そもそも、「人体の一部を切る」ということ自体、日頃から家畜の去勢を日常的にやっている牧畜民族ならではの発想 日本人がテン足なんかやるわけない
テン足した足じゃ、農家は田植えができないし、武家は戦争も逃走もできない 纏足って南唐の皇帝の個人的趣味が発祥なんじゃなかったっけ? 纏足は中国人が小さい足に興奮する足フェチだったからだし… >>795
こんな場末の議論でのアゲサゲなんて人の好み、個人の解釈だから別に良いじゃんと思ってしまう
ここに来る人がそれ読んで洗脳されるとでも?
専門板に居る人なんて絶対に自分の意見を曲げない頭のかたい人ばかりだろ
私もそうだ てんそくって朝鮮やベトナム、モンゴルとかではやってたのかな? >>801
やってないでしょ。
わざわざそうする必然性も経緯も価値観も無かったことだから。
中国内部でも例えば客家人は伝統的にやってなかったし。
まあそりゃそうだ、男女問わず勤労価値観が非常に高いうえに居住環境それ自体が厳しいことが多かった客家人社会で、
円滑な歩行を無理やり困難にさせるという選択肢は有り得なかったからね。 >>800
そんなことないぞ
少なくとも自分は、簡単に誤りを認める(笑) まあ、でも、世界史板では、右翼も左翼も以前ほどではないな 昔に纏足ついて少し調べた本には当時の中国人男性達は小さい足に非常に強力な性的魅力を感じていたと書かれていた気がするが、だからって一般人までそこまでやるもんかね 纏足は、「うちの娘・嫁は有閑マダム(候補生含む)なんです。働くのは男たちと下男下女だけなんですわ。」という自慢なんだよね。
実際、経済的余裕が無いと娘に纏足を施せないし、纏足女性を嫁にもらえない。性的なものは多分後付け。 >>796
その言い回しは俺が3日前にニュー速+に書いた事そっくりだね
そこでは割礼について書いたから去勢の発想だと言ったんだが、
お前はなんで人間を去勢して宦官を作る話と家畜の去勢とを結びつけるのに
わざわざ「人体の一部を切る」なんて抽象化した言い方をするの?
「人間を去勢」って言えばいいだけじゃん >>801
モンゴルは女性も乗馬するからやらない。
モンゴリアンブーツ履けなくなる。 洪武帝の馬皇后は纏足してない。
「大脚馬皇后」という中華ドラマがあって、
馬皇后の偉大さを讃えている。
だが、天下の母の模範に愚かな臣民どもは見習わなかった。 >>812
ほんこれ
凌遅刑とか日本にはようできん >>810
一方、満洲族は纏足禁止なのに擬似纏足に熱を上げるのであった >>807
お歯黒……いったい何処から来た風習なんだろうか……
その昔は男性もやっていたと言うが、、、
お歯黒してたら何かの作用で味覚がおかしくなりそう、もしかしたら江戸時代の嫁って平均的にメシマズだったかも…… お歯黒なんて気持ち悪いだけで美しくも可愛くもないんだから化粧ではなかろう
しかも既婚BBA専用で未婚の若い娘はやらん
あれは何かの呪術的な意味合いのものではないか お歯黒って、どうやらもともとは虫歯や歯周病の予防目的らしい。
平安時代には男女問わず貴族の習慣だったね。 お歯黒は魅力を下げて浮気させないためと聞いたことがあるが旦那は自分の妻がキモくなってそれでいいのだろうか お歯黒は、食事が加熱した糖質中心に大きく偏るのに、体質的にエナメル質が薄いため、虫歯が大変多いという、
縄文時代以来日本人がもつ深刻な歯科的問題への対応として、虫歯予防のために広まったんじゃないの?
縄文人の虫歯率は、集約農耕を行わない中石器時代相当の民族としては驚異的に高いものらしい。
理由は、どんぐりの澱粉に偏った食生活。
この問題は、本格的な稲作・穀物耕作が普及する弥生以降も悪化こそすれ、改善されることは全くなかった。 つまり炭水化物摂りすぎか
ローカーボの代わりにお歯黒を流行らせてみたいな
いやあまり見たくもないけれど >>821
そもそも白い歯に清潔感と美しさを感じるようになったのが、近代以降だろう。
特に歯磨き粉のテレビCMで白い歯が美しいと我々は刷り込まれているわけで。
現代人の感覚で考えてはいけないと思う。 電気照明がな夜は真っ暗で、歯の色なんか分からないだろうが 電気照明がなかった時代に、夜は真っ暗で歯の色は分からなかっただろう
その効果を計算に入れてみると、「歯を見せるのを嫌った」とも考えられる
白い歯は、闇夜でもそれなりに目立つからな まあ、足が小さいのは女性の特徴のひとつなのは事実で、女性性の象徴としてフェティシズムの対象になっても不思議はないか 中国史スレで、すぐ日本の話ばかりになるのが不思議なんだが。
自分は中国史マニアだが、日本史についてはそれほどでもない。
そういう人は少ないのかな? 日本だろうが中国だろうが歴史なんか全く興味ありません http://news.livedoor.com/article/detail/15142721/
蒼井そらさんに「英雄侮辱」批判=赤いスカーフ着用で−中国
【北京時事】中国で人気のある元アダルトビデオ(AV)女優、蒼井そらさんが慈善イベントで「革命の英雄の鮮血」を示すとされる赤いスカーフを着用したことに批判が集まり、
イベントを主催した中国企業が刑事責任を問われかねない事態となっている。
10日付の中国紙・北京青年報が伝えた。
赤いスカーフは、共産主義を学ぶ少年、少女の全国組織「中国少年先鋒(せんぽう)隊」の象徴。蒼井さんが赤いスカーフを着用した動画がネット上に出回ると、「蒼井さんのイメージはスカーフと全く合っていない」という批判が噴出したという。
同紙は「(蒼井さんの着用は)赤いスカーフに対する侮辱だ」と主張した。
なんだこれはたまげたなあ
AV女優が特定の物を身に着けただけで刑事責任とか文字の獄の頃とほぼ変わってないじゃないか! >>832
最近も、自宅でテレビ出演して政府を批判した大学教授のところへ、番組終了まで待たずして警察が押し寄せるという事件が起きた。 紅灯照の頭目が元売春婦だったからそれを連想して警戒しちゃったのかも なんで紅灯照を警戒すんなん
共産党は紅灯照を称揚してるやろ
革命的英雄やで 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 正徳帝で卒論書いたけどもう四半世紀前だし忘れちまったな 正徳帝の魅力を教えてください。
劉瑾の跋扈やラマ教趣味ぐらいしか知らないもので。 >>839
おぉ、それは素晴らしい 明代史で卒論書くのが既に尊敬、私は切り口が見つからず、清初で卒論書くことにしたので… 自分のことを「大将軍」とか言って遠征しまくるヤバさ、劉瑾に「皇帝の座?欲しけりゃくれてやる」って言っちゃうヤバさ、ラマ教にハマるという謎のスペックの高さ
でも死ぬときには「朕は間違ってたかも知れぬ」と実は自覚していたと思われる発言 王朝が安定した故に生まれたと言える、退廃的な感じが私は溜まらなく好きです 聖人君子でなくとも、
普通の人でいてくれたらいいのに。 劉瑾、王陽明と、歴史上の有名人が次々に登場するので、時代劇のネタとしては美味しいキャラだろう。 デタラメなワガママぶりは、ローマ帝国のカリギュラ帝を彷彿させる。
よほどの政治力がなければ、いくら皇帝でも無理を通せない。
周囲が言うことを聞かなければ、それまでだ。
有能な人物だったのは確かだろう。 永楽帝みたくなりたかったけどそんな時代じゃなくなってた 寧王の乱が成功してたら、寧王が第二の永楽帝になってた 奇人変人皇帝としては、ファーティマ朝の第6代カリフ・ハーキムと並ぶ東西の両横綱 戦争ごっこやって遊びたいとか、常識の範囲内で理解できることやん
「皇帝ともあろうものが」ということさえ目瞑ったら
ハーキムのほうは常人には理解不可能や 正コ帝、雍正帝とは違った面で皇帝独裁を体現した人物かもしれない そこが、明のバカ皇帝たちの不思議なところ
明らかにバカ皇帝なのに、周囲はどうすることもできない
死ぬまで絶対権力者 ラストエンペラー、終わった。
ラストサムライでも感じた違和感、これも同様で、結局、欧米人視点の映画だってことだな。 日本ではバカ殿様は強制的に隠居させられたり一服盛られたりするが、
シナではそんな話はないのか 嘉靖帝も、若い頃はそれなりに優秀だったが、やがて、まったくの引きこもりオヤジと化した
不思議なのは、それでも、何十年にもわたって最高権力者でいられたこと
嘉靖帝の地位に挑戦しうる者は、死ぬまで出てこなかった しかし、嘉靖帝が若い頃は優秀だったというのも、疑問符がついている
先帝・正徳帝の悪臣たちを一掃し、朝政を一挙に刷新した手際は見事だったが、これは「正徳帝が、死の直前に周到な手を打っておいたから」という話もある しかし、もっと徹底的な引きこもりは、万暦帝だった
日本の野党が国会に出ないでサボタージュしたのは18日間だったが、万暦帝はなんと25年間 崇禎帝のようなやる気ある人がどれぐらいに現れておけば明は助かったの?
天啓帝の時には手遅れなんだろうけど 崇禎帝は猜疑心が強すぎたのが痛かった。
名称の袁崇煥を処刑さえしなければ… >>864
それは俗説じゃん。
まぁ後継の康煕帝の治世前半は、
オボイの乱や三藩の乱などで、
いつ滅亡してもおかしくない状態であったけれど。 弘治帝が即位できたのが明朝存続のかなり重要なポイントだよね
万貴妃に悟られないように密かに育てるとか凄い
弘治帝も堕落せずそつなく政務をこなすとか偉すぎる 明王朝末期の進士、鄭マン(マンの字はおおざとに曼)は文才と声望で世間を騒がせた。
しかし明朝最後の皇帝、崇禎帝の御代に派閥争いに巻き込まれた挙げ句、
「母を鞭打ち、妹を犯した」かどで告発され、大逆非道の罪を着せられた。
帝は非情にも自ら「凌遅」に処すよう指示したのである。
崇禎12(1639)年、八月二十六日の早朝、鄭を北京皇城西の甘石橋下の四牌楼の刑場に連行するよう、聖旨があった。
すでに小屋が造られ、前には先が二股の柱が打ち込まれている。首切り役人達は鉄鈎と小刀を研ぎ澄ました。
午前十時ころ、牢役人が鄭を刑場に連行した。彼は柳の枝の籠に座ったままで、 召使いの少年に後事を細かく託している。
すでに周辺の道も空き地も黒山の人だかり、やがて西城察院の長官が人だかりを掻き分けて到着し、
声高らかに聖旨を読み上げた。
「法に照らして三千六百刀!」
首切り役人達が一斉に 唱和する。
爆竹が三度はじけ、刑は執行された。
群衆は一層騒がしくなった。ある者は首を伸ばし、ある者は屋根に上がり、切り刻みの様を見物しようとする。
しかし群衆はあまりにも多く、少し 離れれば刑の執行など見ることも出来ない。
かなりの時が過ぎ、件の二股の柱に血の滴る新鮮な心臓と肺が吊り下げられた。
又しばらくすると今度は生首が吊り上がり、更に胴体が吊り下げられる。
その肉体は細かい麻糸のように切り刻まれており、まるでハリネズミのよう。
肉は削ぎ落とされてはいなかったのだ。
刑の終了が宣告された。将校が皇帝に執刀回数を報告するため、早馬で駆け出していった。
首切り役人は鄭の遺体を引きずりおろし、肉を細切れにすると売り始めた。
群衆は競って買い求める。吹き出物の薬にするためである。 崇禎帝の建て直そうとて努力して足掻いても悪い方へ悪い方へ進んでしまう状況は泣けるわ 崇禎帝が名将の袁崇煥を疑って凌遅三千刀にしてしまったのは致命的だった。
だから袁崇煥の子は「後金」のころから満州族に寝返り、子孫はそのまま清の末期まで忠実に仕えた それを言ったら、楊家将なんて、主役は楊六郎で、準主役は五郎と七郎、脇役は四郎だが
一郎から三郎までは端役 >>873
朱重八の兄貴たちみたいに地道に農業やってたんじゃなかろか 崇禎帝も結構暗君だよね
万暦帝というとてつもない暗君のおかげで霞んでいるのと
魏忠賢を排除したことが評価されているんだろうけど >>878
いかにも共産主義らしいモノの見方だな
日本じゃあんまり教わらないから面白い いや、共産主義でなく、ここ15年ほど世界の史学界で流行している環境史的視点だろ。わりと常識的、日本以外では。
なぜか日本だけは環境史が流行らないんだよな、日本人には理系的なものの見方が理解できないからかもしれん。 あと医学史もだね。これはここ30年ほどの日本人史学者らの研究がその進展に大きく寄与しているが、やはり医学史は日本人だけは理解できない。
これらをもとにさまざまな歴史を統合した、所謂グローバルヒストリーが常識化しつつあるが、これまた歴史に疎い日本人には理解されない。 >>880
日本人のど文系歴史学は、そういう視点をやたら嫌うよね。
ちょっとスレ違いになるけど、日本の源平の戦いについて、
「温暖期のピークでチベット高気圧が強く、西日本や北陸が旱魃に悩まされる一方で、東日本太平洋側は温暖多雨が続いたため、
関東を基盤とする鎌倉政権が、西国を基盤とする平氏政権を圧倒した。
東北の奥州藤原氏は雑穀農業に基盤があったため、温暖な気候は彼らをよくサポートせず、むしろ南側の関東勢の北進をアシストする格好になった」
という説を書いたら、感情的嫌悪感丸出しのレスがつきまくってフルボッコだったわ。
(当時の各年の具体的気象条件については、当時の記録などからある程度の推測ができる)
なにか日本の文系くんにとっては、「人間の活躍が後景に退くような歴史観は、不愉快で気に入らない」らしい。 そういう人は、
「宝永大地震&富士山大噴火で元禄の繁栄の終焉、綱吉政治の批判高まる」
「浅間山大噴火で天明の大飢饉&打ちこわし、田沼意次失脚」
なんてのも信じないのかね 環境史的に言えば
「明史」には無いんだけど
「釈鑑稽古略続集」3、「明太宗実録」1、「奉天靖難記」1によれば
建文帝の時代に蝗害が発生していたらしい
食糧が無い状態で雲南や甘粛からも兵を動員したのが
建文帝の敗因のようだ >>880
まあそうなんだけど
こう言うモノの考え方って共産主義者に受け入れられやすいのは確かだろう >>886
唯物論だからなぁ
伝統中国科学史を研究して中国ナショナリズムの高揚と偉大なる中華文明の宣伝に尽力した科学史家のジョセフ・ニーダムは
ニーダムグラフなど自然科学の意匠を取り入れて物質が規定する人間の歴史という視点が一貫しているし
その政治と経済の形態から中国やインドを「大陸型国家」「官僚封建制」とし西欧と日本を「海洋型国家」「軍事封建制」として分析したが
非教条主義的なと評されるしかし唯物論的マルクス主義者であり続け
その政治的な意思による中華文明礼賛は中共に彼を「極めて有能な自発的工作員」として高く評価させるものだった 明清期の研究って、
文字資料が多すぎて、読みきれず、
却って全体像をつかめないということはないの? >>888
そんなこと言うたら現代の研究のほうがもっと無理ちうことになるやん
現代は明清と比べても文献の量は千倍やで >>888
明はまあまあ手ごろじゃね
清は手に負えんが >>889
確かに。
いやぁ、ふと古代史人気の秘密は文字資料の少なさにあるかもと思ったもので。
明清の不人気はその逆で。 >>890
清は膨大な民間残存資料に加えて、
満洲語資料まであって大変そう。 文字資料に画像資料がどっさりある江戸時代って、日本史学者に不人気かな? >>894
現在に直接繋がってる所じゃね
あと研究するに当たり
儒者のバイアス掛かってる正史だけじゃなくて未編集のものが残ってる
それと実録もちゃんと残ってるとか >>891
三国時代って演義から来る入りやすさもあるけど
日本語に訳されている正史だけでも結構議論できる所が良いんじゃない? 話はちとずれるが
中国は立派な墓誌作る習慣があるからありがたいよな
この春、上野の国立博物館のアラビア展でアラビアの墓誌が出てたんだけど
自分の名前だけとかせいぜい父親の名前とかで本人の略歴も分からん >>894
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ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ >>893
みんなが好きな時代ランキング 1位は「安土、桃山時代(戦国時代)」
https://news.nifty.com/article/item/neta/12225-141009004811/photo/
一般には江戸時代もそこそこ人気だね。
時代劇があってなじみがあるからかな? 清は19世紀から西洋諸国もガッツリ絡んでくるから余計にカオスやな >>892
満漢二体合壁だけじゃなくて
満漢蒙三体合壁の史料も特にモンゴル関連ではごく一般的
もちろん、満蒙二体合壁の史料もあったりするし
それに、チべット語も加わった四体合壁もままあるし
さらにウイグル語も加わった五体合壁も多い
モザイク的多言語社会・複数公用語同時併用組織の一般化という多様性が、清史の非常に重要な側面だね
そこが面白い
まさにEU先取り、というかAUか? いや電話屋さんじゃなくて亜州連合で >>901
マイナーな言語を学ぶのはきついな。
いや、メジャーな中国語学習だけで容量オーバーな
自分にとってだが。
なかには
中国関係の論文にフランス語が多いという理由で、
フランス語の学校に2年間通った猛者がいたが。 明の皇帝達のコピペ
ある日、明国の皇帝達は電車に乗って遠足に行く。道の半ば、レールが故障になるから電車が止まる。
洪武皇帝:余が何度も気お付けろって言ってたが、全然耳に入らないこのやろう。
建文皇帝:孔子の本の中にこんな事に遭ったらどうしたらいいのか書いてない。
永楽皇帝:余が自ら修理に行く!誰が責任を負うか分かったら皆殺し!
洪熙皇帝:俺は親父の味方。
宣徳皇帝:余は修理に行くかそれとも座って蟋蟀遊びか?
正統皇帝:手助けに行ったが、ハンマーに脚を叩かれた。
景泰皇帝:ハンマーを拾うが、正統皇帝に奪われた。
成化皇帝:万姉さん、どうすればいい?
弘治皇帝:皆様、慌てるんじゃない、余に任せて。
正徳皇帝:電車から降りて遊びにいった。
嘉靖皇帝:太乙真人(道教の神)お守りを。
隆慶皇帝:何も言わずに座ってた。
万暦皇帝:寝坊中。
泰昌皇帝:オナニしてた。
天啓皇帝:彫刻中。
崇禎皇帝:皆様は上記の人達を見ただろう、余の悪さじゃないと分かってくれるだろう。 >>903
実際のところ、愛新覚羅王朝の公文書用言語が重層化していった順序って、
日本語母語話者にとって(文法面・語彙面・学習環境面の総合で)学びやすい言語の順序ではないかと思うんだよね
満洲語 → 漢語 → モンゴル語 → チベット語 → ウイグル語
少なくとも満洲語は日本語母語話者にとって非常に学びやすい言語であるのは確かだよ あー・・・「公文書用」言語の順序だと、漢語のほうが先になるか
「使用言語」というほうがいいかな
愛新覚羅家での口頭使用言語としての歴史は、もちろん満洲語のほうが漢語よりも先だから >>905
んなアホな
日本語と同様のSOV膠着語のモンゴル語やトルコ語ウイグル弁が日本語と何からなにまで違う漢語より難しいんか? >>907
学習環境となると、ウイグル語辺りは、ちと微妙かなと
なにぶん、日本語教本がほとんど無いし・・・
漢語の場合、文法はともかくも語彙面で相当のアドヴァンテージがあるからね >>907
ゼロからの一斉スタートじゃないからねえ
当時の日本の知識人なら漢語の知識はある程度あるはずだから >>909
日本人は漢字を見れば意味がかなり通じるので、
中国語初級はそこそこイケル。
ところが漢字でわかったつもりの錯覚があるため、
却って中級以上が進まなくなり、
あっという間に欧米人学習者に先を越されてしまう。 日本人は漢字が読めるのが強み
だから文革の折はまず日本人記者がタテカンなりのスローガンを読み、
それを欧米の記者に伝えたという 漢字漢字言うけど漢字だけ知ってたって大した優位点になるわけやないで
数万語の漢語を知ってることこそが優位点や
新しい言語を学ぼうというときに数万語の語彙を既にしってるちうことがどれほど有利かわかるやろ
日本人は全くの中国語初学でも元々数万語の中国語単語を知ってるんや
逆もまた同じで、中国人は全くの日本語初学でも元々数万語の日本語単語を知ってるちうことでもある ところがどっこい中国に留学する日本人は1年経ってもロクにコミュニケーションがとれなかったりする。
一方、欧米人留学生たちは段違いの進歩を示す。
違いは日本人留学生は日本人グループで固まって現地人と積極的に交友せず、全般的におとなしい。(含む自分)
欧米人留学生はド下手な覚えたての言葉を全く恥ずかしがらずに滅茶苦茶に使おうと気にせず積極的に大声で喋りまくる。
1年後に両者の差が歴然とする。
さらに漢字の知識が却って仇になってる。母語の干渉の現象が非常に強く働いてしまうのだと思う。 >>882
でも平氏政権と鎌倉政権が並立したのって短期間だから気象の問題なのだろうか
むしろ平氏政権が関東武士の支持を得られなかったというのが問題なのでは 人物中心の歴史学から内外の環境にフォーカスした史学への転換って
共産主義というよりは構造主義的な潮流では? 漢字語漢字語連呼してもなぁ・・・
日本人は極めて早い時期に「訓読しかできなくなっている」。これで中華言語圏から離脱してしまった。
中国語というのは、「文字列を本来の読み方で直読して丸暗記する」ことに依存するところが極めて強い言語文化圏なので、
読み下してしまったら、もうそれはだめなんだ。
音読みがどんなになまっていてもセーフだが、訓読したらアウト。
「がくじーじーしゅーしー」「ゆーほーじーえんぽーらい」と棒読みすることは、たとえ声調がない完全なお経読みでもセーフだが、
「まなびてときにこれをならう」「ともえんぽうよりきたるあり」と読んだらアウト。絶対にアウト。漢字語ガーと百万回お経を唱えてもアウト。
「これ(直読暗記)をやらずに別の方法(訓読)を取る」文化を持っていることは、日本語母語話者にとって、むしろ欧米人よりも大きな【ディス】アドバンテージになる。
というのが共時的には正解だろうけど、百科全書にもあるとおり、かつては北アジアのわりと広い範囲で訓読っぽいことが行われていたんだよね。
満州人はどれぐらい「訓読」したのだろうか? >>918
漢訳仏典は音読するやん
むしろ坊主が仏典を訓読することなんかないやろ 英語力がある人は中国語も上達が早い気がする。身近な数人の例の話だが。
なので、母語と全く異なる形態の外国語をマスターした人は他の外国語も効率よく学習できるという仮説をここで唱えさせてもらう。 >>919
仏典だけで、(古典)中国語(文言)をマスターできますか???
絶対にできない。仏典は中華の古典のなかではいわば「外道」であって、
仏典のフレーズをどんなに叩き込んでも、科挙に合格することは出来ない。
つうか、仏典を組み合わせてそのまま直読で文章を作るという営みを、
日本の仏僧がやったことはそもそもない。
仏僧であっても、仏典以外の漢語文献は普通に訓読してた。 江戸時代の間宮林蔵は探検先で出会った清の役人と漢文で筆談したらしいから教養人なら漢文は作文できたのでは >>922
江戸時代どころか前世紀の初頭くらいまでは日中漢越の教養ある人なら漢文の読み書きが出来たから
互いに意思の疎通に不自由することは無かった
日本語を知らなかったはずの孫文が日本で意思の疎通に困ったなんて話しは聞かんやろ?
おフランスで友人だったケ小平とホーチミンはたぶんフランス語で会話してたんやろうけど
漢文でも意思の疎通はできたはず 越南がいまでも漢字を使用していればなぁ
中国語の4声でも辛いのに、ベトナム語は6声だ 越南も韓国と同様、漢字復活しろという意見は常に存在するから
そのうち復活するかもしれん
一応漢字教育行なわれてて漢字を使った出版物も少ないとはいえ少しは存在し
標識などにも一応漢字が書かれてて大抵の人が少しは漢字を知ってる韓国と比べても
漢字教育が全く行なわれてなく専門家以外は全く漢字を知らない越南はさらに厳しい状況ではあるが >>918
それは遣唐使廃止とかで正しい漢文がわからなくなったから
漢文も和風なんちゃって漢文に退化しただけで
ちゃんと知識のある公家などはきちんとした漢文を使おうとしていた 日本にどれだけ漢籍が移入されて、僧や商人や倭寇による民間交流があったと思ってるんだ
遣唐使廃止ぐらいで正しい漢文が分からなくなる訳ないだろいい加減にしろ! >>928
発音を教えられる人が居なくなった
本格的な発音を学べなくなって音読もできなくなった >>928
日本人にありがちな漢文文法ミスから書物の筆記を担当したのが渡来人か否かわかるくらいだ >>930
横から質問するけれど、
それは遣唐使の廃止以後についてのこと? それとも廃止前についてのこと?
それから、遣唐使の廃止前だとして考える場合にも、
漢語系母語話者の渡来人と、アルタイ諸語系母語話者の渡来人とでは、また様相が違うかも、という気もするんだけど、
そこはどう? >>931
上代特殊仮名遣いの研究で利用された方法
漢文で書かれた日本書紀の文法ミスから筆者が日本人か渡来人かを判定した
渡来人がいた頃でも間違えてたのだからそれ以降は推して知るべし >>932
じゃあやはり、はっきりとはしない微妙な線もあるわけなのか 変体漢文は間違えたんじゃなくわざと語順を日本語に近づけていて、そこから漢字かな交じり文が発展したんだよなあ
だいたい同様の変体漢文は日本だけでなくほぼ歴代中華王朝の属国であった朝鮮でも(吏読として)見つかっているじゃないか >>925-26
ベトナムをあくまで「漢字の国」と見ようとして、
漢字復活を希望的観測からあり得ると言い続けるのは
中国人と日本人くらいのものだ >>934
いや結局は遣唐使もやめてわからなくなったから開き直っただけ 古代以来の日本人の英作文ならぬ「漢作文」は、途中から、「純然たる日本語表記の組み換え再構成」に変化してるからな。
脳内には最初から日本語しかなく、それを漢字の羅列で表記する際に、語順を中国語風に入れ替えして記すという手法。
とどのつまり、単なる日本語を、漢文風という超変態的表記で書いてるだけ。 そういう偽中国語は今もTwitterとかで使われているな 漢文を読んでいると目的語が動詞に先行する文とか、
前置詞(介詞)が名詞の後に来る文とか、普通にあるけどな 現代中国語の単語に近代以降に日本から逆輸入されたものが大量にある。
人民、社会主義、共産とか。
しかもどれも使用頻度が高く、
多くの中国人がそれらの言葉が日本由来であることに気が付かない。
日常用語のかなりの割合となってるし。
○○化、○○式、○○性といった接尾語的用法も日本由来だ。
最近では萌、中二、?哇伊(かわいい)、宅男/宅女。・・・。
こんだけ日中で影響し合って、
共通の漢字を使用しているのだから、
日本人が中国語をマスターするのは比較的簡単だと錯覚しちゃいそう。
だが、外国語は全く甘くはない! >>937
日本書記の仁徳紀は明らかに語調を整えながら書いてるよ
つまり一旦漢語で音読したのを書き写してるってこと 英語話者がラテン語やフランス語を学ぶのは、一応語族も共通だし語彙も被ってるのが多いから意外と簡単なんだろうな
日本語と中国語は語彙は共通なのが多いけど、語族が全く違う・・・ そんなのはいくらでもある
ペルシア人やトルコ人がアラビア語のコーランを読み
ペルシア語やトルコ語にはアラビア語からの借用語が多数存在するし >>943
日本人が漢文ヘッタクソのままだったのは何で >>935
ベトナムが漢字に戻さない意志は強いな
韓国の墓碑収録した本には原文併記してあったけど
ベトナムのは全部アルファベットだった 中華ドラマ「大明帝国 朱元璋」にて、
ある人物が、日本語字幕であなたは感傷的だと言う台詞があり、
「感傷的」が中国語音声で「浪漫」になっていた。
え?浪漫ってロマンチックの音訳語じゃ??
これ明初の話だろう?
という違和感を感じたのだが、
調査した人がいて、
宋代の文献に浪漫が使われていた。
「浪漫遊」というと、波浪が漫然と漂うかのように、
あてもなく気ままに遊覧するとなる。
つまり浪漫は「気まま」というのと同じらしい。
あるいは「蓮花浪漫開」というと蓮の花が爛漫と開くとなる。
この浪漫は爛漫と同じだ。
なるほど宋代でも「浪漫」って言ってたんだ。
一瞬納得したのだが、
ちょっと待て。
ドラマじゃ明らかにロマンチックという意味合いだったぞ。 >>943
現代トルコ語は固有語を復活させて
アラビア語要素を除去しようとする純化運動が
イスラム知識人の猛反対の中でも進んだ。
日本語もヤマトコトバを復活させて、
漢語を廃止しようよ。
冗長になる欠点はあるが、
30年ぐらい教育すればみんな慣れるよ。
過去の文献全部をヤマトコトバで翻訳すれば、
文化の断絶だって最小限にできるし。
突如、この場で漢字廃止論を主張するのであった。 清の主要5言語のうち漢語以外の4言語について、
漢語語彙からの借用が少ない順って、大体こういうふうになるんだろうか?
満洲語>モンゴル語>チベット語≧ウイグル語
一方、構文で言えば、この4言語ってどれも基本はSOVだよね あ、順番が反対だった
漢語語彙からの借用が多い順、だね
満洲語>モンゴル語>チベット語≧ウイグル語
だいたいこんな感じなのかな >>949
モンゴル語は漢語の借用は非常に少ないよ。
比較的使われる単語でも、ボーズ(包子:モンゴル肉マン)、
シャンズ(絃子:モンゴル三味線)とか位。
シャンズも最近はモンゴル語でシャドラガと言うようになってきている。 >>950
そのぶん、モンゴル語では伝統的な外来語彙にチベット語からの導入が多いよね
例えば「医師」を意味する「エムチ」はチベット語の「アムチ」の転訛だし 蒙古人は仏教徒でチベット文化圏に属してるからチベット語の借用が多い
ウイグル人はイスラム教徒のトルコ人でイスラム文明圏に属してるからアラビア語の借用語が多い
当たり前のことや
女真人は漢語から大量の借用語を導入して中華文明圏に属する
ようになる前に漢人に同化して民族として消滅してもうた
清よりもっと昔の金かてやっぱり漢化してたから
女真の文化がそういうふうになりやすいもんなんやろな >>948
英語romanticでも現代中国語の浪漫でも
使い方の中心は男女の愛情とその演出に関係する
日本でもそれはあるが、
旅行会社の広告みたいな「歴史ロマン」ばかりが目につく所が明らかに違う
新婚旅行でなく一人旅でも使うからだ >>950
バクシ(「博士」に由来。教授、先生などの意味)みたいなのは珍しいんだろうな
入声韻尾の-kも入っていて、唐代かそれ以前にでも借用された感じがする >>952
満州語にはモンゴル語からの借用語も多い。
良いという意味のサイン、動物の群れという意味のアドゥン、
蒸留酒という意味のアルキとか基本語彙で結構ある。 そろそろ次スレが近いけど、明史と清史との扱いどうする?
このまま明清の連結で行く?
それとも両史の分割で行く? 明清は連結で良いんじゃない?
明単体とかレス進まなそう >>957
明単体だと、「凌遅三千刀、滅九族」の、あのお方専用のスレになるからなwww >>954
例えば現代広東語や現代韓国語の読みでも「博」の音節末は k だから
唐代よりもずっと後までそういった発音が残存してて不思議じゃないんでは? >>960
元代まで来たらモンゴル語固有名詞への漢字の当て字は既に入声消滅してるんだよなあ てか例えば元朝秘史(編纂時期:13世紀または14世紀)には
インテリ登場人物で「バクシ」の称号ついてる人、出てこないような気が
いたっけ? >>745 の件の出典を確認。
旧版に当たる「満洲語文語文典」では、「序言」の文中にこの件が載っている。
新版に当たる「満洲語文語入門」では、「はじめに」の文中にこの件がさらに簡易な記述として載っている。 乾隆帝が名君とされてるのがおかしい
たまたま清の全盛期に即位しただけやん
乾隆後期に清は傾き始めとるし十全老人という自称もアイタタタ
和?をのさばらせた乾隆帝は暗君としか思えんわ 清水書院から最近出た『悪の歴史』 の下巻がなかなか面白かった。
東大の先生が担当したヌルハチ・ホンタイジ・康熙帝・雍正帝・乾隆帝は、
けっこう新知見というか、へぇーみたいなところが多かった。 >>967
康熙帝は祖母の孝荘太后の育て方が良かった。
アボイを倒したり、三藩の乱に対処できたのも、
婆ちゃんの叱咤激励のお陰。
父ちゃんが突如崩御しちゃって、
8才で即位した後、
頼りになるのは婆ちゃんだけ。
アボイや呉三桂のような歴戦の猛者や策士相手に青二才のボンボンだけの才覚では敵わない。
婆ちゃんの胆力と長年の経験が支えになった。
アボイや呉三桂たちを熟知していて、
弱点を把握してたのも婆ちゃんだろう。 おまえの頭の中では孝荘太后はそんな天才軍師って設定になってるのかwww
康熙帝が勝てたのはまずホンタイジの頃から漢人から編成育成していた天佑軍が効力を発揮したから
そもそも当時の戦いは火器の運用が全ての時代に入っており入関した時点で旧態依然の女真騎兵は残明軍相手に手も足も出なかった
三藩の乱を鎮圧できたのもジュンガルとの戦いに勝てたのもすべて漢人からなる緑営のおかげ
すでに三藩の乱時点でもっぱら戦闘は漢人頼みで女真族は後方支援担当だった 今のところ明末清初を概観できる本が、福本雅一『明末清初』シリーズだけっていうのもなあ。 >>969
そのお考えは興味深い
確かに緑営が活躍したのは事実でしょうが、そんなに絶対的な強さだったのでしょうか
その時代を趣味で研究しているので気になります >>969
別に孝荘文皇后が天才軍師だったわけではない。
それでもホンタイジ、ドルゴン、順治帝と連続して補佐し続けた経験が大きい。
そして幼少の康熙帝を育て、励まし続けた。
漢民族の尊重、西洋科学の受容で影響があったとされ、
アボイ打倒、三藩平定では敵側首領たちの人物像を最も知り尽くしてたのは若輩者の皇帝ではなく、この婆さんだ。
そのため彼女がこれらの平定の謀をしたとする話はよくある。
少なくとも大臣たちは太后陛下の意向を無視できないし、
康熙帝にとっては婆さんが味方であることが大きな力になった。 >>971
三藩相手では周培公が、台湾平定では李光地や施琅のような漢人将軍が活躍。
一方、満州八旗はよく負けてるので確かに見劣りする。
ジュンガルはどうなんだろう?
兵力の差が大きくて最初からジュンガルに勝ち目がないイメージがある。 康熙帝は、不凍港が欲しくてシベリアを南下したピョートル大帝のロシアの勢力と対決してアルバジンでこれを討ち、
清朝優位のうちにネルチンスク条約を締結し、広くアジア全域にわたる支配権を確立した。
ネルチンスク条約は清が西欧諸国と結んだ最初の条約で、康煕帝外交の勝利とされる。
ロシアが不凍港ウラジオストクをようやく手に入れたのはそれから170年も後のアイグン条約、北京条約を締結してからの話である。 >>972
漢民族尊重してたら文字の獄なんて起こさないし
西洋趣味も康熙帝の個人的な趣向で孝荘文皇后が関心をもっていた形跡はない >>971
少数の同じ兵力同士での戦いなら漢族兵は弱かったが、
何せ緑営の前進の明の軍戸から動員可能の兵数が多かったから
今に続くシナ得意の飽和戦術で数の力で圧倒した。 >>975
彼女自身に西洋趣味はないかもしれないが、
アダム・シャールたちに死刑判決が下りた際に彼女のとりなしがあって彼らは釈放された事例がある。
西洋の知識を尊重する姿勢はあっただろう。 方以智は、
最後、
自分で立てた易で、人生の指針を狂わしちゃって、
気持ちが乱れて、女に狂い、悪い心を持ってしまい、
刀で刺されてやりで突かれて、ぶっ殺されたんだって。 多分、
日本に渡来してて、
神一厘を得て、自分のことを占えたと思うんだけど、
清に帰って、一厘を失っちゃって、
自分のことを占えないにもかかわらず占っちゃったと思うんだよな。 方以智は、
多分、
石川県能登にある、
気多大神。 >>975
文字の獄だが、
尊重ばかりして甘い顔だけしてたら漢民族を増長させてしまう。
大いにに漢文化を尊重する一方で、
時々ムチを与えるのが統治の基本。
わずか百万人で漢民族九千万人(入関時)を抑え込まねばならぬのだ。
硬軟両様合わせた絶妙な技なんだよ。
人権無視の暴力を見せつけないと
圧倒的な数の大群衆を従えない。
辮髪強制だって、
過去の歴代王朝が指定の服飾を強制した伝統に従っただけで、
無茶苦茶なわけではない。 >>977
清朝政府内部には楊光先のような西洋嫌いも根強い。
孝荘太皇太后の介入でアダム・シャールら8人が死刑を免れ釈放されるも、
アダム・シャールの時憲暦はオボイ打倒時まで使用停止だった。
オボイは伝統守旧派なのかな?
清の皇帝は進歩的開明的勢力と保守派勢力の均衡の上で、
権力をより強めていった気がする。
両派の一方が偏らないようにしてるのかも。
満州人重用の一方で漢人を大胆に抜擢したり、
なんかアメとムチの使い分けがうまい。 >>974
ネルチンスク条約の清側交渉責任者はソンゴトゥ(索額図)。
ソンゴトゥはオボイ打倒やネルチンスク条約締結などで辣腕をふるい、
大いに権勢を手中にしたが、
第二皇子を皇太子にしようと肩入れし過ぎて、
康煕帝の不興を買い、
一種のクーデターみたいなもんで逮捕、無期懲役。
絶対君主の部下で突出して有能過ぎると却って危険。
まぁ名君康煕帝の最大の問題は後継者問題。
九王奪嫡だもんな。
ドラマ「康煕王朝」の九王奪嫡の説明。
http://www.bs-j.co.jp/jyakugi/history.html https://www.cnn.co.jp/fringe/35126175.html
当時の清の戦艦、「◯遠」が多いような気がするけど、艦船名における「遠」とはどういう意味があったの? ロシアとの外交が理藩院の管轄だったって所がちょっと面白かった >>940
和製漢語扱いされてる語は元ネタが中国の書物にある場合も多い
江戸時代〜明治時代の日本人が西洋語を日本語に訳す際に、
伝統的な漢籍、明清時代の漢訳洋書、英華字典、などを参考にしていた ロプシャイト英華字典の訳語の来源をめぐって-地理学用語を中心に
荒川 清秀
http://id.nii.ac.jp/1082/00003707/
すなわち,「病院」はもともと蘭学者の造語であると考えられていたのが,
初期洋学書の一つである『職方外紀』(1623)にあることがつきとめられ7),
筆者がさがしもとめていた「熱帯」もそこにあることが佐藤1980によって先に指摘されていたのである。
しかし,筆者はさらに遡れると考え,その萌芽がマテオ・リッチの『坤輿万国全図』(1602)にあることをつきとめた。 『厚生新編』にみる蘭学音訳語とその漢字選択 - 関西大学
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~shkky/wakumon/no-29/07_xu01.pdf
『厚生新編』は、江戸幕府の翻訳事業として、1811 年から 1845 年の間にオランダ語から日本語に翻訳された西洋百科全書であり、江戸時代の重要な蘭学文献の一つである。
訳語の不可欠の一部分としての音訳語が多く見られるが、興味深い点は、漢字音表記の訳語が存在している。
調べてみると、『厚生新編』及び他の蘭学文献に収録される漢字音訳語は、すべてが蘭学者によって創出されたものではなく、漢籍、殊に明末清初における漢訳西書からの訳語が多い。 本部月例会・発表内容要旨(2006) - 日本英学史学会
http://eigakushi.org/honbu_06.html
2006/5
19世紀の英華辞典をめぐって
―R. モリソン『中国語字典』の刊行から商務印書館の参入まで―
宮田 和子
マテオ・リッチを創始者とするイエズス会の宣教師は16世紀に中国に渡り、
中国知識層の中華意識に気づいて妥協政策をとり、
支配階級に信者を獲得して権力の中枢にまでくいこんだが、
19世紀初頭に中国に派遣されたプロテスタント宣教師は、相次ぐ禁教政策に阻まれた。
初期のプロテスタント宣教師に知識階級の出身者は少ない。
英華辞典編集の主な目的はこうした来華宣教師に中国語を習得させることにあった。
しかし当初現地語による布教は、中央志向の中国知識人の蔑視と反発を招くだけの結果に終わった。
1842年8月南京条約が締結されて、アヘン戦争は終わりを告げ、
広州、福州、アモイ、寧波、上海の5港が開かれると、英人の居住と交易が認められ、
領事館員、税関関係者といった人々も辞典編纂の列に加わる。
宣教師の辞典はその意味で先駆的役割を果たしたことになる。
まず、モリソンの『中国語字典』(1815〜1823)を皮切りに、メドハースト、ウィリアムズ、
ロプシャイト、ドーリトルといったプロテスタント宣教師の手になる辞典が、つぎつぎに現れた。
なかでもロプシャイトの『英華字典』(1866〜1869)は、明治政府が大量に購入し、
これを底本とする中村正直校正『英華和訳字典』、井上哲次郎『訂増英華字典』が出版された。
また鄺其照『字典集成』(1868)は中国人の手になる初の英華辞典であり、
1875年に再版がでたのをはじめ、1880年以降にも着実に版を重ねて、
中国における英漢辞典への橋頭堡となった。1880年代末には商務印書館が参入する。
また英華辞典におけるウェブスター辞書の役割も無視できない。
上述の中村、井上の和刻本にもウェブスター辞書が使われている。
英華・華英辞典のほとんどは中国で印刷、出版されたものなのだが、
当の中国では相次ぐ戦乱で散逸してしまったものが多い。 本部月例会・発表内容要旨(2006) - 日本英学史学会
http://eigakushi.org/honbu_06.html
2006/6
『英和対訳袖珍辞書』研究史時代区分試論
遠藤 智夫
通詞堀達之助編纂の本邦初の活字本英和辞典『英和対訳辞書』に関し、発表者は、当時、
本邦に舶載していたモリソン、ウィリアムズ、メドハースト編集の3英華字典との訳語比較調査の結果から、
『英和対訳袖珍辞書』は、W. H. Medhurst, English and Chinese Dictionary から相当数の訳語を借用していることを立証してきた。
(『英学史研究』第29号(1996年)・第32号(1999年)参照)
しかも、それらの訳語の多くは、現代日本語の基本語彙となって、
現代人の言語活動を豊かにしているのであるから、『英和対訳袖珍辞書』の訳語の系譜解明は、
国語史的にも、日中言語語彙交流史的にも、肝要な課題と言えよう。
発表者は、先の本学会1月の本部例会で、
堀孝彦会員との共著『《英和対訳袖珍辞書》の遍歴−目で見る現存初版15本−』刊行以後6年間の本辞書の
‘書誌的研究’の補足および、研究史年表を発表したのに続き、今回は、
『英和対訳袖珍辞書』刊行以来の本辞書の全研究史を以下の4つの時代区分に分ける試論を展開した。
『英和対訳袖珍辞書』研究史時代区分
第1期 紹介期 ――明治・大正期
第2期 書誌的研究期 ――昭和初期・戦前
第3期 蘭和辞書調査期 ――戦後〜昭和63年
第4期 日中語彙調査期 ――昭和63年以降平成
なお、発表者は、
呉美慧「『英和対訳袖珍辞書』の訳語に関する一考察―メドハーストの『華英字典』との関係―」
『国語学 研究と資料』第十二号、1988年(昭和63)をもって、第4期の開始と考える。
本論文以後、中国語学を含めた日中語彙研究が盛んになっている。 第17回研究例会 - 関西大学アジア文化研究センター
http://www.csac.kansai-u.ac.jp/csac1/gengo17.html
報告者: 遠藤智夫(工学院大学講師)
テーマ: 『英和対訳袖珍辞書』訳語のルーツ――Medhurst『英漢字典』・『官版六合叢談』ほか
遠藤氏は堀達之助らが編集した日本初の英和辞書『英和対訳袖珍辞書』(1862年)の訳語がどこから採られたかを長年研究されている。
堀らが参照した桂川甫周の『和蘭字彙』、Morrison、Williams、Medhurstの『英漢字典』との訳語の精査を行い、
現在その調査範囲を『六合叢談』、洋書調所が作成した官板の新聞へと拡大している。
氏は、堀らは『和蘭字彙』の訳語を優先しつつ、Medhurstの『英漢字典』を参照し、
未知語は採用せず、日本に舶来していた中国初期・後期洋学書に用例の見られる語を借用したとしている。 >>991
中国語で"病院"というのは見かけないな。
"医院"というのがほとんどじゃないか?
大きい病院でも医院。
微妙に日本と違う。 このスレッドは1000を超えました。
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