明清帝国
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日本では、明も清も人気がない
2つ合わせれば、それなりに話のネタもあるか? はっきり言って、中国史の勉強は、明から始めれば十分 日本に多すぎる三国志ヲタを、どうすれば明清ヲタに変身させられるんだろうな? >>121
「明清ダークヒーロー列伝」ゲームを開発する。 >>120
高校時代、社会科教師からイタリアの歴史をまとめて発表する割当を受けた。
得意になってローマ共和制からの資料をプロジェクターで写しながら延々と発表したもんだ。
教師からの講評は「そんな昔のはカットしろ。ルネサンスあたりからで充分だ。」
こん畜生!腹立つ!!
教師の言わんとすることが何となく理解できたのは、
ずっと後のこと。 >>116
ボルジギン朝ペキン帝国。
朱朝ペキン帝国。
愛新覚羅朝ペキン帝国。 実際、北京(大都)や地方の文武百官のほとんどはそのままだったんじゃないかなぁ?
北京入城時は略奪虐殺厳禁で、
人心安定が優先で、
朱元璋は元朝の正当性を認めた上での大都住民へ降伏勧告を出し、
清は明朝の後継を宣言して、朱氏の祭祀が続くよう配慮した。
統治体制の中身を破壊しない。
政権トップが変わっただけ。 >>114
大学入試で王朝名とか君主名とかほとんど出題されないが
中国史はどこも大体政治史6割文化史3割その他1割 「王朝が滅亡したときの皇帝」って重要か?
陳の後主と、南唐の李Uだけは重要だけどな、文学史で。 >>125
明を滅ぼしたのは清じゃないからなあ
結局満州族が治安維持のために漢土に駐留してるみたいな感じやん >>128
明、清のそれぞれの征服軍の北京入城時に百官が勢揃いして、
万歳している様子をイメージする。
帰順した官僚はそのままの地位を保つので
政治組織体としては700年連続しちゃう。 >>126
入試の時、西欧史と肝心の中国史が全く出ず、
ほとんど知らなかったアフリカ史、ベトナム史、朝鮮史の問題だった。
酷い。。。(>_<) >>127
滅びの美学にシンパシーを感じるもんで。 >>131
日本史だと、足利義昭や徳川慶喜は重要だけどな。
それだけ、重大な歴史的役割をはたしている。 >>132
崇偵帝も、袁崇煥を処刑して明の滅亡を早めるという重要な役割をはたした 「近所の裏山で首を吊った」という劇的な最期で記憶に残る皇帝 >>121
光栄に入社してゲーム作れ
蒼き狼と白き牝鹿的なシステムで頼むわ ティムール侵攻とかのシナリオがあれば最高に燃えるがな 君は洪武帝の魔の手から生き残ることができるかのサバイバルゲーム。 >>121
漫画も描いてね。
中国語だが「明朝あれこれ漫画版。 萌え太祖! 朱元璋!」
https://www.amazon.cn/dp/B00NHLJ9ZG/ref=sr_1_14?ie=UTF8&qid=1528544098&sr=8-14
この漫画の朱元璋の人物紹介で笑ってしまった。
座右の銘で日本語訳してみると
「お前の物は俺のもの。俺のものも俺のもの」
パクリだな。 >>138
明初の英雄は、中国では人気キャラなのにねえ。
日本では人気・知名度とも低い。 現代のオタだけじゃなく、江戸時代から明清の歴史に興味もってないからなぁ日本人は
基本は春秋戦国〜唐、あと禅僧がらみなどでちょこっと宋?
モンゴルの波に洗われ、さらに対日海禁の方向性が強くなった後はやはり意識として疎遠な感じ
あと日本側の事情として、中央集権が崩れて武装地主への所領安堵の集積からなる武家政権になると、
中国の政体がもはや参考にならないんだよね・・・そしてただの教養としてなら古典で量的には充分と 国性爺は例外的に日本人の興味をかなり引いたほうじゃねえかな、その出自のおかげで 日本中心の主観的興味に偏り、
大陸事情に無知のままなのは良くない。
秀吉も旧日本軍も、失敗の最大原因は無知だと思う。
侵攻前に一応詳細に敵地を調査研究はしているんだが、
戦争目的と動機付けが無知、無理解、主観的希望に基づいている。 「文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)」を読んだ。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4642063269/
文禄のときは、征明が目的で、朝鮮はただの通り道のつもり。
朝鮮が道案内してくれないから攻撃しただけ。
慶長のときは、言わば日本の外交的体面を保つためだけの出兵で、
朝鮮が形だけでも頭を下げてくれたらと希望しただけ。
実質的な意味はない。
朝鮮側からしたら、ふざけんな、この野郎だ。
明は結構早い段階で、秀吉の野望を察知していたが、
朝鮮は明に危険を報告するのを躊躇していたため、
明は朝鮮が日本側に付くのではないかと朝鮮の態度を疑う。
平壌が陥落しそうになって、やっと援軍派遣が決定する。
等々、なかなか面白かった。 当時は堺や博多の商人が活発に活動しており、日本にしては国際化された時代だったんだが・・・。
大陸や半島の情報は不足していたか? >>145
情報はあっても、情報を活かした計画になってない。
いや計画以前に、戦略目標がすこぶる怪しい。
派遣された諸将もすぐにこりゃあかん、
このままだと不味いと気付き、
現地で何度も対策会議を開き、
上から出される軍令と、
どう辻褄を合わせるか苦慮する。
十万を超える兵力を渡海するという
当時の世界でもなかなか例を見ない壮挙なんだが、
その割には朴訥で、無計画にすら思える。 元・明からは、生糸や唐物や書画といったブツの輸入先という存在になったな
相手の歴史や思想や宗教を学ぼうとかそういう対象ではなくなった、それは古代で基本ストップ
この時代のもので日本に影響を与えたのって陽明学くらいじゃねえかな >>147
学ぶ気が無いならなぜ最大の輸入品目が書籍だったのか
徳川時代を通じて清から輸入された書籍は数百万部数千万部に昇るのだが
徳川時代の日本で流通した清本の量を考えてみろよ 幕府や諸藩の諸法度や御触書などの法令制定に明律が参考になったという話は聞いたことがある。
荻生徂徠も明律国字解を作ってる。 陽明学は、むしろ中国より日本で影響が大きかったという印象だな。
幕末の志士も強い影響を受けている。 NHK Eテレ 6月18日(月) 午前0時00分(再放送予定)
地球ドラマチック「中国 紫禁城の秘密」
http://www4.nhk.or.jp/dramatic/x/2018-06-17/31/34586/2340518/
イギリスのドキュメンタリーみたいだけど
永楽帝の無茶ぶりがわかってオモロかった。 >>149
荻生徂徠は、中国語を勉強して漢文を中国読みするなど、
中華を聖地として礼拝しかねないほど傾倒していたが、
「自分が崇拝しているのは、いまの清ではなく、
古代のシナなのである」と言っていた。 幕末の志士の影響を中国の革命家たちが受けてたな
ぐるぐるぐるぐる 明の滅亡に伴い、大勢の文人が日本に亡命した
これ以後、日本のレベルが大幅に向上し、中国のそれが大幅に低下した
現代人が見落としがちな視点 >大勢の文人が日本に亡命した
大勢ってことはないような。 現代のような高度情報社会のイメージで語ってはいけない
100人の知識人が抜けた穴など、そう簡単には埋められない カントやヘーゲルの頃のドイツ哲学だって、「当時の哲学業界は、実質、50人くらいで成り立ってた」という話だ 朝鮮出兵だけが無知なのかな?
当時の外征なんてそんなもんじゃないの?
陸続きならともかく海を隔てていて入ってくる情報も限定的
問題があるとすればたった数年で諦めてしまったことだろう
半島に橋頭堡を築いて断続的に攻めこむ必要があった
モンゴルや女真ですら半島支配には時間がかかっている そりゃそうだ
インターネットどころか、テレビすら無かった時代だ 捕らぬ狸の何とやらだな
明との戦いにつもりで朝鮮なんてどうでもいいと思ってたんだろ
結局朝鮮半島で躓いた 外国の事情など、何度も行ってみなけりゃ分かるわけがない 結局、天下獲って調子に乗った秀吉が
チンギスやフビライの逆パターンの乗りで征服戦をやろうとしたんでしょ
でも、現地事情もろくに知らないで、力押しだけで上手くいくはずも無い
白村江以来、日本が大陸に力ずくで押しかけていっても
あとあと揉め事を増やすだけでろくな結果になってないのは毎回おなじみの展開だったのに
それでもたびたび似たり寄ったりの路線を繰り返したもんだから
そういう過激なやり方のつけが21世紀の今に至るまで尾を引いてるんだよな
それこそ、日本では>>145氏が言うようなビジネス関係の人たちのほうが
政治の関係の人たちよりもよほど現実的な情報力と穏健な付き合い方を心得てるっていうのは
今も昔も変わらないんだろうかね >>164
まあ、それはその通りだろうけど、モンゴル帝国だって、中国を征服するのに何代もかけている。
初代のチンギス・ハーンは、金朝に対して優勢ではあったが、征服できなかった。
二代目のオゴタイのときだって、それこそ現地の事情もよく知らないのに、強引な力攻めで大苦戦した。
モンケも外征のさなかに陣没。
その次のフビライが、やっと南宋を滅ぼした。
何事も、最初からうまくいくわけがない。
侵略だって同じこと。 朝鮮にしても同じで、日本が2度の侵攻で撤退した後、さらに弱体化した朝鮮を、地続きの清が5度の侵攻を経て、やっと完全に屈服させることができた。
長らく、朝鮮人が日本・日本と、日本にばかり文句を言うので埋もれていたが、最近はこの出来事も脚光を浴びるようになり、盛んに論じられている。 >>165
何度もといっても兵の消耗率が大きくて、無理じゃないか?
正確な数字はわからないが、
陣立てリストからすると、渡海したのがざっと15万人。
帰還できなかったのが5万とも6万とも推定されている。
ルイス・フロイスによれば、
敵の手にかかったものよりも、
戦病死や飢餓が多かったらしい。
続出した逃亡兵も帰還していない。
実に三分の一も失われてしまったら、とても続かないのでは?
秀吉自身の渡海計画が何度も延期になったのは、
とてもとても太閤殿下をお呼びできる状態じゃなかったため。
まぁ秀吉や家康の渡海が実現してたら、
大きく士気が上がり
様相が大きく変わったかもしれないが。 >>155
いや全然、四庫全書が編纂されたのも考証学の全盛期も清代だし
甲骨文字が解読されたのも清代
漢学一辺倒の日本と違って康熙帝をはじめとする満州人たちは
イエズス会宣教師によって西洋の学問や哲学を直に学んでるという点も看過できないな >>160
普通に考えて無知だしどう見ても無謀だよね
ルイスフロイスも敗因に日本人の海外に対する無知さを挙げているし
数十万の大軍を擁しつつも補給のことを考えてほとんどを遼東に残し
一度に5万しか展開しなかった明軍のほうがよっぽど賢い
だいたい明が目的なら大同江まで占領したあたりで守勢を固めて
そこから黄海経由で山東半島に上陸すればいい
明がどこにあるか地理的な知識もないまま見切り発車したのがバレバレだよね
加藤清正とか明後日の方向の満州にまでいってるし >>169
黄海経由の方が無謀じゃないか
山東半島に攻め込んだときに半島を明軍が南下してきたら補給が断たれるじゃん
清正は満州に偵察にいったんだろ
無謀だと言ってたら女真が明帝国相手に戦いを挑んだのだって無謀なわけで
李自成が北京を落とさなければ山海関はとても越えられなかった >>170
珍島周辺は李舜臣が死守してたらしい
海路で山東へ攻め込むとしてもそこで妨害を受けることになる 何にしても、頼みもしないのに大いくさに巻き込まれた李氏朝鮮が実際めちゃくちゃな目に遭わされてるわけで
それでも何とかぎりぎりのところで国を完全につぶされずに済ませたのは凄いことだと思う
朝鮮出兵そのものが回避可能な戦争だったかどうか、そこは非常に微妙な点ではあるが
当時の秀吉とその側近のうち主戦論者を抑え込むことは(日本国内の穏健派の立場からしても、他国の外交関係者の立場からしても)そもそも不可能だったのか否か
そこはどうだろうね >>172
国を完全に潰されなかったというが、朝鮮の王宮なのに、清の外交官が表門から入り、朝鮮国王が裏門から入るというほどの従属関係になった。
たしかに、一応、王朝としては存続したが・・・。 それ以後の朝鮮は、あまりにも清から搾取されたため、国力を消耗し尽くすハメになった。
ここに至るまでの外交的失策が、いま、韓国で盛んに論じられている。 韓国でどう論じられているかというと、「今は、アメリカから中国へと、覇権が交代しつつある。
これは、明から清へと覇権が移りつつあった当時と似た状況である」ということと、
「朝鮮は、明に義理立てするあまり、清との関係を悪化させてしまった」という反省。
ここが、一昨年あたりから、急に韓国メディアでクローズアップされるようになってきた。 今の中国というのは、日本人から見ると、「バブル崩壊直前の日本」や、
「ソビエト連邦崩壊直前のロシア」に似ているのだが、韓国ではそう思われていない。
「明に代わって大陸を制覇する直前の清」に例えるという見方が、非常に流行している。 >>173
それって直接的には清との関係の話で、明との関係じゃないよ 太閤さんは大陸ではなく、
南方の東南アジア方面に行けば良かった気がする。
スペインやオランダなら難なく駆逐できたんではなかろうか? >>173
存続できただけでも立派。
豊臣政権も大明帝国もまもなく崩壊しちゃうのに。 >>178
東南アジアは遠い。
当時の日本には、スペインやオランダみたいな帆船が無いからなあ。 当時は中華征服!だからヤル気がでるんであって東南アジア征服なんてなんのロマンを感じなかったろう 琉球台湾なら手が届きそうだな
台湾を抑えられたらフィリピンベトナムあたりにも手が届きそうではある >>182
西洋人には、「胡椒が欲しい」という強い動機があったからな。
日本人や中国人には、それが無い。 足利義満の勘合貿易は、中国
徳川家康の朱印船貿易は、東南アジアへと向かった
小学校6年生でも知っている話 倭寇の伝統があるのだから、
日本は海賊国家を目指すべき。 >>181
いや、だから
日本と李氏朝鮮と明の関係の話であって、
李氏朝鮮と清の話じゃないじゃないの
いきなりここで清の話を持ち出しても、それはいかにも話が飛び過ぎ 倭寇の延長なら、中国人商業勢力の協力や手引きもあるし。
東南アジアには日本人町ネットワークがあったのだから、
西洋式帆船でなくたって、そこそこ成功する気がする。 >>188
それは認識の相違だな
こちらにとっては、日本が2度攻めてきて、そのすぐ後に清が5度攻めてきて、ついに清の前に屈服したというのが、朝鮮史の一連の流れ
韓国でも、そういう見方が主流になってきている 日本と清による相次ぐ侵攻(朝鮮では倭乱・胡乱と総称されている)、そのどちらも、明とは深い関わりがある
ちなみに、清といっても、まだ中国を統一する前の、満州の清 >>189
まあ確かに、本気で取り組めば、できただろうな。
ただ、衰退した明ならともかく、清が黙っていないだろう。
福建省や広東省の港の交易は、どの国にとっても重大な世界的利権だけに。 >>190
それは対清外交の進め方の話であって、ここで直接議論してる件とは別でしょ >>193
「外交に失敗して、滅亡寸前まで追い込まれた朝鮮」の話ではなかったのか? >>193
そういう話してるんじゃないでしょ
そもそも同時平行の事象じゃないんだしさ
それに、繰り返すようだけど、>>179氏も指摘してるように国や政権そのものは存続してるし >>195 アンカー訂正
>>194 氏宛てのレスだった >>195 もう1箇所訂正
同時平行の話じゃない → 同時並行の話じゃない >>171
珍島ってどこにあるか分かってる?
直近の対馬海峡の補給すら絶てなかったのに
遥か北にある黄海まで手を伸ばせるわけない 平民から成り上がって日本を統一した秀吉なら、
「自分なら世界征服もできるはず」と考えるのは当然過ぎる話だな 秀吉が新大陸を目指していたら歴史は大きく変わっていただろう。
アメリカ西海岸には辿り着けなかったかもしれないがw >>192
清はそんなに強くないんじゃ?
鄭成功の台湾を平定するのにかなり手間取った。
鄭氏政権が内部対立で自壊して、
鄭氏配下の武将を清側に寝返させる工作がうまくいって、
ようやく制圧できた。
本来の清海軍は役立たずで、何度も大惨敗で壊滅状態。
寝返り武将の率いる艦隊で台湾海軍を撃破した。
もし鄭氏台湾が一致団結して揺らがなかったら、
清は手も足も出せない。
秀吉+倭寇海賊+中国海賊で結束できたら無敵。
清相手なら明残党とも組める。
東南アジアはもちろん中国南部沿岸すら確保できたんじゃないか? >>201
スペインやポルトガルから新大陸へは、日本と東南アジアくらいしか離れてない。
日本にとって新大陸は、地球の裏側にある。
同じように見えても、太平洋は広くて、大西洋は狭い。 >>200
天下人は、恩賞を配らないといけないからな。
もう、日本の国内には土地がなかった。 >>203
鄭氏は日本、中国、東南アジア間の三角貿易を独占的に掌握していた強みがあった。
清はこれに対抗するために海禁に踏み切る。
貿易どころか漁業も禁じ、
沿岸住民を内陸に強制移住させるという手まで使った。
鄭氏側と接触を極力封じる
究極の経済封鎖で、
鄭氏にとっても痛手だが、
福建・広東の住民にとってはさらに大きな経済苦境をもたらしている。
清にとって、海外貿易の利権も南部沿岸経済もさほど重要ではなかった。 >>204
新大陸とのアクセスの違いが
西欧と東アジアの発展の差につながったというのを
グローバル経済学の本で読んだことがある。
東アジアの経済成長率も結構、高かったんだけどね。
新大陸の資源を入手できる西欧には対抗できない。 >>208
まあ、地球上で最も広大かつ温暖で豊饒な地が、北米と中国であることは疑う余地がない。
東洋人が両方とも取るのは、さすがに取りすぎ。 >>206
清にとって「重要でなかった」は言いすぎ。
でも、自分たちの権力を維持することが最優先であり、それに比べたら優先順位が低い。
昔も今も、「権力維持」と「経済繁栄」の二者択一を迫られたら、躊躇なく前者を選択し、後者を後回しにするのが、中国の権力者の常。 鄭成功の本拠地アモイのコロンス島に3年前に行ったことがある。
大きな鄭成功の石像が建ってるし、鄭成功の博物館もあった。
アモイのすぐ眼の前に人民解放軍を迎え撃った台湾領の金門島があって、
現在は自由に行き来できるらしい。
鄭成功も蒋介石軍もこの海域で激戦を行ったわけだ。
アモイでは、他に客家の円形集合住宅の土楼を見学した。
なかなか面白い建物だよ。
土楼の周りが茶畑で、鉄観音のお茶がうまい。
住民はお茶で大儲けしているそうだ。
料理にお茶を頼むと、お茶代のほうが料理全部よりずっと値段が高い。
現在でも輸出品として重要作物。 忘れられがちだが、大陸から目と鼻の先の金門島も、台湾の領土なんだよな。 清の朝廷による台湾の海上封鎖の必死さを見ると、北京にとって台湾がどれほど重要なのかがわかる。 アモイと金門島の間はフェリーで1時間ぐらい。両岸で出入国手続きがあるので時間の余裕をみないといけないが日帰り可能の距離。 >>213
台湾自体は未開の地だったけどね。
オランダ東インド会社が占領中は特に何にもしてない。
琉球王国の方が格上。 鄭氏政権と三藩の連携には神経を尖らせていた。
これらを各個撃破した手法はかなりミラクル。 台湾が清の支配下になっても化外の地扱い。
琉球漁民が台湾住民によって首狩された事件について日本が清に抗議したとき
清は管轄外であると返答。
それが日本が台湾に出兵するきっかけとなった。 清は台湾府を置いているんだが、
首狩り原住民は皇帝の統治を受けない者どもという位置付けなので我関せず。
この首狩り事件への対応で、
台湾の領有権が曖昧になり、
琉球が日本のものに確定したようなもの。 >>212
金門島が台湾の領土?
なにを言ってるんだ?
金門島は福建省の島やぞ >>219
確かに。「中華民国」福建省金門県だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています