【SPQR】 古代ローマを語ろう 38 【ROME】
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ワールドカップに便乗してサッカーネタだけど古代ローマには
サッカーに似たよな、或いは原型となったスポーツはあったのだろうか? そういえば今回の大会はローマ本土(イタリア)は無縁な模様 なんでロシア大会なのにキリル字ほとんどなくローマ字表記なの? ロシアらしさが見られなくてつまらないな
あの独特の文字を見るとロシアに来たーって気になるもんだが やっぱひげもじゃのおっさんが馬に乗って大挙して押し寄せてこないと ラテン語に自信ニキに聞きたいんだが
SPQRは「元老院とローマの市民」と訳されるようだが、
que romanusは市民にしか掛からないのか?
ローマの元老院と市民ではないのか? 間違えた。
queが「と」だから、romanusが掛かるのは市民だけなのか?という問いです 「アルカディアの牧人たち」という絵がある。三人の若者が青春を謳歌する傍に
お墓があってその墓碑銘にET IN ARCADIA EGOと刻んである。
翻訳すると「我もまたアルカディアにあり」なんだけど「我またアルカディアにもあり」であってもいいという。
つまりラテン語はその辺の文法が明確に決まってないらしい。
ちなみにこの絵はメメントモリ(死を記憶せよ)という中世ヨーロッパで重視された思想を表現している。
アルカディア(理想郷)に暮らして人生を謳歌していてもいずれ死がやってくることを忘れるな、
そして今を大事にしろ、という思想です。
所用でちょっと離れるけどもしかしたら続くかも!? >>18
文法的には両方成立するにしても「私は今,アルカディアと他所の両方に居ます」は墓銘碑の意味としておかしくないですか。
「私も今はアルカディアに居ます」ならば分かりますが。 横レスだけど、元老院は固有名詞で、senatus=[ローマの]元老院に限定されるけど、
ポプルスは人々を示す普通名詞だから、「ローマの市民」に限定するために「ローマの」を添える必要があったんでは
はっきり覚えてないけど、キケロとかにでてきたのは、国号というより
「元老院、ならびにローマの市民諸君」という感じの呼びかけのフレーズだった気がする
しかしもちろん、聞く側が「ローマの元老院ならびに市民諸君」と理解しても問題ない
つまり、どっちでも良い のだと思う プルタルコスの「コリオラヌス伝」とかでローマ以外の議会も元老院と呼んでいたが
あくまで比喩で、senatusは本来固有名詞なのか あいにくオレはローマ人じゃないからラテン語なんか知らん >>19
戻ってきました。
「我またアルカディアにもあり」の場合は言葉の主は死そのもので、アルカディアであっても
死から逃れることはできない、という警句となります。
「我もまたアルカディアにあり」の場合は言葉の主は墓の中の死者であり、今は死んじゃったけど
良い時もあったんだぜ、という感じになります。
どちらの解釈でも主題がメメントモリ(死を忘れるな)であることには変わりないんですが、
前者はより悲観的で後者はカルペディエム(今を生きる)という別の思想と繋がってきます。 ほうほう
romaniなら文句なく「ローマの元老院と市民」というわけですか? 日本語で国会って言ったらみんな日本の議会を想像するからなあ 個人的にローマの元老院は近代的な議会というより豪族や部族長など古代の有力者で構成された談合っぽいイメージ 悲しいことにローマより現代日本のほうが
>豪族や部族長など古代の有力者で構成された談合っぽいイメージ
という現実
官僚が事前に作った台本を読み上げるだけの一応は民主主義国家であることをアピールするための儀式と化してる また半可通が現れたのか
古代ローマの元老院は現代日本に比べると法律・慣習がスカスカといって良いレベルだったし
派閥といった概念もなく、制度的にはてんでメチャクチャ
法律や慣習があるから日本はダメなんだ、とお考えでしたら北朝鮮へどうぞ
あなたにとっての地上の楽園がそこにあります 最近だとAIに国会答弁の原稿作らせる大真面目に検討されてるし
もう議員いらないじゃん
全員辞めさせて浮いた分の費用を社会福祉に当てればと思う 一世紀以降、ローマ育ちのパルティア王族ってたくさんいるけど
どういう生活してたんかな パルティアは内紛でグダグダ過ぎてなぁ
よく紀元200くらいまで持ったな 共和政後期〜末期・内紛中のローマ(マリウス、スッラ、ルクルス、ポンペイウス、カエサル、オクタヴィアヌス)
代表するメンツがヤバイ
対パルティアの秘密兵器バッススさんもいる 対パルティアならカッシウスもお忘れなく
この人、どうも過小評価されてるような気がするんだよね・・・ 暗殺犯みたいなテロリストは評価し辛い
ローマにとってマイナスなことしちゃってる
軍人としては優秀だったのだろうけど
しかも残念なことにその部分も上位互換が同時代に存在している
結果として評価も微妙になる >>38
クラッススにもブルートゥスにも
適切な助言を悉く無視される事に定評があるカッシウスさん 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
RA1 >>36
パルティアのグダグダさに比べればローマなんて可愛いものよ
無論3世紀以降は除く スレナス殺してローマ相手に大敗するのはどうかと思う
韓信・スティリコ殺した後の劉邦やホノリウスじゃあるまいし >>44
パルティアの政治体質考えると
あの状況でスレナス生かしとくのは無理だろ なんとなくカルラエの戦いのwikipedia記事を読んでいたら、ローマが絹の存在を知ったのはこの戦いが切っ掛けだと書いてあった
参考文献も書かれてないし、怪しい記述だが…… バッススが本格起動するまではパルティア軍の侵攻は順調で優勢だったから
スレナス無しでもいけると判断したオロデス2世の目論見が大ハズレってわけでもない
あそこでいきなり覚醒しやがったバッススがイレギュラー バッスス相手ならスレナスでも勝てなかった可能性もあるしな 経歴見ると冗談抜きで大河向けの人物だよな
・英雄揃いの古代末期を舞台にできる
・ポンペイウスの父に敗れ、カエサル→アントニウスに仕えてアウグストゥスに敵対するという、主要人物との関わりの深さ
・それら英雄達ですらなし得なかったパルティアへの勝利を得る
・(おそらく)一兵卒から執政官にまで上り詰め、凱旋式の栄誉に服す
・非業の、そして疑惑の残る突然の死 シェイクスピア作品でちょい役だけどいい味出してるから・・ 元老院並びにローマ市民諸君!十三日の金曜日は!omikujiの日である! カエサルの誕生日って12日説と13日説あるらしいな
帝政期の祝日としての神君生誕の日は12日だけど
昔からあった13日の祝日とかぶらないようにずらした説が主流で
他に別にずらしてない説もあるとかなんとか
セクスティリスがアウグストゥスに改名する前から
セクスティリスは31日だった説があるようなもんか
(これは実際従来の通説の方が間違いって証拠が出てるらしいが) >>54
買え猿の誕生日なんやからグレゴリオ暦やのうてユリウス暦で勘定せなアカンやん カエサルってレピドゥスの事はどう評価してたんかな?
役職だけ見ると晩年重用されてるようだが ただまあ、レピドゥスはラビエヌスの後釜だと思うと、カエサルが望むNo2の性質が見えてくる気もするな
有能なことはもとより、義理堅く頑ななところがあり、処世術にはあまり長けてない人物が求められていた気がする 未だにカルラエのイメージで「ローマでもオリエントには敵わない」とか
「パルティア>ローマ」な論調をドヤ顔で垂れ流してる奴みるとイライラする
パルティアの堂々たる勝ち星なんてこの最初期のカルラエとアントニウス戦くらいで
全体の通算だとパルティアのほうが一方的にボコボコ袋叩きにされてるってのに そういう人ってローマや古代ヲタじゃなく戦史ヲタに多い気がする
各時代の有名な戦例だけ齧ってるタイプ その手の人のだいたいの共通点
・カルラエの戦いは知ってるけど
その後のパルティアがウェンティディウスバッススに報復されたことは知らない
2世紀には三度も一方的侵攻されてることも知らない
・トイトブルクの戦いは知ってるけど
この戦いは緒戦でありこの後がより大規模な本戦だったことは知らない
またアルミニウスが凡将小僧ゲルマニクスごときに一進一退だったことも知らない
・マルコマンニ戦争でローマがボコボコにされたことは知ってるけど
その後半戦で逆にローマがボコボコに報復しまくったことは知らない
・イアジェゲスやロクソラニとかガチ騎馬民族をボコッてたことも知らない
・共和政中期〜末期〜帝政初期の具体的な変遷を理解していないため
酷いとポエニ戦争期ローマ軍のイメージで帝政初期ローマ軍を語っちゃう >>63
概ね同意だが、ゲルマニクスが凡将ってのはどういう根拠で言ってるんだ? >>64
撤退時の段取りの悪さはなかなか酷いと思う
イディスタウィソの例みるかぎり戦術はそこそこだけど
戦略はガバガバなので総合して愚将ではないけど凡将、と個人的に思った Idistaviso戦での騎兵運用や主力投入タイミングの見極めはけっこう光る部分あるけど
戦略はただひたすら押すばっかりでアルミニウスに裏かかれて奇襲とかよくされてる印象
あとあの時期にわざわざ北海経由で帰ろうという判断がな・・・ ローマ・パルティア間の実態に触れられる書籍って
日本だと「パルティアの歴史」「ローマとパルティア」くらいしかないし
広い時代を満遍なくあさるタイプの人の視野には入りにくいだろうな
塩野もパルティア相手だとローマの軍事的優位にはなぜかあまり触れないし パルティアに限らず良くある話だが
「中枢部に敵が侵攻してるけどまず身内と帝位争うよー」状態だから
ボコられるのは必然だよなぁ なおヴォロガセス4世の頃(ウェルス帝期の侵略)は
国力回復していて内紛もなく団結して抵抗できたのにそれでもボロ負けした模様 そんな何もかも叩きのめす2世紀ローマ軍でも唯一落とせなかったハトラ市とかいうヤベーやつ 誰か壁の一角崩した後、舐めプして落とせなかった人いましたねぇ 一晩たって城壁修復されてるの見たローマ兵たちがセウェルスの命令拒否してるの面白い
たくさん犠牲出しながらやっとあけた突破口なのにこんな形で無駄にされたらそりゃブチキレるわな
もう少しあとの時代なら皇帝暗殺案件になってもおかしくないレベル パルティア側が主導して開戦したときは
いつも序盤は散々にローマ軍打ち破ってるので瞬間風速はある
ローマ側が本格反撃にでると逆に散々に打ち破られるけども…… ラビエヌス息子「パルティアの話題なのに誰にも触れられない・・・」 >>74
初期は勝ってたらしいからあのままバッススさえ現れなければ
もっと名が知られていたかもしれないな
ポジションはわりとドラマチックだし ローマとパルティアの著者は、ローマのオリエント介入をイラク戦争と重ねてるためか、
「面子ばかりで何も学ばない」ってローマ叩いてばっかだけど、
何気にパルティアも何回も自分から仕掛けて、いつも失敗して大ダメージ負ってるよね。
ウォロガセス四世の時なんてせっかく国力再建しかかってたのに、
早速ローマに喧嘩売ってまたメチャクチャに負かされて衰退路線に逆戻りするし。 >>74
ラビエヌスは親子揃って「有能なのに不器用」って印象が抜けない
対するアントニウスは、実は軍歴は大したことがない
軍歴が浅い割に引き際が鮮やかだったり、決定的な敗戦はアクティウムまでしなかったりして
いかにも有能な将軍ぽい歴的評価になってるけど >>76
結局地勢的にどっちもユーフラテス川が限界なんだよな
一時的に攻勢かけても撤退せざるを得ない ユーフラテス川限界ルールをオスマン帝国だけ1500初期〜1900年初期の400年間突破してたけど、これって何か特殊な理由あるのかな?
それ以降はトルコ・シリア・イラクに分離してまたユーフラテス付近で国境分かれてるし >>77
言われて見ればアントニウスがトップで戦った戦争で
スッキリ勝ったのはフィリッピくらいしか思い当たらんな
カエサル麾下での戦功とかはあるが パルティアはシリアに侵入して一時優位に立つことはできたけどいつも返り討ちで撃退され
ローマもメソポタミアを一時剥ぎ取るまではできたけどやっぱり維持はできず
パルティアは内紛まみれとはいえ外圧に対してはかなりタフで
何度致命的な敗北してもなかなか覇権崩壊せず
ローマも方面軍やられたりシリア脅かされた程度ではビクともしない
瞬間最大風速なら大量の騎兵動員できたパルティアが
総合的な軍事力なら組織とマンパワーに優れるローマのほうがそれぞれ優れていたけど
結局どちらも情勢を塗り替えるほどの決定的な力はなかったんだな
単に強いか弱いかなら確かにローマのほうが強いんだけども どっちもユフラテを越えて勢力延ばすのが難しいのは最初から認識していたよな
クラッススが「国家としては乗り気でないのに欲得ずくで」戦争を起こさなければ長く友好関係でいられたんだろうか?
覇権主義の大国が接すればどのみち遅かれ早かれぶつかってしまうのかな? この二国はお互いにHPが高すぎる
パルティアも表面的な軍事力では劣っていても
後背地イランあるかぎりどんだけボコられても不死鳥のごとく復活できるから
決着はつかず最終的にはどうしても膠着するというね
(そしてその後背地でサーサーンが反乱独立してやっと死ぬ) >>82
パルティア側も王家の権威でまとまっている以上は
ローマほどではないにせよメンツ大事で武断的なところもあったので
両国の覇権衝突は避けられないだろうな
アルメニアや緩衝地帯の小国への主導権巡って争うのは必至だと思う >>77
昭和日本でローマ映画を撮ると配役は
・ラビエヌス……高倉健
・ポンペイウス……渥美清
・カエサル……植木等 >>82
どうしてローマに害をなした事が無い国に攻め込む必要があるんですか(正論)
を押し切る三頭政治のパワーやべえ >>79
ティグリス上流地帯がオスマン勢力化になったからだと思われ
アルメニア王国が瓦解していた→
旧アルメニア領のトルコ化が進んでいた→
チャルデランの戦いでティグリス上流がオスマン支配下となった
結果、ティグリス中流地帯にオスマンが進出し易くなった
反対にイランはディヤル川沿いにティグリス中流に侵攻するか、
フージスタン地方からティグリス下流に侵攻するかしかできなくなった ローマが全盛期のまま地中海世界に存在してたらイスラムやオスマンも拡大できなかった? イスラム:ペルシアだけ倒して東方に君臨
トルコ人:ローマ領内に住み付いてそのうち皇帝がトルコ人ばかりになる >>88
全盛期のローマが君臨し続けても、中国の発展速度には追い付けなかった可能性が高い
つまり中国の技術を携えた戦闘国家=モンゴル帝国に徹底的破壊を受けることは免れなかったんじゃないかと >>90
現実の世界に存在した衰退したローマですらモンゴルに滅ぼされてないけど? >>91
君が言いたいのは、>>88の仮定でも現実の東ローマ帝国同様、モンゴルがやってきた時期には十字軍に滅ぼされてラテン帝国になってただろうってこと? >>92
91ではないが意味不明過ぎるんだが
パレオロゴス朝にしろラテン帝国にしろ滅ぼされてない
そもそもモンゴルが侵攻した旧ローマ領なんて、シリア、アナトリア東部、ハンガリーというごく東端に限られるのに
88に対してモンゴルを引き合いに出すのも意味不明 衰退してたから反って助かったともいえるよな
ローマ全盛期とかすべての主要都市が街道で繋がってるのだから カラカラってファッションセンス良くてイケメンだよな 昔マンガで覚える世界史みたいな本にカラカラ浴場のことが載ってた
絵に「カラカラカコーン」って擬音が付いてたおかけでカラカラ浴場を覚えた 現代の建築技術でカラカラ浴場再現とかは無理だろうな
見てみたい気がするけど 当時の技術オンリーで作るのは無理だろうけど
現代の技術使っていいのなら余裕だよ >>101
いや無理
復元すらための資料が充分にあるわけやない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています