歴史言語学総合 ★3
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シュメール語のウィキペディアってあるの?
シュメール語で合コンできる? >>951
画数が多いから?
「かんじ」なら運筆は7つか8つだけれど、
「漢字」だと18にもなってしまうということか? 漢字は小さい頃からやっていないと身に付けるの厳しい >>954
その思い込みのせいで、戦争負けてんじゃん。
日本語解かるはずない、日本語なんて読めるはずない、って侮ってたら、兵隊に入ってから(19歳以降に)日本語を勉強させられたアメリカ軍に
押収された日記や軍記録や命令書で情報漏れまくりで、コテンパンに負けてる。 解読するのと使いこなすのは別だろ
みんながみんなドナルド・キーンみたいになったわけじゃない
日本留学してきた日系人だって使ったしな >>956
日系人は信用されてなくて、太平洋戦線に駆り出してくるのは勝ちの見えてきたいよいよ末期だよ。
それも、情報を採る側には使ってない。投降勧告やら占領地の慰撫やらで、情報を出す側。
ガイジンのそれまで日本語なんか接したこと無かったヤツが、日本兵が残して行った命令書や日記を読んで
補給路だの頻度だの装備だの解読してるで。 日系人は最初の教科書づくりと授業に協力してるじゃん
最初は兵士たちの前で言語学者がインタビューしながらデータを取っていた
アメリカの言語学はインディアンの言語の調査から独自に発達した
ヨーロッパなら文化の考察だの理屈が先行してなかなかこうは進まない
構造主義言語学と構造言語学、記述主義の違い 普通、交戦敵方の言語は習得しておくものだけれどねえ。
極東国際軍事裁判に将官佐官にまで通訳が必要だったとかいうのが異常事態。 英語の王の偉い順って以下でいいのかな?
@King of France
AKing of the French
BFrench King
CKing in French >>959
ニュルンベルク裁判だって大規模に同時通訳を利用してるし、東京裁判の判事団だってアングロサクソンだけじゃない、フランスやソ連の代表もいる。
松岡洋右なんかは英語相当達者だったはずだが法廷陳述は日本語でやってるし、被告の弁明権の保障という観点からも国際法廷には通訳が不可欠 外交じゃ久手戦後処理だし
ポツダム宣言受諾からサンフランシスコ条約まで外交権喪失してたし ここ数年、国立大学から語学の選択必修が無くなり
大量の非常勤講師が解雇された
文科省の役人が先走って通達して、産業界が大慌てで反対したが手遅れ
「文化系は要らない、文系クズ」というねらーの世論と
自分を粗末にした会社への私怨から文系おろしに加担した中村修二の影響力のせい
日本は大学生に語学さえやらせずただ怠けさせる国になった ほう!この板に言語を語れるスレがあったのか!
言語学板が衰退してるからここは活発で興味深い! >>935
通じても意地悪で無視される。引っ込め田舎者!みたいな感じで。
20世紀後半のフランスで英語使ってモノ訪ねようとした時の感じ、 >>943
思うに習得の難易度は、言語の同化する力のあまり重要な要素ではない
「複雑な言語」が「単純な言語」を圧倒する例は珍しいどころかたくさんあるだろう
また複雑と思われた言語が規則的で覚えやすかったり、
単純(特に音声面で)に見える言語が複雑な文法を持っていたり、
複雑な文字体系に見えても常用される部分はさほど困難でなかったりする
同化が起こる方向、力関係は政治的、軍事的、経済的要因が優先する
「難しい」言語でもその話し手が一斉に取り囲めば「簡単な」言語の共同体も同化される ポルトガル語とアマゾンの言語の関係か
でもポルトガル語もかなりクレオール化して文法が単純化したけど
口語では動詞の一人称複数形すら消滅 >>942 愛新覚羅烏拉熙春さんも大変な努力をして満州語を学んだのかな
先祖の個人名が二文字の漢語風なのに、本人が漢字で4文字の満州語の名前というのも不思議
実は烏拉熙春というのは親が付けた名前じゃなくて、本人が選んだ筆名だったりするのかな 満洲語の場合はそれ自体が専門用語も相当に採り入れて実用に堪えるものに発展してただけに
危機言語化してるのが不思議なほどだよね
アマゾンの言語の場合は、ニェエンガトゥなど、比較的広域で通ずる言語として残存してるものがあるだけに、
何が言語の存廃を決するかというのは、実は本当に微妙な違いが世代を重ねるにつれ大きくなるってことなのかね
或いはそれこそシベ語の場合のように、極めて強力な言語圏から或る程度(社会的あるいは物理的に)距離を置けるかどうかなんだろうか >>971
アイシンギョロ・ウルヒチュンさんは、もともと専門研究者として女真語・満洲語を研究していた人だよね。
世が世なら清の皇室のお姫様に当たる立場の人だから、
母語話者間の人脈の面でも、満洲語の学習環境はやはり或る程度以上持つ機会があったということだろうか?
「ウルヒチュン」という名は、「聡明」を意味するそうだ。
司馬遼太郎さんの「韃靼疾風録」の末尾の「女真人来り去る――あとがきにかえて」の文中にも、
ウルヒチュンさんは当時中国在住でアイシンギョロ家の末裔として登場してるね。
(司馬さんは、漢字転写での烏拉熙春さんの満洲語本来の読みとその意味を、取り違えてしまってたようではあるけれど・・・)
ウルヒチュンさんが日本に在住なさるようになったのはその後のことらしい。 アイシンギョロ家の末裔といっても乾隆帝からの傍系か
溥儀とはかなり離れてるな 皇族と言うより一つの部族みたいな規模なんだろう
満族は、漢化の結果、部族名を個人名の上に姓のように冠するようになったが、
それはモンゴル人のように本来は無かった習慣だろう
だから姓には漢人のようなこだわりが薄くて、ふだんは漢化姓の趙とか何かを名乗っていて
愛新覚羅と名乗ろうと思えば名乗れる家系の人が何万人といるだろう
満語の研究者で、ウラヒチュン氏以外に(たぶんもっと高齢の、そして確か愛新覚羅姓の)男性の研究者がいて、
黄色い表紙の分厚い論文集を著していたのを読んだが(今度見つかったら何か引用したい)
一子相伝みたいな制度で満語・満文を伝承する家系があったらしい
そういう家には北京の「京語」や瀋陽など遼寧省の方言などのそれぞれ「流派」みたいなのがあったようだ
その違いも方言差として記録されている それにしても烏拉熙春の出してる研究成果の書いてある本高いな
普通の公立図書館になくて一般の利用が制限されてる大学図書館にしか置いてないぞ
凄い発見をしたって主張してるのに肝心なその中身が簡単に読めないのは人類社会に対する大きな損失なのではないか
どうやって日本語で新羅をシラギと読むのと同じ系統の突厥語チョルグルと契丹語シュルウルと女真語ショルゴルという新羅高麗の呼び方を見つけたのか過程ぐらい知りたいもんだ
もし事実なら満州語のソルホおよびモンゴル語のソロンゴスとの間を繋ぐミッシングリンクが繋がったことになるぞ >>975
満洲語のメレンドルフ式ラテン文字転写では
Ulhicun
に相当する名の人なので、
漢字転写で「拉」の箇所は、原語だと子音の l だけに当たるね。
だから「ウルヒチュン」さんのほうが近い転写であるようで、
日本で出版されている専門書にも、
氏名の読みに「あいしんぎょろ うるひちゅん」のひらがな書きを添えてあるものが実際にあるよ。
「アイシン」は本来「こがね」を意味する語彙なので、
アイシンギョロ姓の人が漢式の姓を名乗る場合には、
「金」を名乗っている事例が多いそうだね。 >>971
漢語名は金智慧だったようだよ。京大の吉本教授と結婚して日本に帰化して、
今は吉本知恵子と名乗っているらしい。 >>938
隣に人口比100倍のケベックがあって反対側は海と外国という地勢条件だから、そうなるわな。
ケベックがフランス語単一公用語のようなことしてなけりゃ、速攻でフランス語を公用語から外してるわな 乾隆帝時代の分家というと、日本では家康の時代の分家(の分家の分家の・・・)が幕末にいたようなもんか。
日本では武家公家問わず家をおこせない息子はたとえ貴種でも結婚せず子を持たないことが多いから、相当する事例はあまりないかなあ。
旧中国では王侯の五六男はそれなりの家産を貰えたのかな? >>940
支那人が少なかったからだろ。
どのみち、圧倒的多数派がなくて、バラバラの言語状況だったから。 >>943
ジャウィー文字のマレー語、がっつり表音表記と活用・語形の変化無しから、英語に切り替わってるシンガポールとか、
キリル文字・突厥ルーンと表記はどっちも表音的で簡単だけれど、発音・言語構造の簡単なテュルク語から複雑なスラブ語に入れ替わったブルガリアとか、
おなじく、ラテン語からギリシャ語に切り替えたビザンチン帝国とか、
ギリシャ語からさらに難儀な構造のアフロアジア語で表記の煩雑なエジプト語に乗り換えたプトレマイオス王朝とか
いっぱいあるしなあ。 >>974
日本も戦後にまとめて臣籍降下させるまで伏見宮系皇族とか残ってたろ >>975
日本の律令時代の姓も同じようなものだろ。同祖集団としての、いっちゃ部族をひとまとめに、氏姓を賜わってる。
紀とか物部とか蘇我とか中臣とかそういうのは、氏であり部族名のようなものだ。 >>983
それは世襲親王家として皇室本家とは別のイエをおこしてるからな。
中世以降のイエ制度下の日本では、その人たちは伏見宮家という尊貴なイエのメンバーだから偉いんであって、皇孫だから偉いかというとちょっと違う。 ていうか清朝でもヌルハチホンタイジ時代の分家で世襲親王家ってなかったか? >>985
そんなこと言っても、昭和22年まで、7番の博明王から31番の閑院宮春仁王から、伏見宮系の皇族にも皇位継承順位がついてたしなあ。 >>982 ビザンチン時代のギリシャ語って、書面語としては古典ギリシャ語そのままだったのかな?
コテコテの文語としてのラテン語とコイネー以後のギリシャ語だと、ひょっとしたらラテン語の方が難しかったりして >>982
ブルガリア語に関してはだいぶん活用が単純化したらしいがな
支配者側のテュルクは少数で被支配者のスラヴが大多数ならそれで間を採った訳だ >>984
モンゴル、満洲の場合は、「個人名で名乗るのがデフォ」という点があるわけ
古代日本においてカマタリ、エミシ、と名前だけで呼びあっていたのか?
そうでないなら関係ない別の現象だ
ぜんぜん似ていないよ >>985
イエ制度と言うからには、血統はつながっていなくてもいいのか
親王家も途中で養子を入れたりして、それでも皇位継承権はあるのか >>982>>988
言語の「難しい」「より難しい」は、学習者の母語との相対的な距離で、絶対評価は難しいだろう
ビザンチン帝国臣民にとっては、上位の高官がラテン語を使用していた状態からギリシャ語に切り替え、
ステータスを持っていたラテン語の廃止とともに公用語が「母語に切り替わった」わけで、
相対的には「簡単」になったということだろう
ラテン語を公用に使用していた高官も、その母語はギリシャ語だったのだから
コイネーの構成は古典ギリシャ語のうちアッティカ方言をベースにし、それにマケドニアやスパルタの
ドーリア方言が少し残存した状態だという
ギリシャ語の場合、文明化に比して文字化が早すぎた(ギリシャ文字が精密すぎた)ために、
方言差(主に訛りと綴り)の差がなかなか統一されなかったこと、ヘレニズム期以降のコイネーの成立が画期的だったと言える
言語自体の難しさで言うとギリシャ語とラテン語は五十歩百歩にも見えるが、
ギリシャ語は黄金期(規範の中心となる時代)の前8世紀には名詞の格が主・属・与・対の4つになり、
語順がSVO中心になっていったが(SOVは古いことわざの文体)、
文学上黄金期の共和制時代のラテン語は自由語順ながらSOVが中心、名詞の格では奪格がまだ生きていた
(希・羅とも呼格はあるが文の構造における重要度はあまりない)
格の数そして前置詞の利用度、語順の傾向、定冠詞の使用の有無など、ギリシャ語のほうが先進的、ラテン語は保守的だったと言える >>993
臣下から世襲親王家に養子に入った例でもあるんか? >>994
>ラテン語を公用に使用していた高官も、その母語はギリシャ語だったのだから
ここ、本当か? >>978 やっぱり満州名は本人が意識して名乗らないと持ってないような状態か
一方で本当の清朝末期にもまだ満州名の人がいたみたいだな
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%98%9F%E9%98%BF_(%E7%B9%99%E8%AD%AF%E9%80%B2%E5%A3%AB)
>繙譯進士
>一子相伝みたいな制度で満語・満文を伝承する家系があったらしい
家業として満州語のエキスパートだったってことか >>997
一子相伝の達人技・・・
・・・人呼んで「満洲の辯」?
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