モンゴル帝国
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移民なんてダメなのは、すでに歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴
《フンヌ》=フン族=後のハンガリー、フィンランド人のこと、
ウイグルや突厥に追われた柔然とはブルガール人、後のブルガリアのこと、
突厥がその後オスマントルコになるのは言わずもがな)、
しかし、三国志の統一も20年くらいで、
その後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代が300年続いたのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
その結果がローマも中国も暗黒の中世である
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!
フィンランド人の平均顔面
https://pmsol3.files.wordpress.com/2011/02/averagefinnman.jpg
日本人の平均顔面
http://livedoor.4.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/a/a/aac8ce68-s.jpg
だって生粋のフィンランド人てこれだからな
http://i.imgur.com/rM9Dvk5.jpg
なぜなのか >>32
三国志の中にモンゴル人が結構いるのにおバカなイギリス人w モンゴル人が領土を拡大したと思われるのは馬乗ってあっちこっちチョロチョロしてるからだってw
またバカイギリスがキチガイサイバーw 三国志の中でモンゴル人は
晋のケ艾
因みにロシア人は
賈充
華雄モンゴル人。
呉の程普、丁奉もモンゴル人。 >>36
晋はとうがい
日本人は魏に多く、曹休がいつも曹操のところで休んでいる日本人だったからw
九州の唐津の人。
荀攸
晋の郭淮(かくあい)
郭 淮は琉球王国の人で、気候が合わなくて風邪をひいてばかりいた為帰っている。 必見。世界のモンゴル観について高橋和夫さんが説明。
【高橋和夫】最新 ニュース速報 2018年12月14日 飯田浩司のOK!Cozy up!
https://youtu.be/VH5Ph6WdFfE?t=1151 パスパ文字 (八思巴文字、パクパ文字) とは、元王朝の時代にモンゴル語等を表記するために作られた音素文字 パスパ文字の概要
蒙古新字とも呼ばれ、字形の特徴から方形文字とも呼ばれる。
モンゴル帝国 (元王朝) の第5代皇帝フビライ・ハーンが、チベットの高僧パスパに新しい文字体系を作らせ、
それまで通用していたウイグル式のモンゴル文字に代わる国家の新たな文字として普及させた。
パスパ文字は1269年に公布され、モンゴル語の他、中国語、チベット語、サンスクリット語の表記にも用いられた。
書写に向かない形と言われ一般には広く普及しなかったが、当時の公文書、碑文、印章、貨幣等に用いられた例が多く存在し、
現在でもチベットにおいて文書の見出しや印章、寺院の装飾等で用いられている。 もしも明代がなく、モンゴル帝国がずっと続いたならば、北京語はパスパ文字になっていたであろう 北京がパスパ文字で、南が漢字を使い続けたら面白かった 満州も、極東ロシア共和国に編入されるか独立国で、ロシア文字を使う国になっていたら面白かったな >>46
北海道で中学校の先生かできなかったから、その腹いせ。
仙台育英高校の副担止まりw 「ロシアは白人国家と思い込んでる人も多いが、実はモンゴル帝国の支配下が100年ほどあった。
そのためモンゴルの血統が相当入った人が少なくない。ザキトワ選手の父親もモンゴル血統の人。」
なるほど、ロシア人には混血が多いからこその美女大国なんだろうな。
つまり朝鮮や中国に近い極東ロシア地域なら、アジア人と白人の混血美女も多いだろうね。
そう言えばテニスのマリア・シャラポワはロシアでは普通レベルだなんて言われてなかったっけ? ロシアはピョートル1世が出てくるまでモンゴル文明圏だった。だから500年。 >>50
元々ずっといた民族。
モンゴルの支配下になんかなるかw >>50
モスクワにいたスターリンの親族諸々は、ユダヤ人ではない白人。
全て第2次世界大戦後南からのユダヤ人に殺されている。 モンゴルはどこも支配したこともないのに、支配、支配w
中国共産党のせいだよなw モンゴル帝国による大量虐殺を経験した地域はもれなく嘘つきだらけ。
まともなのは大量虐殺を経験していないモンゴル本国のみ。 常態的なルール破り指向はモンゴル帝国の遺産かねぇ。
WADAがロシアに3週間以内の説明要求、データの矛盾発覚で
https://www.afpbb.com/articles/-/3245909
【9月24日 AFP】
世界反ドーピング機関(WADA)は23日、ロシアが提出したモスクワ検査所のキャッシュデータに「矛盾」があったことを受けて、同国に対して3週間以内の説明を要求した。
それができない場合、同国には2020年東京五輪を前に新たな制裁が科される可能性が浮上している。 モンゴルの韓国観では、元の最後の皇帝の順帝が、
高麗の貢女上がりを皇后にしたからというのがある。
皇后はチンギス・ハーンの時代には、同格の汗だった
モンゴル、テュルクの汗の後裔の家系からしか
迎えない様にしてたのに高麗の貢女上がりの
奇氏を皇后にしたものだから、高麗人の宦官まで
呼び込んで宮廷内権力闘争したから、皇帝を支えるべき、
モンゴル、テュルク系の貴族の結束が乱れたから、
チンピラ盗賊と新興宗教の狂信者が合体した野盗集団に
漠北に追われることになったというのがある。
高麗自体元が皇女を降嫁させて、世界の大元皇帝の
婿としてもり立ててやったという意識もある。
さらに、清の時代にはモンゴルのハーンを兼ねていた
大清皇帝の直属の臣下であるモンゴル族は朝鮮など、
属国の王の臣下位にしか思ってなかった。 グローバリズム(笑)がもたらす負の遺産について考える良い標本、それがモンゴル帝国。 >>64
むしろモンゴル帝国のもたらしたグローバリズムを評価する研究者も多いんだよなあ 所詮は、略奪型経済モデルで拡大するネズミ講でしょ。
領土拡大が止まったら破綻する。ネズミ講だから。 資本主義の前提になる誠実さや順法精神の欠如がかつてモンゴル帝国だった地域に共通する現象。なぜ? スペイン帝国とモンゴル帝国の繁栄の共通性は、征服対象に対する徹底した殺戮と収奪。
戦利品の分配が終わった時に繁栄も終わった。 ちょっとモンゴル女子について質問なんだが
モンゴル数人とルームシェアしてるんだけど、
女子なのに毎回トイレの便座が上がってるんだけどどういうこと?
立ちションしてるとしか思えない
わかる人いる? >>69
そのモンゴル女子はモンゴル国の国民?それとも中国のモンゴル族?
モンゴル国民なら、かなりロシア風の生活様式に馴染んでいるから、
普通に洋式便器を使うぞ。中国のモンゴル族だと漢族よりも遅れた
少数民族扱いだから田舎出身の漢族同様に女子の立ちションもあり得る。 >>70
なるほど。ロシア語を話せると言ってる人はいる
もう1人は便座が下がっていたが、自分が入って小便しようと便座を上げたらマンゲが便器に付いてて、
気になったんだ
ありがとう >>65
主要先進国でモンゴル帝国に支配された国はないんだよなあ 資本の蓄積が国家への反乱に直結する脅威とされ、権力者以外の勢力が資本を蓄える機会が生まれなかった。
他人の作った法は実力によって無力化するべきという実力主義が広まった結果、嘘つきだらけの社会になった。
これらがモンゴル帝国がもたらしたグローバリズムの遺産。 親密さを表すために「兄弟」という表現を頻繁に使うのも大陸国家の特徴。嘘まみれだからこそ軽々しく「兄弟」といえる。 お互いを安達(アンダ)、兄弟と呼んで親密さを演出しつつ、最後に殺し合う予定調和。 >>60
ロシアではモンゴルのことををタタールといった 永遠なる天の命令であるぞ。
天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主たるチンギス・カーンがある。
これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。
我が命令を聞き知りながら、従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても、歩けなくなるであろう。
これは永遠なる天の命令である。 ヒストリーチャンネル「古代の暴君」ランキング堂々の1位、チンギス・ハーン とんちんかんなこと聞くかもしれないけど
あれだけ殺戮行為や侵略行為をしたモンゴルに報復した国家はあったの?
例えば被害国のソ連ならT34やカチューシャでモンゴルを蹂躙しなかったの?
13世紀のことだからもういいとされたの? バイバルスは両親を目の前でモンゴル軍に殺され奴隷(マムルーク)となり後年、モンゴルに復讐した。 >>82
さすがに現代にもなって13世紀の時代の恨みを晴らすようなことはないのでソ連とかでそういう話は聞かないが、前近代ならばそういう話は普通にあるぞ >>82
モンゴル自体が中原を放棄して草原に戻ってからしばらくすると
自分達が倒して支配してたはずのオイラト部のエセンに大ハーン位まで奪われて
フビライの子孫は結構殺されまくってるよ こう言ってはあれだが、中国の暴力性はモンゴルと共通のものだね。東南アジアもそうかもしれない。 ナチスの戦争犯罪が永久に消滅しないならモンゴル帝国の戦争犯罪はどうなるのか?
4000万殺した戦争責任を追及してしかるべきだな
勝てば官軍なのか?
あほらしいと思うなら、ナチスの戦争犯罪もいつか忘れ去られる時がくるんだろうな
極端にいうなら原爆投下もそうか、将来かなり時代がすすんだら、
20世紀の中ごろのことだからもういいやんで終わりそうだな https://www.afpbb.com/articles/-/3309771
中国が圧力「チンギスハン」を削除せよ 仏博物館、企画展延期に
2020年10月14日 14:44 発信地:ナント/フランス [ フランス ヨーロッパ ]
【10月14日 AFP】モンゴル帝国の創始者チンギスハン(Genghis Khan)に関する
展覧会を計画していたフランスの博物館が12日、中国当局が検閲を試みたとして展覧会を延期すると発表した。
仏西部ナント(Nantes)にある歴史博物館は、中国・内モンゴル(Inner Mongolia)自治区フフホト(Hohhot)にある
内モンゴル博物館(Inner Mongolia Museum)の協力を得てこの企画展を準備してきたが、
中国国家文物局が当初の案に変更を求めてきたために問題が生じた。
ナントの博物館によると、要求された変更点には
「新たな国家観にとって有利となる、モンゴル文化に関する偏った書き換えが顕著な要素が含まれていた」という。
具体的には「チンギスハン」「帝国」「モンゴル」といった言葉を展覧会から削除するよう要求され、
さらに同展に関するテキスト、地図、パンフレットおよび宣伝に対する監督権も求められたという。
同博物館ではこの企画展の開催を3年以上は見送るとしている。 >>88
今回の騒動は、中国がモンゴル民族に対する強硬姿勢を強める中で起きた。
ナントの博物館は、「今夏、中国政府がモンゴル民族への態度を硬化させたこと」が
展覧会延期の一因となったと説明している。
博物館長のベルトラン・ギエ(Bertrand Guillet)氏は、
「われわれが守る人間的、科学的、倫理的価値観の名の下、今回の展示をやめる決定を下した」と述べた。
仏シンクタンク、戦略研究財団(Foundation for Strategic Research)のアジア専門家、バレリー・ニケ(Valerie Niquet)氏は、
「中国政府は、公式の国家観と一致しない歴史観を禁止しており、国外でも同じことをしようとする」と解説した。
同シンクタンクの研究員、アントワーヌ・ボンダス(Antoine Bondaz)氏は
ツイッター(Twitter)への投稿で博物館の判断を支持し、伝えられている中国の要求は「常軌を逸している」と批判した。
来週から開幕するはずだった企画展は今年、すでに新型コロナウイルス流行の影響で半年ほど延期されていたが、
今回の一件で「2024年10月までは延期せざるを得ない」と博物館は述べている。 >>88-89
中国の歴史教科書ではチンギス・ハンを中華民族の一種として扱っていると思っていたが、
そういう中国政府公式見解にチンギス・ハンやモンゴル帝国の存在が都合悪くなってきたのかね? 展示予定だった物などを一通り本にしてくれれば2000円前後なら買うけど >>90
もう世界中がチンギスハーンなどモンゴル帝国のことを知っちゃってて映画化したり何だりしてるのに、今さら誤魔化せるかね >>93
今更ごまかせないのに、そういう無理やりな思想統制を試みているのがここ最近の中国政府だからなあ
なんか彼らに余裕がなくなってきたのを感じる 1984の世界みたいだね
まじもんの監視社会だし言論統制ヤバイし モンゴル政府はこの件について中国に抗議してるんだろうか?
日本の漫画雑誌でのチンギス・ハン描写にすら抗議してきたモンゴル政府のことだから、
中国政府のこのような態度に猛抗議してもおかしくないと思うんだが 嘘はバレる世の中なのに
ずいぶん時代遅れな政策やってるね中国
WeChatというアプリを入れたスマホの中身は
中国政府が全て吸い上げられる仕組みになってると
最近テレビで中国から逃げてきた元官僚が言ってたわ >>96
思うところあっても、内モンゴルには関われないのかね
自分たちに敵意が向いたら面倒くさいし >>96
日本制作のモンゴル映画は酷いよ
馬は乗りこなせてないし呼称は間違えてるし日本人好みの勝手なストーリーに仕上げていて怒られても仕方ないレベル >>98
モンゴルにとって中国は隣国だから敵意が向かれると困るんだろうなあ
香港騒動以降、最近の中国政府は何するか分からない怖さがあるし 中国って、台湾も少数民族も全〜部が漢民族の亜種だから!漢民族なのよ!みたいな研究結果()を発表してりしてるけど、どう見てもルーツ違うよね
確かに漢民族バンバン送り込まれて原住民の血は薄まってるだろうけど…
他の国が中国人のゲノム調査したら発狂するかな 貿易戦争とコロナ禍のダブルパンチだし厳しそう
こないだの豪雨で決壊しそうなガタガタの黄河のダムも大丈夫だったのかね…
HUAWEI頼みの国だけど、世界中に盗聴だのハッキングだの茶飯事の国ってことが伝わっちゃってるからあんなの欲しい人なんて中国人くらいだろうな 川に恵まれたモンゴル地方を手離したくないんだよな
水利権を掌握しておけば外交うまくいくと思ってる 今のモンゴルではチンギス・ハンとモンゴル帝国をかなり神聖視してるから、中国のこういう態度に内心憤ってる国民は多そうだけどなあ 昔から反中感情の凄い国でしょ
いろいろありすぎて修復不可能だよ
モンゴルで中国人が襲われること良くあるみたいよ
それと政治は別って話で 中国との関係性が悪いのは想像ついてたけど
韓国との関係性も相当よくないっぽくて唖然
wikiより
モンゴルを訪れる韓国男性の70%以上が売春ツアーを目的としており、モンゴルでは韓国人が経営する売春目的のカラオケバーが確認されているだけで50軒以上にのぼり深刻な問題となっている。
モンゴル政府は韓国人による売春ツアーを取り締まるために売春取締法を強化しているが韓国人の経営する売春目的のカラオケバーの活動を縮小させることができていない。
また、取締りを逃れるために乗馬クラブやマッサージ店での売春が増加している。空港を降りるとそのまま売春乗馬クラブに直行する姿などが目撃されている。モンゴル人は韓国人の無法行為によって強い反韓感情を持っている。
さらに、モンゴルでは韓国の暴力団が幅を利かせており、韓流を利用した就業詐欺、マンションを建てるといって金を騙し取る等の詐欺が続出しており、嫌韓感情が急激に高まっている。
そのため世論調査では韓国は嫌いな国の第2位である。朝青龍が韓国人記者に対して「このキムチ野郎!」と発言したことがある。 モンゴル語にはチャンコロに相当するホジャという漢族に対する
蔑称がある。これ、モンゴル国のモンゴル人が使うのかと思って
いたが、内蒙古自治区のシリンゴル出身のモンゴル族も使ってた。 >>79
横だけど、それモンゴルだけじゃなくて、かなり広い範囲に存在したテュルク、ツングース、サモエド、フィンウゴル、その他なども含む遊牧民全般のことだよTatarって
ちなみにTataは父権社会において権力者や主人や父などを指した言葉で、インドの有名なTATA一族も祖先は遊牧民かと思われる >>81
>>82
モンゴル帝国は、戦略として情報を嘘で盛りまくって他国に恐れの感情を抱かせようとする傾向があったと良く聞くんだけど、
(敵を数人やっつけて「全滅させた!」みたいなやつ)
実際にそこまで被害って出てたのかな? 秀吉も結構うそつきって歴史学者が良く言うけど
参考にしてたのかな>嘘で盛りまくって >>109
それはあくまで、敵に流す情報でしょ?
事実は事実。
今でも、いったいなん人の人間がモンゴル人のDNAもってると思うの?
虐殺の発掘もあったし
それにしても、イラク人はモンゴル悪くいわないけどなんでかな? >>112
事実ってのはモンゴル以外の国が残した記録とか?憎しみがあると大袈裟に書いたりしちゃうと思うけど、何を持って事実なのかがちょっと分からない
トルコというかテュルクはモンゴルと仲良かったからじゃないかな>悪くいわない
もしくは興味ない 日本人のモンゴル好き|高橋和夫国際政治学者|note
ttps://n■ote.■mu/kazuotakahashi/n/nb6c4bbd4d33f
2018/12/18 03:40
ここで興味深いのは、日本人のモンゴル好きである。モンゴル好きという言葉が過剰であるならば、モンゴルに対する嫌悪感の欠如である。
これはユーラシア全体を見渡せば、変わっている。というのはモンゴルの侵略を受けた国々では、悲惨な経験が語り継がれているからである。
たとえば第二次世界大戦中のドイツ軍のポーランド占領が残酷であったとして、
イギリスの首相だったチャーチルが回顧録でモンゴルのヨーロッパ侵入以来の残虐さだと記述している。
つまり極悪非道の基準がモンゴル軍の行動であった。
確かに13世紀にポーランドに侵入したモンゴル軍はリーグニッツ(ワールシュタット)の戦いで勝利を収めると捕虜に対して非道の限りを尽くした。
モンゴル軍に席捲されたシルクロード沿いの人々も殺戮と略奪と破壊を経験した。それが深く人々の記憶に刻み込まれている。
筆者の招かれたイラン人たちのパーティーの時に、予想より参加者が多く食べ物が直ぐになくなってしまったことがあった。
そうすると、ある参加者が「モンゴルの襲撃のようだ」と表現するのを耳にした。モンゴルは決して愛されていない。
ところが日本人は襲撃を博多湾で食い止めたからなのか、モンゴルに対する嫌悪感が薄いようだ。これは世界でも稀な現象である。
もっとも、日本人は鎌倉武士の善戦と神風でモンゴル人の上陸を食い止めたつもりでいるが、実際はどうだろうか。
大相撲の九州場所は博多湾に面した福岡国際センターで行われるが、土俵上では多くのモンゴル出身の力士が活躍している。
結局、モンゴル人は博多に上陸したようだ。少し長くは、かかったが。 モンゴル帝国の残忍さは宣伝によるものではなく事実。 >>114
ヨーロッパではモンゴル人だけではなくフン族も嫌われている >>113
> トルコというかテュルクはモンゴルと仲良かったからじゃないかな>悪くいわない
> もしくは興味ない
モンゴルに抵抗するトルコ系のキプチャクの中からバイバルスが出てマムルーク朝を建てた。 >>114
日本人って本当にモンゴル好き多いよね
あのストーリーが好きなのか馬乗りが好きなのか
逆に反日教育してたはずのモンゴルが日本好きなのも不思議
なんか相思相愛じゃん不気味 655 世界@名無史さん sage 2020/10/04(日) 18:21:57.72 0
モンゴリアン習俗系のYouTube見てると食習慣が面白いけど、モンゴル帝国時代も似たような調理法だったんだろうか
基本解体したら直接かまどに乗せて焼くか直接バーナー当てて焼くかして、さらに時間かけて煮るみたいな手のかかる調理法
そんなのんびりしてられたのかなと思って
最近見たやつだと、
ヤギを解体してお尻から内臓こぞぎとる→さばいた肉塊と熱した火石を詰め込んで調味料サラサラパッパして外側からモミモミ→後ろ足を縛って閉じる→中身を蒸してる間に皆で毛をむしる→バーナーでこんがり→腹を開いて食べる
最初はグロいのにだんだん美味しそうに見えてくる…
656 世界@名無史さん sage 2020/10/04(日) 18:23:52.52 0
あと、調理や食事の前に必ずかまど?の中に肉片を幾つか放り込む(神様に供える感覚?)なのは、火の神への信仰でもあるのか気になった で、話の本質だけど
モンゴルの戦争責任はどう追及されたの?勝てば官軍だったの?
もしくは昔のことだからOKになったの?
それなら、日本やナチスドイツや原爆の責任は
道義的な面も含めて600年ぐらいたてば忘れられるんだよね? >>121
600年も経てば忘れ去られるのはそらそうやろ
何を当たり前のことにこだわっとるんや? >>112
>>121
なんか某国が日本にいつまでも金銭を求めるような感覚の攻撃性を感じるんだが 殺した数は互角なのに
ヒトラーはなぜ悪人なの?
チンギスはなぜ英雄なの?
なぜチンギスを英雄視するモンゴル人に
被害国の中韓は黙認するの?
そのくせ靖国を参拝したら文句言うの?
これって戦争の勝ち負けで決まったの?
なら戦争って絶対勝たないといけない代物なんだよね。 まず殺した数が互角かどうかは定義によるのでは
あと英雄か悪人かを決めるのは当事者でモンゴル人はチンギスハンを英雄と決めた
これ他人がどうこう言える問題ではないよ
ヒトラーが悪人なのは戦争当事国がそう決めたからだしなぁ
ちなみにチンギスハンのモンゴル帝国から元の中原放棄辺りまでに区切って言うと
直接戦争した国で今も残ってる国は日本だけだよ
当のモンゴル帝国だってもう滅んじゃって今のモンゴル国とは然程関係ない
国民がモンゴル帝国にルーツを感じてはいるけど違う国なんだわな
中国も韓国も建国してまだ100年も経ってないし関係ない国の責任を
また別の関係ない国がどうこう言える義理も道理もないでしょ それってつまり
今のモンゴルという国が正当継承国でないからなの? モンゴル帝国の正統後継国家は清だった
クリルタイで後金ハーンのホンタイジがモンゴルの大ハーンにも選出されて
後金とモンゴルは同君連合化したのよね
後に清の衰退と中華民国の成立の狭間で
モンゴルの大ハーンの後継者を名乗るボグド・ハーンが現れたんだが
その死でモンゴル帝国からの継続性を持った君主国は消滅した
モンゴル人民共和国は邪悪な君主制を打ち倒して人民の立ちあがった
(ということにしている)共産主義国でモンゴル帝国との継続性を主張する国家じゃないしなぁ 元って清と違って、漢民族に同化しなかったよな
民族のアイデンティティ維持しながら、数の上では圧倒的な漢民族を統治してたわけだ >>124
同じ土俵で語れないだろ
前者はユダヤだけを標的にして自分の手を汚さずに世間を先導したんだぞ >>128
逆だよ
漢民族に同化したとされてる過去の支配者たちに
漢民族側が吸収されて来たってのが今までの歴史
ただ漢民族は数が多いから染まり切る前に次の王朝に行っちゃうし
支配者側が漢民族に近寄ることもあったりして
なんとかかんとか漢民族としての特徴を残したまま現代まで至ってるだけ
満洲人が今漢民族に吸収されつつあるのは漢民族が支配者側なのが一つ
それと現在進行形で他の少数民族に対してやったのと同じようなエスニッククレンジングを
戦後すぐから食らっただけよ なるほどね
それだったら中国が中華民族として
チンギスを英雄視するのもわかる
ほとんどが擬似漢民族なんだからね
周りから賛同される屋台骨はヒトラーより
格段に盤石なわけだ。 >>79
チンギスハーンの父親はタタール族を殺したりタタール族に毒殺されたりしてるみたいだが ttps://www.afpbb.com/articles/-/3309257
コロンブスの米大陸上陸記念に原住民たちが抗議しているな
コロンブスは虐殺や搾取の象徴だと撤去を求めているのか
500年も昔なのに でもこれが普通だと思う。
コロンブスへの理屈を通せば、チンギスハンはヒトラーと同じ扱い
アウトバーンやV2やMe262など、高速道路、ロケット、ジェット機の
元を作ったヒトラーの方がまだまし。本当に勝てば官軍だよな。 >>134
そんなことないよ。
ヒトラーがチンギス・ハーンのように社会的地位の高い階層に多くの子孫を残したら、
その子孫たちが歴史修正を試みるでしょ。「ただの宣伝で実際にはそれほど殺してない」とか言うと思うよ。 ニュルンベルクの裁判でアウシュビッツでの虐殺が400万だったが
本当は150万だった。歴史は戦争の勝った側のいいなり
コロンブスの件を客観的角度で見て抗議するやつはまともってこと
チンギスを英雄視するやつは・・・ >>135
そんなのお前の個人的想像じゃん
欧米人は日本の寺マークにさえナチスを連想して不快感を示しまくってんだろ
現実を見ろよ >>139
700年後にナチスの扱いがどうなってるかで考えてみなよ。 スレタイ読めないのか
なんでヒトラーを対比に出してんのか謎すぎるしスレチ ホロコーストはなかった。戦わずに降伏させるための宣伝だった。ナチスは人命尊重する政権だった。 >>141 スレチじゃない
ヒトラーとの違いはないのに、なぜチンギスだけは英雄なのかを考えるんだから
700年前のことだからで済むんならいいけど
それなら700年たてばホロコーストはなかった、
戦わずに降伏させるための宣伝だった、ナチスは人命尊重する政権だった
で済むんだよね。 念のため書いとくけど、モンゴル帝国は人命尊重ってのはネタじゃないからな。
以下キーワードでググれば見つかるからな。白石典之って人の論文の引用だけど。
モンゴル帝国の興隆と衰退 - 多摩大学 2018年度 インターゼミ アジアダイナミズム班 >>88
中国はなぜフランスに削除を求めたのですか?
理由がよくわかりません。 >>102
黄河もヤバかったの?
山峡ダムじゃなくて 孔明に代わってモンゴル軍だったら魏への北伐って成功してました?
兵器は三国志時代に合わせるものとします。 >>146
日本のモンゴル帝国研究者の中にはやたらモンゴルを「人命尊重」とか「残虐じゃなかった」とか理想化するやつが一部いる
杉山正明なんかがその最たる例だけど、ああいう人達の主張はあまり真に受けない方が良いタイプの妄言だと思う ナチスの蛮行が今後どのように風化していくかを考えるうえでもモンゴル帝国研究は意味がある。 歴史修正の成否は多くの子孫を残せるかどうかが重要になってくる。
子孫のいないヒトラーが名誉回復(歴史修正)される可能性は低いと思う。 預言者ムハンマドの子孫であるハメネイ師が最高指導者を勤めているイランでは、日々、預言者ムハンマドやその娘婿アリーの美化宣伝が行われている。
ハメネイ師の黒いターバンは預言者ムハンマドの子孫であることを意味する。 >>155
宮脇は割りと普通にモンゴル帝国の残虐性も認めていたと思うが 北朝鮮には脱北者の鼻や掌に針金を突き刺して連行する習慣が今もある。
元寇で日本人捕虜の掌に縄を通して連行したって話が誇張ではないことの傍証になるね。 衛星を打ち上げたけれど制御用端末を準備していなかった韓国軍-Chosun online 朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/10/20/2020102080058.html
元軍が神風で壊滅的打撃を受けたのは、たしかに朝鮮の人々の仕事のおかげだったのかもしれない。 遊牧民は野蛮というのが決まり。
スキタイや匈奴の時代から野蛮民族と決まってる。
出土品を見て、意外にも高度な文明じゃんかと思われるパターン。 決まり?そんなマイルール発表されても
野蛮かどうかってのは一方的な主観でしかない
倭だって何処だって中華以外は総じて野蛮とされてた >>151
モンゴル好きって変な方向に理想化したがるけど根拠あんのかね
日本人が作ったチンギスハンの映画は両者とも怒られてるよな チンギス・ハーンの乾いた勇敢さと残忍さが正しく描かれていないからだろ。
井上靖の蒼き狼で描かれたチンギス・ハーンは史記や元朝秘史にない弱々しさがある。 親密だったはずのオンハンとジャムハを短期間に亡き者にするあたりが、チンギス・ハーンの闇。
生存者バイアスのかかった不自然な歴史が残された。ケレイト部の地位の変化が「歴史」に投影されている。 >>165
どの分野の歴史家も自身の研究対象となる国・時代を理想化したがる傾向はあるし、
それは研究者の性かもしれんが、それにしてもモンゴル研究者のそれはちょっとひどすぎるわなあ
もっと素直にモンゴルの闇の面も認めろよとは思うわ >>163
それは決まってない
女性の人権を認めにくい儒教文化圏は野蛮で女性の財産権を強く認めていた遊牧民は文化的
という見方もできるし、単に文明の形態が農耕民と遊牧民ではまるで違う
思考パターンから何から何まで生活スタイル同様全然違うものを野蛮とか言ってるのは
それを言ってる人が学術的ではないし野蛮だと思われる >>164
>>169
現代の感覚、あるいはこうあるべき観点という話ではない。
現代に残ってる文献でスキタイ人や匈奴がどう見られていたかという話。
それらの文献の観点が学術的でなく正確さを欠いていても、
著述者たちが遊牧民を蛮族として偏見を持って見ていたことは否定できない。
そして一度出来上がったイメージの影響はずっと残る。 ローマ人だって残虐性はモンゴルに負けてない。
但し、ローマ人が巧みなのは、
残虐行為をする前に、正当化する理論を準備するところ。
曰く、いかに自分たちが危機に陥り、
敵に虐げられてるかを神々に訴えた上で、
やむを得ない「自衛戦争」であるという体裁を整える。
実態は一方的な大虐殺なんだが。 ローマ人は「平和」主義者。
平和を求めて、各地で廃墟を作って皆殺し。
パクス・モンゴリカというだけあって、
13,4世紀のモンゴルの覇権でも
一種の平和が世界の繁栄をもたらした。
物流が盛んになり、経済の世界化、グローバル化が生じた。
だが人々の往来が盛んになるとペストのパンデミックも起きて、
モンゴルの時代が終わっちゃった。 >>131
中国としてはモンゴル族の英雄にされては困る
らしい ソビエト連邦も「チンギス・ハンの役割を理想化しようとする傾向」を弾圧した。
チンギス・ハンを研究するモンゴル人学者たちを迫害し、秘密裏に処刑したりしてる。 >>171
時系列が逆で、敵が大虐殺するに値する悪党だった証拠を事後に盛り付けて正当化する場合もあっただろう。
皆殺しにすれば「死人に口なし」だから。 >>170
それ数少ない文字記録の残ってる遊牧民側の発言とかだと
農耕民は野蛮とか不潔とか低能みたいのあるから>>163で言うような決まりじゃない
モンゴル帝国なんて南宋人を南蛮人って呼んでたんやでw
「遊牧民は野蛮というのが決まり」ってのは君がそう思い込んでるだけや >>176
支配階級は遊牧民族、農耕民族に限らず、被支配民族よりも生活水準は高い。 >>163
>>176
何が言いたいんだ?
とにかく思い通りに決めつけたいだけだろ? すいやせん
モンゴル最大のライバルって全体的な視点では
金国と後金国でいいですか? >>181
モンゴルの最大のライバルは同時代に南モンゴル(内蒙古自治区)を支配していた勢力だよ。それが現実。
アリクブケとフビライの戦いがそれを象徴している。 ムーラン(木蘭)の時代背景は、モンゴル(匈奴)と南モンゴル(北魏)の抗争だよ。 失礼。匈奴じゃなくて突厥だったか。
どちらにしろ純モンゴルと漢化モンゴルの抗争。 モンゴル人は狩猟好き。
日本の巻狩を大陸的大規模化したようなことをやってた。
広大な地域を遮断し何ヶ月にも渡って数万人が参加するやつだったりする。
動物たちが可哀想。
一方、ローマ人は大量の野獣を捕獲して、闘技場に送り込んだ。
ローマまでの長旅で5頭のうち4頭が死ぬ。
1日で5千匹がコロッセウムで殺されたこともある。
帝国内の野生動物が激減した。 汝の戦いは、神々の御言葉と共に記される今日、その終わりを告げた。
汝の試練、大いなる意志示す戦いは、勝利の杯をもって祝され、天の輝きをもって誉れなる、金のモールとなろう。
この地にて、長きにわたる民の苦痛の叫びは、大いなる意志の化身、即ち汝の手にする、
選ばれし者の剣にて悪しき種とともに、取り除かれた。
見よ、重苦しく築かれし、死の砦は輝きを地にもたらす、壮麗なる碑としてよみがえる。
壁と塔にかこまれしその姿は、内にも、外にも叡智の徴として、その姿を地に映すであろう。
エイジアの、大いなる先祖にして王なる、クーブラ・カーンの姿は取り戻された。
まもなく、地の子らが再び頭を下げ幼き香りの精達が風と共に踊り、
生命の泉より注がれる聖なるアレフの流れは、あまねくこの地を潤すであろう。
聞け、人及ばぬ永遠の果てに還元される流れが、偉大なる先祖の声と代わりて響きわたるのを
民の嘆きとうめきが、汝を神々を讃える唄になるのをもはや、永き時の流れによってさえなにひとつ流されることはないであろう。
しかし、天と地がわけられしその時より、悪しき種は氷のごとく蒔かれ、
悲しみの涙、流されたる血にて潤い堕ちたる果実をその枝につける。
おお、蒔かれたる地、怒濤の大海のごとく。おお、その数、うちよせられたる砂のごとく。
吹きあげられたる者は、汝に無数の魂が奏でる、悲哀の唄をささやくであろう
それは、汝を求める民達の祈り
そこは、汝の耕すべき新たなる地
流れし神々の涙は、汝を導くであろう。
汝の手より剣が離れることはない、おお、神々の御手にのせられたる者よ
新たなる旅の時までその魂に安らぎを与えるがよかろう。 >>151
てか同時代人のルブルック、カルピニ、長春真人、イブン・バットゥータからして
モンゴル人は戦時以外は争いごとを嫌う平和主義者だと記録しているからな
根拠のない話とは言えないのよ >>187
以下URLでモンゴルの順位を見てごらんよ。
キリスト教国が上位独占するなか、仏教国モンゴルがかなり健闘している。
世界の殺人発生率 国別ランキング・推移 ? Global Note
https://www.globalnote.jp/post-1697.html きょうどの矢じりをNHKアイアンロードの番組で見たけど、綺麗に二段階構成で面白かった
銅鎧を刺したあとで身体にもドスッと貫通するようになってるらしい そんな現代の話をされてもねぇ
日本も治安が良くなったのはつい最近の話で高度経済成長期の頃は世界有数の殺人強姦大国だったし
昭和36年版 犯罪白書
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/2/nfm/n_2_2_1_5_4_0.html
>わが国の殺人がイギリスおよび西ドイツと比較して,各年齢層を通じきわめて多いということができるであろう。
>特にわが国とイギリスとの間ではその差が大きく,わが国の起訴猶予,不開始,不処分を除外しても,わが国の成人
>はイギリスのそれの八・三倍,年長少年はイギリスのそれの一〇倍である。
>西ドイツについても,各年齢層を通じてわが国に比しその三倍から五倍程度の倍率を示している。
少年犯罪データベース 少年によるレイプ統計
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Rape.gif ちなみに現在でイギリスの8倍の殺人率をほこる国と言えばイラクとかウガンダみたいな紛争国家ばかり
日本は高度経済成長期は国際的にも豊かだったのにも関わらず紛争国並みの治安レベルだって時点で昭和期の人間が如何に土人だったかよくわかる
ちなみに戦前の犯罪統計が戦後より低く出ているのは大倉幸宏によるとあまりにも犯罪が多すぎてまともに統計が取れてなかったかららしい >>191
犯罪白書は論文ではなく法務省が公表している政府の公式統計なんですけど
文句があるのなら法務省に直談判しろ >>193
他国の統計がでたらめなので比較の意味がない。
欧米が植民地支配で有色人種を動物のように扱っていた時代の統計が正確なわけもなく。 モンゴル人は暑くても川で水浴びとか絶対しなかったんだろうな >>196
いや、彼らは水浴び好きだぞ。山に行って谷川の清流を見たあと
川に入ってもいいのかと聞くから、精々裸足でジャブジャブする
程度と思って転ばないように気おつけてなと言ったら、彼ら
服のまま入って頭から水浴びて歓声あげてたぞ。 公民権運動以前のアメリカが黒人リンチ殺人当たり前な社会だったことさえ知らない欧米出羽守が書き込むスレはここですか。 >>195 の動画でスガル氏は、チンギス・ハーンの異母弟(兄?)ベグテルと盟友ジャムハの死について言及しているが、
実弟ジョチ・ハサルの死についても不穏な点が以下の論文などで指摘されている。
チンギス・カンとジョチ・カサル - 広島修道大学学術リポジトリ
https://shudo-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1988&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=62 >>197
日本と違って服もすぐ乾燥するのかな
川に入っていいかどうか許可とるってお行儀いいね ●【米国】自殺しようとした妊娠中のネイティブアメリカンの女性、止めに来た警官が射殺
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1477501740/ 2016/10/27(木)
「青少年・刑事司法センター」の調査によると、
1999年から2011年にアメリカ国内で警官に殺害された人種の中で最も多いのは
ネイティブアメリカンだ。
(人種と年齢の内訳では、20歳から24歳のアフリカ系アメリカ人が一番多く殺されている)。
625 :名無しさん@1周年:2016/10/27(木) 08:15:34.25 ID:MU7nfFDv0
アメリカの警察に撃ち殺された妊娠中のインディアン女性
インディアンには日本人に似てる人もいるんだな
184 :名無しさん@1周年:2016/10/27(木) 03:09:48.28 ID:ZGbHle7s0
インディアン(ネイティブアメリカン)の虐殺の歴史をネットで見ると
アメリカ白人がどれほど残虐性のある人間かがよくわかる
150年とかそこらで人間がそう変化するわけでないと思う
747 :名無しさん@1周年:2016/10/27(木) 09:41:25.01 ID:9t9ZecRG0
OZのアボリジニやインディアン(ネイティブ)もアル中だらけ
インディアンなんかは越冬出来るように清教徒もてなしたら
そのお返しがジェノサイドだもんな
霊山聖地であるラッシュモア山に侵略者の顔刻まれてムチャクチャ
日本で言えば富士山にマッカーサーとルーズベルトの顔刻まれてるようなもん 2020/10/28 もぎせかチャンネル
モンゴル対談02 モンゴルの政界地図
https://www.youtube.com/watch?v=4zFFGIeIyqA
匈奴の冒頓単于は南モンゴルの人なので「南モンゴルは中国だから」と安易に中国に譲歩すると歴史戦で不利になってしまう。
汎モンゴルは汎テュルクと重なる部分が多いけどどう折り合いをつけるのか気になった。
冒頓単于についてはトルコの方が熱心に祖先であることを大切にしてる気がしたが。 >>199
日本も在日朝鮮人や部落民を災害のどさくさに紛れて殺してたじゃん
あれは正しい虐殺だったとかほざいてるバカウヨがいるようだけどな リンチ見物が娯楽だったアメリカと同列視しないほうがいいと思うが。 関東大震災の時に朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだというデマを信じ込んだ結果
朝鮮人虐殺が起こったというのは嘘もいいとこなんだよな
どこが?というとデマを信じたというところな
震災時に自警団に属していた志賀直哉によるとみんなそんなことは嘘だと知っていた
それでも殺人を経験できる機会なんて滅多にないということで皆であえて「デマを信じた」
ということにして朝鮮人を殺して回った
胸糞が悪くなる話だが現代の価値観で批判しても仕方がない
戦前とはそういう時代だったということだ ヒトラーとチンギスの違いは
戦争に勝った負けたの違いだけでいいですか? >>208
ヒトラーは子孫を残さなかったが、預言者ムハンマドやチンギス・ハーンは子孫をたくさん残した。
この違いは大きい。 >>210
もちろん。
イスラームは滅ぼした多神教やササン朝などがいかに邪悪だったかを宣伝するのが仕事の一部になってる。
イスラームに限らず一神教は生存者バイアスと親和性が高い。
モンゴル帝国は滅ぼした敵がいかに邪悪だったかを宣伝し続ける努力が足りなかったからバラバラになった。 永遠なる天の命令であるぞ。
天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主なるチンギス・ハーンがある。
これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を、地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。
我が命令を聞き知りながら、従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても、歩けなくなるであろう。
これは永遠なる天の命令である。 大義名分や相手側の非道を口実にするという発想自体がある程度モラルが発達してないと
出てこないものだから
スキタイやモンゴルみたいに略奪や殺戮を悪とする概念がない集団だとそもそも大義名分
を捏造する心理的必要性がない わかる。チンギス・ハーンが即位前に盟友だったジャムハから人心が離れた理由の説明は、説得力ないよな。
残忍な処刑なんてチンギス・ハーンもたくさんやってるし。 チンギス・ハーンが従来言われているような高貴な出自ではなくオンハンやジャムハの家来になる程度の家柄だったとすれば、
下剋上を正当化するための歴史捏造として説明がつく。 モンゴル帝国は傘下に組み入れた国民(ウルス)・仲間(イル)にモンゴルの価値観を広める努力を怠った。
信教の自由こそがモンゴル帝国崩壊の最大の原因だよ。 中国がチンギスの名前を消せってフランスの博物館に言ったのは
チンギス嫌いになったからなの? >>217
そうじゃなくて、中国の歴史見解ではチンギスは中国人ってことになってるから、
モンゴル人扱いしてる展示が許せなかった >>218
よくわからんけど、それだと孫のフビライも中国人になって、
元寇は中国人が起こしたことってなるの?
何年か前のあちらの記事では征服者で異民族王朝の元に
無理矢理やらされたから宋人は被害者でもあるみたいな論調だったけど >>219
フビライも中華民族の一員ということになってる
今の内モンゴルが中国領になってることの正当化のために「モンゴル人も中華民族の一種である」と主張してる
だからモンゴル人のチンギスやフビライも中華民族の一員であるという理屈 習近平国家主席のほまれの歌を歌え!歌え!
習近平国家主席の力を、勇ましさを讃えよ!讃えよ!
栄えある習近平国家主席!習近平国家主席!
栄えあるかた、我らの習近平国家主席!
ほまれの輝きが太陽に並び立つ習近平国家主席!
習近平国家主席のほまれにかなう者はいない!いない! >>220
その中華民族ってのがよくわからん
漢民族とは別なの? https://www.bbc.com/news/av/world-asia-54754567
Ethnic Mongolians battle to keep their language and culture alive in China 清朝が満洲八旗盟主とモンゴル大ハーンと中華皇帝を兼任した形式の同君連合帝国。
康熙帝ならエンフ・アムガラン・ハーンでありエルヘ・タイフィン・フワンディでもある。
清朝後継政権なら中華色1つであってはならない。 >>220
モンゴル国より中華人民共和国内のモンゴル人の方が数が2倍。
モンゴル民族の本家は内モンゴル。
だけど漢民族が多すぎて目立たない。 >>214
ジャムカから離反が相次いだ理由は本来は戦士には馬に踏み殺されるというモンゴル人の価値観では
名誉ある死が与えられるはずなのだけど釜茹でという本来は罪人同様の殺し方をしたからでしょ
それとチンギスはフビライと並んで歴代ハーンの中では比較的穏健な部類だよ
例えば功臣粛清をしなかったのなんて歴代中国皇帝を含めてもほとんどいないからな フビライ・ハーンはハーン位継承の掟を破ってモンゴル帝国崩壊の原因を作った張本人であり、モンゴルが南北に分裂する原因を作った張本人。
褒めるに値しない。 罪人を罪人として殺害するのは指導者の権利。チンギス・ハーンも釜茹刑をたくさんやっている。
「集史」にもチンギス・ハーンの命令でたくさんの釜に逆さに入れられた人々が処刑される絵がある。 >>222
漢民族だけでなくモンゴルやチベットやウイグルの民も包含して「中華民族」という一つの民族を作ろうとしている
漢民族やモンゴル人というバラバラの民族ではなく、まとめて中華民族という一つの民族だから彼らの独立運動は許さない
そういう理屈を今の中国政府は採用してるわけだ で、満州人も中華民族に含まれるわけだから
当然高句麗も中華民族扱いで
韓国がキレてるわけだ >>230
満州の土地にいたのは朝鮮族。
韓国という国はもともとなくて、北朝鮮人が韓国、韓国と言ってるのみ。 モンゴルは今も勇敢な民族だという認識だよ。
中国は先住民と移民がいて、先住民の方が種類も多かった。 モンゴル人の気風は勇敢さだけでは説明がつかない。
草原の過酷な気候のなかで限られた資源を有効に使う合理主義精神が漢人よりも高かったと考えるべきだ。 ドイツ軍のロシア侵攻をモンゴル兵にしてたら、(ドイツ兵並みに軍事訓練させると仮定)
モスクワもスターリングラードも攻略できてたんじゃね? モンゴル帝国なら毒ガスをもっと有効活用したと思うよ。基本皆殺し。 >>234
モンゴル人は全てにおいて恵まれていた。
そういう星回りだった民族だって。
それは勇敢さがまさに神の使いに適してたからかも。
誰とは言わず誰がやった訳でもなく、モンゴル人は自然に恵まれていった。 最近NHKのシルクロードシリーズの再放送を見てたんだけど、「チンギスハンの末裔で蒙古族の一種であるトルフト族」が紹介されていた
ラクダを乗り回してヤギを放牧していた
興味あって調べたら、トルグート族のWikipediaが出てきたんだけどイコールと見て良いんだろうか
番組ではカタカナ表記しか無かった >>238
なんで戦争責任を追及しないの?
仮にヒトラーの末裔でしただったら全員虐殺されてたんじゃないのか?
勝てば官軍なのか? 降伏しない者は皆殺し、というのがチンギス・ハーン以来の伝統。
逆もまたしかりで、中国共産党が漢人社会への同化を拒むモンゴル人を皆殺しにするのは自然なことだと思う。 かつて満州人が辮髪を拒む漢人を殺害したように、中国共産党が同化を拒む満州人を殺害するのは自然なことだと思う。 >>240-241 素朴な疑問だけど中国って究極的に何がしたいの?過去の恨むの仕返し? 素朴な疑問だけどチンギス・ハーンって究極的に何がしたいの?過去の恨むの仕返し? なんで?悪いことしたことには変わりないのに?
ヒトラーの末裔だったら何千年後でも殺されてるでしょ?
勝てば官軍なのといえば、話は終わりなんだけどね 慰安婦だの徴用工問題だの終わったことなのに金いつまでも搾り取ろうしてくる某国と同じ考え方だなキモい
勝てば官軍?時代錯誤すぎて つーか戦争責任を追求するなら日本なんか滅ぼされるけど歴史を分かってないのか?それともマジでドサクサ紛れの某国人?あたまおかしい 漢人は優しい。モンゴル人や満州人を皆殺しにしない。 集史
「むかしむかし、チンギス・ハーンが生まれるよりも二千年も前のこと、
モンゴル部族は、ほかの部族によって征服され、皆殺しにされたことがあった。
このとき生き残ったのは二人の男と二人の女だけであった。
この二組の夫婦は、難を逃れて、エルゲネ・クンと呼ばれる山脈に囲まれたある土地に逃げこんだ。
エルゲネ・クンというのは、『けわしい岸壁』という意味である。
この土地は豊かなよいところだったので、二組の夫婦の子孫はどんどん増えて、ヌクズとキヤンという二つの氏族になった。
しかし切り立った岸壁に囲まれた狭い土地に閉じこめられて、どこにも行くところのなかったこの人びとは、外に出る方法を考えた。
山のなかに鉄の鉱石の採れるところがあったが、そこに木材をたくさん積み上げて火をつけ、
七十本のふいごで吹き立てて岩を溶かし、山の横腹に坑道を開けた。
こうしてひろい世界に出てきた人びとが、モンゴル部族の先祖になったのである。」 >>246 じゃあ原爆投下も終わったことだな
あと
ドイツで国家社会主義ドイツ労働者党として
出馬していい?反発受けたらもう終わったことと
してドイツを説得してくれる?
>>248 うん ほろばされたらよかった
うるさいでしょ韓国 いい加減にしてと思う
いっそ滅ぼされて早くチャラにしてほしい
まあナチスとモンゴル帝国の違いって何なのかな?時代と勝った負けたの差以外
未だによくわからん。 >>250 それでチンギスハンって4000万人も殺したってこと?違うような 害獣を駆除する感覚なので多くの人を殺したという認識はない。 EU、入域規制強化を協議 イスラム過激派対策で:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=20201111040805a&g=afp
2020年11月11日15時50分 皆さん、さしたる反論もなかったので、
ヒトラー>>越えられない壁>>チンギス
全員一致で認めたってことでいいですね? 人文系の板で比較に不等号を使う人って頭悪そう。
頭悪いから安易に不等号を使ってしまう。 まあ、それに賛成するかどうかは別にして、「ヒトラーは大勢の人を殺したから英雄ではない」というのなら、チンギス・ハーンその他も外さければならない
ダブルスタンダードになってしまう ヒトラーは人を殺してない。
モンゴル人は殺すべき奴らを殺した。
それくらい理解しないとついていけないぞw 悪魔を全否定する者の見方だろ、殺しはよくないって。
そんな風だと、悪魔に陰で人を殺しながら同情を許すことになるんだよ。 >>248
中国共産党だろ言ったのは、戦争責任で誤魔化されてきた日本なんだよw >>249
できないだろ、ヘタレだから中国共産党のことだろw ヒトラーの功績
・アウトバーン(高速道路)を作った。
・フォルクスワーゲン計画により自動車産業の基盤を作った。
・ドイツ国民の農業の離脱を防ぎ自給率を向上させた。
・V2ロケットで宇宙旅行の基盤を作った。
・ME262の開発を進めジェット機社会の基盤を作った。
チンギスの功績
・女犯しまくってモンゴル人のDNAばらまいた。
客観的にみたらこんだけ差があるのか・・・ 釜茹ですきなやつがそんなことほめるわけないわい
技術者とか文学者は好きだったみたいだけど 四駿四狗にしても元は敵対部族の猛将だし
基本的に手駒として使える奴は生け捕りにするのがチンギスのやり方だよね 菅田将暉さんがチンギス・ハーンを演じる姿がしっくりこないんだが、肖像画と違って痩せているからだろう。 ところで、日本で作った反町の演じる「蒼き狼 地果て海尽きるまで」という映画
なんで、最低な映画に挙げられてしまったの?
日本人にモンゴル人を演じるのは無理と言われてたけど
どのへんが無理だったの? 瞳孔が開いたまま無表情なサイコパスを演じられない俳優にはチンギス・ハーンは無理。 >>271
主な原因は>>99
あとは在日モンゴル人の機関誌にも、なぜダメだったのかの考察が割りと詳しく載っていたから自分でググッて探して >>274 有難うね
ついでに検索の過程で撮影の秘話が読めました
草原の風で馬のフンが巻き上がり吸い込んで、
撮影スタッフたちが馬フン症になったのは意外だったね
ジンギスハンは吸い込んでも大丈夫だったんだろうね チンギスの時代の攻城戦って攻城兵器使ってたの?
オトラル攻略戦とか 野戦で生け捕りなんてほぼ無理だぞ。作り話と思った方がいい。 敵に対する皆殺しをあまりやらない日本でさえ、生け捕りから家来になりました的な美談なんてほとんどないだろ。 >>278
オトラル攻略戦は漢人部隊投入してたから攻城兵器も普通に使ってただろ 既出ならすみません
モンゴルの戦争犯罪はどう追求されてきたのですか?ポーランドは今でも慰霊祭があるそうですね
アウシュビッツと同じようにしないのですか?
東條閣下も死刑になったのに不公平じゃないですか? 慰霊祭自体は日本でも元寇の慰霊祭とかはあるけど
今さらフビライをどうにかできるわけもないし >>280
>敵に対する皆殺しをあまりやらない日本でさえ、
いや日本は基本は投降してきた奴は皆殺しが基本だろ
ヨーロッパ何て降伏したら殺されることってあんまりないからな
例えばアジャンクールの戦いで捕虜になったフランス元帥ジャン2世・ル・マングルとか負け戦続きで
生涯に8回も捕虜になってはその都度解放されてるけど日本で生きて解放とか一回でも奇跡レベル >>284
それは金になるかだろ
ならなきゃ殺す
身代金取れるから
馬鹿はこれだから >>284
殺されることがあまりなかったのは身代金取れる王侯貴族に限っての話で
雑兵までは含まれないって聞くが
そういや元寇の時は宋人だけは命は助けたんだっけ >>284
いや投降して生きて解放って日本史でも戦国時代ですら普通にあるあるなんだが… けっして降伏を許さず生け捕りにした者だけを登用したとされるチンギス・ハーンの話はでたらめに思えるがどうだろう。
身分の高くないテムジン一家が恩義あるジャムハやオンハンを打倒してハーン位についた歴史を改ざんした可能性はないか? フロワサール年代記だとクレシーの戦いでエドワード黒太子が長弓隊に勇敢に戦わないと身代金を払ってやらんぞと発破をかけたとされている
逆に言うと自軍の兵士が捕虜になった場合は王様がわざわざ金出して買い戻してたわけだ それも王様によるんじゃないか
自分自身の身代金ですら長年払えなかった例もあるし
本人の人格だけじゃなく経済りょにも左右されるだろうし 身代金払って抑留を延期されてしまった宋の徽宗
今更帰ってきても困る、向こうで絵でも描いてろよ、と。 生け捕り身代金の温い戦いしかしてないから、基本中世ヨーロッパは弱かった
そのくせに略奪、紛争ばかりで地獄だった
不潔で生活レベルは低かった >>280
浅井長政とか斎藤道山とか武田信勝とかの臣下は、主君の敗戦に際して、織田信長とか豊臣秀吉とか徳川家康とかに召し抱えられるけど >>234
だから西域人は官吏に採っても漢人(※)は採らない、儒者は乞食同格扱い
※ モンゴル帝国区分では「蛮子」、モンゴル帝国区分の「漢人」は契丹人や女真人。 百年戦争でイギリスの長弓隊にやられて騎士の時代が終わるとかやってたけど、どれだけ温いお遊戯してたんだと
住民ばっかり虐めて >>292
抑留中って絵とか描けるような環境だったのかな
皇族の女が売春させられるレベルで酷い扱いだったしなあ… >>297
辺鄙な場所で何も無いので、もっぱら読書や詩吟に興じていたらしい
画家であるだけでなく、文人でもあるから >>295
>モンゴル帝国区分の「漢人」は契丹人や女真人
へーなんで契丹人や女真人を漢人と区分したんだろう? >>241
相変わらず野蛮だな。21世紀にもなってそれはどうかと思う。
進歩しないのは人間として不自然だ。
いまだに律令時代の感覚ってどうなのよ? 18世紀でも大概なのに。
一応、共産主義史観では、社会主義国というものは、中世封建制→資本主義→社会主義ってふうに発展した先にの状態なんだろ?
律令時代って古代だよ。 >>299
チンギス・ハンの代の金朝を漢(中世モンゴル語でキダット)と読んでたから。 漫画村をホワイトハッキングして有名になったYouTube DWU
今回の対談相手は「在日朝鮮人2世(元朝鮮総連職員)」
朝鮮総連のお仕事ってぶっちゃけどうなの??
https://www.youtube.com/c/DeepWebUnderground/featured
やっぱ日本で生まれて日本で育つと総連系でも日本人っぽくなっちゃうよなあ。
やっぱうまれより、育ちだよね。 >>299
モンゴル史観では、遼・金が漢土王朝の正統で、宋が離反地・未帰順地だから ロシア語でも、いまでも中国は「キターイ」
北アジアから見ると、巨大な契丹の印象が強すぎて「中国」なんか見えなかったのだろう
唐朝も、ユーラシアの諸民族から「タクバツ」と呼ばれてた 大きな複合集団に遭遇したとき、最初に遭遇した小集団とか支配中核集団とかの名称を、大集団全体の名称と誤認する子は多々ある。 それは確かにあるけどな
フランス語では、ドイツはいまでも「アレマン」
古代のゲルマン部族アルマン人がライン川のほとりに住んでいたおかげで、それがドイツ人を意味する名前になってしまった 唐は、どっちだろうな。漢土王朝は大抵初代皇帝の本貫地が国号になってる。いうたら支配中核集団がそのまま国号。元から後の明・清は違うけど。
対外的に、箸漢字圏には国は「唐」で王様は「皇帝」、北方・西方に対しては国が「拓跋」で王様は「河汗」
その唐が遭遇したイスラム帝国は、戦争の最先鋒に立たされていたのがタジク人だったから、唐からのイスラム帝国の呼び名は「大食国」、イスラム教徒は「大食」。
反対側でイベリアを獲ったイスラム帝国の北上を阻んだのがトゥールポワティエ戦争のフランク王国だったものだから、中世の回教徒からカトリック圏の西ヨーロッパ人ひっくるめて「フランキ」。 >>308
「中国に行っていないかもしれない証拠」
ひどい文章だ。
こんな小見出つけるようなの、話にならん。 けど実際、西洋人が中国行ったなら書くだろうってことが書かれてないのは違和感あるよな
あと元寇や日本に関しての話がかなりおかしいし 商人ふぜいに、軍事作戦なんか事細かに教えますかいな。 マルコポーロが実際に行ったのはペルシャで
中国に行ったことがあるペルシャ人から中国の話を聞いたとかいう事だろ このスレ的にはペルシャじゃないだろ。フレグ・ウルスだろ。基礎がなってないな。 纏足の記述が無い
↓
纏足は漢人(元朝ていうところの「蛮子」)の富裕層の女がやってることで、漢人の富裕層の女は家から出てこない。
モンゴル帝国の支配層は、遊牧民と西域人だから、纏足なんて当然やってない。漢人でも下女や街場の商家や田畑を耕しているような層も纏足なんかしない。
漢人を支配層に取り入れなかったクビライ皇帝の時代に、官庁に出入りして纏足の女なんか見る機会は無いよなあ。
茶
↓
モンゴル人の茶の飲み方は、牛乳や山羊乳を加え薄く塩味を付けて乳脂を浮かせ、アテに炒り麦。
13世紀のヨーロッパ人ならスープと炒った穀物というような軽めの食事と勘違いするだろう 元朝の権臣バヤンは異常な漢民族嫌いで、漢民族の中の張・王・劉・李・趙の
五姓の者を皆殺しにするよう順帝に要請したことがあった
彼の漢民族嫌いはいったい何からきていたのかな… チンギスに殺されたココチュってシャーマンの家柄だったの?
父親はシャーマンぽくないんだが
チンギスの弟に傲慢に振舞っても許される程有能だったのか? ココチュの父ムンリクはチンギス・ハーンの母ホエルンの強い信頼を得ており、オルドに隠然たる影響力があった。 中世の暗殺教団「アサシン」は実在したのか 通説を検証 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/060300334/
麻薬を摂取して暗殺を行う教団――想像力をかき立てる物語だが歴史とは違っていた
2020.12.31 >>320
東洋文庫のドーソンの「モンゴル帝国史」だと
暗殺教団のことがさも史実のように書かれてるね
まあ19Cの古い文献だから仕方ないんだけどね モンゴルにとって金は民族の怨敵じゃないのよ
チンギス・ハンとその嫡子たちがモンゴルによる戦争技術の粋
そのものの戦略・戦術で滅ぼした金を何でまた正当王朝にカウントしてんの?
金との兵力差を補うために数百万人の人間を羊や馬同様思い通りの場所に誘導。
大量発生させた難民たちが攻め落としたい土地の食糧を食い尽くした後に死にまくり
中原に移住した女真族の人口は七百万から十万に激減とかリベンジにもほどがありすぎるわ >>250
誕生伝説からして
鉱山と関係あるのか
けっこう謎だな
雰囲気は巨人を狩りに出るようなもんか >>315
日本人でも中国人とかかわりを持つほど中国人が嫌いになってくるだろ >>324
自分らが滅ぼしたから正統なんだろ?
実際に、宋は遼や金に貢物をして生かしてもらってただけなんだし。 現在のモンゴル人民共和国ではキリル文字が使われているが、
ウイグル文字に戻そうという運動もあるみたいだな キリル文字はジョチ・ウルス植民地からの輸入だよなぁ。 >>330
今は人民共和国じゃないよ。モンゴル国だよ。
ウイグル文字系モンゴル文字は彼らは縦文字と呼んでいる。
でも、横書きが出来なくて不便なんで結局普及しないって言っている。 ウイグル文字も源流をたどれば中東シリアのアルファベットだろ? モンゴルでは、戦後40年の間にキリル文字による新たな文章語の規範が確立された
それを捨て去ることは難しく、社会人にいかに再教育するかという問題も解決を見ず、
ウイグル文字公用化は先送りされているのが現状 音声にすると素で通じて区別つきにくいほどよく似ていて、文字体系が随分と違う、二つの公用語を持っているところって割とあるよね。
インドの北部のいくつかの州の、ヒンディー語とウルドゥー語とか、旧ユーゴスラビアのセルビア語とクロアチア語とか。
文字体系は同じでも語彙・文法・発音の微妙に違う二つの公用語があったりもする。ギリシャとかノルウェーとか。
モンゴルは無理かの? ウルドゥ語のウルドゥはモンゴル・ウルスのオルド(後宮・宮廷)が語源。
つまり宮廷語って意味。 知ってるよ。ムガル帝国=自称モンゴル帝国だからな
チャイナ、ロシア、ペルシャ、インドを征したモンゴル帝国 かつてユーラシア大陸ではチンギス血統が珠玉のように尊重されていたのに、なぜ消滅したのか不思議。 チンギス統原理を滅ぼすために共産主義が利用されたのかも。 現代のモンゴル人でも騎兵1000騎で一斉に動くと
相当の迫力があるんだろうね >>340
実戦馬は馬体が小さいので迫力ない。
迫力あったら敵に見つかりやすいので損なだけ。
実戦では伏兵・奇襲できる秘匿性が大事になる。
機動力を活かしたコソ泥のような戦い方が理想なんだよ。 鉄道も自動車もなかった時代の人々にとっては、凄まじいスピード感、ものすごい圧力だっただろうな 昔の馬は現代のサラブレッドみたい脚が細くて背が高かったわけではなく、ずんぐりしたポニーみたいな馬だった
モンゴル騎馬軍団は大勢の馬を連れて移動し、馬が疲れてきたら乗り替えて進んだ
このため、当時の人々にとっては信じがたい速さで長距離移動できた ユーラシア大陸で20世紀に社会主義を採用した国の多くがかつてモンゴル帝国だった国ばかりに思えるが、偶然だろうか。 そもそも、ユーラシア大陸の国は大半がかつてモンゴル帝国だった
それを割引いて考える必要がある 旧ソ連諸国でEUに接近しているのはモンゴル帝国じゃなかった国ばかりに見える。
モンゴル帝国だった国は、残忍さや腐敗に対する慣れや耐性が共通点としてあると思う。人攫いも多い。 モンゴルにチベット仏教が広まってから、生産を支える男子の多くが僧になり、
さらにチベット仏教には僧侶が初夜権を持つという奇習があり、
しかもその性的権威を通じ、僧が梅毒を蔓延させるということもあって、
人口まで激減してしまった
清朝の対モンゴル政策には、政策として梅毒を広めることまで含んでいたと
いわれるから、並大抵のものではない モンゴル・ウルス最後のハーンがチベット人とかどういうことよ。 >>346
> 旧ソ連諸国でEUに接近しているのはモンゴル帝国じゃなかった国ばかりに見える。
バルト3国(エストニア・ラトビア・リトアニア)のことだな
他にあったっけ? >>341
兵法の第一は、戦わずして勝つ、だよ
現代でも、観艦式、軍事パレード、合同演習、兵器見本市なんかやってるだろ
兵隊の錬度、武器の性能を見せつけて、域国に戦争する気を失わせるのも目的だ。
あんな強そうな騎兵隊と戦って勝てる気がしない、と思わせることも戦術として有りだ >>350
ウクライナなんて18世紀半ばまでジンギスカン裔の王様の支配する国があったよ? キエフ大公国は、モンゴル軍の侵攻で最もボコボコにされた滅亡国の1つ
後継国はジョチ・ウルスに服属した >>351
それは、守勢に立つ側の中国人や朝鮮人っぽい考え方だ。
攻め込む側のモンゴル人はまったく違う。警戒されない方が簡単に攻め込める。
攻め込むってのは勇ましいように見えるが、虚飾を排した実用本位な感性が重要なんだ。
漢が冒頓単于に大敗した頃からずっと同じ。そんなことも、わからんのか。 ジョージアなんか、思いっきりモンゴル帝国に支配されてるだろ
他のどこかと勘違いしてないか? >>352
そういう連中が今の東ウクライナなのだから、整合性はとれてるだろ。 日本軍は、モンゴルとソ連に「私たちは弱いです」という空気感を演出されてノモンハンで痛い目にあっただろ。
レベル低いな、このスレ。 >>354
現に、降伏を促す使者を斬り殺した国を滅ぼしたときには、城市を徹底的に破壊して使節を斬るように命じたオトラルの知事の口に溶けた鉛を流し込んで公開処刑、このことを生き残りの住民に触れ回させた。
モンゴルに降伏して税を納めれば助命、抵抗すれば都市を破壊して住民を惨殺と周知したことで、戦わずして勝つことが多く、結構簡単に中央アジア・ペルシャが侵略できた。 >>358
ホラズム・シャー朝もモンゴル・ウルスと同じく勢力拡大の途上だった。
民心が必ずしもホラズム・シャー朝に服していなかった都市が無血開城だけ。
宣伝効果を過大評価するな。
領主への忠誠心を持った高潔な者たちは死の覚悟をして徹底抗戦した。
結果として高潔な者がモンゴル・ウルス支配地域からいなくなった。それが現実。 清朝末期のモンゴルでは、漢族の商人が、モンゴル人の商業的無知につけいって
搾取し、いよいよ貧窮化させ、ついには家畜すら失って草原をうろつく窮民が
出てきた
草原では乞食が成立しないから、窮死するしかない
軍閥時代にも、モンゴル人は漢族の官吏から見放されていた
中国の官吏は伝統的に農作物を収奪する側に立っているため、
農民と遊牧民との間に紛争が起これば、必ず農民側につき、
モンゴル人には味方しなかった >清朝末期のモンゴルでは、漢族の商人が、モンゴル人の商業的無知につけいって搾取し、
清朝って満州人(女真系)の起こした時代ではないの?清朝時代の中華ドラマ見てると都の商人は殆んど弁髪の満州人なんだが
だから漢民族はモンゴルで搾取に走ったって意味? ていうか漢民族は土地に腰を下ろす定住稲作民の性質だから、よっぽどのことがないと自ら拠点を移動する遊牧的な性質は無いと思うんだが >>362
それは本当に漢民族なのかってのを聞きたいんだけど >>364
盗まない中国人とか信じられん、みんな生来の盗ッ人だろ。 モンゴル帝国の大量殺戮を擁護する人って広島・長崎への原爆投下が戦争終結をもたらした的なアメリカ擁護する人とよく似てるね。 中世なんだもん、野蛮に決まってんだろ。
日本だって、元寇の前にモンゴルから国書を持ってきた使者を鎌倉で斬り殺してんじゃん。
戦闘力を持ってない交渉役をぶっ殺すとか、律令時代よか野蛮になってんじゃん。
壬申の乱も板櫃川合戦も保元平治の合戦、一応、先触とかの交渉役は無傷で帰しているで。
鎌倉の頼朝以下源氏の等量も、北条の執権も、十三人衆ほか有力御家人衆も、みんなロクな死に方していない。
それが武断政権の中世だからな。
モンゴルから見て日本とは反対側の回教圏やヨーロッパも似たようなものだったしな。
膝まで異教徒の血に浸かって聖地を奪還した喜びに打ち震える、とか十字軍が書き越しているで。
キリスト教徒以外を殺戮し財を強奪する、ってヨーロッパ諸国の国是は、この時期から、まあ、19世紀まで続くんだが。
回教圏は回教圏で、ヨーロッパ人に対する報復が激化し、もともとはそんなこと言ってなかった
「剣かコーランか」みたいなこ言い出して体一神教としての寛容さを失った時期だし。
モンゴル・西ヨーロッパ勢の両方を敵にして戦ったバイバルスも、アンティオキアの都市破壊と全住民の虐殺やったで。
バイバルスは戦上手だけれど極めて紳士的で、西ヨーロッパ勢・モンゴル勢・モンゴルの属国のアルメニアの各戦時交渉役は
無傷で送り返しているでよ。 ジェブツンダムバ・ホトクトはチベット人の出自であり、独立モンゴルの皇帝としては
ふさわしくないように思われるが、チベット仏教がモンゴル社会内部に深く
浸透していた当時にあっては、モンゴル大衆の尊崇を広く集める彼こそが、
チンギス・ハンの血統をひくどのモンゴル貴族よりも、モンゴル統合のシンボルに
ふさわしいと考えられた >>369
東洋史家の故・岡田秀弘氏の見解は違う。
モンゴル帝国は、東方世界の残忍な殺戮を西方世界にもたらした。
それまでにない残忍さに対する衝撃をイスラームやキリスト教社会は経験した。
中国では皆殺しが普通なのでいちいち書き残していない、という見解。 >>369
嘘を書くな。イスラムの「剣(死)かコーラン(改宗)かジズヤ(納税)か」は最初から。征服事業が教義の一部。
預言者ムハンマドと正統カリフ時代の領土拡大速度はモンゴル帝国よりも速い。 モンゴルは降伏しようが納税しようが同じ宗教に改宗しようが一度歯向かったら皆殺し確定だけどな >>371
モーセがパレスチナに入ったとき、先住民アモリ族を虐殺してんじゃん。
若い女を残して全員殺せ、若い女はレイプ汁、ってヘブライ人軍勢に命令。
その後の古代イスラエル王国の最初の王サウル。預言者サミュエルにより王として選びだされ、さらにサミュエルは「アマレク人の人と持物のすべてを破壊せよ」との信託を受ける。
ところが、命乞いに差し出された牛とアマレクの王アガグを助命した。それが、神の怒りに触れたとして、サミュエルに下された神託によりサウルは王位を追われた。
サウル王は信託に従い亜門人を虐殺し都市を破壊するも
モーセもサミュエルは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で、聖人・預言者の扱いだよ。
つまり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には、神の意向に沿わぬ街や民族をを絶滅させることを是とする教義を持っているということだ。
同じく紀元前。こんどはキリスト教ではない側。
アテナイによるメロス島攻撃。
メロス島は降伏したんだが、会場の結果、男性は全員処刑、女性は奴隷として移送。
これまた紀元前
第三次ポエニ戦争
ローマは言いがかり放題。カルタゴに賠償金要求、賠償金を納め終わると、こんどは人質の要求、人質を獲ると、こんどは武装解除、
武器をすべて渡すと港湾・沿岸部の放棄を要求。
さすがに、既に耕している田畑と水運の放棄はできないと拒むと、もう武器なんて無いものだから略奪放題殺戮放題。
9割方殺されてしまって降伏すると、降伏したカルタゴ人を全員拉致して奴隷として分散移送、帰還しないように街を破壊し田畑に塩水。 > 戦闘力を持ってない交渉役をぶっ殺すとか、律令時代よか野蛮になってんじゃん。
日本国内の偵察かねた交渉役を生きて帰すのはただのアホ。 >>369
>日本だって、元寇の前にモンゴルから国書を持ってきた使者を鎌倉で斬り殺してんじゃん。
>戦闘力を持ってない交渉役をぶっ殺すとか、律令時代よか野蛮になってんじゃん。
こう言う気味の悪いデマって誰が広めてるのかな?
ちゃんと調べてみろよ。
日本が元寇の前にモンゴルからの使者を斬り殺した事実なんてないぞ。
元寇の前に来た使者は全員無事に帰国させてる。
それなのにモンゴルの側が侵略戦争仕掛けてきたから、それ以後は使者を処刑することにした。
野蛮なのは侵略国家のモンゴルであって日本じゃない。 鎌倉で杜世忠ら正使副使通訳等五名、博多で周福、欒忠らを処刑 >>377
杜世忠らが来日したのは1275年。
周福、欒忠らの来日は1279年。
モンゴルが日本に侵略戦争仕掛けたのは、その前の1274年。
野蛮なのは明らかにモンゴルの側だな。 モンゴルの虐殺戦は東アジアではごく普通の事でとくに攻められるよなことではない
後九年の役で安部氏を鎮圧した官軍の報告書を見るとやってることはモンゴル軍と大差ない
「陸奥話記」
城内には男女三千が籠っていたが川に突き落とすか首を刎ねて殺してやった・・・
とくに藤原経清は苦痛が長引くように刃こぼれした鈍刀でゆっくりと喉を切って殺した・・・
貞任の息子の千世童子は数え13歳で年若く美しい武者であったが清原武則の進言によってこれも殺した・・・
城中にいた薄衣に翡翠で着飾った美女30人を引き立て将軍はそれぞれ功績のある武者に賜った。
そのうち則任の妻だったものが耐えられず3歳になる子供を抱えて崖から飛び降りて自殺した・・・ 長島攻め
https://ja.wikipedia.org/wiki/長島一向一揆
観念した一揆勢は降伏赦免を求めてきたが、信長公は断固として許さなかった。
信長公はかれら奸悪の徒を干し殺しにすることで、年来の乱妨狼藉の報いを受けさせようとしていた。
そのような状態が続く中、8月2日夜大鳥居に籠城していた一揆勢が夜間風雨に紛れて脱出を図った。
しかし織田勢はそれを見逃さず、追撃して男女一千ほどをなで斬りにした。
長島の陣は、一揆勢の思いもよらぬ長陣となった。7月13日に貴賎数知れぬ男女が長島・屋長島・
中江の三ヶ所に逃げ入ってからすでに三ヶ月が経過し、過半はその間に餓死していた。
もはや抵抗する力も尽き果てた一揆勢は、9月29日ついに降伏開城した。
降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、際限なく川へ斬り落としていった。
織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
かれらは大軍の中を死兵となって荒れ狂い、陣所を切り崩し、御一門衆をはじめ数多の将兵を討死に追い込んだ。
彼らは大軍の中を切り抜けて無人の陣小屋に駈け入り、そこで支度を整え、川を越えて多芸山・北伊勢口へ散り、
そこから大坂へ逃れた。この失態をみた信長公は、残る中江・屋長島の両砦に対しては周囲に柵を幾重にも廻らして砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
年来の鬱憤を晴らした信長公は、29日岐阜へ帰陣した。
※1000人をなで斬り・降伏した20000余人も砦に押し込めて、
人間バーベキュー。信長は大量虐殺の成果に溜飲をさげる 越前一揆掃討戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/越前一向一揆
国中の一揆勢は壊乱し、右往左往しながら取るものも取りあえず山中へ逃げ入っていった。
しかし信長公は殲滅の手をゆるめず、「押し進みつつ山林を尋ね探り、男女を問わず斬り捨てよ」
と厳命したのであった。
織田勢が進撃を開始した8月15日から19日の間に諸方から捕縛され引き立てられてきた男女の数は、
記すところによれば一万二千二百五十を数えたという。そして信長公は御小姓衆に命じ、
これら搦め取った男女を余すところなく誅戮したのであった。このほか国外へ奪い去られた男女もその数を知れず、生捕・誅殺された人々の数は合わせて三、四万にも上ると思われた。
※12250人を捕縛のうえ、合わせて3〜4万を殺す。
山に逃げた人々も容赦なく探索し、残らず処刑。 荒木一党惨殺
12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。
※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。 小丸城出土瓦
此書物、後世二御らんしられ、
御物かたり可有候、然者五月廿四日
いきおこり、其まゝ前田
又左衛門尉殿、いき千人はかり
いけとりさせられ候也、御
せいはいハ、はりつけかまニいられあふられ候
訳
この書を見た後世の人よ。是非とも語り継いで欲しい。
しかる5月24日。一揆が起こり前田利家殿は1000人ばかりを捕虜とした。
その処罰は磔、釜茹で、火あぶりというものであった。 どっちもどっち論に持ち込んで黙らせたいのかもしれんが、異民族に対して大量虐殺やると必ず報いがある。
なにしろ異民族だからね。報復されるのがいやなら駐留し続けて軍事力を蓄えないように見張り続けるしかない。
実際、在日米軍は日本を見張るのが主要任務だ。 面従腹背する民衆を統治するには恐怖で抑え続けるしかない。
モンゴル貴族は善人になりすぎてそれを持続できなくなった。 >>383
釜茹でじゃなくて釜煎りだぞ。モンゴル軍も好んだ処刑方法。 男を皆殺しにするのには、異民族を吸収して報復されないようにするために必要だった。
子孫たちは、惨めに滅ぼされた母方ではなく、偉大な征服者としての父方をアイデンティティにする。
預言者ムハンマドがユダヤ部族クライザの男を皆殺しにしたのも同じ効果を狙ってのこと。
アメリカは本来皆殺しにすべきだった日本男児を生かしておいたために、日本に駐留し続ける必要が生じた。
ルーズベルトは日本人を断種する計画を立てていたがその死によって実現されなかった。
KKK出身のトルーマンが2発の原爆投下するだけで留めたことが、痛恨の誤りだったと断言できる。 >>360は適当な思いこみ喋って
>>361>>363-364に突っ込まれてマトモに返せない >>391
宗教が違うと同化は起きにくい。特に一神教だとなおさら。 >>392
宗教なんて便益次第で簡単に乗り換えてしまうもの 宗教を便益次第で簡単に乗り換えてしまうような人ほど、汚職体質だよな。
キリシタン大名として有名な大友宗麟なんて実際は、生活が乱れた暗君だよ。 フレグはよくもまあ軽々しくイスラームに改宗したよな。 フレグ王、アバカ王の時代には、仏教の寺に補助金出してたから、改宗してないんじゃない?
三代目のアフマド王が即位してすぐ寺への補助金打ち切ってるで、この代からイスラム教ではないんかい? まあ、フレグほどイスラムに仇を成した人物がイスラムに改修するとも思えないな。
喩えるなら、ヒトラーがユダヤ教に改宗するようなもんであって。 イブン・イスハークが書いた預言者ムハンマド伝にせよ、ラシード・ウッディーンが書いた集史にせよ、実際に書いたのは征服された側なんだよな。
伝記から著者の静かな怒りが感じられる。 「犯された女の子供たち」 メキシコ麻薬カルテルが残虐な理由 WEDGE Infinity(ウェッジ)
2016年2月2日
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/5963?page=3
メキシコ人が死を軽視するのは、パス(ノーベル文学賞を受けたメキシコの詩人)によれば、こんな理屈からだ。
死は生の結末ではなく、円環のように生と死が交互にやってくる。また生の中に死が入り込んでもいる。
死は生の映し鏡であり、生がむなしいからこそ、死もまたむなしい。
アイデンティティーに隠された「しみ」
なぜ、そうなのか。それは、メキシコ人は、ぼんやりとでも、自分の中に消しがたい「しみ」を隠しているからだ。
自分自身を全面的に肯定できない傷、暗さを抱えている。
それは、大多数の先住民が少数のスペイン人に犯され、隷属させられ「メキシコ人」を名乗らざるを得なかった運命から来ている。
自分たちのアイデンティティーは「犯された女の子供たち」であり、恨む相手も敵も自分たちの中にいる。
だから、楽天的にあっけらかんとは自己肯定できないーーというのがパスの説だ。 征服者が現地の宗教に改宗しても、やっぱ同化が無理なもんは無理なんだろうな。
ましてや宗教を押し付けられた中南米ならもっとだろう。 >>387
大日本帝国も、朝鮮でそれをやれば良かったのに
そしたら、慰安婦問題なんか起きなかった >>397
フレグ公もヤサ法(互いの信心は尊重し合え)には忠実だよ。
バグダッド占領で、あの有名な「大好きな金銀に囲まれて死ね」と宝物庫で餓死刑にされたアッバース朝カリフ・ムスタアシムに対する扱いは、
イスラム教の否定ではなくて、王様としての統治能力なさ軍略の決定的な欠如ぶりを非難してのことだよ。 野蛮な遊牧民も南洋土人も、宗教の魅力には勝てないってこった >>402
アッバース朝カリフは貴人に対するモンゴルの処刑作法に則って馬に踏み殺された。餓死ではない。 >>404
敵国が攻めてきて首府の城市が陥落してもまだ出し惜しんだ金銀とともに死ね、ってやったんじゃないの? 人間のクズを褒めたたえなければならない被征服民のみじめさ。 中田考さんはテレビゲームを介してカリフ制に関する啓蒙をやりたかったらしい。
KOEIのシミュレーションゲーム「蒼き狼と白き牝鹿」に征服対象としてカリフ国が出てくる。
歴史物に理解があるKOEIに話をもってけば良かったのに。
イブン・タイミーヤ研究の知見が活かせると思うんだが無理かな。ま、無理だな。
「拾い読み・中田考」(6.1)『俺の妹がカリフなわけがない!』 なぜ私はカリフのラノベを書こうと思ったのか。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rGtqIsOLcDI 詳しい人いる?
総合スレで訊いたほうがいいのかな?
武神という高麗ドラマで、やたら蒙古が高麗を持ち上げるような褒め方するんだけど、そんなに敵を讃えるような人たちだったん? 単騎で落ち延びるジャラール・ウッディーンの雄姿を見てチンギスカンが男子たるものかくあらねば
といった逸話とか他にもモンゴル軍が元寇での高麗軍と武士の戦を見て
「蒙古人は戦に慣れているといえども、どうやってこれに加わろうか」と称賛した(高麗史)
とか他にも力戦した南宋軍をフビライがいずれも壮士であったとか割と敵を褒めるってのはよくあること 現在欧米白人が誇っているものは全部アジア人のパクリ
哲学
インド→イラン→イラク→エジプト→ヨーロッパ→アメリカ
科学
アッバース朝イスラム帝国→ヨーロッパ→アメリカ
銃
中国→モンゴル帝国→アラビア→ヨーロッパ→アメリカ
紙幣
中国→モンゴル帝国→アラビア→ヨーロッパ→アメリカ モンゴルが対日本(14万)以上に本気出したのって、
vsホラズム(20万以上)とvs南宋(35万以上)以外でどこがある? >>417
何万人からが「本気」?そもそも動員兵数の記述は信用できるのですか? バトゥだってヨーロッパ攻めに20万くらい連れてったろ? >>419
ヨーロッパ攻めはそんな大軍じゃない。
キプチャク平原征服したらモンケとグユクが大量のキプチャク人連れてさっさと帰国。
ヨーロッパに攻め込んだのは残りカスだけ。
記録ではポーランド攻めの兵数か1万人。 バトゥの征西軍は全軍あわせて10万でポーランドとハンガリー侵攻軍は6万程度
この6万ってのはほとんどキプチャク人やブルガール人でモンゴル人はほとんどいない
弘安の役も14万と言っても実際にモンゴル人がいたのは東路軍のみ(蒙漢合わせて2万5千が
モンゴル本国から送られてきたと高麗史にある)
江南軍10万はその名の通り江南兵(南宋兵)から編成された 韓国のBTSは「ウイルス」 独ラジオ司会者が差別発言(共同通信) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc76eb3779d87d4d8e4cf31f74344d07bf6f45a1
2/27(土) 12:32配信
BTSは英ロックバンド、コールドプレイの曲をカバーしており、ドイツ南部バイエルン州のラジオ局の男性司会者は24日、
カバー曲について「冒涜だ」と批判した。またBTSに関しても「くだらないウイルスだ」と酷評した。
司会者はその後の声明で「人種差別的な意図はなかった。心から謝罪したい」と述べた。 >>421
元史には弘安の役に40万人のモンゴル人が参加したと書いてあるが
『元史』巻一百二十九 列傳第十六 阿剌罕
「十八年,召拜光祿大夫、中書左丞相、行中書省事,統蒙古軍四十萬征日本,行次慶元,卒于軍中」 元史の「蒙古軍」は軍閥ではなく「大元ウルス軍」の総称でしょ。 元史で「大元ウルス軍」の総称は「官軍」、
蒙古は帝国の支配民族。
古くからモンゴル帝国に帰順していた漢人ですら「蒙漢軍」などと蒙古とは区別して書くのに、
新参の高麗や南宋を蒙古に含めるはずがない。 指揮する将軍の出身軍閥で分けたとかじゃないの?
モンゴル人将軍が率いる軍は蒙古軍。
のちに李氏朝鮮を建てる李成桂は女真軍閥。 >>423
自分が引用した文章をちゃんと読んでみれば分かればと思うけど当初参加予定だったモンゴル軍は
諸翼モンゴル軍馬都元帥(総司令)の阿剌罕が「卒于軍中」(軍中に置いて去す)つまり行軍中に突然死したため計画倒れに終わっている
実際に「元史」本紀第十一の出兵記録を見ると「發兵十萬,命范文虎將之。」と南宋軍指揮官の范文虎しか出撃していない
また高麗側の記録(「高麗史」 世家二十九) を見ても高麗側の東路軍が「蒙(モンゴル)麗(高麗)漢(金の遺民)」
の混成部隊だったのに対して江南軍は「范文虎率蠻(南宋)軍十萬發江南」とこの十万は范文虎が率いる蛮(南宋)軍であったとある 「影の外に伴はなく、尾の外に鞭はなし」と表現される孤立無援の境遇から
立ち上がったチンギス・ハン 中国時代劇の女医明妃伝38話で、オイラトの巫女が出てくるんだけど何か面白かった
文献に残る祭祀方法なのか、想像や演出によるものなのか分からないけど製作陣はオイラトちょっとディスってる?って思った
たくさん羽根のついたお面を額に乗せて歌い踊ってたんだけど、煮えたぎる油(嘘)に手を入れて「ほらーヤケドしてない!私は正しいのだー!はっはっはー!(セリフうろおぼえ適当)」 ホラズム・シャー国は、トルコ系軍事集団をもとにし、それにシル河以北を本拠とする
トルコ系遊牧民のカンクリ族とホラズムに滅ぼされたアフガニスタン方面の
旧ゴール朝勢力が加わった寄り合い所帯だった
寄り合い所帯という点ではモンゴルも同じだったけど、何が勝敗を分けたんだろう? >>430
ホラズムはオアシス毎に軍団を分けて駐屯させてたから各個撃破された。 >>429
中華圏で大人気の歴史ドラマの還珠格格のリメイク版でモンゴルの王女の賽?が出て来るが、
これを演じている女優が漢族でしかも乾隆帝午前の武道競技会でカンフーで戦っている。
モンゴル族ならブフで戦うだろうに。それ以上に、モンゴル族の女優なら大勢いるだろうに。
時々出て来るモンゴル語がメチャクチャ(日本で中国人役が協和語で話すような感じ)。
香妃役の女優はビッキー・チャオ主演版と違って、流石に北川景子に似たウィグル族の
マイドナと女優に代わってたけど。はビッキー・チャオ主演版は香妃も鼻ぺちゃの漢族の女優だった。
衣装等で時代考証に拘っても少数民族に関する風俗習慣の考証はハチャメチャが中国時代劇なんだろう。 何が言いたいのか分からん…
日本でも外国人役を日本人がやるし米国人役を他国人にやらせるし設定も盛り盛りだよ…
女優の国籍にまで言及してるけど、そもそも現代は相当融和というかチャンポン状態になってんじゃないの?清代を通ってるんだから 倚天屠龍記で、アン・イーシュアンが趙敏の役をやってたのにも呆れたな
いくら美人女優ったって、南国の台湾人にモンゴル人の姫の役をやらせるとは、イメージ合わんだろ(笑)
ある意味、大陸の豪快さに感心するが >>433
中国の時代劇を見れば分かる
それも、1つじゃなくて、たくさん見れば 元末の世を舞台に、「漢人みたいな名を名乗って普通の女になりすましていたが、実はモンゴル人の権力者の娘だった」という、主役級キャラの重要な設定
それを南国の台湾人女優にやらせるという豪快さ(笑)
もちろん台湾ったって大陸系の外省人なんだろうけど、さすがに北方民族には見えん なんだこいつ
気持ち良く連投して語ってるところ悪いけどスレチは他でやれよ どの俳優をどの役に配するかって問題については民族どうこう関係ないだろ
日本のドラマ見てるか?二重ぱっちり縄文顔が貴族やったり一重すっきり弥生顔が侍やったり在日朝鮮系が日本人役やったりしてることに疑問を持ち出したら作品なんかできないだろ
何を言ってんだ? >>435
結構最近のアジアドラマ見てるが
日本製作のモンゴル映画ほどの酷い設定は無かったよ
そういうことじゃなく日本語でレスして >>439
わかった、わかった(笑)
お前は偉い!! >>429
祭祀に関しては記録が残ってない部分の方が多いだろうし、こうだっただろうという推定でしか表現できないわな >>441
中国のことになると、すぐ感情的になる奴が多くて難しい 考古学板とか歴史系の板とかも、韓国や中国を蔑みたいだけの人が溢れてて酷いことになっとるよ >>444
それが目的なのか
会話が噛み合ってなくて謎だったわ ていうか、こんな時代劇の話なんか、別に中国を批判してるわけでもなければ、バカにしてるわけでもないだろ
ムキになって日本サゲを始めるとか、キモすぎる(笑) >>429だけど、これは単純に演じ方のことを話題に出してみただけなんだ
結果こんな荒れ方に繋がって申し訳ない どれが日本sageなんだ…
モンゴル映画の評判についてはガイシュツの事実だし、配役自由なのも事実なのに 怒ってるように見えるのかw
長文連投で一部的はずれなスレチを連投するから訂正されてるんだと思うがw 女真(満州)族とモンゴルのシャーマンの違いは気になるわ
どっちも面つけてたのかとか 日本でも祭祀系のお面みたいなのは見つかってるから、シャーマン=顔を隠すってのは世界で共通してたかもよ シャーマンは原始時代どこでもいたんじゃない?
毛を編む文化が定着した民族としなかった民族の違いの方が知りたいけどな
ストレートか癖毛かってとこなのか? >>108
アーリア系ということなのかな
TATAってゾロアスター教のとこだよね 弁髪は、馬に乗ったとき髪がジャマにならないようにするためだろ 髪用の油が無かったのかね
中国は大体おだんごにして纏めとるし、三つ編みを嫌ってたはず >>464
確かに中国ドラマだと、髪を結うとき手に油のようなものを馴染ませてた
確か、
農耕民は「髪を編むとは罰当たり」「馬で踏み荒らし草を食べ荒らすとは土に対して罰当たり」みたいな観念があり
遊牧民は「掘り起こして異物を埋めるとは土に対して罰当たり」みたいな観念があり
その考え方の違いからも争いになりやすかったというのは聞いたことがある 反町隆史がチンギス・ハーンを演じた角川映画を作品名出さずに批判する今日のスレはここですか? もう1つあるからなあ
いちいちタイトルと主演を出したほうがいいか? >>460
髪を編むことに拘ったのって精神性なんじゃね?
数を記録するために結び目を作る文化はどこも通ってきてるけど、アジアンノットのような組み紐かざりを有難がったのは起源が分かってなかったと思う >>470
アイヌの結縄と
南米のキープしか
知らなかった
殆どの場所で見つかってるんだな 騎馬には塩が要るけど岩塩で調達してたんかね
高麗時代の韓ドラだと蒙古は海が苦手な設定になってる ちな韓ドラだと編み編みもトグロ巻きもウェーブも頻出 清代の話だけど、清の支配領域の拡大につれて、辮髪の風習は漢族のみならず
周辺地域にも広まっていき、苗族や回族などの民族にも辮髪が行われるようになり、
回族では王公や世襲職のあるもの、功労があったものなどに辮髪が許されると、
辮髪が一種の名誉の象徴となっていったとか 清の時代は弁髪にしないと死刑だったからね
それに結構最近のことだね >>460
モンゴルは男は別に編んでないよ。頭の左右に古墳時代の角髪
みたいに耳の前で纏めただけ。但し、前頭部から後頭部まで
頭の中心を幅広く剃った。 いや、推定復元や現代のなら画像検索で分かるんだけど、祭祀の形態とかさ >>480
満州族のシャーマンは祠や屋内の祭壇でタンバリンみたいな太鼓をポコポコ叩く。
モンゴルのシャーマンは屋外で房のついた棒を持って何やらダンスをする。 >>479
ひとつ編みではないけど、細かい三つ編みが見られるんだよ >>487
お前が仮面をかぶっているかどうかとググれカスレベルの質問したんだろうが。 話題は古来のモンゴル帝国時代のことだと思うが
現代の推定とか現代の仮面ではなく >>488
あなたには、聞いてない
歴史書とか論文とか目を通してる人がいればと思っただけ あれ謎だよな
山岳番組のせいかチベットのイメージ強い 気になって調べてみた
テングリ信仰だったら匈奴時代からあるみたいだね
めっちゃ要出典って求められてるから鵜呑みにはできないが
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA モンゴル・満州・シベリアのシャーマンと北アメリカの先住民の服装が似ているような気がするのはなぜなんだぜ。 オボーは信仰だけでなく遊牧での実用の意味が強い。
目印が何もない海原で漁民が自分の位置を知るために灯台や島の位置関係を確認するのと同じ用途。 語尾に句点つける人
ネットに出回ってる有名な情報を偉そうに書き込むのなw 知ったかぶりですか。
シャーマンの服装はまったくもって原始的ではない。むしろその民族の技術の粋を集めた装飾が施された。 キーボード入力かスマホ入力かの違いもあるだろうが、句点を打たない人の方が少数派だよ。
日本の義務教育を受けていない人が書き込んでいるのかな。 絡み方とか受け答えとかASDぽいから構わないほうが良いとオモ 楊海英(Oghonos Chogtu, 大野旭)
https://twitter.com/Hongnumongol99/status/1367615843559829505
中国は文化大革命中にモンゴル人女性に対し、組織的性犯罪を働いた。
私はそれを「墓標なき草原」内で記録している。今、ウイグル人女性が被害に遭っている。
中国は昔からジェノサイドを進めてきた。五輪を開催していいのか?
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 中国の歴史は、テュルク・モンゴル人と漢化テュルク・モンゴル人の抗争の歴史である。 >>499
ゴミ付きは荒らしって昔から言うがマジだな 同一人物が書き込んでいると思い込む人に忠告するけど、精神を病んでるかも。しばらくネットから離れたほうがいい。マジで。 語調と絡みかたが同じだし
ねらーは句点を嫌うんだよ… 503 世界@名無史さん sage 2021/03/05(金) 20:25:58.98 0
絡み方とか受け答えとかASDぽいから構わないほうが良いとオモ 太陽神信仰ではなく天つ神信仰というところが、農耕社会と非農耕社会の違い。
農業に必要な暦を正確に把握するために太陽を重視するところから太陽神信仰は始まる。
古代エジプトが有名な太陽神信仰自体は農業社会の多くに存在し、特段珍しいものではない。 中国・習主席、内モンゴル自治区代表らに「しっかり漢語の普及を」(TBS系(JNN))
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4cdcc972c740689fcd670a21777c88c33e6b13c
中国の習近平国家主席が、内モンゴル自治区の代表らに対し、“中国の標準語である漢語の普及をしっかりと推進しなければならない”と述べたと、国営メディアが伝えました。
中国では5日、各省からの代表が集まる全人代が開幕しましたが、国営の中央テレビによりますと、習近平主席は、この日開催された内モンゴル自治区の分科会に出席。自治区の代表らに“中国の標準語である漢語の普及をしっかりと推進し、全国共通の教科書の使用を徹底しなければならない”と述べたということです。また「間違った思想には反対しなくてはならない」として、「中華民族の共同体意識」を醸成することの重要性を訴えたということです。
内モンゴル自治区では去年、少数民族・モンゴル族に対して漢語教育が強化され、反発が広がりましたが、地元当局は抗議活動を扇動したとする人物を相次いで拘束するなどして取り締まりを強化してきました。(05日23:37) 清朝支配下のモンゴルでは、モンゴル人は次第に漢人商人の搾取に苦しめられるように
なっていったな
たとえば茶はモンゴル人にとってなくてはならない日常の飲み物になっていたが、
茶一斤を買うのに羊一頭、十斤では牛一頭もださねばならなかったという 市場原理で畜肉と茶の価格が不均衡になっただけだと思うよ。
畜肉は生活必需品だから生産者は多い。茶は嗜好品。
市場原理の負の側面だけじゃなくて、モンゴルにも穀物を安く買えるようになる恩恵があったはずだよ。 清朝が崩壊して、真っ先に離れたのがモンゴルだったな
中華民国に参加する気はまったく無さそうだった 清代にはモンゴルの王公たちも奢侈品を購入したり、何年かに一度北京へ新年の
挨拶に行くときには漢人商人たちから種々借金を重ねた
この場合、家畜や牧地が担保となったが、高利子がかさんで借金が
払えないこともあり、結局は所属の牧民に肩代わりさせることもあった
のちには牧地を漢人に売ることも多くなっていった 北京でほぼ10年ぶりの大規模黄砂、モンゴルでは死者も
https://www.cnn.co.jp/world/35167859.html
2021.03.16 Tue posted at 11:20 JST
中国国営メディアによると、黄砂が発生したモンゴルでは6人が死亡、81人が行方不明になっている。
黄砂はモンゴルから徐々に南下して、北京では粒子の大きい大気汚染物質「PM10」の濃度が市の観測所で1立方メートル当たり8100マイクログラムを超えた。
これを受けて中央気象台は、黄砂に対する警戒レベルを4段階で上から2番目に引き上げた。 >>515
農耕社会の文明がある各所でも天空神の伝承あるんだよな
>>473
中央アジアは古来海だったんで、その名残で塩湖がある >>518
ミルクティーの起源はモンゴルなのかな? 【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「日本人を起用してくれ!」 日本が舞台のゲームが映画化も白人化を恐れる声が殺到 ニーシャプール大虐殺の女指揮官、
チンギスの娘の名前はわからないの? ミャンマーがモンゴル帝国の一部だったことはあまり知られていない バトゥがポーランドとハンガリー相手に勝利したらオゴデイ急死の報が届いたので本国へ撤退したらしいけど、
何でその場に軍を残しておかなかったの?
バトゥ「オゴデイハンが死んだみたいだからワイは帰るわ。スブタイはん、後はあんたが指揮を取ってくれや」
スブタイ「おk。神聖ローマとかはワシがいわしたるわ」
・・・とはならんかったのか?
スブタイなら東欧だけでなく西欧の連中も蹂躙できるだろ。 >>530
バトゥは現地で味方になった兵を置き去りにした
モンゴル軍の欧州侵略に加担したイングランド人が捕虜になってる 元寇のときに、蒙古人高麗人西域人は斬首して、宋人は見逃して放免した、というふうに日本史にはあるけれど、
逃がしてもらった宋人はどこに帰っていってどうなったの? >>515
もしかして、動牧畜民にはは暦が要らないとか、思ってたりしない?
要るよー。ウサギや雷鳥の毛が灰褐色と白色と抜け替わったり、馬や羊が発情したり子を産んだりとかいうのは、植物のサイクルとリンクしているで。
草を枯渇させないために一定以上長居しないよう定期的に移動したり、広大な草地・砂漠と交易拠点たる冬営地とを往来したり、毎年決まった日に隣の集団との会合を行ったり、
季節移動をする渡り鳥や鹿やらの猟をしたりで、暦は必要だぜ。
現に、どっかり農耕に根差している漢人は度々正確な暦を失伝しているが、狂った暦が補正されるのが決まって遊牧民の征服王朝や、遊牧民出自の廷吏を徴用した時代だ。 >>533
移動できる遊牧社会にはそこまで厳格な暦は必要ない
移動できない農耕社会は気候変動に弱いからこそ暦が発達した 征服王朝が暦を整備するのは、暦のずれが原因ではなく現地で最適化された暦があったのを力づくで統一しただけの話
租税のための暦
ヤクザが飲食店からみかじめ料をとりたてやすくするための暦だよ >>534
移動するからこそ、正確な暦が要るんですけど?
遊牧民を、羊を連れたホームレスとか、おもってたりしませんか? >>535
暦法を失伝して暦が正確でなくなったと子で社会不安を呼び、度々王朝滅亡の引き金になってんじゃん。
たとえば、明朝万暦帝の時代に二度も日食の予告を誤って、慌ててイスラム天測を導入した。
知ってのとおり、明朝はこれ以降グダグタのレームダック状態になる。 >>536
君は現実の遊牧民を知らないで語っている。遊牧民を美化しすぎ
もっと現実を知った方がいい
遊牧民は飢饉や日照りが起きたら安全な場所に移動すればいいだけだから、厳格な暦はいらないんだよ
ひとつの土地に拘束されて種まきや収穫の時期を正確に把握しなければならない農耕社会にこそ暦が必要だった
>>537
日食は現実社会にはなんの影響もない
戦国時代の日本人は日食をまったく気にしなかったが日本はレイムダックになっていない 遊牧民やイスラームがこだわったのは暦の正確性ではなく統一性
広域な支配地域から税を確実に取るための暦なので天文学上の正確性は重要ではなかった
ヒジュラ暦はその最たるもの 移動先で同じ暦を使うことと、その暦が正確であるかどうかはまったく違う概念だぞ
ごちゃまぜにするな
君は議論が雑すぎる >>538
遊牧というものは、資源の永続利用のための手法で、飢饉や日照りで移動してしまえばいい、言い換えたら、今の居場所の資源が枯渇したら移動するというような、
焼畑農耕的な発想でやるものではないよ?
遊牧社会は移動自由でもない。厳格に縄張は決まっているし、資源を回復困難なほど収奪しないよう一箇所に留まる期間は厳密に制限してある。移動ルートの交差するような場所や林地のような
共有地は特に留まる期間は時間的な縄張も定めてあるし、冬営地に連れてきて冬越しする家畜の数も制限されている。
こういう、縄張の調整や、人員の欠落したところや人員の増えすぎたところの人・土地資源・家畜の再分配というようなことを広範囲に決定する強い権限が族長にあって、精緻な調整を求められる。
遊牧政権が広域化巨大帝国化しやすいのも、広い範囲に散らばるというか人を散らばらせながら統制する強いリーダーシップのノウハウの蓄積が有るからだよ。
地理的な縄張に加えて時間的な縄張支配が必要で、宿営(小集団)がどの期間にどのあたりにいる、というのを各々互いに把握しているから、交易も速度の速い情報伝達も戦時動員もできるんだよ。 >>542
それができないから頻繁に戦争が起きたんだろ
テムジンとジャムハの仲たがいなんてまさに典型
モンゴル人は団結力があるとか仲がいいなんて話は、現代モンゴル人のプロパガンダだぞ
ただの願望
現実は真逆 遊牧民の間でしばしば起きた大量殺戮と整合性がとれないだろ
こうであってほしいニダ的な願望を学問の世界に持ち込むな 中国人もロシア人も口をそろえて秘密警察の起源はモンゴル帝国だと主張する
モンゴル帝国による広域支配を可能にしたのは秘密警察ってこと
>>542 みたいに遊牧民王朝を美化する人ってなんなの? 今でもロシアや中国には秘密警察のようなものがありますが、それはモンゴル帝国からの伝統だとロシア人も中国人も言っています。
宮脇淳子著『日本人が知らない満洲国の真実封印された歴史と日本の貢献』(扶桑社BOOKS新書)から抜粋 トルコと韓国が自由主義陣営を離れて権威主義陣営に着くのは避けられなさそうな感じ
これからの国際情勢は、かつてモンゴル帝国に服属していたかどうかで色分けできそう >>530
この時既に結構な歳だよなしかし一人だけ長生きよのぉ
四駿四狗大体ハーンに前後して死んでるのに
ベルグテイとかオッチギンとかシギクトクとかもっと長生きだけどほんとピンキリやね >>530
そもそもモンゴル帝国の事業としてハーンの権限でもってクリルタイまで開いての遠征なんで
オゴデイ・ハーンが崩御しちゃうと、根拠になるものが何も無くなってしまう
モンゴル帝国に限らず遊牧民って人と人の信用と契約が土地という媒介を経ない分重要で
事前契約に対して四角四面で対応してたりする(都合悪い時は破る事もあるが) そもそもヨーロッパに価値を感じてなかったんだろ。
モンケがバトゥの支持を得て即位した後、クリルタイで決まった遠征先が中東と南宋。
バトゥがヨーロッパを欲しいと思っていたら、モンケだって遠征先に選んだはずじゃん。 当時のヨーロッパは糞田舎のゴミ溜めだからしゃーない イタリア辺りはまた違うんだけど攻め込んだのがロシア経由で
ポーランドやハンガリー、精々がドイツ西部だしなぁ ワールシュタットはほんとに綺麗に決まったのにモヒは結構gdgdだよな
作戦自体は完璧なんだけどタイミングは完璧じゃなかったようで >>551
13世紀14世紀のヨーロッパって、農業・牧畜の生産性は低いは、ドくずのローマンカトリックがはびこっていて人間の資質も良くないは、
特別な産品が有るわけでもなし、そりゃ、西の海から東の海まで制覇することが目的でも、後回しにされるわなあ。 >>545
華夷序列思想のようなもので凝り固まっていて思考停止、実力を実力相応に評価しない、内情や仕組みを知ろうともしない方が有害じゃないの? >>543
頻繁じゃないよ。
そりゃ、中世だから、戦争多いわな。
その中でも、モンゴル帝国時代は、パックスモンゴリカというくらいに平和な時代。高麗の南端からから地中海を望むところまで陸路で安全に旅ができた稀有な時代。
で、農耕圏は戦争しなかったの?
そんなことないわなあ。
遊牧圏と全く接していなくて、まあ、2度介入があったけれど、その介入とは無関係なはずの時期にも、我らが日本はモンゴル帝国の興亡よりも長い時期、小競り合い
ばかりやっていただろ。保元の乱から大坂戦役まで450年の間、10年空けず戦争ばっかりじゃないか。 >>559
カイドゥの乱が勃発してから陸路の安全な旅なんて出来ないだろ。
マルコ・ポーロも帰りは海路だし、イブン・バットゥータも海路だ。 チンギス一族は政略結婚さえすれば平和になると思い込んでいたか、それ以外の方法が思いつかなかったのだろう 閨閥の血盟が丸で役に立たん日本が異常だろ。
近い時代なら、
源頼朝
娘らを源頼朝、北条時政(北条政子の父)に、三浦義澄(十三評定衆)に嫁がせて河津祐親を自害に追い詰めて、自らの子を含む父子三代死なせてる。
婚姻成立前たが、娘(大姫)の婚約者として鎌倉に預かっていた源義高(木曽義仲嫡男)をアッサリ殺す。
その次の世代、源頼家の時期には、側室(若狭局)の父・比企能員を殺害、若狭局・源一幡も同時に、北条時政・北条義時父子によって殺されてしまう。
北条時政は北条政子の父だかせ、源一幡は北条時政から見て曾孫北条義時から見て甥の子な。
ついでにいうと、北条義時は娘婿の畠山重忠を孫(畠山重保)もろとも攻め殺しているし、また別の娘婿(平賀朝雅)も資格を送って暗殺している。
鎌倉時代足利時代は大体婚調子でキナ臭い。
明も北元も末期の17世紀でも、まあこんな調子だ。
例えば、大坂戦役。
徳川秀忠からみて、甥であり娘婿でもある豊臣秀頼および孫である豊臣国松を、わざわざイギリスに特注したフランキ砲で砲撃し爆死させている。
徳川秀忠の妻(江)と豊臣秀頼の母(茶々)と京極高次の妻(初)が姉妹で、初が戦争回避に奔走したが、叶わず。 当時のヨーロッパは例えるなら石油の出ない西アジアみたいな物でモンゴルにとって侵略価値が無い場所だった 石油なんて自然に湧いてきて乾きかけたタール質をラクダの湿疹の塗り薬にちょこっとだけしか利用していなかった時分の
中世西アジアは世界の先進地帯でしたよ? >>563
ヨーロッパ全体はともかく、スペインあたりは先進国だな >>565
その頃は回教圏で支配層はアラブ人とモール人だったろ。 >>560
クビライとカイドゥの間で大戦争している期間中でも
お互いの交易は止めてない。
交易停止がモンゴル全体の死を意味するというのが共通認識だった。 >>567
ずーっと戦争していたわけでもないしな。
ヨーロッパの17世紀の三十年戦争よもり散発的。
実際に合戦になることは少なくて、やっても局地戦ばかり。
戦争よりも、その地のボスを味方に引き入れる工作の方が重要で、戦闘に関係無い商人・農民・遊牧民は、往来自由。 抑え込んでいたのに…モンゴルで感染急拡大|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000215432.html
[2021/05/07 23:30]
これまで新型コロナウイルスを抑え込んでいたモンゴルで、いま感染が急拡大しています。
首都ウランバートルは、1カ月前からロックダウン中です。
お酒もウォッカなど、アルコール度数が高いものは、販売禁止となっています。
モンゴルは、早い段階から厳しい水際対策とロックダウンで感染を抑え込んできましたが、
今年3月以降、感染者が急増し、人口100万人あたりでみると、インド以上に深刻です。
イギリス型の変異ウイルスの影響も指摘されていますが、度重なるロックダウンで起きた人々の感覚の変化もあるようです。
モンゴル在住・惠良司さん:「慣れというか、飽きというか、そういうのが皆さんにもあるのか。
(ロックダウンが)解除されたのを機に、一気に皆さん人と会ったり、食事をしたり、お酒を飲んだり、仕事が再開されたり。
そういうのを繰り返すうちに徐々に増えていったのではないか」 チンギスを今でも賛美しているモンゴル人は、
中国の侵略を批判する行為との矛盾を自覚しているのかな? >>570
チンギス・ハーン賛美どころか
研究することすらソビエト連邦からの圧力で禁止されてた。
禁を破って非業の死を遂げたモンゴル人学者もいる。
ソビエト連邦崩壊と共に反動があっても仕方あるまい。 賛美と批判は両立するぞ
ナイーブすぎるな
憲法9条信者かね >>570
歴史上の話と現在の話を混同するなよ
当時は戦争も虐殺も違法じゃねーんだ
今は条約やら法律やら思想で色々ダメなことになってるが当時は違うんだ テムジンの父のイェスゲイは、カブール・ハーンの孫で、
キヤン氏族の頭領という家系に生まれた
だからチンギス・ハンも、まったくの成り上がり者というわけではないんだよな >>575
或る種、貴種流離譚だよね。
父の早逝で困窮しながらも、信頼できる仲間を得て、頭角を現し、仲間の裏切りに合いながらも妨害をはねのけて玉座を得ると。 モンゴル帝国も、動乱の時代が終わると、特定家系の出身者しか
ハーン位につけなくなっていくよな
あと、元朝では長い間、フンギラト氏族出身の母から生まれた
皇子しか皇帝の地位につけなかった
のちに新興のキプチャクーメルキト軍閥に敗れるけど >>577
日本も似たようなものじゃん。
結果的に今の皇室連なる一族だけが大王位に就いていたわけだけれど、大王位には神武天皇の父系子孫の大王から五世孫以内って皇位継承のルールが確定したのは、
動乱期を過ぎた大化改新の頃だろ。
ギリギリの時期にやらかしたのが蘇我入鹿で、誅殺された結果、ルールが不可逆にに確定。
その時期くらいから奈良時代の頭まで正后は皇族の出、奈良時代以降は皇族もしくは皇孫氏族もしくは藤原氏というふうに正后を出せる氏族が固定。 元々ほ日本も10家ぐらいの王家の持ち回りだったらしいな
後になって続柄を変更して全員同家系にまとめただけで 西欧諸王国も昔は選挙王政だったけど、だいたい結局は特定家系の独占になってる 中国やビザンツの皇帝・皇后のほうが遊牧民国家より成り上がりが多いかもしれんな
ユスティニアニス1世の皇后テオドラは踊り子の出身 モンゴル帝国が支配した地域が後に共産圏になってしまう。 >>581
中国の隋唐宋は遊牧民王朝で成り上がりだぞ >>583
宋の皇室は宋建国前には後周や唐で知事とかで禁軍将軍とか出してる高官の家系じゃん?
唐の高祖李淵は自身も北周・隋で知事職、で父親も北周・西魏知事職、その父は柱国大将軍、三人とも唐公を叙爵された貴族。
李淵の正妻は西魏の後宮軍人の独孤信の娘で、隋の煬帝の母親と姉妹。
隋の高祖文皇帝の父親は北周の軍事貴族。隋公を叙爵されている。
少なくとも祖父か曽祖父の代には前王朝での高官になってるで。 中国の皇帝で成り上がりというと、漢の高祖と明の太祖ぐらいかな?
ローマ皇帝・ビザンツ皇帝には成り上がり者がけっこういるな
ディオクレティアヌス帝は一兵卒から成り上がった >>584
白鵬本人あるいはその子孫が日本相撲協会の理事長になるような感じだぞ? >>587
相撲の親子関係は、師匠→弟子
相撲の一家は、親方名跡
だからな。
相撲が神事とされるのは、健児に地を踏み固めさせ相撲をとらせることで統治を安定化さる呪術が起源だからだ。
皇極天皇の時代に扶余翹岐(百済の王族、難波京に抑留していた)らに神事の相撲をとらせている。
この前後は、新羅が百済に攻め込んだり、三韓が三つ巴に戦争したところに日本と唐が介入して面倒な時代だ。
そこから150年くらい経った時代、桓武天皇の命令で健児を再編成。奥羽方面の指揮は坂上忌寸田村麻呂。
坂上忌寸というのは、帰化姓東漢氏の分岐の諸蕃氏族だし、桓武天皇の生母も和史乙継の娘で和史も百済からの帰化者を族祖とする諸蕃氏族だ。
要は、外国人に相撲を取らせること、相撲の指揮を取らせることに、前例が有るから問題無しなのよ。 問題あるかどうかという話じゃなくて成り上がりかどうかという話してるんだが
門閥貴族でない部外者の鮮卑(テュルク・モンゴル)が親子数代かけて皇帝になるのは成り上がりにならないのか、という話をしている >>589
高官を三世代とか五世代とか出したらもう門閥じゃないのか?
しかもお后を出したい絵からお嫁さんが来て次の代には皇帝とイトコとかだと立派な門閥だろ 漢滅亡後に中原統一できた漢人王朝は明だけだろ
それ以外は全部、遊牧民王朝 オゴデイ・ハーンは首都をカラコルムに定めたが、宮殿に住んだのではなく、
一年の大部分はカラコルムから半日あるいは数日行程の、四季それぞれ
定まった地のオルドに住んだ
そういえばイランのカージャール朝のシャーも、各地を移動するほうを好んだな >>592
冬営地に年寄とか留守番役とか臨月の妊婦とかを置いて、若くて元気な連中は放牧で移動
ってのが遊牧民の生活スタイルだからな。
夏場の遊牧は広範囲に散らばっているけれど、冬営地は各戸狭い範囲に集まってる。
人の呼出も他部族や農耕圏とのやりとりも冬営地を介して行われる。
ナニナニ家のナニガシさんところの次男のナンヤラ君に連絡したいんだが……っけみたいなのは、
冬営地に居る婆ちゃんとか留守番役の末の弟とか里帰り出産の嫁さんとかに託けするんよ。
連絡役の少年とかが時々冬営地に来て、産品の羊毛とか乳脂とか薬草とか置いて、鉄製の道具とか穀物とか
買っておいて欲しいものを言いに来たり取りにに来たりする際に、託けが伝わる。
というような仕組み。
それをそのまま帝国の統治にも拡大。
首都ったって、遊牧感覚の冬営地だわな。
集めてきた税とか戦利品とかを管理する留守番役やらを置いて、連絡役の小姓がが行ったり来たり。 とはいえ今の北京を大都市に建造し直したのモンゴルだしな 北京(大都)は万里の長城のすぐ南側にある
つまり、遊牧地域と農耕地域の境目の、やや農耕地域寄りに位置する
そこで長城の向こう側・草原遊牧地域寄りにも上都(開平府)を建設した
そうして夏は北の上都、冬は南の大都と移動生活を送っていた >>595
遊牧圏と農耕圏との境にあたる場所にある町だから、遊牧民の縄張感覚での交易拠点だし、
農耕圏を支配するためにもってこいの場所にある都市だったからな。 かつて中国を支配したモンゴル人も満洲人も、
固有の学問技術や思想宗教で世界に貢献はしなかった。
しかし満洲人は内戦を起こさず、漢人の協力者ともども
清朝を守り続けた。
戦争はモンゴル人よりも弱かったけどね。 >>598
清朝で最後まで使い物になった八旗は蒙古八旗だしな。 >>598
ホンタイジはモンゴルの土豪たちを平らげて、モンゴル帝国玉璽を献上させてんじゃん。 満州人はモンゴル人を支配下に入れた後も彼らを同盟者として扱った
満州人の八旗の制度に準じて旗を基本単位とし、旗ごとに牧地を指定した
乾隆帝の時代になって、内蒙古六盟四十九旗が整備される >>603
たとえば、カルロスゴーンが仁川から米洲のどこかへ行こうとして飛行機で日本の上空を通過しようとしたとき、
日本はその飛行機を成田に降りてゴーンを引き渡せ、って言えないの? じゃあ、ゴーン乗ってるから引き渡さないなら日本の上を飛ぶの拒否、っては言えるの? バルト三国やウクライナはジョチウルスじゃないから欧州回帰したがるのはわかるんだが、
同じくジョチウルスじゃないはずのベラルーシはなんであんなにジョチウルス感がほとばしってるんだろうか >>606
> じゃあ、ゴーン乗ってるから引き渡さないなら日本の上を飛ぶの拒否、っては言えるの?
誰が乗ってるかに関わらず、日本の上を通過するには日本の許可が必要 >>608
民航機は包括的に領空を飛んでいいみたいな協定結んでるけども、
「こっちの国にイヤな誰某を乗せてるその飛行機だけは通さない」
ってのは有りなん? >>607
東方正教圏の国は、もともとカトリック・プロテスタント圏の国とは異質でしょ テムジンが、後にモンゴル帝国を打ち建てたときの建国の功臣ボゴルチュやジェルメが
自発的に彼の部下に加わったのも、テムジンがまだ若く孤立していた時代だった
また、後年彼が何度も敗戦の憂き目にあったときでさえも、ウルート、マンフト、
オンギラート、ホルラス部などがチンギスにつき従っていた
やっぱり彼の天賦の才能と、父の家系が幸いしたんだろうな >>611
ニワトリとタマゴの関係にもなるが、東方正教会が拡大できたのは信教の自由を尊重したジョチウルスのおかげなんだよ。
在地領主がジョチウルスに反乱を起こした時には、東方正教会は率先してジョチウルスを支持したこともあった。 >>613
ヤサ法があるから寺社僧神官は基本尊重保護するからな。 モンゴル帝国ってイスラムには寛容じゃなかったよな。
チャガタイとか。
暗殺教団なんて早い時期からモンゴル帝国と外交やって、フレグに対してもすぐに降伏したのに。 漢人世界にイスラームが広まって回族が成立したのは大元ウルスの時代だよ。 服従しないからな。
アッバース朝も残党がエジプトにいてバイバルスとか遣わしてくるし。 >>616
明の時代だよ。
モンゴル人・西域人は必ず漢人と結婚しろと同族間の婚姻を禁止ってことをやった。
ついでに、一神教を清真教にに集約、キリスト教もイスラム教もユダヤ教もゴッチャ。
分断作、混血策の結果、畑を耕す定住モンゴル人や、イスラム教徒のモンゴル人や、漢語を喋りイスラム教を奉じる回民 等々が生じた。 >>567
嘘ばっかり。
カイドゥの乱勃発以後は危険で陸路を使った自由な往来なんか無理。
元朝とイルハン国との往来すら海路使ってるじゃん。 ハートランドのディストピア化が大航海時代をもたらした ホラズムとアゼルバイジャンはどちらも水草の豊かな好放牧地だったから、
キプチャクとイルの両ウルス間で争奪の的になっていたんだよな >>619
商人の通行と貴人の外交を一緒にしてはいけません シルクロードのうち、オアシス・ルートはなぜさびれてしまったんだろう? >>623
ベラルーシ政府によるハイジャック事件のニュースみてないの? >>623
寂れてないじゃん。
20世紀になってシベリア鉄道にアジアハイウェイに賑わってんじゃん。
強いて言えば中華人民共和国が好戦的で、国境接しているすべての国と戦争していたから? アンカレッジ空港なんかも直行先から日本が外されただけで「存在感なくなった」とか言う人いるからな >>601
ホンタイジはモンゴル族長をすべては平らげてはいない
ハルハ部はカラコルムを首都として独自のハーンを擁し後金に従わず
仇敵のオイラートと手をを結びモンゴル草原を維持して女真に抵抗した(後元)
清が順・西(後成)・南明・後明(鄭氏台湾)を降した後も生き残ったが
西から迫るジュンガル帝国に1688年に滅ぼされた そして生き残ったハルハ部は内モンゴルに逃走し、清朝の保護を求める シベリア鉄道は賑わったことないでしょ
沿線に大人口都市がまったくない
高付加価値商品を運ぼうとすれば「みえない税金」を取られる
廃れるべくして廃れるわけで
中ロ・日ロ関係が悪化して競合する海運が絞られたほうがシベリア鉄道が栄えるリスカ案件 >>629
モスクワ リャザン ニジニ チユメニ ウファ カザン エカテリンブルグ チェリャビンスク ベルスタ オムスク バルナウル クラスノヤルスク ペトロパヴル
オレンブルグ オビ ノヴォシビルスク) チェリャビンスク イルクーツク ハバロフスク ウラジオストク ブラゴヴェシチェンスク ナホドカ>>627 >>627
すべて平らげてないと征服したと言えないの?
たとえば、宋なんて燕雲十六州のうち十三州は一度も占領したことが無いよ。漢人地の全部を支配したこと無いけど漢土の正統王朝扱いじゃん。
イングランドを統一したエグベルト王の支配地は長城まで及んでなくて、イングランド北部はノーサンブリアとデンマーク占領地が広く残ってた。
ギリシャ世界を統一して東方遠征に乗り出したというアレクサンドロス三世の母親の生地のエピロスは征服していないし、アドリア海の対岸より東の植民都市は支配下に置けたことが無い
神武天皇も日本統一ったって、九州の北半分、本州の西半分が限界で、焼津の蝦夷や南九州の熊襲が平定されたのは12代も後、本州の端から端まで統治下に入ったのは50代も後で、
日高の蝦夷を治下に入れるまで122代2500年くらいかかってる。 >>619
激しい内部抗争、大戦争があったにもかかわらず、
経済と交易に関する制度は、
戦闘のために短期間途絶えた以外うまく機能し続けてた。
例えばカイドゥは南京の周辺に広大な土地を保有していた。
クビライ・ハンとの大戦争の間に、
カイドゥは南京の保有地からの産物を送ってくるように要求。
その代わりにクビライが草原の自分の相続地の馬その他の物資を駆り集めることを認めた。
モンゴル帝国が四つの行政区分に分かれても、
それぞれが他の行政地域の産物を必要とする。
もし一族の他のメンバーに産物を供給するのを断われば、
相手の領土にある自分の所有地の産物も送ってもらえなくなる。
相互の経済的利害関係の方が、政治抗争より強力だった。 >>623
モンゴル高原を抜ける草原ルートがオアシスルートに代わって主役になったね。
何故かはよくわからないけど、
乾燥化砂漠化の進行があるのかな?
ルート変更に伴って
長安の価値が凋落し、北京が重要になる。
だからモンゴル遊牧民が勃興できた。 >>633
東西ぶっとおしで支配するモンゴルの登場で大圏コースの概念が出てきたからだろ
高緯度地方通る方が唐は距離が短い早く着くって モンゴルが布いた「草原ルート?北京?なにそれうまいの?」的な感じで東どなりの満州人が勃興してきた感じかね 草原ルートの支線はアムール川〜樺太〜蝦夷地・松前藩(北海道)〜北前船で、日本にまで通じてましたよ。
満洲人は日本の存在を知っていて、ホンタイジが朝鮮を攻めたときの講和条件に、朝鮮は日本と交易して得た産品を引き渡す、という条項を盛り込んでいるよ。 モンゴル帝国の時代は南海ルートを通した海上交易も盛んだった
宋代に引き続いて杭州・泉州・広州などの港が繁栄し、市舶司が設けられた
イブン・バットゥータも泉州、福州を通って大都を訪れている ロシアのハッカー、米国へのサイバー攻撃再開−マイクロソフトが指摘 - Bloomberg
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-05-28/QTTB6UT1UM0W01
2021年5月29日 1:00 JST
ジョチ・ウルスェ… >>432
>中華圏で大人気の歴史ドラマの還珠格格のリメイク版で
モンゴルの王女の賽?が出て来るが、
モンゴルじゃなくてチベットだよ。 イル・ハーン国の場合、住民のほとんどはムスリムだったけど、
フレグ自身は仏教に帰依し、その妃の一人はネストリウス派キリスト教徒だったな
第七代君主のガーザーン・ハーンの代にイスラム教に改宗し、モンゴル貴族たちも
これにならった >>640
それはビッキー・チャオ版のオリジナルの方。
2011年のリメイク版の李晟主演では小燕子と
取っ組み合いするのはモンゴルの王女となっている。 モンゴル帝国のユーラシア興隆史 (多摩大学 2017年度 インターゼミ アジアダイナミズム班) 97ページ
https://www.tama.ac.jp/guide/inter_seminar/2017/2017_asia.pdf
文献研究1
13世紀前半初代 チンギス・カーンの時代 〜モンゴル帝国の樹立と拡張〜
(3)' 絶対服従
虐殺は古来からの戦争のルールであり、モンゴル軍の戦争のやり方がそれまでの戦争と大きく異なったのは、自
分たちが天から世界を支配すべき命令を受けた種族であると確信していたのである。1206年シャーマンである
コゴチエ・テブ・テングリは神がかりになって次の天命を宣言した。「永遠なる天の命令であるぞ。天上には、唯一
の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主たるチンギス・カーンがある。これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き
知らせよ。我が命令を聞き知りながら、従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり
、足があっても、歩けなくなるであろう。これは永遠なる天の命令である。」
チンギス・カーンも全モンゴル人もこの天命を堅く信じ、天命に導かれ世界征服に乗り出したのである。チンギス・
カーンの子孫たちも、西ヨーロッパやエジプトの君主に送って降伏を促す手紙の中で、この天命の文句を引用して
いる。この天命を信じるモンゴル人にとって、無条件で降伏しない者は、天に逆らう極悪人であり、極悪人を殺しつ
くすのは、天に対する神聖な義務を果たすことだったのである。 【ダイヤモンド】北条時宗はモンゴルから日本を救った英雄に非ず 非礼を重ねて無闇に国を危険にさらす
ps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1622601997/ これって妥当な見解?
「ただ元による百年間の中国支配は、中国の社会、文化に甚大な後遺症を残し、
特にそれは経済の面で著しい。旧南宋全域の富が、それまでの華北の富と同様に、
モンゴル人と色目人の手で収奪され、国外に持ち出されてしまう。
紅巾の乱をへて、朱元璋が明帝国を創建した時期には、
塩の専売とリンクされていた紙幣はただの紙切れとなり、
かといって銀も銅銭もその備蓄は極めて少なかった。」
(梅原郁『皇帝政治と中国』白帝社、263頁から264頁)
>>642
あなたの言う通りだ。
スマソ。 習近平主席の一帯一路構想はモンゴル帝国のグローバル経済の焼きまわしなんだけど、
モンゴル帝国が華人社会の富や技術を吸い上げて周縁に再分配した構図は、
一帯一路構想における中国の対外不良債権と被るんだよね
スリランカから港の管理権を獲得したようなわずかな成功例を除けば、ほとんどは回収できずに焦げ付く可能性高い >>645
北元がまだ残ってて塩と紙幣、銀や銅銭なんかも引き揚げちゃってるからな
反乱勢力が旧支配者たちの資産を接収するにはもっとちゃんと滅ぼす必要がある
商業ネットワークも握られたままだし その割には海禁前の明って世界でもトップクラスに豊かな先進国だったよな 北狄や華北が華南の富を如何にして獲得したか、というのが中国史の無限ループだから 中国史上には斑昭のような著名な女性学者や、
蔡文姫のような著名な女性文人がいたけれど、
モンゴル文化史では相当する人物とかいないの?
あと北宋や南宋では士大夫が言論を理由に
死刑を科されない状態が、初代の遺訓として
続いたけれど、元朝では宋朝からの慣行を
受け継がなかったの? ウズベキスタン、すごいな
いかにもモンゴル帝国だった地域っぽい特徴がある
ウズベキスタン制裁へ 競泳の東京五輪アジア予選タイム改ざんと口止め買収 実名告発実る(東スポWeb) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/d80c483dd33d3e59f7023c17f8112e0030371a40
国立競技場で女性に乱暴 容疑でウズベキスタン人逮捕―警視庁:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021071800341&g=soc ロシア、「ROC」なのに77番目に登場 仏語で「しーおーあーる」:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASP7R75PVP7RUHBI02M.html
2021年7月23日 22時52分
ロシアの選手は今回、「ロシア」ではなく、ロシア・オリンピック委員会の略称「ROC」と紹介されて77番目に登場した。
ロシア・オリンピック委員会を、国際オリンピック委員会(IOC)の公用語の一つであるフランス語で表記すると、
「Comite Olympique Russe」。この頭文字を日本語で読むと、「しー・おー・あーる」となるため、サンマリノの次、シエラレオネの前の77番目になったという。
さすがにジョチ・ウルスじゃなかったか 【歴史】モンゴル帝国の衰退は寒冷化→免疫力の低下→ペスト大流行(パンデミック)→基軸通貨たる銀の不足 [かわる★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1626936604/1 モンゴル代表で五輪柔道出場 大会棄権迫られ、イランから亡命 | 共同通信
https://nordot.app/792672757485191168?c=39546741839462401
国際大会で母国イランから、対立する国イスラエルの選手との試合を回避するために棄権するよう圧力をかけられたとして亡命したサエイド・モルラエイ(29)が27日、柔道男子81キロ級にモンゴル代表として出場した。
モルラエイは2018年の柔道世界選手権の王者。19年の同東京大会でイスラエルの選手と決勝で当たる可能性が出てくると、イラン側から棄権するよう指示されたという。モルラエイは「辞退しなければ家族を殺す」と脅されたとしている。
指示に従わずに出場し続けたが準決勝で敗れ、対戦は実現しなかった。試合後にドイツに渡り、モンゴル国籍を取得した。(共同) >>575
成り上がりっつーとスブタイの栄達振りは相当なモンじゃなかろうか
孫の代まで軍部の中枢担ってるし https://www.nhk.jp/timetable/130/tv/20210819/daily/night/
秘境中国 謎の民「神秘の森に生きる」
[総合] 2021年08月19日 午後10:30 ~ 午後11:15 (45分)
中国の秘境、雲南省の深い森に暮らす謎の民・ルーモ人。古代の武器・弩弓(どきゅう)で野生動物を狩り、シャーマンが魔除けの儀式を司る。今その伝統の暮らしが消滅の危機
中国の秘境、雲南省に広がる高黎貢山(こうれいこうざん)。標高2500mの世界遺産の森に生きる謎の民・ルーモ人の暮らしを半年に渡って記録した▽古代の武器・弩弓(どきゅう)で野生動物を狩り、シャーマンが魔除けの儀式を司る▽祖先は800年前、モンゴルの皇帝を倒して世界の歴史を変えた最強戦士。流浪の旅の末、辺境の地にたどり着いた▽今、中国政府によって森からの立ち退きを命じられ、伝統の暮らしが消滅の危機に >>659
内モンゴル自治区では大体そんな感じ。
モンゴル国ではロシア式の父親の名前を変形させたのを姓代わりにしている。 >>643
まるで旧約聖書のユダヤ教徒か十字軍、
大航海時代のキリスト教徒かイスラム教徒か
極左みたいな奴等だな というかフビライが日本に宛てた国書にもちょろっと出てくるだろ 「普通なんですが…」ネットを騒がせる“眼科の愛新覚羅先生”が明かす、やっぱり凄い“わが半生” | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/48076
「眼科のアイシンギョロ先生」がいるのなら「眼科のボルジギン先生」がいてもいいのではないか 別のモンゴル帝国スレが終わりそうなので、このスレでも質問させてもらう
以下動画の導入部分でネクタイの話でてくるんだけど、遊牧民が起源なのはネクタイじゃなくて立て襟じゃない?
【LIVE 8/27 16:00?/ゲスト:楊海英(静岡大学教授)】『宮崎正弘の生インタビュー #12』ウイグル、チベット、南モンゴルを忘れるな...
https://youtu.be/iHYYoc4DLw4 人間の屑のチンギス戦争犯罪人は中二病を抉らさえたサイコパス殺人鬼 お前なんかタルグタイに捕まってミンチだわ無能
ハーンなめんな こないだモンゴルに興味持って横山光輝の漫画読んだけど
脚本ミスかってくらい至る所に違和感満載だったな
ジャムカとかアンダの誓いとか言っといてテムジンの苦境の最中何してたん? 暴走族の漫画かくならモンゴル騎馬民族漫画かけ
世が世なら族の頭は部族の王だ 警察官僚をはじめとするインテリヤクザが同じ市場に参入してくるんだが暴走族は勝てるのか? 馬にただ乗るだけが遊牧民じゃないんだよなあ
族なんかと一緒にしてはいけない(戒め) >>670
テムジンは苦境になりすぎてて
どれの話をしてるかわからんのだが
ちなみにジャムカが脚本演出したのもあるよ 特別番組「モンゴル帝国から大清帝国へ」
東洋史家 宮脇淳子
憲政史家 倉山満
【チャンネルくらら】
https://youtu.be/LbJRbtFP2rM
2021/09/13 不正を取り締まるには、何が不正なのかを判断する見識が必要になる
モンゴル人にはその判断能力がなかったため色目人による横領を防止できなかった
カルロス・ゴーンの不正を見逃し続けた日産のようなガバナンスになった
それがモンゴル帝国の実態
世界が震撼した超軍事国家 モンゴル帝国|小名木善行 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kkXH9RggV74 モンゴル帝国は安かろう悪かろうなグローバル経済を世界に広めた 上海協力機構へのイラン参加にタジキスタン、ウズベキスタンが難色を示していたが、
アフガン情勢の変化でタジキスタン、ウズベキスタンが反対を取り下げ、イランが参加する見込み
秘密警察という遺産を共有する国々によってモンゴル帝国が復活しつつある >>1
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人、199年間
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人、6年間と1日
■明清交替、2500万人、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人、8年間
■太平天国の乱、1000万人、14年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
戦争犯罪・虐殺
■第二次世界大戦、2900万-3050万人の死者
■日本の戦争犯罪、300万人-1400万人の死者
■三光作戦、270万人以上の死者
■国共内戦、180万人-350万人の死者
■マラーター王国のベンガル侵攻における戦争犯罪、40万人
■米比戦争、20万-25万人
■マニラ大虐殺、10万-50万人
■南京事件、1.3万-40万人
病気・飢餓
■中華人民共和国大飢饉、1150万人-5500万人の死者
■第二次世界大戦による病気と飢饉、1900万人-2800万人の死者
■大日本帝国による飢饉と病気、813万人-1493万人の死者
■日中戦争による飢餓と病気、500万人-1000万人の死者
※拡散は歓迎だぞ >>1
強制労働・奴隷貿易
ここでは、労働条件の悪さによる死亡、労働能力を十分に発揮できなかったことによる死刑、輸送中や職場での労働者の不当な扱いによる死亡について一覧を載せる。
■労働改造制度、1500万人-2700万人
■アラブ人の奴隷貿易、754万人-7000万人
■オスマン帝国における奴隷制、1050万人-1125万人
■グラグ制度、105万-600万人
■北朝鮮における強制労働、40万-150万人
■アシエンダ制における奴隷労働、17.3万-201万人(1900-1920)
■大日本帝国による朝鮮人の強制労働、27万-81万人
■バルバリア奴隷貿易、24.5万-38万人
死者数による政治的指導者一覧
ここでは、特定の政治指導者が原因となった死者数を載せる。死亡者は国策による国内の状況と、問題の指導者に対して忠実な軍隊による積極的な殺害の両方に起因している。
■毛沢東、1359万-7000万人
■チンギス・カン等、2000万人-4000万人
■アドルフ・ヒトラー、1351万人-2549万人
■蒋介石、596万人-1852万人
■ヨシフ・スターリン、330万人-1500万人
■昭和天皇、300万人-1400万人
■レオポルド2世、300万人-1300万人(コンゴ)
■ポル・ポト、138万人-340万人
■青年トルコ人(オスマントルコ帝国)、148万人-281万人
■オマル・アル=バシール、106万人-253万人
■金日成等、71万人-350万人
※拡散は歓迎だぞ >>1
戦争・武力衝突
ここでは、高い推定値による死者数が10万人以上となる全ての戦争について一覧を載せる。これには軍人と民間人の両方の死者数が含まれる。直接、戦争によって死亡しただけでなく、それによって引き起こされた戦闘、病気、飢餓、虐殺、自殺、ジェノサイドによる死者も含む。
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人の死者、6年間と1日
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人の死者、199年間
■明清交替、2500万人の死者、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人の死者、8年間
■安史の乱、1300万人-3600万人、8年
■第一次世界大戦、1750万人-4000万人、4年3ヶ月1週
■太平天国の乱、1000万人の死者 14年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■レコンキスタ、700万人、781年間
■ロシア内戦、500万-900万人、5年間
■三十年戦争、300万-1150万人[信頼性要検証]、30年間
■デカン戦争、560万人、27年間
■黄巾の乱、300万-700万人、22年間
■秦の統一戦争、200万人、9年間
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上の死者、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
■第二次コンゴ戦争(1998)、380万人-540万人
■第一次コンゴ戦争におけるフツ難民の虐殺、20万人-22万人
■コンゴ自由国における残虐、300万人-1300万人
※拡散は歓迎だぞ その199年間の歴史でもっとも功績上げた将軍って誰だろ? ジェベとバトゥなんて辺境しか征服してない。
中国戦線で活躍したムカリやバヤンの方が功績上だろ >>23
非戦闘員を殺さないルールが出来たのは
19世紀から20世紀にかけてだろう
古代や中世で敵国の非戦闘員を殺さないのは奴隷として売る為だろ
旧約聖書にも皆殺しの記述はあるし、
モンゴルより遥か前の紀元前からティルスも
カルタゴも皆殺しにされた
非戦闘員を戦闘員と分けるのは近代的 残虐さを見せつけるというならアッシリアもだな
ユーラシア大陸の人間は多言語社会に生きているから話を盛っても伝わるのでは?
中国ならジンギスカンの前に項羽も安禄山もあるし、漢族からすればまず女真が許し難い鬼畜野郎で女真とモンゴル、どっちも大嫌いだっただろ
後代の清が女真族の割にまともな善政で驚く チンギス・ハーンのモンゴル軍の戦争のやりかたが、それまでの戦争とまったく違って、無条件降伏か死かの原則を貫いたのは、
自分たちは、天から世界征服の使命を授かった種族であり、戦争はその神聖な使命を果たす手段であると、かれらが確信していたからである。 なお、チンギス・ハーンの死後に東ヨーロッパに侵入したモンゴル軍についても、
キリスト教徒がその残虐さを大々的に伝えているが、これもイスラム教徒と同じく、
戦争をあまり徹底的にやらないという暗黙の了解になれていたキリスト教徒が、
モンゴル軍の戦争に対する観念が自分たちとまったく違うのに、大きなショックを受けたからであろう。 1206年、シャーマンであるコゴチエ・テブ・テングリは神がかりになって次の天命を宣言した。
「永遠なる天の命令であるぞ。
天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主たるチンギス・カーンがある。
これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。
我が命令を聞き知りながら、従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても、歩けなくなるであろう。
これは永遠なる天の命令である。」 チベット仏教を受容したせいで世界征服の天命を果たせなくなった よく言われているのは、ネストリウス派キリスト教徒が多いケレイト部を武力併合した直後だったので、その影響
一神教徒よ、俺に逆らうな的な感じ ココチュ・テブ・テンゲリがあぼーんされるまでが遠足です カサル「テングリにいじめれた(ウェーン)」→チンギス「うっせぇわ!」
オッチ「テングリにいじめれた(ウェーン)」→チンギス「よし殺す!」
この落差よ チンギスモンゴルはヒトラーナチスと一緒なんだよ
侵略しまくり虐殺しまくりな極悪人のクズ
サイコパス殺人鬼を偉人扱いしてる奴は全員人間の屑の極悪人だ モンゴルに近いのは帝政ロシアとソビエト連邦だけどな
ちなみにスティーブン・セガールの父親はロシア系モンゴル人な
まめな >>681
>死者数による政治的指導者一覧
調べた訳じゃねーけど、昭和天皇よりヴィクトリア女王の方が数が上回ってると思う。 日本に厳しいヤツはだいたい英米豪に甘いよな、なぜか
英米豪のプロパガンダに乗せられてる ぼんやりとオグズ族について調べていて、ウィグルや九姓鉄勒がモンゴル帝国の正体かもしれないとぼんやり想像していたんだがどう思う?
・杉山正明説 〜興亡の世界史シリーズより
オグズ族は九姓鉄勒を形成した。
オグズ族系の部族
ウィグル、カルルク、カンクリ、キプチャク
九姓鉄勒の流れにあるとされる国家
セルジューク朝、白羊朝 アクコユンル、黒羊朝 カラコユンル、オスマン帝国
オグズ・カガン伝説はラシード・ウッディーンの集史がソースとなる。そこで描かれているオグズ・カガンの右翼左翼の布陣が、そっくりそのままチンギス・ハンの右翼左翼になっているのだという。
・九姓鉄勒とウィグルの関係
Wikipedia 回鶻可汗国
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E9%B6%BB
『突厥与回紇史』第八章より
「もともとは複数部族の連合体であり、彼等自身が残した碑文によれば、早期には九姓鉄勒(トクズ・オグズ)と呼んでいたが、回紇(ウイグル)部の首長氏族であるヤグラカル氏がこの部族集団の指導者となったため、九姓鉄勒(トクズ・オグズ)全体が回鶻(ウイグル)と呼ばれるようになった」
・私見
天山ウィグル王国のイディクート、バルジャク・アルト・テギンはチンギス・カンの五番目の息子とされた。血縁はないが、それほど親しく力量を見込まれた存在だったようだ。
ひょっとしたら、ウィグル以外の部族も、元々チンギス・ハン家は部族連合を家族に見立てた連合体なのかもしれない。そしてモンゴル帝国は末子相続なので、フビライまでの最初期のモンゴル帝国を率いたのはウィグルだったのかも知れない。元々、チャガタイ家に敗れるまではいいポジションだったらしいし。
あるいは右翼左翼の話だけでなく、このウィグル筆頭の部族連合のあり方自体もオグズ族=九姓鉄勒に似通っているため、九姓鉄勒の史実を換骨奪胎したものがモンゴル帝国の正史なのかもしれない。
※テムジン、テムル、ティムールのようなハンの名前は、端的に鉄を意味している。 >>703
問題ない
5chはチラシの裏だから好きなように書いてok 仮定に仮定を重ねてすまん
『突厥与回紇史』第八章、ここの史料にある内容だけでも驚きだった。九姓鉄勒がウィグルと呼ばれるようになっていったということは、ホラズム攻略もとんだ茶番だったのでは。
ホラズムの軍事力の大半を傭兵として担っているカンクリ王国が身内にいる時点で、すんなりと落ちただろう。 >>698
実際モンゴルのネオナチはヒトラーとチンギス・ハンを共に崇拝してるらしいからな しかしウィキペディアのモンゴル帝国信者による美化はひどいな それ本当にネオナチなのか?
仏教の卍とナチスのカギ十字を空目してアーティストに暴行働いたロシア人いたじゃん? イナルジュークがモンゴルの使者を殺さなかったら
中央アジアでの虐殺も無かったのかな? モンゴルの情報戦略を考えると、誇大広告も含まれているだろう どの道ホラズム攻略は既定路線
穏当に支配下に入る道なんてあるんかね? >>698
サイコパス殺人鬼であることと偉人であることは両立しうる
コロンブスやピサロはサイコパス殺人鬼で奴隷商人だが偉人 強盗殺人犯が「おとなしく金を出せば殺さなかった。抵抗した被害者にも落ち度がある」
と主張したら情状酌量が認められるかって話だな オグズ族が九姓鉄勒なら、ホラズムもほぼ同族だし昭武九姓のソグド人と被るんじゃないか 大量にいたであろうチンギスの庶子ってどうなってん?
ジョチ チャガタイ オゴデイ トルイ コルゲンは知られた所だけど
ジョチを引き合いにしても10人以上はいるはずだよな
女子はまあ嫁に出すんだろうけど よし、チンギス・ハーンの弟ジョチ・ハサルについて語ろう
ジョチ・ハサルという名前は猟犬のお客さんという意味でok? >>714
> 強盗殺人犯が「おとなしく金を出せば殺さなかった。抵抗した被害者にも落ち度がある」
日本人が性犯罪被害者(女)へかける言葉が大体それ ふと思ったがモンゴルって自決って文化あるんかな
死に方を選ぶことはあっても(ジャムカとか)自決した人ってパッと思い浮かばんな
死んだ登場人物って寿命かキッチリ殺されるかが大半だったような 文化の違いだろ。
自決のようなのは、或る種、敵前逃亡のようなもので、立派な騎士の行いではない。
苦難や恐怖から逃れるためにあの世へエスケープとかみっともない。
諦めず機会を覗い耐え抗った結果、敵に討たれたり、病や飢えに倒れたりの方が、
敵に手柄を与えたくないから自刃のような真似よりも賞賛される、というような。 貞操のために死を選ぶ烈婦の概念は、漢人が被支配階級として抑圧された大元ウルス時代に朱子学として花開いた 婚姻を通じた漢人支配体制を確立できなかったあるいは確立する気もなかった大元ウルスが朱子学を育む結果になった ほどほどのところで降伏して従えば、和蕃公主とかキュレゲンとか「諸臣と婚姻を結び誼を固す」とかで、支配層の血の交換があるんだけとど、
南宋は野蛮すぎたから。 中国共産党が南モンゴル、ウイグル、チベットを全力で民族浄化しにいっているのは愛ゆえに チンギス・ハンの血が交わった場所はなんというかディスピアだらけだよな
ディスピアだらけで困ったチンギス・ハンが血縁で治めようと努力したのか、チンギス・ハンがディストピアをもたらしたのか
ニワトリとタマゴ感 >>721でアラーウッディーンが思い浮かんだ
文字通り逃げた、逃げに逃げた、そして逃亡先で「病没」
といっても一度は戦ってんのよな、それで両者の力量が見えちゃったようだけど
それを追跡したジェベもようわからんフェードアウトしたよなぁ最強の四狗らしくもない
スブタイは人生円満終了でめでたしx2か、そこそこの長寿も込みでこれはこれでレアケース >>726
砂漠地帯多いのと関係あるんかな
元寇の造船が大きな負担になって木々がなくなったのは良く知られるところだが
で日本が植林したんだっけか? 日本が植林しても遊牧民がすぐに薪にしてしまうSDGsな植林事業が成立していた。
誰も頼んでいないのに植林されても迷惑だわな。 >>729
記紀の頃から、「韓の地は禿山荒野だらけ」みたいなこと書かれてるで。
原始人にチョロっ毛の生えた開明レベルの当時の日本の認識では、素戔嗚尊が新羅を嫌って高天原から持ってきた草木の種を撒かなかったから、と。 遊牧圏での「土地は誰のものでもない」ってのは完全な誤解だからな。
草地も水場も薪炭林も、それぞれ縄張が決まっている。
立ち入り・通過は自由でも、資源の利用や構造物の設置には縄張の関係者の合意が要る。
日本で近いものを言うと、漁業権とかだな。海・川・湖水そのものは所有していなくて、誰でも立ち入って通過はしていいが、
勝手に魚や海藻や砂を取ったり、地形を変えたり、ゴミやなんかを捨てたりすると、怒られるだろう。
それと似た感覚が、陸地に対して持っている。
そこの齟齬が、植林都下の場合に多々あるんだよな。 永遠に緑化しないSDGsな植林事業、すばらしいやん >>732
農耕圏の土地利用にも「入り会い地」の概念はあるね
遊牧圏はそれが生産領域全体に及ぶってところかな、それこそ水域の漁業権のように >>734
入会地は違うだろ。成員以外の立ち入りは認めない排他的な利用だろ・ イスラム帝国にせよモンゴル帝国にせよ、荒地を豊かな緑の大地にするという発想がないので穀倉地帯から略奪し続けるしかない チンギス・ハーンが父エスゲイの死で困窮していた若い頃、草原での生活を捨てて森に潜伏していたのではなかったか >>736
逆に、草原の場合もともと降水量が少なめかつ日照が強いところが多いので、
いわゆる雑草も含め植生を農耕で減らすと、かえって土地が枯れて砂漠化しやすかったりする 砂漠化を防止するには砂嵐に負けない植林をするところからやらないとどうにもならないのに
当事者がやる気ゼロだから南モンゴルの遊牧文化は無事、滅ぶね
おめでとう >>738
それどころか、井戸や川から汲んだ水を撒いてはいけないんだよ。
蒸散量 > 降水量のところで水を撒くと表土に塩気が溜って砂漠化してしまう。
日本の感覚で、耕して何か植えて水を撒いて〜を繰り返せば年々歳々土が肥えて豊かになると思ったら大間違い。
まして樹やなんか密植してジャバジャバ水をまいたりしたら、数百年レベルで土地が死ぬ。
乾燥地での林地で、樹は生えるべきところに生えて育つべき樹が育つ。モンゴルなら、小高くなった陸の北西斜面で、
樹冠が尾根筋よりも高くならない。
それ以外のところに生える木はほどなく枯れてしまうし、わざわざ水を撒いて育てることが有害だから、速攻で刈られしまう。 アホか
より過酷なはずのシベリアが森林地帯になってること無視してどうする モンゴルは武器に使う鉄を加工するための燃料としての森林資源を失ったことで覇権も失った >>741
水分については、降水量 > 蒸発散量 だから、過酷でも何でもないよ >>745
交易するのは当たり前だろ。炭水化物を乳や肉から得るのは限界があるから穀物を購入した。 >>747
そもそも交易の便を図ることこそ巨大帝国の存在理由。
交易の途絶が帝国崩壊を意味する。 モンゴル人をはじめとする遊牧民は、農耕と隔絶されてきたエスキモーと違って糖質の取りすぎによる糖尿病は起きにくい体質なので、
大昔から農耕社会と常に交流を保って穀物(炭水化物)を獲得し続けてきたことを意味する >>750
フビライは陸運海運のシステムを完成させた。
でも、農牧接壌地帯から遊牧民の帝国が勃興してくるのは帝国のシステムが出来上がる前なわけだからな。遊牧民と農耕民との間になにがあったか気になる 福建省や広東省で作った製品を運河で北京に運ぶよりも日本各地に運んだ方が運賃安いらしいね >>713
偉人かなあ ヨーロッパにアメリカ先住民の
教えを伝え広めなかったから偉人では無いと思う
逆方向こそが正しい >>740
あれだね、日が当たらない方角のほうがむしろ残雪の水で植物が育ちやすいってことだよね
だからモンゴルの草原と丘が混在する写真とかで、木が生えてる位置を見れば大まかな方角も分かるね >>741
シベリアの森っていわゆるタイガでしょ
あそこ、夏場はツンドラの融けかけで沼地になる土地なんだよ
ロシア語ではタイガという言葉そのものが、「沼の森」といったニュアンスを持つ すまない、モンゴル高原とドイツが同じ緯度であることさえ知らないアホは帰ってくれないか >>757
例えば札幌の緯度がマルセイユ辺りと同じくらいだったりするけど、
札幌とマルセイユの気候や年間降水量は大きく違うでしょ
あなたが言いたいことは何ですか? >>753
別に運河で最短みたいなことしなくて、東シナ海→黄海→渤海湾→黄河 で運べばいいじゃん? >>757
最南端比較
モンゴル 41度度34分
ドイツ 47度17分
最北端比較
モンゴル 52度09分
ドイツ 55度03分
首都比較
モンゴル(ウランバートル) 47度55分
ドイツ(ベルリン )52度31分
ドイツの方が北にあるね >>752
モンゴル高原が東西を結ぶ交易ルートの一部になった。
幹線ルートに居住する民族が次々と勃興する。 >>762
何で?
ペルシア語綴りだろうがウズベク語読みだろうが、大した問題じゃないじゃん。
どっちにしろ日本語カタカナ表記じゃ限界があるし。
フビライ・ハンか、クビライ・カーンかだって、
どうでも良いわ。 チンギス・ハンに世界の半分をプレゼントしたハンの右腕 | 歴史上最強の武将、スブタイ
https://www.youtube.com/watch?v=VJrOC42Kap0
2021/09/23 >>761
モンゴルが登場する以前から
匈奴、鮮卑、柔然、突厥、ウイグル、契丹といった先輩の諸民族が活躍していた。
モンゴルが羊を放牧することしか知らなかったわけでなく、
交易の重要性を十分理解していた。
先輩たちの働きを受け継いでいる。 >>742
覇権を失った最大の理由はペストのパンデミックじゃないか?
雲南省から始まって、帝国の交易路で世界に伝わってしまった。
経済のグローバル化はパンデミックに弱い。
人口の激減と交易の途絶で、各地域のモンゴル勢力が孤立。
順番に各勢力が次々滅亡。 日本に14世紀のペストが来たという記録を探してるんだが、見たことない。
北条時宗はペストから日本を守ったのかもしれない。 エジプトのマムルーク朝はモンゴル軍を破ったけど、
ペストの流行で弱体化しちゃった。
生物兵器怖い。 >>766,768
その理屈だと、パンデミックが収まればモンゴル帝国は世界各地に再侵攻できるはずだが現実の歴史はそうなっていない
パンデミックはただの一時撤退のきっかけであり、復活できなかった軍事的要因を考えるべき
あと、オゴデイ・ハーンが逝去したから欧州は征服を免れた的な話は与太話
欧州征服を再開できなかった要因を考えるべき >>769
ギリシャ化した東ローマは、先行するユーラシア系騎馬民族による間接支配下にあったから落としちゃいけなかったんだろう。なんの根拠もないが。ローマのギリシャ化には明らかにアヴァールと突厥が関わっている。
何らかの方針があり、ジョチウルス以西にあからさまなモンゴル国はヨーロッパに作らなかった。ハンガリーなどはモンゴルの地名があるけど >>769
王様の代がわりやら大臣の入れ替わりで、軍事政策・外交方針が大きく変更される
ってこは、古今東西世界中いろんな時代のいろんな国で起こってるけれどな。 >>764
警察気取るつもりもアレガコレガー言う気もないが翻訳失敗レベルのガバガバさだなぁ・・・ >>769
ペストは中世ヨーロッパの社会を激変させた。
モンゴル帝国への打撃も大きく、
収束後に復活できるような代物ではなかった。
1328〜1332年の帝室での異変は異様で、
大ハーンの地位が目まぐるしく交代している。
詳細を秘しているが、明らかに暗殺や失踪、謎の死が続いた。
1331年に華北で人口の90%が死亡の記録がある。
1345年にキプチャクの首都サライが感染。
人や物、情報のやり取りが分断されると、巨大帝国の存在意義がなくなる。
ペルシアのハン国は1335年に崩壊し、モンゴル人は皆殺しにされた。
中国支配は1368年に終了する。
キプチャクはゆっくりと分裂しながら弱体化していった。 >>774
それは違う。
元来“持たざる者”である遊牧民はパンデミックの打撃を受けにくく、
人口密集地帯である都市民ほどパンデミックの打撃を受けやすい。
ペスト終結後の絶好の機会に遊牧民がヒャッハーしなかったことについてどう説明するんだ? さらにダメ押しするけど、華北で人口の90%が死亡する惨事は遊牧民から見れば漢人の人口圧を退ける好機だぞ >>776
毎年冬こもり用の麦とか茶とか買いに行ってた交易都市が全滅とか越冬地に行商にきてくれてた農耕圏の商人がこの秋冬は来ないとか、悪夢じゃん。 >>775
ヒャッハーする元気はなく、
元朝はラマ教に耽溺し、
キプチャクとイルはイスラム化。 注文受けて、なめし革とか絨毯とか干し肉とか頑張って作ってたんだよ、岩塩とか薬草とか探して担いできたんだよ、
縫い針とか鍋とか木桶とか買うつもりだったんだよ、小麦粉も無いと冬が越せないよ、どうすればいいの???
と廃墟になった交易都市のなじみの店の前で呆然とする遊牧民 東ローマはユスティニアヌス朝を倒した柔然突厥系が、数世紀も先行して入り込んでいる。
モンゴル帝国は、突厥を除いたトゥルクメン部族連合体であるオグズ族が母体にあったから、単純にライバルなのかも。 あるいは南モンゴルを支配地としてきた鮮卑拓跋部が、拓跋から元へと改姓した。それだけが根拠なのだが、鮮卑がモンゴル帝国の中核にいたのかもしれない。
イスラム教が勃興し、サーサーン朝が破れたりしてペルシャの情勢が乱れ、唐がいまいちになってきたからソグド人を抑えきれなくなり、安史の乱を招いた。拓跋の李氏は則天武后の時代に粛清され表舞台から姿を消したが、遊牧民としては強大で、以降はシルクロードやモンゴルで広く活動し、唐の弱体工作をしつつ再来の時を待ったのかもしれない。 ヨーロッパってのはとことん優先順位が低いんだよ。
モンケ政権はジョチ家トルイ家連合政権だろ。
バドゥが望むならモンケはヨーロッパ征服を全力で支援したはず。
ところがジョチ家トルイ家共同作戦で向かった先は中東だからな。
パンデミック後に勢力を伸ばしたティムールが向かった人口密集地もインドと中国。
ヨーロッパみたいな辺境を征服しても旨味がないんだよ。 >>782
中世のヨーロッパってこれといった産品も無いよね。
反対側に陣取っていた回教圏も奴隷の供給地とくらいにしか見てないし。 >>776
情報と物資が途絶したら孤立したモンゴルに見込みはない。
圧倒的多数の現地人を相手にせねばならぬ。
キプチャクとイルはモンゴルの伝統的宗教を投げ捨てて、
イスラム化することで危機を乗り越えようとした。
その効果はなく現地人勢力に飲み込まれる。
元朝では紙幣のインフレが起きて、1356年に無価値なものとなった。貨幣制度の崩壊は支配する力を失ったことを意味する。加えて怪しげなラマ教の儀式が漢人たちを疑心暗鬼にさせ、反乱を誘発させた。 イングランドとかハンガリーだったら、牧場に最適な土地柄だからモンゴル人も気に入っただろうけどな
暗い森林と無数の湖沼に覆われたポーランドや北ドイツなんか、馬も嫌がるしモンゴル人にとっては避けて通りたい地だろ >>776
元朝を駆逐したのは華北人ではない。
江南から興った明朝。
華北の復興は明初の課題となった。 モンゴル人が欲しい穀物とか茶葉とかは、江南でいくらでも取れるからな
華北なんか、ジャマな農耕民を追い出して牧場にしたい土地だろ
だだっ広くて平坦で、寒くて乾燥してるけど飲み水は十分にある大草原。これほど馬の放牧に適した地があるかいな ペストはヨーロッパの人口を激減させて社会変動をもたらしたっていうのはよく聞く論説だが中国社会にはどんな変動をもたらしたんだろう?
ペストによって死んだ中国人はヨーロッパ人より多かっただろうから当然社会変動が起こったとは思うんだが…
元までの中国社会と明以降の中国社会に差はあったのか? >>788
13世紀初頭の中国人口は1億2300万人。
14世紀終わりの中国人口は6500万人。
半減ですな。
ただ中国の歴史ではこの程度の人口激減は度々あって、
その度に具体的な社会変動があったかどうかは分かりにくいかもしれない。 ジャーニー・ベク・ハンが14世紀ヨーロッパにペストをもたらしたかのように書かれている
https://online.logi-biz.com/27126/
キプチャク・ハン国にペストで人を殺す発想はあったのか? >>789
ヨーロッパは土地が貧しく人口が増えにくいと同時に減りにくい
中国は土地が豊かで人口が増えやすいと同時に減りやすい
ペストでヨーロッパと中国の双方で人口激減が起こったのは同じだがその社会へのインパクトは違ったということか
ヨーロッパと中国の人権や人命に対する考え方が違うのはこの辺と関係するのかもしれんなあ 世界征服を推進するテンゲリの教義を捨てて仏教やイスラムに走ったことが没落の最大の原因だと思う
キリスト教のジョチ・ウルスはモスクワ大公がモンゴル帝国の征服事業を引き継ぐことができた
仏教者が以下のような青臭い言ってるうちは世界征服なんて無理
https://pbs.twimg.com/media/FAD5ccMVIAILYTJ?format=jpg ムスリムは徹底的にジェノサイドしたよね。それこそ全滅するまでやっておいて、何故か自分達がムスリムになった。彼らが改宗した時点で、もはや彼らの脅威となり得るようなムスリム勢力は一つもなかった。
イル・ハン国でも、集史にはハン達がセムだかノアの子孫であるというようなセム語族向けの神話が描かれた。この出来事から、ハン達がヨーロッパ進出にあたって誰を気にしていたかが分かる気がする モンゴル帝国の上層部が世界征服に必要なサイコパス的非共感性を失ったことがモンゴル帝国没落の一番の原因だよ 古代の仏教勢力は殺し方がえぐかった。廃仏→三族皆殺し
もう二度と立ち上がれないくらい殺害する
ティムールはムスリムだが、非征服地には頭塔と呼ばれる、人体から切り取ったパーツで出来た塔を数百も建てた 人を殺す時に報酬系の快楽物質ドーパミンを得られる組織は、戦利品の分配をめぐる内紛や汚職を抑制できるのでSDGsな掠奪遠征が可能 ずとうでもたっちゅでもどっちでもいいよ、もう
なんならTOTOでもいいわ >>790
クリミア半島のカッファの城壁内にペストで死んだ死体を投石機で投げ込んで城内に病気を発生させた話だが、
イタリアのジェノヴァ人が言い広めたもので
どこまで本当かわからない。
またペストは死体では広がらないのではないか、生きたノミで運ばねばという人もいる。
仮に本当であったとしても、いずれペストは人間の意思に関わらず広がっていく。 >>775
残念ながら遊牧民でもペストに弱い。
多くは毛皮に付いたノミで広がる。
毛皮を愛用する遊牧民を直撃する。 >>799
そもそもジョチ・ウルス側もペストに襲われてるから持ち込んだわけじゃないのに、無理があるよな。カタパルトで打ち込んだのが仮に本当だとしても、カッファでペストにかかったわけだし >>800
何言ってんの?
ノミは吸血するために生きた動物につくのであって、死んだ毛皮につくわけではないよ 以下、ホラズム・シャー朝からモンゴル帝国に覇権が移っていく時代のマンガっぽい
面白そう
トマトスープ
https://twitter.com/Tsoup2/status/1441585149779480588
ウェブ漫画サイトSouffleにて、漫画の連載させていただくことになりました。
誰でも無料で読めますので、よかったらお暇つぶしにどうぞ。
毎月25日更新です。
「天幕のジャードゥーガル」
一話目だとまだ出てきませんが、舞台は13世紀モンゴル帝国、女性が主人公です
https://souffle.life/manga/tenmaku-no-ja-dougal/20210925/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) モンゴル帝国は疫病を利用したかのように言われがちだけど、
南宋を攻略中に赤痢とおぼしき熱病で死んだモンケ・ハーンのことも思い出してあげてください >>804
ネズミから直接人間にノミが飛び移るわけではない。
ノミは穀物の袋や衣服などでしばらく生きていて、人間に飛びかかる機会を待ってる。
ちなみに馬の匂いをこのノミは嫌うそうだ。馬の多い遊牧地は安全である可能性がある。 金庸の武侠小説では、モンケハンは神G剣侠こと楊過の武芸で倒されたことになってたが >>807
チャイナで食糧の現地調達とかやるから、死ぬ程おなかこわすんよ >>807
肖像画見るだけで別格中の別格ってわかんだよね
アレは生まれながらの帝王ですわ
つーか代を下る程無能風味増すの何でや >>818
そのとおり
モンケ・ハーンをわざわざモンケと呼び捨てしたりケンモメンと空目しそうなモンケハンと記述するのは厨二廟にありがちな誤謬 >>819
虱は、とりつかれる獣と、とりつく虱とが、一種類ずつ対応、虱は他の種類の獣の血を吸わない。
人間は例外的に2種類虱がつくけど、この2種類とも人間以外の血は吸わない。
対して、蚤は好む獣が決まっているけど、腹が減れば他の獣の血も吸う。
人の蚤がネズミの血を吸うたり、猫の蚤が人の血を吸うようなことも、少なからずある。 ホラズムっていう地名、割と最近まで残ってたんだな。ホラズム人民ソビエト共和国とかいう名前で
リンク先はソビエト下のトランスオクシアナや中央部ユーラシアの暮らし。遊牧民の歴史の残滓が眩しい。まじ憧れる
https://jp.rbth.com/history/83752-soren-jidai-chuou-ajia-hitobito-kurashi >>823
今でもウズベキスタン国の地方区画にホラズム県ってあるんじゃん。 ホラーサーンって音の響きは何となくおぞましく聞こえる
ホラズムはVやねん!って感じのイケイケなんだけどね アフガニスタンって帝国の墓場と言われてるんだろ?
モンゴル帝国にとっても墓場になってしまったのか?
更にイランや中東、インドへも侵攻した筈だが・・・
少し後のティムール朝やだいぶ前のアレクサンダー大王の時も普通に平定してたと思うんだが、
本当にアフガンって帝国の墓場だったんか?
イギリスとロシアとアメリカが駄目駄目だっただけじゃねーの? >>827
初代バーブル王はカブールで力を蓄えてインド攻略。
二代目フマーユーン王、内乱でカブールに後退、雌伏の後、再侵攻、ヒンドゥスタン奪取。
三代目アクバル王、大いに勢力を伸ばし版図ベンガル湾に至る
五代目アウラングゼーブ王、南進ついいバーラタ(インド陸塊)の9割を制圧する
ムガル帝国にとって、墓場どころか揺籃の地だな。 ムガール皇帝って、自分らがモンゴルの血流であることを
どんくらい意識してたんだろうね? 「ウルドゥー語」は宮廷語という意味でありモンゴル帝国が後宮オルドが語源。
「ハーレム」はイスラム教で禁止を意味するハラムが語源で、漢字圏での禁中や禁裏に相当。
ま、誰でも知ってることだけど ティムールはチャガタイ・ハン国のキュレゲンだし、その血を引く←確か バーブルも母親はチャガタイ・ハンの血統。なんならティムールよりも貴族かもしれない >>835
哈敦(ハトン)って、女真の言葉なんだ。バーブルの母方が女真系ってことなのかな。 >>836
モンゴル語だよ
中世の発音だと、カトン
近世以降は、ハトンと発音するようになった
女真そのほかの他言語には外来語として入ったってこと >>836
テュルク語だよ。突厥で王号の河汗に対応する王妃号だよ。
突厥の影響受けたテュルク、モンゴル系諸民族に採用された。 >>838
テュルク語由来か
モンゴル語にも古くは外来語かね
共通する基本語も多い両言語だけど、これについては片側由来になるのかな 461 名前:デフォルトの名無しさん[sage] 投稿日:2021/09/30(木) 14:36:41.46 ID:rqtJMe+2
承認欲求が満たされなかったキチガイのハ◯ンが荒らしてるんだな
以上はプログラム板の書き込みだが、本スレ住人だと◯に何を入れるだろうか
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/tech/1628474251/461 >>839
少し言葉足らずだったので補足すると、
可汗号を最初に使いだしたのはモンゴル系の柔然。
但し、王妃はカガトンと呼ばれた。
後に突厥他テュルク系も可汗号を使いだしたが、
王妃号はカトンと呼ばれた。
だから、カトンとしてはテュルク語由来ということ。 エスガイ・バートルの時代にモンゴル統一されてたらエスガイ・ハーンだったかもしれんぞ
そもそもテムジンも即位後もテムジン・ハーンのままでも良かったと思うけどなんでチンギス モンゴル語のカガトンが突厥に入ってカトンになったんだろJK 逆
モンゴルがテュルクから派生したんだろが
モンゴルのボルテチノにまつわる神話からしてそうだし 柔然以前にトルコ系民族がカトンって言葉使ってた証拠は? 柔然は漠北に陣取っていたけれど、だからって、「モンゴル系」と言ってしまうのはどうなのよ? 柔然語の単語などからモンゴル系に比定するのが主流だろう 断片的な単語が少数採取されただけで、言語の全貌は不明だろ 鮮卑王朝である北魏はカガンを名乗ったが、柔然を討ったし、時代が降って唐の李氏にあっては傀儡であるセツエンダに偽可汗を立て?少なくとも協力関係にあったようだが、東突厥を滅ぼしたな。 >>852
成田のホテルでミイラが生き返ったりするんですか? >>856
鮮卑の拓跋部はほぼモンゴル系で確定だが、鮮卑に参加した全ての部族が
モンゴル系であるのかまではわかってない。
鮮卑に参加した部族には嘗て匈奴に参加してた部族も居るから。 研究しようにもろくな文献なんかないもんな
やはり歴史を連綿と紡ぐ漢中華に負けるわけだ 唐の太宗は、オグズ系の薛延陀に偽可汗を立てて東突厥を滅ぼし、阿史那社爾を降伏させたり色々うまくやって、天可汗号をせしめたんだよな。そこまでは史料がある。薛延陀は一時モンゴル高原の覇者となった。
トゥルクマンにも派閥があって、非突厥系の遊牧民を唐は手懐けた。昭陵には、彼に倒されて滅亡した国の首長も含めて太宗の腹心の部下と思われる人物が合葬されている。唐の、世界とかわした契約の感覚が表れているみたいで好きだ。
その唐のうちにウィグルがオグズ人の盟主的な存在になり、モンゴル高原に幅を利かせたから、薛延陀の興亡と何か関係があると思う。 >>861
中華人民共和国が偽パンチェンラマを立てて、次は偽ダライ・ラマを立てようとしている。
支那人やる子と変わらんなあ ウィグルの当時の立ち位置が分かるかなと思って整理。
単純に消去法だと、サーサーン朝とは対向の、ギリシャ化後の東ローマとは親和性の高い位置にある
サーサーン朝はゾロアスター教徒
ミトラ教主神のミトラ→ミスラもゾロアスター教義の中にいる
サーサーン朝が滅亡させたパルティアは非ゾロアスター。ヘレニズム影響下
同じく滅亡させたクシャーナ朝は仏教。ヘレニズム影響下
唐はソグド人の文化圏でペルシャ寄り
ウィグルの国教は仏教。一時バビロニア寄りのマニ教が採用されたが、君主が急死 モンゴル系というのは、DNAまたは言語、文化での分類ですか? 遊牧民
チベット仏教を信仰
数代にわたりモンゴル在住
チンギスハンを信奉
モンゴル語を話す
これがモンゴル人の必要条件? アルタン・ハンがダライ=ラマの称号を送ったのは何か裏の理由があるんだろうか。しかもいきなり3世で、1世2世は追号。
それまでは唐から伝来した仏教(ラマ教)だったのが、中身もチベット仏教に変わっていったのかな。 チンギスハンの部下で一番崇拝されてるのって誰だろう >>868
クビライ皇帝の生母はキリスト教徒だったというけどな。 トゥルイの妻であり、モンケやフビライの生母であるソルコキタニ・ベキは、ケレイト族出身。
純粋なモンゴル族ではない。
ケレイト族やナイマン族は、ネストリウス派キリスト教を信仰していたらしい モンゴル民族は敬虔な仏教徒である。彼らは日本や韓国と同じ、仏教を信仰している。モンゴル社会に仏教が伝来し、その社会や文化に強い影響を与えるようになってからすでに何百年が立った。13世紀以降の彼らの歴史や文化や芸術を語る上で、仏教は切っても切れない。しかし、社会主義になってから仏教は悲惨な弾圧と徹底的な破壊を受けた。 キリスト教徒やムスリムが陣営にいたわりにはエルサレムを征服しなかったのは意外だよな、フレグ・ウルス >>877
韓国の多数派宗教は仏教じゃなくてキリスト教と儒教だぞ 韓国など、どうでもよい。
モンゴル族に仏教徒が多いということが大切 >>877
韓国って仏教徒1割居ないよ。
儒教4割、キリスト教諸派あわせて3割強。 >>881
ハルハ部族というのが、モンゴル国で最有力のモンゴル族らしい 韓国にはモンゴルと同じシャーマン文化がある
キリスト教と結びついてカルト宗教化してる 孤独な朴槿恵の絶大な信頼を得た崔順実みたいなのが宗教による亡国の典型例 13世紀にモンゴルがチベットを侵攻しようとした際に、チベットがモンゴルを懐柔し、この時代にチベット仏教がモンゴルに浸透することになります。フビライなど歴代のハン(君主や有力者が名乗る称号)がチベット仏教を保護したことも、モンゴル国内に広まる後ろ盾となったようです。 テプ・テンゲリをサクッと殺せるチンギス・ハーンの英邁ぶり 現在のモンゴル国は多民族国家
ツングース人や、トルコ系のオイラート族なども含まれている
モンゴル帝国に征服、従属した人々の末裔 モンゴル帝国が広大な領土を支配した結果、モンゴル民族も各地に分散されてしまった。
ロシア共和国にはタタールスタン共和国があるし、カザフ共和国なども、モンゴル民族の国家とも言える >>887
もともと、モンゴル高原とチベット高原は、近場の隣で、支那包囲の同盟・盟邦の関係だろ >>890
モンゴル国でも、ロシア国でも、カザフスタン国でも、モンゴル、タタール、カザフは、別民族ですけどねえ? モンゴル民族が拡散された結果、現地の他民族を取り込んで別民族化したのだろう ロシアや中国はモンゴル帝国に屈服し支配下に置かれた。
現在はロシアや中国がモンゴルを支配下に置いている 現地の部族がモンゴルを取り込んで溶かしたの間違いだろう
なんでモンゴルが取り込んでいるんだとしたら別民族になっちゃうんだ 多数派の非支配民族に飲み込まれていく、少数支配民族モンゴル族
モンゴル族の支配も永続的ではない ルーピー鳩山じゃないけど、クリミア・ハン国の後継国はロシアだからクリミア半島はロシアのもの、的な方便も可能だよな 馬上で生まれ馬上で死す、という事だ
遊牧民って奴は結構詩的だな 弓を持った騎馬兵は、昔は戦いに強かった。
今では戦車と機関銃が主体だから、騎兵は二線級の部隊もしくは、いなくても問題なし >>899
実際は遊牧に出ている間に生まれる子は少なくて、大半が冬営地で生まれるんだけれどね。 >>878
13世紀のシリア・パレスチナ歩方面というと、エジプト(バフリー・マムルーク)、西ヨーロッパ十字軍、モンゴル帝国の三つ巴争奪戦の真っ最中。
フレグ公の南西遠征軍の攻めた時分は、バフリー・マムルーク最強のバイバルスがバリバリ最盛期だよ。 チンギス時代のモンゴル軍も蒙古襲来絵詞みたいな服装してたの? >>902
でもフレグ本隊はモンケが死んだから撤退して、
バイバルスが撃退したのは現地に留まってた2軍なんだろ?
それに勝利したとはいえ、マムルーク側も結構な損害を受けたみたいだし。
まぁバイバルスは十字軍も撃退してるから彼らが弱いというつもりは無いけど、
もしもモンケがあと数年長生きして、フレグ隊vsマムルークとなったらどうなっただろうか? バイバルスの時代こそ最初の世界大戦と呼ぶに相応しい アイユーブ朝→マムルーク朝に捕縛された王様やカトリック教団が、ガーゴイルの監視下にあるパリのような世界観をノートルダム聖堂で表現した。 >>904
一軍だろうが地の利はどうもならんだろ
前提が違えば展開は変わるかも知れんが モンゴル帝国に征服された国だって全部地の利はあっただろ 現代人がちょっとやそっと訓練しても馬の勝負じゃとても勝てないんだろうなあ
馬そのものだけ持ち込めるとして馬の差で勝てたりするんだろうか?
軍馬向きの品種がそれぞれどんな特徴かもよく分からんけどw モンゴル軍の強さは馬だけではない。家族、財産ごとゲルで移動し、そこから出撃するから、補給が万全であった。
戦いが終われば、毎回自宅へ帰り家族と十分な食事をとり安眠できた。
もし、当時のモンゴル軍に勝つ方法があるとしたら、戦争のため本体が離れている間に、駐屯地を襲撃して、家畜や食料を奪い家族を殺害拉致することだろう 武士とか騎士とかマムルークとか戦士階級がいる国はモンゴル軍に勝ってる。
物心ついた歳から戦闘訓練に専念できるプロの軍人なら羊飼いには負けない。 >>911
モンゴルのヤスガイがタタールのテムジン・ウゲを捕縛したとき、結構長く遠征して留守にしていたようだが。
帰ってきたら子供が生まれてた→シンギスカンという話はどうなのよ モンゴルは寒さに強いから、ロシアの冬将軍も無関係だった >>902
蒙古襲来絵詞に描かれたモンゴル兵の装備は、1236年にオゴデイを訪問した徐霆の
「黒韃事略」の記述と一致するんだと >>912
日本の武士弱いよ。四分一ミレニアム世襲で武装特権を維持していた軍事貴族なのに、
戊辰戦争では、宮さまやお公家さんが戦大将、兵員は農民商工民寄せ集めの維新軍が
武士だけで編成した佐幕軍ボロ負け。 自力救済の鎌倉武士と禄を食むだけの幕末武士比べてどうする >>916
それは島原の乱以来240年も実戦経験してないからだろ。
明治新政府軍は兵士個人の練度の差をなくすライフル銃装備で
旧式装備の佐幕諸藩を圧倒したわけだ。
新政府軍でも薩摩は武士中心の編成だった。
旧幕府側でも幕府が倒れたら路頭に迷うのが必至だった同心クラスは
房総方面の戦いで火縄銃中心の旧式装備で奮戦して新政府軍を
釘付けにしたが、突然の豪雨で火縄銃を使えなくなったところを
新政府軍からのライフルの一斉射撃で敗退する迄は頑張った。
西南戦争では抜刀しての接近戦では明治政府軍は敵わず、
旧幕府側の士族を多く含む警視庁抜刀隊に頼らざるを得なかった。
練度の優劣が出る装備での戦いでは武士は強かった。 >>918
明治政府軍は武士の救済で兵員に武士を使おうとしたからな。
西南戦争で武士兵力やっぱ使えねー、馬鹿に刃物は叛乱の元と知って、
やっぱ農民商工民の兵隊が良いわーで、国民皆兵。 >>917
てつはう駆使する元寇にタジタジ。
けっきょく、神風頼みだった。寺社の祈祷により蒙古退散って公式記録になってるし。
で、結局、夜盗悪党にタジタジ。
辛勝した室町幕府は統治能力なくて、秀吉ででくるまで混乱時代。 元代のモンゴル族の服装って現在のデールの様な詰襟でなくて、
トルコのカフタンに似た襟で見ようによっては漢服の直裾袍にも
似ていた。
かえって、遼代の契丹人の服装の方が現在のデールに似ている。 >>919
だから、装備の近代化で刀剣戦闘のプロ戦士不要になったからだろ。 >>920
文永の役でも1週間戦闘が続きその間陸上に橋頭堡を築かせなかった。
それに、文永の役での九州武士団の兵力は5000弱、一方戦闘員のみに限っても
2万5千で攻めあぐねて副司令官を戦線離脱させられててモンゴル高麗連合軍弱々だろ。 >>918
それいうたら、宮様やお公家さんは汚れ仕事全くしてこなかったし、そもそも刀狩令以降は戦闘用の武器を保有することが無かった、禁止されていた
対して、武士は、武装特権あり、日々刀を佩いて行動していた、ごっこ遊びになってかもしれんけど、剣術、弓術、柔術、槍術、砲術、馬術のような武芸は
必須の教養だったし、殿様の好みでやったりやらなかったりだが鷹狩・巻狩のようなサバゲーまがいのこともやってたから、イーブン以下だよね。 >>920
てつはうは蒙古兵が逃げるときに煙幕をはるための兵器だよ。
てつはう駆使してたってことは、蒙古兵が武士から逃げ回っていたということ。
公式記録でも蒙古は合戦で武士に追い返されたと書いてある。
『帝王編年記』
「六日飛脚到来、是去月廿日、蒙古與武士合戦、賊船一艘取留之。於鹿嶋留押之、其外皆以追返云々。」 >>924
皇族や公家の司令官はお飾りで実戦の指揮は必ず、薩長土肥の
参謀が取ってただろ。
まぁ、バトルの指揮は良くても戦略的にはアホで無駄に戦線拡大させた
岩村精一とか世良修蔵の様な庶民出身のバカも居たが。 元寇の話は、よそでやってくれ。二番煎じなんだよ。
新しい情報が何もない。スレの無駄遣いになる。 >>924
江戸時代でも公家で鷹狩するのも居たし、柳生一族の陰謀の
烏丸中将のモデルになった武芸に秀でた公家も居たし、
幕末の姉小路公知の様に三人の死客に襲撃されても応戦して
一方的にはやられなかった公家も居たぞ。 >>918
島原の乱は、廃城にたてこもった一揆方3万7千に対して、幕府諸藩は総勢12万の大軍で攻めて、結構手こずってたよね。
老中を戦大将に、九州攻略の歴戦の猛者・立花宗茂までくりだして、人質があったり、生け捕りにしなきゃあならん人が居たり、壊しては困るものがあったわけでもない、
全員ぶっ殺して構わん一揆鎮圧に、5か月もかかってる、
大坂城戦役から二十余年ですっかり戦争を忘れていたからか?
それは、鎮圧される側の一揆方も同じだよねえ。しかも、砦の建物や具合の良い垣石は持ち去られた廃城でだよ。 >>922
武装特権、統治権を握っていたんだから、武士の方が、武器の調達についても優位にあったはずでしょうに。
なんで新兵器の導入で、汚れ仕事に疎いお公家さんやら、武装権の無い農民町人やらに後れを取ってたのさ?
やっぱり、武士、無能じゃん。 >>928
対して、武士は、大老が江戸城の真ん前でアッサリ暗殺される不甲斐なさ >>923
むしろ足引っ張る高麗兵が過半なのに、よくぞ戦ったものだ。 >>930
殆どの公家も役立たずだったろ。
岩倉具視が例外だっただけで。
維新後の改暦でも幕府天文方からの暦法権取り戻すチャンスとばかりに、
太陰太陽歴に拘った陰陽寮の時代錯誤の大馬鹿も居たしな。 >>932
モンゴル族と女真族・契丹族主体の編成だと日本側も危なかったかも。 たいして面白くない元寇や武家政権を長文で書く人、邪魔だからよその板に行ってくれ まあまあいいじゃないか
モンゴルは他の中国王朝スレで暴れるレスが多いウザいくらいに
たまには本スレを荒らされる他王朝の気持ちを味わえや ライフル銃の時代とかそりゃ武士も騎兵もオワコンやん
それはそれとして無関係でもない与太話くらいはあってもいい
昨日今日興味持ったばかりの人だっているだろうから >>932
文永の役における元軍の編成は蒙漢軍2万5000、高麗軍8000,水夫6700
蒙漢軍が高麗軍の3倍以上の兵数だが >>916
ティムールの時代には世界的な気候変動で大寒波が訪れ、ティムールもそれが原因で病死してる 元寇を出汁にして日本ホルホルや武士道ホルホルしたいだけの初心者は目障りなんだよ >>939
蒙漢軍の中のモンゴル族、契丹族、女真族、漢族の割合を知りたいものだ。
人口比からいったら漢族が圧倒的だろうし、歩兵は漢族だろう。 >>938
武装特権のある人間が直参で8万、諸侯臣下がその倍くらいありながら、なんでライフル導入してないのさ?
ガイジンの持ってる武器かせ優れているから、艦砲外交に屈して開国したんだろ。 >>942
支那人に槍やら刀剣やらら持たせると共食を始めるだろ >>941
歴代王朝を出汁にして蒙古ホルホルやチンギスホルホルしたいだけの初心者も目に余るんだよ 元寇で日本が勝てたのは、元の船がボロ船だったから。
高麗や旧南宋の大工が嫌々ながら突貫工事で作ったボロ船。
台風で沈没 モンゴル帝国スレなのに、どうしても韓国ネタに引っ張られてしまうのな
もちろん朝鮮民族の民族性が完成したのはモンゴル帝国による高麗侵攻の頃だと考えていいのだけど 朝鮮人にすれば、元寇は朝鮮人が日本に攻め込んだ自慢の戦い。
仇敵日本を苦しめたという夢を見られる 少なくとも古代から中世にかけて、仏僧は予言者の役割を兼ねていた。無学祖元や日蓮などは蒙古襲来を予言し、博多防備の準備期間はかなりあった。江南軍の船大工が壊れやすく設計したり、台風が起きる海域に長期滞在して自滅したのも、スパイ活動のおかげでは。もしくは仏僧は元や宋や鎌倉幕府を統べるような、世界政府を敷いていたかもしれない。
宋にとっては国外の最大拠点である福岡がモンゴルの狙いで、ディアスポラと化した宋人は鎌倉幕府と大元の国交を阻んだり、わざと大元を怒らせるようなことを仕組んできたと思う。文永の役で筥崎宮は焼かれたものの、ただ四辺を荒らして帰った。八幡がなんなのかわからんが、鮮卑禿髪部が本当に源氏のルーツなら鮮卑の神様か何かかもしれない。
マルコポーロの、カタイが京都まで攻め寄せたという記録はなにを意味するか気になる >>949
朝鮮半島がっつりモンゴル帝国に組み込まれていたからな 義務教育じゃあまり感じないけどかなり関係性深いよなモンゴル朝鮮
やっぱ地続きこえーは >>951
台風の後、日本軍が鷹島掃討に集中してる隙を突き、高麗軍が単独で博多に突入した記録があるんだよ。
結局、大損害を出して逃げ帰ったんだが。
今津に穴を掘って高麗兵の死体を大量に埋めて、その供養のために高麗寺を建てたと
筑前国風土記に記述がある。
あと、朝鮮の老松堂日本行録にも来日した使節が筥崎の松原を「ここが弘安の役の高麗軍戦滅の地だ」
と案内されたと書いてある。 >>954
知らなかった。ということは筥崎焼いたのも高麗?
フビライが東路軍に元々期待してた動きなんだろうか。江南軍と東路軍では、東路軍の方が船も堅牢だったり、真面目に日本を攻略していたようだけど。 三別抄政権は西南の珍島に移り、抗戦の準備を進めるとともに、全羅南道や慶尚南道に勢力を拡大していった。この間、1271年には日本の鎌倉幕府へ救援を求めたが、朝廷からも鎌倉幕府からも黙殺されている。
1271年中に、珍島の三別抄は高麗の金方慶(キム・バンギョン)、洪茶丘(ホン・タグ)らモンゴルの連合軍に撃破され、残党が金通精(キム・トンジョン)に率いられて耽羅(済州島)に落ち延びて命脈を保つが、1273年には耽羅島も攻め落とされて三別抄の乱は完全に鎮圧、三別抄の歴史も閉じることになる。三別抄の壊滅と同時にモンゴルは耽羅総管府を設置、ここにモンゴルによる高麗の征服事業は完了した。
その後、高麗は元朝へ服属し、征東等処行中書省の統治下に置かれた。新たに高麗国王となった忠烈王は日本招諭のための使節派遣や、1274年からの日本侵攻(元寇、文永・弘安の役)に苦言を呈する蒙古諸将をさしおいて積極的にクビライに侵攻を進言するとともに軍船兵糧、将兵を提供した 高麗は1259年に高宗の時代に複数に渡る元の侵略で降伏・皇帝号喪失で元の属国になった。忠烈王の時代には元寇を進言・協力したが、1287年に元に併合された。1356年に恭愍王の采配で旧領土奪還で完全独立を果たしたが、1368年に元を滅亡させた明が中国大陸に成立すると恭愍王は明に属することを表明し、1370年から明の朝貢国となった。 >>956
これ、本当に酷いインチキ話だよ。
三別抄は1271年4月の時点で、元の高麗駐屯軍軍と直接交渉していた。
日本への救援要請の書状が作成されたのは、その交渉決裂後としか考えられない。
でも、元の高麗駐屯軍も交渉決裂直後に珍島を攻撃して陥落させてる。
日本に救援要請の書状が着いたのは、珍島攻撃とほぼ同時か下手すると陥落後。
博多から京都まで早馬で10日かかる当時の情報伝達速度では物理的に何もできない。
鎌倉幕府からしてみれば、珍島から救援要請の書状が来たけど、もう珍島陥落してるじゃん・・・
って感じだろ。
黙殺もクソも無いぞ。 >>957
皇帝号なんて元々許されてないだろ。宋、遼、金から冊封受けた時はあくまで楽浪郡公高麗王だろ。
元の支配によって独立国の王としての廟号を止められただけだろ。 >>959
少し訂正。中国本土が宋の様な弱体王朝とか華北では異民族王朝が
ブイブイ言わせてたので、ドサクサに紛れてベトナム方式で国内で
皇帝を称していたと言うこと。対外的にはあくまで高麗王。
対外的に中国以外には皇帝を称したベトナムの方が上。 >>949
記紀にも任那人は嘘つきばっかりってあるけどな。 ホラズムは、カンクリ族が仕切っていた。
モンゴルの使節を虐殺したオトラル総督イナルチュクはカンクリ族。 歴史は繰り返すと言うけれど
もう農耕民族vs騎馬民族はないのかな というか遊牧民の天下続いたとして馬養い続けられるんかな
まあそれが出来るように遊牧というライフサイクルが確立されたんだろうけど 遊牧民の経済力、技術力では、飛行機も戦車も空母も作れないから終了 ジンギスカンは、リメンバーオトラル!を叫びホラズムを蹂躙虐殺。
勢い余って世界中を席巻した 馬はオワコンだよ
今の時代はバイク
畜牛狙った窃盗団が村襲撃、88人死亡 ナイジェリア:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3350325
【6月6日 AFP】ナイジェリア北西部ケビ(Kebbi)州の警察当局は6日、畜牛を狙った窃盗団が複数の村を襲撃し、88人が死亡したと明らかにした。
警察によると、襲撃があったのは3日。隣り合う7つの村がバイクに乗った数十人の窃盗団に襲われ、6日現在も襲撃から逃れた多くの住民が行方不明になっている。警察は、死者の数がさらに増える可能性もあるとしている。
近隣の村では今年4月にも武装した男らによる家畜を狙った襲撃が発生し、銃撃戦の末に警察官9人が死亡している。
ナイジェリア北西部と中部は現地で盗賊として知られる犯罪組織の拠点となっており、村への襲撃や住民への嫌がらせ、住居への放火が頻発している。(c)AFP モンゴルってあんま個人の武勇って聞かんけど何かあったかな
ジェベは武勇っちゃ武勇だが投降して捕らわれてるしちょっと違うよなぁ
三国志とかはクソほど有り余ってるけど 小学校六年生の歴史の授業でも、
「一騎討ちを重視する日本の武士は、やあやあ我こそは・・・と名乗りを挙げて打ちかかりましたが、
すでに近世の集団戦法に移行していたモンゴル軍は一騎討ちに応じず、集団で討ち取られてしまいました」
と言ってたな 飛道具の基本戦術は、数撃ちゃあ当たる。
部隊単位で一斉射撃、戦功=敵の損害も、部隊ごとに勘定して、論考恩賞も部隊単位に出す。
ところが元寇時分でも、まだ、鎌倉武士は、弓矢も個々に戦功を勘定していた。
誰の射た矢か判りやすいように、矢は各個に色が塗られていたり籐や飾り糸が巻かれていたり矢羽根の色をそろえていたり。
それを戦奉行が゛誰の矢が先に刺さったとか致命傷になったとかを検分しての論考恩賞、
飛道具の論考恩賞が部隊単になったのは、織田信長が鉄砲を多数導入してから。 聞きかじった元寇の間違いウンチクを長文で垂れ流すの、マジでやめれ
恥ずかしい ここにあったコメでモンゴル支配地域は
現在において全体主義、共産主義国家が多いとあった
ジンギスカンの遺伝子は呪われた血だね モンゴル帝国の蹂躙を受けた土地は嘘つきだらけになる
なぜなら誠実で勇敢な戦士は皆殺しにされ、卑怯な人ばかりが遺伝子を残したから
嘘つきばかりな社会では強権で嘘を取り締まる必要があるので自然と権威主義になる 想像してごらん、面従腹背を座右の銘にする前川喜平さんみたいな人だらけな社会を >>982
貧困調査で名を馳せた元・文部科学省事務次官はどちらかというとモンゴルじゃなくてモンゴルに征服された側の朝鮮半島の人に似てるでしょ
今のモンゴル国は、他の旧共産主義諸国に比べればかなりマシな民主主義国家だよ バイキングの血を混ぜるとロシアみたく
少しはマシになるのか >>984
逆だぞ
ルーシはもともとスウェーデンから出た種族の名称だよ
そこにジョチの血統が加わった
そもそもロシアはちっともマシじゃない腐敗ぶりで、北欧から出てなぜこうなった的なディストピア感がある 北欧人もモンゴル人も背は高い
多くの白系ロシア人が低身長なのは先住スラブ系の影響が一番大きいからだろう スティーブン・セガールは身長193cmで、彼の父はモンゴル系ロシア人 >>986
ロシアの人は政治思想で身の丈が変るんかいな? モンゴル帝国は価値観の共有を伴わない暴力による統合だった。
ジョチの版図を引き継いだロシアがその統合を維持し続けるには言論統制するほかない。
ロシアと韓国は今後も先祖返りし続けるよ。
ロシアから追放され……BBCのモスクワ特派員 進む国内の抑圧 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/video-58866534
2021年10月11日 モンゴル自治区は今も貧困であり、厳しい言論統制が敷かれている >>721
テムジンにしてから運命流転だから
めっちゃ追い詰められても
そこから大逆転が多いんで
生きてればなんとかなる主義だったのでは 「逃亡」自体は常套手段で何の抵抗もないし実際頻繁に行われてるよな
それは戦術にも良く表れてるしテムジンだけでも何度逃げてるか分からん
オンカンも「逃亡先」で敢え無く捕殺されるといった塩梅
まあ軍隊的な意味での敵前逃亡は当然処刑だけど 「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」 このスレッドは1000を超えました。
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