キリスト教は何故、日本で広まらなかったのか 2
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京阪電車の五条の駅で降りて東向きに歩いて行くと清水寺に至る前に浄土真宗のデカい寺の横かすめて通るだろ 十戒には「人間が造りあげた神像を崇拝してはならない」という
第一番目の掟があります。
自分の救いに都合のよいように心の中に造りあげた<神像>を崇拝することは、
神でないものを神として崇拝する罪です。
聖書を書いた人々は頻繁にこの罪を犯しています。
彼らは心の中に造りあげた神について<勝手な思い込み>で書いているからです。
神について色々と説明する宗教指導者は、神について自身の勝手な思い込みを
語ってますので偶像崇拝していることになります。 ユダヤ人自身がユダヤ教を「文字(ことば)の宗教」といってるがな
偶像崇拝は像を全くつくらなければ起こらない
キリスト教はかつて十字架を拝み、聖人を拝み
聖人の墓に触れて病気を治すなどと言っていた
そこまでいくとほぼ多神教時代の偶像崇拝だ
それもイコンなどから生まれているもの
聖書にかかれている「この地上天上いっさいのものの形を作ってはならない」
これを守ればほぼ偶像崇拝には行き着かない 同じくユダヤ教から派生して、偶像崇拝を禁じるとしてるイスラム教。
信徒の前でコーランの本を棄損すると、その本の所有者でもないのに、怒る怒る。
近代的な印刷技術で作られた安価な写本の1冊でも、な。
その教義を一字一句違えずに経本とせよ、詠みはマホメット当時の発音に従え、翻訳も禁ずる
というような、まさしく言葉の宗教の教義なのに、本の内容や誦ずるべき言葉ではなく、
形になった本の方に対して信心があるかのような振舞だ。
本の形の物に対して信心をはたらかせるっちゃあ、それはそれで偶像崇拝的だろ 懺悔すれば悔い改めればイエスが全部、罪をかぶってくれて、赦され、
天国で永遠の命なのです。
通常なら、罪の意識の直面に伴い、持ち合わせる筈の、悔悟や逡巡を経て、
成長するはずが、毎度毎度、イエスに神に、悔い改めさえすれば罪が赦され、
万事解決とする習慣・精神構造の中で生きてるので、永遠に、人間的成長の機会を
喪失するのです。
罪や過ちを神の名のもとに何でも正当化できるです。
キリスト教やイスラム教が世界に広まったのは、この「都合の良さ」が
あるからです。罪の赦しが、犯罪を正当化するのです。
だからイスラム国なんかでも、虐殺・誘拐・テロを神の名で正当化してます。
熱心なイスラム教やキリスト教の国が治安が悪く犯罪を止めない理由の根源は、
神による罪の赦しなのです。 >>522
仏教もどんな悪人でも阿弥陀如来にすがれば往生できるで >>523
私が念仏以外に何か別の極楽往生の方法を知っていて、またその方法が説かれている
秘密な経典を知っていながら、わざとそれを隠していて、その奥にあるものを
知りたいとここまで訪ねて来られたとすれば、大変な間違いであります。もし
そう思っていらっしゃるなら、奈良にある興福寺や、叡山にある延暦寺を
お訪ねなさるがよろしい。そこには、ちゃんと学問をなされた偉い学者さんが
どっさりいらっしゃいますから、その人たちにお会いになって、極楽往生の秘訣を
よくよくお聞きになるがよろしい。
私は、ただ念仏をすれば、阿弥陀様にたすけられて必ず極楽往生ができるという、
あの法然聖人の言葉を、馬鹿正直に信じている以外に、別の理由は
何もないのであります。念仏をすれば、本当に極楽浄土に生まれる種を
まくということになるのでしょうか。それとも、それは嘘偽りで、念仏すれば
かえって地獄に堕ちるという結果になるのでしょうか。残念ながらそういうことは
私はとんと知ってはいないのであります。たとえ法然聖人がおっしゃったことが
デタラメであり、私は法然聖人に騙されて念仏をしたために地獄に堕ちたとしても、
ちっとも後悔はいたしはしません。といいますのは、私が念仏以外の他の行を
一生懸命勤めて、その結果仏になることが出来るような身でありながら、
念仏をした為に地獄に堕ちるというならば、法然聖人に騙されたという後悔も
起こり得ましょう。しかし、私はそんな知恵も徳行もなく、念仏以外の
他の行によって仏になることなどはとっても期待できない身でありますから、
念仏の行によらなかったら、永遠に地獄にいるより仕方がない身なのであります。
だから皆さん、以上の私の言葉をとっくりお考えの上、念仏をなさるもよろしいし、
念仏を捨てなさるのもよろしい。全く皆様の自由勝手、皆様方がご自分で
お決めになることであります。
--- 親鸞『歎異抄』 バチカンは未だに中絶を禁止してる
そんなもの日本人が受け入れねえっての >>528
一揆を行う現場の人が考えたスローガンにすぎない。
「欲しがりません勝つまでは」が国家神道の教義でないのと同じ。 >>482
もちろん、神の殺人命令は直接来るのではなく、モーセやヨシュアのような
人間を通してやってきます。もっと正確に言えば、モーセやヨシュアは、彼らの
殺人計画を、「これは神の命令である!」、と権威づけて、彼らの追従者に
半ば強制したのです。
実は、ここに、信仰者のための、おそらく唯一の、救いの可能性があります。つまり、
神への信仰を棄てずして、自分の良心にしたがって、殺人命令を否定する方法です。
それは、神の意志と、神の代理者であるとみなされている人間の意志とは、必ずしも
同じとは限らない、という事実を認めることです。神の意志と教会の方針とが
必ずしも同じだとは限らないという事実を認めること(例・ルターの宗教改革)です。
聖書も創世記から黙示録に至るまですべて人間が書いたものです。聖書は神の言葉だ、と
書いたり言っている者たちもみんな人間です。現代の教会を運営している方々が、
たとえ立派な人々ではあったとしても、この人々の意志が完全に神の意志と
一致しているわけではないように、初期のキリスト教会やイスラエル国家を
運営した人々(聖書を書いた人々)の意志も、必ずしも完全に神の意志と
一致しているわけでもないと考えるのは当然と言えるでしょう。これは、実は、
神以外のものを神としない、という聖書の根本的な教えにもなるのです。
こうして、信仰者は、神への信仰を棄てることなく、もし、自分の良心に逆らう命令
(神の意志とは思えない命令)であれば、神の代理者として、自分の前に立ちはだかる人々の
命令を堂々と拒否することができるのです。そして、なによりも、神の前で、
頭をあげて自分の取った行動を釈明することができます。 カトリックには堅信があります。
15歳までにこれを受けると一人前のカトリック信者になります。
それまでは、一人前の信者としてみなされません。
昔は、キリスト教ではない者は人間ではない、という考えがあったので
児童・幼児に対する虐待も、それを引きずっているのかもしれません。 ラーメン屋の店長が、こっそりチンポをスープに浸けてるって知ると、どの店も信じられなくなるだろ?
それと同じなんだよ。 ゴールドラッシュ時代のカリフォルニア、日本が黒船とか戊辰戦争でてんやわんやしている時分ね、
清国人の移民というか半分奴隷みたいなもの、鉱山の採掘とか田畑の所有は禁止されていたけれど
サービス業は比較的自由だった。
洗濯屋と飲食業が多かったんだけれど、しばしばスープに尿をいれたとして、縛り首にされていた。 >>531
カトリック司祭は女犯戒あるから男の子で代用
日本の仏僧かて女犯戒あった時代には男の子で代用してたで カトリックは一番変わりました。
異教・異端は殺してあたりまえ。教会が率先して神の名のもとに処刑をおこなった。
異端狩り十字軍、帝国主義による侵略、植民地支配・・・・・
カトリックの総本山バチカンのローマ法王は
「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な罪が犯された」
「アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた犯罪行為について
謙虚に謝罪したい」と示している。・・・・・そして
「誠実な心で神を探し求め、また良心の命令を通して
認められる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動によって
実践しようと努めている人々は、救いに達することができる」
ローマ教皇のコメント
「諸宗教の行動と生活の様式、戒律と教義を、
まじめな尊敬の念をもって考察する。それらは、当教会が保持し、
提示するものとは多くの点で異なってはいるが、
『真理』のある光線を示すことがまれではない。」
・・・・・となりました。
カトリックが存続できるのは、科学に限らず思想も常識も時代にあわせて
変遷させて存在を維持しているから。
現代では、神の名のもとの処刑から真逆の「人間の尊厳」を言い出し
新しい時代の風潮に合わせて次々に変遷して延命をしている。
そのくせ児童の人間性抹殺になる性的虐待については加害者をクビにし
「被害者に寄り添う祈り」と言っている。
それでバチカンは生き残れる。 ラーメンのスープにチンポ浸けて販売しても許してくれる? >>535
ホモは禁止ちげーのかよ
ホモが多い町2つが神の怒り触れて天罰で絶滅したとか言うソドムとゴモラの教訓はどうしたよ ホモは少年期にホモにホモセクハラされて連鎖する
ショタはホモの継承点
わかっててそれを否定するバカは呪われろ 異性愛・恋愛を禁止しています。
マタイ5:28
女を見つづけてこれに情欲(エピスミア・愛)を抱く者はみな,
すでに心 の中でその[女]と姦淫を犯したのです。
世を愛することも世にあるものを愛すことも禁止しています。
ヨハネの手紙一 2 :15
世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、
御父への愛はその人の内にありません。
そして去勢をススメています。
マタイ19:12
天の国の為に自ら去勢した人もいる。これを受け入れることが
出来る者は受け入れなさい。 >>542 十戒〜キリスト教で禁じている「姦淫」とは、婚外の対象との性行為。
結婚していれば罪には問われない。
イエスはそれを徹底させるため、心の中で恋愛感情・性衝動を抱くことも禁止した。
自分が結婚していない相手や、他人の結婚相手に対して
恋愛感情・性衝動を抱いてはいけないということだ。
決して結婚相手に対する愛を否定などしていない。
その「世」とは、キリスト教集団の外側にあるものを指す
すなわちイエスの磔を要望し黙認し実行した当時の周辺世界の体制、
ローマ帝国と、ユダヤ教徒自治集団のサンヘドリン体制だ
引用箇所の続きを読むといい
「16節 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、
父から出たものではなく、世から出たものである。17節 世と世の欲とは過ぎ去る。
しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」
「肉の欲、目の欲、持ち物の誇」とはギリシャやローマの異教世界の文化、経済体制、
それと妥協するサンヘドリン・ユダヤによる繁栄であり、父から出たものとはイエス教団と未来のキリスト王国のこと。
去勢は「できるならやれ」「それぐらいの覚悟をしろ」ということ。ラクダが針の穴を通れるなんてイエスもさすがに思っていないのに言う、いつもの極論 >>542
で、死海文書の発見でそれが覆った
禁欲宗教はエッセネ派との関係を決定づけてしまう 運命共同体である我々の中だけの規則です。
それを書いただけなのです。
他の諸部族にはそれぞれ信じられている神々があるけれど、
他の部族に何かを強要するわけではありません。 スープにチンポ浸けたラーメン屋の店長は、どうなるの? 「人の子」というキリストを表すことばはエッセネ派の聖典であるエノク書に頻繁に出てくる
つまり本来キリスト教とはエノク書の予言の成就としてあらわれた宗教だった キリスト教の起源は一つではない
「奇跡のラビ」説話、「とんちラビ」の系統の説話、それに
ゾロアスター教、アトン崇拝などオリエントの古代宗教いくつか、
それとは別にパンと魚とワインの地中海カルトがあったらしい パンとワインの聖餐はエッセネ派もそのままやってる
罪の浄化のための洗礼もそう 最初のキリスト教も、様々な教えをする教団がありました。
それが4世紀に正統派に1本化され、その教えに従わない教団は
異端とされ、悪いものとして排除されました。追放や死刑にされ、
ローマ帝により教えの文書を燃やすよう命令され残っていない。
正統を正統たらしめる権威---それは反対派を死罪にできる権威---が無くなってからは、
また最初の状態が出現した。人間の宗教心の特性はそういう多様性を持つものです。
人の神への理解は多様に花開くものです。 仏教の陰に隠されていたから意外に信徒は多いはずだ。宗教を改宗までつなぐには
歴史的時間がかかる。 初めまして。
難しい事は全然分かりませんが、私は12年前にカトリック教会で洗礼を受けた者です。
実は、何と12年かかって、キリスト教が大嫌いになりました。
教会での差別的仕打ち、イジメ、そしてクソ真面目に聖書の教えを守ろうと必死にがんばって、
ハッキリ言って人生酷い目に会いました。
神父からも「ストレス発散の対象」ばりに冷たくされ、シスターからは「離婚経験者」ということで、ゴミクズのように言われました。
何か「福祉的」な活動にやたら駆り出された挙げ句、「あんたはこれやっててね、私はミサに出てくるから」と、教会の建物の外でミサの間中雑用。
そんな事がしょっちゅうでした。
さらに、散々お世話した「代母さん」が、老人施設に入ってしまったので、お見舞に行こうと思って施設に念のため電話したら、
「教会関係の人だからって、別に来ていいわけじゃありませんけど?」
・・・他の信者さんは行ってるのに。
しかも、散々お世話したはずの自分が、「余計者」扱い。
馬鹿馬鹿しくて、ついにキレました。
キリスト教関係のもの(ロザリオ、絵、ミニチュアイコンなど)全て段ボールにしまって、今後一切キリスト教には関わりたくありません。
何か愚痴になってしまいました、ごめんなさい。
とにかく腹立つ。教えも、今となっては
「きれいごと言ってんじゃね〜よ、偽善者の集まり!!」
としか思えない。 テメーら全員クタバレと言ってあげなさい。神はあなたを優しく見ておられます。 自伝によると、M.ガンディーは少年時代はキリスト教が嫌いだったそうだ。一部抜粋する。
「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。
しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。
キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教とは服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」
もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるように
なったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。
一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。
小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが
説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。外国人たちが掲げていたキリストの
磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。
彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。
「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。
こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。
この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに
無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。
「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。 究極的にはキリスト教の思想の根本には「審判」の思想があります。
聖書は「救いかそれとも滅びか」と迫ります。
片方の道は「死」「永遠の滅び」「地獄」「悪」の道です。
それゆえ、聖書とは、それをまじめに読む者に「信じるか死か」と迫る
一つの「逆踏み絵」であるとも言えます。
かつて、キリシタンたちは「棄教か、さもなくば拷問と死」の選択を
迫られましたが、聖書を読む者も、「信じるか」さもなくば
「火と硫黄の池に投げ込まれる」(ヨハネの黙示録20:10)か、という
選択を迫られているからです。
心の底から納得しているわけでもないときにも、信じなければならない
--- そういうふうに自己を追い込む一つの強制的装置のようなものが
聖書の思想の構造にあります。 旧約聖書の創世記を要約すると↓
エデンの園でアダムが言った。
「神様、聞いてください。ここは美しい楽園です。でも、私は孤独で
しょうがなく、リンゴを食べてしまいそうです」
「分かった」神は答えた。「では、私はお前のために、女を作ろう」
「女って何ですか?」アダムは尋ねた。
「彼女は、穏やかで優しく受容的な性格の生き物だ。
お前の言いつけを守り、決して逆らわず、勤勉で、倹約家でもある。
しかも、彼女は魅力的で、美しい。
洗濯をしたり、料理をすることが出来る。それに
ベッドの中で、彼女はとても素敵なことをしてくれるだろう」
「なんだか面白そうだな」とアダムは言った。
「よしよし、では女の創造にとりかかるとしよう。
そのためにはお前の肋骨を12本、それに心臓と胆のう、それと
片方の目を材料として取り出さねばならぬ」
「えっ、それは困るなぁ。なんとか肋骨一本くらいに節約
できませんか?」
「う〜む、少し難しいがやってみよう。
そのかわり、出来の方は保証しかねるぞ」
こうして女ができた。 神と人類の間の断絶を生んだアダムの罪が重ければ重いほど、断絶が深ければ深いほど、
イエスの死の価値が上がります。
「悔い改めて神に立ち返れば、そこに神の導きと祝福がある」という旧約聖書、
「悔い改めよ、神の支配は近づいているのだから」というイエス自身の教え。
「アダムの罪は神と人類の間に、我らの教祖であるイエスの死を仲介にしなければ、
取り戻すことのできない決定的な断絶を生んだ、よって、我らの教祖を信ぜよ」という
教えがキリスト教。 そのアダムの罪とはなんだったか?
アウグスティヌスは性行為と言ってる
つまりアダムとイブが性行為という死に至る悪徳を生んだゆえに人間に悪徳が芽生えた
故にキリストの教えにしたがって、修道院に入り、性行為をたち、ただしく生きれば天国へ行ける
という
エッセネ派と同じ競技だったのが初期キリスト >>56
そのくだり、ほとんどそのまんますぎて長さ的にちっとも「要約」になってないだろう
長文なのは構わないけど、なんでお前の書く文章ってこうだらだらして中身がないの ガンジーはこれ(神=キリスト教徒自身(=ほぼ悪魔))を見抜いていたようです。
『西洋のキリスト教が実際に行っていることを考えるに、キリスト教ヨーロッパは、神の、あるいはキリスト教
の精神を代表していない、むしろサタンの精神を表している、というのは私の堅い信念である。
そしてサタンの成功が最大のものとなるのは、その口に神の名をのせて現れるときである』 (ガンジー)
ろくに修行もせず努力の
必要性を投げ捨てている愚者だけが
即・神と直通になれるなら、人間が神によって腐り切ってしまうのも
仕方がない… 自己の願望・自己愛が神の名で増長していくだけの、愚かで無効な信仰がキリスト教です。
「三位一体の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」(コロンブス) 自伝によると、M.ガンディーは少年時代はキリスト教が嫌いだったそうだ。一部抜粋する。
「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。
しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。
キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教徒は服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。
こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」
もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるように
なったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。
一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。
小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが
説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。
外国人たちが掲げていたキリストの
磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。
彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。
「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。
こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。
この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに
無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。
「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。 キリスト教が世界各国の植民地支配の前段階で宣教されていったのには
理由がある。それはキリスト教会の教えが服従の構造を生み出してくれるからである。
キリスト教は神、キリストへの服従、愛、受容
(または寛容)、忍耐を教える。これら一つ一つは素晴らしい道徳であり、これらを守り生活すればより豊かな人生を歩めるだろう。しかし、これは個人レベルの話しである。
民族とか国家という大きな枠組みでキリスト教の
教えを受け入れてしまったならば、それは悲劇をもたらすことになる。
支配者にとって被支配者はなるべく自分たちに従順であることが望ましい。
その次に望ましいのは不満を持ちながらもそれを爆発させずに反抗しない被支配者である。
キリスト教の教えは被支配者に服従の構造を与えてくれる。
たとえ、自分たちの支配者が自分たちに不利益な行いをしようと、愛と受容と忍耐を教え込まれた被支配者たちは、支配者たちに抵抗することは無い。
それは、抵抗することは教会が教える愛の精神に反するからである。殴られたら殴り返すのではなく、ただ無抵抗に耐えるのが教会が教える愛と受容と忍耐である。 また、この世での不満があっても、キリスト教は御国=天国という次の理想的な世界を教えてくれる。
この世が不条理であっても、死んだ後は何の不満もない理想的な世界が待っている。ならば、この世では不条理を耐え忍ぼう。
生きている限り我慢しよう。その様な精神を生み出してくれる。
キリスト教の教えは御国=天国という来世の餌をぶら下げることで、被支配者の現世での不満を抑え込む構造を持っている。
もう一つ、キリスト教は人間を超えた、神やキリストという存在を教える。
そのような教えを受け入れた信徒たちからすれば、この世で不条理な抑圧を受けても、その様な存在がいつかは自分たちを救ってくれる
という淡い期待を持つ。これは心の治療薬であり、多少なりとも不満を和らげる効果がある。
これらの要素が絡まり、キリスト教は被支配者に服従の構造をもたらし、支配者たちにとって都合のよい
「良い被支配者」を作り出してくれるのである。 Re: 嘘八百
> 世界大戦の殆どはキリスト教が原因
そう言うと、クリスチャンは決まってこういう反論をします。
「戦争を起こすのは人であって、キリスト教ではない」
逆に、クリスチャンによって何か都合の良い出来事が起こると
「キリスト教のおかげ」だと誇らしげに言います。
都合が良い時はキリスト教のおかげ、
都合が悪くなるとキリスト教は関係ないとのたまうのがクリスチャンです。
> アダムとエバは不良品
>
> 不良品を造った神は無能
>
> になりませんか…
全くその通り。
旧約聖書の神の性格をそっくりそのまま人間に当てはめると、
実に怒りっぽくてわがままな人にしか見えません。
クリスチャンは息を吐くのと同じように「神の愛」とよく言いますが、
聖書に書かれていることと同じことが目の前で起こった場合、
本当にその神の御業に感動するのかどうかは疑問です。
旧約聖書の初期の時代では、人間は常に神に監視されていて、
罪を犯す者を容赦なく罰していました。
クリスチャンは本当にそんな世界に生きたいと思うのでしょうか。 文章がダラダラして長ったらしく、そのくせ中身が何も無いのは朝鮮人の特徴 そろそろ日本で広まらなかった話をしない?
明らかに宗教板でやればいいレスばかりだよ。 古代イスラエル民族は、強力な古代エジプト王国やアッシリア王国やバビロニア王国に
そして後のローマ帝国などの強国に囲まれて、翻弄され続けてきた弱小民族でした。
今、虐げられている自分たちを救ってくれる本当に強い王がいる、やがてその王が
支配者となって、わたしたちの敵を滅ぼしてくれる、という強い願いです。
彼らにとって、王=救い主=油を注がれた者=メシア=キリスト、なのです。 真の自己を規定する永遠不変の絶対者が、どこか自己の内か外にあるとするような
独善的絶対主義につながる考え方は、絶対神を信じたことのない日本人の人間観から
あまりにもかけ離れた思想である。無常の思想であり、縁起の思想であり、
無我の思想である仏教が日本に深く根を下ろし、
絶対神の思想であり、永遠の魂の思想であり、
独善的排他主義の思想であるキリスト教が日本に根を下ろすことが出来なかったのは、
日本人の根本的人間観が和の思想のそれであったからである。
人間は皆凡夫であり、それゆえ誰も自己の正義や価値観を他人に押し付ける権利を
もたない、また他人の意見が自分と違うからといってそれを排斥してはならない、
むしろ、皆和して衆議によって得られる理によって共同体を運営せよ、という
思想が日本人の根本的人間観・社会観であったからである。 ■朝鮮化した各キリスト教教団を警戒せよ■
朝鮮化したキリスト教といえば、「赤い十字架のウリスト教」「西早稲田2-3-18」というものがよく知られている。
逆に言えば「普通の十字架」で「西早稲田の教派とは別」であれば、無害と言い切れるのだろうか。
例えばカトリックや聖公会のように総本山が韓国でなかったり、日本発祥の教派であれば大丈夫なのだろうか。
残念なことに、一世紀近くソ連共産主義の弾圧を受け続けていた東方正教会以外は朝鮮化(ウリスト教化)されているといっても過言ではない。
SEALDsに多くの人材(笑)を排出し「偏差値28」の由来ともなったキリスト教愛真高校は内村鑑三が関係する日本発祥の教派の学校である。
なぜ日本国内のキリスト教はウリスト教化するのだろうか。その答えは聖職者の人材難である。
日本のキリスト教徒の比率は1%で禁教令が敷かれていない国としては世界最低である。一方韓国は総人口の3分の1がキリスト教徒である。
日本国内のキリスト教各教団は多くの聖職者のポストがある。しかし日本人信者の絶対数が少ないので、日本人で全てを占めるのが不可能である。
そこで各教団が目を付けたのが韓国人聖職者である。韓国人は日本語を解する者が多く、またキリスト教に纏わりつく欧米的なバタ臭いイメージを払拭するのには最適である。
しかし、ここにいる皆さんもご存知の通り、韓国人は反日カルト民族であるww。
韓国人聖職者は「説教」と称して反日ヘイトスピーチを繰り返し、教団の反日政治団体化を推し進めていった。これが反日キリスト教の正体である。
心ある日本人信徒は直ちに団結して、教団の正常化を図らなければならない。そうしないと他の日本人から「反日カルト宗教」と白眼視され、いつまで経っても1%の壁を乗り越えることはできないだろう。
それどころか万が一、キリスト教徒による反日テロリストを排出しようものならば、キリスト教徒はオウム真理教信者同様の扱いを受けることになる。テロリストの巣窟として迫害されて当然の存在に成り下がるのである。 キリスト教には、人類の悪の歴史にラディカルな終わりが来て、イエス・キリストが再び
この地上に戻ってきて、キリスト自身が王として千年間支配する新しい時代が来る、
という終末思想がある。それが「キリスト千年王国時代」の思想である。彼らにとって、
その未来の社会は民主主義社会ではない。「民主主義社会よりもっと良い」
愛と正義によるキリスト独裁社会においては、すべての人の人権は
完全に尊重されるからである。キリスト教信者がそのような
「キリスト千年王国時代」の到来を信じているわけではないけれど、日本人には
信じがたいほど、そのようなキリスト教信者がいる。
日本国家の政治史のほとんどが、天皇主義や幕府主義のような、政治・政体に
支配されてきたにもかかわらず、会議を重視する衆議主義がその中で根強く生き続けて
きた事実には理由がなければならない。
日本人が衆議主義を捨てることがなかったのは、あるいはまた、天皇陛下の勅令でも
幕府の国家政策でもないにもかかわらず、民衆から国家の政策にかかわる者に至るまで
「和」というものを日本人が価値あるものとして現代に至るまで受け継いできたのは、
もっと根本的な何か、つまり、日本人の人間観にあると考えなければならないと思う。
それが、人間は純粋に賢人でも愚人でもなく、賢愚あわせもつ「凡夫」である、という
人間の見方である。それは人間を「悲しい存在」として見ると同時に、そういう人間を
受け入れる無言の相互理解の上で人間関係が成り立っていることを意味するもので
あって、日本を代表する宗教や芸術にも深く浸透している人間観なのである。
このような人間観を持つ社会では、神からの絶対的真理を預かっている
預言者の言葉ではなく、相互の話し合いによる決着が、その決定機関とならざるを
得ないであろう。和の思想にとって衆議主義は論理的に必要とされているものなので
ある。 キリスト教がひろまらないのは、単純に理屈に合わんからやろなぁ。
上でも言われているようなアニミズム、自然現象である災害や万物に宿る多神は生活に関わりがあって、それぞれ性質も対処法も違うことを実感しているが、
そこに一神教が来て乱暴にそれらを全部一絡げの人格にして「唯一神を崇めなさい」って言われても「ハァ?」でしょ
そんなペテンに乗る程、日本人は馬鹿じゃなかったってだけ。 べーつに、キリストの考えが悪いわけじゃねえんだけど
キリスト教やってる奴に悪い奴が多すぎたんだよ
博愛主義で自分の身を犠牲にすんのはかまわねえが
博愛主義を他人に求めたらそれ侵略だから
まず自分がぶん殴られても反対の頬を差し出し、無抵抗を示すんならいいが
手を上げろ、我々に従えってやってきたのが白人よ
自分達がキリストの教えを守るのではなく
他の連中に教えを無理やり押し付けてきたのがキリスト教。 1,異教徒を認めない、フェニキア宗教は基本他宗を邪道視、独善的で敵を生産する
2,自分も生き物のひとつであるにも関わらず人間は特別としその他の命を蔑視する独善排他性
3,占領軍の宗教であったため土着文化を認めず殲滅してきた、その為今もって土着できない浮遊宗教
4,神を絶対視して強引に支配したため文芸復興やヒューマニズム、プロテスタント、共産主義、資本主義など多くのアンチカトリック主義を発生させ世界に混乱に拍車をかけた
5,今もってピューリタンが幅を利かせ排他主義により世界を混乱させている
6,キリスト教の最大の矛盾は救い主であるイエスを木にかけ殺したことである、これの矛盾を解決するための手段が贖罪とか三位一体論とかの難解な言い訳になった ルソンを侵略して奴隷貿易をし、神社仏閣を壊すキリスト教徒に警戒を抱くのは当然だろ。 博愛を口では言いながら、手では暴力を振るうというやり方ははた目から見れば異様だろ。 不殺生を掲げながら兵隊囲う宗教が一番ポピュラーな国ってどこだっけ?w そもそも、キリスト教の教義に問題があると思います。
人間はすべて生まれながらにして罪びとだとか、
信じない者は救われないから地獄に行くとか、
キリスト教は表向きには良いイメージなのに、
言っていることを文字通り解釈するとカルトだと思います。
こんなことを何も知らない子供に吹き込むのはやめてもらいたいです。
大人は経験上善悪の判断ができますが、
人生経験もない純真な子供たちは
「フィルターなしに」何でもかんでも素直に聞き入れるのですから。 キリスト教は自分たちに都合のいい聖書解釈をして
何万何十万何百万の人間を殺してきた
殺人宗教団体だよね
そんな宗教のどこがいいのさ? クリスチャンが「〜のために祈ります」と言っているのは、
要するに自分が質問に答えられないのをごまかしているだけのことなのです。
私も牧師さんに悩みを打ち明けたことがありますが、
結局は「あなたのために祈っています」とお茶を濁されました。
良いことが起こったときだけ
「ほら、神様のおかげですよ、神様は本当にいるのですよ、
神様は祈りを聞いているのですよ、だから神様を信じましょう」
と、得意げに胸を張って神の正当性を説くのに、
悪いことが起こると
「神の御心は私たちには分からない」「〜のために祈りましょう」
などとごまかすのがクリスチャンの習性なのです。
今回のローマ法王の発言で皆さんよく分かりましたね?
日本のクリスチャンは日本でキリスト教が普及しないことを嘆いていますが、
クリスチャン人口を増やしたいなら、
誰もが納得できる答えを用意してはいかがですか?
しかし、「神の代理人」でさえこの程度のことしか言えないのですから、
これで神の愛を信じろと言われても無理です。
あきらめてください。 まだ二千年程度だが、死刑の成り行きが評判が悪いのが穴だな。
人が最初に墓をくぐったわけじゃない。それがキリストだ。 日本人のキリスト教徒は、不味い料理をブランドイメージだけで美味しいと言ってる人間に似てる。
キリスト教=西洋ブランドなんだよ。これが、崩れたらキリスト教など何の価値もない。 キリスト教徒で不思議なのは、災害が起きたら略奪が当たり前だし人殺しも平気なところ。
こちらでいうお天道様が見ている、すなわち(キリスト教の)神が見ていると言う発想がまるで無い。
少なくとも災害だらけの国にこれはミスマッチだろう。 キリスト教が最も反人間中心主義(アンチ・ヒューマニズム)である。
キリスト教は人間が原罪を持つとする。
よって人間が生み出したヒューマニズムに基づく文化や制度とは根本的に衝突する。
それがこの信仰の本質。
その闇が覆った中世から復興させたルネッサンスは、
ただ文芸の復興というものではなく人間性の復興だった。
しかし忘れてはいけない。
キリスト教は人間は生まれながらに罪の中に居ると教える。
そうである限り人間性を否定するのがキリスト教の根源であり、
それを多くの欺瞞的言辞と活動で覆い隠しているだけだ。
神に従わない者は抹殺して信徒だけの神の世界になるのを待望する本質は
何も変わっていない。
現代では[イスラム国]がやっていることと同じことを
キリスト教が再開してもおかしくはない。本質はそうなのだから。 もともと仏教優勢なのと現代日本で布教してるのが胡散臭いからじゃね。うさん臭い冊子配るやついたり、胡散臭い看板を自宅にはってたり、小学生の頃そんなの見て警戒心生まれた。 いや、十分広まってると思うよ
日本の他の神々より知名度高いし
ただ、他の八百万の神々を排除してキリスト教の神だけを信じる事はしないよね
新しい神はただ追加されるだけだから 日本の根幹にある宗教観は自然信仰だし、天皇の存在も大きい
現在知識と自然信仰が合わさると信仰心なんてほとんど生まれなくなるだろう
基本的には無神論者になる可能性が嫌でも強くなる
あとは真面目に考える人にとっては
キリスト教が如何にいい加減で都合のいい宗教家は歴史が証明している
これを信仰する馬鹿はいないだろう
「信仰するべき宗教」としてならイスラムとかみたいな戒律がしっかりしてるものの方が適任
実際は宗教なんていらないになるが… キリスト教徒は、地球がGODによって造られたり、人間が土から造られたり、女が男のあばら骨から作られたり、キリストが処女のマリヤから生まれたり、死んだキリストが生き返ったり、こうした話を真面目に信じている人たちです。
多くのの日本人は、そんな有り得ない、ヘンなコトを真面目に信じられる人はアタマが狂っていると思います。
もう一つは、キリスト教のみが最高で他の宗教は劣っているとする、独善性です。
それは日本人からすれば、鼻持ちならないイヤな奴です。あなたも、きっと周りの人にバカにされ、友達もいない人、変わり者として思われているでしょう。 いや聖書読んでみたら分かるけど人名とか地名とか、あと細かい考え方とか前提とされている文化習慣とかね、完全に異国でなんか感覚的に全然分からんって感じるもんだから。極度に舶来モノが好きなミーハーな人しか信じるのは無理だよ、あれ。 ●仏教の場合
親鸞「おまいは私の言うことが聞けるか?」
唯円「もちろんです。親鸞聖人のおっしゃることなら、私は何でも行います。」
親鸞「それでは人を千人殺してこい。そうすれば極楽浄土に行けるぞ。」※
唯円「ちょwww聖人様www。それはいくら何でも無理でございます。」
※もちろん親鸞は千人殺せば極楽浄土に行けるとは本気で思っていない。
もし唯円が「かしこまりました。これから人を殺してきます」などと言ったら
「ちょwwwおまwww。」と親鸞は言って止めさせるだろう。
●ユダヤ教・キリスト教の場合
預言者「おまいは私の言うことが聞けるか?」
信者「もちろんです。預言者様のおっしゃることなら、私は何でも行います。」
預言者「それでは人を千人殺してこい。そうすれば天国に行けるぞ。」
信者「かしこまりました。預言者様のおっしゃることならば、一万人でも一億人でも殺してみせます。」
これがユダヤ・キリスト教クオリティwwwww >>591
そりゃ、宗教が必須の中世の前半に、ユダヤ教かぶれキリスト教かぶれ自称メシアのマホメットが、
そういうものを統合してやると意気込んで作ったものだから、弱点は或る程度克服されてるわな。 キリ教系の学校行ったけど、宗教主事はクズだった。キリ教信奉しても同じ人間で、高潔な人もいるしクズもいる。宗教は人の本質を変えない。
戦国時代のイエズス会士が、本国への報告で日本は貧しく、男は貧弱で女はブスだから、奴隷としても価値がないので、遠路航海して侵略するにはコスパが悪い、と言ってくれたおかげで、日本は大陸のように蹂躙されなかった。
どの民族にも一定数発生する宗教依存が、日本の場合はキリ教に向かわなくて良かった。。 >>594
●仏教の場合
尊師「おまいは私の言うことが聞けるか?」
林郁夫「もちろんです。尊師のおっしゃることなら、私は何でも行います。」
尊師「それでは人を千人殺してこい。そうすれば解脱できるぞ。」
林郁夫「かしこまりました。尊師のおっしゃることならば、一万人でも一億人でも殺してみせます。」
注:たとえ話でもなんでもなく実話です 教会にお試しで通ってみた感想だけど、最初は耳障りのいいことを言う。嘘は良くないとか人に優しくしようとか。
でも少し聖書を読み進めるとすぐにきな臭くなる。信仰心を試すとか言って息子を生け贄に求める、親父はなんの疑いも持たずに捧げようとしてるし。
そもそも全知全能と言うわりにはソッコーで楽園に蛇が入り込んでるし。警備の天使何してた。
人に優しく、隣人を愛せ、ここで言う「人」とはクリスチャンのこと。異教徒は犬扱い。犬にパンはあげられないとか言い出して相手がテーブルからこぼれたパンくずならよろしいでしょうかとかへりくだってやっと人間扱い。(パンとは恵みのこと=クリスチャンになります) 神を信じる善人は救われ、悪人は地獄に落とされ永遠に苦しむ。
それを分ける審判の日は近い。
と、言い続けて2000年経ちました。
未だに審判の日は来てません。
日本人 まだ、信じているんですか?
神学者 永遠の存在である神にとって2000年などは一瞬だ。
日本人 じゃあ、何千年待てばいいの?
神学者 だから、もうすぐだから。
日本人 だめだ、こりゃ。 > キリスト教はたしかに大勢の人を殺してきました。だからキリスト教はダメだ、っていうんじゃなくて、そんな過去の過ちも受け入れて反省することが大事だと思います。
そして同じ過ちを犯さないようにしようと頑張っていくことが大事で、今のキリスト教はそのために日々頑張っていますよ。
いえ、キリスト教はダメです。
世界の治安にどう貢献したのでしょうか。
どういうわけかキリスト教圏に限って治安が悪く、
例えば中南米は
クリスチャンが多いのにどこも著しく治安の悪い国ばかり。
アメリカでも銃撃事件が日常茶飯事ですよね。
日本に原爆を落としたことを絶対に謝罪しないくせに、
慰安婦の捏造話を信じて韓国の味方をして日本に謝罪しろと言ってくる。
ヨーロッパは
今や難民が大勢押し寄せ治安が著しく悪くなっています。
私がクリスチャン時代だった時にも
難民のための募金活動がよく行われていましたが、
あんな奴らのために募金していたのかと思うと腹が立ちます。
キリスト教があちらの社会にどう貢献しているのでしょうか。
むしろクリスチャン人口の極端に少ない日本の方が治安が良いです。
> なんせカインとアベルの話かを引き合いに出すのはちょっと暴論だと思います。それに50%じゃなくて25%ですよね。
アダムとエバの時代なら犯罪率100%ですよね。 Re: タイトルなし
> 教会っていう集団はね、弱き人・迷える羊を排除する性質を持つんですよ。
> 信仰に疑問を持つことは誰にでも起きることなのに、それを認めず『脱落者』の烙印を安易におしてしまう。
> 救う能力はないんです。集団であるが故、異質を排除する性質が出てしまうんですね。
> 一匹の子羊を救う心のある教会よりも、99匹の子羊を大切にするのが教会なんでしょうかね。
教会は自分たちに都合の良い人しか助けてくれません。
一般社会と何ら変わりません。
にもかかわらず、神を信じない一般社会を見下し、
自分達こそが正しいことをしているとのたまう姿が偽善的です。 東アジアで最もキリスト教を受容した朝鮮社会がその後どうなったかはごらんのとおり。
朝鮮の人々が誇るところの少ない祖先の隷属の歴史を消し去ってくれるキリスト教に雪崩を打って駆け込んだのは、無理もない事だろう。 キリスト教会に、12年近く行きましたが、ほとんどの奴らが、
人の幸せなど願わない、クズどもだとわかりました。
「戒め」を守る私って、清らかでしょ?
「イエス・キリスト」の福音を知らない人って、かわいそう。
「ほどこし」をする私って偉いわ。 みたいな。
選民思想と虚栄心が渦巻く、吐きそうな世界でした。
その後、いくつかの教会を見てきましたが、「信仰」という言葉とは
ほど遠い人たちが、いっぱいいました。もちろん、
誠実な人たちにも、たくさん会いましたが、それは少数派ででした。 >>600
> キリスト教があちらの社会にどう貢献しているのでしょうか。
ヘイトクライムで治安対策や軍事産業への景気刺激。
キリスト教やイスラム教がもたらす常態的な治安の悪化は、軍事技術の発達に大きく貢献する。 治安が悪く蔑むべき異教徒や異民族が身近にいると、一神教の信仰の素晴らしさを感じることができる。
攻撃性や残忍性や差別思想を忌むべきものではなく良いものとして肯定してくれる宗教、それが一神教。 信仰のすばらしさを感じるには治安の悪化が最も効果的。
健康のすばらしさを感じるには病気になるのが最も効果的なのと同じ。 人々の信仰心を呼び覚ますには、天変地異や治安悪化が最も効果的。 >>599
落語でそれに似た噺があったよね。
万年活きる亀を買い求めて買い始めたら翌朝に死んでしまったとかいう 日本にキリスト教が伝来してから450年も経つが、今に至るまで日本ではキリスト教徒が人口の1%を超えたことすら無い。
どんなに布教しようが、GHQの占領政策によって強制的な欧米化を進めようが完全に失敗した。
それほど日本人の中にある日本文化、神道文化は深く強固なのである。(そして面白いのが、当の日本人が世界で一番その自覚が無いww)
一方、すぐお隣の韓国では、なんと国民の3割以上がキリスト教徒となっている!
しかもこれは、第二次大戦後からという異常なスピードである。
韓国でこれほど短期間に、異常なまでにキリスト教が普及したのは、朝鮮人の特有の姑息な『事大主義』によるものである。
つまり、万年属国民族とも言われる朝鮮人特有の奴隷精神。
もしイスラム教の教勢が拡大してきたら、
「これからはイスラームの時代ニダ。キリスト教は<゚听>イラネニダ」
「神道というカーフィルが巣くう悪魔の国・日本は消毒ニダァ〜」
朝鮮人の宗教観は非常に分かりやすい。 動物に魂はなく天国に行く資格が無いから
これはキリスト教のれっきとした教え。人間原理主義。
動物愛護をうたうキリスト教信者は教えにそむいている。 日本じゃもう、キリスト教だけじゃなくて宗教に傾倒しているだけで胡散臭い人扱いだから無理だと思う。
それにキリスト教が国教の国って戦争ばかりしてるし。 クリスマスとかのイベントは楽しむけどキリスト教の教義を真面目に実行するの面倒くさいもん。
聖書も教養として読んだけどもやもやする話多い。
元は中東で生まれた宗教が日本人に浸透しないの仕方ない。
キリスト教国でも犯罪がいっぱいあるの見たら何信仰してたって悪人はいなくならないのを実感する。
災害の多い国じゃ運が悪けりゃ死ぬ時はどうしようもない自然の力で死んだりあるし、八百万の神様をなんとなくゆるく祀るんでいいと思う。
皇族の人がキリスト教系の大学入っても別に入信してるわけじゃないし、最近の学習院はお金はあるけど良からぬ家庭の子供も入学してるとかで避ける気持ちがわからないでもない。 戦争するからこそ科学が発達し女性や黒人の権利運動が高まる。
戦争こそがもたらしてくれたにもかかわらず、日本人クリスチャンはキリスト教が科学の発達や女性や黒人の権利向上をもたらしたと曲解して喧伝する。
罪深い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています