永楽帝の生母は『明太祖実録』や
『皇明玉牒』では馬皇后となっているが、
いくつかの伝説ではモンゴル人の后の娘だとする。

モンゴル側資料の『黄金史』や『蒙古源流』では
ウハート・(トゴン・テムール・)ハーンの
ホンギラート部出身の妃が
洪武帝に嫁ぎ産んだとする。

明側漢籍では『南京太常寺志』で
永楽帝の生母を「石貢」妃とし
馬皇后でないとする。
弘吉刺氏(ホンギラート)を
明の成祖の生母することに繋がる。

これらの流布している伝説は
事実ではないと思われるが、
当時の世間一般で
明は元朝の宮官を愛用したり、
モンゴル人の来降を受け入れたり、
永楽帝の部下にもモンゴル人が多かったことから、
永楽帝をモンゴル王朝と繋げる認識があったと考えられる。