物流の歴史
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元日本通運株式会社の従業員でした。 三井物産グローバルロジスティクス株式会社に入社したいです。 北朝鮮の羅津港借りて中国貨物を出荷する計画 2009年道路整備 2011年初出荷 のち、国連制裁で停止 代替としてウラジオストク港に切り替える >>660 ふむぅ おいらの認識と逆ですね これは何処が捻れたのだろうか、、、 高速道路でのトラック最高速度、政府が引き上げ案 労組「本末転倒」 ドイツを見習え! >>663 元朝は大運河を次々と開削して内陸水運を整備した。 でもうまくいかなかったようだ。 実際は完成していなかったとか、水量不足とか諸説ある。 代わりに海運が発達し、徐々に輸送量が増加し、350万石に達した。 但し天候に左右されやすく、輸送量が安定しなかったという認識がある。 >>665 海運は漕運とは別制度なのかな? 運河の問題としたら オペレーションの問題とは 異なってるんだろうか、、、 >>666 海運も政府直轄事業なので漕運の一種。 1290年に海賊出身の朱清たちに始めさせ、 1329年(天暦2年)に350万石の輸送量の最大を記録した。 海運だけど大都は内陸なので運河も通る。 大都の市街中央に海船が乗り付ける内陸港があった。 おぉ、大都の内陸湖は海船が直接乗り付けしてたのか 海港まで運河繋いで繋いでた気がしますから 外航船が辿り着けたなら かなり頑張ったんですね >>668 正確には海の大きな船は通州の張家湾で小船に乗り換え、50mほどの高低差を閘門式の運河で登って、北京の積水潭に入る。 杭州から大都に至る全長約1700kmの大運河を作ったけれど、場所によっては数十mの高低差があったりしてて、 越えるには水量が足りなかった。 明朝は大運河の再整備を進め、大運河の水位を安定させるための治水工事に成功する。 工事の成功と海禁令もあって海運は廃れる。 古代ローマの繁栄を支えたのは属州からもたらされる食糧である。 特に穀物船で運ばれるエジプトの小麦がローマを強大化させた。 物流はローマの力である。 一方で本来のローマ人農民はダメダメになっていき、 パンとサーカスを要求するだけの穀潰しと化していた。 >>25 淀川は、大阪から伏見まで、帆走と人力を併用。 瀬戸内海は干満の差が大きいので、上潮のときに、上手くすれば枚方まで行ける。 そこから先は、岸沿いに牽引牽引。 概ね、下り1日、上り2日だけれど、天候条件によっては3日4日。 >>27 架線はしばしば氾濫して流路が変わったり、近代以降の護岸で川幅を変えたりしたので、 かならずしも、閉口する道路の有無が動力革命とは関係しない。 >>665 運河の水を田んぼに引く水として盗みまくったからだろ >>669 そういえば、積水潭の水量を調節するように どっかの湖を開発したんでしたっけか 大都でも相当でかいエリア占めてるんですよね、たしか 積水潭は懐かしい。 バスがいっぱい行き来してた。 地下鉄積水潭駅のそばにでっかい徳勝門が建ってる。 その隣にバス乗り場があって、 八達嶺長城や明十三陵へ行くバスが次々と発車する。 市内共通交通磁気カードだと交通費がとても安い。 北京観光の要所。 >>423 船の大きさってどうやって測ったんだろ 積載量なら理解もできるが、、、 >>93 最近見かけたら 観光地化の計画があるらしいw みんな廃虚とか好きだなぁ >>505 エリー運河はセントローレンス海路で 役割を終えちゃったみたいですね パナマックス対応できてなくて 10%ぐらいの船しか通れないらしい >>678 意外と、決められたサイズの樽が幾つ積めるのか? とかだったりして。 船の”積載㌧”だっけ、樽を叩くと「トン!」と音がするから云々と言う話を聞いた記憶がある。 返して~ >>1 【漁夫の利】中国がロシアの港を奪還? ウラジオストク港の使用権を165年ぶりに回復 衰退が加速するロシアの極東権益を侵食中 [ごまカンパチ★] https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1687260451/ >>682 ロシアにとって貴重な不凍港でシベリア鉄道の起点。 返還できないな。 ソ連時代は軍港として外国人や一般国民も入れない閉鎖都市だった。 富山ーウラジオストクの貨客船航路は復活する見込みなくなったのか。 かつては横浜ーナホトカ航路があって、ナホトカからシベリア鉄道でハバロフスク、そこから国内航空でモスクワに行くのが一番安価な手段だった。 東アジアとヨーロッパを結ぶ最短航路は北極海航路。 でも氷(物理と政治)が阻む。 砕氷LNG船の運航もどうなるやら。 >>684 バイブラインがあるだろ。 政治が解決したら、ロシアに金払って通してもらえばいい。 >>406 ふぅむ スイカ移動と川俣が気になってまいりました ついにトロッコの秘密があきらかにされる時がキタ━(゚∀゚)━! 【自動運転】国交省が「トロッコ問題」の解決などに予算2.4億円計上 [すらいむ★] https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1693314981/ 輸送性が高くて 見えないという利点があるらしい >>29 ウクライナ軍の「段ボール製ドローン」16機出動 ロシア軍機5機などに攻撃 [蚤の市★] https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1693489723/ 失敗 >>29 潰して運べる利点と 見えないという利点が あるそうな 見よ敵は資源・物資が枯渇しているぞ 皇国の勝利は間違い無い! 21世紀の風船爆弾 ↓ B29じゃなくてTu95 ↓ そしてエノラ・ゲイ >>690 皇軍とて決して兵站を軽視していたわけではない。 ただ戦域の急拡大についていけなかった。 石油の産地を制しても石油を運べない。 貢納と再分配は物流に含まれる。 朝貢は貿易の一種。 呉越同舟の呉は内陸水運で栄える。 越は海運で栄えた。 呉越両国の争いは交易の主導権をどちらが握るかの争いでもある。 ふーむ、機関が異なるのではと思っていたが どんな感じで乗り入れしたんだろうか >>385 【露朝会談】ロシア極東に“23両の列車” 金総書記が乗ったと見られる特別列車 ハバロフスク方面へ [菊姫いりぐち★] https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1694528532/ 実績アリでした >>385 歴史 2001年、ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンと国防委員会委員長金正日は、ロ朝国際鉄道事業に合意した。これは、ロシアと朝鮮民主主義人民共和国とが合弁企業を設立し、その企業が、鉄道と羅津港第3埠頭の49年間の使用権を朝鮮民主主義人民共和国から得るものである。2008年に、ロシア側のハサン駅から羅津港までの工事が着工し、トンネルの補強、通信設備の近代化、同区間の四線軌条が行われた。2012年10月に工事が完成、試運転が行われ[1][2]、2013年9月22日完成式典が行われた[3]。これにより、ロシアの列車が、羅津港まで直通が可能となった。 2004年4月22日に平安北道龍川郡にある平義線(京義線)龍川駅付近にて、爆発事故(龍川駅列車爆発事故)が発生し、161名が死亡、約1,350名の(一部報道では3,000名とも言われる)負傷者を出す大惨事となった。 2007年、朝鮮半島を分断する非武装中立地帯を横断する平釜線(京義線)の開城 - 都羅山間が再開通し、南北間の鉄道輸送が再開された。2007年から2008年中期まで開城工業団地への貨物輸送に使われてきたが、その後、二国間の緊張の増大により、停滞した状態である。同時期、金剛山青年線の北朝鮮側の接続が再開し、金剛山観光地区への旅客輸送が続けられていたが、同様の理由により休眠状態である。 こいつも台車交換できるんじゃろか? >>697 >>385 路線 詳細は「en:Railway lines in North Korea」および「朝鮮民主主義人民共和国の鉄道」を参照 朝鮮民主主義人民共和国の鉄道網の軌間は、その多くが国際標準軌の1435mmである。一部にロシアとの融通のために、ロシアの広軌と共通の1520mmを追加し四線とした路線がある他、いわゆる特殊狭軌の(日本では軽便鉄道等の軌間という認識が多い)762mmの区間も300km以上残っている[4] 。 主要路線 咸北線:清津青年駅 - 羅津駅, 331.1 km, 1435 mm (洪儀駅 - 羅津駅は、1435 mmと1520 mm の四線軌条) 豆満江線:ムルゴル駅(咸北線) - 豆満江駅(→ ハサン駅, ロシア), 9.4 km, 1435 mmと1520 mm の四線軌条 江原線:高原駅 - 平康駅, 145.8 km, 1435 mm 金剛山青年線:安辺駅(江原線) - 金剛山(→ 猪津駅, 韓国), 101.0 km, 1435 mm 満浦線:順川駅 - 満浦青年駅, 299.9 km, 1435 mm 白頭山青年線:吉州青年駅 - 恵山青年駅, 141.7 km, 1435 mm 平釜線:平壌駅 - 開城駅(→ 都羅山駅, 韓国), 187.3 km, 1435 mm 平徳線:平壌駅 - 球場青年駅, 192.3 km, 1435 mm 平南線:平壌駅 - 平南温泉駅, 89.3 km, 1435 mm 平羅線: 平壌駅 - 羅津駅, 819.0 km, 1435 mm 平義線:平壌駅 - 新義州青年駅(→ 丹東駅, 中国), 225.1 km, 1435 mm 狭軌路線 北朝鮮の狭軌は、762mmゲージであり、直流1500Vで電化されている。そのような路線が全国に張り巡らされているにもかかわらず、最も重要な路線は、国土の北側である。北朝鮮で最も長距離の狭軌路線は、白茂線であり、 白岩青年駅から茂山駅まで191.7 kmを結んでいる。この路線は、標準軌の白頭山青年線 と同じく標準軌の茂山線とを連絡している。 郵便と見せかけてタクシー >>324 トゥルン・アンド・タクシー公爵家(ドイツ語: Fürstenhaus Thurn und Taxis [ˈtuːɐ̯n ʔʊnt ˈtaksɪs] )は、ブリーファデルの一部であるドイツの貴族の家系です。 1806 年の神聖ローマ帝国の終焉まで、16 世紀のヨーロッパの郵便事業の中心人物であり、醸造所の所有者およびいくつかの城の長官としてよく知られるようになりました。 家族は1748 年からレーゲンスブルクに住み、1803 年からザンクト エメラム城に滞在しています。家族はドイツで最も裕福な家族の 1 つであり、現在の当主はトゥルンとタクシーの第12王子アルバート。 >>671 元朝では水量が足らず使い物にならなかった大運河。 明の永楽帝が宋礼という人物の立案に従って工事を実施。 工事に16万人を動員した。 1411年に工事が完了し、大運河に充分な水量を供給できるようになった。 1421年の北京への遷都は大運河が使えるようになったからこそ実現できた。 >>406 北条氏が中川と利根川を運河で繋いで 房総廻りを内陸河川経由に切り替えたと言っていたが 本当なんじゃろか、、、 利根運河なら明治中期の掘削・運用だけど? 確か20年ほど使ってあとは放置、最近整備されて史跡公園化 ひとまず常陸川らしい コンタミは現代河川を用いて 過去の流路を説明したからだろうけど 東はともかく南は余計に気になってきました >>703 古くは広河と呼ばれていた。流路には沼が発達し、途中には、現在の柏市と取手市との境(田中調整池の位置)に藺沼(いぬま)があった[2]。 江戸時代に江戸を支える水運で重要な役割を果たし、水量を増やすための各種の工事が行われた。 概要 編集 中世以前の常陸川は、下総国西部の猿島台地の多くの狭長な谷戸を南に向けて流れる小河川および沼沢の水を集め、下総国内を東に流れていた。現在の栃木県小山市から始まる宮戸川、大川、およびそれらが流れ込む境町の長井戸沼が常陸川の流頭部に当たる[3]。 そして関宿(南岸)と境町(北岸)との境を通って東方へ流れ、一ノ谷沼、鵠戸沼(鵠戸川)、浅間沼、菅生沼(江川)などからの水を合流し、藺沼を経て、現在の古利根沼の流路を通り河内町付近で鬼怒川に合流、もしくはそのまま香取海に流入していた。流域が狭いため水量は多くなかった。 疋田船川が日本海と琵琶湖を繋げていたとのこと 60人で引っ張ってたらしいw 大坂から丸亀行の金毘羅船の船賃は飯布団付きで3泊4日で4百文。 なぜこんなに時間がかかるのだ?明石海峡の海流に乗れば早く行けそうなんだが。 >>708 琵琶湖の水量があれば 閘門やりほうだいの気はするが なんか理由でもあったのだろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる