明清帝国 三
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明清帝国の再来か
わたしは、中国が従来の20世紀型帝国主義的政策に加えて、近年ますます前近代の明清帝国的ふるまいが露骨になってきたと感じる。
2017年第19回中国共産党大会で、習近平総書記は「新時代の中国の特色ある社会主義の偉大な勝利」「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」を強調し、
しまいに「中国は世界舞台の中心に近づきつつある」と宣言した。舞台の中心で中国は何をしようというのか。
2013年習総書記が提唱した「一帯一路(大陸と海洋のシルクロード)」構想は、中国主導のアジア共同体を企図したものである。
中国は潤沢な財政を背景に東南アジアに多額の投資を行っているが、スリランカが借款の返済不能に陥ると、中国は港湾施設の99年にわたる管理・運営権を手中にした。
パキスタン、モルディブなども中国からの多額の借款返済に苦しんでいる。これを見ると「一帯一路」は明清帝国の冊封体制の再来かと疑う。
ことし2019年1月18日にも、北京で開かれた「改革開放20周年」の記念式典において、習総書記は「開放型の世界経済の建設を積極的に推進し、覇権主義に反対する」と述べ、
貿易摩擦で対立するトランプ米大統領を批判しつつ、「わが国は国際秩序の擁護者である」と強調した。 中国には「明の亡ぶるは崇禎に亡びずして万暦に亡ぶ」という言葉がある。明室衰亡の本質を言いあてている。
実際に明が滅亡したのは李自成が北京を占領し、明の崇禎帝が自殺した1644年である。これで満州族の世相順治帝が即位して清朝が成立し、中国における漢民族の歴史が終わった。
以来、今日にいたるまで中国に漢民族による国家は出現していない。1644年は日本でいえば家光の正保元年にあたる。
ところが「明は万暦に亡ぶ」となると、万暦帝の在位は1572年から1620年だから、信長が入京して室町幕府が滅んだころにすでに明室は衰亡していたことになる。
少し時期をずらしていえば、明朝は豊臣氏と同時に滅んだことになる。
そのくらい明の滅亡は中国にとっては大事件なのである。47年に及んだ万暦帝の時代のどこかで何かが変わっていれば、中国は漢民族の歴史に幕をおろさなくともよかったかもしれない。
中国人の歴史観のどこかには、つねにこの「問い」が潜んでいる。 万暦帝の初期は張居正が政治を執っていたし、万暦中興と呼ばれ国勢が回復していたが、張の死後は一気に衰退していったのが興味深いな。 漢が近代まで550年続いたとしても、別におかしくなかった
そしたら、チャイナドレスも満漢全席もなかった。
ベン髪した闘将!拉麺マンもいなかった >>6
漢じゃなかった、明だ
漢が近代まで続いてたら、550年どころではない 明清交代は、東アジアにとって史上最大級の大事件だった
朝鮮では、今もこの時期のことが盛んに議論されている ホンタイジは明にとって代わるつもりで国号を清に改めたんだよね
大元傳國璽「制誥之宝」のせいでその気になったんだろか? >>6
今連想するチャイナドレスの形にしたのは民国時代の漢族でしょ。
満州族の旗袍はもっとゆったりしていてラッパ袖で、下にズボン穿いてた。 清に愚帝なし
というのは世界史の先生が言っていた
本当かどうかは知らない >>10
清朝の時代劇を見るたびに思うのは「パジャマみたい」ということ >>13
極めて頭脳明晰な皇帝ばかりだったが、時代の流れが悪すぎた 清は漢地全土を抑えるのでなく、金の様に華北を抑えるのみにして
いれば、言語と文化を失うこともなかっただろう。
そして、モンゴルとチベットに漢族が流入することもなかっただろう。 >>17
大昔とは違って、もはや経済力が圧倒的に江南にあり、華北はそれに寄生している状態
北の政権にとって統一はマスト こっちは重複スレなのに、また上げてしまった(>_<) 順治帝も優秀だろ
短命だったおかげで親政期間が短く、真価を発揮できなかっただけで 「順治帝は本当は死んだのではなかった。出家して山寺にいたのだ」
は、時代劇では定番の秘史
当たり前のように語られているので、つい史実なのかと思ってしまう 「中国がもし大航海時代に海外に植民地を作っていたら」
とよく言われるけど、華北から見たら江南は一種の植民地みたいなものだったんじゃね
現代ではチベットやウイグルが植民地の立場だろうけど
中国一国だけでヨーロッパより面積が広いんだから 19世紀のアメリカと同じで、国内にフロンティアがあるからな
ベトナムには何度も侵攻したが失敗したため、「広東省までは中国だが、ベトナムからは中国ではない」という境界ができた 歴史的に勝った試しのないウイグルやモンゴルを最終的に屈服させたのは、西洋伝来の鉄砲の威力
時期も手法も西洋列強の植民地化と同じ ヨーロッパ諸国や日本は、結局、海外植民地を失ったけど、
中国は今でもチベット・新疆ウイグル自治区・内モンゴル自治区などを領有している 中国が君主制へ回帰するとしたらどういうシナリオが考えられるだろう >>31
いつ、洪武帝がモンゴルを最終的に屈服させたんだ? 日本人が「中国的」と思い込んでいるものには、清の文化の影響を
受けているものが多いよな
「北京官話」は、北京の内城の旗人たちの、満漢混ぜこぜの発音が
基礎になっていて、それがもっとも典雅な中国語とされた
さらにそれをもとに大陸の「普通語」、台湾の「国語」が作られた >>38
日式拉麺として逆輸入。
結構お客が入ってたぞ。広州の日本のラーメン屋。 >>36
「満州人は中国に同化された」というけど、実際には現代の中国共通語は満州人の訛った北京語
中華料理は満漢全席、チャイナドレスもベースは満州服
中国文化は、満漢を足して2で割ったような文化になった 乾隆帝の時代になると、八旗の満州人たちも、学問や趣味の芸能に憂き身を
やつすようになった
北京の内城の社交界には、旗人の貴公子たちの自作自演の芸事が生まれ、
洗練されて磨きがかかり、それが後には漢人の社会にも浸透して、
中国の伝統芸能の根底を作ってゆくことになったが、その一つが「子弟書」。 前スレ(五)の最後のほうで、「モンゴル語」が挙げてあったけど、
これもまた、一次史料言語として近世モンゴル文語のほかブリヤート語やオイラト語/カルムィク語がそれぞれ分類されるし、
現代論文言語としてハルハ式/チャハル式のそれぞれ現代モンゴル語という分類も、もちろんあるな 中国で建築技術の進化が起こらなかったのは何故なの?
北宋の清明上河図から清末まで建物の姿がほとんど変わらないように見える
そして西洋の大きな建築と比べると平屋建てでこじんまりとした建物が多い
中国で高層建築が発達しなかったのは何故? >>44
高層建築というのは限られた土地に人口が密集してる時に必要になるもの 京劇の源流は金・元の雑劇にさかのぼり、清代の北京で洗練されたもの とりあえず日本におけるラーメンの起源は、横浜の中華街の清国人が提供した麺料理が起源だという話だ。
それが日本的に変革されたもの。
でも麺にコシを求めるのは日本独自の考えのようだ。
台湾の屋台で食べた麵料理は麺にコシが無くてウンザリしたな。 >>48
イタリアだとパスタ類は日本以上に腰が強いな
麦そのものによることではあるけど >中国では、都市への人口集中が進まなかった
中国の方が都市に人口集中してないか?
中国の方が人が住んでるところと住んでないところがハッキリ分かれてるぞ 清国の人口は日本の10倍以上なのに、北京より江戸のほうが人口が多かった
朝鮮通信使の記録にも、「北京より大坂のほうがずっと凄い都会だ」と残っている 日本は地形的に、山岳地帯が多すぎて人が住める場所が少ないってのがあるけど
広々とした平原国のイギリスやフランスでも、ロンドン・パリへの集中が進んだ >>53
日本の都市は城壁で囲まれてない。
いや総構えはあるが、ともかく延々と長く続く高層の城壁で都市全体を囲んでない。 清朝では爆発的な人口増加が進んだけれど、すでに開発された土地から
あぶれた人々は、なお未開だった江西・湖北・湖南・四川の山地に向かい、
そこで粗末なバラックを建てて暮らした >>43
漢文史料だけで清朝を見てはいけない。漢人の見方に偏ってしまう。
だから頑張って諸言語を勉強してください。
アタシは現代中国語だけで手に余るが。 >>32
明朝の公式文献に基づけば
1388年にモンゴルは滅んだことになってる。
明国はモンゴル高原の強大な国家を韃靼と呼び、蒙古を使わなかった。
この公式見解に最近まで日本の歴史教科書も影響を受けて、
モンゴル高原の勢力をモンゴルではなくタタールとオイラトとしてた。
北元と呼ぶようになったのは最近だろう?
いわゆるタタールやオイラトは自分たちをモンゴル、元そのものだと認識してたはず。 >>40
>実際には現代の中国共通語は満州人の訛った北京語
北京語と満州語は全然違うぞ
ベトナム語やタイ語のほうがまだ北京語に文法も発音もよく似ている
満州語と近い言えば韓国語で戦前は同時学習が当たり前だったぐらいだ >>58
「現代の中国語は、満州人の訛った北京語」と言ってるだろ
「北京人の訛った満州語」とは言ってない >>58
満州語の影響を受けた漢語が北京語と言いたかったんでは?
語尾に活用化みたいなのをくっつけたり、やたらer化音声になったり、奥さんを太太と二語くっつけたりの変化や単語の拝借を指すんだと思う。 新大陸原産の唐辛子が四川料理を辛くした。
辛くなったのは清末の19世紀らしい。
麻辣火鍋の痺れる刺激的辛さには中毒性があるな。
また食いたい。 これまでよく、中国文化の同化力の高さ、などといわれてきた
しかし征服王朝のもとでは、中国文化は征服者の文化に同化されていたのであって、
征服王朝が倒れて漢人の支配時代になると、それまで支配者の特権だったものが
漢人に受け継がれる
清代には旗人に限られていた旗袍が漢人の晴れ着になったのがその例 清は名君ぞろいだというが、
反対にどうして明は迷君、暗君、暴君ぞろいなのか?
そもそも明に名君なんているの? 清は後宮の女性に、ブスでも賢明な女を選んだ
明は逆に容姿だけで選んだ ていうか、明朝では漢唐の先例を他山の石とし、外戚の勢力が大きくなるのを防ぐため、わざと身分の低い女に皇帝の子供を産ませたりしていた 暗君揃いでも王朝存続期間は
賢君揃いの清朝とそんなに変わらない。 「王朝の寿命は300年」説のゆえん
これを理由に、「中華人民共和国はあと200年は続く」という人もいた 清が滅んだのは、王朝末期がそのまま欧米列強の海外進出の時期だったから
同時期に江戸幕府も李氏朝鮮もベトナム阮朝も滅んだ 朝鮮半島の王朝は息が長い
李朝は500年、高麗は400年、
新羅は900年くらい続いている。
中国でも古代の殷や周はそれぞれ800年くらい続いている 庶民の女を後宮に呼んだくらいで、そんなに生まれた子供が暗君になるものか?
まぁ日本でも徳川綱吉は生母の身分が低かったせいで妙なコンプレックスにかぶれた
近年の英王室や日本皇室の混乱も、庶民の輿入れと全く無関係とはいえない >>63
悪名高い万暦帝は実は名君。
散財のおかげで好景気に湧き、
明朝の最盛期をもたらす。
文化は成熟し、娯楽も発達。
何より豊臣秀吉の侵略を断固撃退。
これを名君と呼ばずして良かろうか?
ただ諫言官僚にウンザリして、
皇帝のルーチンワークをサボタージュしてただけだ。 近代イギリス国王の「君臨すれども統治せず」に通じるものがある 崇偵帝も、非常に頭脳明晰な人物だった
だが残念ながら、頭が良すぎたせいか、人を疑いすぎて自ら墓穴を掘ってしまった 讒言を信じて、名将の袁崇煥を処刑してしまったのは本当に痛かった
明は初代も末代も猜疑心の塊だった 明の歴代皇帝の中でも、宣宗はまだマシなほうだと思うけどな
父の仁宗が意図した遷都を事実上中止して、北京にとどまった
さらに熱河の大寧府の故地に侵略してきたウリャンハイ部族に対し、
自ら3000人の精兵を率いてこれを討ち、その首領を斬った
しかしそれはあくまでも威嚇にとどまり奥地戦争は避けた
そして長城外に孤立していた開平衡を引きあげ、長城の要衝を固めて、
これを北方防衛の最前線とした
さらに泥沼化していたベトナム放棄を決意した 明朝はやはり、満州・モンゴル・ウイグルといった北方の脅威に常に直面していたから、国内に対しては軍国主義の統制で臨まざるを得ず、敵との内通を疑わなければいけない厳しい状況だった
清朝の場合は、もともと満州の脅威はないし、長年の強敵だったモンゴル・ウイグルをも最終的に屈服させ「清の平和」を実現したから、そういう怖さがない
逆に、後期には緩みすぎてしまったが >>69
伝説上はともかく、実証的には、新羅はそこまで長くはない
一方、高麗はもう少し長い 新羅は、半島を統一したのが7世紀の後半で、9世紀の初頭には既に統一王朝としては崩壊している >>79
それっていまいち根拠が弱い
李成桂の子孫がずっと君主であり続けたのは間違いないし
まだしも、鎌倉時代のほうが源時代と北条時代で相当はっきり分かれてる 朝鮮は落ち目の明を尊び後金を軽んじたため、女真族に攻め込まれメタクソになった。
時の朝鮮王・仁祖はホンタイジの前で土下座し、世子を人質に出て許しを乞うている。
そのトラウマで、仁祖は大の女真嫌いになってしまった。
一方で清に人質に取られた世子は現地で西洋の宣教師と交流し、西洋文明を学んだ。
後に帰国した折に父王の前で西洋文明を披露し
「蛮族のものでも、良いものは学ばなければ」と進言
これが仁祖の逆鱗に触れ、硯で殴られた挙句に毒殺されたという。 >>82
定義づけも説明も無しに、仮説の命題だけ一方的に挙げられても、読む側は評価のしようが無いんですが・・・ >>80
「前期と後期に分けられる」と言っただけ
「別の王朝になった」とまでは言ってない >>83
源時代と北条時代で
どう政治体制に変化があったのか
支配者の姓だけでなく時代環境という構造自体を分析しなくてはならない >>85
源時代は、御家人の合議に担ぎ上げられた将軍であっても、それなりに将軍の裁量権が強かったし、
また、法制上では、一応名目的には律令が準拠法になっていた
源氏将軍が断絶した時代に入ると、将軍の裁量権は小さくなり、
特に北条泰時執権期に入ると、法制上でも武士の間のコモンローに基づく御成敗式目が名実ともに準拠法になった 乾隆帝は課税の減免を行ったけれど、これで喜んだのは、
一握りの富裕な納税者ばかりだった
富裕層は自身の納税負担が減ったから、その分貧民への
搾取も手控える、などということはしなかったから 高麗王朝はモンゴル侵入以前と以後で分ける必要がある。
モンゴル以前は「皇帝」を名乗っていたが、モンゴル以後は「王」へ格下げ
そして代々の王はモンゴル貴族の娘を娶らなければならなかった。 >>87
明清帝国の税金は、地主の土地にかける資産税がメインだからな
とくに清朝では人頭税がなくなり、これが人口急増の一因とも言われている
税金を取られるのも、税金が安くなるこも地主の問題 >>88
つまらないな
そんな名分論だけの歴史観は
もっと権力構造、たとえば武臣政権のことも考慮に入れてくれないと 朝鮮王朝ならともかく、高麗なんか明清に関係ないだろ? 1681年、ダナン沖に明朝遺臣を名乗る楊彦迪、陳上川らの率いる50隻余の艦隊が出現して広南国(南ベトナム)への亡命を申し出た
広南国はメコンデルタへの入植に彼らを活用することとなった 高麗や鎌倉幕府のことより、明清交代が東アジアにもたらした広範な影響について語りたい 日本で初めてラーメンを食べたのは、かの水戸黄門である
黄門は、明の遺臣である朱舜水を水戸藩で召し抱えた。
その折に朱から供せられた中華麺がそれである。 滅んだ明から多くの儒者が日本に亡命した
シナの学術のレベルは下がり、日本の学術のレベルは上がった 朝鮮は女真族の清を絶対に「中華」と認めなかった
むしろ
「我らは明を敬い、明の遺風を受け継いでいる
ゆえに、我らこそ中華の本流だ」
という「小中華思想」が興った 明清交代期に朝鮮では女真族を認めなかったため混乱が起きた
琉球は、どっちが勝ってもいいように国書に配慮をした
当時のベトナムは、一応は黎朝の治世だったが国内は分裂状態であり、
明と清、どちらに付くかまで配慮できなかったようだ。
ベトナム史上最後の統一王朝・阮朝が興ったのは19世紀になってから。 元朝の玉璽と大ハーンの称号を受け継いだ清朝になって、
万里の長城が要らなくなった。
明朝はよくまぁあんな険しい尾根にレンガ造りの長城を築いたものだ。 明は江南に興って北方騎馬民族を追い出した帝国。
歴史上でも「江南に興った統一王朝」は明のみらしい。
大抵の統一王朝は中原、あるいは北方騎馬民族が起こしたものだから
ともあれ、元を追い出した王朝である明は騎馬民族に対する備えで
万里の長城を本格的に修築した。
現在残る長城は、ほとんど明代のもの 明が海禁政策をとらなかったら、中国東南部で
資本主義が発生した可能性はあるのかなあ? 資本主義ってのは大勢の大金持ちがマネーゲームをすることだ
ぐらいの認識しかないでしょ? 資本を蓄積したブルジョアジーが上部構造(社会制度や価値観)を規定する
ってのが資本主義の定義だからな
明にいくら大資本家が現れようが上部構造の舵取り役が皇帝や朝庭である限り
それは絶対王政であって資本主義ではない >>107
その大資本の所有者が皇帝や朝廷だったら? 蓄積した資本で宮殿を建ててるようでは、本物の資本主義者ではない では、本物の資本主義者なら、蓄積した資本で何をするのか?
「投資する」というのが答だ
工場経営で儲かったカネにより、さらなる工場建設に邁進する。その結果として、ますます資本が蓄積される
では、そのますます蓄積された資本で、今度は何をするのか?
「さらに投資する」というのが答だ
死ぬまで投資→生産→再投資→・・・をひたすら回し続け、すっかり満足して生涯を終える。それくらいでないと、真の資本主義者とは言えない 豊かな物産を世界中に輸出。
世界から銀を集め、
銀本位制がいち早く発展した明清は経済先進国!!
銭荘のような旧式金融機関も発達。
ただし出資者は無限連帯責任を負うので、
有限責任の株式方式のような発展は難しい。 明には仏郎機砲が伝わったのに、清朝は西洋の進んだ兵器を
導入しようとは思わなかったのかな? >>113
康煕帝や乾隆帝は宣教師から大砲の製造方法や運用方法を学ばせてる。 清がなんとかしてアヘン戦争に勝つ方法はなかったのかなあ
内陸部にイギリス軍を引きずり込んで持久戦に持ち込むとか >>115
> 内陸部にイギリス軍を引きずり込んで持久戦に持ち込むとか
日本と違って、イギリス軍はその手に乗らない
海軍国であることを自覚している 北京にいる連中にとっては、広東省など地のハテにある熱帯の植民地にすぎない >>118
中国人にとっては、アヘン戦争よりも、日清戦争での敗北のほうが
衝撃だったんだろうな >>118
京杭大運河が遮断されてしまい北京へ補給ができない。
ここで勝負あり。 中国人(漢族)の歴史家にいわせると、清朝は、モンゴル人には王爵を与えて
親兄弟のように優遇したが、漢族にはかつてこのようなことがない
結局清朝では、三民族共存という看板とは裏腹に、満州人が第一、
モンゴル人が第二、そして漢人はその下風に置かれたとする やっぱり愛新覚羅一族はインテリなんだな
長子相続ではなく、男子の内で一番優秀な者を見極めたうえで跡継ぎに決めたというから >>122
元王朝では一番偉いのがモンゴル人、次がウイグル系民族、
その下に女真族など旧金国領の住人、一番下が旧南宋領の住人 大草原を颯爽と駆け回る騎馬民族から見れば、木訥とした農夫は「土人」そのもの
現代でも、モンゴル人は内地の中国人をどこか見下しているところがある でもモンゴル人は漢族が栽培する茶なしには生きられない >>125
モンゴルなんか昔強かっただけの雑魚なのにな
遊牧騎馬軍団なんて今じゃ数丁の機関銃で全滅だよ やっぱり多民族の平等というのは幻想なのかな
オーストリア=ハンガリー二重帝国も結局は崩壊したし >>128
そもそもそこでいう「『民族』って何か」についての定義付けが曖昧
ナシオン? エトノス? フォルク?
言語が事実上同じでも基層文化が違うとされて別民族扱いなんて事例も世界中しょっちゅうだし
逆に、言語が全く別でも歴史的に融合していった事例もままあるし
それこそ旗人も満洲系ニルだけじゃなかった
漢系ニルもモンゴル系ニルもあれば朝鮮系ニルもあったり、なんとロシア系ニルもあったりした >>130
清に朝貢した朝鮮や越南も弁髪強要されてないから大丈夫
清国内でも弁髪強要されたのは漢人だけで、
苗族などの少数民族は弁髪強要されなかったはず 明清交代は、東アジア全体を巻き込む巨大な地殻変動だったんだが
とくに朝鮮にとっては史上最大級の事件
日本にはたいした影響がなかったな? 朝鮮にとって清朝は、非常に厳しい支配を受けた暗黒時代。「明朝は良かった。あの頃に戻りたい」と、朝鮮人はずっと言い続けた
最近は韓国でも、明清交代期を取り上げた本がベストセラーになるなど、この時期が注目されるようになってきている
以前は「豊臣秀吉の朝鮮征伐」に極端にこだわり、「朝鮮史は秀吉前・秀吉後に分けられる」とまで言ってたが、中国の台頭で微妙な変化が生じた でも、「明清交代に注目する」といっても、そこはあの国らしい独特の取り上げ方をしている。
韓国メディアの社説とかを読み慣れていない普通の日本人には、なかなか理解されない論調だ
韓国では数年前から、「没落する明朝をアメリカ、勃興する清朝を中国に見立てる」という歴史観が流行している
「朝鮮王朝は古い宗主国である明朝を立てようと固執したおかげで、次の時代の覇者である清朝を本気で怒らせてしまった」という反省。
それが現在の状況、つまりアメリカの衰退と、中国の台頭に重なるというわけだ 日本にも、反米で親中な人はいる。でも、それは圧倒的に少数派だ。大多数の人は親米で反中。日本は、「親米反中」で国論がほぼ一本化されている
でも、韓国はそうでもない。韓国でも親米が多数派だが、「中国」に引き寄せられる引力が日本よりもずっと強い。あの国は米中の狭間で揺れている
今の状況は、「明朝と清朝の狭間で揺れていた、あの頃」を思い出させるのだという。「あのときは、明朝に固執するあまり判断を誤った」という論調が、当たり前のように語られている >>132
儒者の朱舜水が亡命して来て、幕末の尊皇攘夷に影響与えた >>135
ドイツを勝ち馬と見誤った戦前の日本みたいだな 鄭成功が日本に支援を要請したが、江戸幕府は断った。
秀吉の朝鮮出兵の痛手もあったんだろう?
大陸進出には慎重な幕府だった。
秀吉とは違って大陸進出の大義名分を得てると思うが。 日本が明の支援要請を断ったことを、田中芳樹は猛烈に批判してる
「日本は弱きを助けない卑怯者だ!」と
漢民族マンセーの田中は、胡虜の征服王朝なんか絶対に認めないからな
いくら名君ぞろいでも 西太后の子孫ってオッサン前に話題なったけど
結局騙りだったな >>138
まあ、関東と大阪のノリの違いもあるわなあ
江戸幕府が天下を取り、日本は内向き志向の関東人が支配する時代に入った 関東にいると、大陸は本当に遥か彼方にある異世界、「勝手にやってろ」という感じ
西日本で感じるのとはまったく違う >>138
ひこにゃんも指摘したけど熟練の兵士が居なくなったのが大きいだろう
戦国末期なら浪人集めて援軍として送り込むことも出来たけど
家光の時代だと戦を経験した人間は爺さんしか居ない 薩摩藩は明救援に乗り気だったらしいな
ここで「鬼島津」が再現されていれば… >>139
それ、田中芳樹はどこで批判してたっけ?
読んだような記憶もあるが思い出せん。 >>145
「創竜伝」の中で、中国の爺さんが4兄弟にそうやって講釈をたれてる場面がある。
もちろん田中芳樹自身の持論だ。
他にも、「救国の英雄」であるところの南宋の岳飛を処刑した現実主義者のシンカイ(字がわからん)を
やはり小説内のキャラに批判させたりと >>147
ありがとう。そういや『創竜伝』にそういう登場人物いたな。
でもあれは出兵しなくて正解だと思うが。
ちょうど昨日、明清交替の混乱期に日本に亡命してきた朱舜水の子孫が、
東大かどこかにあるご先祖のお墓に詣でた記事が出てた。
田中芳樹は、岳飛を処刑した秦檜について『海嘯』でも罵ってた記憶が。 南明の永暦帝の皇后はキリスト教徒。
なのでローマ法王庁に救援を乞う使者を派遣。
法王庁が応じてればスペイン軍が来るのかな。
明もカトリック教国になったかも。 近代以前の日本人にとって
髷を落とす「断髪」と辮髪の強要は、どっちが屈辱的だったのだろうか。
さすがに明治期の断髪令で「髷を落とさなければ死刑」というのは無かったので
明治20年代でも髷を落とさない者が多少はいた。
一方、極端な話で日本が日清戦争に負け、辮髪を強要されたりしたら… 女真族って朝鮮が見下せるほど文明度が低い国だったの?
精鋭な軍を組織したり都市や城を作れるくらいには高度な文明を持っていそうだが
蛮族という認識は実は間違いで新興の大国って感じだったの? >>152
朝鮮が小中華思想に取り憑かれて勝手に見下してただけ >>152
都市文化のない部族国家だし…
あと尿洗顔とか >>155
皇太子の中国語読みを満州人がそのまま使っただけじゃないの >>157
本名は「ヘカン」。これは同時期の朝鮮側の史料にそう書いてある。
ヘカンは即位後、ヌルハチ存命中から自分が皇太子ポジションについていたと錯覚させるために、
過去の史料の「ヘカン」も全部「ホン=タイジ」に修正させた。 日本人の耳には滑稽に聞こえる「ヌルハチ」ってどういう意味? >>152
>精鋭な軍を組織したり都市や城を作れるくらいには高度な文明を持っていそうだが
女真族の文明は明や朝鮮の度重なる攻撃や虜囚政策にあって一旦断絶していて明代には鉄器すら自分で作れない有様だったの
例えば李成桂は帰順した女真族30万人内地に移住させたと太祖実録にあるが
それから数百年後ヌルハチが女真を統一したときその人口はわずか15万に過ぎなかった
後金は新興の大国どころかいつ絶滅してもおかしくない民族がギリギリのところで再興したって感じだな >>156
後漢から三国、晋のころに現在の満州に住んでいた民族・挹婁はとんでもなく不潔だった。
竪穴式住居の真ん中にションベンを溜めた桶を置き、そのションベンで顔や手足を洗う。
冬は寒さに耐えるため、肌の上に豚の脂を数センチもの厚さに塗り付ける。
彼らの習俗を記した『後漢書』『三国志』では、「その人たち不潔」と断言している。
科挙試験を突破した朝鮮の高級官僚だから、四書五経に史記ほか中華の歴史書の内容は常識のはず。
恐らく後漢書に書かれた彼らの習慣も知った上で、その子孫の女真も見下していたんだろうか。 防寒のために油を塗るのはフランク人も同じだったな
ただ、大陸の覇者になった金王朝があったのに女真族を見下すのはさすがにちょっと酷い >>161
そいつらが南下して朝鮮人になったんだろ
満洲人はもっと北から来た別の民族 このあたりの地理的な錯覚が起きやすいのが、東アジア史にありがちな傾向ではないかと思う
上にも「李成桂は女真人30万人を朝鮮に移住させたため、満州本国の女真人は激減した」とあるのだから、
その「小便を溜めた桶で顔を洗っていた」という連中がどこの国民の祖先なのかは明らかではないか? >>166
昔の中国の記録に、「女真人は小便を溜めた桶で顔を洗う不潔な民族」とある
その後の朝鮮の記録に、「李成桂は女真人30万人を朝鮮に移住させた」とある
さらにその後の中国の記録を見れば、それによって満洲本国の女真人は激減したことが分かる
・・・これらを総合すれば、「小便を溜めた桶で顔を洗っていた民族は、南下して朝鮮人の祖先になった」ということが分かる こういうのが、東アジアの歴史には多い
高麗神社で韓国人が「日本に渡ってきた私たちの祖先」とかなんとか言ってるのが、その種の錯覚の例
高句麗(いまでいう中国東北部および北朝鮮)から日本に移民した人々は、埼玉県民の祖先だ。韓国人とは関係ない
まあ、まったく関係ないとまでは言わないが。でも、ほとんど関係ない 新羅や百済などその最たるもので、彼らは日本人や済州島民の祖先
現代の韓国人は、もっと北から南下してきた連中の子孫だ >>167
意味がよくわからないけど
その満州族を移住させた主体が朝鮮民族の祖先では? >>170
意味が分からないなら、スルーしてくれ(笑) 朝鮮の話題は、在日がすぐ感情的になるから避けた方が無難 >>165
滅んでないよ
中国北部の女真族はモンゴルに滅ぼされたあと現地民と同化したけど
満州に残ってた女真族はモンゴルに従属して海西女真として存続した
完顔氏の末裔も生き残ってのちに満州ハ旗に編入された いや高句麗人、百済人、新羅人の血を引いている割合は韓国人のほうがずっと多いだろ
新羅人に至っては直系の先祖だし
少し移民してきましたとその国の領土を丸ごと併合しましたでは規模が違う >>175
金を建国して満州から移り住んだ部族は滅んでる
あなたが書いてるように生き残ったのは満州に留まっていた部族
言うなれば出涸らし 海西女真は出涸らしというより漢民族化を拒否して故地に残った女真族
あと、八旗の中で皇帝直属の鑲黄旗に金王朝皇室の末裔の完顔氏が編入されて子孫がそこそこ出世した 元皇帝の子孫が、元家臣の子孫の配下になるのか。
直属でもあまり嬉しくないような。 >>138
徳川頼宣が自分が浪人を率いて出陣するとかなり積極的だったよね。
実現してれば猛将頼宣なら結構いい線行っただろうし、
失敗しても頼宣自身浪人を棄民するつもりもあったから浪人対策も出来ただろうし。 >>179
明皇族子孫の延恩侯とか、貴族待遇で存続許される恩情
族滅されないだけマシ ホンタイジの五人の后妃はすべてモンゴル人だった
三人はチンギス・ハーンの弟の子孫のホルチン部出身で、
あとの二人は北元の宗主チャハルのリンダン・ハーンの未亡人たち >>182
ホンタイジの母もモンゴル人だろ
そもそも、「ホンタイジ」はモンゴル語の名前 明も清も日本に攻めようとは思わなかったんだな
モンゴルが例外か 足利義満が1403年に送った使節は建文帝向けの国書とは別に燕王向けの国書も持参した。
使節は燕王即位を慶賀する国書を提出し、即位したばかりの永楽帝を大いに喜ばせた。
日本を冊封することは元朝のクビライがなし得なかったことで、永楽帝の栄光の証でもあった。 中国って歴史めっちゃ長いけど中国人からしたら明王朝時代ってつい最近みたいな感じなのかな >>182
康煕帝はお祖母さんのおかげでモンゴル語を話せた。 女真人は元朝の治世下で高度にモンゴル化し、
ついには自らの文字を忘却するにいたった
1444年には、明廷は女真の請いに応じて、
その通信に女真文字を廃してモンゴル文字を使用することになった
かくして15〜16世紀には、モンゴル語が女直の唯一の書写言語となった
1599年にヌルハチがモンゴル文字をもって女真語を綴らしめ、
満洲文語を創始したのは、こうした事情があった 10年以上前にNHKの番組に胡錦濤国家主席が出て来て「中国は一度も日本を攻めたことはありません」って言ってたの思い出した 加藤清正がオランカイの女真人と交戦してる。
女真人を統一した王がおらず、まとまってなかったが、清正軍は苦戦した。
この地を突破して明国領に侵攻するのは困難との報告を出してる。 >>193
その場合「元寇はモンゴルがしたことで、我々(漢民族)がしたことではありません」
になるのかな?
その理屈なら日清戦争も日本と中国の戦ではなく、日本と女真族の戦になるな。 「長崎清国水兵暴動事件」を忘れるな
↓
1886年(明治19年)8月1日、清国海軍の北洋艦隊のうち定遠、鎮遠、済遠、威遠の四隻の軍艦が長崎港に入港した。
8月13日、500人からなる清国水兵が日本の許可無しに勝手に上陸を開始。長崎市内をのし回り、泥酔の上、市内で暴れまわり婦女子を追いかけまわすなど乱暴狼藉の限りを尽くす。
遊廓の順番待ちに怒った水兵は暴れだし、遊郭の備品を破壊したり盗み出したりした。
逮捕された水兵を奪還しようと、日本刀などで武装した水兵が十数名で交番を取り囲んだ。交番は応援を呼び交番警棒で応戦し、襲って来た水兵達を逮捕して濱町警察署に連行した。
8月14日、長崎県知事・日下義雄と、清国領事館・蔡軒の会談で、清国側は集団での水兵の上陸を禁止し、又上陸を許すときは監督士官を付き添わすことを協定した。これを条件として、逮捕されていた清国水兵は清国側へ引き渡された。
8月15日、前日の協定に反し、午後1時頃より300名の水兵が上陸。棍棒を持つ者もあり、また、刀剣を購入する者も少なくなかった。
清国水兵数人が巡査3名の居る交番の前でわざと放尿し交番の巡査が注意すると、彼らはその巡査を袋叩きにした。300人の清国兵は3人の巡査によってたかって暴行し、1人が死亡し2名が重傷を負い重傷者の1名は翌日死亡した。
これを見ていた人力車車夫が巡査達を助けようとして、清国水兵に殴りかかった(以下略)
・・・それぞれ死傷者を出す(清国人士官1人死亡、3名負傷。清国人水兵3名死亡、50人余りが負傷。日本人側も警部3名負傷、巡査2名が死亡、16名が負傷。長崎市民も十数名が負傷)という大事件となった。 「中国が日本に攻めてくるわけがない。中国政府はそんなにバカじゃないよ」と左翼はよくいうのだが、中国の軍隊の怖さはそんなところにはない
北京にその気がなくても、末端の兵隊が勝手に暴れだすことが、あの国の歴史ではよくある
中国海軍が日本近海を横行している状況は、無条件で危険 末端の兵士が暴れたからって戦争になるかよ
19世紀じゃあるまいし >>200
なるに決まってるだろ
何を寝ぼけたこと言ってるんだ? 19世紀なら、相手が軍隊でこちらが警察でも、警棒で殴り合っていい勝負になった
でも今は無理だ。警察の手に終える相手じゃない 北京政府がしっかり統制できてるうちはいいけどな
あの国が大混乱になることなど、よくあることだろ? >>201
ならないよ
尖閣沖で民兵が襲ってきても戦争状態になってないじゃん 1994年の日清戦争において、海戦で清に圧勝した日本
その日本が、わずか8年前には、清の水兵が長崎に上陸して暴れだしたのをどうすることもできなかった
それを思えば、どれほど日本側が無警戒だったかわかるだろ。日本人の常識であの国に接するとそういうことになる 地域紛争なら起きるだろうが戦争は核兵器があるから起きない >>205
その暴れた事件でも戦争になってない件について
語るに落ちたな >>206
そこがまた、さらに問題だ
2014年のロシアによるクリミア半島占領がいい例。
欧米諸国は激怒したが、かといって、第3次世界大戦を覚悟してロシアを軍事的に追い出せるかっていったら、そんな決断は誰にもできない
台湾も同じだ。
いきなり中国軍が台湾に侵攻して占領されたとしても、既成事実を作って居座られたらどうすることもできんよ >>207
その8年後に日清戦争が起きただろ
世の中、お前みたいに性根の腐った馬鹿ばかりではない。
普通の人は怒って深刻な危機感を抱き、社会の雰囲気が一変する >>209
暴行事件が原因で日清戦争が起きたとでも?
しかも8年後に
バカも休み休み言い給え >>210
原因とまでは言わんが、遠因だよ。
あれで日本人の国防意識が大きく変化した
それまでの日本人は、いまの左翼の爺さんたちと同じで、「清国の脅威」と言われてもピンと来なかったのだ。
この事件を機に、彼らも初めて状況の厳しさを理解した >>211
末端の兵士が暴れたら戦争になるとほざいてたのはお前だが
日清戦争の原因は朝鮮の権益争いであり遂平の喧嘩では全く無い
あほを晒すのも大概にせよ >>212
バカはお前だよ(笑)
「遠因」と言ってるだろ
「直接の原因」とは言ってない 清国を脅威と認識してその大艦巨砲に対抗するために海軍を増強しまくったじゃん
影響がない訳ない
清国の実態を見て同じアジア人として連携して白人の侵略に対抗するという幻想が消えたし >>213
自分の発言に責任持とうか
201 世界@名無史さん 2021/08/30(月) 15:01:15.11 0
>>200
なるに決まってるだろ
何を寝ぼけたこと言ってるんだ? しかも何が遠因なのかさっぱりわからないしな
自分の妄想をさも史実のように騙る糖質馬鹿はうざいから消えてくれ >>215
現実に、戦闘が起きてるだろうが
長崎水兵事件では、日本側にも大勢の死傷者が出ている
あの時代だから地元の警察が戦ったが、いまなら確実に自衛隊の出番だ >>216
理解できないんなら、スッ込んでろっての
歳ばっか食ってる学生運動くずれの無能爺が(笑) >>217>>218
お前頭悪いな
そもそも水兵が日本で暴れた事件でどうして日本人が清を脅威とみなすんだ?
海軍の軍備や精強さを見せつけられたら脅威と思うのだろうに
単に紛争が起きて関係が悪化したというだけだ
そんなことまで日清戦争の遠因(笑)とこじつけるのはお前が結論ありきの妄想馬鹿だからにほかならないな 水兵が暴れたから自衛隊が出動するとか言ってる時点で法律もなにもわかってない無知確定や >>219
ただの水兵だけじゃなく鎮遠定遠始め清国主力艦の威圧外交だから脅威と見るのが当たり前
日本相手に砲艦外交もどきをやろうとしたから下っ端があんな態度だった >>221
お前の頭の中では水兵が白兵戦を行うのか
古代ローマ時代じゃあるまいし
馬鹿のきわみだな 反論出来なくなるとレス捏造して論点逸らし始める
みじめだな >>223
それって反論できなくて惨めな人格攻撃はじめた>>218のことか? 清朝が倒れた後、孫文は、南京の東北郊外の紫金山へ行き、
明の太祖の陵墓に参拝している
まもなく彼自身も、死後は同じ紫金山に遺体を安置してほしい、と側近に言った
孫文がこういうパフォーマンスをしなければならなかったことに、
中華民国という国家の実態があらわれている
民族主義とは種族的復仇の意味でしかなかったし、革命は王朝交代でしかなかった
だから袁世凱も皇帝になろうとした 現在の満州族の多くは「金」の姓を名乗ってるそうだな >>226
漢姓を金と名乗れるのは愛新覚羅の一族だけ。 >>225
孫文が作った最初の革命組織である興中会の目的は「駆除韃虜、恢復中華」だから 孫文は連俄容共がまずかった
さっさと黄埔軍官学校みたいなの作ればよかったのに
軍閥に頼って同じ失敗を繰り返してるしゴミやろ >>225
中華民国の首都を南京にしたのも、明の太祖に倣った訳か 連ソ容共しない軍閥を頼って失敗しない孫文さんとかもう孫文さんじゃないし
現代の西側先進国では到底容認されないレベルの民族主義的主張とかも含めて
そういう時代やねん 中華民国の初年度には、各省が続々と清朝からの独立を宣言し、夢の「全省独立」かと思われた
あの夢をもう一度! 中華ドラマ『走向共和』での孫文がなかなかのイカれぶりだった。
狂人スレスレまでイカれてないと革命家になれないのかもしれない。 『走向共和』で西太后や李鴻章を人間味溢れる人物に描いていて、
公式史観と異なるためか、大陸では再放送できなくなったらしい。 「俺たちは清国人なんかじゃない。支那人だ!」と言い出したのも孫文 ヌルハチは最初、後金国を明の皇帝から認めてもらえれば
それでいいという考えだったんだよな
しかし明の朝廷では、主戦論ばかりが幅を利かせ、東北のこしゃくな夷狄など、
帝国の全力をあげて粉砕してしまえという意見ばかりだった
もしあのとき明が後金を独立国として認めていれば、歴史は変わっていたのかな? 明が後金と戦うたびに明軍が負けて、窮した明の将軍達は後金に投降、
後金は漢人部隊増強して更に強大化していった
早々に後金を独立した朝貢国と認め交易で手懐けて置けば、明清交替劇なかったかも と言っても後金国が明の城塞防衛線を突破出来なかったからな
天啓帝と崇禎帝の自爆がなければ持ち堪えてた 金の姓を名乗れる満州族は愛新覚羅の一族のみということだが、
古の金王朝を立てたのは完顔部で愛新覚羅とは別系統
問題ないのか? 金王朝の完顔氏は、一説によれば高麗人を祖先に持つそうです
おかげで、金も、そして清王朝も朝鮮人による王朝、
「愛新覚羅」は「新羅を愛し、記憶する」という意味ニダ!
清はウリナラの征服王朝ニダ!なる論調があるそうです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BD%E6%99%AE 金王朝建国者の祖先は高麗に住んでた女真族か満州に居た部族というのは割と定説になってると思うけど 明で金を一番持っているのは皇帝だったが、戦争や外交などの臨時の費用は、
皇帝のポケットマネーから出ることになっていた
朝廷の大臣たちの立場からいえば、戦争のときには皇帝から軍事費を請求できるし、
戦果があがればその作戦を主唱した大臣たちは恩賞にあずかれるし、
前線の将軍たちもそれぞれ昇級する
戦争が続けば、得をする者ばかりである
そうした事情があるので、明は後金といつまでも講和にふみきれなかった 犠牲になるのは、いつも底辺の者たちである!
庶民をいたわる太祖朱元璋陛下がお怒りだ!
凌遅三千刀 滅九族! >>244
出世目当ての戦功のために戦争したがるて、
昭和時代の大日本帝国の将軍達みたい
その結果が、アメリカによる大日本帝国滅亡と日本全土占領
後金改め清に滅ぼされて全土占領された明みたい >>244
>明で金を一番持っているのは皇帝だったが、戦争や外交などの臨時の費用は、
>皇帝のポケットマネーから出ることになっていた
間違い >>247
皇帝でないとしたら、誰が金を握っていたの? 皇帝の小遣いは内庫と言って朝廷(政府)の歳入(国庫)とは別
万暦三大征に8年間で明王朝は国庫から合計一千100万両の戦費を支出したし
ヌルハチが挙兵した後の対後金戦争の戦費に500万両の特別税を徴収したが
サルフ敗戦後の満州防衛体制を立て直すのに万暦帝がやっと内庫から数十万両程度の戦費を出した >>249
ありがとう。
やっぱり万暦三大征は明にとって重荷だったんだな… 万暦帝も、ヌルハチみたいな英雄と戦ってたんだから、たいしたもんだな ヌルハチが勢力を築くことができたのは、明に銀が流入して、
経済成長が起きたからなんだよな
そのおかげで、女直人たちが住んでいる森林地帯の特産品である
高麗人参と毛皮の需要が高まり、ヌルハチたちも富を蓄積することができた 万暦帝の実績を改めて見ると個人の贅沢と息子への溺愛以外割とまともな皇帝なのに評価されず勿体ない >>242
>清はウリナラの征服王朝ニダ!なる論調があるそうです
ヌルハチの6代前の先祖である猛哥帖木耳は李朝との抗争に敗北したあと朝鮮に帰化しているのであながち間違いではないがな
猛哥帖木耳は最後まで朝鮮人として余生を送ったがその息子の董山は部族を率いるため李朝から女真に戻ることを許され
これがのちのヌルハチまで繋がるわけよ 李王朝の太祖である李成桂は、女真族だという話もあるな。 >>256
李成桂の父親は、ウルス・ブハという女直人だったとか >>257
それって初見の話だが、出典はいつごろ誰が書いた何? >>258
『中国文明の歴史』(岡田英弘、講談社現代新書) 「李成桂は満洲人」というのは、「趙匡胤は突厥沙陀族」というのと同じで、直接の証拠がない
でも、満洲と高麗の国境あたりにいる半独立勢力で、周囲の人たちが満洲人ばかりなのに、李成桂だけそうでないのは不自然 あの時代であの地域なら女真族でもモンゴル族でも華北の漢民族でもおかしくない
そこそこの有力者だったから出身部族はモンゴル帝国の中で中以上の階級に属するのは間違いないし 高麗の恭愍王は、1356年に抜き打ちのクーデターで奇バヤン・ブハとその一党を
皆殺しにし、時を移さず高麗軍を出勤させて、久しく元朝の所領だった双城
(咸鏡南道の永興)を攻め落とした
このとき双城で高麗軍に降伏し者の中にウルス・ブハという女直人がいた 実証無しか
岡田氏の著書なら、モンゴル史料あたりから引いてきた岡田氏の独自説なのかもしれないが
まあいずれにしても、三重四重の裏付け史料無しならそれまでの話だな
特にウルスってモンゴル語だよね? 満洲語固有語じゃないし、少なくとも外部から見た通称みたいな名なんじゃないかね
ブハってどういう綴りからのカタカナ転写かな 奇ってトゴンテムル帝期以来の外戚一族かね
バヤンもモンゴル語だな、富のことだから、財産持ち金持ちって意味合いだ 李成桂の義兄弟で右腕として活躍した李之蘭は、レッキとした女真族だけど、本名は豆蘭帖木児(ドラン・ティムール)っていうモンゴル語
李之蘭だけでなく有力な配下はたいてい女真族。だけど、なぜか李成桂だけは「全羅道から満州に移住した李氏の子孫」ということになっている 李成桂が祖先から受け継いだ勢力圏は、高麗と満州の境界あたりでモンゴル帝国に属し、父の代までは高麗の版図に入ったことがなかった
李成桂はモンゴル帝国を裏切って高麗についたが、高麗を裏切って南下し、これを滅ぼした
高麗への愛国心など、もちろん皆無。どう見ても満州人と見るのが自然なのだが、なぜか証拠が何もない。
「先祖は朝鮮半島南端の全羅道出身」ということになり、架空の系図も残されている 唐朝の李淵・李世民親子の話とよく似ている
唐朝の李氏も、勢力圏は隋朝と突厥の境界あたりで周囲は北族ばかりなのに、李氏だけが漢人だったと考えるのは無理がある 李成桂の42人いる開国功臣で女真族その李之蘭しかいないんだが
その李之蘭にしても5代前に移住してきた漢族で純粋な女真族じゃない
鉄嶺あたりには登州からの遺民が多くて
現地の高麗人や女真族と混血していた
李成桂の母や父方の曾祖母も漢人の移民だな >>265
双城総管府は高麗の崔坦らが元朝に投降してきた際にその諸城を元に献上してきたもので
もとは高麗の北界の一部にあたる
まぁ「愛国心」という近代の国民国家の概念が当時あったかはさておき
李成桂は配下の女真族には辮髪を切らして髷を結わせ
女真族の風習を「獣習」とよびそれを取り除くとして
その言語を禁じ強制的に内地に移住させ朝鮮族の妻を娶らせる
という民族浄化政策を行っているので
女真族にはあまりシンパシーを感じていなかったの確かだな >>271
その可能性は十分にある
というか全州李氏の伝承にズバリ中国から移住してきたというのがある
ただ女真族だけはまずない
というのも李成桂は女真族をかなり侮蔑してたから
李成桂の配下には藤九郎、彦六、林温とか日本人の倭寇もいたが
その人たちには獣呼ばわりしたり同化政策をとったりしていないから
かなり温度差がある そう言われると、そんな気がしてきたな
漢人と考えるとツジツマが合う 北魏の孝文帝のように漢民族文化に染まって積極的に同化政策を取った可能性もあるけどね 実際、漢化政策っていうか、明朝の傘下に入って明化政策をやってただろ >>273
>というのも李成桂は女真族をかなり侮蔑してたから
同族嫌悪的なものだったりして。 >>277
帰化した在日が、「俺の仲間は朝鮮人なんかじゃない!」というようなものか >>279
日本人が台湾人の首狩りをやめさせたようなもの >>280
全然違う
配下の他民族出身に要求せず女真族だけ漢化させようとしたなら
漢民族文化にハマった女真族か、朝鮮を支配するのに漢民族の方は都合がいいからそうした可能性が高い 新羅の国王も、祖先は海を渡ってきた倭人だが、後には倭と敵対するようになった 『後漢書』には中国東北部の挹婁について、
「豚を好んで飼い、その肉を食べ、皮を衣服にし、冬には豚の膏を全身に
厚さ数分も塗って寒さをしのいだ。夏には裸で一尺の布で体の前後を
掩っているのみである。人々は不潔で廁を家の中に作り、その回りに居住している」
とあるが、李成桂の時代のツングース系民族の生活というのは
どのようなものだったんだろうか
少しは文明化されていた? >>287
どう漢化したの?
李成桂は高麗の武官だが >>267
ティムールだと中世中央アジアテュルク系の名なんだが
テムルなら中世モンゴル系の名だな
そこのところどうなの
まあ意味としては事実上おなじだが(「鉄」)
てか原音カタカナ転記の出典なに 高麗王朝はモンゴル帝国大ハーンのキュレゲンとして代々公主の降嫁を受け
東アジアにおけるモンゴル支配の代理人として君臨した
高麗系の武将が北東アジアで女真族の支配を任されたのは不思議ではない >>289
ディスカッションしたいならまずレスをちゃんと読めるようになってからしようね
喧嘩したい、マウントしたいなら勝手に >>261
岡田英弘やその奥さんの宮脇淳子、モンゴル史の大家らしいんだけど、
たまに「そこまで断定して書いちゃっていいの?」と不安になることがある。 >>292
ディスカッションするために漢化とやらの定義を聞いているのだが? その当時民族名と一緒にモンゴル名を持っていたのは高麗人に一般的なことであり
モンゴル名があるから女真族とは論理の飛躍でしかない >>294
ハイ声出して読んでみて
>漢民族文化にハマった女真族か、朝鮮を支配するのに漢民族の方は都合がいいからそうした可能性が高い >>297
根拠はないじゃんと指摘済み
しかも論破とかタラコのマネするガキかよ >>298
根拠はさらに286で指摘済み
スレの流れを理解してないのはお前だったようだな間抜け
論理性のない人間はレスしないでくれ >>293
清史の研究書とか、いろいろ出ちゃいるけれど、
正直、東洋史の研究全般の中でもなぜか妙にアンチ漢のような色彩が強い言説が目立ったり、
その勢いで韓国たたきの言説までやってたりするのが、あなた本業じゃないでしょそれ、
ってところがある人たちなんだよねえ
どのカテのどのスレかは敢て書かないでおくけど、
或る清代の文学作品に関する岡田氏の書評的な文章が或るスレで引用されてて、
それに対するスレ内のレスの反応は、「書いてる内容が難癖」とか「清代が専門のはずの人が清代の基本設定を理解してない」とか
まあぼろぼろに言われてるなあ
(自分は、もっぱらそのスレについては読むだけで、自分自身では書き込んだことは無いけどね) モンゴル史の杉山正明先生とかもその傾向があるけど、
モンゴル史の研究者ってモンゴルに肩入れするせいか、漢人に辛いところがあるよね。 >>301
しかも清史の場合、単純な「牧畜民族 対 農耕民族」の正面衝突って状況ではない面があるから、もともと非常に話が複雑で、
だからこそ批判的言説そのものが狙いから外れたりすることがままあったりねえ
杉山氏はそれこそモンゴル史専門の研究者って感じだから、清史の話にはどっちかというとあまり出てこなく見えるんだけど、その点どうなんだろ >>301
アルメニア史の研究者がトルコに辛辣みたいなもん 今までの東洋史があまりに農耕民族側の視点に偏っているから、それに反論しようとすると、どうしてもそうなるだろうねえ 実際のところ東洋史は、近現代のヨーロッパとアフリカの関係史に似ている
もちろん、北方民族がヨーロッパで、漢人がアフリカ ペルシアやインドも、しょっちゅう北から遊牧民に攻め込まれているよな 史料の大半が漢語なんで漢人視点に偏る。
もはや漢語史料しか読めない研究者は時代遅れ。
満州語、モンゴル語、チベット語、ウイグル語、ロシア語等が必要。 清国って日本の琉球侵攻に関して何かリアクションしてた? >>308
そのころはまだヌルハチが部族長として女真族内の統一戦争してた。
明朝は明朝で内乱の鎮圧に忙しくて琉球にまで気を配る余裕はなかったのは。 まあ、ふつう「琉球侵攻」っていったら17世紀初頭のあれだが いや、本来は「明国は」とすべきところを、誤って「清国は」と書いてしまったのではなかろうか ヌルハチとかホンタイジのころは辺境でヒャッハーしてたのに、
北京に都を置いてからは急激に官僚機構を整えたのは、
あれやっぱり明朝の遺臣主導だよな。
そういう意味では「明清」でひとつの帝国。 歴代王朝の交代と比べても、明朝と清朝の継続性は高いと思うんだな
もちろん、違いを挙げようと思えば、いろいろ挙げられるけど。「別の国になった」というほどではないように思う >>316
明朝も後半に暗君が何人も出た割にはそれなりに続いたし、
やっぱり初期に完成した官僚機構がちゃんとしていたんかなあ。
それを真似した清朝も、皇帝は満洲族だったけど中身は実質明朝のまま。 元明の連続性は専門の研究者も認めてるんじゃなかったっけ? 政権トップが交替するだけ。
新たなトップが北京に入城する度に、
百官こぞって熱烈歓迎。
ほとんどの官僚は元の地位のまま。 >>324
弁髪にもすぐに馴染んだみたいだし、まあ民にとってはトップが誰でも変わらんのかもね。
むしろ大清帝国なんて、17〜18世紀までは民衆にとってよい政府。 辮髪になったといったって、日本も江戸時代には丁髷とか羽織袴とかが定着して
時代劇でも一目で江戸時代とわかるほど見た目に特徴あるけど、別に違う国になったわけではない
明清交代では国家の統治機構などがほとんど継承されてるのだから、室町時代と江戸時代より違いが小さいくらいだ 朱元璋があれだけ粛清したにもかかわらず明が300年近く続いた理由が分からん
皇帝独裁制って皇帝が有能なら最高だが皇帝が無能だと最悪って現代でよく語られる論調だけど明の場合は暗君だらけなのに長く続いた
結局民主制も独裁制も関係なく官僚制の優劣で国の興亡が決まるのか? 漢人向けに中華皇帝。
遊牧民向けに大ハーン。
それぞれの民族の制度や習慣を尊重するのが多民族帝国の基本。
西洋人に対しても西洋人の外交方式にすれば良かったのに中華式のにこだわった。
初期の対ロシアへは柔軟だったのに、だんだん中華式に硬直化。 今でもそうだ
外交方針がだんだん中華式に硬直化して、「傲慢だ」、「無礼だ」と諸外国に不評 大国と小国の違いはあっても建前として各国は対等
そんな西洋式の国際社会に、適応障害を起こしている 清朝がチベットやウイグルを征服したせいで、
中華人民共和国もそれを引き継いで現在のチベット・ウイグル問題にまでつながってる
宋や明などの漢人王朝なら朝貢して来れば満足で、
元朝や清朝みたいにチベット・ウイグルにまで出兵して征服はしなかっただろう(古代の漢や唐は除く)
清朝は現代の国際問題にまで影響してる >>325
勝海舟が、
「シナ人はよほど利巧だから、日本人のように、政府の事などをかれこれ
言やあしないよ。日本人は馬鹿だから、政府の事ばかり八釜しくいっているのサ」
と書いていたっけ >>324
ビザンツ帝国と似てるなあ
あれほど称えていた前皇帝が失脚するや、手のひらを返したように
悪口を言いだす節操のなさがビザンツ人にはあった >>333
日本が民主主義国になり、中国が専制支配国家の道を進んだのは、歴史の必然と言える
民主主義には、日本人やイギリス人のように細かいことにうるさく、前例の積み重ねを重視する保守的な国民性が良い
横暴な権力者が前例もなにもないことをやろうとすると、「殿、ご乱心!」となる。そういう国が民主主義の体制には向いている >>335
中国の方が前例の積み重ねを重視しないか?
科挙も歴史や経典の勉強だし外交でも古の賢人の例をよく引き合いに出す >>332
清末にヤクブ・ベクの乱を左宗棠たちの手で鎮圧できたのは大きかった。
ヤクブ・ベク政権を英国とロシアが承認し、両国からヤクブ・ベクに武器弾薬が供給されていた。
このままだとウイグルは清から完全に独立するはずだった。
にもかかわらず清が意外な強さを見せ、英露を驚愕させた。
それだけ洋務運動にかなりの効果があった。 >>334
李自成が北京に入城した時も官兵がこぞって隊列を組んで歓迎した。崇禎帝に従う者はおらず、最期まで崇禎帝に従うは宦官一人のみ。
すぐ後に満洲軍が来ると同じ官兵らがが満州軍を歓迎した。 超大国の清は19世紀になると衰退していった訳だが同じ超大国のロシア帝国は同じように衰退していかなかったの?
専制体制で産業革命に遅れたにもかかわらず、清と違い大英帝国に対抗してたのが凄い意外
茶や陶磁器、絹といった特産品を有する清と違ってロシア帝国は貧しかったはずなのに >>339
清も洋務運動で一定の立て直しができていた。
だから清からロシアに圧力をかけてイリ地方一部を奪還してる。
ロシアはオスマン帝国との戦争で手一杯なんで清に妥協してイリ条約を結んだ。この時の国境策定が現在まで影響してる。 >>336
それは、「昔は良かった」という尚古主義であり、儒教の信仰
それも、ちょっとやそっとの昔ではなく、伝説に近い大昔ほど尊ばれる
日本やイギリスのような「前例の積み重ね」というのは、そういうものではなく、
「昭和10年の最高裁判例によると・・・」とか、「しかし、昭和45年の最高裁判例では解釈が変更され・・・」とか、「平成14年の法改正により・・・」なんていう世界 >>339
ロシア帝国も、クリミア戦争で英仏に敗れて後進性を露呈した 清は、太平天国の乱でボロボロになったのが痛すぎた
「死んだ人の数からすれば、第二次世界大戦を上回る史上最大の戦争」とすら言われるほどの大規模な内戦
それでも北洋艦隊を擁し、日清戦争に敗れるまでは「眠れる獅子」と言われてた >>342
英仏も完全な勝利者とは言えない。
戦費がかさんで財政破綻し、人的損害も大きく厭戦気分が高まり、戦争継続が困難になった。 >>343
まあ冷静に考えて4000年の歴史と3億人の人口を持ち茶絹陶磁器といった高級物産を輸出しまくって大量の銀を保有する帝国が弱いなんて想像つかないからな
現代なら南北アメリカロシアヨーロッパ全域が一つの帝国だったみたいな感じか
逆に言うとこれらの今恐れられている国も蓋を開けてみれば雑魚だったということも十分有り得る 清朝は義和団の乱でトドメ刺された
八ヶ国連合軍に北京占領されて、莫大な賠償金払わされた
そりゃ、清朝倒す辛亥革命起きるってもんだ >>328
緻密な法律、周到な制度設計で500年は持ちこたえられるはず。
朱元璋さん、細かいというか妙に真面目。
永楽帝で少々、いやかなり変質してるが。 実際、北京で反乱が起きて南京政権はすぐ潰れたし(笑) >>348
建国時から洪武帝も遷都を考えていた。
当初は南京の他に開封を北京とし、さらに生まれ故郷を中都とする三都体制を目論んだ。しかし造営費用がかかり過ぎることから中止。
後に皇太子を西安地域に派遣し、視察させて、都に適してるかを検討させてる。
皇太子が早死してしまい遷都計画が頓挫してしまった。 中国の歴史を見ると長江以南に都を持つ政権は不思議と短命に終わることが多い 朱元璋は、漢の高祖とは違って名のある文人、学者を招いた
いっぽう元朝治下に不遇をかこった南人士人たちも積極的に
政権に参加し、国づくりに協力した
明の建国の当初、科挙の合格者は南人に独占された 北方騎馬民族に中原、さらに河南までまでもが征服された歴史がは何度もあるが、
南方から興った国が中華を統一したのは明くらいだな
「南船北馬」ゆえだろうか。
北方騎馬民族の機動力が、水郷地帯の船より勝るからだろうか。 渡 水 復 渡 水
看 花 還 看 花
春 風 江 上 路
不 覺 到 君 家
水を渡り また水を渡り
花を看 また花を看る
春風 江上の路
覚えずして 君が家に到る
高啓(1336-74)の詩「尋胡隠君」(隠者の胡さんを訪ねて)。
なんとも優雅な、美しい詩だ。
でも、「この詩の作者は、朱元璋によって腰斬の刑に処された」というのが頭から離れず、素直に楽しめない 腰斬って、押し切り機で胴体ザクっと斬って苦しめて殺す刑でしょ?
やっぱり太祖朱元璋陛下は文人にコンプレックスがあったんだろうか 1928年6月9日:蔣介石が中国国民党を支持基盤とする南京国民政府を樹立(首都:南京)。北京を北平と変更した 台湾では、今でも「北京」ではなく「北平」と呼んでいる
まあ、さすがに今は、昔と違って大陸との交流が盛んだから違ってきているが >>357
ウィキペディアの「腰斬刑」の項目…
オフィスで使う紙きり用の裁断機を例に出すというのが…
判りやすいのはいいが 唐文化の中心は長安だった
宋代の文化もはじめは開封におこった
杭州は急激に発展したところだが、そのもとはやはり開封文化から出た
元の末期になると蘇州に新しい文化が興り、明代文化の主流をなす
文化の中心も北から南へ移っていく すべては大運河のおかげ
国を失い悪名を引き受けた煬帝に感謝しなければ 経済の中心が南になったのは南北朝時代からだろう
北部の方は小国乱立から大国の対立など戦乱つづきだったけど
南部の方は王朝交代があったけど大きな動乱がなく避難民を受け入れて発展した 唐朝では長安、モンゴル帝国では北京が、政治・経済の中心として異常に存在感を大きくしたけどな
これらは、本来の実力からすれば辺境の地 唐が安史の乱以後、なお150年余命を保つことができたのは、
南方の穀倉地帯をなんとか中央につなぎとめることができたから
しかし9世紀後半、黄巣の乱のため、南方の穀倉地帯を失うと、
唐は滅亡するしかなかった >>352
教育水準の南北格差が大きかった。
北方は戦乱の荒廃が酷い。
南方は経済と文化が発展してた。
いかに南北統合を進めるかが洪武帝の大きな課題となった。 この頃は黄河の流れる方向が今とは違ってた
長江と合流して海に流れ込んでいた だから黄河の泥土が淮河や長江にも流れ込み、水害が余計にひどくなった。
淮河周辺にある沼地は、この時代の黄河が運んだ堆積土でせき止められてできた。 >>341
細かい指摘だけど、昭和10年には最高裁判所という名称の司法機関は日本には無いよ
当時の日本で、通常の司法裁判所の中の最上級審の裁判所は、大審院だ ある事件の判決に含まれた判断について、最高裁判所の判例がなく、大審院の判例に相反するときには、民事訴訟法では上告受理の申立て・許可抗告の対象となり、刑事訴訟法では上告申立理由となると同時に、変更されていない大審院の判決は現在においても判例とされる。
大審院が裁判の独立に果たした役割・努力は、歴史上、無視できないが、制度上の位置付けは最高裁判所に比べ低かった。
最高裁判所は、日本国憲法により、司法行政監督権・規則制定権・違憲立法審査権などの権限を与えられているが、大審院にはこれらの権限がなかった。
司法行政権は司法大臣に属しており、大審院は下級裁判所に対して司法行政上の監督権を持たなかった。 日本国憲法ではアメリカ式になり、司法権が大幅に強化された 元末明初に見られるような江南の圧倒的優位は、この地域が黄河にとっても長江にとっても唯一の「下流の三角洲」となったことが大きい
それまで二大河文明だったのが、一本化されたようなものだ 元朝末期、政府収入の租米は1350石だったが、その40%を江浙一省で占め、
元朝財政の80%をまかなう塩税についても、やはりこの一省で60%を負担していた
元朝は、中国経済の大動脈である江南地方を食い物にしていた 黄河と長江は合流したことないのにどこから電波受信したんだ? 正確には、黄河が南流して淮河に合流するようになり、その淮河から溢れ出した水が長江にまで流れ込むようになってしまったんだな 「黄河」「淮河」「洪沢湖」あたりでウィキれば、そのあたりの経緯が詳しく載ってるな。
日中戦争のさなかにも国民党軍は日本軍を阻むため、黄河南岸、現在の河南省鄭州あたりの堤防を爆破して決壊させた。
結果、日中戦争が集結するまで黄河は南に流れ、淮河から長江にまで流れ込んでいた。 近代以前の漢字文化圏の民族の男子は、みな「髷」を結っていた
髷を結うことは「漢化」なのか?
古代日本の「みずら」は後の髷とはかなり異なる
中華の影響を受ける以前のベトナム人の髪型は、短髪だともいう >>384
頭頂部を剃らないモンゴルや契丹の髪型って感じ。 日本の武士が月代を剃ったのは、兜をかぶって頭が蒸れないようにするためだという
でも契丹やモンゴルの故地は乾燥した平原
頭を剃らんでもいいように思えるがな
https://twitter.com/tessan0224/status/1373152195122581505/photo/1
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 明では、朱子学は知識人の間ではすでに16世紀後半よりすたれ、
陽明学や陸象山の学が主流となっていたため、李氏朝鮮では朱子学の
「学統」を継ぐのは自分たちだという矜持がすでに生まれていたのだとか
1579年に、明の万暦帝の誕生日祝いに北京に派遣された許篈という儒者の日記では、
中国は王陽明の「邪説が横行」する「禽獣が人に近づいた」国であり、
中華の知識人たちは「頑固で賤しい」人々であると記されている 朝鮮人の心理を理解するには、その辺りの事情が欠かせない。
朝鮮人があれほど反日で、日本を侮蔑する発言をする背景には、宗教的な対立がある
イスラム教徒が「正しい教えを信じているのは俺たちだ」と、欧米に対して屈折した優越感を持つのと同じだ。
東アジア人は全体的に現実的で宗教っぽくないので、これは見落としがちな観点 朱子は、儒者になる前は禅宗で座禅を組んでいた。スーパー知識人なので、仏教の教義については学僧よりよく知ってるくらい。道教にも詳しかった
実際のところ、朱子学は仏教や道教の影響を強く受けた、総合的な東洋思想。その意味では、儒教として純粋なものではない
伊藤仁斎はこの点を強く批判し、「論語の原点に帰れ」と唱えた。マルティン・ルターが、カトリック教会を批判して「聖書の原点に帰れ」と唱えたようなものだ。仁斎に限らず、日本で有名な儒者はこういうスタンスが多い 朱子学は、本来の儒教からすれば、「静坐して瞑想する」とか、「経典を読んで思索する」とか、そういう方面に深く傾斜している。禅宗や道教の影響だ
これに対して王陽明は行動を重視し、「知行合一・事上磨錬」を唱えた 思想の歴史にはアリガチなことだが、朱子学は、当初は反骨精神に満ちた反逆者の思想だった。
朱子は反体制で異端の知識人として南宋の朝廷から危険視され、牢屋に入れられてしまった
そんな朱子学が、後世には体制派の教え、というより旧体制そのものと化したのは皮肉 朱子学は、南宋時代の思想
夷狄の金朝に中原の地を奪われ、さらに南宋までも滅ぼされかけている。中華の正統を自認する中華の知識人にとっては我慢ならぬ不条理な状況だった
このため朱子学には、悲憤慷慨する知識人の強烈なナショナリズムが色濃く流れている
「尊皇攘夷」を唱えた幕末の日本の志士たちも、現代韓国の反日朝鮮人たちも、こういう朱子学のナショナリズムに強い影響を受けている 清朝に入ると、もはや儒教からは思想性がほとんど失われ、現代の文学部の学者がやってるような文献の研究・考証が主流になった ベトナムは、15世紀に20年にわたる明の支配から独立を回復した
明軍撤退後の1428年、ベトナムは「文献の邦」(文明国)であって
夷狄の地ではなく、地理や領域は「中国」とは異なり、
風俗も南(ベトナム)と北(中国)とでは異なる
ベトナムの諸王朝は、中国地域の諸王朝に対しても、天命を受けた
立派な帝であると主張されるようになる
この意識の確立とともに、ベトナム人は自己の勢力圏内で、
自分たちを文明人、周辺の異民族を夷狄として扱うようになった
前者を「京人」、後者を「土人」などと称した 上の方でレス書いてる人、やっぱりやっちゃってるな
陽明学で提唱されるテーゼの意味、取り違えてる >>396
モンゴル人もベトナム人も、どこか中国を見下してるところがある
中国ってのは、そういう存在なんだよなあ おそらく、「陽明学でいう知行合一とは、通常に使われるような意味ではない。それは朱子学でいう先知後行にたいする異論なのだ」という話だろう このテーマに詳しそうだから、是非とも語ってもらいたいところだ ベトナム人は中国を「北」と呼び、モンゴル人は「南」と呼ぶ
どちらも「中央の国」とは思っていない
日本人も、言われた通りに「中国」と呼ぶのを止めて、「西国」と呼んだらどうだろう? だが、日本において「西」っていったら、通常は関東から見た関西を意味するから厄介だ >>404
だったら、正しい理解を書いてくれや
今後の参考にする >>405
朱熹の理学は「格物致知誠意正心修身斉家治国平天下」を柱とする哲学であって
尊王攘夷という儒学以前の管仲が言い出した中華思想とは無関係
理気二元論も物事の法則である理と物事の存在そのものである気の関係性を問う哲学で
性即理は人間の性とは人間という存在の法則である理そのもの
窮理も格物致知を以って人間の理を極めること真理だという主張 中国や韓国の中華思想、あるいは小中華思想は、
今ではかえって発展の障害になっていると思わね? >>406
> 尊王攘夷という儒学以前の管仲が言い出した中華思想とは無関係
無関係ってことはないだろ
「資治通鑑綱目」 で華夷秩序の大義名分論が展開されている
後世への影響は非常に大きい 朱子学の大義名分論は、日本では困った問題をはらんでいた
「天皇を将軍が放伐しても良いのか?」という論点だ
清朝でも、「夷狄である満洲人が中華を支配して良いのか?」という論点が生じた >>411
>「資治通鑑綱目」 で華夷秩序の大義名分論が展開されている
だから盛大に勘違いしてると言ってるじゃん
尊王攘夷は儒学が存在しなかった時代の管仲が言い出した中華思想だから朱熹の理学とは関係ないし
「資治通鑑綱目」 は儒学の教えを基本に資治通鑑の内容をより儒教に適したものに解釈したもので理学ではない
王莽を認めないとか劉備を正統とするとか >>413
いや別に、それが理学だとは言ってないだろ
だいたい、「尊皇攘夷を唱えた幕末の志士たちは、朱子学に大きな影響を受けていた」とは言ったが、「朱子学は尊皇攘夷思想だ」と言った覚えはない
宋という時代背景が生んだ大義名分論が、海を渡り数百年を経て、いかにして幕末維新の尊皇攘夷思想へと変形していったか。これ自体が興味深いテーマだ >>410
中華思想が現代中国韓国発展の阻害要因になってる具体例をあげてみてくれ 明清帝国500年
朝鮮王国は、500年にわたって土下座を続けた
その歴史は重い だが、うわべは土下座しながらも、陰では「ウリたちは小中華ニダ。清は野蛮人ニダ」と勝ち誇っていた そして日本の金で招待された通信使一行が江戸に来て幕府の役人相手に
カビの生えた古い朱子学の講釈を垂れ流してマウント嘘取る
あまりにも不毛だったから最後は対馬で飯食わせたあと江戸に行かせず帰ってもらった 明清代の中国は、せっかくイエズス会士が西洋の文化を伝えたにもかかわらず、
それをとりいれようとはしなかった むしろイエズス会が科挙という素晴らしいメリトクラットな制度に驚愕し、まんまパクってカトリック式スパルタ神学校ができたんですね
日本にあるカトリック系進学校は受験刑務所に近いのはそのため 現代の日本では、「格物致知」とか「性即理」というような、朱子学本来の哲学的な内容がほとんど忘れられている
華夷秩序や君臣秩序が朱子学の本質であるかのように語られることが多いが、それがちょっと誤解を招いているのは事実だろう >>423
黄文雄とか台湾系の似非保守評論家がそういう説をまことしやかに広めているからね 華夷の分別や君君臣臣父父子子という身分秩序を提唱したのは孔子だから儒学の根本そのもの
元々は周王朝の衰退に伴う封建秩序の崩壊を批判した懐古主義だったけどね 日本は朱舜水を媒介として日本独特の水戸学を胚胎してしまったので尊王攘夷の文脈に偶然にも接続しただけで変数Xは朱子学じゃなくても何ら問題ないだろう
本来の朱子学の教理とは結びつかないわけだから
ちぃーとも興味深くも何でもない
意味不明の"朱子学のナショナリズム論者"の完敗です >>426
いや、それはさすがに言いすぎだ
お前は黄文雄に反発するあまり、朱子学を見誤っている お前はやはり、朱子学を知らないし理解していない
ただのアンチ黄文雄だ 朱子学を一番誤解してるのはナショナリズム論の人でしょう
朱子学も華夷秩序もちゃんと理解してないし 確かに朱子学では、経書を読んで静かに坐し宇宙と一体になる格物窮理、正心誠意が大事なんだが、それはやはり、朱子学のひとつの側面でしかない
夷狄が中華の地を蹂躙するのを見て、カーッと燃える怒り。これもまた、朱子学の外せない側面だ
こういう歴史的・世界的な思想ってのは一筋縄ではいかない。知的な面だけを見ていたのでは、背後にある熱いモノは見えてこない(笑) >>429
お前には知識はある
だが、センスが無い
こればっかりは才能の問題だな 誤解と無知から生まれた珍説をドヤ顔で披露して指摘されたら
珍説を突っ張り通すか正しい知識を吸収して変えるかで人間のレベルがわかる 朱子学は明になって官学に指定されたが、思想界の現実の動きは
それの反省ないし批判に傾いた
すなわち、主知主義ないし理想主義の弱点は、理論倒れに終わることである
つまり畳の上の水練と同じで、実効がともなわない
明代になると、理論よりもまず実践が重要視された
明初の朱子学者呉与弼は、弟子とともに田を耕し、貧苦に耐えた
さらにその系譜につらなる学者に、坐禅をまねて静坐をとりいれた陳白沙がいる
読書よりも、直接の心の反省によって行為の実践を志したのだった
このことから、不立文字を唱えて行為を重んずる禅宗への接近がなされた そういう全ての物事に対して格物致知を求める朱子学を批判して
理は心にある良知を追求すれば良いと主張したのが王陽明を始めとする心学の提唱者だけど
逆に近代の中国では朱子学にある自然科学の摂理への追求を否定して
道徳論に矮小化させた心学に対する批判が強い 近代の中国では、張横渠が「唯物論の先駆者」として高く評価された "Phisics" という西洋の学問を導入するにあたり、近代初期の日本人は、「これは朱子学でいう格物窮理のことだな」と考え、「物理学」と訳した
逆にいえば、朱子学の格物窮理というのは、それくらい科学的な思考なんだってことが分かる 南宋の儒、朱熹は、性理の論をもって異民族を下方に見た
「猿となると、形状が人間に似ているので、獣の中では最も利巧で、
言葉が喋れないだけだ。夷狄となると、人間と禽獣の中間にある。
それで結局、気質を変えることが難しいのだ」
禽獣も夷狄も人間(漢族)も、みな天理につながる理を素性として
もっているが、素質となる気に清濁がある。禽獣や夷狄は気が濁っている。
礼教によってこの濁りを晴らさねば、内なる理を澄ますことはできない。
つまり、「気質の性」を変えなければ、キタイやジュルチンやモンゴル等の
夷狄は決して中華の民になれないという。 明朝の頃は、こうした異民族への差別意識まるだしな朱子学もおさまりがよかった
清朝になると、厄介な問題が生じることとなった 「清は、野蛮人に征服された国だ」
日本でも朝鮮でも、ベトナムでもそう言われた
もちろん、中国の国内にもそういう声はあった 朝鮮の小中華思想についてだが、江戸期に日本にやってきた李朝の通信使たちは、
倭国の冠は「その形は盛り炭の容器のようだ」、「男子はみな半幅の青布でへそから
下を被っている。はなはだしいのになると隠さない」、倭国の草履は「前部に一本の
縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その姿はひどく奇怪である。足袋は
蛇の舌のようである」、「淫穢の行いはまったく禽獣と同じで、家々では必ず浴室を
設けて男女がともに裸で入浴し、白昼からたがいに狎れあう」などの、日本の風俗を
夷狄視する記述を、日本見聞記に残している。 朱子学の狂信的な信者は、モノの見方がそうなってしまうんだな 朝鮮人は、女も上半身裸が普通だった
もっとも、見た目は「土人」のイメージそのまんまで、ちっともセクシーではなかった
朝鮮通信使は、名古屋で着物姿の日本人女性たちの美しさに度肝を抜かれ、「あれが人間だろうか」と賛嘆の声を記録に書き残している 保守論客が広めた間違った朱子学を鵜呑みにして検証せずさらに拗らせたんだね
歴史板でマイ論理を発表したくてしょうがないみたいだし
華夷秩序と君臣秩序は孔子が唱えた儒学の根本そのものということを無視して朱子学ガー連呼してるけど間違ってる もし漢王朝が差別的な漢民族至上主義の儒学じゃなく墨学を官学にしたら今はだいぶ違ってたんだろうね ネトウヨってやたら朱子学を敵視するよな
日帝も朱子学を根本イデオロギーにしてたのだかな(教育勅語とか) そりゃ朝鮮人どものテイタラクを見れば「コイツらの信奉する宗教は、ドコがおかしいのか?」となるのが自然な流れだろう 朝鮮の直接統治に乗り出さざるを得なくなったのが大日本帝国の悲劇
あいつらが自立できていたらなあ 孫子は、「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」と説いたが、
清代の中国人はこの教えを活用することができなかったよな
西洋諸国や日本について知ろうともしなかった >>452
知識の吸収はしてた。
洋務運動は明治維新より早い時期に始まってたし、
その規模も日本の近代化をはるかに上回ってる。
大量の留学生を送り出してたし、
優秀な人材が生まれてた。
でも国が大き過ぎるんだよ。 李氏朝鮮の末期は人口600万、厳しい身分制度と儒教価値観のせいで鉱工業と商業を制限弾圧して
まともな産業持たず教育も遅れてた中世止まりの国家だから自立して行けるわけがない
韓国ドラマが描いたような豊かな国ならそもそも欧州列強がガッチリ利権確保に動いて
ロシアも日本も口出しする余地がなかった >>453
「国が大きすぎる」からじゃないだろ(笑)
最もカンジンな、古くさい政治体制の変革に失敗したからだ 19世紀後半日中韓3カ国が近代化に取り組んだ結果があの通りだから
やはり政治社会に対する儒教文化の影響が強いほど近代化が難しい
万物の理への探究を提唱したはずの朱子学が明王朝では博物致知から離れて精神論道徳論に退化した
朝鮮では朱子学が形而上学的に変化して他の思想や制度を廃して
国家の価値観まで全部変えた儒教原理主義国家に先鋭化した
逆に朱子学を受け入れるも伝統な価値観や宗教文化と共存させた日本が
儒教に縛られず近代化に成功した
万物の理への探究が目的の朱子理学が中韓で科学研究と逆行して宗教化したのは何故だろうね そうなんだよなあ
西洋から物理学を導入するにあたって、昔の人はそれを「これは、朱子学でいう格物窮理のことだな」と思い、物理と名付けた。
現代人よりも遥かに朱子学を知っていた昔の人がそう思ったのだから、格物窮理とはそういうものなのだろう
そんな科学的合理主義がなぜ失われ、旧体制そのものと化したのか?
思想というのはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが 現在の中国も、表面的に急速に近代化しており、近未来的な世界にすらなっている
だが、清末の洋務運動と同じで、それは表層の変化にとどまっている。肝心の、古い社会体制の変革が行われていない。
清朝と同じく、いまの中国もいずれ限界を露呈することになる >>464
清朝の寿命からして今の共産党政権はあと200年程続くと予想される
2200年頃には日本もアメリカも滅んでそうだ 「死んだ人の数からすれば、第二次世界大戦を上回る人類史上最大の戦争」とすら言われる超巨大スケールの内戦、太平天国の乱
洋務運動は、その大破局を経て始まった
清朝が滅びるまで、なんとそこから半世紀以上もかかった 洋務運動の失敗から清王朝の滅亡まで16年しかなかったけどね >>462
逆では?
東アジアは他のアジア・アフリカ地域に比べて発展している
これは儒教文化圏が優れた精神性をもつことの表れ 儒教のおかげで発展した・衰退したという言説のくだらなさ…
そんなもので世界史が説明できたら誰も苦労しないんだよ >>468
日中韓3カ国の16-20世紀までの発展を見れば儒教に純化するほど思想文化と社会体制が硬直して
進歩も変革も難しくなるのがよく分かる
元々周王朝初期の政治社会体制を理想とする思想だから、純化すればするほど社会が退化するのは当たり前 >>470
何と比較して言ってるの?
イスラム圏もインドもアフリカも大して進歩などない
科学技術の発展が急速に進んだ西ヨーロッパが特殊なだけだ それに儒教は周代の王道政治を理想としてそれを目指すこと是とするのであって
過去に戻ることを指向したわけではない 日中韓での近代化の結果は儒教の影響もそうだけどモンゴル帝国支配も関係あると思う
モンゴルに支配された中韓と支配されなかった日本
前者は文官優位の専制君主制に進み、後者は武官優位の封建制に進んだ
これはイスラム&ロシアと西欧との関係に似てる >>471
最も儒教に純化した李氏朝鮮を無視するのは良くないね
商業鉱工業を弾圧制限して厳しい身分階級制を敷いて社会は李氏朝鮮以前より退化して完全に中世に止まってたぞ
清王朝は支配者が漢民族ではないため西洋文化を受け入れる余地があったが
後半になると儒教にどっぷりハマった政治勢力が近代化に猛反対した >>457
国が大きいからなかなか体制変革できなかった。
慣性の法則だよ。 >>472
まず孔子の主張を読んだ方がいい
儒者が儒学に忠実な社会にしようと懐古政策やって悲劇を招いた例はすでに2000年近く前にあったし >>475
その理屈で、朝鮮の近代化失敗も説明できるのか? >>474
儒教が色濃く社会に根付いてるのは現代韓国も一緒だけど世界上位の経済国に発展してる
つまり儒教悪玉論は単なるこじつけであり無意味 >>476
ルターもカトリック教会を否定してイエス・キリストの時代に戻ろうと唱えたわけですが
宗教が経済社会を決定づけるなら西ヨーロッパも衰退しないとおかしいだろ? >>477
なら逆に考えれば良い
朝鮮が儒教国でなく仏教国あるいはキリスト教国なら近代化に成功したのか
そうはならんと思うがね >>473
自国の悪いことを何でもモンゴルのせいにするのは単純過ぎる。
ロシアやイスラム圏でもそう言う言説があるが、
いやぁ、あんたらが悪いんやでと言いたい。 そもそも日本だって儒教の国だし
朱子学陽明学の違いを近代化の成否の原因とするのは余りにも雑な議論だな
近代化に成功したのはロシアに対抗するイギリスの後援を大々的に受けられたからっていうのが最大の要因であり
儒教の派閥のバリエーションが与えた影響なんてのはあったとしても僅かだろう 儒教の教義のどの部分に基づいて誰がいつどのようにして商業鉱工業を弾圧したの?
李氏朝鮮以前がそれ以降より進歩していた根拠は?
四書五経のどこにも商業鉱工業を弾圧制限しろ何て書いてないし何となく
漠然としたイメージで書いてるでょょ >>479
西欧の宗教改革は啓蒙主義と同時進行だったが儒教原理主義化はむしろ社会の価値観まで巻き込んで原理主義化
儒教原理主義の問題はイスラム原理主義と同じ全て大昔に書かれた経典に
復帰させることにあるが、宗教界かはむしろ社会変革の波に乗った
この違いを意図的に問題を無視しないと主張出来ないのかね >>483
なるほど
李氏朝鮮の問題を指摘したから気に入らないんだなキミ >>484
その儒教原理主義化とやらを具体的に示してください >>479
ヨーロッパでもカトリック圏が遅れてて、プロテスタント圏が進歩的という説が長らく信じられてた。
最近になってそんなことはないとなってる。 儒教悪玉論こそ宗教がかっててこわい
教義を否定すると>>485みたいに謎のレッテル貼りをしてくる そもそも西欧型の近代化を良しとする価値観自体が現代人の幻想だよ 日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一が儒教に熱心だった次点で全然関係ないわな
朱子学全盛期の宋もコークス製鉄法が開発されたり町人文化が栄えたりしてるし 儒教を信奉してようがしていまいが
豊かな土地にある国は発展するし貧しい土地に国は貧しいままだろ
キリスト教を信じる中世ヨーロッパは世界の辺境で数百年間貧しいままだった
さらに辺境のポルトガルやスペインはそれが嫌で海に漕ぎ出した
そしたら豊かなアメリカ大陸やインド航路を発見した
宗教よりも立地や経済が発展に重要だ 朱子学では、静かに坐して経書を読み、宇宙と一体化する知識人が尊ばれる
労働を卑しむ傾向はそこから生まれた。
朝鮮貴族の文班は、顔を洗うことすら自分ではせず、召使に洗面器を持ってこさせて洗わせた。
資本主義の精神とは、まさに対極にあった
朝鮮だって、もしも狂信的な儒教国でなかったら、もっと早く近代化できただろう >>490
> 朱子学全盛期の宋もコークス製鉄法が開発されたり町人文化が栄えたりしてるし
おい、ちょっと待て
朱子学がいつの時代の思想だと思ってるんだ?
まあ、手が滑っただけで、知ってはいるんだろうけど キリスト教なんか儒教よりも商業蔑視と清貧へのこだわり凄いだろ
むしろイスラム教の方が商業に優しい
それなのにキリスト教圏で近代化が起こってイスラム圏と儒教圏で起こらなかったのは宗教とは関係ないからなのでは? 清朝というか中華帝国が近代化できなかったのは当然な気がするなあ
仮にこれから中国が超大国化して中国と同じ政治体制を整えれば国が発展するってなったとしてもアメリカなんかは絶対に中国化することは出来ないだろう
それは300年間アメリカの価値観であるキリスト教&資本主義&自由民主共和政治という理念のもとで国家を運営してきたから
それを中国がいくら強くて豊かな国になったからといって中国と同じやり方で国を運営しよう、中国化改革を行おうとしても絶対うまくいかない
清朝なんか300年どころじゃない、2000年間の中華王朝の正統継承国家という体で国家運営してたんだからいくら西洋諸国が強くて豊かな国だったからといって西洋化改革なんて出来たはずがない >>494
マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」って聞いたことない? >>494
まあ関係ないですね
思うにヨーロッパの発展は新大陸というリアルな金脈を掘り当てたということが大きく
このような幸運に恵まれたらどんな宗教・文化国でも発展するだろうと思える
イスラム圏も石油が出る国は宗教戒律を守りつつ豊かに楽しく暮らしてるわけだし >>496
ヨーロッパ人がキリスト教価値観をオナニーするための書物ね >>497
アフォか
中国はもともと、アメリカと並ぶ世界最良の地のひとつだろ >>492
まさに黄文雄思想だな
リー・クアンユーなんかはは逆に儒教文化圏の滅私奉公の徳目が資本主義と経済発展に有利だと述べているけどな >>500
儒教は別にいいんだよ
ダメなのは朱子学 >>499
産業革命が起きる前は中国は世界一の大国
産業革命が生じた要因は新大陸発見を通じて構築された世界交易の拠点として金融資本が蓄積されたから >>501
朱子学を重視した朝鮮の後裔である韓国が発展している時点でその説は現実と矛盾してる空論 >>503
発展したのは、日本の統治により社会が近代化してからのこと >>502
メキシコの銀は明国に流入し、蓄積されていた >>504
お前の説だと日本の統治が終わってから衰退しつづけるはずだけど? >>506
実際、日本から分離独立した後はメチャクチャに衰退して、エチオピア並みの最貧国に転落した
再び韓国の発展が始まったのは、日本陸軍出身の朴正熙大統領の英断により、日韓国交正常化してから
日本の全面的な援助と協力により、韓国は大きく発展した 大日本帝国が崩壊したときの韓国は、ローマ帝国が崩壊したときのブリテン島の状況にも似て、
一挙に文明が衰退して未開国に戻った観すらあった >>507
衰退したのは朝鮮戦争があったからだし
もともと韓国は日本統治時代から農業主体で大して発達してなかった
そして韓国が発展したのは西側の最前線として日米が強力に支援したから
国民の文化にはその間朱子学的な儒教文化がずっと残っているし
現代韓国でもそれは同じ
結局明治維新と同じで外国の投資を呼び込んで発展したということであって
儒教がどうのはほぼ関係がないな 儒教悪玉論者は黄文雄の与太本ばかり読んでないで
まともに経済史とか勉強しろよ
適当なことしか言ってねえじゃん 反儒カルトが教義に凝り固まって他の知見を受け入れようとしないのは
こいつ自身が攻撃してる儒教原理主義と何が違うの? >>492
朱子学に労働を卑しむ風習はないが
というかそれは仏教だろう
「小人閑居して不善を為す」というのが朱子学のテーゼで
人間というのは働いているのが真っ当な姿で仏僧はそれをせんからダメなんだ
と朱子は言っている
その批判にこたえて宋代の仏教から出来たのが「作務」ね
それ以前の坊さんは掃除洗濯も全て人にやらしていた >>512
> 「小人閑居して不善を為す」というのが朱子学のテーゼで
> 人間というのは働いているのが真っ当な姿で仏僧はそれをせんからダメなんだ
> と朱子は言っている
それは、まったくの誤解
「小人閑居して不善を為す」というのは、「シモジモの者たちは放っとくとロクなことしないから、しっかりと見張っておかなければいけない」という意味
これを「ヒマな人はロクなことをしないから、しっかり働け」という勤労精神に変えたのは、日本人的な読み替えだ 儒教がどうのとかより
真面目に清朝が近代化するために必要なことを考えたほうが面白い
まず大清帝国憲法の発布かな 列強の草刈場としてターゲットにされた時点で
その未来はないんだよなあ >>516
「日本は、江戸幕府のままで近代化できたか?」と同じで壮大な歴史if まずは、プロイセン王国をモデルとする立憲君主制だな >>513
凡そ日本人の男たちは、堕落的であり彼らをシナ人の農夫のように勤勉と見なすわけにはいかない。
byジョアン・ロドリゲス
日本国の婦人たちは貞淑で礼儀正しいと評判であるが、その一方でこの国の男たちは傲慢無礼で怠け者ぞろいであり
賭け事に熱中しては資産を使い果たし、妻子を売りとばす破目になることも、彼らの間ではよく見られることである。
byアビラ・ヒロン >>522
それとこれとは別の問題だろ(笑)
根本的に、哲学とか思想の話に向いてないな 江戸時代および明治時代に入っても
日本人は時間にルーズだった
それでは軍隊行動が取れないので
徴兵訓練や学校教育によって時間を守る特訓を施された
日本人が働きものだというのも近代以降に作られたイメージに過ぎない 「小人閑居して不善をなす」というのは、本来は「シモジモの者たちは放っとくとロクなことをしないから、しっかりと見張っておけ」という主旨だった
それが、江戸時代の日本で「ヒマな人はロクなことをしないから、しっかり働け」と解釈されるようになった
労働を卑しむ教えだった儒教が、こうした解釈変更により、勤勉思想に転換された
これと同様に、死後に救済されることを目指す教えだったキリスト教も、ドイツやフランスでなぜか勤勉の思想へと転換された。
資本主義の黎明期に、洋の東西でこうしたことが起きた 禁欲的プロテスタンティズムの教義に基づくカルヴィニズムは、予定説を信仰していました。
予定説とは、
神によって救済される人とされない人はあらかじめ決定されているという考え
です。
カルヴァン派の信徒は、自分が神に救済される対象である確信を掴むために、神に与えられた「天職」に励むことを求められました。
神から与えられた天職に真面目に励むことで神から救われる確信を得ようとしていました。
マックス・ウェーバーは、カルヴィニズムによる意図せざる結果として、資本主義の発達が起こったと考えました。 ウェーバーは、カルヴィニズムがもたらした資本主義の精神の特徴を2つ挙げました。
1つ目の特徴は、禁欲的職業労働です。
カルヴィニズムの信徒は神に救われる確信を得るため、労働に励みました。
勤勉でなかったり、労働に対する意欲がないというのは救われていない証拠であるということになります。
堕落や娯楽といった時間の浪費は罪であるという意識が常識となりました。
2つ目の特徴は、利益・富の追求です。
ここで、資本主義の根本原理である利益追求が登場します。
これは、個人の娯楽や豊かな暮らしのための利益追求ではありません。
あくまで、売り上げた収益を再投資することで生産性を向上したり、設備を充実させることが目的でなければなりません。
中世のヨーロッパでは高利貸しが禁止されていたり、暴利が取り締まられていました。
しかし、神に救われるための勤勉な労働のために利益追求は、救われるための正しい行為として認識されるようになりました。
その収益を労働に投資することで、より効率的な労働が可能になり、神に救われるという確信を深めることができました。
資本主義の精神の浸透によって、伝統主義的な考えは淘汰されていきました。
ウェーバーはこのようにして、資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理の関係性を解明しました。 15世紀後半の時点で、明国の長江下流地域が、世界で最も経済的に繁栄した地域だったことは、まず疑う余地がない
それに比べて西欧は、貧しい地域だった。フィレンツェやヴェネチアといった北イタリアの都市や、フランドル地方は発展していたが、スケールでは江南に見劣りする
なぜ、資本主義は明ではなく西欧に発生したのか。その違いはなんといっても、「資本主義の精神」の有無にあった 明朝の労働者が、十分な賃金を得て生活水準を向上させたら、どうするだろうか
「働くのは、もうこんなもんでいいや。これからは余暇を楽しむ。美味しいものを食べてノンビリしよう」ということになるだろう
明朝の資本家が、十分な利益を得て事業が軌道に乗ったら、どうするだろうか
「働くのはのは、もうこんなもんでいいや。これからはシモジモの者たちを働かせて、自分は儒教の経典でも読もう」ということになるだろう
こういうのが、「資本主義の精神」と対比される「伝統主義の精神」だ これに対して、西欧の資本主義者だったら、そうは考えない。
資本主義国の労働者が、十分な賃金を得て生活水準を向上させたら、どうするか。
「余った時間を使って、もっと働く」というのが答えだ
資本主義国の資本家が、十分な利益を得て事業が軌道に乗ったら、どうするか。
「儲かったカネを再投資して、もっと事業を拡大して働く」というのが答えだ
再投資したら、ますます儲かる。そのますます儲かったカネをどうするか。
「もっともっと再投資して、ますます働く」。
こうならないと、真の資本主義者とは言えない 15世紀後半の明朝、とくに長江下流地域の高度経済成長は、世界経済史上の驚異のひとつとされている
現代でいう「工場」の原型といえるものも現れた
「あそこまで行ったのに、なんで産業革命が起きなかったのか?」は、経済史学で盛んに議論されている。
それに対するマックス・ウェーバー的な回答が、上に挙げたような話になる アンドレ・グンダー・フランクの『リオリエント』では
西欧が発展できたのはプロテスタント倫理とは関係なく、人口増加で必要な資源を容易に入手できたからとしてたような。
一方、明清は人口増での資源枯渇を解決できなかったということだったと思う。
細かい内容は忘れたが。 >>530
連レスしてるところ悪いけど
精神性の問題じゃなくて結局は金融資本の蓄積があったかどうかなんだわ
いくら働く気があろうが儲けたい気持ちがあろうが
商売には元手が必要であり
金融家や大資本から出資や借入を出来なければ急速な規模拡大はできない
ヨーロッパで近代的な資本主義が発達したのはスペイン・オランダをはじめ世界交易でヨーロッパに世界中の富を集積する仕組みができたからであり
プロテスタントの利潤追求精神というのはこういう社会・経済の推移のなかで
自らの金稼ぎを正当化するために形成された思考・発想であって
プロテスタントだから金稼ぎができたというのはまるっきり順序が逆なんだよ
金をうまく稼げたからそれを正当化するように宗教思考も変化したというのが正しい >>533
> ヨーロッパで近代的な資本主義が発達したのはスペイン・オランダをはじめ世界交易でヨーロッパに世界中の富を集積する仕組みができたからであり
言いたいことは分かるんだけど、モンゴル帝国の時代の北京なんか、もっと世界中の富が集まってたんだよなあ。まさに世界の一極だった
西でも、コンスタンティノープルとか、カイロとかバグダッドとか、世界的な交易と金融の中心地でも資本主義が勃興することはなかった >>533
> 精神性の問題じゃなくて結局は金融資本の蓄積があったかどうかなんだわ
上のマックス・ウェーバーの話は、
「なぜ、ほかの時代や地域ではどんなに経済が発展しても金融資本の蓄積がなされなかったのに、近世のアルプス以北のヨーロッパでは金融資本が蓄積されたのか?」
という、世界経済史上のナゾを解明する理論 昭和の「知の巨人」・小室直樹が、このマックスウェーバー理論の信奉者だった
「もしもフランク王国のカール・マルテルがサラセン帝国を撃退できず、ヨーロッパがイスラム化されていたとしたら、資本主義経済は発生しなかったであろう」
と、小室直樹は述べている >>534
モンゴル帝国は世界化、グローバル経済の端緒。 >>1
戦争・武力衝突
ここでは、高い推定値による死者数が10万人以上となる全ての戦争について一覧を載せる。これには軍人と民間人の両方の死者数が含まれる。直接、戦争によって死亡しただけでなく、それによって引き起こされた戦闘、病気、飢餓、虐殺、自殺、ジェノサイドによる死者も含む。
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人の死者、6年間と1日
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人の死者、199年間
■明清交替、2500万人の死者、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人の死者、8年間
■安史の乱、1300万人-3600万人、8年
■第一次世界大戦、1750万人-4000万人、4年3ヶ月1週
■太平天国の乱、1000万人の死者 14年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■レコンキスタ、700万人、781年間
■ロシア内戦、500万-900万人、5年間
■三十年戦争、300万-1150万人[信頼性要検証]、30年間
■デカン戦争、560万人、27年間
■黄巾の乱、300万-700万人、22年間
■秦の統一戦争、200万人、9年間
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人の死者、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
■第二次コンゴ戦争(1998)、380万人-540万人
■第一次コンゴ戦争におけるフツ難民の虐殺、20万人-22万人
■コンゴ自由国における残虐、300万人-1300万人
※拡散は歓迎だぞ >>1
強制労働・奴隷貿易
ここでは、労働条件の悪さによる死亡、労働能力を十分に発揮できなかったことによる死刑、輸送中や職場での労働者の不当な扱いによる死亡について一覧を載せる。
■労働改造制度、1500万人-2700万人
■アラブ人の奴隷貿易、754万人-7000万人
■オスマン帝国における奴隷制、1050万人-1125万人
■グラグ制度、105万-600万人
■北朝鮮における強制労働、40万-150万人
■アシエンダ制における奴隷労働、17.3万-201万人(1900-1920)
■大日本帝国による朝鮮人の強制労働、27万-81万人
■バルバリア奴隷貿易、24.5万-38万人
死者数による政治的指導者一覧
ここでは、特定の政治指導者が原因となった死者数を載せる。死亡者は国策による国内の状況と、問題の指導者に対して忠実な軍隊による積極的な殺害の両方に起因している。
■毛沢東、1359万-7000万人
■チンギス・カン等、2000万人-4000万人
■アドルフ・ヒトラー、1351万人-2549万人
■蒋介石、596万人-1852万人
■ヨシフ・スターリン、330万人-1500万人
■昭和天皇、300万人-1400万人
■レオポルド2世、300万人-1300万人(コンゴ)
■ポル・ポト、138万人-340万人
■青年トルコ人(オスマントルコ帝国)、148万人-281万人
■オマル・アル=バシール、106万人-253万人
■金日成等、71万人-350万人
※拡散は歓迎だぞ >>1
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人、199年間
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人、6年間と1日
■明清交替、2500万人、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人、8年間
■太平天国の乱、1000万人、14年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
戦争犯罪・虐殺
■第二次世界大戦、2900万-3050万人の死者
■日本の戦争犯罪、300万人-1400万人の死者
■三光作戦、270万人以上の死者
■国共内戦、180万人-350万人の死者
■マラーター王国のベンガル侵攻における戦争犯罪、40万人
■米比戦争、20万-25万人
■マニラ大虐殺、10万-50万人
■南京事件、1.3万-40万人
病気・飢餓
■中華人民共和国大飢饉、1150万人-5500万人の死者
■第二次世界大戦による病気と飢饉、1900万人-2800万人の死者
■大日本帝国による飢饉と病気、813万人-1493万人の死者
■日中戦争による飢餓と病気、500万人-1000万人の死者
※拡散は歓迎だぞ >>534
アメリカ大陸発見前でしょ。
新大陸からの莫大な金銀等の資源収奪や広大な土地利用が世界経済に与えた影響はまさしく甚大
しかもこれが一気にヨーロッパに流れ込んだのだからね
この事件性を正しく評価しないと >>535
>なぜ、ほかの時代や地域ではどんなに経済が発展しても
新大陸の莫大な富が一気に西ヨーロッパ人の懐に収まるような大事件が空前絶後だったから
それまでの経済発展は所詮ローカルな経済圏のことであり
地場の商店が地道にじぶんの商売でコツコツ金を貯めてたようなものだ
新大陸の発見はベンチャー企業がいきなり投資家から莫大な金を与えられたようなインパクトがあった 金を稼いで成功した人間が
それまでのみずからの努力や環境を正当化したがるのと同じように
ヨーロッパ人も世界に先んじて発展を遂げ覇者となったので
その理由をキリスト教プロテスタンティズムやギリシャ哲学以来の合理的思考に求めた
また日本人も陽明学や神仏習合などの日本特有の思想が近代化成功の要因と捉えることが多い
はっきりいって全てこじつけのレベルだ
本当はいかに効率的に金を外部から調達できたかどうかの違いに過ぎないのに
ヨーロッパ…新大陸から資金を調達
日本…イギリスから資金を調達 >>542
確かにそれもあるとは思うんだけど、産業革命はポルトガルやスペインで起きたわけではなく、もっと北の方で起きてるんだよなあ
ドイツやスイスは、海外植民地を持ってないよ
南欧人は新大陸の富を得たが、大喜びでそれを費消してしまい、産業資本の蓄積にはつながらなかったとされている それに、スペイン人が中南米で発見した貴金属は、「その多くが明清帝国に流入した」と言われてるんで
とくにメキシコ銀は、「その多くが明朝の銀貨になり、ヨーロッパよりむしろ中国で価格革命を引き起こした」とされているくらいだ スペイン人やポルトガル人は、中南米の銀を明に輸出して、明から陶磁器や絹織物、茶葉などを輸入していた >>544
ポルトガルは王位継承問題からスペインに併合された
さらにスペインはオランダとの間に独立戦争を抱えていた
金融立国として最初に覇権を握ったのはこのオランダであり
世界初の株式会社もオランダ東インド会社だ
オランダは国土が狭小であり金融と貿易により国家を振興させる方針を取った
さらにイギリスもこの方法を踏襲した
宗教以前にヨーロッパに富が流れ込んだことや
さらにヨーロッパ内での抗争、立地や国策といった要素がもっとも重要だ
宗教思想は後付に過ぎない >>545>>546
経済の原則をわかってないね
新大陸の莫大な金銀を、まさにヨーロッパは仕入の元手にできたから
そのように中国の産品を輸入できる立場になったんだよ
さらにその産品に利益をくっつけて他に売る交易の元締めになったから
さらに金が儲かるようになったわけだ
そしてその富はすべてヨーロッパに還流しさらなる投資を生むというわけだ 稼いだ金をどこかで使ったとしても
在庫に利益をのせて販売すれば純資産はどんどん拡大していくし
金を他人の事業に貸付けたり株として出資することで
利回りを確保しつつさらに事業規模は拡大できる
このような図式はお小遣い帳的・単式簿記的な発想では理解できないだろう 資本主義は「主義」というだけあって、一種の思想だ
自然状態ではない まあ、「なぜ中国では産業革命が起きなかったか?」の話は、中国がこれほど経済発展した現在ではインパクトが薄れてるけどな
昭和時代には、もっと真剣に議論されていた 結局のところ明清は歴代の王朝の興亡パターンの繰り返しに見える。
王朝成立当初は発展するものの
最盛期を過ぎれば落ちていく。
そこに賢君も暗君も関係ない。
景気循環みたいなものでどうすることもできない。 >>549
明末清初に登場した龍門帳が複式簿記らしい。 中国の場合は資本を再投資してさらに利益を得るよりも、その資本を一族の優秀な人間に投資して科挙に合格させて賄賂で儲けた方が得だったからだろう
金儲けしまくるよりも一族から科挙合格者を出した方が名誉も権力も高まるし そのような側面はあるかもね
ヨーロッパの場合、政治権力は貴族や君主との個人的つながりのある者が独占しており
科挙のような登用制度はずっと後になるまでなかった
金持ちになって君主とのつながりを持つことが権力や名誉につながった >>545
海外貿易の最大の受益者なのに
海外貿易に無関心な内向き帝国。 国益よりも、自分たちの国内権力維持を優先するのが明朝の朝廷の困ったところだ
北京から見れば、広東省や福建省など遠い南のハテにすぎない。
そんなところが貿易で国力増大して、コントロールできない勢力になるのは困る。
それに比べたら、海外貿易による国益が失われることなど、優先順位の低いテーマ
日本の江戸幕府も同じだが その点、ポルトガルやスペインは伸び伸びとやれて良かった 最近の中国政府は、また経済力を北京に一極集中させ、南部の諸省を抑えこもうとしている
まず手始めに香港という、金の卵を産むニワトリの首を絞めた でも、中央が強くて地方が弱く、国内権力が盤石の体制なら、内戦が起きないので国民も安心だ
どっちが良いのかは微妙だろう 薩摩藩支配下でありながら朝貢する琉球王国の両属体制。 >>560
北京証券取引所を作ろうとしてるよな
作ればいいという訳じゃないのに 前にも「天津金融センター構想」が挫折し、建設中止で野ざらしとなったビル群の廃墟が残っている
どういうわけか、中国共産党は「金融センターを、香港・上海から北京・天津に移す」ということに、強烈な持続する意志を燃やし続けているようだ 北京は、歴史的な成り行きで首都になってるだけで地理的にはド辺境
本当は、上海を首都にした方がよほど収まりがいい
清の時代にはモンゴルや満洲との結節点として外せない要衝だったが、もうそんな役割はとっくに終えている >>558
中世には細川氏や大内氏が明との貿易を行っていたが、
室町幕府はなんとも思っていなかったのだろうか? 経済の中心が仮想敵の大規模軍事基地の目の前だから嫌だろう >>567
室町幕府としては面白くなかっただろうが、かれらをコントロールする力がなかったのだから仕方ない 室町幕府に力がなかったおかげで、堺や博多はのびのびと海外貿易に乗り出した
イエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。
ルイス・フロイスもまた、マラッカの司令官宛に「堺は日本の最も富める湊にして国内の金銀の大部分が集まるところなり」と報告、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している
残念ながら鎖国政策のせいで衰退した上に、大和川の土砂が堆積して港が使いものにならなくなってしまったが いまの堺は、仁徳天皇陵くらいしか見どころがなくなってしまった >>558
オランダはスペイン帝国から独立してしまったが、
もし広東省や福建省が独立国になっていたら面白かっただろうな >>572
東南アジアに進出するには、圧倒的に有利な位置にあるからねえ
福建省はポルトガルより大きく、広東省はスペインより大きな国 中国を南北に分ける山脈が存在していたら、あの国の歴史は変わっていたかも 北京は乾燥地帯だから、多大な人口を養うには不向きなんだな
むしろ水の豊かな江南のほうがよろしい >>572
仮に独立しても北方の騎馬軍団がすぐに制圧しに来るだろう
広東帝国も福建帝国も大陸にある以上は陸軍力が物を言うから海軍力を高める方向にはいかない
いくら海軍を増強しようと陸から攻められて本国を壊滅させられたら意味ないからな イギリスは島国だし、イタリアもスペインも半島で、半島の付け根が険しい山脈で区切られているからな
中国大陸の地形では、各地がずっと独立を維持するのは難しいな 日本も、九州がもうちょい本州から離れていたら、九州がオランダみたいになれたかもしれん >>578
そう考えるとオランダって凄くない?
九州どころか完全に大陸の一部だもんね
フランスかドイツの一部になるのが自然だけど
まるで福建や広東が独立維持してるみたいに
すごい歴史がある フランスの大軍撃退してるし >>565
一体北京閥の執念はどこにあるのか?謎だ
東南アジアの経済を支配する華僑は福建出身が多い
本当は漢族VS東南アジア系じゃなくて
河北閥VS福建閥の争いじゃあるまいね >>579
イギリスが、低地諸国を自国に対する緩衝地帯としておいておきたかったから >>580
広東系や客家系も多いよ
たとえばシンガポールの政治家一族で有名な李家も客家系だし >>582
東南アジアで広東系は福建系に次いで多いのでしたね
海外に出る中国人でその次に多いのが浙江省とか
客家も漢族世界では凄く重要ですね なんとなくだけど
唐在日本
宋在越南
元在蒙古
明在韓国 と来てその次は
清在ASEAN のようにも見える >>585
清在越南 とはよく言われるけど
アオザイは満洲服をアレンジしたものだし、妙に清代の文化から影響を受けている >>581
イギリスの勢力均衡策は、ヨーロッパ大陸が統一されなかった大きな原因のひとつだな イギリスとロシア、この二国が存在しなかったら欧州は統一されていたかもしれない 中国の歴代王朝はいつも、北方民族同士を争わせようとして失敗する
中華の陰謀工作で争わされた北方民族は、勝ったほうが巨大化して手に負えない存在になってしまう >>591
チベット仏教で教化されて以来のモンゴル人って、すっかりおとなしくなった気がする。 >>594
清やASEANの機関が、
版図内または加盟国や各民族ごとに、住み分けや自治の強さを保障しつつ、
地域全体として一定程度以上の政治的一体性・方向性を指し示す体系として活動するところとか
清の版図内での旗人社会と、ASEAN加盟国内での華人社会の位置付けが、
歴史的に本来は外来集団であったはずの比較的小規模な集団が、その地域全体の歴史の中で相当に支配的な立場になったところとか
時代背景としても、東南アジア、特にマレー半島周辺の華人の人口が急拡大したのは、清末の19世紀だというし
例えばそういったところかな
特に、戦略的要衝地でもあるシンガポールの歴史とかは、清の版図の重要拠点に設置された、旗人の集住地である駐防を思わせる >>594
それから、タイの場合、17世紀のアユタヤ朝末期頃から華人が増加し、政治的な力も強くなっていった
アユタヤ朝から替わったトンブリー朝は、一代限りの王朝だったけど、国王自身の両親が華人1世だったし、
トンブリー朝から替わったチャクリー朝も、初代国王の母親が華人だった タイやマレーシアを見ても、「インドに似ているな」としか思わないが >>595
> 特に、戦略的要衝地でもあるシンガポールの歴史とかは、清の版図の重要拠点に設置された、旗人の集住地である駐防を思わせる
大英帝国の重要拠点 東南アジアの華人は経済を主導してるけど政治的に弱者の方だぞ
華人が国の運営するのは華人が建てたシンガポールだけ >>597
見方を変えれば、そのあたりも清の様相に似ている
旗人文化がもともとは満洲系(が大半)の独自性を持っていながらも漢人文化に同化されていったように、
東南アジアの華人社会は、現在住んでいる各国の文化への同化もかなり進行している >>599
その点、タイはどうだろうか
華人系が非常に多い国ではあるけど、当事者自身はタイ人としてのアイデンティティがより強いことが一般的というし 中国系住民を追い出したのは韓国・ベトナム・インドネシア 東南アジアの華人は出稼ぎ労働者か移民がルーツだから支配者として君臨してた旗人とは全然違うと思う
共通してるのは社会のマイノリティなだけ 「各国の社会に同化した」っていうけど、ベトナムとインドネシアは国策として中国系住民を迫害し、国外追放を進めた(東南アジアじゃないけど、ついでに韓国も)
カンボジアでは、現地人とともに下放・粛清の対象となり、中国系社会は大きな打撃を受けた
わりと順調なのは、タイ・マレーシア・シンガポールの3国 マレーシアはマレー人優遇だしイスラム教国だし、華僑もあまり同化されてない マレーシアからハブられた華人が作った国がシンガポール >>599
コラソン・アキノ、テイン・セイン、ネ・ウィン、タクシン・チナワットとか知らないの?
>>602
インドネシアは財閥上位30までほとんど華僑資本が占めるという国で華僑追出しら経済が崩壊するんだが
ベトナムは社会主義だったこと韓国はもとから華僑がそれほどいなかったことが大きいな >>609
時々兵糧攻めをチラつかせるよな
オレが水供給を止めたらどうなるかわかってんだろう的な >>610
> >>599
> コラソン・アキノ、テイン・セイン、ネ・ウィン、タクシン・チナワットとか知らないの?
コラソン・アキノを除けば、「何代か前の祖先には中国からの移民もいた」というレベルだな
コラソン・アキノが首相になったのは、ベニグノ・アキノの妻だったおかげ >>610
> インドネシアは財閥上位30までほとんど華僑資本が占めるという国で華僑追出しら経済が崩壊するんだが
人口比率では3%しかいない。
国を挙げて追い出してきた結果、タイやマレーシアに比べてずっと少なくなった インドネシアの華僑迫害は、多くの悲劇を生んだ
華僑資本が経済を牛耳っているが、華僑の立場は安心とは言えない >>605
ほかの人も書いてるけど、フィリピンも古くから華人社会が定着してる国だよ
それこそ、このスレならではの明清以来だそうな、福建系が多いそうで
人口比率としては少なめに見えるけど、他の民族系と婚姻した家系も多いし、
絶対数そのものがかなり多いので、福建語を主軸に漢語を使える人も約百万人はいるらしい
ここもやはり財界の大立者には華人系の人が多いそうな 1965年9月30日に始まる華僑大虐殺は「930事件」と呼ばれ、犠牲者は数十万人とされる
1998年にも反華僑暴動が起こり、千人以上の犠牲者を出した
人口比率では絶対的少数派なのに、経済力が突出しており、常に民衆の嫉妬と反感にさらされている タイは3代遡って華人がいない家はない
と言うぐらいだし遺伝子レベルで華僑汚染されているでしょ タイでは、政府が強力な華僑同化政策を取り、多くの華僑が中国語や中国文化を放棄させられた
タクシン元首相のチナワット家も、このときに華僑らしさを失ったと言われている >>611
その一方、シンガポールって知る人ぞ知る軍事大国だってね
海上交通の要の地だから、それは同時に軍事的拠点になりやすいということでもあり、
また同時に、いろんな意味で他国からも目を付けられやすい土地でもあるわけだから、気が抜けないわけだ
もともとそういう土地柄であるうえに華人社会ならではの強力なコネクションを生かした情報収集能力も世界随一
男性には2年間の兵役もあって、しかも進学以外での延期は認められていない厳格な規定
そして何といっても、東南アジア最強級の空軍力を保有する国が、実はシンガポールなんだよな そりゃそうだ
都市国家だけど、シンガポールの国力はケタ違い 1970年代には、ベトナムを舟で脱出する「ボートピープル」が話題になったが、実際のところ、
そのかなりの部分は中国人街から追い出された華僑だった 1975年以前に南部に居住する華人120万人のうち、110万人はサイゴンに在住し、さらにそのうち70万人は中華街チョロン在住であった。
中越戦争期には華人が大量に難民として出国したため、チョロンの華人人口は1975年70万人から1978年には10万人にまで激減した。
当時、香港、マカオの難民収容所の7割は、中国系ベトナム人であった。1978年、オーストラリアのマッケラー移民相は、
ベトナム当局が社会事業の一環として国内の華僑人口を減らすため難民の大量流出を助長している証拠は十分に揃っているとしてベトナムを非難した。
ベトナム全体では1975年以前に南北で145万人の華人が在住していたが、そのうち111万1000人が海外に移住し、26万人は中国に帰国したため、在ベトナムの華人人口は、1975年145万人から1987年28.5万人にまで減少している。 ベトナム戦争後、アメリカとの関係改善を進めるケ小平は、突如としてベトナムに侵攻した
戦争の結果は中国の完敗だったが、その犠牲者がベトナム難民のボートピープルだ。
ベトナムから追い出された中国人は、100万人を超える。大変な悲劇だった そも、明は海禁政策を採っていたから、移民はほぼ密航のような状態だったけど、
清の頃には海外渡航が緩和されてるんだよな
これってやっぱり、特に華中・家中の農業インフラの整備とか、
大航海時代に伴う米大陸原産作物の導入とかによる、
清代の人口増とも関わりがあるっていうことなのかな
エマニュエル・トッドじゃないけど、清代の漢人の相続方式ってどんなんだったっけ
小作農家の次男坊・三男坊が、移民として東南アジアに移っていったんだろうかね
福建とかは、見るからに山がちで平地の農地確保に限界がある、しかしその一方で、中世以来海上交通が開けてる土地柄だし >>625
> そも、明は海禁政策を採っていたから、移民はほぼ密航のような状態だったけど、
> 清の頃には海外渡航が緩和されてるんだよな
それについては、何度も振子のように揺れ動いているので一概には言えない
清朝は、当初は鄭氏台湾の封じ込め政策もあって厳しい海禁政策を取っていたが、康熙帝のときに海禁を緩めた
しかし、乾隆帝のとき、インドネシアで史上初の反華僑暴動が起きて華僑が大虐殺された衝撃もあり、再び海外移民は厳しく制限されることになった
太平天国の乱の後は、また海外移民が盛んになった。そもそも、この時期になると既に清朝の統制力は失われてた >>611
滋賀県人の言う「琵琶湖の水止めたろか!」みたいなもんか。
もっとも琵琶湖の水利権は京都府にあるらしいから、滋賀県でどうこうできる話ではないが >>625
>そも、明は海禁政策を採っていたから、移民はほぼ密航のような状態だったけど、
いやいや明は計画的に東南海諸国に移民団を送り込んでいるけど
沖縄に渡来した閩人三十六姓もその一つね >>629
強いていうと明代じゃない?
琉装だと男子は団子状の髷を結ってジーファー(簪)さしてバンダナを頭に巻くけど
これは明代の漢服から来ている >>631
久米三十六姓(閩人三十六姓)って、人数としてはさほど多くなかったんじゃなかったっけ
技術指導の専門家が派遣されてきたという感じに近かったんでは もし中国が東南アジアを植民地にしたとしても、
ただ収奪するだけだったんじゃないかな
あまり建設的なことはできなさそう お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ >>634
> もし中国が東南アジアを植民地にしたとしても、
> ただ収奪するだけだったんじゃないかな
> あまり建設的なことはできなさそう
実際には、中国の進出はかなり進出地域の発展に貢献している この先、中国は高齢化と人口減少で、移民を出す側から受け入れる側に変わる
東南アジアは、インド人が増えるだろうな 今の中国は漢民族至上主義に全振りだから移民の受け入れは難しいだろう いずれ、サッカーの中国代表は黒人選手ばかりで、フランス代表やオランダ代表みたいになるだろう
日本代表にとっては脅威だ 足利義満は日明貿易をおこなったが、なぜか彼が蒐集した中国の文物は
明や元ではなく、宋代のものが多かった
宋の文化のほうが美しくて上品な感じがするからかな? 「貿易しにきた日本人から、宋銭での支払を要求された」という記録が、明代に残っている
銅の含有率が違うからと言ってしまえばそれまでだが、明代の劣化を感じさせるエピソード >>643
明初は銭不足で、現物主義経済に後退してた。 >>642
宋での官僚への俸給はとても高かった。
明の俸給は歴代王朝最低と言われ、賄賂を貰わないと生活できない。 漢文・唐詩・宋詞はよく聞くけど、明代の詩人はマイナー
陶磁器や絵画も、国宝級の傑作はたいてい宋代だな 文学に関して八股のせいだろう
科挙の内容を官僚文学に特化させたから 足利義満の時代には、一万五千貫文もの銅銭が明の皇帝から回賜されたが、
義政の時代には明が政策を転換し、銅銭を外国使節に贈与することをやめてしまった >>646
明代は大衆小説の時代。
水滸伝、西遊記、三国志演義、金瓶梅。。 李卓吾は、聖典とされる六経や『論語』『孟子』は、
賢人の真意をゆがめて説いたものだと主張した
そして逆に、低俗視される小説戯曲の『西廂記』や
『水滸伝』の類にこそ、真実があると説いた >>644
そうなると海禁したのは正しかったのか?
やっぱりヨーロッパ人みたいに海外進出すべきでは?いや、今の中国は海禁して欲しい(笑えない >>652
真っ当な神経なら海外渡航できない。
死亡率が高過ぎる。
命知らずの貧乏白人だから可能だったんじゃないか? >>650
李卓吾みたいな過激思想の人物が登場できるとは、なんて成熟した社会だろう。
獄死しちゃうけど。 日本も、代表的な古典文学とされるのは源氏物語とか平家物語とか、大昔のばっかりだ
江戸時代の好色一代男とか東海道中膝栗毛とかは、大衆小説とされている 明代は拝金主義が流行したが、江戸時代の日本でも、
「地獄の沙汰も金次第」という言葉が生まれたりしたな 明の小説はハリウッド映画だな
派手な勧善懲悪・スペクタクルものが基本
三国志演義とか水滸伝とか楊家将演義とか
清の小説はフランス映画だな
じんわりとした対話劇・心象風景描写ものが基本
紅楼夢とか儒林外史とか浮生六記とか
日本の平安文学風の作品は、中国ではむしろ清代小説に多いかな 中国より日本の方が文学の発達が早かったのは何でだろう?
小説を書けるような文人がみんな官僚に取られて民間にいなくなるからか?
官僚が小説を書くということはなかったのか?
特に宋代は士大夫の言論が保護されていたし官僚が小説を書いて大ヒットするということもなかったのかね 小説だけなら中国が早かった
魏晋南北朝時代にはオカルト志向の短編小説が登場して唐の時代には伝奇という短編小説が流行ってた
ただ、長編小説の登場は宋以降だから源氏物語の方が早い 「小説」という合成語自体、「『小さき』『説き』」で、「個人の日常や空想の書き留め」、
現代語で使われる、物語の意味合いに加えて、今でいう随筆とかも含むような概念だな
「大説」が「『大いなる』『説き』」すなわち「天下国家や先師先哲の大局的見地の論説」ってことで、
伝統的にはそっちのほうがが文献・文学の本流と見做されてたってわけだ
こういうふうに書くと語弊があるかもしれないけど、
現代の書店で、ハードカバーの学術論文書・古典詩全集が並ぶ書架の、すぐ隣の書架に、
「めざめたら仙人の国なんですけど一体どうすればいいんですか」「ツンデレと優等生と・・・その他大勢に言い寄られてます」って題の文庫本が
いきなり並んでるという状況をイメージするような感じかと >>658
四書五経のような大説が重んじられて、
虚構の小説は通俗的で蔑視されてた。 詩がテキストの最高峰だったんじゃないの
ヨーロッパ、イスラームでも詩が1番のテキスト芸術 小説の読者は、昔も今も有閑マダムが主力マーケット
平安時代の日本は、かな文字のおかげで女性の識字率が大幅に向上した >>662
欧州のなかでも、スカンディナヴィア〜アイスランドの場合、
古エッダは韻文だけど、新エッダやサガは散文だね
>>663
サガの主要読者層は、有閑婦人層とはかなり違う感じだと思う
むしろそれこそ明代武侠ものに近かったり
これって例外的なのかどうか
ていうか、三国志演義とか水滸伝とかはいかにも男性向けっぽく見えるけど 明代は、小説を読むのも男だったってことだな
女性識字率が低かった 宋代の知識人は、自分の思索を出版するより、知識人との間の
往復書簡という経路を通して思想を広めた
ところが明代になると、知識人は著作を出版することで読者を獲得している
また科挙試験に合格できない知識人は、新たに成立した出版業界とともに
文化を創るようになった やっぱりラテン文字を知る以前の中国では、
民衆が簡単に読める文字表記の獲得は難しいな。
日本語と異なり声調言語だから。
同じく声調言語のベトナム語はラテン文字表記になって以降、
漢字表記はすたれてしまった。 16世紀末から17世紀にかけて、中国では文学の大転換が進行した
方言を越えた共通の話し言葉で叙述された白話小説というジャンルが、
この時期に急成長を遂げ、『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』などの
長大な作品が成立し、印刷出版された 中国特産の陶磁器や絹織物といった高価な商品については、
民間の工場もあるが、上質で技術の高いものを作る工場は
皇帝の直営だったよな
あれはなぜなんだろう?? 官窯は政府向けに納品される陶磁器の品質管理が目的だろう 書初めの宿題で「燕賊簒位」って書いて提出したら怒られますか? >>672
いや画数が多くて大変だぞ。
清朝玉座の上にある正大光明にしな。
怒られないし。 こんな難しい字をサッと繰り出せる方孝孺はさすがに大学者だ
日本みたいに「ひらがな」「カタカナ」なんて逃げ道がないからな >>673
正大光明の扁額の裏に皇太子指名の勅書が収められてる。
これを書初めに選ぶは権力掌握の密かな野心に他ならない。
と、怒られる。 正大光明と書いて、ルックスもイケメンな太祖朱元璋陛下に提出したら… >>676
4文字の意味自体は良いものだし、
太子密建は雍正帝が始めたもので、
明朝に関係ないし。 /;;;;;;;;;;;;;\
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∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
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/j/三三三三三三三三三三ヾ
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/ ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|| 凌遅三千刀、滅九族!!
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ そういえば、そもそも「明」の国号の出典って何だっけ >>683
そのまま白蓮教帝国なら面白いのに。
古色蒼然たる儒教帝国にしちゃって、つまらない。
でも小明王が邪魔か? 朱元璋は白蓮教系の紅巾軍に入って頭角をあらわしたが、その一方、
彼は母が夢で道士からもらった薬を飲んで生まれたという出生譚をはじめ、
道教とのゆかりを示す逸話も少なくない 清朝は白蓮教を邪教として弾圧した。
弾圧される宗教結社側の大半は白蓮教を名乗っておらず、
自分たちが白蓮教徒であると認識すらしてなかった。
危険思想と見なしたレッテル貼りかもしれない。 >>684
> 古色蒼然たる儒教帝国にしちゃって、つまらない。
いや、あれほどのコテコテな儒教国家になったのは革命的 明王朝はそれまでの中華王朝と違って内向きで閉鎖的になったのはモンゴルの支配が原因かな
五胡の時も五代十国の時も支配民族が最終的に漢民族と同化したけど
モンゴルの支配だけが最後まで漢民族が帝国の最下層として抑圧されてた 明もモンゴル支配の名残ってありますか?
100年近く異民族に支配されていたわけだし、漢族王朝が復活しても統治の痕跡がありそう。 モンゴル帝国は、明清帝国に継承される「国のかたち」を作ったといえる
北京が全中国の首都になり、全国の運河から北京に物資が集中する体制が確立されたことは、現代にまでつながっている。
日本でいえば、徳川幕府が江戸を実質的な首都としたことに相当する
河南省や陝西省などの地方の「省」も、モンゴル帝国が各地に設置した「行中書省」がもとになり、明清から現代まで続いている
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f6/Yuan_provinces_%282%29.png/300px-Yuan_provinces_%282%29.png 日本でいえば、まったくの辺境だった江戸を名実ともに日本の首都としたのは江戸幕府
都道府県も、江戸幕府が決めた藩の区分けがベースとなって現代まで続いている
日本という国のかたちがほぼ決まったのが江戸幕府のときだったわけで、中国でそれに相当するのはモンゴル帝国 唐朝は中書省・門下省・尚書省の下に六部がある「三省六部」の統治機構
宋代を通じて中書省が絶対的な存在となり、元代では中書省だけになり、中書省の長が丞相として権力を握った
明朝の太祖洪武帝はそれを受け継いだが、丞相・胡惟庸の権力が大きくなりすぎたため、丞相と中書省を廃止して皇帝独裁体制にした 元王朝が後世の中国に対する一番大きい影響は教育の普及だろう
宋王朝以前貴族と士太夫層に限定された教育を元王朝大量の学校を作って庶民に普及させたから
明王朝以降で庶民文化が開花した >>693
それも、庶民に教育が普及した江戸時代に似ているな 明朝の朝廷は、モンゴル帝国の統治機構の上に朱氏の皇帝が乗る形でスタートした
その後、だんだん変わっていったけど基本はそこにある >>694
旧時代の支配層が一気に力を失ったのが大きい
宋王朝以前の支配層である士太夫が元王朝で力を失って権力がモンゴル人やイスラム教徒などに取られた 宋の士大夫は「漢の豪族や、唐の貴族に代わる新しい支配層」と言われるけど、
その母集団は地方の有力地主なわけだから、本質的には豪族とかぶる階層
(漢の豪族みたいな半独立勢力ではないが)
モンゴル帝国は史上最大級の革命を起こした なんかもっと面白い説をぶってくれるやついないのかな
ただの解説書を羅列されてもね 明朝も清朝も、皇帝が朱氏や愛新覚羅氏に代わっただけで、実質的にはモンゴル帝国 中国の郷紳は、中華人民共和国の成立によって消滅した
この時期は中国史でも節目の時期なんじゃね? 中国共産党が、旧来の支配層にとって変わった
昔は、「中国は明清の頃と変わっていない」とよく言われたが、やはり大革命だった 現代の中国の起源はモンゴル帝国であり、フビライ・ハーンが最初の皇帝
漢や唐は、同じ東アジアというだけで現代の中国とは別系統の国であり、とくに関係ない 前から使ってる例えだけど、日本史に例えればこういうことになる
↓
平安末期の京都に、北海道からエゾ人が攻めてきた。京都は焼け野原の廃墟となり、復興するのに数百年を要した。
古代から連綿と続いた天皇家は断絶し、源平藤橘の名門貴族も残らず滅びた。
日本全土を征服したエゾ人は、青森に巨大都市を建設し、そこを首都とした。
現在に至るまで、青森が日本の首都であり続けている。東京がそれに次ぎ、京都や奈良はまったくの辺境と化した。
エゾ人が使う、エゾなまりの日本語が共通語となり全国で使われている ユーラシア大陸の大半の国や王朝は外からの侵入者に
苦汁をなめさせられたり、亡国という事態にいたったりした
その結果、征服者と先住民族との対立や融合が繰り返され、
文化は複雑化・重層化していった
ユーラシアの東西の端に位置する日本や西欧のほうが例外なのかもしれない それでいて、青森から全国を支配する権力者たちは、「我が国は古代から連綿と続く歴史と伝統の国である」と誇り、近隣諸国を威圧している
自分たちが滅ぼした京都や奈良の歴史まで、ちゃっかり自国の歴史に組み込んでいる・・・
(おしまい) >>706
それはそうなんだけど、日本人は「大陸や半島から渡来人が来て、縄文人は辺境に追いやられました」というような話を好む人が多い
ヨーロッパ北部の人々はさらにハッキリしていて、むしろ「自分たちは民族大移動してきたゲルマン民族の末裔である」と誇っている
「異民族たちは、中華に同化して吸収されました」にこだわっているのは中国特有の傾向 金の世宗は、臣下に教訓を与えて、女真の旧習を忘れないようにと説き、
みずからも身をもって女真精神を鼓吹した
女真人が中国風の姓名を名乗ったり、中国式の服装をするのも禁止した
女真語を保存するために、女真大学を建立し、女真文字に中国の経書や
史書を翻訳して、学生に読ませた
異民族がすべて喜んで漢化したわけではない もうすでに女真・満州族ていう民族集団は漢に同化してしまってるんですけどね
内蒙古も30年後には消えてるでしょう
漢民族のゴキブリのごとき生存能力から目をそらしちゃダメよ
モンゴル帝国凄い!ヌルハチ強い!
なんていってみたところで有史以来ずっとゴキブリのように繁殖したのは漢民族
この史実は重い >>710
しょっちゅう北族が攻めてきて、ゴキブリみたいに駆除されてきたのが漢民族 近現代のギリシア人も、実際は南下してきたスラヴ人の血が混じっているのに、
古代ギリシア人の直系の子孫のように自称しているな >>705
つまり、殷から戦国、秦、漢、三国、晋までの中華の伝統は
匈奴の侵入、五胡十六国で途絶えたという事か?
それともモンゴルの元の侵入を指しているのか? >>714
天皇家や源平藤橘が滅びて、京都が廃墟になったのは唐末五代
エゾ人が青森に首都を築いて全国支配したのは遼金元
エゾ人が覚えたエゾなまりの日本語が共通語になるのは清朝 福建や潮州の言葉に、古代の中原の言葉の名残があるという話か インドも北方からイスラム教徒が侵入してきて異民族王朝をたてたが、
カースト制度やマハラジャはしぶとく残っているよな
中国とは何が違っていたんだろう? 中国も儒教と文化がずっと残ってるじゃん
文化大革命やって叩き潰したと思ったら現代でよみがえたし 女真族は都市を持たなかったの?
古代ゲルマン民族みたいな森林生活? >>719
時代とともに定住化が進んで、半農・半狩猟民っていう感じになった
遼寧省の地形は大平原 >>719
瀋陽は元々女真族の町だろ。
ムクデンという女真語の名前がある。 女真人は漢人の商人にニンジンや毛皮を売って儲けたんだよな 朝鮮ニンジンと、黒テンの毛皮
寒い北京では必需品だな 「人参で行水」
高価な朝鮮ニンジンの煎じ汁を浴びるように飲むという意味から
あらゆる手を尽くして治療する事
「人参飲んで首くくる」
高価な朝鮮ニンジンを服用して病が治ったのはいいが、治療費に窮して首をくくってしまう…
身の程をわきまえて生きよ、との戒め
江戸時代人に、薬用ニンジン入りの入浴剤を教えてあげたい 東アジアにタバコが伝来すると、女真人もこれに熱中し、
ホンタイジはこれが自国産でなく財貨を無駄遣いするというので
禁令を出したとか 満州と朝鮮の国境地帯、長白山付近に自生する野生の朝鮮ニンジンが最高級品とされる
女真人にとっても朝鮮人にとっても主力商品 >>718
>中国も儒教と文化がずっと残ってるじゃん
というか中国だと、同時代資料で確認できるだけでも10世紀頃からずっと地方の名士を独占してるような家系がウン百万人といる… 中国には宦官がいた
朝鮮にもベトナムにも伝わった。
だが日本は宦官制度を採り入れなかった。
性器切断が日本人の感性として受け入れがたかったとも、
家畜を制御するために生まれた「去勢」技術は、
肉食や牧畜文化が無い日本には想像しがたいものだったからともいう
では、なぜ琉球にも宦官がいなかったのか?
沖縄には豚を飼い肉を食う文化がある。
豚に去勢を施すウワーフグヤー(豚のふぐり屋)という民間業者もいた。
中華文明の影響は日本以上に強かったから、宦官がいてもおかしくないのだが >>731
やっぱり中国との「距離感」が原因かな
なにがなんでも中国と同じにしなければならないという
切迫感がなかったんじゃなかろうか
現代でも、たとえば韓国人は英語学習に熱心なのに対し、
日本人はそれほど熱心ではない >>732
熱心?その割にthatをジャットとか、minutesをミニュチュとか
ヘンチクリンな発音と受動体構文の読解力が糞だよな。 韓国人の英語は変だ
昔、「Busをバスと発音する日本人は、耳がおかしいのではないか。Busは、ポスと聞こえるはずだ。
だから、日本人は英語ができないのだ」と自信満々に言う韓国人がいた
そこで、アメリカ人に「BASUと、POSU。どっちがBusに近いと思うか?」と聞いてみたところ、
「何だよ、ポスって?」とアメリカ人は大笑いしていた >>731
宦官は女官の取締と皇帝と皇族の世話が仕事だが、
中国、朝鮮、ベトナムでは女官と皇帝の下級の側室との区分が
曖昧で女官は基本独身だったが、日本では天皇の妃となれる
一族がほぼ固定されてて、女官をお手つきにするなんて
殆どなく、また、中国朝鮮の女官は精々五品までの官位までしか
上れなかったが、日本の女官は功績あれば三位まで上れて責任を持たされてた。
吉備由利とか三位だし、和気広虫だって四位で下位の男性官人に
命令を下すことも出来たから、宦官なぞに頼る必用がなかった。
おまけに蔵人が設けられてからは天皇の側近かつ秘書役も充実した。 >>734
日本人が日本発音でポスって言ったらアメリカ人に伝わらないに決まってんだろ?
ちゃんとbeos버스って発音せな >>737
自信満々のようですまんだけど、beosならボスだからどっちにしろ英語のBusとは似ても似付かない発音 ていうか、バスは古風な日本語表現だと「乗り合い自動車」って訳すことがあるけど、
ラテン語の omnibus (「オムニブス」 =「すべての(人々の)ために」)が
フランスで オムニブュス の仏語式発音で「乗り合い馬車」の意味に派生して使われて
それがさらに英語に入って オムニバス の英語式発音に変わり
さらに時代が進んで乗り合い馬車が乗り合い自動車に置き換わってから
オムニバス を バス と略語にしたのが定着してしまった
だから日本語の発音がどうの韓国語の発音がどうのという以前の話なんであって
英語の bus なる名詞そのものが、語源から発音は置き換わるわ語源からかけ離れた略語になるわの状態だから、
ぶっちゃけ、きょうの午後このスレで、やいのやいのと論争してること自体、空虚な話なんだな
というわけで、明清史の本題に戻ってきてくれ >>739
自信満々なのは>>734やぞ
まず日本語にないeoの発音をできてないじゃん eo(어)は非円唇後舌半広母音 [ʌ] だから
日本語のア(非円唇中舌広母音)[ä]より英語発音に近いのは言語学的な事実なわけ
bus /bˈʌs/
eoがオとかあほかと 英語のeoはoかauなのʌ発音だと言い張る時点で英語力もたかが知れてる >>740 を書いたものだが、一応付け加えとくと、
自分はきのう740しかレスしてないし、これ以上踏み込む気も無いので、
きのうの議論の双方に向けて書いとく
「なんでここでそんな内容の言い争いする必要が有る?」
これに尽きる
それとだ、このスレで言語についての議論するなら、いっそ満洲語の議論なりしてくれんか
日本語ネイティヴスピーカーには、それこそ韓国語に次ぐくらい理解しやすい言語だ
満洲語の勉強やったこと無いなら、ここの過去スレのいちばん初め、
明清帝国 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1526171536
を通しで見れば、関連書籍の話もいろいろ書いてある
とにかく、明末清初以降の議論するなら、満洲語は必須言語だろう >>743
ラテン文字転写の問題であって英語のフォニックスとは無関係やぞ >>744
受身表現がきちんとしてる満州語とモンゴル語の方が
翻訳した時のニュアンスの再現度は朝鮮語より上だろうな。 >>731
宦官の意味って後宮からチンポを排除する、父系相続を確実にするためのものでしょ
チンポが出入り自由の大奥で生まれる男系が王様の嫡男の保証なんてぶっちゃけないし、実は父系相続にそんなにこだわりがないんだとおもう日本
沖縄も女系がゴッドマザーみたいに強い社会
家族構造の違いじゃないのトッド的に解釈すると そうだ、日本はもともと、そういう国だ
いまは、「女系天皇」に熱烈反対している右翼が多いが、日本古来の伝統思想に天皇が男じゃなきゃいけないなんて発想は無い
それは中国の儒教思想だ。
右翼はたいてい儒教嫌いだが、彼らほど儒教に染まってる人たちは他にいない >>748
称徳天皇が皇統断絶の危機を作ったから、
それ以来江戸時代に天皇は権威着け為の
お飾りで問題ない状態になるまで女帝は忌避された。
それに日本の女帝は全て男系継承。 巨根の道鏡が、マラ1本で天下を取りかけた忌まわしい事件だな? 道鏡の巨根説は、始皇帝の母親とロウアイの逸話を元に作られたフィクションとの説もある。
そもそも当時50過ぎだった道鏡がそんなにチンコビンビンだったかどうか。
でも女帝が道鏡に入れ込んでいたことは疑いない。
日本霊異記にも、2人の関係を揶揄する逸話が載せられている。 >>749
偶然だろ
日本の貴族や大名なんて養子取りまくりだし
母系の縁戚を迎えるのもザラにある
現皇室だってどこかで間男の血筋が入ってるかも知れない
男系護持自体が明治時代に儒教道徳によってつくられた観念でしょ >>752
公家の場合養子は自分より家格の高いところの次男三男を向かえて
家格を高める目的があった。大名にしたって将軍家一族から
養子を迎えて外様から脱したり、譜代の中でも格式を上げるのが目的だろ。 >>753
つまり男系とか以前に血筋は大して意味なかったということだろ?
婿養子とかも日本独特だしな
イエという会社と家臣の雇用を守るならトップは外から来たお飾りでもいいという発想 >>754
バカだな。皇室や将軍家といったとっぷではやらんことだよ。
中下級の公家や大名の家格アップの手段だってこと理解出来んのか?
摂関家も養子をむかえたが、それは皇室からな。 >>746
しかし表現区別の混用有無については逆パターンももちろんある
日本語は用言の現在形と未来形が同じだが、韓国語は用言の現在形と未来形が別になる
それから、日本語は一段活用動詞全般と不規則動詞のうち「来る」が尊敬表現と受動表現で同じになる
韓国語は動詞の尊敬表現と受動表現が混用されない
満洲語の場合、動詞の受動形と使役系が同じになる(それらを区別する場合には表現自体の変更などを用いる) >>756
それと、日本語の一段活用動詞全般と不規則動詞のうち「来る」は、尊敬表現と受動表現のほかに、可能表現でも混用される
それと、日本語の五段活用動詞でも、尊敬表現と受動表現が混用される >>755
摂関家の一つである近衛家は、昭和になり細川家より血縁がある養子を迎えましたが? >>755
じゃあ家格アップのためなら男系血統を捨てても構わないというのが日本流ってことじゃないか
欧州では男系男子がいない時点で家が断絶、別家ということになる ヨーロッパでは女系相続が認められている家系もある。
中国では、基本男系相続。皇帝も男性限定。
唯一の例外が武則天 ヨーロッパでは女系相続が認められている家系もある。
中国では、基本男系相続。皇帝も男性限定。
唯一の例外が武則天 男は複数の女と子供作りまくれるけど1人の女が作れる子供の数は限られるからね
女系相続で血を絶やさずに王朝を持続させるのは難しい
だから多くの文明圏で君主は男系だった 近年は一夫一婦制が浸透して側室を持つことが困難となっている。
身分の低い者と結婚したら継承権を喪失するし、側室や愛人から生まれた庶子には通常相続権がない 天皇家も大正天皇以降、側室を置かなくなってしまった。
大正天皇の皇后や昭和天皇の皇后は多産だったから良かったが、その後は皇室断絶に向かい一直線 昔は、側室が産むのが当たり前だろ
それで正統性が揺らいだという話は聞いたことがない 正室からの嫡出男子がいれば、出生順に関わらず、それが後継者とされるのが通常。
それが外れると、お家騒動になる。
島津斉彬と、弟と島津久光の後継者争いが好例 万暦帝も女官が産んだ長男よりも皇妃が産んだ男子を太子にしようとしたら
長幼の序を重んじるべきと母親と臣下に反対されて渋々長男を皇太子にした
その結果万暦帝が死ぬまで臣下と冷戦状態、皇太子が継いだが1ヶ月で急死して
後を継いだ孫が盛大にやらかして明王朝の滅亡が確定した 明の永楽帝は、正統な皇帝であった兄の息子を虐殺し、明を乗っ取った
日本で言えば、壬申の乱の大海人皇子のようなもの 永楽帝が皇室を簒奪したので明は北京を首都とした。そのため北方民族からの侵略に常に怯えなければならなくなってしまった。
そして最後は満州族の清に国を奪われてしまった。 >>772
永楽帝と毛沢東は南京が首都の政権は短命という
中国史の法則を作った人 孫権 「そうなの?」
司馬睿「さあ?」
蕭統 「筆は剣よりも強いもんですから、最悪でもそっちで千年単位の名が残れば勝ちでしょう」 >>759
旧華族制度の時に既に大名家と堂上公家家がシャッフルされて
江戸時代まででは考えられない縁組があった。
でも、皇室は完全別格なんだが。 >>760
だから、女系で繋がって居ても英国では王朝変わってるだろ。
サリカ法で男系相続をずっと守ってきたハプスブルグ家も
マリア・テレジアからはハプスブルク=ロートリンゲン家に
家名が変わった。 >>762
武則天は男系でも女系でもない。皇后という姻族が簒奪したもの。 明を滅ぼしたのは李自成だが。
山海関を守ってした呉三桂が、李自成に従うことを拒否して、清を引き入れ、李自成を滅ぼし中国本土を奪う手助けをした。
そして、明を再興させようとする勢力を清と呉三桂が潰していった。
呉三桂は最後は清に潰されそうになり、清に対して挙兵して抵抗したが無駄だった。
呉三桂は清に対して挙兵する際に、漢民族の力を合わせて云々みたいなことを言っていたらしいが。満州族の手先となって漢民族を潰してきた民族の裏切り者に従う者はいなかった。 時代劇でも、呉三桂は最高の悪役
李自成は豪放磊落な英雄キャラとして描かれてるな 鄭成功は台湾に拠って明の復興を目指したが。目的を達成できずに清に滅ぼされてしまった。
鄭成功の母親は日本人だったので、日本に援助を求めたらしいが、江戸幕府に無視された。 清が隆盛したのは、豊臣秀吉が朝鮮に遠征して、それを援助した明が疲弊したから。
豊臣秀吉は清の恩人 呉三桂のせいで、漢民族の服装&髪型が滑稽になってしまった 清の皇帝は「玉すだれの冠」を被らないんだろうなぁ
あの冠こそが中華皇帝の証ともいえるのに 古来、漢化じゃなくて胡化という現象は少なくないが、清代の服装は胡化の極致だね
漢人を含む世界中に中国人の正装とはあれであると認知させることに成功した
十年ちょい前から大陸コスプレイヤーの間では漢服コスプレが流行ってるけど
中華人民共和国という国の性質上、公的に滅満興漢服装文化大革命を推進する可能性は低いので今後も安泰 反日デモが荒れ狂った時期には、漢服コスプレイヤーが「和服を着た日本人」と思われて襲撃される事件も起きた 文化大革命の時は、スカートやジーンズをはいていただけで襲撃されたらしい >>786
遼・金・元でさえ、皇帝は中国人向けに着用したそうだが
清朝は、まさに外見革命
時代劇で、一見してすぐに時代背景が分かる素晴らしい時代だ 清の故地満州は漢人立ち入り禁止区域となり、過疎化してロシアに領土を奪われ放題。
住人が多かったら、ロシアも簡単には領土を奪えなかっただろうに 樺太、沿海州、アムール川北岸、バイカル湖周辺
満州本土もロシア領寸前 ロシアが清から満州周辺を奪っていた時、日本は幕末から明治維新だったから無理。
明治維新が、あと50年早かったら、ロシアが清から奪った領土の2割くらいは日本のものだったかも 女真族が南下して中国を征服せず、満州に女真族の国家が
ずっと続いていたら、東アジアの近現代史は変わっていたのだろうか
日本が女真族の国家と同盟を組むとか、チベットや新疆が
中国のものにならないという展開もあり得たのかもしれない 清は満州だけでなく、モンゴルでも皇帝だった。
そして朝鮮は清の奴隷国家 清朝は漢人の皆様に施す為に領土支配してたわけじゃないので仕方ない
空前の大帝国清朝の版図は中華に収めるにはデカすぎたのだ
それに清がミスったとか日本が遅かったとかではなく
シベリアを踏破しはるばる極東くんだりまできたロシア人がヤバすぎたってだけよ 暖かい海を求めて太平洋にアクセスするのはヤバすぎることではないけど
帝国なら当然の膨張政策 >>797
わざわざ数千キロのシベリアを横断してくること自体ヤバい >>756
日本語⇔満洲語・モンゴル語の相互翻訳の方がニュアンスの再現度高いという議論に
朝鮮語の尊敬表現と受動表現が混用されないとか関係ないだろ。
朝鮮語は受け身表現が未発達でバリエーションが少なく、朝鮮語話者の
欧州言語の受動態表現の読解力の低さに繋がっている。 ロシアはコサックを利用して支配領域を広げていった。
コサックは屯田兵だから、僻地を都合が良い >>796
清のミスは漢族の人口を爆発的に増やしたのに満洲族の人口をあまり増やせなかったことだな。
元はモンゴル族の人口を増やせてたから本拠地がスカスカにならなかった。
元の場合はモンゴルに近いテュルク系をモンゴル化したり、アス部族の様にイラン系遊牧民まで
モンゴル化してモンゴル扱いの民族増やしていたのとモンゴル族=貴族ではなかった。
マルコ・ポーロの従者のピエトロはモンゴル族なのに色目人の従僕という身分。
だから、モンゴル族でも庶民階級は生産者だったが、清は満洲族を八旗という軍事貴族層にしたので、
民族挙げて漢地からの物資に頼る消費集団となって現住地の過疎化に拍車をかけた。 >>801
清もソロン八旗でツングース系や一部モンゴル系民族を八旗に組織して満洲族の人口増を図ったが、
対象とするツングース系民族の人口自体少なく焼石に水だった。
元の様にそれなりの人口規模のテュルク系をモンゴル化した様にはうまくいかなかった。 >>800
韓国人のほうが日本人より英語の能力高い時点でなんの説得力もない説だな 清の軍隊は旧式で役立たず。太平天国の乱では淮軍や湘軍などの私兵や外人傭兵に頼ったし。
日清戦争で戦ったのは、李鴻章の私兵である北洋軍閥が主力 >>806
初期から満洲八旗はそんなに強くなかったような印象がある。
全土を制圧したのも、台湾平定したのも、三藩の乱鎮圧したのも、主力は漢族部隊。
それでも長期政権になれたのは、多くの漢族が基本は支持してたんだろう。 >>804
韓国人は文法的に間違っていようとthatをジャット、ピザをピジャと発音しようと
ガンガンブロークンの英語話すのと英語圏への移民志向が高いからだろ。
つまり、発展途上国要素が大きいというだけ。
フランス人とフィンランド人ではフィンランド人の方が英語能力高いが
それはフィンランド語だけでは先進科学技術の情報にアクセス出来ないから。
韓国人も嘗ては先進技術は日本語経由でパクっていたが反日政策で日本語経由から
直接英語からに転換して行ったからだろう。
自分が直接韓国人に接した限りでは奴ら決して英語うまくないよ。
サムスンとかが別格なだけで、ガス公社や電力公社の奴らだって韓国ではエリートと思うが、
英語力ボロボロだったな。日本の東京ガスや東京電力に入れる奴なら
そこそこ英語出来る(設備保全・建設の現場関係の高卒専門卒は除く)のと比較刷ると偉位違いだ。 >>806
旧式の清の八旗で最期まで戦力になったのは蒙古八旗。
人口が少ないモンゴル族では十分な兵力供給出来ずセンゲリンチンの
蒙古八旗が壊滅してからは再編成出来なかった。 >>807
呉三桂の部隊は対清防衛のために崇禎帝が大金かけて作った精鋭部隊だから 袁崇煥を裏切り者と疑って処刑したが、結局、呉三桂に裏切られた 袁崇煥が凌遅三千刀に処された折、見物の群衆はその肉片を食らったという。
自信が命を賭して守るべき国の民がこのありさま…
袁崇煥は切り刻まれつつ「こんなクズに人生をかけた俺って何なんだ…」
の心境だったろうな >>808
的はずれな長文反論ご苦労
受動態の読解ができないという主張は結局根拠がないままだな
そもそも英語ネイティブにとって受動態って文語的な表現ととらえられててそもそも日常における使用頻度は高くないのだがね >>813
馬鹿だな。契約文とか知らんのか。
韓国人と直接接して奴ら英文契約書で頻出する受動態表現決定的に
間違えるんだよ。
あまりに酷いから、正本を日本語で作ってそれに内容に相違がない旨の
韓国側の翻訳会社の翻訳と証明書をつけた上で日本での公正証書化し、
そこに韓国側の領事認証をしてもらったもので締結するってことになった。
相手はガス公社と電力公社だぞ。 >>811
呉三桂は裏切ってないだろう
崇禎帝の仇を討ったし >>815
しかし南明勢力をせん滅してるわけだし。
wikiの呉三桂の項目を見てみれや Wiki見なくてもこのスレに来てる人なら分かるだろうw
「崇禎帝」を裏切ってないし、崇禎帝を自殺に追い込んだ李自成を敗死に追い込んだよ呉三桂
李自成の誘いを断って清を引き入れた理由として陳圓圓がよく使われるけど
普通に考えたら李自成に投降したら終わりだし、独立しても勝機がないから清と手を組むしか道がない 利に聡い漢人は異民族だろうが自己利益につながるならば共謀して漢人王朝でも倒す 遊牧民族に仕える漢民族は五胡十六国時代から多いけどね >>819
漢の時から匈奴につかえて漢からの使節を散々論破した
中行説とか居たからな。 >>814
で、ソースは?
お前の妄想でいちいちスレ汚すなよ >>822
実際の経験。実際に存在した事実に妄想とは笑止千万。
これにこりて韓国企業とは取引してない。相手が国営企業でもな。 >>823
お前の体験談とかいう妄想を披露しなくていいよ
証拠も提示できないとは笑止千万 日本語やフランス語などと比べれば、韓国語は本当に歴史が浅い、未完成な言語
そもそも、あれは日常の話し言葉だ。
知的な文章を読み書きするようには出来ていない >>802
例外的に上手くいくこともあるだろうけど、人口問題はままならんものだね
特に気候の厳しい満州のような土地に住む人が環境の良い場所と繋がったらなかなか戻れない
漢民族も現代似たような過疎化に直面している だからあんたら明清史スレで日韓論争してどうすんのかって
満洲語の話とかと文脈上どうしても絡める必要が有るならともかくも
満洲語も齧ったことすらないなら、いよいよこのスレと関わる議論なんてできたもんじゃない
それが無理ならよそでやれ >>825
そういう妄想は漢字語に依存せずに知的な議論が出来るようになってからにしたまえ >>827
ネトウヨが消滅すれば邪魔な議論も消えるよ >>824
お前がどう否定しようが事実は事実。
信じたくなければなんとでも言えば。
実際の体験をそれこそお前の頭の中の妄想で否定すればいいだろう。 だから明清史と関係ない口喧嘩の応酬、どっちもここですんなっての
やりたかったらよそでやれ >>830
可哀想な頭のやつだな
病院はあちらですよ 中共の時代劇は結構時代考証に凝ってはいるが、
明と後金との戦闘シーンの白兵戦で、
基本満州族主体の後金軍の兵士がカンフーで
明軍兵士とやりあってる場面があるが、
これはいただけないと思った。
満州族の格闘術は内モンゴル式のブフに近い相撲形式の筈。
中国人にこな質問したらカンフー意外の殺陣のノウハウないから
と言ってたいたな。 個人的体験をさも韓国人全体の特性みたいに言ってるのが馬鹿の極みだと気づいてないね >>832
福島の10倍も放射性廃棄物を日本海に垂れ流しているバ韓国脳だな。
不利なこと事実を見え透いた言い訳と屁理屈で隠そうとする。
ついでに韓国ガス公社の仁川のLNGターミナルは
全てのタンクからLNGか漏れている欠陥プラント。
仁川で頻繁にデモ起きている。
人口日本の2/5でLNGの消費量日本の2/3。
火力発電のLNG化か日本より遅れていてこの異常な
消費量はポンコツプラントから大気中に放散しまくってるから。 満洲族やモンゴル族のたて師さんも、いそうなもんだけどなあ
あるいはシベ族のたて師さんとかさ >>835
バカウヨさん、歴史の話できないなら邪魔だから消えてね >>834
韓国ガス公社や電力公社の韓国人は相当のエリート層だろ。
エリート層であの様だから、推して知るべしだ。 >>838
お前が相手できる程度なんだからただの庶民だろ?
東電や水道局の末端がエリートだと思ってるのキミ?
無職の妄想もたいがいにせえw(爆) >>837
チョンの悪い面を屁理屈で隠す在日と反日左翼。
ドブスでも整形でなんとかなるから、チョンポップの
アイドルは細身で長身なのを選択的にスカウトしてるってな。
顔は後からいくらでも整形で作れるから。 >>839
バーカ、相手は公社の事業部長だぜ。
そのクラスでないと契約の形式に関わる決定権ないから。
そもそも解釈が別れる英文の契約書よりも
日韓両国語の契約書で日本での公証と韓国側の領事認証で
両言語の内容が相違ないことを証明すればいいだろうとは、
奴ら側の提案なんだが。 >>842
また妄想かw
ぼくは韓国公社の事業部長と取引できる偉い人間なんだぁ〜
頭おかしいネトウヨの動物園かここはw >>843
企業間の一定規模以上の契約書って、サイナーは事業部長クラスだが。
そんなビジネスの基本も知らんのか?
勿論実務の話は向こうの課長クラスと積めるが、
契約形式については事業部長クラスが出てくる。
信じたくなければ、妄想で否定してろよ。
100回否定すればお前らにとっては事実になるんだろ。 >>844
高純度フッ化水素の国産化に成功とか、
ロシアから購入出来るとか言って一向に
実現しないチョン。 >>845
しつこいな精神病患者
お前の妄想をいつまで繰り返してスレ違い荒らしを続けるのやら
そんなに言うならその間違ってる契約書原本をアップロードしてみろよ
できないと思うけどw 歴史の話ができないバカウヨはニュー速あたりの底辺板に帰れよ >>821
三藩の乱で呉三桂の反清の大義名分に多くの人は納得できない。
呉三桂たちが清の手先となって南明勢力を滅ぼしてたのを皆んな知ってる。
だから支持が集まらない。 >>847
企業の契約書アップロード要求自体が、
不正競争防止法違反の犯罪だぞ。
お前の言ってることは不正競争防止法違反行為の
教唆罪ないしは強要罪たとなる列記とした違反行為。 無職の妄想に付き合ってやるのは犯罪どころかボランティアw(爆) >>855
条文に妄想というお前は文盲かよ。
不正競争防止法2条4項違反だよ。
これは漏洩した側だけど、それを要求するのはだい5条3項で5年以下の懲役の対象。
存在する条文を妄想とか、気違いだな。 >>856
また論点ずらしか
お前の会社や契約書自体がモウソウだろ
ネトウヨは何一つ証拠もないデマを書き散らしてないで働けwww >>857
まともにコンプライアンス管理がされてる企業の従業員なら、
生の契約を公開の場にアップロードしろなんて言わない。
コンプライアンス監査も受けてない自営業者かそれこそ無職かよ。
それに、ソースあることに対して不利なことにほ論点ずらしって、
お前の言うことは要するに「韓国人の方が日本人より
例外なく英語能力が高い。異論は許さん。実例は全て妄想だ。」
とキーキー叫んでるだけだよな。 >>858
なんの証拠もない話を匿名掲示板でぐだぐだ言ってても水掛け論にしかならないってことが理解できないか?w
頭悪い妄想狂はみんなの笑いものになってるだけと早く気付こうね
そもそもスレとなんの関係もないのにいつまで終着するの? >>859
自分に不利なことは信じない。異論は認めない。
認めて欲しければ、犯罪やってでもおれの言うことを聞けと言ってるだけだろ。
それから、契約書がお前の願望通り架空としても、公開の場に生の文書を
アップしろって要求する事自体が、
不正競争防止法違反誘発目的の
教唆行為という犯罪行為だぜ。コンプライアンス監査が実施されている企業なら、
普通就業規則で制限かけられているけどな。
不正競争防止法違反教唆の書き込みがあったと構成取引委員会に通報しておくぜ。 >>860
勝手にしたらいいw
恥をかくのはお前だけだw
個別の事象で全体にレッテルを貼るネトウヨのくだらなさはお前の言動によって証明されてるしなw
英語が苦手な韓国人をみかけた→韓国人はすべて英語の能力が低い
自分の子供のころに嫌な教師がいた→教師はすべて日教組であり反日だ
統計データも根拠もなく騒ぎデマで荒らしまくるお前らの主張は大人の常識を反しているw そもそも韓国人の英語力がどうだろうが俺にとって不利でもなんでもない
ただ無根拠にヘイト垂れ流してるのがくだらないと言っているだけだw
英語力が低い韓国人がいる、という風に控えめに言ってれば突っ込まれなかっただろうに
受動態を韓国人は理解できないから英語力が低いとか乱暴に主語をでかくしたから馬鹿にされるのだよ
しかも根拠が本当かどうかもわからない個人の体験談だというお粗末さ
だったら日本人も同じくらい英語のできない馬鹿だらけということになる
根拠は俺の実体験w 日本語には現在完了形がないから英語の読解ができず日本人は英語ができない
という論をぶつこともできるな
実際そういうことを言ってる奴は多いが
正直くだらないね
全く同じ文法構造の言語なんてないんだから
そこで優劣をつけるほうがみっともない どれ。
裏の納屋さ行って、漬物石どっさり運んでくるべぇか。
>>822-863を全員裸にひん剥いて縛り上げて、
縮こまった包茎チンチンの下に石をあてがう
手ごろな石を振りかぶって・・・
ベチーン!
ベチーン!
ベチーン!
ベチーン!
オオゥ!
肉が潰れる感触が腕にズシィィンと響くゥ!
海綿体と皮と恥垢がミンチになって飛び散るゥ!
断末魔の絶叫がこだまするゥゥゥゥウゥゥ!
>>822-863の壮大な絶叫の和音を堪能するぅぅぅ!
さてと。
ビチビチミンチのチンチン肉を
光明にあふれる太祖朱元璋陛下のお頭に塗ったらば
毛が生えてくるべぇか 習近平はすでに終身独裁官、現代のジュリアス・シーザー
まだ68歳だ。暗殺されなければ、あと10年はいるだろう
朱元璋、永楽帝、康熙帝、毛沢東と並び称すべき中国史の巨人 同じ五百数十年の近世王朝でも、シナの場合は明朝から清朝へと、王朝交代してリフレッシュしたのが良かった
それに比べて朝鮮では、李朝がずっと続いてダレきっていた
明と清では朝鮮の立場が大きく変わったため、前期と後期に画然と分かれるが 同じ話繰り返す馬鹿は隋唐スレにもいる
同一人物だろう
口調が同じだし 句読点で改行して必ず長文のやつ
行間空けて3段落でまとめるやつ 中国史だから中共の指導者はよく中華帝国の帝王に例えられるけど
システム的には中国皇帝というよりは西洋、つまりカエサルやアウグストゥス型よりよね
まあ元はといえば中華ソビエトなのだから西洋的な流れを汲んでるのは当然といえば当然だけど >>868
きみがいうところの、李氏朝鮮の「前期・後期」の分け方って、
「画然と」なんて言い切ってるけど、具体的に何がどう違うわけ?
中国で明清の移行があったっていっても、
自分が知る限り、それで李氏朝鮮の国内体制そのものが決定的に変化したってわけじゃないんだけどな
党派間の与野の交代も、振り子が往復したり、さらに分派が生じたりしてて、
明清の違いと完全に一致してるわけじゃないし 三田渡の盟約の内容
朝鮮は清に臣下の礼をつくすこと。
朝鮮は明からの誥命(朝鮮王冊封の文書)と冊印を清に献納すること。
明と絶交し明の年号は使わないこと。
王の長男と次男、大臣の子、大臣に子がない場合はその弟を人質として清に送ること。また何か不慮なことが起これば、人質の王子を朝鮮王に擁立するので覚悟しておくこと。
清が明を征服する時は、命令を下し、使いを送るので、場合によっては数万規模の歩兵・騎兵・船員を求められた期日までに、遅れることなく派遣すること。
また清軍が椵島を攻め取るため、船50隻・水兵・槍砲等を準備しておくこと。
聖節(清国皇帝の誕生日)や正月等、慶弔時は慣例に従い、大臣や内官が献礼にくること。
清軍に捕まった朝鮮人捕虜が鴨緑江を渡ったり、朝鮮に逃げて帰った場合、送還すること。
内外の諸臣と婚姻を結び、友好を固くすること。
新旧の城郭は清の事前の許可なく修理・増築を行わないこと。
これまで通り日本との貿易を許すこと。
毎年黄金100両・白銀1000両のほか、水牛角弓面200副・豹皮100張、鹿皮100張等、20種目の物品を献納すること。
https://stat.ameba.jp/user_images/20190624/00/sakuhana-osk/8b/a1/j/o1080071914478757370.jpg?caw=800 朝鮮は、明朝からは武力で征服されたわけではなく、みずから属国となって朝貢していただけだった
だが、清朝からは武力で征服され、非常に厳しい支配を受けることとなった
北京から清朝の役人が来ると、朝鮮国王は額を地面に叩きつけて土下座した。
役人は宮殿の正門から入り、朝鮮国王は裏門から入った ずいぶん長々と書いてるけど、実際、李氏朝鮮の国内体制そのものに、何か大きな違いが出た?
例えば高麗の武人政権期みたいな大幅な権力機構の変化があったんではないような
そこのところ、きみはどう考えてるわけ ※本当に悲惨な朝鮮史※
高麗時代の元宗15年(1274年)、元が140人の婦女を連行したのを皮切りに、忠烈王・恭愍王代に元に対し献上した貢女は170人以上、44回に上った。
朝鮮王朝時代にも、太宗から孝宗の時代にかけて、明・清に対し9回にわたり146人が献上された。学界では、中国の高官が私的に連れて行ったケースを合わせると、数千人に上ると推定している。
中国から、貢女を選ぶ「採紅使」が訪れると、朝廷では貢女選抜機関を臨時に設置し、巡察使が各地を物色して回った。
だが、民衆の抵抗は激しかった。孝宗の時代、慶尚道の鄭煌(チョン・ファン)という人物は、娘が貢女候補になったことを知るや、娘の顔に薬を塗って傷を付けた。
また、娘を出家させるケースもあった。高麗時代には、乳飲み子を乳母が抱いて嫁がせることまであった。
そのため朝鮮王朝時代には、世宗が「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」という法令を公布しなければならないほどだった。
朝鮮王朝時代の太宗8年4月、各地から処女30人が選ばれ、ソウルに移送された。父母を亡くして3年以内の女性や、息子がいない家の一人娘を除いた7人が、景福宮での最終審査に臨んだ。
しかし中国の使臣は「美しい女がいない」として官吏を棒で打とうとした。娘たちも指名を避けようと、体に障害があるかのように口をゆがめたり、足を引きずったりした。
最終的に、娘たちの父親は全員罷免されたり、流刑に処されたりした。同年7月、再び選抜が始まった。太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者など、選抜から免れようとした者」について、厳罰に処するという号令を下した。 結局、明清史とも李氏朝鮮史ともまるで関わりないようなコピーペーストの羅列だけなら、
きみ、わざわざこのスレに書き込まなくていい
どっかよそでやってくれ
さて、清史あたりの話に戻しますか
この際、アルタイ諸語関連の話とかにしますかね? 満洲語とかモンゴル語とか 何をバカなこと言ってんだ(笑)
「明清交代が朝鮮に及ぼした影響」が、なんで明清スレと関係ないんだよ? >>882
> さて、清史あたりの話に戻しますか
> この際、アルタイ諸語関連の話とかにしますかね? 満洲語とかモンゴル語とか
「朝鮮」という話題から逃げることないだろ
宗教的なタブーなのか? 朝鮮の話してもいいけど
お前の朝鮮コピペは単なるノイズでしかないじゃん ネトウヨは荒らし指摘されると「よほど都合が悪いんだなお前チョンだろ」としか言わない
本当に気色悪いぜ また文献コピペくんが暴れたか
「朝鮮が明清交代に及ぼした影響」ならスレと関係なくないが、その逆は真ではない
シコシコ文献コピペばっかしてないで
まずは命題の論理、逆、裏、対偶を学んだ方がいい
知識は使う本人に知恵がなければ何の役にもたたないってことをシコシコ長文駄文で証明してくれてる人ではあるが 朝鮮は、明朝にとっては家来だったが、清朝にとっては奴隷だった 東アジア全体が連動してるんで、
朝鮮を排除はできない。
ちなみに日本銀が銀需要の大きい明に渡る前にしばらく朝鮮を潤していた。
数十年遅れ明が日本銀を入手するようになると、
銀経済がますます発展、贅沢な文化が花開く。 「朝鮮は、中国にずっと支配されてきた」と誤解している人が世間には多い
実際には、朝鮮を支配してきたのは満州人やモンゴル人 それは、大英帝国のスレだから英領インドはスレチというようなものだ 例えは間違い
ハノーバー朝ウインザー朝のスレでインドの話しかできないようじゃただのアスペ 清朝は、建国時にしつこく反抗した朝鮮を許さなかった
朝鮮王国の国格は、上中下の下とされ、琉球王国よりも国格が低かった 朝鮮の話ばかりするキチガイはどこにでも現れる
王室スレでも朝鮮の話ばかりしていたな 清の支配体制に組み込まれた朝鮮は、清からの勅使派遣を迎え入れるために迎恩門を建てた。
清からの勅使は1637年から1881年までの244年間に161回に及び、そのたびごとに朝鮮国王は迎恩門に至り、三跪九叩頭の礼により迎えた後、慕華館での接待を余儀なくされた。
逆に朝鮮から清への朝貢使(朝鮮燕行使)は500回以上にも及んでおり(当初は毎年4回、1644年以降は年1回)、
これは当時の清の冊封を受けていた琉球(2年に1回)、タイ(3年に1回)、ベトナム(4年に1回)などと比べても突出して多いものであった。
このような清と朝鮮のこのような関係は、日本と清による日清戦争で日本が勝利し、下関条約で日本が清に李氏朝鮮の独立を認めさせる1895年まで、約250年間続いた やめろと言われてるのに荒らし続ける
たちの悪いキチガイ
早く死んでね 明王朝も清王朝も知らず関係ない朝鮮ばかりコピペするのはマウントしたいだけだろう
この前スレチの韓国語バトルしたアホ
惨めな人生だな 秀吉の朝鮮侵略に対し
断固出兵を命じた万暦帝。かっけーぜ。 それまでの20年に及ぶ引きこもりがカッコ悪いけどな うるさい臣下に嫌気をさして朝議に出たくなかっただけで仕事はしてたぞ
君臣冷戦の理由も君主の権限である立太子への臣下の介入だから万暦帝が悪いとは言い切れない 豊臣秀吉は、釜山を建設して、後世の韓国の発展に大きく貢献した
それに比べて明の援軍は、各地で暴行略奪を連発した破壊者 慶長の役のすぐ後に豊臣政権は崩壊。
まもなく明朝も崩壊。
一番疲弊しているであろう李王朝がしぶとく生存。
なにはともあれ素直に凄いと思う。 李王朝は、「日本軍が攻めてくる」と聞いて、さっさと戦わずして逃亡した。
無政府状態となった首都では貧民が大暴れしたので、日本軍が到着した頃にはすでに廃墟になっていた
まもなく明軍が到着して、日本軍と死闘を展開。日本が撤退したら、安心して李王朝は戻ってきた >>912
明軍に食料を供給するだけでも苦しいぞ。ただでさえ国土が荒廃してる中で。
要求した量の食料が届かないとさっさと明軍は撤退するし。 大陸にちょっかい出しては毎回無様にやられる日本って一体 >>913
疲弊したのは朝鮮の人民だ
李王朝は疲弊していない >>909
釜山の始まりが秀吉の侵攻期からなんて、どこで見た奇説だ
それよりずっと昔から、東萊都護府があった地域だぞ
ていうか、まじで、李氏朝鮮史に特化する話ならよそでやれ
ここは明清史スレだってことがなぜ分からんのか >>910
万暦帝の時代に政治を独占する大臣も宦官も居なかったのが何よりの証拠
明王朝は皇帝独裁体制だから、皇帝が政治を投げたら官僚が代わりに機能することはできない
だから趣味に没頭して政治を投げた正徳帝、嘉靖帝や天啓帝の時代に劉瑾、厳嵩や魏忠賢が出現したが
万暦帝の時代にそう言った存在がない
朝議に出ない代わりに宦官を通じて官僚に命令を出す形で仕事してたから
宦官に依存してたけど、張鯨や張誠など調子乗った宦官を粛正してた >>914
大陸情勢に無知なくせに大陸に手を出すから痛い目に遭う。 >>917
万暦帝は名君。
決して亡国の暗君ではないな。
経済では絶頂期を演出してるし。
軍事費の増大が財政を圧迫するが、
それに怯まずに出兵を断行したのは基本は正しい。 そうだな
万暦帝は、乾隆帝くらいの評価がなされても良いのではないか >>915
人民の疲弊に配慮しなかったのは秀吉。
渡海した兵力の1/3を失った。
かなりの打撃だわ。
一方、江戸幕府が南明勢力からの援軍要請を無視したのは立派。
安っぽい野心を抱く為政者ならすぐに図に乗っただろう。 朝鮮征伐は成功しなかったが、それまで日本になかった木綿や磁器の製造技術を持ち帰ることができた
結果的には大成功 >>921
乾隆帝こそ亡国の暗君。
下り坂を作った張本人。 >>914
毎回いとも簡単に勝てると思い込んでるんだよ。
そこそこに戦術に優れてるもんだから錯覚してしまう。
自国基準でしか戦略を組めない。
しかも自国の制度を押し付ける。 大日本帝国は朝鮮併合に成功しただろ
毎回失敗というのは誤認識だ 人権意識がなく命知らずで戦闘には強いが、長期的視野がないから戦争には弱いのが日本 >>925
本人が満足したからいいけど、満足して政治を投げたせいで和珅のやりたい放題になって
絶頂期だった清王朝が衰退に向かった
その意味で死ぬまで奸臣の出現を許さなかった万暦帝は遥かに有能
ヌルハチの脅威を見抜いて最初から全力で叩き潰す方針を決めたし >>931
国家の盛衰に皇帝個人の資質はほとんど関係ないんじゃないかと思う。
むしろ人口増加と生産力の増加率、及び資源の枯渇と確保の有無の方が要素として重要な気がする。
景気循環を避けることができない。
皇帝個人がどんなに優秀でも下降を食い止めることはできず、
逆にアホ皇帝であっても上昇時は全てが上手くいく感じで。 >>930
経済戦争でも同じ事が繰り返されてる感じだな >>932
それは違う
トップ個人の資質は民主国家、特に日本のような国では大きな影響はないけど
独裁国家ではトップの資質がそのまま国家戦略の良し悪しに直結するから影響が大きい
絶頂期だった王朝が無能な君主のせいで国の政治が腐敗して国力が衰えたり
逆に国勢が衰退に入る王朝でも有能な君主の出現によって中興を果たして延命できた例は明清に限らず
検証できる周王朝から清王朝までそういった例は多くある そりゃそうだ
あの人治国家で、「皇帝を誰がやっても同じ」はさすがに無いな
もちろん、「誰がやっても無理」という状況はあるけど 暴君、暗君揃いの明朝。
賢君揃いで暗君が見当たらない清朝。
でも王朝の盛衰曲線は似てないか? 名君、暗君の評価は結局は史書を書いた人の儒教的価値観のバイアスがかかってる。
評価の低い正徳帝とか万暦帝なんかは結構デキる奴じゃないか? 正徳帝の評価が低い理由は男色だろう
若い時信頼してた劉瑾をちゃんと粛清したし 崇偵帝だって、バカではない
むしろ、頭が良すぎて猜疑心が強くなってしまった 明朝は李自成の乱を乗り切れず滅びた
清朝は太平天国の乱で崩壊してからも半世紀以上もった
この点で、下降曲線は似ていない 明朝は1644年に滅亡したが、その約60年前の1981年時点では、死んだ大宰相・張居正の財政改革により国庫には莫大な蓄財が残されていた
つまり、この時点では明朝は別に衰退してないわけで、その後の下降曲線が急激
清朝の方が、衰退してからが長いな 朝鮮の李朝だって、山あり谷ありで500年続いたんだしなあ
明朝も、500年続きそうな流れだった >>943
清末の洋務運動にある程度の成果があった。
表面上の変化の度合いは明治維新より大きい。
一時的には立て直しに成功した。
だから新疆省を失わずに済んだ。
日清戦争の前までは国力に自信が出てきた。 >明朝は1644年に滅亡したが、その約60年前の1981年時点では、死んだ大宰相・張居正の財政改革により国庫には莫大な蓄財が残されていた
時空が歪んで昭和56年、ケ小平時代の中華人民共和国に明の宰相がよみがえったのか? 清朝も、西洋列強が来なければ500年は続いたんじゃないかな 明朝が500年続くのは無理だったのではなかろうか
満州人に滅ぼされるのは避けられそうにない 内乱にタイミングよく付け入られただけ。
体調万全だったら火力から見ても満州人なんか寄せ付けなかった。 もしもが許されるのであればもっと長命の可能性も短命の可能性もあるけど
李自成前から野戦でボコボコにされ、北東部を次々に失陥してるわけで
満州人なんか、扱いできるほどの余裕は明にはないと思うよ 明が滅ぼされずに続いたとすると、清は入関せず、関外にとどまることになる
朝鮮は、すでに明からは完全に分離して、清の支配下に入っている。そのまま、清が朝鮮を支配し続けた可能性が高い
明は中国内地、清は満州+朝鮮と、2つの勢力が併存する形になる。
その状態が250年も続けば、満州は朝鮮と一体化してしまったかもしれない そんな明・清の併存状態が続いた場合は、どちらがモンゴルを支配下に置くかが最大の争点になっただろう
日本に対しても、「我が国と同盟せよ」という要求が来るのは確実だ そんな状況で、遥か西北の地からロシアが極東に到来する
清(満州+朝鮮)は、極東ロシアを迎え撃たなければならない
どうなったことやら 妄想どうでもいいわ
一行空け君キモい
結局朝鮮の話ばかりだし
ガイジすぎる 朝鮮半島情勢こそ、東アジアの国際関係を理解する要だからな >>956
朝鮮のことしか語れないだけだろ
無知が >>947
乾隆帝末期から下降傾向が表面化してる。西洋列強が来なくても滅びる定め。 西太后を再評価したい。
西太后無くばもっと早く滅んでた。
革命派にとっては不倶戴天の敵になる。 西太后への悪評の多くが根拠のない流説であることに加え、
戊戌の政変に関わる史料が発見されるにつれて、再評価する研究者がいる。
浅田次郎はその流れで『蒼穹の昴』を書いた。
NHKドラマで田中裕子が西太后を演じて、視聴者を魅了。
しかも日本語で演じてた。 西太后への悪評の多くは儒教文化による偏見だろう
女は政治に口出すこと罷りならん、と
政治に口出さない東太后の評判が良かったし その一方、孝荘文皇后(ホンタイジの側室=順治帝の母ちゃん=康熙帝の婆ちゃん)は、大あねさんて感じですごい評価高いよなあ 西太后は、戊戌の政変を潰したのが良くなかったな
もっとも、西太后の立場からすれば他の選択肢は無かったが 「『戊戌の政変』をつぶした」んじゃなくて
「『戊戌の変法』をつぶしたのが『戊戌の政変』」でしょ 光緒帝が一部の民間人の主張を信じて洋務運動の問題を分析しないまま
根回しもせず大規模な変革に踏み切って保守派の反発を招いたから
国内政治のバランスに専念してた西太后は若い皇帝の暴走を止める必要があったんだろう
実際軍を使ってクーデターを起こして西太后の監禁を計画してたし
そもそも西太后自身が改革に反対してないから変法の初期に光緒帝が一部の保守派大臣を排除出来た 秀吉って15万程度の兵力で本当に明を征服できるとでも思ってたんだろうか?
どう考えたって兵力が足りないと思うんだが・・・
ティムールですら未遂とはいえ20万は用意したというのに、何で15万ぽっちで攻めようと思ったんだろうか?
・耄碌してまともな判断が出来なくなってた
・明朝征服なぞ毛頭なく、朝鮮征服で済ますつもりだった
・本気で大陸支配に乗り出すつもりはなく、ただの口減らしの為だった
・蒙古襲来時の元軍が14万ちょいだったから、こちら側は若干増やして15万ありゃあいけるという甘い見積もりをした
どれが真実なんだろうか? 朝鮮しか話せないお子様がなんとか話題を朝鮮に誘導しようと必死だな >>967
『失落的真相:?清戊戌政変史事新探』によれば
中、日、米および英と連合し“合邦”する計画が進行してて
中国の軍事、税務、外交の国家権限を外国人に渡そうとしていた。
この合邦構想に伊藤博文が関わっている。
西太后は変法に賛同していたが、
事態の重大さを悟ったため、
即断しクーデターを起こして自ら政権の座に戻り、
変法運動を中止させた。 中国語Wikiに書いてあったな
それが事実だったら西太后が中国を救った英雄じゃないか >>968
家康を始め東国の大名がほとんど渡海してない。
やはり徳川軍を投入し、秀吉自身も渡海しないと本格的な侵攻にならない。 >>971
西太后の監禁ないし暗殺計画に光緒帝が関わっていたんで、廃位しようと考えていたが、
列強諸国が反対したため廃位できなかった。
もはや外国人の国政への干渉に抵抗できない。
その時の鬱憤で義和団の扶清滅洋に乗っかってしまった。 日清戦争も西太后派の李鴻章が開戦に反対していた。
でも光緒帝が主戦論に組みした。
結果は惨敗。
敗戦処理の尻拭いを李鴻章が担当。
挙げ句に李鴻章を売国奴扱い。
西太后としては面白くない。 康有為のプロパガンダで西太后がとんでもない悪人にされたけど
光緒帝はかなり危うい皇帝だったな >>975
英国が革命派を後押ししていて、
プロパガンダに加わっていた。
英国人が書いた『西太后治下の中国』で、
西太后にまつわる事実に反する俗説を世界に広めた。 >>976
頤和園造営のために多額の海軍費用を流用し、
そのため日清戦争で負けたという話も異説が出ている。
異説の真偽は不明なれど、
あらゆる問題を西太后のせいにしないと困る近代中国だった。 >>960
入亜論 西太后からの反論
彼らは決して理不尽で頑迷な非合理主義者
ではなかった!
ネトウヨの諸君、清朝保守派の論理を見よ
という本が出そうだな 既にあるかも知れないが >>978
西太后の基本は改革派の抜擢だぞ。
載垣、端華、粛順らを処刑するなど、
頑迷な保守派の大臣たちを追放してる。
一方で曽国藩、李鴻章、左宗棠、張之洞ら洋務派官僚を採用する。 清朝は太平天国の乱で2000万人死んだにも関わらずその後50年存続したのが凄い
経済と官僚制が復活した現代中国が崩壊するとはまず考えられない そろそろ次スレ準備の頃?
次は「明清帝国 七」だよね >>980
まだまだ余裕だよ。
唐王朝なんて安史の乱で人口が半分以下に減少したのにその後150年残ってる。
人命の価値が軽いかもしれない。 >>980
現代中国は大躍進政策や文化大革命によって膨大な人命を失った経験をしても発展してる。
明清の頃から発展するパワーを秘めてる。 太平天国の乱は、死んだ人の数からいえば、第二次世界大戦を上回る人類史上最大の戦争とも言われている
洪秀全はヒトラーをも凌ぐ大悪党 >>985
人民解放を目指した民族の英雄だぞ。
公式史観では。
オープニングだけはエモいドラマ『太平天国』主題歌
https://youtu.be/rlvp-43EKTE 洪秀全が勝っていたら、今ごろは天王陛下の六代目くらいか? >>987
洪秀全は負けたけど、
残党の各地の秘密結社は衣替えして、
後の革命諸政党に加わってるだろう。
共産党にも残党の流れを継ぐ後継や子孫が初期に参入してると思う。 戦争とは呼べないかもしれないが。
国共内戦の犠牲者、大躍進政策での自称天災での餓死者、私兵紅衛兵などによる文化大革命の犠牲者、毛沢東の粛清による犠牲者
これを全部合わせたら、毛沢東が人類史上最大の虐殺者
次点はスターリン
3位はナチスとヒットラーか それくらいの人身御供をささげないと中華は統一かつ維持はできないからね
やはり毛沢東は天子といえる 孫文が太平天国びいき。
孫文13才のときに入塾した塾の教師たちが皆、
太平天国の人で、太平天国の歴史を講述し、
学童はみな感化された。
孫文も「洪秀全第二世」を自称する。
孫文と親しかった日本人萱野長知が聞いた話でも、
孫文が幼いころ村にいた
太平天国に参加し敗残して村の子供たちに教えていた人物に
影響を受けていたとのこと。
宮崎滔天が聞いた話でも
村の夜学の先生が学課をおわればスグに洪秀全の話をし
孫文の頭を撫でて聞かせ洪秀全になれと扇動した。
その先生は洪秀全の乱に従軍していた。
革命の精神は太平天国が生んだ。 >>984
でも中国史上未曾有の一人っ子政策を長らくやったおかげで割とヤバそうな気もする
宋明清的な活力はもうあまり期待できないかもしれん
おまけに人類史上最強の勢力西側という中国文明史上かつてない強敵が立ちはだかる… 太平天国の乱は、清の正規軍である八旗や緑営では鎮圧不可能だった。
私兵部隊である郷勇や、外人傭兵の力を借りて、やっと太平天国の乱を鎮圧できた。
外人部隊には常勝軍という名をつけたのもあった 明清時代は、人口が爆発的に増えたからな
これからの中国は人口が急減して逆回転に入る 20代が、30代より4割くらい少ない
日本や韓国とも比較にならぬ史上最速の少子高齢化、人口の逆ピラミッド
人口爆発でも世界に先駆けたが、今後の人口減少も世界最速となる見込み それにしても、「人口爆発」っていったら20世紀の現代社会のイメージだが、それを明清時代からやってたとは早いな! このスレッドは1000を超えました。
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