【鉄血】オットー・フォン・ビスマルク【宰相】
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オットー・フォン・ビスマルク(1815年4月1日 - 1898年7月30日)は、プロイセン東部の地主貴族ユンカー出身のプロイセン及びドイツの政治家。
代議士・外交官を経て、1862年にプロイセン国王ヴィルヘルム1世からプロイセン首相に任命され(在職1862年-1890年)ドイツ帝国首相(在職1871年-1890年)を歴任した。。
ドイツ統一の中心人物であり、オーストリアやフランスに勝利し19世紀ヨーロッパの勢力図を一変させた風雲児でもある。
卓越した外交力で国際政治においても主導的人物となり、19世紀後半のヨーロッパに「ビスマルク体制」と呼ばれる国際関係を構築した。
「鉄血宰相」の異名を持つ。 ヴィルヘルム2世の母、ヴィクトリアを嫌って虐めていたから、ビスマルクはヴィルヘルム2世に追い出された ビスマルクの構想してた統一ドイツは南ドイツを除外した
北ドイツだけの統一だったらしい
これならフランスと戦争にならなかったはずだが フランスが南ドイツに浸透を図ったから自身で抱え込むしかなかったというのが実情 この人、基本場当たり的なだけだよな・・・それを可能にする軍事力用意したんだけど
>>30
単純にイタリアとドイツは統一されてなくて弱かったからじゃね?
二国が統一された1870年代って、もう帝国主義の陰りが見えてた時期だし ビスマルクみたいな父権的なマッチョイズムの権化は、リベラル派が強い今のドイツでは全否定の対象 エムス電報事件ほど図に当たった謀略は、世界史でもめずらしい。 ビスマルクの体格にヴィルヘルム2世の頭脳
それがヒンデンブルク ぶっちゃけビスマルク以降、誰がなっても大戦は避けられんかったような気がする
ヴェルヘルムも自身は戦争反対なのに国内の交戦派と国外の反ドイツの意見が一致してんだから止められんw 実際のところどうなんだろうと思うことがある。
青年時代のビスマルクが25回の決闘のどれかであの世に行った場合
統一ドイツは成らなかったのか?
統一ドイツはビスマルクという名の喧嘩馬鹿一代が天文学的な確率で
タイマンに勝ち抜いた世界線のみに成立し得たのだろうか? あまり知られていないことだが、ドイツの統一は当時イギリスで大いに歓迎された
イギリスにとって19世紀末まで一貫した戦略的脅威はフランスとロシアであり、
その両者を牽制する勢力が中欧に現れることは好都合であったし、
ドイツが安定した政府のもとで統一されれば、それはヨーロッパ全体の
勢力均衡にとって好ましいと考えられたからである ところがその後ドイツが工業力で躍進してイギリスを凌駕してしまうんだよな >>50
どうだろうなぁ
イタリア統一の方が開始も成功も先みたいだし、歴史の必然といえるかもしれん
つっても、東西ドイツが統一したのに統一しなかった南北朝鮮みたいなとこもあるし・・・分からんなw 王子時代のヴィルヘルム1世「どうして軍人にならなかった?」
若き日のビスマルク「昇進の見込みがないからです」
ビスマルクって軍人上がりかと思ってたけど文官だったのね ビスマルク→ヒンデンブルク→ヴィルヘルム2世→アデナウアー→ヒトラー→ブラントだったらドイツは上手く行ってた >>51
もしそうならアホやな
プロシア一国だけでもオーストリア・フランスより強いのに、統一したらどうなるか読めなかったw
まぁ19世紀後半〜大英帝国末期のイギリスの勢力均衡政策はほとんど裏目に出てたからあり得るけど イギリスは王様がドイツ系だったから
自然と、大陸でテコ入れするならドイツ一択となる https://www.nikkansports.com/general/news/202101210000725.html
古民家から120年前のコンドーム 森下仁丹に寄贈
[2021年1月21日17時19分]
>森下仁丹は1893年に大阪市で薬種商「森下南陽堂」として創業。
>やまと衣の正確な販売時期は分かっていないが、96年の新聞広告には掲載されており、その前後に販売していたとみられる。
>その後に売り出した梅毒治療薬「毒滅(どくめつ)」が大ヒットした。
>おなじみの銀色粒の清涼剤「仁丹」は1905年に販売を始めた。
http://yahooimg.ritaomeng.com/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0409/users/2e710f6760095dc3647c9edd3b4aaa364d878198/i-img1191x1200-1537014953nsoepg1048952.jpg
梅毒治療薬 毒滅
ドイツ第二帝国の鉄血宰相ビスマルクがモデル >>58
イギリスはピューリタン・名誉の二大革命以後、議会の力が王権を上回って勝手できんよ ビスマルクのものとされる名言
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これに反論することは難しい 暴漢から襲われるが自ら素手で応戦して撃退
ケンカも強い鉄血宰相 >>46
ドイツ人はナチス以上にプロセインを忌み嫌ってる感じだな ルドルフ・シュタイナーの思想はビスマルクのアンチテーゼだね
プロセインの右の大きな政府に対しての左の小さな政府(緑の政治) >>67
「プロイセンイズム」とは国籍不明の珍語だぞ。
ドイツ語では「Preußentum(プロイセントゥーム)」だ。
英語では Prussianism とでもなるんだろう。知らんが。
>>65
現代ドイツの原型になった旧西ドイツは、大のプロイセントゥーム嫌いのアデナウアー首相(ケルン市長出身)が作った国だ。
今に至るまでドイツは彼の反プロイセンの気風を受け継いでいる。 オストプロイセンを失ってるのにプロイセン気質なんて残るわけないと思ってしまうんだが 19世紀になってプロイセンに組み込まれたエルベ川以西では
プロイセンの気風が染み込まれていった?
これらの地域では在地貴族がユンカー化されてったんかね? しかし、プロイセンなきドイツって穴のないドーナツだな
はよ奪還奪還 アデナウアーにしろヒトラーにしろルドルフ・シュタイナーにしろ共通してるのは反プロイセンなんだよな >>68
アデナウアーの作った国体に今のドイツ国民が苦しめられてるのがなんとも皮肉だわな テオドールホイスの知名度が低いのは何故だ
戦後ドイツの建国の父みたいな存在なのに ドイツは大陸国家でありながら米英や日本と親海洋国家と時はいいんだけど他の大陸国家と絡みだすとおかしくなる ビスマルクはわかってたし戦後ドイツでもコールあたりまではわかってたな 帝国時代のカトリック信者ってどんな存在だったんど? 日本ではビスマルクに人気があるが、カヴ―ルは人気が無い。ドイツ統一よりイタリア統一の方が難しかったと思う。
サルディニアの国力っも弱く その分ビスマルク以上の外交力が必要となる。
カヴ―ルの不幸はおいしいところをガリバルディに持っていかれた感があるし、
プロイセンの目覚ましい軍事的勝利はサルディニアには無かったからどうしても地味>カヴ―ル 今年はEU議長国がフランスだからな・・・
ファツ・・・我が大ドイツがフランスの風下に? >>81
往時のドイツ帝国と現在のドイツを比べると
領土は三分の二に減り海外植民地が全滅なのは寂しいが
ヨーロッパの力関係が安定しているのなら
ビスマルクならまあよしとするのでは? ロシアからみたウクライナは満州みたいなものだから、
奪還するのが当然と考えてるはずだが、ロシアにもそんな兵力はないだろ。 何気に周辺国すべてに喧嘩売って手に入れた領土と統一
この人以降、第一次〜ウクライナまで、ドイツは常に欧州爆心地にいるのがすごいというか憐れというか ヴィルヘルム二世とナポレオン三世どっちが酷いんだろ? ドイツ軍のパリ入城に反対しつつ結局
とめられなかった人
君主が変わると失脚するの例にもれず
失脚した人
(ヴィルヘルム1世からフリードリヒ3世
に変わった時はともかくその後が) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています