世界における王制・君主制 Part.19
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>>3
977世界@名無史さん2020/05/16(土) 15:43:35.360
〜なの? が出た
979世界@名無史さん2020/05/16(土) 15:58:59.010
数レス開けて自分で自分に回答予定 つんぼって差別用語だよね
しかも意図的に使っている 前スレ20日で埋まったのは最速じゃね?
スレの伸びも尋常じゃなかったと思う。 >>6
「馬鹿チョン」も差別用語だけどな
おまえは「つんぼ」だけが気になるのか? 992世界@名無史さん2020/05/16(土) 17:03:55.800
>>858
日本人は親切だから、馬鹿チョンに対して馬鹿チョンだとアドバイスしてあげてるんだよ
馬鹿チョンは日本人に感謝しなきゃいけないよね
995世界@名無史さん2020/05/16(土) 17:13:23.930
>>992
でもお前日本人じゃなくて馬鹿チョンじゃん ローマの教皇と、ドイツの皇帝
京都の天皇と、関東の将軍
西欧と日本では、このように、宗教権威と世俗権力が分離していた。
この2地域が近代化に成功したのは、必然とも思える イスラム文明圏でも、一時はそうなりかけていた (以下コピペ)
・・・その後10世紀にアッバース朝のカリフがアミールに政権を委ねるようになるとカリフは実権を失った。
アミールやスルタンの支配権を承認し、代わりに庇護を受け入れるだけの権威に失墜した。
さらにファーティマ朝、後ウマイヤ朝もカリフを称するようになって、スンナ派全体に影響力を及ぼすことさえ出来なくなった。
1258年にはモンゴル帝国によってアッバース朝のカリフが見せしめとして処刑され、アッバース朝は滅亡したものの、
マムルーク朝は生き残ったアッバース家の者を首都カイロに迎え新たにカリフとして擁立し、外来者であるマムルーク出身のスルタンに支配の正当性を与える存在として存続させた。
(カイロ・アッバース朝)
1517年、マムルーク朝がオスマン帝国に滅ぼされると、カイロ・アッバース朝のカリフムタワッキル3世は廃位された。 (コピペ続き)
オスマン朝は当初、カリフ位の権威に頼らずとも実力をもってスンナ派イスラム世界の盟主として振舞うことができた。
しかし、18世紀の末頃から19世紀にかけて、ロシアなどの周辺諸国に対する軍事的劣勢が明らかになると、オスマン帝国内外のスンナ派ムスリムに影響を及ぼすために、カリフの権威が必要とされるようになった。
そこで、16世紀初頭にオスマン帝国のスルタンはアッバース家最後のカリフからカリフ権の禅譲を受け、スルタンとカリフを兼ね備えた君主であるという伝説が生まれた(スルタン=カリフ制)。 >>12
>1258年にはモンゴル帝国によってアッバース朝のカリフが見せしめとして処刑され、アッバース朝は滅亡した
もしも元寇で日本が占領されてたら、見せしめとして、後宇多天皇が斬られたのだろう
恐ろしいことだ >>9
朝鮮人じゃなきゃ馬鹿チョンなんて気にしないし
耳が悪けりゃつんぼには反応する しかし、カリフ制度がこれで終わったわけではなかった。
バグダッドを脱出したカリフ家の生き残りは、エジプトの保護下に入った。
スルタンのバイバルスは、十字軍やモンゴルと何十回も戦ってシリア・エジプトを守り抜いた大英雄だが、出自はトルコ系で、奴隷市場で売られてた軍人奴隷の出身。
豊臣秀吉が後陽成天皇をミコシとして担いだように、バイバルスもカリフを擁立して権威が磐石となった。
豊臣秀吉と同じく、子孫はあっさりと打倒されてしまったが・・・。 >>14
無意味な屁理屈をこねるのは、いい加減にしろ
高齢化社会に、公務員の定年延長は必然の流れ。
反対する合理的な根拠がまったく無い。 >>19
それならば役職を問わず全検察官を一律に定年引き上げれば良いだけでは?
内閣が特例で個人の検察幹部の延長を認められるようにしていることが問題。 >>19
検察庁法改正に反対しますって書いてあるだけで無意味な屁理屈も何も無くね? >>22
頭ダイジョーブか?
今回の定年延長は、公務員全体に適用される話だそ。
検察のことは、公務員法でなく検察庁法に書いてあるから、一緒に改正する。
そこに、左翼メディアが変な難癖をつけてカミついてきただけだ。
きゃりーぱみゅぱみゅでさえ、騙されてたことに気づいてTwitterを削除したというのに、お前は芸能人以下の世間知らず。 >>24
いいから低学歴無職のネトウヨは黙ってろよ
萌えアニメだけ見てオナってろ >>24
論点がズレてる。単に定年を引き上げるだけならほとんどの人が反対しない。
内閣が特例で個人の検察幹部の延長を認められるようにしていることが問題。
ここに対する反論は? 黒川定年延長問題で未だに安倍政権を擁護している人は一体どういう人? >>29
>>24みたいな「安倍さんのやることは全部正しい!」「安倍さんを批判する奴は全員パヨク!」
と思っている単細胞のネトウヨ イスラム帝国について詳しい人は居ないのか?
何でもいいから知識を披露してほしいと思う >>32
俺も知りたい。
イスラム社会の歴史は全くと言っていい程知識がないから。 なんでイスラムって世界史の授業でも軽く流されるんだろうな?
俺の高校だけ? イスラム王朝のことは本当に触りしか分からんけど
ハーシム家とかチマチマ調べてると、色んなイスラム王朝の時代にポロポロと名前出てくるんだよな
あれ、統一的に理解できたら面白そうなんだけども 西欧にとってのローマ教皇に相当する存在といえば、日本では天皇、イスラムではカリフ。
預言者ムハンマドの死後、信者代表の温厚な親爺、アブーバクルが初代カリフになったのだが、在位2年で病気で死んだ。 2代目カリフになったウマルは、若い頃から勇猛で知られる人物。
宗教家としてはさておき、戦争にはとにかく強かった。
当時は、東ローマ帝国とササン朝ペルシャ帝国が死闘を繰り返し、領土を取ったり取り返したりしていた。
そこに、ウマルのイスラム帝国が登場した。
ウマルは東ローマ帝国に勝ってシリアとエジプトを奪い取り、返す刀でササン朝ペルシャも滅ぼした。
結局、ウマルは暗殺されたが、その頃にはすでに、イスラム国家は大帝国となっていた。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/de/Mohammad_adil_rais-Caliph_Umar%27s_empire_at_its_peak_644.PNG/220px-Mohammad_adil_rais-Caliph_Umar%27s_empire_at_its_peak_644.PNG 3代目のカリフになったウスマーンは、ウマイヤ家の大商人。
ウマルに押さえつけられていた各地の有力者が反乱を起こし、イスラム帝国は早くも崩壊の危機に直面した。
結局、ウスマーンも暗殺された。
次の4代目カリフのアリーは、ムハンマドのいとこで、シーア派が神のように崇拝する人物。
アリーも就任して数年後に暗殺された。
アリーの死後は、ウマイヤ家のムアーウィヤがカリフになり、ウマイヤ朝を創始した。
ここでイスラム教は、ムアーウィヤを支持するスンナ派と、アリーをあくまで支持するシーア派に分裂した。
アリーは、イエス・キリストのような悲劇の人。シーア派の熱心な信者は、アリーのことになると気が狂ったようになる。
ここまでの4人のカリフは、「正統カリフ時代」と呼ばれる。ここまでは、聖地メディナが首都だった。
ここからは、ウマイヤ朝イスラム帝国の時代。首都はシリアのダマスカスに置かれた。 >>34
マジレスすれば、日本の大学にはイスラム史の研究者が少ないから。
大学入試の問題を考える人が、中国史か欧州史の専門家ばかりなので、自然と出題がこれらの地域に偏っている。 イスラム帝国を一つの国のことだと思ってる奴がいた。 イスラム帝国といえばオスマン帝国とムガール帝国が有名 >>44
広い意味ではそうだけど、狭い意味では、「イスラム帝国」といえば、アッバース朝
それまでの正統カリフ時代やウマイヤ朝は、どちらかといえば「アラブ帝国」だった >>11
チャイナも、皇帝と衍聖公
インドはそもそも家系からして、司祭と、王侯貴族騎士と、別。 >>40
アラビア語やペルシャ語やらなきゃならんからな。 バイバルスほどの王でも子孫へ王位の継承を続けられないとは無常だな
アレキサンダー大王もだが >>46
最後の衍聖公は台湾で考試院長(人事院総裁)やってたか >>15
高麗もモスクワ公国もルームセルジュークもアルメニアもサカルトヴェロもケルーマンもウイグルも、王様の首斬られてないよ モンゴル高原統一戦時代を過ぎて、外征に出て王様を屠ったのは
アッバース朝のカリフを処刑したのは印象的だが、それ以外に誰か殺された? >>46
モンゴル人や清朝の皇帝は、チベット仏教を信仰していた
ダライ・ラマが西欧でいう教皇に相当する存在だったかもしれないな アレクサンドロス大王
アレクサンダー大王
アレキサンダー大王 第4代目の正統カリフのアリーと戦って勝利したシリア総督、ウマイヤ家のムアーウィヤは、アリーが暗殺された後、カリフとなった。
それまでのカリフは選挙で選ばれてたが、ムアーウィヤからはウマイヤ家が世襲するようになった。
選挙で選ばれてた神聖ローマ帝国の皇帝が、ハプスブルク家の世襲になったようなものか。
暗殺がやたらと多いのが、アラビアの歴史の特徴。「やられたら、やり返せ」というのがアラブの部族社会の掟なので、自然とそうなる。
ムアーウィヤはそんな中で、20年近くカリフの座にとどまり、天寿をまっとうした。宗教家としてはさておき、政治については天才だった。
しかし、ウマイヤ朝の世襲カリフを、誰もが認めたわけではなかった。
4代目カリフのアリーを崇拝するシーア派は、アリーの息子のフサインを担いで反乱を起こそうと計画した。
しかし、陰謀は露見した。フサインは、メッカから連れてきた数十名の同志とともに、移動する途中であえなく討たれて死んだ。
この事件は、「カルバラーの悲劇」と呼ばれる。
いまでも、シーア派は、年に一度のお祭りで、カルバラーの悲劇をしのぶ。アリーとフサインを殺された恨みで、シーア派信者が荒れ狂う日だ。自分で自分の身体をムチ打って、血を流しながら叫ぶ人もいる。
このとき、スンナ派とシーア派の対立は決定的になった。 >>54
>第4代目の正統カリフのアリーと戦って勝利したシリア総督、ウマイヤ家のムアーウィヤは、アリーが暗殺された後、カリフとなった。
↑訂正
アリーの軍と戦ったときのムアーウィヤは、戦闘では勝利したわけではなく、むしろ押されぎみだったが、戦後処理で外交巧者ぶりを発揮したため、アリーは一気に劣勢になった。
小牧・長久手の戦いで徳川家康に勝てなかったときの、豊臣秀吉を連想させる。
豊臣秀吉も、戦争については最強とは言えないが、政治については天才だった。 欧米人から見ると
東ローマ皇帝=将軍
西ローマ皇帝=天皇 ペリーが黒船で来航したときも、「日本には東の皇帝と、西の皇帝がいる」というのが欧米では定着していたので、ペリーは将軍と天皇を両方とも“emperor”と称した 日米和親条約もアメリカ合衆国と日本帝国間の平和および修好の条約 >>59
倭は大国で、新羅・百済・熊襲からも朝貢を受けていた >>56
エンペラーってのは集団の政治的な長を意味する
だから部族の酋長もサル山のボス猿もエンペラー
エンペラーを皇帝とするのは意訳でしかない 太陽王とか獅子心王といったヨーロッパの君主に見かける添え名。
19C以降はあんま見かけなくなったな >>63
その語義、英英辞典や百科事典でも書かれていないし、古英語関連の書籍にもないんだが何の独自研究だ?
emperorの語源はインペラトール(imperator)で、ローマ皇帝の称号から持ってきたものだぞ
元々インペラトールは軍の最高指揮権のことだから、本来的には地位を示す言葉ではなかったが、カエサル以来、
皇帝が軍権握るのが当然となり、その称号はローマ皇帝を示すものの一つになった 征夷大将軍の呼称だと軍事指揮官としか思われなさそうそうな気がする ウマイヤ朝やアッバース朝やオスマン朝の最大版図はすごいよな
あの広さでよく一つの国にまとまれたな
すぐ瓦解したんだろうけど ちなみに、部族や氏族の長には、伝統的な呼称chieftainがある
侮蔑的な意味はかけらもない、社会的なプライオリティの高い称号だ、動物などにはほぼ使われない 江戸幕府は対外的な将軍の称号を「日本国王」と「日本国大君」で二転三転してたけど
結局どっちの称号が格上になるのか? >>68
ウマイヤ朝は80年
アッバース朝は領土保持した状態で200年
オスマン朝も、ほぼ最大版図維持して200年
それぞれ維持してるわけだが、すぐ瓦解って何の話だ >>58
逆じゃないの?
副帝をローマに残して、ビュザンティオンに首府遷したんだから、東の方が格上だろ? >>72
多分地形的な東西のみの比較だと思うぞ…… >>60
いざ開港してみてると、横浜に船着けて幕府方と交渉して話がついたはずなのに、「京都にハンコ貰いに行くから、ちょっと待ってね」と
そこで本決まりにならない。
欧米諸国の国家間の約束も、200年くらい前のウェストファリア条約以降、現地の裁量だけでは本決まりにならず、本国で王様の裁可を
得て初めて発効ということが当たり前になってきていた。(所謂「批准」)
ここで、イェドのショーグンはほんまもんの王様ちゃうんちゃうけ? キョートのミカドがほんまもんの王様なんやろ?っことに勘づかれて
しまって、ただでさへ失墜気味の幕府の威信丸つぶれ。 >>75
フィクションが創作なの当たり前だろ何言ってんだ 麒麟がくるの創作をみて、韓流を創作だらけと誹謗していたネトウヨにコメントを出してもらいたい 史実どころかまともに記録もない明智光秀の青年期のドラマにの「創作が酷い」って、そもそもお前は何を見たいんだとしか言えない っていうか近年の大河ドラマは軒並み酷い
篤姫→ホームドラマ
龍馬伝→まだマシ
江→主人公がテレポーテーション
平清盛→視聴率の割には良かった
以下略
真田丸は平成史上稀に見る最高クラス大河 <真田丸>
秀吉が秀次にやたら目をかけていたとか、秀次がその重圧に耐えきれずに自ら高野山に逃げ出して自害したとか(爆笑)
石田三成なんて秀吉を諫めようとして切腹を命じられそうになるほどの好漢になってた
平成史上稀に見る最低の大河 >>79
利家とまつ というより、寿明と松島 だっしなあ この作品は〜、、、一切関係ありません。と、おことわりを入れろよ。 黒澤明作品の良さが真面目に分からない
七人の侍も最後のセリフで台無しになった
何故あれほど世界で名監督と言われるのか >>83
そもそも日本人と外国人では感性が異なるから
ヴェネツィア国際映画祭で最高賞を受賞した北野武の作品も日本での興行収入と客入りはさっぱり振るわなかった そういえば武の高評価も謎だな
ただ松本人志の映画は見る価値が無いのは確か
誰か映画を作る才能無いと教えてやれよと思う 麒麟がくるの創作のひどさをみて、韓流を創作だらけと誹謗していたネトウヨにコメントを出してもらいたい >>64
第二次大戦時のジョージ6世は善良王と渾名されたらしい >>85
それは、吉本興業の社内がシーンと静まりかえる話題 >>72
幕末になって江戸幕府がオタオタしだして、政治の中心が京都に移ってしまった頃ならともかく、それ以前の東と西の力関係を見れば、東のほうが格上に見えるだろ >>91
?
小説(フィクション)だろ?
小説は小説で楽しめばいいし、学問は学問として取り組めばいいし。 >>92
司馬は一応ノンフィクション作家として売ってる
それとは別に小説と学問の区別がつかずに史実と思い込む人間も一定数いる
坂の上の雲を史実として歴史語ってる奴もいるくらいだからな林修とか >>93
司馬遼太郎本人も、出版も、ノンフィクション作家として売ったことなど一度もないわ
新聞記者辞めた後は、小説家、エッセイストで一生過ごしとる >>65
語源でいったら「皇帝」という言葉はもともと中国で作られたものだし
その中国語をローマ人が知っていたとは思えない
だから単純に皇帝=エンペラーとはできない
せいぜい軍事的な最高指揮官とか政治的な上位ぐらいな意味合いしかない
また必ずしもエンペラーが最上位とは限らない
たとえばオスマン帝国はローマ皇帝を打倒してしまったので、
エンペラーの上にパーディシャーができてしまった
いちおう翻訳する場合はパーディシャーが皇帝となる
また英国王はインド皇帝よりも上位だけどエンペラーではなくキング
また、何をもって皇帝や emperor と訳すかについてのルールも存在しない
なのでエンペラーを自称してしまえばエンペラーとなる
日本の天皇がエンペラーと呼ばれるのは外交文書でエンペラーと自称したので、
他国がいちいち突っ込むのも面倒なのでそのままにしているから
つまり漢字圏で皇帝だからといって英語圏でも Emperor だとは限らないし、
逆に英語圏で Emperor だからといって漢字圏で皇帝としているとは限らない。
元々は英語でも日本語でもないものを勝手に訳しているだけだから仕方がないね。 ヨーロッパで皇帝位が王位より格上とは限らないのはプロイセン王がドイツ皇帝位を渋ったことからもわかる 戦前までは外国の君主は全部皇帝と呼んでいた
今でも外国の王位継承者を皇太子と呼ぶのはその名残らしい >>95
>日本の天皇がエンペラーと呼ばれるのは外交文書でエンペラーと自称したので、
他国がいちいち突っ込むのも面倒なのでそのままにしているから
いや、そうではないよ。
「日本には聖職的皇帝(天皇)と世俗的皇帝(将軍)がいる」と最初に言い出したのは、欧州知識人の日本観に絶大な影響を及ぼした「日本誌」の著者、エンゲルベルト・ケンペル
ケンペルは18世紀初め頃の北ドイツ人で、ロシア帝国、ペルシャ帝国、オスマン帝国、ムガール帝国と世界各地の体制を視察した後に日本に来て、日本の体制を観察した結果、「京都に教皇、江戸に皇帝がいる」という結論に達した。 >>93
坂の上の雲のドラマすごくよかったな
もっくんかっこよかった
子どもの頃は平安時代が一番好きだったけど、大人になって歴史をかじるようになると明治・大正時代が一番好きになるよな >>95
emperorの訳語を「皇帝」としたことの話はそもそもしていない
英語における「emperor」の語義の話
政治的な称号をどう訳すかは、それこそ政治的な話なので場合によるとしか言えない
ただし、明朝および清朝における皇帝(君主)について、英国は公文書において「emperor」としているのは確かだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています