古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】42
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3世紀からローマ帝国のリメスは破られ続けますよね。蛮族(ゲルマン人、サルマタイ人、フランク人など)の軍事力や技術力が上がったからでしょうか?また、ローマ兵の質は下がり始めていたのでしょうか?ロリカセグメンタタやスクトゥムなどの優秀な防具も使われなくなりなりましたし。 そのへんの要素も重要ではあるけど二次的なものだよ
目まぐるしい皇帝交代劇、軍部の権力暴走、
将校派閥同士の勢力争いといった指導部の大混乱と、
2世紀からの軍事費増大とインフレによる財政困窮といった要素が
決定的にローマの軍事機能を阻害したのがまず大きい >>952
ウァレリアヌス帝がササン朝のシャープール1世に敗北すると
ササン朝軍を模倣してローマ軍もカタフラクトが主力になった
鐙無しでカタフラクトを出来る人材がバルカンとアルメニアにしか
いなかったのでローマ帝国西部はコンスタンティヌス大帝や
アエティウス将軍のような東方出身者に依存するようになった
中世になり鐙が普及すると西欧人自身が騎士を出来るようになり
その必要がなくなった 3世紀どころか4世紀に入ってもローマ軍は8割以上の勝率を誇ってたけどな
ゲルマン傭兵がたくさん入って弱体化したというのは俗説
共和制ローマの方がむしろシャレにならない負け方してることが多い フランク族とかゲルマン傭兵は兜と盾で防御する身軽な歩兵で
ライン河でスエビ族とか同じゲルマン人と戦う事に適していたけど
東ローマ軍やササン朝軍のカタフラクトと戦う事は苦手だった
406年にライン河守備隊はヴァンダル族らに対して奮戦したけど
ヴァンダル族側のアラン族カタフラクトに敗れ去った フランク族やゲルマン人傭兵は伝統的に重装騎兵が主体
レオン6世も「タクティカ」の中でフランク人は密集しての騎兵突撃に特化しており
そのカタフラクトは無敵であると高く評価している >>957
それは単に共和制時代は大軍を動員した会戦中心だったのが
帝政末期は1000人とかの少数単位で複数に同時しなければならなかった事情の違いだろう
4世紀にもなると領内の治安も悪化して安全に人・モノを移動することが難しくなってるぞ 3世紀になるとローマ人というブランドに価値がなくなっていきローマ領内に移住を許しても、移住した側がローマ化しないのが大問題って塩野さんが述べてたけどなるほどなって思った。でも、ガリア帝国とパルミラ王国に分裂しちゃったけどなんとか統一し直したところが他の国と違うところだよね。 クリミア半島とか豊かな黒土地帯が広がってる南ウクライナを属州にする考えなかったのかな? いやいやマルコマンニ戦争とかカタラウヌムの戦いとかローマ史上敵味方共に動員数は屈指だぞ?
共和制時代は人的損耗を気にしないって感じでカンナエの戦いやアラウシオの戦いもそうだけど
勝ち戦であるはずのガリア戦争ですら万単位の兵員を損耗してるのよ
ところがローマ帝国末期になると人的損耗を避ける傾向が出てくる
古代ローマ帝国の軍隊を語るスレだっけ?くわしいコテがいたけど4世ごろに転換期があるみたい >>952
クラウディウス・ゴティクス帝と戦ったゴート族は
船でエーゲ海を荒らしまわった海洋民族だったけど
クラウディウス・ゴティクス帝のカタフラクト軍に
敗北するとローマ軍に対抗してゴート族も騎兵化した
フン族が攻めて来た時にはゴート族は船で小アジアに
逃げたりしなくなっていた
ローマがブリタニアを征服した当時は北海を渡る事が不可能で
ドーバー海峡がブリタニアの唯一の玄関だったけど
アングロ・サクソン族が北海を渡る事が出来るようになったので
ブリタニア防衛が不可能になった
以前はブリタニアもライン河でゲルマンから防衛可能だった >>963
共和政期が帝政期に比べて人的損耗を気にしない傾向にあるのは事実だし
帝政末期でも内戦等ではより大軍を動員する傾向にあるのもその通りだが
よりにもよって出す例が間違ってないか?
マルコマンニ戦争は帝政末期とは時期がかけ離れてる
カタラウヌムの戦いはゲルマン諸部族VSフン族の戦いといった方が実態に近い
さらに7万〜8万人以上動員されたとされるカンナエやそれ以上動員されたとされるアウラシオの戦いより
帝政末期で(内戦で双方合わせてというのでなく)動員数の多い戦いなんてあった? >>961
アウレリアヌス帝が再統一したのでローマ帝国というか
ドナウ軍団は滅亡に向けてまっしぐらとなった
ガリアの防衛はガリア人にオリエントの防衛は
オリエント人にそのまま任せるべきだったけど
再統一したのでドナウ軍団が全て防衛しなければ
ならなくなり負担に耐え切れなくなり滅亡していった クリミア半島は1〜2世紀の間はCharaxとかローマの入植都市も建設されてローマ軍も駐屯して
ネロ時代には属州に昇格するような話もあったようだけどネロの死と内戦でウヤムヤになって
3世紀前半には完全に撤退して放棄されてたって流れ かなり長いことビザンチン帝国のテマが設置されてたけど、あれはローマ属州がそのまま移行したんじゃなくて、一度放棄されてたのか クリミアはポリス時代にギリシャの穀倉として発展したけど
ヘレニズム時代にエジプトのプトレマイオス朝との競争に負けて衰退した
ローマ帝国時代も衰退したままだった >>971
チェルノーゼムも当時最先端の科学技術を持ったエジプトには敵わなかったのか……
あるいは普通に輸送が大変だったのかな? クリミア半島はギリシャ人には寒過ぎただろうから
アナトリアやシリアとエジプトとかより温暖な土地に
移住出来るのならば住民が流出して過疎化しただろうね >>971
> ローマ帝国時代も衰退したままだった
いい加減なこと言っちゃダメだよ
最盛期ほどじゃないけどローマ支配期は輸出交易地として盛り返してそれなりに繁栄してる
ローマ側もいろいろ手入れて開発して艦隊や軍団の分遺隊も駐屯させて治安良化させてたおかげで
ただ3世紀にローマ側が撤退して全部パーになるけど >>973
陸続きですぐそばに遊牧民がウホウホ居るしな
攻められたら逃げ場がない アウレリアヌスがガリア帝国軍=ライン軍団を壊滅させたことでゲルマン人に対する防衛力がさらに下がったわけだが
テトリクスが噂通りガリア帝国をローマの統治下に戻したかったのなら密約とかでなんとかならなかったのだろうか ・マルクス・アウレリウスがもう少し長生きしてコンモドゥスを後見できていれば
・ウァレリアヌスが敗北してもせめて捕縛さえ免れていれば
・アウレリアヌスが暗殺されずプロブスに円満に帝位を継げていれば
・そのプロブスも暗殺されなければ
この辺かな
これ以降の西側地域はもう不可逆に衰退するしかなかったとしか思えん アウレリアヌスは結構な歳だったけどそれでも彼が突然バカクズ野郎に暗殺されなければずっとローマはマシだったに違いない 暗殺したやつがクズかどうかは分からん
アウレリアヌスは有能ではあるけどあんまり慈悲深くはなかったみたいだから
マジで些細なことで殺されかけて「殺されるくらいなら殺してやる」ってなったのかもしれん テトリクスとゼノビアに対する扱いだけでも十分に慈悲深いように思えるが... じっさいアウレリアヌスを殺したのって叱責されて身の危険を感じた秘書官って説なかったっけ? 細かい資料は残ってないようだがエロスという秘書官を叱責したら恨まれて陰謀を練られて、ムカポルとかいう将軍に暗殺された
アウレリアヌスが殺された後にこの陰謀が露見してエロスは殺された
ムカポルがどうなったかは不明 個人の暴走ではなく、複数人から暗殺を共謀されちゃう時点で、その程度の人心掌握しかできてなかったとも言えるな >>985
その理屈だとカエサルも大したことない人間になるな 塩野さんによると、アウレリアヌスに叱責されて命の危険を感じたエロスって言う秘書がアウレリアヌスが寝ている間に偽の将軍の処刑リストを作ってそれを見せたらしい。それでパニックになった将軍が確かめもせず寝ているアウレリアヌスを暗殺した。その後嘘がすぐにバレてエロスと暗殺に関わった将軍は処刑された >>973
記録に残ってないだけでウクライナやイングランドからもギリシャ系の集落と思われる遺構が見つかってるぞ >>987
じっさい政治能力には疑問符が付くでしょ
上でも話題にされてるけど敵を作りすぎて孤立っぷりが尋常じゃない
圧倒的な軍事能力でそれを覆し続けただけで それはカエサルの志は機能不全になりつつある元老院制度を改革して一人に権利を集中させる帝政にすることだったから、どうあがいても対立したんじゃない?ガリアのローマ化成功してるし、ライン川を防衛線とすることも250年間くらいは成功してるし。確かにカエサルに用兵の才能がなかったら挫折してると思うけど。
カエサルはマジで天才だったと思う。本当に憧れる。 ハンニバル「行政改革の為に権限集めて短期間の財政立て直しに成功したんだけど、国を追われたったw」 古代ローマが作った エレシュキガル。
冥界という暗い世界で抑圧された生活を送っていたために、その性格は短気でねじ曲がったものとなったようだ
古代メソポタミアの創世神話にあるように、人間たちは所詮、神々の労働を肩代わりする存在でしかなかったからである。
↓
キリストの磔刑のことだと分かる、古代メソポタミアにはそんなものはなく古代ローマが自己防衛に作ったもの。 >>977
ディオクレティアヌス帝は分割統治で維持しようとしたけど
ガリアとか貧しい土地の担当者の不満と欲望で内乱になった
コンスタンティヌス1世もガリアで我慢出来なかった
コンスタンティヌス1世とかガリア出身ではなく
贅沢を知っている者をガリアで満足させるのは至難だった
ガリア出身の将軍がガリアで挙兵した時に鎮圧せずに
そのまま独立させた方が良かったようだ
ガリア出身者ならばガリアで満足し続けたはず >>989
コモドゥスがやったようなことをやったと工作させられたのか >>991
内戦勝利後のカエサルが甘すぎたというのであれば同意だがそれ以前はあんまり同意できんな
カエサルは自分に敵対したパトリキたちを許す寛容さを見せたがそれが死因になった アウグストゥスが政治面ではカエサルを反面教師にしてたからなぁ このスレッドは1000を超えました。
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