オスマン帝国の末期って悲惨だよな
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どんどん領土を奪われて隣国にやりたい放題されまくった アルバニアの場合、長い間氏族社会が続いていて、「血讐」として知られる
ジャクマリャとよばれる復讐の法も存在した。
ヨーロッパよりも、どちらかというとチェチェンやアフガニスタンやパキスタンの
連邦部族直轄地域を連想させる
バルカンの諸民族は「白い土人」と呼んだほうがふさわしいのでは… はいはいシチリアのオメルタ、コルシカのヴェンデッタ イタリア南部の暗黒社会はシチリア起源のマフィアの縄張り、
イタリア北部の裏社会はアルバニア・マフィアの縄張り バルカンといえば匪賊
実際はそんなにロマンチックなものじゃなかったらしいが 露土戦争の結果結ばれたキュチュク・カイナルジャ条約で、
オスマン帝国はアゾフと黒海北岸を失い、クリミア・ハン国の
独立を認めることになったが、これがオスマン帝国の衰退の
始まりとっていいのだろうか
一方、ロシアはピョートル大帝の夢である不凍港を手に入れた >>41
いわゆる「東方問題」の始まりはキュチュク・カイナルジ条約になるな
そこから「ロシアの南下政策に押されるオスマン帝国」像が確立した >>6
ケマルがアルメニア人やギリシャ人を大虐殺してアナトリアから絶滅させたお陰だね
本来はセヴール条約の領土だったけど、民族自決すべき彼らがいなかったからな >>14
オスマン帝国、青年トルコにより大虐殺されて何百万人も殺された
彼らがキリスト教だったのが原因 >>20
教育改革されたキリスト教たちと違って、旧態依然のイスラム神学校では対抗できなかったんだよ
18世紀にはイスタンブールの企業の80%がキリスト教徒
これへの嫉妬がイスラム支配者がキリスト教徒を大虐殺しはじめた原因 >>45
バルカン戦争以降、キリスト教徒資本家を狙い撃ちした課税や、
彼らに対するボイコット運動が起きたな 戦場でムスタファ・ケマルが孤軍奮闘してたイメージが強いわ 1838年にオスマン帝国はイギリスとバルタリマヌ条約を結んだ
この条約は、イギリスの産品がわずか3%の関税でオスマン領内に
もたらされることを認めた不平等なもので、結果としてイギリスの
工業製品の流入が進んだ
オスマン帝国はその後、ヨーロッパ各国と同様の不平等条約を結んでいる
また、この条約は宗主権下にあるエジプトにも適用され、
エジプトにもきわめて不利な影響をおよぼした バルカン半島は現在では密売と闇経済の十字路になっている
オスマン帝国崩壊後のこの地域の細分化と不安定さは、
闇経済を維持するのに好都合だった
バルカンのマフィアは西欧で娼婦として働かされる
若い女性たちの密貿易も行っている
また、パキスタンやイランやトルコから「バルカンルート」経由で
麻薬がヨーロッパ市場に入ってきている 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
●色川高志「高添沼田の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・高添沼田の息子(葛飾区青戸6−26−6)の挑発
●高添沼田の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6−23−21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6−26−6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。 >>44 ギリシャとは住民交換をしたけど、それ以前に大量に殺してたのか... オスマン帝国末期には、イスタンブルの都大路には西洋式の馬車が行き交い、
ターバンにトルコ服のオスマン官人にかわって、赤いトルコ帽にフロック・コートや
洋式軍服のハイカラな官僚・軍人が闊歩し、新式上流階級の女性の中にも、
洋装に薄いフェラッジェと呼ばれるヴェールをつけたハイカラさんが現れ始めた
この辺は明治日本と同じ ロシアはイスタンブールを奪っておけばよかったのに
イギリスが助けるからクソだな オスマン帝国では伝統的に、床に敷いた絨毯、キリムの上に座ったり、
差布団上にあぐらや正座、あるいは片膝を立てて座っていた
食事もそこに食卓用の盆をおいてしつらえた食事用の席でとっていた
しかし末期には西洋式に、室内に椅子と机を置き、椅子式で暮らし、
椅子で食事する生活様式をとる人々も現れ始めた >>16
「ギリシャ人」でも-oglou(ローマ字転写)という苗字の人もいるみたいだな
もちろんトルコ語の-オール(-の息子だっけ)から
まあそういうことなんだろうな
>>34 アルバニア人のマザーテレサの子供の頃は親戚の男衆か、下手すれば父親が切った張ったしまくってたんだろうか
神に一生を捧げたくなる気もわかる >>53
クリミアは仕方ないとしてイスタンブールまで
ロシアが占領したら米英仏独もガクブルだな
さすがにそこまで勢力拡大する事は許さないだろ
ロシア十字軍VSドイツ十字軍VSイギリス十字軍 トルコ救国の英雄ケマルパシャが現れて良かった
セープル条約のままだと、トルコは現在の3分の1ぐらいの小国になってた モンゴルとソ連とオスマン帝国と大英帝国
どれが一番悲惨 大英帝国は後の方で獲得した熱帯・亜熱帯の領土は植民すらほとんどしてない単なる海外領土だし、相次ぐ独立で失ってもふーんって感じ
イギリス人が住みたがらないような土地だから現地人をほぼ間接統治に近かっただろう
ソ連は面積が最大のロシアがそのまま分裂しない一国のままだし
モンゴルは単に故郷に帰っただけ、と思ったけど現代史である意味トルコより悲惨な目に遭ってるのか
しかも一部現在進行形で... >>60
世界史的影響で言えばオスマン帝国じゃないかな。
曲がりなりにもオスマン帝国によって秩序を保っていた地域が、
帝国崩壊とともに民族紛争の泥沼と化していった。
各地で大虐殺に継ぐ大虐殺、テロに次ぐテロ、終わらない宗教対立。。。。
アラブにゃ石油が出るんで、列強が介入し、
民族や宗教の過激派が暗躍。
世界戦争の火種が今もくすぶってるよ。 オスマン家って上手くやってれば天皇みたいに権威として残れたよな? >>63
無理
皇子はみんな奴隷の産んだ子だし
京大ころしから皇子全員幽閉になってもう飾り物でしかなくなった ベルサイユ宮殿を模したといわれる、ドルマバフチェ宮殿をはじめとする、末期オスマン帝国のスルタンたちの豪奢は、このころすでに、莫大な外国借款によって賄われていたのだとか 最初から完成品を持ち込むのではなく、同じところに何度も通って需要を確認し、より受け入れられやすいものに仕上げていく努力を惜しまなかった。 >>72
オスマン帝国は、末期には近代海軍も創ろうとしたからなあ… 新生トルコの領土が大きく狭められたのは、アルメニア人虐殺も関係してるのかな
いたいけなクリスチャンの同胞を虐殺するなんて!と ヨーロッパでは「トルコ人は中央アジアに帰れ!」なんて言われてたな セーヴル条約ではクルド人自治区の設置が謳われていたんだよな なんだったらガラテア人の先住性を盾にケルト系を入植させようとした? かつての精鋭部隊が完全なお荷物になって近代化を阻害したのは清朝の八旗も同じだな オスマン2世みたいに、イエニチェリの反乱によって殺害されたスルタンもいたな おなじ精鋭でもサファヴィー朝のキジルバシュなんかは上手く排除できた方かもしれん オスマン帝国って、クリミア戦争のころから、大きく外債に頼るようになっていたよな
1875年にはついに債務不履行を宣言
実質的な破産 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています