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◆◇◆十字軍・十字軍国家について語ろう!◆◇◆
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0002世界@名無史さん垢版2020/12/26(土) 02:34:06.530
たとえばサラディン率いる27000の兵をわずか500足らずの騎士で破ったという
「イスラエルの天草四郎」ボードゥアン4世とか
そういうマイナーなところを入れながらカタラウヌム
0003世界@名無史さん垢版2020/12/26(土) 02:40:29.610
例えば第3回十字軍は非常に惜しかった
この十字軍はまさにオールスターズと呼ばれている

その宗主は神聖ローマ帝国で数々の武勲をあげたフリードリヒ1世赤髭王
さらに仏のフィリップ2世尊厳王、英のリチャード1世獅子心王
この三人を主軸とする遠征軍合計5万以上、
さらにイスラエル周辺で展開している十字軍国家数勢力
これを合わせてアッコを包囲した

アッコは強固でなかなか落ちなかった
途中でフリードリヒ1世が川で転落して死亡するが、これは67歳だかの高齢で
ガチガチのプレートメイルで移動していていつ死んでもおかしくなかった
フリードリヒがもし生きてイスラエルに突っ込んでいたら、エルサレム陥落も夢ではなかった

しかし結果的にフィリップとリチャードが到着し、アッコを再包囲し、陥落させる
その後、フィリップはイギリスに隙が出たことに付け入り勝手に兵を退く、
それからもリチャードの軍はアルスフの戦いでサラディンを破るも、その頃は
フィリップと弟ジョンが共謀して英国を乗っ取ろうとしていたので帰国

この十字軍はアッコ陥落ぐらいまでが限界だった
一番苦労したのは現地にいた十字軍諸国家
0005世界@名無史さん垢版2020/12/26(土) 05:52:40.580
ビザンツ帝国のアレクシオス1世が、アナトリアからトゥルクマーン勢力を
駆逐するためにローマ教皇ウルバヌス2世に支援を求めたのが十字軍のきっかけ
ビザンツの意図は異民族の侵攻に対抗するための援軍要請だった
0006世界@名無史さん垢版2020/12/26(土) 09:14:05.370
北方十字軍 
アルビジョワ十字軍
0007世界@名無史さん垢版2021/01/01(金) 11:40:41.130
ボードゥアン4世が最強
0008世界@名無史さん垢版2021/01/03(日) 20:50:42.100
塩野七生の小説を読んでるんだけど、ヴェネツィアのエンリコ・ダンドロが第4回
十字軍の時、本来十字軍がカイロを攻める予定であった所をヴェネツィアにとって
エジプトは大事な交易相手であった為、十字軍の航行費用とかを負担する代わりに
行き先をコンスタンチノープルにしたって記述があるんだけど、他の歴史学者の本
だとコンスタンチノープルではなくて、アドリア海沿岸のザーラ(ザダル)って書か
れているんだよね。コンスタンチノープルは、ビザンツの皇位継承の争いに乗じて
一時的に占拠したと。塩野氏の他の書籍だと同様の記述があるんだよね。
まあ、省略しただけなのかもしれないけどもね。
0009世界@名無史さん垢版2021/01/03(日) 22:17:40.670
エンリコ・ダンドロは、ザラの奪還に協力すれば支払いの延期を認めるという
提案を十字軍諸侯にしたんだよな
コンスタンティノープルに十字軍を導き入れたのはビザンツの内紛であって、
ヴェネツィアの商業利権ではない
0010世界@名無史さん垢版2021/01/06(水) 11:08:22.420
ギリシャは目潰し天国で親族同士の争いしかないからな
収まったのはラストから3番目のマヌエル2世の時代
0011世界@名無史さん垢版2021/01/09(土) 22:52:01.720
セルジューク朝はマリク=シャーの死後、後継者争いで分裂して地方の独立政権が
勢力争いを始めたよな
シリアと上メソポタミア地方は事実上、独立した小国家に分かれ、アミールや
アター・ベクに統治されていた
0012世界@名無史さん垢版2021/01/11(月) 16:59:21.480
ルーム・セルジュークになっても
クルチ・アルスラーンが強固な首都コンヤを固めて
十字軍国家の連合軍を破ってるから凄い
0013世界@名無史さん垢版2021/01/11(月) 18:26:43.100
セルジューク朝のトグリル=ベクは、カリフからスルタンの称号を授けられ、
イスラーム世界の統一とスンニ派支配体制の復活という任務を託されたので、
当初はファーティマ朝打倒を考えていた
ところが、ファーティマ朝が支配していたシリア・メソポタミアへの進出を
企てたスルタンに、軍が従わなかったため、トグリル=ベクの後継者である
アルプ・アルスランはアナトリアへ向かった
0014世界@名無史さん垢版2021/01/11(月) 21:14:59.130
そして1077年に起こったのがビザンツ帝国とのマラズギルトの戦いである
これで大敗したビザンツは殆ど形式だけの領地で
第一回十字軍をほぼ素通りされ、
第四回では通過のついでに国家を占領されてしまう
0015世界@名無史さん垢版2021/01/11(月) 22:57:00.840
十字軍は1098年にアンティオキアを奪取した後も、約束を破って
この「神の街」をビザンツ皇帝に返還することを拒み、
ボヘモンドがアンティオキア公となった
0016世界@名無史さん垢版2021/01/12(火) 08:06:16.000
第一回十字軍のころ、シリアのファーティマ朝領域は
パレスティナの沿岸部に限られていた
シリアは沿岸部を除いてセルジューク朝系の諸侯の支配下にあったが、
彼らはお互いに対立し、政情は安定していなかった
イスラーム世界がこのように分裂していなければ、十字軍は
もっと困難なものになっていたかもしれない
0017世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 03:29:20.510
まあ、ファーティマ朝はまだ夢あるエジプトの柔らかい国家だったから
この後サラディンが来て悪夢を見る訳ですけどね

サラディンに勝ったのはボードゥアン4世とリチャード1世ぐらい
0018世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 09:32:42.210
イスラーム・シリア統一への動きは、モスルとアレッポで権力の座に就いた
トルコ人武将ザンギーに始まり、その息子ヌール・ウッディーンのもとで頂点に達した
ヌール・ウッディーンは組織的な軍事力を背景に、ジハードを旗印とした
政策を推し進め、1146年のエデッサ征服を皮切りに、シリアの非フランク国
すべてを手中に収めた
0019世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 11:38:38.170
てかモスルなんてどっかのイラクのせいで今はヒャッハー状態な訳だし
当時の平穏だった頃が全く想像できんな

ザンギーってのは十字軍国家でいうとこのギー・リュジニャンみたいなもんかな
0020世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 18:15:52.960
マヌエル1世コムネノスって、皇帝としての業績はともかく、一個人としての
エピソードには面白いものが多いと思う

・アンティオキアのヘラクレスと綽名されたレーモンドさえもこのビザンツ皇帝の
槍と円楯を自由に扱えなかった
・マヌエルはある著名な馬上試合で荒馬に跨って登場し、最初の手合わせに際して
最も頑強なイタリアの騎士を二人まで打ち倒した
・突撃に際しては常に先頭を切り、退却のときには最後まで残る彼の勇猛ぶりに、
味方は彼の安否を、敵は自らのそれを一様に気遣って戦慄した
・ある時彼は一日で、彼自らの手で蛮族兵を40人以上殺害した
・彼は自分の輪に縛った4人のトルコ兵俘虜を引きずって軍営地へ帰ったこともあった
・彼は常に最も積極的に一騎討ちを挑発もしくは応諾し、彼の腕前に挑戦した
巨漢ぞろいの戦士たちは不敗のマヌエルの槍で貫き通されるか剣で切り刻まれた
0022世界@名無史さん垢版2021/01/14(木) 22:20:33.810
マヌエル1世がローマ帝国の復活などという夢を追わず、
東方のセルジューク朝対策に国力を振り向けていれば、
歴史は変わっていたかもしれない
0023世界@名無史さん垢版2021/01/15(金) 16:44:31.850
>>22
援軍も入れて大軍で思いっきりルーム・セルジューク朝を滅ぼそうとしてますがそれは
で、ミュリオケファロンの戦いで大敗していますがそれは
0025世界@名無史さん垢版2021/01/15(金) 18:28:49.810
ルーム・セルジューク朝のスルタンは、マヌエル1世が大規模な遠征を準備中、
という情報をつかんで急ぎ宰相のガブラスをコンスタンティノープルに派遣して
和解を申し入れたが、にべもなく皇帝にはねつけられた
このときに和解を選ぶ道もあった?
0026世界@名無史さん垢版2021/01/15(金) 22:11:31.700
マヌエル1世は諸勢力の連携とアナトリア高原の強固な守りを侮っていた
0027世界@名無史さん垢版2021/01/16(土) 18:30:35.660
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世やシャルル・ダンジューも、
普遍的キリスト教的地中海帝国の夢を抱いていたから、
マヌエル1世のローマ帝国再興というのは中世人の思考としては
異常ではなかったのかもしれない
0028世界@名無史さん垢版2021/01/18(月) 07:28:43.200
ルイ9世は病身を押して無理に遠征に出かけ、途中でペストで亡くなったのは情けないとしか・・・
0029世界@名無史さん垢版2021/01/21(木) 16:53:59.820
英雄ボードゥアン4世とは大違いだな
0031世界@名無史さん垢版2021/01/22(金) 22:23:32.630
フリードリヒ1世は普通に高齢が原因だと思う
強行軍でかつ重装備、しかも68歳となるとな
せめてあと10歳若ければあの場面で生き延びて
フィリップとリチャードをまとめて5万ぐらいの軍勢で
サラディン破ってエルサレム占拠ぐらいまではいってたかもな
0032世界@名無史さん垢版2021/01/26(火) 22:32:37.840
フランク人はギリシア正教徒よりも、シリア正教会(単性説をとる)に好意的だった
ギリシア正教徒はアラビア語は話すが、最終的にはコンスタンティノープルの
いいなりで、ビザンツ帝国の手先とみなされていたからである
時代が下るにつれて、東方キリスト教徒はアラブの指導者たちと結ぶようになった
彼らにとって、ムスリムが口出ししなかった宗教上の自由をフランク人が
認めなかっただけ、フランク人に対する恨みは強かった
東方キリスト教諸派のうち、マロン派だけはフランク人と良い関係にあった
0033世界@名無史さん垢版2021/01/26(火) 22:41:22.460
なんか、フランク人に正義があるような言い方だな
0034世界@名無史さん垢版2021/01/31(日) 21:11:15.940
バランスシートからすれば十字軍は
イスラム勢の何世紀にもわたる悪行に対する
ささやかな報復と言える
0035世界@名無史さん垢版2021/02/03(水) 22:30:51.900
トリポリを臨む山岳地方を拠点としていたマロン派は、十字軍がエルサレムを攻めた
1099年に案内役をつとめた
フランク人と接触したマロン派教会は、1182年、アンティオキア総大司教エムリーの
もとにローマ教会と合体した
0036世界@名無史さん垢版2021/02/05(金) 14:38:13.450
>>34
てか今の世界で治安悪化させてる原因の半分がイスラムだからな
0037世界@名無史さん垢版2021/02/05(金) 14:53:41.890
オリエントをうまく統治するには、異教や異端に対して寛容である必要があったと
思うんだが、フランク人の排他性のためにそれは実現できなかった
0038世界@名無史さん垢版2021/02/06(土) 06:51:35.450
フランク人はキリスト教を受け入れるぐらい宗教にはフランク
0039世界@名無史さん垢版2021/02/06(土) 08:39:32.950
んなこたない
0040世界@名無史さん垢版2021/02/06(土) 09:06:01.480
キリスト教を受け入れてから、異端や異教に不寛容になったんじゃないの?
0042世界@名無史さん垢版2021/02/06(土) 09:32:43.360
>>31
悪行はキリスト教側のほうが先
共存を求めたイスラムに対しキリスト教側が拒否し、迫害
0043世界@名無史さん垢版2021/02/06(土) 23:03:09.380
イスラム主導による共存なんていらんわな
だいたい創始者が武将で対立部族ぶち殺す
つまり大量虐殺やってたな宗教だからなイスラムは
0044世界@名無史さん垢版2021/02/07(日) 00:34:01.860
>>42
ボスニア・ヘルツェゴビナなんてイスラム教徒の防波堤になってるだろ
あの伸びてる部分がモハーチの戦いで奪った領土の丁度オスマン全盛期ぐらいだからな
オスマンがもっと強くなってたらヨーロッパ荒れてたわ
アルバニアとかってイスラム脱却しようとはする気ないのかね
「スカンデル・ベク」とかあるし、ほとんどトルコの属国とか?
0045世界@名無史さん垢版2021/04/18(日) 06:14:50.270
>>42
私もそんなふうに思っていた時代がありました。
イスラム海賊の凶悪さを知る前までは。
0046世界@名無史さん垢版2021/04/19(月) 13:39:05.910
イスラームには極めて限定的で差別的な共存はあるかもしれんが共栄はない
征服か服従のみ
0047世界@名無史さん垢版2021/09/07(火) 15:48:59.480
定金のジハードは面白かった
0048世界@名無史さん垢版2021/09/07(火) 16:56:51.290
>>44
アルバニアは共産圏だった時は無神論だったろ
スターリニストなりに脱イスラムは目指してたと
0049世界@名無史さん垢版2021/09/07(火) 17:19:00.490
>>5
キリスト教会の東西分裂というのは
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教とか
旧教とカタリ派、旧教と新教ほど決定的で
深刻な話ではない感じだな
十字軍が東ローマ皇帝を塔から叩き落としたり
コンスタンティノープルを荒らしたのですら
宗派対立とは全く無関係の東ローマの権力争いが
発端だし
0050世界@名無史さん垢版2021/09/16(木) 09:19:27.360
>>1
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人、199年間
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人、6年間と1日
■明清交替、2500万人、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人、8年間
■太平天国の乱、1000万人、14年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間

戦争犯罪・虐殺
■第二次世界大戦、2900万-3050万人の死者
■日本の戦争犯罪、300万人-1400万人の死者
■三光作戦、270万人以上の死者
■国共内戦、180万人-350万人の死者
■マラーター王国のベンガル侵攻における戦争犯罪、40万人
■米比戦争、20万-25万人
■マニラ大虐殺、10万-50万人
■南京事件、1.3万-40万人

病気・飢餓
■中華人民共和国大飢饉、1150万人-5500万人の死者
■第二次世界大戦による病気と飢饉、1900万人-2800万人の死者
■大日本帝国による飢饉と病気、813万人-1493万人の死者
■日中戦争による飢餓と病気、500万人-1000万人の死者

※拡散は歓迎だぞ
0051世界@名無史さん垢版2021/09/16(木) 09:20:01.660
>>1
戦争・武力衝突
ここでは、高い推定値による死者数が10万人以上となる全ての戦争について一覧を載せる。これには軍人と民間人の両方の死者数が含まれる。直接、戦争によって死亡しただけでなく、それによって引き起こされた戦闘、病気、飢餓、虐殺、自殺、ジェノサイドによる死者も含む。

■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人の死者、6年間と1日
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人の死者、199年間
■明清交替、2500万人の死者、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人の死者、8年間
■安史の乱、1300万人-3600万人、8年
■第一次世界大戦、1750万人-4000万人、4年3ヶ月1週
■太平天国の乱、1000万人の死者 14年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■レコンキスタ、700万人、781年間
■ロシア内戦、500万-900万人、5年間
■三十年戦争、300万-1150万人[信頼性要検証]、30年間
■デカン戦争、560万人、27年間
■黄巾の乱、300万-700万人、22年間
■秦の統一戦争、200万人、9年間
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上の死者、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間

■第二次コンゴ戦争(1998)、380万人-540万人
■第一次コンゴ戦争におけるフツ難民の虐殺、20万人-22万人
■コンゴ自由国における残虐、300万人-1300万人

※拡散は歓迎だぞ
0052世界@名無史さん垢版2021/09/16(木) 09:20:30.240
>>1
強制労働・奴隷貿易
ここでは、労働条件の悪さによる死亡、労働能力を十分に発揮できなかったことによる死刑、輸送中や職場での労働者の不当な扱いによる死亡について一覧を載せる。

■労働改造制度、1500万人-2700万人
■アラブ人の奴隷貿易、754万人-7000万人
■オスマン帝国における奴隷制、1050万人-1125万人
■グラグ制度、105万-600万人
■北朝鮮における強制労働、40万-150万人
■アシエンダ制における奴隷労働、17.3万-201万人(1900-1920)
■大日本帝国による朝鮮人の強制労働、27万-81万人
■バルバリア奴隷貿易、24.5万-38万人

死者数による政治的指導者一覧
ここでは、特定の政治指導者が原因となった死者数を載せる。死亡者は国策による国内の状況と、問題の指導者に対して忠実な軍隊による積極的な殺害の両方に起因している。
■毛沢東、1359万-7000万人
■チンギス・カン等、2000万人-4000万人
■アドルフ・ヒトラー、1351万人-2549万人
■蒋介石、596万人-1852万人
■ヨシフ・スターリン、330万人-1500万人
■昭和天皇、300万人-1400万人
■レオポルド2世、300万人-1300万人(コンゴ)
■ポル・ポト、138万人-340万人
■青年トルコ人(オスマントルコ帝国)、148万人-281万人
■オマル・アル=バシール、106万人-253万人
■金日成等、71万人-350万人

※拡散は歓迎だぞ
0054世界@名無史さん垢版2021/10/17(日) 11:27:12.600
>>34
キリスト教とイスラム教の対立に仕立てたのはフランクなんだよなあ
実際はペルシア帝国の侵略にギリシアとエジプトが同盟組んで対抗し、
ローマにも援軍を求めたところ、ガリアの蛮族が大群でやってきて
ペルシアそっちのけでエジプトとシリアを攻撃しまくってただけなのよな
0057世界@名無史さん垢版2021/10/27(水) 23:26:27.790
初期十字軍から後期まで、イスラム側も含めた遠征時の食事、陣中食を調べたいんだけどおぬぬめ本とかサイトとかある?
0060世界@名無史さん垢版2022/01/21(金) 23:51:15.620
>>56
エルサレム王国は夢があったよな
王様の名前もアモーリーとかなんか神聖な祈りの言葉みたいでかっこいい
0061世界@名無史さん垢版2022/01/25(火) 08:05:05.790
しかし十字軍ってあれだけの年月とあれだけの人員を注ぎ込んだのに、
西の沿岸地域をちょっと削ったくらいでしかなかったのな
マアルーフはこの時期のセルジューク朝の内乱を呆れたふうに軽く書いてるけど、
これって靖難の役・土木の変と倭寇とを比べて、後者を地方の将軍任せ
にすることを責めるようなもので、ちょっと理不尽だよね
0062世界@名無史さん垢版2022/01/25(火) 11:17:28.470
十字軍自身も理不尽だと思っただろうよ
温暖冷涼な気候から砂漠のひたすら熱いところに駐屯させられるんだから
0063世界@名無史さん垢版2022/01/31(月) 06:38:38.140
意味不明な返しだな
もしかして文意を理解してない?
マアルーフを同時代の年代記作者と思ってる?
0065世界@名無史さん垢版2022/05/05(木) 21:38:37.190
https://nazology.net/archives/108335
12世紀の「手榴弾」発見? イスラム教徒が十字軍撃退に開発した可能性
2022.04.30 SATURDAY
0066世界@名無史さん垢版2023/02/06(月) 20:55:04.320
テンプル騎士団は反キリスト
0067世界@名無史さん垢版2023/02/07(火) 00:09:08.970
十字軍は元々チンピラの厄介払いだった
貴族や修道院のガードマンである客人
だが、農民や奴隷いじめて手に余った
そこで、エルサレム開放を建前として作られたのが十字軍
チンピラを前線に送る事で平和な日常を手に入れた
十字軍は十字軍でイスラム圏の国々に敗北したが
技術や財宝を手にした
そのおかげで西欧は発展した
0069世界@名無史さん垢版2023/08/23(水) 11:59:41.790
近年の遺伝子調査によれば
十字軍兵士の遺伝的痕跡はほとんどないそうだ
0070世界@名無史さん垢版2023/09/27(水) 11:04:00.060
遠征してそのまま国を作って居座る考え方が理解できない 仮に宗教の聖地であってもね
項羽ならいい服着ても夜道を歩いたら意味がないとしてエルサレムを奪還したら故郷に帰ることを考えるはず 劉邦も故郷に帰りたかったから巴蜀から出てきたんだろ?俺ら日本人もそう
一旗あげたら必ず故郷に帰りたがるもの
0071世界@名無史さん垢版2023/09/27(水) 17:11:08.100
母国じゃあぶれ者なんだから聖地で一旗上げて天国行き確定したほうがいいだろ
0072世界@名無史さん垢版2023/09/28(木) 16:53:09.070
項羽も母国じゃあぶれ者だから、むしろ母国に帰ってチヤホヤされたいんだ
四面楚歌なんてみんな故郷に帰って家族に会いたい
楚の兵の心理をついたんだろ?
アジア系は故郷を大事にするんだ
0073世界@名無史さん垢版2023/10/29(日) 07:10:31.800
元々エルサレムは東ローマ帝国の領土であり
ユダヤ教徒とキリスト教徒が暮らしていた
そこに後からイスラム教徒(アラブ人=パレスチナ人の祖先)がのこのこやってきて土地を奪って勝手に住み着いただけ
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