【タウングー】ミャンマー史【パガン】
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ミャンマーの歴史語るスレ
パガン朝からモンゴルによる滅亡
アヴァとハンターワディの40年戦争
タウングーのシャン族攻め
コンバウン朝等々 アラウンパヤーはなぜインパールを征服できたのか
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1561221952/l50
1世界@名無史さん2019/06/23(日) 01:45:52.820
アラウンパヤーはどうやってインパールを占領したのか
牟田口が失敗したインパール占領を
それより200年前に
アラウンパヤーが成功してる
いったいどうやって兵站を維持したのか
どのようにして成功できたのか >>2
物資がなくなる前に
敵軍を粉砕して占領できたと言うことでは
日本軍の場合
それができなかった ビルマ族は後続の民族であり
モン族が先住民だった
山のほうに住むワ族は支配下に置いたわけでもなく
むろんワ族という民族がいたことを知っていて
接点もあるにはあったが支配してたわけではなかった さて、ワ族は自分たちの言語をどのようにとらえているのでしょうか。
その一端を示す、こんな言い回しがあります。
Man hox on kaing man rāog, lāi rāog yīe kaing lāi hox
(布、漢族、柔らかい、〜より、布、ワ族 文字、ワ族、簡単な、〜より、文字、漢族)
「漢族の布はワ族の布より柔らかく、ワ族の文字は漢族の文字より易しい」
この言い回しは「それぞれに優れたところがある」という文意を表わします。
社会・文化的な表象として考えさせられるところがありますね。
https://www.e-surugadai.com/surugadai-selection/%E3%80%90%E3%83%AF%E8%AA%9E%E3%80%91%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%EF%BD%9E%E3%83%AF%E6%97%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0.html
中国人との方が付き合い多いらしい モン族は文字を持ち
内政が整った王国を築いていた
ビルマ族のパガン朝はそのモン族の王国を滅ぼしてできた国
いわば中国でいうところの征服王朝みたいなもん モン人は古くからインドやセイロンと海を経由した交易を行い、その関係で
東南アジア大陸部でもっとも早く上座仏教を受容し、それをビルマとタイに
伝播させた
また、ビルマ文字の体系はモン文字をもとにつくられた ワレルという商人が建国したハンターワディは最古の成文法典を作った
モン族の国だった
カチン族やカレン族の言語がチベット系かどうか微妙らしい
王朝の安定度
パガン>タウングー
モンゴル襲来がなければパガンは存続しただろう
モンゴルもその後現地の勢力に敗北して撤退したが
日本だと羽柴秀吉が
農民だったか針商人からのし上がった人物として知られるが
モン族ともシャン族ともいわれるワレルも
商人から身を起こして王国を建国した
https://en.wikipedia.org/wiki/Wareru パガンでは僧院領地の増大が、非課税地の拡大として王朝の財政を悪化させ、
少ない人口の中から多くの僧院奴隷が献上されたことは労働力不足を招いて
国力を弱めた
元軍が来襲しなくても、いつかはいきづまったかもしれない モン族やシャン族の存在感は歴史的にあるけど
カチン族やカレン族やワ族の存在感のなさときたら
こいつら時々シャン族やビルマ族と言った文字持ち民族とたまに交易するだけで
支配下に収まったこともないんじゃないのか ピュー人は、9世紀に雲南から南詔の攻撃を受けた後、衰退に向かい、
12世紀までに歴史からその姿を消していった
彼らはいくつかの城市からなるゆるやかな連合を形成していたらしい なぜマンダレーなんて乾燥地帯に都市を作ったんだろう
乾燥地帯で外来河川のある場所は、水があって病害虫が少なくて、かえって高温多湿の場所(ヤンゴンなど)より作物がよくできるのかな パガンはヒンドゥー教のクメールの膨張を止めて
東南アジアに仏教が広がるきっかけを作った
仏教が広がることがいいことなのか悪いことなのかわからないが >>19
ヤンゴン辺りの気候と地形見れば分かるけど、マンダレーと段違いに肥沃な土地よ。
ただマンダレー周りと比較すると河があり平地というだけでアドバンテージやろ。 >>1
40年戦争というと長いように見えるが
戦国時代は百年以上続いたからそれに比べればなんともないな ミャンマーにもポルトガルから鉄砲が伝わったが、日本と違って、
国産化しようとはしなかったな
ポルトガル人を傭兵としてやとえばそれでいいと思っていた 資本の蓄積というか
工業の成長はあんまり見られない ミャンマーに限らず東南アジアでは、輸入商品の「国産化」の動きがみられたのは、
ジャワで綿織物の生産が盛んになったことぐらい
それ以外では輸入商品の圧倒的な優位は変わらなかった わざわざ自分たちで作らなくても、外国人から買う、
あるいは外国人に任せればいいと思っていた >>16
でも現代史では内戦でメッチャ存在感あるな
ワ族とか麻薬取引の中心ではないの? チャットモンチーってビルマ語の単語にありそうな響きw
Kyat Mong Kyi よくパガンは寺院の立て過ぎで衰退したとあるけど本当なのかな
木々の伐採が進んで環境破壊が起こって経済損失でたとか
労役が重すぎて住民の離散や反乱がおこったとか
そういう記録残ってるの? ヨーロッパ人が侵入してからは
チークの需要が高まり
チークをのこぎりで切るだけでかなり儲けることができたらしい
だけどそれで企業が発達して産業が興るなんてことはなかった コンバウン朝の王都にはインド人、中国人、アフガン人、ペルシア人、
アルメニア人、ポルトガル人などが王権の庇護を受けながら生活していた
とくにポルトガル系の人々は鉄砲のスペシャリストとして大切にされた
何でも自国でやるのではなく、異民族に特異な分野があれば彼らに
任せればいいというのが東南アジアの王朝の考え方 タイのアユダヤ朝ナライ王の宮廷では、ギリシア系のフォールコンという人物が
国政の最高責任者の地位に就いていた 外国人はできるが自分たちはできないことがあると言う事実を見ても劣等感を抱かないらしい
やはり儒教が伝わってない国は技術や産業はあまり発展しない
するにしても遅い ビルマのコンバウン朝の軍隊は、1767年に東南アジア有数の交易・文化都市だった
アユタヤを蹂躙し、400年にわたって栄えたアユタヤ王国は滅びた 東南アジアに最後になんかしてきたのがシャン族、シャム族だったが
アヴァが滅びずハンターワディやタウングーを征服できていたら
東南アジアはタイ族一色になっていたかもしれない >>39
寺院や美術を見る限りでは、
中国や日本に劣っているどころか上に見えるのに
完全に中国人に国内を牛耳られてるのは不思議だった タイのチャクリー王家は、モン族を先祖に持つアユタヤ貴族の出身だが、
中国系、ペルシャ系の血も入っている 建築や美術と言った奢侈品作る技術はあったが
実用的な産業や工業や生産の技術はなかった 人口はバインナウン時代でも全体で200万程度だったそうだ
これなら同時代の日本よりも下 ビルマ王国が英緬戦争を避ける道はなかったのかな
英緬戦争を避けられたら、その後のビルマの歴史も変わっていたかもしれない 避けるもなにも
イギリスじゃなく王朝側から攻めた戦争だよ
真珠湾奇襲と同じ
避けるとどうしてもいうなら
ベンガルから撤退すればよかったね
まあ無理だろうけどね
東南アジア諸国の西欧諸国への認識はあの戦争で初めて一変したって段階だから ビルマは隣国のタイに比べて運が悪い国、というイメージ モンゴルも今のミャンマー中部辺りまで支配下に置けたしな
北にカカボラジなど高山があるのに、どうやって攻め入れたんだろう モンゴル軍も東南アジアに攻め込んだときには、熱帯特有の病気で苦労したらしいな ビルマにとって、第二次英緬戦争に敗れて、海への出口を失って
内陸国になってしまったのは痛かったよな インパール作戦は兵站が維持できないから
無謀というが
アラウンパヤーは日本軍と同じルートを通ってインパールを占領した
逆にベンガルの勢力は山を通ってアヴァ朝へ略奪するために攻め込んできたこともあった 弥助という本能寺以外は何やってたかよくわからんのをハリウッド映画にするより
ザカインで反乱を起こして王になろうとして失敗して処刑された
ポルトガル人傭兵を映画にすればいいのに 東南アジアは暑いし肥沃だから努力する必要ないから勉学も疎かになるんだろ >>55 日本でのタイトル「栄光なき天災たち」
か パガンを第一帝国
タウングーを第二帝国
コンバウンを第三帝国という カレン族とかカチン族とかよりも
ラーンナーのほうがよっぽどビルマ族の王朝の支配下にはいってた時期が長そうだ
カチン族はまあよくわからんが山のほうにいて時々貢物をもってきてたってただけだろう 王朝時代は支配下に置いてはいたが取るに足らない存在だったのか
ほぼ名目的な従属で事実上独立した民族だったのか 非ビルマ族たちのほとんどは恭順してなかったってことなのか
国土中央を囲うように山地の広がる地形にまつろわぬ民
いまもミャンマー統一は不可能かな 恭順はしてたかもしれないが
支配は名目的なもので
各民族は独立したような存在だったのだろう
かといってビルマ族の王朝に敵対するほどの力はないからあくまで恭順と協調してたってだけで ウィキでモン族はイギリス軍に味方したみたいなこと書かれてるけど
それが正しければ
ビルマ族は自民族中心主義と他民族の抑圧を抑えられなかったのかもしれないな タイのアユタヤ朝はビルマのコンバウン朝にメタクソに滅ぼされたんだったな。
だから今でもタイ人はミャンマーが嫌い マンラーイ
wiki見ると出生のところ十干
甲戌 1994年
1994年10月4日 北海道東方沖地震
侘びの打ち止め
乙丑 1995年
1995年1月17日 阪神淡路大震災
寂びの始まり
侘び→生身の悪魔の勝利の災害
寂び→反対の仕返しの神が悪への災害
しかし、打ち止めには失敗している。
そのせいで2011年3月11日の東北大震災月起きてしまった。 ビルマの竪琴のあらすじをあらためて見てみた。
あれは未来の日本の姿だ。
お別れするのは、北海道と本州。
松山千春の 旅立ち だ。
涅槃仏の復活。
オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ
→特に日本西側が北海道への恨みつらみだな。滅ぶのならおまえらも一緒だって。
北海道は中国人の首狩族に蝕まれている。
タイは4頭もの象をプレゼントしてくれた。
あの象があの白い象の代わりだなw
惨たらしい死体は既にホロコーストで死んだ日本に密航した中国共産党らかもしれない。 パガンはシンハラ朝と深い関係にあり
兄弟国とも呼んだこともあった 万里の長城は怖い怖いモンゴルが来ないように築いたのに、そこを飛び越えたのかw タウングーが勝てたのはアヴァとハンターワディの漁夫の利を得たからという事でいいのかな 自分の死後
王朝が崩壊したバインナウンと
配下の住民や征服した民族を殺戮したが
インパールを占領して
自分の死後も王朝は残ったアラウンパヤーとどっちが上か やっぱり熱帯では頭がボヤっとしてしまって理論的な思考ができず近代的な成長に遅れたのかな。
北ヨーロッパのようにある程度寒冷な気候でなくては、頭がはっきりしないのかな
反対に北極圏では生存そのものが難しく、あれこれ考える暇もないんだろうが。 >>76
インド数学は0の概念や位取り記数法を発見した。
が、そこ止まりとなったか… 第2次大戦後の東南アジアの経済成長は
「冷房が普及して論理的な思考ができるようになったから」
という1面もある インパールを占領したアラウンパヤー>インパールから敗走した牟田口 タウングー朝をみて
強力な君主がいなくなったら分裂するというは何も遊牧民の王朝だけでないこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています