【タウングー】ミャンマー史【パガン】
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ミャンマーの歴史語るスレ
パガン朝からモンゴルによる滅亡
アヴァとハンターワディの40年戦争
タウングーのシャン族攻め
コンバウン朝等々 東南アジアに最後になんかしてきたのがシャン族、シャム族だったが
アヴァが滅びずハンターワディやタウングーを征服できていたら
東南アジアはタイ族一色になっていたかもしれない >>39
寺院や美術を見る限りでは、
中国や日本に劣っているどころか上に見えるのに
完全に中国人に国内を牛耳られてるのは不思議だった タイのチャクリー王家は、モン族を先祖に持つアユタヤ貴族の出身だが、
中国系、ペルシャ系の血も入っている 建築や美術と言った奢侈品作る技術はあったが
実用的な産業や工業や生産の技術はなかった 人口はバインナウン時代でも全体で200万程度だったそうだ
これなら同時代の日本よりも下 ビルマ王国が英緬戦争を避ける道はなかったのかな
英緬戦争を避けられたら、その後のビルマの歴史も変わっていたかもしれない 避けるもなにも
イギリスじゃなく王朝側から攻めた戦争だよ
真珠湾奇襲と同じ
避けるとどうしてもいうなら
ベンガルから撤退すればよかったね
まあ無理だろうけどね
東南アジア諸国の西欧諸国への認識はあの戦争で初めて一変したって段階だから ビルマは隣国のタイに比べて運が悪い国、というイメージ モンゴルも今のミャンマー中部辺りまで支配下に置けたしな
北にカカボラジなど高山があるのに、どうやって攻め入れたんだろう モンゴル軍も東南アジアに攻め込んだときには、熱帯特有の病気で苦労したらしいな ビルマにとって、第二次英緬戦争に敗れて、海への出口を失って
内陸国になってしまったのは痛かったよな インパール作戦は兵站が維持できないから
無謀というが
アラウンパヤーは日本軍と同じルートを通ってインパールを占領した
逆にベンガルの勢力は山を通ってアヴァ朝へ略奪するために攻め込んできたこともあった 弥助という本能寺以外は何やってたかよくわからんのをハリウッド映画にするより
ザカインで反乱を起こして王になろうとして失敗して処刑された
ポルトガル人傭兵を映画にすればいいのに 東南アジアは暑いし肥沃だから努力する必要ないから勉学も疎かになるんだろ >>55 日本でのタイトル「栄光なき天災たち」
か パガンを第一帝国
タウングーを第二帝国
コンバウンを第三帝国という カレン族とかカチン族とかよりも
ラーンナーのほうがよっぽどビルマ族の王朝の支配下にはいってた時期が長そうだ
カチン族はまあよくわからんが山のほうにいて時々貢物をもってきてたってただけだろう 王朝時代は支配下に置いてはいたが取るに足らない存在だったのか
ほぼ名目的な従属で事実上独立した民族だったのか 非ビルマ族たちのほとんどは恭順してなかったってことなのか
国土中央を囲うように山地の広がる地形にまつろわぬ民
いまもミャンマー統一は不可能かな 恭順はしてたかもしれないが
支配は名目的なもので
各民族は独立したような存在だったのだろう
かといってビルマ族の王朝に敵対するほどの力はないからあくまで恭順と協調してたってだけで ウィキでモン族はイギリス軍に味方したみたいなこと書かれてるけど
それが正しければ
ビルマ族は自民族中心主義と他民族の抑圧を抑えられなかったのかもしれないな タイのアユタヤ朝はビルマのコンバウン朝にメタクソに滅ぼされたんだったな。
だから今でもタイ人はミャンマーが嫌い マンラーイ
wiki見ると出生のところ十干
甲戌 1994年
1994年10月4日 北海道東方沖地震
侘びの打ち止め
乙丑 1995年
1995年1月17日 阪神淡路大震災
寂びの始まり
侘び→生身の悪魔の勝利の災害
寂び→反対の仕返しの神が悪への災害
しかし、打ち止めには失敗している。
そのせいで2011年3月11日の東北大震災月起きてしまった。 ビルマの竪琴のあらすじをあらためて見てみた。
あれは未来の日本の姿だ。
お別れするのは、北海道と本州。
松山千春の 旅立ち だ。
涅槃仏の復活。
オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ
→特に日本西側が北海道への恨みつらみだな。滅ぶのならおまえらも一緒だって。
北海道は中国人の首狩族に蝕まれている。
タイは4頭もの象をプレゼントしてくれた。
あの象があの白い象の代わりだなw
惨たらしい死体は既にホロコーストで死んだ日本に密航した中国共産党らかもしれない。 パガンはシンハラ朝と深い関係にあり
兄弟国とも呼んだこともあった 万里の長城は怖い怖いモンゴルが来ないように築いたのに、そこを飛び越えたのかw タウングーが勝てたのはアヴァとハンターワディの漁夫の利を得たからという事でいいのかな 自分の死後
王朝が崩壊したバインナウンと
配下の住民や征服した民族を殺戮したが
インパールを占領して
自分の死後も王朝は残ったアラウンパヤーとどっちが上か やっぱり熱帯では頭がボヤっとしてしまって理論的な思考ができず近代的な成長に遅れたのかな。
北ヨーロッパのようにある程度寒冷な気候でなくては、頭がはっきりしないのかな
反対に北極圏では生存そのものが難しく、あれこれ考える暇もないんだろうが。 >>76
インド数学は0の概念や位取り記数法を発見した。
が、そこ止まりとなったか… 第2次大戦後の東南アジアの経済成長は
「冷房が普及して論理的な思考ができるようになったから」
という1面もある インパールを占領したアラウンパヤー>インパールから敗走した牟田口 タウングー朝をみて
強力な君主がいなくなったら分裂するというは何も遊牧民の王朝だけでないこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています