【資料】カルタゴについて語るスレ3【少な過ぎ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001世界@名無史さん
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2021/06/26(土) 21:30:20.590
地中海の女王と呼ばれ輝かしい栄華を誇ったにも関わらず、ローマに破壊し尽くされ資料が殆ど残ってないカルタゴ
政治、軍事、気候、宗教、特産品、文化、人物、都市伝説等…
何でも良いんでカルタゴについて語りましょう
フェニキアもオッケーです

過去スレ
【資料】カルタゴについて語るスレ【少な過ぎ】
http://itest.5ch.net.../whis/1601702440/l50
【資料】カルタゴについて語るスレ2【少な過ぎ】https://itest.5ch.net/test/read.cgi/whis/1611295643/l50
0002世界@名無史さん
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2021/06/26(土) 21:32:12.990
過去スレ1が上手く繋げませんでした
前スレがいっぱいになりましたら、此方にお願いしますね
0003世界@名無史さん
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2021/06/28(月) 12:52:26.420
前スレが埋まったよ
今度はこっちで宜しくね

ところでクスクスってカルタゴの頃からあるのかな?
0004世界@名無史さん
垢版 |
2021/06/28(月) 15:31:38.170
前スレが埋まったよ
今度はこっちで宜しくね

ところでクスクスってカルタゴの頃からあるのかな?
0006世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 12:38:32.360
カルタゴの戦いってヒメラとポエニ1〜3くらいしか知らない
詳しい人教えて
0007世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 21:25:33.660
シケリア戦争でくぐるのはどうでしょうか?
0008世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 21:42:49.140
>>7
サンクス
シケリア戦争ね
0009世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 21:43:14.670
>>2
遅れたけど乙な
0011世界@名無史さん
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2021/06/30(水) 23:31:06.810
前1200年のカタストロフ- Wikipedia より

「キプロスの繁栄

キプロス島も海の民の侵入を受けた。しかし、前12世紀中には復興して躍進したことが
考古学的調査から明らかになっており、港町エンコミ (en) 、キティオンでは大掛かりな
建築物が構築されるまでに至っていた。キプロスで採掘される銅は精錬され、エジプト、
シリアへ送られていることも明らかになっている。

キプロス島はレヴァントと商業的、文化的に密接に結びついており、エンコミ、
キティオンではオリエント的影響を受けた建築物、神殿の奉納物が発見され、また、
キプロスで発見される土器もシリア、パレスチナのものが多い。
このことからキプロス島とペリシテ人らのと間に密接な文化的つながりがあったことが
以前より注目されており、このつながりが取引のネットワークと化し、前11世紀後半に
はフェニキア人とペリシテ人らとの間で商業取引が行われたことが想像されている。」

ペリシテ人の領地「Tel Mor」で紫の染料の跡が発見されています
ペリシテ、キプロス、フェニキアのバイクローム土器は関連性が指摘されています
0012世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:18:13.110
ペリシテ人 = ミケーネ人 = アカイア人 = ドーリス人

カルタゴ - Wikipedia より

「 政治

カルタゴの政体についての判明事項は極めて乏しい。最も有力な手掛かりは紀元前4世紀
の哲学者アリストテレスの著作『政治学』の中の記述であり、それによると以下の3つの
特徴を持つ。

1. クレタ、スパルタとカルタゴの政体は非常に似ていること
2.「王政」「貴族政」「民主政」の長所を併せ持っていること
3. 実質的に「貴族政」「寡頭政」であること 」

私見ですが、フェニキア人は主にフルリ人(カナン人)、ミノア人、ドーリス人(ペリシテ人)
の集団であったと推測します

カルタゴの政治体制がクレタ、スパルタと似ていたのは、ミノア人、ドーリス人の
影響ではないでしょうか

カルタゴでフルリ人の影響が見られないのは、フルリ人は主に東地中海沿岸に居住し
紫色の染織、オリーブオイル、ワインの生産に従事していたからではないでしょうか
一方、地中海の海洋交易・植民市(交易地)は主にミノア人とドーリス人が従事していた
からではないでしょうか

ティルスを中心とする東地中化沿岸のフェニキアでは政治体制が王政であったのに
対し(カナンの政治体制の王政が継続されていたと個人的におもいます)、
カルタゴはフェニキアと別の政治体制だったことも、フルリ人とミノア人+ドーリス人
に分かれていたのではと考えられると思います

カルタゴは、エジプトのナウクラティスに居住していたフェニキア人が建国したと
個人的に推測します
0013世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:36:10.790
>>11
https://4travel.jp/travelogue/10853447
後期青銅器時代でも特に紀元前1300年頃になると土器の表現様式が大きく変わりはじめ、
波や渦など幾何学的で規則性のある模様が見られるようになります。

紀元前1300年頃になると、ミケーネ人が植民を開始した影響が陶器の文様にも大きく影響しているとのことです。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/32/21/62/src_32216204.jpg?1390746532


これはミケーネ人ではなくフェニキアの土器
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=phoenician%20pottery&;aq=-1&ei=UTF-8&fr=sfp_as&meta=vc%3D&oq=
渦巻ぐるぐるはフェニキア

BC1200年以降にフェニキアが早い段階でキプロスを制圧した
0014世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:43:07.130
イスラエルの土器にもこの渦巻ぐるぐるが出てくる

イスラエルはフェニキア側についた

だからダビデ、ソロモンとヒラムの関係がある
0015世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:49:14.020
フェニキアはキプロスを滅ぼしたあと、そこを足がかりにして海を行く船をかたっぱしから沈めた

ギリシャはtrireme(三段櫂船)を使っていたがフェニキアは二段

この船のさきっぽを相手船にぶつける方式はフェニキアが発明し、その後地中海を席巻する原動力となった

ローマに至ってもこの三段櫂船が必須だったことを考えても

この衝角つきガレー船は圧倒的な能力を持っていたことがわかる

フェニキアはキプロスを支配したあとクレタ島も支配し、ギリシャの島々から黒海の沿岸まで支配地をのばし
西はシチリアやカルタゴにまで影響力が見られる
0016世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 01:01:06.950
ギリシャがフェニキアに似ていたのは当たり前だ

暗黒期てのはフェニキアがギリシャ支配して文字なんかを教えてた時期

これはアッシリアがフェニキアを攻撃してティルス以外の沿岸地域すべて支配するまで(BC8世紀)まで続く

そこに至ってギリシャが独立、独自の文字を持って歴史に登場
0017世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 01:07:20.390
>>13
キティオンにミケーネ人が入植してたのは知らんかったな

一部の記載は13世紀始めにアカイア人としてるけど
記憶によれば違う地域でモザイク状の入植イメージでしたね

時期的にカタストロフと関係あるんだろうか
0018世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 02:35:46.400
【Philistine Bichrome Pottery: The View from the Northern Canaanite Coast】

「Under the designation “Philistine,” Burdajewicz also includes all kinds of bell-shaped
bowls with painted spiral decorations, the Phoenician Bichrome group that he believed
was Philistine-influenced, and numerous sherds of various vessels bearing two- colored
decorations, all of which he considers either definitely or possibly Philistine. 」

「This is extremely misleading; for example, as indicated above, the virtual equation of
“Philistine” with two-colored decoration led Burdajewicz to suggest that the Phoenician
Bichrome decoration derived from Philistine pottery (1994: 95).」
http://dor.huji.ac.il/Download/DorProj.Data/PDF/AyeletMazarFS-1159453708/AyeletMazarFS.PDF

フェニキアのバイクローム土器はペリシテ人の影響を受けているのではないかと研究
されています
0019世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 05:36:49.290
上の論文では

「Conversly, T. Dothan and M. Dothan (1992), for example, have posited two waves of
immigrants, the first of “Sea Peoples,” “Proto-Philistines,” or even the biblical Anakim,
and the second of Philistines (although they often dubbed the initial, earliest
Mycenaean IIIC phase as “Philistine” [e.g., T. Dothan 1998a: 154]).」

最初に「海の民」としてのプロト・ペリシテ人、その後にペリシテ人と2度の移住の
波があったのではという説もあるみたいです

「 PhB. T. Dothan, for example, states that “Philistine pottery and that associated with the Tjekker is identical” (1982: 69) 」

ペリシテ人の陶器とチェケル人と関連がある陶器は同一であるという意見もあるそうです
0020世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 05:43:23.120
【ペリシテ人の起源】

「ミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNAのハプログループも明らかになって
います。mtDNAハプログループ(mtHg)はU3b1a・T2c1c・H4a1cなど多様で、男性4人の
Y染色体DNAハプログループ(YHg)はJ・R1・BT・Lです。」

「本論文は、ペリシテ人の起源地としてヨーロッパ南部の可能性を提示していますが、
さらに限定するには、キプロス島やサルデーニャ島やエーゲ海地域の青銅器時代〜
鉄器時代の人類集団の古代DNAが必要になる、というわけです。」
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html
0021世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 07:37:48.330
>>19
アナキンではないかww
0023世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 18:54:23.650
>>18
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=Bichrome%20Pottery&;aq=-1&ai=4880c37e-43e8-49de-8465-ada772d020be&ts=717&ei=UTF-8&fr=sfp_as&meta=vc%3D
全然違うだろw

フェニキアのは目玉親父みたいなまんまるが土器の正面にくるようなのが典型的
これがキプロスではBC13世紀あたりから出てくる

横方向に線があるように見えてもそれは上からみたら渦巻くるくるっぽいのがフェニキア

ペリシテがフェニキアなんかではなく
フェニキア、イスラエルはそれらと敵対した勢力
0024世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 20:11:35.440
カナン人の遺跡で発見された赤と黒の陶器に、考古学者たちは頭を悩ませてきた。
北西に約1200キロも離れたカフカス山脈で見つかった陶器に酷似している

テル・シクモナはキプロスを除き“ブラック・オン・レッド・ウェア”
(フェニキアおよびキプロスに特徴的な黒と赤のインクで幾何学文様が描かれた容器)
が最も残っている遺跡

ペリシテバイクロームウェア
文体の特徴には、鳥、魚、帆船の一般的なミケーネ文明のモチーフが付いた白いスリップ
に赤と黒の絵の具(つまり、バイクローム)を使った装飾の使用が含まれます。
陶器の形はミケーネ文明のルーツを保持していますが、キプロスの影響は背の高い細い首
の使用によって見られます。バイクロームの陶器に見られるミケーネ文明の鳥の文体表現
は神聖であると見なされ、ペリシテの船のレリーフにも登場しています。
0026世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 00:19:23.530
>>25
これ、凄すぎない?
紀元前4500年にこんな高度な事を?
0027世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:40:24.140
「古代の地中海世界」のスレより

イスラエルに棲息している野生のイノシシの起源はヨーロッパ、古代人がヨーロッパから持ち込んだ可能性
http://jp.sciencenewsline.com/articles/2013110423390003.html
イスラエルに棲息している野生のイノシシは世界中に棲息している他のイノシシと似ている。
そのため、これまでイスラエルに棲息している野生のイノシシはエジプトやイランから、
中東へと広がった他のイノシシの親戚だと考えられてきたがそうした考えは間違いであることが判った。

Tel Aviv Universityの考古学研究チームと古代中東文化研究チームが共同研究の結果から、
イスラエルに棲息している野生のイノシシはイスラエルの周囲の国々に棲息しているイノシシとは異なり、
ヨーロッパに起源をもつことを発見した。

遺伝子解析と考古学的分析の手法を用いることにより、
研究チームは、イスラエルに棲息している野生のイノシシは3000年前に
ペリシテ人や他の侵略者によってイスラエルに持ち込まれた家畜のブタが野生化したものだという可能性を見つけた。

そして研究チームはこの研究成果を今週号の「Scientific Reports」を通じて発表した。

「我々が行った遺伝子解析の結果から、
イスラエルに棲息している野生のイノシシは紀元前900年頃の鉄器時代のヨーロッパで飼育されていたブタの子孫であることが証明されたのです」
とTel Aviv UniversityのProf. Finkelsteinは述べる。
「また、ペリシテ人の遺跡から大量のブタの骨が見つかっていることを考慮すると、ヨーロッパのブタは、
ペリシテ人の船舶によってイスラエルに運ばれてきたものだということが言えるかもしれません。」

イスラエル南部の海岸沿いにあるペリシテ人の遺跡で見つかってきたブタの骨は、紀元前1150〜950年頃の鉄器時代の遡ることができるが、
こうしたブタの骨は、イスラエルの同年代の他遺跡ではまったく見つからないか、見つかったとしても非常に稀な存在となる。
0028世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:48:09.990
「古代の地中海世界」のスレより

ゲルハルト・ヘルムのフェニキア人って本だと
海の民とフェニキア人が集合して商業航海に乗り出したとある
ミュケナイだと竜骨のある船が使われていたが、
シリアやエジプトでは青銅器時代は平底の船しかなかったというのだ
ギリシャよりフェニキアの方が海の進出が後進であったという説

ペラスゴイ=ペリシテ  エトルリア=トゥルシア=トロイア など
0029世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:51:45.910
「古代の地中海世界」のスレより

エーベルハルト・ツァンガーの本でもペリシテの都市エクロンとトロイアの平面図を
比較して類似性指摘してたな(甦るトロイア戦争 P328・329)
エクロンの工人などの区画整備や戦車を使う戦術など当時のユダヤ人よりは進んでいて
海の民は野蛮人の集団ではなく先進的な連中だったと唱える

ツァンガーはドーリス人はバルカン半島からの侵入者ではなく、
トロイア戦争から帰還した連中が、留守の間権力握った連中に海に追い払われて
それらが復讐の為に数十年後に逆襲したものがドーリア人の征服だと言うが、
同民族の内乱で 文字すら失われる文化的打撃が生じるとは考えにくいので承服しがたい

メディネト・ハブの壁画やタイルに描かれたペリシテ人は皆ガイル少佐みたいな髪型か
被り物してる
着てるものは甲冑なのか服なのか判別しかねる

ついでに 地中海には潮の満ち引きがない
0030世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:55:04.190
「古代の地中海世界」のスレより

エジプトのタイル板だとペリシテ人(ロトの勇者みたいな髪型したヤツ)は肌の赤い姿で
表現されてるのでギリシャ人とは近しい種族には見えないね
ヒッタイト人、アモリ人、ミタンニ人、カナン人は肌は黄色っぽく、ヌビア人は真っ黒の
肌で表現されている
http://realhistoryww.com/world_history/ancient/Misc/Common/Egypt/Corpus.htm
0031世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 04:11:49.280
フェニキアの語源の説の一つに「赤い肌のアジア人=フェンクー(Fenkhu)」

【古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン】

現在イスラエルがある土地に3000年以上前に埋葬された遺体の分析から、
彼らの食卓には大豆やターメリックといったアジアの食材が載っていたことがわかった。
0033世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 07:39:07.900
>>27
これはそもそもアナトリアの豚の起源が
元々は新石器人が持ってきた中東豚が飼育されてたのが
ヒッタイト頃になると欧州起源のモノと置き換わってきてるんですよね

おいなら印欧語族の拡大によるものとみますが
0035世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 22:19:55.160
まずフェニキアを考える時は二段櫂船というゲームチェンジャー的発明をみよう

これは銃や核兵器と同じレベル

これを持った側は全く序列を変えてしまう

アッシリアの壁画には海軍としてのフェニキア人が書かれており、明らかにこの衝角付き櫂船が描かれている

フェニキア人はこれでそれまで跋扈していた海賊をしずめまくって地中海を完全制圧した
0036世界@名無史さん
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2021/07/02(金) 23:02:52.010
>>30
ヒゲカッパ率高過ぎw
流行ってたのかね
0037世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 23:10:12.720
ふーむ、バールなのかと思ってたが違ってましたね

>>25

ベエル・シェバは「7つの井戸」ないし「誓いの井戸」の意味で、その名前自体が旧約聖書の『創世記』と関連がある。アブラハムがその地でゲラルの王であるペリシテ人のアビメレクと井戸などに関する誓いを交わしたことが由来とされているからである[30]。ただし、『創世記』には、アブラハムの子イサクもアビメレクと誓いを交わし、それが都市の名前の由来になったという記述がある[31]。町の由来が重出している背景として、伝承が一通りでなかった可能性を指摘する者もいる[32]。また、ベエル・シェバの名は『士師記』ほかでパレスチナ全土を示す際の南限として、しばしば言及されている[33]。

テル・ベエル・シェバの発掘調査は1960年代から1970年代に行われた[12][29]。紀元前4千年紀の遺構は発見されているが、青銅器時代に一度放棄された[25]。鉄器時代初期にようやく再建されたが、その間の約2000年間は打ち捨てられたままであったため[25]、アブラハムらがいたと考えられる時代に人が住んでいた形跡は確認されていない[29]。紀元前1千年紀の大都市の遺構は発見されているが[29]、破壊と再建が繰り返された[25]。

テル・ベエル・シェバにも水利施設の遺構が残っているが、2箇所残っている遺構はどちらも鉄器時代のものである[25]。
0038世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 23:17:20.430
>>36

チョンマゲを捕まれると負け的なルールを感じますので
ハゲならセーフなのではww
0039世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 06:41:55.020
Philistines(ペリシテ人) - Wikipedia より

「they formed part of a large scale immigration to southern Canaan, probably from
Anatolia and Cyprus, in the 12th century BCE.」

ペリシテ人はおそらくアナトリアとキプロス島から一つの集団(民族群)として構成し、
紀元前12世紀に古代カナン南部へ入植したと考えられています

>>19から 入植に当たって2つの波があったと推測されています
第1波はパレスチナ北部のチェケル人として、
第2波はパレスチナ南部のペリシテ人として入植したのではないでしょうか

ドル(チェケル人)は旧約聖書によればマナセ族に征服されます
その後アシェル族、フェニキア人に組み込まれたのではないかと思います
アナトリアにあるカラテペ遺跡には、フェニキア文字と象形文字ルウィ語の両方で
記された紀元前8世紀の碑文が残されています

>>20から ペリシテ人のDNAに多様性が見られるのは、異なる民族で構成されていた
ことを示唆するのではないでしょうか
0040世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 07:02:34.000
「古代の地中海世界」のスレより

青銅器時代後期のキティオンはキュプロス島の重要な集落だったが、
フェニキア人が入植する前は150年ぐらい放棄されている

もう一つフェニキア人のコミュニティがあったのは、
原住民の町があった南部海岸のアマトゥスの港である。

とのこと。
という訳で普通にギリシア人の方が先なんじゃないのかな。
0041世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 07:11:47.790
青銅器時代後期に、東地中海沿岸地方の都市やキプロス島の都市が放棄されている
時期があります
紀元前1780年頃に地中海で起きた地震と関係があるのではないでしょうか
0042世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 07:56:52.480
>>38
バラエティかいw
0043世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 18:13:45.530
>>40
ギリシャのが先で、海の民がまずクレタ島を制圧し、キプロスも支配した
それをかなりはやいうちにフェニキアが征服

だからBC1300年あたりですでにフェニキアのぐるぐる渦巻土器が出てくる
0044世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 18:17:52.200
アッシリアの壁画に出てくる海軍(フェニキア)

https://www.worldhistory.org/uploads/images/6990.jpg?v=1622168102
この船のさきっぽの衝角をぶつける手法
この革命的発明
その後2000年も残り続けた海賊船の基本構造

これを持ってたのがフェニキアで、フェニキアのみが持っていて、その他民族はこの船を何故か知らなかった

つまり海の上で完全犯罪を行ったのだ
0045世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 20:24:41.160
フェニキア人 = カナン人 + チェケル人
チェケル人 = ペリシテ人 = 「海の民」

フェニキア人が地中海交易を短期間で西のイベリア半島まで広げることが出来たのは、
「海の民」のネットワークがあったからではないでしょうか

前スレで記述しましたが、フェニキア人が取り扱っていた銀は最初はアナトリア産と
サルディーニャ産でした(後にイベリア半島産に代わります)
「海の民」にアナトリア出身、サルディーニャ島出身がいたのではと推測出来ます

フェニキア人は「海の民」の出身地・故郷を地中海の交易地としてネットワークを
築き上げ、その上で新たな植民市・交易地を開拓していったのではないでしょうか
0046世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 00:26:35.160
海の民 - Wikipedia より

<ペルイレルの戦い>
このときの海の民は、アカイワシャ人・トゥルシア人・ルッカ人・シェルデン人・シェケレシュ人
の5つの集団から構成されていたことが記録されている。各集団は以下のように比定されている。

● アカイワシャ人 - ホメロスの伝えるところのアカイア人、すなわちミケーネ文明の担い手であったギリシア人
● トゥルシア人 - エトルリア人
● ルッカ人 - 小アジア南西部のリュキア人
● シェルデン人 - サルデーニャ人
● シェケレシュ人(Shekelesh) - シチリア人
0047世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 00:35:30.830
「古代の地中海世界」のスレより

次の1)〜5)の連合勢力。のちに6)7)も加わる。
1)ギリシアのアカイア人(いわゆるホメロス叙事詩の主人公たちと同じ)
2)小アジア南西部のリュキア人(ヒッタイト人と近縁のインド・ヨーロッパ語族)
3)サルディーニャのヌラーゲ人(インド・ヨーロッパ語族の古いの)
4)シチリア東部のシクニ人(民族系統不明でイタリア半島から渡ってきた)
5)イタリア半島のエトルリア人(ローマに吸収されたあれ。屈折語を話す民族)
6)パレスチナ南部のペリシテ人(ユダヤ人の敵のあれ。ミケーネ文明のクレタ人と近縁)
7)パレスチナ北部のチェケル人(トロイアから流れてきたという人もいる)
0048世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 05:22:24.660
カルタゴのビュルサの丘の遺跡で発掘された“アーチー”のハプログループは「U5b2c1」
サルデーニャ島のモンテシライ(Monte Sirai)遺跡では、同じハプログループ「U5b2c1」
が確認されています
フェニキア人の中にサルデーニャ島出身の民族がいたことで説明がつくのではないでしょうか

現代のレバノンの人々計47人のミトコンドリアDNAを分析して母系を調べたが、U5b2c1に
該当する人は一人もいなかったということです
一方で、現代レバノン人の遺伝的祖先の90%以上がカナン人にたどり着くとする研究成果が
あります

以上のことから、フェニキア人 = カナン人 + チェケル人「海の民」の内、
カナン人は東地中海沿岸に居住して紫色の染織、オリーブオイル、ワインの生産に従事し、
チェケル人「海の民」が地中海の海洋交易・植民市に従事していたのではないかと
推測出来ると思います
0049世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 06:01:56.000
ギリシア神話のカドモス
「テーバイの創建者。青銅の発見者とも、フェニキア文字の配列を変更し、
ボイオーティア地方に伝えたという。」

エジプトのナウクラティスでフェニキア文字からアルファベット・ギリシア文字が
誕生したと言われています
カドモスの神話はエジプトの神タニトについての話だと思っています
カドモスが創建したテーバイはカルタゴを指し示していると個人的に思います

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/Kadmos_dragon_Louvre_E707.jpg/800px-Kadmos_dragon_Louvre_E707.jpg
(アレースの竜と戦うカドモス。ルーブル美術館所蔵)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/Plate_sphinx_BM_GR1965.9-30.705.jpg/505px-Plate_sphinx_BM_GR1965.9-30.705.jpg
(ナウクラティスで見つかったスフィンクスの描かれた皿。紀元前6世紀古代ギリシアの東方化様式)
https://www.britishmuseum.org/collection/object/G_1909-1201-5
(ナウクラティス?で見つかったタニトのサイン)
0050世界@名無史さん
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2021/07/04(日) 07:09:41.700
「フェニキア語を表記するフェニキア文字は右から左に書かれ、22の子音のみが表記される。
しかし、ポエニ語(とくに新ポエニ語)では他のセム語と同様に準母音によって母音を表記した。」

ナウクラティスでアルファベット・ギリシア文字に関わったフェニキア人がカルタゴに移住し、
ポエニ語に携わった可能性があるのではないでしょうか

「カルタゴの人々が話したフェニキア語方言はポエニ語(英語版)と呼ばれ、数千の碑文
(ほとんどは奉納文)が残り、少数はギリシア文字やラテン文字で書かれている。
紀元前6世紀以降の碑文が今のチュニジア、アルジェリア、リビア、マルタ島、サルディニア島、
シチリア島、フランス、スペイン、バレアレス諸島に残る。」

ポエニ語の碑文からカルタゴの建国が紀元前6世紀頃ではないかと推測出来るのではないでしょうか
0051世界@名無史さん
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2021/07/04(日) 07:45:11.510
私見ですが、エジプトのナウクラティスで居住していたフェニキア人がおそらく
信仰していたタニト、使用していたポエニ語

ナウクラティスのフェニキア人がカルタゴを建国したのではないでしょうか
0052世界@名無史さん
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2021/07/04(日) 09:25:19.490
>>51

ふーむ、エレファンティネ・パピルスは
なぜかユダヤ人と思ってしまってましたが
イスラエル人として説明してるものもありますね

個人的にはゲニザっぽいと思ってますが
0054世界@名無史さん
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2021/07/04(日) 17:58:14.210
>共和政ローマとのポエニ戦争でカルタゴが滅亡した紀元前146年以降のポエニ語は新ポエニ語(または後期ポエニ語)と呼ぶ。
0055世界@名無史さん
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2021/07/04(日) 18:13:26.630
https://en.wikipedia.org/wiki/Cypriot_Bichrome_ware
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Ancient_Cypriotic_bichrome_pottery_750-600_v._Chr._2._C.jpg
キプロスバイクローム土器は後期青銅器時代、鉄器時代にキプロス、レヴァント、東地中海、エジプトに広く発見される
大抵ろくろを使って通常同一の形に黒二本線に赤一本線の幾何学模様が描かれる


なんでレヴァントのが古いのにキプロス系土器と言われるのか?
明らかにフェニキアだろうが
0056世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 02:10:44.720
【3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟になった】

現在のイスラエル北部にあるテル・カブリ遺跡には、今からおよそ3700年前の紀元前
18世紀、カナン人の見事な宮殿があった。
6000平方メートルもの巨大な建物は現代のショッピングモールよりも広く、壁画が描
かれ、豪華な宴会場があり、倉庫には100個以上の大きな瓶(かめ)に詰めたスパイス
ワインが貯蔵されていた。

ところが同世紀中に突然この宮殿は打ち捨てられ、以後1000年近くにわたり利用され
た形跡がない。

西暦2009年から遺跡の発掘が始まったものの、考古学者たちは困惑していた。
これほど壮麗な建物は、この地のカナン人にとっては間違いなく政治の中枢だったはずだ。
利用されなくなる直前まで改修が行われていた形跡もある。
それなのに、なぜ住人たちは逃げ出したのだろうか?

テル・カブリ遺跡は、地震活動が活発な地域にあるため、放棄されたのも地震のせいだろ
うと憶測したくなる。
しかし研究者たちは、その説を採用することに躊躇(ちゅうちょ)した。
用途を説明できない遺物を何でも「祭祀用」としてしまうのは、考古学者の間でジョーク
になるほどやりがちなことだ。
地震説は、それと同じく安易な道だと思われたからだ。

そこで発掘チームは、調査を続けながら1つずつ可能性を排除していった。
ナショナル ジオグラフィック協会からの支援を受けて実施された発掘調査で、チームは
干ばつや洪水といった地震以外の自然要因があった証拠を探したほか、武器や焼かれた跡、
きちんと埋葬されていない遺体といった暴力や戦闘を示唆する痕跡も探した。
しかし、そうした証拠は何一つ見つからなかった。

イスラエル、ハイファ大学のアサーフ・ヤスール=ランダウ氏は、カナン人の宮殿が地震
によって破壊されたという説を受け入れるまでに6年かかったという。
0057世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 02:19:56.970
【彗星が引き起こした核爆弾級の大爆発で古代人の集落が滅亡していたことが判明】

現在のシリアに位置する古代遺跡テル・アブ・フレイラには、1万3000年以上前に
穀物を栽培した痕跡が見られ、「人類最古の農業の例」とされています。
そんな遺跡が、隕石により発生した爆発で滅亡していた可能性が高いことが、研究により
明らかとなりました。
https://gigazine.net/news/20200622-ancient-syrian-town-comet/
0058世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 07:44:02.830
フェニキアはギリシャに文字を教えなかった
イタリアやシチリアにも交易を行っていたがそれらにも文字を教えなかった

レヴァントではその文字は広がった
0059世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 11:54:04.070
>>57
13000年前の神殿はその際に建てられたのかも、だっけ
0060世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 21:42:43.850
>>57
ふーむ、前に見かけたけど内容は記憶になかったですね

ヤンガードライアスの原因を
隕石に求める説の方だったっけかな
0061世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/05(月) 22:04:45.370
粘土派そしてアナト・ヤフー


>>52

主に羊の頭をした人の姿で表される。この羊は、角が水平に伸びる種で中王国時代には、絶滅してしまっている。
ラーが冥界を渡る時に牡羊の姿になるのは、古い信仰の名残りとされる。

クヌムは、人間を創造した神とされ、多産を司るヘケトの配偶者とも言われる。
クヌム信仰では、この神だけが創造神で[要出典]、粘土を捏ねて他の神々や人間などの万物を作り上げたとされる。

また水源の管理者、ナイルの氾濫を司る神とされる。エレファンティネ(現在のアスワン)の守護神で南方から来る洪水の管理する。
普段、ナイルの水源には、結界が張られており水位が抑えられているがクヌムが、その結界を破ることによって水が溢れ出し、増水が発生すると信じられていた。
ここからネイトが妻であるとする神話がある。
0062世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/05(月) 23:23:53.190
Punic language - Wikipedia より

The idea that Punic was the origin of Maltese was first raised in 1565.
Modern linguistics has proved that Maltese is in fact derived from Arabic, probably Siculo-Arabic
specifically, with a large number of loanwords from Italian.

マルタ語 - Wikipedia より

<概要>
何世紀もの間、マルタ語は話し言葉であり、記述する時には、アラビア語、のちに
イタリア語が使用された。
<文法>
ロマンス語の影響を受けてはいるが、マルタ語の文法は依然としてアラビア語そのものである。
<語彙>
マルタ語の語彙はアラビア語語彙を基礎とし、(イタリア語トスカーナ方言よりむしろ)
シチリア語から膨大な借用語をとりいれたハイブリッドである。
<その他>
かつてアル・アンダルスで使われていたアラビア語を復元する際には、言語のルーツの
近さと接触した言語の類似性からマルタ語が大きな参考とされている。
0063世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/06(火) 07:06:44.410
「Karl Beloch suggested there was no Dorian invasion, but rather that the Peloponnesian Dorians were the Achaeans.」

「ドーリア人の侵攻」はなく、アカイア人はペロポネソス半島のドーリア人である
と提唱する人がみたいです

「The Doric dialect was spoken in northwest Greece, the Peloponnese, Crete,
southwest Asia Minor, the southernmost islands of the Aegean Sea, and the various
Dorian colonies of Magna Graecia in Southern Italy and Sicily.」

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/de/AncientGreekDialects_%28Woodard%29_en.svg
(The Greek dialects after the event or events termed "the Dorian invasion.")

ドーリス方言の分布図(ドーリス方言群)やペロポネソス半島南部と東部、シチリア島、
エピラス島、イタリア南部、クレタ島、ロードス島、エーゲ海南部のいくつか島々、
アナトリアの南東海岸のいくつかの都市など話されていた地域を考慮すると

>>46 >>47の「海の民」はドーリア人の連合だったのではと個人的に思います
0065世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 02:22:40.050
「アカイア人」の解説

「ホメロスの叙事詩では、アカイア人という呼称はもっぱらギリシア人の総称の一つとし
て用いられている。伝説によると、彼らは、ドーリア人の侵入後、一部はレスボス島近辺
の小アジア方面やキプロス島などに移住した。」

>>39の ペリシテ人がアナトリアとキプロス島から構成された集団という記述と一致する
と思います

「ホメロスによるアカイア人の居住地は,前 14〜13世紀のミケーネ文明の栄えた地域と
一致していることなどから,アカイア人はミケーネ文明のにない手である人々と同時代,
すなわちエーゲ海世界へ登場した最初のギリシア人であったと考えることもできる。
歴史時代のペロポネソス半島北部のアカイア人の言語がドーリス方言に近いことから,
おそらくミケーネ時代後期に勢力を強めたドーリス人に比較的近い種族であろう。」

「ペリシテ人の残した遺跡から出土する彩文土器は、紀元前12世紀初頭のミケーネ3C式
土器と同じ起源を持つと考えられている。」という記述があります

ペリシテ人(チェケル人)とドーリア人を絡めたいのは、哲学者アリストテレスの著作
『政治学』の中の記述で「クレタ、スパルタとカルタゴの政体は非常に似ていること」
があるからです
0067世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 03:17:09.330
「古代の地中海世界」のスレより

アカイア人・ドーリア人はR1bが中心。
0068世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 03:20:18.790
「古代の地中海世界」のスレより

イオニアというのは元来ドーリア族、アイオリス族、アルカディア族などと並ぶギリシャ人
の部族名だったが(アテネもイオニア族なので、 アテネ式の建築様式を「イオニア式」と
呼んでいる)、多くは現在のトルコのエーゲ海岸に住んでいたのでいつしか地方名になった。
0069世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 04:44:08.170
>ミケーネ文明の消滅

> このミケーネ文明は、前1200年頃、アッティカ地方を除いてその都市がいずれも破壊され、
>文明としても消滅した。ミケーネ文字(線文字B)も含めこの文明は忘れ去られ、ギリシアは暗
>黒時代に入った、とされている。


つまりフェニキアがキプロスに土器の痕跡を残し始めた時代
フェニキアが櫂船で洋上の船を次々に破壊し沈めていった
そっからが暗黒期で、それはアッシリアがフェニキアを従属させ、ギリシャを開放するときまで続く(BC13世紀〜8世紀)

海の民というのはこのアカイア人そのもので
BC1400年にクレタ島に侵入、ミノア文明を滅ぼした
0071世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 05:22:19.860
ギリシャ暗黒時代に至った破壊は外部からではないらしい

つまり海賊や海上交易で栄えた都市が、その船を全部沈められて行方不明になったら
必然的に内部崩壊にならないか
0072世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 05:59:42.540
Dorians(ドーリア人) - Wikipedia より

「They are almost always referred to as just "the Dorians", as they are called in the earliest literary
mention of them in the Odyssey, where they already can be found inhabiting the island of Crete.」

ホメロスの『オデュッセイア』の中でドーリア人が既にクレタ島に居住していたことを
言及しているようです
0074世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 07:53:54.570
>>70
なんか綺麗な円を描ける様になったのがメチャクチャ楽しかったのかな
0075世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 07:56:36.230
「海の民は主にエジプトの記録に基づいています。アメンヘテプ4世(BC1362-BC1333)と、
ラムセス3世(BC1185-BC1155)が戦闘の様子を記録しています。
海賊行為は常にあるものでしょうが、アマルナ文書にも出てきます。
ラムセス3世のベネフィットハブの浮彫りから、海賊行為ではなく、家族を伴った移民だった
とも解釈されています。」
http://mikeo410.minim.ne.jp/cms/~otherhistorycyprus

「海の民」シェルデン人 - サルデーニャ人

エジプトの碑文の研究によると、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり
着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアに行く者に分かれた、ということです

「海の民」トゥルシア人 - エトルリア人と起源が同じかもしれませんね

シェルダン人はペロポネソス半島のアルゴス地方の Dendra の遺跡と関連があるそうです

「ペロポネソス半島のアルゴス地方の Dendra で発掘された墓は、おそらく鎧によって
Sherden と結び付けられている。墓の形式や土器からミケーネ文明に属する。」
>>63 の地図のドーリス方言の地域です
0076世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 08:35:49.760
フェニキア人 = カナン人 + ドーリア人 の可能性があるのではないでしょうか
ドーリア人の地中海のネットワークを基盤とし、海洋交易・植民市建設を広げて
いったのではないでしょうか
0077世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 08:35:50.060
フェニキア人 = カナン人 + ドーリア人 の可能性があるのではないでしょうか
ドーリア人の地中海のネットワークを基盤とし、海洋交易・植民市建設を広げて
いったのではないでしょうか
0078世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 10:28:59.200
「海の民」シェケレシュ人(Shekelesh) - シチリア人

「考古学的発掘から青銅器時代のシケリアはミケーネ文明の影響を受けていたことが
分かっている。」

「鉄器時代のシケル人とシカニ人は(メサピア人(en)と共に)先住していた
前インド・ヨーロッパ語族(ティレニア人)を征服したイリュリア人の集団で構成
されていた可能性がある。」

ティレニア人をエトルリア人と同義語と見なす説があるようです
シェケレシュ人はエトルリア人起源の可能性があるかもしれません

「言語学的研究からは、シケル語はインド・ヨーロッパ語族の言語を使用していたことが示唆されており」とあります

また Sicels - Wikipedia より
「on the east coast north of Syracuse (possibly pre-dating the Dorian colony of Hyblaean Megara)」
ドーリア人の植民市があった可能性の記述もあります
つまり、シェケレシュ人がドーリア人の可能性があると言えると思います
0079世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 18:48:18.660
エトルリア人はフェニキア人によってアナトリアから連れてこられた移民だろう
0080世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 18:50:11.700
エジプトのアマルナ文書によればシリアのビュブロス、テュロスは青銅器時代後期にエジプトと
活発な交易を結んでいた。しかし、『前1200年のカタストロフ』によって最古のアルファベットを
考案したウガリットは滅亡した。しかし、ビュブロスなどは早期に復活しており、旧約聖書によ
ればテュロスは前10世紀にヒラム1世の元で復興しており、紅海やインド洋方面へ進出した
とされており、北アフリカ地中海側沿岸部にも進出、カルタゴを建設している[64]。
0081世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 18:54:46.840
>クレタ島のクノッソスではこの時代には安定的な集落が構築されており、前1200年のカタストロフの時期
>からの文化的変容も連続的であったことが知られている[37]。むしろクノッソスの状況が把握できなくなる
>のは前7世紀末から前6世紀にかけてのことであり、この時代にはクノッソス自体が一時滅亡した可能性もある


クレタ島は暗黒時代もエジプトと交易を保てた
クレタ島からそのまま南下し、東にいけば海賊に襲われずにレヴァント南部に到れる
つまりペリシテにいける

ペリシテ人は鉄器を精製できていたがフェニキアやダビデの時代のイスラエルはそうではなかった
0082世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 22:41:46.120
>>47

310 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2019/04/14(日) 15:19:29.09 0
ルクソール西岸のコム・エル・ヘタン地区

かつて観光名所だったメムノンの巨像は
前一世紀の地震以後から鳴き始めたことで有名
ローマ時代の後二世紀に修復されて「神の叫び」は口封じされる。

ここの近くに5つの台座に地名のリストが
「城壁の楕円」で囲まれた中に残されており
アメンヘテプ3世時代に
エジプトとの交易を含む関係性を持っていた世界(都市)と推測される。

・北のヒッタイト
・ミナミのヌビア
・東のアッシリアとバビロン
・西の島国ケフティウ(クレタ)とタナヤ(ギリシャ本土)

西の部分に記載されているのがエーゲ海リストと呼ばれる15の地名
0083世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 22:44:36.590
>>82

322 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2019/04/22(月) 23:51:37.21 0
>>310
ちなみに台座はぶっこわされております

都市名称はここから引っ張ってるので正しいかは不明です
https://historum.com/threads/early-greek-history.18804/


クレタ系 5つ
amnisa, bajasta, kutunaja, kunusa ,and rikata.
→amnisos, phaistos,kydonia, knossos and lyktos

ミュケナイ系 7つ
mukanu, deqajis,misane,nuplija,kutira,weleja and amukla
→Mykene, Theben, Messene, Nauplia, Kythera, Elis and Amyklai

Argeioi
→Argos

これでたぶん13で最初の2つを合せて15のリストですね
掲載順番は違ってるかもしれません。

実際は初めは西から東の順に掲載されていて
つぎは西から東に並んでいることから、
エジプトからエーゲ海地域への往復の旅程表と推測されているそうです。
0084世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 22:55:09.190
エジプトの「海の民」の碑文研究から

「海の民」の起源はアナトリアから航海で地中海の西に向かって移動した集団であった
と推測出来ます

「海の民」の構成民族からギリシアのペロポネソス半島、イタリア半島、シチリア島、
そしてサルデーニャ島まで勢力を広げたのではと思います

「海の民」の起源はインド・ヨーロッパ語族であったと思われます

この集団が後のドーリア人だったのでしょうか
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/de/AncientGreekDialects_%28Woodard%29_en.svg
「海の民」の構成民族の遺跡と上の地図の「Doric」が一致すると思います
ただ、ギリシアへ南下してきたと云われるドーリア人とルートが違います
0085世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 23:39:43.200
>>82
私見ですが、>>75で引用したように
「海の民」の出来事はギリシア人による植民地活動(移住)だったと思います

実際に東地中海沿岸、エジプトに植民地が出来ました
アナトリアにも植民地が出来ました
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Western_Asia_Minor_Greek_Colonization.svg/424px-Western_Asia_Minor_Greek_Colonization.svg.png
リビアにもおそらく植民地が出来、リビアからエジプトに向かった記録もあります
(リビアの植民地が後のキュレネ (Cyrene) に繋がったのではと個人的に思います)
0086世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 00:44:16.220
「海の民」の構成民族である
ルッカ人 - 小アジア南西部のリュキア人

「Lukkaは、アスワ同盟に名前のあるアナトリアの国で、ギリシャではリュキアと呼ばれ神話に登場する。王はミノス王の兄弟でクレタ島から来たとされる。キプロスの北の対岸(アナトリア側)に当る。」

エジプトの碑文の「海の民」の起源であるアナトリア
アナトリアのリキュア人はクレタ島からの移住者である可能性が、ギリシア神話から
ですが読み取れます
アナトリアから地中海の航海は海洋民族が必要であったと思います
それがクレタ島からの人々だったのではないでしょうか
0087世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 04:55:30.620
殺人と死刑は別な
0088世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 06:29:40.080
同機は不純(航海中にも新鮮なお肉が食べたい)だけれど、
ウサギを馴化してくれたのが、カルタゴ最大の功績
0089世界@名無史さん
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2021/07/08(木) 06:49:19.800
>>83
Argosと関係がありそうですね
「アルゴスはミケーネ文明の時代、重要な要塞であった。」
「Argolid(アルゴス人)のことは、ローマでもアルゲイア(Argeia)として知られていた。」

「海の民」シェルデン人(Sherden) - サルデーニャ人

※以下ではシャルダナ人と記載されています
「シャルダナ人(Sherden)は、アマルナ文書の時代からラムセス3世の時代まで、エジプト
を侵犯する人々として記録されました。アマルナ文書にあるので発音も知られています。
メディネットのレリーフから、独特なヘルメットなどの武装が知られます。この武装は
アルゴリス地方のデンドラ(Dendra)の遺跡から出土しています。
シャルダナ人は傭兵としても記録があります。
しかし、シャルダナは、ギリシアの伝承やヒッタイトの記録には該当がありません。
アナトリアやエーゲ海の島が拠点と考えられていますが証拠はないようです。
また名前からはサルデーニャとの関係が考えられるようですが、後の時代の移民が
考えられると言うことのようです。」
0090世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 06:59:01.490
サルデーニャは鰯島だろ
ラテン語で鰯はSardinaだ。Sardinaの地面でSardiniaだ
0091世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 09:12:53.780
>>90
サルデーニャ島の名前の由来ではなく、"Sherden"がサルデーニャ島に関連があるの
ではということ

アルゴス(Argos)について

「ヘルメースの異名「アルゲイポンテース(Argeiphontes)」という言葉は、実際に
は、インド・ヨーロッパ祖語のarg-(*arǵ-、転じてargyrosは銀の意味)を語源とする
形容詞のargós(ちらちら光る、動きの速い)で、「明るく輝く」またはそれに類似す
る意味を持つ」

「アルゴスの重要性は紀元前6世紀以降、近隣のスパルタによって影が薄くなってしまった。」
0093世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 10:34:49.570
つまり、後の時代の移民=ラテン人(ローマ人)が、鰯島って名付けて、サルディニア
俗ラテン語の iとeがごっちゃになるところからサルテーニャ
0094世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 12:34:35.040
>>93

古代ギリシャで初めて地中海を西に航海したエウボイア人は、サルデーニャを
Hyknousaと呼んだ。 のちにラテン化しIchnus(s)a(イクヌーザ)となった。
ノーラ遺跡の石碑は、フェニキア人がこの島をShardenと呼んだ証拠となっており、
これがSardiniaという名前の由来となっている。
0095世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 12:40:40.010
サルデーニャ - Wikipedia より

古代にこの島はフェニキア人によりイクヌーザ(ラテン式の綴りでIchnusa、もとは
Hyknusa)と呼ばれており、現在は州都カリャリで製造される、サルデーニャで一番
ポピュラーなビールにその名を残している。また、イタリア半島を足だとすると、
その足跡にあたるような島の形から、古代ギリシャ人はサンダリオン(Sandalyon)
と呼んでいた。魚のイワシの英語名サーディンはこの島から来ている。
0096世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 13:13:45.770
ビスケー湾アイリッシュ海カレー海峡って鰯の漁場じゃん
なんで英語の語源
0097世界@名無史さん
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2021/07/08(木) 14:22:55.140
他には
「According to Timaeus, one of Plato's dialogues, Sardinia (referred to by most ancient Greek
authors as Sardṓ, Σαρδώ) and its people as well might have been named after a legendary woman
going by Sardṓ (Σαρδώ), born in Sardis (Σάρδεις), capital of the ancient Kingdom of Lydia.」

リディア(Lydia)国の首都サルディス(Sardis)生まれの伝説の女性の名前Sardṓ (Σαρδώ)
から由来した説

ヌラジックサルデーニャ人の代名詞的な神話の英雄であるSardusから由来の説も
あるようです
0098世界@名無史さん
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2021/07/08(木) 19:07:09.210
フェニキア人がアナトリア奴隷を連れてきて
エジプト碑文みてサルディーナと名付けたんだよきっと
同じ民族だったがサルディーニャとエトルリアに分かれたと言われてるし
0099世界@名無史さん
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2021/07/08(木) 20:01:29.420
西向きに船で進んでいたらインド人の住んでる島があったので、西インド諸島
ギニア人の住んでる島を新たに発見したので、新ギニア→ニューギニア島
高砂族の住んでる島を新たに発見したので、新たな台湾(Zeeland)で、ニュージーランド
0101世界@名無史さん
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2021/07/08(木) 22:38:58.910
>>91
ほほぅ、そもそも銀なのか

たしかギリシャ最初の硬貨を発行してたはずなので
逆の方向もあるかもしんないですね
0102世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 00:33:26.380
>>101
一方、リュディア(Lydia)は世界で初めて硬貨を導入したみたいです

リュディア(古代ギリシア語: Λυδία、英語: Lydia; リディア、紀元前7世紀 - 紀元前547年)
は、アナトリア半島(現在のトルコ)のリュディア地方を中心に栄えた国家である。
王都はサルディス。世界で初めて硬貨(コイン)を導入したことで知られる(エレクトロン貨)。
0104世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 00:50:14.010
【アナトリア生まれの「初」 第6回 〜リディア王国〜】

貨幣の重さ、表面のレリーフ、純度の調整により、信用に足る支払い形式と、お金が
生まれました。古代の有名な歴史家ヘロドトスも著書の中で「金と銀でできた史上初
の貨幣はリディア人が発明した」と言っており、リディアは最盛期を迎えました。
https://www.trt.net.tr/japanese/puroguramu/2021/04/07/anatoriasheng-mareno-chu-di-6hui-rideiawang-guo-1614179
0105世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 00:58:30.860
ヒッタイトのあとにフリュギア王国ができてたのに
侵略者はフリギア人と言われないのなんでだろ〜
0106世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 06:39:31.550
フリギュアで検索すると

「有名な女神キュベレは、元来フリュギアの山岳地帯で「山の母」(大地母神)と
して信仰されていた。」

「キュベレの息子にして愛人とされる「死と再生の神」、アッティスも、キュベレと
ともに信仰された。」

「アッティスがアグディスティスから由来するという話を聞いたのは、旅行者
パウサニアス(Pausanias)であった。この説話にははっきりと非ギリシア的要素が
ある。パウサニアスが聞いた所によると、守護神であるアグディスティスは最初
両性具有であった。」

アッティス(アグディスティス)が「Lady of Elche」(エルチェの貴婦人)ではないで
しょうか
そして、キュベレが「Lady of Baza」(バサの貴婦人)ではないでしょうか
0107世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 07:03:43.780
「フリュギア語はギリシャ文字に似たフェニキア文字系アルファベットで書かれ、
王国時代(古フリュギア語)およびローマ時代(新フリュギア語)の碑文が知られるが、
いくつかの単語以外はほとんど解読されていない。印欧語に属すことは知られているが、
他の言語との関係はよくわからない。」

「フリュギアからは音楽がギリシャに伝えられ、フリギア旋法の名が現代にまで伝わる。」
「ドリア旋法は、ギリシャのドーリア人にちなんで名づけられている。」

「フリュギアはしばらく強力な王国として栄えたが、最後はリュディアに降った(紀元前7世紀)」

フリュギアはトロイア戦争に関わった話もあるようですし、リキュア人とも何か関係が
あるような気がします
0108世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 08:01:07.790
「ヒッタイト」ですが、旧約聖書の中には「ヘテ人」として度々登場し、約束の地
カナンの原住民族のひとつとして知られていました
(ヒッタイトが実在したことを示す物証はなかなか発見されませんでした)

1834年にフランス人チャールズ・テキサーがボアズキョイ近郊で古代遺跡を発見。
これがきっかけとなり、ようやく考古学者たちの興味を引き寄せるようになります。

続く19世紀末〜20世紀初頭にかけて、ついにボアズキョイでヒッタイト特有の楔形文字の刻まれた粘土板が大量に出土します。

特に1906年から1912年まで、ドイツ人フーゴー・ウィンクラーを中心に進められた
発掘調査では、実に一万点以上の粘土板文書に加え、複数の城門を備えた巨大な
城壁址や、大型建築遺構、アクロポリスなどが次々と発見され、この地がヒッタイト
帝国の首都ハトゥッサだったことが文献学・考古学の両面から明らかになりました。
0110世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 16:22:15.540
【アナトリア生まれの「初」 第10回 〜アイザノイ〜】

「アナトリアは、発見や革新、初のものを牽引してきました。初のお金はアナトリア
で鋳造され、使われるようになり、初の銀行もこの地で設立され、初の交易中心地は
ここにできました。世界を形成する交易と経済の礎はアナトリアで築かれ、初の取引
所もこの地で作られました。」

「フリギア人は、ヒッタイトに次いでアナトリアで最も古い民族とされています。
伝説で有名な、触れたものがすべて黄金に変わってしまう、ロバの耳をしたミダス王
は、フリギアの王です。フリギア人は、この地で多くのことを最初に成し遂げた興味
深い民族です。例えば、今日広く使われている安全ピンの祖であるフィブラを発明した
のはフリギア人です。フルートやシンバルなどの楽器を発明して初めて使ったのも彼ら
です。古代の有名な地理学者ストラボンによると、太鼓の一種「ダフ」や弦楽器の一種
「リラ」はフリギア人の発明品です。」
https://www.trt.net.tr/japanese/puroguramu/2021/05/05/anatoriasheng-mareno-chu-di-10hui-aizanoi-1631738
0111世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/09(金) 16:31:04.820
《アナトリア生まれの「初」》 第1回

アナトリアの最古の文明の一つフルリは、女神アナトの名を、暮らしていた地につけ、
アナトリアと呼びました。歴史家ヘロドトス、地理学者ストラボン、吟遊詩人ホメロスは、
アナトリアの地を小アジアと呼びました。古代ギリシャ語で「アナトリア」とは、日の出
という意味を持つ言葉から派生し、「暁の国」または「エーゲの東」を指すために
「アナトリア」という言葉を使いました。

文字を発明して歴史に刻まれた、世界初の叙事詩・ギルガメシュ叙事詩を記し、太陰暦を
もとに初の暦を考案し、コンピューターの祖アバカスを発明し、万物がそれぞれ相互に
繋がっていると考え、円周率に最も近い数値を発見した諸々の文明が治めた地、それが
アナトリアです。歴史上で知られている限り最初の成文法、最初の組織国家、最初の
民主主義的連帯、最初の議会が、この地で生まれました。今日も機能している最初のダム、
メソポタミア初の灌漑用水、初の病院が、この地に築かれました。
0112世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 16:49:02.240
上のサイトのurlです
https://www.trt.net.tr/japanese/puroguramu/2021/03/03/anatoriasheng-mareno-chu-di-1hui-1593788

通貨の硬貨、音楽の楽器・旋律、キュベレ信仰、民主主義のモデルをアナトリアから、
建築技術(特に巨大建造物)、美術(エジプシャンブルー)、医療、神話の神々をエジプトから
影響を受け、ギリシア文明・文化が花開いたのではないでしょうか
0113世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/09(金) 18:16:58.350
>>107
>「フリュギアからは音楽がギリシャに伝えられ、フリギア旋法の名が現代にまで伝わる。」
>「ドリア旋法は、ギリシャのドーリア人にちなんで名づけられている。」

適当だから
リディアも適当につけてる
0114世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 18:52:42.400
エジプト展行ったんだけど、展示されてた青いガラスの壺がフェニキアのガラス細工に似ていた
0115世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 19:14:08.530
フェニキア人やないからフェニキアのガラス細工とか言われても知らんがな
0116世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/09(金) 20:14:49.550
>>111
アナトリアどんだけ広いんだww
盛りすぎじゃないか
0117世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 20:18:22.360
アナルトリア
0118世界@名無史さん
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2021/07/09(金) 20:19:14.410
>>114
フェニキアで作られたかもしれませんね
エジプトで発見されているものの中にキプロス島で作られたものも数多くありますし
0119世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/09(金) 23:33:10.100
>キプロスは東地中海を往来する諸民族、諸文明の中継地となったため、その歴史は古い。
>有史から当初はヒッタイト、アッシリアといったオリエント諸国の支配を受けた。


とか書かれてるが
ヒッタイトとキプロスが同じ国だったんなら
ヒッタイトがやられた国にキプロスも支配されたことにはならね?
0120世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/10(土) 05:59:26.450
>>114
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/96/9c2131452a5fd3ae4d287a429cfbe0e9.jpg
「古代カルタゴとローマ展〜きらめく地中海文明の至宝〜」で展示されていた
『アンフォラ形容器』(前3世紀前半)ガラス

>>116
記事が少し紛らわしい書き方ですけど
>>111 は 「文字を発明して~(略)~の文明」が治めた地が「アナトリア」、つまり
「メソポタミア文明」が治めた地が「アナトリア」であるということです

>>119
ヒッタイトは既に崩壊していたという研究があるようです
『紀元前1190年頃、通説では、民族分類が不明の地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる
「海の民」によって滅ぼされたとされているが、最近の研究で王国の末期に起こった3代に
およぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたこと
が明らかになった(前1200年のカタストロフ)』
0121世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/10(土) 09:17:47.530
>>120
114だけどこれによく似てた
0123世界@名無史さん
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2021/07/10(土) 20:11:23.540
>>120
ひでぇww
ローマの例を挙げながらドイツを語るぐらいの酷さ
0124世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/10(土) 20:13:25.050
>>114
ファイアンスとガラスともういっこなんかが
渾然一体と説明されるんで
そもそも専門家でも適当にやり過ぎてる
0125世界@名無史さん
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2021/07/11(日) 06:30:51.770
【The Enheduanna Disk: An Early ‘Tower of Babel’ Depiction?】

Known as the “Enheduanna Disk,” the artifact is dated to between 2350 b.c.e. and 2200 b.c.e.
https://watchjerusalem.co.il/1274-the-enheduanna-disk-an-early-tower-of-babel-depiction

バベルの塔はZiggurat(ジッグラット)?
https://watchjerusalem.co.il/enlarge_image?data=eyJpZCI6Ijk0NCIsImNhcHRpb24iOiJaaWdndXJhdCBvZiBVciIsImNyZWRp%0AdCI6IlB1YmxpYyBEb21haW4ifQ%3D%3D%0A

Enheduanna(エンヘドゥアンナ)のDisk(円盤)が修復され、そこにバベルの塔(?)
が刻印されていたとい記事です

「エンヘドゥアンナは、紀元前2285年頃から2250年頃の人物。初代アッカド王
サルゴンの王女であり、かつウル市の月神ナンナに仕えた女神官で、さまざまな詩や
文章を残したことで知られている。」

https://watchjerusalem.co.il/files/W1siZiIsIjIwMjEvMDYvMjEvNmd4bWFubXQxeV9EaXNrX29mX0VuaGVkdWFubmFfXzJfLmpwZyJdLFsicCIsInRodW1iIiwiMjQwMHg%2BIl0sWyJwIiwiZW5jb2RlIiwianBnIiwiLXF1YWxpdHkgODUiXV0/78aa5641d42c4bde/Disk_of_Enheduanna_%282%29.jpg.jpg
(The Enheduanna Disk)

ネブカドネザル2世の手紙(碑文)にも薄っすらとバベルの塔(?)が刻印されています
https://watchjerusalem.co.il/enlarge_image?data=eyJpZCI6IjEwMjEiLCJjYXB0aW9uIjoiTmVidWNoYWRuZXp6YXLigJlzIHNp%0AeHRoLWNlbnR1cnkgQi5DLkUuIOKAnHRvd2VyIG9mIEJhYmVs4oCdIHN0ZWxl%0AIGhhcyBhIGZhaW50IG91dGxpbmUgb2YgdGhlIHN0cnVjdHVyZS4iLCJjcmVk%0AaXQiOiJTY2jDuHllbiBDb2xsZWN0aW9uIE1TIDIwNjMsIE9zbG8gYW5kIExv%0AbmRvbiJ9%0A

それを元に再現したSumerian ziggurat
https://watchjerusalem.co.il/enlarge_image?data=eyJpZCI6IjM5NTgiLCJjYXB0aW9uIjoiUmVjb25zdHJ1Y3Rpb24gb2YgYSBT%0AdW1lcmlhbiB6aWdndXJhdCIsImNyZWRpdCI6IlB1YmxpYyBEb21haW4ifQ%3D%3D%0A
0127世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/11(日) 07:23:41.940
【ヨーロッパ人の先史時代は サルデーニャ人のDNAの中に書かれていた】
https://blog.goo.ne.jp/nichii-bunka-kouryuukai/e/b534d0aeebd07c747cadb1b10081055c

【Ancient DNA from Sardinia reveals 6,000 years of genetic history】

A new study of the genetic history of Sardinia, a Mediterranean island off the western
coast of Italy, tells how genetic ancestry on the island was relatively stable through the
end of the Bronze Age, even as mainland Europe saw new ancestries arrive.
The study further details how the island's genetic ancestry became more diverse and
interconnected with the Mediterranean starting in the Iron Age, as Phoenician, Punic,
and eventually Roman peoples began arriving to the island.

サルデーニャ島のDNAは、ヨーロッパ本土では新しい血が流入してきたにも関わら
ず、青銅器時代の終わりまで比較的安定したいたが、鉄器時代からフェニキア人、
カルタゴ人、そしてローマ人が流入し多様性が見られるようになったという研究成果
0129世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/11(日) 13:01:36.080
>>97
ふーむ、ヘラクレスはともかく
リビア出身のメルクかぁ

ヌラーゲは北のイメージでしたが
0130世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/11(日) 13:50:51.940
【中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史】

本論文はそれを踏まえたうえで、サルデーニャ島においては、中期新石器時代から
後期青銅器時代まで、遺伝子流動が最低限か、遺伝的に類似した集団の継続の可能性
が高いことを指摘します。ヌラーゲ文化期の始まりも、明確な遺伝子移入により特徴
づけられません。鉄器時代以降のサルデーニャ島は、地中海の広範な地域と結びつい
ていました。
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_57.html
0131世界@名無史さん
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2021/07/11(日) 14:00:13.170
>>129

Sardus or also Sardus Pater ("Sardinian Father")

Sardus was the son of Makeris (identifiable with Mecur / Macer, a Libyan name deriving from
the Berber imɣur "to grow"), and that the island of Sardinia changed its name from Ichnusa to
Sardinia in honor of Sardus.
0132世界@名無史さん
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2021/07/12(月) 18:19:51.230
ギリシアのペロポネソス半島の都市アルゴス

ギリシア神話に登場するアルゴスは100の目をもつ巨人
「ヘルメースは葦笛の音を聞かせてアルゴスの目をすべて眠らせて剣で首を刎ねたとも、
遠くから石を当てて殺したともいう。」

ペリシテ人の巨人兵ゴリアテは
「ダビデが投石器から放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねられ絶命した。」
0133世界@名無史さん
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2021/07/12(月) 21:10:14.830
>>131
すいません読み間違いました

というより、かってにマーキュリーを想像してしまいました
0134世界@名無史さん
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2021/07/12(月) 23:18:01.480
【2600年前、武器とともに埋葬されていたのは13歳の少女戦士だった。
遺体調査で明らかに(シベリア)】

ギリシャ神話に登場する、女性だけの部族で構成される伝説の戦士部族
「アマゾーン」は伝説上の存在とされてきたが、実はかつて、中央アジアで勢力を
誇ったスキタイ人がモデルだったという説がある。

今回、これまで少年だと考えられてきた2600年前の戦士の遺体が、じつは13歳の少女
であることが判明したそうだ。アマゾーンの正体がスキタイ人であるという説がまた
も裏付けられたそうだ。

ギリシア神話に登場するアマゾーンは女だけの戦士部族で、小アジア(現トルコ)の
テミスキラを本拠地としていたと伝えられている。

長いこと伝説上の存在で実在した部族ではないと考えられてきた。しかし今では、
紀元前9〜2世紀頃に中央アジアで勢力を誇ったイラン系遊牧騎馬民族「スキタイ」を
見た古代ギリシア人が、その文化や習慣を誇張して伝えたものという説が有力だ。
https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52292011/

「アマゾーン」アマゾネス族の他にゴルゴネス族が存在し、ゴルゴネス族の女王が
メドゥサだったという記述があります
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/scytobrachion2.html

メドューサは元は「コリントス」で崇められたギリシア先住民族の主女神
「コリントス」は非ギリシア語源の語とみられ、おそらくドーリア人以前の先住民族
の語である。
紀元前9世紀、ドーリア人(ドリス人)によって建設され、商業都市として繁栄した。
0135世界@名無史さん
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2021/07/12(月) 23:36:32.630
>>133
「According to Sallust, Sardus son of Hercules, left Libya along with a great multitude of men
and occupied the island of Sardinia, which was so named after him. 」

私はよくわかっていませんし、Makerisが誰だか理解出来ていません
ヘラクレスやリビアという言葉がありますし、133さんの認識で合っているのではないでしょうか
0136世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 00:12:30.580
ナウクラティス - Wikipedia より

ヘロドトスの記述では、ナウクラティスはギリシャ人が作ったのではなく、それ以前から
存在していたと見られ、考古学調査でもそれが裏付けられている。この元々あった都市には
エジプト人、ギリシャ人だけでなく、フェニキア人も混在して住んでいたと見られている。

ヘロドトスによると、ナウクラティスには Hellenion という聖域(壁で囲まれた神殿)
があり、次の9つのギリシア都市国家が共同で運営していたという。

● イオニア人国家: キオス、クラゾメナイ, テオス、ポカイア
● ドーリア人国家: ロドス、ハリカルナッソス、クニドス、ファセリス
● アイオリス人国家: ミュティレネ

ミレトス、サモス、アイギナは Hellenion とは別の聖域を持っていた。
したがって、ナウクラティスには少なくとも12のギリシア都市国家の人々が共同で暮らし
ていた。これだけでも珍しいが、かなり長い間続いたと判明している。

発掘調査によって多数の美術品が見つかっていて、世界各地の博物館や美術館に収蔵され
ているが、同時に陶器に書かれた銘が最初期のギリシア文字で書かれているという点でも
重要である。

ナウクラティスで見つかったギリシア文字は発生期の特に初期のものであることが判明
している。陶器に書かれた銘には、イオニア方言、コリントス方言、ミロス島方言、
レスボス島方言などの最古の記述があった。フェニキア文字からの変化の過程にあるもの
もあり、特に興味深い。

ここからは私見ですが、ドーリア人国家があったにも関わらず、なぜドリス方言の記述が
ないのでしょうか?
記述にあるのは「最初期のギリシア文字」または「フェニキア文字」です
0137世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 00:38:55.240
フェニキアが地中海支配して暗黒時代(文字なんかおしえな〜い

アッシリアがフェニキアの沿岸の都市、シドンやらを完全制圧(ティルスだけ残す)で服属させる=暗黒時代終わり

フェニキア支配とかれたギリシャの島々がフェニキアと同じように櫂船と文字つかう海賊として盛り返し始める
0138世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 00:39:27.530
でもなぜ我々はそのフェニキアの後のものばっかありがたがっているのだろうか?
0139世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 05:10:20.230
ワロスww
創られた空想

>>52

【考古学】古代ユダヤ人は戒律で禁じられた食べ物(ヒレやウロコがない魚介類)を普通に食べていたことが判明 遺跡から禁忌魚骨 [どこさ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1626113847/
0140世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 07:38:42.810
ドーリア人、イオニア人、アイオリス人は古代ギリシアを構成した集団
(アカイア人を含める場合もある)という記述があります

古代ギリシアの建築様式はドーリア式、イオニア式、コリント式
0141世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 12:00:13.290
>>139
ヘブライ王国、分裂後の北のイスラエル王国・南のユダ王国を見れば、
ヘブライ人、イスラエル人、ユダヤ人がメシア(理想的な統治をする為政者)を求め、
統治の為のルールが必要だったのもわかる気がします
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b6/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E7%8E%8B%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C%E3%80%82.jpg/649px-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E7%8E%8B%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C%E3%80%82.jpg
0142世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 15:10:05.320
【ムーラで2500年前の彫像と碑文が発見】

アナトリアで最も保存状態が良いローマ時代の寺院の1つとされているミラス区にある
ゼウス・レプシノス神殿で進められている発掘作業で2500年前の大理石彫像2つと碑文
1つが発見された。

カリア時代の重要な都市の1つであったと見なされているエウロモス古代都市での発掘
作業は続けられている。

クズル准教授は、「立っている青年」を意味するクロスの彫刻はエジプト時代、
フェニキア時代、アッシリア時代に起源を持つと述べた。
https://i.hurimg.com/i/hdn/75/0x0/60ebf2e14e3fe1053c9bc130.jpg

https://www.trt.net.tr/japanese/wen-hua-yun-shu-guan-guang/2021/07/12/murade2500nian-qian-nodiao-xiang-tobei-wen-gafa-jian-1673610
0143世界@名無史さん
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2021/07/13(火) 15:22:09.780
【3100年前の土器片に「士師記」関連の文字 イスラエルで出土】

イスラエル南部のキリヤットガット(Kiryat Gat)市近郊の遺跡でこのほど、約3100年
前の土器片が出土した。

キルベット・エル・ライ遺跡(Khirbat er-Rai)で見つかった紀元前1100年頃の土器片
には、カナン語で「Jerubbaal」とインクで書かれていた。旧約聖書の士師記の時代の
もので、こうした発見は初めてだという。
https://www.afpbb.com/articles/-/3356315
0145世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/13(火) 18:43:50.960
ギリシャ神話の終わりになんでフェニキアがこないんだ?

ポセイドンがフェニキアか?
0146世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/13(火) 19:42:43.390
ギリシャ神話はフェニキアでまくりな気がしますね
0147世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/13(火) 20:34:45.290
トロイアの後フェニキアに支配されてたのはどのくだりなんだ
0148世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/14(水) 18:59:20.420
Dorian Hexapolis(ドーリア人のヘクサポリス)
・ Cos, on the island of Cos;(コス)
・ Cnidus in Caria;(クニドス)
・ Halicarnassus in Caria;(ハリカルナッソス)
・ Lindus, on the island of Rhodes;(リンドス)
・ Ialysus on Rhodes;(イアリソス)
・ Camirus on Rhodes;(カメイロス)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Western_Asia_Minor_Greek_Colonization.svg/424px-Western_Asia_Minor_Greek_Colonization.svg.png

ナウクラティスのドーリア人国家: ロドス、ハリカルナッソス、クニドス、ファセリス

ファセリス(Phaselis)だけはアナトリアの南西部ではなくリキュア(Lycia)の都市
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Lycia-turkey-ancient.svg
(上記の地図ではPhasalisと表記)

リキュア(Lycia)は、エジプトの碑文の「海の民」、ドーリア人、そしてフェニキア人
と深い関わりがある国であると思います

「リュキア語に近かったのは、紀元前2000年から紀元前1000年過ぎまでアナトリア地方に
暮らしていた民族の使うルウィ語で、この民族が直接の祖先である可能性もある」
「カラテペ遺跡にはフェニキア語と象形文字ルウィ語の二言語で記された紀元前8世紀の
碑文がある」
0149世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/14(水) 19:55:38.350
>>147
テーバイの建国神話とか
こういうのはあんまり好きじゃないの?
0150世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/14(水) 21:40:22.700
フェニキア王
このアゲーノールは、エジプト王エパポスの娘リビュエーとポセイドーンの子で、ベーロスと双子の兄弟。
アゲーノールはフェニキアのテュロスの王で、テーレパッサ、アルギオペー、あるいはベーロスの娘アンティ
オペーとの間に、カドモス、キリクス、ポイニクス、タソス、エウローペーをもうけた。


なるほどこれは怪しいな
もともとフェニキア人が支配していたがギリシャ人の神の子(エジプト人)と神の子ということにして納得させたのか
0151世界@名無史さん
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2021/07/14(水) 22:05:33.420
暗黒時代の入りの記述にあたりそうな神話はないかな
当然トロイア戦争の後に組み込まれてる話で
0153世界@名無史さん
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2021/07/15(木) 12:49:11.240
そういやハンニバルのペットのスルスはインド象だったっけ
0154世界@名無史さん
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2021/07/15(木) 19:00:01.870
>>88
なんとなくマルタのイメージだったのですが
カルタゴがやったのでしたか
0155世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/15(木) 21:13:56.900
アフリカゾウが当時いたのにインドゾウもって来たのか?
0156世界@名無史さん
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2021/07/15(木) 21:26:23.950
>>155
アフリカ象は飼い慣らせない
0157世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/15(木) 21:30:13.400
>>155
アフリカ象は凶暴すぎて戦象にならないよ
それとも北アフリカにいたマルミミ象の事かな?
ハンニバルの戦象はほぼマルミミだったんだけど、スルスは他国からカルタゴに贈られた貴重なインド象のうちの一頭だよ
ハンニバルの家系はディドーに連なる名門らしいので譲られたのかもね
0159世界@名無史さん
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2021/07/15(木) 21:43:01.410
象を家畜化する試みは、4000年前のインダス川流域で始められた。しかし、低い繁殖力と成長の遅さ、
飼育下の群での繁殖の困難さ、妊娠期間の長さのために、おそらく大半は、そして現代に至るまでケッダ
などと呼ばれる追い込み罠で野生のインドゾウを捕まえて飼いならしていた。初期の象の利用は、強い力
を生かした農耕の補助にあった。軍用の起源は紀元前1100年ごろで、その活躍をたたえるサンスクリットの
賛歌が複数残っている。

その後、戦象の運用はインド亜大陸に隣接したイラン高原を通じて西方へ伝播したが、インドゾウとそれを
扱うインドの象使い(マハウト)ともども導入された。それらの入手が困難な地中海世界では現地のアフリカ
ゾウを戦象化する試みが進められ、エジプトやカルタゴが育成に成功した。ただしアフリカゾウはインドゾウと
性質が異なり、人間が飼いならす事はほぼ不可能である事から、アフリカゾウ属系だが別種のマルミミゾウ
であるとする説がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロシアでキツネをペット化できたという話がある
数代で性質は変わるらしい
できんことはないだろう
0160世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/16(金) 00:03:31.930
(⚫ω・`)<ロシアのペットキツネは飼育したアカギツネの中から比較的人間に懐いたもの(特に人に懐くものはエリートと呼ばれる)を交配したいったんだよね
俺が知ってるだけでも30代は悠にこえていた筈
交配が進むにつれてエリートの仔達は耳がまるっぽくなり、初めて見る人間にも尻尾を振るようになっていたとか
0162世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/16(金) 19:05:50.230
ギリシア神話では、リュキア王国を支配していたのはグラウコスで、ミノス王の兄弟で
あってクレタ島から流浪してきたという

クレタ島の線文字Aは「アナトリア語派のルウィ語に近いと考える学者もある」
0163世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/16(金) 23:11:57.390
【Oink Vey! Pig Skeleton Discovered in First Temple-period Jerusalem】

Remains of piglet from 2,700 years ago support the theory that ancient Israelites occasionally
did eat pork, and the biblical taboo on this animal was only first observed in Second Temple era,
Israeli archaeologists say

豚の頭蓋骨や骨の発見から、古代イスラエル人は豚肉を食べていた!?
https://www.haaretz.com/israel-news/MAGAZINE-oink-vey-pig-skeleton-discovered-in-first-temple-period-jerusalem-1.9906708
0165世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/16(金) 23:32:34.410
【イタリア半島における銅器時代〜青銅器時代の人類集団の遺伝的構造の変化】

ヨーロッパ前期新石器時代個体群の2集団への区分は、イタリア本土個体群から
サルデーニャ島新石器時代個体群を分離し、サルデーニャ島新石器時代個体群が
アナトリア半島新石器時代個体群およびWHGとより高い類似性を示しており、
ヨーロッパ新石器時代構成要素内の人口集団構造の可能性を提起しますが、
祖先系統における微妙な違いを解明するには、高網羅率の古代ゲノムを含むより
詳細な分析が必要です。
https://sicambre.at.webry.info/202105/article_17.html
0166世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/17(土) 01:03:48.850
【古代エルサレムは巨大な壁で囲われていた、新発見の壁が証明】

考古学者らは14日、鉄器時代に建設された石造りの壁が新たに2か所で発見されたことで、
古代エルサレムの東側斜面全体が、かつて巨大な壁で守られていたことが「はっきりと」
証明されたと語った。

これまでの数十年で、長さ90メートルと30メートルの壁が発見されていた。だが、
その間には70メートル分の空間があり、第1神殿(First Temple)があったとされる
古代エルサレムの東側が一続きの壁で守られていたかどうかは疑問視されていた。

今回、新たに発見されたのは、14メートルと3メートルの壁だ。

発掘を率いた古代エルサレム研究センター(Ancient Jerusalem Research Centre)の考古学者
フィリップ・ブコサボビッチ(Filip Vukosavovic)氏は、「新たに二つの部分が発見された
ことで、古代エルサレムのダビデの町(City of David)、つまり東側の斜面が、巨大な壁で
囲まれていたと明言できる」と話した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3356980
0167世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/17(土) 01:20:59.730
少し前の記事ですが
【5000年前の古代都市の遺跡発掘 イスラエル】

イスラエルの考古学者らは、5000年前にさかのぼる都市の遺跡が発掘されたとして、
6日に公開した。要塞(ようさい)、儀式に使用された寺院、墓地などがあり、
同域で青銅器時代に発達した都市としては最大規模だとしている。

イスラエル考古学庁(IAA)のイツハク・パズ(Yitzhak Paz)氏によると、
「ここでは、居住区と公共のスペースを区切る道路が計画的に整備され、大規模な
都市建設が行われていた」と説明。

また発掘に携わった別の考古学者の話によると、「エンエスール(En Esur)」と呼ばれる
この遺跡の面積は0.65平方キロメートルで、既知の遺跡に比べて2倍の広さだという。

この古代都市では、儀式を行うための寺院と共に、人や動物の顔をかたどった珍しい小像や、
石の器の中に納められた焼けた動物の骨なども見つかった。この動物の骨は、いけにえが
ささげられていた証拠と考えられている。

パズ氏はこの古代都市について、当時のカナン(パレスチナ地方の古称)における
「都市形成過程の第1段階」だったとみている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3248361?cx_part=related_yahoo
0168世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/17(土) 10:01:55.100
ふんむ
>>91

タルテッソス語の情報源が不足していることを考えると、「アルガントニオス」という名前の由来は不明です。歴史家はケルト人の名前との類似点に注目しています。[1]実際、「アルガントニオス」という言葉は、インド・ヨーロッパ語族の「銀」(二次的には「お金」)に基づいており、[4]ケルト祖語*アルガント-およびイタリック祖語*アルジェントムとして再構築されているようです。。[5]�[注1]

タルテッソスは、他のイベリアと同様に銀が豊富でした。同様の名前(例:アルガントーニ)は、旧タルテッソスの領土またはその近くのローマ時代の碑文に表示されます。名前または肩書きArgantoda(nos)北ガリアの銀貨に見られ、「会計」に似た意味を持っていた可能性があります。[6]セビリア考古学博物館の「タルシスマスク」でアルガントニオスを特定した人もいます。
0170世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/17(土) 21:04:59.010
>>168
もしやと思って調べてみたが
アルジェリアはアラビア由来の別の語源でした
0171世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/17(土) 22:51:11.890
タルシシュ(Tarshish)は聖書に登場する地名である。本来の語義は「精錬所」を
意味するといわれている。現在のトルコ地中海岸のタルススとする説とスペイン南部
のタルテッソスとする二つの説がある。

ヘロドトスによれば、タルテッソスの王をアルガントニオスという。
銀によって富裕なことから来た呼び名と見られる(印欧祖語:*arģ-「銀」)
0172世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/17(土) 23:00:38.700
【古代イスラエル遺跡から大麻の跡、儀式で使用か】

古代イスラエル人たちが宗教儀式の際に精神活性化のために大麻を使っていた可能性
が非常に高いことが、テルアビブ大学(Tel Aviv University)考古学研究所が発表した
論文で明らかになった。

大麻使用の形跡が発見されたのは、現在イスラエルが占領下に置くパレスチナ自治区
ヨルダン川西岸(West Bank)の南に広がるネゲブ砂漠(Negev Desert)にある紀元
前8世紀のテルアラド(Tel Arad)遺跡。

考古学チームは、この大麻の存在は、「ユダ(Judah)王国における宗教的儀式の一環
として、精神状態を変化させる物質を使用していたことが証明された」とし、今回の
発見は「古代中近東における大麻使用を証明したものとしては最古」だと述べた。
https://www.afpbb.com/articles/-/3286445
0173世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/18(日) 00:03:36.540
【The Greek Pyramids】

The so-called Greek Pyramids, also called the Pyramids of Argolis, are several frusta or
truncated pyramidal shaped structures and “blockhouses”, located on the eastern part
of the Peloponnese peninsula in present-day Greece.

Groups of possible pyramidal structures have been identified at Ligourio (Argolida),
Kambia (Argolida), Viglafia (Lakonia), and Elliniko (Argolida), with the pyramid of
Hellinikon at Elliniko being the best preserved and studied.
https://www.heritagedaily.com/wp-content/uploads/2021/06/1622px-Pyramide_von_Hellinikon_5-1536x1023.jpg

ギリシャのペロポネソス半島のアルゴリダ県 または アルゴリス県に、アルゴリスの
ピラミッドとしても知られるギリシャのピラミッドが幾つか残っています
https://www.heritagedaily.com/2021/06/the-greek-pyramids/139575?amp
0174世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/18(日) 02:13:32.520
>>170
アルゼンチンは同じ語源のようです
アルガルベはやっぱりエルなんだろうか
0175世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/18(日) 09:29:35.070
【美と欲望の世界史…ギリシア神話の英雄ヘラクレスが発見した「ロイヤルパープル」とは?】

貝紫の製造はフェニキアの港町ティルスで始まったとされ、「ティルス紫」と呼ばれ
た。ギリシア神話では英雄ヘラクレスが発見したとされている。飼い犬が貝をかみ砕
いたときに口が濃い紫色に染まるのを見たのだ。
https://diamond.jp/articles/-/276959
0176世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/18(日) 15:57:08.000
グアダルキビル断層を境として
ケルト人とイベリア人が
住み別けていたそうな

川の名前しか知らなかったですね
0178世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 01:17:42.490
【Excavation of Philistine Gath Finds Startling Similarities to Cypriot Cities】

古代カナン南部のペリシテ人の都市計画は、周辺のカナンの都市と違い、キプロス島
の都市計画に酷似していた
ペリシテ人の都市ガトで発見された金属の精錬技術は、カナン地方のとは異なり、
キプロス島で発見された古来の技術に似ている

ギリシャのペロポネソス半島アルゴリス県にあるミケーネ文明の遺跡ティリンスは
キプロス島の都市エンコミとキティオンと類似点が見られ、ペリシテ人の影響が
ティリンスまで広がっていたと考えられる

キプロス島で主に用いられていたキュプロ・ミノア文字の銘の陶器の破片が、
ティリンス、アシュケロン、そしてウガリットでも見つかっている

有名な"Cypriot stirrup jar"はイスラエルで数多く発見されているが、ペリシテ人の地域
やキプロス島ではほとんど発見されていない
一方で、化学分析により粘土はキプロス島産であることがわかっている
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7a/Stirrup_vase_Louvre_MNC322.jpg/537px-Stirrup_vase_Louvre_MNC322.jpg
(A stirrup jar from around c. 1350 BC)

The recent discovery in Philistine Gath of an unusual altar with only two horns, rather
than the Judahite norm of four, may also hint at Aegean origin for the Philistines.
Two-horned motifs on buildings, and altars, were common in Minoan Crete (and one was found in Cyprus too).
https://www.haaretz.com/archaeology/philistine-gath-startlingly-alike-cypriot-cities-1.5428043
0179世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 17:15:11.450
1350 BC)

この時点で聖書のペリシテとは違うな
ペリシテはクレタ島とつながってて鉄の精錬方法を知っていた
一方イスラエルは鉄の作り方を知らなかった
0180世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 17:16:34.870
ヒッタイトが滅亡してスキタイその他に製鉄法が伝播してたのに
レヴァントでは必ずしもそうではなかったってのはどういうわけか
フェニキアが覇権を握っても何故鉄を独自に作れなかったのか
0181世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 17:51:47.160
「ルウィ語はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属する言語で、
紀元前16世紀から紀元前7世紀までの資料がアナトリア半島南部からシリアにかけての
広い範囲に残っている。同じ語派に属するヒッタイト語と共通する点も多いが、
はっきりと異なった言語である。」

ギリシア神話ではクレタ島からアナトリア半島の移住者がいたことが示唆しています
また、クレタ島の線文字Aとルウィ語の類似性を指摘する学者もいます
(私見では、紀元前18世紀頃、クレタ島付近で起きたであろう地震が関係あるのでは
ないかと推測します)

アナトリア半島南部のルウィ語族が、ギリシアのペロポネソス半島、イタリア半島、
サルデーニャ島、シチリア島、そしてキプロス島まで勢力を広げ、
後の古代エジプトの記録の「海の民」ではないかと個人的に思います

エジプトの記録でチェケル人と呼ばれる「海の民」が、ヘブライ王国のアシェル族と
呼ばれるカナン人に組み込まれて、フェニキア人が誕生したのではないかと推測します

また「海の民」と呼ばれるルウィ語を祖語とした民族と、鉄器時代にギリシアの北から
南下してきた民族が混在し、(現在の)ギリシア人が誕生したと思われます

さらに言えば、ヒッタイト人もルウィ語族を祖として誕生したのではと個人的に推測
します

「ヒッタイト人は自分たちの国をハットゥシャ王国(アッカド語ではハッティ)と呼んで
いたが、これは紀元前2千年紀の初めまでこの地域に住んでいたハッティ人からもらった
名前で、彼らはハッティ語として知られる無関係の言語を話していた」
0182世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 18:18:04.940
海の民はギリシャ人だろ
トロイの伝説が事実であれば前1200〜1300年あたりに海戦でトロイアからアナトリアを荒らした集団がギリシャ人だとわかる
クレタも加わってるなら前1400年のミノア文明の崩壊もそいつらによるもの

フェニキアは「衝角つき櫂船」を発明し、それら海賊を遠洋でひとつひとつ沈めていった奴ら
でギリシャ人の交易ルートがすべてフェニキアのものとなった
0183世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 20:08:17.660
>>73

「以前の研究(関連記事)では、ギリシアの現代人口集団はエーゲ海の青銅器時代の後期
集団とはかなり異なる、と明らかになりました。対照的に、本論文の結果からは、ギリシア
の現代の個体群(ギリシア北部のテッサロニキとクレタ島)は、ギリシア北部のヘラディック
ログカスMBA個体群と密接に関連しており、MDS分析(図2)では現代ギリシア人の近くに
位置し、ADMIXTURE分析(図3)では同じ祖先系統構成要素を共有し、ひじょうに類似した
D統計を有します。」

「これは、ギリシア北部とクレタ島の現代人口集団がエーゲ海EBA人口集団の子孫かもしれず、
ポントス・カスピ海草原EMBAと関連する人口集団とのその後の混合を伴う、と示唆します。
興味深いことに、キプロス島現代人は分析全体で草原地帯的な遺伝子流動の証拠を示しません
(図2・3)。」

「推測された移住の波は全て、線文字Bの出現(紀元前1450年頃)に先行します。結果として、
ゲノムデータは祖型ギリシア語の出現とインド・ヨーロッパ語族の進化を説明する主要な
両方の言語学理論を裏づけます。つまり、これらの言語はアナトリア半島に起源があるか
(アナトリア半島およびコーカサス的遺伝的祖先系統と相関します)、ポントス・カスピ海
草原地域に起源があります(草原地帯的祖先系統と相関します)。アルメニアおよびコーカサス
地域の中石器時代から青銅器時代の将来のゲノムデータは一般的に、エーゲ海への遺伝子流動
の起源と様相をさらに正確に示し、ゲノムデータを既存の考古学および言語学的証拠とより
よく統合するのに役立つ可能性があるでしょう。」
0184世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 20:18:15.110
カルケミシュ(Carchemish)は、古代オリエントの大国・ミタンニやヒッタイトの重要都市。
現在は、トルコとシリアの国境線上に位置する。

古代、カルケミシュはユーフラテス川を渡る最大の浅瀬がある場所だった。
こうした環境が、歴史的・戦略的にこの地を重要にしてきた。

遺跡発掘は当初大英博物館が行った。主に1911年から1914年にかけて調査を行い、
地下にあったアッシリア期やシリア=ヒッタイト期の遺構、例えば防御のための設備、
寺院、宮殿、そして象形文字ルウィ語の碑銘が刻まれた玄武岩の像やレリーフ多数が発見
されている。
0185世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/19(月) 23:27:36.870
『ヒッタイト語は、インド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派の明確なメンバーであり、
密接に関連しているルーアン語とともに、歴史的に記録されている最古のインド・
ヨーロッパ語であり、その話者によってnešili「ネサの言語」と呼ばれている。』

上記の「ルーアン語」 = 「ルウィ語」です

「ヒッタイト人 (Hittites) は、クルガン仮説による黒海を渡って来た北方系民族説と、
近年提唱されているアナトリア仮説によるこのアナトリア地域を故郷として広がって
行ったという2つの説が提唱されているが、決着していない。」

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e9/Map_Hittite_rule_en.svg/800px-Map_Hittite_rule_en.svg.png
(ヒッタイト帝国の最大の範囲の地図。紀元前1350年から1300年の間にヒッタイト帝国が
支配していた領域を緑の線で示している。)
0186世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/20(火) 01:25:11.080
【Diving Archaeologists Find Unique Lion Helmet From Punic Wars 2,300 Years Ago】

https://img.haarets.co.il/img/1.5665540/1018316866.jpg?precrop=2491,1082,x0,y281&;width=1920&height=817
(シチリア島のエーガディ諸島海底で見つかった第一次ポエニ戦争時のカルタゴ軍の
青銅の兜 - ライオンの像が付いている)

他にも"Montefortino helmets"が発見されていています
カルタゴ軍かローマ軍の兜かは、どちらも南イタリア及びシチリア島から傭兵を雇った
ので判別が難しいとのこと
ライオンのシンボルはギリシア神話のヘラクレスの影響であろうということです

"ram"と呼ばれる青銅の衝角(軍船の船首水線下に取り付けられる体当たり攻撃用の固定武装)
の付いた沈没船が12隻発見されています
沈没船の内、たった2隻がポエニ文字の碑文が衝角に刻まれ、残りはローマ文字(ラテン語)
の碑文が刻まれた衝角の付いた船です

沈没船の数だけ見れば、カルタゴ軍が勝利したように見えますが、実際に勝利したのは
ローマ軍です
その理由は、ローマ軍の船は元はカルタゴ軍の艦隊を拿捕した船ではないかということ
です
そして、カルタゴ軍及び元はカルタゴ軍のローマの船が沈没したのは、戦闘が理由では
ないということです
沈没船の荷物(アンフォラなど)が破損していないことが根拠としてあげられています

では何故カルタゴ軍及び元カルタゴ軍の船だけ沈没したのか?
理由は"とても古い"ということです

記事の中で、ローマ軍は初め海を怖れていたという概念は間違っているのではないかと
提唱しています
つまり、ローマは海軍または軍船をしっかりと準備してきたのではないかということです
https://www.haaretz.com/archaeology/MAGAZINE-diving-archaeologists-find-lion-helmet-from-punic-wars-1.5626649
0187世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/20(火) 12:43:49.500
第一次ポエニ戦争の頃は、白兵戦の得意なローマ軍が敵船に乗り込む装置を開発してたんだっけ
船自体沈める訳じゃないからリサイクルしてたとしてもおかしくないね
0188世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/20(火) 18:14:22.320
>>186
スパイが撃沈工作したとでも言いたいのか?
0189世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/20(火) 19:29:52.380
>>176
あの辺りもうちっと岩塩採れてもいい気がする
石膏はかなり取れそうだった
0190世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/20(火) 22:18:36.960
乗り込むとかできるのか
衝角ぶつけたら後ろ向きに下がるを繰り返すだけなのに

衝角付き櫂船に対抗するには衝角つき櫂船でなければ行けない

核には核
潜水艦には潜水艦以外ないように
0191世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 00:27:45.020
カラスが飛び乗るはず
0192世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 01:26:15.130
カルタゴで建造した船だけが沈没し、ローマで建造された船は沈没していない
カルタゴの船は何故古いままだったのだろうか
国家予算がなかったのか、新しい船の建造技術がなかったのか、船の原材料が調達
出来なかったのか
カルタゴの商港と軍港は第2次ポエニ戦争前後の前2世紀頃に建設されたと見られる

ローマはポエニ戦争の準備をしっかりと進めていたが、カルタゴは戦争するつもりは
なく平和的に解決したかったのかもしれない
ローマはしっかりと海軍を準備したが、カルタゴは護衛艦程度のものしかなかったの
かもしれない

カルタゴ側の史料・資料がないので想像でしか推測出来ない
0193世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 01:38:38.150
>>186

アエガテス諸島沖の海戦
は完全に終盤戦で

軍縮したカルタゴ海軍を
ローマが金で買った設定のようですね

ローマの船は輸送には用いず
純戦闘用に調整されたっぽい
0194世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 02:04:33.150
鶏伝説できたのはドレパナ沖海鮮のときらしい


旗艦上では、ある資料ではプルケル自身とされているが、戦闘の前に最高司令官として吉兆を占った。ローマの宗教では、聖なる鶏がえさを食べる様子を観察することとなっていた。鶏が与えた穀物を食べた場合は、神はローマに味方する。しかし、紀元前249年のその朝、鶏は穀物を食べなかった - 不吉な予言であった[1]。この予期しない出来事に不安を感じていた乗員を元気付けるため、プルケルはすぐに別の解釈を持ち出した。プルケルは聖なる鶏を海に投げ入れ「食べたくなければ飲ませようではないか」と言った(ラテン語でBibant, quoniam esse nolunt)[2]。
0195世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 02:19:40.160
>>188
あれだな

市民に金を出させて船を再建させたことになってるが
そもそもそんな美談じゃなくて
供出された金でカルタゴの船を買って
衝角だけ造って取り付けて建造したことにしたんだろ

積み荷が無事なのは
同国の友船のふりをして近づき
騙し討ちしたんだね
汚い
0196世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 07:37:09.800
>>186 の記事では

古代ギリシアの歴史家ポリュビオスによれば、ハンノが率いるカルタゴの艦隊は
ローマの陸軍で包囲されたシチリア島のカルタゴの植民地へ大量の穀物を積んで
補給に行く途中、シチリア島沖のエガディ島を過ぎたあたりで待ち伏せていた
ローマの海軍と遭遇し戦ったそうです

これは、ローマの提督ルタティウス・カトゥルスが彼の合図でアンカーロープを即座
に切断し、船を解放して奇襲攻撃を行うように命じたという話と一致します

海戦があった紀元前241年の3月10日は、歴史的文書からカルタゴの野営地の地域は
荒天と風の強い気象条件であったようです
カルタゴの船団がエリス山の野営地の補給のためにローマの海と陸の封鎖を突破する
ルートに吹く西からの風が、船団を(エガディ諸島の中で)一番小さいエガディ島に近づ
けたのではないかとのことです
0197世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 07:48:24.380
>>195
ローマは汚いよ
文献で美化しただけで
エブロ川条約を光の速さで破ったのはローマ
0198世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 08:03:17.950
>>186 の記事では

興味深い点は、発見された何百ものアンフォラの中のいくつかのアンフォラに見られる
製造地域と落書きが、戦争状態であったにもかかわらず、シチリア島と小さな介在する島々
を経由して、イタリア本土と北アフリカの間で貿易が続いたことを示していることです

戦争は費用がかかり、またどちらも供給される側でもあります
海外の貿易と輸送はこれらを維持するための主要なメカニズムです
これらの出来事はまた、本国の領土から遠く離れた軍事作戦を維持するための
海外輸送の重要性を浮き彫りにしています
0199世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 10:05:37.430
>>186 の記事では

海底にアンフォラやその他の物資が分散していることは、船が実際に沈没したが、
崩壊しなかったことを示しています

カルタゴ軍は海戦に敗れたため、研究者たちはこれまでに発見された沈没船のほとんどが
カルタゴ艦隊のものであったと考えていますが、
しかし、発見されたラム(衝角)2つだけにポエニ語の碑文が刻まれ、ラテン語の碑文から
わかるように残りはローマ起源でした

したがって、考古学者はシチリアの海底で見つかった戦艦が、紀元前249年のドレパナ沖の
戦いでローマ軍がカルタゴ艦隊によって捕獲された船と仮定しています

ポリュビオスは、97隻のローマ船がそこで捕獲されたと述べています
その後、さらに南に追加の船が捕獲されましたが、これらはカルタゴに送り返され、
艦隊に組み込まれました

双方が可能な限り相手の軍艦を捕獲し、捕獲を通じて軍艦の建造技術を伝えていたため、
カルタゴとローマの軍艦の構成と開発の状態は比較的類似していました

沈没したカルタゴの船がより悪い状態にあった理由は、ローマより古いものだったので
あろうということです
0200世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 10:27:22.180
つまり186 の記事では

アエガテス諸島沖の海戦(紀元前241年3月10日)でシチリア海底に沈没した戦艦は、
元はローマ軍の船で先のドレパナ沖の戦い(紀元前249年)でカルタゴ軍に捕獲され、
カルタゴ軍に組み込まれた船ではないかということです
0201世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/21(水) 11:06:02.270
ハミルカル、ハンニバル親子がいた時代の船が見つかるなんて、胸が熱くなります
0202世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/22(木) 12:03:31.480
【Temples on Ancient Coins】
https://coinweek.com/ancient-coins/temples-on-ancient-coins/

[Egypt]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/hadriandrachm.jpg
[Jupiter]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/petilliuscapitolinusdenarius.jpg
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/vespasiansestertius.jpg
[Mars]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/augustuscistophorus.jpg
[Concordia]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/tiberiussestertius.jpg
[Divus Augustus]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/caligulasestertius2.jpg
[Diana]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/claudiuscistophorus.jpg
[Vesta]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/caeseraureus.jpg
[Heliopolis]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/septimusseverusheliopolis.jpg
[Byblos]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/macrinusphoenicia.jpg
[Perinthus]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/caracallamedallion3.jpg
[Elagabal]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/temple2.jpg
[Samos]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/islandsoffionia.jpg
[Jerusalem]
https://coinweek.com/wp-content/uploads/2021/06/judaeabarkochbasela.jpg
0203世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/22(木) 12:37:06.970
>>186

訳が真反対に間違ってせいで
珍回答が続出したわけか
0204世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/22(木) 12:53:13.210
>>180
フェニキアは鉄を造ってたから
年代的な問題じゃろか

>>178
むちゃくちゃ使い難そう
0205世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/22(木) 22:16:40.750
>>95
サンダルはないだろww
まずイタリア半島が足という発想が無理かと思います

ペルセウスはあの辺りうろうちょろしてたんだっけか?
0206世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/23(金) 00:16:07.850
Sardinia - Wikipedia だと

「It makes its first appearance on the Nora Stone, where the word Šrdn testifies to the
name's existence when the Phoenician merchants first arrived.」

フェニキア文字で「Šrdn」と初めて記録されてますが、既に名前は存在していた
ということです

シャルダナ人(Sherden)は、アマルナ文書の時代からラムセス3世の時代まで、
エジプトを侵犯する人々として記録されました。アマルナ文書にあるので発音も知られています。
メディネットのレリーフから、独特なヘルメットなどの武装が知られます。
この武装はアルゴリス地方のデンドラ(Dendra)の遺跡から出土しています。
シャルダナ人は傭兵としても記録があります。

アマルナ書簡では、エジプトを侵犯する人々のグループは、Lukka と Sherden が記録される。
Lukka は、メルエンプタハ(BC1213-BC1203)の碑文まで記録され、ラムセス3世の
碑文にはない。Sherden(シャルダナ人) は、ラムセス3世(BC1185-BC1155)の
碑文まで一貫して登場する。

ここからは個人的な意見ですが、エジプトは紀元前14世紀頃に「海の民」を
シャルダナ人(Sherden)と呼んでいたと思います
(アナトリアのリュキア人はLukkaと区別していたと思われます)

"シャルダナ人の"島という意味で、形容詞の「サルデーニャ」が島の名前になった
のではないかと推測します
それをフェニキア文字で「Šrdn」と記録したのだと思います

「サルデーニャ」はエジプトの記録が由来なのではと個人的に思います
何故、エジプト人がシャルダナ人と呼んだかわかりません
また、シャルダナ人はヌラーゲ人と同一視する学者もいるようです
0207世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/23(金) 01:47:58.820
>>181 で記述しましたが
「海の民」はクレタ島からの移住者のアナトリア半島南部のルウィ語族が起源だと思います

>>183 の記述では
現代のギリシア人のDNAは@ギリシア北部とAクレタ島から構成され、
言語学的に@祖型ギリシア語とAアナトリア半島起源のインド・ヨーロッパ語

線文字Aに先行するクレタ聖刻文字とアナトリア象形文字(現在ではルウィ象形文字)
との関連性を指摘する学者もいますし、
線文字Aもルウィ語に近いと考える学者もいます

「海の民」は時代や場所、また記録する側によって
「チェケル人」「ペリシテ人」「アカイア人」「ミケーネ人」「シェルデン人(シャルダナ人)」
と呼ばれていたのだと思います
「海の民」の構成民族は >>46-47 で記述した通りです
0208世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/23(金) 01:56:43.400
海の民では地中海は制覇できない

エジプトの壁画に書かれた船は戦艦らしくないし
ギリシャにガレー船が導入されたのがBC7世紀

海の民は短期間の遠征で終わったはず
暗黒時代を作ったのは海の民ではなく、衝角付きガレーを発明したフェニキアである
0209世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/23(金) 01:59:00.180
フェニキアは完全に地中海を制覇し、レバントから島々をわたり、カルタゴ、イベリアまで勢力を広げた
暗黒時代の原因はフェニキア人が文字を他民族に伝えなかった、伝えようともしなかったことにある
そういう特徴を持った民族で、多民族国家みたいなのではない
ヘロドトスのいうようにアラブ人か
0210世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/24(土) 00:48:31.910
オリンピックに関連して
エジプトのナウクラティスではドーリア人国家であったハリカルナッソス

「初期のハリカルナッソスは、コス、クニドス、リンドス、カメイロス、イアリソスと
共にドーリア人のヘクサポリスの1つだった。しかし、ヘクサポリスの競技会で優勝した
ハリカルナッソス市民 Agasicles が賞品である三脚台をアポローン神殿に奉納せずに家に
持ち返ったことから、ハリカルナッソスがその同盟から離脱することになった。」
0211世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/24(土) 17:05:38.970
ふんむ

【ナゾロジー】2500年前の「バビロン最後の王」により記された碑文を発見 [すらいむ★]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1627106475/

碑文は、サウジアラビア北部のハーイル地域にあるアル・ハイト(Al Hait)で発見されました。

アル・ハイトは、古代世界ではファダック(Fadak)と呼ばていた場所で、要塞跡や岩版絵、水利施設など数多くの遺跡が残っています。

SCTHの考古学者によると「紀元前1000年からイスラム時代の初期までの歴史的意義がある」とのこと。

さて、問題の碑文には、約26行にわたる楔形文字が記されており、サウジアラビアで発見された楔形文字の中では最も長いものです。

何が記されているかは分かっておらず、研究チームが目下、解読を進めています。

また、碑文の上部には、笏を持ったナボニドゥス王と見られる人物のほかに、ヘビや花、月のシンボルが描かれていました。
0212世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/27(火) 01:11:25.450
約2年前の記事ですが
【ギリシア南部ネメアのアイドニア墓地遺跡でミケーネ文明時代後期の墓二基が発見】

ギリシア共和国文化スポーツ省(Ministry of Culture and Sports)の発表によると、ギリシア
南部ペロポネソス半島北東部ネメア遺跡にあるアイドニア墓地で紀元前1400〜1200年頃の
2基の墳墓が発見された。

アイドニア墓地はミケーネ時代(紀元前17〜12世紀)の特徴を備えたミケーネ式石室墓がある。
ミケーネ式石室墓は出入口、通路、埋葬墓の3つの部分から構成されている。
初期のミケーネ式石室墓には宝石、金、武器、高級陶磁器など、豊かで様々な副葬品が
あったが、後期の墓の副葬品はより質素であるという特徴がある。
https://call-of-history.com/wp-content/uploads/2019/08/411819.jpg
(副葬品)
https://call-of-history.com/archives/21804
0213世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/27(火) 01:23:43.860
【古代エジプトを征服した「ヒクソス」は野蛮な侵略者ではなかったと判明!? 
平和に暮らす移民の反逆か】
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/egypt_1280p.jpg
(肌色が薄いのが「ヒクソス人」、褐色が強いのが「エジプト人」)

彼らは、紀元前18世紀頃、エジプトに侵入して当時の王朝と戦い、紀元前1650年頃に
政権を奪取しました。ヒクソスが建てた王朝は「エジプト初の異民族王朝」として歴史に
名を刻み、約100年の間、エジプトを支配します。

ところが今回、ヒクソスが支配した古代都市アヴァリスから出土した遺骨を調べたところ、
彼らはエジプト生まれだったことが示唆されました。

ボーンマス大学の研究チームは、アヴァリス遺跡で見つかった頭蓋骨の歯を分析し、
ヒクソスの正体に迫りました。

ヒクソスが政権を奪取する以前の350年間に埋葬された36人の歯を調べたところ、
そのうちの24人が外国生まれと判明しました。出身地までは特定されていませんが、
これはエジプト王国がヒクソス政権以前の数百年にわたり、移民を歓迎していたこと
を意味します。

さらに、ヒクソス政権時代に当たる別の35人の歯を調べるた結果、同様に移民の受け入れ
が行われていました。

つまり、ヒクソスは初めから征服を目的に侵入したのではなく、移民として平和的に移住
して来たのでしょう。政権を取ったヒクソスの支配層は、まったくの異民族ではなく、
数世紀前に移住して来た集団の子孫だったのかもしれません。

しかも、この説明は理にかなっています。というのも、アヴァリス遺跡では、過去に戦闘
や略奪が行われた痕跡がほぼ見つかっていないのです。
https://nazology.net/archives/64751
0214世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/27(火) 01:24:11.370
どんどん貧乏になっていってたが文化的には継続性があるんだよな

フェニキアが制海権をとったから
0215世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/27(火) 14:24:49.780
ファイストスの円盤
クレタ島南岸のファイストス宮殿(もしくは神殿)の内部で発見された厚さ2.1cm、
直径16cmの粘土製の考古学上の遺物である。
紀元前1600年代、宮殿は火災によって被害を受けており、ファイストスの円盤も焼き固め
られた状態で見つかった。
どちらの面にも「絵文字」が螺旋形に記されている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a6/Diskos.von.Phaistos_Detail.3_11-Aug-2004_asb_PICT3374.JPG

ペリシテ人(チェケル人)
https://claudemariottini.files.wordpress.com/2012/08/philistine-warrior.jpg
https://cdn.britannica.com/93/186093-050-740EB388/captives-Egypt-relief-invasion-Ramses-III-Thebes.jpg
0216世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/27(火) 15:30:06.630
>>215
ストUのガイルの群れに見える
0217世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/27(火) 21:21:41.070
ペリシテとクレタが関係あるとしたいのか

聖書にもカフトルからペリシテ人が来たとあるが
0218世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/27(火) 23:14:29.960
ファイストスの円盤の絵文字にペリシテ人に似た刻印があります

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Diskos.von.Phaistos_Seite.A_11-Aug-2004_asb_PICT3371.JPG
ファイストスの円盤(A面)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/PhaistosDiskLarge.jpg/800px-PhaistosDiskLarge.jpg
ファイストスの円盤の模型

>>217
クレタ島からアナトリア半島に渡った痕跡を探しています

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5c/Kizilbel_Elmali_tomb_warrior.jpg/474px-Kizilbel_Elmali_tomb_warrior.jpg
Detail of the frescoe: Lycian warrior painted in Archaic Greek style, c. 525 BC
0219世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/28(水) 00:21:08.870
>>218
>クレタ島からアナトリア半島に渡った痕跡を探しています

どの時代に?
0220世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/28(水) 00:33:36.750
イスラエル人であるヘブライ語聖書(旧約聖書)の作者たちは、ペリシテ人は自分たちとは違うと断言している。
ヘブライ語聖書の数カ所で、この「割礼を受けていない」人々は「カフトルの地(クレタ島)」からやってきて、現在
のイスラエル南部とガザ地区の沿岸部を支配したとされる。彼らは隣りの地に住むイスラエル人と戦争をし、イス
ラエル人が大切にしている「契約の箱」(モーセの十戒が刻まれた石板を納めた箱、「アーク」とも)を奪うことさえ
した。(参考記事:「ノアの箱舟、契約の箱、エデン… 謎の現場を探る」)

 聖書に登場するペリシテ人には、のちにイスラエルの王となる少年ダビデに倒された巨人兵ゴリアテや、イスラエル
の怪力の英雄サムソンの髪の毛を切って力を奪った女デリラがいる。(参考記事:「ダビデとゴリアテの戦いの地を発見か」)


 現代の考古学者も、ペリシテ人はイスラエル周辺の民族とは違っていたと考えている。彼らが紀元前12世紀初
頭によそからやってきたことは、古代ギリシャ風の陶器や、セム文字ではなくエーゲ文字を使用していたこと、豚肉
を食べていたことなどからわかる。

 多くの研究者は、ペリシテ人を「海の民」の活動と結びつけている。海の民は謎の民族連合で、エジプトなどの
歴史的文献によると、紀元前13世紀から前12世紀にかけての青銅器時代末期に地中海東岸に大きな被害
をもたらしたとい
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ペリシテ人はカフトル(クレタ島)から来た
クレタ島人はもともとは色の黒い民族だったのが壁画からもわかる(ハムの子孫)
それがギリシャからの侵略者にほろぼされ支配を受けた
海の民にもくわわったが、すぐにフェニキアのガレー船によって制海権を奪われ、エーゲ海周辺では活動の場を奪われた
唯一残ったルートがクレタ島から直接エジプトリビアへ南下し、そっから陸地を見ながらペリシテの地に行くルート
これは安全
で南欧の遺伝子(ギリシャ由来)がペリシテ人にも交じる上に、海の民との関連もつながらないか
0221世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/29(木) 01:39:14.220
ミケーネ文明の中心地のペロポネソス半島のミケーネ(ミュケナイ)にある獅子門
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9d/Mycenae_lion_gate_dsc06382.jpg/800px-Mycenae_lion_gate_dsc06382.jpg
紀元前13世紀中頃に造られたミケーネ城塞の獅子門。王宮の正門とそれを飾るライオンの
浮き彫り、巨大な城壁はミケーネ文明の軍事的関心の高さと王の権力の大きさを物語る。

紀元前17世紀 - 紀元前13世紀に繁栄したヒッタイト帝国の都、ハットゥシャにある獅子門
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5c/Lion_Gate%2C_Hattusa_01.jpg/800px-Lion_Gate%2C_Hattusa_01.jpg
南西部にあるライオンの門。
0222世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/29(木) 02:16:05.540
「ヒッタイト美術」について

[先ヒッタイト時代]
トロヤとその周辺の出土品は、シュリーマンが誤って「プリアモスの遺宝」と想定したもの
であるが、ミケーネ、クレタとともにミケーネ文化の一つとしてとらえることも可能なもの
で、今日トロヤ遺跡におけるUG層(初期ブロンズ時代中葉)に比定される。

[ヒッタイト王国時代]
キュルテペ、アリシャール、ハットゥシャ(ボアズキョイ)では、中期青銅器時代末以降、
土器は器形においてはますます洗練さと鋭さを加えつつ、幾何文による彩文がとだえ、
赤色ないし黒色磨研土器にとってかわる。これは、カフカス方面からの新たな民族移入の
影響によるとされる。
0223世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/29(木) 02:32:04.890
ルウィ語族のルウィ人が「海の民」であると考えている人がいるみたいですね
(個人的な意見は >>181 で述べた通りで、エーベルハルト・ツァンガー氏と違いますが)

【3千年前に絶滅した「海の民」とは? 第0次世界大戦で滅亡した東地中海文明の謎!】

歴史に埋もれていた「海の民」ルウィー人とは
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201605_post_9802/
0225世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/29(木) 03:45:04.530
カルタゴは、前7世紀イビサ建設、前6世紀レプティス・マグナ占領、前501年頃カディス占領
などにみるように、前6世紀頃から、一方では西地中海に植民市を建設しながら、他方では
既存のフェニキア交易地(港市)を取り込み、支配下においていく。後者の場合、カルタゴを
進んで新しい母市と仰ぐか、さもなければカルタゴに占領される場合もあったであろう。
こうしてカルタゴは西地中海交易の中心地となる。
http://koekisi.web.fc2.com/koekisi1/page009.html

「海の民」にこだわるのは、フェニキア人はカナン人と「海の民」が混在した民族だと
個人的に思うからで、上記のカルタゴのように既存の「海の民」の都市のネットワーク
を活用し地中海交易を行ない、さらに新たな交易地を開拓していったのではと考える
からです
0226世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/29(木) 18:02:30.560
混在してペリシテ人に情報がわたってたら
文字も戦艦の知識も伝わってるはず
実際は暗黒時代
ギリシャがガレー船を作り出したのはBC7世紀あたり
アッシリアがレヴァントの沿岸部を制圧してティルス島内には入れなかったが完全に服属させた
で、「アッシリア海軍」としてフェニキアの衝角付きガレー船がレリーフにかかれたりするようになる
その時期BC8世紀あたりからギリシャが暗黒時代を脱し足かせを外された
やりだしたのはまず海軍増強
フェニキアが何をやってたのか気づいたから、それらと全く同じ船を作って海を支配しだした
0227世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/30(金) 00:45:19.270
エジプトのアマルナ文書(アマルナ文書EA35)では
「アラシア(キプロス)の王が、エジプトの王に、鳥占い師を一人送って欲しい」
と要望しています

キプロス島では鳥は神聖な生き物と考えられていたと思います
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/Terracotta_statuette_of_woman_with_bird_face_MET_DP364719.jpg/576px-Terracotta_statuette_of_woman_with_bird_face_MET_DP364719.jpg
A terracotta Cypriot kourotrophos depicting a bird faced deity, circa 1450-1200 B.C.E. (Metropolitan Museum of Art)

>>24 では
バイクロームの陶器に見られるミケーネ文明の鳥の文体表現 は神聖であると見なされ、
ペリシテの船のレリーフにも登場しています

>>215 では
レリーフのペリシテ人(チェケル人)の冠を「Feather Crown」(鳥の羽根の冠)と表記している
ところもあります

クレタ島で発見されたファイストスの円盤の戦士の絵文字も鳥のトサカのような髪型
に見えます

>>218 の一番下のリキュア人の戦士の兜も鳥のトサカをモチーフにしたように見えます
0228世界@名無史さん
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2021/07/30(金) 01:04:40.960
【古代オリエント世界を席巻した「海の民」とは何か】

紀元前1360年頃の古代エジプトの外交書簡集「アマルナ文書」にルッカの海賊やシャルダナ、
デンイェンの王たちについての言及があるのが史料上の最初の例で、前1274年(前1286年)頃
にヒッタイト王国とエジプト新王国との間で戦われたカデシュの戦いに、ヒッタイト軍には
ルッカ人が、エジプト軍にはシャルダナ人が従軍していたという(注4)
https://call-of-history.com/archives/21683

シャルダナ人
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Shardana.jpg
The Sherden in battle as depicted at Medinet Habu
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/40/Relief_Sherden_Breasted.jpg/800px-Relief_Sherden_Breasted.jpg
Members of Ramesses II's Sherden personal guard in a relief in Abu Simbel.
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d5/Relief_Sherden_Breasted_2.jpg
A rendering of two guards from the relief above, in a 19th-century drawing; their equipment is clearly visible.

レリーフからシャルダナ人は、ペリシテ人(チェケル人)やルッカ人(リキュア人)と違い、
鳥が神聖なシンボルではないように見えます
0229世界@名無史さん
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2021/07/30(金) 01:24:40.950
The Egyptians used the term Hau-nebut for the Sea Peoples, which stands for the
“inhabitants of the Aegean.”

エジプト人は「海の民」を"Hau-nebut"という用語を使い、「エーゲ海の住民」
を表していた
0230世界@名無史さん
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2021/07/30(金) 02:04:01.730
ギリシャ人だろ
トロイア戦争から継続して侵略しつづけて・・・
そのまま何故かいつのまにか没落していた


エジプトの海の民の船は衝角付きガレー船ではない
あれでは海を支配できない
0231世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 01:28:30.750
Finike(フィニケ) - トルコのアンタルヤ県の地中海沿岸にある地区
以前の名前は"Phineka"、さらに古代では"Phoenix" or "Phoinix" (Ancient Greek: Φοῖνιξ)
と呼ばれていたようです

名前の由来は、古代リキュア(Lycia)でフェニキア人と交易があった場所と言われています
ちなみにトルコ語でフェニキアは"Fenike"と書くそうです
0233世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 16:39:59.360
アナトリアやシリアにオグズ系トルコ人が住み着くようになったのって、セルジュク王朝時分だよね。
フェニキア人が居なくなってから1000年くらいも後だよね。
0234世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 20:54:42.010
トルコあたりに伝わるフェニキアの話しはどうなんだろう
0235世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 21:24:27.750
>>111
フルリ人がアナト信仰から
アナトリアとつけたとして
それがどうして現在まで使われとるんじゃ

理解に苦しみます
0236世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 21:32:58.310
>>235
地名なら住民が入れ替わってもそのまま使い続けられること多いじゃん
0237世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 23:21:44.920
【地中海に沈む古代都市から軍用船と葬祭殿の遺物 エジプト考古省】

【7月31日 AFP】エジプト観光・考古省はこのほど、地中海に沈んだ古代の大都市ヘラクレイオン(Heracleion)の遺跡から極めて珍しい軍用船の残骸とギリシャの葬祭殿の遺物が発見されたと発表した。

遺物が発掘されたヘラクレイオンはトロニス(Thonis)、またはトロニス・ヘラクレイオン(Thonis-Heracleion)とも呼ばれ、地中海に流れ込むナイル川(Nile River)の河口付近に位置していた。紀元前331年にアレクサンダー大王(Alexander the Great)が港湾都市アレクサンドリア(Alexandria)を建設するまでは、この地域ではエジプト最大の港だったと長年考えられていた。ヘラクレイオンは度重なる地震と津波によって海底に沈み、2001年に発見された。

考古省は今月19日、プトレマイオス朝(紀元前300年ごろ〜前30年)時代の軍用船の残骸と、紀元前4世紀のギリシャの葬祭殿の遺物がヘラクレイオンから見つかったと発表した。プロジェクトは同国とフランスの合同で行われている。

予備調査によると、見つかったのは大型のオールとマストを備えた平底の帆船で、全長25メートル。ナイル川デルタ(Nile Delta)を頻繁に航行していた軍用船とみられている。

調査では、古代エジプト末期におけるギリシャ商人の影響力を示す葬祭施設も見つかった。

考古省によると、当時この地を支配していたギリシャ人は、エジプトの神アメン(Amun)を祭った神殿の周辺に複数の葬祭殿を建設していた。

同省は、今回の発見について「地中海に沈んだこの都市における神殿の充実ぶり」を裏付けるものとしている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3359000
0239世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 23:23:47.360
フェニキアの時代BC8世紀以前の船で横っぱらを穴あけられて沈められた船とかいっぱいありそうだが
0240世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 23:27:41.480
2017年の記事ですが
【「津波で沈んだ」古代ローマ都市遺跡、チュニジア沖で発見】

【9月1日 AFP】北アフリカ・チュニジアの北東部沖で、古代ローマ帝国時代の広大な都市
遺跡が発見された。この発見は、同国にあった古代都市ネアポリス(Neapolis)の一部が
4世紀に津波で水没したとする説の裏付けになるとみられている。

チュニジア・ナブール(Nabeul)の沿岸沖でこの都市遺跡を発見したのは、同国とイタリア
の合同考古学調査チーム。チームを率いるムニエ・ファンタール(Mounir Fantar)氏は
「重大な発見」とコメントしている。

ファンタール氏によると、海底調査の結果、古代の建物群やモニュメントの他、古代ローマ
で好んで用いられた魚ベースの発酵調味料「ガルム」の製造に使われた容器約100個を
発見したという。

「今回の発見で、ネアポリスが、ガルム魚醤や塩漬け魚の製造における大拠点だったという
ことの確証が得られた。古代ローマで最大規模だった可能性もある」とファンタール氏は
述べる。そして「おそらくネアポリスの名士たちは、ガルムで財を成したのだろう」と続けた。

ファンタール氏のチームは、2010年にネアポリスの港跡を探すための調査を開始。この夏の
良好な天候に助けられるかたちで、20ヘクタールの範囲に広がる遺跡の大発見を成し遂げた。

今回の発見は、古代ローマの歴史家アンミアヌス・マルケリヌス(Ammien Marcellin)が
書き残した通り、365年7月21日に発生し、エジプト・アレクサンドリア(Alexandria)や
ギリシャ・クレタ(Crete)島に甚大な被害をもたらした津波が、ネアポリスの一部を水没
させたことを証明している。
https://www.afpbb.com/articles/-/3141232?cx_part=related_yahoo
0241世界@名無史さん
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2021/07/31(土) 23:51:41.390
2018年の記事ですが
【2400年前の沈没船から古代造船技術明らかに キプロス】

【12月13日 AFP】キプロス沖に沈む2400年前の沈没船の考古学的発掘調査により、地中海に
おける古代造船技術の進化の一部が明らかになった。考古学当局が12日、明らかにした。

キプロス島南部沿岸のマゾトス(Mazotos)の沖合で紀元前4世紀半ばに沈没したこの船は、
この海域で最も保存状態の良い沈没船の一つと考えられている。

「発掘された船材を詳細に調査した結果、造船技術の非常に重要な要素の一つが明らかになった。
それは、竜骨(船底の中心を縦に走る構造材)と竜骨翼板(竜骨に隣接する両側の底板)
と船首材をつなぎ合わせるのに、ひもとほぞ接合の両方が使われたことだ」と、キプロス
考古局は説明した。

ワインのつぼを運搬中に沈没したこの船で発見された今回の証拠は、ギリシャ人とフェニキア人
という二つの優れた海洋民族に関連づけられると、考古局は指摘している。

「この歴史はこれまで、わずか二つの沈没船発掘調査のみに基づくものだった。その二つ
は、イスラエル・マーガンミカエル(Ma'agan Michael)の紀元前5世紀末期の沈没船と、
キプロス・キレニア(Kyrenia)の紀元前3世紀初期の沈没船だ」

今回の調査では、一部または全体が保存された状態のギリシャ・ヒオス(Chios)島の
アンフォラ(二つの取っ手が付いた首が長いつぼ)が合計で70個回収された。これにより、
沈没船の前甲板の下の船倉に積み込まれていたアンフォラの数が全部で99個になった。

考古局によると「これらのアンフォラの大半はワインが入れられていた可能性が最も高い
が、少なくとも1個はオリーブの種が一杯に詰まっていた。これは乗組員の食用のため
だったと考えられる」という。
https://www.afpbb.com/articles/-/3201850
0243世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 00:18:47.350
>>235
フェニキア人が、ウサギ島の意味で名付けた、ヒスパン。
エスパーニャ、スペインに形を変えて、現代も使われてるで。
0244世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 00:29:21.800
2019年の記事ですが
【キプロス島沖で古代ローマ時代の沈没船が発見】

キプロス島東岸の町プロタラス沖の海底から古代ローマ時代の沈没船が発見された。

発見されたのはキプロスがローマの支配下に入った紀元前58年以降の木造船で、輸送
用のアンフォラ(注)が多く残されていた。シリアと現代のトルコ南岸にあたるキリ
キアとを結ぶ交易船であったと推定されている。

同省の発表によると「これはキプロスで発見された最初の荒らされていないローマの
沈没船であり、この研究はキプロスと東地中海のローマ諸州との間の海上貿易の幅と
規模に新しい光を当てることが期待されている」という。

THE IRISH TIMESによれば、キプロス島で過去に発見された沈没船としては、2007年
にキプロス島南部マゾトス付近で発見された4世紀半ばのギリシア船、1965年に北海岸
沖で発見された3世紀初期の「キレニア船」として知られる沈没船などがある。「キレ
ニア船」は発見当時回収されキレニア城の博物館で展示されていたが、1974年、トル
コ軍によってキプロス北部が征服されて以降、トルコ占領下で展示が続いている。
https://call-of-history.com/archives/21173
0245世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 00:38:51.550
マルチーズは、フェニキア人がマルタ島に持ち込んだ犬が祖先と伝えられています。
ギリシャからローマ、そしてヨーロッパへと渡ってきましたが、フランス人貴族の
間では「ゆたんぽ」として愛用されていました。
0246世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 00:47:52.740
「アナトリアの伝説」 第51回

キべレは、紀元前8000年前にまでさかのぼる歴史に登場し、洞窟でもその彫像が見つかっ
ている大地母神です。これらの彫像の中には、出産のシンボル、豊かさのシンボルとして
作られたものもあれば、2頭のヒョウが守る玉座に女神が腰かけているシーンを表している
ものもあります。キべレは、豊かさの象徴であり、また大地の母であると、長い間信じら
れてきました。

キべレは、ギリシャ神話からエジプト神話、ユダヤ教まで多くの影響を及ぼしました。
ギリシャ神話はキべレをアルテミス、エジプト神話は女神イシスとみなしています。
ローマが長年の宿敵カルタゴを倒すことができないでいた中、神官たちは、
現在のエスキシェヒル地方の近くでアナトリアの祭祀の中心地だった古代の町ぺシヌスに
ある巨大なキべレ像を運んでくれば、カルタゴを負かすことができると告げました。
キべレ像は大変な数の人々により運ばれてきて、カルタゴは倒されました。
こうしてキべレはローマ文化において「大いなる母」とされました。

キべレの影響はそれだけではありません。イスラム以前のカーバ神殿にあった偶像の中で
も最大の像「フバル」は、キべレ以外の何物でもありません。イスラム以前のアラブ族は、
フバルの下に神への誓いを立てていました。

2年前には、トルコのオルドゥ地方で行われた発掘で、高さ2メートルのキべレ像が発見され
ました。その影響と信仰は今日まで生きており、世界中の様々な文化にもその跡が見られ
ます。トルコ各地の博物館で、多くのキべレ像を目にすることができます。
スペインのマドリードにあるキべレ広場でライオンが引く車に乗ったキべレ像の姿は、
見る者を圧倒します。
https://www.trt.net.tr/japanese/puroguramu/2017/12/18/anatorianochuan-shuo-di-51hui-870190
0247世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 01:59:32.190
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/Ahiram_sarcophag_from_Biblos_XIII-XBC.jpg/800px-Ahiram_sarcophag_from_Biblos_XIII-XBC.jpg
Sarcophagus of Ahiram, which bears the oldest inscription of the Phoenician alphabet. National Museum of Beirut

フェニキア文字の最古の碑文が刻まれたアヒラム王の石棺。
主要な情景は、翼をもつスフィンクスが彫られた玉座に座る王を描いている。女性の祭官が王にハスの花を捧げている。石棺の蓋には2人の男性像が向きあっており、
その中間には座ったライオンたちが描かれている。
人物像の描きかたや、玉座と机のデザインはアッシリアの強い影響を示す。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/39/Phoenician_-_Bowl_with_Hunting_Scene_-_Walters_57705.jpg/592px-Phoenician_-_Bowl_with_Hunting_Scene_-_Walters_57705.jpg
Phoenician bowl with hunting scene (eighth century BC). The clothing and hairstyle of
the figures is Egyptian, while the subject matter of the central scene conforms with the
Mesopotamian theme of combat between man and beast. Phoenician artisans
frequently adapted the styles of neighboring cultures.

人物の服装と髪型はエジプト人ですが、中央のシーンの主題は、人と獣の間の戦闘と
いうメソポタミアのテーマに準拠しています。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/Contemporary_portrayal_of_a_toga_picta.jpg
An Etruscan tomb (c. 350 BC) depicting a man wearing in an all-purple toga picta.

(Tyrian purple)紫一色のトガ・ピクタを身に着けている男性を描いたエトルリアの墓
(紀元前350年頃)
0248世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 14:48:49.970
>>247
フルチンに襷という謎ファッションの男柄のトーガ…
これ、素敵だったのかな
0249世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 15:06:42.350
イギリスをオーストリアが殺害したためドイツはそれを削除した
0250世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 16:59:21.360
【古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン】
3000年以上前の古代人の遺体から、大豆やターメリックなどアジアの食材

新約聖書にある東方の三賢者の物語は、古代の中東において長距離貿易が盛んだったことを示している。このことは学者の間でも定説となっており、ローマ時代には、アラビア海やそれよりも東の地域から、めずらしい油や樹脂が地中海一帯に持ち込まれていた。

そして今回、学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された新たな研究で、現在のイスラエルがある土地に住んでいた人々は、アジア産の果物やスパイスを3500年も前から口にしていたことがわかった。(参考記事:「ダビデの敵ゴリアテも、ペリシテ人のルーツを解明」)

研究では、青銅器時代中期から鉄器時代初期(紀元前1500年〜1100年頃)の遺体十数体から、化石化した歯垢を採取。分析の結果、バナナ、ターメリック、大豆の痕跡が見つかった。当時こうした作物はどれも、はるか遠くの南アジアで採れるものだった。

既に古代の地中海文明では、ニワトリ、黒コショウ、バニラなど実に様々な食材が、はるか遠くのインドやインドネシアから輸入されていたことがわかっている。今回の発見は、こうしたことをさらに裏付けるものだ。

「私たちは、古代の人たちが地元で食物を調達し、宝石などの特別な品を遠い土地から輸入していたと考えがちです」。今回の論文の共著者で、ドイツ、ルートヴィヒマクシミリアン大学ミュンヘンの考古学者フィリップ・シュトックハマー氏は続ける。「ところが青銅器時代でさえ、彼らは現代人と同じように、世界各地から食物を輸入していたのです」

「もしあなたがこの先歯を磨くのをやめたなら、2000年後、わたしはあなたが何を食べていたかを当てることができるでしょう」と、シュトックハマー氏は言う。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/122300757/
0251世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 17:09:27.280
>>250
バニラwwwww

なんでメソアメリカ原産のバニラがインドやインドネシアや地中海の3000年昔に有るんよwwww
0252世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 17:15:19.140
【3600年前の高貴な墓を発見、古代カナン】
「ハルマゲドン」の地で見つかった手つかずの墓、高価な副葬品も

現在のイスラエルにある古代カナンの都市国家メギドで、3600年前の王家のものとみられる墓が発見された。手つかずの墓に多くの財宝が眠っていただけではない。考古学者らが興奮しているのは、紀元前15世紀初めにエジプトに征服されるまでこの重要な地を治めていた王朝について、新たな発見があるかもしれないからだ。

メギドは、ハイファから南へ30キロ、現在のイスラエル北部に位置していた。紀元前3000年から西暦1918年まで、5000年近くにわたって戦略的な要衝であり、交易路でもあった。イズレル谷を見下ろすこの場所は、歴史を変えるような決定的な争いを数多く目撃し、「ハルマゲドン」と呼ばれるようになった。ハルマゲドンとは、ヘブライ語で「メギドの丘(Har-Meggido)」という意味で、その名は、聖書の黙示録に最初に登場する。(参考記事:「メギドの丘、聖書時代の財宝」)

メギドでは、今回の「王家」の墓より簡素な埋葬地も複数見つかっており、そこからも数多くの人骨が出土している。現在、それらの骨の広範囲なDNA分析が進行中だ。

その結果が出れば、カナンの都市国家に住んでいた一般の人々と支配者層が同じ祖先を持っていたかどうか明らかになるだろうと、フィンケルシュタイン氏は期待する。

研究者が特に知りたがっているのは、メギドの支配者層の出自である。トトメス3世に征服された後、紀元前14世紀にエジプトとの間で交わされた外交記録を見ると、当時のメギド王は、カナン人の伝統的なセム語名ではなく、フルリ語の「ビリディア」という名を持っていた。

フルリ人とは山の民族で、この地方には紀元前4千年紀から3千年紀の間にやってきて、やがて定住し、楔形文字を採用したと考えられていた。しかし、最近になってフルリ人の町を発掘してみると、彼らは既に進んだ文化と独特の言語、信仰体系を持ち、中東における最初期の町や都市建設に重要な役割を果たしていたのではないかと思われる。メギドのDNA解析が終了すれば、カナンの都市国家を治めるにあたって、フルリ人の果たした役割が初めて明らかになるかもしれない。そして、カナンの人々に対する私たちの認識も変わるかもしれない。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/
0253世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 17:30:40.520
【古代カナン人のDNAを現代アラブ人とユダヤ人が継承】
73人のDNAを一挙調査、遠くカフカス地方とのつながりも判明

研究の結果、カナン人の遺伝子は、現代に生きる多くのユダヤ人とアラブ人に受け継がれていることがわかった。また、独特なカナン文化が築き上げられたのは、遠くカフカス山脈からやってきた移民がこの地に元々いた人々と結びついた結果だという。カナン文化は、およそ紀元前3500年から前1200年まで続いた青銅器時代に、エジプトからメソポタミアにかけての地域で栄えた。(参考記事:「3600年前の高貴な墓を発見、古代カナン」)

文字による記録をほとんど残さなかったこの謎の民については、近年研究が進んでいる。2017年には、現代レバノン人の遺伝的祖先の90%以上がカナン人にたどり着くとする研究成果を、英医学研究支援団体ウェルカム・トラストのサンガー研究所(当時、現英バーミンガム大学)の遺伝学者マーク・ハーバー氏らが発表している。

カナン人はセム系の言語を話した。また、何千年も前にこの地域に定住した初期の民族に由来すると長年考えられていた。しかし、カナン人の遺跡で発見された赤と黒の陶器に、考古学者たちは頭を悩ませてきた。北西に約1200キロも離れたカフカス山脈で見つかった陶器に酷似しているからだ。そのうえ、カナン人の名前の多くは、カフカスを起源とする非セム系言語であるフルリ語に由来すると、歴史学者は指摘する。

これが長距離貿易の結果か、それとも移民によるものなのかは不明だった。今回の新たな論文は、人類が都市と国家を築き始めた最初期の時代に、商品だけでなく、相当数の人が動き回っていたことを実証している。カナン人は、新石器時代の現地の先住民と、青銅器時代の始まり頃にこの地域に現れ始めたカフカスからの移民の混血であることが、遺伝子分析により証明された。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/060100328/
0254世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 18:48:08.980
>>251
もうフェニキア人が
南米と貿易してたとしか考えられない
ということですね!
0255世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 20:19:23.350
【Residue found in 3,600-year-old Holy Land tomb rewrites the history of vanilla】

The first evidence of the use of vanilla has been discovered in residue from an afterlife feast at a 3,600-year-old tomb in Israel, rewriting the history of the spice.

Prior to this find, it was thought by scientists that vanilla originated 13,000 miles away, in South America, several thousand years later.

【3、600年前の聖地の墓で見つかった残留物はバニラの歴史を書き換える】

バニラの使用の最初の証拠は、イスラエルの3、600年前の墓での来世の饗宴からの残留物で発見され、スパイスの歴史を書き換えます。

この発見の前に、バニラは数千年後の南アメリカで、13,000マイル離れたところから始まったと科学者たちは考えていました。

次の3種が古代バニラの原種の可能性があるということです
V. polylepsis Summerh (today found in central east Africa), V. albidia Blume (India), and V. abundiflora J.J. Sm. (southeast Asia)
https://www.timesofisrael.com/residue-found-in-3600-year-old-holy-land-tomb-rewrites-the-history-of-vanilla/
0256世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 20:44:50.450
>>254
オルメカの黒人石像はフェニキア人だったのか?
言葉はアフロアジア語族だし、アイネイアスを庇護した女王ディドーは肌が黒かったというし、創世記ではシドンとテュルスはハムの末裔の造った城というし。
0257世界@名無史さん
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2021/08/01(日) 21:25:08.650
>>255

イスラエル古代都市メギドにある墓の考古学調査で3600年前の埋葬品の香料にバニラを発見

インドあたりから輸入されたものらしく、メソポタミア経由で交易があったと推測される
0258世界@名無史さん
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2021/08/02(月) 02:03:42.320
【謎の最強民族「海の民」の手がかりか? 3,200年前の石版が解読される!】

オランダの学者フレッド・ウッドハイゼンと、スイスの地質考古学者エバーハード・ザンガーは、3200年前の石版に掘られた文字の解読に成功したと発表しました。解読された文字は、海の民の同盟に属した強国「ミラ王国」で使われていたルウィ語で書かれたもの。

記された文字によれば、ミラ王国は同じく現在のトルコ領にあるトロイ王国により支配されていたそうです。そして、王族階級の出自でないクパンタ=クルンタ王が、いかにしてミラ王国の統治者となったか、そしてトロイによる統治について説明されています。

石版には同時に、トロイ王国の王子ムクススが、ミラ王国の統治に感銘を受け、海洋遠征により現イスラエルの街アシュケロンを統治し、要塞を築いたかについても説明されています。

学者らは、この古代文字ルウィ語の翻訳により、青銅器時代最強かつ最先端の文化の衰退を説明できると考えています。
石版には、小アジアの西側「王国連合艦隊」が攻め入り、地中海の東側の都市を奇襲したと書かれていました。

学者らは、この攻撃を行ったのが、アナトリアの南部・東南部やシリア、エジプト、パレスチナまでにも侵入した船乗り同盟だと考えています。

オランダの言語学者でありルウィ語エキスパートであるザンガー氏は「小アジア西側のルウィ族がいわゆる海の民の侵入の一役を担った、そしてそれが地中海東側の青銅器時代の終わりとなったと石版が示している」といいます。
https://nazology.net/archives/305
0260世界@名無史さん
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2021/08/02(月) 09:44:26.680
>>258
とても興味深いが、操船技術や戦闘技術にもともと定評のある人達だったんだろうか
0261世界@名無史さん
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2021/08/02(月) 12:36:27.920
>>258
紀元前には居て今は居なくなった民族なんていっぱいあるだろ。

地中海・ペルシャ湾・紅海方面にそこそこの規模の国を作ったことある民族だけで、
シュメール、エラム、ヒッタイト、ハッティ、アッカド、フェニキア、マンナエ、スキタイ、フリル、ウラルトゥ、ウガリット、スキタイ、
メディア、カルデア、イリリアエトルリア等々。
海の民の言語が完全に失われ後衛の言語が存在しない場合には、もう、どの系統だったか問うこと自体意味無いよな
0262世界@名無史さん
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2021/08/02(月) 14:27:17.980
日本人とか謎ってされるけど単に大陸にいたのが絶滅しただけだろうしね
0263世界@名無史さん
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2021/08/02(月) 18:32:30.730
日本語はちゃんと日本語族ていう語族があるがな
0264世界@名無史さん
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2021/08/02(月) 19:37:26.520
>>258
この碑文のニュースはみたことあるが
もっとざっくり説明されてたな

ソースをきちんと読むとそう書いてあったのか
0265世界@名無史さん
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2021/08/02(月) 21:12:51.490
>>258
3200年前なのか?
もうちょい前ではないのか?
トロイアがあったときだろ
0267世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/02(月) 22:16:52.100
>>237
これはベスかなぁ
0269世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/02(月) 22:35:08.980
それはあかんねえ
0271世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/03(火) 03:46:33.310
「海の民」として記録がある"Denyen"(デネン人)はキリキア (Cilicia) の人々であり、
またキプロス島にも定住していたと考えられています。
キリキアには印欧語族のルウィ語を話すキリキア人がいました。
エジプト第20王朝はデネン人がカナンに定住することを許可しました。

キリキアの地名の語源はギリシャ神話の人物キリクス (Κίλιξ) からきている。また、
フェニキアかアッシリアの王子キリック(キラック)からきているともいわれる。

フェニキア文字と象形文字ルウィ語の二言語で記された紀元前8世紀の碑文がある
カラテペの地はキリキアの交通の要所であり、カラテペの城塞やその周辺の景観は
ホメーロス『イーリアス』でのトロイの記述によく一致する。

聖書に登場するタルシシュ(Tarshish)をスペイン南部のタルテッソスとする説と
もう一つの説のトルコ地中海岸のタルススはキリキアの都市である。

古典期のギリシア語方言の分布
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/de/AncientGreekDialects_%28Woodard%29_en.svg/714px-AncientGreekDialects_%28Woodard%29_en.svg.png
アルカディア=キュプロス方言群(Arcado-Cypriot) - ミケーネ語の姿を色濃く残す。
・ アルカディア方言
・ キュプロス方言
・ パンピュリア方言
小アジア南西部沿岸地域の一部(リュキアとキリキアの中間)で話されていた方言
で、碑文にわずかに残されている。この方言は、異なる方言の区分か、あるいは
ドーリス人によって非ギリシア系原住民の影響を受けたミケーネ語のどちらかである
可能性もある。

Denyen(デネン人)はペリシテ人(チェケル人)と同一のような気がします
ペリシテ人(チェケル人)はアナトリア半島とキプロス島から渡って来たという説が
あります
東地中海沿岸のカナン人と「海の民」デネン人=キリキア人が混在し、フェニキア人が
誕生した可能性もあるのではないでしょうか
0273世界@名無史さん
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2021/08/03(火) 08:02:19.830
>>105
フリギアの後にケルトも侵入してるのだが
こっちは驚くほど影が薄いな

歴史にもほとんど出てこない気がする
0274世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/03(火) 09:20:48.840
神聖ローマ帝国のオーストリア侵攻が削除されたがイタリアは国際地位に留まった
0275世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/03(火) 23:48:09.970
聖書のいうようにタルシシがギリシャ系だったとしたら
タルシシだけが衝角付き櫂船を持って他に知られないようになんて可能だろうか
フェニキアはイスラエルやアラム人と関係が深い
だからフェニキアが地中海を支配した時代、そこらへんが富をました
0276世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/03(火) 23:49:05.740
ソロモンは海軍の存在を知っていた

だからエイラトを支配して紅海側でフェニキアになろうとした
0277世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/03(火) 23:53:34.100
>>20

紀元前12世紀のペリシテ人の文化は、紀元前13世紀のエーゲ海の文化との類似性が指摘
されています。そこから、エジプトやレヴァントに侵入してきた「海の民」はエーゲ海
から到来した、との仮説も提示されています。これに対して、文化変容は知識の拡散や
内在的発展により起きた、との反論もあります。また、ペリシテ人の起源地として、
キリキアやキプロス島も提示されています。
0278世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 00:01:10.480
>>270
何枚組なんだ?
0279世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 00:10:19.010
キリキア (Cilicia)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/リュキア#/media/ファイル%3A15th_century_map_of_Turkey_region.jpg
アナトリア半島の東部および南部は険しい山地や高原が広がっているため、平野部のある
キリキアは古くから小アジアやヨーロッパと中東を結ぶ交通・貿易・戦略の要衝であった。
トロス山脈には細く険しい道があり、とくに交通の重要地として「キリキアの門」と呼ばれた。

トロス山脈は青銅器時代からケステル (Kestel) を中心としてスズの産地であった。
0284世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 01:34:52.620
【触れた物を黄金に変える「ミダス王」の死の真相を記した石碑が発見される】

古代アナトリア(現トルコ)の王国・プリュギアを治めた「ミダス王」という人物を知っていますか?

ミダス王はギリシア神話や童話にもよく登場しており、『王様の耳はロバの耳』で、耳がロバになってしまったのもこのミダス王です。

ところが今回、彼の死の真相が記載された石碑が、コンヤ平原(トルコ中央・アナトリア)にある古墳「Türkmen-Karahöyük」で発見されました。

しかも、石碑には、ミダス王を倒したと思われる「失われた王国」の存在も示唆されていたのです。

地元に住む農家の男性から、「古墳近くの運河で、意味不明の文字が彫られた石碑を見つけた」との報告がありました。

石碑を引き上げ後、詳しく分析してみると、記載された文字は古代アナトリア地方で使われた「ルウィ語」と特定されました。

解読の結果、石碑には「戦争の勝利を讃える功績」が記載されていると判明しました。しかも、単なる小国への勝利ではなく、伝説的なミダス王が率いたプリュギアを倒した旨の内容が書かれていたのです。

そして最も重要な発見は、石碑に、後期ヒッタイト王国を治めた「ハルタプ王」による勝利のメッセージが確認されたことです。

ヒッタイト王国は前18世紀から前13世紀頃までアナトリア半島で栄華を誇りましたが、外部の敵(海の民ともいわれる)に襲撃された後は衰退し、小国に分かれ、その最後は判然としていません。

石碑の解読によると、石碑には「嵐の神々が、かの王(ミダスを指す)を偉大なハルタプに引き渡した」と記載されていました。

実は、ハルタプ王は以前から「ミダス王を破った人物ではないか」と言われており、今回の発見はそれを裏付ける証拠となりそうです。

また、ハルタプ王および彼が統治した当時のヒッタイト王国に関する史実がほぼ残っていない点からも、石碑の発見は貴重な情報源となるでしょう。
https://nazology.net/archives/53072
0286世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 16:00:16.740
タロシシの船

ソロモン王(BC971-BC931)は「タロシシの船」によって巨万の富を得ていたとされ、
70人訳聖書のイザヤ書のタロシシ(θαλάσσης)の船は、タロシシからティルスに美と富を
運びます
70人訳聖書の θαλάσσης は単に「海」でもあるようです。創世記で神様がお造りになる
「ιχθυων της θαλασσης(Gn 1:26)」はgoogle翻訳で「海の魚」と訳されます

「タロシシの船」は、本来は「海の船」のことのようです
http://mikeo410.minim.ne.jp/cms/~otherhistoryphoenicia
0287世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 17:02:53.400
カラテペ(Karatepe、トルコ語で「黒い丘」を意味する。ヒッタイト語 Azatiwataya)

この地は古代のキリキアにあたり、紀元前12世紀のヒッタイト帝国の滅亡後、
シロ・ヒッタイト国家群の重要な中心地になった。

カラテペ碑文には、「モプソス家」出身のアダナの王たちの業績を記す。
碑文は最初フェニキア語で書かれ、それから象形文字ルウィ語に翻訳された。
この碑文は考古学者にとって、象形文字ルウィ語を解読するためのロゼッタ・ストーン
の役割を果たした。

2010年に放送された、作家・翻訳家のラウル・シュロットが主役のZDFのドキュメンタリー
によれば、カラテペの城塞やその周辺の景観はホメーロス『イーリアス』でのトロイの記述
によく一致する。この理論によると、ホメーロスはトロイの伝説の知識をもとに、彼自身の
経験やカラテペにいたアッシリア人書記の残した文書を利用して歴史的フィクションに仕立
てた可能性があるという。
0288世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 17:12:40.020
民数記24

23 彼はまたこの託宣を述べた。「ああ、神が定められた以上、だれが生き延びることができよう。

24 キッテムの海岸から舟がきて、アシュルを攻めなやまし、エベルを攻めなやますであろう。そして彼もまたついに滅び去るであろう」。

25 こうしてバラムは立ち上がって、自分のところへ帰っていった。バラクもまた立ち去った。



聖書で唯一の海の民の記述
キプロスに海の民の連合軍が集まり、レヴァント侵攻を始めるが
それが滅び去る
だからフェニキアは対立者側
フェニキアから文字がアラム、ヘブライへと伝わったがギリシャへは暗黒時代終わりまでなかった
0289世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 17:51:10.870
>>287
ついにモプソス出ちゃいましたか

他にはバビロニア関係のユダヤ人実業家一家の記録も
この際だしちゃいますか?
0290世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 18:13:57.840
キリキア(Cilicia)

紀元前13世紀に、「海の民」がキリキアを制圧したため、大きな人口移動が起こった
という説があります
先住民であったフルリ人はその地域を捨て、北東トーラス山脈に向かって移動し、
カッパドキアの地域に定住したということです

紀元前2200年頃の捕虜のキリキア人?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/Nasiriyah_Victory_Stele_of_Naram-Sin%2C_from_Mesopotamia%2C_Iraq%2C_c._2300_BCE._Iraq_Museum.jpg/773px-Nasiriyah_Victory_Stele_of_Naram-Sin%2C_from_Mesopotamia%2C_Iraq%2C_c._2300_BCE._Iraq_Museum.jpg
Probable captives from Cilicia, on the Nasiriyah stele of Naram-Sin, circa 2200 BC.
0291世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 21:08:57.660
エジプトの属州は北から
アムル(州都シミュラ)
ウピ(州都クミディ)
カナン(州都ガザ)

州都のみエジプトの直轄領であり
多くの都市国家は自治が許されていたそうな

ガザは意外と伝統あるようなので
こんどにでも調べておこう
0292世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/04(水) 23:44:55.380
>>258 の記事で
「石版には同時に、トロイ王国の王子ムクススが、ミラ王国の統治に感銘を受け、海洋遠征
により現イスラエルの街アシュケロンを統治し、要塞を築いたかについても説明されてい
ます。」

ペリシテ人がトロイ人(トロイアの人々)ということですよね
0293世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/05(木) 03:01:47.060
>>258
あぁ、なるほど
MKSSとMPSSの設定なわけか
0294世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/05(木) 12:22:02.350
リュキア(Lycia)

古代エジプトの記録には、紀元前1250年頃、ヒッタイト帝国と同盟を結ぶアスワ同盟
の一員にルッカ(Lukka、または Luqqa)という民族がおり、古代にはこの地域が統一
されることはなく、独立した都市国家が強く結びついた状態として続いていた。

主要都市はクサントス、パタラ(Patara)、ピナラ(Pinara)、オリンポス
(Olympos)、ミラ(Myra)、トロス(Tlos)、ファセリス(Phaselis)

>>258 の記事の トロイ王国がトロス(Tlos)、ミラ王国がミラ(Myra)ではない
でしょうか

また、イタリア共和国トスカーナ州北西部の都市ルッカ (伊: Lucca)はエトルリア人が
開いた街であったようです
0295世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/05(木) 14:26:01.800
「海の民」と呼ばれる集団は、クレタ島から移住してきたアナトリア半島南部の
ルウィ語族だと思います

アナトリアのリキュアの「ルッカ人」とギリシアのペロポネソス半島のアルゴリスの
「シャルダナ人」がルウィ語族の2つの主流になったと思います

"ペリシテ人"、"チェケル人"、"デネン人"などは「ルッカ人」の勢力が広がった地域の
人々であり、"トゥルシア人"、"シェケレシュ人"などは「シャルダナ人」の勢力が
広がった地域の人々であったと思います

ルウィ語やルウィ語から派生した言語が共通言語としてコミュニケーションを可能
にし、一つの大きな集団に成り得たと思います
0296世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/05(木) 15:24:22.130
紀元前18世紀頃、東地中海で大きな地震が起きたと推測されています

【3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟化】
遺跡を横断する溝や変形・崩落の跡から判明
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/091500535/

この時期に東地中海沿岸やキプロス島の都市でしばらく人が住んでいない空白期間の
地層が幾つか見つかっています

この地震がきっかけでクレタ島や周辺の島々では大きな移住の波が出来たのではない
かと思います
一つは、エジプトに移住する人々で、後のヒクソスと呼ばれる集団
もう一つは、アナトリアに移住する人々で、後のルウィ語族の集団

クレタ島の人々はエーゲ海文明、ミノア文明の中心であった海洋民族であり、
ルウィ語族の人々も同様に海洋民族であったと思います
0297世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/05(木) 22:40:32.060
ヒクソスはもっと前だろう

アカイワシャ人とか書かれるが
ギリシャ人の国は最後さ行になるのか
でトロス?
0298世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/05(木) 22:46:34.310
トロイア戦争の時代を、ヘロドトスは紀元前1250年、エラトステネスは紀元前1184年、
Dourisは紀元前1334年と推定した。トロイア戦争時代と推定される第VII層の発掘では、
陶磁器の様式から、紀元前1275年から紀元前1240年と推定されている。


これは嘘かな
先入観で決めてしまったか
0299世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/06(金) 01:34:35.950
チェケル人はミラ王国、ペリシテ人がトロイ王国の人々かもしれませんね

ルッカ人が先住民であるフルリ人とキリキアで争ったのなら、「トロイの木馬」の
アイデアに繋がったのではないでしょうか

フルリ人は戦場における馬と戦車(chariot)を導入し、馬の調教に関する有名な文書が
ハットゥシャから発見され、馬の調教師をしていたのはキックリ(Kikkuli)と呼ばれる
フルリ人であったようです
0301世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/07(土) 02:08:34.760
トロイ王国が何処にあったかは正確にはわからないですが、ルッカ(Lukka)と呼ばれた
古代リキュアにトロス(Tlos)、ミラ(Myra)の都市があり、このトロスが
トロイ王国なのではという個人的な推測です

また、ルッカは紀元前13世紀頃にはキリキア(Cilicia)、紀元前12世紀頃にはパンピュリア
(Pamphylia)を制圧(入植し)勢力を拡大したのではと思います

>>258 の記事で、トロイ王国が現イスラエルの街アシュケロンを統治し、要塞を築いた
とありますので、トロイ王国がパレスチナ南部に入植したと考えられると思います
一方、トロイ王国がミラ王国の統治に感銘を受けたと記事に書いてあるので、
ミラ王国がパレスチナ北部に先に入植したのではと個人的な考えです

キリキアの語源は、馬の調教師をしていたのはキックリ(Kikkuli)と呼ばれるフルリ人
が住んでいた国(地域)から由来しているかもしれませんね
0302世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/07(土) 07:42:12.590
>>301

アシュケロンは、第11王朝のエジプトのテキストで「Asqanu」として言及されています。

アマルナ文書(C。1350 BC)に、アシュケロンの(A�qaluna)王(市長?)Yidyaの手紙が見つかってるそうな

その後にペリシテ人に征服されるのだが
この間の時代設定にしたいのだろうか

城壁は堅固で設定にはかなうけど
かなり古くからありそうな気はする
0303世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/07(土) 19:27:42.160
>>302
アシュケロン(Ashkelon)は古くからある都市のようです
5880 BCE (Neolithic settlement)
2000 BCE (Canaanite city)
1150 BCE (Philistine rule)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6f/Ashkelon_Pre-Pottery_Neolithic_C_flint_arrowheads.jpg
Ashkelon Pre-Pottery Neolithic C flint arrowheads
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ce/Restored_Canaanite_city_gate_of_Ashkelon_%2814341997262%29.jpg/800px-Restored_Canaanite_city_gate_of_Ashkelon_%2814341997262%29.jpg
Restored Canaanite city gate of Ashkelon

ペリシテ人はアシュドド、アシュケロン、エクロン、ガザ、ガトの5つの自治都市に定着し
てペンタポリス(五市連合)を形成していました
エジプトがペンタポリスを許可し、厳しい監視下に置いていたという説もあります
エジプトの勢力が弱まった時期に、ペリシテ人がペンタポリス以上の勢力を拡大した
ということみたいです

イスラエルの北部のドルもチェケル人が定住する前からあり、チェケル人はこれを征服し
て大きな要塞都市を築いたことが考古学的に確認されています
0304世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/07(土) 21:25:27.530
アシュケロンは聖書にも古くからあるな
ペリシテ人もだけど

逆にティルスは創世記にはでてこなかったり
0305世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/07(土) 23:56:48.960
アラブ世界に取り囲まれたイスラエル/レバノン(フェニキア/カルタゴの後裔)
の特異性は、先史時代の人種の違いにまで遡るってことのようだね。

Levantines and Arabians Have Different Origins, Middle East Genomic Study Finds-
The Arabians have deeper roots in Africa, while the Levantines’ roots lie in Europe
and Anatolia in today’s Turkey.・・・

Moving on, Levantines and Iraqis share the same Neanderthal signals as Eurasians,
the team found. Arabians on the other hand have less Neanderthal DNA.

The reason apparently lies in origins. Levantines have more ancestry (than Arabians)
from Europe and Anatolia. The Arabians have more ancestry (than Levantines) from Africans,
who didn’t mix with Neanderthals, and
from Natufians, who were the prehistoric inhabitants of the Levant, including Israel.・・・
https://www.haaretz.com/archaeology/genomic-study-levantines-and-arabians-have-different-origins-1.10084582
0306世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/08(日) 00:55:17.890
エジプトの碑文研究からは

ラムセス3世は、「海の民」の囚人をエジプトに連れて行き、「彼らを私の名前で縛られた
要塞に定住させた。彼らの階級は数十万人であった。私は毎年、倉庫や穀倉からの衣類や
穀物で彼ら全員に課税した」ということです。

一部の学者は、これらの「要塞」はカナン南部の要塞化された町であり、最終的には
ペリシテ人の5つの都市(ペンタポリス)の可能性があると示唆しています。
25〜50年後にこれらの都市が略奪され、ペリシテ人によって再占領されようです。

当初、ペリシテ人はエジプトに収容されていた可能性があります。
その後、ラムセス3世の治世の問題を抱えた終わりの後半になって初めて、ペリシテ人は
フィリスティアに定住したということです。

ラムセス3世の治世の問題とはエジプトの内政面の問題があったのではと推測され、
これを象徴するのがラムセス3世の治世第29年に発生した史上初のストライキであったようです。

エジプトの支配力の低下により、ペリシテ人は勢力を拡大し、周辺のカナン人と争う
ようになったのではと考えられています。
ペリシテ人の勢力に対抗し共闘するために、ヘブライ王国が建国されたということです。
0307世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/08(日) 01:30:14.870
エジプトの碑文と>>258 の記事の整合性を考えると、

トロイ王国が現イスラエルの街アシュケロンを統治し要塞を築いた時期は、
エジプトの支配下のカナン南部のペンタポリスを略奪し、再占領した時期になるのでしょうか

それともエジプトに収容され、後にペンタポリスに定住させられたことを歪曲的に
言っているのでしょうか
0308世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/08(日) 01:46:17.720
ペリシテ人がカナン南部の(ペンタポリスの)定住をエジプトから認められ、
自分たちでアシュケロンに要塞を築き統治し、自治権は認められる一方で、エジプトへ
の納税の義務はあったということなんでしょうか
0309世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/08(日) 04:27:29.500
エジプトの碑文での「海の民」の記録は、民族を記録している訳ではなく、
どこの国または地域から来た人たちを記録していると思います

そういう意味では、"Peleset" ペリシテ人は、パレスチナ南部に入植した人々で、
>>258 の記事の 「トロイ王国が現イスラエルの街アシュケロンを統治し、要塞を築いた」
という石版の説明は、エジプトへ侵入する前の記録なのかもしれません

ペリシテ人の言語は
「ペリシテ人の言語については何もはっきりとはわかっていません。紀元前1500年から
1000年頃の陶器の破片には、キュプロミノア文字の1つを含め、非セム語の碑文が刻まれ
ていることが判明しています。」

ペリシテ人のDNA研究では
「クレタ島とイベリアの古代の骨格やサルデーニャに住む現代人のDNAと20〜60%の
類似性があります。」

他には、ペリシテ人の埋葬品から香水が発見されています
0310世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/08(日) 10:20:00.410
>>309
そうゆうことですね

だいたい200年以内の間で
カタストロフ期間中の設定になるかと思います
0311世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/08(日) 16:26:08.810
そのトロイがギリシャ人のものかどうか
ギリシャ人にとって象徴的な戦争だったからこそ記録されたのではないか
クレタ島はだいぶ前からギリシャ支配だったが
0312世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/09(月) 02:02:49.990
https://luwianstudies.org/app/uploads/2017/09/News-Phaistos-Disc.jpg
既知のルウィ語の象形文字とクレタ島で発見されたファイストスの円盤上のスクリプトと
の間に多くの類似点があることを指摘する学者もいます

【Phaistos Disc may record Luwian script and language】
https://luwianstudies.org/phaistos-disc-may-record-luwian-script-and-language/
トロイ王国を古代リキュアの都市トロス(Tlos)とあくまで個人的な見解を述べていますが、
下の図のまるで囲まれた場所がトロイ王国があったと研究しているところもあります
https://luwianstudies.org/app/uploads/2017/09/Troy-Kingdom-e1506788861969.jpg
Circled: Approximate expansion of the kingdom of Troy according to Homer (Iliad) 24,546).
Dots: places destroyed by Achilles according to Homer and other sources.

https://luwianstudies.org/app/uploads/2017/09/244-Luwian-Sites-Western-Anatolia.jpg
ミラ王国は上の図で「MIRA」と考えているようです
https://luwianstudies.org/app/uploads/2017/09/Political-Geopgraphy-1.jpg
Limestone orthostat from Karkamiş (900–700 BCE) in which the king lists the cities he conquered.
0313世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/09(月) 19:12:25.660
エジプトかどっかの記録でティルスと同定されていた地名、タルスかティラスだかもトロスなのか?
0314世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/09(月) 19:18:32.390
>>258
According to Eberhard Zangger, the president of a nonprofit foundation called Luwian
Studies, the symbols tell stories of wars, invasions, and battles waged by a great
prince, Muksus. Muksus hailed from the kingdom of Mira, which controlled Troy
3,200 years ago. The inscription describes his military advance all the way through
the Levant to the borders of Egypt, and how his armies invaded cities and built
fortresses as they went. Such invasions from the east are thought to be among
the causes of the collapse of the Late Bronze Age. […]

ミラがトロイに支配された、じゃなくトロイを支配した?どっち
0315世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/10(火) 03:02:24.720
シュッピルリウマ2世は、記録に残るヒッタイト帝国の最後の大王(在位:紀元前1214年頃 - 紀元前1190年頃)

首都ハットゥシャから発見された彼の治世に関する粘土板文書は、いずれも治世初期に
関するものである。彼は陸海でアラシア(キプロス島)を奪おうとする敵と戦い勝利を
収めていたが、その敵(「海の民」?)については詳しく言及されていない。また南西・
南東アナトリアでの軍事行動とその成功についても言及している。

ヒッタイト帝国の属国だったシリアのウガリットの遺跡で発見された粘土板文書よれば
アナトリアでは飢饉が頻発していたという。エジプトのファラオ・メルエンプタハ(在位:
紀元前1212年‐1203年)は、ヒッタイト帝国に対する食糧援助について言及している。
時期は不明だが、ウガリット文書にはヒッタイトの大王からウガリット王に対して食料を
積んだ船を送るよう指令したものもあり、その締めくくりにある「生き死にかかわる」と
いう文言に、その切迫振りが窺える。ハットゥシャの遺跡では近年巨大な地下式穀物サイロ
が多数発見されており、穀物確保は帝国維持の重要な問題だった。
0316世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/10(火) 03:04:43.480
紀元前1194年から1190年の間にそのウガリットは破壊された。またその直前にキプロスも
失われている。キプロスの支配者はウガリットの若き王ハンムラピ2世に対し、迫る攻撃を
警告する文書を送っていた。その警告も無駄になった。なぜならシュッピルリウマの勅命で、
ウガリットを守るべきその艦隊がアナトリア南岸での軍事行動に投入されたためである。
またウガリットの歩兵も、ルッカ(南西アナトリアのリュキア地方か)で厳しい戦いを行
っていたシュッピルリウマの命により、ヒッタイト本国に移動させられていたのである。

これらを記した文書はすべてウガリット市内の窯の中から発見されている。つまり焼き
固めが未完成なまま、ウガリット市の滅亡を迎えたことを示している。これらの記録は、
ヒッタイト帝国がシリア、キプロス、そしておそらくキリキア地方さえ失い、
シュッピルリウマが多正面戦争を強いられていたことを示している。
0317世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/10(火) 03:06:35.830
ヒッタイト帝国の食糧危機を示すと考えられている文書

★ウガリト王へ出された穀物輸送命令
我が太陽の為にウラは食糧を節約した。
我が太陽はウラにムスキから2000カルの穀物を送ると、約束された。
あなたは大型船と船員を準備し、その船でウラの国へ穀物を輸送せよ。
船員達は1か2回積み荷を運ぶであろう。
あなたはその船を抑留してはならない。


キュプロス島の戦い


我が父・・・、私は動員した。私、シュピルリアマ(シュッピルリウマ2世)、
偉大なる王は海に(到達した/出た?)。
アラシアの船は海で私と遭遇して、三度戦いが行われて、私は敵を強打した。
私は海で敵の船を奪い、火を放った。
しかし私が乾いた土地に来た時にアラシアからの敵が来襲して私に向かって何度も戦いを
挑んできた。
0318世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/10(火) 03:07:44.610
ウガリト王国の危機

★ウガリト王アムルナピからシュッピルリウマ2世への手紙
我が父、見よ、敵の艦隊が来た。
私の都市は焼かれ、敵は我が国で悪魔の如き所行に及んでいる。
私の部隊も戦車も全てハッティの地にあり、私の艦隊は全てルッカの地にあることを
我が父は知らないのか?
そのせいで、国は見捨てられた。
どうか我が父よ、このことを知って頂きたい。
敵船七隻がここに来て我々に多大な損害を与えたのだ。

★カルケミッシュ王からウガリト王アムルナピへの手紙
あなたは私にこう書き送ってきた。
「敵の艦隊が海上に現れた!」と。
なら、あなたはしっかりと踏み止まらなければならない。
あなたの方では実際のところ、部隊や戦車をどこに配置したのだ?
それらはあなたの近くに配置されていないのか?
いないのか?
あなたの脅威となる背後の敵は?
あなたの都市は城壁で囲まれているではないか。
部隊や戦車をその中に入れて強固な意志を持って敵を待ち受けたまえ!


ヒッタイト帝国の滅亡
★エジプトのハブ神殿の碑文
国々は全て一度に戦いの中で消え去り、崩壊した。
彼らの武器の前に持ち堪えた国はなく、
ハッティ、クォデ、カルケミッシュ、アルザワ、アラシヤは一度に切り倒された。
0319世界@名無史さん
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2021/08/10(火) 03:35:58.840
Milawata letter
ミラワタの書簡は、ハットゥサのヒッタイト王から紀元前1240年頃のアナトリア西部の
依頼人王への外交文書です。それはホーマーのイリアスの歴史性に関する議論において
重要な証拠の一部を構成します。

・ トゥドハリヤ4世(BC1236-BC1220)が書いたと見られる
・ この書簡は差出、受取り共に読めないようだ。受取りにはミラの王Tarkašnawa だと見られる
・ Tarkašnawa はアルザワの王族で、トゥドハリヤ4世とクルンタの認証を得ている
・ この時点で、Wilusa で内乱があり、Wilusa の王Walmu は逃げ Tarkašnawa の保護下にある
・ トゥドハリヤ4世は、Tarkašnawa との友好と Walmu の復位の可能性をあげて、Walmu の引き渡しを求めた
・ かつてトゥドハリヤ4世と Tarkašnawa は、 Milawanda の境界を定めた
・ トゥドハリヤ4世は、人質の交換について Tarkašnawa の対応に不満を持っている。
Tarkašnawa の父が UtimaとAtriya の人質を出さないのに、わたしは王族の Kulanaziti を送った。
Awarna と Pina の人質を要求する。

※Wilusa は、トロイとされる。
※アスワ(Aššuwa)は、アスワ同盟で知られるが、王国の名前らしい。
トゥドハリヤ3世(-BC1355)によって征服されたとある。
※アルザワは、BC1300頃にヒッタイトに征服されたと見られる。
ムワタリ(BC1290-BC1272)の時代の書簡なら、アルザワはこの直後に滅んだことになる。
※ミラの位置はカラベル(Karabel)碑文によって確認された。この碑文は岩山に刻まれたもので移動できない。
アナトリア半島の西端(トルコのイズミル県の Nif 山)にある。
碑文は、象形アナトリア文字として、「Tarkasnawa、ミラの王」と読まれた。
ミラはアルザワの領域だったがシュッピルリウマ1世(BC1355-BC1320)が征服した。
アルザワの王族と姻戚関係を結んで王としたが、反乱を起したのでムルシリ2世は守備隊
を置いて直接統治した。その後、Wiluša の Alakšandu との条約によって、Kupanta-LAMMA
が王となった。
トゥドハリヤ4世(BC1236-BC1220)とクルンタの和解の時点では、ミラの王は Alantalli
だったが、Tarkasnawaがミラの王となった。
0320世界@名無史さん
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2021/08/10(火) 04:47:59.460
近年の研究でペリシテ人と関係があるのではと言われているのが"Palistin"
"Palistin"は、シリア北西部とトルコ南東部のハタイ州にある初期のシロヒッタイト王国でした。
その存在は、"Palistin"の王"Taita"に言及するいくつかの碑文の発見によって確認されました。

"Walistina/Falistina" and "Palistin" in Syria

"Walistina"はルウィ語の文書で様々な綴りで"Palistina"と言及されています。
"Falistina"はアムル王国がその前に支配していたアミク平原のどこかにある王国でした。
"F"は音素変化、または記述ミスとも言われています。

2003年、アレッポ城塞でドイツの考古学者カイ・コールマイヤーが行った発掘調査中に、
ルウィ語で碑文が刻まれた"Taita"という王の像が発見されました。
ヒッタイト研究者のエリザベス・リーケンとイリヤ・ヤクボビッチによって提案された
アナトリア象形文字の新しい読みは、"Taita"によって支配された国が"Palistin"と呼ばれた
という結論を導き出しました。
この国は紀元前11世紀から10世紀にかけて、西のアミク谷から東のアレッポ、そして南の
ムハルデとシャイザールまで広がっていました。

ルッカ(Lukka)が、キリキア(Cilicia)、パンフィリア(Pamphylia)、パリスティン(Palistin)
まで勢力を拡大したのではと考えられると思います
(アナトリア南部からシリア北西部まで勢力が拡大したと考えられると思います)
また>>316から、ルッカはヒッタイト帝国と争ったのではと推測出来ると思います
0322世界@名無史さん
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2021/08/10(火) 07:18:07.910
>>320
ほほう、これは見たことなかったですね

あと、カルケミシュ王とウガリト王の間の手紙も知らなかった
ウガリト文書はけっこう抜けてるんだろうな
0323世界@名無史さん
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2021/08/10(火) 18:07:12.570
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/31/Hethiter.svg/800px-Hethiter.svg.png
The states formed by the Lukka (lower left) were located in south-west Anatolia/Asia Minor.

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/13/14_century_BC_Eastern_Mediterranean_and_the_Middle_East.png/800px-14_century_BC_Eastern_Mediterranean_and_the_Middle_East.png
Arzawa (light green) is mentioned as a major power in Egyptian accounts of the
Amarna period (14th century BC). According to Hittite accounts, it formed an alliance
with Ahhiyawa, generally identified by modern scholars with Mycenaean Greece
(purple), in various periods.

上記の地図で緑色の"Arzawa"の「LUKKA」がトロイ王国、「MIRA」がミラ王国
の可能性があるかもしれませんね
0324世界@名無史さん
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2021/08/10(火) 18:19:54.430
>>321
キプロスの考古学ではどうなってる?
ギリシャ人の支配とされてないか?
0325世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/10(火) 18:21:08.820
>>317
>アラシアの船は海で私と遭遇して、三度戦いが行われて、私は敵を強打した。
>私は海で敵の船を奪い、火を放った。
>しかし私が乾いた土地に来た時にアラシアからの敵が来襲して私に向かって何度も戦いを
>挑んできた。

これみるかぎり三段櫂船のようなタイプじゃないな
バイキングの海賊なかんじ
ガレー船だと一瞬で終わる
0329世界@名無史さん
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2021/08/10(火) 23:25:19.520
>>305さんが既に触れていますが
【中東の人口史】

中東の人口集団は地域固有のネアンデルタール人由来のDNAをほとんど有しておらず、
その大半が他のユーラシア人と共有されている、と明らかになりました。
アラビア半島の人口集団は、レヴァントやヨーロッパやアジア東部の人口集団よりも
ネアンデルタール人祖先系統の割合が低く、これは、ネアンデルタール人と混合しなかっ
た基底部ユーラシア人からの祖先系統の増加と、ネアンデルタール人の遺伝的影響を
ユーラシア西部現生人類から間接的にしか受けなかったアフリカ人との最近の混合に
起因する、と示されます。

レヴァントとアラビア半島との間の差異は、人口規模の歴史によっても示されます。
両者は新石器時代前の20000〜15000年前頃に分岐し、定住農耕生活様式への移行は
レヴァントで人口増加を可能にしたものの、アラビア半島では並行していなかったこと
を示唆します。

中東現代人のモデル化に必要な系統の追加の供給源は、古代イラン人と関連しています。
本論文の混合検証では、古代イラン人祖先系統がまずレヴァントに到達し、その後で
アラビア半島とアフリカ東部に到達した、と示されます。これらの事象の年代は、
興味深いことにセム語派の起源および拡大と重なっており、この祖先系統を有する
(おそらくはレヴァントもしくはメソポタミアのまだ標本抽出されていない)人口集団が
セム語派を拡大させた、と示唆されます。
https://els-jbs-prod-cdn.jbs.elsevierhealth.com/cms/attachment/e51ae5e8-3b3a-4704-8ff1-e129291da268/gr2_lrg.jpg
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_9.html
0330世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/10(火) 23:46:19.290
【中東の人口史】

ほとんどの中東現代人は、4古代人口集団の祖先系統からの派生としてモデル化できる、
と明らかになりました。それは、レヴァントN、新石器時代イラン人であるガンジュダレー
(GanjDareh)N、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)、4500年前頃のアフリカ東部人で
あるモタ(Mota)個体です。レヴァントとアラビア半島の人口集団間での差異が観察され
ました。レヴァント人は過剰なEHG祖先系統を有しており(図1E)、これは以前の研究
(関連記事)で示された、青銅器時代後に古代ヨーロッパ南東部およびアナトリア半島
祖先系統を有する人々とともに到来した祖先系統です。本論文の結果は、この祖先系統が
アラビア半島と比較してレヴァントでずっと高い、と示します。

レヴァントとアラビア半島との間の別の差異は、アラビア半島の人口集団における
アフリカ祖先系統の過剰です。本論文のデータセットにおけるほとんどの人口集団に
とってのアフリカ祖先系統の密接な供給源は、エチオピアのナイル・サハラ語族話者に
加えて、ケニアのバンツー語族話者である、と明らかになりました。

分岐年代の発見的推定値として相対的な交差合着率(rCCR)を0.5とすると、レヴァント人と
アラブ人とサルデーニャ島人と漢人は同じ分岐年代と、さらに12万年前頃以降のムブティ人
からの同じ漸進的な分離パターンを共有している、と明らかになりました。次に、本論文の
データセットの人口集団とサルデーニャ島人が比較され、両者は2万年前頃に分岐し、
レヴァント人はアラブ人よりもわずかに最近の分岐を示す、と明らかになりました。

注目すべきことに、レヴァントおよびアラビア半島内の全系統と、さらに全ての中東人口
集団およびサルデーニャ島人の内部の系統は、過去4万年以内で合着します。
0331世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 00:20:30.500
エジプト人がピラミッドを、メソポタミア人が階段式ピラミッド形寺院のジッグラトを
建設していた4500年ほど前、カナン人はこれらの大勢力の間で町や都市の開発を始めた。
カナン人が初めて歴史的な文書に登場したのは紀元前1800年頃、現在のシリア東部に
あった都市国家マリの王が「泥棒とカナン人」について不満を述べたという記録だ。

その500年後に書かれた外交文書からは、カナン人の王たちがしばしばエジプトからの
独立を維持するために奮闘していたことがうかがえる。あるバビロニアの君主は、
エジプトのファラオ、アクエンアテンに宛てた手紙で「カナンの地はあなたの土地であり、
その王はあなたの僕(しもべ)である」と認めている。
0332世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 00:49:44.410
学者は、カナン人が政治的に単一の王国に結合されたことを疑っています。
実際、考古学的発掘調査は、「カナン人」が実際には異なる民族グループで構成されて
いたことを示しています。後期青銅器時代(紀元前1550年から1200年)に、
「カナンは単一の「民族」グループで構成されていませんでしたが、その多様性は
埋葬習慣や文化的構造の多様性によって示唆される集団で構成されていました」

カナン人に関する最初の議論の余地のない言及は、現代のシリアに位置する都市マリの
サイトで見つかった手紙の断片から来ています。約3,800年前の手紙は、
マリの王ヤスマ・アダドに宛てられ、「泥棒とカナン人」は「ラヒサム」と呼ばれる町に
いると言います。手紙の生き残った部分は、町で起こっている紛争や障害を暗示しています。

カナンに住んでいた人々について語る別の初期のテキストは、約3500年前に遡り、
現代トルコの「アララフ」という都市を支配した王、イドリミの像に書かれていました。
イドリミは、ある時点で、「アミヤ」と呼ばれる「カナン」の都市に逃げることを余儀
なくされたと言います-おそらく現代のレバノンにあります。イドリミはアミヤの人々を
「カアナニテス」とは呼びませんが、代わりに「ハラブ」、「ニヒ」、「アマエ」、
「ムキッシュ」など、出身地のさまざまな土地を挙げています。
イドリミは、アミヤで支援を結集し、アララクの王になったと主張している。
0333世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 00:55:48.170
テキストは、アケナテン(および彼の直近の前任者および後継者)と中東のさまざまな
支配者との間の外交的な対応から成り立っています。現代の学者はしばしばこれらの
テキストを「アマルナの手紙」と呼んでいます。

文字は、カナンに何人かの王がいたことを示しています。ミタニの王であるツラッタ
(シリア北部にある王国)によって書かれた外交パスポートは、「カナンの地の王」に
彼の使者「アキヤ」をエジプトに安全に通過させ、カナンの王に「誰も彼を拘束しません。」

手紙はまた、エジプトがこれらのカナンの王に対してかなりの力を持っていることを示しています。
「Burra-Buriyas」という名前のバビロンの王によって書かれたある手紙は、カナンでの
バビロニア商人の殺害について不満を述べ、「カナンの土地はあなたの土地であり、
その王はあなたの召使です」とエジプトのファラオを思い出させます。

エジプトのテキストは、エジプトのファラオがカナンに軍事遠征を送ったことも示しています。
メルネプタという名前のファラオによって建立された石碑(紀元前1213〜1203年頃)は、
「カナンはあらゆる種類の災難に略奪された」と主張しました。同じ碑文はまた、
メルネプタが「イスラエル」に「浪費」したと主張しています。
0334世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 07:54:23.510
>>319
アラクサンドゥとランマ
なんでこんなとこに
0335世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 14:42:47.980
>>326
有史以来(キプロス)
http://mikeo410.minim.ne.jp/cms/~otherhistorycyprus

上記のサイトでは
・ キプロスの歴史
・ 海の民について
・ アラシアーウガリット書簡(ウガリット出土)
など いろいろ詳しく研究されています
0336世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 21:57:33.100
アカイア人
Ekwesh
シュてギリシャ人の意味かな

Shekeleshはギリシャ化したアシュケロン?
Tereshがトロイ?
0337世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 23:32:48.930
>>335
キプロスが何と呼ばれていたかについては、アマルナ文書(前14世紀)ではアラシア(Alasiya)と
呼ばれていたことが知られています。アラシアは、キプロスの王が書簡で使用している呼称で、
エジプトで使われた呼称でもあります。wikipediaでは前15世紀にミケーネ・ギリシャ語で
ku-pi-ri-jo と表記されたことが出ています。クノッソスの線文字Bの出土品には、ku-pi-ri-jo と
a-ra-si-jo の両方が使われています。
キプロスと言う地名は、前15世紀には使用されていたことは確かなようです。しかし、ku-pi-ri-jo と
a-ra-si-jo が地理的にどこであるのかは決定的な証拠はないようです。


やっぱジョーとかシューとかを地名の最後につけてたんじゃね
0338世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 23:50:17.940
アラシジョーはボクサー?
0339世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/11(水) 23:54:27.870
Shekelesh、Teresh は、メルエンプタハの碑文にも見られる。
リビア人との連合軍と記されるが、リビア人は海の民ではないらしい。

考古学的な記録からは中央ヨーロッパやイタリア半島からきた人々が海の民の事件に関係
しただろうと信じうる確固たる論拠が導くことができる。海の民によって焼き尽くされた
と考えられている都市の炭化した遺構の上に建てられた構造物の遺跡からは、多量の
イタリアの型である陶器や青銅の武器が発見されている。
海の民は確かにイタリア人だと同定する試みがなされている。例えば、シェケレシュ
(Shekelesh)はシチリアにいた古代人に同定できると考える学者がいる。

加えて、飾りのない中欧型のブローチや琥珀のビーズも複数の都市で発見されている。
いずれの物品も海の民以前のその土地の遺物の記録には現れないものである。
また、ハンガリーや中央ドイツから発掘された紀元前1800-1600年にかけてのナイフや
コップに、イタリア様式のナイフやコップが強い類似を示しているのを記すに足る。
0340世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 00:02:39.420
シチリアは遠すぎないかやっぱ
アシュケロンはashqenuで無理なのかな
0341世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 00:03:24.430
何にせよ、フェニキアはそれら海の民をボコボコにした集団であって、関係ないだろう

何が必要かっていえば、ガレー船だから
0342世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 00:11:36.110
レヴァントを犯したトロイはもっと南方だな

通説が覆されるかもしれないもんにワクワクすっぞ
じゃあシュリーマンがみっけたもんってなんだったんだ
0343世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 00:20:34.150
【地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史】

バレアレス諸島における最初の永続的な人類の居住は、紀元前2500〜紀元前2300年頃に
さかのぼります。紀元前1200年頃、タライオット文化(Talaiotic culture)が食資源の管理
強化と記念碑的な塔の出現により特徴づけられ、その一部はサルデーニャ島のヌラーゲ
文化との類似性が示唆されています。

バレアレス諸島とシチリア島の両方で、青銅器時代の人々の主要な起源としてイベリア
半島を特定したことです。バレアレス諸島の早期の住民の中には、少なくとも一部が
イベリア半島系統由来だった人々もいました。
イベリア半島は、東方から西方への人類の移動の目的地だけではなく、西方から東方への
「逆流」の起源地でもあったわけです。

ミノアおよびミケーネ文化と関連して中期青銅器時代までにエーゲ海で広まったイラン
系統が、遅くともミケーネ期までにシチリア島へと西進し、かなりの割合を有するように
なったことです。これはミケーネ文化の拡大に伴っていたかもしれません。
しかし、ミケーネ文化最盛期の前に、マルタ島・ギリシア・アナトリア半島でシチリア島
のカステラッチョ文化(Castellucian culture)と関連した人工物が見つかっており、
それ以前の遺伝子流動の可能性も考えられます。

考古学的証拠では、たとえば後期青銅器時代のサルデーニャ島におけるキプロス島の銅の
輸入のように、地中海東部から西部へのかなりの物資の移動がありました。

銅器時代と青銅器時代におけるアフリカ北部からヨーロッパへの広範な人類の移動です。
具体的には、上述のサルデーニャ島における紀元前2345〜紀元前2146年頃の個体で、
イベリア半島中央部の紀元前2473〜紀元前2030年頃の個体と類似しています。
また、紀元前1932〜紀元前1697年頃のイベリア半島の個体にもアフリカ北部関連系統が
認められます。
https://sicambre.at.webry.info/202003/article_3.html
0344世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 00:31:23.970
Shekelesh(シェケレシュ人)とTeresh(トゥルシア人)はリビア人との連合軍であったこと
Sherden(シャルダナ人)はギリシアの伝承やヒッタイトの記録には該当がないこと

以上のことから、上記(イタリア関連の)3集団は先ずリビアに植民地を作り、リビア側から
エジプトに侵入したのではと推測出来ると思います

シャルダナ人(Sherden)は、アマルナ文書の時代からラムセス3世の時代まで、エジプトを
侵犯する人々として記録されました。
0345世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 04:10:52.900
地中海地域も多くの文明を受け入れ、数千年の物語を伝えてくれるアナトリアの一部です。リキア、ピシディア、パンフィリアといった古代の文明が、その物語を今日に生きる人々に再び語りかけてくれます。当時から残る荘厳な遺産が、アンタルヤとその周辺の地域で人々の目の前に並んでいます。

これらの文明のうち、「光の国」という意味のリキアからお話を始めます。今日、アンタルヤ湾とフェティエ湾の間にあるテケ半島の古代の名前が、リキアです。アナトリアの古の民ルウィ人はこの地域を「ルッカ」と呼び、時とともに古代ギリシャ語で「リキア」となりました。アンタルヤ県内にあるクサントス、パタラ、オリンポス、ファセリスが、23都市で構成するリキア同盟の最大の都市でした。人口20万人を抱えていたと考えられるリキア同盟は、史上初の民主同盟でした。リキア人は、自由を愛した戦の民として知られています。

クサントスは、リキア同盟の首都の一つとなった場所です。古代世界最大の吟遊詩人ホメロスは、叙事詩イーリアスの中で、クサントスについて、トロヤ戦争で衝突した兵士の祖国として説明しています。ローマ時代の数多くの墓があるクサントスは、今日ではユネスコ(UNESCO)の世界遺産になっています。リキア人が地域の天然資源である石灰岩を使って築いた石棺墓は、今日人々の関心を最もよく引く文化遺産となっています。
https://www.trt.net.tr/japanese/puroguramu/2021/01/13/shui-totomonifang-reruwen-hua-di-15hui-1560173
0346世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 04:29:22.550
>>258の記事は大丈夫でしょうか?

【有名考古学者が遺跡からの出土品を偽造した証拠が死後に発見される】

イギリスの著名な考古学者であるジェームス・メラート氏は、トルコのアナトリア半島
南部にある「チャタル・ヒュユク」という遺跡の発掘調査に携わった人物です。

しかし、2012年にメラート氏が死去してから、メラート氏の遺品整理を続けてきたルウィ
研究所のエバーハルト・ツァンガー氏は、「メラート氏の遺品からチャタル・ヒュユクの
壁画を偽造した証拠が見つかった」と述べています。

2012年にメラート氏が死去した後、ツァンガー氏がメラート氏のアパートから発見した
メモに「発見した碑文が完全に公開されていなければ、他の研究者たちの手で公開して
ほしい」と記されていたことから、メラート氏の遺品を整理し始めたとのこと。
2017年12月にメラート氏が所持していた資料の中から、3200年前に書かれたトロイア王子
に関する碑文についての解読資料が公表されましたが、複数の考古学者から「偽造された
資料ではないか」という疑念が寄せられていました。
今回ツァンガー氏は、この疑念を認める形で「全ての碑文が偽造とは言い切れないが、
トロイア王子に関する碑文が本物であると確信できない」と述べています。
https://gigazine.net/news/20180314-famed-archaeologist-fakes-discovered/

258の記事では、「オランダの学者フレッド・ウッドハイゼンと、スイスの地質考古学者
エバーハード・ザンガーは、3200年前の石版に掘られた文字の解読に成功したと発表しました。」
0347世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 04:41:35.540
>>258の記事は偽造された資料な気がします
皆様、本当に申し訳ないです、すみませんでした
0348世界@名無史さん
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2021/08/12(木) 07:31:32.790
>>346
ほほう、キュベレのふるさと
チャタル・ヒュユクじゃないですか
これはなかなかの情報をありがとうございます

>>258は元の資料を確認しようとしたときに
見つけられなかったですね


個人的にはこういう怪しいやつ含めて
眺めたいのでどんどんやってくださいww
0349世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 13:17:26.320
>>348 申し訳ないです

【アナトリア生まれの「初」 第5回 〜トロイ〜】

シュリーマンは考古学者ではありませんでした。トロイを見つけて一攫千金を狙っていたため、興味をそそるものだけに集中しました。自分がしていることを阻むであろう壁に突き当たると、それを壊しました。被った損と破壊がどれほど大きいものであるかは、その後判明しました。発掘開始から少し経つと、発掘領域の町が7層で構成されていることがわかりました。発掘を続けた結果、ヒサルルクの丘で、重なり合ってできた10層のトロイの層が発見されました。2019年には、町の歴史からさらに600年さかのぼる層が考古学者によって発見されました。

トロイの11層を下から数えて7層目が、ホメロスが叙事詩で語った「トロイ」であると、専門家は言います。発掘の出土品に激しい攻撃と破壊的な火災の跡が見られたことは、町で本当に戦いが起きたことを仄めかしています。

シュリーマンは、トロイが実在したことを確かに証明しましたが、それだけに満足しませんでした。今度は、これも本に書かれた王の財宝を発見しにかかりました。ひょっとしたら、シュリーマンが考えていたのは、最初からこの財宝を手に入れて一攫千金を成し遂げることだったのかもしれません。その目標のために多大な資金と時間をつぎ込み、ついに、ネックレス、イヤリング、冠、ブローチなどの、黄金や宝石でいっぱいの財宝を発見しました。当時のオスマン政府の関係者に引き渡さなければなりませんでしたが、誰にも知らせずに、財宝をそのあった地から取り上げて国外に持ち出しました。まず、ギリシャで、次にフランスで売ろうとしましたが、金額について合意できませんでした。その後、ロシアと取引しました。しばらくするとこの件は忘れられ、幕を下ろしました。長年にわたり、財宝の場所を誰も知らず、さらにはそれが実在するのか疑われ、またしても伝説だったと思い込まれるようになりました。しかし、1990年代の始めにモスクワにあるプーシキン美術館の地下倉庫でついに発見されました。
https://www.trt.net.tr/japanese/puroguramu/2021/03/31/anatoriasheng-mareno-chu-di-5hui-toroi-1609676
0350世界@名無史さん
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2021/08/12(木) 17:52:15.800
スペインのメノール湖の辺りに
フェニキアの遺跡があっても良さそうなもんなのだが
なんでなんにも無いのじゃろうか?
0351世界@名無史さん
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2021/08/12(木) 17:59:55.690
いや、遺跡はあるのだが
都市がないのです
0352世界@名無史さん
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2021/08/12(木) 21:54:10.350
>>350

カルタヘナ近くのスペインの海岸沖の水没した岩礁で、考古学者によって発掘された最初の
フェニキア人の難破船、"Bajo de la Campana"の難破船、は約2,700年前に遡るということです

グロサ島と「マール・メノールのラ・マンガ」とも呼ばれる砂州近郊の"Bajo de la Campana"は
現在発掘調査の第3シーズンにある重要な遺跡であり、ムルシア地方で発見された3番目の
フェニキアの難破船の場所ということです

マザロン(Mazarron)とラ・マンガ(La Manga)でフェニキア人はここで採掘された鉱物を取引し、
海岸線で生産された魚醤を扱っていたということです
3隻のフェニキア人の難破船がフェニキア人の存在と活動を証明しているということです

マザロン(Mazarron)で見つかった2隻の難破船はどちらも小型の船であり、沖合に停泊して
いる大型船に貨物を輸送、また海岸沿いの場所に輸送するために使用されたと考えられます

一方で、ラ・マンガ(La Manga)で見つかった難破船ははるかに大きな船であり、アフリカと
地中海沿岸の間の交易路で原材料と完成品を輸送していたと考えられています

遺跡の場所は、グロサ島の近くの水中の崖のふもとにあり、水深24メートルです
今日では完全に水没しましたが、船が難破した当時は水深2メートルだったため大量の岩が
水面上に見え、輸送にかなりの危険があったようです

以上のことから、フェニキア人はメノール湖では大型船が入港出来ず、小型船に乗り換え
交易していたように思えます
交易地が沿岸部ではなく、大型船舶であったのではと個人的な推測です
(誤訳があったらすみません)
0353世界@名無史さん
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2021/08/12(木) 22:45:28.830
この間、やりすぎ都市伝説でキュベレやってたなぁ…
関は人類をいじり叡智を与えた宇宙より来た神であり、今現在我々人類はキュベレのシミュレーションの中で生きてるとか言ってた気がする
0354世界@名無史さん
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2021/08/12(木) 23:00:32.230
>>352
おぉ、仕事がはえぇww

海水面が現在とは異なってるんですね
たわし個人の想定では塩田つくってても良さそうという判断なんですが
0355世界@名無史さん
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2021/08/12(木) 23:04:46.250
>>352

グロサ島はラグーンの外側で
海水面が2m→24mですか、尋常じゃない変化です

そうするとそもそも湾内に海水自体がなかった可能性すらありますね
なるほど
0356世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/13(金) 01:53:38.050
>>355
本当にごめんなさい、水深2メートルではありません
そんなに水位差があったら大変です

「1988年、Centro Nacional de Investigaciones Arqueologicas Submarinasは、同じ場
所にある3つの異なる古代の難破船を、2つはローマ、1つはフェニキアの船と特定しま
した。」

「この場所は、グロサ島の近くの水中の崖のふもとにあり、海底まで24メートル下り
坂になっています。」

【問題箇所】
「船が難破したとき、今日では完全に水没しましたが、水面下2メートルの深さまで、
水面上に大量の岩が見えていたでしょう。」

水面から岩の距離が2メートルということ、もしくは、水面に岩が映えていたくらい
水面と岩の距離が近かったということなのでしょうか?
すいません、正確に訳せません

「輸送にかなりの危険をもたらし、それゆえ、現代の難破船を含むいくつかの船が
歴史の中で岩にぶつかったという事実があります。」

「同じ場所に、少なくとも4隻の船があります。 18世紀の船、紀元前1世紀と紀元前2
世紀の2隻のローマ船、そして紀元前7世紀のフェニキア船。ローマの船の1隻がフェニ
キア船の敷地のほぼ上にあります。」
https://murciatoday.com/bajo-de-la-campana-the-important-phoenician-boat-excavation-at-la-manga_3508-a.html

メノール湖というより、メノール湖周辺の海域の岩が問題だったようです
本当に申し訳ありません
0357世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/13(金) 03:11:31.860
スペイン、具体的にはムルシアと何の関係があるのでしょうか?

「この地域は、フェニキア人の貿易ネットワークの一部であったことが知られています。」

「また、交易活動の実質的証拠もあります。」

「フェニキア人は確かにここから採掘された鉱物を取引し、この海岸線に沿って生産され
た魚醤を扱っていました。マザロンとラ・マンガで発見された3つのフェニキアの難破船
の存在は彼らの存在と活動を証明しています。」

「マザロンの難破船であるマザロン1と2はどちらも小型の船であり、おそらく沖合に停泊
している大型の船、またはさらに海岸に沿って前方への輸送のための統合ポイントまで
貨物を運ぶために使用されていたでしょう。」

「一方で、ラマンガの難破船ははるかに大きな船であり、アフリカと地中海沿岸の間の
交易路で原材料と完成品を輸送していたと考えられています。」

「スペインの海岸沿いには、アリカンテ、カディス、イビサ、マラガ、ウエルバ、カルタヘナ
などの大きな交易地がたくさんあり、アフリカの海岸の、現在でもスペイン領の、メリリャ
とセウタにもありました。」
0358世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/13(金) 04:04:34.130
海域で発見されたものに、The artefacts(人工産物)、Elephant tusks(象牙)、Ingots of tin
(錫インゴット)、Ingots of Copper(銅インゴット)、Galena(方鉛鉱)、Ceramic Materials
(窯業製品)があります

>>355
スペインのメノール湖とフェニキアで検索したら、難破船(沈没船)の記事が出て来たので、
座礁を避けるためかなと自分勝手に思いましたが、地中海で難破船(沈没船)はあちこちで
発見されているので、特筆すべき理由にはなりません

「もともとマール・メノールは「湖」ではなく地中海に開けた「湾」だった。
どちらかの端部から火山性の砂州が徐々に砂や堆積物を集め、湾と地中海の間に現在の
ような砂丘・岩の植生・長いビーチが形成された。」

「マール・メノールは、スペイン・ムルシア州南東部にあるラグーン(塩湖)」
水深は7mに過ぎないが透明度が高く、塩分濃度が高くて浮力が強い
0359世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/13(金) 05:31:42.390
言い訳がましいですが >>356 のリンクの記事で

スペインのメノール湖周辺海域で難破船が見つかった場所が3ヶ所あり、グロサ島、
マザロン(マサロン)、そしてラ・マンガのそれぞれで4隻、2隻、そして1隻の計7隻の
難破船が見つかり、7隻中6隻が古代のものであり、2隻がローマ、4隻がフェニキアの
船であったということです

以上のことからメノール湖周辺海域には座礁しやすい場所がいくつか存在し、座礁を
避けるためにフェニキアは大型船でメノール湖外側で待機し、小型船でメノール湖
沿岸と交易を行なったのではと勝手に推測したまでです

メノール湖沿岸ではなく少し内陸部になりますが、ムルシアはフェニキアの交易
ネットワークの一部であったということです

メノール湖沿岸部に交易地がないのは、火山性の砂州が徐々に砂や堆積物を集めた
ため港に適した場所がなかったのか、また、塩分濃度が高く人が住むには適してい
なかったか、何かしら理由があったのではと思います
0360世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/13(金) 09:00:13.630
>>354
現地調査の結果

やはりというか塩田はありました、が
北側の砂州の上に存在してましたので
フェニキア人が活躍してた頃は
砂州が発達してなくてできなかったのかな?
0361世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 00:04:42.910
【ギリシャ青銅器時代の伝説の防具、叙事詩に描かれた物語】
ホメロスが叙事詩『イーリアス』に込めたメッセージを読み解く

トロイア戦争を描いた古代ギリシャの叙事詩『イーリアス』。数々の戦闘シーンが登場するが、クライマックスはギリシャのアキレウス、トロイアのヘクトールによる壮絶な一騎打ちだ。

トロイア戦争の原因は、ギリシャの都市スパルタの美しい女王ヘレネーと、現在のトルコにあったとされる王国トロイアの王子で、ヘクトールの弟であるパリスが駆け落ちしたことだ。叙事詩『イーリアス』は、二人の結婚からすでに10年がたった時点から始まる。『イーリアス』で焦点があてられるのは、戦争そのものだ。

『イーリアス』は、紀元前750〜700年頃にホメロスが最終的な形に整えたものと考えられているが、そこに至るまで、500年以上にわたり何世代もの詩人たちが口伝してきた。つまりこの詩にうたわれている壮大な伝説は、青銅器時代にルーツを持つことになる。

少なくとも500年間にわたって受け継がれてきた伝承を叙事詩にまとめ上げたホメロスは、魔法の馬、魔法の薬、英雄を守る魔法の防具など、いかにも大衆が喜びそうな要素をふんだんに入れ込むことができたはずだ。しかしホメロスは、もっと深い何かを求めていたように思える。

アキウレスのような半神半人であっても、傷つけられうる肉と血でできていることを、ホメロスは告げている。『イーリアス』は入念に作り込まれており、そこに込められたメッセージから、読み手は決して顔を背けることができない。そのメッセージとは、戦争は恐ろしい所業であり、たとえ英雄であろうとも無傷で逃れることはできない、というものだ。(参考記事:「神話の舞台への旅 ギリシャ、ペロポネソス半島」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/022400090/?P=1
0362世界@名無史さん
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2021/08/15(日) 00:17:46.650
【石を磨いたら3500年前の超細密彫刻が現れた】
古代ギリシャの戦士の墓から出土、「理解しがたい細かさ」と研究者

古代の戦士の墓から見つかった石。そこにこびりついた数千年分の石灰や汚れを落としてみると、驚くほど見事な彫刻作品が現れた。

幅わずか3.5センチの瑪瑙(めのう)の石が初めて発見されたのは、2015年のこと。ギリシャ南西部で、3500年前の青銅器時代の墓から1400点もの副葬品が出土。この石はそのなかの一つで、当時は単なる石の玉という程度にしか考えられていなかった。

ところがその後、定期的な管理作業として石を磨いていたところ、彫刻らしきものが現れた。そこで米シンシナティ大学の研究者が1年近くかけて石を磨き上げた結果、ついにその表面に彫られた芸術作品が明らかになった。この詳細は、他の副葬品の調査結果とともにギリシャ考古学の専門誌「Hesperia」に発表された。

石に施された彫刻は、敵をひとり倒した戦士が剣を振り上げ、別の敵の首に突き刺そうとしている場面を描いている。人間の筋肉のひとつひとつまでもが見事に表現されており、ギリシャの叙事詩「イリアス」や「オデュッセイア」を彷彿させる壮大な場面である。石は「ピュロスの戦い」と名付けられた。発掘リーダーのひとりであるシャリ・ストッカー氏は、宝飾品の一部に使われていたのではないかと考えている。(参考記事:「2500年前のギリシャ船 シチリア沿岸から引き揚げられる」)

石が出土した墓は、ペロポネソス半島のピュロスにある。ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に書かれているネストール王の宮殿があった場所とされている。彫刻が正確に何を描いているのかは謎だ。ホメロスが紀元前700年に書いた叙事詩の基となった言い伝えの一場面である可能性もあるが、双方を関連付けるのに十分な証拠は見つかっていない。しかし、ストッカー氏と研究者らは、当時よく知られていた伝説を描いたものだろうという。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/110900062/?P=1
0363世界@名無史さん
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2021/08/15(日) 00:27:51.830
【5千年前の高貴な少女の化粧品が出土、パレスチナ】
世界最古の町とも言われる古代エリコ、エジプト文明と強いつながり

ヨルダン川西岸、現代のエルサレムから北東へ約20キロ離れた場所にあるテル・エッ・スルタン遺跡は、古代エリコの町があった場所だ。旧約聖書に登場するエリコは、外敵の攻撃を受けて城壁が崩れ去るはるか以前から、豊かで交易の盛んな町だった。

この遺跡で1997年から発掘調査を行っているイタリアとパレスチナの共同チームが、5000年前の住居跡から驚くべき発見をした。ナイル川でなければとれない真珠貝の殻が、5枚重なった状態で出土したのだ。

そのうち2枚の貝殻に残されていた黒い粉末は、分析の結果、酸化マンガンであることがわかった。これはコールと呼ばれる化粧品の主成分で、古代の人々はアイライナーとして使っていた。(参考記事:「クレオパトラの化粧は感染予防に効果?」)

研究者は、この粉末がシナイ半島から運ばれたのではないかと考えている。そこでは、かつて古代エジプト人が採掘していたマンガン鉱山が見つかっている。

少女の胸にも石のスカラベが置かれ、そこにヒエログリフが彫られていたことから、エリコの上流階級にエジプトの文化が影響を与えていたことがわかる。

スカラベにはさらに、身をかがめたライオンと丘から昇る太陽の絵が彫られている。このふたつの組み合わせは、「Rwha」または「Ruha」という人名を表している。ニグロ氏によれば、このような名前はエジプト人にも地元カナン人にも見つけることはできないが、古代エリコの町の名である可能性が高いという。もしそうであれば、この少女は町の支配者の称号を刻んだスカラベとともに葬られたことになる。(参考記事:「写真で見る古代の文化と副葬品14選」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/122100067/
0364世界@名無史さん
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2021/08/15(日) 01:01:22.000
【青銅器時代の沈没船:青銅の原料】

イギリス南部、プリマスに近いサルクーム沖の海底で発見された青銅器時代の難破船の積荷の大部分を占めていたのが写真のような銅塊やスズ塊で、合計300個近くが発見された。輸送に便利なペレットの形に作られている。銅塊やスズ塊は、この時代を特徴づける青銅器の原料である。 研究チームによると、今回発見された銅塊259個は外国産とみられ、おそらく中央ヨーロッパか現在のスペインにあった鉱山で産出したものと考えられるという。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2348/
0365世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 01:03:19.370
【青銅器時代の沈没船:黄金の腕輪】

3000年近く前の青銅器時代に作られた黄金の腕輪が、海底で自らを誇示するかのように光り輝いている。イギリスの近海に沈んでいた難破船から最近発見された。世界最古の難破船の1つであるこの船が沈んだ頃は、ローマ帝国はまだ建設されておらず、エジプトはファラオが支配し、イエス・キリストの生誕は900年ほど先のことだった。 この腕輪は、南西海洋考古学グループ(South West Maritime Archaeological Group)が2009年5月にイギリス南部、プリマスに近いサルクームという町の沖合いで発見した紀元前900年頃のものとみられる難破船の積荷のひとつだ。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2349/
0366世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 01:05:47.910
【青銅器時代の沈没船:精緻な金細工】

イギリス南部の町サルクームの沖合いでは、過去にも今回と同じく青銅器時代の別の沈没船から多くの品物が引き揚げられている。写真は2006年に発見された黄金の装飾品。 今回発見された沈没船にはトルクと呼ばれる黄金の腕輪がいくつか積まれていたが、前回発見された沈没船にはそれを上回る貴重な宝物があった。写真は、金の針金を編んで作られた8列の組みひもからなるトルク1個(左上)、金の板を渦巻き状に巻いたトルク2個(中央上と右上)、金の棒をねじって作られたトルクの一部で、いずれも時代は紀元前1300〜1100年に遡る。

なかでも腕輪として身に付けられていた組みひものトルクは非常に珍しいと、大英博物館のベン・ロバーツ氏は語る。これに最も近い様式のトルクはフランスで発見されているという。「このような精緻な金細工の技術がイギリス以外の地域にもあったことは明らかだ」と同氏は語っている。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2351/
0367世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 01:13:50.330
【初期人類、航海術に長けていた】

ギリシャの島で発見された先史時代の斧から驚くべき事実が判明した。ホモ・サピエンス(現生人類)がヨーロッパにたどり着くかなり前の時代に、既に地中海で航海を行っていた者がいたという。 2年前、ギリシャのクレタ島の峡谷で、アメリカとギリシャの考古学者チームがある発掘調査を行っていた。約1万1000年前に地中海を往来していた海洋民族が使っていた小型の石器を探していたのである。

目当ての石器は見あたらなかったが、代わりに驚嘆すべき遺物が発見された。アメリカにあるボストン大学の考古学者で石器の専門家であるカーティス・ランネルズ氏が、長さ約13センチの頑丈な手斧を見つけたのである。

今回の手斧が発見されたクレタ島は、約500万年前から広大な海に囲まれている。つまり、高度な工作技術を持った現生人類以外の何者かが、数万年間にわたって地中海の島々を転々としていた可能性が出てきたのである。ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)か、ホモ・ハイデルベルゲンシスか、ホモ・エレクトスか、あるいは初期のホモ・サピエンス(現生人類)だろうか。

この時期の初期人類には、ボートや簡素な筏(いかだ)さえも生み出す能力はなかったと考えられていた。装身具を身に付けたり、芸術品を生み出したりといった現代的な習慣を有する現生人類が出現したのは、約10万年前のことだ。

しかし今回の新発見がその定説を覆すかもしれない。人類の祖先は、単純な石器からは想像できないほど知的な方法で計画、協調、物作り(造船)を行っていた可能性が出てきたからだ。ランネルズ氏は、「こんなに早い時期からクレタ島に石器が存在したなんて、驚天動地の発見だ。ツタンカーメン王の墓からiPodが見つかるようなものだ」と話す。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2325/
0368世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 01:25:41.980
【暗黒時代の寺院が示す繁栄の跡】

トルコで発見された紀元前の暗黒時代の寺院で、金属製品の破片や象牙の彫刻、現在は使われていない言語が刻まれた石板などが大量に見つかった。同地域では紀元前1200年頃から900年頃まで暗黒時代(古代ギリシャ文化の停滞期)が続いていたと考えられていたが、今回の発見はその定説の再考を促すことになりそうだ。 旧約聖書、古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩、古代エジプトのファラオであるラムセス3世が記した文章など、この時代を記した後世の文字資料には、青銅器時代から鉄器時代への移行期が、文化の崩壊や飢饉、暴力が猛威を振るった動乱の時代として記録されている。

ハリソン氏の研究チームが2008年に寺院を発見したテル・タイナット遺跡は、トルコ南東部のアンタキヤ平原にある。現在のシリアとの国境付近にあるこの遺跡は、数千年間、異なる文化が交わる重要な土地だった。この寺院は紀元前10〜9世紀のソロモン王の時代に建造され、紀元前8世紀にテル・タイナット遺跡のほかの建造物と同時に破壊されたと考えられる。

さらに研究チームは、粉々に破壊された巨大な石板も発見した。この石板は祈念碑とみられ、ルウィ語の象形文字が刻まれていた。ルウィ語は現トルコの領域で広く使われていた言語だが、現在は廃れてしまっている。

イスラエル、ネゲフ・ベングリオン大学の考古学者グンナー・レーマン氏は、「書き残された文書がなかった時代のことは知ることができない。このため、文字史料が消えた時代は暗黒時代と呼ばれている。しかし、暗黒時代にも文化や政治の繁栄、そして前進する歴史があったことを示す考古学的な証拠がますます増えてきている」と第三者の視点から話している。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/1162/
0369世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 02:23:17.390
タルシシが暗黒時代なわけないやん
フェニキア(イスラエル、アラム、カルタゴ)と結託してたんだから
0370世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 02:25:13.520
アラムとおなじく、タルシシあたりは逆に繁栄し、アッシリアによって破壊された

聖書とも符号する
0371世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 05:37:01.360
ヒッタイトの歴史をまとめたサイトがありましたので
http://blog.livedoor.jp/liveokubo/archives/52333835.html

・この時代、エジプト王妃から重要な書簡が送られる。シッピルリウマI世(19)が国内を平定し、北シリアに遠征中しその支配を確固たるものにした。北シリアの重要な都市カルカミッシュを包囲しているときに、エジプト王妃ダハムンズ(アマルナ改革をを行ったアメンホテプW世の妃)から驚くべき書簡が届く。
 それによれば、エジプト王が亡くなり王妃(ダハムンズ)には子供がおらず、シッピルリウマI世(19)の子供を一人エジプトに遣し、彼を夫として立てたいとのことだった。にわかには信じられず、シッピルリウマは部下をエジプトに送り真偽を確かめさせた。その間に、王はカルカミッシュを征服した。
 エジプトから帰った部下は、王妃からの第二の書簡を持ち帰った。それによれば、王妃は、夫が亡くなり子供もいないため、君臣の一人を選び夫としなければならないが、そのようなことをしたくないので、恥を忍んでヒッタイト王に子息の一人をくださるようにお願いしたというのだ。    <ムルシルII世が父シッピルリウマI世の治績を記した文書>より

(結末:シッピルリウマが息子をエジプトに送ったが、エジプトの将軍ホルエムヘブに暗殺され、報復としてヒッタイトは、エジプト領のアムカやカナンを攻撃し征服した。
0372世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 06:51:39.240
紀元前14世紀にエジプトの記録でLukka(ルッカ )が時を経てアナトリア南部を制圧し、
紀元前12世紀にヒッタイトの記録でTarḫuntašša(タルフンタッシャ)になったのではないでしょうか
タルフンタッシャ王のクルンタの「クルンタ」とはルウィ語の精霊の名であるといことです

クルンタ - Wikipedia より
従来ヒッタイト帝国は「海の民」と呼ばれる外敵の侵入で突如滅亡したと説明されてきたが、
クルンタの存在は滅亡直前に国内が内戦状態であったことを示唆しており、従来の説明に
再考を求めるものといえる。

ルッカ=タルフンタッシャ=「海の民」であり矛盾はないと思います
0373世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/15(日) 07:09:33.910
タルフンタッシャはアナトリア南部を制圧し、またキプロス島も支配下に置き、
北シリアのカルガミッシュと同盟関係にあったのではと思います

このことにより、ヒッタイトはエジプトとの交易を海路・陸路共に封鎖され、
危機的な食糧難に陥ったのではと考えられると思います
0374世界@名無史さん
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2021/08/15(日) 09:01:41.410
>>362
おっぱいが見えてる、、、
0375世界@名無史さん
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2021/08/15(日) 16:29:24.980
>>373
でも考古学や言語学ではキプロスはギリシャ支配でしょ?
キプロスにアカイア系の古いギリシャ方言が残ってたとかで
0376世界@名無史さん
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2021/08/15(日) 16:31:56.540
それが>>288民数記の海の民の記述
「キッテムからの船」となる
しかしそれも滅びに至る
滅ぼしたのは誰か?
それが衝角つきガレー船を最初に発明したフェニキア
ヘロドトスは紅海側からきた民族としている
0377世界@名無史さん
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2021/08/15(日) 16:41:38.720
>>374
男やろ…
0378世界@名無史さん
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2021/08/16(月) 00:41:48.360
ヒッタイトに連れ帰ったエジプトの捕虜から疫病が蔓延し、ヒッタイト側ではシュッピルリウマ1世、アルヌワンダ2世が相次いで死に、本来王位に就く予定のなかったムルシリ2世が王位に就きます。

紀元前14世紀頃のこの疫病については、エジプトのアマルナ遺跡出土の楔形文字粘土板書簡EA 11, EA 35, EA 96, EA 932に記載されています。アクエンアテン王とネフェルトイティ王妃の3人の王女をはじめとする王族がほぼ同時期に他界したのはこの疫病によるものと推測されています。
0379世界@名無史さん
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2021/08/16(月) 00:48:58.390
【地中海東岸の文明は干ばつで崩壊?】

今から約3200年前に、地中海東岸に栄えていた文明、それも1つでなく複数の文明が崩壊した原因は何か? 考古学者たちを長年悩ませてきた歴史の謎が、ガリラヤ湖の湖底堆積物から採取した花粉粒子の化石の分析によって解明された可能性がある。「短期間のうちに、青銅器時代の全世界が滅んだ」と、研究主著者の1人で、テルアビブ大学考古学研究所の考古学者イスラエル・フィンケルシュタイン(Israel Finkelstein)氏は述べる。

研究チームは、花粉のサンプルを40年ごとに採取して調べ、植生の変化を追跡した。「花粉の粒子は植物の“指紋”だ」とラングート氏は述べる。「古代の自然植生や過去の気候条件を再構築する上で非常に役立つ」。

分析の結果、紀元前1250年ごろにオークやマツ、イナゴマメの木の数が急減していることがわかった。これらは青銅器時代後期の地中海沿岸地域には伝統的にみられた植物だが、代わりに半乾燥気候の砂漠地帯によくみられる植物が増えていた。同時に、オリーブの木も急減しており、これは植物栽培が廃れつつあったことを示唆している。研究チームによると、これらはすべて、この地域が定期的かつ持続的な干ばつに見舞われていた証拠だという。

研究チームが花粉分析から割り出した年代は、わずかに残る当時の歴史的記録とも合致する。当時の記録には、穀物の不足、交易路の崩壊、社会不安の発生、そして少ない資源を巡って人々が争うようになり、都市の掠奪が起こったことが記されている。さらに、この青銅器時代後期には、“海の民”と呼ばれる略奪集団が地中海東岸地域を襲った。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8480/
0380世界@名無史さん
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2021/08/16(月) 01:04:37.730
このように見事な色に布地を染め上げる技術は、実はフェニキア人の専売特許であった。ローマ時代の博物学者プリニウスは、この染色の工程に塩が使われたことを記している(『博物誌』第9巻62章)。塩には色落ちを防ぐ効能があり、おそらく染料を繊維に定着させる目的もあったのだろう。巻貝の一種であるムーレックスの体液を抽出して、そこに塩を加え3日間ほど置く。次にそれに水を入れて約9日間煮詰めて上澄み液だけをとり、そこに羊毛や布地を浸し、お気に入りの色合いに変色させる。太陽の光のもとで乾かすと、それは古くから「テュロスの紫」として珍重された鮮やかな色に染め上がるのだ。

一方、塩は本来、貯蔵や保存などの目的でも使われた。地中海周辺で盛んに行われた塩漬けの魚や調味料としてのガルム(魚醤)の製造にも塩は欠かせない。ガルムは今日なお、われわれの食卓にも馴染みある調味料である。フェニキア人の入植拠点の周辺には現在でも塩田の風景が広がっており、彼らの生活が塩と密接につながっていたことを髣髴とさせる。
https://www.shiotokurashi.com/world/asia-oceania/44124
0381世界@名無史さん
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2021/08/16(月) 05:26:30.570
【サルデーニャ島の死者の微笑みの謎】

3000年ほど前、イタリアのサルデーニャ島に植民地を築いたフェニキア人たちの社会では、死者の顔に浮かぶ微笑みは必ずしも平穏な最期を意味しなかった。海の商人と呼ばれたフェニキア人の笑みに隠されたおぞましい真実が先日、科学者たちによって解明された。死者に微笑みをもたらしたのは、ある植物の毒性成分だったのである。ドクゼリというその植物には“しわ取り”効果もあり、笑いじわを消す美容効果も期待できるという。 紀元前8世紀頃、古代ギリシャの詩人ホメロスは顔を歪めさせる薬を使ったサルデーニャ島の儀式殺人について記録しており、現在もその文書は残されているが、その中で「嘲笑」や「引きつり笑い」を意味する英語“sardonic grin”に相当する言葉が新語として使われている。「sardonic」の語源はサルデーニャ島を表す「Sardinia」だ。

新しい研究によると、当時、同島に住む体の不自由な高齢者や犯罪者たちは、引きつり笑いを起こす薬草を飲まされて中毒を引き起こした後、高所から突き落とされたり殴打されたりして殺されていたという。

10年ほど前、サルデーニャ島の羊飼いがドクゼリを食べて自殺するという事件が起こった。このとき発見された死体の顔はニヤリと笑っており、それが人目を引いたという。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/1263/
0382世界@名無史さん
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2021/08/16(月) 18:08:42.650
>このように見事な色に布地を染め上げる技術は、実はフェニキア人の専売特許であった。

紫をフェニキアというのは違和感あるな

それ以前からシドン、カナン地方の名産品だったんだから
後からきたフェニキア人のもんではない
0383世界@名無史さん
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2021/08/16(月) 21:51:30.060
セム語のベイズ系統発生分析は、近東のセム語の青銅器時代初期の起源を特定します


公開日:2009年4月29日
https://doi.org/10.1098/rspb.2009.0408

概要

言語の進化は、人口の歴史を研究するためのユニークな機会を提供します。セム語の起源とセム語を話す人々による分散の性質は、中東とアフリカの角の古代史を理解する上で非常に重要です。セム族の人口は、この地域で最も古い書記言語と都市文明に関連しており、世界で最初の主要な宗教的および文学的な伝統のいくつかを生み出しました。
この研究では、進化生物学で最近開発されたベイジアン計算手手系統学技術を使用して、言語の進化をモデル化し、セム語の歴史の対立仮説を明示的にテストすることにより、セム語の語彙データを分析します。リラックスした言語時計を実装して言語の相違を日付付けし、絶滅したセム語のサンプリング日付の碑文の証拠を使用して、言語の進化の速度を調整します。
代替のセム族の歴史に関する私たちの統計的検定は、競合する仮説(例えば、アフリカのセム族の起源)をめぐる先祖のセム族からのアッカド語の最初の相違を裏付けています。約5750年前のレバントにおけるセム語の青銅器時代初期の起源を推定し、さらにアフリカの現代のエチオピア言語は、約2800年前のアラビア南部からの初期エチオピアの単一の導入を反映していることを提案します。セム族のアフリカ起源)。
約5750年前のレバントにおけるセム語の青銅器時代初期の起源を推定し、さらにアフリカの現代のエチオピア言語は、約2800年前のアラビア南部からの初期エチオピアの単一の導入を反映していることを提案します。セム族のアフリカ起源)。
約5750年前のレバントにおけるセム語の青銅器時代初期の起源を推定し、さらにアフリカの現代のエチオピア言語は、約2800年前のアラビア南部からの初期エチオピアの単一の導入を反映していることを提案します。
0386世界@名無史さん
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2021/08/17(火) 06:18:59.590
【3600年前のスウェーデンのオノがキプロス産の銅で作られていることを発見、昔から長距離間で貿易が行われていた証拠のひとつに】

スウェーデンで発掘された3600年前のオノを分析したところ、オノの原料にスウェー
デンからはるか離れたキプロス産の銅が使われていることが判明しました。この発見
に伴って、スウェーデンの古代の壁画が、現地で使われていた小舟を描いたものでは
なく、地中海からスカンジナビア半島へ銅を運ぶための貿易船の絵であることが明ら
かになっています。

ヨーロッパで発見されている青銅器時代の銅製の道具は、同位体分析により、ほとん
どがシチリア島、サルジニア島、イベリア半島、キプロス島原産の銅で作られている
ことが判明しています。

また、スウェーデン国内では、船の絵が描かれた壁面彫刻が大量に見つかっていて、
これまでは現地で使われていた小舟の絵だと推測されていました。しかし、今回の発
見により、船の絵は貿易船を描いたもので、古代スカンジナビアと地中海で貿易が行
われていた証拠であると見られています。

当時スカンジナビアでは銅が非常に貴重で、一方でミケーネ文明や有史以前の中東地
域では、琥珀が黄金と同じくらい大切にされていたため、スカンジナビア産の琥珀と
地中海の銅が物々交換されていたと考古学者は推測しています。
https://gigazine.net/news/20160522-swedish-axe-copper-cyprus/
0387世界@名無史さん
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2021/08/17(火) 07:18:00.560
インド・ヨーロッパ語族に関して

・ 「アナトリア仮説」
【南スペイン7500年前の女性 なぜ?トルコのDNAが9割】
アナトリア起源の遺伝子

研究者が最も興奮したのは、DNAから明らかになったカルペイアの出自だ。カルペイアのゲノムのうち、イベリア半島に由来するものはわずか10%、残りの90%はアナトリア(現在のトルコ)に起源を持っていたのだ。新石器時代のアナトリアの農耕民は、黒い瞳に明るい肌という遺伝子を持つ割合が高かった。対照的に、中央ヨーロッパから西ヨーロッパにかけての狩猟採集民は、暗い肌に明るい目を持つ。

農耕と牧畜の生活様式が芽生えた「新石器革命」は、世界のいくつかの地域でほぼ同時期に起きたと考えられている。アナトリアはそうした地域の一つだった。農耕と牧畜の技術はそこから西へゆっくりと広がり、地中海世界やヨーロッパに普及していった。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO60540420Z10C20A6000000/

・ 「クルガン仮説」
【謎の男性大量流入 4500年前のスペインで何があった】
男性はすべて置き換わっていた

イベリア半島の古代人の遺伝子構成は、青銅器時代に劇的に変化し始めた。紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々に結びつく遺伝子が、イベリア半島の人々から検出され始める。その後、古代イベリア人のDNAの多くが、ステップ地帯の人々のDNAで置き換えられた。

インド・ヨーロッパ語族の起源はステップの人々だったという仮説がある。その「ステップ仮説」(クルガン仮説ともいう)では、ステップの人々はほぼ同時期に、東はアジアへ、西はヨーロッパへと広がったとされる。今回の論文は、彼らがイベリアにも到達していたことを示している。その前後で、イベリアの人々の60パーセントにはステップ由来の遺伝子が加わらなかったが、Y染色体は紀元前2000年までにほぼ置き換わった。Y染色体を持つのは男性のみであるため、ステップ地帯から男性が大量に流入したことが示唆される。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO42677660Z10C19A3000000/
0388世界@名無史さん
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2021/08/17(火) 07:18:01.150
インド・ヨーロッパ語族に関して

・ 「アナトリア仮説」
【南スペイン7500年前の女性 なぜ?トルコのDNAが9割】
アナトリア起源の遺伝子

研究者が最も興奮したのは、DNAから明らかになったカルペイアの出自だ。カルペイアのゲノムのうち、イベリア半島に由来するものはわずか10%、残りの90%はアナトリア(現在のトルコ)に起源を持っていたのだ。新石器時代のアナトリアの農耕民は、黒い瞳に明るい肌という遺伝子を持つ割合が高かった。対照的に、中央ヨーロッパから西ヨーロッパにかけての狩猟採集民は、暗い肌に明るい目を持つ。

農耕と牧畜の生活様式が芽生えた「新石器革命」は、世界のいくつかの地域でほぼ同時期に起きたと考えられている。アナトリアはそうした地域の一つだった。農耕と牧畜の技術はそこから西へゆっくりと広がり、地中海世界やヨーロッパに普及していった。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO60540420Z10C20A6000000/

・ 「クルガン仮説」
【謎の男性大量流入 4500年前のスペインで何があった】
男性はすべて置き換わっていた

イベリア半島の古代人の遺伝子構成は、青銅器時代に劇的に変化し始めた。紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々に結びつく遺伝子が、イベリア半島の人々から検出され始める。その後、古代イベリア人のDNAの多くが、ステップ地帯の人々のDNAで置き換えられた。

インド・ヨーロッパ語族の起源はステップの人々だったという仮説がある。その「ステップ仮説」(クルガン仮説ともいう)では、ステップの人々はほぼ同時期に、東はアジアへ、西はヨーロッパへと広がったとされる。今回の論文は、彼らがイベリアにも到達していたことを示している。その前後で、イベリアの人々の60パーセントにはステップ由来の遺伝子が加わらなかったが、Y染色体は紀元前2000年までにほぼ置き換わった。Y染色体を持つのは男性のみであるため、ステップ地帯から男性が大量に流入したことが示唆される。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO42677660Z10C19A3000000/
0389世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/17(火) 21:41:16.060
前2500年前
コーカサス地方の銅採掘人がイベリアの情報を掴んでそこを支配し、シュメールに売ったのだろう
だからバスク人に近い言語の民族がそれ
フルリ人と関係がある民族だろう
0390世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/17(火) 21:53:05.840
>>386
うっぉ、そうなのか

ウルブルンのインゴットの分析の資料読んでたとき
沈没船のモノとスカンジナビアのやつの組成が一致してたんで
てっきりスカンジナビアから輸出してたのかと思ってたが
まさかそんな結論だったのか

というか、輸出品があんまり思い浮かばないので
せいぜい琥珀ぐらいか
他にはなんかあったんじゃろか
0391世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/17(火) 22:20:41.250
フェニキア人の仕業ぢゃ!
奴等、冒険王か海賊王でも目指してたんかな
0392世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/17(火) 22:40:07.850
キプロス発展以前の中東の銅はどうだったんだろうか?
洒落じゃなくてね
0393世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/17(火) 22:48:22.800
マガンだったっけかな
インド人もびっくりだった気がします
0394世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/18(水) 02:36:34.940
【Y染色体の詳細な分析に基づく新石器時代のヨーロッパ西部への農耕民の拡大経路】

アナトリア半島からヨーロッパ西部への新石器時代集団にとっての、地中海とドナウ川に沿った異なる2経路を示せます。地中海由来の集団は、最終的にブリテン島とアイルランド島にも到達しました。

YHg-H2d個体は全員、ヨーロッパ中央部へのいわゆる内陸部・ドナウ川経路沿いで見つかり、YHg-H2mは1個体を除いて全て、ヨーロッパ西部とイベリア半島と最終的にはアイルランド島へのいわゆる地中海経路で見つかりました。
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_8.html
0395世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/18(水) 03:43:16.630
【古代イスラエル、ソロモン王の銅山の証拠発見か】
栄華極めた聖書の王、長距離交易の痕跡も、動物の糞を分析

聖書に登場する王のなかでも、栄華を極めたことで知られるソロモン王。その富はどこからやってきたのかという長年の論争に、イスラエルのティムナ渓谷で発見された3000年前の動物の糞が新たな火種を加えようとしている。(参考記事:「古代イスラエル 消えた王国」)

「2013年にプロジェクトを始動するまで、この採掘場は紀元前13世紀から12世紀初頭の青銅器時代後期のもので、新王国時代のエジプトと関わりがあったと考えられていました」と、ベン・ヨセフ氏。この時期に、エジプト人がこの場所にいたことを示す明らかな証拠は存在する。また、近隣のティムナ渓谷公園には、古代エジプト人の姿が描かれた絵が今も残されている。(参考記事:「出エジプト描いた貴重なモザイク画が出土」)

しかし、精度の高い放射性炭素年代測定による分析に加えて、同じ場所で見つかった織物やその他の動植物由来の遺物から、採掘場が栄えていたのは紀元前10世紀頃だったことが明らかになった。ちょうど、聖書に登場するダビデ王とその息子のソロモン王の時代である。(参考記事:「冷戦中の核実験が、象牙密猟の証拠を提示」)

 1997年に、レビ氏は数カ年計画でヨルダン南部にあるヒルバト・アッナハスを発掘し始めた。グリック氏が古代の銅採掘の中心地だったと考えていた場所だ。レビ氏のチームは銅の精錬時に出たゴミの層を6メートル以上掘り下げて、ようやくその下の手つかずの土壌へたどり着いた。つまり、この場所で大規模な銅の生産が行われていたことを示している。

奴隷の丘からは、鉱物を精錬した後の残留物が1000トン以上も見つかっている。これは、古代の都市か王国ひとつ分の産業規模に相当する生産が行われていたことを示唆している。イスラエル人かエドム人の文明が紀元前10世紀にそこまで発達していたかどうかはまだ議論の対象ではあるが、ベン・ヨセフ氏は今回の発見に期待を寄せている。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/040500127/?P=1
0396世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/18(水) 04:01:36.550
上の記事で分かりにくい文章の切り取りになりましたが 、

@イスラエルのティムナ渓谷にある「奴隷の丘」
この上の古代採掘場跡で、3000年前の糞が見つかった。
ここには銅の採掘場や精錬場の跡が点在している。

Aヨルダン南部にあるヒルバト・アッナハス
人里離れたヨルダンのこの場所では、銅の原石を簡単に手にすることができる。
考古学者のトーマス・レビ氏は、ここで古代の採掘場跡を発掘した。

1930年代、米国人考古学者のネルソン・グリック氏が「アラバの谷」を調査していた時に、その鉱山跡を発見したと公表した。
アラバの谷とは、死海の南から紅海まで伸びる地質学的裂け目のことで、現代のイスラエルとヨルダンの国境になっていて、銅が多い。
https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2Fcontent%2Fpic%2F20170417%2F96958A9F889DE3E7E2E1E0E3EAE2E2E5E2E6E0E2E3E5E2E2E2E2E2E2-DSXZZO1503495007042017000000-PB1-9.jpg?auto=format%2Ccompress&;ch=Width%2CDPR&ixlib=php-1.2.1&w=630&s=ee2f89b86bc64de5f4a41042c206f0d6
0399世界@名無史さん
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2021/08/18(水) 13:44:56.860
>>398
おけ
0400世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 00:52:36.140
西アジアで最古級の錫青銅は、アッカド地方のキシュ遺跡(現代名ウハイミル)で、初期王朝時代VB期(約4400年前)のA墓地に副葬された斧である。この青銅斧には、錫が15.5%含まれていることから、錫青銅の精錬技術においてまだ初歩的な段階にあったと推定されている。

錫青銅の原料となる錫は、比較的メソポタミアの近場で採掘できた銅とちがい、かなり遠方に行かないと手に入らない。良質な錫の産地は、イラン東部からアフガニスタンにかけての地域に限定される。したがって、メソポタミアの支配者たちが東方の資源を開発するには、陸上交易網の整備を待たねばならなかったのである。
0401世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/19(木) 01:07:51.620
【洪水で発見、イランの未知の文化 歴史書き換える?】

2001年、骨董品市場に突然、大量の考古学的遺物が売られはじめた。独特な宝石や、武器、精巧な作りの陶器、酒器、ゲームボードなど、いずれも芸術性が非常に高く、カーネリアン(紅玉髄)とラピスラズリの見事な象眼細工が施されていた。

2002年、イラン警察がその謎を解いた。数人の密売人を逮捕し、大量の工芸品を押収したのだ。その大半が、イラン南東部のジーロフトという地方都市から40キロほど南のハリル川渓谷で盗掘された遺物だった。

盗掘のきっかけは2001年初めの洪水だった。ハリル川が氾濫して周辺の土地が浸食されたことで、古代の共同墓地の遺跡が露出したのだ。地元の人々や盗掘者たちは遺物の価値をいち早く見抜き、収集と販売にのり出したというわけである。

ジーロフト遺跡で発見された芸術作品の複雑さと美しさに、考古学者たちは感嘆した。数百点の器に見られる装飾的な図像は象徴性に富み、サソリ、雄牛、ワシ、ヘビ、大洪水などのモチーフには、メソポタミアの伝統的なモチーフとの強い類似が見られた。

2003年、密売人から押収された膨大な考古学的遺物のコレクションを調べたマジシザデー氏は、興味深い仮説を提唱した。遺跡の観察と古代メソポタミアの楔形文書の研究を根拠に、古代のジーロフト近郊にあった都市は、数多くのシュメールの詩でその富を讃えられた都市「アラッタ」であると主張したのだ。

ある古代文献には、アラッタとメソポタミアの都市ウルクとの紛争について記されている。記述の中のアラッタは活気に満ちた場所で、「城の胸壁は緑色のラピスラズリで、高く積まれたレンガは鮮やかな赤い色をしていて、レンガ用の粘土は山から掘り出された錫(すず)石から作られている」と説明されている。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO69833220Q1A310C2000000/?channel=DF260120166526
0402世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 01:22:50.700
【青銅器時代のイラン-メソポタミア交易ルートが判明】

テュービンゲンの研究者とイラン人考古学者は、青銅器時代のイランとメソポタミアの間で原料の交易が行われていた証拠を発見しました。

考古学者はペルシャ湾からそう遠くないイランのケルマーン県にて、メソポタミアの彫像に使われているものと一致する閃緑岩と斑れい岩を発見しました。同じ地域にて考古学者は、遠くメソポタミアやレバントまで交易されていた石の器を作るのに使用された緑泥石の堆積物をも発見しました。これらの堆積物付近で、研究者はペトログリフと、石が切り出された時期がイラン南東部のジーロフト文化(紀元前約3000~2000年)の頃であり、近東を横切って取引されていたことを示す青銅器時代初期の集落跡を発見しました。
http://mystery-hunter.net/?p=1044
0403世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 01:32:24.880
交易活動を広く行ったアッシリア商人達にとって取り分け重要だったのは、ロバを用いたバビロニアとアナトリアの間の中継貿易であり、その拠点としてアナトリア半島のカネシュなど交易先の各地の都市に隣接して商業植民市カールム(港湾区)と呼ばれる商業拠点集落を数多く形成していた。

アッシリア商人は、バビロニア産のヒツジの毛織物や、ザグロス・バクトリアの錫をアナトリアで売買して利潤を得た。

ことに青銅器の急激な普及によって、その製造に必要な錫の需要が高まっていたことは、アッシリア商人が躍進した原因の一つである。
0404世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 02:39:29.320
紀元前4世紀の歴史家のエフォラスは「タルテッソスと呼ばれる非常に繁栄した市場があり、川を下ってケルトの土地から運ばれてくる錫、そして金、銅で溢れている」と記す。

イスラエルの ハイファ (Haifa) の海岸沖で見つかった錫のインゴットが コーンウォールから供給されたことを裏付けるアイソトープ (同位体) の証拠 (isotopic evidence) がある。
0405世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/19(木) 03:39:43.170
>>396
ヒルバト・アッナハス(アラビア語で「銅の廃墟」の意)ですか

前にラクダの導入時期の記事では
アラバ渓谷の銅精錬所跡となっていたので
奴隷の丘の方なんでしょうね


発見された土器はエドム王国のものとされてるそうな
ヨルダン地溝帯は東アフリカ大地溝帯の延長で沈んでるとみればよさそうですね
河川浸食なのかと勝手に考えてましたがそれより
古い鉱山向きの地層ではないでしょうか
0406世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 03:46:30.110
>>386
琥珀の道みたいにめっちゃ偉そうに記載されてるから
勝手に確立した輸送ルートを想定してましたが
そもそもそれ自体も怪しい気がしてまいりました

王の道も疑ってかかろう
0407世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 04:58:48.950
【青銅器時代の王族の墳墓発掘、黄金の装飾品など出土 ギリシャ】

ギリシャ南西部のピュロスで、青銅器時代の王族のものとみられる2つの墳墓が発掘され、内部から黄金製の装飾品などの遺物が見つかった。古代ギリシャの人々の生活に新たな光を当てる発見とみられている。

米シンシナティ大学の考古学者らが17日に首都アテネで公表した。1年半にわたる発掘の結果、2頭の牛と穀物の束の図柄を彫った金の指輪や、死者を守るエジプトの女神の姿をあしらった金のペンダントなどの装飾品が見つかったという。

このほか、墳墓では琥珀(こはく)とアメジストも見つかった。それぞれバルト海周辺地域とエジプトからもたらされたもので、発掘を統括したシンシナティ大学のシャロン・ストッカー氏によると、ピュロスが青銅器時代の交易ルートにおける重要な地点だったことを示しているという。
https://www.cnn.co.jp/fringe/35147102.html
0408世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 05:07:35.630
【発掘された黄金の墓が物語る、古代ギリシャ文明の新たな一面】

ギリシャ本土の南部にある古都ピュロスで、二つの大きな墓が発掘された。出土品は、古代ギリシャの最古の文明の一つ、ミケーネ文明の初期に、この都市がこれまで考えられていた以上に大きな役割を果たしていたことをうかがわせている。

今回のピュロスでの発見は、ミケーネ時代の初期に、この古都がもっと大きな役割を果たしていたのではないかという問題を提起した。都市ミケーネを超える力を持っていた可能性があるのだ。

今回のピュロスでの新たな発見の意義は大きい、とラッターはいう。ニューヨーク市立大学クイーンズ校の考古学者マイケル・ネルソンは、ピュロスがすでにミケーネ文明初期に強大な力を持っていたと長らく唱えてきたが、専門家の間で論争にもなっていた。そのネルソン説が、これで裏付けられることになる。
https://globe.asahi.com/article/13085651

https://p.potaufeu.asahi.com/a32c-p/picture/19886705/231894bcb0b85d5274940462977ea69c.jpg
再建された古都ピュロスのトロス式墳墓=Department of Classics, University of Cincinnati via The New York Times/©2019 The New York Times。この形式の墓が新たに二つこの都市で発掘され、貴重な埋蔵品も見つかった
0409世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 05:24:29.910
ヌラーゲは主に"I protonuraghi"(プロトヌラーゲ)と"I nuraghi a tholos"(トロス式ヌラーゲ)の2つのタイプに分けられる。

初期ヌラーゲ時代(紀元前1800年〜1500年)ではプロトヌラーゲ(初期に建造されたヌラーゲの原型)が建造されており、サルデーニャ島で一番最初に建造されたヌラーゲがメディオ・カンピダーノ県のGesturi(ジェストゥリ)市にあるプロトヌラーゲのBruncu Maduguiと言われている。

そして中期青銅器時代(紀元前16世紀〜15世紀頃)になるとトロス式ヌラーゲが現れるようになる。

エトルリア、ギリシャ、キプロスなど地中海沿岸各地で、ヌラーゲ文明の陶器やブロンズ像が見つかっています。
0410世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 05:53:43.250
蜂窩状墳墓(ほうかじょうふんぼ、beehive tomb)は、石(まれに泥レンガ)を環状に徐々に小さくなるように積み上げた擬似アーチ形状を特徴とする墳墓構造である。
円形墳墓(トロス、 tholos tomb)とも呼ぶ。

・ ギリシャ
その起源は不明だが、擬似ドーム状でない単なる円形墳墓(トロス)はクレタ島のミノア文明初期に見られ、青銅器時代中期には自然の地形を利用した墳丘墓が各地に見られることから、これらから発展したものではないかと言われている。概念的には、同時代のミケーネの遺跡で多数見つかっている石室墓と近い。
初期の蜂窩状墳墓は、ギリシャのペロポネソス南西部のメッセニアや、同じくペロポネソス北東のトロイゼーン近郊で見つかっている。
紀元前1500年以降、蜂窩状墳墓が数多く造られるようになり、ミケーネ文明の中心地域全体に見られるようになる。

・ レバントとキプロス
中東でも円形の建築物は多く、新石器時代のハラフ文化に見られる円形の建築物もトロスと呼ばれている。
キプロスのヒロキティアで見つかった円形の建築物は住居として使われていた。

・ 南ヨーロッパとサルデーニャ島
イベリア半島の銅器時代(紀元前3000年ごろ)の遺跡として、様々な巨石記念物に混じって蜂窩状墳墓も見つかっている。スペインおよびポルトガルの南部によく見られ、ポルトガル中央部やフランス南東部では異なる形式の墳墓(特に人工的な洞窟)がよく見られる。Los Millares の文明やそれに続く青銅器時代の El Argar の文明で、特に蜂窩状墳墓がよく見られる。
ヌラーゲと呼ばれる印象的な石造りの建築物は、サルデーニャ(イタリア)の青銅器時代のものだが、コルシカ島南部にも似たような建築物がある。
バンディタッチャのネクロポリスにあるエトルリア式の墳墓は紀元前7世紀から紀元前6世紀に造られたものだが、外観が蜂窩状墳墓に似ている。
0411世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 08:02:07.010
サルデーニャ- Wikipedia より

少しわかっていることは、エジプトの碑文に「海の民」という意味の名前で登場する人々を指しているということである。
その碑文の研究によると、彼らは、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアに行く者に分かれた、ということである。

ここから私見ですが、

クレタ島(紀元前18世紀頃)→
アナトリア(ルッカ人)→ギリシャのペロポネソス半島(アカイア人=ミケーネ人)
→イタリア半島(エトルリア人)→シチリア島(エトルリア人=ティレニア人)
→サルデーニャ島(ヌラーゲ人=シャルダナ人?)

鉄器時代のシケル人とシカニ人は(メサピア人と共に)先住していた前インド・ヨーロッパ語族(ティレニア人)を征服したイリュリア人の集団で構成されていた可能性がある。
一般的な推定では、シケル人はシカニ人よりは後からシケリアに渡ってきており、彼らが青銅器時代のシケリアに鉄と家畜化された馬を持ち込んだと考えられている。

ルウィ人(ルウィ語族)は紀元前14世紀のアマルナ文書でエジプトに侵犯する人々として
ルッカ人・シャルダナ人が登場します
個人的な意見として、海賊・略奪行為が目的ではなくエジプトに植民地を作る為だった
のではと推測します

ルウィ人(ルウィ語族)は地中海交易のネットワークを築こうとしたのではないでしょうか

アナトリア→ギリシャのペロポネソス半島→イタリア半島→サルデーニャ島(⇄イベリア半島)
→シチリア島→リビア→エジプト→レバント→アナトリア
0412世界@名無史さん
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2021/08/19(木) 18:59:41.260
>>401
お宝は悪人に売ったほうが利益が大きい
は万国共通か
善人は感謝の姿勢とかつくろっても利益を与えない
0413世界@名無史さん
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2021/08/20(金) 00:59:26.410
ヌラーゲ文明に

「モンテプラマの巨人」- 高さ2m60cmにもなる巨人の石像
「巨人の墓」 - 縦の長さが25m以上ある墓
ペリシテ人の巨人兵士ゴリアテ、ギリシャ神話の巨人アルゴスと関係あるかもしれません

ブロンズ像
http://3.bp.blogspot.com/-WszVSC81Rw8/TbrIUE6mJ8I/AAAAAAAAAOc/kXEcZ85mKrU/s1600/IMG_7370.JPG
ウガリットやビブロスで発見された像と同じ右手を上げています

円形墳墓(トロス)
地中海周辺や西南アジアのいくつかの文化に見られるが、墳墓としてではなく住宅(キプロス)や礼拝所(シリア)や要塞(スペイン、サルデーニャ)として使っていた例もあるようです

エトルリア、ギリシャ、キプロスなど地中海沿岸各地でヌラーゲ文明の陶器やブロンズ像が見つかっています
0415世界@名無史さん
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2021/08/21(土) 02:29:05.470
青銅には銅と錫が必要である
青銅器時代にカナン地方は何処から錫を入手していたのだろうか?
メソポタミア経由で入手していたのでしょうか?
良質な錫の産地は、イラン東部からアフガニスタン(ザグロス・バクトリア)にかけての
地域に限定され、メソポタミアもさらに東方から入手していたようです

メソポタミア東方のイラン南東部にジーロフト遺跡が見つかり、メソポタミアとの交易
だけではなく近東を横切ってレバントまで交易されていた可能性を示唆しています
フルリ人がカナン地方にまで辿り着いた理由は錫と関係があるのではないでしょうか?
フェニキア人の先住民はフルリ人の可能性も指摘されています
0416世界@名無史さん
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2021/08/21(土) 03:28:17.220
ギリシャのペロポネソス半島のピュロスは、青銅器時代の交易ルートにおける重要な地点
であり、都市ミケーネを超える力を持っていた可能性を示唆されています

ピュロスはホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に書かれているネストール王の宮殿が
あった場所とされています
ネストールは、ギリシア神話の人物であり、トロイア戦争におけるギリシア軍の武将の一人です
https://p.potaufeu.asahi.com/a32c-p/picture/19886705/231894bcb0b85d5274940462977ea69c.jpg
(再建された古都ピュロスのトロス式墳墓)

ペロポネソス半島のアルゴス地方のデンドラで発掘されたトロス式墳墓で、エジプトの
レリーフのシャルダナ人の鎧と類似したものが発見されています
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/Dendra_tholos_tomb.JPG/450px-Dendra_tholos_tomb.JPG
(The Tholos Tomb at Dendra)

ヌラーゲ文明のブロンズ像はエジプトのレリーフのシャルダナ人の兜と縦に類似しています
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ab/Bronzetto_nuragico_Sulcis.jpg/250px-Bronzetto_nuragico_Sulcis.jpg
(Sardinian bronze statuette of a Nuragic warrior)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Bronzetto_sardo_2.JPG/346px-Bronzetto_sardo_2.JPG
(Sardinian bronze statuette of a Nuragic archer)

フェニキア人が扱っていた銀は当初、アナトリア半島産とサルデーニャ島産でした

カルタゴのビュルサの丘の遺跡で発掘された“アーチー”のハプログループの「U5b2c1」 は
サルデーニャ島のモンテシライ(Monte Sirai)遺跡では、同じハプログループ が確認されています
0417世界@名無史さん
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2021/08/21(土) 04:33:35.830
青銅は銅に錫を混合することによって作られますが、エジプトでは錫の産地は発見されていません
つまり、エジプト以外の土地との錫あるいは青銅の交易がおこなわれていたことになります

ルウィ人の「ルッカ」は古代ギリシャ語で「リキア」となり「光の国」という意味だそうです
"光"から銀と関連がある可能性があるかもしれません

ギリシャのペロポネソス半島のアルゴスは、インド・ヨーロッパ祖語のarg-(転じてargyrosは
銀の意味)を語源とする形容詞のargos(ちらちら光る、動きの速い)で、「明るく輝く」または
それに類似する意味を持ちます

サルデーニャ島は銀の産地であり、今日でも金と銀の鉱山が島内で操業しています
0418世界@名無史さん
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2021/08/21(土) 05:06:00.120
フルリ人社会は多くの点において起源は謎となっている。紀元前2400年頃までにはフルリ人はコーカサス山脈の麓の丘陵地帯から拡大をしていたかもしれない。次の世紀になるとフルリ人の人名は北メソポタミアと現代のイラクのキルクーク周辺の地域で散見されるようになる。それらはヌジ(Nuzi)、ウルケシュ(Urkesh)、その他の遺跡で確認される。彼らはハブール川流域からザグロス山脈の麓まで達する弧状の肥沃な農業地帯に浸透してこれを占拠した。

フルリ人は冶金について高い評価を得ていた。シュメール人はフルリ語の中から銅を意味する単語を借用した。銅はアナトリアの高地からメソポタミアへと運ばれ取引された。ハブール川流域は金属、銅の交易ルートの中心に位置していた。銀や錫の交易でも、アナトリア方面のフルリ人国家、キズワトナやイシュワからアクセスができた。ただし金は不足しており、エジプトからの供給に頼ったことがアマルナ文書から分かる。
0419世界@名無史さん
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2021/08/21(土) 15:42:40.140
スペインに同鉱山が合ったからシュメールエジプトの農耕革命、測量貨幣の発展の時代にそこが侵略された
「男系が完全に塗り替えられる」てのを起こしたのは東からきたコーカサスにちかい民族
膠着語、バスク人の元になった民族か
それが膠着語のフルリ人と関係があるのだろう
0420世界@名無史さん
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2021/08/21(土) 22:40:19.530
ギリシャ南西部のピュロスで、青銅器時代の王族のものとみられる2つの墳墓が発掘され、
墳墓ではバルト海周辺地域からの琥珀(こはく)も見つかっています
後に南下してくるドーリア人と呼ばれる民族と既に交易があったのかもしれませんね

ピュロスのネストール宮殿は紀元前12世紀に火事により廃墟となりました
0421世界@名無史さん
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2021/08/21(土) 23:32:35.560
フェニキア人はカナン人とルウィ人で構成された民族であったと個人的に思います
ルウィ人の交易ルートであったギリシャのペロポネソス半島はドーリア人との関係で
使えなくなったのではと推測します

代わりにクレタ島南部沿岸のコモスでフェニキア人の聖堂や大量の巻貝(ミュレックス)の
跡が見つかっています
0422世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 00:00:17.700
Apiru/Habiru(アピル/ハビル)と呼ばれた集団にフルリ人、セム人(セム語族)、
ルウィ人(ルウィ語族)、そしてカッシート人が含まれていたという説があるようです

カッシート人の故地については、ザグロス山脈周辺からメソポタミアに侵入したと言う説が有力ではあるが、確実ではない。
カッシート人の記録が最初に登場するのは紀元前18世紀頃のバビロン第1王朝時代の事であり、傭兵や農業労働者として記録されている他、カッシート人との戦闘の記録が残されている。
彼らがバビロニアに作った王朝はバビロン第3王朝(カッシート王国、カッシュ朝等とも)と呼ばれ、バビロニアの歴史上最も長く続いた王朝であり、また当時エジプト、ヒッタイト、ミタンニ等と並ぶ強国として勢力を振るった。
カッシートとエジプトの間でやり取りされた外交書簡(アマルナ文書)が現存しており、当時の外交関係を知る上で貴重である。
0423世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 00:09:31.650
>>421
そらフェニキアがそこらじゅうを支配してたからだろ
渦巻模様の土器はキプロス式と言われるがあれがフェニキア
0424世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 00:23:24.650
重要なのは船
アッシリア海軍として描かれるフェニキアの櫂船
https://www.alamy.com/stock-photo-detail-from-wall-relief-of-assyrian-warships-700-692-bce-from-nineveh-104020340.html
https://www.alamy.com/stock-photo-wall-relief-of-assyrian-warships-700-692-bce-from-nineveh-south-west-104003243.html

これがヤバい攻撃力をもってるのはその後の歴史を見ても明らかで
だったら「誰が最初にこれを作り出したか?」で暗黒時代がどういうものかわかる
それはフェニキアでありアラム人に文字と富を与えた民族であり、イスラエルを栄えさせた民(ソロモンの栄華は事実)
ヘロドトスはアラブ人と言ってる
エジプトと友好的でもなく、土着のカナンでもなく、ギリシャに友好的でもなく海から来た民でもない
0425世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 02:21:24.130
ヘロドトスの歴史など、ギリシャ語起源の話しにはイスラエルに関する記述がないように見えます。レバントは地域としてはフェニキアと呼ばれています。登場するのもフェニキア人です。イスラエル人の残したエレファンティネのパピル文書の文字はアラム文字と呼ばれたりします。

ギリシャ人はレバントをフェニキアと呼んでイスラエル人やヘブライ人を記録していないようです。
ヘロドトスの時代(紀元前5世紀)にはイスラエル人の国はなく、ペルシャによってバビロン捕囚から解放されてレバントへの帰還を果たしていました。

ヘロドトスはフェニキア人の由来についてペルシアの博識者の言を載せています。カナンのフェニキア人はトロイ戦争に先立って紅海方面から来て定住したとしています。定住すると直ぐに長距離の航海を行って地中海沿岸で商売をしたと言うことです。
0426世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 02:43:51.860
フェニキア人の錫の入手ルートの説の一つに、
大西洋に面したのブルターニュのウェネティ族がコーンウォールの錫を入手し、
陸路を経由して輸送されていたのではということです

ヨーロッパで発見されている青銅器時代の銅製の道具は、同位体分析により、
ほとんどがシチリア島、サルジニア島、イベリア半島、キプロス島原産の銅で作られて
いることが判明し、バルト海周辺地域からの琥珀(こはく)がギリシャ南西部のピュロス
で見つかっていることから、何処かに地中海とバルト海周辺地域を結ぶルートが存在した
のだと思います
0427世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 05:44:08.020
エトルリア人の起源
古代ギリシャの歴史家ヘロドトス(紀元前485年ころ〜紀元前420年ころ)は、エトルリア人が小アジアの国家、リュディア(現トルコ西部)からやって来たという伝説を記しています。

「…いくらかたっても飢饉は改善されず、そこで彼らはくじ引きをして、住民の半分は次の日にゲームをせずに食事をすることとした。こうして彼らは18年間を切り抜けたが、事態は改善されず悪化していった。このため王はすべてのリュディア人を2つのグループに分け、くじ引きによってどちらか一方が移民することとし、自身を居残り派の長に、彼の息子ティレヌス(Tyrrhenus)を出発部隊のリーダーに指名した。離郷くじを引いた人々はスマルナ(Smyrna、現イズミルの一部、トルコ西部、エーゲ海に面する)に下り、船を建造して持ち物をすべて積む込み、生き延びる土地を求めて船出した。多くの島々を通り過ぎた後、イタリアのウンブリア(トスカーナ東隣り)に到着し、そこで都市を建設、指導者である王の息子ティレヌスにちなんで、自らをリュディア人ではなくティレニア人と称し、現在に至るまでそこに住んでいる…」(注:ここでティレニア海の名前の由来が語られています。)
0428世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 05:45:57.790
エトルリア人起源についてはその他、紀元前13〜14世紀の海洋民族に求める説など様々ありますが、現代においてはDNAを使った調査も多く行われています。

2007年、トリノ大学のアルベルト・ピアッツァ教授のチームは、トルコ、イタリア北部、ギリシャのレムノス島、イタリアのシチリア島とサルディーニャ島、それにバルカン南部の住民についてDNAを比較しました。結果、トスカーナ住民のそれは周囲のイタリア人と著しく異なっていること、トスカーナのなかのムルロ(人口約2,000人の町、シエナの南約1.5qに位置する)とヴォルテッラはトルコと最も近い関係にあること、特にムルロにおける遺伝子の一変体はトルコだけが共有することがわかったのです。

イタリアの別のチームは、トスカーナの牛のDNAが、イタリアの別の場所で通常見られる牛とも、ヨーロッパ全域の牛とさえも異なっていることを発見しました。そのDNAは近東で見られる典型的な牛のそれと類似していたのです。古代において移民した多くの種族は家畜を伴って移動するのが普通でした。この牛のDNAに関する研究は少なくとも、エトルリア人の祖先となる人々がアナトリア、あるいは近東の別の場所からイタリアに来たことを示唆しています。
0429世界@名無史さん
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2021/08/22(日) 06:42:45.950
http://koekisi.web.fc2.com/koekisi1/img020.gif
フェニキア人の交易ルート

http://koekisi.web.fc2.com/koekisi1/img050.jpg
タルシシュの船と呼ばれる船
シドン旧港サルコファガス(石棺)に彫られたフェニキア人の船
http://koekisi.web.fc2.com/koekisi1/img051.jpg
シドンのコイン、前342-341
http://koekisi.web.fc2.com/koekisi1/img052.jpg
フェニキアの商船と絞り綱
出所:クレンゲル前同、p.281
http://koekisi.web.fc2.com/koekisi1/img054.jpg
フェニキアの二段櫂船
ニネヴェ・センナケリブ宮殿出土、前700頃
0431世界@名無史さん
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2021/08/23(月) 20:49:20.750
>>428
もともとイタリアに印欧語系民族がいたんだろうがそれが何なのかわからん
それにレバント付近の民族がフェニキアによって混ぜられ語順入れ替え可能な言語になった?
そこにゲルマンとかちょいまじって安定した印欧語になったのか
0432世界@名無史さん
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2021/08/23(月) 20:50:20.340
ローマ人ラテン語系がノアの子ヤペテの子孫の範囲に含まれていないが
ピシン言語みたいなもんだったのか
0433世界@名無史さん
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2021/08/24(火) 23:52:04.290
【フェニキア(古代東地中海・近東)の船と「海の民」の侵略】

後期青銅器時代(紀元前1550年頃〜紀元前1200年頃)までに古代オリエント文明に属する地中海沿岸地域にはウガリット(Ugarit)やビブロス(Byblos)などの都市国家が栄え、エジプト、ヒッタイト帝国(現在のトルコ地域)、そしてエーゲ海の国々との海上貿易が盛んに行なわれていました。

この現在のシリア、イスラエル、レバノンあたりを「フェニキア」、そこに住んでいた人々をフェニキア人と呼んでいました。東地中海で紀元前1550年頃から紀元前1200年頃まで繁栄したフェニキアは1200年頃から紀元前900年頃にかけて徐々に衰退していき、その後フェニキア人は西地中海の北アフリカ沿岸や南イベリア半島沿岸に移動し、そこで新たに都市国家を築き復興していきました。ここでは紀元前1200年頃以前のフェニキア人が東地中海で繁栄したころの船についてみていきます。
https://suichukoukogaku.com/phoenicia/
0434世界@名無史さん
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2021/08/24(火) 23:57:36.020
【古代エーゲ海の船とテーラ島のフレスコ画】

現在のギリシアとトルコの間に位置するエーゲ海には多くの島があり、古代から様々な文化(文明)が繁栄してきました。ここではの紀元前3100年頃(前期青銅器時代)から紀元前1050年頃(後期青銅器時代)までのエーゲ海の船についてみていきましょう。

観光地として有名なキクラテス諸島の南部の島であるサントリーニ島は古代エーゲ海ではテーラ島と呼ばれていました。この窪んだ部分は火山の噴火によって形成されたカルデラであり、このテーラ島の火山は紀元前1600年頃に大噴火したことがわかっています。この噴火によって多くの町や村が壊滅し地中に埋もれてしまいました。

地中に埋もれた町の一つであるアクロティリの発掘が進み、その家の一つから当時の船が描かれた美しいフレスコ画が発見されました。テーラ島の南部に位置したアクロティリはテーラ島の火山が噴火した紀元前1600年頃にはミノア文明圏の港町であったと考えられています。すなわちアクロティリのフレスコ画から当時のミノア文明の船について知ることが出来ます。
https://suichukoukogaku.com/ancient-aegean/
0435世界@名無史さん
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2021/08/25(水) 00:02:20.860
【サントリーニ火山噴火に伴う津波に関する新説】

後期青銅器時代のサントリーニ火山噴火後に起こった大洪水の原因は、火山物質を含んだ火砕流が海中に流れ込んだことだったという考えを提唱する論文が、今週掲載される。今回の研究は、この火山噴火に伴う津波の発生に関するこれまでの説明に異議を唱えている。
https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/11112
0437世界@名無史さん
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2021/08/25(水) 00:47:17.090
>>431
【イタロ・ケルト語派の起源】

イタロ・ケルト語派の起源に関する研究(Fehér et al., 2021)が公表されました。コッホ(John T. Koch)氏とカンリッフ(Barry Cunliffe)氏が率いる過去20年のケルト研究は、長きにわたる理論「ハルシュタット(Hallstatt)鉄器時代=原ケルト文化」の妥当性に疑問を提起し、一連の「西方からのケルト」において初期ケルト大西洋青銅器時代を主張しました。ギュンドリンゲン(Gündlingen)様式の剣術は青銅器時代後期のブリテン島と低地諸国に起源があり、後に西方から東方へと拡大し、ハルシュタット・アルプス鉄器時代からさらに広がった、との議論があります。鉄器時代前のイベリア半島南西部からのタルテッソスのケルト的性質も、原ケルト人の初期大西洋起源の証拠となります。父系継承のY染色体DNAと両親から継承される常染色体の古代DNAの結果は、「西方からのケルト」をますます裏づけており、本論文はさらに進んで、北西部から到来した「イタリア・ケルト人」を論じます。
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html
0440世界@名無史さん
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2021/08/25(水) 08:19:42.250
>>431
インド・ヨーロッパ語族の拡散の研究しているサイトです
DNAを中心に色々な説を基に研究しています
かなりの情報量ですが地図を眺めているだけでも面白いと思います
https://indo-european.eu/tag/luwian/
(上記はルウィ人に関係したタグになっています)
0441世界@名無史さん
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2021/08/25(水) 16:29:50.720
レバノンのキリスト教マロン派は、カルロス・ゴーンなど
外国に移民して経済的に成功した者が多い。
実はフェニキア商人の子孫がその過去を隠すために、
ユダヤ教からキリスト教に改宗したのがマロン派ではないか。
0442世界@名無史さん
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2021/08/25(水) 17:17:53.910
>>441
それっぽい説は聞いたことある
カトリックがフェニキアでプロテスタントがローマとか
0443世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/28(土) 15:37:31.360
貨幣についての最も古い記録は、今から4500年前の古代メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、世界四大文明発祥地のひとつ)の記述に残されています。紀元前2000年頃、メソポタミアの人々は、穀物などの収穫物を神殿の倉庫に保管し管理していました。その時、預かり証に用いられたのが、収穫物の重量に応じた「銀」でした。逆に穀物が必要な場合は、倉庫へ銀を持っていけば交換してもらえるというシステムが、古代メソポタミアには確立していたのです。交換に使う銀は一定の重さで袋に入れ、使用したといいます。

銀はメソポタミアでは金より貴重とされ,バビロニアのハンムラピ王(前18世紀ころ)の時代には蓄蔵と支払に使用されていた。アナトリアにおこったヒッタイトは銀を含んだ鉛鉱石からおそらく灰吹精錬法に似た製法で銀を生産していたと思われ,フェニキア人はアナトリアから大量の銀をエジプトへ運んでいた。旧約聖書には,アブラハムがカナンへ来たとき,銀が支払に使用されていたことが記されている。
0444世界@名無史さん
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2021/08/28(土) 15:59:10.260
Hartapu(ハルタプ)は王の称号であり、紀元前13世紀または紀元前8世紀のアナトリアの王でした。彼は、キジルダー、カラダ山、アクサライ近くのブルンカヤの象形文字ルウィ語の碑文、そして最近では、ミダス王によってその頃支配されたフリュギア王国に対する勝利を主張した記念碑的な中心柱の場所である「Türkmen-Karahöyük」から知られています。

【Luwian Royal Inscription】

新しい碑文は、アナトリア中西部の裕福なフリュギア王国を征服し、1年で13人の王の連立を打ち負かしたと主張するネオ・ヒッタイトの指導者としてハルタプを確立すると説明しています。

ハルタプの首都は「Türkmen-Karahöyük」であり、フリュギアが最高潮に達したとき、彼は戦いでフリュギアを打ち負かすのに十分な力を持っていたと言われています。

研究者たちは、塚から回収した陶器に基づいて、紀元前1400年頃までに「Türkmen-Karahöyük」が小さな集落から300エーカー以上に広がる地域の中心部に発展したと判断しました。

その後の数世紀の間、そしてハルタプの治世中、この都市はアナトリアで最大の都市の1つであり続けたとのことです。
https://www.archaeology.org/issues/407-features/top10/9268-turkey-luwian-inscription
0445世界@名無史さん
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2021/08/28(土) 17:22:08.630
>>443
この説はおいらの知ってるやつとは
かなりギャップを感じますね

粘土から造ったセラミックトークンと
螺旋銀線による計量貨幣ってやつですか
0446世界@名無史さん
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2021/08/28(土) 20:18:50.090
測量貨幣は聖書にもあるが、アッシリアかどっかが通常貨幣を受け入れるまでずっときっちり図って取引していた

めんどくせ、と思うが
貧困者の買い物とかは別の方法があったんではないだろうか
0447世界@名無史さん
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2021/08/28(土) 23:43:29.880
【文字の起源,貨幣の起源 Origin of letters, Origin of money】
https://jcmswordp.wordpress.com/2020/05/24/%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%80%80origin-of-letters-and-money/

・キプロス
アマルナ文書に8通の書簡があり、他のメソポタミアの王国同様にエジプトと朝貢貿易を行っていた。
軍事的なことは Lukki のことのみで、キプロス全土を安定的に統治していたと推測する。しかし、この安定のためには銀が沢山必要だったらしい。
Lukkiはエジプトの脅威で、エジプトから見て、キプロスの背後のアナトリアにある。

・アマルナ文書(キプロス)EA35
相当量の銀を要請
要請した銀が多ければ、何でも望むだけ送る

銀がなぜ大量に必要だったのでしょうか?
0448世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/28(土) 23:59:25.960
個人的な推測として、軍事的対価として銀を支払う(要求)がこの時代にあったのではないでしょうか
つまり、傭兵や軍事的拠点の維持費(防衛費)として銀が対価になっていたのではと思います
0449世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/29(日) 01:25:26.180
エジプトの壁画のペリシテ人(チェケル人)の船は船首(船尾)に鳥の頭の形をした飾り付け
があり、ペリシテ人(チェケル人)は鳥の羽根の冠を被っています
キプロス島では鳥が神聖化され偶像となり、エジプトの鳥占い師の派遣の要請が
アマルナ文書に記述されています

『アエネイス』でトロイを脱出した英雄アイネアスは、地中海をさまよってカルタゴに漂着する途中にビーナスから
「わたしが親から教わった鳥占いに間違いがなければ、きっとわたしの言うとおりになりますよ。ほら、ごらんなさい。十二羽の白鳥が楽しそうに群をつくって飛んでいます。それに向かって広い空の彼方から鷲が一羽襲いかかってきました。白鳥たちは空一面に散らばって離れ離れになってしまいました。でも、ほら、白鳥たちは順番に地面に降りてきます。残りの白鳥も、地面に降りた仲間を空から眺めています。全員元どおりそろいましたね。そして羽音をたてて楽しそうに遊んでいます。おや、もう空に飛び立って輪になって歌をうたっています。あなたたちもきっとこれと同じようになりますよ。あなたの船団は仲間たちを乗せて、今ごろもう港に入っています。残りの船も帆を張って港に入るところにちがいありません。とにかく、今はこの道をまっすぐに行ってごらんなさい」

また、ローマ建国神話の主人公、ロムルス(Romulus)と レムス(Remus)は鳥占いでどちらが王になるかを決めることになりました
0450世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/29(日) 07:19:33.950
メソポタミアの粘土板には鳥占いが記されています

鳥の行動を「所与」として、人々の身に起こる「帰結」を記した占いがたくさん出土されています。最も古いものはイシンラルサ時代のものだそうで、それは紀元前2000年くらいのものであると考えられますので、今から4000年も前の占いということになります。

「もし、鷹が・・・・・・人の左から右に飛んでいくならば、
その人は(裁判での)論敵に勝利し、敵なしであろう。
もし、鷹が・・・・・・人の右から左に飛んでいくならば、
その人は長い間、監禁されるであろう。」

この例のように、鳥の種類と飛んでいく方向から占うものもあれば、鳥が餌を横取りされたら人間もそうなるであろうというように、鳥の行動と人間の行動を結びつけるものもあります。また、鳥が急降下すれば家が没落するというような、「観念連合」と呼ばれるような形式のものもあります。

ローマの鳥占いはエトルリアから伝わったと考えられているようです

フェニキア、カルタゴで鳥占いがあったか検索してもわかりませんでしたが、
フェニキア、カルタゴで崇拝されていた像に鳥を抱えたり手に持っている像があります
またタニトの石碑に鳥が刻まれているのもあります
鳥は神聖な存在であったのではと個人的に思います
0451世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/29(日) 12:24:18.120
フェニキアクスの様に、鳥を神聖視していたのは間違いないと思う
0452世界@名無史さん
垢版 |
2021/08/29(日) 16:28:38.170
>>449
それはカルタゴだったのだろうか
リビアの港のギリシャ都市ではないか
カルタゴ=フェニキアだし
トロイア後にフェニキアだし
0455世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/09(木) 00:44:58.310
ハンニバルほど近年誤解されてるキャラもいないと思うなあ
残した言葉が本当なら残虐非道な将軍ではないよ
0456世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/09(木) 18:10:37.150
>>455
戦勝国ローマのプロパガンダとハンニバル・レクターの賜物だよ
海外の心理学者兼考古学者のヨザン博士はカンナエの辺りからローマの記述には作為的な嘘が存在すると主張している
日本国内向けにはまだ無いけど、英語が訳せるならググってみ
0457世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/10(金) 12:47:56.260
>>456
https://thehistoryherald.com/author/yozanm/
これかな?
読んで見たけど歴史が覆りかねない内容で笑ってしまった
カンナエは実はローマ軍の数が記述よりもっと多かったとか司令官はアエミリウスだったとか
凄いのはザマの戦いはローマの創作だって話しかな
カルタゴの円形軍港がザマの後で作られてるのが地質調査で分かったとか、地質調査ってそんな数年の誤差とかも分かるものなのか気になる点もあったけど
メチャ面白かったのに何でこれ日本で紹介されてないのかな
ムーとかで調査してくれたらぜひ読みたい
0458世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/10(金) 12:53:03.430
>>455
そもそも一人の非道な人間が数万の多国籍軍を恐怖でまとめ上げるなんて無理があるよ
軍隊だから厳しい軍律や対処はあるかも知れないけど、ハンニバルの目的がローマを潰すことではなかったなら酷いことは出来ないだろう
0459世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/10(金) 17:52:59.540
>>457
アエミリウスが本当の指揮官だったって話しはローマの伝統的な布陣に於ける配置でごく普通に考えられる事
結局書いた人間がスキピオ家の関係者だからヴァロに罪をなすりつけたんだろう
0460世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/10(金) 23:36:47.440
ヨザン・モシグ博士によるザマの戦いの考察

第二次ポエニ戦争はローマの勝利に終わり、カルタゴは多くの賠償金を支払い軍を解体する事になった
その原因は敵地で16年間ローマを圧倒したハンニバルが、前202年ザマに於いて大スキピオに大敗したからであると言われている
しかしそこには不自然な点や矛盾が存在する

・残されている資料は親ローマの書き手によるもので公平性が疑われる。大本となるポリュビオスは小スキピオの庇護を受けていた
世話になっているスキピオ家をヒーローとする為に話しを盛った可能性がある

・80頭もの戦象を揃えるのは不可能。常駐の軍を持たないカルタゴがどうして時間をかけて訓練する戦象を80頭ももっているのか。ザマの前にウティカ・グレートプレーンズでカルタゴはスキピオ軍に敗北したとあるが何故そこで虎の子の戦象を使わなかったのか

0461世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/11(土) 00:27:58.160
>>460
途中送信したw
続き
先の二度の戦いでローマ側の資料に戦象の記述が無くて、寄せ集めの軍団しか作れなかった(事になっている)ハンニバルが突如80頭もの戦象と象使いを連れて現れるのはおかしい

・ローマの記述では戦象を盾やラッパを鳴らして驚かせたとか驚いた象がカルタゴ軍を踏み始めた、ローマ軍がスキピオの機転で間を開けて象を躱したと書いてある
しかし走る方向をコントロールしたり暴走したら即死させる為に上に象使いが乗っている
まして通常の戦でも大きな音は鳴るので訓練した戦象達がそんな事態になるとは考えられない

・戦いの最中ハンニバルに包囲されかけたスキピオが陣形を組み直してこれを阻止する描写があるが、丁度ハンニバル軍のベテラン部隊と戦っているのに攻撃を受ける事なく立て直すことは無理

・リヴィの書く通りならばスキピオはハンニバルに戦術で上回ったのではなく、幸運にもカルタゴ軍の後ろに回ったマシニッサによって救われただけになる

・最新の年代測定でカルタゴ円形軍港(軍船を200隻は停留できる)が作られたのは前201〜前146と判明
ザマ敗北による「軍船は10隻以下」と定められた平和条約の信憑性が疑われる

・歴史的な勝利にも関わらずザマの古戦場は未だに見つかっていない
戦勝のたびに記念碑や像を作るローマがそれをしなかったのはおかしい

・ザマの戦いの両軍の数は丁度カンナエの戦いでの相手軍の半分の数になる
ローマ側にとってカンナエは大変な屈辱であり、相手にやり返したという話しを創ることで傷ついた自尊心を癒そうとした
0462世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/11(土) 00:40:31.040
他のヨザン博士の記述を見たら
・ハンニバルが国の要請を受けたからといって2万位上もの兵士を連れてイタリアを出るにはローマの支援が必要
・カルタゴは敗軍の将を処刑するらしいのに、ハンニバルがそうされるどころかスッフェトに就任するのはおかしい
・ローマがハンニバルがカルタゴのスッフェトになるのを見逃しておいて、亡命した先で死に物狂いで捕獲しようとするのは不自然
なんてのも出て来た
訳がめんどくさくて細かくは書かないけど、カンナエでのローマ軍の数は騎兵がカルタゴを下回るどころか騎兵だけでもカルタゴと同等かそれ以上で歩兵は更に多かった様だ
執拗にカルタゴの本を焼いたのも、史実を後世に残さない為だったのかもね
ヨザン博士は心理学者でもあるのでまだ確証のないところもあるけれど、サイコメトリー等を使った調査で消えた歴史が明らかになったら面白い
0463世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/11(土) 09:48:28.950
どうもあまり根拠がない話に見える
ザマにはさんざんケチをつける割に、
「意外と狭いカンネーにローマ軍8万が布陣するのは無理じゃね?」という昔からの疑問はスルーしているのがくさい
むかし自分が興味を持ったときだと、カンネーでのローマ軍の兵力の裏付け史料は無かったはずで、
だもんで「あの年にローマが編成した全軍団数から他の任地に行った軍団数を差し引けばカンネーの兵力になる」
「いや、そもそもあの年にローマが編成した軍団数の記録が失われてるぞ」
といった議論をやってた
0464世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/11(土) 15:10:43.270
カンナエはローマ軍が絶滅したので
他の失敗もついでに押し付けたのではww
0465世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/11(土) 17:31:58.250
カンナエはローマ軍の数が多すぎて指揮出来ずにいたのをボコられた説すこ
0466世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/11(土) 17:56:07.160
>>463
カンナエは別のページに書いてあるぞ
主に当時の軍構成や心理学が根拠になっているが、不自然に記述が消されてる点も含めて逆説的で面白い
0467世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/11(土) 22:01:49.760
ザマの戦いは学校で習った時点でウソだと思った奴は一定数いると思う
0469世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/12(日) 19:20:25.980
ザマでの両軍の兵力がはっきりしないってことは100年ほど前の本にも書いてあるな
確かそうなのはローマ軍の騎兵が優越していたことくらい
100年前でもゾウを減らしたがる勢がいたようで、「そうはいっても序盤にカルタゴが押してたんだし、80頭いたんじゃないか」なんて議論をしてる
0470世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/12(日) 23:07:55.590
カルタゴ側の言い分が見つかっていない状態で、敵対国ローマのみの意見を鵜呑みには出来ないかなぁ
0471世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/13(月) 16:56:23.140
>>301
ギリシャ人はrとl特別できるで。
結構正確で入れ替わりは無い。原印欧語から正確に持ち越してきているから、ある時点で聴き間違えたとか入れ替わったとか考えにくいで。
0472世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/13(月) 20:43:33.130
話変わるけど聖書書きうつした奴とかは、何の文字が何回使われているかとか記憶してるらしいね
0473世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/14(火) 07:48:41.630
活版印刷の版組だろ。
そりゃ、漬かって減った活字の数で判る、ラテン語の宗教書ならこんな割合、地元語の法令判例ならこれくらい、新聞の時事記事ならこれくらいの……って感じで
予め使われそうな字の数それぞれ把握しているだろうて。
0474世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/15(水) 08:44:35.980
そういや聖書ってカナンの事は書いてあったと思うけど、カルタゴの事って書いてあるの?
0475世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/15(水) 13:28:54.920
あったはず

と思うけど、すぐに挙げられない程度に
印象がないというか全くない
0479世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/18(土) 20:17:38.430
最近スーパーにイチジクが並んでるのを見かけるけど、生で食えるんかな?
カルタゴのイチジクと日本のは違うんだろうか
0480世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/18(土) 21:01:56.050
イチジク浣腸は食えんと思うけど
イチジクは知らんがな
0481世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/18(土) 22:15:50.610
>>478
ヒラムがインドに行けたわけないだろう
ソロモンはエイラトに港を持っていたからそっちの艦隊で連れてこれるだろうけど
0482世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/20(月) 09:09:40.990
>>479
日本のより向こうのイチジクの方が生食向きだと思うが
友人が自宅のイチジクを生で食ったら腹下したらしい
美味かったそうだがね
0483世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/20(月) 16:27:03.860
最近イチジク商品をよく見かける
カルタゴが復活したのかもしれん
0484世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/21(火) 23:17:37.530
花屋でサルタンとかいうカルタゴ(チュニジア)原産のイチジクの苗を売ってたぞ
因みに現在のカルタゴはイチジクの生産が世界で10位に入れていない
これも全てカトーのせいだ
0485世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/22(水) 18:52:22.180
デーツをよく見かけるイメージ
近頃流行ってるクスクスもかと思ったが、日本に入ってきてるのはフランス産が多いんだな
マウリタニアのしわざか
0486世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/23(木) 00:25:33.070
【考古学】「天の火」で滅亡した都市ソドムか? 中東の古代都市、巨大隕石の空中爆発で消滅した可能性 [すらいむ★]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1632275573/

古くはインドアの家とも呼ばれてるんだっけか
0487世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/23(木) 07:56:58.760
>>485
クスクス買ってみたいけどウチの近所にはないな
デーツはドライフルーツで見かけるけど
0488世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/23(木) 07:58:02.490
>>486
ジョークだろうけどコロナ禍乙
インドラの矢な
0491世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/26(日) 09:12:17.370
脱線で済まんけど、ソドム滅亡の時に振り返って塩の柱になったロトの妻の話あるだろ?
調べたらまだ残ってるらしいね
ならその近くにソドムがあるんじゃないのかね?
0492世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/26(日) 19:27:05.420
>>491
確かロトの妻候補3箇所あるぞ
0493世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/28(火) 10:59:27.430
以前カルタゴ石については話題に出てたけど、フェニキアガラスについては出てないよね
ローマンガラスより歴史古いと思うんだけど、フェニキアが発祥なのかな
0494世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/28(火) 18:43:12.050
でてますね
トンボ玉みたいな名前でしたか
0495世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/29(水) 17:33:07.500
トンボ玉みたいのがフェニキアガラスとしてヤフオクに出てる…
本物ならお買い得だけど、ただの残念な作品をそれっぽくしたものかもしれん
0497世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/03(日) 21:46:53.440
近所で生イチジク売ってたけど、カビが生えた物が結構あった
現代でコレだ
カトーが大演説した見事なイチジクがどんなものだったのか、実際に見てみたい
0498世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/04(月) 21:34:21.920
実際のところ生で食べられるイチジクはもいですぐの物
市場に出回るのは早めに摘んだものか、その日のうちに出荷したものだろう
0499世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/06(水) 19:19:33.120
見事とは言ってたけど、生かどうか分からんよ
ドライかもよ
0500世界@名無史さん
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2021/10/06(水) 20:56:11.110
デーツやイチジクばかりに目がいくけど、麦や柘榴なんかもあったんじゃないっけ
0501世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/07(木) 12:42:22.880
前スレかその前に交易品としての農産物のことが書いてあるよ
マゴの農業論があるくらいだから相当農業にも力を入れていたと思われる
0502世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/07(木) 17:16:21.070
執拗なまでに消されてるよな、カルタゴの書物
単なる憎悪だけじゃなさそうだ
0504世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/09(土) 17:31:17.670
関東圏じゃないんだけど、いよいよヤバいやつが来そうな気がするよ
前にも話に出てたけど地中海沿岸の都市も地震でだいぶ沈んでしまってるし、日本も他人事じゃないよね
九州の方にも江戸時代迄はあったのに、現代は消えた島とかあるみたいだし
0505世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/09(土) 20:49:30.980
>>504
地中海沿岸といってもアレクサンドリアやバイアと違ってカルタゴ港は沈んでないよね?
0506世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/09(土) 21:31:41.750
>>58
アブジャドとギリシャ文字は形が似ている
0507世界@名無史さん
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2021/10/10(日) 20:13:46.250
>>506
多分それはギリシャ文字だったんだ
0509世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/12(火) 09:36:09.800
もしポエニ戦争勝ってたら、ラテン語の地位をフェニキア語が獲っていて、ロマンス語もアラビア語も無かったんだろうなあ
0510世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/12(火) 10:04:40.270
>>509
だぁね
でも文化はどんどん吸収して変化していくだろうから、全く同じではないにしろ今に近い形になってたんじゃないかな
0511世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/12(火) 19:20:47.000
>>502
カルタゴは兎も角、フェニキア語の書物が一冊もないっておかしくない?
エジプト辺りに残ってないのか?
0512世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/13(水) 02:12:14.660
シナイ文字とか石に刻んでるし普及しないだろう

フェニキア・アラム文字は恐らく羊皮紙とペンで普及した
ペンで書くスタイルだからかっこよく見えたのか
0513世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/13(水) 21:41:10.830
石にしか刻まない文字って…
ヒエログリフみたいな儀式用なんだろうか
0516世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/14(木) 19:11:53.090
前にこの辺りの調査をしてたが
ユダヤ人のナツメヤシとなにか異なってるんじゃろか?


【考古学】2000年前のナツメヤシから収穫 イスラエル人研究者、執念で実現 [すらいむ★]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1634177416/
0517世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/14(木) 23:02:50.090
>>516
ナツメヤシとナツメは違うって話し、前にあったけど如何だろう
調べてみるわ
0518世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/14(木) 23:16:12.540
SPQRスレでおなじみの片目さん、最近はこのスレで見かけないな
0519世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/14(木) 23:42:42.770
>>518
彼は英雄でありスッフェト
お忙しいのでしょう
0522世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 01:29:52.500
>>517
ナツメはそこらに割と庭木としてみかけるよ。
結構怠け者な樹で葉っぱ出てくるの遅いし秋に散ってしまうのも早いよ
10月の頭くらいにはもう丸裸
0523世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 03:36:34.790
うんこしたい
0524世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 07:47:23.270
>>522
なんてやる気のない木だw
日本でも栽培できるんだね
0525世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 08:48:35.240
うんこ出そう
0526世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 09:28:50.670
そういやウチでカルタゴ原産のイチジク「サルタン」を鉢で育ててたんだけど8月に葉っぱが全部落ちてしまってね
枯れたのかと思って外に放置してたら今月頭に新しい葉っぱが出てきた
メッチャ嬉しい
0527世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 09:43:12.950
うんこ漏れそう
0528世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 11:35:53.540
>>526
今のチュニジアとは違ってカルタゴはローマ以上に豊潤な大地だった
イチジク栽培はたっぷりの水と水捌けの良さが大事だよ
0529世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 15:33:48.620
うんこブリブリ
0530世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 20:21:29.380
>>528
今日追肥してみた
カルタゴあんまり関係ないけど実がなったら写真を上げるよ
0531世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 20:24:30.280
ちょっと遅くないか?
9月の前半に少しと、芽出し前にどっさり、だよ
0532世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 20:32:12.400
このサルタンてのは年に二度収穫できるそうだよ
まぁ今年は無理かもだけど
0534世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 21:21:54.470
>>518
アイツは出禁にした
0535世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/15(金) 21:46:56.540
スッフェトよ
貴方に構われたいローマ人が、この神聖なスレを荒らしています
早いところトラシメヌスにぶち込んで下さい
0537世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/16(土) 16:36:08.490
>>536
マゴンさん、ありがとう
0538世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/16(土) 20:14:41.570
>>535
(⚫︎ω・`)<ごめん、直ぐ連れてく
ほら>>520、此処は真面目な学問板だからね
兄ちゃんと一緒にトラシメヌスに行こう
0540世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/17(日) 15:51:31.270
その時代に紙なんか無いがな
0541世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/17(日) 16:15:08.320
政治的な命脈が絶えたからね。
水運民族だから、暦とか航行法とか卜占とか商取引とかの文書は沢山作っていたはずだけれど、
時代が時代なだけに、おそらく木簡に書いて、最終的には焚き付けにして再利用ってなものだろう。

同じ時代のローマの文書だって、現品は残っていない。残っているのは後代の書き写しばかり。
0543世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/17(日) 21:42:10.210
紙というか、パピルスはあっただろう

プトレマイオス朝時代には、エジプトの輸出品として各地に広まった。フェニキア人の都市ビブロス(現在のレバノンのジュバイル)がそのギリシャ向けの積み出し港だったのでビブロスの名がパピルスを意味する語に、また本を意味するようにもなり、現在英語で聖書を意味するBibleという言葉もそこから来ているとされる。
0544世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/17(日) 21:47:36.270
びブロスがパピルスってことは当時のフェニキア語?アラム語もパピプペポなかったのかな
0547世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/18(月) 01:56:03.000
>>544
pに相当するのは𐤐です
あとビブロスはギリシア語名でありフェニキア語では𐤂𐤁𐤋(gbl)です
0548世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/18(月) 02:53:48.630
>>538
出禁といったろう
半島に骨を埋めなさい
0551世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/18(月) 09:07:54.070
>>546
米農家は米を食べないとでも?
0552世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/18(月) 10:55:21.440
>>551
日本の農家は補助金貰うのが本業ですから、米は沢山作らないようにしなきゃあならんのよ。
0555世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/18(月) 13:12:06.460
大概はゲバル読みだった気がする
コインはなんだっけかな
0556世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/18(月) 19:04:38.760
ハンニバルの息子の名前、確かアスパルよな
自分達をプニックだかポエニと言ってたとローマ人には聞こえたようだし、やはりパ行の発音は一応あったんじゃなかろうか
0557世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/18(月) 20:33:34.390
>>549
鈍感だなぁ
ローマ人は「俺の側に居てくれ、カルタゴなんかに戻るな」って言ってるんだよ
0558世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/19(火) 12:32:23.300
関係ないけど、大昔の日本語は実はパ行めちゃ多かったらしいな
0559世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/19(火) 17:26:50.670
昔のなぞなぞから「母」の発音が「パパ」に近かったことが分かるやつか
0560世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/19(火) 17:39:42.960
そうそう、それ
観音さまも今でこそ「かんのんさま」だけど、昔は字の通り「くわんのんさま」だし
やっぱり時代とともに発音も変わっていくのかね
0561世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/19(火) 18:42:47.500
フェニキア語と新フェニキア語の発音が違う可能性はあるな
0562世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/19(火) 20:27:43.850
>>557
アホだな

アイツは国家カルタゴにとって邪魔者でしかないのだよ
半島の方で引き取って処分してくれ
0563世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/19(火) 22:41:44.760
カルタゴ国民「ハンノと既得権益者、あとはローマ人ぐらいだな、そんな事言うのは
なおローマ人、大群を集結させるもの返り討ちにあった模様w」
0564世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 07:13:53.360
P行あるね
人名にパダイ、パルティバアル
神名にピグマリヨン、ピダルシャシャなど
0565世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 12:36:51.930
ピグマリヨンて、伝説の王ピグマリオン?
あいつ神になったんか
なんだろ、三次元(現実)から逃げた者の守護神とか?
0566世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 14:37:12.270
カルタゴで発見されたペンダントにピグマリヨンという神の名があるようですね

l `štrt lpgmlyn yd`mlk bn pdy ḥlṣ ‘š ḥlṣ pgmlyn
アシュタルトへ。ピグマリヨンへ。パダイの子ヤダアメレク。救われるのはピグマリヨンが救い給う者。

ただKrahmalkovの辞書によるとḥlṣにはequipの意味もあり、そちらの例文にこの文章は載ってるのでそれに従うと人名、紀元前8世紀半ばらしいので時期的にディドの兄弟(前820-774)の名かもしれません
0567世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 16:33:01.440
>>566
そういやエリッサと仲違いした兄弟もピグマリヨンだったね
でもこの文からいくとやはり神様の方?
0568世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 16:49:40.360
>>567
フェニキア文字の碑文だと神名であるとされてますね
Krahmalkovだとティルス王の方で碑文も
For Astarte <and> for Pygmalion! Yadomilk son of Paday, a soldier whom Pygmalion equipped <am I.>
と訳されています
0569世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 16:56:37.700
>>568
途中送信してしまった

このように訳されています
同辞書によるとrescue、deliverの意味としてのḥlṣは主に名前として使われるようです
b`lḥlṣとか’šmnḥlṣみたいな感じで
0570世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 17:03:47.830
カルタゴで使われてた名前ってフェニキア人つながりで地中海東岸のシドンや
ティルスでも使われてた?
0571世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 17:32:16.880
>>570
片方だけでしか見つかっていないものもありますが‘dnb`l や`bdmlqrt 、’rmlk などフェニキア語、ポエニ語両方で見られる名前もあるようです
0573世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 18:03:27.530
主にカルタゴで使用されたフェニキア語の方言がポエニ語です
カルタゴ滅亡後は新ポエニ語と呼ばれますが、リビア由来の名前が入ったり綴りが変化していたりするみたいです
0574世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 19:02:28.670
>>573
リビア由来の〜はポエニ語→新ポエニ語の変化の説明です
フェニキア語→ポエニ語では綴りの変化は保守的でしたが、母音の存在を示すためにアレフを加えることがあったりh’(定冠詞)の有気音が無くなって’だけになったりなどの変化はあったみたいです
カルタゴが滅亡すると規範がなくなるのでより自由に綴りが変化することとなりました
0575世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 19:42:15.750
詳しくありがとう!
子音だけでは流石に表現しきれなくなったのかな
0576世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/20(水) 21:46:24.990
昔の音ってどんだけ性格なんだ?

クセルクセスがただしいのか?ハシャーラシャーのが近いのか?
0577世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/21(木) 12:56:30.460
フェニキア語(およびポエニ語)の場合はラテン語やギリシャ語で転写されたものや小カルタゴ人のテキスト、レプティスマグナのラテン語併用の新ポエニ語碑文、アッシリアやバビロニアの資料の人名などから再建してるみたいですが断片的でありわからない部分も多いみたいです
ペルシアはわかりません…
0579世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/21(木) 15:27:47.790
ラテン語、もっと言うと印欧祖語から男女中性の3つの区別がありましたね
もっともスペイン語含む多くのイタリック語派では中性名詞は男性に統合されてしまいましたが…
フェニキア語は男性女性ありますが中性はありません
他のセム語もそうなんですかね?
0582世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 12:09:59.800
>>556
初接触のときには、文明度が高いエトルリア人が支配層で、当然、公式な聞き取りエトルリア語訛。
エトルリア語には子音の清濁の区別が無かった。
0583世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 18:11:05.980
日本の古語みたいだな
濁点とか書かなくても実際は付けて発音するのとかあるし
0584世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 18:28:53.900
アラビア語やヘブライ語なんか子音しか書かないけど
実際には母音も発音するし
0585世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 18:56:35.190
現存する言語だと、何が一番フェニキア語に近いんだろうね
0586世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 21:04:36.460
ネットで検索すると
日本語らしい、、、
0587世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 22:02:27.830
どのサイト?
言語系統から考えるとヘブライ語あたりが一番近いと思うけど
0589世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/28(木) 00:16:52.200
>>588
何それ、メッチャ面白い
0590世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/28(木) 00:18:08.030
>>586
もし本当なら凄い事だよね
0591世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/28(木) 00:33:10.920
マルタ語はアラビア語(中央セム)系だから違うんじゃない?
0592世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/28(木) 08:38:29.070
マルタ島にカルタゴ人が入ってたのは間違いないだろうけど、その後ローマの支配下だから殆ど文化は残らなかったろうね
アゾレスの方がカルタゴの文化が残ってそうな気がするが
0594世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/28(木) 10:23:13.600
可能性は半々ってとこかな
カルタゴにそういう記録がないんだよね
0596世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/28(木) 23:27:59.360
>>588 >>591
アラビア語を母語としてるもののフェニキア人の末裔意識が強いといえば
レバノンのマロン派がいたっけか
0597世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/28(木) 23:39:37.940
チュニジア人もカルタゴ人の子孫だと言ってるそうだよ
殆どアラブ系だとは思うけど、中にはカルタゴ人の先祖も居るかもね
0598世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/29(金) 00:09:21.050
>>591
アラビア語マグレブ方言ってのがアラビア語の影響受けまくったフェニキア語だろ。
どっちもセム語だから混ざりやすい
0599世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/29(金) 07:45:42.130
フェニキア主義は汎アラブ主義に対抗するためのナショナリズムの産物じゃないの
0601世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/29(金) 08:49:32.090
(⚫︎ω・`)<問題ないよ、どんどん書き込んじゃってね
フェニキア人は良くも悪くも他の文化を取り入れるのが上手かったから
現在残ってる意外なものがフェニキア由来だったりする
0602世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/29(金) 08:51:31.580
歴史に残る大族の末裔を僭称するって、割とよくあることだろ。
0603世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/29(金) 09:00:25.350
>>601
ウサギ。
遠洋航海中の船の中でも新鮮なお肉が食べたいって、狭い小屋に藁屑干草と水少々で飼うようウサギを馴化。
0604世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/29(金) 09:14:48.100
>>603
(⚫︎ω^`)<流石!
そしてそんなウサギがいっぱいいた土地がフェニキア語でスペイン
0605世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/29(金) 23:22:19.950
6世紀ごろまでフェニキア語残ってたらしいな
なのに文献とか無いのか
0606世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/30(土) 01:17:31.870
1世紀のヨセフスはフェニキアの文書を引用してるが
宗教に関係ありなのか破壊されたのかもしれない
0608世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 01:23:54.340
>>605
ギリシャ語だって、16世紀〜19世紀の文献殆ど無いよ
政治的に独立を失ったら取るに足らないものとして残したりされなくなるよ
再独立しなきゃあギリシャ語もすたれていたろうよ
0609世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 08:06:13.380
>>608
>政治的に独立を失ったら取るに足らないものとして残したりされなくなるよ

ローマが滅びてからもラテン語文書は大量に存在するし
アラブがペルシア人やトルコ人の支配下になってからも
アラビア語文書は大量に存在する
0610世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 08:31:27.520
>>609
ローマ帝国再統一の天下取合戦は17世紀半ばまで続いてますよ?
自称ローマ皇帝の後継者は、少なくとも4つもありましたよ。
0611世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 08:33:26.720
>>610
自称ローマの後継者て
オスマンとロシアと神聖ローマと
あと一つどこやねん
0614世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 09:55:42.110
フランス国王も、西ローマ皇帝戴冠されたフランク王国の正統後継国の王様だから、
三段論法的にローマ皇帝の後継者を自称しいて、そのフランス国王にとって代わったフランスの皇帝として
ヨーロッパ中あちこち攻めて回ったナポレオンもローマ皇帝の後継者を自称していたよな
0615世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 11:41:35.140
日本だと神の末裔みたいな貴族階級がいるよね
物部氏とか
0617世界@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 21:36:37.230
周りに自分の権威を示すときに有効なんだろうね
○○の末裔とか○○の生まれ変わりとか
0619世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/01(月) 10:16:14.870
因みに俺は天照大神の生まれ変わりを自称するBBAにあったことがある
どっからどう見てもスーパーの見切り品コーナーに出没するタイプのナリだったが
0621世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/03(水) 01:18:00.520
戦後、カルタゴは経済活動のみに専念し、奇跡の経済復興を成し遂げた。
 勝ったローマの方は表面的には華やいでいたものの、勝者としての国際的責任と義務をかかえこみ、逆に財政赤字に苦しむ国家となっていった。
 発展をつづけるカルタゴを苦々しい思いでみていたのはローマの元老院(議会)ばかりでなく、他の地中海諸国も同様であった。このままの状態がつづけば、世界の富は全てカルタゴに支配されてしまうと恐れをいだいた軍事大国ローマは、いろいろな無理難題をカルタゴにおしつけ、それを拒否したカルタゴに一方的に宣戦を布告し大軍を送った。カルタゴは、仲介をたのむ国もなく、孤立無援の戦いをつづけ、紀元前145年、ついに全国民玉砕し、カルタゴは地球上から完全に抹殺されてしまったのである。
 カルタゴは、ローマとの関係を重視し、約束を守り、友好関係をつづけてきたつもりでいたにもかかわらず、ローマ国内にカルタゴに対する嫉妬、憎しみ、いらだちが充ちあふれていたことに気づかなかった。
 既にローマの属国となっていたギリシアは、そのヘレニズム文明がローマ人に敬意をもって受け入れられていたために、国家としても安泰であった。
 カルタゴには、ローマが敬意を払うような文化もなく、十分な軍事力もなく、また、外交の稚拙さゆえに友好国家を作ることもなく、ただただその自国の経済力のみを頼りにしてきたのであるが、その経済力があだとなり、ローマの憎しみの前には何の力も持つことなく、地球上から消えていった。
 強力な軍事力をもたないカルタゴは、その巨大な経済力で近隣諸国との友好関係を築いておくべきだった。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/hanashi/story/1_4.html
外務省のODAに関する記事なんだけど、どう思う?
0622世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/03(水) 01:43:02.640
妄想を書き綴ってるだけだな
逆の事例の方が多いぐらいだろ
0623世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/03(水) 08:13:21.020
カルタゴは文化面でも優れていたよ
だいたい今残ってる資料はローマが残したものだ
当てにならん
0625世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/05(金) 12:49:36.270
カルタゴはじめフェニキア人たちをdisってる最大手はキリスト教ですかい
0626世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/05(金) 23:03:06.460
>>624
あいつは追放したので
カルタゴ市民じゃない

かってなことばっかりして言うこときかんし
0627世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/06(土) 17:50:14.980
>>626
トーガ見えてんぞ
0629世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/10(水) 16:58:29.050
俺的にカルタゴとトルコって宝石やアクセサリーのイメージが強いんだ
0632世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/12(金) 17:20:37.140
>>625
マルタ島・レバノン・シリアのキリスト教徒は自称カルタゴ、シドン、テュロスの末裔
0633世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/12(金) 22:00:42.950
>>632
キリスト教徒なのに?
カナンとカルタゴは別とか、そういうかんがえなのかな
0634世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/13(土) 23:39:30.670
(⚫︎ω・`):<またやるよ!

ザ・プロファイラー 選「ローマをぶっ壊せ!ハンニバル将軍」

11月18日(木)
午後9:00

午後10:00
カルタゴの将軍ハンニバルは、スペインからアルプスを越え、陸路からローマを奇襲。ローマを崩壊寸前まで追い詰めた。多様な戦略を駆使した指揮官の生涯を追う。岡田准一 >
0636世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/14(日) 09:29:48.900
>>635
フェニキア人よりアラブの方がキリスト教的にはアウトなのか
サンクス
0637世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/14(日) 09:44:59.580
>>592
おそらく11〜12世紀のアルタヴィラ王朝期にシチリアに招かれていたアラビア人の末裔だろう。
外来王朝だから現地人が結託すると統治しにくいし、当時はヨーロッパ人の方が田舎者だったので、対岸からアラビア人やらモール人やら呼んで来ていた。
モンゴル帝国が支那の支配にペルシャ人やトルコ人を使っていたようなものか。
回教徒が多すぎるとこれまた国が乗っ取られる危惧があるから、各地のユダヤ人や東地中海からギリシャ人等々も招いていた。
0639世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/14(日) 14:24:39.350
>>636
キリスト教というか近代以降の汎アラブ的なものに対抗するナショナリズムだと思う
アラブ以前の存在として持ち出されてるだけかと
0640世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/14(日) 22:26:33.290
近年の価値観か…
もっと古くからフェニキアの末裔を自称する種族おらんのか
0641世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/15(月) 13:42:23.230
サルジニア島の旗印が黒人の横顔だけど、カルタゴの末裔だからではないのか?
0642世界@名無史さん
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2021/11/15(月) 14:15:29.460
カルタゴ人は肌の黒い人だけじゃなく、白い人も居たよ
前スレか何かにもその話し出てたはず
0643世界@名無史さん
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2021/11/15(月) 15:43:16.310
でも、ユリシーズで、カルタゴの女王ディドーは肌が黒いって出てたし
0644世界@名無史さん
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2021/11/15(月) 19:33:45.970
サルデーニャの旗に関してはムーア人とキリスト教徒の戦いに関係してたと思う
0645世界@名無史さん
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2021/11/15(月) 20:13:56.900
>>643
あれは元祖なろう小説さ
0646世界@名無史さん
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2021/11/17(水) 12:30:06.190
>>644
KWSK
0648世界@名無史さん
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2021/11/17(水) 21:54:56.960
トリスケリオンも
なんでなんだろ

カトリック、アラブ、ノルマンの融合みたいな話なのか?
0649世界@名無史さん
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2021/11/18(木) 10:23:26.830
>>647
サンクス
だが読めん´д` ;
0650世界@名無史さん
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2021/11/18(木) 10:24:13.630
>>648
もっと古いよ
四脚とかゴーゴンヘッドもあるし
0651世界@名無史さん
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2021/11/18(木) 16:03:04.150
>>649
アラゴン王室に負けた4人のムーア人王子説と中世サルデーニャにあった4王国(カリアリ、アルボレア、ガッルーラ、トッレス)説が取り上げられてるね
いずれにせよ斬首されたムーア人の首
0652世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/18(木) 17:58:07.690
>>651
ありがとう!
だが斬首された首を国旗にするとは…
0654世界@名無史さん
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2021/11/20(土) 22:03:41.580
>>653
(⚫︎ω・`)<君か
スレ覗いてみたけど俺を消し炭にするとか無理な相談だ

でも俺が乗り込んで行って意見しても、「誰?」ってなっちゃうと思うよ
0656世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/22(月) 14:51:51.200
>>655
カルタゴ滅亡後もその位置の重要性から、ローマによって街が築かれたんだったね

でもカルタゴが再び都市になるまで200年くらい空いてるよね
そう考えると第3次ポエニは単なるローマによる侵攻とは異なるように思える
0657世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/22(月) 16:14:59.050
>>656
そりゃ、資源に対して人が不足している、古代だからな。
まずは本国へ移送してコキ使うってふうになるわ。

これが、人に対して資源の不足しているような時代だと、
速攻で本国人を送り込んで街も田畑も水路も使い倒すわ。
0658世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/22(月) 20:31:08.910
当時はローマよりカルタゴの方が肥沃な土地だったと聞くが
0659世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/22(月) 21:41:15.800
>>658
勝手知ったる地元では奴隷にならんでしょう?
カルタゴは商船国なものだから、どんだけ外国に船が居るやら分かったものではないから、
暢気にラテン人が進駐してきてカルタゴ生まれの奴隷に耕せたりしてたら、いつ奪還されるか分かったものじゃない。

そうでなくても、資源は余って人手は足らないんだから、人間は本国やら同盟国やらに働き手として連行したうえで、
奪還をあきらめさせるべく、カルタゴの街の建物も城壁も叩き壊す、田畑は当面使えないよう、塩やら海水やら撒き散らしておく、ってものよ。
0661世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 08:33:14.700
世界ふしぎ発見でカルタゴやらんのかなーと思ってたが、大昔やった事があるのね
しかもワシが覚えてる最古のクイズがまさにそれだった
0662世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 10:54:00.580
トンチが上手いことだけは解った
でも向こうの方がもっとトンチ上手かったらどうするのやら
牛の革一匹分で覆った範囲って言ったよね、その細い部分はフェニキア人にくれてやるけど、割いた牛の革の幅からはみ出ては駄目よ
とか言われたらどうしたものかと
0663世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 12:41:54.320
>>662
(⚫︎ω・`)<マジレスしちゃうと、イアルバスはディードーの人物を推し量る為に言ったんだと思う
でもまぁ、身寄りのない人々を大勢連れた王女に対して、牛の皮一枚の領地ならやると言っただけでもかなりアレなのに
その王女が捻り出した答えにケチつけたら、周りから残念な人だと思われちゃうよ
大人の男はそういう余裕を持たないとね
君主なら尚の事
0664世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 13:57:24.890
単に、アフロアジア諸語は、「覆う」と「囲う」が区別できなかったり、区別できても同じ単語だったり
とかではないんかい?

ヘブライ語もアラビア語もコプト語もアムハラ語も、単語数めっちゃ少ないよな。
フェニキア語はヘブライ語やアラビア語に割かし近いし、ベルベル諸語もアフロアジア語族だよな。
0665世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 14:08:17.270
そもそもイアルバースが「覆う、囲う」と言ってないかもよ
「この牛の皮を1枚分の土地ならくれてやるw」みたいに
0666世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 14:11:11.630
でも実際あの丘を囲うのに、どんなに細く切っても牛の皮一枚じゃ足りないよね
0667世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 15:10:48.650
祇園精舎の敷地は、金貨の分だけ、と言われて
布施で得た金貨で覆った地面に寺を建てた
と言われてるで
0669世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 16:11:50.210
アメリカ開拓時代は独りで1日(日の出から日の入りまで)に他人の土地と重ならないよう4本杭打って
その杭で囲った範囲だけ貰えた。
お馬に乗って威勢よく出かけた。
0670世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 18:25:59.880
>>667
よく気がつきましたね


ワタシも始めに検討したのがインドの昔話で
出所はかなりそちら寄りかと思います

カルタゴのだいたいのことは
調べていくとインドを指してることが多いですね
宝石しかり
0671世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 18:35:59.290
>>657
19世紀まではどれだけ増えても足りなかったのでは?
20世紀にやっと人口削減を画策し出したような
0672世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 19:39:07.670
>>666
タヌキのキンタマの革は千畳敷に熨せるそうだから、それよか大きな牛の革ならもっと広くとれるんでは?
0673世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/26(金) 19:44:13.090
>>671
古代 人不足、地面・水は余ってる
中世 人余り、簡単に使える地面・水は不足している
近世(ヨーロッパ観点) アフリカ、米洲、オーストラリア、ノヴォロシア、シベリアで地面と水は余り放題、人が不足している
19〜20世紀 機械耕運・重機・揚水ポンプ等々で利用できる土地・水が拡大 
0674世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/27(土) 00:25:03.130
>>672
夢ぇ見過ぎだぜ
タヌキのキンタマに…
0675世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/27(土) 00:28:57.490
カルタゴとインドでは何処かを経由していたかもだけど交流はあった筈
ハンニバルの象にインド象が居たって事はそう言う事だ
東南アジアのスパイスもカルタゴにはあったようだし…インドや中国あたりに紀元前に取引のあった謎の大国の話とか無いんかな
0677世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/28(日) 14:00:05.680
>>676
ローマの建国神話にアイネイアスが女王ディードーの食客になってた話が出てんじゃん。
早うラティウムへ行けって神託があったからとカルタゴを去るというと、ディードー失恋ショックで死んでしまったとか。
0678世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/28(日) 16:53:09.830
あるね
裏切られたと自害してしまう話し
別バージョンだとイアルバースが求婚しようとしてたが、家臣に騙されて断れない様にされた為自害したってやつがある
0679世界@名無史さん
垢版 |
2021/11/29(月) 19:53:08.310
ディードーよりエリッサの方がしっくりくる
てか、幼名とかもあったんだね
0680世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/01(水) 21:16:21.460
フェニキア人は公開技術が高かった事で有名だけど、すると天文学系にも造詣があったって事かな
0681世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/01(水) 21:31:24.540
もし、ポエニ戦争でカルタゴが勝ってたら、戦争の名前はラテン戦争で、地中海共通語はフェニキア語になっていて、
アルファベットの書き方は母音無しの、wktk ktkr ggrks みたいになってたのかな?
0682世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/01(水) 21:32:16.000
基本的に沿岸航海してるから
あんまり天文学の知識は要らなかったと思う

むしろ風読みの方が大事なのでは
0683世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/01(水) 21:34:06.740
ラテン語ってのも5母音のみだったんだろうか
Aと書いてても複数の母音だった可能性ないのかな
母音が少ない(3つくらい?)からフェニキア文字とかなりたったんだろうし
0684世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/02(木) 12:29:06.830
支配地域が広がってより多くの単語を使う様になれば、母音があった方が便利だとなるかもしれない
0685世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/02(木) 13:51:55.050
んなもの、力技で、母音なんか無視しれ、てなるんじゃないの?
0687世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/02(木) 20:34:41.270
気が付かないまま、カルタゴ支配圏でフェニキア語以外が失われていく……とかではないの?
0688世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/02(木) 21:09:32.910
まぁあちこちで交易していたにも関わらず、700年近くそれで満足してた訳だしね
今は日本のネラーがその意思を受け継いでいるし
0689世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/02(木) 21:23:07.060
アラビア人なんてエジプト古王朝期の粘土板にも出て来るのに、7世紀に血迷うまでずーっと遊牧と隊商だったよな。
メソポタミアとエジプトとペルシャに囲まれていたのに、自分らは国造りとかしないままで3000年くらい。
0690世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/02(木) 22:45:45.670
気質だろうね
支配に興味が無くても軍事国家に隣接すると悲劇だよ
0692世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 00:18:14.850
>>689
アラブ人が歴史の主役になったのはイスラム勃興期の僅かな期間だけ
その後すぐに主役の座はペルシア人やトルコ人に奪われて
元の歴史の脇役の地位に戻った
0694世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 00:39:02.200
ハンニバルぐらいしか普通知らねーだろ
なんちゃらアフリカヌスとか
0695世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 08:22:42.760
(⚫︎ω・`)カルタゴの事かな?
言葉や習慣は形を変えて今も残ってるよ

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル
ローマの将軍で俺の好敵手って事になってる
ジュゲムや邇邇藝尊のフルネームを思い出す長さ
0697世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 08:41:51.190
>>690
それこそフェニキア人の領分だろ。
バビロニアにもペルシャにもマケドニアにもあっさり服従。
商いで得た珍品奇貨を貢ぐから痛いことしないで。温存してくれたせ商いに精出してもっとと富を稼いで来るよ
ってふうに。

イオニアもそんな感じペルシャに従属していたのに、軍事大国に隣接していない同族のアテナイとかがイキり倒していい迷惑。
0699世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 19:38:03.000
プロファイラーで塩婆がカルタゴを「平和な商人の国などではなく、恐るべき軍事力を有した国家である」とか言ってなかったっけ?
0700世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 20:25:40.020
>>699
塩婆出とらん
ヤマザキマリだよ
0701世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 20:28:57.520
しおばあ出でなかった気がするんで
お風呂のマリちゃんじゃない?
0702世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 20:59:58.410
>>698
鴨でいいんじゃない?
不得意な戦争やって皆殺しにされたり奴隷になったりするよか、得意分野の商いと水運で帝国に貢献するから痛い目合わさないで頂戴、
むしろ守ってくれ、軍資金を稼ぐ金の生る樹だよ、大切にして頂戴、って交渉するんだよ。
うまいこと言いくるめて通商特権とか交通の自由とか勝ち取って、軍事みたいな覇権プライスレスの儲からない仕事は宗主国に任せて、
それどころか安上がりな防衛戦力と商売の大口顧客として利用するんよ。
0703世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/05(日) 14:13:54.280
いずれは統治させるよりマルっと手に入れたくなるのがローマ
0704世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/07(火) 17:23:54.630
マシニッサに関してあまり話題にならないけど、アイツもカルタゴ掠め取ってたよね
0707世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/08(水) 16:41:44.700
マシニッサが90過ぎまで現役だったとか本当なのかな。大カトーといい、あの時代にあそこ迄長生きするもんなのだろうか
0708世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/09(木) 08:33:19.020
アルキメデス先生もアホなローマ兵にサツガイされなければもっと生きておられた事だろうに
全く酷いことだ
0711世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/09(木) 18:55:19.620
蜜蜂はやはり西アジアから
エジプト辺りを経由して
フェニアニキ人がギリシャ及び周辺に広めたんだろうなぁ
0712世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/09(木) 21:18:27.010
蜂蜜っていうとエジプトのイメージ強いな
ピラミッドで発見されたまだ食べられる蜂蜜とか、クレオパトラの愛した蜂蜜酒とか…
フェニキアのワインとどっちが古いんだろうね
0715世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 12:29:19.040
エジプトやフェニキアを介さなくても、ギリシャ人ってバピロニアとかペルシャと接触していたろ。
0717世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 15:27:36.540
スエズ、ガザ、アカバって昔から船の中継地だったよな。
地中海から一番細いところまで行って、短距離陸路で行って、また船で紅海。
黒海を今のトルコ・アルメニア国境付近まで行くか
地中海をトルコ・シリア国境付近まで行って、これまた短距離陸路で、
ユーフラテス川を船で行くとペルシャ湾だし。
0718世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 15:40:44.030
ティルス辺りがフェニキア人の最東端になるのか
黒海辺りはギリシャが支配してたもんなぁ
0719世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 17:29:38.180
>>718
紅海にも拠点持ってたんじゃないの?
エジプト26王朝期には、スエズ運河を掘ろうとしてみたり、出来上がりを見越して、配下のフェニキア人に交易拠点を作らせたり紅海・インド洋を探索させたりしてたし。
0720世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 19:21:34.020
>>719
インド洋!?
そいつは知らなかった
まぁ紅海までいってるならあり得るね

ん?
だとしたらインド史にフェニキア人関わってる可能性ない?
0721世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 21:38:18.600
というか、ほぼ確実にインドと関わってる

ちなみに地中海の東と西で地名に対象性があるのは有名だか
おそらくレバントと紅海にも同じ流れがあると思ってます
0722世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 23:12:43.740
沿岸に国が跨ってる以上、あり得るね
地中海側の植民都市しか話に上がらないけど、実は紅海側の交易って新しいフェニキアの発見に繋がるかも
0723世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/10(金) 23:33:11.130
>>720
インドに行った(いかせた)のはソロモン王だろう
ヒラム、フェニキアの繁栄を見て、自分は紅海側で商売しようと思ってエイラト(イスラエルの下のあれ)を支配した
イスラエルが地理的に形がおかしいのはソロモンさんのせい
0724世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/11(土) 12:30:49.820
アメリカ大陸や希望峰あたりにフェニキア人目撃情報が寄せられています
0725世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/12(日) 08:55:04.450
日本にも古代フェニキア文字が刻まれてるって話しがあるけど、俺にはそうは見えなかった
0726世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/12(日) 09:12:28.110
スフィンクス像につづいてイスラエルとレバノンでなされた発見によれば、音素文字を発明したのがフェニキア語やヘブライ語の祖にあたるカナン語[8]を話していたとカナン人であったことがうかがえる。カナン人はクレタ人、ヒッタイト人、エジプト人、バビロニア人のそれぞれの帝国を行き来して交易をしていた。カナン人は既存の表記体系にとらわれずに、より速く書け、たやすく学べ、曖昧さのない文字体系を求めた。Andrew Robinsonは、証明はされていないもののありうることとして、カナン人が最初の音素文字を創造したと書いている

商人気質ぽい
0729世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/12(日) 22:27:48.640
カナン人はフェニキア人ではない
カナン人は聖書にあるように滅ぼされた側で
上はフェニキア人に取られ下側はイスラエルに領土を奪われた民族

フェニキア人はヘロドトスによれば紅海がわからきたアラブ人
そいつらが海の民以降ガレー船で地中海を支配し、ギリシャ暗黒時代を生み出し
フェニキア文字やフェニキア土器を伝えた
それがカナン人ではない
0730世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/12(日) 22:57:07.890
>>728
エジプト人がわざわざやるのかな
そういえば民衆文字ってのもあるんでしたっけか?
0731世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/12(日) 23:10:53.360
だいぶ新しいのな


>>730

古代エジプトでは石に刻むためのヒエログリフ(聖刻文字)と筆記用のヒエラティック(神官文字)の両方が並んで発達し、後にヒエラティックを崩した簡略文字であるデモティックが作られたと考えられる。ただし、デモティック書体で木や石に刻んだものも多く残っている。

デモティックは古くは紀元前660年に使われているのが見つかっており、紀元前600年には古代エジプトでは標準的な書体となったと見られている。4世紀にはエジプトでもギリシア文字を基にしたコプト文字が使われており、デモティックはそれ以後使われなくなった。

後年に見つかっているデモティックの最後の使用例は、紀元451年にフィラエ神殿の壁に刻まれたものである。
0734世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/13(月) 00:43:18.130
>>729
フェニキア人がアラブ人だって?
0735世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/14(火) 00:14:20.980
>>734
ヘロドトスの歴史に書いてる

アンチ聖書な考古学はカナン人がそのままフェニキア人になったことにしたがるが
アマルナ文書みればカナン人は滅ぼされかかってたってのは明らか
0736世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/14(火) 02:43:48.450
ヘーロドトスはエリュトラー海から来たってだけでアラブとは言ってないじゃん
それもペルシャ人いわくってことで間接話法で書いてるし
そもアラブかどうかカナン人と近いかどうかは言語で決まるもんでしょ
言語資料はいっぱい残ってるんだからそれで語りなさいよ
0737世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/14(火) 10:41:27.510
>>735
>>736
聖書準拠と言語資料から見るというのとは、矛盾するよな。
聖書の内容だと、モーセ以下イスラエル人がエジプトから逃げ出した時分、イスラエル人の言語ってヘブライ語ではないんだよね。
荒野を40年さまよって辿り着いたパレスチナのアモリ人の言語に切り替えた、とある。
アモリ人はモーセ一行に征服されて若い女を残して虐殺されたと書かれてるんだが、言語残るの?

聖書では、シドンとテュロスはハムの子孫が作った邑里とされている。
他にハムの子孫が作ったとされる街・国は、エジプト(アフロアジア語族)、バビニア(アフロアジア語族セム語派)、、リビア(アフロアジア語族)、バビロニア(アフロアジア語族セム語派)、
ヒッタイト(インドヨーロッパ語族)、シバ(アフロアジア語族セム語派)、バビニア(アフロアジア語族セム語派)、クシュ(ナイルサハラ語族)等々。
括弧内は言語系統。

血統、居住地、帰属意識、言語の組み合わせなんて、割と頻繁に入れ替わるものだし、当の聖書もバベルの塔の神罰で原初の言語を失って民族と言語の組み合わせがシャッフルされた
みたいなこと書いてあるしな。
0738世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/14(火) 20:14:32.210
バベルの塔の話しって、何かの史実が元になってるのかな
0739世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/14(火) 20:47:32.820
>>737
おぉ、これは知らない情報ですね
ほっほぅ
0740世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/15(水) 01:56:25.650
>>738
多分無い。バビロニアのイスラエル王国制服時点で既に廃墟になってたジグラートでも見て妄想したんだろう。
占領地の元支配層有力者を征服者の本拠地に抑留するやりかたは、古今東西、わりとよくある統治手法で、バピロニアもイスラエル王国の
有力者層を連行してきたんだろうけれど、そこで、速攻(1〜2世代?)、もともとイスラエル王国で使っていた言語を失ったことだう。
元々原初の言語は失われているし、既にエジプト奴隷時代にアブラハムヤイサックの話していたであろう言語も失ってるし、何をいまさら、って
ふうに言語消失の罪悪感を軽減したんではないかな?
宗教の体系化は逆にバピロニア抑留〜ペルシャによる開放の頃に進んでいたし。
0742世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/15(水) 18:42:00.470
日本も人口が減っていけば自ずと日本語が消滅するのかもしれない
より広いエリアで使える言葉が良いもんな
0743世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/15(水) 23:53:02.160
>>737
ツロはハムに含まれてないでしょ
シドンはフェニキア以前からある地名だから当然
あとダマスコもない
バビロニア、バベルはニムロドの子というふうには記述されてない
シュメール諸都市は「ニムロドの支配地」とされる
そしておそらくシュメール人は人種・言語とかが別
ヒッタイトはヘテ人と混同されるが適当だからな
0744世界@名無史さん
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2021/12/15(水) 23:53:47.780
>>738
史実ではないがヨセフスはシビュラの託宣に同様のものがあると書いてる
0745世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/16(木) 00:20:16.120
何でこんな逸話を聖書に入れたのか気になってたんだ
離れた地域で個々に文化を築いてれば、そりゃ違う言語も使うだろう
なのに態々神の怒りで人々が分断したって、他民族同士が協力しちゃいけないとでも言うんだろうか
塔を壊すだけじゃ気の済まない神なのかね
0746世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/16(木) 00:28:45.350
その分断とセムハムヤペテをわけるためかな
バベルはセムハムが言語分けられた後の出来事になる
0747世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/16(木) 00:29:50.240
つまり印欧語、セム語などのヴァリエーションは神が仕組んだことではない自然現象としたいのか
0748世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/16(木) 00:32:40.940
ティルスがカナンの子孫に含まれていないことも聖書の史実性を表してる
ティルスはフェニキア人が作ったから
0749世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/16(木) 00:46:22.800
>>745
むしろ逆に人間は本来ひとつの民族なのに傲慢のせいで分化してあい争ってるって言いたいのかも
アブラハムを祝福する者はみんな祝福に入るってのが(かなり自民族中心的だけど)その解決
0750世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/16(木) 09:13:04.170
セム語とハム語ってそもそも元は一つの言語だったんだろうか
0752世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/17(金) 01:26:22.830
>>751
ハムが奴隷になれの予言どおり奴隷になったからか

印欧語は疑いなくね
0753世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/17(金) 12:13:15.910
創世神話の系譜がハム系で、言語がセム系 
シドン、ハビロン、アドラス、アモリ

創世神話の系譜がセム系で、言語が非セム系
アルメニア、バクトリア、エラム、リディア

創世神話の系譜が非ヤフェト系で、言語が印欧系
ペルシャ、アルメニア、バクトリア、ヒッタイト

ざっくりだと、ユダ王国・イスラエル王国に敵対したり交戦したりしたところはハム
同盟・共利関係になあったところはセム、影響利害の薄いトロはヤフェトの系譜と
しているところが多いな。言語系統とか関係無しに。
0754世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/17(金) 16:08:30.280
そもそも創世記の諸民族はどこまでちゃんと現代の諸民族と同定できてんのかな
0755世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/17(金) 17:10:31.140
>>754
そもそも民族なんていうもんは近代ナショナリズムの創作やから
昔はそんなにはっきりした民族概念なんか無い
言葉が通じるか通じんか、信仰が同じか違うか、
そのくらいの区別しか無いやろ
0757世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 01:19:44.880
>>754
ヨセフスのユダヤ古代史にくわしい
http://shmission.com/xe/7366

セムがアジア人
ハムが黒人
ヤペテが白人みたいなアホ理論じゃなく

ざっくりと「コーカソイドの広がり」として考えた場合かなり正確というか
過剰過不足がほとんど存在しない民族分布となる
例えば東南アジアとかに起源不明の印欧語族が広がってたり、みたいなのはない
0758世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 01:24:33.160
そしてノアの民の基礎は黒髪、色白の民だった?
それが南部でニグロイドと交わり古代エジプト、エチオピア人などへ
北方で金髪モンゴロイド、ネネツなどと交わって北欧人種みたいなのが生まれた?

そういうかんじだとカナンは明らかにエジプト系だったものがセム系になってる
最初の諸王の王、帝王ニムロド、king sargonの頭像をみると、後ろ毛に見事なエチオピア人のような巻毛が見られるし、ハムっぽい
0760世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 13:16:01.520
>>757
良いねコレ
カルタゴ人、フェニキア人のベースがコーカソイドって考えても良いのかな
0761世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 19:04:27.390
>>752
モーセが出て来るまで、ハムの子孫の支配するミツライムでセムの子孫のイスラエル人が奴隷だったじゃん。
0763世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 21:08:11.450
>>761
その前はヒクソスが支配してたやん

それ以上に、今の世界をみてそう感じないか?
0765世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/19(日) 00:17:16.120
エリッサはテュロスの出身だよね
あの辺て紀元前8世紀ごろ黒人いたのかな?
0766世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/19(日) 02:05:31.190
>>765
長らくエジプトとメソポタミアとアナトリアの政権とで三つ巴で獲りあいしてただろ。
紀元前8世紀ったらエジプトはヌビア王朝期
0771世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/19(日) 22:21:33.140
>>770
そのエジプトがアッシリアでも征服できなかったティルスを落としたと?
0772世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/19(日) 22:25:18.670
ティルスはそもそも外国人侵入禁止だったんじゃないだろうか
櫂船という兵器を秘匿にしてたからこそ利益を独占できたし他も追従できなかった
アッシリアに沿岸地域を完全にやられてティルスが降伏→アッシリア海軍として衝角つき櫂船がレリーフに描かれる
→ギリシャが暗黒時代脱出(フェニキアの支配がとかれる)→ギリシャも同じ船を建造→地中海支配
という流れだから
0774世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/20(月) 13:19:27.070
>>770
南のすえはるかた
0775世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/20(月) 16:42:30.660
>>771
獲ったり獲られたりだよ。
ウチは中立国だから大国の戦争に巻き込まんといてくれ、なんてものは通用しない。
んなもの20世紀でも殆ど無視されたのに、紀元前にそういう道理がありますかいな。

基本、小国が戦争の影響を少なくする手法は、一方の大国に守ってもらうこと。
大枚をドーンと詰んでな。
勝目のある側について、通過させて、戦費なり物資なりを出して、斬り合い撃ち合いはここから離れたところでやってくれ。
ってなものよ。
0776世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/20(月) 21:55:22.940
>>774
よく陶晴賢知ってんな
日本じゃ梟雄はほぼデリートされるけど、地中海じゃ梟雄同士が争って勝った方が英雄になるもんな
0777世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/20(月) 23:42:02.450
>>775
そういうことじゃなく、アッシリアでも落とせなかった孤島に城壁そなえたティルスをエジプトが陥落させたって?
0778世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/21(火) 22:15:28.760
>>777
陥落する必要あるの?
大昔から和睦に人員の交換はよくある話でしょう?
0779世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/21(火) 22:36:45.560
>>776
ピイさんの方が有名でしたかね
0781世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/22(水) 03:05:39.680
>>778
アレクサンドロスが陥落させるまでティルスは衰退しなかった
ネブカドネザルが13年間とか包囲しても結局撤退で講和
0782世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/22(水) 03:17:36.950
丼だけ戦上手なんよ
エジプトにバピロニアにペルシャにエジプトにバクトリアに攻めて獲りまくってインドの際まで至ってるって
0783世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/22(水) 16:31:42.460
その後の統治に繋がらないのが残念
大規模な冒険家って感じだ
0784世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/22(水) 18:40:21.530
優秀な子供が或る程度成長してからでないと続かないのね
0785世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/22(水) 21:41:12.390
戦争を終わらせる能力、統治する能力、磐石の基盤を作る能力
一つ持ってるだけでも凄い事
まして全て揃える人間なんていないんだな
0786世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/22(水) 22:20:55.980
例えば徳川家康なんて機会を伺ってて政敵を潰すところにしか才能無いよね。
戦争を終わらせる能力は秀忠、統治する能力・晩ぱゃくの機番を作る能力は家光だったし。
0787世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/23(木) 00:41:18.960
アレクサンドロスは戦が上手いのももちろんあるだろうが丁度その頃に本格的な攻城兵器が登場し始めたというのも大きい
軍隊は父親からのお下がりだしスタート時点でかなり恵まれている
0788世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/23(木) 09:21:16.440
父から譲り受けた軍がすでに当時のギリシア周辺では最強レベルで
しかもギリシア世界での覇権獲得済にまでなってたのは大きいな
0789世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/23(木) 19:03:20.400
ハンニバルにも言える事だけど、ある程度の基盤を作ってもらってたのが大きいね
0791世界@名無史さん
垢版 |
2021/12/25(土) 02:53:59.410
マグロと錫もだっけかな
0795世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/02(日) 22:27:40.270
正月に近しい祭りならあった筈

明けましておめでとうございます
今年も宜しくお願いします
0798世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/07(金) 17:03:23.750
>>797
スゲエ!
こんなミニスカワンピースみたいな格好でアルプス越えたんかな
0801世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/12(水) 16:28:59.520
>>800

下着履かない方が馬並みに近づけるぞ?
0803世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/18(火) 14:06:00.800
(⚫︎ω・`)<こんな下ネタみたいので止まるのは嫌だよ!
えーっと、何か話題出さなきゃ!
0804世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/23(日) 18:03:36.080
こんな話しを見つけたよ

第二十四章
 インドやペルシャの僧侶の話は以上です。夢の話に戻りましょう。コエリウス(★)の書によると、ハンニバルはラキニウム(南伊)のユノーの神殿にある金の柱を持ち去ろうと思いつきましたが、柱は中まで金なのか表面だけ金色を塗ったものか分からなかったので、柱に穴を開けてみました。すると中まで金だと分かったので、持ち去る事に決めたのです。その夜ハンニバルが眠りにつくと、夢にユノーが現れて「そんなことはするな。もしやったらお前のよく見えている方の目も失明させてやる」と脅したというのです。ハンニバルは賢い男だったのでこのお告げを無視することはありませんでした。彼は柱に穴を開けた時に出た金で雌牛の像を作らせて、それをこの柱の天辺に置いたのです。48
0805世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/24(月) 09:47:12.600
★ルキウス・コエリウス・アンティパテル、前2世紀ローマの歴史家

 次の話はコエリウスが手本とした歴史家シレヌスのギリシア語による歴史書の中にある話です(シレヌスはハンニバルの業績を詳細に書き留めた人です)。ハンニバルはサグントゥム(スペインの町)を攻略したとき(前219年)、ユノーによって神々の会議に呼ばれる夢を見ました。彼が到着するとユノーはイタリアで戦争を起こすように彼に命じたのです。そしてその会議に出席している神の中から案内役を一人与えました。ハンニバルはその神をつれて進軍を始めました。その時、その神がハンニバルに後ろを振り向かないように言ったのです。しかし、ハンニバルは言われたとおりにし続けることが出来ず、好奇心にかられて振り向いてしまいました。するとそこにいたのはへびに巻きつかれた巨大な獣でした。そして、それは至る所であらゆる農園や林や家屋敷を破壊していたのです。驚いた彼は神にこの物凄い怪物は一体何かと尋ねたのです。神はこれこそがイタリアの破壊であると答えて、自分の後ろで起きていることは気にせずそのまま進軍せよと命じたのです。49
0806世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/24(月) 16:07:48.090
>>805
見なければ勝ってたな
惜しいことをした
0807世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/24(月) 20:57:02.510
こういう、やるなって言われた事をやっちゃうのは物語の定型文だからなぁ
ハンニバルも象さんもさぞやビビった事だろう
0808世界@名無史さん
垢版 |
2022/01/31(月) 11:26:37.230
カルタゴの海底遺跡の画像を見たいんだけど、どうすれば見られる?
0809世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/07(月) 20:29:22.990
(⚫︎ω・`)<異世界紀元前202に出てくる俺って、帝王ぽさが強調されてるけど
俺はもうちょっとフレンドリーだよ
0810世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/08(火) 04:35:52.740
異世界202は色々気になりすぎて1話で駄目だった…
こういうのに突っ込み入れるのが野暮だとはわかるんだけども
そもそも史実無視して無理矢理殺して転生させてる時点で既に元の世界も異世界じゃないかと思った
0811世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/08(火) 13:38:35.650
(⚫︎ω・`)<まーね
俺別にザマで死んでないし
どっちかっていうと仲間意識で軍を纏めてたのに、早速裏切られフラグ立ってるし
イミルセ以外の女の人とする気ないし
0813世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/14(月) 13:12:49.120
フェニキア・カルタゴ研究会第7回公開報告会
3月6日(日)(Zoomによるオンライン)

昨年度に引き続き、今年度もオンラインでの公開報告会を下記の要領で実施いたします。
前半では、フェニキア史の周辺ともかかわる古代オリエント史の分野からの発表に加え、西方フェニキア人社会の重要な拠点、サルデーニャ島のポエニ文化について考察します。
後半では、カルタゴにも関係する古代北アフリカの農業について、新たな科研のテーマをもとにした研究成果の発表も盛り込みました。さまざまな方向性からフェニキア・カルタゴ研究の「今」に迫りたいと思います。是非、多くの皆様のご参加をお待ち申し上げております。

申込先は以下の通りです。
参加をご希望の方は、3月4日(金)までに下記のフォームからお申込み下さい。3月5日(土)までに当日のリンク先など参加方法をお知らせします
https://forms.gle/LZB7PNCpRQi8UqLf6

プログラム
13:15 入室開始
13:30 開会の辞・第1部趣旨説明 佐藤 育子(日本女子大学)
13:40 「都市アッシュルにおけるエジプト人アーカイブに関する一考察」丸小野 壮太(常磐大学高等学校)
14:15 「サルデーニャ島におけるポエニ文化:前6−前3世紀を中心に」青木 真兵(関西大学)
14:50 休憩(10分)
1500  第2部趣旨説明    大清水 裕(滋賀大学)
15:05 「後2世紀属州アフリカの皇帝所領における農業経営と小作人を取り巻く権利関係」宮坂 渉 (筑波大学)
15:40  ディスカッション
16:00  閉会

主催 フェニキア・カルタゴ研究会
JSPS科研費
21H00584(研究代表者 大清水裕)
古代ローマ期北アフリカの農業に関する学際的研究
20K01237(研究代表者 宮坂渉)
古代ローマにおける取引実務の実像と担保法理論への影響に関する研究
16K03131(研究代表者 佐藤育子)
地中海におけるフェニキア・カルタゴ文化の発展と変容

http://jswaa.org/2022%e5%b9%b43%e6%9c%886%e6%97%a5%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3%e9%96%8b%e5%82%ac%e3%80%8c%e3%83%95%e3%82%a7%e3%83%8b%e3%82%ad%e3%82%a2%e3%83%bb%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%82%b4/
0814世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/14(月) 23:52:04.250
二段櫂船を発明したのがフェニキア

それで海賊やらを沈めまくって繁栄したってだけなのに
なぜまだ定説にならないのか
0816世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/15(火) 08:39:11.970
ほほう、フェニキアカルタゴ研究会やるのか
新発見とかあるんかな
0817世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/15(火) 17:56:21.110
>>815
前後の番組がネロ帝とあなたの知らないイタリアだったからポンペイ展関連でローマ史特集をしていたのかもしれない
0818世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/16(水) 15:29:36.780
そういや今やってるもんね
見に行きたいけど、コロナで難しいなぁ…
炭化したパンの実物が見たいなぁ
0819世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/16(水) 16:56:10.950
>>818
結構人いたよ
なるべく90分で全部見てって書いてあったけどとても無理だった
0821世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/16(水) 21:53:47.650
>>820
2/8(火)のお昼時くらい
人多くて次々見られないんじゃなくて展示が豊富だから気づいたら時間経ってた(書き方が悪かったかもしれない)
炭化シリーズはパンの他に干しブドウとイチジク、キビがあったよ
0822世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/17(木) 15:56:49.360
パンは有名だけど、ドライフルーツもあったのか
イチジクって、カルタゴぽい
0823世界@名無史さん
垢版 |
2022/02/20(日) 01:58:21.420
2年半に渡って行方不明の女児…祖父宅の“隠し部屋”で発見
アメリカ・ニューヨーク州(ABEMA TIMES)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b25244bdf4649c42a6c291968d3128338f1e597

こういった隠し部屋に子供を暫く幽閉した後に、
フェニキア人の崇拝するバアル神への生け贄にしていたのではないか。
0825世界@名無史さん
垢版 |
2022/03/05(土) 20:48:09.570
ぶっちゃけローマ滅亡を誰よりも願ったハンニバルがいなかったらローマが地中海の覇権国になる事もなかったかもしれない。

国力ではギリシャの方がローマより上だったし

ハンニバルが騎兵を主力にした戦術でローマの重装歩兵を圧倒しまくったせいで
ローマ兵もハンニバルの真似をして騎兵を主力にするようになった。

そんな騎兵を主力にするようになったローマに

未だに重装歩兵を主力にしていたギリシャ諸国が太刀打ちできなかったわけだ
0827世界@名無史さん
垢版 |
2022/03/08(火) 20:56:45.150
(⚫︎ω・`)<なんかー、俺のせいでローマ強くなったって言われるのー、大変に遺憾
0828世界@名無史さん
垢版 |
2022/03/12(土) 12:14:14.990
国務大臣
(内閣総理大臣を除く) 17人以内
0829世界@名無史さん
垢版 |
2022/03/12(土) 14:29:18.320
親を養育することも、さらには天寿を本来のままに生き尽くすことも、全て可能となるのである。
0832世界@名無史さん
垢版 |
2022/03/16(水) 14:27:05.090
・・・プーチン大統領に大きな影響を与えてきたとされる、
モスクワ大学元教授のロシア人哲学者アレクサンドル・ドゥーギン・・・
インタビューをしたジャーナリストのアモス・バーシャッドによると、
彼の代表作『地政学の基礎』(1997年刊行)は、とりわけ軍の
エリートたちのあいだで広く読まれている。

そこには、彼の世界観がこう記されている──
世界は2つの勢力にわかれている。海洋勢力である「永遠のカルタゴ」と、
陸の勢力である「永遠のローマ」。この構造は古の昔から変わらない。
ただし、今日おけるカルタゴは「アメリカ」で、ローマは「ロシア」である。
そしてこの両者は、どちらかが滅亡しない限り終わらない永遠の戦いを続ける。

彼は、西側諸国の「退廃的」な価値観を憎んでいるのだ。
それは、ジンバブエのムガベ大統領が「ジンバブエは黒人のもので
あるべきだ」というコメントを受けた、ドゥーギンの発言にも表れている。

「私は黒人を支持する。白人の文明──その文化的価値観、まやかしの、
非人間的な世界のモデルは、正当化できるものではない。すべてが白人
による地球規模のポグロム(破滅)の始まりへと向かっている。
ロシアが救われたのは、我々が純粋な白人ではないからだ。
略奪的な多国籍企業、白人でない者たちへの迫害と弾圧、MTV、
ゲイやレズビアン──これが白人の文明が生みだしたものであり、
こうしたものは排除しなければならない。
だから私は、赤、黄、緑、黒を支持する。でも白人は支持しない。
私は心からジンバブエの民衆の側に立つ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/764d78ecced1d4b1bc35c78edd8a176fbe7645c7

良いこと言ってる。
近現代の災厄って、昔から続くフェニキア・カルタゴ問題なんだよね。
0833世界@名無史さん
垢版 |
2022/03/16(水) 21:25:05.640
(⚫︎ω・`)<ロシアがローマで、アメリカがカルタゴ?
確かにロシアでローマの末裔を自負する輩が居た気はするけど…
んじゃあ、俺はアメリカに加護を授ければ良いのかな
0835世界@名無史さん
垢版 |
2022/03/29(火) 09:11:14.380
>>834確かアゾレナにも大きな水槽を使ったフェニキアの地下神殿があった筈
カルタゴの軍港とはだいぶ形が違う様だけど、なんで軍港だと思われたんだろう
0837世界@名無史さん
垢版 |
2022/04/22(金) 22:40:13.060
(⚫︎ω・`)<勝海舟さんは俺の生まれ変わりって話しを最近見た
0839世界@名無史さん
垢版 |
2022/04/28(木) 01:07:35.500
スペイン南部で「前例のない」フェニキアのネクロポリスを発見
https://www.theguardian.com/world/2022/apr/26/unprecedented-phoenician-necropolis-osuna-spain
https://i.guim.co.uk/img/media/640be8e7f5e9592f71d20df3915fbd7455ee6234/0_117_1024_614/master/1024.jpg?width=620&;quality=45&auto=format&fit=max&dpr=2&s=3bc436626ed92ba4c766741201dcb1e1
(地下の石灰岩の埋葬金庫)

スペイン南部の水道を修理する労働者が、2,500年前にイベリア半島に住んでいたフェニキア人の死者の地下の石灰岩の金庫の「前例のない」よく保存されたネクロポリスに出くわしました。
セビリアの東55マイル(90km)のオスナの町にあるローマ時代の遺跡の中で発見された遺跡を探索する考古学者は、フェニキア・カルタゴの墓地は紀元前4世紀または5世紀にさかのぼり、そのような場所は通常内陸部ではなく沿岸地域で見られるため、非常に珍しいと言います。

予備調査では、これまでに8つの埋葬金庫と階段、アトリウムとして機能したと思われるエリアが見つかりました。
主任考古学者のマリオ・デルガドは、この発見は非常に重要で非常に予想外であると述べた。「フェニキアとカルタゴ時代のネクロポリスを見つけるには、8つの井戸の墓、アトリウム、階段へのアクセスなど、これらの特徴を持つネクロポリスを見つけるには、サルデーニャ、さらにはカルタゴ自体に目を向ける必要があります」
0840世界@名無史さん
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2022/04/28(木) 01:21:54.550
中世スペインの城のフェニキアの女神の謎
現在グアルダマール・デル・セグラの要塞を擁する丘は、以前は船員を保護する神聖な力に捧げられた聖域の場所でした
https://english.elpais.com/culture/2022-04-18/the-mystery-of-the-phoenician-goddess-in-a-medieval-spanish-castle.htm

専門家は、スペインの地中海沿岸のアリカンテ州のセグラ川の低谷にある中世後期の城グアルダマールによって占められている丘の下で発見されたさまざまな考古学的発見で構成されたパズルをまとめるのに40年近くを費やしました。発見の中には、青銅の矢じり、大釜、織機の重さ、奉納物、テラコッタの女神の姿、さらには2頭のライオンが鹿を攻撃する小さな陶器の鉄があり、それらはすべてフェニキア人(紀元前8世紀から6世紀)とイベリア人(紀元前6世紀から1世紀)の時代にさかのぼります。専門家は、両民族が古代にこの海岸の最も顕著な塚に定住していたことに疑いの余地はありませんでした。

https://images.english.elpais.com/resizer/nfRI_bhoviRh1umoG0sqaSF2Aqo=/1960x0/cloudfront-eu-central-1.images.arcpublishing.com/prisa/RDYD2POAT5DFFD66UW2ECJNR6Q.png
(グアルダマール・デル・セグラの要塞の発掘で発見されたエジプトの頭飾りを持つ頭)
https://images.english.elpais.com/resizer/cMDAGUf6w8EIVkGaw8dMbSlYKGo=/1960x0/cloudfront-eu-central-1.images.arcpublishing.com/prisa/HRJ7Q4RAF5AD7ERN2JZRR3OP5I.png
(グアルダマール・デル・セグラの要塞で発見されたイベリアの香炉)l

海の女神アスタルテは、「金星、日没時に空に最初に現れるので、夜に導く星:空、戦争、セーリング、そして根本的には豊穣と肉欲の愛の女神だけでなく、魔法の神聖な水の使用の女神」でした。
0842世界@名無史さん
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2022/05/01(日) 20:15:55.550
フェニキアの集合墓地だと断定した根拠は出土した神像からなのかな?
自分もフェニキア文字の文章と、それから遺骨を期待したい
0843世界@名無史さん
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2022/05/04(水) 18:30:27.860
From Greek to Latin: Visualizing the Evolution of the Alphabet
(ギリシャ語からラテン語へ:アルファベットの進化を視覚化する)
https://www.visualcapitalist.com/from-greek-to-latin-visualizing-the-evolution-of-the-alphabet/

https://www.visualcapitalist.com/wp-content/uploads/2021/12/Visualizing-the-Evolution-of-the-Alphabet.png
【それはすべて私にとって原始シナイ語です】
英語、ラテン語、あるいはギリシャ語が存在する前に、原始シナイ語がありました。

これまでに使用された最初のアルファベットと考えられていたシナイ祖語の文字は、聖書のイスラエルの土地の周りのカナンで派生しました。それはこの地域で一般的に見られたエジプトの象形文字(その名前はシナイ山から来ています)から再利用され、意味の代わりに音を記述するために使用されました。

最初のセム語のスクリプトとして、原始シナイ語はすぐに他のセム語に影響を与えました言語.それは現代のレバノンの地域で使用され、地中海に広がり、アラビア語、キリル文字、ヘブライ語、そしてもちろんギリシャ語の基礎となったフェニキア文字の前身でした。
0844世界@名無史さん
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2022/05/05(木) 05:13:03.620
アブジャドって方法が楔形文字の時点であったのが大きいか
0845世界@名無史さん
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2022/05/06(金) 11:17:04.270
フェニキア文字が最初という訳じゃなくて、フェニキア文字のさらに先祖文字があって、それを現在のアルファベットに近づけたのがフェニキア文字ってことかの?
0846世界@名無史さん
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2022/05/07(土) 01:38:17.210
アルファベット系はあったが楔形文字だった
革の紙に筆で書くって手法はフェニキアか
それ以降のアラム文字で爆発的に広がった
0847世界@名無史さん
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2022/05/08(日) 22:33:17.980
専門家がフェニキア船マザロンUの回収を検討
https://murciatoday.com/experts_examine_excavating_phoenician_ship_mazarron_ii_1771778-a.html

来年初めにスペイン・ムルシア海底からフェニキアの難破船「マザロンU」を引き上げる検討をしています。
1994年にラ・イスラ・ビーチ沖で発見されたこの船は、現在までに発見された最も完全な古代の船です。
0849世界@名無史さん
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2022/05/09(月) 22:23:27.270
(⚫︎ω・`)<えーっと
マザロンのフェニキア船2号の引き上げ復元作業は来年初めに執り行われる可能性が高い…
悪天候で難破船が大破する可能性に備えての事かな
0850世界@名無史さん
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2022/05/09(月) 23:37:20.150
ガレー船でてこないか
0851世界@名無史さん
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2022/05/11(水) 00:03:44.950
【モンテプラマの巨像、地中海の島に埋もれていた3千年前の巨人たち】
イタリア、サルデーニャ島で見つかった奇妙な石像が開く、地中海文明を解く扉
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d1234e2a32f793bdd8633f96e2c05d8840eb31f

石灰岩から彫り出されたモンテプラマの巨像には、高さ2メートルほどのものもある。顔は三角形で、眉と鼻はT字になっているなど、定型化された顔立ちが特徴だ。まず目につくのが、まっすぐに前を見つめる、大きく丸い同心円の目だろう。盾を持つ像もあれば、弓を持つ像もある。これらの特徴から、モンテプラマの石像は、「射手」「ボクサー」「戦士」の3つに分類された。

巨像の製作からしばらくして、ヌラーゲ人の部族制度は衰退し始めた。この島の豊かな鉱物資源をめぐって、ギリシャ人とフェニキア人が争いを続け、最終的にフェニキア人が支配権を獲得した。その後、紀元前6世紀には、北アフリカのカルタゴ(フェニキア人が作った国家)が、サルデーニャ島を征服した。

巨像は、ヌラーゲ文化衰退後に破壊されたとみられている。これは、明らかに意図的な冒とく行為だ。フェニキア人かカルタゴ人の入植者たちが、新体制を確立するため、過去の文化を目に見える形でおとしめようとしたものだと、学者たちは考えている。
0852世界@名無史さん
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2022/05/11(水) 12:10:29.160
最近カルタゴ関連の記事多いね
しかしこの野球部員モブみたいな像はフェニキアビーズの人頭にも似てるが、シュメール人像の方に近い感じがする
あれ、フェニキアの祖先がシュメールって説なかったっけ
0853世界@名無史さん
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2022/05/13(金) 16:21:49.520
【ペリシテ人は何処から来たのか?】
トルコ南部での発見は、「海の民」ペリシテ人がクヌルア(Kunulua)に侵入したのではなく、そこに住んでいたと説明しています。
https://www.haaretz.com/archaeology/philistine-homeland-found-and-surprise-1.5401085

これまでの「海の民の侵略」説は、ペリシテ人がエーゲ海の基地からこの地域を襲い、立ち上がったと仮定していました。しかし、トルコ南東部の人里離れた遺跡での最近の発見は、偉大な文明が崩壊したときにペリシテ人がすでにそこにいたことを示しています。

テル・タイナト(Tell Tayinat)がペリシテ人の首都であるという新しい推測は、トロント大学近東・中東文明学部のティモシー・ハリソン教授が率いる発掘調査で発見された特異な陶器の発見やその他の奇妙さから生まれました。
https://img.haarets.co.il/img/1.5651567/1018316866.jpg?precrop=802,601,x0,y0&height=525&width=700
ペリシテ人の典型的なバイクローム陶器。テル・タイナット(Tell Tayinat)であまりにも多くが発見されたので、輸入されたのではなく、そこで作られたと考えられる。
https://img.haarets.co.il/img/1.5651565/1018316866.jpg?precrop=1173,745,x0,y0&height=445&width=700
テル・タイナトの場所

トロント大学のハリソンは、「海の民の侵略」説よりも、時間の経過とともにペリシテ人が少数でこの地域に移住し、地元の人々と同化したのではないかと考えています。

テル・タイナトで発見された複数の碑文は、ヒッタイト人が使用したルウィ語で書かれており、「ワリスチン」または「パティーン」の支配者である神秘的な「タイタ王」に言及していました。

2012年、トロント大学のチームは、ヒッタイト王Suppiluliumaの埋葬された等身大の像の上半分を発見しました。像の背中にあるルウィアの碑文は、紀元前858年にアッシリアのシャルマネセル3世の猛攻撃と戦った「パティニアの」王と彼を結びつけて、彼の功績を物語っています。
ヒッタイト人にとっては、都市への入り口を守る巨大な彫像を持つことが一般的でした。
0854世界@名無史さん
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2022/05/13(金) 16:31:49.910
ペリシテ人の巨人兵士「ゴリアテ」は巨大な石像だったかもしれませんね
0855世界@名無史さん
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2022/05/14(土) 03:10:05.740
【リビア古来の穴居住居 観光スポットとして復活に期待】
https://news.yahoo.co.jp/articles/bbea7e2609c03a3f8e4d5c8af205b42602dce4c0

【AFP=時事】リビア北西部の町ガリヤン(Gharyan)には、何世紀も前に掘られたユニークな岩窟住居群がある。多くは廃虚となったまま放置されてきたが、住民らの間で観光スポットとして復活させようとの動きがある。

首都トリポリの南方約100キロ、ベルベル人とアラブ人が混住するガリヤンで最古の住居の一つに住む、アルビ・ベルハジ(Al-Arbi Belhaj)さんは「祖父よりも何世代もさかのぼる先祖が、355年前にここを掘ったのです」と語った。

「ダモース」と呼ばれる穴居住宅が何世紀も崩れずに残っているのは、この地域の土壌に粘性があるからだ。

歴史学者のユセフ・ハタリ(Youssef al-Khattali)氏によると、一部の岩窟住居は2300年以上前にさかのぼるものだ。またフェニキア人が栄えた時代の埋葬地もあるという。
0856世界@名無史さん
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2022/05/16(月) 10:03:37.530
チネキョイの碑文は、象形文字のルウィ語とフェニキア文字で書かれた古代のバイリンガルの碑文です。碑文は紀元前8世紀の後半にさかのぼります。トルコ南部のアダナ県(古代キリキア)の首都であるアダナの南約30kmに位置するÇineの村の近くで1997年に発見されました。

同じタイプの別の重要な碑文は、トルコ南部のカラテペで発見されたカラテペ碑文として知られています。これらの碑文は両方とも、「モプソスの家」(象形文字ルウィ語ではムクサ、フェニキア語ではモプソスとしてmpsの形式で与えられている)から古代アダナの王をたどっています。

都市の名前「アダナ」はメソポタミア神話における天候や嵐、雷の神アダドに由来しています。
0857世界@名無史さん
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2022/05/17(火) 19:35:58.000
アダナとその周辺地域に住む最初の知られている人々はルウィ人でした。彼らは紀元前3000年から紀元前1600年頃までアナトリアの地中海沿岸を支配していました。

ヒッタイトの方は、その長きにわたる戦役により、首都ハットウシャを支えるハッティ地方の労働力や財政を浪費したため、首都は無政府状態となり困窮していた。 ムルシリは帰国後直ぐに義弟のハンティリ1世(在位;BC1590年頃〜BC1560年頃)に暗殺されている。ヒッタイト王国はまたもや混乱状態に陥った。
チグリス川とユーフラテス川の上流部の山地に住むフルリ人は、この状況を好機としてアレッポとその周辺地域を掌握し、さらに地中海東岸のキリキアCiliciaにあったヒッタイトの植民都市アタニヤ(アダナAdana)を獲得した。

その後、ルウィ人とフルリ人が共存していたようです。
アダナの住民はダヌナと呼ばれ、「海の民」デネン人という説があります。
また、アダナはクエ(クウェ)王国の中心都市であったようです。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/060100328/?P=2
カナン人の名前の多くは、カフカスを起源とする非セム系言語であるフルリ語に由来すると、歴史学者は指摘する。
0858世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/17(火) 19:44:31.360
【日本の研究者らがツタンカーメンの鉄剣の謎を解明】
https://www.arabnews.jp/article/japan/article_62448/

「3400年前、アナトリア高原のヒッタイト王国とシリアにまたがるミタンニ王国が製鉄技術を持っていたのです。だから鉄隕石を加工することができたのです」
0859世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/17(火) 19:54:31.800
【Helmets and arms from Battle of Alalia found at Velia】

ギリシャ人がエトルリア人とカルタゴの同盟軍に対してピュロスの勝利を収めた有名な紀元前6世紀のアラリア海戦からのヘルメットと武器が、ナポリの南のパエストゥム近くのヴェリアで新しい発掘で発見されました。
0860世界@名無史さん
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2022/05/17(火) 23:57:45.070
>「3900年から3200年前のヒッタイトで、秘密の技術として鉄製品を作る技術がありました。

それがあったのならもっと早く台東してたはず
ギリシャの島のどっかに元ネタあったんじゃね
0862世界@名無史さん
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2022/05/21(土) 20:27:48.370
紀元前12世紀頃にチェケル人(Tjeker)が都市ドル(Dor)を征服して大規模な要塞都市を築きました
チェケル人は「ウェンアメンの物語」でビブロスの港を封鎖する実力がありました
「ウェンアメンの物語」では、ドルはエジプトからカナンの海岸沿いの航路の最初の重要な寄港地のようです

紀元前11世紀頃にヘブライ王国にドルを奪われたチェケル人は、ヘブライ王国に従属し、アシェル族と呼ばれたのではないでしょうか?
そして、ドルに代わる新たな湾岸都市をティルスに築いたのではないでしょうか?

トルコ南部の都市アダナ(Adana)の住民はダヌナと呼ばれ、キプロス島にも住んでいたようです
アダナやキプロス島にいたダヌナがチェケル人ではないでしょうか?
クウェ(アダナ)はソロモン王が馬を手に入れた場所でした(列王記10:28、29;列王記1:16)

ウガリット文書に、ビブロスの王がウガリットから木材を輸入しようとしたところ'Aziruというアムル国の王が邪魔をして航路を支配し、
ウガリットとの交易を妨げているという内容があります
アダナはキプロス島、ドルを経由して安定したエジプトとの交易ルートを築いたのではないでしょうか?
つまり、ティルスはアダナの植民都市ではなかったでしょうか?
0864世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/22(日) 17:30:44.410
「 ヒッタイトと古代エジプト」
https://rarememory.com/hittite/hittite.htm

エジプト軍は陸路で、レヴァントの国境、フェニキアの沿岸地方にあたる北東国境から侵入した「海の民」の軍を破った。
大ハリス・パピルスによれば、
「予は我が国に彼等の祖国から侵入した者達を討ち、エジプトの全ての国境を押し広げた。予は島々から来たダヌナ人達を殺し、チェケル人とペレセト人を焼き討ちした。海に住むシルダーヌ人とウェシェシュ人は、まるで昔から存在しなかったかのように壊滅し、一網打尽に捕らえ、捕虜として海辺の砂のように数えきれないほどエジプトに連れてきた。予は彼等を予の名にちなんだ拠点(後のペリシテ人のペンタポリス? )に定住させた。彼等は10万ほどおり、数え切れないほどだった。予は毎年倉庫や穀倉から彼等に支給される全ての衣服や穀物に課税した 」

古代では、銀の価値は金よりも高かった。古代エジプトや古代インドにおいては特に顕著で、金に銀メッキをした古代エジプトの宝飾品が出土しているくらいである。これは、金が自然金としてそのまま産出することが多いが、銀は他の元素と化合していない単体(自然銀)で産出することが非常に稀であることによる。
貴鉛を「灰吹床(はいふきどこ)」で溶解し、銀と鉛を吹き分ける製錬方法を灰吹き法Cupellation Processと云う。現在も金・銀の分析法や精製法として利用されているが、古くから行われてきた技術で、旧約聖書にも記されている。「灰吹床」の形態や灰の材質などに時代的変遷があるが、骨灰や木灰などを敷いた凝灰岩製などの坩堝(るつぼ)で熱すると、最初に鉛が溶けて酸化鉛になって比重差により下に沈み「灰吹床」に吸着し、上部に金銀合金だけが残る。

アシェル族は英語で「Tribe of Asher」
「Ash」=「灰」で、「Asher」は”灰”塗れの人、または上記の説明のように”灰”を操る人という意味ではないでしょうか?
0865世界@名無史さん
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2022/05/22(日) 22:26:36.660
灰吹法って戦国時代とかに金の精製速度を飛躍的に上げたあれか
0866世界@名無史さん
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2022/05/22(日) 22:52:24.240
ハンニバル・バルカ「道は見つけるか、それとも作るかだ」

「海の民」にこだわるのは、「海の民」が既にエジプトまでの海上の交易ルートを作っていたのではないかと思うからです
シェルデン人がサルデーニャ島出身であれば、サルデーニャ島からエジプトまでの交易ルートがあったと考えるからです
フェニキア人が、例えばサルデーニャ島の銀を扱うのに、既にある海上の交易ルートを利用すればいいのですから

そこで疑問が湧いてきます
フェニキア人は何故この海上交易ルートを利用出来たのでしょうか?
ティルスやシドンなど東地中海沿岸の人々が交易ルートの都市(例えばウティカ)に移住したのでしょうか?共存したのでしょうか?それとも征服したのでしょうか?
それとも中継港があり荷物を積み替えたのでしょうか?
0867世界@名無史さん
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2022/05/23(月) 01:49:09.660
フェニキアが二段櫂船を発明して、それ以前の海賊を全部海に沈めた
アッシリアのレリーフからフェニキアがそれを持ってたのは確実
櫂船に対しては櫂船でしか太刀打ちできない
ギリシャがそれを持つまで、フェニキアが一人勝ちになるしかない

それまでワンピースみたいな海賊船だったものを
二段櫂船で土手っ腹に穴開けて後退して沈むのを待つ
相手が降伏したら積荷を全部奪って船員は奴隷(漕ぎ手)

これを延々繰り返す
0868世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/23(月) 01:50:49.050
ティルスのアヒラム王とソロモンの栄華は真実だったのだ
地中海独占の恩恵はすべて彼らにいった
0869世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/23(月) 21:45:31.860
「ウェンアメンの物語」では、エジプトでは木材が不足しビブロスに求めている
「ウガリット文書」では、ビブロスは木材の輸入をウガリットに頼っているが、アムル国に交易を妨げられている

シリア周辺に数多くの独立国が存在し、アナトリア方面からエジプト方面の交易が不安定な状況でした
アナトリア南部のアダナが、エジプトへの安定した交易ルートを確立するために、東地中海沿岸に植民都市ティルスを築いたのだと思います
アダナの西にタルススがありレバノンスギが豊富にあった場所です

ソロモン王は、レバノンスギの伐り出しに、1ヵ月交替で1万人を送った。このレバノンスギで、彼は「ヤハウェ」のために宮を作った。宮の内側の壁から床、そして天井にいたるまで、レバノンスギの板で貼りめぐらしたと旧約聖書は記している。また、ソロモン王は自分の家を建てたが、その家はすべてレバノンスギでできており、「森の家」と呼ばれた。
クウェ(アダナ)はソロモン王が馬を手に入れた場所でした(列王記10:28、29;列王記1:16)
旧約聖書の「タルシシュ」はタルススを指していると思います

アナトリア西・西南沿岸にギリシア人の都市国家がありました
個人的な見解ですが、アダナからアナトリア沿岸を西へ航海しギリシア人都市とも交易をしていたと思います
ギリシア人から見て東から来たこの商人を”フェニキア人”と呼んだのではないでしょうか?
0870世界@名無史さん
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2022/05/24(火) 14:37:29.020
タルススはタルテッソスとなんか関係あるんかな
似てる気がする
0871世界@名無史さん
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2022/05/24(火) 18:21:51.020
旧約聖書の時代、ティルスは(キプロス島経由で)アナトリア南部とエジプトを繋ぐ中継港だったと思います
イスラエルに残る銀を調べた結果、初期はアナトリア産とサルデーニャ産だということが分かっています
サルデーニャ産の銀はアナトリアで入手したのではないでしょうか
つまり、ティルスからサルデーニャ島まで船で航海したわけでないと思います
サルデーニャ島からアナトリアまでの交易ルートがあったと思います

銀の産地がイベリア半島産に最終的には全て置き換わっていますが、なぜでしょうか?
アナトリアとサルデーニャの銀鉱山が枯渇したのでしょうか?
個人的にはこの交易ルートにアクセス出来なくなったのではと思います
代わりにイベリア半島からアフリカ大陸を経由してエジプトまでの交易ルートに頼ったのではないでしょうか
こちらもイベリア半島まで航海する必要はなく、エジプトでイベリア半島産の銀を入手したのではないでしょうか
(後にこの交易ルートの中心がカルタゴになったと思いますし、さらに言えばティルスやシドンからの移住はなかったと思っています)

私見としては、ティルスやシドンの人たちがサルデーニャ島やイベリア半島まで航海していないと思います
別々の海洋交易ルートが繋がっていただけだと思います
この地中海の海洋交易の商人が”フェニキア人”と呼ばれているのではないでしょうか
0872世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/24(火) 18:40:37.960
日本で発見されているローマングラスも直接ローマと取引してたわけではなく、中間にある国と交換される形で入ってきたと聞くね
0873世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/25(水) 06:26:59.740
サルデーニャ島の銀をアナトリアまで交易した人は誰でしょうか
>>428 で挙げた「エトルリア人」が関係あるのではと思います

他に「サルデーニャ人(ヌラーゲ人)」も気になっています
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/94/Barren-Gott%2C_Enkomi%2C_12._Jh._v._Chr._C.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/98/Geh%C3%B6rnter_Gott%2C_Enkomi.jpg
キプロス島のエンコミ(Enkomi)で見つかった像です
(エンコミはアラシヤの首都ではないかと言われています)
0874世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/25(水) 19:41:52.480
>>871
ガレー船を秘匿にしていないといけない(実際BC9~8世紀まで他に知られてなかった)
他の船を全部沈めないとだめよ
0876世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/26(木) 14:06:42.690
カレーせん


ウマー
0878世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/27(金) 08:46:14.320
ウガリットは国際豊かな国(都市)でした
アシュドド人、つまり、ペリシテ人のコミュニティーがありました
サルデーニャ人(エジプト語でSrdn)のコミュティーもありました

またウガリットでは、ksp(銀)が通貨としての意味を持っていたようです
金属、衣服などがすべて銀によって換算され評価されていました
銀4に対して金1の交換率であり、9シケルの銀で9匹の羊が交換されていました
ビブロスの王に540シケルの銀が船の代金として支払われたり、捕虜の引き渡しにも銀で支払われていたようです
0879世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/27(金) 22:14:46.410
シケルって、カルタゴの通貨もそうだよね
国や時代によって1シケルの価値がだいぶ違うみたいだが
0880世界@名無史さん
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2022/05/28(土) 05:35:49.550
しける?
しけたカレーせんなんか食いたくないわ
0881世界@名無史さん
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2022/05/28(土) 10:13:48.870
アマルナ文書(EA35)において、キプロスの王がエジプトのファラオに相当量の銀を要請しています
何かの支払いで相当の銀が必要だった可能性がありますが、他の可能性として銀の供給量がこの地域で不足していた可能性もあるのではないでしょうか
サルデーニャ側とアナトリア側で共謀して銀の供給量を絞り、銀の相場を操作していた可能性はないでしょうか
サルデーニャ人やアナトリアの人はウガッリトに居て、銀の相場を見ることができたのではないでしょうか

サルデーニャ人はギリシャのペロポネソス半島のアルゴス辺りに居住し、銀をここでいったん貯蔵し供給を調整していたのではないでしょうか
巨石でできた城塞王宮のメガロンなど、ミケーネ人はサルデーニャ人(ヌラーゲ人)だったのではないでしょうか
堅牢な城壁で囲まれ閉鎖的なのは、貯蔵した銀を外敵から守るためだったと思います
0882世界@名無史さん
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2022/05/28(土) 10:15:28.490
【世界最古の沈没船、ウルブルン沈没船(紀元前1300年頃)】
https://suichukoukogaku.com/uluburun-shipwreck/

https://maritimehistorypodcast.com/wp-content/uploads/2015/10/Uluburun-v7a-Final-Art-2376da065dd7f4e3ab92e987411e72c0.jpg
ウルブルン沈没船から発掘された積み荷を分析してわかった当時(紀元前1300年頃)の東地中海における海上交易の様子

この時期にイスラエルで見つかった錫のインゴットはイングランド南西部のコーンウォールとデボンからという記事を他で見ました
上記の地図だと錫はタウロス山脈(トロス山脈)とザグロス山脈でしょうか
0883世界@名無史さん
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2022/05/29(日) 02:52:06.910
両方カルタゴでもフェニキアでもなく、それ以前の海の民の時代だな
0884世界@名無史さん
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2022/05/29(日) 02:55:48.830
ラテン語ていうのも格変化やら語順入れ替えが自由で中東ぽい言語だったらしい
フェニキアの影響か
0885世界@名無史さん
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2022/05/29(日) 12:17:56.590
El-Ahwatは、イスラエルのマナセ地域にある遺跡で、カザリアの東10マイル、サマリア北西部のカツィアハリッシュ近くにあります
1992年11月に考古学者Adam Zertalの調査中に発見され、サルデーニャのヌラーゲ遺跡に似ているためサルデーニャ人(ヌラーゲ人)の集落であった可能性が高いということです

フェニキア人がサルデーニャ島にたどり着く前に、サルデーニャ人(ヌラーゲ人)が既に東地中海沿岸に居住していた可能性が高いと思います
カルタゴはサルデーニャ島のほぼ真下(南)に位置します
サルデーニャ人(ヌラーゲ人)がフェニキアとカルタゴに深く関わっている可能性があるのではないでしょうか
0887世界@名無史さん
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2022/05/29(日) 15:56:10.070
タアナクからの粘土板によると、「メギドの戦い」から間もなく王の名にインド・ヨーロッパ語が出てくることが見られるそうです
町が戦車に乗った戦士の貴族によって治められていることが明らかにされているということです

メギドの戦いは、紀元前15世紀にトトメス3世率いるエジプト軍とカデシュ王率いるカナン連合軍との戦いである
エジプト側が勝利し、カナン連合軍はメギドへ向けて敗走した。エジプト軍はメギドを七ヶ月にわたり攻囲したうえ開城させた

この戦いで疑問だったのが、カナン連合軍が何故か南から進軍してきたエジプト側の南へ敗走していることです
個人的な見解ですが、カナン連合軍とされているミタンニが裏切ったのではないでしょうか(もしくは初めからエジプト側だったのか)
ミタンニが裏切ったためカナン連合軍は南へ敗走し、ミタンニ(フルリ人)がカナン地域を支配下に置いたのではないでしょうか
0889世界@名無史さん
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2022/05/30(月) 05:42:38.750
>>888
そうですね、「海の民」の方が適切かもしれません
El-AhwatはDor(ドル)にも近いですし、チェケル人も「海の民」といった連合軍かもしれません

地中海交易の継承の一つの系譜として、「サルデーニャ人(ヌラーゲ人)」←「フェニキア人」←「カルタゴ人」があるような気がします
フェニキア人は友好的ですが、カルタゴ人は攻撃的な感じがします

メガロンやトロス墓などミケーネ人はサルデーニャ人(ヌラーゲ人)と非常に類似しています
エジプトのナウクラティスは考古学的に少なくともミケーネ文明期まで遡ることができると言われています
ナウクラティスで見つかったギリシア文字は発生期の特に初期のものであることが判明し、”フェニキア文字”からの変化の過程にあるものもあります
”タニト”の像もナウクラティス(または近郊)で発見されています
”フェニキア文字”や”タニト”などナウクラティスも関りがあるのではないかと個人的に推測しています
0890世界@名無史さん
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2022/05/30(月) 05:54:18.950
ヌラーゲ文明の像として、4つの目と4つの腕を持つ戦士のブロンズ彫刻があります
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/Civilt%C3%A0_nuragica%2C_prima_et%C3%A0_del_ferro%2C_bronzetti_dal_santuario_di_albini-teti_%28NU%29%2C_grande_demone_a_quattro_occhi%2C_quattro_braccia_e_due_scudi_02.jpg/408px-Civilt%C3%A0_nuragica%2C_prima_et%C3%A0_del_ferro%2C_bronzetti_dal_santuario_di_albini-teti_%28NU%29%2C_grande_demone_a_quattro_occhi%2C_quattro_braccia_e_due_scudi_02.jpg

牛は神聖な動物で、半人半牛の像を描いた小さなブロンズの彫刻があるそうです
また、頻繁に描かれたもう一つの聖なる動物は鳩だということです
0891世界@名無史さん
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2022/05/30(月) 13:18:33.020
>>880
オーブントースターでチン
0892世界@名無史さん
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2022/05/31(火) 10:59:13.380
エジプトの月の神にコンス (Khons, Chons) がいます
タニトのマークと同じように(頭の上に)太陽と月があります(月の位置は上下逆で上弦の月、下弦の月の違いでしょうか)
コンスでは太陽と月ではなく、満月と三日月を表しています

タニトも同じように満月と三日月を表す月の神を表しているのではないでしょうか
エシュムン神殿跡で見つかった陶器の破片に、「月の神タニト」と解釈できる銘があったということです
0893世界@名無史さん
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2022/05/31(火) 11:22:24.830
ヌラーゲ文明の像に右手を挙げている像が幾つかあります
部族の長や町の統治者を表しているということです
メソポタミアでも神と対峙している王が右手を挙げているレリーフがあります
右手を挙げる行為は神に仕えるという行為で、王(または女王)、統治者や部族のリーダーを表しているのではないでしょうか

カルタゴのバアル・ハモンは伝説の王または国の統治者を表し、神タニトに仕える統治者を表現しているのではないでしょうか
王の名前に神の名前が入っていることは例があります
0894世界@名無史さん
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2022/05/31(火) 12:00:18.840
カルタゴにおけるバアル・ハモンとタニトの関係は、エジプトでのファラオと神の関係に似ているのではないでしょうか
0895世界@名無史さん
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2022/05/31(火) 19:17:21.000
サルデーニャ島Nora、シチリア島Lilybaeum、クレタ島Kommosでタニト(のマーク)と三本の柱の組み合わせが発見されています
http://www.archaeologicalresource.com/Books_and_Articles/Tree_and_Pillar_Cult_Medit_Evans_1901/images/image29.png

この三本の柱をいろいろ調べていたところ、ミケーネ時代に木と柱の崇拝があったようです
【The Mycenaean Tree and Pillar Cult and its Mediterranean Relations】
http://www.archaeologicalresource.com/Books_and_Articles/Tree_and_Pillar_Cult_Medit_Evans_1901/Tree_and_Pillar_Cult-Mediterranean_Evans.html?i=1

個人的見解でミケーネ人はサルデーニャ島のヌラーゲ人だと思っていますので、ヌラーゲ文明を探ってみました
三本の柱の起源は、ヌラーゲの石塔ではないでしょうか
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/37/Nuraghe%2C_1600_B.C..jpg
0896世界@名無史さん
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2022/05/31(火) 22:19:09.400
>>894
タニトは「バアルの顔」だよ
カルタゴ出土の色々な碑文にそう書いてある(日本語だと古代カルタゴとローマ展の図録とかにいくつか翻訳が載ってる)
最初はバアル・ハモンだけに奉納石碑は捧げられてた
(ちなみに長谷川先生のハンニバルの本に画像が載ってる石碑にはタニトの名前がなくてバアル・ハモン単独に捧げられてる、本では触れられてないけど)
タニトは本来アシュタルテのペルソナとしてフェニキア本土で生まれた可能性が高いと最近では考えられてるけど、前5世紀末から(大土地所有系の貴族層形成に伴う可能性がある)単独の神として独立、急激に人気になってバアル・ハモンとペアになった
0897世界@名無史さん
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2022/06/01(水) 09:27:29.390
>>896
解説ありがとうございます、私の強引な解釈でした

サルデーニャ島の神話(伝説)に”Sardus”と”Norax”がいます
”Sardus”は大勢の男たちと共にリビアを去り、サルデーニャ島を占領したとあります
”Norax”はTartessos (タルテッソス)から出発し、イベリア人を指揮してサルデーニャ島に着き、Noraを創立したとあります
0898世界@名無史さん
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2022/06/01(水) 10:41:24.660
完全な多神教国家なのに、何故ヤマザキマリちゃんは一神教と思っていたんだろう
0899世界@名無史さん
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2022/06/01(水) 11:38:51.210
レリーフや像で王、部族の長や統治者が右手を挙げるときは、相手に手のひらを見せるような状態です
一方で、右手を頭上近く振り上げ、何かを持っているかのような拳の像はバアルを表しているのでしょうか
0900世界@名無史さん
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2022/06/01(水) 11:39:23.040
知らんがな
0901世界@名無史さん
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2022/06/02(木) 00:42:59.860
アシェル族について

アシェルの人々は、Redeshiya神殿のセティ1世(1291年頃-1279年)の碑文とAbydosのラメセス2世(1279年-1212年)の神殿の碑文に言及されているようです。
セティのリストでは、アシェルの領土はオロンテス川のケデシュからメギドまで
ということです

ちなみに”灰”は全く関係なさそうです
0903世界@名無史さん
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2022/06/02(木) 01:17:57.940
アシュルがアシェルってこと?


創世記:25章:18節 イシマエルの子らはハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んで、アシュルに及んだ。イシマエルはすべての兄弟の東に住んだ。

民数記:24章:24節 キッテムの海岸から舟がきて、アシュルを攻めなやまし、エベルを攻めなやますであろう。そして彼もまたついに滅び去るであろう」

未知のアシェル人ってのがいるってことか?
0905世界@名無史さん
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2022/06/03(金) 06:57:56.200
>>901
ケデシュの英語の原文は「Kedesh on the Orontes」
この「Kedesh」はカナンのケデシュだと推測しています(ティルスから東の内陸部にあります)
セティ1世と言えば「カデシュの戦い」がありますが、「カデシュの戦い」はシリアのカデシュ「Kadesh」ではなく、カナンのケデシュで起こった戦いではないでしょうか

エジプト側の記録でアセル(aseruまたはaser)の地域はケデシュからメギドまでということだと思います
対ヒッタイトの最前線あるカナンのケデシュ付近にエジプト側は全国各地から兵士をこの地に集め戦い、この兵士たちが後のヘブライ人になったと思います
カナン人→アセル人→フェニキア人と繋がっていったのではないでしょうか
0906世界@名無史さん
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2022/06/04(土) 01:13:19.200
アマルナ文書みればわかるでしょ
カナン人は滅ぼされかかってて、エジプトの援助がなくなったら今にも滅びるって要請してた

実際その通りにBC1500年
トトメス2世の時代にモーセがそこを滅ぼした
モーセを養ったのは少女だったハトシェプストで
モーセとの対立はイシスオシリス神話へと変化した
0907世界@名無史さん
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2022/06/04(土) 01:16:00.880
トトメス2世は若くして死んだファラオ
体中に傷があり腕がもげていた
詩篇にもあるように
あるいはコーランにもあるように
「そのファラオ」は海にのまれて死んだ
0909世界@名無史さん
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2022/06/05(日) 07:12:16.000
【古代ローマの遺跡で民間人の「ジェノサイド」の証拠を発見】
https://www.express.co.uk/news/science/1562125/archaeology-news-evidence-genocide-roman-empire-ancient-history-spt
考古学者は、残忍なローマの将軍スキピオ・アフリカヌスの監視下で起こった民間人虐殺の証拠を見つけた後、驚いた

スペイン南部のアンダルシア州イリトゥルギスの古代都市で遺跡を発掘した研究者は、紀元前206年にスキピオがカルタゴを攻撃した残骸の一部を回収しました。

2018年にフアン・ペドロ・ベレンが率いる考古学者のグループは、スキピオを市内の一般市民に対する「大量殺戮」行為と結びつける「魅力的な」新しい証拠を発見した。
「典型的なイベリアの町」であり、さまざまな形や大きさの武器を含む、紛争の証拠を提供しています。

ベレン氏は「スキピオは武器と街を完全に破壊するという考えを持って来たと思う。
そして、ローマ人による一種のジェノサイドがあったと思うのは、包囲後の風景に人口がいるという証拠がないからです。
人口はほとんど一掃され、おそらく人口の80〜90%が排除されました。」

ヒューズ氏は、「フアン・ペドロと彼のチームが発見した証拠は説得力があります。」
「ローマの武器がこの風景に現れたまさに歴史的な瞬間に、イリトゥルギスの生活のほとんどすべての兆候が考古学的記録から消えました。」
0911世界@名無史さん
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2022/06/06(月) 11:44:45.010
Tyre(ティルス、テュロス)の埋葬について

ローマのネクロポリス北東端、難民キャンプとも接する区画で1997年、フェニキア時代のネクロポリスも見つかっていた。紀元前10〜7世紀の火葬墓で、約320個もの骨壺が出土したという。テュロスでは火葬が一般的だったようだ。博物館にある素焼きの葬送マスクはここから出た。
Al-Bass ネクロポリスで見つかった骨壺の中には、動物や鳥の骨片が含まれているものがあった。火葬の積み薪の間近で供犠や葬送の宴が催され、食べ物の残りや使用した器などは共に炎へ投げ込まれた。同一人物の骨と灰とを2つの骨壺に分けて納めた例が最も多いようだ。

発掘調査が行われた約500平米の区域において、約320の骨壺の被葬者は全て成人で、最も若い年代でも12あるいは14歳、子供のものは一切見当たらないという。
火葬した幼児の骨がトフェトと呼ばれる共同墓地でしか見つかっていないカルタゴ(テュロスの入植地)の例を考えると興味深い。

Al-Bassの火葬墓にも貴賤の差はみられたが、共通しているのは、形の違う2種類の水差しと水飲み用の碗が骨壺に添えられていたこと。墓前に水を供える日本と心情的に通ずるものがあるように思えた。あるいは、テュロスはかつて島だったので、水の確保が切実な問題だったことの表れか。

ただ、Al-Bassがテュロス唯一のネクロポリスというわけではない。
後背地では地下岩窟墓、家族墓、土葬墓、装飾付き石棺など他の埋葬法も確認されているということだ。
0912世界@名無史さん
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2022/06/06(月) 19:48:08.940
トフェの埋葬段階
発掘調査では3つの埋葬が確立されており、すべて女神Tanitにちなんで名付けられました。
https://i0.wp.com/historyandarchaeologyonline.com/wp-content/uploads/2018/03/stratigraphie_tophet_carthage.jpg?resize=924%2C1024&ssl=1

Tanit I:紀元前730-600年。この第1段階の墓は比較的少なく、広範囲に散らばっています。初期の骨の分析は、これらの遺体が非常に幼い子供たちのものであることを示唆しています - 数日から数ヶ月齢の赤ちゃん。埋葬は小さな金庫にあり、ホルスの目のようなエジプト風のビーズやお守りが入っていました。子供や子羊の火葬された骨も骨壷に含まれています。玉座のようなcippusが墓を示してます。

Tanit IIa:紀元前600-400年。これらの埋葬は、Tanit I の墓の上に置かれた瓦礫の薄い層の上にあります。お守りはそれほど頻繁ではなく、cippusの玉座は砂岩です。

Tanit IIb:紀元前399-紀元前299年。この段階では、埋葬には黄色、赤、または青に塗られた白いスタッコで覆われた砂岩の墓標があります。後の埋葬には、三角形のペディメントを備えた狭い墓石碑があります。バアルとタニトの碑文と絵画的表現は、この時代に初めて登場します。

Tanit III:この期間は、ローマ人によるカルタゴの破壊までの最後の150年間をカバーしています。墓標は現在、細身の石灰岩の針または石碑で、三角形のペディメントがあり、まだタニトのサインが特徴です。この段階では、骨壷内の動物の遺体の発生が最も少ない。
0913世界@名無史さん
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2022/06/06(月) 21:39:20.320
>>912
Tanit I で「子供や子羊」ではなく「子供または子羊」です、大事なことなので訂正させてください
「金庫」ではなく「棺保護容器」でしょうか、英語で vault
0914世界@名無史さん
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2022/06/07(火) 05:40:02.560
エジプトとヒッタイトが戦った「カデシュの戦い」
シリアのカデシュではなくカナンのケデシュで起こった戦いだと思います
史上初の平和条約が取り交わされた「カデシュの戦い」の後、エジプトに平和が訪れたでしょうか?

その後、ミケーネ人(サルデーニャ人)とヒッタイトによるエジプトへの連続した猛攻撃が始まります
エジプト軍がカナンのケデシュまでしか押し返す(遠征する)ことが出来なかったことが、エジプトの軍事力の弱体化が露呈したのだと思います
ミケーネ人は本拠地であるギリシャのペロポネソス半島からクレタ島を経由して、エジプトの海上またはリビア側からも攻撃を仕掛けます
キプロス島居住のミケーネ人も東地中海沿岸に侵攻し、ヒッタイト、ペリシテ人と共にエジプトへ攻撃を仕掛けます
結局、エジプトは何とかこの猛攻撃を防ぎ切りました(ミケーネ人の目的はエジプト本国への植民都市の建設だったかもしれません)

一方で、ミケーネやヒッタイトは、度重なる軍役・強硬な軍事行動により属国や同盟国の離反や内部での反乱(さらには深刻な飢饉)のために弱体化し、他民族の侵入を許し崩壊してしまったのではないでしょうか
それではペロポネソス半島のミケーネ人は何処へ行ったのでしょうか?
祖国サルデーニャ島へ戻ったのだと思います(一方で、キプロス島に居住していたミケーネ人はそのまま残ったと思います)
本来、先住民と新しい住民が(平和的ではないにしても)共存し、文化の継承・融合が行われ新しい文化が生まれます
しかし、ミケーネ人(サルデーニャ人)が居なくなったことで、線文字Bをはじめとする文化・文明がギリシャ本土で途絶えてしまったのだと思います
(ちなみにキュプロ・ミノア文字は別名、線文字Cと呼ばれています)

これが「紀元前1200年のカタストロフ」ではないでしょうか
0915世界@名無史さん
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2022/06/07(火) 05:41:04.040
祖国サルデーニャへ帰還したミケーネ人はその後、どうしたのでしょうか
「海洋民族」であるサルデーニャ人は新たな開拓地を求めたはずです

その一つがイベリア半島南部 Huelva ではないでしょうか
Huelva には およそ1250 BCから pre-Phoenician の居住区が存在し、Eteocypriots、Cypriot Phoenicians や Sardinian Phoenicians と呼ばれる人たちと交易をしたのではないかと考えられています
Eteocypriots、Cypriot Phoenicians や Sardinian Phoenicians はミケーネ人(サルデーニャ人)ではないでしょうか、また pre-Phoenician もサルデーニャ人ではないでしょうか
(Eteocypriots は 鉄器時代までギリシャ語以前の人々によってキプロスで話されていたインドヨーロッパ語族以前の言語を話す人々)

サルデーニャ人はアフリカ大陸にも進出したのではないでしょうか
その一つ、カルタゴはサルデーニャ人によって築かれた都市ではないでしょうか
サルデーニャ島の Tharros がカルタゴに深く関わっている可能性があると思います

Tharros では、考古学者が、ヌラーゲ人(紀元前1900-730年)によって建てられた村の遺跡の近くにあるSu Muru Mannuと呼ばれる丘の上に、地中海西部のフェニキア人のいくつかの施設に共通の野外聖地であるトフェを発見しました
数年前まで、Tharros の地域での考古学的発見は、フェニキア人が紀元前8世紀に町を設立したという説を支持していました。この可能性は、Mistras Lagoon の古い集落の一部が見つかったことによって減少しました。
水没した100 mの壁は、紀元前1200年に海面が上昇し、既存の建物を飲み込んだため、フェニキアのものよりもはるかに古い港湾構造の一部であるようです
ヌラーゲ人の入植地は青銅器時代に存在したようで、トフェ地域の近くにヌラーゲ人の存在が示唆されているようです

Tharros という町の名前もギリシャ語(ミケーネ)に近いと思います
0916世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/07(火) 06:58:49.960
”ギリシャ人”問題
他の地域からギリシャに居住する人はみんな”ギリシャ人”
ギリシャ人が他の地域に居住しても”ギリシャ人” さらに他に移住しても”ギリシャ人”
結果、”ギリシャ人”だらけ
地元の神もギリシャ神話に組み込まれ、みんなギリシャの神

”フェニキア人”問題
ティルスやシドンにつながる交易路に携わる人はみんな”フェニキア人”
バアル、タニトやメルカルトを信仰する人はみんな”フェニキア人”
結果、”フェニキア人”だらけ

”サルデーニャ人”問題
サルデーニャ島から一歩外に出ると、”ギリシャ人”や”フェニキア人”
ヌラーゲ人と”ギリシャ人”や”フェニキア人”、さらに“カルタゴ人”同士でサルデーニャ島の派遣を争う始末
2本の角の兜を被りバイキングの祖かもしれない地中海の覇者”サルデーニャ人”なのに、この扱いは何なんでしょうか
0918世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/07(火) 23:49:06.520
今のチュニジアはそうかもだけど、フェニキア人とアラブ人て別系統じゃなかったかね
0919世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/08(水) 01:01:31.710
フェニキア人しか二段櫂船を持ってなかったから覇権を握ったんだよ
0920世界@名無史さん
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2022/06/08(水) 16:45:00.130
滅ぶべし
0921世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/08(水) 20:24:03.300
https://www.asor.org/wp-content/uploads/2018/02/2-1.jpg
Map of the central Mediterranean with the position of the certain, probable (*) and hypothetical (**) Tophets attested between about the 8th and 2nd centuries BC (by A. Orsingher)

個人的見解ですが、Tharros → Cagliari → Motya、Carthage
と広がっていったのではと推測しています
サルデーニャ島南部が多いのは、シチリア島とカルタゴを中心とする北アフリカの交わる場所のため、交易で繫栄し町が広がっていったのではと思います

個人的に興味深かったのが、タニトのサイン(満月と三日月)が現れたのがCarthageよりMotyaの方が先(つまり紀元が古い)ことです
0923世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/08(水) 23:58:42.420
>>921
言語がセム系なのはなぜだい?
明らかにフェニキアから広がっていってるのに
0924世界@名無史さん
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2022/06/09(木) 00:14:37.590
19世紀後半、フランスの地理学者は、ティムサーハ湖の東側を通ってグレートビター湖の北端近くまで達する、
南北を結ぶ古代の運河を発見した[41]。この運河は前述のものと異なり、ティムサーハ湖付近まで海進してい
た紅海沿岸を航行した船がそのまま北進する運河だったと考えられる[38][41]。20世紀には、ティムサーハ湖か
らバッラ湖(現在のバッラ・バイパス付近)まで延長する工事の跡が発見され[42]、これは運河沿いに建てられた
古代遺跡からエジプト中王国以降のものと推測された[42]。これがセソストリス時代の古代運河と同じか否か判
明しておらず、東方に対する塹壕の可能性も消されていない。

紀元前1470年のハトシェプスト在位時に行われたプント遠征譚を描いたレリーフには、遠征軍がプントからの帰
路が航海だったことを表現している。この事から、当時紅海とナイル川を結ぶ航路が存在したという提言がある
[43][44][注 3]。このレリーフから、運河はラムセス2世在位の紀元前13世紀頃まで存在したと想像される[33][45][46][47]

8世紀までの時期、オールドカイロと紅海を結ぶ運河が存在した[33][34]。ただし、誰によって建設されたかは複
数の説があり、トラヤヌス、アムル・イブン・アル=アース、ウマル・イブン・ハッターブのいずれかではないかと考えら
れている[33][34]。この運河はナイル川沿いのオールドカイロ[34]と現在のスエズ近郊を結んでいた[33][54]。地
理学者のディクイルは、8世紀前半に聖地を巡礼したイギリスの僧フィデリスが、道中にナイル川から紅海へ運河
を航行したと話した内容を報告した[55]。

767年には、アッバース朝のカリフであるマンスールがアラビア半島の敵対勢力に対抗するため、運河を閉鎖したと
伝わる[33][34]。1000年頃、ハーキムはオールドカイロと紅海間の運河修繕に乗り出したという意見もあるが、そ
れはごく短い期間にとどまり、再び運河は砂に埋まったという[33][34]。ただし一部の構造は残り、年1度のナイル
洪水の際にそこは水で満たされる[33][34]。



古代には洪水期のみ開通する地中海と紅海を結ぶ運河が存在し
フェニキア人はそれによって、紅海から船でやってきた
途中迫害されていたセム人を救いながら
0925世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/09(木) 03:37:57.520
>>923さん
>>921 の Tharros(タロス)は旧約聖書のタルシシュ(Tarshish)の候補地の一つです
ミケーネ時代、クレタ島を出発し、ティルスを経由して、クレタ島に帰還する海洋交易路をを築いたのを、
「紀元前1200年のカタストロフ」後、サルデーニャ島の Tharros を出発し、ティルスを経由して、Tharros に帰還する新たな航路を築いたのだと思います
交易時にフェニキア文字が伝わったのではないでしょうか(もしくはキプロス島に居住し続けたサルデーニャ人からかもしれません)

イベリア半島南部にもフェニキア文字と非常に似た文字が発見されています
これは、その当時のフェニキア文字(現在のフェニキア文字になる過程のフェニキア文字)が Tharros から伝わったのではないかと思います

イベリア半島南部の鉱脈が枯れ、新たに北アフリカ、シチリア島に鉱山の開拓を求めたのだと個人的に推測します
Tharros から >>921のサルデーニャ島南部の沿岸地域に植民都市を作り(ここに有名な Nora の碑文があります)、
さらにカルタゴ、シチリア島の Motya の植民都市を作ったのではと思います
0926世界@名無史さん
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2022/06/09(木) 03:51:57.880
フェニキア文字がどこで誕生したのか、いまだにわかっていません
フェニキア文字の誕生の地がわかれば、どのように広がっていったのかわかると思います

ギリシャのアルファベット文字は、おそらくエジプトのナウクラティスでフェニキア文字から誕生し、
ナウクラティスに居住していたギリシャ人の傭兵が故郷に帰還したことで、急速に広がっていったと考えられています

フェニキア文字の碑文として
Ahiram sarcophagus, Byblos, c. 850 BC.
Nora Stone, c. 800 BC.
があり、サルデーニャ島には早くからフェニキア文字が伝わったのでないでしょうか
0927世界@名無史さん
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2022/06/09(木) 04:16:09.890
「メギドの戦い」の後、メギドはフルリ人(ミタンニ)が支配下に置いたと考えます
その後のアマルナ文書では、カナン以下南の地域は、ハビル人に荒らされ続けます
ハビル人はフルリ人の軍隊だったと思います

このときに、カナン人のDNAがフルリ人に置き換わった可能性があります
支配層の埋葬からのDNAと下級層の埋葬のDNAを比較すれば判明する可能性があるのではないでしょうか
(父系のDNAが同じでも母系のミトコンドリアDNAに明確な違いが出るはずです)

ナショナルジオグラフィックの記事でメギドのDNAの鑑定をしているとありました
結果が出れば、カナン人について今より判明するのではないでしょうか
0928世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/09(木) 17:31:58.460
フェニキア文字の碑文として
Karatepe bilingual, Phoenician-Luwian bilingual, 8th century BC.
Çineköy inscription, Phoenician-Luwian bilingual, 8th century BC.
があります

この地域はAdanaを中心としたクエ(クウェ)王国がありました
ルウィ人が居住し、後にフルリ人が侵入し、共存していたと考えられています
ルウィ人がルウィ語象形文字、フルリ人がフェニキア文字のバイリンガルの碑文だと個人的な考えです

フルリ人はウガッリトに居ましたし、カナンにも居たと思います
フェニキア文字にフルリ人が大きく関わっているのではないかと思います
紫の染料もフルリ人が関わっていると思います
優れた冶金技術を持ち、キックリの馬の調教、戦車(チャリオット)、さらに最古の讃美歌
フルリ人凄すぎます

地中海の覇者サルデーニャ人と陸の天才フルリ人、もっと注目を浴びて欲しいです
0929世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/09(木) 19:34:22.660
ティルスを大規模な湾岸都市・要塞都市に築いたのは、「海の民」サルデーニャ人だったと思います
キプロス島に居住したサルデーニャ人がチェケル人と呼ばれていたのだと思います
紀元前13世のサルデーニャ島のヌラーゲ人の陶器がキプロス島の Kokkinokremmos, Hala Sultan Tekke で発見されています
さらに Enkomi では紀元前12世紀の戦士のブロンズ像が発見されています

サルデーニャ島 Tharros から出港した船がティルスに寄港するのは、船の安全が保証されている港だったからだと思います
フェニキア文字が伝わる環境があったのだと思います
0930世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/09(木) 22:17:12.710
サルディニア人は櫂船持ってなかったろ
フェニキアが発明し、
ギリシャの海賊を遠洋で片っ端から沈めまくったのよ
0932世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/09(木) 22:33:34.140
フェニキアの隆盛
イスラエル王国、ソロモン王の栄華
流浪の民族だったアラム人の文字が国際文字に
ソロモンがエイラトで紅海貿易

その他は自動的に鎖国状態
フェニキアの版図以外に流通なくなる
0933世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/10(金) 00:43:10.090
ティルスは、テュロス(Tyros)
都市名が最後 -os です(ミケーネ)
都市の名前が変わったときに、サルデーニャ人(ミケーネ)の植民都市になったのはないでしょうか

アナトリア西南海岸部のドーリア人国家もすべての都市名が -os です
Halikarnassos, Kos, Knidos, Ialysos, Kameiros, Kameiros, Lindos
ここも関係があるのかもしれません
0934世界@名無史さん
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2022/06/10(金) 10:14:38.580
-osは普通にギリシャ語名詞の語尾(の一つ)
そもそもTyrosは勝手にギリシャ人がそう呼んでるだけで本当の名前でも何でもない、カルトハダシュトがカルタゴ(あるいはカルケドン)に名前変わったって言ってるようなもん
現地名は𐤑𐤓(ṣr)でコインにも彫ってある
0935世界@名無史さん
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2022/06/10(金) 23:44:39.760
ギリシャ時代ローマ時代にガレー船以外の海賊船で太刀打ちできたか?
それが存在しない=繁栄不可能なんだ
0937世界@名無史さん
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2022/06/14(火) 22:23:39.530
カルタゴはハンニバルによってアフリカがヨーロッパを制圧しかけた歴史的にも非常に珍しい例
0938世界@名無史さん
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2022/06/14(火) 23:13:39.160
強烈なトラウマを植え付けたね
兎に角今までは自分達こそが至高の存在と思ってたのが、コテンパンにのされた訳だから

ところでキリン杯、カルタゴ(チュニジア)が優勝したね
喜んで良いものか悩みどころだよ
0940世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/16(木) 16:50:34.240
イタリア対チュニジアって
0941世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/16(木) 23:39:10.650
ハンニバルよ!我らがスッフェトよ!
カルタゴの雪辱、今こそ晴らしてくれ!!
0943世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/17(金) 19:06:18.130
滅ぶべし
0944世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/17(金) 22:39:57.170
カトーだぁ!!カトーが出たぞぉ!!ケツの毛一本残すな!!
0950世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/20(月) 01:51:29.230
>>934
実際そう呼んでたのか?
osとかつけてるだけで発音してなかったんでは
0951世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/20(月) 07:47:25.880
うわ、余計な候補で打ち間違った!
ハッティアン以前に鉄作ってた所ある?
0954世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/22(水) 23:47:42.970
(⚫︎ω^`)< >>953さん、ただいま!
お土産にローマンコンクリートを沢山仕入れてきたよ
0956世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/25(土) 20:56:36.320
滅ぶべし
0958世界@名無史さん
垢版 |
2022/06/30(木) 16:12:14.220
(⚫︎ω・`)<毎日暑いねー
もう夏になるのかなー
夏と言えば麦の秋、狙い目だね
0959世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/07(木) 10:20:54.800
幾らか雨が降ってきて涼しくなってきた
カルタゴは日本より暑かろう
クーラーもないのによく生活出来たな
0960世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/08(金) 22:06:21.030
安倍さん、とても残念です
それでも意志を継ぐ者が現れて、日本を良い方向に導いてくれる事でしょう
0961世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/16(土) 11:28:12.570
リシ・スナクが再び英国首相候補選挙の第2回投票で最多票を獲得し、
スエラ・ブレイバーマン司法長官が敗退
https://voi.id/ja/news/190431/read

インド系移民の政治家2人が中心となってジョンソン政権を倒そうとしている。
ただ、彼ら二人の共通点は共に20代に金融業で働き大成功していること。

リシ・スナック次期首相の祖父がインド出身で東アフリカから英国に
移住している事実からもわかるように、国境を越えて移動する彼らは
金融業に親和性がある。一般にはユダヤ人と称されるフェニキア商人の
血を引いている可能性も考えられる。フェニキア商人は古来から
インドと地中海の間の貿易に参加していたからだ。
0962世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/16(土) 15:34:31.910
ユダヤとフェニキアが入れ替わったとか、そういう都市伝説なら聞いた事あるよ
0963世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/17(日) 22:13:08.890
フェニキア人が改宗してユダヤになったって話じゃなくて?
0964世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/17(日) 22:14:01.230
ローマの時代すでに国外に1000万いたとか言われるユダヤ人は
フェニキア人含めないと無理すぎないか?
0968世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/22(金) 00:00:45.170
滅ぶべし
0969世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/23(土) 18:28:43.350
(⚫︎ω・`)<やだぁ、最近カトー湧き過ぎ!
バルサン焚いてバルサン
3:30にね
0970世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/30(土) 21:18:23.630
謎多きストーンヘンジを誰が築いたのか?
遺伝子解析で浮上した思いもよらない筋書き

・・・衝撃的な発見の一つは、遺伝子解析により、紀元前4000年前後に
ヨーロッパ大陸からグレート・ブリテン島に渡ってきた大量の人々の存在が
明らかになったことだ。
それは何千年も前にアナトリア(現在のトルコ)にいた人々の末裔で、
農耕と牧畜を営み、グレート・ブリテン島にもともと暮らしていた
狩猟採集民とは、遺伝的に明らかに異なっていた。・・・
https://news.yahoo.co.jp/articles/0adf4a223fdf33e42cab9ebe685e9a82bb3a812c

アナトリア高原から大ブリテン島に移住というのが興味深い。
実は彼らは旧約聖書に書かれたネフィリムの子孫ではないか。
ネフィリムの子孫は多くがフェニキア商人となり、カルタゴ滅亡後は
ユダヤ商人として地中海世界を中心に詐欺や強奪で大儲けし続けたが、
一部は大ブリテン島から北欧に移住してバイキングに成ったのではないか。
バイキングの航海能力や戦闘能力が自然発生とは思えない。

そしてバイキングの子孫達は、現在の北欧や英国、ドイツなどの
ゲルマン系民族になっている。ナチスドイツのゲルマン民族至上主義は、
実はネフィリムの血を引くゲルマン人の優越性を説いたもので、
ユダヤ教の教典の一つとされるタルムードと類似している。
これは皮肉ではなく、実はネフィリムという同じルーツを持つ
兄弟民族だからなのだろう。
0972世界@名無史さん
垢版 |
2022/07/30(土) 23:34:10.660
フェニキア人は巨人の末裔ってことかな?
ローマ人よりは背が高いかもしれないね
0973世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/16(火) 16:31:59.830
(⚫︎ω・`)<カルタゴも夏バテ起こしちゃってるなぁ
皆んなで海水浴に行こう!
0974世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/16(火) 22:02:58.560
そういえば最近出版された『古代地中海世界と文化的記憶』に佐藤育子先生が寄稿されてたよ
0975世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/21(日) 10:05:10.270
カルタゴは銃を発明してれば長篠の合戦で武田の騎馬隊を火縄銃が壊滅させたように

スキピオの騎兵部隊をザマの戦いで壊滅できたかもな
ハンニバルが銃を知ってたらどんな使い方をするか想像もできないけど

騎兵で重装歩兵をオワコン化させたハンニバルが銃で騎兵をオワコン化させるのを潔しとできるかは微妙だけど
0976世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/21(日) 14:04:39.890
(⚫︎ω・`)<火薬を知ってたら、それだけで1000年分の歴史を進めてただろうね
黒色火薬の作り方知ってる転生者求む
給料は言い値で
0978世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/22(月) 21:09:46.900
このスレのみんなはカルタゴ関連でどういう本読んでるの?
0979世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/23(火) 09:43:39.080
自分はフェニキア文字の碑文、通称国家カルタゴ、ローマ人の物語とかかな
後はネットかな
現在残っている資料はほぼローマ側によって書かれたものなので、海外に残っている伝承とかを翻訳して読んでる
日本であまり知られていない話しも出てきて面白い
0980世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/23(火) 16:39:27.590
伝承か、面白そうだね
そういえばAut viam inveniam aut faciamってハンニバルの言葉だとよく言われるけど、ポリュビオスとリウィウスにはそれらしき部分見つからなかったんだよね
何が出典なんだろうか
0982世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/24(水) 17:40:48.840
英語版wikipediaの翻訳っぽいね
出典のところに書いてあった引用文辞典3つ見てみたけど、どこから引用してきたかは書いてなかった
Loeb Classical Library使ってinveniam viamで検索してもハンニバル関連では出てこなかったから本当に謎
0983世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/25(木) 00:04:23.300
格言として有名だけどね
今度海外の質問板にでも書き込んでみよう
0984世界@名無史さん
垢版 |
2022/08/30(火) 23:30:19.540
>>882
こいつの銅は
たしかスカンジナビア半島から来たという記事を見たことがある

問題は青銅にしたのは
どこかってことだね
0986世界@名無史さん
垢版 |
2022/09/14(水) 13:22:07.710
(⚫︎ω・`)<またローマ板で絡まれちゃった
まぁ思想の違う者と話しても埒があかないからスルーしちゃうんだけどね
0987世界@名無史さん
垢版 |
2022/10/10(月) 00:27:16.390
https://sketchfab.com/3d-models/villamar-necropoli-punica-c99d2f57989542fb8025aee59a1cc917

Vista di una parte della necropoli punica di Villamar (Su) dove dal 2013 il Comune scava con una concessione ministeriale in collaborazione con l’Università di Sassari. Si vedono tombe a camera e con nicchia scavate nella roccia con i loro pozzi di accesso, tombe in fossa, alla cappuccina e in anfora. IV- III secolo a.C.

2013年から自治体がサッサリ大学と共同で大臣許可を受けて発掘しているヴィラマール(ス)のポエニ時代のネクロポリスの一部の風景。岩盤に掘られたチャンバー型やニッチ型の墓とそのアクセスシャフト、竪穴式墓、カプチーノ型やアンフォラ型墓などを見ることができます。紀元前4~3世紀
0988世界@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 11:32:16.280
面白い試みだね
カルタゴ人てエジプトみたいに地下に冥府をつくろうとしてたのかな
0989世界@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 00:59:46.710
墓の中での生活というより、魂があの世で霊的に復活することを信じていたみたいだよ
ただエジプトの影響はかなり受けていて、ハスの花みたいなエジプトの図像が結構多く見られるらしい
0990世界@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 03:21:51.120
なぜ聖書にカルタゴが出てこないか?
ローマに配慮したのか?
0991世界@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 18:40:39.710
カルタゴ人は死とは短い旅でその後再び現世に生まれ出ると考えていたって、何かで読んだけど何だったかな
0992世界@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 19:03:54.500
>>991
カルタゴ人の世界かな
ハンニバルの「国のために死んだ兵士は遠くないうちに甦る」って演説の話とか書いてあるとこ
その本だと霊魂は冥界を船で旅したあとに時間をおいて復活するってあったけど
>>989はマーコウのフェニキア人
0993世界@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 21:37:04.810
カルタゴの信仰なのか、ハンニバルの死生観なのか、はたまた後世の創作か…
なんにせよ、ちょっと一向宗を思い出した
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