中央アジアの歴史
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カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、
東トルキスタン、アフガニスタン、チベットあたりの歴史について語るスレです イスラム汚染で、如何に仏教が廃れたか
そこが気になるね ブリヤート人やカルムイク人は、ロシア連邦内では珍しい仏教徒 カザフスタン、キルギス、ここら辺が本来の昔ながらのテュルク系のルックスなんだろう。
コーカソイド化したトルコよりも ウズベキスタンの国民にとっては、やっぱりティムール朝がアイデンティティなのかな
ソグド人やホラズム・シャー朝には直接のつながりを感じにくいのかも ウズベキスタン人のアイデンティティになったのはソ連崩壊後
新生ウズベキスタンで意図的な国家政索の結果らしい
ウズベキスタンのアイデンティティは現在の民族名の出自であるジョチ・ウルスじゃないかな
一方のティムールはチャガタイ系 訂正
ティムールがウズベキスタン人のアイデンティティになったのはソ連崩壊後 >>4
いや、そこらへんもかなりコーカソイド化してる
原トルコ人の形質を一番残してるのはおそらくサハ人や
イスラム教徒でもないし、イスラム教徒でないトルコ人ていうことでも
最も原トルコ人に近いやろ ハザーラ人とハザール人はちがう
ハザール人は偽ユダヤ人でいまのウクライナで10世紀ころユダヤ教国家として存在していた
その国が滅亡してヨーロッパに流出したのがいま目立っているユダヤ人
宗教としてユダヤ教を選んだのであって血統的にはユダヤ人ではない
ハザーラ人はチンギス・ハーンが送った使節を皆殺しにされて怒って
ある部族にそこら一帯を皆殺しにしたうえで永久に住み着くように命令した部族だ
ロシアが征服したときに現地人に復讐されていまでは差別の対象になっているそうだ
うろ覚えだからまちがっているところは許して ごっつ寒いツンドラのサハ共和国に住んでるサハ人ってテュルクだったのか
しかし騎馬民族の古代トルコ(テュルク)人ってのはやはり言葉は違ったけどモンゴル人と似たようなもんだったのかな 突厥人の画像って見かけないんだよな
あれば人種とかすぐ分かるのに サハ人は、ロシア人との接触が始まると、
ロシア人から毛皮税を賦課されるようになった
東シベリアは毛皮の一大供給地となり、ヤクーツクは
交易の中心地として栄えた カザフ遊牧民は大オルダ、中オルダ、小オルダの三つに分かれていたが、
小オルダはジュンガルの攻撃に耐えられずにロシア帝国に救援を求めたせいで、
結局ロシアに征服されてしまう
次いでロシアはおよそ10年後に中オルダと大オルダの保護権も獲得した サカイは中国の史書に見える塞と同じではないかと推測されている >>23
サカイに住んでるけどそんなもん無いで
古墳ならあるけど 中央アジアは、近代以降、世界的な綿作地帯となった
なかでもフェルガナ地方は、綿花モノカルチャー地域の典型ととらえられてきた
ロシア帝国とソビエト政権は一貫して、ヨーロッパ部ロシアで発展した
綿紡績・綿織物工業に必要な原綿をこの地から調達することで、
北米産原綿の輸入抑制に努めたから カザフ人は、現在ではほとんど遊牧生活を送っておらず、
都市に暮らすものも少なくない
牧畜にたずさわる者も定住し、かつての姿からは様変わりしている >>26
そしてアラル海は干上がり、アラル海に注ぐ二つの川の一帯は
水を吸い上げすぎた結果、塩害が発生することになった 中央アジア五か国はロシアに支配されてまだマシだったのかもしれない
中国に支配されていたらウイグル人のように民族浄化の運命が待っていたかも
もちろんアラル海が干上がったことは悲惨なことだと思うが トルコの対中央アジア外交は、中央アジア諸国では意外に評判が悪いらしい
いつまでも欧州に入れてもらえないコンプレックスを「弟分」相手に
「上から目線」で発散したり、「俺たちはヨーロッパ人だ」と主張したり >>32
中国共産党や朝鮮労働党の方が本家のはずの
ソ連共産党よりもっとスターリン死後も
レーニン・スターリン時代の苛烈な宗教・民族・収容所政策を存続させている ロシアはまだ甘い
ソ連がロシア連邦に変わっても
中国が中華民国に戻ったり、北朝鮮が大韓民国の一部になる事はあり得ない気がするな >>34
やっぱり中国や朝鮮はロシアに比べて遅れてるよな
ロシアにはピョートル大帝以来の西欧化政策の歴史があるから >>1
中央アジアのトルキスタン地域で
カザフスタンの平原だけ文化的、人種的に
モンゴル高原の延長 それ以外の地域の都市は
イランの都市の延長な感じだよな クルグズは天山山脈の山岳・高原地帯に拠って暮らしてきたことで、
「戦闘的な山岳民」とみなされていた >>34
欧米のリベラル派って、中国を過大評価して、ロシアと日本を過小評価する
傾向があるように思える
ズビグニュー・ブレジンスキーなんかその典型 オリンピックの開会式でキルギスタンってコールしてたよな >>34
中国、北朝鮮、ベトナムなどアジアの共産圏は儒教文化圏と被ってる
共産主義と儒教は何故か相性良いようだ >>41
相性がええならなんで共産主義やめたんや? >>42
経済が資本主義化しても、中国、北朝鮮、ベトナムは共産党(労働党)の一党独裁
政治的には共産国 >>12 サハはサハでツングースとかユカギールと混ざってるかも
ヤクートが原テュルクの名残なら南シベリアのハカスやトゥバやアルタイも同程度には原テュルクかも
勇利アルバチャコフが日本だとその辺り出身のテュルク系で一番有名か >>43
共産主義というより一党独裁と親和性が高いのだろう
共産主義の中身は無政府主義からスターリニズム、つまりナチズムよりも統制が厳しい国家社会主義まで幅が広い
北朝鮮は中越と違って政治体制だけでなく経済も
スターリニズムのままだから生活が李氏の時代とあまり変わりがないな スターリンすらしなかった世襲化が公然と行われている点でもはや絶対主義のようなもの >>45
> 一党独裁と親和性が高いのだろう
何故このスレで自民党の話をするのか。
> 共産主義の中身は無政府主義からスターリニズム、つまりナチズムよりも統制が厳しい国家社会主義まで幅が広い
1960年代だったか70年代だったか、ソ連邦の社会学者は「現在もっとも成功している共産主義国家は日本である。」と報告したと聞く。 一党優位を衛星政党制や一党独裁制と同一視するのはどうかしている >>44
その人のWikipedia見たら「アジア系ロシア人」と書いてあって不正確さを感じたわ
モンゴロイド系だが、それをアジア系と書いてるのでおかしい >>49
>アジア系ロシア人
二重にメチャクチャやん
まず、ロシア人やないし
「アジア系」なんていう人種も民族も語族も文化圏も無い 勇利 アルバチャコフ(ゆうり アルバチャコフ、1966年10月22日 - )は、旧ソ連のロシア共和国ケメロヴォ州タシュタゴル出身のアジア系ロシア人(民族名、テュルク系ショル人)のプロボクサー経験者及びプロボクシング・トレーナー経験者。
ほんまに、テキトウ過ぎるな。
でも国籍はロシアなんではないのか? >>51
国籍がロシアならロシア国民ではあるけどロシア人やないわ
ロシアにはロシア人以外にも多数の民族が居る まぁそこら辺日本人的には難しいわな
そこの国籍を持った国民=◯◯人の感覚やから
その更に下位分類として居るのは◯◯民族
出自がそこでもそこに固有の文化で暮らしてなかったら国籍のところの人なんじゃないの?とは思うし
ザギトワをロシア人もおかしいか?
逆にあんまり細かいエスニシティを突っつくのもどうか、みたいな面もあるし 今でも国家=民族と考えているような人間が少なからず居るからな >>51
ウチの大学に来た時に、民族に関する質問は絶対にしないでくださいと釘を刺してたのを思い出した。
事情は不明だけどとてもセンシティブなことみたいだ 日本語のスタスタ歩くのスタスタや
廃れる、廃れたの語源はスタン
英語のスターやスタート、スタンド、スタンダードの語源もスタン なんたらスタンという国名は悪魔の意味のスタンだよ
日本人の中の南朝の連中もそうなんだが
元遊牧民てこと
羊のバフォメットを崇めている遊牧民が悪魔かっていうと
羊の乳を飲み、肉を食って生きていたが
ちょっと寒冷化すると人間を食うしかなくなる地域なのだ
日本の南朝の連中は、ツングース、高句麗、百済、奈良と移動してきた
人間を食うのだよ >>57
ほう。
やはり普通にロシア人なんだね
エスニシティを問いつめるのは駄目 > 民族とは、少数民族だけに使う言葉という感覚
日本で民族の話題が「少数民族」って限定的な認識になったのは実はかなり最近の話で、中曽根内閣の頃から
昭和の末期までは日本も色んな民族に分かれていて、民族の話もタブー視されておらず、地方ごとに民族雑誌があったりもした
1986年に塩川正十郎大臣が国会で
「私が若い頃には日本も地方ごとに色んな民族の方が暮らしておりましたが、日本列島改造によって文化が均質化され、今や日本は単一民族になったと言っても差し支えないのではないか」
みたいな発言をしたときも地方では「今も各地で暮らしている古来からの民族を無視するのか」って騒動になった えーっ!!誰も意識してない大和民族、
アイヌ民族や琉球民族以外に、僅か三十数年前に具体的に何族が居たんだろ?サンカ民族、マタギ民族? 出雲民族とか安曇野民族とか宗像民族とか魚沼民族とか奴奈川民族とか池間民族とかとか……
当時はとにかく地方ごとに民族意識がいっぱいあって地方ごとにコミュニティ誌とかがあったりした 高速道路と自家用車が普及したせいで地方民族が消滅したって分析されてるのよな >>67
民族とは違う
もしかしたら異民族の末裔ではあるかもしれんけど マタギには和人もいたしアイヌもいたから「マタギ」は民族とは違うくくりだと思う >>69 高校の時持ってた古語辞典で狩猟の意で「まとぎ」という語を見た記憶がある
ひょっとしてマタギは日本語の古語由来で、アイヌも一目置くほどの和人のプロの狩猟集団?
もちろん狩猟技術とか双方向はあったんだろうけど >>491-492
民族じゃなくて地方意識
大和や倭人だな基本
サヨクは不当な分断よくやるからな
ミニ独立国ブームとか
民俗館や民族誌は他民族という意味ではないものも
【民族誌】
特定の民族集団の文化・社会・環境など生きている世界についての具体的な記述(デジタル大辞泉) 小泉八雲なんかも日本にいる民族の見分け方みたいな研究してたな >>73
> 民族じゃなくて地方意識
> 大和や倭人だな基本
そういう他民族への押し付けや決めつけが各地の民族コミュニティから批判を浴びた 共存してる当事者たちの自己認識を無視して、特定の集団の都合だけ一方的に押し付けようと他の集団を攻撃するのって典型的な分断だと思うけどね ネトウヨを相手にしても明清帝国スレみたいになるだけだから何も良いことないぞ 生物学的に純粋な民族とかありえないし単一民族国家なども存在しない、そもそも地域への帰属意識とナショナリズムなんて曖昧なもの 漢代には西域北道と西域南道の二つを合わせた地域に、
36のオアシス都市国家が栄えていたという
ところが、4世紀以降、西域南道のほうは土地の乾燥化が激しくなり、
これに伴って交通幹線路としての機能を失ってしまった
その後、東西交通の大動脈としての基本ルートとなるのは、西域北道 >>62
お前、嘘つくなよ
民俗誌を「民族」とごっちゃにしとるんか。
近代に、我々は出雲民族だ!などと部族意識持っとらんだろう。古代の話をなんとなく、それの子孫なんだよね。みたいな話だろ
薩摩隼人とか言っても別に現代人が我々は薩摩隼人民族だ、じゃなくて九州男児とか言ってるのと同じようなもんだろ
まぁ古代は知らんし、大和民族とかもどうでもいいが、アイヌ以外は所詮は日本語族の中のバリエーション言語を話してる民族だな
勿論、それは民族にならないと言うことではないんだけど。言語の系統まで違うようなのは少なくとも中世以降アイヌくらいしかおらんよな それでも一昔前は民族があったと言うなら「民族」の日本語としての意味合いや認識が変化しただけなんでは。
普通にちょっと違う風習があるのを民族と気軽に言っていたとかそんなもんでしょ そもそも日本には民族籍も無いし
民族の○○自治区とか○○共和国とか○○民族管区みたいなものも無いし >近代に、我々は出雲民族だ!などと部族意識持っとらんだろう。古代の話をなんとなく、それの子孫なんだよね。みたいな話だろ
ほんの30年ぐらい前の話なんだがなぁ > まぁ古代は知らんし、大和民族とかもどうでもいいが、アイヌ以外は所詮は日本語族の中のバリエーション言語を話してる民族だな
勿論、それは民族にならないと言うことではないんだけど。言語の系統まで違うようなのは少なくとも中世以降アイヌくらいしかおらんよな
> そもそも日本には民族籍も無いし
> 民族の○○自治区とか○○共和国とか○○民族管区みたいなものも無いし
こういう人たちは根本的に民族ってものを誤解してるんじゃないかなぁ 中央アジアの国々は、ソ連時代はキリル文字を使っていたけど、
トルクメニスタンやウズベキスタンのようにラテン文字に変えた国もあるね
かつては改良アラビア文字が使われていた時代もあった ん?タリバンに政権移行?
タリバンってイスラム過激派のテロ組織じゃないんか 勝てば官軍
負けてるヤツらが現体制側からテロのレッテルを貼られてるだけ イスラム法だと妻の相続権を認める
アフガン山岳民は無視。そりゃ息子につがせたいのに、女に半分だの聞きたくないワイ
これをパシュト‐ン・ワイといい、アフガニスタンの法
そんなわけでタリバーンはチョット変わったイスラム法を採用しており
他の国のひとがイスラム法解釈をふっかけても、田舎のタリバンは無視するという
ワイらしかたないじゃん、と内心で思うらしい
「ユダヤ人のように私欲でイスラム法を無視すれば、地獄に落ちる」と言われながら
田畑を細かく分けると財産にかかわるのでタリバンは族長たちが熱く支持してる 中村哲氏によると、タリバンはむしろ仲介して守ってくれるらしいな。 ガニ大統領国外へ脱出 タリバン、戦闘員に首都入り指示
https://news.yahoo.co.jp/articles/11b90287ee946569e1f7d404a67dce3c18d6b1cc
英国防相、米のアフガン撤収批判「アルカイダが復活するだろう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/92e46242659b3a1632dd72e5b75b4a76bb297740
8/15にアフガニスタンのガニ大統領は隣国タジキスタンに脱出した。
タジク人はパシュトン人に次いでアフガニスタンで2番目に多い民族であり、
タジキスタンからアフガニスタンにかけて居住している。
タジキスタンは旧ソ連の一部で現在もロシア軍が駐留し続けており、
事実上、ガニ前大統領はロシアの保護下に入ったと思われる。
米国は傀儡政権を見捨てたのか?それともロシアに全てを委ねたのか?
今年6月にバイデン・プーチンの初会談があったが、その直後の7月に
NATOがクリミア半島沖で軍事演習を行い一触即発となっている。
8月のオリンピックもロシアは国家としての参加は認められていない。
西側とロシアの関係は冷却したままの様に見える。
ここが改善しないと西側の勝利は無理だろう。
英国はアルカイダが復活すると米国の撤退を批判している。
しかし、アルカイダは西側が育成したテロ組織であり、
米軍が撤退すれば復活は困難だろう。
事実上、英国の属国だった米国がロシアに寝返って、英国が孤立した状態ではないか。
カブールに駐留する米軍は安全に撤退できると思われるが、
英国軍や関係者は拘束され処刑されるかもしれない。 アフガニスタンには、リチウム・鉄・金・ニオブ・水銀・コバルトなどの
鉱物資源がある
アフガニスタンの鉱物資源開発については、中国とインドが権益獲得を目指しており、大規模銅山開発ではすでに中国企業が契約を獲得している。 アフガンの誰からも恨みを買ってない日本が率先して動くべきだろう
そして日本主導でアフガン政府を一から建設する ウズベキスタンではティムールを建国の英雄とみなし(彼はウズベク人ではなく、
またソ連の正史では否定的に扱われていた)、
タジキスタンはサーマーン朝の栄光を讃える(2000年には新通貨名にも採用した)。
ウズベク人はずっとウズベキスタンに住んでいたことになっているが、
タジク人に言わせれば中央アジアはタジクの地であり、ブハラはサーマーン朝の
都として記念される。 1999年には、ドゥシャンベで営まれたサーマーン朝一千年記念行事に、
ユネスコの資金が提供されないよう、ウズベキスタンが圧力をかけている カザフスタンでも、歴史の解釈にしばしば民族主義が入り込む
ロシア人との協調を重視しロシア国内での高度な自治を追求した
アラシュ・オルダ派が、反ロシア的な独立の闘士であったかのように
描かれることはよくある
また、ハンの事績や部族の系譜といった一世紀前の関心に回帰し、
史料的な裏付けが不十分なまま彼らの栄光の歴史を描こうとする者も少なくない
カザフ人の歴史を実際以上に古く遡らせようとする傾向も顕著である グレコ・バクトリア王国のエウティデモス1世は、
ディオドトス2世を殺して王位を簒奪したんだよな
そしてかつての宗主セレウコス朝のアンティオコス3世と
2年におよぶ攻防ののち、和平を結んでバクトリアを守った >>14
カザフやキルギスも結構この手の顔は多いでしょ
サハよりは白人系がいるとしても東のウイグル
よりははっきりとモンゴロイドな顔が多い
不思議に陸続きでもウズベクやトルクメンには
モンゴロイド系が全くない感じ >>86
ロシア人はiの発音等特殊な発音が異様に多いからキリル文字を使う意味があるが、i等の発音が一種類の普通の言語の民族ならラテン文字で十分だな
他の民族にとっては不要な文字が多すぎる
酷寒のロシアでは特殊な発音が発達し過ぎた ロシア語のコツはつまり軟母音
ИとかЕとかЮとかЯは軟母音で、ユーとかヤーはそう言うものとして、何故еがィエになるかと言うとこれもユーやヤーと同じようにyの音が伴う。
Иも同じで、発音はiではなくyi これが分かればなるほどなぁと思う
だから теはチェтиはチになるわけだ
日本人を表すЯпонецがアクセントを置かないところは発音が省略されてィポーニッツのようになるが、この「ィ」みたいになってるところはyの音色を出せばいい。「ニ」というより「ニィ(nyi)」 この七年間のチンギス・ハーンの中央アジア遠征の結果、この地方の様相は一変してしまった。
ホラサン地方はそれまで人口が多く、都市や農園が連なった豊かなところで、イラン人の文化の中心であった。
拝火教の教祖ゾロアスターもホラサン地方の出身であったといわれる。
ところがチンギス・ハーンのモンゴル軍の侵入で多数の人々が殺され、都市は破壊され、
さらにオアシスの緑を支えていた灌漑設備が大損害を受けたために、この地方は沙漠化し、人口は激減した。
そしてこれまでの住民のイラン人に代わって、北方からトルコ系の人々が入り込んでくるようになった。
もとのホラサン地方の北半分は、現在、トルクメニスタン共和国に属しているが、トルクメン人は北方から入り込んだトルコ人である。
チンギス・ハーンのモンゴル軍が、この遠征でかくも破壊をほしいままにした理由は、
この地方が遊牧民の好きな環境の草原地帯でなかったため、人手と財貨の掠奪にしか興味をもたなかったからであろう。
(岡田英弘「チンギス・ハーンとその子孫」) >>95
ティムールがチャガタイ=テュルク化した元モンゴル貴族の末裔って事言いたいんだろうけど
現在ウズベク人も大半の先祖がチャガタイ=テュルク系なんだから
現在のウズベク人がティムールを先祖縁の英雄とするのは何も間違ってない
これ”ウズベク”って名称だけを見ていちゃもん付けているって言う根本的な間違いだろ
シャイバーニの率いたウズベク族と現代のウズベク人はそもそも系統が違うし ジュンガル王国の文化は、茶を飲む習慣から建築、工芸、文学、学問に至るまで、
チベット文化の影響が強かったな
物質文化の導入では、農業、中継貿易、鉄砲や大砲の製造使用などで、
東トルキスタンのムスリムの影響が大きかった
さらにロシア人やスウェーデン人の捕虜が最新式の火器の製造にあたり、
中国人の職人は綿布、紙、印刷などの工場を作った 中央アジア初となる「雄牛の地上絵」をシベリア南部で発見!ナスカより2000年古い
ロシアとモンゴルの国境に位置するトゥヴァ共和国にて、中央アジア初となる動物のジオグリフ(地上絵)が発見されました。
大きさは3×4メートルほどで、雄牛をかたどっているとのこと。
製作年代は約4000年前の青銅器時代初期と判明しており、最も有名な「ナスカの地上絵」より、2000年以上も古いと推定されています。
発掘調査には、ロシア科学アカデミー 物質文化史研究所(IIMK RAS)、LLCクラスノヤルスク・ジオアーケオロジー(LLC KG)らが参加しました。 >>112
旧版の文庫をまだ持ってるな内容はアップデートされてるのかな 匈奴 モンゴル系
鮮卑 モンゴル系
烏桓 モンゴル系
柔然 モンゴル系
突厥 トルコ系
高車 トルコ系
ウイグル トルコ系
契丹 モンゴル系
これであってる? >>114
鮮卑はトルコ系という説を見た事がある
鮮卑はモンゴル系かトルコ系か、いずれにせよ
それにしては異様に漢化した種族だよな
他の遊牧民族とは志向が違う感じ
通常、モンゴル系やトルコ系には漢化を拒否する傾向を感じるし、だからこそ習近平ら中国共産党指導部も迫害する訳で 鮮卑
https://i.imgur.com/j8menVl.jpg 69頁
アジア北部のモンゴル系遊牧民族。
2世紀なかばに一時統一され、再び分裂、
4世紀後半拓跋氏の北魏が部族を統一した。 豊かな中国大陸で3K業務を引き受けてくれる人が遊牧民だったってだけ >>120
漢人は3Kじゃなくて2K(汚い・カッコ悪い)どまりだ 今更ながら乙嫁語りを読んでこの地域にハマったのでおすすめの書籍などあればご教示ください
沢田『匈奴』
ベックウィズ『ユーラシア帝国の興亡』
杉山『モンゴル帝国の興亡』
林『スキタイと匈奴』
小谷『大月氏』
森安『シルクロード世界史』
岡田『世界史の誕生』
とりあえずこのあたりは買ってきました ニュース見ても、クリミア地方の印象が湧かない
カルノフが上半身裸で火を吐くステージのはずだが寒いんだよな >>114
テュルク系な
あとチベット系も網羅しとけよ クリミアタタール人は
モンゴロイドのルーツを持つコーカソイドと言ったところ 🇨🇳 شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونى
🇰🇬 Кыргыз Республикасы
🇹🇯 Ҷумҳурии Тоҷикистон
🇰🇿 Қазақстан Республикасы
🇺🇿 Oʻzbekiston Respublikasi/Ўзбекистон Республикаси
🇹🇲 Türkmenistan 形質人類学的には紀元前と現在とではかなり違う
トルコ語とイスラム教とモンゴロイドとに征服された地域 カザフスタン北部にはロシア系住民が多く、北カザフスタン州では人口の半分、それ以外の州でも1/3前後を占める(ソ連時代は国全体でみてもロシア系がカザフ人を上回っていたので大幅に減ってはいるが)。
ウクライナと比べて軍事力はかなり劣るし、西側諸国からの支援も地理的に難しい。ドンバスみたいに攻め込まれたらひとたまりもないね。 カザフスタンの首都、アスタナに戻る
アスタナ
2019-22年ヌルスルタン
アスタナ >>130
しかも鉱物資源はウクライナと比較にならないほど豊富 国の規模からみると豊富というだけで、世界経済に占める影響から考えると大したことないんじゃね? タジク人とヤグノブ人は遺伝的に若干異なるらしいね
ヤグノブ人の方が欧州人に近い ロシアとカザフスタンの国境付近で鉄道が入り組んでいるところが何箇所かあるけどソ連崩壊時に境界を見直さなかったのかな? 匈奴をイメージするとき何人を想像したらいいですか? なるほど、トルコではないんですね!
ありがとうございます >>145
カザフもモンゴルもタタルもテュルクの一派だよ
モンゴル人にとってのタタルと中国やロシアにとってのタタルが違っていたりする >>143
モンゴルはもちろんだがバイカル湖あたりに棲んでるロシア人 のイメージもあってもいい気がする
このあたりは匈奴に降伏後の李陵の家があったかもだし ステップ地帯の遊牧民はウクライナからバイカル湖まで移動しているからね
遺伝子上も交流が裏付けられている 混血しすぎていて考え出すとわけわからなくなってくるな… 西に行くほどコーカソイドの血が濃くなり
東に行くほどモンゴロイドの血が濃くなる
南へ行くほどインド系の血が濃くなる モンゴルの研究をしている
北海道大学、弘前大学、東北大学、東北学院大学、岩手大学、
東京都立大学、東京大学、一橋大学、東京外国語大学、早稲田大学、大阪大学、京都教育大学、
広島大学、鳥取大学、九州大学、大分大学
の研究員、講師、助教などの研究者たちに知ってほしい
Yahoo掲示板で、三菱UFJの株で800万円儲けたことを投稿したり、
日経平均レバレッジETFの掲示板で名古屋大学の学生がいたら自らの身分証を見せたり
している、
やたらモンゴルに詳しい研究者がいます。
日本学術振興会は三菱UFJの株で800万円儲ける国立大学教員に科研費を交付するんか?
われわれの血税で賄われている科研費は、研究に使うために交付されるんと違うのか。
科研費をもらいつつ三菱の株で儲けててええんか?
国立大学はそういう教員のためにポストを与えているのか?
真面目に研究している研究者が、そのポストに就いたほうが公益のためになるんと違うか?
三菱株で800万儲けて教授より稼いでる国立大学教員が、
どんな研究しているんや 研究者の投稿
13?14世紀は、ユーラシア大陸を語るに於いて、モンゴル帝国の時代だといってもいいでしょう。彼らは破壊の限りを尽くしたけれど、奇しくもそれが東西交流の発端にもなった。なにせ中東・イスラム文化の殆どを破壊し、果ては今でいうルクセンブルクを超えるぐらいにまで迫るもんだから、欧州文化はこの破壊の疾走に恐怖を覚えたものでしょう。その証拠に当時のローマ教皇は、タタール人をキリスト教に改宗させるために修道使節を派遣しているし、同じくフランス王も懐柔使節を派遣しています。
その甲斐もあったんでしょう、東西交流は矛戟を構えることなく進み、安全が確保されたことから、後のマルコ・ポーロが出てくる地盤が構築されました。
このように、曲がりなりにも交易路というものが獲得されれば、自然と文化の成長変化もあらわれます。
今回特筆しようものは、アジアに於けるその学問で、元の郭守敬はアラブの数学を会得して授時暦という太陰太陽暦を編み出し、これは後の日本で頭角を現し、日本独自の暦を作り、日本初の天文学者とされる渋川春海が考案した貞享暦にもおおいに影響を与えたもので、歴史的発明のひとつといえるでしょう。
しかしながら、元国内に限っては、官吏登用制度である科挙が一時廃止されたこともあって、士大夫(上級官吏)階級の地位が低下したため、中国(元)由来の学問や思想は生じなかったという側面があるものの、政界から離れた知識人が市井郷里に戻ることで、かわりに庶民文化というものが発達し、なかでも趙孟?を原点とする文人画家は、黄公望、倪?、呉鎮、王蒙ら四大家によって漢代発祥とされる宗炳が方向づけた山水画の描法が様式化され、南宋画というものが確立されました。
余談にはなりますが、この中国から伝播した南宋画の模倣から脱却したのが、かの有名な雪舟であり「天橋立図」や「秋冬山水画」などは国宝として今でも国に管理され、日本の絵画史において格別の評価を得ています。
末尾として、もう少しだけ中国文学に触れておくと、日本でも不朽の名作として万人に知られる「水滸伝」や「三国志演義」などの劇場型文学は、その原型が元代にできあがったといわれています。この両作品に共通する傾向は、社稷を蝕む高級官僚に国を憂う正義の英雄たちが挑むも、志半ばで悲劇的な結末を迎えるという内容で一致しており、当時の抑鬱された民衆感情が色濃く出た、わかりやすい作品です。 モンゴルに詳しい研究者「猫准教」とは
https://finance.yahoo.co.jp/cm/personal/history/comment?user=752c60aaa248773c9a72d4218b5e36e46aec205200bc61cf14f147d17dc35a3d
Yahoo掲示板でやっていること
・女性教員を自称
・准教授を自称
・モンゴルに関する自分の考えを投稿
・名古屋大学の学生が掲示板に書き込みをしていたから、みずからの京都大学の身分証の画像を貼る(既に削除済み)
→モンゴル史を専攻している該当の「准教授」は存在していない。講師・助教・研究員については不明。
・個別銘柄である、三菱フィナンシャルグループ(8306)の株式を2023/2/20に売買し、800万円以上の利益を得たスクショを投稿(既に削除済み) https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1160004548/06e849fd4914445c27fed6a7a800b61d/1/2632
13~14世紀は、ユーラシア大陸を語るに於いて、モンゴル帝国の時代だといってもいいでしょう。彼らは破壊の限りを尽くしたけれど、奇しくもそれが東西交流の発端にもなった。なにせ中東・イスラム文化の殆どを破壊し、果ては今でいうルクセンブルクを超えるぐらいにまで迫るもんだから、欧州文化はこの破壊の疾走に恐怖を覚えたものでしょう。その証拠に当時のローマ教皇は、タタール人をキリスト教に改宗させるために修道使節を派遣しているし、同じくフランス王も懐柔使節を派遣しています。
その甲斐もあったんでしょう、東西交流は矛戟を構えることなく進み、安全が確保されたことから、後のマルコ・ポーロが出てくる地盤が構築されました。
このように、曲がりなりにも交易路というものが獲得されれば、自然と文化の成長変化もあらわれます。
今回特筆しようものは、アジアに於けるその学問で、元の郭守敬はアラブの数学を会得して授時暦という太陰太陽暦を編み出し、これは後の日本で頭角を現し、日本独自の暦を作り、日本初の天文学者とされる渋川春海が考案した貞享暦にもおおいに影響を与えたもので、歴史的発明のひとつといえるでしょう。 https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1160004548/06e849fd4914445c27fed6a7a800b61d/1/2633
しかしながら、元国内に限っては、官吏登用制度である科挙が一時廃止されたこともあって、士大夫(上級官吏)階級の地位が低下したため、中国(元)由来の学問や思想は生じなかったという側面があるものの、政界から離れた知識人が市井郷里に戻ることで、かわりに庶民文化というものが発達し、なかでも趙孟?を原点とする文人画家は、黄公望、倪?、呉鎮、王蒙ら四大家によって漢代発祥とされる宗炳が方向づけた山水画の描法が様式化され、南宋画というものが確立されました。
余談にはなりますが、この中国から伝播した南宋画の模倣から脱却したのが、かの有名な雪舟であり「天橋立図」や「秋冬山水画」などは国宝として今でも国に管理され、日本の絵画史において格別の評価を得ています。
末尾として、もう少しだけ中国文学に触れておくと、日本でも不朽の名作として万人に知られる「水滸伝」や「三国志演義」などの劇場型文学は、その原型が元代にできあがったといわれています。この両作品に共通する傾向は、社稷を蝕む高級官僚に国を憂う正義の英雄たちが挑むも、志半ばで悲劇的な結末を迎えるという内容で一致しており、当時の抑鬱された民衆感情が色濃く出た、わかりやすい作品です。 タジク共和国東部山中に分布するヤグノブ人がソグド人の子孫 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています