イタリア統一の三傑
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テアーノにおけるガリバルディとヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の出会いは、
実際にはよそよそしく冷たいものだった カヴールの念頭にあったのは北イタリアだけ
南イタリアには関心がなく、生涯に1度も足を踏み入れなかった ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
Vittorio Emanuele III (1869年 - 1947年)
第3代イタリア国王(在位:1900年 - 1946年)
初代エチオピア皇帝(在位:1936年 - 1943年)
初代アルバニア国王(在位:1939年 - 1943年)
イタリア王国の君主として大権を揮い、46年間という長期間の在位を通じてサヴォイア家の歴代当主の中でも特筆すべき治世を遺した。
第一次世界大戦、第二次世界大戦の双方で主要参戦国の国家指導者として影響を与え、後者に関してはファシズム運動を率いるベニート・ムッソリーニによる全体主義体制とも密接な協力関係を構築した。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Vittorio_Emanuele_III_%28c._1924-1934%29.jpg/200px-Vittorio_Emanuele_III_%28c._1924-1934%29.jpg >>7
サルデーニャ王国正規軍の将校たちは、ガリバルディを
一介の義勇兵として見下していた
国王は短い会話の中で、ガリバルディに正規軍への従属を求めた >>10
でも結局、イタリア統一はガリバルディの功績 サルデーニャ王国は、フランスと同盟してクリミア戦争に参戦するとか、いろいろ努力していた ドイツを統一したプロイセン王国に比べ、イタリアを統一したサルデーニャ王国の存在感は薄い イタリア統一って、結局イタリア全土の「サルデーニャ化」だったんだよな ピエモンテ(トリノ)のいうことをきかないロンバルディア(ミラノ)とヴェネト(ヴェネツィア)をケツもちのハプスブルク帝国から引き剥がした結果がイタリア統一って感じか
ローマ教皇領問題は先延ばしたが 南イタリアと北イタリアが別の国になっていたら、
イタリアの近現代史も違ったものになっていたんだろうか 北イタリアの言語は、いまでいう「イタリア語」とは大きく異なっていた
もしも南と統合しなかったら、北イタリアの言語が「イタリア語」となり、ナポリ人やシチリア人とは言葉が通じなく成るところだった それに比べてドイツでは、北と南で言葉が通じないなんてことはない 「陽気で大雑把なイタリア人」というのは南部のイメージで、北部はそんなことない
北イタリア人は、ドイツやフランスと同じような先進国の国民性 1861年から始まった南イタリアにおける「山賊大反乱」のせいで、
北イタリア人は「他者としての南イタリア」という認識をさらに強めることになった 北イタリアだけが独立していたら、アルプス以北の諸国に
もっと近い国になっていたのかな
イベリア半島もスペインとポルトガルに分かれているし
そして北イタリアだけがEU加盟、とか イタリアは、大陸部・半島部・島嶼部に分かれる
半島のイメージが強いが、大陸部と島嶼部が意外とデカい。
大陸部はドイツ・フランスと似たような地域 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています